なぜ女性の代弁者であるはずのフェミニストがトランスアライとなってしまったのか

先日Blah@yousayblahさんのスペースで橋本久美@hashimotokumiさんから、なぜ女性人権の代弁者であるはずのフェミニストの多くが女性の権利に真向から対抗するトランスジェンダーのアライ(同盟者)となってしまったのかというご質問を受けた。それについて書くにあたり、以前にも色々書いていたことを見直していたのだが、2021年の8月に私が捻じ曲げられた「ジェンダー」江原由美子著に関して書いたエントリーを見つけたのでそれを読みながらお話しよう。

今を遡ること24年前、1999年に「男女共同参画社会基本法」が発表された。この頃日本では「ジェンダーフリー」という言葉がよくつかわれるようになった。このジェンダ―フリーという概念は、男女は皆同じであり、男性に出来ることは女性にも出来るというものだった。ここでいうジェンダ―フリーとはジェンダーを失くすとか性役割から解放されるという意味で使われている。学校の出席番号なども男女を分けずに混合するなど男女の性差を無視する運動が起きたのもこの頃である。

当時このジェンダ―フリー概念を批判する保守派も多くいた。江原はこの批判者たちのことを「バックラッシュ派」と呼んでいる。あの頃上野千鶴子及び小山エミも含む何人かのフェミニスト共著のバックラッシュという本まで出版されたくらいだ。

それで江原がいうバックラッシュ派がどのような理由でジェンダ―フリー理論に反対していたか江原はk下記のように書いている。強調はカカシ。

ジョン・マネーとフェミニズムでは、ジェンダー概念の定義が違うのです。性差についての考え方も、ジョン・マネーとフェミニズムでは異なりますし。そもそもフェミニズム内部でも大きく異なるのです。おそらくバックラッシュ派は、フェミニズムの混合名簿など男女平等に向けた施策実施の主張を、「ブレンダと呼ばれた少年」に対して行ったマネーの治療と同じく、「男を無理やり女にすること」「男と女の区別をなくすこと」として同一視し、否定しようと思ったのだと思いますが、このような同一視は、どう考えてもこじつけでしかなく、無理があります。

そして江原は、バックラッシュ派がフェミニストを攻撃するために捏造したという下記のような「言い掛かり」を羅列している。

  • 小学校での着替えは男女同室でなければならない
  • トイレも一緒にしろ
  • 風呂も一緒に入れろ
  • 性教育で児童を洗脳

もう聡明なる読者諸氏は床に転がって笑っておられるのではあるまいか。

1999年の男女共同参画が唱えたジェンダ―フリー論は、今トランスジェンダー達が唱えているものとそっくりそのままだ。そもそも男女に差はないと言い出したのはフェミニスト達だ。男に出来ることは女にも出来ると言ったのはフェミニスト達なのだ。だから今更男女は身体の作りが違うから男が女子スポーツに参加してはいけないとか女の体は男に比べて弱体だなどと認めるわけにはいかない。男が女になれると言って女性空間を侵略しはじめてもフェミニストには彼等を拒絶する議論がないのだ。

もう一つ問題なのは、「バックラッシュ派」が指摘していたように、フェミニストたちはフェミニストであることよりも先ず左翼なのだということだ。敬虔なる左翼戦士であるフェミニストたちは時の左翼勢力が唱える思想と女性の権利が衝突した場合、女性権利を犠牲にすることになど何のためらいもないのである。

もっと同情的な言い方をするならば、リベラルの女性達は弱い人たちの味方でありたいという自分らの自己満足を満たすために、社会の新しい犠牲者の味方であろうとしているともいえる。彼女達が本心からの同情でそういう態度をしめしているのか、単なる道徳観アピールをしているのかは分からないが、「すべての差別を許さない」という左翼プロパガンダんにうまく乗っかっていると言ってもいい。

ではフェミニストの中にも完全にトランスジェンダリズムを拒絶できる過激派フェミニストが居るのは何故なのか?彼女達の思想は左翼リベラルとは矛盾しないのだろうか?

トランスジェンダーがTERF/ターフ(トランス排除的過激派フェミニスト)と呼んでいる女性達は、あくまでも女尊男卑の思想を持ったラディフェミと言われるひとたちだ。女性の人権を男性を虐げることによって勝ち取ったと誇っている彼女達が女装男に道を明け渡す言われはない。女装男たちをシスターと呼ぶために我々は戦って来たのではないと彼女達はいうのだ。

繰り返すが、この問題がラディフェミ対トランスジェンダーである限りは、ラディフェミに勝ち目はない。

世の中の男性陣には、ラディフェミによって男性がコケにされてきたという感じている人が多くいる。ラディフェミたちがパッとしない男性をオタクと言ったりキモイと言ったりして蔑んで来たのは事実であり、そんなラディフェミたちが女装男たちに虐待されているからなんだというのだ、俺たちには関係ねえよ、お前らの自業自得だよ、と思っている男性が少なからずいるのである。

しかし残念なことに、ラディフェミの間では保守派男性たちの力を借りるぐらいなら自分らだけで戦っていくと頑張ってしまう人が多すぎる。この問題では勇気ある行動をしているJ.K.ローリング女史ですら、マット・ウォルシの差し伸べた手を振り払ってしまったくらいだから。

現在アメリカ各地でトランスジェンダリズムに対抗する政治的な方針を作り出しているのは保守派男性達である。無論女性達も一緒に戦っているが、対トランスで実際に効果を上げ始めたのはマット・ウォルシやロン・ディサンティス知事のような男性が戦いに参加し始めてからである。

今トランスジェンダリズムに迎合しているリベラルフェミ達は、どれだけ自分らがトランスアライであるかを証明するかのように、自分らの子供たちをトランス洗脳し始めている。いつかこの西側諸国のトランス熱が冷めて人々が正気に戻った時、トランスの波におされて大人たちから異性だと洗脳された子供たちの将来はどうなるのだろうか?

次世代の子供たちをこの狂気の犠牲にしないためにも、フェミニストも我々と一緒にトランスジェンダリズムと戦ってほしいものだ。

おまけ:2008年に私が初めてジェンダ―フリーなる言葉を知った時のエントリー。ジェンダ―フリーをトランスジェンダリズムに置き換えると今書いたものかと間違えるくらいタイムリーなエントリーなのでご参照のこと。後で重要な部分だけ抜粋して紹介するつもり。

変態たちが押し進めるジェンダーフリーという神話 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)


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親女性を反トランスと言うことはトランスにとって逆効果なのでは?

イギリスの女性人権家ポージー・パーカー女史の「女にも言わせろ!」ニュージーランドツアーが、あまりにも暴力的なトランス活動家(TRA)の妨害にあって中止に追い込まれた。昨日野外スピーチのイベントに集まった女性達が暴力的なTRAに囲まれ、ポージーに中身不明の液体がかけられ、暴徒に囲まれもみくちゃにされながら、パーカーは数人の警察官によって救出された。

こちらガーディアンの記事。「騒然たる抗議の後、反トランス活動家ポージーパーカー、ニュージーランドツアーを終える」Anti-trans activist Posie Parker ends New Zealand tour after chaotic protests at event | New Zealand | The Guardian 強調はカカシ。

ポージー・パーカー(Posie Parker)として知られる反トランス活動家は、オークランドで予定されていた講演が混乱し、時には暴力的な抗議活動によって終了したため、今後のイベントをキャンセルし、ニュージーランドを離れたと報じられている。

ポージー・パーカーの名で知られるケリー=ジェイ・キーン=ミンシャルは、土曜日の午前中にオークランドで講演する予定だった。物議を醸した英国のジェンダー活動家は、数千人と推定されるトランス権利推進派の群衆に囲まれ、講演者の支持者を大幅に上回った。彼女は、ブーイングや罵声を浴びせられ、トマトジュースをかけられた後、発言する前にイベントを去った。

キーン=ミンシャルのニュージーランドでの講演は、到着前から大きな物議を醸していた。それ以前にオーストラリアで行われたイベントには、白人至上主義団体が参加・支援し、ナチスの敬礼を繰り返しながら街頭行進を行った

また、多くのLGBTQ+の権利団体が、彼女が公の秩序を脅かすという理由で、ニュージーランドの入国管理当局に彼女の入国を拒否するように働きかけていた。金曜日、ニュージーランドの高等裁判所は、キーン=ミンシュルの入国を許可した決定は合法であるとの判決を下した。

マイケル・ウッド移民相は金曜日の声明で次のように述べた: 「多くのニュージーランド人と同様、私もケリー=ジェイ・キーン=ミンシャルがニュージーランドに足を踏み入れないことを望んでいる。また、白人至上主義者を含む、最も卑劣な人々やグループと接触していることに懸念を抱いています。」

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

読者諸氏もお気づきのように、この記事では何度となくパーカーのことを「反トランス」とか「白人至上主義」とか言っているが、彼女は反トランスでも白人至上主義でもない。オーストラリアでニオナチが登場したのも、彼女のイベントに招待されて参加したわけではなく、TRAが抗議のためにやってきたのと同じようにニオナチもこの場を使ってTRA攻撃をしようとやってきただけで、イベント主催側とは無関係である。ニオナチを惹きつけたのはパーカー達ではなくTRAの方なのだ。

ニュージーランドは移民相の発言でもわかるようにパーカー達のことを最初から快く思っていなかった。彼女が到着する数日前からメディアも彼女がいかに危険人物であるか、白人至上主義であるかを宣伝し、イベントでの暴力を煽っていたのである。そうしておいて彼女のイベントでは暴力沙汰が起きるから歓迎できないとかやるのは、左翼の常套手段だ。

アメリカでも保守派の講演者が大学キャンパスなどで講演をしようとすると、講演者を黙らせようと非常に暴力的な抗議者たちがあつまる。それで大学側は「あなたの講演には警備のお金がかかるのでお断りします」という口実で保守派講演者に話をさせないことが多々起きる。もし大学側が当初からどんな講演者に対しても抗議活動をやった学生はその場で一学期間の停学処分に処すくらいの強気な態度をとっていればこんなことは起こりようがない。だが大学側も保守派講演者に少なからぬ敵意をもっているため、わざと過激派学生たちを煽る行為を取るのである。

本来であれば、ニュージーランドのメディアはテレビ番組にパーカーを招待し、彼女のやっているツアーの主旨について色々質問し、白人至上主義団体に関しても彼女の口から説明させるべきなのだ。しかしNZのメディアがそれをしないのは、彼等も100%TRAの味方だからだ。

しかし、このようにパーカーを反トランス扱いすることはトランス活動家にとって良いことなのだろうか?

私は当初パーカーの「女にしゃべらせろ」ツアーには批判的な考えを持っていた。それは、こんなことをやってもトランス活動家の横暴に虐待されている女性の声を広めることには効果がないと思ったからだ。パーカーの集会に集まる女性達の数はせいぜい数百人。しかも公民館のような場所を借りずに野外広場などでの集会ばかりである。ちょっと有名なユーチューバーのオフ会のほうがよっぽども人が集まる。こんなことをやって何の役に立つのだろうか?

そして何故TRAはパーカーを無視しないのだろうか?彼女のユーチューブチャンネルには多くの視聴者がいるかもしれないが、こんな集会放っておいてもどうということはない。TRAが騒がなければ彼女がNZに来たことさえ話題にもならなかっただろう。それなのに何故千人ちかい数で集まって、女性達に暴力を振るわなければならないのだろうか?

考えてみれば、NZメディアも馬鹿である。パーカーを何か非常な危険人物かのように悪者扱いして、TRAの暴徒を焚きつけることにより、パーカーよりもTRAのほうが過激で乱暴な活動であることを証明してしまい、かえってTRAのイメージが悪くなるような気がする。TRAの狙いは誰も気が付かないうちに自分らの好き勝手な法律を通してしまうことにあるはずで、たかが一人のイギリス人女性が来たからと言って大騒ぎしてみてもまるで意味がないと思う。

もっともNZはすでに十分TRAの支配下にあるので、その権力を誇示するためにTRAに立ち向かう生意気な女たちはこうなるのだという見せしめをしているのかもしれない。


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国際女性の日って何の日?次々に消される女性を表わす言葉

3月8日は国際女性デーとかいう日だったそうで、それにちなんで先ずはちょっと良いニュースから。

トランス選手の女子競技参加禁止法案、米下院委が可決 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News

米国下院が生得的男性による女性スポーツの参加を禁止する法案を可決した。下院は共和党が多数議席を握っているが、上院は民主党が多数なため、まずこの法案は通過しないだろう。よしんば通過したとしてもバイデン大統領が署名するとは思えないので、これが法律になるということは今は未だあり得ない。

しかしそれでもこの法案を下院が可決したことには意義がある。なぜなら女性スポーツを守ろうとしているのは共和党であり、それに反対しているのは民主党とバイデン政権であるということが如実になるからである。有権者は次回の選挙で女子競技や女子空間を奪おうとしている民主党に投票するのか、女性の安全とプライバシーを守ろうという共和党に投票するのか、考える必要があることを知らしめることとなるからである。

何故アメリカ民主党は偽女たちの人権とやらを守るという名目で、女性競技や女性空間を女性から剥奪しようというのか、アメリカ市民は考える必要がある。若い未婚女性は民主党を支持する傾向があるが、本当にそれでいいのか、とくと考えてもらいたい。

さて、では本日ツイッターであがってきたこの国際女性デーの新聞広告を見ていただきたい。

こちらは「まず言葉から変えていく。 #国際女性デー 今朝の新聞広告」というコメント付きの広告だ。

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言葉と言うのは時と共に変わっていくというのは本当だ。しかし自然に人びとが使わなくなっていくのと、無理やり消してしまうのとでは意味が違ってくる。言葉は単に意味を伝えるというだけでなく、その時代や社会の背景があるからであり、気に入らないからとむやみやたらに変えるべきではないのだ。

ここで上げられたいくつかの例を考えてみよう。

看護婦が看護師になるというのは、看護する人は必ずしも女性ではないからそれはそれでいいが、だからといって女性である看護婦を無理に看護師と呼ぶ必要はあるのか?これは女優と俳優も同じで、俳優に女優が含まれるという理屈は分かるが、別に女優が男優に劣るというわけではないのだから、何故女優と呼んではいけないのか理解できない。特に役者の場合、男性と女性とでは全く役柄が違う。配役を決める時にわざわざ「女性の俳優」と言うよりも、最初から女優と言った方が端的に意味が伝わる。またスチュワーデスやスチュワードではなく客室乗務員(CA)、ウエイトレス・ウエイターの代わりにサーバー、などと男女を説明する言葉使いをどんどん中性化していくやりかたにも私は昔から抵抗があった。

これはもともとフェミニストたちが男女は平等であり、男女差別を失くすために、男女差が無関係な職業において男女を明確にしない呼び名を使うべきだと考えたというのは分かる。特に女医などという呼び方は、あたかも女性の医者は男性に劣るかのような印象を持つという考えだったのだろう。

だが私は思うのだが、女性と男性が平等であるということと、男女が同じであるということとは違う。同じ職種でも男性には男性の利点があり、女性には女性の利点がある。それに元来女性が中心になって築き上げた職業というものもあるわけで、その言葉を失くしてしまうと、その女性の貢献した歴史すらも抹消してしまうことにはならないだろうか?

今、トランスジェンダーなどといって、どんどん女性の存在が消されつつある世の中において、女性を表現する伝統的な言葉をどんどん消していくことが女性の地位向上につながるとはとても思えないのである。

ところで、嫁や婿の代わりに子の妻や子の夫を使うべきというのもおかしな話だ。嫁や婿にはきちんとした意味があるし使い方も違う。嫁には最初から息子の妻という意味がある。それをわざわざ「子の妻(息子と言わないところも要注意)」と言い直すことに何の意味があるのだ?では舅や姑も「配偶者の男性/女性のほうの親」とか言わなければいけないのか?いやそれだけではない。

嫁や婿という言い方には家族単位の意味がある。つまり嫁は単に息子が結婚した女なのではなく、自分の家族の一員であるという意味がある。つまりこれらの言葉は結婚という制度によって赤の他人が自分の家族になったという意味があるのである。

そのうち母親だの父親だのと言った言葉も消されて保護者1,保護者2とかになるのか?(おっと、すでにそんなことを推進している活動家達がいたっけ)。

こうなってくると、これは男女平等のための言葉使いというより、伝統的な家族という概念を破壊するための作戦に思えてくる。

ジョージ・オーウェルの1984という本のなかにニュースピークという制度が描かれているが、これは政府に都合の悪い概念を抹消するために、その概念を表現する言葉をどんどん抹消していくという制度である。よもぎねこさんの言葉をお借りするなら、上記のような「言葉狩り」によって、女性の地位は向上するどころか、かえって女性という概念がどんどん消されていくように思う。

私の反応が大袈裟だと思う方は、国際女性デーの宣伝に女装男を起用したハーシーズや、バイデン政権が「勇気ある女性賞」を授与したのがアルゼンチンの性自認制度を推進した女性自認の男性であったことをよくよくお考えいただきたいと思う。 

おまけ。

「自分らしく生きようとしてるだけ」

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風向きが変わった気がするJ.K.ローリング女史への攻撃

トランスフォビックと呼ばれてトランスジェンダー活動家(TRA)から目の仇にされているJ.K.ローリング女史だが、最近になって彼女を擁護するコラムがニューヨークタイムスに掲載されたことが話題になっている。これは、来週公開される「J.K.ローリングの魔女裁判」というインタビューシリーズに先駆けてのものだ。

これはオピニオンなのでNYTの公式な姿勢ではないが、それでもこういう意見を掲載したというだけでも昨今の風潮からはちょっと外れた現象である。著者はパメラ・ポール。題してIn Defense of J.K. Rowling(J.K.ローリングを擁護するの意)。以後翻訳はDeepLを一部使用。

“トランスの人々は保護を必要とし、また保護に値する”

“トランスジェンダーの大半は他者への脅威がゼロであるばかりか、弱者であると信じています。”

“私は全てのトランスが自分にとって本物で快適だと感じる生き方をする権利を尊重します”

“男性に虐待されたトランス女性には共感と連帯感しかありません”

先ずポールはローリング女史がこれまでトランスジェンダーに関してひとことも批判的なことは言っていないこと、それどころか上記のようにトランスに同情的な発言を何度もしていることを記して、にもかかわらず煩いLGBT活動家らによってあることないこと虚偽の情報が拡散され、ハリポタの熱狂的ファンですら活動家の嘘を鵜呑みにして女史を責めるようになったことを指摘する。

ポールはこれまで女史が受けて来た理不尽な批判や脅迫などを挙げ、これがいかに馬鹿げており危険であるかを語る。

だが全くトランスジェンダーに批判的な発言をしていないローリング女史がこれほどまでにTRAから目の敵にされるのは何故であろうか?彼女もその責任の一旦を背負っているのではないか?

答えは簡単だとポールは言う。

答えは簡単だ。彼女は、家庭内虐待のためのシェルターや性差のある刑務所など、生物学的女性だけの空間の権利を主張しているからだ。その人の法的な性別を決定する際に、自己申告の性自認では不十分だと主張してきたからだ。生物学的な女性について「生理のある人」といった表現に懐疑的であるためだ。

なぜなら、彼女は自分自身を擁護し、さらに重要なこととして、トランス活動家から攻撃を受けている離脱者やフェミニスト学者を含む他の人々を支援してきたからである。そして、トランスジェンダーについて扇動的な発言をしたレズビアンのフェミニスト、マグダレン・バーンズの仕事をツイッターでフォローし、賞賛していたからだ。

ローリング女史は特にトランスが就職や家探しの際に差別されるべきだとも、トランスジェンダーが存在すべきではないとも言っていない。

例えば、先日拙ブログでも紹介したハッフィントンポストのE.J.ロゼッタ記者も、12週間にわたる調査の結果、JKRがトランスフォブである証拠はひとつも見つけることが出来なかったと女史へのそれまでの批判を謝罪したほどだ。「あなた方は間違った魔女を燃やしている。」

にも拘わらず、TRAたちは女史の発言がトランスジェンダー当事者を危険にさらしていると言い張る。先日起きた自認女子のティーンの殺人事件まで、女史のヘイトスピーチが原因だとまで言い出す始末だ。

ところで、今回のドキュメンタリーでローリング女史をインタビューする人の背景が興味深い。彼女の名前はメーガン・フェルプ・ロパー。メーガンはウエストボロ教会というキリスト教系の過激派カルトの家庭に育った。メーガン自身はハリポタのファンだったが、家族からハリポタのなかで黒魔術が奨励されていることや、同性愛者擁護の姿勢から、ローリングは地獄に落ちると言われ、自分もそれを信じていたという。ウエストボロ教会はアメリカでも悪名高い反同性愛主義の偏狭カルトである。

しかし後にメーガンは カルトから脱退しローリングについて考えを変えた。「JKローリングの魔女裁判」は9時間にわたる彼女によるローリング女史とのインタビューが題材となっている。そしてこの番組のなかで、なぜ女史がこんなにもTRAから嫌われ叩かれるのかを深く掘り下げて考える。

ローリング女史は自分は見せしめに使われているという。確かに彼女は金持ちだ。ボディガードを雇うことも出来る。だから彼女自身が沈黙させられているというわけではない。しかし、女史のような有名人でさえもこのような扱いを受けるのであれば、駆け出しの作家や市井の女性達など、どんな目に合わされるか解らない。女史はプライベートに何人もの女性たちから黙っていろと警告されたことがあると聞いているという。

例えば、レズビアンでフェミニストのスコットランド国民党のジョアンナ・チェリー議員は、性同一性障害の診断を受けることなく、トランスジェンダーの女性として3ヶ月間生活しただけで女性であることを申告だけで合法的に証明できるという「セルフID」法のスコットランドでの可決に公然と疑問を呈した後、職場でのいじめや殺害予告に直面し、国会での司法・内務審議官という前座のポジションからも外されたと報告している。

TRAがローリング女史を目の仇にするのは、彼女がトランス批判と解釈されるようなことを言ったからではない。活動家が断固許せないのは、ローリング女史は敬虔な左翼リベラルとして左翼の言いなりにならないことだ。それどころか女史は左翼活動家からの圧力に屈せず脅迫を恐れず、自分の主張を貫き通していることだ。ファシストが絶対に受け入れられないのは自分らの権力に屈しない個人なのだ。

ハリー・ポッターが多くの青少年の胸に感銘を与えたのは、ハリーやハーマイオニーやウィーズリーといった、普通では人気者になりそうもないような地味な子たちが魔法の力を使って悪者を退治していくといった弱者の立場に立った物語だったからだろう。ローリング女史はもともといじめっ子が嫌いなのである。

彼女が左翼リベラルなのは、声のない弱い人たちのために声を上げることこそが自分の責任だと思うからこそだろう。ところが本当の左翼リベラルは非常に弾圧的であり個人の意見を尊重しない全体主義だ。女史が目の仇にされるのは彼女がその全体主義の思想に100%従わず、彼らのどんな脅迫にも怯まないことにあるのだ。

さて、私(カカシ)が興味深いと思っているのはこの記事の内容ではない。ここに書かれているようなことは我々がもう何年も言い続けて来たことだ。興味深いのはニューヨークタイムスのような左翼主流メディアがこのようなオピニオン記事を掲載しても大丈夫だと判断したことである。

先のハフポの記事といい、NYTの記事といい、主流メディアがトランスジェンダー活動家の意図に真っ向から反抗する記事を掲載したのだ。

私は左翼メディアが突如として良心に目覚めたなどと思うほどナイーブ(お人よし)ではない。彼らがこのような記事を掲載しても大丈夫だと思ったほど、TRA及びLGBT活動家の権力が衰えているということが大事なのだ。

先日もBBCラジオでハリポタの世界を舞台にしたホグワーツのゲーム制作者がインタビュー中にローリング女史をトランスフォブと呼び、それに対して司会者が何の抗議もしなかったことで300近い苦情の電話が局に寄せられたという。そして局はツイッターを通じて自分らのバイアスについて公式に謝罪したのである!私から言わせたら300程度の苦情電話くらい無視すればいいと思うが、BBCが謝罪すべきであると判断したほど、世の中の風潮が変わってきているのだと考えることもできる。

先日のスコットランドの性別認定改定法(GRR)が世界的に批判されイギリス政府によって阻止されたことや、その後のスコットランド警察の方針転向など、人々はだんだんとトランスジェンダリズムの悪夢から目を覚ましつつあるのかもしれない。

そういう時に何故日本は差別禁止法なんてものが提案されているのか、ま、その話はまた次回に回そう。


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家父長制度は男尊女卑なのか

先日杉田水脈議員が国会で2014年に発言した家父長制度と男女共同参画に関するビデオがツイッターで上がってきた。私は日本住まいではないし、日本国内の政治については非常に疎い。しかし私の限られた知識のなかの杉田水脈議員の発言は常に同意できるものばかりだ。これもそのひとつである。

本来日本は男女の役割をきちんとしたうえで女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国です。女性が輝けなくなったのは冷戦後、男女共同参画の名のもと伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等を目指してきたことに起因します。男女平等は絶対に実現しえない反道徳の妄想です。-杉田水脈議員

それで、左翼フェミニストのなかには家父長制度が悪の根源みたいに言う人が多いが、女性は男性が守るべきという社会のほうが、女も男も外で働け!女一人でも子供育てろ!という社会より生きやすいのではないだろうか。という内容のツイートをしたら、私のことを「男尊女卑が身にしみこんでる」と返してきた人がいた。この人と私は普段はトランスジェンダーのことなどで女性空間は守られなければならない、男と女は違うという意見で一致しているのだが、どうも夫婦に関する話題になると突然敵意を丸出しにしてくる。何故左翼フェミニストはこうも男を敵視するのであろうか?

これは非常に興味深い話題だ。家父長制度とは本当に男尊女卑の制度なのか考えてみよう。

家父長制度とは、父方の家系が長男によって受け継がれる制度であるが、日本の場合は婿養子も可能なため、事実上は長女が引き継ぐことも可能だ。確かに昔は長である父親の権限が最高であり最終であるとされており、女性は財産を持てなかったり、発言権がなかったりとかなり男尊女卑な時代もあった。

しかし、戦後の家父長制は単に父方の家系が引き継がれるというだけであり、父親はあくまで家族の代表であり、絶対的権限を持つ長ではなくなった。

フェミニズムが家父長制度を毛嫌いする理由は、これを単なる家族制度と考えず、「男性支配」「女性たちの抑圧」とほぼ同義語として使ってきたからだ。この解釈は明らかに杉田議員の解釈とは違っている。

まず一旦家父長制度という言葉は横に置いて、結婚制度について考えてみよう。

先ず大事なのは結婚は女子供を守る制度だということ。極端な話、男に女子供は必要ない。野生の世界では雄は雌の種付けをしたら、すぐ去っていく種族も多い。人の雄も自然に任せればそういう傾向がある。だから何の規制も無ければ、男は女に飽きたらさっさと去っていくように出来ているのだ。

しかしヒトはそういうわけにはいかない。なぜならヒト科の雌は男性にくらべ弱体で筋力も瞬発力も劣るため雄のように狩をして必要な食料を集めることができない。またヒト科の赤ん坊は他の動物にくらべて非常に未熟なまま生まれてくるため、一時でも目を話すことはできない。だからヒト科の雌と乳児は雄の庇護が無ければ生き延びられないのである。

いにしえの昔から人間社会はそのことに気付いていた。だから男が女を孕ませた後に無責任に逃げてしまわず子供がしっかり育つまで女子供の傍にとどまるために結婚制度というものが生まれたのだ。

確かに肉体的に強い男性が女性を弾圧した時代は長い。しかし現代の日本における家父長制度は男性による女性弾圧の制度ではない。これは男が女を守るというより、結婚制度が女子供を守るのだと言い換えた方がいいのかもしれない。

ところで先ほどの@maikokarino121さんがおもしろいことを言った。

なぜ男が”長”でないといけないのかわかりませんね。役割分担があっても女性が長で問題ありません。うちは世帯主は女ですけどね。安全を守るのは男ではなく警察です。

この「警察」というのは文字通りの「警察」というより政府の象徴と解した方が解りやすい。

以前にもシングルマザーを政府がもっと援助すべきだと言っていた女性がいたが、マイコさんもこうした女性達と同じで、女手一つで子育てをするのは非常に難しいことだと認めている。だが何故か男性の伴侶と一緒に子育てをするのではなく、夫の代わりに政府に面倒をみてもらいたいという考え方なのだ。

家族単位の制度を破壊して社会全体で子育てをするというのは社会主義の典型的な思想だ。

彼女たちは長である男性に決定権を与えたくないと言いながら、政府にその絶対的権力を委ねようというのである。しかも権力者の殆どは彼女達が嫌う男性であると言うことを無視して。

現在の日本における家父長制度の長(世帯主)は、絶対的権力を持ち家族を服従させる立場にある人を指すのではない。彼はあくまで家族の代表に過ぎない。家族がひとつのチームであるとしたら、チームリーダーが必ずしもチームメンバーたちを独裁できる立場ではないことからそれは容易に理解できるはずだ。

ただ長には最終的責任がある。家族で話あって決めたことでも最終的な責任は彼がとらなければならない。だから迂闊は判断はできないのである。私はこんな責任重大な立場になどボランティア(立候補)したくない。頼りになる夫にすべて任せられるならそれに越したことはないと思っている。

日本で男女共同参画なる不思議な制度が起用されるようになって、女性達はそれ以前よりも幸せになったのだろうか?女性の権利はより守られるようになったのだろうか?

私は2008年に、男女共同参画の基盤となっているジェンダ―フリーという思想は女性の権利をまもるどころか文明社会全体を破壊しかねないと警告した。思った通り、男女共同参画によって日本女性たちは女性専用トイレを失い、女湯に男性器付き人間が入ってくる危険にさらされている。男尊女卑だと言って家父長制度を弱体化して母子家庭を増やし、ジェンダ―フリーと言って男女の差を無視した結果がこれである。

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ところで家父長制に関して批判的で、私に敵意むき出しで喧嘩腰に話しかけてくる女性達は、私から見てとても幸せだとは思えない。自分の生活に満足していて幸せな人は他人の何気ない発言に牙をむき出しにして吠えて来たりはしないと思う。

反対に、私と和やかに話をしてくれる人達は、大抵の場合自分の生活に満足している人が多い。もちろん人生色々不満なところはあるに違いないが、自分の不幸せを男性のせいにしてばかりいる女性は幸せになれないような気がする。


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J.K.ローリング、スコットランドのスタージョン首相への辛辣な批判をツイート(アップデートあり!)

アップデート2:2023年2月1日現在。ドミニク・ラーブ副首相は、政府は今後、「男性器」を持つトランス女性を女子刑務所に収容しないことを発表した。Trans prisoners with ‘male genitalia’ banned from women’s prisons (thepinknews.com)

アップデート1:2023年1月30日現在。スコットランドでは連続強姦魔の女子収容所への転送が激しく批判されるなか、スタージョン首相は男子囚役者の女子施設移転は一時停止すると発表。Scotland pauses movement of all transgender prisoners while rules reviewed (msn.com)

2023年1月28日現在。下記はスコットランドの二コラ・スタージョンに向けたJ.K.ローリング女史のメッセージである。相変わらず歯切れがよくしびれるわ。一部DeepL翻訳あり。

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二コラ・スタージョンのスコットランドではアダム「イスラ・ブライソン」グラハムみたいな弐つの連続強姦を犯したトランスジェンダージョセーは女じゃないってことになるわけね。

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でも女子トイレで12歳女児を盗撮し10歳女児を強姦しようとした小児性愛者でトランスジョセーのケイティ―・ドラトウスキーは女性としてアダム・グラハムが転送された女子刑務所でそのまま囚役するのよね。

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忘れないで!スタージョン政権とその支持者たちは男が女装して無防備の女性や女児の空間に入り込むなんてあり得ないと言ってたことを。そんなことはあり得ない、そんなことが起きると言うことこそヘイトだと言ってたことを。

「政党はあなたの目で見て耳で聞いた証拠を拒絶しろと命令した。それは彼らの最も最終的で重要な命令であった。ジョージ・オーウェル、1984」

服役中に女性職員を襲い、少女へのストーカー行為を認め、スコットランドの刑務所内で最も脅威的な人物の一人であった」という「高度障害囚」が、女性刑務所に移されることになりました。(DeepL翻訳)

こいつがそのティファニー・スコット。

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私が暴力的で二枚舌の強姦魔を侮蔑したとして私への称賛を失った人がいるというのは愉快だね。その失われた称賛とやらは大事に他のガラクタと一緒い箱にしまっておくよ。

嬉しいお知らせだ。予期せぬ現実社会への訪問で、巨漢で強靭な強姦魔がカツラをかぶれば女性になれるわけではないことを渋々認めざる負えなくなった我々の輝かしいリーダーが、無事に「お前ら全員差別者」の領域に無事に戻ってきた。

女性とは何か、女性が恐れるべきこと、恐れるべきではないこと、女性が言うべきこと、言うべきではないこと、女性が放棄しても構わない権利、そしてもちろん、何が「本当の」女性差別であるかを定義する男性たち:鏡を手に入れよう。それが本当の女性差別であり、あなたの目の前にあるのです。(DeepL翻訳)


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4歳から娘として育てた息子が実はトランスジェンダーではなかったと気が付いたレズカップル

昨日非常に興味深い記事を読んだ。最近になって、トランスジェンダーだと思って生きて来たが、実は自分はトランスではないと気づいた脱トランス本人の話をよく聞くようになったが、今回は4歳の時からトランスジェンダー娘として育てていた自分の息子が実は全く女子自認などではなかったと気づいたレズビアンカップルの話ご紹介しよう。

私は真の信者だった

で始まるこの手記。著者の女性は10代の頃から社会正義やインターセクショナリティーや革新派団体の最前線にいた。人々の代名詞を尊重したし、いわゆる左翼のクールな若者という自覚があった。

そんななかで彼女はレズビアンとしてカムアウトしクィア―と自認していた。そして女性と結婚しそれぞれ精子提供を受けて彼女が長男を二年後にパートナーが次男を出産。子供を産んだことにより自分の社会観が変わった。

そしてその時ヘレン・ジョイスの副題のように、事実とイデオロジーが出会った。

著者は母親としての本能的な感情と左翼の母親としての義務に違和感を持ちながらも、子供たちの「本物の自分」を尊重すべく息子たちを極力中性的に育てた。洋服やおもちゃや言葉使いにも気を使った。代名詞こそ彼・彼の、を使いはしたものの、彼らを男の子と呼ばず、彼らが男の子であることさえ言わなかった。「男」「女」という言葉を使わずに「人」と言っていた。

長男がまだ三歳児だった頃、彼が普通より精神的に敏感であることに気付いた。著者たちは彼が男の子であるとは言わず、彼自らが自分は男か女かを言い出すのを待った。親たちは息子の指揮に従うつもりだった。

しかし子育てをするうえで、指導者は親であるべきだという気持ちは強かった。ジェンダーについても子供を指揮に置くのは違和感があったが、ここでもジェンダーイデオロギーが勝ってしまった。

息子が4歳になった頃、息子は自分は男の子なのか女の子なのかを問うようになった。母親は息子は男の子だと言う代わりに自分で選ぶべきだと諭した。無論子供に対してなので「ペニスを持って生まれた赤ちゃんでも女の子になれるのよ」といったあいまい言い方をした。息子は何度も自分の性別について問いただしたが、母親の答えはいつも同じだった。母親はこの時は正しいことをしていると思っていたが、後になって考えてみると、自分は息子をトランスジェンダーへと導いていたと著者は語る。

何か月にもわたる息子の質問に、母親たちが「女の子になってもいい」と言った途端、息子は大喜びで「僕は女の子だ!僕は女の子だ!」と飛び跳ねたという。多分それは何か月にもわたってはっきりしなかった性別が遂にはっきりしたことの喜びだったのだろう。(翻訳はDeepL)

振り返ってみると、とても書ききれないほどです。私たちがしたことの悲しみとショックは、とても深く、とても広く、とても鋭く、突き刺さってくるようです。どうして母親は自分の子どもにこんなことができるのだろう? 自分の子どもたちに?私は自分のしていることが純粋で、正しく、良いことだと心から信じていましたが、後になって、それが我が子に何をもたらすことになるのか、恐怖を感じながら悟ったのです。この恐怖は、今でも私の心の芯を揺さぶる。

息子がトランスジェンダーだと発表すると、期待通り彼女の周りの人々はそれを祝福した。すでに子供を社交的に転換していた友達は社交的転換は子供が自己を探検するために良いことだと保証した。

トランスの子どもを持つ親たちのサポートグループを主催していたセラピストは、子供のトランスジェンダーとしての自己確立には数年かかる。よってその間この概念を信じない家族や親せきを排除して子供を守る必要があると言った。

考えの違う家族や親族とは縁を切らせて信者を孤立させるのはカルトの常套手段である。当時母親はセラピストを信じたが、今思えば、これは子供を異性として確立していく手段だった。

セラピストは子供に祖父母や親せきや友達に手紙を書かせ、彼と関係を保ちたければ異性の名前や代名詞を尊重するようにと条件を出した。

しかし母親たちの気持ちが変わったのは、長男の社交的性移行が始まって一年後、当時まだ3歳だった次男までもが自分は女の子だと言い出した時だった。

長男と違って次男には女の子らしい繊細さなどまるでなかった。彼は典型的な男の子だったのだ。そして母親たちは気づいた、次男が女の子になりたいのは、二人の母親や長男と一緒になって同じでいたいという願望から来るものだと。

だがもし次男の女の子自認が単に家族と同じでいたいという理由からだったとしたら、長男の性自認の動機も同じだったのでは?息子は単に二人の母親と同じでいたかっただけなのではないだろうか。と母親たちは疑い始めた。

二人はセラピストに相談に行ったが、セラピストは親が慣れるには時間がかかる、息子の性自認を疑うのはトランスフォビアだと諭した。

母親たちは納得がいかなかったが、正しいことをしたいと言う思いでその晩、夕飯時に次男にも女の子になってよいと告げた。夕飯後著者は次男の性自認を肯定するためにゲームの途中で次男に向かって「ハイ、私の女の子」と呼ぶと、次男は「ダメ、ママ!そんな風に呼ばないで!」と言った。

「ダメ、ママ!そんなふうに呼ばないで!」 彼の反応はとても明確で、私は立ち止まりました。私の心に突き刺さりました。その後、私は引き返さなかった。

その後二年間にわたり母親たちはこの問題について深く追求した。そして長男は実際はトランスジェンダーなどではなく単に極端に敏感な多分自閉症の傾向がある子供だったという結論に及んだ。

しかしこの間著者は苦悩した。出来ることなら時間を戻してすべてをやり直したいと思う反面、もしも自分が間違っていて、長男が本当にトランスジェンダーだったら、自分がやろうとしていることは長男を深く傷つけることになるのではないだろうかと。

二人は次男の社交的転向はさせず、長男の8歳の誕生日直前に、長男も男児として育てることに決めた。その晩著者は男の子が女の子になれると言ったのは間違っていたと長男に告げた。最初長男はひどく怒っていたが、次の日になると肩の荷が下りたように安心した様子だった。彼は解放されたのだ、大人によって担がされていた重荷から。

その後の調整は難しかったとはいうものの、現在長男は男の子として健やかに育っている。そして次男も非常に幸せだ。次男は誰かと同じでありたかっただけなのだという母親たちの直観は確信へと変わった。

著者は女の子のような繊細で引っ込み思案の男の子の将来を憂うという。そういう子が自分は女の子ではないのかと悩むことを恐れる。

私は、文化や制度、仲間、インターネットが、彼に何を伝えるのかが心配です。親子関係の破壊に躍起になっているような国家権力が怖い。どんな未来が待っていようとも、私は息子たちを守るために戦うことを決して止めない。

私はもう真の信者ではない。

私(カカシ)は昔からトランスジェンダリズムはカルトだと言って来たが、著者もやはりこれはカルトのようだと言う。このカルトはイデオロギーのために自分や子供たちを犠牲にしようとしたのだと。

私はこのカルトから脱出した、そしてもう二度と戻ることはない

私はこの手記を読んでいて改めて確信したのは、子供には父親と母親の両方が必要だということだ。著者は長男が女の子になりたがった理由は母親たちとより親密な関係を保つために母親たちと同じでありたいと思ったことにあったと言っている。だがもしこの息子に父親がいたらどうだっただろうか?男の子が愛を感じお手本として尊敬できる男性が傍に居たら、彼は自分が男の子であることに不安を感じただろうか?そして彼が自分は男の子か女の子かと悩んでいる時に、「お前はお父さんと同じだ。男の子だ」と断言してくれる父親がいたら、彼の悩みはそれで終わったのでは?

実は私は前々からトランスジェンダー(特にMtF)の子どもを持つ家庭には父親の存在が欠乏していることに気付いていた。母親だけの家庭だったり、著者のようにレズビアンカップルだったり、実際に家庭内に父親が居たとしても子育てに父親が無関心といった家庭も含め、繊細で傷つきやすい男児は母親に不健康に執着しやすい。そして母子家庭ーの場合、母親が男性との関係がうまくいかずに母子家庭になった場合が多く、男性に対する不信感を抱いている母親の感情を男児が敏感に察知する場合も多い。レズビアンに至っては、男性をハナから拒絶した女性達であるから、男性のままだと自分も母親たちに拒絶されるのでは、という不安があってもおかしくない。

そして怖いのは著者のように母親が最初から社会正義の「真の信者」である場合、子供がちょっとでも異性的な傾向を見せると、すぐにトランスジェンダーだと思い込み、その道をまっしぐらに進んでしまうことだ。セラピストも学校も政治家も法廷ですらも、すべてトランスジェンダー概念を支持し微塵の疑問も許さない。これでは子供には勝ち目がない。

この著者の女性のような体験をした人は少なからずいることだろう。しかしそれを公言することが非常に難しいことであるのは、脱トランスの人々に対するトランス活動家の過激で暴力的な攻撃を見ていればよく分かる。特にこうした社会にドップリつかっていた人々にとって、カルトからの脱出は、これまで信用していた友達や仲間たちとの離脱を意味するのだ。

トランス活動家たちは、特にトランスジェンダーで金儲けをしている医療関係者たちが、子供の性転換治療をせかすのも、多くの子どもたちが思春期を過ぎると心の迷いから解けるという事実をTRAは十分承知しているからだ。だから気が変わらないうちに親を説得してさっさと性転換をさせてしまおうとするのだ。

なんという恐ろしいカルトだろう。


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やっぱりヤラセじゃなかったWiSpa露出男事件!速報:指名手配中だった犯人が15か月ぶりに逮捕された!

アップデート3:2022年12月19日現在、指名手配になっていた犯人が逮捕された!

アンディー・ノーによると、15か月間逃げ回ってたWiSpa事件の犯人ダレン・メラジャーが今月13日についに逮捕され、本人の女性自認にもかかわらず男性収容所に収容されているとのこと。

(2) Andy Ngô 🏳️‍🌈 on Twitter: “Though Darren Merager is legally female through California’s self-ID law, Merager is currently being kept in a male inmate facility in Los Angeles. After 15 months of being a wanted felony fugitive, the registered sex offender was arrested on Dec. 13, 2022. https://t.co/499P2Y6Maj” / Twitter

アップデート2:2021年9月2日現在、犯人は露出狂常習犯で起訴されていた!

さっきアンディー・ノーがツイートしてて読んだ記事。6月のロサンゼルスのコリアタウンにあるWiSpaというスーパー銭湯で、女湯で性器を露出した男が目撃され、現場にいた女性客が店に苦情を述べて相手にされなかった事件。あれはデマだとか言う人も居たが、実は犯人は性犯罪歴のある露出狂男で、ひそかに起訴されていたことが判明した。

関係者の話によると、犯人の名前はダレン・アギ―・メラジャー Darren Agee Merager )といい、この件だけでなくロサンゼルス付近で数々の性犯罪を犯しており、起訴待ちの状態だという。

Charges filed against Darren Agee Merager in Wi Spa case (nypost.com)

アップデート1:2021年8月1日現在、ロサンゼルスマガジンのこの記事によれば五人の女性がすでに警察に被害届を出していた

合計5人の女性が6月23日のWiSpaにおいて、男性が局部を露出した事件に関してロサンゼルス警察に被害届を提出した。女性達は皆ウィルシャー通りにあるヘルスクラブにおいて男性が局部を露出したのを目撃したと証言している。

一つの届出書によれば、「ある女性は男性が湯舟から素っ裸で上がるのを見た。被害者は容疑者の局部を目撃し怖くなり動揺した。」と書かれている。

最初にクレームをつけた人以外に目撃者がいないので、これはでっちあげだと言ってた人たちに、ご説明願いたいね。

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「WiSpa事件はやらせ!」作戦変更の左翼

(2021年7月12日付け)この話ばかりして恐縮なのだが、左翼活動家がどれほど卑怯な手段を使って世論を変えようとするか明白に解る事例なのでちょっと続けて書かせてもらう。

最初にこれが話題に上った時トランス支持派は、トランスジェンダー女性は女子施設を使う権利がある、文句をいうのはトランスフォーブだターフだと言い張っていた。誰も、男性器をぶらさげて女湯にはいるようなけしからん奴は本物のトランスジェンダーではないとか、抗議する人に暴力を振るうなどけしからん、などとは言っていなかった。しかし、前に紹介したヤフー記事に寄せられたコメントから判断するに、あれだけスパに抗議したのは過激派右翼だとか暴力を振るったのは宗教家の方だという嘘記事であったにも関わらず、コメントのなかに男性器を女湯でひけらかした男を弁護するようなものは一つもなかった。無論それはトランスジェンダーに慣れていない日本の読者だからだと思われるかもしれないが、アメリカでもほとんどの人がこれはおかしいと思ったようだ。それが証拠に、左翼メディアはトランスジェンダー女を擁護する記事から、あの事件そのものがやらせだったことにしようと、作戦を変更した。

本日松岡宗嗣@ssimtokというLGBT活動家が紹介したスレートの記事がそれなのだが、その記事の見出しは『トランス嫌悪的なデマが基で暴力が発生したことは、反トランスのヘイトの危険性を過小評価することの危険性を示している』というもので、「今回の出来事とは、トランス女性が女性のスペースを使用していたという裏付けの無い主張が抗議活動を引き起こし、結果的に暴力に繋がり、女性が入院する事態にまで発展したということだ」「どんどん過激になる反トランスのバックラッシュの本当の危険性」といった内容。

松岡が紹介した翻訳版の方を読んでみたが、どうも内容がはっきりしないので元記事を探してみたところロバート・ランシング著のロサンゼルスブレードの記事だったことがわかった。この記事の主旨はWiSpaで男性が女湯に入っていたとクレームをつけた女性はカリフォルニア州のトランス許容法を撤回するために話をでっちあげたのではないかというもの。その根拠として、、

  1. クレームをつけた女性以外の目撃者が誰も名乗り出ていない。
  2. 子連れで来たというがビデオに子供の姿が映っていない。
  3. スパ常連のトランスジェンダー女性たちは、その日誰も来ていなかった。
  4. クレームをつけた女性は非常に敬虔なクリスチャンであるのに、LGBTフレンドリーなスパにわざわざ来たのはおかしい。

と言ったものだ。しかしどうもこれは根拠といえるようなものではない。先ず1番だが、ランシングによると警察もスパのスタッフも本当にクレーマーの言うような男性が女湯に居たのかを疑っているとの話だが、前回もお話したようにカリフォルニアではトランス差別禁止ということで、自称女性の男性が女湯に入ることは違法ではない。となると、この事件は警察の管轄ではないわけで警察が事情聴取をする権限も義務もない。だからたとえ警察の中にこれがやらせだと思ってる人が居たとしても、それは単にランシングの知り合いの警察官個人の意見であって調査結果ではない。

また他の目撃者が誰も名乗り出ないというのも、この間の抗議の日のアンティファの暴力を考えると、こんな事件に巻き込まれるのはごめんだと思ってる目撃者がいる可能性は多いにあるわけで、誰も名乗り出ないから目撃者は他に居ないと結論づけることはできない。

クレーマー女性が子連れだったかどうかは分からないが、その場に女児が居たことは確かだ。クレーマー女性のビデオに女の子が映っている。

さて面白いのは三番目の、このスパにはトランスジェンダーの常連が居ると言うことだ。私は最初に女性が受付に苦情を述べた時の職員の態度が気になっていた。受付の職員も後から出て来た支配人らしい女性も、このスパにそんな人が居ると言う女性のクレームに全く驚いていなかった。それどころか、かなり手慣れた感じでセクシャルオリエンテーションで差別は出来ない、これは法律だから、と女性をなだめようとしていた。つまり、このスパではこういう苦情が発生した時のためにどのような対応をするかをあらかじめ従業員に教育していたということだ。現に二年前に同じ状況で受付に苦情を述べた女性客が、お詫びのしるしとしてギフト券を2枚もらったと証言している。こう考えると、同スパではこのような苦情は前々から結構あったと察せられる。

もし本当にスパの職員が彼女の言ってることが疑わしと思ったのなら、職員が女湯に出かけて行ってそんな男がいるかどうか確かめればよかったはずで、それをせずに彼女をなだめていたということは、職員がしらないうちに、そんな男が女湯に入り込んだ可能性は多いにあると思ったからに他ならない。

クレームをつけた女性がクリスチャンだったと言う件だが、このスパがLGBTフレンドリーだったなどと彼女が知っていたかどうかは分からないし、フレンドリーとはどういう意味なのか理解していなかった可能性もある。清水晶子のように、これがゲイのたまり場のバスハウスみたいなところだと思っていたなら、そんなところで子連れで来る女性はいないだろうが、このスパはゲイフレンドリーというよりファミリーフレンドリーとして知られている場所だ。だからこの理屈はおかしい。

ところで、もしこのクレーマーがこのスパでは男性が時々女性施設の方に入ってくるということを知ったうえで、自分が行って確かめ、もしそれが本当ならこれをよい事例としてカリフォルニアの法律を撤回するために使おうとおもって出かけて行ったのだとしても、私はそれが悪いことだとは全く思わない。それどころか、もしトランスでもない普通の男がこの規則の理不尽さを示すためにわざと女湯にはいって問題を起こしたとしても私はその行為を批判しない。なぜならば、既存の法律で彼らを罰することが出来ないというのは事実だからで、そのことを一般の人は多分しらないだろうというのも事実だからだ。

ブレードの記事では、実際に抗議デモの日に暴力沙汰がおきたことに触れているにも関わらず、暴力行為に及んだのはトランス支持のアンティファであることを書いていない。あたかも極右翼の連中がやってきてトランス支持者たちに暴力をふるったかのように書いている。そういう嘘を平気でつくような記事には全く信ぴょう性はない。

だが、一つだけ言えることは、カリフォルニア州ロサンゼルス市ですらも、男性器をぶら下げた自認のみ女性が女湯に入ってくるなんてことへの支持は非常に低いということだ。そうでなければ、トランス支持左翼がこの事件はやらせだったなどと作戦変更をする必要はないからである。


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類は友を呼ぶ、私がColaboの仁藤夢乃を信用できない理由。ヒント:杜撰な会計とは無関係

アップデートあり:12月10日。Colabo と仁藤夢乃さんを支える会のホザナハウスの森康彦、覚せい剤使用疑いで逮捕「誰もやらない、誰もできない事に勇気をもって立ち上がり」後部参照。

オリジナル記事:12月7日。ネット上で若年層女性救済団体として活躍するColaboとその代表仁藤夢乃女史の話が色々と話題になっている。私はこの団体についてほぼ何も知らないので、その杜撰な会計といったことには興味がない。というより、そんな込み入った話に口出しできるほどこの件に関する知識がない。しかし私にはちょっとひっかかることがある。私がこの問題に興味をそそられたのは、Colaboが誹謗中傷を受けたとして匿名のブロガー・ユーチューバーを提訴するという記者会見の際に、彼女の弁護士として登場した二人の人物、神原元弁護士と太田啓子弁護士の存在である。

繰り返すが私はColaboという団体についても仁藤夢乃女史についてもColaboホームページに書かれている以上のことは知らない。ただこの団体が未成年の少女たちを救済する目的で運営されているというのが本当であるならば、この二人の弁護士とのかかわりは問題があるのではないかと思うのだ。

私は当初この話を聞いた時、神原元氏の名前が出ていることに驚いた。なぜなら彼は悪名高いトランスジェンダーアライだからである。神原氏とはしばらく前に直接ツイッターで会話を交わしたことがあり、その時私がトイレやお風呂といった施設を男女の体で区別することは差別ではないという注意書きを反差別法にしろ理解増進法にしろ明記すべきであると言ったところ、それはすでに秘密裡に異性施設を使っている人をアウティングすることになるので受け入れられないと言われた。しかも神原氏は生物学的男女差などないと言い切っているのだ。

弁護士神原元@kambara7:トランス女性の一部は、現状でもなんの問題もなく女性トイレを使用しているものと思われます。 その方々に対して、新たに法律を制定して利用を禁止するとすれば、人権制限に当たるので、きちっとした立法事実の立証が必要なのですよ。

太田啓子女史にしても同じだ。

太田啓子@katepada2: 法律では戸籍上の性別と違うトイレ利用が禁止されていなくても、社会生活の実態からよりトラブルを招かないだろうと当事者が判断したトイレ利用で、今まで殆んどの場合トラブルになっていません。少数のトラブルがあることは否定しませんが、それがこれから増えると考える根拠はありません。

実は太田女史から私はトランスジェンダーに関するやり取りをした一年以上も前にブロックされている。

聡明な読者諸氏はもうお察しのことと思うが、若年層の女性を救済するという団体がトランスジェンダー活動家の弁護士と手を組むことの危険性は大きい。言うまでもなく、Colaboが運営する女性だけのバスカフェや少女救済センターに自認女性という中年男性が乗車を希望したらどうやって断るのか。はっきりとその姿勢を公表する義務があるのではないだろうか?

仁藤女史が沖縄の米軍基地に反対なのも結構知られた事実である。彼女は今年10月に辺野古へ向かい、基地前でデモに参加した旨をいくつかツイッターで連投している。また仁藤女史はColaboに来ていた未成年少女たちを基地前のデモに連れて行ったと自分のツイッターで発表している。

仁藤夢乃 Yumeno Nito @colabo_yumeno
沖縄合宿2日目の昨日は #辺野古 へ。ゲート前で、希望する女の子たちと座り込みに参加。写真は強制排除の様子。「若い女性を触らないで!」「セクハラだよ!」と抗議の声がたくさんあがりましたが、女の子たちも私も体を触られて、椅子ごと引きずられ、肩を掴まれたり、背中を押されて排除されました。 

別に少女救済を行っている女性が辺野古基地反対運動に加わってはいけないとは言わないが、この運動には日本のANTIFAであるしばき隊系の男組の元組長故高橋直樹氏もかかわっていたと言う。旧しばき隊(現C.R.A.C)が欧米のANTIFA同様トランス活動家と手を組んでいる左翼過激派暴力団であることは読者諸氏もご存じの通り。

若い女性を対象にした救援団体がこうした過激派トランスジェンダー活動家と深いかかわりをもつことは好ましいことだろうか?

私はColabono運営資金がどうのこうのという問題よりも、こちらの方がずっと深刻な問題だと思うのだが、どうだろうか?

アップデート:12月10日。Colabo と仁藤夢乃さんを支える会のホザナハウスの森康彦、覚せい剤使用疑いで逮捕「誰もやらない、誰もできない事に勇気をもって立ち上がり」

兵庫県警は8日、神戸市灘区記田町5丁目の牧師、森康彦容疑者(64)を覚醒剤取締法違反(使用)の疑いで緊急逮捕し、発表した。「全く思い当たりません」と容疑を否認しているという。
~省略~
 神戸弟子教会のホームページなどによると、森容疑者は元暴力団構成員で、同教会の担任牧師。2011年に非行少年・少女の立ち直りを支援するNPO法人「ホザナ・ハウス」を立ち上げていた。

森康容疑者はColaboの仁藤夢乃さんの強い支持者。


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ハフポのLGBTQ記者、J.Kローリング女史に謝罪する

数日前に極左翼リベラル新聞のハッフィントンポストのコラムニストが作家のJ.Kローリング女史に謝罪するというツイートを読んだ。

著者はLGBTQコラムニストのEJ ロゼッタ女史(EJ Rosetta)。彼女は三か月にわたり、ローリング女史が言ったとされるトランスフォビックな発言を取材していたが、ローリング女史の発言にトランスフォビックなものは一切発見することが出来なかったと自分のツイッターで発表した。

三か月雨、私は「『もうたくさん、JKローリングによる20のトランスフォビック発言(20 Transphobic JK Rowling Quotes We’re Done With)』という記事のために詳細を調べる任務を与えられた。12週間にわたり彼女の書籍やツイートやエッセイを読んで「発言」を探したが、トランスフォビックとみられるメッセ―ジをひとつも見つけることが出来なかった。

この経過により、私はJKローリングは不寛容なトランスフォビックなどではないという結論に達した。彼女は才能ある女性として何もせずに愛され続けることも出来た。だが彼女は周りを見てトランス権利と女性の権利との間で必然的に大きくなっている苦しみに注意を払った。

多くの場合、一つのグループの権利が他のグループのために犠牲になっており、一番危険にさらされている女性達にその代償を払わされている。このイギリスでは常に双方を支持したいと考えている。だが、DVシェルターなど特定の場所ではそれは不可能だ。そしてJKはそれに注目したのだ。

ロゼッタはローリングが声を上げれば、どれだけの批判を集めるかは十分に承知だったはずなのに、あえて声を上げたその勇気を讃えた。彼女にむけられた殺人や強姦などの脅迫は恐ろしいものであり、それに勇敢に立ち向かっているローリングの姿勢に敬意を称した。

同時にロゼッタはローリングにたいしてメディアが報道という名目で行った誹謗中傷にも「恥を知れ!」と強く批判した。

ロゼッタ自身はLGTBQ活動家であり、実は元TERF(トランス排除的過激派フェミニスト)だったという。

ロゼッタはすでに自分のエージェントからこのツイートを消すように圧力をかけられているという。彼女自身が再びTERFと罵倒されるのも時間の問題だろう。

しかし本当に残念なのは、ハリー・ポッターのおかげで名誉と地位を得た映画の出演者たちが次々にローリング女史を見捨てたことである。せめて「人にはそれぞれ意見がありますから」とか「著者の政治見解と映画は関係ありません」「私個人は彼女のお世話になりましたので」くらいで済ませておけばよいものを、あれだけお世話になった女史が何を言ったかさえ調べもせず、LGBT界隈の尻馬に乗ってローリング女史を叩き始めた俳優たちは本当に恥しらずだ。

ロゼッタ記者がきちんと自分の道義心に従ってこの発言をしたの喜ばしいことではあるが、なぜもっと早い時期にこれが言えなかったのだろうか、それが残念だ。

最近ローリング女史はスコットランドで起きている性自認法の改悪の対して声を大にして抗議しているが、彼女のおかげでスコットランド市民は自分らの国に何が起きているかを知ることとなり、多くの女性達がこの改定案に反対している。そして彼女のおかげで国連までもが注意を払うようになったのである。

私は、ほんの数年のうちにローリング女史は底辺の弱い立場にいる女性達を救った偉大なりヒロインとして称えられることになると私は信じる。その時になって、彼女が最初に批判された当時からずっと彼女を弁護して来た人たちと、世論の尻馬に乗って彼女を罵倒した人たちとの差がはっきりすることだろう。


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