アメリカで同性結婚が普通になったらアメリカはどうなるのか

前回もお話したように、「米連邦最高裁は米連邦最高裁は26日、結婚を男女間のものと規定する連邦法「結婚防衛法」の条項を違憲とし、同性カップルにも同等の権利を保障すべきとする判断を初めて示した。(ロイター記事より引用)」実をいうとカカシはこの判決は前回お話したカリフォルニア州における州民投票の件とは違って、最高裁の理屈は理解できる。ただ、今回はこの決断についてというより、今後アメリカで同性結婚がどこの州でも普通に行われるようになった場合アメリカ社会はどのように変化するのかについてお話したい。
同性結婚ついてはカカシはここ数年何度か取り上げて来たが、すでに同性結婚を認めているヨーロッパ諸国で起きた現実をふまえれば、アメリカでも同じことが起きると容易に推測できる。まず考えられることは、、、

  1. 離婚率が増える。 誰も認めたがらないが、同性カップルの破局率は男女夫婦よりずっと高い。特に男性同士のゲイカップルなどは一年も持たないのが普通で、4〜5年一緒に居るのは珍しいほう。またゲイカップルは特定の相手が居てもお互い不特定多数の人間との性交渉を結ぶのが普通。レズビアンカップルの場合は経済的に貧困になる率が高く破局率も高い。ので、これらの関係も「結婚」というカテゴリーに含めれば必然的に「離婚率」の平均が上がるということ。
  2. 結婚率が減る。 よく同性同士が結婚したからといって異性同士の結婚にどういう影響があるのかという質問がされるが、実は同性結婚の認可は伝統的結婚に多大なる悪影響を与える。それは、伝統的な結婚は男女が一緒になって子供を育み一生を共にするという特別な繋がりを意味するが、同性結婚は単に好きな者同士が一定期間一緒に住むという程度の意味しかない。単に好きな者同士が同棲するだけなら、何も面倒くさい結婚なんてものをする必要はない。特にすぐに子供を作る気のない若い男女からすれば結婚に特別な意味を見いだせないカップルが増えるだろう。
  3. 少子化がすすむ。 ヨーロッパの少子化は深刻。結婚期がどんどん遅くなっている日本でも同じことが言えるが、結婚する人の数が減れば子供の数が減るのは必然的。無論未婚の母という形も増えてきてはいるが、片親だけで子供を育てるとなると夫婦間でのように複数の子供を作るのは困難.必然的に子供の数は減る。
  4. 精神不安定な大人が増える。同性カップルの間でも子供を育てることは可能だ。どちらかが何らかの方法で実子を得る、もしくは養子をもらうなどして子供を得るなど色々ある。だが、同性愛者を親に持つ子供は大人になって不安定になる可能性が異性夫婦を親に持つ子供よりも高いという調査もある。同性婚運動家たちはこの事実を否定すrが、実際同性カップによって育てられた子供達の将来はまだまだ未知数なのである。

このままいくと、アメリカ市民が好むと好まざるとに拘らず、法廷によって同性結婚は我々に無理強いされることは必定だ。ではそうなった時、アメリカは上記のような事態を避けることは出来ないのだろうか? 実はアメリカには唯一つ救いの神がいる。
カカシはいみじくも「神」という言葉を使ったが、これは比喩でもなんでもない。実は神様こそがアメリカを救えると私は信じる。
といっても見る事も触ることも出来ない神様が実際に手を差し伸べてくれるという意味ではなく、神への信仰がアメリカを救うという意味だ。
もともとアメリカと言う国は信仰深い国である。西洋諸国のなかで唯一少子化問題が深刻化していないのも、アメリカがユダヤ・キリスト教を基盤とする社会で、避妊や人工妊娠中絶に極度の嫌悪感を持っているからだ。
近年アメリカ社会において世俗主義リベラルによる宗教迫害は目に余るものがある。公立学校ではクリスマスにクリスマスツリーも飾れない、卒業式に卒業生が神に感謝の意を表することさえ許されない。学校のサッカー試合で勝った側の選手がお祈りの姿勢を示しただけで失格になったりする。ボーイスカウトにゲイ入会が強制される。カトリック教会系病院で避妊教育が強制される、等々数え上げたらきりがない。
しかし、こういう目に余るひどい弾圧に対して、多くのアメリカ人はかえってその信仰心を高めている。アメリカはもともと独裁の弾圧に抵抗して革命を起こして成り立った国である。内部からの弾圧にも同様に応えることが出来ると私は確信する。
現代社会における結婚は政府による承認が必要だが、誰にでも承認される結婚など意味がない。そうなれば特別な結婚を求める人々の間で、もっと宗教的に意味のある結婚が求められるようになるはずだ。教会が男女夫婦にのみ特別な承認証を発行するとか。法律上は意味がなくても宗教上には多大なる意味があるといったような特別な認証をする。
これは単なるカカシの思いつきだが、アメリカで一夫一婦制結婚が存続するためにはそうした工夫が必要だろう。そしてそれは実現するとカカシは思うね。無論世俗主義者たちがそうした制度も「差別だ」といって破壊しようとするだろうが、その度に信者達は闘わなければならない。
ローマ帝国の百年にわたる弾圧に打ち勝ち、ローマの国教となったキリスト教。ナチスドイツのホロコーストを生き延び継続するアラブからの弾圧にも抵抗しつづけているユダヤ教。これらのユダヤ・キリスト教が左翼リベラルの腰抜けどもになど負けるものか!


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カリフォルニアの同性結婚だけじゃない、最高裁の危険な判決

先日アメリカ最高裁は州民投票で既決され法律となっていた結婚は一夫一婦制のみ認めるという提案8が違憲と裁断された地方裁判所の判決を不服として訴えていたカリフォルニア市民団体に対して、弁護団には控訴の資格がないと裁断したため、事実上、提案8は違憲であるという加州連邦高裁の判決が承認されることとなった。しかしこの裁断は同性結婚のみならず、今後の州民投票の存在を問う危険な裁断だったといえる。

カリフォルニア州で同性婚再開 連邦高裁が停止解除
 【ニューヨーク=中井大助】米カリフォルニア州の連邦高裁は28日、同州内の同性婚の停止を解除した。26日にあった連邦最高裁の判決を受けたもので、同州は即日、婚姻届の受理を開始した。米国内で同性婚が認められるのは13州目となる。
 カリフォルニア州は2008年6月から同性婚を認めたが、同年11月の住民投票の結果、再び禁止した。これに対し、2組のカップルが提訴。一、二審ともに「禁止は違憲」と勝訴したが、執行は停止されたままだった。26日に連邦法の「結婚防衛法」を違憲とした最高裁は同日、カ州の禁止の是非には触れないまま、住民投票の推進者たちの控訴は無効だったと判断。一審判決が認められるべきだとして、高裁に差し戻していた。
 高裁は当初、停止の解除まで少なくとも25日かかるとしていたが、ハリス州司法長官がすぐに判断するよう求めていた。

住民投票で法律となった提案8はまだ存在し覆されていない。たとえこの法律が違憲と裁断されたとしても、すぐさまその法律が無効になるというわけではない。法律を撤回するのであればそれなりの手続きを踏む必要があり、それがされないうちに同性結婚を施行してしまうのは違法であるはず。近日中にまた保守派団体から結婚届受理停止の訴訟が起きると予測される。
さて、カカシがこの裁断が危険だと言っている理由は、一市民による『特定の法律は違憲』という訴訟に対して、被告側の州(知事及び司法省)が弁護を放棄した場合、いったい誰がこの法律を守る事が出来るのか、という大事な問題が生じてしまったからだ。
つまり、もしも州民投票によって可決された法律に州政府が反対だった場合、法律に反対する市民をそそのかして訴訟を起こさせ、州知事自身が弁護を棄権すればその法律は違憲となり無効となるというシナリオが成り立ってしまう。となれば過去に州民投票で通過したすべての法律が危険にさらされることになるのだ。(たとえば不動産税金の値上げを規制する提案13などがいい例だ。)
カリフォルニアの件のみならず、今回の同性結婚に関する最高裁の決断には非常に失望した。


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銃犯罪は減っているのに増えてる気がするのは何故?

これは一ヶ月以上前に驚く事にロサンゼルスタイムスに載った記事

1990年中旬のピークを境に合衆国における殺人、傷害、窃盗といった犯罪を含め、銃犯罪は激減していると二つの調査で出ている。

にも拘らず、この劇的な減少を知るアメリカ人はすくなく、半数以上の人が銃犯罪は増えていると思っている、とピューリサーチセンターの世論調査は発表している。

たった二十年の間に銃による殺人事件は半数に、他の銃犯罪も急激な減少をみせている。減っているのは銃犯罪だけでなく、犯罪全体がアメリカで劇的な減少をみせているのだ。1993年から2011年の間に銃殺人はなんと39%も減ったという。これが殺人に至らない銃による傷害事件になると69%も減ったというのだから驚く。無論、銃はアメリカの殺人事件ではもっとも頻繁に使われる凶器で、三件のうち二件は銃殺人だという。また同調査では被害者が銃を使って身を守ったという件は1%にも満たなかったという。

しかしこれだけ劇的に銃犯罪が減っているというのに、世論調査では、たったの12%しか銃犯罪の減少傾向を知らなかったという。26%が同率、56%が増えていると答えている。
ロサンゼルスタイムスはオーロラの映画館事件やサンディフックの幼稚園事件などで大量乱射事件がやたらと大々的に報道されるので、銃犯罪が増えているように感じるのではないかと割合まともなことを書いている。

大昔に、家庭内に銃があるとその銃に子供が誤って事故死する可能性が高いと言うのは本当かどうか調べてみた事がある。驚いたのは、子供が銃によって事故死する数は裏庭の水泳プールで溺死する数よりも少ないというデータがあったことだ。いや、それをいうなら、幼児が誤ってバケツに頭を突っ込んで溺死する数のほうが誤って銃殺される数よりも多かったのだ!

子供がバケツの水で事故死なんてのはニュースにならないが、子供が親の銃で遊んでいて死んだとなると新聞でもテレビでも大騒ぎするので、そういう事件が多いのかと勘違いする。

また、ロサンゼルスタイムスも指摘しているように乱射事件があるとメディアが大騒ぎし、何日もその話で持ち切りになる。機会を悪用する政治家たちがやたらと銃規制の話を持ち出し、またまた銃規制についての話題に花が咲いてしまう。それで一般市民はアメリカの銃犯罪は手が付けられない状態になっているという錯覚に陥るのだ。

ところで同紙はアメリカの犯罪率が減っている理由について色々推測しているが、さすが左巻きタイムスだけあって明白な理由について全く考えが回らないようだ。

1990年半ばから20年に渡って銃犯罪激減の原因として考えられるのは、申し込み次第許可が降りる銃砲携帯許可法(CCW)が全国各地に広まったことだ。CCW法は2002年から2012年の間でなんと29州から39州にとひろまった

これは全く偶然ではない。合法な銃が増えれば犯罪は減るのである。
さて、興味深いことに過半数のアメリカ人が銃犯罪が増えていると感じているのに、それより多い率のアメリカ人が銃規制に興味がないという事実がある。何と62%の市民が議会による銃規制討論を止めるべきだと答えているのだ。

これは無論62%のアメリカ人が銃規制を望んでいないと言う意味ではない。ただ一般のアメリカ人によって銃規制はそれほど重要な問題ではないと言う意味だ。

メディアが煽るのでアメリカ国内における銃犯罪は激増しているかのように見えるが、実はその反対。しかも銃犯罪が増えてるという印象を持ちながら、一般市民はその解決法が必ずしも銃規制にあるとは考えていないようだ。

アメリカで厳しい銃規制法が通らない背景には、一般市民の良識があるのかもしれない。


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人気スターに恋をした哀れなボーイトーイの悲劇:ビハインドキャンデラブラ

1930年代後半から1980年代半ばまでポップなピアノ奏者として人気スターの座を保ったリベラチというエンターテイナーと、その同性愛人スコット・ソーソン(Scott Thorson)との6年にわたる関係を描いたのがこのHBO映画”Behind the Candelabra“(「燭台の背後に」の意。邦題は「恋するリベラーチェ」)である。題材はソーソンの同名の自叙伝からとったもので、舞台となるのはリベラチが人気ディナーショーをやっていた頃のラスベガス。スコットとリベラチが出会った1977年からリベラチが死去する1987までが描かれている。
リベラチは日本ではあまり知られていないが、クラシック音楽を一般大衆にも受け入れられるようにポップなアレンジで軽快に弾くスタイルが人気を呼んで、1950年代には「ザ・リベラチ・ショー」という大人気テレビ番組に出演していた。その後もコンサートやリサイタルやテレビゲスト出演など色々と活躍していたが、1970年代にはラスベガスヒルトンやレイクタホで毎晩大入り満員の豪華絢爛なディナーショーを繰り広げていた。スコットがリベラチに会ったのはこの頃のことで、1977年に友人にラスベガスのショーに連れて行ってもらったのがきっかけだった。リベラチが57歳、スコットが17歳の時だった。
昔からリベラチが同性愛者だという話は囁かれていたが、50年代から70年代のアメリカで同性愛を公認するのは難しかった。一度リベラチはゴシップマガジンに同性愛をすっぱ抜かれて反対に雑誌社を訴え勝訴したことがある。にもかかわらずリベラチの同性愛嗜好は公然の秘密だった。ま、リベラチのパフォーマンスを一度でも観たら、彼がホモなのは一目瞭然だから仕方ないだろう。
ミスターショーマンシップと呼ばれた中年太りのリベラチを演じるのは名俳優マイケル・ダグラス。そのずっと若い愛人役のスコットにマット・デーモン。二人ともマッチョでタフガイのイメージがあり、なよなよなホモのリベラチや美少年スコットのイメージとはほど遠いのだが、さっすが名俳優だけあって二人の同性愛ぶりには説得力がある。
ゲイバーでスコットと知り合いリベラチとの間をとりもった友人のボブ・ブラックを演じるのはクォンタムリープやスタートレックでおなじみのテレビ俳優スコット・バキュラ。実はずっと映画をみていてボビーを演じているのがバキュラだと言うことに全く気がつかなかった。バキュラは身体も結構大きくてかなりの男前なのだが、70年代風の長髪が異様に似合って当時のゲイのイメージがよく出ている。
この話はスコットの体験談が題材となっているので、スコットとリベラチとの関係はリベラチに居た無数の愛人たちとのうすっぺらな関係とは違うということが強調されている。スコット自身は二人は愛し愛される特別な関係にあったのに、最後にはゴミのように捨てられてしまったと悲劇のヒロインを気取っている。だが、実際に二人の関係が他の愛人とくらべて特別なものだったのかどうか、これはかなり疑問である。
スコットがリベラチのお気に入りとなって有頂天になっていた当初から不幸な結末の予兆はいくらもあった。スコットが初めてリベラチの楽屋を訪れた時、リベラチの取り巻きに混じって一人苦虫をかみつぶしたような顔でひたすらむしゃむしゃ昼飯を食っていた男がいる。これはスコットがリベラチと住むためボストンバッグを持って現れたのと入れ替わりに出て行ったリベラチの愛弟子ピアノ奏者のビリー(シャイアン・ジャクソン)だった。
出口でビリーのはめていた金の指輪を外させたのはリベラチの忠実なマネージャー、シーモア(ダン・アクロイド)。リベラチのハウスボーイのカルーチ(ブルース・ラムジー)からも、スコットは「お前が最初じゃない、これまでにも何人も来ては去って行った、いずれシーモアから電話で、もう君は必要ないと宣告されて終わるのさ。」と忠告を受ける。
スコットはカルーチの言葉やシーモアが自分に向ける軽蔑に満ちた視線に腹を立てながらも、自分がいつかは別の若い男によってお気に入りの座を奪われることを常に恐れていた。リベラチの愛情を保つためリベラチに言われるままに整形手術を受けたりもした。この整形外科医のジャック・スターツを演じるロブ・ロウの演技が傑作。彼にはコミックアクターとしての才能があると思う。リベラチからスコットの顔を若い頃の自分に似せて欲しいと依頼を受けた時のロブ・ロウの間の取りかたは最高だ。
スターツ医師から処方された痩せ薬や手術後の痛み止めなどがきっかけで、スコットはどんどんと麻薬にとりつかれていく。リベラチから家を買ってもらい、車を何台もあてがってもらい、毛皮のコートや金の指輪等の贈り物をいくらも貰っていながらも、自分がいつかは捨てられるという恐怖からなのか麻薬中毒になっていく。だがスコットが麻薬に溺れれば溺れるほどリベラチの心は遠ざかって行く。リベラチを失いたくないという気持ちから麻薬に走り、それがかえってリベラチを遠ざけてしまうという悪循環がここで生まれる。
この映画はリベラチとスコットのラブストーリーということになっているが、実際にリベラチがスコットを特別に愛していたのかどうかは解らない。ただ他の愛人たちよりは時間的に長い付き合いだったということもあるし、別れた後のリベラチの気前のいい慰謝料から考えて、リベラチはスコットのことを実際に愛していたのかもしれない。
だが、自分には全く才能もなく、ただ綺麗で若いというだけのスコットがいずれはリベラチに飽きられてしまうと恐れるのは当然のことだろう。しかしそうと解っていたのなら、麻薬におぼれるなど自虐的な行為に走らずに、限られた時間内でのリベラチの愛情をもっと育むべきだったのではないか?それをせずに与えられたこずかいを無駄使いして、捨てられたら慰謝料を目当てに訴訟をおこすなど、はっきり言って愛情を持っていた愛人のする行為とは思えない。
実際のスコットは現在他人のクレジットカードを違法に使った罪で刑務所に入っている。本気でリベラチを愛していたのかしれないが、リベラチ側はスコットは麻薬中毒の行き過ぎでリベラチの宝石などを盗むようになっていたと語っていた。そうした姿は映画では描かれておらず、ボーイトーイとして遊ばれた無能なゲイボーイの哀れさをマット・デーモンは見事に演じている。


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民主党による対女性戦争、銃持ち込み禁止地域で強姦にあった女子大生に対する無神経な質問

女性の避妊や中絶は「女性の選択の権利」と大騒ぎする左翼リベラルだが、自己防衛となると女性に選択の余地を全く与えないのが左翼リベラル。数年前、アマンダ・コリンズさんは銃携帯許可証を持ちながら大学構内における銃携帯禁止規則に従って丸腰で歩いていてひどい強姦にあった。彼女が勇気をもってコロラド州議会の公聴会において自分の体験を語った際、ことがことだけに共和党の議員達からは気を使った質問がされたが、民主党議員による彼女への質問は、俗にいう「セカンドレイプ」的な無神経なものだった。
民主党議員のエビー・フーダック(女性)はアマンダに対して、「統計はあなたの味方ではない」としたうえで、彼女が太極拳初段でありながら強姦魔から身を守れなかったことを指摘し、彼女が銃を持っていたとしても強姦魔に反対に奪い取られていただろうと語った。
これに対してアマンダは「お言葉ですが、あなたはその場に居なかった。」と答えた。
パワーラインも指摘しているように、問題なのは彼女が銃で身を守ることが出来たかどうかではなく、彼女に銃で身を守る選択の権利があるのかどうかということにある。
避妊や中絶において「女性の選択の権利」を主張するフェミニストや左翼リベラル達は、女性を強姦魔から守る自衛の選択の権利も守るべきなのではないか?何故女性が犠牲者になることをあえて強制するのか、以前に日本で「自衛論を説くな」と騒いでいた左翼フェミニストたちと全く同じで、個人の力を弾圧しようという全体主義の思想丸出しである。


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『何処系アジア人?』と聞かれたら、、、

ちょっと面白いユートゥーブビデオを見つけたので紹介。田中健(漢字は想像)という日本の役者みたいなアメリカ人監督が作ったミニビデオはアジア系のアメリカ人が日常であう不思議な体験のパロディ。
ジョギング中の女性ステラ・チョーに通りがかりの白人男性が親しげに声をかけてくる。
男性:「やあ」
女性:「こんちは」
男性:「いい天気だね。」
女性:「そう、やっとね。」
男性:「どっから来たの?君の英語完璧だね。」
女性:「サンディエゴ。あそこでは英語話すのよ。」
男性:「あ、そうじゃなくて、どーこー出身?」
女性:「オレンジ群で生まれたけど、あそこには住んだことないわ。」
男性:「、、その前だよ。」
女性:「私が生まれる前?」
男性:「君の人々はどっから来たの?」
女性:「えっと〜ひいおばあちゃんはソウル出身だけど、、、」
男性;「韓国人!やっぱりね。日本人か韓国人だと思ってたんだ。どっちかいうと韓国人だと思ったんだけど、、、」
というと男性は自分のアパート付近においしい照り焼き焼肉店があるとか、片言韓国語をしゃべったりキムチが好きだと言ったりする。そこで女性は反対に男性に出身地を聞くと、
男性:「サンフランシスコ」
女性:「どーこー出身?」
男性:「あ、ただのアメリカ人さ。」
女性:「へえ〜アメリカ先住民(インディアン)?」
男性:「いや、普通のアメリカ人、、あ、僕の祖父母はイギリスから来たけど。」
と聞いた女性の反応はというと、、

女性の言ってる事は解らなくても、やってることはご想像が着くと思う。彼女はイギリス人のステレオタイプをかなり下級のイギリス英語訛りで大げさに表現している。そして、最後に

女性:「あなたがたのフィッシュアンドチップス(魚とポテトのフライ)はすごいと思う。」

と締めくくる。
確かにこういう体験はアジア系アメリカ人なら誰でもあるだろうが、私は特にどうってことないと思う。ただ、アメリカ生活30年以上のカカシに向って「あなたの英語完璧ね。」なんて言われるともの凄く腹が立つ。普通にアメリカ人にそんなことは言わないだろうから、そういわれるということは反対に完璧ではない証拠だと思うからだ。
しかし〜、白人でない少数民族系のアメリカ人がこういう体験をするのは、白人による人種差別からくるものとは限らない。というよりも長年にわたってリベラルから少数民族に対して敏感な反応を示さなければならないと洗脳されてきた白人たちが、自分が人種差別者でないことを示そうとするあまり、こういう不器用な表現に出てしまうだけなのかもしれない。本人達は少数民族をばかにしているなんて微塵も感じていない事だろう。
だが、こういうことをやるのは自分が人種差別者ではないと自負しているリベラル白人であることが多い。よくリベラルの少数民族者たちが白人は表面でなんといおうと本心は皆人種差別者なのだと感じるのは、彼らがリベラル白人としかつきあっていないからだ。少数民族者なら誰でも多様主義を唱えるリベラル白人らの偽善的な人種差別意識を感じずにはいられない。リベラル男性が本心は男尊女卑なのと全くおなじ。
リベラルが多様主義を強調して常に人種を神経質になっている以上、我々がこういう体験をするのは仕方ない、とカカシは思うね。


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