ゲイマーゲート2? スィートベイビーIncの陰謀が暴露される

最近ゲイマーの間でスイートベイビーIncという会社の名前をよく耳にするようになった。私はコンピューターゲームは全然やらないのだが、ゲイマー関連のユーチューブチャンネルを観るのが結構好きでよく見ている。のだそうだ。

拙ブログでもハリウッド映画のWOKE(ウォーク)と呼ばれるお目覚め主義や、アニメのローカライザーによる吹き替えポリコレ化について以前からちょくちょく書いてきたが、実はゲームの世界でもこれはもう10年以上前から色々と問題になっている。

10年前にフェミニスト達がコンピューターゲームの内容が男尊女卑だとか、もっと女性のキャラを増やせとか言ってゲームの内容を干渉する動きがあり、主に若い男性が多いゲイマーの間から猛烈な反撃が起きるという、いわゆるゲイマーゲートという事件があった。

しかし今、スイートベイビーにまつわる話は第二のゲイマーゲートではないかと言われている。

スイートベイビー(以後SBI)社とは小規模なDEIコンサルティング会社。DEIとは何度も書いているように多様・平等・包括という例のあれである。要するにゲームの内容が十分に女性や有色人種(黒人)やLGBTQ+に気を使っているかどうかアドバイスをする会社である。聞こえはいいが、実際にやっていることは完全なる白人男差別及び保守的考えの弾圧である。悪役は常に白人男性で右翼保守のステレオタイプだったり、白人男の英雄が次々に意味のない死に方をして有色人種や女性に挿げ替えられたりといった内容を推している。しかし欧米ゲイマーの大半は白人男だし、そうでなくてもブス女の活躍なんか観たくない人は大勢いる。それでやたら左翼ポリコレに染まったゲームは往々にして人気が出ない。

最近公開されたいくつかのゲームの内容がつまらないだけでなく、ゲイマー達が慣れ親しんできた白人男性キャラがどんどん変な死に方をしたり、美人キャラがどんどん不細工になったり、既存のキャラが突然同性愛者になったりしている裏にはSBIの策略があるのだ。

ではこのSBIの活動についてThe Radical Wokeness Of The Video Game Industry | The Daily Wireデイリーワイヤーのマット・ウォルシが説明してくれているのでちょっと引用する。

SBIは自らのウエッブサイトでいかにして多様性をゲームに組み入れていくかという話をしている。SBIの共同創設者のキム・ベルエアー(黒人女性)は最近ゲーム開発者たちを相手にSBIが決めたDEIを起用しない会社は脅迫して従わせるべきだと演説した。

あなたがシスヘテロ白人男性もしくはその仲間であるなら、作品が出来上がるのを待ってからマイノリティーの人を呼んで「あの、私たちがやった人種差別的なことは人種差別になるでしょうか、この非情に侮辱的な表現は侮辱的でしょうか、あなたはそれによって傷つきましたか」と聞くのではなく、彼等に何をみたいか最初に聞きなさい。何が彼等に喜びをもたらすか聞きなさい。もしチームリードが居るなら、その人に早い時期にリクエストを提出しなさい。もし上部がリクエストを受け入れない場合は、マーケティングチームの誰かをコーヒーに誘い、あなたの要請を聞き入れない場合にはどういうことになるか脅しなさい。

恐ろしい~!表現の自由とかどうなっちゃうんだこれは?ベルエアーは別の場でも多様性の表現を作り出すのは重要だとし、たとえそれが第一次世界大戦の最前線の戦闘シーンでも女性を入れるべきなどとアホなことを言っている。マイノリティーが登場しえない状況に無理矢理そういう役柄を押し込むというだけでも問題なのに、ゲーム開発者のなかには積極的に白人男性を締め出す傾向もある。

ゲーム開発のスタートアップ会社EAで働く元SBI社員のDani Lalonders(黒人女性)は、今20人以上いる開発チームのチームリーダーだが、彼女は意図的に白人を雇わないと公言している。それというのも白人によるマイクロアグレッションによって非白人たちの安全が脅かされるからだと言っている。こういう黒人女性のいう「マイノリティー」とか「有色人種」というのは常に黒人であり、東洋人は無論含まれない。彼女はそう言っていないが、チームメンバーは自分と同じ容貌の人だけにしてると言っていることからこれは明白。これはあきらかな人種差別でありアメリカでは違法である。だが黒人がこういうことを言っても何も起きないのがアメリカ。

しかしこういう人たちの作ったゲームは売れてない。ゲイミング産業も金儲けが目当てのはず。なのになぜ自分らの作品を破壊するような人たちのいうことを聞くのだろうか?

ゲーミング産業というのは今や音楽や映画産業を超える大ビジネスで、毎年10兆ドルを超す収益を得ている。ゲーム開発にはお金がかかる。だから投資を得るためには色々と条件を満たさなければならない。ここでESG投資というものが出て来る。

環境・社会・ガバナンス(ESG)投資とは、社会的意識の高い投資家が投資候補を選別するために用いる、企業の行動に関する一連の基準を指す。

最近ビール会社や下着会社がやたらと虹色宣伝に力を入れていると感じるのはこのESGが原因である。つまりゲーミング会社はESG投資を得るためにSBIのような会社を雇い、ポリコレ検閲をさせているというわけだ。

さてこのような裏事情が公になってきたため、TEAM Curatorグループという色々なゲームへのアクセス提供をしているサイトが、SBIが関係しているゲームのデータベースを公開した。彼等はSBI自身のウエッブサイトからこの情報を調達したと言っている。

しかしこれに発狂したのがSBIの社員クリス・キンドレッドがXでこのグループをハラスメントで非難し、クリエイターとSteamをタグ付けし「差別的な言葉をファイルオフしても、グループ自体はまだ行動規範に違反している 」と述べた。そしてキンドレッドは自分のフォロワーにSTEAMを集団通報してアカウントを凍結させようと呼びかけた。(居るよな、そういう奴)しかし反対にキンドレッドは標的型嫌がらせをしたとして数日間謹慎処分になった。(へえ~、そんなのあるんだ。今度やられたら通報しよう)

またSBIの別フェリクス・マヤ・クレーマーは、STEAMではSBIと関係ないゲームでも適当に不買リストに入れる可能性があるとXに書いたが、すぐにコミュニティーノートでSTEAMはきちんと情報元のリンクを貼っており、またリストのゲームを買うなとな言っていないと訂正されてしまった。

最近発売された中でも一番不人気のSuicide Squad: Kill the Justice Leagueでは最後に人々が愛するあのキャラを非常に不敬なやり方で殺害したとして、返品騒ぎが起きているくらいだ。ゲイマーゲート2は当分終わりそうにない。


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日本勢大健闘、アカデミー賞授賞式でおきた様々なドラマ

私は映画ファンで地元映画館チェーンのメンバーでもあるのだが、それでもアカデミー賞(以後オスカー)には全然興味がない。それというのも最近のオスカーはポリコレに染まりすぎていて、全然映画の良し悪しや興行成績とは無関係になってきているからだ。とはいうものの、今回は日本勢が大健闘したこと、と東洋人への人種差別がどうのこうのという話が上がってきたので、それについてもお話しよう。

しかしその前に、日本人の功績と言う点で、海外でも広く愛されている偉大なる漫画家の鳥山明さんが亡くなったニュースについて触れておこう。私の年代ではドラゴンボールは観ていないのだが、私が好きだったのはドクタースランプのあられちゃんである。しかし今や世界中でドラゴンボールを知らない人はいないだろう。それで漫画ファンやアニメファンの間ではアメリカでも彼の死は非常に悲しまれている。まだ68歳ということで、お若いのに、本当に残念だ。御冥福をお祈りする。

それでは昨晩のオスカーの結果。

 ◇第96回アカデミー賞授賞式(2024年3月10日 ロサンゼルス・ドルビーシアター)

 米映画界最大の祭典、第96回アカデミー賞の授賞式が10日(日本時間11日)、ロサンゼルス・ハリウッドのドルビーシアターで行われ、「オッペンハイマー」が作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞した。

 日本作品は、宮崎駿監督(83)の10年ぶりの監督作品「君たちはどう生きるか」は長編アニメーション映画部門賞、山崎貴監督の「ゴジラ―1・0」が視覚効果部門賞に輝いた。国際長編映画賞(旧外国語映画賞)にノミネートされていた役所広司(68)の主演映画「PERFECT DAYS」(ヴィム・ヴェンダース監督)の受賞はならなかった

私はゴジラは観ていないのだが、「君たちは、、」の方は観た。私は宮崎氏の作品はヒット&ミスがあって、この映画はあまり好きになれなかった。宮崎氏は二度目の受賞ということだが、視覚効果部門で日本映画が受賞したのは初めてだそうだ。最近のハリウッド映画は不発が多いなか、予算が断然低い日本映画が二つとも大人気だったことは喜ばしいことだ。

ロバート・ダウニーJr.とエマ・ストーンはアジア人差別をしたのか?

さて、もうひとつ東洋人関係で話題になったのは、最優秀助演男優賞と主演女優賞をそれぞれ受賞したロバート・ダウニーJr.とエマ・ストーンがプレゼンターのアジア人俳優・女優たちを無視したのは人種差別なのでは、ということ。

オスカーは前年の受賞者が今年の受賞者にオスカー像を手渡すことになっているが、ダウニーにしてもストーンにしても授与者に対してほぼ一瞥もくれず握手もハグもない。すぐ隣にいる他の男優や女優に対する仕草とは全く対照的である。

これについて多くの人からダウニーたちがアジア人差別を行ったと批判する声が上がっている。このビデオだけを観ていてそういう結論付けるのはちょっと乱暴な気もするが、多くの東洋人が自分も透明人間のように扱われたという印象を持っており、ダウニーもストーンも意図的に差別をしたというより、東洋人を使用人かなにかのように扱って同等とみていない本心が出てしまったのではないかという意見もある。

個人的には、像を受け取ってからクォンを無視してるダウニーよりも、像を渡そうとしているミッシェル・ヨーを無視して隣の女優と話をしていて最終的にその女優から像を受け取ったストーンの方がずっと失礼に見えた。

私はこれまでにも何度も言ってるように、40余年もアメリカに住んでいながら、日本人だとか東洋人だとか言う理由で差別されたことはほとんどない。しかし東洋人への差別というのは昔、組織的に黒人が差別されてきたのとは違って、かなり微妙なものであることが多い。だからもしかしたら私などは差別されていることにも気が付いていなかっただけなのかもしれない。ただ、差別されてる方がされてることに気付かないくらいのものであるなら、私はそんなの無視していいという考えなので、やたらに腹を立てたりはしない。

しかし今回のことで腹を立てている東洋人が共通して述べていることは、白人は東洋人に対してあからさまな差別は行わないが、まるでそこに居ないかのように透明人間扱いすることはよくあるということだ。ちょっとその感想を集めてみよう。

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アカデミー授賞式での件、とても悶々とする。 あれは本当にアジア人差別の典型的な事例が公の場で露呈してる。 そんなことなくない?と言ってる人は現地であの「空気のように扱われる」感覚を味わったことのない人だと思う。

Ke Huy Quan の件もMichelle Yeohの件も見てて思うけど、アジア人差別って、しれっとしたマイクロアグレッションなものが多い。 そして指摘すると、必ず白人からは考えすぎだと言われる。 個人的な経験から言うと、私が受けた人種差別って、上記の様に自分を存在しないものとして扱われたものが殆ど。 無視されるって、1番堪えるよ。 ニーハオって言われる方が、存在を認識されてるだけまだマシかもしれないとさえ思う.

アジア人の透明化。意思も悪意もなき差別。ロバート・ダウニーJr.もエマ・ストーンも大好きな俳優で受賞を素直に祝いたいのに…..。オスカー像を渡してくれる昨年受賞者に敬意を払えないのは、少なくとも好印象ではないな。

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実はその場に居るのに無視されたという体験は私もしたことがある。しかしその時は人種差別だとは思わなかったし、実際そうだったのかどうかちょっと解らない。

これは10年くらい前に外部の会議に参加した時のこと。参加者は色々な企業から集まってきた人たちばかり。それで会議が始まる前にそれぞれの自己紹介をした。Uの字になった席で真ん中に司会者が居た。私は司会者の左横で一番端だったため、右から始まった自己紹介では一番最後の番だった。ところが全員の自己紹介が終った後、司会者は私を飛ばして会議を始めてしまったのだ!

私は一瞬戸惑ったが、すでに会議は始まっており、私が咳払いをして話を止めるのも変な感じだったので不満はあったが何も言わなかった、これが大間違いだった。参加者の中で女性は私一人だったし、私が司会者のすぐ横にいたことから、彼は私をスタッフか何かと間違えたのかもしれないと思った。それでも挨拶くらいはさせるべきだったのではないかと思うが、その時参加者の中で東洋人は私一人であったということには今の今まで忘れていた(笑)。

この会議の主賓は外国軍の重要人物数人で、アメリカ側の会議参加者はそのお客人たちに対してアメリカ側の研究成果を色々報告をするのが目的で集まっていたのだ。

これは私の落ち度でもあるのだが、私はプレゼンターでもなく会議の始まりで自己紹介をしなかったせいで、会議が終ってからのサイドバーでのおしゃべりの時にも私は完全無視されてしまった。何故なら参加者にとって私は重要な存在ではなく参考になる情報など持っていないと思われたからである。最初に順番を飛ばされた時に、きちんと主張しておけば、後々こんなことにはならなかっただろうと、自分の愚かさを反省した。外国のVIPたちも、女が重要な立場にあるとは思っていなかったらしく、彼等も私を完全無視した。

私はこのことを自分がてっきり自分が女だから無視されたと今の今まで思っていたのだが、もしかしたら私が東洋人だったから無視されたのかもしれない。今となってはしるよしもないが。こういう微妙な差別は結構起きるが、あまりにも微妙すぎてなかなか気が付かないというのも事実だ。

まあ私がおめでたい人間だからなのかもしれないが、もしかすると私は40年以上もそういう差別に気付かないまま生きて来たのかもしれない。


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スタートレック、ストレンジニューワールド、シーズン2第二話、一体主役は誰なんだ?

去年の6月の公開されたスタートレックのストレンジニューワールド。無料の第一があまりにもひどかったのでそのまま観ないでいたのだが、昨晩第二話が特別サービスで75セントとあったので観てみた。いやあああ、酷かった、第一話にもまして酷かった、よくもこんな台本が通ったな。

あらすじ。前シーズンの最後に逮捕されたナンバー1、ルナの裁判が始まる。ほとんどが法廷シーンで、彼女の罪は自分が、スターフリートでは禁止されている遺伝子組み換え人間、エレリアン星人であることを隠してスターフリートに入隊したこと。法廷シーンはこのスターフリートの法律が非常に差別的であるということを弁護士が訴えることに終治している。結局彼女が遺伝子組み換え人間であることは彼女自身の罪ではないこと、スターフリートでの彼女の行動にまるで問題がないことなどから、彼女は無罪になる。という非常にくだらない内容。

筋そのもののつまらなさはこの際置いといて、このエピソードの設定には二つの問題点がある。一つ目はエピソード全体が裁判に終治してBストーリーがないこと。そのせいで話の進み方がゆっくり過ぎて退屈。そしてそれが二つ目の問題、レギュラーメンバーの誰一人として目立つ活躍をする機会がないことにつながる。

法廷シーンの主役はウナではなく、彼女の弁護をする女弁護士(もちろん黒人)。しかしこの弁護士はレギュラーメンバーではなくゲスト女優。裁判長はじめ主要な登場人物が女性なのはいいとして、シリーズのレギュラーたちはほとんど出番がなく、法廷での様子をモニターで見ているだけ。

スタートレックでは以前にも法廷を題材にしたものがいくつかあった。私の記憶に最も残っているのは新世代でサイボーグのデータがスターフリートの所有物なのか、それともデータという独立した個人なのか、という裁判だ。そしてデータの弁護士をピカード艦長、そして検察官をピカードのナンバー1,ライカ―が引き受けることになった。これは非常によくできたエピソードだった。法廷に出て来る三人が三人ともレギュラーであり、ピカードとライカ―が敵対関係になるという葛藤も描かれていた。

これは被告も弁護人も検察官もレギュラーメンバーだったので、感情移入が出来たのだが、今回のストレンジニューワールドでは、弁護士も検察官もレギュラーではなく、これまで視聴者があまり親しみのない人達なので観客が感情移入できないのだ。検察官役はシーズン1で登場したパイクの元彼女らしいが、あまりにも印象が薄かったので私は覚えていなかった。

さらに、ウナの弁護にあたり、エンタープライズの乗組員が無実を証明するような証拠探しでもするというのなら解るのだが、これといった調査もしない。パイク艦長も最初に弁護士に弁護を依頼した後はオフィスに座って裁判を観てるだけだ。いったいこのシリーズの主役は誰なのだ?

私がこの話を書いたとしたら、こういうふうにするね。

先ずパイク艦長はこういう裁判では有能と思われる弁護士を探すが、誰一人として弁護を引き受けてくれない。そこで仕方なく自分が弁護を引き受ける。そして人間ドラマをつくるために、検察官はパイクの元彼女という設定はそのままでいい。元カノはルナに同情的だがスターフリートオフィサーとしての義務感は強い。

さて、弁護をするにあたり色々と資料が必要。それにウナを告発したのが誰なのかも調べる必要がある。そこで捜査班を二つに分ける。

一班:遺伝子組み換えが普通だったウナの出身地の星へ向かいウナの生い立ちを調査する。これは医学的な調査も必要なのでチャペル看護婦と、ボディガードとしてクルーの誰かが一緒に行く。これは自分の不注意のせいでウナが告発されたのではないかと思っているルアーンが適役だろう。

二班:エンタープライズに残り、告発者が誰だったのか通信関係の捜査をする。これはスポックの支持でオフラが担当。

一班は訪問した惑星で何故か色々な妨害を受け、捜査がなかなか進まない。ここで異星人との格闘シーンなども入れるとよい。やっと協力者を見つけ、その人の手助けで遺伝子組み換えの歴史や禁止後も継続した人々がいた理由など色々と学び意外な事実を知る。何が意外なのかはどうでもいい。ともかくその事実を持ち帰って弁護士であるパイク艦長に渡す。

二班は色々ルナの通信記録などを調べていくうちにここでも意外な事実を発見。

この一班と二班の行動は法廷シーンと並行して進める。

もうひとつ、Bストーリーとして、医師とパイロットのオテーガによるボルカン星人に関する賭けなんかを加えてコミックリリーフを行う。

このやり方ならパイク艦長を始めレギュラーメンバーには色々な活躍をさせることが出来るし、観客はハラハラドキドキを体験することが出来る。私のようなド素人でもこのくらい思いつくのに、いったいこのシリーズの脚本家たちは何をやっていたんだ?

第三話以降はやっぱり見ない。75銭でもムダ金だわ。


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多様性に東洋人は含まれないのか?

人気アニメ、アバター・ザ・ラストエアベンダーの実写版がネットフリックスで公開されることになり、その予告編が公開された。

白状すると、私はこのアニメの存在を今の今まで知らなかったので、これらのキャラクターを演じる俳優たちが原作のイメージに合っているかどうかは知らない。下記はアニメの方の予告編。

これは日本のアニメではないが、明らかに日本アニメの影響を受けたアニメシリーズである。登場人物のほとんどが東洋人。それで実写版に起用された俳優たちもほとんどが東洋人だ。にもかかわらず、実写版の俳優たちが十分に色が黒くないとして批判をしているアホどもが居るらしい。

こちらがその記事。‘Avatar: The Last Airbender’ Netflix trailer sparks debate over representation: ‘Why is it so hard to cast dark-skinned characters?’ (yahoo.com)。見出しを訳すと「なんで肌の色が暗いキャラクターの配役はそんなに難しいのか?」と言った意味になる。

このアニメは2005年から2008年にかけてニコロディアンという子供向けのテレビ局で放映されかなりの人気を集めたらしい。このシリーズは、4つの元素を操ることができるアバターと呼ばれる若いヒーローとその仲間たちが、火の国の乗っ取りを阻止するために世界を旅する旅に焦点を当てている。今回一部の煩いファンの間で取沙汰されているのは水族のソカ(Sokka)とカタラ(Katara)という兄弟の役。彼等の種族はアラスカエスキモーのイヌイット(inuit)族がモデルとなっているという話だ。この兄弟を演じるイアン・オウスリー(Ian Ousley)もKiawentiio Tarbellもアメリカ先住民の血を引いているが、特にオウスリーの肌の色が白すぎるとして一部ファンからクレームがついている。

オウスリーが実際にイヌイット族出身ではないとしても、イヌイット族の中にも色の白い人も黒い人もいるわけで、アニメで描かれている肌の色より多少白い人が演じたからといってなんだと言うのだ?アニメのキャラと実際の人間とでは全く同じに出来ないのは当たり前で、イメージさえ合っていれば肌の色などどうでもいいではないか?

だいたい多様性を口にする人ほどこの肌の色は一方通行である。私は前々からこのダブルスタンダードが気に入らない。例えば白人でそばかす赤毛のリトルマーメイドを黒人女優が演じたり、色白であることが特徴の白雪姫を肌の浅黒いラテン系女優が演じるのはいいのに、有色人種の役をちょっとでも元のキャラより色が白い俳優が演じると、たとえキャラクターと同じ人種でもホワイトウォッシュだと言い張る偽善。

ハリウッドの言う多様性とは黒人のことであって、他の人種は完全にステレオタイプに凝り固まっている。特に東洋人の場合はそうである。ハリウッドには東洋人はこうあるべきというイメージがあり、例え東洋人でもそのイメージに合わない人は採用してもらえないなんてことは日常茶飯事である。以前にハリウッドで俳優をしている日本人俳優が言っていたのだが、彼は長身で髪の毛が栗色の巻き毛で目鼻立ちもはっきりしていていい男である。しかし彼は日本人役に応募してもハリウッドがイメージする日本人に合わなといって断られたことが何度もあるという話をしていた。

つまりハリウッドは東洋人にも色々な人がいるという多様性を全く認めていないのだ。

以前にも日本のアニメで色の黒いキャラクターの声を黒人にやらせるべきだと大騒ぎした人たちが居た。しかし登場人物は全員日本人であり、その役もたんに色黒だというだけで黒人だったわけでじゃない。だがこの日本のアニメやゲームで多少でも色の黒いキャラクターが出てくると、かならず黒人だと言い張るアメリカ人が出て来る。いくら移民が増えたとはいえ、日本にそんなにたくさん普通に黒人が居るわけないだろ。だが、彼等はそういう現実は全く無視する。

さて、以前にワンピースの実写版が好評だったことでもあり、今回のアバターもかなり期待されているようだ。くだらないクレーマー達など無視して良い作品であることを祈る。


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ファン激怒、日本のアニメやゲームの吹き替えがローカライザーによって超ポリコレに変貌してる

最近アメリカのアニメ・マンガ・ゲームファン達の間で、日本の作品がアメリカで公開される際に字幕や吹き替えの内容が原作とは程遠いポリコレに変貌しているという話をよく聞くようになった。外国の作品をアメリカで公開する場合には翻訳者の他に地元の社会で受け入れやすく台詞や筋を多少変えることは良くある話だ。昔の作品でいうと「マッハゴーゴーゴー」とか「宇宙戦艦ヤマト」とか「セーラームーン」なんかはこちらでも人気だったが、登場人物の名前が英語名に換えられていたり、子供向けということで劇中で誰かが撃ち殺されるうシーンや女性の露出度が高すぎるシーンなどがカットされていたりするのは普通だった。

しかしここ20年くらい、アメリカで日本のアニメや漫画が爆発的なヒットを遂げ、なんとアニメファンたちは「オタク」という日本語を誇らしげに使うようにすらなった。うちの近所の大型書店では一階の半分が漫画コーナーになっているほどだ。

日本の作品がポピュラーになればなるほど、翻訳家やローカライザーたちの需要も高まった。しかし最近問題になっているのはこのローカライザーと言われるひとたちが、あまりにも勝手に台詞をポリコレに変えすぎているということだ。例えば、「小林さんちのメイドラゴン」(2017年)という作品のなかで、下記のような書き換えがあった。どちらも英語なので元の日本語は正確には解らないが字幕版のほうはオリジナルに忠実らしい。

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字幕版:

A:なにその恰好?

B:いつもみんなから色々言われるから、露出度抑えてみたの。

A:体系を変えた方がいいんじゃないの?

吹き替え版:

A:なんでそんな恰好してるの?

B:あいつらの家父長的な社会的要求がイラついたから着替えたのよ。

A:一週間も経てば、元に戻せって泣きついてくるわよ。

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このアニメで声を担当したジェイミー・マーチという声優は台本にも口出しする権限があったらしい。日本のアニメで声優がそんな権限を持っているというのは聞いたことがないが、アメリカの場合、多分人手が足りないので一人が色々な役目を背負っているのだろう。

しかしまあ酷い訳。いや、訳じゃなくて創作だ。酷すぎるだろ。

アメリカのアニメファンの間でも日本語が解る人も結構居る。そうでなくてもキャラクターが言いそうもないポリコレ台詞が突然飛び出せば、「おいおい、本当にそんなこと言ったのか?」となるのは当然。

プロの吹き替えが正確ではないという噂はファンの間ではもうだいぶ前からささやかれており、公式ではないがファンによる翻訳字幕付きのアニメなども出回っている。アニメファンのユーチューブチャンネルでは、アニメの吹き替えをやっている声優の殆どが他の俳優業で食べていけない役者たちで、アニメはシリーズものなら安定した仕事なので彼等は特にアニメファンではないのではないかと言われている。日本のアニメはアメリカのフェミニスト達からしてみれば気に入らない内容が結構多いはずだ。だから意図的に原作をサボタージュするようなことをやるのかもしれない。そしてそれをファン達が指摘すると、今度はファンたちを攻撃し始める。ジェイミー・マーチなどはここ何週間かXで苦情を言ったファン相手に狂乱状態である。

だからというのでもないだろうが、日本の制作側は、今後翻訳にもっとAIを使うことを考えているという。AIはまだまだ完璧ではないが、AIで出来たものを監督する人間が居れば済むことなので、翻訳者や台本や声優といった大人数を雇わずに、かなりの人件費を節約することが出来るかもしれない。私は声優による吹き替えが好きなので、AIはちょっとと言う気はするが、原作を冒涜して来たアメリカのローカライザーたちが失業したとしても同情は出来ない。

日本のユーチューバーでも取り上げてる人がいた。


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第15代ドクターWHOクリスマススペシャルが至上最低の視聴率

もうユーチューブチャンネルでドクターWHOを追ってるチャンネルを観ていると、人々は口を揃えてドクターWHOは終わった、ファンは見放したと叫んでいる。それというのも2023年クリスマスに、クリスマススペシャルで第15代目ドクター、クティ・ガトワ(Ncuti Gatwa)のデビュー第一話の視聴率がなんと旧シリーズがデビューした1963年の最初の番組の次に低かったからである。

ドクターWHOは1963年に子供向けの低予算SF冒険シリーズとして始まった。新番組の視聴率が低いのはしょうがない。なにせ誰もこれがどんな番組か知らなかったわけだし、今のようにネットで前評判があったわけでもないのだから。しかし440万人視聴者数で始まったシリーズも回を追うごとに視聴者が増え、三か月後の第10話の頃にはなんとイギリス国内視聴者数1千40万人にまで膨れ上がっていた。そしてシリーズは俳優が代わっても1996年にいったん終了するまで高視聴率を保っていた。

2005年に新シリーズが始まったが、旧シリーズ再放送のおかげで番組の知名度は高く、また前評判もよかったため、新シーズンはは最初から1千80万人の視聴者数で始まった。その後アップダウンはあったとはいうものの、ドクターが入れ替わる最初のエピソードは常に900万から1000万以上の視聴者数は普通だった。ところが、13代目の女性初ドクターのジョディ・ウィティカ―の代になると、初回は1千90万と高い視聴者数で始まったものの、回を追うごとに、その人気が急降下。2022年彼女の最終シーズンでは347万人という全シリーズで最低の視聴者数を記録してしまった。

これはまずいと思ったBBCは新シリーズで一番人気のあった10代目ドクターのデイビッド・テナントを14代目としてクリスマススペシャルの3話だけ蘇らせることにした。テナントの最終回の視聴者数は史上最高の1270万という高さだったのだが、今回のスペシャルの第一話ではテナントのドクターとしては最低の761万人。しかも2話、3話とその数が減り、新ドクター引継ぎの回では685万人にまで減ってしまった。いくら人気俳優を蘇らせても台本がつまらないとファンはついて来ない。

そして遂に15代目ドクターのデビュー一作目の視聴者数はというと、旧シリーズ第一話の440万をわずかに上回るたったの462万人だったのだ!新ドクターのデビュー回としては至上最下位から2番目である。これだけ知名度があるシリーズでしかも一年も前から大々的に宣伝されていたにも関わらず、この視聴率の低さは何なのだ?

ガトワはドクターとしては初のイギリスネイティブではないウガンダ出身の俳優で英語も明らかに第二外国語だ。しかし彼の売りは黒人であるということよりも、彼がゲイであるということ。これは色々な面で問題なのだが、クリスマススペシャルで10代目ドクターの旅行パートナーだったドナ・ノーブル(キャサリンテイト)の息子が男から女のトランスジェンダーだったり、番組中代名詞がどうのこうの、ガールパワーがどうのこうのというくだらないメッセ―ジを押し付けられて辟易していたファンたちに、「おー、ところで新ドクターはゲイなんだ」と言ったら、「もういい加減に勘弁してくれよ」となるのも無理はない。

というわけで視聴率は散々たるものだったのだが、第一話を観た人の話だと、その内容は期待以上にひどかったそうだ。もうこれはドクターWHOでもなんでもない、ただのゲイファンタジーじゃないか!といった感想。だいたいドクターWHOは元々子供向けのSF番組だったのに、これでは子供と一緒に家族で観るなど不可能である。

いい加減BBCはドクターWHOを諦めて、再び一時休止し、もっとまともな制作チームが現れるまで待った方がいいのではないか?長年愛されてきたドクターWHOを虹色メッセージの道具にしないでもらいたい。

アップデート:BBC 超不人気な多様性メッセ―ジを今後も推し進めると開き直る

BBC Hits Back After Complaints Over Transgender Character In Doctor Who (msn.com)

ドクターWHOの最新シリーズの多様性というポリコレメッセージ押し付けについて、制作者のBBC側があまりの不評に反論を始めたが、ファンの苦情に答えて内容を変えていくというものではなく、今後もこの超不人気な多様性メッセージを推し進めていくと強調した。

左翼リベラルの言う「多様性」というのは非白人俳優やLGBTQ+俳優の起用、および「社会正義」メッセージを強調する筋のことを指す。

BBCは、『ドクター・フー』の最近の記念特番でトランスジェンダーのキャラクターが登場したというだけで、100件以上の苦情が寄せられたことを受け、『ドクター・フー』は今後も「誇りを持って多様性を称え、私たちが生きる世界を反映する」と主張した。

添付した記事ではクリスマススペシャルが不評だったことの原因が単に「トランスジェンダーのキャラクターが登場したと言うだけ」であるかのように書いているがこれは完全な誤りである。ファン達が問題にしたのはトランスジェンダーキャラが登場したことではない。問題なのは、それが話の筋と全く無関係であるにもかかわらず、このローズというトランスキャラがトランスであるということが何かと強調され、彼の母親のキャサリン・テイト演じるドナと一緒になって近年で一番人気のあるドクター、デイビッド・テナント演じるドクターを散々コケにしたことにあるのだ。

この記事ではBBCにローズに関する苦情が144も寄せられたと書かれているが、その内容がどのようなものだったかについて詳しく述べていない。だからそれが「トランスジェンダーなんか登場させるな!」というものだったのか「どうしてトランスばかり強調するのだ」というものだったのかは不明だ。

ドクターWHOは2005年の新シリーズ当時から多少ポリコレの感は無きにしも非ずだった。イギリスの人口では5%しかいないと言われている黒人が、同番組ではメインキャラクターやわき役に黒人が多く起用され、(ドクターのコンパニオンであるローズの恋人は黒人、ドナの夫は黒人、10代目ドクターのコンパニオンは黒人等々)ドクターのコンパニオンやコンパニオンの恋人や、家族など、出演者の半分近くが黒人だ。またシーズン1からバイセクシュアルのキャラクター、キャプテンジャックは登場当時から大人気でシリーズを通じて何度もゲスト出演し、遂にスピンオフ番組で主役を演じるまでになった。

それでもドクターWHOはずっと高人気だったことを考えれば、ドクターWHOファンは特に多様性に対して文句があるわけではないのだ。

新ドクターの初回エピソードを観た人の感想をいくつか観たが、最初の方でドクターがゲイバーで男たちと肌をむき出しにして踊るシーンが長々と続き、ゲイをテーマにした90年末期のテレビ番組「クィアアズフォーク」よりクィアだったと言ってる人もいた。

BBCは今後もこの路線を改めるつもりはないそうで、クリスマススペシャルで登場したトランス自認の男ローズも登場するんだそうだ。

どうぞご勝手に。私はもう観ないからね。


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アガサ・クリスティーのオーディオブックを聴きまくった年末

年末色々手仕事をしながらアガサ・クリスティーのハルキュール・ポワロのミステリーをオーディオブックで聴いた。朗読はBBCのテレビシリーズでポワロ―の助手キャプテン・ヘイスティングスを演じたヒュー・フレージャー(Hugh Fraser)。残念ながら私が聞いた二つのブック(それぞれ6時間近かった!)にはヘイスティングスが登場しない。その代わり私があまり好きでないキャラクター、ミセス・オリバーが登場する。クリスティーは晩年ポワロ―に自分の分身ともいえるミセス・オリバーという女流推理小説作家を登場させるようになった。

実は今回色々オーディオブックを探している間、テレビシリーズでポワロを演じたデイビッド・スシェの朗読も少し聴いたのだが、なぜか本人の声なのに、しっくりこなかった。だがフレージャーの声はすごく耳触りがよく心地よく聴くことができた。特にフレージャーのスシェの声真似は完璧で本人かと思うほどだった。いや、それだけではない。

イギリスは日本よりも色々訛りがある。しかも訛りは地域だけでなく階級でも違う。だから一人で朗読する場合には登場人物の階級によって訛りを変えなければならない。クリスティーの小説は会話が多い、そして登場人物も非常に多い。ということはフレージャーは老若男女何人もの声と訛りを使い分けなければならない。まずポワロ―はベルギー人でフランス語訛りがある、ミセス・オリバーは上流階級の中高年女性、スコットランドヤードの警部はロンドン庶民層訛り、といったように。しかしフレージャーの声の使い分けは素晴らしく、誰が言ったのか名前を聞き逃しても声だけで誰なのかすぐにわかった。私はもうポワロ―は彼以外の声では聴きたくないと思ったほどだ。

さて、オーディオブックの感想はこれくらいにして、肝心の内容はどうだったのかということだが、私が聞いた2作、「ポワロ―のクリスマス」「第三の少女」は二つとも1970年代に書かれたもので、私の好きなヘイスティングスも出てこないしミス・レモンもほぼ登場しない。その代わりミセス・オリバーが登場する。私はこのキャラが全く好きではない。Mrs.オリバーはクリスティーの分身だからなのか、ヘイスティングスのようにちょっとお人よしで多少間が抜けているが誠実という面白いキャラクターではなく、頭は良いし機転も利くというあまり落ち度のないつまらないキャラクターになっている。はっきり言って彼女の存在は物語にあまり貢献していない気がする。

先ほども書いたがクリスティーの小説は往々にして会話が多い。いや、単に多いだけではない。無駄な会話が多すぎるのだ。私はコナン・ドイルのシャーロック・ホームズが好きでこちらもオーディオブックをいくつも聴いたが、ホームズのブックはいつもだいたい一時間以内で聴き終わる。長いものでも二時間くらいだ。しかし話の内容はクリスティーと同じくらいある。この違いはひとえに会話のシーンの長さである。

私が無駄な会話が多いといった例として、ポワロ―の執事ジョージがミセス・オリバーから電話があり今夜いらしたいとおっしゃってますが、どうなさいますか、という会話で、「ああ、ちょうどいい、いらっしゃいと伝えなさい。それから濃いコーヒーを用意しておくように、きっとお疲れだろから」と答えるところがある。そしてその後のシーンでミセスオリバーがコーヒーをすすりながら「ああ、ちょうどいい濃さだわ」という。この会話は必要か?

いやいや、文脈が解らなければ必要かどうかなど解らないと言われてしまえばそれまでだ。しかし、誰が何を飲むかという話が小説のあちこちで出てくるのだ。例えばポワロ―の依頼人が部屋に入ってきたとしよう。ポワロ―はお茶をいかがですか、それともシェリーでしょうか、などと聞く。誰がなにを飲もうとどうでもいいではないか。お客が来たら執事がお茶を持ってくればいい。来客に飲み物を薦めるシーンは、それによって来客の人柄が顕著になるとか、来客のムードが表現されるとかでない限り必要ない。例えば来客が昼間からお酒を飲むとか、持ったティーカップが震えていたとか、出されたお茶をがぶ飲みしたとか。もちろん実社会ではお客が来たらお茶を出すというのはイギリスでは普通ホ週間なのだろう。だが、それが筋を進めるのに役にたたないのであれば、そういうシーンは省くべきである。

またポワロ―とミセス・オリバーはお互いに推理をしあって、あーでもない、こーでもないと話合う。しかしほとんどがくだらない推理であり、全くありそうもないことばかりで筋が進まない。もしこれがミセス・オリバーの何気ないアイデアが的を射ており、ポワロ―が「あ~、ミセス・オリバー、それですよ、それ!あなたは天才だ!」といってミセス・オリバーが「へ?私何か言った?」となるというならそれはそれでいいのだが、そういうことに全く繋がらない二人の会話が何度も何度も起きるのである。いい加減に先へ進め!と怒鳴りたくなってしまった。

それに比べてホームズの場合は、依頼人がやってくるとホームズは無駄な会話をせずにすぐに要件にはいる。無論ホームズとポワロ―とでは性格が違うから同じ私立探偵でも行動が違うのは当然だ。しかし私が思うにこの違いは作者のクリスティが女性でドイルが男性だからではないかと思う。女性は考えをどんどん言葉に出して会話をすることで色々と物を解決していくが、男性は余りひとに相談することはせず、一人で黙々と考えた末に行動に移す傾向がある。無論クリスティーは女性でもポワロ―は男性なのでポワロ―がやたらとおしゃべりをしたら不自然だ。だからミセス・オリバーという女性がクリスティーの考えを読者に伝えるために必要だとクリスティーは考えたのかもしれない。

実をいうと私はクリスティーの小説はさほど好きではない。特にミス・マープルは大嫌いである。ミス・マープルというキャラクターが好きになれないのだ。しかしポワロ―はBBCのテレビシリーズで好きになった。私はその理由はひとえに主人公を演じたデイビッド・スシェにあると思っていた。しかし原作を読んで(聴いて)わかったことは、この長ったらしい無駄の多い小説を一時間の完結ドラマに仕上げたドラマ化チームの功績である。そしてキャプテン・ヘイスティング、ミス・レモン、そしてジャップ警部らの絶妙な掛け合いも魅力的であった。今更ながらあのシリーズは傑作だったと思う。

最近のBBCはポリコレのメッセ―ジだの多様性だので全くつまらないドラマばかりになったが、ポワロ―が90年代に作られたことは幸運だったと思う。それが証拠にシリーズが後になるほど、話が間延びしてつまらなくなった。特にBBCからA&Eに代わってからは、ミセス・オリバーが登場して、最初このろの軽いノリがなくなって暗くなった感じがした。あれは必ずにも制作チームのせいではなく、クリスティーも晩年、若い頃より面白いものが書けなくなっていたのかもしれない。

さて、オーディオブックのポワロ―シリーズはまだたくさんあるので、家事をしながらでも聴くとしよう。


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ドクターWHOもおしまいだ。ポリコレが次々に潰していく人気シリーズ

イギリスで超長寿番組人気シリーズのドクターWHOが今年60周年を迎える。ウィキの説明は下記の通り。

ドクター・フー』(Doctor Who)は、1963年からイギリスBBCで放映されている世界最長のSFテレビドラマシリーズである。1989年に一度終了したあと、1996年に単発の特別版を経て、2005年に新シリーズがスタートし、現在も放送されている。日本でも吹き替えで観ることが出来る。

イギリスでは古いシリーズが何度も再放送されていたので、イギリスで育った人ならドクターWHOを知らない人はいない。だから1989年に終了した時はファンは非常に失望したものである。

私がドクターWHOのファンになったのは2005年から再スタートを切った新シリーズからである。9代目から12代目までは面白かったのでずっと観ていたが、13代目の初の女性ドクターの代になってから様子が変わった。12代目の終わりの頃から多少ポリコレな雰囲気はあったが、13代目で初の女性ドクターになってからは、あまりにも話の筋がポリコレになりすぎて、2シーズンまでは真面目に観たが3シーズン目からはもう観るのを辞めてしまった。そう思ったのは私だけではなかったらしく、新シリーズでは最低の視聴率となり主演のジョディ・ウィティカ―が嫌になって辞めてしまったくらいだ。

どんどん減っていく視聴率をなんとか取り戻そうと、BBCは今回60周年記念の特別番組で新シリーズでは一番人気のあったデイビッド・テナントを14代目として再起用した。私の一番好きなドクターもデイビッド・テナントなので、この特別番組は楽しみにしていた。

と、こ、ろ、が、

蓋を開けてみると、その内容があまりにもポリコレすぎて観てられないというのがファン達の感想。なにしろドクターが主役なはずなのに脇に自認女子の男性(いわゆるトランスジェンダー)がメインキャラとして登場。ことあるごとにドクターWHOが時代遅れだのシスジェンダー男だのと言ってこき下ろされる。ドクターがエイリアンの代名詞が彼だと決めつけたと言ってトランスキャラが筋に関係のないところでドクターを咎めるなど話に集中できないと、とあるファンは言っていた。ドクターWHOには過去にもLGBのキャラクターは何人か登場した。私の好きなジョン・バローマン演じるキャプテンジャックは女性も男性も好きな両性愛者だった。しかし彼等は自分らの性嗜好を視聴者に押し付けなかった。彼等の魅力は同性愛者や両性愛者であることではなく、それぞれキャラクターの個性にあった。ところが今回のローズはトランスジェンダーであることが前面に押し出され、ことあるごとに他人に説教するという、トランスジェンダーだという以外に何の個性もないキャラクター。

Mandatory Credit: Photo by Huw John/REX (646481aj).. David Tennant as Dr Who.. 'Dr Who' TV Programme Filming, Cardiff, Wales, Britain - 21 Feb 2007.. ..
デイビッド・テナント

これだけでも観る気がなくなっていたのに、第二話が公開されるとともに、批判はもっとひどくなった。それというのも何と14代目ドクターWHOはゲイだとカムアウトしたというのだ!

ちょっと待ってほしい。これまで男性が演じたドクターWHOは断じて同性愛者ではなかった。テナントの10代目キャラクターはコンパニオンのローズとは恋仲になったし、11代目のマット・スミスの時代にはリバー・ソングという妻まで居たのだ。しかも男女誰でもすぐに魅了してしまうキャプテン・ジャックですらもドクターを誘惑することができないほどドクターWHOは男性に興味がなかった。初の女性キャラになった時ですら、彼女の性嗜好は女性だったくらいだ。姿形が変わっても同一人物であるはずのドクターの性嗜好が、特別番組で突然男に向けられるなど考えられない。もういい加減にしてほしい。

ドクターWHOが始まったのは60年も前のことだから、新しい世代のファンは新しいドクターを求めているというのならそれはそれでいい。でもだったら何故15年以上も前のキャラクターを蘇らせ、同じ俳優を起用したりするのだ?明らかに制作者たちは人気低迷のシリーズを救うためには過去で一番人気のあったデイビッド・テナントの助けが必要だと思ったからではないのか? それなのにせっかく甦らえたキャラクターをことあるごとに蔑ろにし、時代遅れだの、女性差別をしてるだのと責め立て、挙句の果てに同性愛者にしてしまというのはどういうことなんだ?これでは過去最大人気のキャラクターをわざわざ破壊するために蘇らせたとしか思えない。

このドクターWHO及びデイビッド・テナントのファンをバカにした内容に多くのファン達は激怒している。テナントが復活した特別番組であるにも関わらず、テナントのドクターとしては至上最低の視聴率だったそうだ。ネットの反響を観る限り、もう自分にとってドクターWHOは終わった、新シリーズになって新しいドクターが現れても観る気はないと言ってる人が大勢いる。

私も、もうドクターWHOは諦めた。私にとってドクターはピーター・カポリの12代目までだ。その後はもうどうでもいい。大好きなデイビッド・テナントが出演しているから特別番組は観るつもりだったが、もういい。観たところで失望し激怒するだけだろうから。

ところで今後BBCはディズニーと組んで、ドクターWHOをディズニープラスのストリームで観ることが出来るようになった。最近ディズニーが手掛けるものはことごとく失敗しているが、今回も例外ではなかったようだ。


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クレイジーキャッツの魅力再発見

YouTubeで植木等さんのコンサート模様の動画を見つけたので観ていたら、お爺ちゃんが部屋に入ってきた「何を聴いておる?」あ、昔のコメディーバンドだよ。「最初からかけろ」ギャグは日本語だからわからないかも。でもドタバタだから解るかな。

最初からかけ直すとお爺ちゃんは音楽が気に入ったと見えて大はしゃぎ。しかもバンドが途中でクラッシックなのにジャズ風になったり童謡になったりしてずっこけるところで大笑いしてる。しかも日本語のジョークの部分でもちゃんと笑っている。お爺ちゃんにも通じるクレイジーキャッツのギャグは凄い。

お爺ちゃんがもっと見たいというので検索してクレイジーキャッツ結成10周年記念コンサートの一時間近い動画を観た。クレイジーキャッツの全盛期は1960年代で私がまだ幼少の頃である。私は子供だったのでクレイジーキャッツは面白いコメディーバンドだと思って好きだったが、彼等がどれほど音楽的に技術の高いジャズバンドだったか知らなかった。

バンドリーダーのハナ肇(ドラム)を筆頭に植木等(ギター)谷敬(トロンボーン)石塚弘(ベース)安田伸(テナーサックス)石橋エータロー(ピアノ)桜井センリ(ピアノ)とそれぞれミュージシャンとしても一流のメンバーが揃っている。特に石橋のピアノはクラッシックのオーケストラで通用するレベル。

このコンサートではクレイジーキャッツだけでなく、バックにビッグバンドも揃っていた。私はもともと日本のジャズ音楽は世界的に一流であると思っていたが、それがすでに1960年代の時点でそうだったということを知らなかった。あのレベルなら1940年代のアメリカでも通用したはずである。

クレイジーキャッツなので真面目にジャズを演奏したかと思うと、途中でギャグが入ったり、しかも後のドリフと違って品のいいギャグ。今でも子供を連れて見に行ける本当の意味でファミリーフレンドリーなギャグだ。だから時代遅れにならない。時代だけじゃなく文化も超える。最後の方ではお爺ちゃんは一緒になって「ほんだらほだらあかホイホイ」と口ずさんで踊り出したほどだ。

お爺ちゃんがもっと見たいというので、色々検索してたらシャボン玉ホリデーの動画を見つけた。出演者の面々が豪華で、しかもすべて生放送!

動画についていたコメントを読むと、今のバラエティー番組とはくらべものにならないほど内容が濃く質が高いとのことだった。ああいう大人のミュージシャンが人気のあった頃にもっとそのありがたさを理解できていたらなあと思う。しかしユーチューブのおかげで少しは昔の文化を垣間見れるというのはありがたいことである。


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マドンナ、容姿を売り物にしてきたものが、容姿をけなされても文句は言えない

優雅に年を取れない女は醜い

先日のグラミー賞で64歳のマドンナが登場したが、その変わり果てた姿に多くのファンが驚愕した。彼女の最新の整形があまりにも極端で以前の顔と大違いになって別人のようだったからだ。それは整形手術が失敗したと言うより、無理なフェイスリフトやシリコン注入などのやりすぎで、まるで蝋人形のような不気味な姿だった。

それでネットでは彼女のあまりの変貌ぶりを嘲笑するコメントが続き、若さにしがみつく醜い老女といった感じの記事までもが書かれるなど散々な言われようだ。

マドンナはこれに対して、ミソジニーだの家父長制度のせいだのエイジズム(年齢差別)だなどといつもの調子である。しかし私は彼女にまったく同情できない。

ミソジニーだの家父長制度だのと言うが、若さに任せて男性へのセックスアピールだけを売り物にしてきたのは自分ではないか?マドンナの売りは最初から歌唱力でも踊りでもない。彼女のパフォーマンスは極端にセックスを題材にした型破りの破廉恥芸だった。だがそういうやり方には明らかな賞味期限がある。

Madonna at the Grammys (CBS)

若くてきれいでお色気のある女の子など履いて捨てるほどいる。いつまでも同じことをやっていても、若い子たちに取って代わられるのは当然のことだ。

もちろんパフォーマーとしての彼女には才能はあった。私は特に好ではなかったが、彼女のショーはそれなりに価値のあるものだったと思う。

しかし人間は誰でも年を取る。その事実を踏まえてそれなりに自分も成長し優雅に年を取っていけば容姿のことなどそれほど言われないはずだ。マドンナは64歳。まだまだ若い。いくらでも芸を磨ける年である。だがそれをしないで、未だに若い子のように裸になれば売れると思っている彼女の浅はかさが醜いと批判されるのだ。


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