洗濯バサミで髪を束ねる女なんて居ない?いや、問題はそこじゃない

じつはここ数日、ツイッターでどうでもいいと思われるくだらない話が出回り、それが意外にも多くの人の注意を引き話題になっている。先ずはこの絵から見てもらおう。

左側の絵は『生徒会にも穴はある!』公式【第①巻発売中】@seitokainoanaという漫画の一コマだそうだ。右側の写真はモデルさんが再現したものだが、その話はもう少し後でしよう。

このなんということない絵が何故か話題になった。それというのも多くの女性たちがこの絵は女性を描くうえで非常に不自然だと感じたのだ。

先ず、女性の冷蔵庫にしては小さすぎる。中もレトルトと飲み物と納豆しか入ってない。レトルトも納豆も賞味期限きれても食べられるので、ずぼらな人がそんなことを気にするとは思えない。といった冷蔵庫の中身の話。私が気付いたのは先ずそこだった。

次に、なんでブラジャーのフックを外したまま、ブラジャーを取らずに冷蔵庫を開けているのか。そんな恰好でしゃがみこめばブラが目の前に垂れ下がって邪魔になる。ずぼらな人ならシャツを着たままブラのフックだけを外すか、シャツを脱いだならブラも外して半裸になるだろう。

第三に、そしてこれが一番問題になったのだが、髪の毛を洗濯バサミで束ねる人など居ないというもの。なぜなら洗濯バサミでは小さすぎて髪を束ねるには不都合があるからだ。

こうした批判は女性ならごく自然に出てくるものなのだが、漫画を描いたのは明らかに男性で、漫画のファンも男性がほとんどのよう。それでなぜか漫画ファンらしき男性達から、いや、そんなことはない、自分の知り合いでこういう人がいる、洗濯バサミでも髪は束ねられる、などと頑張る人が殺到した。そして実際に可能であることを証明するために漫画の恰好を再現する人まで現れた。それが右の写真。

こうなってくると女性達もちょっと苛立ち、再現写真を見ても解る通り、洗濯バサミで髪を束ねるためには最初にヘアゴミで髪をまとめてからでなくては不可能で、ずぼらな人がそんな二度手間をするわけはないと反論。誰かが布団をはさむ布団バサミなら大丈夫と言うと、ずぼらな人は洗濯バサミも布団バサミも外の物干し竿にくっつけたままにしてあるはずなので、そんなものが洗面所にあること自体おかしい。ずぼらな人がわざわざ外の物干し台まで布団バサミを取りに行くのか、と言った意見が聞かれた。

さて、私も最初はこの話は面白おかしく傍観していただけだったのだが、だんだんと男性達の意固地さに腹が立ってきた。普通に女性はこんなことはしない、と当事者の女性達が言っているのに、何故「いや、こういう女性もいる」と頑張る必要があるのだろうか?何故彼らは当事者の女性達の意見を無視してファンタジーの世界の方を信じようとするのだろうか?そして女性達は、私を含め、こんなにも彼らの主張に苛立つのであろうか?

そんなことを考えていてふと気が付いた。我々女性達の苛立ちは、女性を全く理解していない男たちが作り上げた現実にそぐわない女性像にあるのだ。

我々は中高年になって女性に目覚めたとかいう男性が、まるで年相応でない非常識なケバケバしい恰好で歩き回るのを見て、あんなものは女性ではしない、女性はあんなことはしない、と忌々しく思ったことが何度となくある。そしてそんな恰好をした人たちが、自分は女だ、女として扱えとうるさく言ってくることに脅威さえ感じる。

それは何故か?

それは男たちが自分らの勝手に作り上げた女性像で実在する女たちを消そうとしているからだ。男たちが勝手に女はこういう物だと決めつけ、我々がどれだけ違うといっても、それを無視してその妄想に基づいた偶像で女性を扱おうとするからだ。

よくツイッターでも見かけるが、売春婦をセックスワークなどと呼んで普通の仕事であるかのように言い、女性たちが、あたかも自分らの自由意志で従事しているかのように言ったり、ポルノ映画で不自然かつ女性にとって大変危険なセックスを女性達が実際に喜んでいるかのように描くことは、決して女性にとって良いことではない。たとえ一部でも、このファンタジーが現実であるかのように思い込む男性がいることは女性にとって非常に脅威なことなのだ。

洗濯バサミの絵に女性達が腹を立てているのはそういう背景があるからなのである。

ところで上記の絵が不自然であるということを、全く別の角度から分析した人のツイートを今朝見つけた。このソース買う@renraku_onlyさんの分析によれば、男女は骨格が違うため、同じ姿勢をしていても同じように描くことは出来ないというもの。

このように、元の図を現実の女性が再現すると、 骨盤の広さ 大腿部のライン(「7」みたいな形) ブラのカップ ブラを落とさないためのポーズ 辺りが変わるのですよね この2枚を見比べると、下半身の違いは分かりやすいと思います(言うまでもないけど再現写真の方は女性的で自然なライン)

この(右側の)再現写真を見ると、 元の絵が「下半身が男」と評されていた理由が分かると思います。

よくペガサスハイド先生が「男絵師が女キャラを描くと、胸以外が男みたいな身体になりがち」と注意喚起しておられるけど、めちゃくちゃ上手い人でも注意する必要があると思った。 モデルを見て描いても、異性の身体だと構造がかなり違うので、資料にならない場合がある 身体の性差は全身に及ぶ マジ大切。

だからよくTRAが言ってる「性差は生殖器くらい」なんて大嘘なんですわ。 性差は全身に及ぶので 疾患などで生殖器の構造が典型的な形状とは違う人でも、全身見りゃ、性差なんてもんは極一部の例外を除いてほぼ分かるんだよ 身体の性は個人差より強いわ この絵と再現写真を見比べたら色々分かるだろ。

ソース買うさんが言ってるとおり、女性はどれだけ女性っぽく着飾った人を見ても、一目で何かおかしいと察知することが出来る。その理由は男性と女性では全体的に多々の違いがあるからで、それは化粧や鬘程度で誤魔化すことはできないのである。

男がいくら自分は子供の頃から女だと感じて来たと言ってみたところで、女の体を持つということは、こういう細かいところで男とは全く違う体験をしているということを彼らは知らない。だからブラのフックを外したまま歩き回る女がいるとか、洗濯バサミで髪を束ねる女がいるとか、普通の女なら絶対にありえないとすぐ気づくことに気が付けないのだ。

にもかかわらず、女を知った気になって、女とはこういう物だなどといい張らないでほしい。女を消さないでほしい。そのことに気付けない男は最低だ。


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子どもを産みたいと思うこと自体が女性である証拠ではないのか?

昨日私は「性自認は男性」と子どもがほしい」ーー“私”が抱えてきた性別違という連載記事を読んだ。最近ではホルモン治療を乳房除去などもして、一見男性に見えなくもないようになった女性が子供を産むというケースが結構聞かれるようになった。私が初めて男性自認女性の妊娠というニュースを読んだのは2008年のことであるが、(これがその時のエントリー。「性転換」手術後に妊娠した女性を「男性」扱いするな! – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)その時は珍しかった自認男性の女性達による出産は今や珍しくなくなった。

さて、添付先の連載記事をちょっと読んでみよう。著者は佐倉イオリ。佐倉は子供の頃から性違和を感じていたが、自分が性同一性障害(GID)を病んでいるとは考えていないと語る。素人の我々にはこの違いは理解できないが、彼女はこれをこう説明している。

多くの方が、出生時に割り振られた性別と人の自認する性のアイデンティティが一致しないことを、「性同一性障害(Gender Identity Disorder)」と認識されていることだろう。実はこの性同一性障害という言葉は、世界的には過去のものになりつつある。

 米国精神医学会が発行する診断基準の最新版DSM-5は、日本でも多くの精神科医が診断基準としているものだが、ここでは2013年から性同一性障害を「性別違和(Gender Dysphoria)」へと置き換えている。また、WHOが作成する国際疾病分類の最新版ICD-11では、「精神および行動の障害」としていた性同一性障害を「性別不合(Gender Incongruence)」と変更し、分類は「性の健康に関連する状態」にあらためられた。治療は必要であっても疾病や障害ではない、という考えからだ。

 しかし2021年現在、日本では戸籍名の変更などの行政サービスや治療を受けるには「性同一性障害」の診断が求められることが多々あり、まさに過渡期のただ中にある。私も自分の状態をどう表現すればいいか、実に悩ましいところだ。このコラムでは、医師が下す診断のみを「性同一性障害」とし、それ以外は「性別違和」と表現しようと思う。 

WHOがGIDをGDと置き換えたのは、別に科学的に新発見があったからではなく、影響力のあるトランス活動家団体から自分らの性癖を精神病扱いするなという圧力を受けたからに過ぎない。WHOが医療機関としてどれだけ役にたたないインチキ組織であるかはコロナ禍で皆よくわかったことと思う。それにしても性違和を解消しようと思っていたなら、ジェンダークリニックは最悪の場所である。ジェンダークリニックはその門をくぐった人々を100%GDだと診断してしまうのだから。

佐倉のエッセイを読んでいて、彼女が病んでいるのがGIDかどうかは別として、かなり深刻な精神病に病んでいることは確かである。生い立ちを読んでいても、その後の結婚にしても、舅姑との同居にしても、普通なら非常に恵まれた環境に居た人だ。それなのに、自分が他人から受ける女性像に自分が当てはまらないという理由でどんどん鬱になっていく。

私が思うにこれらの圧力は周りが課したというより、佐倉が自分自身に課したものなのではないだろうか?女性は早く結婚して子供を三人産んで良妻賢母にならなければいけないという思い込みで自分を追い込んでいるのは佐倉自身ではないだろうか。だからそうあるべきという女性像に自分がなれない、いや、なりたくないと思うことに恐ろしいほどの罪悪感を持ってしまっている。両親も義父母も友達も、ましてや夫も、そんなことを全く求めていないのに、完璧な女になりたくない自分に嫌悪感すら持っている。

彼女は男を自認しているのではなく、社会が期待する女でいることが嫌なのである。

だがそんな違和感から脱却したいのであれば、非常に簡単な生き方がある。それは社会がこうあるべきだという女性像を拒絶すればいいのである。いや、女性像に限らず自分は世間一般的な生き方はしないと決めればいいのだ。

それは自分がどんな体で生まれたかということとは関係がない。確かに女性であるから肉体的限界はある。だがそれを言うなら、男性だって個々によって肉体の限界は違う。人々はそれなりに自分の身体を受け入れたうえで、それに耐えうる生き方をしている。偶然女性の身体で生まれたからといって、イランやアラビア諸国じゃあるまいし、日本や欧米先進国では女性に期待された人生を生きなければならないという法律はどこにもない。

彼女はどうしても子供が産みたいという。その気持ちそのものが彼女が女性であることの証拠だ。彼女が世間一般のお母さんのイメージで子育てが出来ないというなら、自分なりのイメージで子育てをしたらいい。それは性自認がなんであるかなどということとは無関係だ。

彼女は立派な女性なのだ。女性として究極の母性本能を持っていること自体が、彼女が女性である確たる証拠なのだから。

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ところで私がこのエッセイに関して自分の感想を述べたところ、誤ってとある男性に返答してしまった。この男性の名は松崎悠希といって日本人でありながらハリウッド俳優を目指し、結構著名な映画にも出演している俳優。英語の発音も完璧で素晴らしい演技力のある人なのだが、残念ながら典型的なハリウッド俳優よろしく完全にポリコレに汚染されている。下記は彼の私への返答。

『Yuki Matsuzaki 松崎悠希
@Yuki_Mats

>こどもを産みたいという女性として究極の本能
 →あなたの個人的な意見です

>おかしいでしょ。
 →あなたの個人的な意見です

>その気持ちこそが女性でしょ
 →あなたの個人的な意見です

あなたの「正しい生き方」は、あなた自身だけが守ればば良いのであって、全ての人に強制すべきじゃない』

私は佐倉に私の個人的な意見を元に「正しい生き方」などというものを強制していない。彼女のやり方より生きやすいやり方があると示唆しただけだ。それにしても人が自分の意見を述べることをすぐに「強制」などといって他人を黙らせようとするのが、左翼典型的なずるいやり方である。


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ツイッターで出会った自認女性男子の親との会話

今日何気なくツイッターで、トランスジェンダーが男子トイレで迫害されてるなんて話は信じないという話をしていたら、自分の息子は学校で気持ち悪いから女子トイレに入るなと教員に言われたという話をする人がいた。どうも内容が胡散臭いのでリンクはつけない。信じられないような話なので忘れないうちにここに書き留めておこうと思う。

学校でという話だったので未成年の息子の話なのだろうと思って色々聞いていたら、彼女の息子は現在18歳になったばかり。15歳の時から女性ホルモンを摂取しており、胸はHカップだという(ちょっと信じ難い)。

彼女本人のプロフィールによると「発達障害 鬱 LGBTS 当事者 支援者 ボディピ大好き 知らない方、絡みのない方からの突然のフォロービックリします ご遠慮ください。」とあった。

そして息子には性転換手術をさせる予定という話だったので、SRSは失敗例も多いので止めた方がいいという話をしたら、もうこれに関しては16年も調査をしていると返事が返ってきた。

ここで聡明なる読者諸氏は何故私がこの人の話が胡散臭いと感じたのかお分かりいただけたと思う。息子が現在18歳なのに、16年も前からSRSの調査をしているというのはどういう意味か?まさか息子が2歳の頃からトランスジェンダーを自認したとかいうのではないだろうな。最近そういうことをいう親が多いから、あながちあり得ない話でもないが。

しかし、もし彼女のプロフィールを信じるなら、自身がLGBTS当事者だとある。(Tまでは解るがSってなんだ?)自分が当事者で息子がトランスジェンダーになる確率というのはどのくらいあるのだろうか?

実はこの間、10歳のドラアグクィーンモデルとかいう子の話がアメリカで取沙汰されていた。そしてその両親という二人の姿をみて、はは~んと来た。二人ともノンバイナリーと称しているが、明らかに男性ホルモンを摂取している女性二人。息子はそのうちの一人が別れた夫と作った子供だった。

もうずっと以前から、年端もいかない子供たちがトランスジェンダーだという話が出る度に、私は親の影響を疑っていた。特に母親の。

もし、彼女が言ってることが本当なら、やはりこれは母親による子供の洗脳だと考えるべきだろう。でも子供はもう18歳。手遅れにならないうちに母親の呪縛から解けてくれることを祈るのみだ。


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週末トランスジェンダー関係ニュース

ひとつひとつ書いていくには内容が薄いので、本日はまとめてここ数日間で起きたトランスジェンダー関連のニュースをご紹介しよう。先ずはカナダはオンタリオ州の話。

カナダ州オンタリオの高校教師巨大人工胸を付けて出勤:高校の技術担当教師Kayla Lemieux(女性名)は去年から女性を自認しはじめた自称女性の男。新学期になると先っぽに乳首がついてる巨大人工乳房を付け、ブロンドのかつらにミニスカートといういで立ちで出勤。学校側は個人の性自認を尊重するとして制裁する気はない模様。

女装はともかく、こういう恰好で機械を扱うのは非常に危険だ。私は若い頃、仕事柄工事現場に行くことが結構あったが、人工胸は論外としても、結んでない長い髪や素足の上にスカートでスリップオンの靴などありえない。機械作業を教える教師としては安全を全く無視した非常に無責任な恰好である。本来ならば長ズボンの作業服を着て髪は機械に巻き込まれないように縛るなり帽子の中にしまうなりすべきだし顔にはガーグルを付けるべき。

中年の男が女装をすると恰好がパロディーになってしまうのは何故なのだろう?もし女性教師が胸を目立たせたいとして、こんな格好で出勤したら上司から着替えて来いと言われることは間違いない。特に乳首をわざと目立たすような恰好はこの学校の校則違反でもあるという。学生には禁止しておいて、性自認の男ならなんでもありということになるのは何故なのだろう?性自認が女なら、どんな破廉恥な恰好をしてもいいというのか?

数か月前に女性を自認し始めた俳優フォーブス女性サミットで女性の立場を代弁

つい去年まで男性俳優としてブロードウェイ舞台やテレビなどで’地味な活動をしていたディラン・マルバニー(Dylan Mulvane)は、数か月前に女性を自認し出した途端に有名になり、生理用ナプキンのコマーシャルに出るなど目障りな活動で目立っている。そのマルバニーがフォーブス主催の女性サミットで女性として出演して演説をぶった。どうして男が女性を自認しはじめると数か月で女性の立場を代弁できるようになるのか非常に不思議だ。

乳房除去をあつらったデザインのTシャツ発売される

こちらツイッタラーのBlahさんが紹介してくれたこの話。「トランスジェンダー推進団体から助言を受け、美容整形外科会社が製作したTシャツ。自分は男子だと認識し始めた少女達のために、乳房切除を意味する手術線をデザイン。 多様なジェンダーを謳い、子供達のメンタルヘルスや性の揺らぎを金儲けに利用する悪魔は大勢いる。

WPATH (World Professional Association for Transgender Health)と呼ばれる世界的組織があるが、この組織の会長から役員に至るまでトランスジェンダー整形手術を専門にしている整形外科で成り立っている。そんな組織が相談者の健康に真から取り組むわけがないのは自ずと知れたことだ。彼らの目的は金儲けしかないのだ。

イギリス、レズビアン女性たちの集会を暴力的に攻撃するTRA

もう見慣れた光景になったが、女性達が男性を含まない女性だけの集会をしようとすると、必ず黒装束のアンティファ連中がやってきて暴力的に集会を邪魔しようとする。本日も「性(セックス)は真実だ」と言って勤めていた大学を首になったことを不服として訴訟を起こし勝訴したマヤ・フォーテスター女史をはじめとするスピーカーたちがイギリスのブライトンに集まり集会を開いた。そしていつもどおり、またANTIFA/TRAどもが集まって女性達に発煙筒を投げつけるなどの暴力を振るい、何人かが逮捕されている。

しかし私には何故か最近のTRAの活動には必死さを感じる。イギリスではこれまでイギリス政府やメディアに多大なる影響を及ぼして来たストーンウォールというLGBT組織の力が衰えている。また未成年のトランスジェンダークリニックだったタービストッククリニックが閉鎖されたりと、だんだんとトランス狂気の悪夢から人々が目覚めつつあるように思えるからだ。そしてそのことをTRAたちは感じているのではないだろうか。

フォーテスター女史が「法は我々の側にある、恐れずに訴え続けよう」と言っているように、だんだんと女性達はTRAの暴挙に抵抗できるようになってきている。そしてこれまでのようにメディアに完全に弾圧されるのではなく、彼女たちの話に耳を傾けようという人たちが増えてきているような気がするのだ。

それというのも常々左翼過激派は時期尚早に傍若無人になってやりすぎるのだ。例えばイギリスの市営プールで男女共同で泳げる時間もあるのに、わざわざ女性だけの時間に入り込んできてイスラム教徒の女性達を追い出してしまった女装男達。主に13~4歳の少女たちが参加するスポーツ競技に無理矢理参加し、少女たちからメダルを奪い、更衣室でよだれを垂らす女装変態中年男たち。

こういう女装男たちによる横暴が一般市民の生活のあちこちに影響を及ぼすようになってきたことで、これまでTRAについて全く知らなかった普通の人たちが「これはおかしい」と思うようになった。今や一部の過激派フェミニストたちの抗議だけ弾圧していれば済んだ時代ではなくなっているのだ。TRAたちもそれに気づいているからこそ、彼らの行動はより過激で暴力的なものになっているのだろう。

京都議会文教委員会が「女性のスペースを守る会」の陳情を否決 

では最後に日本は東京都のニュース。東京都議員の龍円あいりというTRAのブログから引用する。(強調は原文のまま)

9月15日(木)の文教委員会に付託されている請願や陳情の審査をしました。

「女性用トイレの維持及び安心・安全の確保に関する陳情」についてですが、この陳情者の「女性のスペースを守る会―LGBT法案における『性自認』に対して慎重な議論を求める会」のホームページを見ると、国会におけるLGBTに関する法律を制定することを立ち止まるように求めている団体です。

都議会においてLGBTQ等性的マイノリティへの差別を禁止し、生きづらさや不便さを解消するために動いてきた立場から、質疑させていただきます。

トランスジェンダー差別 

この団体によりますと、トランスジェンダー女性の存在を法律で認めてしまうと、トランスジェンダー女性が女性用トイレを使うことが公認され、そのことによって女装をした男性による性犯罪が増える可能性があるから、トランスジェンダー女性の存在を法律で認めるのは立ち止まるべきだというお考えのようです。(略)

都に対しては、トイレについても、トランスジェンダーの方々も含め、多様な人たちが安心して利用しやすいトイレを整備してもらいたいです

性自認および性的指向による差別を禁止する東京都人権尊重条例を守りながら、今後もすべての都民が安心で安全に暮らせる東京都として施策を推進してくださるようお願いいたします。

質疑の内容は以上です。

この陳情は、文教委員会では満場一致で「不採択」になりました。

この記事に関して東京都議会のいう「すべての都民」に女性は含まれないようだというコメントがツイッターにあった。まさにその通りだ。

龍円女史の論理はもう何度も言い古されたもので、目新しいものはない。守る会があたかも『トランスジェンダー女性の存在を法律で認めるべきではない』と言っているかのような故意に誤解を招く言い方もいつもの手段である。

反TRAのほとんどの人はトランスジェンダー女性と名乗る人々が存在している事実を否定しているわけでもなければ、そういう人たちが存在してはいけないと言っているわけでもない。ただ、自分が女性だと自認しているだけの人を「トランス女性は女性」であると法的に認めてしまうと、女性専用施設の安全は保てなくなると主張しているのだ。

これに対する反論もいつもの『トランス女性を性犯罪者あつかいするな』というくだらない言い分である。

この論理は、そもそも根底から破綻しています。「トランスジェンダー女性」と「性犯罪者」は、まったく異なる話です。そもそも性犯罪は、その犯人がどんな格好をしてようが犯罪は犯罪であり、許されるものではありませんし、取り締まられる必要があります。「犯罪者による性犯罪」と、「トランスジェンダー女性の人権」とは一切関係がなく、一緒に議論する余地のあるものではありません

拙ブログでもツイッターでも私は何度も繰り返し語ってきたが、一旦自称女性の男性を女性として女性施設に受け入れてしまったら、どんな変態男の立ち入りも女性たちは防ぐことが出来なくなる。「どんな格好をしてようが犯罪は犯罪であり」というが、これまでは女装男が女子施設に入ること自体が犯罪だったのに、それを女性自認男を受け入れなければならないとなれば、先に挙げたカナダの高校教師みたいな女装変態男が女子施設に入ってきても女性達は通報などできなくなるのだ。龍円にそれが理解できないとは言わせない。

それからこれも何度も言ってきたが、トランスジェンダー女性が性犯罪者になり得ないという理屈は通用しない。自称女の男も男性であることに変わりはなく、その狂暴性も性欲も一般男性と同じである。昨日まで男を自認して普通に男子トイレを使っていた男が、本日女性を自認し始めたら突然その男性的性癖を完全に失うという根拠があるなら提示して欲しい。

多くの自称トランスの性愛対象は女性である。つまり彼らは女装をしているという以外は、他の男性と何の変わりもないのだ、いや女装してまで女性施設に入って来ようとする男性の方が女性にとっては一般男性よりもずっと危険な存在だと言える。

私は龍円のようなトランス活動家が諸外国で起きている数多い女性自認男たちによる性犯罪を知らないとは到底思えない。守る会の人たちが提示している自称女の性犯罪内容についても十分承知のはずだ。知っていながらあたかもそんなことは起き得ないと言い張るのは非常に不誠実である。

それに女性自認男が女子空間に入れないことと「トランスジェンダー女性の人権」とどういう関係があるのだ? 誰も女性自認男にトイレに行ってはいけないとは言ってない。身体に合ったの方の施設を使ってほしいと言っているだけ。普通の男性はみなそうしていて何の弊害がないのに、女性を自認しているというだけで何故男子施設が使えなくなるのか?これは彼らの人権とは無関係であり、それこそ「一緒に議論する余地」などない。


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フロリダ州ディサンティス知事が違法移民たちをリベラル高級地マーサズビンヤードに搬送、焦る民主党住民

ここしばらく、メキシコとの国境を共有するテキサスのアボット知事が自州に入り込んだ違法移民たちを首都のワシントンDCやニューヨークやシカゴに搬送して、これらの都市の市長たちが悲鳴を上げているというニュースが連日流れている。昨日など、アボット知事は2台のバスをDCにあるカマラ・ハリス副大統領の自宅前に送りつけるというパフォーマンスをやってのけた。

そして同日、今度はフロリダ州のディサンティス知事が違法移民をオバマ元大統領の邸宅や民主党政治家たちが住む高級住宅マーサズビンヤードに搬送したことが大ニュースとなっている。同知事はマサチューセッツやニューヨークやカリフォルニアは違法移民の聖域だと公言してバイデン政権の違法移民受け入れ政策を支持している以上、違法移民の面倒をみるのは当然の義務だと主張。チャーター便二便をつかってフロリダからマーサズビンヤードに違法移民を送り付けた。

実はバイデン政権は国境を越えてやってきた違法移民を隠密のうちに共和党が権限を握る州へどんどん送り込んでいた。2021年の11月、何機もの航空機に乗せられた違法移民たちがフロリダに送られてきた。同知事はバイデンの移民政策に反対のフロリダ市民が違法移民の面倒をみる義理はないとして、違法移民をバイデン政権の政策に同意している民主党の州に送り届けるつもりだと宣言している。

マーサズビンヤードにつれていかれた違法移民たちは「話が違う」と文句を言ってるが、他人の国に密入国しておいて、いったいどんな待遇を期待していたのだろうか?

それはともかく、サンシャインステート(日照の州=フロリダ)とゴールデンステート(黄金の州=カリフォルニア)知事のちょっとし口論が起きている。私が住むカリフォルニアのニューサム知事はバリバリの左翼リベラル。自州が違法移民で大変なことになっているのに全く無頓着で、犯罪を全く取り締まらず、それでいてコロナ禍での一般州民への取り締まりは異常なまでに厳しかった。

この11月それぞれ再選挙を控えているディサントスとニューサム知事なのだが、先日ディサントス知事は記者会見でニューサム知事を州民を平民のように扱っていると厳しく批判した。それというのもニューサム知事は自分の選挙運動広告でフロリダ知事を批判し、フロリダ州民はカリフォルニアに移ってくるべきだと宣言したからである。

それでディサントス知事は、「フロリダでは最近カリフォルニアのライセンスプレートが増えてるが、カリフォルニアではフロリダプレートはそう見かけないねえ」といい、コロナ禍で州民に多大なる犠牲を強いておきながら、ニューサム知事は高級レストランで密な宴会を開いていたことを指摘。知事は州民をあたかも平民のように扱っていると批判したわけだ。

またディサントスはカリフォルニアはこれまで人口が減ったことがないのに、ニューサム知事になってからカリフォルニアを脱出しフロリダに移住する人が増えていることも指摘。そしてニューサム知事のつねにポマードできれいに塗りつけられている髪型をおちょくるなどした。

ニューサムはこれをうけて、いつでもディサンティスと討論してやる、その時はポマードを沢山持って行ってやるなどと反論している。

なぜ西海岸と東海岸の知事同士がこんな戦いをしているのかというと、ディサンティス2024年の大統領選挙に共和党から出馬を真剣に考えているのと同様、ニューサムも民主党代表として大統領選に出馬するのではないかという話があるからなのである。

私はトランプ前大統領の大ファンではあるが、彼の高齢や彼自身のパーソナリティーなども考慮にいれると、ディサンティスのほうが共和党候補としてふさわしいと思う。できればトランプには引退してもらって、ディサンティス候補で行ってほしい。彼のコロナ禍の対策や移民対策を見ていると、彼はあきらかに共和党を代表してしかるべき人だとおもえる。


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リトルマーメイドや白雪姫など白人キャラを非白人が演じることへのバックラッシュは人種差別なのか?

先週末、ディズニーは1989年に公開された「リトルマーメイド」の実写版の短い予告を公開した。そこではじめて主役のアリエルを演じる黒人女優のハリー・ベイリーの姿と短い歌声が紹介された。するとほんの2~3日の間に不評数1.5百万という前代未聞の評価が集まるという驚くべき事態が生じた。私もハリー・ベイリーの配役には懐疑心を抱いていたとはいうものの、ここまでの不評は予測していなかった。これは大不評のアマゾンのLOTRを凌ぐ不評である。

ハリー・ベイリーがアリエルを演じることになったということは、もう一年以上前に発表があったので別に今更主役が黒人だということに驚いた人は居ないはず。では何故人々はこんなにも否定的な反応を示しているのだろうか?

私はこれは最近続いた白人役を非白人が演じるという過剰なポリコレ傾向への反発の表れではないかと考える。

二週間前に指輪物語三部作の前編としてアマゾンが公開したリングスオブパワー(指輪の力)がファンの間で非常に不評であるという話はしたが、アマゾン側はこの不評はひとえにエルフを含め数人の黒人俳優の起用への人種差別だとトールキンファンを責めた。一週間前に公開されたピノキオの実写版が非常な不評であることも、有名な青の妖精に丸坊主の黒人女優を起用したことへの人種差別だとディズニー側は視聴者を攻撃した。そして今はまだ制作中のディズニーの「白雪姫」実写版の主役を白人ではないラテン系の女優が演じるという話も加え、それに対する批判もすべて人種差別のせいにするつもりのようだ。

こうした背景のあるなか、リトルマーメイドの予告はポリコレ迎合に嫌気がさした視聴者の恰好の攻撃対象となってしまったのだ。もしこれが他の作品でも同じことが起きていただろう。若いハリー・ベイリーはそのはざまに立たされてはた迷惑も甚だしいといったところだろう。もしポリコレ批判が彼女への個人的な攻撃になってしまったなら、私は彼女に心から同情する。

しかし視聴者の不満は黒人やラテン系が主役を演じるということにあるのではない。視聴者の不満は、なぜ長年親しまれてきたキャラクターのイメージを故意に破壊するような配役をするのかという点にあるのだ。しかもこうした批判が人種差別だとされるのは白人役を非白人が演じる時だけだ。

たとえば2年前に公開されたアラジンの実写版で主役のジャスミン姫を演じたインド系の女優が半分白人であったというだけで、彼女の色が白すぎると左翼リベラルから批判されたことを「人種差別」だとディズニー側は責めたりしなかった。人種に拘るなら彼女が半分白人だということよりも、アラジンはアラブ王国の設定だから配役はインド系ではおかしいはずだという批判であるべき。他の俳優たちも全員アラブ系であるべきなのに、俳優たちが白人ではないというだけで他人種の配役に納得した左翼たちの人種差別ぶりには呆れる。

批判的人種論(CRT)などといって、学校では白人は生まれながらにして罪深い人種であり、白人こそが悪の根源と教えられている若者が、自分らが大切にしてきた白人キャラのイメージすら黒人に取って代わられることを考えたら、いったい我々の文化とは何なのだという気持ちになったとしても不思議はない。

視聴者たちは黒人が主役であることが気に食わない訳ではない。何十年も前から、エディー・マーフィーやデンゼル・ワシントンやウェスリー・スナイプやウィル・スミス主演の映画はヒットしている。最近ではオールブラックキャストのファンタジー映画ブラックパンサーが大ヒットした。つまり観客は主役が黒人だから嫌なのではなく、もともと人々が愛し親しんで来たキャラクターのイメージをポリコレを満たすためだけに壊して欲しくないという気持ちを訴えているに過ぎない。

マット・ウォルシも言っていたが、今後映画やテレビで俳優の人種は無視して誰が何を演じてもいいということにするならそれはそれでいい。だがもしそうなら、黒人役を白人が演じても絶対に文句を言わないでほしい。白人役を黒人が演じることに苦情を言うのが人種差別だというなら、黒人役を白人がやっても一切苦情を言わないでほしい。

だが、絶対にそんなことにならないのは我々は良く知っている。だからこそ、1.5百万の不評などという事態が生じるのだ。


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トールキンファンには白人至上主義者が多い?不作作品を棚に上げて批評するファンを徹底的に侮辱するアマプラとメディア

いつまでもアマゾンプライム制作の指輪物語のリングスオブパワーについて話をするのは心苦しいのだが、制作側とメディアによるトールキンファン叩きがあまりにも凄まじく理不尽なのものなので、どうしても何か書いておかないと気が収まらない。

本日見つけたこのサロンの記事などは、“Rings of Power” gets casting backlash, but Tolkien’s work has always attracted white supremacists、ヘレン・ヤング著「トールキン作品は常に白人至上主義者を惹きつける」という内容だ。もういい加減にしろ!と言いたい。

今年の2月に出演者が発表され、そのなかに黒人俳優が混ざっているという話が出て以来、トールキンの熱烈なファンから作品がWOKE(お目覚め主義・ポリコレ)すぎるという批判が上がったが、これは現状の正しい見方ではないとヤングは書く。

ヤングは黒人俳優への差別的なコメントや、レビューバミング(批判的な批評を大量に投稿すること)などをみていると、単にトールキンの世界観に関する意見の違いとは思えないというのである。

まず、このお目覚め主義への批判だが、これはファンが始めたものではなく、アマゾンプライム自身が始めたことなのだ。制作側は作品が発表される何か月も前から、いかに自分らがポリコレのメッセージに力を入れて作品を作ったか、いかに配役が多様であるかという宣伝を執拗に行った。黒人女優や俳優たちが、色々なプロモーションでことあるごとに「多様性が~」「革新的な~」と繰り返し、作品の内容について何一つ説明がなかったのである。これではファンとしてはお目覚め主義はいいが、肝心の作品はどうなっているんだと批判する以外に仕方なかった。

しかし作品が公開されてからは、お目覚め主義への批判はほぼなくなり、登場人物の人種に関する批判も激減した。なぜなら作品の問題点はそんな表面的なものではなく、もっと根本的なところにあることにファンたちは気づいたからである。

アマゾンプライムのコメント欄には、いかにこの作品がトールキンの世界を無視しているか、登場人物に魅力がないか、話の辻褄があわないか、ペースが遅すぎて退屈するとかいった批判が大半を占めたのだが、アマプラ側はこうした批判的なコメントを一時的に隠蔽し一般には見えなくしてしまった。そして黒人俳優への人種差別的な脅迫が多数あったと言い掛かりをつけはじめたのだ。

私がこの差別的な脅迫などというものが起きていないと考える理由は、もしそれが本当なら「こんなコメントが来ています」といってどんど公表したらいいようなものなのに、その一通の例も公表されていないからだ。

ヤングは「トールキン研究者のクレイグ・フランソンによると」としてこの問題を右翼活動家が悪用してファシストのトーキングポイントを主流メディアに注入し始めたという。そして、右翼活動家たちはこの作品に批判的なファンを焚きつけて大がかりな憎悪に満ちた動きを扇動しているというのである。

なんというバカバカしい発想だろう。

The Lord of the Rings: Rings of Power

ヤングは1970年代や2000年に一部の取るに足りない白人至上主義者たちがトールキン作品を褒称したことを例にあげて、トールキンには白人至上主義を惹きつける傾向があるなどとくだらない持論を述べている。それをいうならその何千倍もの一般ファンたちの存在はどうなるのだ?どんな作品でもおかしな輩を惹きつけないものはないだろう。世界各地で何十年もベストセラーになっているトールキンの作品ならなおさらである。そんなことは何の証明にもならない。

もっともヤングは右翼保守は全員人種差別者だという固定観念で話をしているから、そういうおかしな理屈になるのだ。

ヤングは何故人種差別者は中つ国がそんなに好きなのかという理由について、トールキンがナチスやアパルトヘイトを批判する手紙の中で書いた一部分で、トールキンはある種の人は他の種よりも優れていると書いており、それは人種差別思想だという。しかしトールキンが劣っているとする種族とはナチスやアパルトヘイトの南アフリカの白人層だ。トールキンはイギリスという国がヨーロッパにもたらした良い影響について語っていたのであり、人種の話をしていたのではない。

しかしヤングは中つ国は階級社会であり人種差別の世界だと主張する。トールキンの人種差別思想は空想の生き物エルフと人間に現れているとし、明かにエルフが最上でドワーフやホビットは下層階級だというわけだ。この階級社会の差別主義に現社会の人種差別者が魅かれるのだという理屈である。

あほらしい。

ヤングがトールキンの社会が階級社会で人種差別に満ちたものだと考えているのは、彼女がきちんと作品を読んでない証拠だ。

確かに中つ国は階級社会である。エルフ社会も人間社会もどれもこれも王国であり、民主主義の国などない。考えてみればどんな王国にも属していないのはホビットだけだ。しかし、トールキンが人種差別者であったなら、指輪をモードアに返しに行くフェローシップはどのように説明するのだ?

一つの指輪を破壊する使命を帯びたホビットのフロドに、ホビットのサム、メリー、ピピンのみならず、エルフのレゴラス王子、ドワーフのギムリ、人間のアラゴンとボロミアが団結して結成されたのが指輪の仲間たちフェローシップである。エルフとドワーフは過去に戦争もしている宿敵である。彼らが協力して任務に及ぶのは非常に難しいことだったはず。人間同士でもアラゴンとの主従関係に不満を持つボロミアの反感がある。しかしこれらの種族がそれぞれの違いを乗り越えて任務におよんだのだ。これこそ種族を超えた多様性ではないか?

そして忘れてはならないのは、エルフも魔法使いも人間もドワーフも勝てなかった指輪の誘惑に、唯一打ち勝って指輪破壊に成功したのは一番軟弱だと思われていたホビットではないか!

もしトールキンが白人至上主義者なら、すべての功績をエルフにやらせることもできたはずだ。しかしトールキンはエルフをそれほど良い光にばかり照らしていない。エルフの間でも戦争は起きているし、悪に染まったオークは元はと言えばエルフであり、エルフが腐敗してオークになったのだ。だからエルフは決して崇高な存在ではないのだ。それに指輪物語の最後にはエルフ達は中つ国を捨てて去っていくではないか。

そして指輪物語の最後の8章と9章は、ピーター・ジャクソンの映画では描かれていないが、ホビット荘に帰還したメリーとピピンが留守中にサルマンの支配下に陥っていたホビット荘を、ホビット達と一緒に戦って取り戻すというものだ。つまり、指輪物語の最後はホビット達が他人に頼らずに独立して自由を取り戻すことで終っているのである。

ヤングはトールキンがサウロンの影響下に落ちた人間たちの種族を、アラブ系や東洋系のような描写をしているというが、トールキンはイギリスの神話を作り上げようとしていたのであり、遠方の外国にいる敵を味方の種族とは違う人種として表現したとしても、それは直接人種差別と解釈すべきではない。それは桃太郎の青鬼や赤鬼の描写が人種差別だと言っているのと同じくらいバカげた理屈だ。

トールキンの作品が保守派の間で人気があるのは、彼が白人至上主義だったからでも、人種差別者だったからでもない。トールキンは敬虔なキリスト教徒であり、その思想が作品のあちこちで現れており、宗教意識の強い保守派の心に通じるものがあるからなのだ。

ヤング及び左翼メディアやアマプラ製作者たちが、それを理解せずにトールキン自身まで白人至上主義者に仕立て上げ、トールキンファンを徹底的に侮辱し続ける行為は愚かとしか言いようがない。トールキンファンはアマプラの作品に成功してほしかった。彼らがこよなく愛するトールキンの世界をその精神にのっとって再現してほしかったのだ。

しかしアマプラ製作者たちの目的は最初から良い作品を作ることにはなく、自分らの左翼お目覚め主義思想を視聴者の喉に押し込むことにあった。最初からファンには受け入れられないだろうと知っていたからこそ、わざわざ黒人俳優を起用して、作品への正当な批判を人種差別だとして反撃するつもりだったのだろう。しかし予想以上に猛烈なファンからの批評に振り上げたこぶしが下せなくなっているのだ。

ところで、制作側のこの作戦で一体誰が得をするのだろうか?熱烈なトールキンファンはもう嫌気がさしてシリーズを観ないだろう。トールキンを知らない他のファンタジーファンたちは、こんなつまらない番組よりハウスオブドラゴンを見るだろう。(現にそっちの方が人気がある)

残るのはお目覚め主義の左翼ファンか、ファンタジーなら一応何でも観るというもの好きな人々だけ。それがこれだけの予算をかけてやる正しい番組作りと言えるのだろうか?

不思議である。


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多様性を満たすために白人役を黒人に演じさせる怠慢な演出にげんなり

先日始まったロードオブザリングス(指輪物語)の前編リングスオブパワーがかなりの不評だという話はすでにしたが、アマゾンプライム側は番組が不評なのはすべて黒人差別のせいだという姿勢を貫き通すつもりらしく、同作品のキャストや昔の映画のキャストまで動員して「すべての人種は歓迎する」キャンペーンを始めた。あたかもトールキンファンの不満が黒人キャストにあるかのような決めつけに、我々は少なからぬ苛立ちを感じている。

LOTRの黒人エルフやドワーフに続き、ディズニー映画のアニメリメイクのピノキオの青い妖精役が丸坊主の黒人女性、そしてリトルマーメイドのアリエル役が黒人女性と、なぜか元来白人が演じるべき役を黒人に配役するのが流行っているようだ。こうしたやり方は元来のイメージを大事にする人々への侮辱であり、また黒人に対しても非常に失礼なことだと思う。

伝統的なおとぎ話や時代物やLOTRのように原作の設定が非常に厳しいものに異人種俳優を混ぜることには問題がある。これは決して私や他の視聴者が黒人俳優を見たくないとか、我々が人種差別者であるとかいう理由からではない。物語にそぐわないあり得ない設定に問題があるのだ。

私は以前から、時代劇で時代考証がしっかりしていないものには不満を述べて来た。例えば1950年代のアメリカで黒人がナイトクラブで白人と一緒にカクテルを楽しんだり、舞台の上で黒人と白人が入り混じって演技をするなど、当時の黒人差別を考慮に入れたら絶対にありえない設定である。しかしダイバーシティーの名の元に、これらの人種をごっちゃにすると、多くの観客は昔も今も人種差別の程度は同じだったと誤解してしまう。昔の人種差別がいかに酷かったかを知らなければ、現在がどれだけ良い時代であるかが解らなくなる。それで反差別活動家たちのいう今の人種差別は昔と同じように酷いという嘘を若い人たちが信じてしまうようになるのだ。

こうした時代考証を無視した配役をすると、当時あった差別も地理的文化的生物学的論理も全て無視せざる負えなくなる。人々の行き来が難しかった時代に部外者がめったにこない孤立した部族の人種がまちまち。ひとつ川を越えた村の人間さえよそ者として忌み嫌う人たちが異人種間の結婚には抵抗がないと信じなければならない。いやそれをいうなら、両親と子供の人種が違うとか、兄弟なのにまちまちな人種とか、遺伝子科学まで無視しなければならなくなる。

元々白人として描かれている役をそのまま黒人にやらせるのは演出と脚本の怠慢きわまりないやり方だと思う。これはイギリスの長寿番組で常に男性が演じて来た役を女性が演じた時にも感じたのだが、黒人や女性を起用するなら、彼らが登場しても自然であり、彼らでなければ出来ない特有の役作りをすべきである。

例えばシェークスピアの芝居で、シェークスピア時代の芝居をそのまま演じたら、オセロ以外で黒人俳優が登場する場面はない。しかし舞台を現代のニューヨークに移したらどうか?ウエストサイドストーリーがまさにそれで、モンテギュー家とキャプロット家の争いを二つのギャング集団ジェットとシャークに変えることで、白人対プエルトリコ人との争いとなり、白人でない配役が自然となった。

もしリトルマーメイドを黒人にするなら、舞台をデンマークではなく、カリブ海にでもある空想の王国を設定し、王子様も他のキャストも全員黒人にして、踊りも音楽もそれに合わせたものに作り替えればいい。

私が気に入らないのは、白人や男性用に書かれた脚本をすこしもアレンジせずに黒人や女性に演じさせることだ。せっかく別な特性を持った人たちを配役するなら、その人たちの個性を生かせる演出をすべきである。なぜおざなりのクッキーカッター的演出をするのだ。上からダイバーシティー(多様性)を反映する映画作りをしろと言われたから、じゃあ、白人役を黒人にやらせておけばいいやという安易なやりかたからは制作側の怠慢さが見え見えである。


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恐れていたより酷かった、アマゾンプライムの「指輪物語」新シリーズ、リングスオブパワー

何か月にもわたって色々話題になっていたアマゾンプライムが前代未聞の大予算を投じて作ったとされるロードオブザリングス(指輪物語)の新シリーズ、リングスオブパワーの一話と二話が公開された。この物語は2001年に公開されたピータージャクソン監督のロードオブザリングス三部作の物語が始まる何百年も前の出来事という設定になっている。

最初に断っておくが、私はトールキンファンとはいっても一部の熱烈なファンとは違って読んだのは指輪物語三部作とホビットだけだ。よって舞台になる中つ国の第一期や第二期の歴史についてはまるで無知である。よってこの新シリーズに関しても、歴史背景や登場人物の人間関係といったものについてもよく知らないので、全く新しいファンタジーシリーズとして客観的な目で見られるのではないかと思っていた。

し、か、し、

この話がLOTRとは無関係なオリジナルのファンタジーだったとしても、いやそうだったとしたら余計に、最初の20分で完全に眠りに落ちていただろう。私が第一話を最後まで観たのは、LOTRだったからだ。そのくらい退屈でつまらない番組だった。

はっきりしない映画の意図

先ず、ジャクソン監督の映画は冒頭で映画の背景になる戦いについて、指輪がどのように作られ、どのようにして誰の手に渡ったのかという説明がガラドリエルのナレーションで説明される。映像とナレーションがしっかり合っているので、観客は簡単にその背景を理解することが出来る。そして観客はこの映画が何に関する話なのか正しく把握することができる。

ところがこのシリーズでは、ガラドリエルによるナレーションが入るのだが、映像とナレーションがかみ合わず、いったい何を見ているのかさっぱり理解できない。エルフたちが戦争をした理由も非常に希薄で、そんなことのために100年も戦ったというのが理解不明。

後で原作を良く知っている批評家の話を聞いたところ、エルフたちが戦争をする理由がかなり、はしょられているため、話の辻褄が合わなくなっているのだという。原作を知らなければ混乱する書き方は映画の台本として大失敗だろう。

この戦争で兄を失ったガラドリエルは、その復讐の旅に出る。そして何世紀も宿敵サウロンを追って旅をする。しかしこの動機もどうも弱すぎる。確かに兄を殺されたことは悲しいことかもしれないが、実りのない旅を何百年も続けるほどの価値があるのか。サウロンが放っておいたら危険な存在になるというなら、その根拠を先ず示すべきではないのか?

最初は復讐の一年で旅にでたガラドリエルがその冒険の中で種々のことを学び、やはりサウロンは打倒しなければならないと確信したというのであればそれはそれでいいのだが、彼女の冒険に関する描写が一切出てこないので、彼女が何を学んだのかが解らない。後にリンドンというエルフの里に返ったガラドリエルがエルロンドに「あなたは私が見て来たものを見ていない」というセリフがある。いったい何を見てきたと言うのか、しゃべってないで見せたらどうなのだ?

唯一彼女の冒険を示すものとしては、雪山にサウロンの古い城を見つけたガラドリエルとその部下数人が、そこに棲息するトロルに遭遇するシーンがある。

ガラドリエルを強い女性の英雄というイメージで描きたかったのだろうが、このシーンを見る限り彼女は兵を率いる司令官としても完全に失格である。部下の不安や不満や身体の具合すら無視して自分だけさっさと先に進んでしまったり、自分ひとりでトロルを倒したりしてしまう。それで結局数人いた部下にも見放されて一人で冒険の旅を続けることになる。ほんの数人しかいない部下の心もつかめない司令官が軍隊を率いるとかあり得ない話だ。

ともかくここまで観ていても、いったいこの話はどういう方向へ進むつもりなのか、視聴者にはさっぱりつかめない。

違いすぎるエルフのイメージ

エルフ役のひとりに黒人俳優が起用されたことに関して、制作側はファンの怒りは人種差別だと批判しているが、問題なのはエルフの肌の色だけではない。いや、もっと根本的なところでエルフの描写がおかしいのだ。

先ずエルフは人間とはまるで違う生き物だ。彼らは一旦大人になるとそれ以上年をとらない。エルフは病気をすることもなく、怪我をしてもすぐに治ってしまう、致命的な傷を負わなければ死ぬこともない。エルフは何千年も生きられるため、それほど多くの子どもを作らないため、世代によって顔立ちがどんどん変わっていくなどということもない。

エルフが生まれた頃の世界には太陽はなく、星の光と、輝くふたつの木があっただけ。エルフは日焼けもしないので、褐色の遺伝子を子供に伝えることもない。氏族によって髪の毛の色が多少違う程度であり、みな背が高く肌の色は透き通るように白い。エルフはエルフに初めて会う他の種族が息をのむほど美しく、光り輝いて眩しいほどの存在でなければならない。

今回の黒人エルフは肌が黒いというよりも先に、この眩しいほど美しいというイメージがまるでなく、他の人間たちと区別がつかないほどむさ苦しい男だということに問題がある。これは白人が演じていても同じことが言えただろう。

現に他の白人エルフたちもまるで魅力がない。エルフは歳を取らないので、何百歳になっても皆30歳くらいにしか見えないはずなのに、中年のエルフが出て来たり、ヘアースタイルが現代の男性のもので、現実離れしたエルフの髪型としては非常に不適切だ。

またエルフは普通の人間より背が高く強靭であるはず。雪山でガラドリエルとその部下たちがトロルに遭遇した時に、4~5人のエルフが簡単にトロルに突き飛ばされて死んでしまうというは、どう考えてもおかしい。そして強靭なエルフが数人かかってもかなわないトロルをガラドリエルが一人で退治とか、勘弁してよと言いたくなった。

登場人物が多すぎる

第一話なので、登場人物を色々紹介したいのは解るが、あまりにも多すぎて誰が誰だかわからなくなる。第一話はエルフの話だけに収めるべきだったのではないだろうか。

このシリーズではホビットの祖先のツーフットと呼ばれているが、姿かたちはホビット風だが文化があまりにも違いすぎる。トールキンオタクによるとホビットは第二期にはまだ生まれていないので、ここで登場するのはおかしいとのこと。それはいいとしても、ここで描かれるホビットは原始人のように汚らしい遊牧民。ホビットは非常に保守的で外に旅には出ないという特徴があったことも、ここでは完全に無視されている。

ところで人種の話だが、エルフよりひどいのがホビットである。何人ものホビットが登場するが、人種がまちまちで、白人ホビットの母親が黒人だったり、人々の英語のアクセントがそれぞれ違ったり、もうハチャメチャである。一族でこんなにダイバシ―ティーな部族なんて居るだろうか?ホビットは人間ではないから、生まれた時に色々な色で生まれてくるというでもいうなら話は別だが。

ともかく退屈

原作と違うとはいっても、もしこれがオリジナルのファンタジー番組として、それなりに面白いというならそれはそれでいい。しかし無駄な会話や必要ないシーンが長々とあり、肝心なシーンはしょられており、観ていて混乱するだけでなく退屈でしょうがない。私は一時間の間にどれだけあくびを押し殺したかしれない。

アマゾンプライムに寄せられた視聴者からの批判があまりにも多かったため、アマゾンは否定的な批評は公開しないことにしたそうだ。いや、今更そんなことをやっても無駄だろう。LOTRだからという理由でともかく第一話は我慢してみたトールキンファンたちも、第二話第三話となるとどんどん離れていくことは間違いない。

格いう私も、第二話は観ようと思えば見られるが、退屈で死にたくないので観ないことにした。


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