「ドラッグクィーンストーリーアワー」のさほど隠れていないトランスジェンダー養育計略

以前にも紹介したが、アメリカやカナダのあちこちの図書館で、ケバケバしい女装をしたドラッグクイーン(女装男)が子供たちの前で同性愛やトランスジェンダーについて物語を読んで聞かす「ドラッグクイーンストーリーアワー(DQSH)」なる催しが開催されている。日本風に言えば「オネエが語るおカマ話」みたいなもんかな?当然のことながら、多くの父母たちは、やたら破廉恥な恰好をした女装男が、あきらかなトランスジェンダー推進の動機を持って感受性の高い小さな子供たちに話をするのは教育上良くないのではないかと心配していたが、先日とあるドラッグクイーンの発言で彼らの心配が正当であったことが証明された。

ルイジアナ州にあるラファエテ市の図書館で10月にDQSHが催されることになった。対象は若い子になると3歳という幼稚園児。主催者はディラン・ポンティフというドラッグクイーン。これについて住民のなかで反対の声があがり、市議会においてイベント開催の是非を問う審議がされた。

ポインティフは市議会において、自分が子供の頃に他の男の子と違うということでいじめの対象となったことなどを語り、次の世代に他の子と違うことは恥かしいことではないと教えるのは大事だと語った。また、この件において同市民から色々な批判を受けたが、それは誤解や不寛容よるものだと語った。ドラッグクイーンは必要以上に性的であるという批評に関しても、ドラッグクイーンは時と場合に合わせて性的描写を制御することが出来るのでその心配はないと語る。

イベント反対派のラファエテ住民、レスリー・アレキサンダーは、これはいじめとか不寛容の問題ではない、これは、確固たる指導を一番必要としている時期の子供たちに対して性的混乱を招くことを意図的に目的としたものである。後々になって子供たちが自分の性に疑問を抱くように種を蒔こうという策略だと語った。

ポンティフは自分にはこれといった計略があるわけではないとしながらも、次の世代を養育することが目的だと自慢げに認めた。次の世代とはどんな世代だ?明らかに次のトランスジェンダー世代を育てるという意味だろう。反対派が心配している通りではないか?

根性のない市議会議員たちはこのことについて審議することを拒否した。しかし10月4日のニュースによると、私立図書館でのイベントは一応延期。ルイジアナコミュニティー大学でのイベントも警備の問題から延期になった。市立図書館は完全なる中止ではなく、あくまでも適当な会場が見つかるまでの延期だと主張している。

こういうことがあるごとに、良識ある市民が立ち上がって抗議しないと、どんどん子供たちが洗脳されていく。どれだけ相手がこちらを差別主義だのホモフォブだの不寛容だの騒いでも、子供たちの将来がかかっているのだ、我々は常に戦わねばならない。


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左翼白人は有色人種を馬鹿にしてるという調査結果

私は時々白人をものすごく嫌っている有色人種に出会う。ネットなどで日本人と話していても、アメリカの白人はどんなに善良に見える人でも本心は人種差別者だと言い張る人がいる。そしてそういう人たちは必ずと言っていいほど左翼リベラルと自称する。

昔、ニューヨークで数か月暮らしたことがあるという日本人男性とネットで議論したことがある。彼は大の反米(特に反白人)だった。どうやら数か月間のアメリカ暮らしで散々差別されて嫌な思い出だけを持って帰国したらしい。にも拘わらず、彼のアメリカ論は完全にアメリカ左翼メディアの受け売りだった。それで私はよく、君はアメリカの悪口ばかり言いながら、何故アメリカメディアの言うことを鵜呑みにするんだね、と聞いたものだ。

私はその当時から考えていたのだが、アメリカにおける後退派左翼有色人種は付き合う白人も後退派左翼だけだというのが問題なのではないだろうか?つまり、後退派左翼の白人は口で何と言おうと、無意識のうちに人種差別的な行動を取っている。そして決して馬鹿ではない有色人種はその表面下にある白人達の偽善や欺瞞に少なからぬ反感を持ってしまうのではないだろうかと。

それを証明するような記事を読んだので紹介しよう。Study: White Leftists Simplify Their Language For Minorities (左翼白人は少数民族には簡単な言葉使いをする)

エールとプリンストン大学の二人の調査員は過去25年間に渡り、白人民主党の政治候補者の演説を調べたところ、少数派に対しての演説ではその内容を簡素化し難しい言葉遣いを避けて話していることが解った。同じ期間で保守派候補者の演説では白人に対しても少数派に対しても言葉使いに全く違いはなかったという。

これはエールとプリストンの助教授二人が白人が有色人種い対しどういう行動を取るかを調査したもので、よかれと思って接している白人でも左翼だと不思議と人を見下した言い方になっているという結果が出た。

政治家だけではない。一般人でも左翼白人は明らかに白人と解る名前の人へのメールと明らかに黒人の名前の人のメールとでは、書く時の語彙が違っていたという。ところが保守派白人は相手が誰でも全く違いがなかったという。

この調査結果には全く驚かない。私が長年持っていた考えと完全に一致している。私が出会った左翼有色人種たちは左翼白人としか付き合いがないから、左翼白人連中が持っている人種差別意識を薄々感づいていたのだろう。だがそうした白人から保守派白人はすべて白人至上主義だと言われていたことを鵜呑みにしているため、保守派白人との付き合いは全くない。それで事実は保守派白人は全く差別意識など持ち合わせていないということすら知らず、白人は口で何を言おうと本心は人種差別者なんだと思い込んでしまう。

それでも頭のいい少数派はそれに気づいて、本当の白人至上主義者は後退派左翼の方なのだとして徐々に民主党を離れて言っている。トランプ支持の黒人やラテン系が増えているのもそうしたことからだろう。


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トランスジェンダーという精神病に世界が付き合うべきじゃない

トランスジェンダー関連の記事を二つ紹介しよう。

一つは、なんで調査なんかしなきゃわからないんだ、というような記事。その内容はというと、男女共用の更衣室は女性が性犯罪の被害者になる可能性が高いというもの

当たり前だろうが!そんなこと試してみなくても最初から解ってたことだろうが!いったいどれだけの人がそういうって反対したと思ってるんだ。あまりのポリコレで、どれだけの婦女子が犠牲になったことか。

記事は全部読むまでもなく、90%以上のセクハラや覗きや女性への性暴行は市民プールなどの男女共同更衣室で起きていることが使用者たちの被害届で分かったというもの。

もうひとつの記事はナショナルレビューのベン・シャピーロ著のコラムで、トランスジェンダーへの同情が社会の現実を変えてはいけないという意見筆者はトランスをめぐるいくつかの例をあげて、行きすぎたトランスへの同情が社会秩序を乱していると語る。

女性専門の運動ジムに女装男が現れ更衣室で着替えを始めた。経営者は彼に個室を使うよう求めたが、本人は自分は女だと言い張り個室使用を拒否。他の普通の女性会員が苦情を述べたが、経営者側はトランス女に個室を使わなければ会員権をはく奪すると言えば訴えられる可能性があるとして女性会員たちの苦情を受け入れることが出来なかった。結果多くの女性会員がジムを辞めてしまった。ジムの経営者はたったひとりの女装男のためにジムがつぶれる危機に陥っている。

ツイッターでは、本人が好まない代名詞を使った場合はその口座を凍結するというもの。つまり、自称トランス女を「ミスター」とか「彼」とか読んだりしたらもうアウト。ジョーダン・B・ピーターソン教授がカナダで通ったこの法律について抗議していたのは、これは言論弾圧だからだ。トランスジェンダー運動は本当に他人の言論を徹底的に弾圧する思想だ。

このオプエドでも紹介されているが、私が最近読んだ記事で、テキサスで離婚後の親権を巡り母親が6歳の男の子を女子として育て名前までルナと変えてしまったことに関して父親が抗議したところ、かえって母親の方から幼児虐待だと責められ、父親の方が親権を取り上げられそうだという話。しかもこの母親は別れた夫に対して子供のホルモン治療やセラピーや性転換治療費を払えと要求している。

だが肝心の男の子ジェームスはどうかというと、彼は自分が女の子だなどとは思っておらず、男の子として扱ってほしいと思っているというのだ!にも拘わらず法廷は父親に子供とセクシュアリティに関しての話をすることを禁じ、女子と男子の両方の服装を提供することを義務付けたという。だが父親は男の子は自分といるときに女子の服を着るのは断固拒絶しているという。

ジェームス君は母親が連れて行った精神科の医者によって性同一障害と診断され、母親が付き添いで行くセラピーでは女の子の性を好む行動を取っているという。しかし父親といる時や他の友達といる時はジェームスと呼ばれることを好み男の子として振る舞っている。ジェームス君が通う教会の牧師さんも、ジェームス君はどう見ても普通の健全な6歳の男の子に見えると語る。

はっきりいって精神科の医者にかかるべきなのは母親の方だろう。これはいわゆる代理ミュンヒハウゼン症候群(munchausen by proxy)という病気だ。つまり、母親が自分が病気なのにそれを投影して子供が病気だと思いこむ精神病。病弱な子供を献身的に支える母親として注目されたいと思うのが症状。これは明らかに母親が男の子をトランスだとすることによって自分が注目されたいと思っている症状だ。これによって本当にジェームス君がホルモン治療などされてしまったら、彼の人生はどうなるのだろうか?

しかし今や常識が通用しない世の中。この父親は自分の子供が母親の妄想によって虐待されるのを手をこまねいてみているしかないのか、抗議したらそれこそ子供を失う恐れがあるのだ。こんなことってあっていいのか?

自然な生物学を書き換えることは現実社会に多大なる悪影響を及ぼすとシャピーロは言う。客観的な現実を無視し誰かの主観的な社会観を押し付けるということは、ビジネスや学校や病院や言論の自由に至るまで、ありとあらゆることを根底から崩さなければならなくなる。性同一性障害に病む人々への同情が客観的な社会現実を破壊することになってはならない。

一部の人々の精神病に何故世界中が付き合わなければならないのだ?そんなことをしてみても当事者は救われないだけでなく、部外者が多大なる被害を被る。婦女子が安心して更衣室やトイレに行かれない。言論は弾圧される。子供は無理やり異性ホルモンを飲まされる。抗議する片親が親権を失う。

そんな世界に誰が生きたいのだ?


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ついにアメリカ国境到着、中南米発の侵略者キャラバン!

先月ホンジュラスやグアテマラあたりから出発した違法移民キャラバンが遂に、この日曜日メキシコとアメリカの国境の町ティワナで両国の国境警備隊と衝突。下記はフォックスニュースの映像。

国境では侵略者たちが女子供を全面に押し出し、彼女たちを人間の盾にして後ろから警備隊に岩を投げつけるなどの攻撃を仕掛けた。これに対してトランプ政権は催涙弾を撃つなどして応戦した。

当然のことながら、後退派左翼の民主党は侵略者たちの暴力を過小評価し、催涙弾で応戦したトランプ政権を激しく批判している。実はオバマ政権も数年前に国境の柵を乗り越えようとした数百人の移民に対して全く同じことをしていたのだが、それはそれ、ダブルスタンダードは左翼の定番。

アメリカの主流メディアはキャラバンについて嘘八百を報道しているので、月曜日、国家安全保障省のキアスチャン・ニールソン(Kirstjen Nielsen)長官は、この移民キャラバンの実態について六つの特性をあげて説明した

1.キャラバンは狂暴である

局長は日曜日に見られた暴力は十分に予測できたことであったと述べ、彼らはすでにメキシコをはじめ通過してきた中米の国境警察を攻撃していたと指摘した。

「警察官に対して岩など飛び道具を使っての攻撃が受け入れられると本気で信じている人がいるとは信じられない。こんなことを説明しなければならないとは驚きだが、警官たちは重症を負ったり致命傷を負う可能性もある。法を守っているアメリカ人にとって、正当防衛は討論の余地はない。」

2. キャラバンは規模が大きく組織的である

長官は今回のキャラバンは前回にくらべずっと規模が大きく組織的であると言う。今8500人以上のメンバーがティワナやメキシコに居る。また別のキャラバンがすでに国境に近づいているという。

3. キャラバンメンバーのほとんどに亡命が認められない

メディアはキャラバンが母国での虐待から逃れるため亡命を求めている女子供が主体であるように報道しているが、これは正しくないと長官は言う。「歴史的にみて、グアテマラやホンジュラスやエルサルバドルからの移民で亡命が認められた例は10%にも及ばない。90%以上が亡命資格がない。」

移民のほとんどは仕事を探しているから、すでにアメリカに居る家族と一緒になるために来た。そういう人たちは難民とは認められない。また、彼らはメキシコからの庇護や国連の難民局からの援助も拒否している。

4. キャラバンのメンバーはほとんどが男

メディアは多くの女子供が亡命を求めているというが、キャラバンのほとんどは男。MSNBCのは番組内で現地に記者を派遣して女子供の映像を写させようとしたが、現場の記者はほとんどが男だと報告した。

5. キャラバンには犯罪者が含まれている

ニールセン長官はキャラバンのメンバー構成について、その身元をはっきり確認することはできないとし、アメリカに危害を及ぼす危険な犯罪者が含まれていることは確認できているという。長官によると、少なくとも600人の犯罪者が含まれており、その中にはすでに当局が関知している傷害犯罪や麻薬犯罪、窃盗、強姦、幼児虐待など極悪な犯罪者が含まれているという。すでに100人のキャラバンメンバーがメキシコで自国で犯した犯罪で逮捕されているという。

6. 日曜日の暴動でけが人は出ていない

長官は国境警備隊の行動を賞賛した。長官は銃などの武器を使わず催涙弾を使ったことで移民にも警備隊にもけが人を出さなかったことを褒めている。

確かに今のところ国境警備隊は催涙弾やペパースプレー程度の武器で応戦しているが、これで侵略者たちの数が膨れ上がったり、相手が銃などで女子供の後ろから撃ってきたらどうするつもりなのだろうか。トランプはまだ軍隊の総司令官として試されていない。トランプ政権は国を守るために正規軍ではない侵略者たちに銃を向ける覚悟があるのだろうか?

民主党やメディアはキャラバンを国を追われた可哀そうな人々と主張したがるが、添付したビデオを見て、これは可哀そうな難民だと思えた人がどれほどいるのだろうか?どう見て侵略者にしか見えない。こんな奴らに国を乗っ取られるのはごめんだ。

アップデート:ツイッターでこんな記事を紹介してもらった。


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英検一級の第一次試験を試してみた!

なあんてユーチューバーのサムネイルのような書き方だが、ツイッターで出会ったとある御仁のご意見を聞いて英検にちょっとした興味を持ったのだ。この男性は在米14年の経験があり、アメリカでMBA修士を取り、アメリカと日本の企業のどちらでも働いた経験があり、今は日本に帰国して企業コンサルタントをしているらしい。その方が、実際に自分の英語の実力がどのくらいあるのかを知るには、やはりTOEICや英検を受けて客観的に審査してみる必要があると書いていたのを読んで、ふ~む、確かに一理ありだなと思ったのである。

実際に英検を受けるかどうかを決める前に、先ず英検一級のレベルとはどのくらいのものなのか調べてみることにした。そこで2018年一回目の英検一級一次試験をダウンロードして、筆記とヒアリングを試してみた。

筆記試験は4部に分かれていて、1部は語彙、2部は短文の読解力、3部は長文の読解力、そして4部は作文。作文は採点のしようがないので一応飛ばして1から3までやってみた。一部は25問あり、文脈から正しい単語及び熟語を選ぶ。先ずこんな感じ。

Kim was annoyed when her colleague Dan kept giving her advice on how to raise her son. She told him to stop being ( ) and keep his opinion to himself.

1. nonchalant, 2. dispassionate, 3 obtrusive, 4. tortuous

2部と3部は写すと長いので省くが、私がとちったのはこの最初の25問のうち5問。これは最初からまずいなと思ったが、気を取り直して2部3部と挑戦した。こちらの読解の方は全く問題なく全問正解。

次はヒアリング。ヒアリングは30分強あり4部に分かれて27問。部が進むにつれて難しくなり、問題は一度しか言ってくれない。私はヒアリング100%は出来なければ恥ずかしいだろうと思っていたのだがダメだった!(恥かしい)

四部では最初に設定となる文章と質問を10秒で読み、そのあと音声がはいって、その質問の答えにを4つの選択肢から選ぶというもの。この選択肢を読む時間も10秒。私が戸惑ったのはこの最初の10秒で問題を読み切ることができなかったこと。だから問題の意図が理解できないままに音声が始まってしまったので、完全に混乱した。これは聞き取りが出来るかどうかというより、いかに早く読み取って意味を理解するかにかかっているなという印象。

最後の作文は与えられたテーマにそって、賛成か反対かどちらかの立場を取り、三つの理由を述べて半ページくらいの短い文章を書く。こういうのはESLの授業でもずいぶんやらされた覚えがある。

全体的な印象としては、英検一級は普通のアメリカ大学で一年生ならだれでも必須で取る英語作文の授業、English101でAを取れるくらいの実力が必要。これだけ出来たら英語圏の大学に留学しても英語では苦労しないだろう。

さて、それで肝心のスコアだが、採点の仕方がよく解らないので正解の割合から言うと、筆記は88%、ヒアリングは89%だった。英検について詳しく説明していた人のブログによると、だいたい80%くらい取れれば合格するということだったので、ま、これならいけるんじゃないかなと思う。語彙を勉強して早く読み取る練習をすれば、多分大丈夫だろう。

この次は二次試験に挑戦してみよう。それにしても、最近はネットで色々情報が入るから勉強はしやすくなった。最近の人は恵まれているな。


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映画ボヘミアンラプソディー、フレディの人生よりバンドの功績に焦点をあててほしかった

先日、クイーンのリードボーカリスト、フレディ・マーキュリーの人生を描いた映画ボヘミアンラプソディーを観て、その感想をツイッターで色々書いていたら結構反響があった。あ、こういうことはブログに書かなきぃかんなと今頃思いついた。

クイーンは1970年代中期に大ヒットして1980年代にはイギリスで80年代最高のバンドとして賞までもらってるくらいの偉大なロックバンド。最初はヘビーメタル調だったが、フレディ・マーキュリーの影響もあって、ハーモニーを生かしたオペラ的な音楽をやってみたり、個性的な音で旋風を巻き起こしたバンド。

映画がどんな風かは実際に映画と事実とでの違いを指摘した記事があったので、これを読んでいただくとよくわかるのだが、先ずバンドの結成から始まり、結成してからアメリカツアーにたどり着く、ロックとしては風変りなボヘミアンラプソディーの誕生、バイセクシャルなフレディと、その妻との不思議な友情、フレディのシングルアルバム、そしてライブエイドコンサートでのクライマックス。

映画の筋としてはあんまり大したことはない。バイオピック(伝記映画)でも面白いものもあるが、普通の人は、例えロックンローラーでも、そんなに波乱万丈な生き方をしているわけではないからだ。特にクイーンはみんな高学歴でフレディ以外はそれほど破廉恥な生き方をしておらず、麻薬におぼれて破産してしまうとか結婚離婚を繰り返すとかいったこともしていない。つまり、プライベートではそれほど変な人生は送っていないのだ。

この映画はクイーンの映画というよりフレディ・マーキュリーのプライベートな人生に焦点を当てすぎている。フレディは確かにカラフルな人ではあったが、ファンとしては彼の人生そのものよりも、クイーンのメンバーとしてどのように音楽創りをしていたかに興味があるのではないだろうか?いや、ファンでなくても、そういうことに焦点を当てた方が面白い。

映画でもバンドがスイスの山奥のモントレー(Montreux)スタジオでアルバムを作る場面が出てくるが、別のドキュメンタリーのインタビューで観たリード・ギターリストでバンドのリーダーでもあるブライアン・メイによると、当時クイーンは色々な音を試していた。多重録音もその一つ。彼らが尊敬していたビートルズもアルバムで色々試していたが、クイーンの頃は録音技術も発達していたので、かなり面白い音が出たと話していた。映画でも色々メンバーたちがドラムに水をかけたり、バケツを使ったりというシーンがあったが、彼らが何をしようとしていたのか、もう少し説明があってもよかったのではないかと思う。

私にとってのクイーンと言えば、中学生の頃にラジオのロック音楽番組を聴いてた頃に、キラークイーンが何週間もナンバー1だったというのが最初の記憶。当時クイーンは日本ツアーを行っており大成功を収めている。日本ツアーをした頃の動画がユーチューブでも見られるので是非ご覧になることをお勧めする。今思えばコンサートに行ければよかったのなあ。(コンサートなんて親が絶対に行かせてくれなかった。)

日本ツアーと言えば、ツイッターで色々な人から指摘されたのだが、クイーンはアメリカよりも日本で最初に人気が出た。アメリカツアーは日本ツアーの後なのである。クイーンが日本に来た時に日本は大歓迎で、何百というファンが空港におしかけたり、クイーンは行く先々で群衆に出会い、ちょっと怖い思いをしたようだ。これも別のインタビューで観たのだが、彼らは日本に来る前にそれほど自分たちが日本で人気があるとは知らず、また日本のファンはお行儀がいいので心配はないと言われていたのに、実際にコンサートをやったらみんな立ち上がって舞台に駆け寄ろうとしたりの大騒ぎでびっくりしたそうだ。

そういうこともあるので、クイーンのバイオピックに日本ツアーが出てこないのは不自然。しかし他のファンの人から「日本ツアーの様子は出てましたか」と聞かれて、そんなシーンはなかったなあと不思議に思ったのである。

そうしたらば、、なんと、実際は日本ツアーのシーンは撮影してあったんだそうだ。何故か本編ではカットされたという話を聞いて驚いてしまった。これにはちょっとしたコントラバーシーがあり、映画の予告ではドラマーのロジャー・テイラーが旭日旗のTシャツを着て空港(多分成田)に他のメンバーと到着するシーンがあったが、誰かからのクレームで(誰とは言わないが)ロジャーのシャツが赤く塗りつぶされたというのである。本編ではこの予告シーンは全く使われていなかったので、私にはよく意味が解らなかったのだが、日本ツアーのシーンが完全に削られていたとなって、やっとその意味が分かったのだ。

さて俳優だが、フレディ以外はずいぶんメンバーに似た人たちを集めたなと思う。特にベースのジョン・ディーコンなんかそっくり。クイーンのメンバーたちが女装して歌う”I want to break free”では、あのミュージックビデオがかなり正確に再現されていて、ロジャーは完全コピーだ。

当時のロジャーはすごくかわいくて本当に女学生に見えた。うちの父はフレディやロジャーの高音から、クイーンには女性が居ると思い込んでいて、アルバムの写真でロジャーを観て納得していたものだ。

ところで女装のアイデアはロジャーで、フレディが口ひげをわざと剃らずに女装したが、間に入ったバレエのようなシーンはフレディのアイデア。その場面ではちゃんと髭をそっている。そういうことも映画で言ってくれたらおもしろかったのに。

他のメンバー役の役者たちはすごく似ているのに、フレディ役のラミ・マレックは全然似てないし演技も下手。フレディがトルコ系だったから、人種が近い人を探したのだろうけど、別に似てなくてもいいからもっと演技のうまい人にやってもらいたかった。フレディが出っ歯だったので、マレックは多分付け歯を使ったのだろうが、それでセリフが言いにくそうだった。それに、フレディの男らしい勇ましさを全く感じられない小柄な感じに見えた。身長はフレディと同じなんだそうだが、どうしてあんなに小ぶりに見えたのだろう。やっぱりフレディの存在感を表すのは難しかったのだろうか。つまり、それだけ演技が下手だってことだ。

ただ、全体的にクイーンの演奏によるヒット曲がちりばめられており、特に最後のライブエイドのシーンでは本当に野外コンサートを観てるような迫力があった。クイーンファンなら音楽を聴くというだけでも観る価値はある。最後には一緒に「うい~あ~ざちゃ~んぴお~んず」と合唱しよう。

余談だが、80年代後半、アメリカでクイーンの人気が下火になっていた頃、自分の映画ウエインズワールドの一シーンにボヘミアンラプソディーを起用し、クイーンのアメリカでの人気を盛り返すことに貢献したマイク・マイヤーズがプロジューサーの役で出演している。

配役:
フレディー・マーキュリー:ラミ・マレック
ロジャー・テイラー:ベン・ハーディー
ジョン・ディーコン:ジョセフ・マツェロ
ブライアン・メイ:グイリム・リー


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フェミニストはトランスに仕えろ!フェミニストに完全服従を要求する女装男たち

もう数年前からMTFと呼ばれるトランス女(女装男)たちが生物学的な女子以外を女とは認めないと主張するフェミニストやレズビアンに圧力をかけているという話はすでに拙ブログでも何回かしてきたが、先日もそれにかかわる話題を二つ見つけた。

先ず東ミシガン大学はイーブ・アンスラー著の1994年作の戯曲で女性のセクシュアリティーを全面的に押し出した「バジャイナモノローグ」(膣の独白)を、トランス女性に対する配慮がないとして、今後上演しないことにしたと発表。ここ2~3年、アメリカではこの戯曲の排斥が広がっている。一時は女性の性解放を示すものとして大称賛され、どこの女性グループもこぞって上演したものなのだが、左翼社会のポリコレの変化はめまぐるしい。常にその時代にあった「政治的に正しい」ことをしていないと弾圧される。

さて、それに関連してハフィントンポストがすべてのフェミニストはトランス解放のため戦わねばならない」というオプエドを発表した。トランス連中は、特に女装男たちは、やたらとフェミニストを目の仇に完全服従を要求する。このコラムはその典型。

著者はセンティ・ソジワルという写真からみて明らかな黒人女装男。ソジワルは先ず11月20日はトランスの日だと発表。これは暴力によって殺されたトランスを追悼する日なんだそうだ。ソジワルによると2017年暴力的に殺されたトランスの数は29人と記録的な高さであり、特に有色人種の被害の割合が高いという。この数が多いか少ないかという判断は、他の人口と比べてみないと意味がない。

左翼の黒人が「パーソンオブカラー、色のついてる人」という時は、まず黒人と限定しており、ラテン系や東洋系は年頭にない。残念ながらアメリカ国内で暴力的な死を遂げる黒人の割合は多人種よりも圧倒的に高い。それは、黒人が集中しているシカゴやボルティモアなどで暴力的犯罪が集中して起きているからである。であるから、黒人トランス女が殺される割合が他の黒人男性の殺される割合と同じであったなら、彼の死の原因は必ずしもトランス差別によるものとはいえない。

ソジワルによると、アメリカにおいてトランスにおける失業者やホームレスや健康保険のない割合は非常に高いという。そうして彼らは人種差別やホモフォビアやトランスフォビアの性差別や階級差別といったあらゆる差別の対象となって苦しんでいるという。今日こうした非常に厳しい環境に直面しているトランスコミュニティーが出来ることは、団結してトランスが平等に生きられる社会をつくるべく作戦を立てることだという。

彼に言わせるとトランスになると突然差別されて貧困に陥るかのようだが、もともと労働意欲のない人間がトランスライフに魅かれるという可能性も考えられる。トランスでも普通に仕事をしている人はいるので(明らかな女装男のパイロットを私は見たことがある)なぜトランスに失業者やホームレスが多いのかという問題は真剣に考える必要がある。

トランス人権獲得のための第一の作戦としてソジワルが克服しなければならないと考えるのは、伝統的なフェミニストたちによるトランス(特に女装男)の拒絶意識だ。フェミニストたちは自分たちの空間から女装男を排除してきた。女性弾圧や男性社会における平等といった会話にはトランスが含まれることは先ずない。当たり前だろう、女装男は女じゃないんだから。

フェミニストたちがトランス拒否をしてきた以上、今後はフェミニストたちこそがトランス解放のために最前線に立って戦う必要があるのだという。

トランプ大統領就任を抗議した「女性行進」と呼ばれる左翼女性たちの行進で、女性器を意味する「プシーハット」と呼ばれるピンクの帽子も、ソジワルにあってはトランス差別の象徴。この行進には多々の人種の女性が参加したが、トランス女は含まれなかった。プシーとは膣の俗語であり、それを女性の象徴として活動するということは、膣をもたないトランスやノンバイナリー(男女どちらでもないと主張する変態性の人々を指す)を差別するものだというのである。

ここまで笑わずに読めた人は偉い。今風に言うなら「まじかよ」といった感じの屁理屈だ。ま、彼に言わせるとトランプ大統領はトランスコミュニティーにとっては非常に危険な存在であり、反トランプ活動にトランスを含まないのは差別だというわけだ。

しかし彼はトランス差別はトランプ政権で始まったわけではないと認める。男女差別の問題でトランスは常に会話から排除されてきた、ミーツー運動にトランス女が含まれないのはおかしいとか。

ソジワルはトランス(男女ともに)が性的暴力を受ける割合は非常に高いというが、彼の出す例は要するに売春に携わる人々だ。売春というのは元々危険を伴う商売だ。アメリカのほとんどの州で売春は非合法なので、セックスワーカーなどときれいごとを言っても、顧客には変態が多く、売春婦/夫が暴力を振るわれる可能性は高い。これも、トランスだから受けた暴力なのか、それとも売春婦一般における暴力なのかをきちんと区別しないと意味がない。

しかし、ここでソジワルが無視している現実は、フェミニストが最初に戦った男女差別は個人の選択によって起きたものではないということだ。女性差別は女性という持って生まれた性質によって差別されることであり、本人にはどうしようもない。だが、トランスは自分で選んだ生き方だ。男性優先社会だと本気で信じるなら、なぜ差別されるような女装をわざわざするのだ? 差別が嫌なら普通の男性のように振る舞えばいいではないか。なぜ女装してわざわざ危険な売春という仕事を選ぶのだ?

しかしソジワルは、トランス弾圧を無視する人間にフェミニストを自称する資格はないとまで断言する。特にフェミニストたちのなかでもいまだに勇敢に女装男は女ではないと主張している一部の女性たちのことを彼は「TERFs、トランス排除的過激派フェミニスト」と呼んで侮蔑する。彼はこうした正常な女性たちは右翼保守の家族主義の人々よりもトランスにとって危険な存在だとしている。当然だ左翼同士での亀裂の方が右翼への敵対心より深刻なのは常にあること。

最近のフェミニストたちは全く不甲斐なくトランスの圧力に負けているが、それでもソジワルに言わせれば、まだまだ足りないというのだ。ソジワルにとってフェミニストたちの完全服従がない限り、トランスの人権が守られたことにはならないからだ。まったくなんという男性至上主義!これこそミソジニーだ。

私がトランスコミュニティーに全く同情できないのは、これは彼らが選んだ道だということ。自分らで人に嫌われる行為を選んでおいて、受け入れられないから差別だ、受け入れろと要求するのは理不尽だ。しかも自称トランス女という女装変態男による性犯罪は頻繁に起きている。明らかな男を女性施設に立ち入らせる危険はすでに顕著に表れている。そういうことを常に要求して、やれ平等だやれ人権だと騒ぐ奴らは本当にうっとうしい。

勇ましいことを言っていても、結局アメリカのフェミニストなんてだらしない女たちの集まり。女装男たちのこうした圧力に戦えるのはほんの一部の伝統的フェミニストおばさんたちだけ。まったく情けないもんだ。


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舞台:同性愛を全面的に出し過ぎた「ドリアン・グレイの肖像」

19世紀の詩人オスカー・ワイルドが書いた唯一つの小説として有名な「ドリアン・グレイの肖像」を地方劇団の舞台で観て来た。あまりにもローカルな話題なので劇団名を紹介しても意味ないかもしれないが、一応ノイズ・ウィズインという劇団の公演で、動画広告のリンクはこちら

あらすじ:舞台は19世紀のロンドン。画家のバジル・ハルワードは素晴らしい美貌を持つ青年ドリアン・グレイの神秘的な魅力に魅せられその肖像画を描く。バジルの友人ヘンリー(ハリー)・ワットン卿は画家の部屋でモデルをするグレイに遭遇。若さと美しさのみに価値があるとハリーに言われ、自分の代わりに肖像画が年をとればいいのにと願うドリアン。その後ハリーの悪影響で堕落したデカダンスな生活を満喫するドリアンは、いつの間にか自分ではなく肖像画が年を取っていくことに気が付く。しかも自分がなにか悪行を犯す度に、肖像画は醜くなっていくような、、、

有名な話なので何度も映画化や舞台化されている作品だが、こういうクラッシックも現代的な価値観で観るとずいぶん違った舞台になるものだなと思った。オスカー・ワイルドがバイセクシャルだったことは有名だが、だからといって彼の作品に同性愛色が濃いと考えるのは短絡的な発想だ。原作を読んでもドリアン・グレイが同性愛者だったという描写はないし、ましてやハリーやバジルに限ってはそんな気配すらない。だが、この舞台では、女性を除く男性の主要人物はすべてゲイであるという設定になっていた。

先ず最初のシーン。まだドリアンが登場する前の場面で、バジルがドリアンの肖像画を描きながら、ドリアンとどのように出会ったかという話をハリーにしているときの回想シーンでは、バジルとドリアンがほぼ顔と顔を突き合わせるようにして立っている姿が登場する。明らかに二人の間に同性愛的な興味が生まれたという描写だ。そんな話をしている時にドリアンが登場。ドリアンの美貌に一目ぼれするハリーの前でドリアンはさっさと衣服を脱ぎ捨て素っ裸になって壇上に立ちポーズをとる。言っておくがこれは舞台なので(私は最前列だった)素っ裸の姿は観客全員の前でということになる。

別に役者が脱ぐこと自体は問題ではないが、この場面でドリアンが裸になる理由がよくわからない。19世紀の時代的背景から言って貴族の男性が自分の肖像画に裸でモデルになるというのは先ず考えられないからだ。

ま、それはいいとして、ドリアン・グレイの悲劇はジキルアンドハイドと非常に似ている。舞台は同じくビクトリアン時代のロンドン。何故この時期が大事なのかというと、当時のイギリスの上流階級はビクトリア女王の潔癖主義影響を受けて男も女も非常にお行儀のよい行動をすることが求められていた。結婚している夫婦のセックスですらも必要悪と思われていたくらいなので、婚外交渉などもっての他であったし、ましてや同性愛など完全に違法。事実、著者のワイルドはその趣味が原因で刑務所送りになったくらいだから。

そういう時代なので、社会が許さない価値観でドリアンを誘惑するハリーの存在は重要なのだ。ハリーは美しく潔癖なドリアンを自分の自堕落で邪悪な世界に引き入れようと誘惑するのである。彼はドリアンを自分の愛人にしようと誘惑しているわけではない。ここで二人の関係を同性愛で引き寄せられたかのように表現すると、ハリーが代表する邪悪な世界の危険性が薄れてしまう。

またバジルがドリアンとハリーが仲良くなりすぎることを警戒するのも、バジル自身が善良な人間なので、ドリアンがハリーの悪影響にそまってしまうことを恐れているのであり、自分が片思いするドリアンをハリーに盗られてしまうという嫉妬と描かれるべきではない。

ドリアンが同性愛行為をしたり、その魅力で男性を誘惑すること自体は問題ないだろう。なぜなら当時の価値観から言えば、同性愛による誘惑は邪悪で変態的なものと受け取れるからで、他人を堕落させるドリアンの行為としては納得がいくからだ。しかし、それはドリアンが同性愛者ではないという前提があってこそ成り立つ理屈であり、彼が実際に同性愛者だったらこれは意味がない。

この舞台で一番気になったのは、肝心な肖像画が全く描かれていないということだ。これは意図的なものだというのは解るのだが、わざと等身大の額縁だけを見せ、額縁の向こう側で数人の黒服の男女がひそひそ声でドリアンやハリーのセリフを繰り返す。おそろしく変貌した自分の作品を見てバジルが驚愕するシーンでも絵そのものは見せない。

ドリアンの代わりに絵が変わっていくという話なので、絵がどのように醜くなっていくかを示さないとこの物語の一番肝心な部分が抜けてしまう。いったいバジルは何にそれほど驚愕したのか、ドリアンがこの絵を恐れて屋根裏部屋に隠してしまうのは何故なのか、やはりその中身を見せないと意味がない。

カカシ注:この先はネタバレ

遂に自分の犯した悪行の数々に罪悪感にさいなまれたドリアンが、醜く変貌し自分の魂を映し出す肖像画を破壊しようとする。しかしその途端にドリアン自身が醜い姿へと変貌し、肖像画は昔の美しいドリアンの姿へと戻る。

最後のシーンは醜く変貌したドリアンの死体を使用人が発見するという、ジキルとハイドと非常に似たような場面になるのだが、この舞台ではまたまた主役が素っ裸になって額縁の中に立ち、年寄りの俳優が床に横たわっていた。しかし年寄りの俳優は年はとっていたが特に醜くもなく、観客にショックを与えるような姿ではなかった。

醜い絵を破壊しようとして自分が破壊された時のドリアンは吐き気を催すほど醜い姿でなくてはならない。ここでも単に肖像画はドリアンを若く保つためだけのものだったと描写されていることに不満を覚えた。

同じ題名で日本でも舞台化されたようだが、あらすじを読む限り中身は全然違うようだ。

配役:

ヘンリー・ワットン卿:フレドリック・スチュアート
バジル・ハルワード:アミン・エル・ガマール
ドリアン・グレイ:コーリン・ベイツ


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一連の防弾少年団騒ぎはKPOPだけの問題じゃない

最近韓国のボーイバンド防弾少年団(通称BTS)が原爆モチーフのTシャツやらジャケットやらを着ている写真が浮上して問題になり、日本のテレビ局出演を次々にキャンセルされた。加えて何年か前にナチスのSS制服さながらの恰好でスワスティカに酷似したデザインの旗を振りまくる演出をコンサートでしていたことが発見され、アメリカのユダヤ人権団体から謝罪要求されるなど、かなりの大騒ぎになってしまった。

視聴者からの批判を受けて日本のテレビ局から釈明の詰問があった時は全くダンマリを決め込んでいたBTSの事務所も、国際的人権団体からのクレームは無視できなかったようで、やっと謝罪表明をした

韓国の男性音楽グループ「BTS(防弾少年団)」の所属事務所は13日、過去にメンバーが原爆投下の場面がプリントされたTシャツを着用したり、ナチス親衛隊の記章をあしらった帽子をかぶったりしたことに端を発する一連の騒動について、不快感を与えたとして謝罪を表明した。

事務所が公式SNSアカウント上でコメントを発表し、不快感を与えたとして謝罪した。原爆被害者やナチスの被害者を傷つける意図はなかったと説明。今後は今回の問題を改善するために最善の努力を行うとしている。

こういうのをToo little too late(不十分なうえに遅すぎる)というのだ。

私はもともとアメリカのポップチャートには興味がない。ましてK-POPなんて全然興味がない。それでこんなバンドがアメリカのビルボードでアルバム売上第一位になったなんて話は全然しらなかった。ただ、最近アメリカの普通のスーパーで朝鮮語のポップ曲がやたら流れてるなあという印象はあったが。(個人的にボーイバンドの面々はなよなよしすぎで全員ゲイに見えるので全くタイプじゃない。)

今回の件において明らかになったのはBTSがどうのこうのというよりも、韓国の国を挙げての反日主義及び国際意識の乏しさだ。韓国は国をあげて芸能産業を押しておりアメリカでも多大なる宣伝費を使ってボーイバンドやガールバンドを売り出している。だがその割には世界市場でどのように振る舞うべきかという常識に欠けている。これは別に彼らが実際に礼節正しい人間であるべきという意味ではなく、世界市場を目指すならば特定のファンを侮辱するような行為は商売上愚かだという意味。

興味深いのは、BTSの事務所は日本のテレビ局からの問い合わせに誠意を持った説明をしなかったことだ。それによって日本における数々のテレビ出演が見送りになることを承知の上でだ。いくらアメリカで売れているからといって日本市場を疎かにするのは愚かだと思うが、事務所の意識としては、すでにアメリカ市場で売れているから日本なんか目じゃないという奢りがある。この判断は後で必ず付けが回ってくると思う。日本のファンは自分たちがどれだけコケにされているかを悟るべきなのだが、彼女たちの振る舞いを見る限りそれは望めそうにない。

しかし、さすがに世界的な市民団体から苦情が出ては謝罪せざる負えなくなったのだろう。それにしてもそのタイミングが遅すぎる。日本のSNSでナチスモチーフの衣装や演出が取り上げられた時に、すぐに釈明なり謝罪なりしてしまえばよかったのに、日本人の言うことなんか放っておけばいいという傲慢な態度が裏目にでて、世界中にその話が広まってしまった。ネットの時代に話が広まるのは早い。国内ファンのためだけにやってた反日や反ユダヤ活動がよそに聞こえて行かないと思う方が甘い。

はっきり言って事務所の謝罪には全く誠意がこもっていない。彼らが反日なのも反ユダヤなのも間違いないが、それが国際社会に認められない意識だということすら解ってない。だから謝罪や釈明のタイミングがピントずれしてるのだ。

さて、問題なのはBTSが反日だということではなく、日本社会が日本で反日行為をする外国人を何故受け入れる必要があるのかということだ。KPOPファンが彼らのCDを買いコンサートに行きたいと思うのは勝手だ。しかし日本政府が彼らを入国させなければいけないという云われはない。

韓国では日本語の歌詞で歌を歌うことすら許されていない。旭日旗はスワスティカと同じだと言ってハリウッド映画の広告まで変えさせたりする。どうしてそんな国の芸能を日本が歓迎する必要があるのだ?

はっきり言って日本政府も日本社会も韓国の横暴に遠慮しすぎる。彼らが積極的にジャパンバッシングをするなら、日本もそれなりの報復をすべきだ。BTSがキノコ雲シャツに関する納得のいく釈明をしないなら、彼らの入国を拒否するくらいの強硬姿勢をとってもいいはず。確かに日本の興行主がそれによって大痛手を食うことになるが、韓国タレントを招待するのはリスクが大きいという前例を作っておくのも悪くはない。コンサートに訪日した歌手が麻薬などを持っていて入国を拒否された例もあるので、ファンの人たちには、そういう人間を支持するからこういうことになると理解してもらうしかない。

最近韓国の最高裁が徴用工の訴訟を認めたが、原告の弁護士が日本に来て新日鉄住金に賠償金の請求を拒否され差し押さえに入ると息巻いている

【東京聯合ニュース】韓国の大法院(最高裁)が新日鉄住金に対し、日本による植民地時代に強制徴用された韓国人被害者に賠償を命じる判決を下したことを受け、被害者側の弁護士は12日、新日鉄住金(旧新日本製鉄)本社を訪問したが、同社関係者との面会はかなわなかった。(略)

(弁護人を務めるイム・ジェソン氏、キム・セウン氏は)建物の前で待っていた記者に対し、新日鉄住金側が面会自体を拒否したことに不快感を示した上で「賠償計画を明らかにせず、交渉にも応じないことから、計画通り新日鉄住金の韓国内の資産差し押さえの手続きを踏む」と説明した。

もし、韓国政府がこの差し押さえを許したら、韓国から日本企業は引き上げざる負えないだろう。これは新日鉄のみの問題ではないからだ。韓国政府が日本側に因縁をつけて日本資本の企業を次々に差し押さえ始める可能性はいくらでもある。慰安婦保障で味を占めた韓国は徴用工などという云いがかりを付けてきたのだから。次には何を言い出すか分かったものではない。

大事なのは日本がそれに対してどう対応するかということ。これは無視ではなく、日本にある韓国企業や韓国人労働者や留学生などに対し厳しい規制をする必要がある。いつまでも日本は韓国の横暴におとなしく対応していてはだめだ。そっちがその気ならこちらにも考えがあるという姿勢を示さなければならない。

BTSのような、たかだかボーイバンドが何故日本をここまでコケにしているのかといえば、これまでの日本の対応があまりにも軟弱だったからだ。

外国に住んでいて腹立たしく思うことは、韓国人は日本人のふりをして日本文化を我が物顔で乗っ取ってその評判を落としているということ。アメリカにおける80%の日本食レストランは韓国人か中国人経営で、日本食とは程遠いものを出して日本食の評判を落としている。海外で行われる日本フェアでも韓国の粗悪商品を日本のものであるかのように売って日本商品の評判を落としている。

そろそろ日本はこういう韓国に報復してもいいころだ。いや、報復すべきなのだ。韓国は国をあげてジャパンバッシングをしているのだ。これは民間企業や個人レベルだけで対抗できる規模ではない。日本政府はそのことに早く気付いてほしい。


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