テキサス州公認イスラムの日を妨害したおばちゃんに、よくやったと声援を送ろう!

先週木曜日(1/29/2015)テキサス州オースティン市で開かれたテキサス首都イスラム教徒の日の11周年記念式典が、地元主婦の飛び入り抗議で一時妨害されるという事件が起きた。このおばちゃんは式典のマイクをもぎとって「モハメッドは似非預言者だ、イスラムによる合衆国独裁は絶対にない、テキサスの独裁はわれ等が神のお導きによって断じて許さない!」と叫んで立ち去った。
あっぱれ、おばちゃん!
欧米諸国のメディアや政府がイスラム教に遠慮して何も言えない時代に、たった一人の主婦がイスラム教徒の式典を妨害するとは、なんたる勇敢な行為だろう。
あれ、ちょっと待ってよ、カカシさん、あなた言論の自由はどんなものでも守るべきという立場だったのではないの?
と聞かれそうだが、ことイスラム教に関してはそんな礼儀は必要ないと思う。なぜならば、他人の言論の自由を尊重するという行為は一方通行であってはならないからだ。自分らへの批判を暴力で威嚇し脅迫し弾圧するような宗教団体は、言論の自由を守られる権限を自ら放棄したものと見るべきである。
それに、だいたいどうしてテキサス州には政府公認のイスラム教の日なんてものが存在するのだ?他にもカトリック教の日とかクリスチャンの日とかユダヤ教の日とかあるのか?かなり疑問だ。はっきり言って政府がスポンサーになってある特殊の宗教を讃える日など作ったら、無宗教団体が放っておかないはず。イスラム教の式典だけは黙認する無宗教運動家らの偽善にも呆れるね。
もっともこの日が政府公認の公式な日なのかどうかはわからない。アメリカのイスラム教団体CAIRが勝手につくった日なのかもしれない。
で、この日はテキサス中から集まったイスラム教徒が州政府の議員たちの事務所を巡って色々意見を言う日らしい。そこでテキサス州下院議員のモリー・ホワイト女史は、議会が休みで地元に帰っているため、留守を守る自分の事務所職員に事務所訪問をするイスラム教徒らにあるメッセージを托して行った。ホワイト議員はそれを自分のフェイスブックに記している。
「今日オースティン市では、テキサスイスラム教徒首都の日です。下院議会は月曜日まで休会です。私も含めほとんどの議員たちは地元に帰っています。私は自分の事務所の受付にイスラエルの旗を掲げ、スタッフにイスラム共同体の代表が来たら、彼らにイスラムテロリストを糾弾しアメリカとアメリカの法律に忠誠を誓うよう求めるようにと指図してきました。彼らがいつまで私の事務所に留まるか身物です。」
さらにホワイト議員は、
「いいですか、コーランでは、イスラム推進のためには嘘をついてもいいことになっています。テキサスに来て、アメリカ社会やアメリカのしきたりに融和しようとせず、自分らの文化を押し付けようとする少数派の行為を許してはなりません。それはアメリカに移住したほとんどのイスラム教徒の意図ではないはずです。」
この議員の要求はそれほど理不尽なものとは思えない。テロを糾弾してアメリカに忠誠を誓えということのどこがいけないのか、などという常識はイスラム教過激派や左翼リベラルには通用しない。
すぐさま、ホワイト議員はイスラモフォビアだ、これはヘイトスピーチだ、と言う批判があがっている。
「あなたが本気でこんなに空気が読めないなんて信じられない」とファティマ・アクメッドというコメンターは書く。「クリスチャンとは思えないくちぶりね。私たちは団結してあなたを訪問してあなたの憎しみを愛のシャワーでお返しするわ。イエス様ならそうされたように、もっともあなたはそんなこと知らないでしょうけど。」といいつつも、ツイッターのハッシュタグは#Islamophobia #Bigotry #MollyWhite #TAKEONHATE.”
イスラム教徒への批判は常に「イスラモフォビア」「偏狭者」「ヘイトスピーチ」という言葉で叩かれる。これらの言葉を正しく翻訳すると、「黙れ、黙れ、黙れ!」である。
別のコメンター、ケリー・ファイファー「イスラムのラベルの影に隠れる過激派のように、キリスト教のラベルの影に隠れる過激派も存在するようね。」と書く。
「次には首都を訪れる白人にKKKを糾弾するように要求したら?その際にはスタッフにユーチューブビデオを撮るように言っといてね。私観るから」と書いたのはローラ・ライト。
これらのコメンターたちはホワイト議員の意図を理解できないのか、でなければわざと理解できない振りをしている。ホワイト議員が要求していることは、テロリズムを糾弾しアメリカの法律に忠誠を誓えというアメリカ人に対してならごく普通の要求だ。ローラ・ライトが要求するようなことは特に白人に要求する必要はない。なぜならば普通の白人にKKKという白人崇拝の人種差別団体を糾弾しろと要求したら拒絶する人などいないからだ。
CAIRをはじめアメリカ在住のイスラム団体が、常にイスラム教テロリストを糾弾し、アメリカの文化や法律に敬意を評しているならば、ホワイト議員の発言など最初から必要ない。イスラム教への批判をヘイトだと言って騒ぐ前に、イスラム教の名のもとに国内国外において残虐行為を繰り広げるイスラム教「過激派」とやらを批判してはどうなのだ?
たとえば、イスラムの日の式典で、先ずは「星条旗よ永遠に」を歌い、アメリカ国家忠誠の言葉で続け、イスラム教テロリスト糾弾演説でもするというなら誰も問題ないはず。それが、ことあるごとにアメリカ社会でシャリア法を設立しようとしたり、ちょっとでもモハメッドの批判があると町に繰り出して暴力行為を行なったり、国内国外でイスラム教の名のもとに起きている残虐行為を表立って批判しないどころか、テロリストがアメリカ人を殺害する度にアメリカ国内でお祭り騒ぎをしているのでは、どんな批判をうけても文句は言えないはずだ。
はっきり言って、イスラム教テロリストはイスラムのラベルの影になど隠れていない。隠れるどころかイスラム教を誇りに思ってイスラムの旗を掲げておおっぴらに大量殺害を行なっている。それに奴らが過激派だというなら、穏健派はどこにいるのだと聞きたい!キリスト教の過激派がどこかでテロなど行なったら、世界中のキリスト教徒が糾弾すること間違いなし。カトリック教神父らによる未成年者への性的虐待など法王自らが糾弾して罰しているではないか?イスラム教徒の悪行をイスラム教内部で告発している人などいるのか?
ホワイト議員はこれらの批判に対してかなりの強気だ。「私は上記の発言を謝罪する気持ちはない。あなたがたがアメリカを愛しアメリカの法律に従いイスラム教テロリズムを糾弾するのであれば、あなたがたをアメリカ人の同胞として暖かく受け入れる。そうでないなら受け入れられない。」
CAIRはテキサス下院議長のジョー・ストラウス議員にホワイトの発言は下院議会の規則に反する人種差別であると抗議の手紙を提出した。CAIRは言うまでもないが、エジプトのイスラム同砲軍の仲間でテロリスト団体である。アメリカ国内では善良な市民団体であるかのように振舞うが、実際にはアラブのテロリストに資金援助をしている悪質なテロ団体だ。奴らは左翼リベラルがよく使う「イスラモフォビア」だの「ヘイトスピーチ」だのという言葉を使ってイスラム批判を弾圧することに余念がない。
残念なことにアメリカメディアはこういう言論弾圧を率先してやっている。最近は日本でもヘイトスピーチ法なるものが真剣に取りざたされているというが、ヘイトスピーチと指定されて弾圧されるのは右翼や保守派のスピーチと相場は決まっている。そんな法律を通せばいずれは在日の「ザ」の字もいえなくなるだろう。
ところで、イスラム教の日を妨害した女性は、この日に抗議に現れた数十人のキリスト教信者の一人だったようだ。この式典は11年も続いているが、抗議者が来たのは今年がはじめてだったという。全国でこのような抗議がしょっちゅう起きることを望むものだ。


Comment

アメリカ一の英雄狙撃手「アメリカンスナイパー」を臆病者と呼ぶ馬鹿どもに見せたいね

クリント・イーストウッド監督のアメリカンスナイパーが今売り上げナンバー1になってる。この間のローンサバイバー同様、アメリカ海軍の特別部隊シールメンバーの自叙伝を元にした映画である。そしてローンサバイバー同様、断じて見るべし、カカシお薦めである。
カカシにとってアメリカンスナイパーとローンサバイバーの共通点は、映画になる前から主人公になった当人のことを知っていたということ。無論個人的な知り合いではないが、ずっとイラク・アフガン戦争を追っていたことから、彼らの名前は当時からニュースやブログで読んでいたからである。
アメリカンスナイパーの主人公クリス・カイルは以前にテレビのリアリティショーで芸能人と一緒に戦闘ゲームに出演したことがあり、保守派政治評論家のサラ・ペイリンの夫で犬そりレースのプロでもあるタッド・ペイリンがカイルのパートナーだったように覚えている。その番組を観てわたしはクリス・カイルがアメリカ一の狙撃命中記録を持つシールであることを知ったのだ。
この映画にはとくにあらすじというものはない。カイルはなんとイラクに四回のツアーを果たして生き残って帰ってきた男。しかも最初の出動後は辞めてもよかったはずなのに、その後も志願してわざわざ危険な場所へ行き、多くの海兵隊員たちの命を救った。この映画はそれぞれのツアーで起きた出来事のハイライトの集まりといっていい。
戦闘シーンは非常に現実味があり、その場にいる兵士たちがどれだけ短時間に状況判断をしなければならないかが切羽詰って伝えられる。自叙伝とはいえ、これは映画であり今現在起きていることではないとわかっていながら、私は自分がその場にいるかのように緊張した。実際に本人が帰国して自叙伝を書いたくらいだから、カイルは生きて帰ってくると解っているのに、それでも彼の身が案じられる。そこまで現実的な映画なのだ。
私は以前からビル・ロジオやマイケル・ヨンによる従軍記者の記事を読み漁っていたので、映画の一シーンで民家に隠れているテロリストを襲撃したときの状況などは、私が以前に読んだ記事を映画化したかのように、私が自分のなかでイメージしていた戦闘がそのまま展開されていて非常に奇妙な気持ちになった。
アメリカンスナイパーは最初の週末で売り上げ9千万ドルという快挙。普段なら夏休み封切りの高予算映画のみに期待されるような数字で、同時期に公開されたピーター・ジャクソンの「ホビット」の売り上げを上回った。クリント・イーストウッド監督のこの地味な映画は1月の穴埋め的な存在で、この二分の一の興行成績も期待されていなかったという。
この映画の予想外の大人気に左翼リベラルたちはかなり怒っている様子で、左翼プロパガンダ専門映画監督のマイケル・ムーアなどは、「狙撃兵は臆病者だ!」とツイッターで発言し、非常な顰蹙を買い、テレビのトークショーなどで散々叩かれた。またこの間北朝鮮の党首暗殺映画「インタビュー」を製作主演したセス・ローガンもナチスのプロパガンダを思わせるとツイッターで発言。これもまた非常な批判を受け、「思わせる、と言っただけで同じだとは言ってない」などと言い訳せざるおえなくなった。
一般に、イラク・アフガン戦争に関するハリウッド映画は反戦テーマでアメリカ軍を悪玉にするものがほとんどである。これらの反戦映画の興行成績は至って悪い。それについてハリウッド映画関係者はこれはいかにブッシュ大統領の戦争が不人気であったかの証拠だと言っていた。だがシールチーム紹介映画の「アクトオブベイラー」やちょっと前の「ローンサバイバー」や今回のような「アメリカンスナイパー」といったハリウッドの基準から言えば比較的低予算でも、アメリカ軍を善玉にした映画は大人気になる。アメリカの観客は戦争映画が嫌いなのではなく反戦映画、特にアメリカ軍を悪玉にした映画、が嫌いなだけでアメリカ軍がヒーローになる映画なら好んで観るというのが現実なのだ。
この映画はプロパガンダだと言う馬鹿どもがいるが、映画は単にカイルの狙撃の腕自慢だけで終わっていない。いかにアメリカ軍のイラクでの戦争が輝かしいものであったかというような描写もされていない。
地上で繰り広げられる混乱に満ちた戦闘のなか、カイルとパートーナーは屋上から周りを偵察。海兵隊員を待ち伏せしようとしている戦闘員を標的に冷静に殺していく。ただ、問題なのはテロリストは女子供を自爆攻撃に使うので、ロケット手榴弾を持った子供が米軍兵に近づけば、相手が子供でも殺さなければならない。カイルはそのことを決して軽々しくは感じていない。
やはり志願した弟と中途の飛行場でばったり出会ったとき、弟は戦場から母国へ帰還する途中だった。久しぶりに再開した兄に対してうれしそうな顔もしない弟。「こんな場所はくそ食らえだ」と完全に戦争に嫌気がさしている様子。そんなところに何度も志願して出かけていく兄の気持ちは理解できないようだった。
しかしカイルの心にも戦場でのストレスは大きな影を落としていた。四回のツアーといったが、数ヶ月に渡る出動期間を終えて自宅に帰ってくるカイルは、その度に戦場と現実とを切り離すことに苦労する。妻や子供と一緒に居ても、心はどこか遠くに離れているのを妻は感じている。そしてそれが帰ってくるたびに悪化していくことも。最後のツアーを終えて、もうこれで戦場には行かないと決心して帰ってきた時、カイルはあきらかにPTSD(心的外傷後ストレス障害)にかかっていた。
妻のすすめで精神カウンセラーのもとへ相談に行ったとき、カイルはカウンセラーから「戦場でやらなければよかったと後悔していることはあるか」と聞かれ、「やったことで後悔していることはない。ただもっと仲間の命を救えなかったことを後悔している。」と語るところが反戦映画とはまるで違うところだなと思った。
確かに戦争は凄まじい。対テロ戦争は相手が相手だけに醜く悲惨だ。だが、カイルの悩みは殺した敵に対する罪悪感などというものではなく、救えなかった多くの同胞の命に対する後悔だった。そこでカウンセラーは軍事病院には彼が救える軍人がいくらもいると指摘する。
数年前に内地で「あなたに命を救ってもらった、あなたは私の英雄だ。あなたに救ってもらった仲間がたくさんいます。一度軍事病院にも来てください。」と言われたとき、自分の心に惑いのあったカイルはそのまま病院には行かないで居た。しかし、今回カウンセラーのすすめで軍事病院で負傷兵たちの話を聞いたり、彼らの復帰の手伝いをしているうちに、彼の心も救われていくのだった。
カイルの心が救われていくにつれ、観客の我々もほっと息をつく。
命がけで自由と平和を守ってくれているアメリカ軍に感謝の意を評したくなる映画である。是非お薦め!
キャスト
ブラッドリー・クーパー
シエナ・ミラー
ジェイク・マクドーマン
ルーク・グライムス
ナビド・ネガーバン
キーア・オドネル


View comments (4)

イスラムテロリストに同情する日本左翼の反応にちょっとびっくり

この間コメンターの方から日本でもヘイトスピーチを規制しようという動きがあるときき、ちょっと検索してみたらかなり深刻な状態になっているように思う。アメリカではヘイトスピーチとは右翼保守の発言であり、ヘイトスピーチコードといえば右翼保守の言論弾圧に他ならない。たとえば、この間から騒ぎになっている黒人による白人警官への憎しみに関するスピーチ「白人警官を殺せ」はヘイトスピーチとは言われないが、保守派が「警官に呼び止められたくなかったら黒人は普段から犯罪をおかさないべき」とか言ったらヘイトスピーチといわれること間違いなし。で、日本でもヘイトスピーチ規制は右翼保守の言論弾圧に使われつつあるように思う。
今回のフランスでのテロ事件において、何故か被害者のシャルリエブドやユダヤ系スーパーで人質になったユダヤ人四人及び警官ひとりへの同情よりも、被害者にも責任があったとしてイスラム教テロリストに同情する人間が日本にもかなりいるらしいということが解った。そして日本でも言論の自由の何たるかを根本的に理解出来ていない人が結構いるということもわかって苛立ちを覚えている。こんな意見はその典型

襲撃された新聞社が、どんな発信をしていたが故に襲撃されたのか。
表現の自由を守れ、というその守られた表現が何であったのかの考察は、しなければならないだろう。でなければ、在特会の表現の自由を守れ、と同じ話になってしまう。

では何かな、シャルリエブドが描いた内容によっては殺されても自業自得だとでも言いたいのか? そして笑ってしまうのは在特会の表現の自由は守らなくてもいいのだと簡単に結論づけてしまうところだ。在特会という団体がどういう性質のものかは知らないが、たとえこの団体がニオナチのような人種差別主義団体であろうとも、彼らの表現の自由は守られなければならない。言論や発言者によって言論や表現の自由を規制しても良いと言うのであれば、本当の意味での言論の自由は存在しないことになる。
さて、このフェイスブックを書いてるヨヘイミヤケなる人がリンクしたこちらのサイトは、いわゆる「テロは悪い、だが、、、」の部類。

言うまでもなく、襲撃犯たちの残忍な殺害は、許せないし糾弾されなければならない。それは大前提だ。その上で、私には、どうしても消せない疑問が残るのだ。そして世界中に「言論の自由を守れ!」の声が大きくなるにつれ、私の疑問は次第に増幅していく。それはあの「シャルリー・エブド」の「表現」は、ほんとうに「守れ!」と叫ぶべき「言論」だったのかという疑問である。私は、「朝鮮人を殺せ!」と公然と叫ぶ「在特会」(在日特権を許さない市民の会)が、それを非難する声に「表現の自由だ」と反論する姿を思い起こしてしまうである。

前にも書いたが、言論の自由によって守られない発言は幾つかある。それは、

  1. 暴力を誘発する発言。つまり「朝鮮人を殺せ」などと言って人々を扇動して特定の人々を殺す、もしくは傷つけようとする行為は基本的に言論の自由としては守られない。
  2. 劇場など多くの人が集まる場所で起きてもいないのに「火事だ」とか叫ぶ行為。多くの人をパニックに陥らせることが目的の発言は言論の自由としては守られない。
  3. 他人に冤罪を着せる発言。特定の人に犯してもいない犯罪の罪を着せ「カカシは幼児虐待をしている」などといって触れ回る行為は言論の自由としては守られない。

これ以外の発言、たとえば「旭日旗はナチスのスワスティカと同じだ」「天皇はアホだ!」「朝鮮人は皆野蛮人だ」「日本人は朝鮮女性を性奴隷にした悪魔だ」といった発言は、それがいかに下品で侮辱的で他人の感情を逆撫でする行為であろうとも言論の自由として守られなければならないのだ。
さて、トシクニドイという人間がさらに引用している高林敏之氏(西サハラ問題研究室主宰・早稲田大学理工学術院非常勤講師)のブログにおける「シャルリー・エブド」の「表現」については私は特に興味がない。何度も言うように内容は問題ではないからである。ただ「テロは悪い、だが、、」のこの部分がおかしいので引用する。

 「オランド仏大統領は事件を『表現の自由への攻撃』『野蛮なテロ行為』であると非難し、『フランスは団結した国だと示さねばならない』と呼びかけたのだそうだ。
 この事件は例えるなら、『朝鮮人を殺せ』『汚鮮』『慰安婦は売春婦』などというヘイトスピーチを繰り返す在特会に対し、警察や司法が何らの措置もとらない(日本など京都朝鮮学校襲撃事件の有罪判決が出たのがまだ救いだが)ことに絶望した在日コリアンの誰かが、思い余って在特会の事務所を襲撃し幹部らを殺すようなものだ。
 もし本当にこんな事件が起こったなら、殺人を起こしたこと自体はしかるべき裁きを受けねばなるまいが、その心情は充分に理解可能だし、ましてや在特のヘイトスピーチと差別主義が免罪されるわけはない。それを『表現の自由』『集会・結社の自由』に対する『野蛮なテロ攻撃』だから、これに反対して『日本は団結した国だと示さねばならない』などと首相が言い出すようなら、在特のようなレイシスト集団はやりたい放題だ。
 オランドの発言はまさにそれと同じである。彼はフランス国民にいかなる『団結』を呼びかけているのか?イスラーム教を侮辱し、ムスリムを傷つけ、それに対するムスリムの抗議を排斥するための『団結』なのだろうか?

前にも述べたとおり、私は在特会の性質を知らないので彼らの言動について特に意見は持っていない。ただ、「朝鮮人を殺せ」という発言以外の、『汚鮮』『慰安婦は売春婦』という言葉遣いをヘイトスピーチと決め付けることに関して、やはり日本でもヘイトスピーチ規制は右翼保守の言論弾圧に使われるだろうと確信する。
この高林敏之なる人間は、世界中のイスラム教徒がイスラムの名の下でどれほどの悪行を行なっているのか知っているのだろうか?
イスラムは平和の宗教だと人は言う。テロは一部の一握りのイスラム教過激派によって起されていることだから、イスラム教徒というだけで差別すべきではない。イスラム教テロの脅威を指摘することはイスラモフォビアなのだという。
だが私は忘れない。911事件直後、在米イスラム教徒がアメリカの街中で祝福のお祭り騒ぎをしたことを。世界中のイスラム圏でテロを祝うドンちゃん騒ぎが行なわれたことを。彼らは無実なのか?無関係なのか?
もしも今回のパリのテロ事件が一部の過激派の仕業だというなら、何故世界中のイスラム教徒がこの凶悪犯罪を糾弾しないのだ?それどころかイスラム圏諸国で「よくやった」といわんばかりの賞賛が聞かれた。そのことを高林なにがしはどう説明するのだ、それでもイスラム教批判はイスラモフォビアの人種差別だというのか?彼らが直接関与せずともテロリストの行動を賞賛するなら彼らも同罪ではないのか?
シャルリエブドの下劣な漫画がテロにあっても自業自得だというなら、日がな夜がな非イスラム教徒は地獄に落ちろとキリスト教徒やユダヤ教徒を虐殺しまくっているイスラム教徒が西洋諸国から戦争を挑まれても文句は言えないはずだ。何故イスラム教徒の暴力は容認して、非イスラム教徒の言論の自由は弾圧してもよしとするのだ?
何度も言うが、私は在特会なる団体の実質をまるで知らない。だが、左翼リベラル連中がこうも必死に黙らせたいと思っている団体なら、彼らの言い分は一読の価値ありと見た。


View comments (2)

パキスタンのキリスト教夫婦、生きたまま焼き殺される!誰にって、きまってるだろうが

パキスタンのイスラム教居住区に住むキリスト教徒の若い夫婦がコーランの一部ページを焼いたとして、1200人の暴徒に襲われ生きたまま焼却炉に放り込まれて焼き殺されるという事件が起きた。先日紹介した記事の著者ハサンが、なぜ何時もイスラムだけが暴力的な宗教として取りざたされるのかと質問していたが、こういうことをやるからだよ!
夫サジャード・マシー(Sajjad Maseeh)27歳、妻シャーマ・ビビ(Shama Bibi)24は、1200人のイスラム暴徒に取り押さえられ、逃げられないように脚の骨を折られた。暴徒は二人の腕と脚をレンガ造りの焼却炉のうえにかざし、二人の服に火がつくと、身体を焼却炉の中に放り込んだ。妻のシャーマさんは妊娠中で着ていた服にすぐ火がつかなかったので、暴徒らは一旦彼女をおろし、彼女の身体を綿でくるんで火がつきやすいようにして再び彼女を焼却炉のうえにかかげ、火がついたのを確認してから中に放り込んだという。
これが人間のやることか?
この夫婦への残虐な行為に対する世界のデモ行進はどこに?オバマ王のテロを糾弾する演説は何時やるのだ?
実は、イスラム教徒が権力を持つ地域では、パキスタンにしろ、シリアにしろ、イラクにしろ、アフリカにしろ、イスラム教でない少数派宗教は常にこのように残虐な虐待を受けている。特にキリスト教徒への虐待はひどい。彼らはモハメッドをおちょくる漫画を描いたわけでもなく、特にイスラムを冒涜するような行為をとったわけでもない。だがそんなことはおかまいなし。イスラム教徒はキリスト教徒と見ると、イスラムを冒涜したと言いがかりをつけて残虐行為を続けるのだ。
平和の宗教だ?
一握りの過激派の犯罪だ?
まじかよ~!


Comment

欧州の対テロ運動に苦情を述べるイスラム教徒の矛盾だらけの発言

アメリカの左翼リベラルオンライン新聞、ハッフィントンポスト日本語版に掲載されたメディ・ハサンというイスラム教徒のエッセーを読んでいて、今風の日本語でいえば、「まじかよ?」と思ってしまった。彼は欧米の左翼リベラルの偽善さを指摘しているが(左翼リベラルが偽善者の集まりだということには賛成するが)、何故いつもイスラムだけが悪者にされるのだ、と苦情を述べている。はて、何故だろう?ことあるごとに非イスラム教徒であれば欧米人であれ東洋人(日本人も含め)であれアフリカ人であれアラブ人ですら拉致しては首をちょんぎってユーチューブに掲載したり、飛行機つかってビルに突っ込んだり、キリスト教徒の男たちを惨殺して女たちを冒涜して性奴隷にしたり、自分が気に入らない漫画を出版した出版社を爆破したり乱射殺害事件をおこしたり、、、、なんてことが影響しているのではないかなあ~、思うに、、、
このエッセーは次なる間違った観念から始まる。

リベラル論者のあなたへ、
あなたも私もジョージ・W・ブッシュが嫌いだった。9.11の後、「我々の味方か、それともテロリストの味方か」という幼稚な宣言を覚えているだろうか? けれども今、新たな恐ろしいテロ攻撃を受けて、あなたはブッシュのスローガンを焼き直したようにみえる。言論の自由に賛成か、反対か。「シャルリー・エブド」でないなら、自由を憎悪する狂信者だと。、

先ず第一に、ブッシュが言いたかったのは、「我々と共にテロリストとの戦いに参加しないのであれば、それはテロリストの味方をするのと同じだ」といったのである。ことテロリズムに関しては二者択一の選択しかない。悪との戦いに積極的に参加しなければ、それは悪を助長させることに他ならないからである。”Either you are with us, or you are with the terrorists.”
第二に、シャルリエブドの言論の自由を守るべきと信じることは、シャルリエブドの思想に賛同するという意味ではない。フランス人は誰かに同情するときに「私は~だ。」と言う傾向があるようで、911事件直後にも、「私たちは皆アメリカ人だ」という新聞の見出しをみたことがある。私はフランス人ではないので、この意味をはっきりとは理解できないのだが、これは決して自分たちが同情する人たちの全てに賛同しているという意味ではなく、彼らに心から同情するという意味ではないかと思う。
言論の自由は自分が賛同する人の言論だけでなく、いや自分が反対する言論を守ってこそ真実の言論の自由といえるのである。このエッセーの著者ハサンはそれを理解できないのか、故意に理解できないふうを装っている。
ハサンのやり方は過激派イスラム教徒が文明人の振りをして文明社会に訴える聖戦プロパガンダの常套手段。先ずテロ行為を過小評価する。テロの原因は被害者にあると責任転嫁する。そして話を人種差別に摩り替える。

もちろん、あの攻撃は計り知れない悪のなせる業であり、無辜の人々を無慈悲に殺したことは決して許されない。しかし、あれは本当に(ITVのマーク・オースティンいわく)「言論の自由を暗殺する企て」や、(スティーブン・フライいわく)「思想の自由の神聖性を冒す」行為だったのだろうか? あの犯罪(戦争行為ではない)は、不満を抱えた若者が実行したものだ。そして彼らの過激化の原因は、2006年と2011年にヨーロッパで予言者の風刺画が描かれたことではなく、2004年のイラクでのアメリカ軍による拷問を知ったことだった。

「テロは悪い、しかし、、、」で始まる文章は、先ず読む価値はないといっていい。「テロは悪い」の後にくるのは終止符だけだ。その後には説明も補正も注釈も必要ない。
テロリストの目的がシャリルエブドが象徴するイスラム冒涜への制裁及び見せしめでなくて、アメリカ軍の「拷問」への抗議だったなら、何故米軍基地を襲うとか、米兵に襲いかかるとかしなかったのだ。なぜパリのシャルリエブドを選んだのだ。なぜ無関係なユダヤ人マーケットに立て篭もったのだ?意味がないではないか。社会に不満を抱かえただけの青年がイエメンのテロリストキャンプまでテロ訓練を受けに行ったりするか?これが戦争行為ではなく単なる犯罪なら、何故パレスチナ以外のイスラム圏諸国でこの行為が英雄行為として賞賛されているのだ?何故これが許されない犯罪行為だとして世界中のイスラム教徒から糾弾されないのだ?ハサンは知っているのだろうか、フランスはアメリカの同盟国として唯一人イラク・アフガン戦争への参加を拒んだ国だったということを。

はっきりさせておこう。ジャーナリストや漫画家を撃ち殺すことに正当性は一切ない。それは私も同意する。だが、人の神経を逆撫でする権利に責任が伴わないという主張には、私は同意できない。神経を逆撫でする権利は、逆撫でする義務になるわけではないのだ。

「人の神経を逆撫でする権利の責任」は他の意見を持つ人々からの糾弾や批判であって暴力による報復や政府による弾圧であるべきではない。私は同雑誌の漫画は嫌いである。品格に欠けえげつないものばかりであり読む気になれない。だから私の同雑誌への抗議はその雑誌を買わないことだ。もっと積極的に内容を批判するエッセーを新聞に投書するもよし、何かの演説で取り上げてもよし、それは人々の自由だろう。だが、それは断じて暴力や弾圧であってはならないのだ。
ハサンはシャルリエブド誌自身が人種差別をしたり違う意見を排斥したりしているのに、そのことを批判しないと苦情を言う。繰り返すが、シャルリエブドがどんな雑誌かということはこの際問題ではないのだ。
私が一番「まじかよ」と思ったのはこの部分。

イスラム教徒は、どうもキリスト教徒やユダヤ教徒の同胞たちよりも鈍感でなければいけないらしい。背景も重要だ。あなたは私たちに、予言者の風刺画を笑うよう求めながら、ヨーロッパ中のイスラム教徒への中傷や(最近ドイツに行ったことは?)、教育・雇用・公共生活に蔓延するイスラム教徒差別(フランスは特にひどい)を無視している。あなたはイスラム教徒に、一握りの過激派を言論の自由への実在する脅威として非難するよう求めながら、選挙で選ばれた政治指導者たちが言論の自由に遥かに大きな脅威を与えていることからは目を背けている。

馬鹿も休み休み言え!イスラム教徒ほど自分らのことを言われて敏感にそして暴力的に反応する宗教はない!アメリカではしょっちゅうキリスト教やユダヤ教が侮辱されている。だがイスラム教に対する侮辱など普通は一切できない。イスラム教徒ほど優遇されている宗教はこの世に存在しない。ヨーロッパ諸国でイスラム教徒が貧困生活を送っているとしたら、それはヨーロッパ諸国が悪いのではなく、移住した国の文化や法律を敬わずに自分らの野蛮な宗教をホストカントリーに求め、それがうまくいかないと暴力に訴えるイスラム教徒に責任があるのだ。
イスラム教徒によるテロが起きるたびに、イスラム教謝罪派の連中は言う。イスラム教は平和の宗教だ。テロは一部過激派による行為であり例外である。「一握りの過激派」の行為だけでイスラム教全体を糾弾すべきではないと。
だが、それが本当なら、何故ハサン、貴様からイスラム教徒によるすべてのテロリズムを糾弾しないのだ?なぜ常に「テロは悪い、だが、、」で始まる文章でテロの犠牲者となった人々がいかにテロを受けても仕方ないことをしていた悪い奴らでテロは自業自得だとテロ行為を正当化するのだ?
もしも同じことを他の宗教がしていていたら、その宗教はイスラム教ほど寛容な扱いを受けていないだろう。もうすでに世界中から糾弾されて排斥されていただろう。だが何故かイスラム教だけが寛容な扱いをうけてきた。その結果がこれだ。
ハサンに言わせれば、それでも足りないというのだ、これだけ欧州がイスラム教徒を寛容に受け入れ妥協し迎合してきたのに、まだまだイスラム教は虐げられているというのである。
繰り返し言う。
イスラムは惜しみなく奪う。
ハサンのようなイスラム教徒が言うことは敵の考え方として理解する必要はある。だが我々は、彼らが我々文明社会人の道徳心や寛大さに訴えるとき、彼らの不寛容で野蛮な宗教について再確認する必要がある。イスラム教徒が我々の寛大さに値する宗教であるか、これまでの奴らの行いについて見直す必要がある。イスラム教徒自身が本当に自分らの宗教が平和の宗教であり、文明社会と平和共存できる宗教であることを証明することができないならば、文明社会は断固としてイスラム教を排斥すべきである。
911以前の世界であったならば、イスラム教は平和の宗教というでたらめも信じられたかもしれない。いやそれでも、欧州がイスラム教徒によって攻撃される以前ならまだその幻想に惑わされていたかもしれない。だがシャルリエブド以後の世界でそんな嘘は通じない。
自由社会が「私はシャルリだ」というとき、それは「私もシャルリ同様、イスラムの脅迫には屈しない」という宣言だ。イスラムテロリズムへの宣戦布告だ。少なくとも私はそうであることを願う。


Comment

ヨーロッパ、やっと対テロ戦争に本気になった?

2001年にアメリカで起きた911同時多発テロの直後、ブッシュ大統領はヨーロッパ及び他諸国(日本も含め)に呼びかけ、アフガニスタン・イラクにおける対テロ戦争に同盟国の参加を求めた。その時、フランスだけが戦争参加を拒否。ロシアもイラク戦争には不参加だった。賛戦派のアメリカ人は戦争当時、フランスの商品を自発的にボイコット。フレンチフライと呼ばれているフライドポテトは一部の人々の間でフリーダムポテトと改名され、一時期は私もミスター苺もそう呼んでいた。ワイン好きのミスター苺はあれ以来フランスワインを飲んだことがない。
さてさて、早送りして2014年。パリでの連続テロ事件。アメリカで3000余名の犠牲者を出した911ですら、欧州人の目を覚ますことが出来なかったのに、たった17人のフランス人の命が失われたとなるとヨーロッパ中で大規模な対テロデモ行進。ここ2~3日、フランス及びベルギー、ドイツなどで一斉にISISメンバーと思われる容疑者が次々に逮捕された。やっとヨーロッパも真剣にイスラムテロリストと戦う気になったようだ。
それでも「自分の身に災いが降りかからないと危険に気がつかないのか、なんて勝手な奴らなんだ」と批判するのは酷だろう。実を言うならば、アメリカよりもヨーロッパのほうがずっと長い間イスラム過激派の攻撃を受けてきていた。それはアメリカの911のような大々的な攻撃ではなかったが、蛙がじょじょに熱くなっていく湯にゆでられるように、ヨーロッパは少しづつ、少しづつ、実生活の中でイスラム教から攻撃を受けていたのである。
ヨーロッパ諸国では、イスラム教徒の多く居る貧民窟にはバスも行かなければ郵便配達人も入っていかない。警察すらも出て行かないからまるで無法状態なんてところがいくらもある。イギリスではイスラム教マフィアが完全に牛耳っている町で、白人の家出少女たちが売春を強要されている地区まである。
それなのに、地元のヨーロッパ庶民がイスラム教徒の悪行に少しでも苦情を述べれば、この間も紹介した女優のブリジッド・バルドーさんのように少数民族を侮辱したとかいって罰金を課せられたり、人種差別者扱いされたり、ときには作家のサルマン・ラシディー氏のように命を脅迫されたり、テオ・ファン・ゴッホ監督のように暗殺されたりしてきた。
そしてさらに、政府やメディアはそんなことが全く起きていないかのように振舞っていた。一般のヨーロッパ市民の心のなかでは悶々とこの理不尽さへの不満が募っていったのである。それが今回のパリでのテロ攻撃で堪忍袋の緒が切れたのだ。各国の政府もやっと目覚めたのかもしれない。
イスラムテロは黙っていても居なくならない。無視していてもなくならない。迎合しても放っておいてくれない。イスラムテロを撲滅するにはこちらからの積極的な攻撃が必要なのである。
ヨーロッパ諸国に在住するイスラム教徒は多いといっても、一番多いフランスでさえせいぜい国民人口の10%に及ばない。もしこれらの国々が本気でイスラム教徒の理不尽さと戦う意志があったなら、圧倒的多数のヨーロッパ人にイスラム過激派が勝てるはずはないのである。これまでヨーロッパ諸国がイスラム教徒の横暴を野放しにしてきたのは、ヨーロッパ人がイスラム教徒を馬鹿にしてその脅威を真剣に取り扱ってこなかったからだ。イスラム教徒の危険性を警鐘する人々を罰してきたのも、その危険を認識したら、なんらかの対応をせねばならないわけで、それにはお金もかかるし労力もかかる。ヨーロッパ諸国の政府はそれがわずらわしかったのだ。
この問題はヨーロッパだけに限らない。イスラム教過激派による我々への攻撃は暴力だけに限らない。いや、かえって暴力に裏づけされた脅迫のほうがずっと恐ろしい。今回テロにあったシャルリエブドに関する報道でも、言論の自由だの表現の自由だのといった文章とは裏腹に、アメリカの主流新聞はこぞって問題になった漫画の掲載を拒否。やたらに険悪な感情を煽りたくないという屁理屈。感情を煽るから意味があるんじゃないか!それで、漫画を載せたのは零細地方新聞や保守派雑誌やブロガーたちだけ。自分らで問題となっている漫画を掲載する勇気もないようなメディアが言論の自由だなんだとほざく資格はない。
アメリカ国内では、イスラム教の批判はやたらに出来ない。それはイスラム教徒からの報復があるからというより、多様文化だの寛容だのを強制するアメリカの教育界やメディアなどに叩かれ、学生なら退学処分、社会人なら人種差別の批判を恐れる企業から解雇されるなどという危険も十分にあるからだ。
だいたい大統領からしてイスラム教テロリストという言葉すら使えないくらいだから、一般人がどういう立場にあるかは想像がつくはずだ。これが10年もかけて何千人というアメリカ兵を犠牲にして戦った戦争の結末なのか?オバマのような非国民が大統領になったおかげで、せっかくの勝利が台無しにされてしまったのだ。もう少しだったのに、もう少しでアラブのテロリストの力を最低限に抑えておくことが出来るところだったのに。イラクも自由な民主主義になれるところだったのに、シリアだってリビアだってイランだって、オバマに自由社会の党首としてのリーダーシップがあったなら、本当の意味でのアラブの春が来ていたかもしれないのに。
オバマの馬鹿王のおかげで、世界はもっと危険な場所になってしまったのだ。


View comments (7)

オバマがパリの対テロ行進に参加しなかったのは見落としではない

オバマ王が政府官僚をパリの対テロ行進に送らなかった件について、ホワイトハウスは単なるフランス大使だけでなく、もっと高官を送るべきだったと認めている。しかし、これはホワイトハウスがうっかりしていたというより、オバマ自身のテロに対する心構えの問題なのだと指摘するのはバイロン・ヨーク
オバマ王は、対イスラムテロ戦争を主軸としたブッシュ政権と自分との方針の違いをはっきりさせるため、自分は平和時の大統領であるという前提で政策をとってきた。戦争大好きなブッシュ政権が終わり平和好きなオバマ政権の時代になったことを強調するためにも、オバマが終わらせたはずの対テロ戦争を継続させるわけにはいかないのである。
だからオバマはイスラム系テロリストの脅威を過小評価し、911規模のテロが起きない限り、あっちこっちで小さな乱射事件や爆弾騒ぎがあっても、それをテロと呼ぶべきではないという姿勢をとっているのだ。
ヨークは語っていないが、何故当時のクリントン国務長官がリビアのアメリカ領事のテロ攻撃を完全無視したのかといえば、リビアはオバマ政策のおかげでテロを撲滅し平和な国となったという前提があるからで、そんなこところでアメリカ領事がテロリストに殺されたと認めたらオバマの面子に傷がつくからだ。オバマ政権の虚偽の建前と面子のためにリビア領事及び職員が三人見殺しにされたのだ。
リビアだけでなくアメリカ国内でも、フォート・フッド陸軍基地乱射事件やボストンマラソン爆破事件などイスラム教徒によるテロが起きているにもかかわらず、オバマ政権はイスラムとテロとを結びつけるのを拒み続けている。今回のパリのテロ事件すら、ホールダー司法長官は、これがイスラム教徒によるテロ行為かどうかわからないなどと訳のわからないことを言っている。
オバマ王がパリの乱射事件を学んだとき、オバマ王は演説ツアーの最中だった。こんな大事件が起きたにも関わらず、オバマは日程を変えずに一言二言事件について述べただけでホワイトハウスに戻っても来なかった。
オバマ王は現実社会に生きていないのだ。欧米が全世界がイスラムテロリストに宣戦布告されたのに、すでに攻撃が始まっているのに、オバマはそのことに気がついていない。一匹狼があっちこっちで乱射事件起したからって何なんだ、俺にはもっと大事な仕事があるんだ、(オバマケアとか)てな調子なのだ。全くこんな男がアメリカの大統領なのかと思うと情けない。


Comment

オバマ赤面、米軍ツイッター、イスラムテロ軍にハッキングされる!

先日、米軍のツイッターがISISによってハッキングされるという恥かしい出来事が起きた。以下省略して抜粋。

日本時間13日未明、(中東地域を担当する)アメリカ中央軍のツイッターやユーチューブのアカウントがハッキングされました。ツイッターでは、中央軍のプロフィール写真がアラブ装束の男性に差し替えられ「アメリカ兵たちよ、覚悟しておけ。イスラム国」などとテロを予告するかのようなメッセージが、アメリカ軍関係者の氏名や連絡先などとともに掲載されました。画面にはこのサイバー攻撃について「サイバー・カリフ」を名乗る団体が、イスラム国の指導のもとに行ったと書き込まれていて、今後も攻撃すると宣言しています。ツイッターの乗っ取りは40分ほど続き、その後中央軍がアカウントを一時的に閉鎖しました。

 中央軍は、「軍のネットワークに問題はなく業務に支障は出ていない」としていますが、アメリカ軍関係者の個人を特定する情報や個人的な画像が公開された事について対応を検討しています。(13日10:36)

偶然にもこれは、オバマ王がサイバー警備に関して演説をぶってる最中に明らかにされたもの。オバマ王はサイバー警備のために新しい法案を二つ提案するつもりだと語っていた。法案なんか出してるばあいじゃないだろうが。
軍は被害内容を明らかにしていないが、軍関係者の個人情報がテロリストに漏れたということは、今後軍人の家族がテロ攻撃の対象とされる可能性もあり、事態は非常に深刻である。
こういうことが起きるのも、オバマ王が国土安全保障及び防衛に全く力を入れていないからだ。米政府のネットワークがハッキングされたのはこれが最初ではない。去年の10月にも全国選挙を目前にホワイトハウスのネットワークがロシアによってハッキングされ、数週間に渡りネットが接続不可能になるという大事件が発生した。このことがおおっぴらにならなかったのは、アメリカ左翼メディアがホワイトハウスの失態を隠したからで、このことが公になっていたら、共和党の勝利はもっと大規模なものとなっていただろう。
オバマが提案するサイバー警備の法案なんて、どうせ一般市民の言論の自由を奪う法案で、実際に警備などには無関係であるに違いない。
こうやって自分らの力不足で政府や軍の秘密がどんどん敵に垂れ流しになっているにもかかわらず、オバマ政権のエリック・ホールダー連邦司法長官は、元陸軍将軍で元CIA局長だったペトラエウス将軍を国家機密漏洩の罪で起訴しようとしている。ペ将軍はCIA局長の頃、ジャーナリストの女性と不倫をしていたことで局長の座を自ら辞任したのだが、その際、この女性のコンピューターに国家機密がファイルされていたことが発覚した。ペ将軍は、彼女に国家機密を渡した覚えはないとし、彼女もジャーナリストなので自分で取材して手に入れたのだと主張している。なんにしても、彼女はこの情報を全く公開していないし、敵に悪用されるようなことは一切していない。
これに比べてペ将軍が局長を務める以前のCIA内部の人間が国家機密をニューヨークタイムスに流し、それが大々的に報道された事件や、オバマ自らが軍の了承なしにビンラデン暗殺内容を大々的に公表してしまった過去を考えると、対テロ戦争に一番貢献したペトラエウス将軍を起訴するなど言語道断である!
イスラムテロリスト達は、オバマの馬鹿さ加減をあざ笑っていることであろう。せっかくブッシュがアルカエダを壊滅状態に追い詰めたのに、オバマがブッシュの功績を台無しにしてしまったのだから。


Comment

フランスのユダヤ人に未来はあるのか?

ここ数日、ブログに書きたいことがたくさん起きてしまい、すべてを書いている時間がない。先ず昨日フランスのパリで行なわれた反イスラムテロのデモ行進は、世界各国の首脳を集めた何百万人という数の行進となった。ドイツやイギリスの首脳はもちろん、イスラエルからはネタニヤフとパレスチナのアバスが肩をならべて参加という前代未聞の出来事となった。

(フランスの)オランド大統領を中心にメルケル独首相、キャメロン英首相、レンツィ伊首相、ラホイ・スペイン首相らが腕を組み行進した。パレスチナ問題で対立するイスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナ自治政府のアッバス議長ら、約50カ国・地域の首脳・閣僚が参加した。共和国広場に集まった市民は100万人規模に上ったようだ。行進前には、オランド大統領が各国首脳らを大統領府(エリゼ宮)に招き、各国がテロとの戦いを協力して進めることを確認した。

そんな中、きわめて目立って欠席している国があった。それは誰あろうアメリカである!アメリカは大統領のオバマはもちろんのこと、バイデン副大統領も普段からフランス語堪能なことを自慢しているケリー国務長官もフランスに滞在していたホールダー司法長官すら行進に出席せず、アメリカ代表はアメリカ大使のみ。対テロ戦争はブッシュの代からアメリカが指揮をとってきたというのに、オバマの代になってその指導権は完全に放棄された。
あ、でもお仏蘭西だけはブッシュの呼びかけた対テロ戦争に参加しなかったのでおあいこだ、なんて言ってる場合じゃない!対イスラム戦争は仏蘭西だけの問題ではないのだ、アメリカが指揮を取らずして誰が取るんだ!いつまでも後方から指揮を取るなんて暢気なことを言ってては戦には勝てぬ。
イスラム教過激派の台頭により、フランス在住のユダヤ人は非常な脅威を感じている。過去十年間、在仏ユダヤ人はイスラム系移民によってことあるごとに圧力を受けてきた。ユダヤ青年たちはモスレム不良からしょっちゅう暴力を奮われているし、ユダヤ系の店やお寺がモスレムによって破損されるのは日常茶飯事。この間のテロ犯人もユダヤ系スーパーに立て篭もって人質のユダヤ人四人を殺害した。
数週間前にも、急病で倒れた老人が救急車を呼んだところ、電話に出たオペレーターがモスレムで、患者が名前からユダヤ系とわかると、ユダヤ人に救急車など呼んでやらないと断られるという事件が起きた。現在はパリからはユダヤ系が大量に脱出しているとかで、今後在仏ユダヤ人の将来はどうなるのか懸念される。
今やフランスのイスラム教徒はフランス人口の10%にも及ぶとか、地域によってはイスラム教徒が大多数というところもあり、そんな場所ではユダヤ人の安全は先ず保てない。フランスはこんなことになってから対テロ戦争に目覚めてみても、ちょっと遅いのではないか?
対イスラム移民意識が高まり、欧州では右翼派の力が増しているというのは事実でも、これもまたユダヤ系にとっては複雑だ。欧州は右翼でも左翼でもユダヤ系を嫌う風潮があるが、特に移民反対の国粋主義者のなかには反ユダヤ思想も強い。イスラム教徒を追い出してくれるのはいいが、それ成功したら、今度はユダヤ人排斥へと続くのではないか、という心配も大いにある。
欧州のユダヤ系はまたまた苦しい立場におかれている。
それにしても、どうして何時もユダヤ人なのだろう?


View comment

黒人生徒の人種差別ツイートを指摘した白人学生が反対に人種差別の汚名を着せられる訳

前回のエントリーで私は自分の価値観を侮辱する意見こそ守られなければならないと書いたが、それをしないとどういうことになるかという典型的な例を読んだので、書いておきたい。
ブランディーズ大学の黒人女子学生カディーシャ・リンチが、先日監視中のパトロールカーに乗っていた二人の警察官が暗殺された件に関して、「殺された警官に同情など出来ない」とか「アメリカに聖戦を挑む」「なぜ黒人はこの国をやきはらってしまわないのだろう」などといった非国民的で人種差別的なツイートをした。彼女の口座は今は関係者のみの非公開になっているが、当時は誰でも読める公開口座だった。リンチは大学でも黒人生徒会長などをやって活躍する権力者だったことでもあり、彼女の発言は注目すべきだと判断したのが、同大学の白人男子生徒で大学新聞の記者でもあるダニエル・マエル。
マエルは彼女のツイート内容をそのまま自分のフェイスブックで紹介したところ、反対に完全な人種差別者扱いをされ、暴力的な脅迫メールや電話などがかかてくるようになったと言う。しかも大学は、彼の報道の権利を守るどころか、黒人女子生徒をストーキングしているといって退学の勧告までしたという。まったく話がさかさまである。
これについて言論や表現の自由について色々書いている有名な弁護士、アラン・ドーシュイッツ教授は「ミス・リンチには無論このような卑しむべき見解を持つ権利がある、それが公共の場であろうと私生活であろうと。ナチス、KKKや他の偏狭者が彼らの見解を表現する権利があるように。」
リンチが自分の公開ツイートで書いたことをそのまま紹介したマエルのことを「中傷された」といい始めたことに関して、同教授は 「誰かが掲載した言葉を再掲することは中傷や誹謗やその他の名誉毀損にはなりえない。なぜなら、自らが自らの発した言葉によって中傷されるなどあり得ないからである。」
マエルはリンチが公共ツイートでこんなことを書いてるよ、と紹介しただけなので、法律上これは名誉毀損などというものにはなり得ないのだと教授は言うのだ。
だが、法律がどうでもこれは大学構内のこと。この大学はいみじくもオランダで反イスラム運動をしていたアフリカ系女性議員を招いておきながら、イスラム教生徒らの反対にあってキャンセルした大学でもあり非常に左翼リベラル偏向が強い。だから左翼リベラルの発言はどのような人種差別に満ちたえげつないものであっても見てみぬふり、いやそれどころか奨励すらするが、それを「おかしいのではないか」と指摘したら最後、人種差別者呼ばわりされて退学の危険すらあるのだ。
リンチは生徒会を煽ってマエルの処分を要請する署名運動を行なった。東洋人生徒会もこれに同調して一緒にマエルを責め始めた。(なんで?殺された警察官の一人は中国系なのに。)
マエルを支持する生徒たちが存在しないわけではないが、学校側や権力ある左翼リベラル生徒からの報復を恐れて沈黙を守るしかない。マエルに同意する生徒は報復を恐れて匿名でメルアドを作ってそこからメールを送ってきたりしているという。
アメリカの大学はどこもかしこも左翼思想に独裁されている。左翼思想ならどんなひどい内容でも許容され奨励されるが、それに反発するとヘイトスピーチだ、セクハラだ、ストーキングだ、といわれて潰されてしまう。だから大学構内において保守派には言論の自由は存在しない。
自分の持つ価値観を侮辱する発言を保証してこそ言論の自由は守れるのだといったのはこれが理由だ。
ところでここでひとつ不思議なことがある。リンチは自分の言ったことを後悔していないという。自分の言ったことを誇りに思っているのであれば、それを再掲されたことを怒る理由がどこにあるのだ?リンチは自分が細々と書いていたツイートを紹介してもらってマエルにはお礼こそ言え文句を言う筋合いなどないではないか。
多くの人が誤解しているが、言論の自由とは好き勝手なことを言って誰からも批判されない自由ではない。言論の自由という権利には自分の言ったことに責任を持つ義務がついてくるのだ。
本来ならば大学という教育の場が言論の自由とはなんぞやという正しい見解を生徒に教えるべきだ。だが、今の大学は左翼リベラルの思想を推し進め保守派の意見を撲滅するため生徒たちを洗脳しているのだ。
こんな大学、高い授業料払って行く価値があるのだろうか?


Comment