多民族共存と多様文化主義は別物

欧米社会でここ二十年近く重宝されてきた観念として、英語でいう”multiculturalism” (多文化主義)という言葉があるが、これは一体どういうものを指すのであろうか。これについて「多文化主義は機能しない」と主張しているカナダの保守派ジャーナリストのローレン・サザンは訪問中のオーストラリアのテレビ番組でこの質問に答えていた。

アメリカやオーストラリアのように移民によって成り立ってきた国からしてみれば、多文化主義はきちんと機能していると言いたくなるのは当然。米国も豪州も元々は先住民の他にイギリスからの移民で始まり、その後はヨーロッパやアジア及びアフリカ諸国から様々な移民を取り入れて成功した社会である。

しかしサザン曰く、それぞれの文化を持つ多々の民族が集まっても移住国が持つ一つの文化を尊重してまとまるのであればそれは多文化主義ではない。多文化主義とはそれぞれの移民が自分らの文化をそのまま移住国へ持ち込んで固持することにある。同じ空間に共存している多々の民族がそれぞれの文化を主張するため、移民が極少数であるうちは元々の社会は許容することは可能でも、その数が増えてくると元の社会秩序が乱れてくる。そして相いれない文化を持つ民族の数が増えれば増えるほど、元の文化が破壊されていくというわけだ。

彼女の説が正しいことは西欧で起きている現状を見れば一目瞭然だろう。米国や豪州で比較的問題が起きていないのは両国とも移民に関してかなりの規制をしているからである。特に豪州はアフリカからの「難民」を無制限に受け入れていない。それでもすでにアフリカ人暴力団による犯罪の激化やモスレムによる暴動などは問題になっている。(拙ブログでも2005年に起きたカヌラビーチでの暴動について紹介したことがある。)

サザンの住むカナダのバンクーバーでは中国人移民の数が増え続けており、彼らは地元文化と全く融和せずに町中が中華街になりつつあるという。中国人は選挙権を得るとどんどん地元の政治にも影響力を持つようになり、バンクーバーの公用語が中国語になる日も近いとサザンは憂う。

サザンが「機能しない」と言っているのは、融合不可能な多文化の共存は社会として成り立たないという意味。無理やり共存させようとすれば、それぞれの共同体がそれぞれの領土を隔離する状況が起き、その領土をめぐって勢力争いが起きることは必定。そうなれば数が多くより暴力的な部族が勝つことになる。

侵略者に戦わずして地元文化を乗っ取られることが多文化主義というなら、私は断固お断りしたいね。


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自分をレズビアンだと言う男は強姦魔だ!

LGBTの間でも昨今色々な亀裂が生じているという話は過去にも拙ブログで書いてきた。特にレズビアンコミュニティーがMTF(女装男子)から非常に悪質なセクハラを受けているという話は「ノープラットフォームやヘイトスピーチは言論弾圧の合言葉」でもした通り。実はその話を書こうと思っている間にイギリスで自称トランス女の男子受刑者が女子収容所に移された結果そこで数人の女性受刑者を襲うという事件が起きた。

イギリスのヨークシャー市にあるニューホール刑務所で自称トランス女の男子受刑者は、去勢手術を受けていないにも拘わらず自分は過去二年間女として生きて来たと主張し、イギリスのアホ裁判官を言いくるめて女子収容所に移された。ところがこの男、女子収容所に入って三日後に女子受刑者に言い寄った。被害者によると男のアソコはあきらかに勃起していたという。添付先のザ・サン紙は男のことを「彼女」と書いているが、どこの世界に女性に勃起した一物を押し付けてくる「彼女」が居るのだ?

記事によると強姦とまではいかなかったものの、男は合計四人の女子囚人に性的に迫り、その度に勃起していたとそれぞれの被害者が語っている。どうして四人も被害者が出るまで当局が何もしなかったのかは不明。

イギリスの刑務所でトランス女だと主張した男が女子収容所に移された後に女子受刑者を襲うという事件はこれが初めてではない。去年も二人の女性を強姦した罪で受刑中の男がトランス女だと主張して女子収容所に移動を許された途端に女子受刑者の脚を触るなどのセクハラを行ったとして問題になった。この男も去勢手術を受けていなかった。

現在2017年三月の段階でイギリスとウエールズでは125人のトランスジェンダー受刑者が居り、前年の70人から45人も増えている。

イギリスでは医学的に性同一障害だと診断され二年間女性として暮らしていれば、戸籍上の性別を正式に変えることができる。この規則が男子受刑者を女子施設に移す際の基準となる。トランス女と認められると受刑者には色々な特権が与えられる。例えばトランス女囚人は看守からの捜査や言葉使いなどで特別扱いされる。また洋服やシャワーの時間やプライバシーなどもかなりの自由が与えられる。こんな特別扱いが受けられるなら、トランスジェンダーを装う受刑者が増えるのは当然だろう。急激に増える自称トランス女の対応に刑務所は色々な対策を取らざる負えない状態にあるという。

また、イギリスでは1999年に初めてトランス受刑者の性適合手術権利が与えられた。誘拐罪で終身刑を受けていたジョン・ピラー(当時64歳)他5人の受刑者が国民保険で性適合手術を受ける権利をめぐって訴訟を起こしたのである。

スコットランドでは、女子収容所に入れられたトランス女が自分の部屋で他の女子受刑者とセックスしているところを見つけられたにもかかわらず、国民の血税2万ドルを使って性適合手術を受ける予定は変わっていない。この男は2013年から殺人の罪で受刑中である。

さて、こうした背景があるなか、今月初めに行われたロンドンのゲイプライド大会で数人のレズビアンがトランスジェンダーに抗議をし一時的に行進を阻止するという事件が起きた。

ゲイプライド行進を邪魔したのは8人のレズビアン活動家で、彼女たちはゲイプライド行進にトランスジェンダーを含むことに抗議していた。彼女たちは「トランス活動はレズビアンを抹消する」「レズビアン=女性同性愛」などの旗を持って行進の行き先をふさいで10分間ほど邪魔したが、警備員によって取り除かれた。

彼女たちは口々に「自分をレズビアンだという男は強姦魔だ!」と叫んでいたという。

この他にも、ゲットザLアウト、オブジェクト、メイデイ4ウイメン、クリティカルシスターズ、レズビアンライツアライアンス(Get The L Out, Object, Mayday 4 Women, Critical Sisters and Lesbian Rights Alliance)と名乗るレズビアンたちが参加者に、プライド行進の参加者を拡大したことにより、レズビアンたちが虐げられ、彼女たちがあたかも変態であるかのように扱われていると抗議した。あるビラには「トランス活動はレズビアンに男とセックスすることを強要しようとするものだ。我々は革新という名に扮したこのような悪どい行為を断固許さない」と書かれていた。

また他の活動家は「トランスジェンダーリズムはコンバージョンセラピー(同性愛を治す治療)だ。コンバージョンセラピーは間違っている。」と述べ、「女性のみがレズビアンになれるのだ。手術をした男は決してレズビアンにはなれない!」と語った。

昔はLGBと言われていた同性愛及び両性愛者たちの活動が、最近になってトランスジェンダーだのノンバイナリーだのと訳の解らない人々まで含むようになり、いまでは LGBTQIA+という嘘みたいな名前の活動になっている。それで拡大一方のLGBTQIA+と従来のLGB、特にレズビアンたちとの間で少なからぬ衝突が生じているのだ。

レズビアン活動家たちから言わせると、レズビアンは生物学的な女性とのセックスを好むのであり、ドレスを着て居ようとどうしようと手術も受けていない男を女として認めるわけにはいかないと主張したところ、プライド行進の主催者から疎外されたという。

トランス女たちが女子施設使用を強要しようとする度に、常識人は普通のトランス女と変態の区別がつかなくなると言って反対してきた。しかし私は最近トランス女こそが変態なのだと思うようになった。自分がトランス女だと言い張る大半が上記の囚人たちのように単に女子施設に入り込んでわいせつ行為を行いたいだけの犯罪者なのだと思うようになった。確かに中には本気で自分を女だと思って男性と付き合ってる人もいるのだろう。だが、自分はトランス女でレズビアンだと主張する男はこのレズビアン活動家たちが言うように強姦魔だと思って間違いない。

過激派レズビアンがまともに見えるこの現状は、まさしく悲しい。

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180度変わってしまった昔のリベラルと今の後退派左翼

アップデート:コメンターの道草人さんから翻訳の間違いのご指摘があったので訂正した。もしかしてまだ間違いがあるかもしれないので、後部に原文を張っておく。英語に自信のあるかたはそちらを参照のこと。

パワーラインに掲載された「昔のリベラルはどうんなふうだったか」というエントリーが面白かったので紹介しよう。これはリベラルのカリスマ的存在だったバートランド・ラッセルが1951年に発表した“Ten Commandments of Liberal Inquiry” というもの(「リベラル研究の十戒」とでも訳すのかな?)今のリベラルにラッセルの爪の垢でも煎じて飲ましてやりたくなる内容。

1. 何に関しても完全なる確信を持たないこと。

2. 証拠を隠して考えを述べることに価値があると思わないこと。証拠はいずれ表に出てしまう。

3. 考えることを躊躇しないこと、そうすればかならず成功する。

4. 反対の意見にあったら、それが夫であれ子供であっても他人の権威を使って相手を説き伏せようとしないこと。権威による勝利は事実ではなく幻想だ。

5. 他人の権威に敬意など示すな。反対意見にも権威は存在するのだから。

6. 権力を使って自分が悪質と考える他人の意見を弾圧するな。そうすればその意見が自分を弾圧するようになる。

7. 風変りな意見を恐れるな。今受け入れられている意見も一度は風変りと思われていた。

8. 受動的な意見の同意より、知的な意見の違いに喜びを見いだせ。知性を重視すれば後者は前者よりも深い同意であることを意味する。

9. 厳正に真実を語れ。たとえその真実が不都合であったとしても。真実を隠そうとすれば、もっと不都合なことが起きる。

10. 愚か者の楽園に住む者を羨むな。愚か者のみがそれを幸福と思うからだ。

確かにこれがクラッシックリベラルの思想だったのだとしたら、今自分らをリベラルと言ってる後退派左翼には全く当てはまらない。今でも自分をリベラルと思っている人たちなら、自分が民主党や左翼を去ったのではなく、彼らがリベラルを去ったのだと思わざるおえないだろう。

Bertrand Russel’s 10 Commandments of Liberal Inquiry

  1. Do not feel absolutely certain of anything

  2. Do not think it worthwhile to produce belief by concealing evidence, for the evidence is sure to come to light.

  3. Never try to discourage thinking, for you are sure to succeed.

  4. When you meet with opposition, even if it should be from your husband or your children, endeavor to overcome it by argument and not by authority, for a victory dependent upon authority is unreal and illusory.

  5. Have no respect for the authority of others, for there are always contrary authorities to be found.

  6. Do not use power to suppress opinions you think pernicious, for if you do the opinions will suppress you.

  7. Do not fear to be eccentric in opinion, for every opinion now accepted was once eccentric.

  8. Find more pleasure in intelligent dissent than in passive agreement, for, if you value intelligence as you should, the former implies a deeper agreement than the latter.

  9. Be scrupulously truthful, even when truth is inconvenient, for it is more inconvenient when you try to conceal it.

  10. Do not feel envious of the happiness of those who live in a fool’s paradise, for only a fool will think that it is happiness.


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リベラルが民主党を見放す時、ウォークアウェイ運動に同調するリベラル達

数日前にはじめてウォークアウェイ運動なるものがあることを知った。ウォークアウェイとはWalk Away – 立ち去れ、と言う意味。ブランドン・ストラカというニューヨークのゲイ美容師がユーチューブビデオで自分は嫌悪に満ちた民主党を支持することは出来ない、立ち去ることにした。という内容の動画を発表。これが瞬く間に話題になりフェイスブックでは2.2百万回も再生されているという。彼に感化された元民主党支持左翼リベラル達がこぞって自分のウォークアウェイ証言動画をストラカが設立したウォークアウェイフェイスブックページに#Walkawayのハッシュタグで次々に投稿しはじめた。

「昔々、僕はリベラルだった」といってはじまるストラカのビデオは、自分がリベラルになった理由は、人種や性嗜好や性別による差別や独裁的な思想や言論弾圧を拒絶するからだとし、今自分がリベラル及び民主党を去るのは、それと全く同じ理由からだと説明する。

二年前にトランプが共和党の候補に決まりつつあったころから、民主党支持でありながらヒラリーやバーニーに投票せずにトランプを支持するようになったリベラル達が増えた。以前にも拙ブログにおいて民主党は本当の意味でのリベラル思想からかけ離れてしまったと言って保守派に転向したデイブ・ルービンの話しや、チャドウィック・ムーアの話しで紹介したことがある。

私が今の左翼や民主党支持者を左翼リベラルとか革新派リベラルと言わずに「後退派左翼」と呼ぶようになったのは、今の左翼はおよそリバティー(自由)にも革新にも全く興味がない独裁主義だからである。

現在の左翼たちは徒党を組んで覆面して保守派の講演会を暴力で阻止する。自分と違う意見は徹底的に弾圧する。左翼思想に従わないものは道端で出くわしても、レストランでも、小売店の店先でも大声で罵ったり暴力をふるったりする。これが差別反対とか少数派の人権擁護とか言ってた奴らのすることか?

こういう世の中なので、今までリベラル派でそういう付き合いしかしてこなかった人間が突然自分は保守派に転向するなどと言ったら、周りから受ける反撃は半端なものではない。友達を失い家族からも見放され下手すれば仕事も失うなどということになりかねないからである。

ストラカのビデオに励まされて実は自分も保守派だと「カミングアウト」したグラミー賞受賞者の作曲家ブランドン・コンティは、保守派としてカムアウトするのは何年か前にゲイとしてカムアウトしたときより勇気が要ったと言っている。なにしろ彼の所属している音楽界は普通以上にリベラルに独占されている社会だ。保守派としてカムアウトなどすれば失うものも大きい。だが驚いたことに彼の事務所は彼にとても支持的だった。彼のウォークアウェイビデオに寄せられたコメントは1000以上で、後から後から続き三日間止まらなかったという。しかもウォークアウェイ宣言によって彼のCD売れ行きが急増した。「いったいどれだけの人が同じことを考えているんだろう?」とコンティは言う。

しかし無論バックラッシュがあることも忘れてはならない。後退派左翼たちは自分たちへの支持が減り始めていると意識したら、保守派への攻撃が激化することは間違いない。げんにウォークアウェイの発起人であるストラカは近所のカメラ屋さんで店員からサービスを拒絶されたとテレビインタビューで語っている。だが同時にストラカはカメラ屋を名指しで非難することもせず、絶対にカメラ屋に嫌がらせをしないでくれと訴えていた。数日後カメラ屋の本社から店員の態度は会社の方針を代表するものではないとして謝罪発表があった。ストラカは名指ししていないのに何故本社がそれを知るに至ったのかは不明だ。

この運動が極左翼と化した民主党崩壊へとつながるかどうかはわからない。だが、ポリコレの独裁に嫌気をさした普通のリベラルたちが今の気違いじみた社会風潮から立ち去る時はすでに訪れたのかもしれない。


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フェミニスト「トランスジェンダーのために女性の人権を犠牲にするな!」

私は以前から生粋のフェミニストたちの間で、トランスジェンダー優先の動きに懸念を示す人々が増えているという話をしてきたが、今回もトランスの人権を優先するあまりに、女性が長年かけてかろうじて得たもろい人権が脅かされつつあると主張する記事を見つけた。

ザ・エコノミストに載ったTrans rights should not come at the cost of women’s fragile gainsというのがそれ。著者はサラ・ディタム(

最近イギリスの癌センターで子宮癌についてのパンフレットに「子宮頸部(しきゅうけいぶ)のある人のために」という言葉使いを見つけディタムはその不自然さを感じた。なぜ単に「女性のために」と言わずに「子宮頚部のある人のために」というおかしな言葉使いがされているのかと言えば、MtFのように生物学的には男性なのに女性だと思ってる人間には子宮がないから、すべての「女性」に子宮があるとは限らないというのがその理由。同じ理屈で難民センターにいる女性たちのために生理用のナプキンやタンポンの支給をするにあたっても、女性用とせずに「生理のある人」用といって支給されたのだそうだ。イギリスのグリーン党では有権者の女性を対象にする際も女性と言わずに「男ではない人」と表現している。あたかもトランスジェンダーの台頭によって「女性」が消えてしまったかのようだ。

ディタム自身も左翼であることから、トランスジェンダーに対する虐待や医学界における無理解さには十分同情を示している。しかしながら、なぜかトランスの矛先は圧倒的にフェミニストに向けられ女性の空間や女性のためのサービスがその攻撃対象となり女性という言葉の意味すら変えられつつあるとディタムは憂う。

例えば、同じ癌でも男性のみに起きる前立腺癌の場合は医学界でも「男性のため」と表現されており「前立腺のある人」という言葉使いはされていない。何故男は男のままなのに女を女と呼んではいけないのか。

職場における男女格差は深刻な問題であり、妊娠が女性の出世の妨げになるといった問題を言及するにあたり、妊娠及び育児を女性と結びつけずに男女格差をどのように語れるというのか?トイレや更衣室と言った場所に関しても、男子トイレはそのままで女子トイレだけが多目的になったり医学的な男子であるMtFが女子スポーツに参加して女子選手を圧倒するなど、なぜ犠牲になるのは常に女性なのか? なぜ中性主義というと必ず女性が犠牲になるのか、とディタムは問う。

カカシは左翼フェミニストではないがディタムの言い分はもっともだと思う。

偶然だが、先日ロンドンで行われたゲイプライド行進では、少数とはいえフェミニストによるトランスへの抗議デモが行われた

この「Lを除け」(Get the L Out)という運動を率先しているのは、医学的性と自意識が一致している普通の女性であるレズビアン団体でトランス主催のゲイプライド運動に抗議する女性たちである。ゲイプライド行進を主催したゲイたちからすれば、彼女たちの行動は「衝撃的で忌まわしい差別主義で無知蒙昧な許しがたき行為」ということだ。トランスの間ではトランスの存在に否定的なレズビアンのことを*TERFなどと言って侮っている。これについては拙ブログの過去エントリーで説明している。TERF/ターフtrans-exclusionary radical feminist. トランス阻害過激派フェミニストという意味のトランスによる造語。

添付先の記事は後退派左翼のサイトからの引用だが、彼らは一部のレズビアンが主張するような、トランス運動がレズビアン運動を脅かしているという考えは神話だと主張する。「自称レズビアン」による「女装男は強姦魔だ!」とする考えは医学的な女性以外はレズビアンにはなりえないというレズビアンによるトランス女への偏見であるというのである。
医学的な男が医学的な女性に性的魅力を感じるならば、彼がドレスを着ていようとどうしようと、彼はレズビアンではなく単に女装趣味の異性愛男性である。
ところでこのエントリーを書いている途中に、イギリスの女性歌手アリソン・モエットが 自分のツイッターに「私は誰もが自分が好む代名詞を使う権利を尊重し弁護もするが、私の代名詞は⋆シスではない…私のような人間が『女性』というタイトルを得るためには長い苦労があった。女性で十分だ。」と書き込んだところ、トランス連中からひどい誹謗中傷の攻撃があった。そのあまりのすさまじさに、彼女は一応謝罪表明をし一か月間ツイッターを自主謹慎すると発表した。(*カカシ注:シスというのはトランス連中が作り出した造語のひとつで、生物学的な性と自意識が一致している正常な人間のことを指す。)
まったくトランス過激派ってのはどれだけ女性を虐待すれば気が済むのだろう?奴らは自身が女性どころか女性の存在そのものを否定する男尊女卑者だと添付先の記事の著者ブランドン・オニールは言う。(Brendan O’Neill)
「(トランス及びその仲間たち)君らが女性が自分を女性と呼ぶことを侮辱するなら、君らの陰謀は失敗した。君らは自分たちを革新派だと言う権利を失った。」

 

 

 

 


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思春期前後の「性転換治療」は幼児虐待だ!

最近後退派左翼過激派の間では大人によるトランスジェンダーどころか年端も行かない未成年しかも思春期前の少年少女に異性ホルモンや思春期停止ホルモンの投与をして子供のトランスジェンダーを生み出すことが流行っている。先日も私は10歳の男児が自分はトランスキッズだと言ってけばけばし厚化粧をして自慢げにツイッターに投稿している気持ちの悪い映像を見せつけられた。子供がお遊びでやっているのならともかく、周りの大人がその異常行為をたしなめるどころか奨励及び促進しているところに問題がある。これにホルモン投与などが加われば、これはもう幼児虐待以外の何物でもない。

思春期前後の少年少女が初めて持った自意識に困惑するのは普通である。それまでは子供として自分の存在に何の疑問も持たずに暮らしてきたのに、ある日突然、自分というものに気が付く。そうするといったい自分は何者なんだろうという人生の岐路となる大切な疑問を持つようになるのだ。この時期を何事もなく何も悩まずに通り過ぎる人間は先ずいないだろう。人はこの関門にぶち当たり色々悩んだ末に大人になっていく。

しかしこういう多感な時期に、何故自分がこんなにも不幸だと感じるのか、何故自分であることに違和感を持つのか、と悩んでいる少年少女が、性転換をしたらすべての悩みが解決したなどというユーチューバーのビデオに遭遇したらどうなるだろうか?自分がこんなふうに感じるのは自分が間違った性に生まれたからなのではないか、性転換をしたらすべて悩みが解決するのではないか、と錯覚を起こす少年少女が居たとしてもおかしくはない。特に自分の性嗜好が回りの同年代の人々と違うように感じた場合には、もしかして、と思ってしまうのも理解できる。しかし問題はその悩みをどうするかにある。

本来ならば、こういう悩みを抱く少年少女を正しい道に導くのが回りに居る大人の責任だ。普通の子は放っておけば自然に通り過ぎる。だが多感な子はこの時期が一番危険でもある。だから普通以上に落ち込んでいる青少年には適切なカウンセリングが必要だ。

実をいうと私も思春期の頃、男の子にあこがれるあまりに、自分も男の子だったらよかったのにと思ったことがある。それで髪の毛も男の子のように短くしデニムの上下を着るなどして、周りから男の子と間違われたりすると、自分があたかも秘密のアイデンティティーを持っているようで興奮したものだ。しかしこれは、あくまでも私が普通の異性愛者だったゆえ、異性である男の子の格好良さを意識し始めていたからにすぎない。

もしあの頃の私が今のような悪い意味での情報過多社会に生き、人気トランスジェンダーユーチューバーのビデオに遭遇していたら、そして周りの大人たちにトランスは格好いいと常に洗脳されていたら、いったいどんな取り返しのつかないことをしてしまっていただろうかと思うと考えただけでも恐ろしい。

事実幼児や思春期に異性ではないかと悩む子供たちの80%以上が、思春期を超えると自然に神から授かった性を受け入れるようになるという。だから自分はトランスなのではないかと悩む子供たちの親は、即座にホルモン治療などを受けさせず、他の活動をさせるなり、きちんとした精神科のお医者さんに悩みの根底は何なのか、しっかりカウンセリングしてもらうなりせねばならない。

だが、このカウンセラーは即座に性転換を進めるいわゆる「トランス専門家」ではなく、小児科や小児専門の医学的カウンセラーでなくてはならない。

即座にホルモン治療などをせずに親が親身になって色々な活動に参加させて女性としての自覚を取り戻した例がザ・アトランティックで紹介されている。題して「子供が自分はトランスだと宣言したとき」。

この記事では14歳のローリーという少女が自分の思春期の悩みを自分がトランスだと錯覚し、それを両親に告白したところ、両親はトランス治療を受けさせる前にローリーをインターネットから離してアウトドア活動に連れ出し、極力彼女の気が紛れるように努めたところ、ある日突然ローリーは自分は女の子だと自覚したという話。この記事の著者ジェス・シンガルはその記事の書き方から決して右翼保守ではない。きわめてトランスジェンダーに対して同情的な姿勢を取っている。だが、こと思春期のこどもに関しては、少し経つと自然に自分の性を受け入れる率が非常に高いことでもあり、子供が自分はトランスだと宣言したからといって即座に医療的な措置を取ることの危険性について書いたにすぎない。

だが普段どれだけポリコレに服従していようとも、多少なりとも左翼絶対主義から外れたこの記者に対し、過激派からの批判は迅速かつ壮絶であった。ザ・デイリー・ドットに載った「なぜトランスに関して間違った報道をしたジャーナリストが更なるトランスフォビアを拡散することが許されるのか?」と題したこの記事などが典型。

著者のアレックス・ダルビーはシンガルの記事の題名そのものにひっかかっている。ダルビーは「子供がトランスジェンダーだった時」とせずに「子供がトランスジェンダーだと宣言した時」とすることで子供が自分がトランスであることを自覚できないという先入観を抱かせると書く。

ダルビーはローリーの両親がネット情報からローリーを隔離しトランス治療を拒絶した結果ローリーが女性だと自覚したことは「よく耳にする恐ろしい話」だと言う。ちょっと待った!女の子として生まれた子供が自分は女の子だと自覚するに至ったことの何が恐ろしいのだろうか?もしトランス活動家がいうようなトランスに対する差別や虐待が真実だとすれば、自分の子供がそんな状況に至らないように極力努力することの何が恐ろしいことなのか?

ダルビーによれば、自分はトランスではないかと思う子供は即座にトランス専門家の世話になるべきだとのことだが、これらの専門家にはなるべく多くの性転換者を増やしたいという下心があることも忘れてはならない。カウンセラーと言われる人々が性転換医療で金儲けをしている業者と密接な関係がある場合は多いのだから。

ダルビーが言うように、自分がトランスなのではないかと悩む子供たちを即座にトランスだと診断して性転換治療を始めてしまったら、八割強居ると言われる思春期後に自然に自分の性を受け入れるはずだった子供たちの将来はどうなるのか?思春期の気の迷いで乳房や睾丸を取り除いたり成長阻止ホルモンを摂取してしまって生殖機能を失ったり発癌の可能性を高めてしまったうえに、自分はやっぱり生まれたままの性でよかったのだと気づいた子供たちの人生を誰が弁償するのだ?

トランスの人々はありのままの自分を受け入れてほしいとよく言うが、ありのままの自分を最初に拒絶したのは他ならぬ自分なのだということを忘れている。トランスジェンダーほど男女のステレオタイプや男女の差を意識している人々もいない。もし男女が平等であり男女に全く差がないという従来のリベラル派の考えが正しいのであれば、男っぽい女や女っぽい男がいてもいいはず。なにも無理して危険な医療処置を受けて異性に似た格好や振る舞いをする必要はないはず。

女でも筋力逞しく男顔負けの運動神経を持っていて何がわるい?男でも繊細な感性を持ってデザインやファッションの仕事をして何がわるい?自分が持って生まれた外見にそれほどこだわらなければならない理由は何?そしてそれを年端も行かない自己意識が確立していない思春期間際の子供たちに押し付ける動機は何なんだ?

ダルビーは性別には色々あり二者択一ではないという過激派思想を持っている。自分は異性であるべきなのではないかと疑問を持つ子供に対して、それは違う、お前は生まれたままの性を受け入れるべきだとする教育が彼女には許せないのだ。だからダルビーのような過激派は子供が自意識に疑問を持ったその時点で、子供の気がかわらないうちに、なるべく早くトランスへの道を歩ませようとする。

ダルビーの記事からは、最初からトランスジェンダーに関して自分と違った考え方は弾圧されるべきだという姿勢が見え見えだ。題名からしてシンガルが記事を書くことがなぜ「許されるのか」としていることからして明白である。

彼女に言わせると、思春期のトランスに関する思い違いは子供が成長するにつれ消えていくという思想そのものが許せない。そんなことを言う人間の言論は弾圧されるべきとの考えなのだ。

さらに危険なのは、シンガルのようなシスジェンダー(生物学的性侮蔑と意識が一致している)でトランスについて間違った記事を書いてきた過去のある人間にこの件について書くために雇われたということだ。

ダルビーは、他にいくらもトランス専門家がいるにも拘わらず、わざわざトランスは異常だという考えの記者に調査をさせたということ自体に腹を立てているようだ。しかしこういう「専門家」のアジェンダは、子供の悩みを解決することではなく、より多くのトランスジェンダーを勧誘することでしかない。ローリーの両親がこういう自称専門家から娘を遠ざけたのは非常に賢明な行動だった。

18歳以上の大人が自分の意志で野蛮な「性転換」処置を受けるというのは本人の勝手だ。しかし未成年が自分の人生を変えてしまう不必要な医療措置を両親が許可することや、ましては奨励することは幼児虐待以外のなにものでもない。

 

 

 


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伊藤詩織が逃した本当の意味での強姦被害者救済

前回述べた伊藤詩織さんに関して私が非常に残念だなと思うのはこの件が反保守政権という政治がらみになってしまったことで、本当の意味での強姦犠牲者救済の妨げになってしまったのではないかという点だ。

もし彼女が本当に強姦の被害者だったと仮定した場合、彼女が警察や強姦被害者相談所から受けた扱いはあまりにも酷過ぎる。もし彼女が日本における強姦被害者対策を改善しようとして、あえて恥をしのんで名乗り出たというのであれば、山口氏を名指しで責めたことや、安部首相との関係を匂わせたことはかえって逆効果だったのではないだろうか。

私も日本で生まれ育ち21歳まで日本に住み日本で働いていたこともある。中学高校は電車通学で痴漢には毎日のようにあった。たった一年務めた会社でも上司から胸を触られるといったセクハラを受けたこともある。だから日本において女性が多少なりとも性犯罪やセクハラに悩まされているという詩織さんの発言はまんざら嘘だとは思わない。ただカカシが日本を後にしてアメリカに移住したのは1980年代のことなので、その後30何年たった今でも多々の面で変わった日本が性犯罪に関してだけは全く変化がないと考えるにはちょっと無理がある。

詩織さんが加害者とする山口氏に関しても不起訴処分になったから彼が無罪だとは言い切れないが、はっきり言って詩織さんの場合は警察がかなり時間と労力をついやして捜査をしてくれたと思う。日本の検察は一年余りにも及ぶ捜査の末不起訴と決断を下した。私から言わせれば、警察がそこまでやってくれたという点で彼女はまだ幸運な方だった。

アメリカの警察は犯罪率が日本よりも高いということもあって、確実な証拠が取れないと判断した件に関してはほとんど捜査などしてくれない。私の家は一度泥棒に入られて多額の宝石を盗まれたが、被害届は出したものの警察は全く捜査などせず、それっきりになった。結婚詐欺にあって何万ドルも騙しとられた知り合いは、警察が男の居る場所解らないといって捜査を放り投げたと言っていた。彼女がちゃんと男の住所を警察に届けてあり、男はまだそこに住んでいたにも関わらずである。おしうりをアパートから追い出そうとして殴られた友達は被害届を出しに行ったら、押し売りが先に友達から殴られたと被害届を出していたため、どっちもどっちでわからないと警察から相手にされなかった。

ということがあるので、欧米で強姦被害の告発率が日本より高いからといって、では起訴される可能性も高いのかと言えばそれはそうとも言えない。BBCが国営放送局であるイギリスでも強姦告発率が高いと言っても、それがどのくらいの率で起訴にまで及ぶのか、イギリスでの被害者への対応はどうなっているのかが解らないと、一概に日本より環境が良いとは言えないと思う。(加害者がパキスタン人だと警察は相手にもしてくれないという事実もあるし。)

もっとも外国がどうのこうのということよりも、現在の日本の状況が強姦被害者への対策不十分であるという点は否めない。日本社会は被害者対策を改善する必要がある。BBC番組で取り上げた日本社会の問題点というのは、

  1. 日本の警察には婦人警官の数が一割にも満たず、強姦被害者の事情聴取をする警官が男性である。
  2. 事情聴取の際に等身大のマネキンを使って被害者に犯罪を再現させ、男性警官数人が写真を撮る。
  3. 強姦被害相談所が全国各地に8箇所しかなく、人手不足なため直接出向かないと相談にも乗ってくれない。
  4. 全国各地の病院で強姦の診察に必要なレイプキットを常備している病院が十数か所しかない。
  5. 警察に届けなければ強姦に関する診察を受けられない。
  6. 強姦罪の最低禁固刑は3年(以後5年に伸びた)で、窃盗犯よりも軽い。
  7. 合法な性交渉合意年齢がたった13歳と言う若さ。(アメリカでは18歳)

これらのことは詩織さんが言うようにかなり改善が必要である。これは政府が保守かリベラルかということとは関係がない。詩織さんは強姦被害を名乗り出たことによって保守派からひどい扱いを受けたというが、もし彼女の訴えが日本の体制における犠牲者への不十分な対策に関しての告発であれば、リベラルからも保守派からも同じように支持を得ることが出来たのではないだろうか?

山口氏が犯罪者であるなら彼を罰するのは司法であるべきでメディアや世論であってはならない。彼女が民事で山口氏を訴えるのは正当な行為である。しかしわざわざ安倍首相との関係を持ち出したり、不起訴になっている人間を記者会見して名指しで責めることで、彼女は何を得ようとしたのだろうか?

彼女のやり方は保守派を敵に回してしまった。外国のメディアで日本の悪口を触れ回ったことによって、日本人の多くが日本の制度を見直すよりも現状維持を固持する姿勢をかえって強めてしまった。

彼女は今、日本の大学巡りをして、性犯罪に関する講演を行っている。それはそれで良いことだとは思うが、その内容によっては、アメリカの大学で起きているような冤罪の急増という弊害も起こりえる。彼女の行動が本当の意味で女性救済になっているのかどうか、今のところ私には何とも言えない。


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BBCドキュメンタリー「日本の秘められた恥」の疑問点

伊藤詩織さんが元TBSワシントン支局長である山口敬之氏に強姦されたとして訴えた事件について、日本の秘められた恥と題して、イギリスの国営局BBCが一時間に渡るドキュメンタリーを放映した。全編は添付先で観ることが出来るが、ほぼ全面的に英語なのであしからず。後で字幕のあるものがあったら紹介する。

正直な話、このドキュメンタリーを観るにあたり、私にはかなりの偏見があった。そして番組をきちんと観た後もその偏見をぬぐうことはできない。もし詩織さんが彼女の言う通りに強姦の被害者であるのなら、私は彼女に全面的に同情するし、彼女の受けた仕打ちは本当にひどいと思う。だが、密室で起きた出来事ではどちらの言い分が正しいのか部外者の我々に判断することは出来ない。詩織さんが強姦対策が進んでいるとするアメリカにおいて、多くの大学では合意の上での性交渉が後に女生徒からの根拠のない訴えで学校を退学させられる男子生徒が多く出ている。こうして無実の罪で学校を追われた男子生徒が就職にも支障を来し、大変な被害をこおむったとして大学側を訴えるケースも後を絶たない。

私も一人の性犯罪サバイバーとして自然に詩織さんにはものすごく同情したくなる。だが、同時に保守派として、彼女が自分の被害を安部政権バッシングに利用している、もしくは政治的な下心のある人たちに利用されていることで、彼女の証言が100%真実であるのかどうか懸念せざる負えないのだ。そして特に腹が立つのは、BBCが自国の恥である何千人という被害者を出し、今も出している、イスラム移民白人少女強姦組織について何十年も長年沈黙を守って来たにも関わらず、日本だけが性犯罪を隠ぺいする社会かのように報道することに激しい憤りを感じるのだ。

この番組は完全に詩織さん側に立ってのドキュメンタリーになっており、反論を述べているのは国会議員の杉田水脈女史のみで、「酔っぱらって男の部屋についていくなど、すべては詩織さんに責任がある」と言っているかのような写し方になっていた。杉田女史によると、日本におけるセクハラ問題についてインタビューしたいというBBCの二時間にわたるインタビューには応じたが、それが詩織さんドキュメンタリーの中でほんの数分文脈を無視した切り貼りでつかわれるとは思っていなかったという。

この事件の真相はわからないのでなんとも言えないが、番組の中で言われていることでちょっと合点がいかない点を二つ挙げてみると、

  1. ホテルの監視カメラにひとりで立てない詩織さんを山口氏が壁に立てかけるようにしているビデオがあるというナレーションが入っているにも関わらず、そのビデオが番組中で使われていない。
  2. 番組では山口氏は事件直後に詩織さんからメールでビサに関する質問を受けたと証言していることに関して、詩織さんはそれが強姦のなかった証拠にはならないと言っているにも関わらず、そのやり取りがどういう内容だったかを紹介していない。(後に詩織さんが山口さんに送った、強姦を責めるメールのやりとりは番組の冒頭で詳細に紹介されているにも関わらずである。)

この二つの点は実際に性交渉に同意があったかないかを判断するうえで非常に大切なことだと思う。彼女がすすんで山口氏のホテルに行ったのであれば、性交渉は同意の上だったとする山口氏の言い分を裏付ける有力なてがかりとなるし、よしんばホテルには行ったが性交渉を同意したわけではないとしても、もし事件後に詩織さんが送ったメールが友好的なものであれば、やはり交渉は同意のうえだったと判断することも出来る。アメリカでも強姦で冤罪を受け有罪になった男性が、後日女性からもらったラブレターメールを提出することで冤罪が晴れた例もある。

それとこの番組の「日本は性犯罪を隠したがる」「日本のメディアは性犯罪について報道しない」ので詩織さんの件もメディアに無視されたという主張にもちょっと疑問を覚えるのだ。番組のなかで日本のテレビ映像がいくつか紹介されているが、詩織さんの記者会見の模様や、それに関するいくつかのニュースはすべて主流メディアのテレビニュースのものだった。この番組ではなかったが、この他にも私は普通のラジオ番組で詩織さんをゲストに招いた詩織さん側に同情的な番組を一部聴いたこともある。日本の主流メディアは詩織さんの件を無視したどころか圧倒的に詩織さんに同情的な立場で報道していたことが、この番組を観るだけでも明らかだ。これに対して、詩織さんに対して批判的な報道をしたとして紹介されたのは、ユーチューブで個人的な配信をしている聞いたこともない保守系ユーチューバーや、ネット放映の右翼保守番組のみ。山口氏は保守派のネット番組でしかインタビューに受けていないというが、それはいかに主流メディアが山口氏に非同情的であるかを示すものだ。同情的なインタビューなら彼も承諾していただろうから。

この番組は日本で性産業が盛んなことや、どこもかしこも萌えといわれる顔は子供で体は大人の嫌らしいアニメ風映像があふれかえっており、女性は常に性の対象になっているが、女性は性被害について声をあげることが出来ない社会でもあるというイメージを全面的に押し出している。番組後半で詩織さんが大学生相手に電車で痴漢にあっても女子高生は声も上げられないとか痴漢を目前で目撃した男子生徒も声をあげられなかったなどという話を聞いて、これが本当なら確かにひどいと思ったが、女性専用電車が設置されたり、痴漢冤罪で逮捕される男性が多いことなどから考えて、日本の女性たちがそこまでか弱いとはどうも信じられない。私の頃でも勇敢に声をあげる人は結構いたからねえ。(私も含めて)

町中に卑猥な映像があふれているという点では日本だけでなく欧州でも普通にある。昔フィンランドに留学していた友達から聞いたが、家族連れが歩くショッピングモールのビルの外壁いっぱいに全裸女性が描かれていたなど普通だったと言っていた。またフランスでも街中の売店で大股開きのエロ本が普通に売られているといって写真をアップした人もいた(ツイッターでは局部は隠してあった)。つまり、卑猥な映像が町にあふれかえっているのは何も日本だけではないということだ。それに卑猥な映像があふれていることと女性への性犯罪が多いこととは直接関係はない。そういう映像を厳しく規制しているイスラム圏では女性への強姦など日常茶飯事であることからもうかがわれる。

詩織さんが事件後に受けた警察での事情聴取の無神経さや、日本の性犯罪法が110年も全く改正されなかったことや、強姦被害相談施設が全国に数えるほどしかないことや、警察に届けなければレイプキットのある病院を紹介してもらえないとか、日本には性犯罪被害者への対策が不十分であるということは事実である。もし、詩織さんが日本のそうした体制を改善したいと思って勇気をもって自分の体験を語ろうというのであれば、それは賞賛されるべき行動である。だがもし、自分の体験を相手の男性に復讐するとか、左翼政治のために利用しよというのであれば、これはとても感心できる行為ではない。

そのことについてはもっと書きたいことがあるので回を改めて書こう。

 


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ニューヨークタイムス、「いかにして保守派が言論の自由を武器と化したか?」

先日ニューヨークタイムスは「いかにして保守派が言論の自由を武器と化したか」という驚くべき記事を掲載した。ここ十年来、後退派左翼による保守言論弾圧は頓にひどくなっているが、それでもつい最近までは後退派左翼も表向きは言論の自由は大切であるという姿勢を取ってきた。ところがここ1~2年、特にトランプが大統領になってからは、彼らは言論の自由を守るべきという姿勢すら崩しつつある。このNYTの記事はまさに後退派左翼がもはや言論の自由を信じていないと全面的に認めるという驚くべき内容なのだ。

何故、言論の自由の守護神のごとくふるまってきた後退派左翼が今になってアメリカ憲法補正案第一条である言論の自由に懸念を抱き始めたのかと言えば、彼らに言わせると言論の自由は最近、保守派の思想を広めることに「悪用」され始めたからだという。

NYT曰く、最高裁判所審査最終日、リベラル派裁判官エレーン・ケーガン女史は5人の保守派裁判官が多数権を握る最高裁判所は補正案第一条を使って公務員労働組合に多大なる打撃を与えたと警鐘を鳴らした。その前日にも最高裁は宗教関係の妊娠相談所にて中絶に関する情報を与えることを義務化しているカリフォルニア州の法律は補正案第一条に反し違憲であると判断した。ケーガン裁判官は最高裁は「補正案第一条を武器と化している」と語った。

この他にも同性婚ウエディングケーキ製作を拒否したキリスト教徒のケーキ屋に関する訴訟や銃砲所持権利や限度なしの選挙運動資金などに関しても、最高裁は補正案第一条の宗教と言論及び表現の自由を理由にことごとく保守派の訴えを認めている。つまり、後退派左翼は、自分たちによる保守派言論の弾圧が憲法補正案第一条によってことごとく阻止されている。これがケーガン裁判官のいう補正案第一条が保守派の「武器と化している」と言う意味だ。

もともとリベラル派は建前上自由を信じているとされてきた。いや、実際に本当に誰の言論の自由も守られなければならないと思っていたリベラル派は多くいたのである。1977年、人権団体のACLUなどはネオナチがナチスドイツ収容所生存者の多く住む町でデモ行進をする権利すらも擁護したほど言論の自由の原則を信じていた。

その彼らが今になって恥も外聞もなく「フリースピーチはヘイトスピーチだ!」などと言えるに至ったのか。

1960年代の人権運動が起きるまで、アメリカ社会は非常に保守的だった。これは今でいう保守派とはちょっと違う。経済的には非常に社会主義的であったが、社会的には保守的だったということ。例えば映画や雑誌などでの性的表現など今では考えられないほど厳しい規制があった。であるから当時のリベラル派の間では言論や表現の自由弾圧は常に保守的な体制によるものなのであり、それに対抗するために補正案第一条の拡大を信じるのは普通の姿勢だった。

ところが最近、自分らが昔使った理屈や手法が保守派の意見拡大のために使われるという不思議な状況が生まれた。これによって言論や表現の自由は神聖なものとしてきたリベラル派の間で第一条が及ぼす害について考え直す人々が増えて来たというのだ。

例えば、ポルノグラフィや野外デモ。昔のリベラルは過激な性的描写を規制する政府からその表現の自由の側に立って戦ったが、今は女性に対する暴力や人権侵害につながるとして支持できないと考える人が増えている。昔はアメリカナチ党のデモ行進を支持したリベラル派も、去年シャーロッツビル市で行われた白人至上主義デモには概ね批判的だった。

言論の自由に関してリベラル派は多少ナイーブな考え方をしていたと語るのバージニア大学のフレドリック・シャウアー教授。

「1950年代から1960年代における言論の自由は、わいせつ表現規制や反人権やベトナム戦争抵抗運動などに関するものだったため、左翼は演説者に同情することが出来たし、こうした表現は無害だと思われていた。」と教授。「しかし言論が無害とか不活性などということが真実だったことはない。最近の現象によって左翼はその事実に気づいた。問題なのは、では何故左翼は一度でも(言論の自由が無害)だなどと信じたのかということだ。」

これはものすごい自認だ。『言論や表現が自分たちの思想と沿っている間はその自由を認めるが、それが自分たちに都合が悪くなったら認めない』というのであれば彼らは言論の自由など最初から信じたことがないと認めたも同じだ。

昔のリベラル派には自分が同意できない意見の発言も守られるべきと信じていた生粋の自由主義者が結構居たが、今やリベラルを追い出し後退派と化した左翼連中でそんなことは信じている者はない。いや、それどころか自分らの思想拡大のためには反対意見は暴力を使ってでも徹底的に弾圧すべきというのが今の彼らの姿勢だ。真実はそれまでリベラル派の間に隠れていた社会主義左翼たちがついに本当のリベラルを追い出し、リベラル運動を乗っ取ってしまったと言った方が正しいだろう。

NYTは保守派が言論の自由を武器に使い始めたというが、言論の自由が武器として使われるというのは今に始まったことではない。体制派が何故人々の言論を抑圧するのか、それは表現される思想が体制派のものだけに統一したいからだ。多々の思想を弾圧することによって体制派の権力を拡大するためだ。人々が大本営放送だけを聞いて他で種々の情報を取り入れたりせずに体制の思い通りになってもらうためだ。情報は力だ。「筆は剣より強し」というのはまさにそれを表しているのだ。

後退派左翼が自由表現に脅威を持つのは今や左翼思想こそが体制だからである。ポリコレとかコンプライアンスとかいう言葉が聞かれるようになって、アメリカ及び欧米社会で(日本も含み)後退派左翼による言論規制は昔よりずっとひどくなっている。そしてそれに対する保守派からの抵抗も日に日に増している。後退派左翼が「言論は暴力だ!」と言って保守派の講演を暴力で阻止したり、フリースピーチ(言論の自由)はヘイトスピーチだと言って人々の言論を抑圧しようとするのも、彼らは左翼が独占してきた左翼主義思想が崩れつつあることに脅威を覚えているからである。

しかし後退派左翼が言論の自由を武器として使っていた頃から全く学んでいないことは、常に自分たちの意見が多数意見であるとは限らないということだ。今はメディアや大学などの教育界が左翼によって権限を握られているからといって、今後もそうであるという保証は全くない。今後保守派が体制となり左翼が少数派になった場合、言論弾圧をよしとした方針は結局自分らの言論を弾圧するために使われることになるのだ。何故左翼連中はそれに気が付かないのだろう?

私は純粋な意味での言論の自由を信じている。だから私が馬鹿にしている後退派左翼によるどんな馬鹿馬鹿しい言論もデモをする権利も守られなければならないと考えている。自分が耳にするのも耐えられないほどひどい議論を守れなければ、本当の言論の自由など存在しないのである。

後退派左翼は一度でも個人の自由や権利など信じたことはない。彼らが信じた言論の自由とは自分らだけの思想を表現する自由であって他の意見を守る自由ではない。もし読者諸氏が少しでも後退派左翼のきれいごとを信じているのなら、今すぐやめるべきである。


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