二流男子運動選手が世界選手権でメダルを取る方法

先日、女子スポーツに参加するトランス/女装男たちはずるをしていると語ったことがもとで、往年のテニス女王マティーナ・ナブラチロワは長年役員をしていたアスレーツアーライ というLGBT人権運動団体から追い出された。ナブラチロワは自分もレズビアンという立場から、LGBT支援のために長年活躍してきた。にも拘わらず、男が女子競技に参加すべきではないといっただけでこの扱いだ。元のサンデータイムスのオプエドは有料なので読めないが、それに関する記事を見つけたので読んでみた。

単に名前を変えてホルモン摂取しただけで、男子を女子として競争させるのは不公平だ。どれだけ彼らがウエイト(権力)を振り回そうと。-マティーナ・ナブラチロワ

ナブラチロワはトランスジェンダー選手に関して自分なりに勉強したという。その結果、トランス女性が女子スポーツに参加すべきではないという自分の信念はかえって強まったという。何百という男子選手が限られたホルモン治療を受けただけで女だと言い張って女子スポーツに参加し、女子ではありえない成果を遂げていることは全く馬鹿げた状態だと語る。

ナブラチロワをトランスフォブと呼ぶのは非常に皮肉である。なぜなら彼女は現役時代にトランス女性のレネー・リチャーズと親善試合で知り合いになり、その後リチャーズが引退するまでコーチをしてもらっていたくらいだからだ。リチャーズは男子テニスでは完全なアマチュアだったが、43歳の時に性転換手術を受けて女子プロテニス選手権に参加。USTA全米20位という好成績を収めた。そのリチャーズ自身が、今思えばあれは不公平だったと語っている。

トランスセクシュアルはプレイをする権利があると思います。ただプロのレベルでなければ。なぜなら(男女は)同じ土俵ではないからです。もしも私が22歳の時に性転換をして24歳でツアーに参加していたら、世界中のどんな医学的女子も私の足元にも及ばなかったでしょう。それで私は考えを変えました。

リチャーズだけでなく、テニス界では元男子のトランス女性と女子選手の試合が親善試合として何度か戦われてきたが、どの場合も女子は現役バリバリの若者であるのに対し、男子は40過ぎのピークをとっくに越した選手ばかり。

1998年にオーストラリアでウィリアム姉妹が世界ランキング200位レベルの男子となら勝てるだろうと冗談を言ったことがもとで、203位の男性が二人に挑戦し、ある昼下がりに二人と次々に勝負をして悠々と勝ってしまったという話がある。往年の男子テニスプロチャンピオンのジョン・マッケンローもセリーナ・ウィリアムスは男子の300位くらいのレベルだと語っていた。(これは賞賛の意味で)

つまり、男子と女子ではレベルがこれほど違うのだという話。もっともこんなことは言われなくても誰でも知っていることのはず。ところがナブラチロワの発言に猛攻撃をかけたのがレイチェル・マッキノンという自称女の女装男。

マッキノンは昨年、2018年サイクリング世界選手権、女子200メートルスプリンターの35歳から39歳のカテゴリーで優勝した。彼のツイッターをフォローしようと思ったのだが、彼について何も書かないうちに即ブロックをかけられた。日本語で書いてる私の零細ツイートなんか読むはずはないと思ったのに何故か私の反トランス姿勢を悟られてしまったよう。

別な方法で彼の書いてるツイートをちょっと読んでみて驚いたのは、マッキノンは性転換手術どころか豊胸手術も受けていない、ただ単に女子選手権参加に必要なための女性ホルモンを受けて男性ホルモン分泌を低めただけという正真正銘の女装男だということだ。

はっきり言って女子競技に参加できるトランスの基準はまちまちで、先日コネチカット州の高校陸上競技で一位と二位を取った短距離選手二人はホルモン治療も受けていない、前シーズンまで男子競技に参加していた男子生徒だった。しかも他の女子選手から苦情が出ると、「女子たちは文句言う前にもっと練習すべきよ~」などとうそぶいている。てめえらがもっと練習して男子競技で競えばいいだろ!この二流選手!

女子競技に参加しているトランスは元二流の男子選手だという指摘に「トランスフォブ!」と怒り狂ってるマッキノンは常に自分のことをドクター・マッキノンと称し、トランス女性の運動神経は女子より不当に有利ということはない、それは医学的に証明されていると主張している。ドクターというからには医者か医学者かと思えば、彼の博士号は医学ではなく哲学だ。こういう場合はドクターではなく教授を示すプロフェッサー・レイチェル・マッキノンとするのが普通。しかも彼はまだ助教授。

まあそれはいいとして、彼は以前に自分が勝った選手権で三位になった女子が文句を言った時もSNSなどでさんざんいじめて謝らせた経験があるので、今回も差別だヘイトだトランスフォブだと言い張ってナブラチロワをアスレーツアーライから追放するのに一役買ったようだ。

しかし、こういうことがずっと続くとは信じられない。今回ナブラチロワのように偉業を遂げた女子アスレートが声をあげてくれたのは非常に意義がある。そして、長年LGBT活動を続け、トランスジェンダーなど誰も聞いたことのなかったころにトランス女性をコーチにまでした女性が、このような扱いを受けていることで、トランス活動家がどれほど過激で危険な連中であるかに多くの人々が気づいてくれることを祈る。

最後に女性アスレーツを称えたナイキのコマーシャルを紹介して終わりにしよう。誰かが和訳字幕をつけてくれた。



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対ゲイ黒人へのヘイトクライムを自作自演しなければならない社会とは?

数週間前、エンパイアというテレビ番組で人気のジェシー・スモレットというゲイ黒人俳優がシカゴで二人の白人に「ここはマガカントリーだ!」と言われて殴られたと被害届を出したことで大騒ぎになったが、実は彼自身が二人の男性に金を払って自作自演していたことが明らかになった


[シカゴ 21日 ロイター] – 米俳優ジャシー・スモレット(36)が、ヘイトクライム(憎悪犯罪)の疑いで2人組の男に襲われたと主張していたのは自作自演だったことが発覚し、シカゴ警察に21日逮捕された。出演料の低さに対する不満があったという。

オバマ政権時代のアメリカでは、白人警察官が丸腰の黒人をやたらに射殺しまくっているというフェイクニュースが蔓延した。残念なことに大統領自らがその嘘を広めていたため、主流メディアは嘘をどんどん広めていた。読者諸氏もファーガソン市で起きたマイケル・ブラウン射殺事件を覚えておられるだろう。ミズーリ州のファーガソン市でマイケル・ブラウンという黒人青年がコンビニで強盗を働いた後、白人警察官に襲い掛かり警察官の銃を取り上げようとして射殺された事件だ。ブラウン青年は確かに凶器を持ってはいなかったが、背は180センチを裕に超え、体重も150キロはある巨漢。迎えた警察官よりずっと大きかった。これは完全なる正当防衛であり、殺人犯に問われた警察官は裁判により無罪となった。

しかし、事件の事実はほとんど報道されることはなく、アメリカの白人警察官は人種差別者だらけだという印象が多くの人々の心に残ってしまった。私が愛聴している浜村淳さんでさえ、アメリカでは白人警官が無実の黒人を殺しまくっているなどとおっしゃっていて、とても悲しい思いがした。浜村さんは主流メディアの嘘記事だけを読んでるから、そういう印象をうけたのは無理もないのだが。

また、在米中の日本人でもこういう嘘を広める人が居るので困る。この間、15歳の少年がアメリカでヒッチハイクをするという時に、危ないから止めろと言った人のなかに、ニューヨークの日本人留学生でアメリカの中部や南部は人種差別者ばかりだから行くなと言った人が居て、とても腹が立った。その人はトランプが大統領になったことでも、いかにアメリカが人種差別な国かが解るはずだなどとニューヨークリベラルのプロパガンダをそのまま信じ込んでいた。当人は人種差別になどあったこともないだろうに、他の人はあってるはずだと決めつけている。

さて、右翼によるマイノリティへのヘイトクライムを自作自演した事件は何もスモレットが最初ではない。黒人教会の壁にKKKという落書きをしたり、ナチスの鍵十字を書いたりして、ヘイトクライムだと騒いだ人間が実は黒人だったり、ヒジャブを脱がされそうになったと騒いだモスレム女性が実は嘘をついていた、数年前白人大学生数人に輪姦されたと騒いだ黒人ストリッパーは裁判ですべて嘘だったことを認めた、なんて事件はいくらでもある。もし本当にアメリカが人種差別のるつぼであるのなら、そんな自作自演をしなくてもいくらも例を見つけられるはずだ。

極端な話、アメリカでは巨漢で大食いの人が多い、という説を証明しようと思うなら、近所のファーストフード店にでも行って10分も座っていればその根拠を目撃することが出来る。なにもやらせで太った人に三段重ねのハンバーガーを食べさせる必要はない。

これに反して、対保守派への暴力行為は日常茶飯事である。保守派講演者の講演が左翼暴徒によって妨害されるなどしょっちゅうだし、先日もUCバークレーで保守派学生が左翼学生に殴られたばかり。マガハットをかぶった青少年がコーラを投げつけられたり、帽子を取られたりなど数え上げたらきりがない。こんなことは自作自演の必要など全くないのだ。




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言論と暴力を混同すると、かえって暴力を煽ることになる

最近アメリカでも日本でも「言葉の暴力」といった概念が後退派左翼の間で流行って。ごく普通のことを言っただけで、「それは差別だ!ご暴力だ!」と言い出す輩がやたら多い。ある人などは「言葉で人は死にます」とまで言い張った。いったい私がどんな呪文を唱えればそういう奴を殺すことが出来るのか、是非とも教えてほしいものだ。

聡明な読者諸氏はもうすでにご承知のことと思うが、そうやって相手の言論を暴力だとか暴力を煽る行為だとか言う奴らに限って自分たちは平気で暴力を振るう。平和平和とがなり立てながら、辺野古基地前で基地に出入りする人々の車を囲って車を叩いてる奴らなんぞは、その典型である。

先日も極左翼で悪名高いカリフォルニアのUCバークレー大学で、保守派活動家が左翼暴徒に殴られるという事件が起きた。上記はその時の模様。被害者はハイデン・ウイリアムスという男性でターニングポイントUSAという保守派団体への勧誘活動を手伝っていた。ブースには「ヘイトクライムのやらせは真の犠牲者を傷つける」 ( “Hate Crime Hoaxes Hurt Real Victims”)といったサインが掲げられていたという。これは先日二人の保守派白人に襲われたという自作自演の犯罪を訴えて問題になっている黒人俳優のことを比喩している。

さて、このサインに怒った二人の男がウィリアムスに近づきウィリアムスに罵声を浴びせかけた。ウィリアムスによると男たちはウィリアムスを「レイシスト」と呼び「撃ってやる!」といって脅したという。私が見たビデオの中でも黒い服を来た男が「お前は暴力を煽っている」と言いながらウィリアムスを殴っている姿が写っている。

最近の大学キャンパスは保守派にとって非常に危険な場所になっている。とターニングポイントUSAの創設者、チャーリー・カーク氏はいう。保守派は単に意見が違うというだけで罵倒され暴力を振るわれるのが普通になっている。もしこれが反対にマガハット(トランプ支持の象徴)を被った保守派学生による暴行であったら、メディアは「ヘイトクライム」だと言って大騒ぎしたに違いない。なにせマガハットをかぶって微笑んでいただけの高校生をあれだけ吊し上げたメディアであるから。

なぜ左翼連中は保守派というだけで殴ってもいいと思うのか。それは「言論は暴力だ」という危険な思想を信じ込んでいるからだ。言論は言論だ、言論で誰も怪我をさせることなど出来ない。だがそれを「暴力だ」と言ってしまえばどうなるか。暴力なら暴力で応戦しなければならないという理屈になる。だから後退派左翼にとって保守派の言論は暴力なのであり、暴力によって対抗するのは正当防衛なのだという考えなのである。私が口を酸っぱくして言論と暴力を混同してはいけないと言っているのはこれが理由だ。

そしてこれはヘイトスピーチは暴力だとするならば、政府による暴力で弾圧されて当然という理屈になる。

先日イギリスでは38歳の母親がフェイスブックで「トランス女性は男だ」と書いただけで警察に連行されて何時間も拘束されるという事件が起きた。イギリスではこういうことがもうすでに何度も起きている。その話を上記のようにツイッターでしたら、「ミスジェンダーはヘイトスピーチだから規制されて当然」と答えて来た人が居た。

この人は自分が言っていることがどれほど恐ろしい言論弾圧であるかわかっているのだろうか?SNSで何気なしに言ったこと、しかもトランス女は男だ、などという明確な事実を言っただけで逮捕されるような世の中に本当に生きたいと思っているのだろうか?こういう人は自分は常に権力者側に居ると錯覚している。自分の意見が多数派だから自分は安全だと思っているのだろう。だが、ほんの10年くらい前ですら、男を男と呼んだらヘイトだと言われる時代が来るなんて、誰が予測しただろう?ということはいつ何時、今はポリコレな言論が明日はヘイトになるか解らないのだ。ずっとリベラル派だといってバージニア州の知事にまでなった人が30年以上も前に冗談でやった黒塗りで辞任を迫られるなんて世の中だからね。

余談だが、バージニア州の知事の黒塗り写真を検索していたら下記のようなツイートを見つけてしまった。ここまで来ると黒塗りというより変装だね。


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両親の揃った家庭の子供は教育レベルが高い

ここ数日、10年くらい前の日本のドキュメンタリー番組を観ていたら、10代でぐれた青少年を立ち直らせるカウンセリングをしている男性の話があった。興味があったので彼の扱ったいくつかのエピソードを観てみたが、どの子たちにも共通していたのが父親像の欠落だった。母子家庭などで実際に父親が居ない場合も、両親揃ってはいるが、父親が子育てに無関心な場合も結果は同じ。男の子が尊敬して見本に出来るような男性が傍に居ないと男の子は不安定になる。無論母子家庭に育った子供がすべてぐれると言っているわけではない。ただ、父母という両親が揃った家庭で育つことが子供にとっては理想なのは間違いない。

父親像が欠落するという意味ではレズビアン結婚も同じ問題を抱えているので、同性カップルによる子育ては問題である。また2012年の拙ブログでも紹介したように、男性同性カップルの子供たちは、父親のパートナーが3年以上一緒にいたケースがほとんどないということもあって、なかなか子供が安定した家庭に育つというのは難しいようだ。

それでは、両親が揃っている家庭とそうでない家庭では、子供たちの教育にどのような違いがあるのだろうか。族構成と子供の教育というサイトを見つけたので読んでみた。

学校の成績の違い

驚いたのは、結婚している実の両親と一緒に暮らしている子供たちの学校での成績がそうでない子供たちよりも断然良いという結論。2006年のアメリカの調査だが、高校生で通知表の平均点1から5までの平均値が2.9点と一番高かったのは結婚している実の両親と暮らしている子供たちだった。その後に続くのが、結婚している継母や継父と暮らしている子供たち、実の両親だが親が同棲しているだけの家庭、離婚して片親だけの家庭の子供たちは2.6。未婚の片親のみ、もしくは片親が同棲している相手と暮らしている場合は2.5点だった。


また、1997年の調査でも同じような結果が出ている。通知表でほぼA(5)ばかりという子供たちの28%は両親が揃った家庭に育っていた。それに次ぐのが両親が同棲している家庭で21%、離婚して片親になった家庭18%、 実親と継親が結婚している家庭15%、結婚していない片親の同棲パートナーとの家庭では11%、未婚片親の家庭は9%となっている。

大学進学に関しても学士取得した36%が両親が結婚している家庭出身。続いて両親が同棲している家庭で20%、離婚して片親の家庭で17%、実親が継親と結婚している家庭で16%、未婚の片親で8%、実親とその同棲パートナーの家庭で7%という結果が出ている。大学を卒業するしないに関しては両親が結婚している家庭が断然有利である。

興味深いのは実の両親が揃っていても、彼らが結婚しているか内縁の関係にあるかで子供たちの学力に影響が出るということだ。やはりパートナーとの暮らしにけじめをつけられない親は、こどもの教育にも熱心になれないのかもしれない。

学校での態度の違い

小学校一年生の場合、 母親が結婚している家庭の子供は未婚の母や同棲のみの母親の居る家庭の子供たちよりも往々にして行儀がよく、教師に反抗したり、他の生徒に乱暴したりすることが少ない。

思春期になると、両親が結婚している家庭に比べて、片親だけ及び実親と再婚相手との家庭の子供たちの方が祖業不良で停学や退学処分になる率が高い。両親が結婚している家庭は子供の教育に熱心で宿題なども言われなくてもやるように教育している。

片親とその再婚相手や継兄弟などと暮らしている子供たちは実の両親や兄弟と暮らしている子供たちよりも勉学に対する熱意が低い。離婚した家庭や両親が同棲している家庭は無断欠席やサボりが多くなる。 片親と再婚相手との家庭の子や、片親のみの家庭は、実の両親や兄弟と暮らす子供たちの3倍も学校を中退する傾向がある。これは家庭の経済状態を考慮にいれても変わりがない。

結婚している実の両親と暮らす子供たちの85%が高校を卒業するのに対し、片親のみは67.2%、再婚家族は65.4%、両親と暮らしていない生徒になると51.9%。大学受験も結婚してる家庭は69%で、そうでない家庭の60%よりもずっと高い。また別の調査では結婚している母親の子供たちはそうでない子に比べて二倍以上の割で高校を卒業するという結果も出ている。

経済面の影響

無論両親が結婚している場合は、共稼ぎのところも多いだろうし、経済面でも恵まれ、環境の良い場所に住んでいる可能性も高いので、子供たちの教育レベルも高いということはあるかもしれない。だが、もしそれだけなら、実親が再婚した場合も同じことが言えるはずだが、何故か継親の場合は実親の場合とは結果が異なる。いくら再婚相手が継子に対して実子のようにふるまおうとしても、やはり実子に対する熱意よりも薄れる傾向があるのかもしれない。

子供のために離婚は避けよう!

最近は日本でも結構簡単に離婚をしたり、未婚の母になったりする人が居る。昔は聞かなかったシングルマザーなどという言葉が今は普通に聞かれるようになった。女性が自立して不幸せな結婚にいつまでもしがみつく必要がなくなったという点ではよかったのかもしれないが、両親の身勝手で片親をなくす子供たちのことも、もう少し真剣に考えてもらいたい。

私の母はよく、「離婚したいと思ったことは何度もあった。でもあんたたちのために我慢した。」と言っていた。こう思ったのは多分母だけではあるまい。父もかなり我慢していたはずである。でも子供の教育のために離婚は良くないと思いとどまってくれた両親に私は深く感謝している。

両親が揃っていない子供がすべてグレるとか、成績が落ちると言っているわけではない。上記の統計でもわかるように両親と暮らしていない(施設もしくは里親)子供ですら51.6%がきちんと高校を卒業している。親がなくても子は育つというが、頭のいい子ならそれでも大丈夫なのだろう。だがその反面、両親の居ない半分の子供たちは落ちこぼれてしまうとも言える。

多々の調査を見る限り、子供の教育には結婚している実親と暮らすことが理想である。


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ヒッチハイクしてアメリカ横断を試みた15歳の無謀さ

先日からツイッターで日本人の15歳(中学生)の少年が一人でヒッチハイクしながらアメリカ横断を試みているという話がバズっていた。クレジットカードもキャッシュカードも持っていないので現金10万円を持ち歩いているなどとツイッターで自慢げに話していたらしく、外国暮らしの人が多い私のネット仲間たちの間では、「無謀すぎる」「危険だ」「殺される」など批判と心配の声が上がっていた。しかし、初めて数日後に警察に保護され帰国となった模様。まあ一応一安心といったところか。

彼の話が出て、ツイッター界隈ではアメリカが如何に危険な場所かという話が続々出ていたが、アメリカ在住の私としてはかなり怪しげな話も出ており、おいおい、そこまで危険じゃないよ、と言いたくなった。アメリカでなくても危険ななところもあれば安全なところもある。問題なのはよそ者にはどこが危険でどこが安全かが解らないことだ。

ツイッターでも話したが、私の回りで起きた昔の事件を思い出した。もう30年近く前の話だが、日本から来た新婚の夫婦が、「地球の歩き方」なる本を参考に、ロサンゼルスのグレイハウンドバスの駅からリトル東京まで歩いていく途中、強盗に襲われて現金などを奪われた。不幸中の幸いというか、旦那が鼻をへし折られたくらいで済み、新妻は無傷だった。もっとひどいことになる可能性はあったので、このくらいで済んで本当によかった。

日本の方々はご存知ないが、グレイハウンドバスターミナルのあるところは現地の人なら良く知っている非常に治安の悪い場所。また、リトル東京も日本人が多いからと言って油断は出来ない。日本村の回りはホームレスがたむろするおっかないところが沢山あるのだ。

当時はすでにツアー旅行に飽きた日本人が個人で旅行することが流行っており、色々なガイドブックに誘われてのこのこやってくる日本人が色々ひどい目にあっていた。ガイドブックを書く人もかなり無責任だなと現地の我々は思ったものである。

さて、 外国の怖さが解らないという愚か者は何も日本人だけとは限らない。 世間知らずでナイーブな馬鹿が身の程知らずのことをやって悲劇的な最期を遂げた例は欧米でもいくらもある。 この間もカナダのカップルが世界平和を証明しようとイラクへサイクリングの旅に出かけてすぐ殺されたなんて事件があったばかり。

もうひとつ思い出したのは1996年に本当にあった話。高校を卒業したばかりのアメリカ青年がアラスカの森林で冒険したいと全く基礎知識も持たずに一人で行って餓死するという事件があった。これは後にInto the wildという本になり、後に映画化もされているので興味ある人は観てみるといい。近所でよく狩猟などをしている現地の人に言わせると、周りには食用の植物もたくさんあり、食べられる獲物もいくらでも居たので、餓死をするような場所ではなかったということだった。しかし植物の知識もなく、狩りの仕方も知らない野外生活をしたことのない人間にはアラスカの原野は厳しい場所だ。知らないということは本当に恐ろしい。

2~3年前に私の友人(スイス系アメリカ人)の息子がイギリスに留学することになり、その前にベルギーのブルッセルに寄って観光すると言って一人で出かけるという話をしていた。私が「ブルッセルは危ないよ、行かない方がいい。」と警告すると友人は「え?なにが?大丈夫だよ、うちの子ドイツ語もフランス語も話せるから」とかとぼけたことを言っていかせてしまった。その一週間後にブルッセル空港爆破テロ発生。すぐに友人に電話して「○○ちゃん大丈夫だった?」と聞いたところ、父親は涼しい顔で「あ、うちの子は二日前にあの空港を通り過ぎてたから大丈夫だったよ。」などと言ってる。あと二日ずれてたら殺されてたかもしれないという危機感ゼロ。まったくこの親にしてこの子ありだと呆れてしまった。

この15歳少年の親も言葉も解らない外国に子供を一人で行かせるなんて無責任にもほどがある。世の中には危険が一杯ある。そうと知ってて出かけていくならまだしも、何もしらずに、よって何の準備もせずに、出かけていくは本当に危険だ。よい子の皆さんには絶対真似をしないように是非お願いしたい。

親も気を付けろ!


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「同性婚合法化は結婚制度破壊の第一歩」という動機を全く隠さない日本の活動家たち

日本で同性婚推進者の同棲カップル何組かが同時に日本政府を相手取って同性婚禁止は人権侵害であり違憲だと言って訴訟を起こした。彼らの言い分は欧米の活動家たちが繰り返したスローガンと全く同じ「同性婚が認められると、あなたにどんな不利益がありますか」というもの。不利益なんてごちゃまんとあるよ。といいたいところだが、私たち反対派が言うまでもなく、なんと日本の活動家たちは同性婚は単に結婚制度破壊のための踏み台に過ぎないと認めてしまっている。この人などはいい例。

また、私と何回か同性婚についてやり取りしたリッキーマン(@kokunusu)という人も、私の「結婚は大人の男女一人づつのみと定義された特権です。誰でも好き勝手に色々な形で結ばれていいと言う制度ではありません。 」という発言に対して、「 その特権は色々な人に渡されるべきです。あなたがそう考えるのは自由ですが、陳腐な言い回しですが、他人にそれを押し付けないで頂きたい。」と答えている。つまり、結婚が特定の形のみで認められる特権であるという定義を否定し、結婚はどんな形でも許されるべきであり、一夫多妻だろうと近親婚だろうと認められるべきだという考えを隠しもしない。 彼らの目的が既存の結婚制度の破壊にあると認めて憚(はば)からないのだ。

これだけ正直に語ってくれると、同性婚は結婚制度破壊につながるから反対だと言ってきた私たちは非常に助かる。同性愛者当事者の方々の多くもこうした活動家による同性婚推進にはかなり猜疑心を持っておられる。ひょんなことからツイッターで私をブロックした故ジャックさんは(亡くなる前に仲直りしたかったのに残念)、ゲイ当事者だったが同性婚には反対だった。


たとえばLGBT活動家たちは、「日本で同性婚の実現を!」と熱心に叫んでいますが、日本で事実上、同性婚の代替手段になっている同性の成人間の養子縁組については触れようとしません。 (略)


養子縁組によって親子になれば、遺産相続の問題とか、病気になったときの面会権とか、活動家たちが主張する同性婚ができないことによる問題を殆どクリアできます。

そのため、本当に同性カップルの幸せと権利の獲得を望むのであれば、「こういう選択肢もありますよ」と養子縁組制度を紹介しても構わないと思うのですが、活動家たちは、頑なにそれを拒んでいます。

なぜでしょうか? (略)


国に同性婚を認めさせることは、現行の家族制度を破壊するきっかけになるけど、養子縁組制度は、現行の家族制度に組み込まれているために家族制度の破壊にはつながらない。だから養子縁組を提案してもしかたない、と考えているのではないでしょうか。

この次に同性婚推進者に「どんな不利益がありますか」と聞かれたら、「同性婚の合法化は結婚制度の破壊につながるからだ、君たちもそれが目的だとすでに認めているからだ」と答えてあげよう。


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いかにしてトランスの身勝手が味方(アライ)であるはずのフェミニストを敵(ターフ)に回してしまったのか

前々から拙ブログでもトランスを名乗る女装男たちによるレズビアンやフェミニストへの攻撃について書いてきたが、いかにしてトランスの身勝手が味方であるフェミニズムを敵に回したか、という内容のエッセーを見つけたので、そのまま訳してみた。著者はOlivia Broustraで強姦の被害を受けた体験があるという。

ちょっと長くて何度も同じことを繰り返している感はあるが、まあ、それだけ彼女は怒っているということなんだろう。英語版の元記事はすでにトランスの圧力で削除されてしまったようなのでリンクはアーカイブから。

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よく出来ました。

あんたたちはトランス女性に配慮するあまり、奴らを女子刑務所に送り込むことに成功した。強姦魔を女子刑務所に送り込んでもいいってことにしたんだよ。あんたたちは女たちが強姦魔に強姦されるまで嫌がらせされるのを許したんだよ。 それをいいってことにしたのさ。なぜってトランスが承認されることの方がずっと重要だったからさ。

よく出来ました。

あんたたちは女性の避難所から二人の女たちを追い出した。彼女たちが健康体の(ペニスと睾丸がついた)男が女だけの安全地域に入ってくるのを心配したという理由でね。なぜってトランスの感情の方が大事だったからさ。

よく出来ました。

あんたたちは女を暴力で脅すのがかっこいいってことにしたんだよ。彼女をターフと呼びさえすれば、それでいいのさ。自業自得なんだもの。トランスフォビックの雌犬なんざ殴られて当然なのさ、そうだろ?デモ行進で女たちが殴られてもいいんだよ、だってただのターフなんだから。

よく出来ました。

あんたらはあんたらとセックスしたくない女をトランスフォビックといって責める。なぜってあんたたちが承認されることの方が大事だからさ。あんたらは新しい法律を作って男女別だった女性施設に男を立ち入らせることに成功した。「俺は女だ」と言いさえすれば立ち入りが許されるんだもの。今や女性の安全のために作られた空間への立ち入りが許可されている。なぜってトランスの方が大事だからさ。

よく出来ました。

あんたらは未だに女児性器切除や妊婦や勇気をもって膣について語ろうとする女たちに「許容的な言葉」を使えと強制する。あんたらは女体について語ることが許容的ではない偏狭だと説得してしまった。

よく出来ました。

あんたらは世間にトランス女性の方が本物の女性よりも女性の人権について語り、女子競技に参加し、女子よりも政治の女子議席を獲得する権利があると納得させてしまった。あんたらは世間に男は女だと納得させてしまった。そしてその過程で女たちを犠牲にした。なぜならあんたらのナルシストで自分勝手な男尊女卑の見解の方が大事だからだ。あんたらはトランス空間のために戦ったんじゃない。あんたらは女性のためだと言って戦った。その過程で女たちを踏みにじった。あんたらは自分はトランスでいいんだ、一緒に男たちの暴力と戦おうとは言わなかった。あんたらは自分らを女と呼べと要求し、女性として受け入れろと言い、反対するものを脅迫した。あんたらは世間が他の誰よりもあんたらを崇拝することを要求した。特に女性の上に君臨することを。

女とは何かと私たちが聞くと、あんたらは「感覚だ」という。女とは大人の女子のことだというとあんたらは、女の膣のことを前の穴と言ったり、手術によって裏返したペニスのことを膣と呼んだりする。なぜならあんたらは女性よりも女性である必要があるからだ、女性という定義に基づけば、あんたらは絶対に女になんかなれないにも拘わらずだ。

でも皮肉なのは、あんたらのエゴがあんたらの崩壊につながるんだよ。私はトランスの空間のために戦う用意が出来ていた。私はあんたらがデートの機会がないと愚痴ってた時に援助してあげる用意が出来ていた。あんたたちを慰めるために「彼女」と呼んであげようとさえ思ってた。あんたたちが医療保険を受けられる権利や尊厳のために戦ってあげようと思ってた。あんたらに向けられる性差別や男の暴力と戦う用意が出来ていた。私はあんたたちの味方になる用意が出来ていたんだよ。

でも、その時あんたたちは否と言った。「アタシたちはトランスの空間なんか欲しくない。アタシたちが欲しいのはあなたたちの膣よ、空間よ。アタシたちが欲しいのはあなたたちがあなたたたちの言葉を使うのをやめさせることよ、あなたたちがあなたたちの身体について話すことを止めさせることよ。あなたたちのスポーツを破壊し、議会や学校や組織であなたたちの議席を奪うことよ。アタシたちはあなたたちの女性であることが欲しいのよ!

そしてあんたたちは私に従えという。すべて渡せという。そして多くの人々を納得させてしまった。でも女たちは影で真実を語っている。人は性を変えることなんて絶対にできない。女のステレオタイプを真似することはできる、身体を似せることも出来る。それにしたって子宮や卵巣やクリトリスや骨盤のことを考えると貧層な真似だけどね。

あんたらは顔を女性っぽくすることもできる。中性的な女としては、ちょっと失礼だとおもうけど、ボイスレッスン受けたり歩く練習したりすることも出来る。でもあんたらには絶対に女として生まれた人間を体験することは出来ない。性転換なんて言葉は間違いだ。男性を女性にすることなんて絶対にできない。

そしてこれはあんたたちにもオーケーであるべきだったんだ。自分が異性でないと認めることは悪いことじゃない。障害があると認めトランスだと認めることは悪いことじゃない。生まれた性と一致しないことは悪いことじゃない。あんたたちは個性的なんだ。まさに何百人というトランスを見れば、あなただけの個性的なトランス性を表現すればいいじゃないか、トランスは一人ひとり違うんだから。

でもすべてのトランスはトランスだ。あんたたちはそれじゃ戦うには不十分だって決めたんだ。自分たちの個性のために戦うだけじゃ満足できないって。少なくとも、もっとも口煩い揮発的な男のトランス活動家にとってはね。 換わりにあんたたちは世間が常にあんたたちの妄想を承認してるかどうか偵察し始めた。

でもお聞き。私たちは拒食症の人に身体の妄想が正しく、太ってるなどとは言わない。すべてのトイレを障碍者用トイレにしたりはしない。モテないオタクとセックスするのを強制したりしない。多くの人がアレルギーがあるからってピーナッツを禁止したりしない。私たちはレイチェル・ドーゼルのトランス人種という主張も受け入れなかった。

そして私たちは人口の50%にも及ぶ人々の必要なものや問題や心配事をごく少数の定義もできないグループのために犠牲にすることを強いられるべきではない。正常さに適応できないほとんどの人々は努力したり、自分たちで助け合える仲間を作り、自分たちの空間を作る。なぜなら大抵の人たちは世の中は公平じゃないしすべての人の必要性に応じてはくれないと解ってるからだ。

あんたたちが女性の権利を破壊しようと戦えば戦うほど、あんたたちは敵を作ってしまう。あんたたちは「女性のチンコ」を嫌がるレズピアンやストレートの男たちをトランスフォビックだと言って怒らせた。あんたらは女性であることの意味を取り上げ、私たちが勝ち取った空間を破壊し、私たちが安全を求めることをヘイトとして糾弾することによって女たちを怒らせた。あんたたちは性に適応しない子供たちをトランスだと説得して医学的に思春期を遅らせ不能にしてしまうことで親たちを怒らせた。孫よさようなら、未来のセックスライフだって危ういもんだ。

あんたらはちょっとした質問をするだけで攻撃的になることによって、自分らで味方になるはずだった人たちを敵にまわしてしまったんだよ。あんたらは有色女性たち、白人女性たち、男たち、保守派、リベラル、中庸、レズビアン、ゲイ、トランスから元の性に戻った人々、すべてを団結させ敵に回したんだよ。

よく出来ました!

追伸:裏切られた女の怒りほど怖いものはないのよ!


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