アンティファ・ファシストこそが白人至上主義を正当化させる

日本でも先週バージニア州のシャーロッツビル市で起きた右翼と左翼の衝突について報道されているようだが、アメリカのメディアは一方的に白人至上主義の連中が巻き起こした騒動のように報道し、トランプが十分に白人至上主義者を糾弾しなかったと大騒ぎだ

アメリカ・バージニア州で白人至上主義者とそれに抗議する人々が衝突した事件を受けて、トランプ大統領が白人至上主義者を名指しで非難しなかったことをめぐり波紋が広がっている。

バージニア州で12日に起きた衝突では白人至上主義者に抗議する人々に車が突っ込んで女性1人が死亡し、車を運転していた20歳の男が殺人などの疑いで逮捕されている。

トランプ大統領「さまざまな立場の人の憎悪と偏見、暴力を強く非難する」

事件後、トランプ大統領は「さまざまな立場の人」と述べるにとどまり、白人至上主義者を直接非難することを避けたため、身内の共和党議員からも「不十分だ」と批判が出ている。

これを受けて、ホワイトハウスは13日、「非難した対象には、もちろん白人至上主義者など全ての過激主義団体が含まれる」と声明を発表するなど釈明に追われている。

どっちも悪いということがどちらかを擁護していることになるという理屈はおかしい。ファシストとコミュニストのどちらが悪いか?どっちも同じように悪いだろう。ナチスによる大虐殺とスターリンや毛沢東による大虐殺とどっちがあくどいと言えるのだ?量から言えば共産主義者のほうがよっぽどもひどいが。

実はこの衝突。確かに白人至上主義者たちが始めようとしたラリーが発端ではあるが、暴力行為を始めたのは左翼テロリスト集団のアンティファの方である。ニオナチだろうがKKKだろうが平和的に集会をする権利はアメリカの言論の自由が保証している。彼らはきちんと正規の手続きを踏んで集会の許可をもらっていた。ところが当日、市警察が出動し集会を遮った。集会に集まってきた人々は行き場がなくなりぶらぶらしているところへ、黒装束に身を固め武器で重装備した左翼テロリスト、アンティファの連中がやってきて白人至上主義者と思われる人々に暴力を振るい始めた。

そこへ一台の車が突っ込み、その場に居た女性が殺され何十人というけが人が出た。車を突っ込んだ犯人は白人至上主義者だったことは解っており、すでに逮捕されている。
トランプ大統領が言うように、この騒動はどっちも悪い。特に車を左翼連中の間に突っ込んだ男の行為は許しがたい。しかしながら、暴力をふるい始めたのは左翼の方で、白人至上主義者たちが無意味に人々を襲い始めたわけではない。私は白人至上主義者は大嫌いであるが、彼らだけに責任があるかのような報道には非常に腹が立つ。

先ずあたかも白人至上主義がアメリカで主流化しているかのような報道の仕方はおかしい。アメリカでいまだに本気でニオナチだのKKKだのと騒いでいる人間は数えるほどしかいない。こんな連中は全くアメリカ文化に危機をもたらすような存在ではないのだ。また、こういう連中とアルトライトを一緒くたにするのも危険だ。確かにアルトライトの中に白人至上主義的傾向はあるし、特に反ユダヤ教徒的思想があることも事実だ。しかし、アルトライトの連中は「4ちゃん」というアメリカ版「2ちゃんねる」の掲示板やツイッターなどのソーシャルメディアでは強気なことを言ってはいるものの、これまで暴力的な集会など開いたことはない。

しかし共産主義アンティファは違う。これまでも拙サイトで何度も紹介してきたように、自称アンティファ実態はファシスト連中は、保守派集会や演説を暴力で阻止しようとしてきた。去年のバークレー市での暴動も一方的に左翼暴力団によって起こされたものだ。

白人至上主義の暴力について右翼保守派は即座に糾弾した。共和党議会からも断じて許さないという強い発言が出ている。しかし民主党議会をはじめ後退派左翼からはアンティファの暴力を糾弾する発言は全くない。それどころか、かえって彼らの暴力を奨励するような発言が目立っている。主流メディアなど完全にアンティファの方を持っているのだ。

これはアメリカにとって非常に危険な状況だ。

もしアメリカで社会主義であるファシズムを台頭させたいと思っているなら、これほど格好な手段はないのだ。アンティファ連中はナチを殴るのは正当だと言い張るが、彼らがナチだというのは自分らに同調しない人間すべてを指す。単に道を歩いている老人に切りかかったり、星条旗を持って平和的に行進していた女性を引きずり倒したり、駆け付けた警察に尿の入った瓶を投げつけるはどの暴挙を働いている。

こういうことが続けば、一般の人々には、法と秩序を唱え西洋の文化を守ろうと言っている白人至上主義者たちの言い分の方がまともに思えてくる。左翼が何もかも人種で区分けする政治思想を唱えれば唱えるほど、これまで人種問題など全く興味のなかった善良な白人たちを白人至上主義に追い込んでしまうのだ。

何もかもが、白人のせいだ、白人が悪の根源だ、白人であること自体が悪なのだ、と言われ続ければ、普通の白人たちが白人の権利を守れと唱える白人至上主義者たちに同調したくなるのは人情というものだ。

すでに後退派左翼はアメリカの歴史を抹殺すべく、英雄の彫像を片っ端から破壊しようと躍起になっている。彼らは忌まわしい奴隷の歴史を称えるような彫像を取り除きたいと言ってはいるが、本当の目的はそうではない。左翼の本当の目的は奴隷制度の根本が左翼にあることやKKKはもともと南部の民主党が始めたものだった歴史的事実を抹殺し、すべての悪が右翼保守派によるものだったと人々を洗脳することにあるのだ。

しかしこのような行為は左翼を台頭させるより、社会主義右翼であるファシズムの台頭を促すものだ。
もし白人至上主義が主流化されたら、これはひとえに後退派左翼のおかげである。


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お行儀よいだけでは効果はない、マイロやトミーに見る自由主義活動

先日、マイロ*ヤノプルス(Milo Yiannopoulos)はアメリカの公共ラジオ局NPRで45分間にわたるインタビューを受けたのだが、なぜかNPRはその放送を中止してしまった。マイロに言わせると彼があまりにも効果的な発言をしたためNPRはしり込みしてしまったのだろうとのことだ。
(*カカシ注:苗字のカタカナ表記が一貫していなかったので、今後はウィキに従ってヤノプルスで一貫しようとおもう。)

NPRは政府からの補助と一般聴取者からの募金で成り立っているラジオ局。その内容は極左翼である。だからマイロをゲストに招んだというだけでも驚きなのだが、マイロが彼らが思っていたほど過激でもクレイジーでもなかったので、インタビューをお釈迦にしてしまったのもわかるような気がする。
ヤノプルスといえば、今年の2月まで飛ぶ鳥を落とす勢いで人気を得ていたのが、ちょっとしたスキャンダルでそのキャリアに急ブレーキがかかったかに見えたが、この度、彼の著書デンジェラスがアメリカ独立記念日の7月4日に発売になり、その宣伝でラジオやポッドキャストやビデオブログなどのインタビューでアメリカ中を飛び回っている。NPRでのインタビューもその一つ。

この本はサイモン&シュースター社から出版される予定だったが、例の幼児虐待擁護疑惑(完全な濡れ衣)で左翼の圧力に負けた同社が出版を取り止めたていた。メディアは今回の出版はマイロの自費出版と報道しているが、マイロ曰く、これは自費出版ではなく、彼自身が3百万ドルをつぎ込んで創設したデンジェラス出版社からの出版。今後もこの出版社を通じて彼以外の保守系の本もどんどん出版していくつもりだという。

NPRは放送中止にしたが、その全般を上記添付のブレイトバーとのサイトで聴いた。マイロの保守的な意見は別に新しいものではない。彼が同性愛者だということにしても、共和党にもログキャビン共和党という同性愛者の共和党グループもあるくらいで、彼がゲイはじめての保守とういわけでもない。ではなぜマイロはこうも注目されるのかという質問に対して、マイロは「アタシはおもしろくてイケメンで効果的だからよ」と答えた。彼はわざと「挑発的で無法(provocative and outrageous)」なことを言うことによって注目を集めているとも認めている。また彼はどこかのオフィスでふんぞり返ってエッセーを書いてるだけではなく、全国を飛び回って講演ツアーや集会を開いてファンと直接交流していることも挙げている。

マイロが左翼連中に脅威を与えるのは、彼がこれまでの右翼保守のステレオタイプに嵌らないからだ。彼には高級だが時代遅れの背広姿で格式ばった論文を書いてる中年男性のイメージはからきしない。彼は言葉使いもしぐさもなよなよしたオネエさん。それでも自分はカトリックで、母方はユダヤ系(よってユダヤ人)、恋愛対象は黒人が好みで現在の恋人も黒人、しかも幼児性虐待の生存者でもある。本来なら彼はいわゆる「犠牲者」の鏡としてバリバリの左翼であってしかるべき。ところが彼は自分を犠牲者にすることを拒絶すると断言するのだ。

だから彼に対してはホモ嫌いだの白人至上主義者だのといった通常の罵り方が通じない。こういう人間が右翼保守思想はクールなんだと若者に訴えることは左翼連中にとっては大脅威なのである。
効果的な政治活動という意味で、私はこの間書いたピアース・モーガンによるトミー・ロビンソンのインタビューについて、ダグラス・マレーの感想を聞いていた。そのなかでマレーは、ロビンソンがやるような公共デモ集会や行進は感心しないと言っていた。その理由は不特定多数の人間が集まってくると、なかには行儀の悪い人間も出てきて、そういう人間が車を焼いたり暴動を起こしたりすれば、主催者側にはコントロールが効かなくなるからだというものだった。

その話をミスター苺にしたら、「だが本を書いてるだけでは効果はない」と言われてしまった。
今、マレーもマイロのように最近新著が発売になったばかり。それで、新著”The Strange Death of Europe”(ヨーロッパの不思議な死)の宣伝でイギリス国内やアメリカやオーストラリアまで飛び回ってインタビューに忙しい。無法者のマイロや庶民的なトミーに比べて、マレーは学術派タイプ。蝶ネクタイを締めた大学教授といったイメージがある。しかしマレーも、トミーを無学扱いして上から目線のピアース・モーガンには批判的だった。

さて、保守派は元来行儀がよくなくてはいけないというイメージが、保守派による若者へのアピールに欠けるという話で、2012年に書いたマーク・スタインのことを思い出した。彼はイギリス育ちのカナダ人ジャーナリスト。スタインは同性愛者のことを「フルーツ」というちょっとした侮蔑語で表現したことによって同じ保守派から批判された。マイロなどもっとひどい侮蔑語である「ファッゲット(おかま野郎)」などと言う言葉を使っている。

さて、面白いのはスタインが掲載したナショナルレビューオンライン誌の編集員の一人、ジェイソン・リー・ストーツが、政府による法律上の言論弾圧に対してならばスタインと供にバリケードに戦いを挑む覚悟があるとしながらも、スタインの下品な言葉使いに不満を示すコラムを書いている。

ストーツは他人の言論の自由に対する不寛容を指摘するにしても、「フルーツ」のような侮辱的な言葉使いをするべきではない。意見の違いはその内容を攻撃すべきなのであって、反対意見を持つ人を批判すべきではない。過去にそういうステレオタイプをヒューモアと取り違えた人々を現代の我々が批判するべきではないが、現代人がそうした言葉使いをしない民度の高い文化にめざめたことを賞賛すべきなのだ、といった内容だ。

左翼連中の狙いはまさにストーツのようにあくまでも礼節でいようとする右翼保守の甘い考えを悪用することにある。だからフルーツだのファゲットは侮蔑語だから言ってはならないという左翼連中が勝手に決めつけた規則に右翼保守が従うのは相手の思うつぼだ。

カカシもだいぶ長いこと右翼保守と言われる連中の左翼への迎合に不満があった。特に言葉使いに関しては。黒人と言ってはいけない、オリエンタルと言ってはいけない、次から次へと出てくる言論規制。それにいちいち従う保守派たち。いい加減我々も行儀にばかり捕らわれずにこちらの思想をより多くの人々に知ってもらう効果的なやり方を考えるべきだろう。
そういう意味でマイロやトミーの活動は貴重なのだ。


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左翼の暴力に反撃する保守派たち

昨日も書いたように、最近保守派の集会や保守派講演者の催しを、黒装束の自らを反ファシストと称しながらファシストそのものの行為をしているアンティファなる暴力団が暴力で邪魔することが定番となっている。しかしそういうことが何度も続けば保守派の方も黙って殴られるままにはなっていない。
ちょっと前のことになるが、今年の4月、バークレーで言論の自由集会が開かれた時、例によってアンティファ暴力団が花火やレンガや催涙スプレーを使って保守派たちの集会に殴り込みにかかった。バークレー地元警察は集会に集まった保守派たちの持ち物に武器がないかどうか念入りに調べた後、集会参加者を警察のオレンジ色のちゃちな網で囲った柵の中に閉じ込めた。ところがアンティファ暴力団が襲撃を始めると警官たちの姿はさっと消えてしまった。
ここで完全武装解除されている保守派たちが重武装をしている左翼暴力団にさんざんたる目にあわされたのかというと現実はその逆。丸腰の保守派たちは素手で左翼暴徒に立ち向かい、なんと左翼暴徒たちを退散させてしまったのである
左翼連中は今まで行儀のいい保守派の集会に奇襲攻撃をかけて圧倒的な勝利を得ていた。しかし一旦保守派からの反撃に合うと全くどうしていいのかわからずに混乱して退散した。保守派たちはネットなどで集会に参加する時にはヘルメットやガスマスクを忘れずにと呼びかけ、最近の集会ではかなり重装備をして参加するようになった。
保守派には退役軍人が多く、アフガニスタンやイラクでの実戦を体験してきた人も多い。となるといざ実戦となれば、かなりの人間が戦闘作戦を心得ている。たとえ武器は持っていなくてもどうすれば何の戦闘体験もない左翼のもやし暴徒どもを圧倒させる手段は持っているのだ。
後退派左翼は日に日にその過激派を増している。だが私がアメリカを信じられる理由は、アメリカ人は黙っていつまでも殴られてはいないからだ。西ヨーロッパで過激化するテロリストに応戦している人の数が少なすぎるのと違って、アメリカ人はあそこまで国が乗っ取られるのを黙ってみているほどおとなしい国民ではないと思うからだ。
後退派左翼に対するこの保守派の行動がそれを顕著に表しているのではないかと思うからだ。


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ユーチューブの規制モード、言論弾圧はこうやって始まる

もうだいぶ以前からユーチューブはその内容が政治的に左翼リベラルでないビデオの規制を行なってきた。それは完全に放映禁止にしてしまうものから、ディモニタライズといって製作者が広告費をもらうことができなくなるモードから、最近は視聴制限モードといって子供向けに適さない内容のビデオが視聴者の目に入らなくする設定など色々だ。
こうしたことに共通しているのは、左翼リベラルが気に入らない内容のものがことごとく規制されるということ。しかもこれらのモードになることは製作者への断りがあるわけでもなんでもなく、ユーチューブの一存で決まり、製作者はなぜ自分のビデオがそういうモードに変更したのか理解できない。
例えばポール・ジョセフ・ワトソンによれば、視聴制限モードにすると自分が取り上げたニュースのほとんどが消えてしまうという。ところが他のCNN とかBBCなどの主流ニュースサイトでは全く同じ記事がそのままになっている。それから制限モードではLGBT系の内容は先ずNGなんだそうだ。
ということは未成年が居るからと制限モード設定にしておくと、視聴者が過激だとは感じないビデオでも知らないうちに観照不能になっているということになる。これが恐ろしいことなわけだ。
イギリス政府は政府関係の広告が過激派ビデオの横帯に載ってしまったことを抗議して、このようなことがないようにと強く要請したとある。これに便乗して民間の企業も過激ビデオでの広告を拒否し始めた。
確かにイスラム国の斬首ビデオの横帯に自分の企業の広告が載ったりするのが嫌なのはわかるが、、「過激ビデオ」とされるものは斬首ビデオのような本当の意味での過激なビデオだけとは限らない。ユーチューブでは後退派左翼の思想に一致しない右翼保守やリベラル体制派ではないビデオゲーマーのビデオなども広告対象にしない傾向が強く現れているのだ。
イギリスなどヨーロッパの場合、EU離脱や移民反対などといった内容に広告がつかなくなってしまうことが多い。ビデオブロガーたちの収入は広告費にあるわけだから、広告が着かなくなるといくらビデオをアップしても収入ゼロ。かえって経費がかさんで赤字になってしまうだろう。
ユーチューブの狙いはそうやって右翼保守や反リベラル体制派のビデオを締め出すことにある。右翼系のブロガーたちは早々にユーチューブを頼りにするのはやめて、自分らでのビデオ放送メディアムを作り出す必要がある。すでにそういう形でビデオを紹介している人々も結構いるので、自分らの番組のスポンサーになってくれる人たちを募ってユーチューブをボイコットするくらいでちょうどいいだろう。ま、宣伝のために収入につながらなくてもアップしておく手もあるが、その程度だと覚悟しておく必要がある。
ユーチューブは当たらしメディアムで日本でもユーチューバーと呼ばれる若い人たちが結構ブロガーとして生計を立てていると聞くが、自分らの収入源をユーチューブの一存で突然遮断されてしまうことの危険性を充分に理解しておくべきだろう。
それにしても後退派左翼連中のやることは汚い。常に反対派の言論を弾圧し、自分らだけの主張が聞かれるように操作することしか考えてない。さすがに共産・社会主義だけのことはある。


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マイロ・ヤノプルス弁護する意外な人々

ちょっと最近私はマイロ・ヤノプルスに執着しているように思われるかもしれないが、彼に起きたことをきちんと理解するのは言論の自由こそが人類にとって一番大切な人権だと思うカカシとしては、言論の自由のチャンピオンを買って出たマイロを決して沈黙させてはならないと考える。

マイロについては左翼も右翼も色々なことを書いたり話したりしているが、どれもこれも表面的な批判だけ。もっと理解力があると思っていた人々が彼を完全に誤解していて、マイロに同情的な人々でさえも、彼の本質をしっかり理解できていないということを知って非常に残念に思っている。

私はとっても悲しい。これまで私自身が右翼保守だと思っていたのに、とっても失望している。

何で事の真相がはっきりしないうちからマイロが幼児虐待者だと決め付けるのだ?彼の釈明に少しは耳を傾けてやれよ。昔のビデオや音声なんてどんなふうにも編集できるではないか、全体を聴いて本当に彼が幼児性虐待を奨励しているという証拠があるなら別。でも単にテープの一部だけ切り取って継ぎ接ぎに編集した音声だけで、これまでのマイロのジャーナリストとしての功績を一切無視してしまうのか?

それが右翼保守のやることなのか?

というのが私の事件直後の感想だが、最近になってマイロを弁護している二人のブロガーをマイロが自分のフェイスブックで紹介していたので読んでみた。特にこのレイチェル・フルトン・ブラウン教授(シカゴ大学歴史学教授)の洞察力はすごいなと感心した。

マイロ同様、ブラウン女史もカトリック教徒で、去年の9月頃からマイロのファンになった。彼女曰く、マイロは道化師なのだ。この道化師というのはシェークスピアのリア王に出てくるようなピエロのこと。誰もが自分の社会的立場を失うのを恐れて思っていても言えないことを、王様のお墨付き道化師は遠慮もなく口にして笑い飛ばす。道化師だけが王の怒りを恐れずに真実を述べられるのだ。

多くの宗教保守はずっと左翼リベラルの笑いの種にされてきたが、クリスチャンだから反撃できないでいた。それをマイロは遠慮なくSJW(社会正義戦士と名乗る左翼連中)をおちょくって笑い飛ばした。フェミニストも、ゲイも、トランスジェンダーも、同じようにおちょくって、人々にSJWを笑ってもいいんだよと許可を与えてくれたのだ。

同時にマイロは犠牲者精神を完全に拒絶する。彼は本当の弱者は守るが、犠牲者気取りで、弱さを武器に他人をコントロールしようとする人間を嫌うのだ。しかしクリスチャンだからそうした犠牲者への攻撃は武力ではなく笑いで反撃する。だからこそ彼は自分の性虐待という被害に対してすらも、笑い飛ばして冗談にして反撃したのだ。そのことを道徳的に自分は崇高だと思い込んでるステファン・マリノーなどは理解できないのだ

マイロは道化師だから左翼とともに右翼や保守派もおちょくる。彼のどうみてもオネエな身振りや、敬虔なクリスチャンならとても口に出来ないような汚い性的な言葉使いは、とうてい右翼保守が浮け入れられるものではない。こんな下品な奴に保守派の代表みたいな顔をされたくないと忌々しく思っていた右翼保守は多かったはずだ。

右翼保守のナショナルレビューの社説より。

保守派の間では右系のハエが飛び回る度に声援を送るのが流行っているが、「アラシ」は保守派ではない。単に大学の民主党を怒らせることに価値はない。保守派のなかには常に左翼扇動者と戦っている立派な人格を持ち、落ち着いて気の効いたことを元気よく言える人たちがいくらでもいる。

つまり、右翼保守体制派はマイロの演説の内容より、その話方が気に入らないというのである。もっとお行儀よく威厳のある演説をやれというのだ。は!自分たちと違うスタイルの人間は受け入れないというのであれば、左翼連中のやっていることとどう違うというのだ?

こういうふうだから今回マイロに起きたことが右翼保守による計画的な政治的暗殺だったというのも納得がいく。

ブラウン女史はマイロは政治家ではなく、文化人なのだという。マイロにとって大切なのは西洋文明を守ること、本当の意味での正義を守ること、そして常に真実を述べることにある。だから、今回のことで彼がジャーナリストとしてのキャリアを引退し、今後はエンターテイナーとして生きていくと決めたことは良い結果になったと彼女は言う。

マイロを才能あるエンターテイナーとして認めているのがこの二つ目のブログ。自称アルト・ライト白人国粋主義のスペンサー・グイン。

マイロは素晴らしいドラマを作り出す。彼はともかく見ていて面白い。これは蔑みではない。 人々を楽しませることができるというのは授かり物であり、とても必要なものだ。マイロを愛いすも嫌うも、マイロはニュースを楽しくするだけでなく、興奮させてくれる。何百万という人たちが彼が次に何をするのか楽しみにしている。メディアに生きるものにとって、とてもよい商売だ。それに彼の格好は決まっている。あのおどけた金髪の髪型、奇抜な洋服、まるでデイビッド・ボウイかマドンナかといった感じだ。実際彼は劇画のヒーローか何かで物語りの展開を見ているようだ。先ず第一幕は毒舌で衝撃的な人物として颯爽と登場。第二幕は文化戦士として毎日のように活躍。第三幕は右から見放され左から毛嫌いされる。今我々は第四幕の彼の崩壊を見ている。次の幕は上がるのだろうか?マイロはこの危機を乗り越えられるのだろうか?

グインもブラウン女史同様、左翼がマイロを嫌悪するのはともかくとして、右翼保守がマイロを受け入れられないことや、リバタリアンのアルト・ライトのなかでもマイロを見放す人々が居る現象について語っている。グインもまた、一時はマイロの味方だったはずのステファン・マリノーのビデオについて、

42分間に渡るマリノーのマイロに関する話を観ていて、リバタリアン派のアルト・ライトもマイロの弁護には消極的だということははっきりした。これは残念なことだ。マイロにとっては痛手だ。

カカシもマリノーのビデオは半分くらい観たが、要するにマリノーはマイロが幼児性虐待に関して軽々しく物を言いすぎるということが気に入らないらしい。だが、自分には聞くに堪えない発言を守ってこそ言論の自由は守れるのだと、マリノーは普段から言っていたのではないのか?だからこそ一般人が口ごもるようなことを平気で言うマイロを支持していたのでは?

グインはアルト・ライトがマイロを躍起になって責めてはいないものの、積極的に弁護もしていない理由はわかるとしながら、それでもマイロはアルト・ライトにとって強い味方になりうると語る。

先ず第一に、グインはマイロがアルト・ライトに損害を与えるとは思えないと語る。彼自身自分はアルト・ライトだとは言ってないし、自分らも彼を同胞として受け入れる気はない。アルト・ライトの回りで活躍しているマイロが自分の性嗜好について何を言おうとアルト・ライトには関係がない。だったら左翼との戦いに有効なマイロを味方につけることに何の損があるというのか?

グインに言わせるとアルト・ライトではないが、左翼と戦っている他の人々のことを考えてみても、マイロほど効果のある人物はない。カカシも時々紹介しているロバート・スペンサー、パメラ・ゲラー、ミッセル・モルキンといった保守派もがんばって入るが、マイロほどのスターではない。
それにマイロとアルト・ライトを一緒くたにしてアルト・ライトを責めるような人間は、もともとアルト・ライトのことなど支持していない連中だ。マイロが居なくても別のことでアルト・ライトを責めていただろう。

右翼にとってマイロが味方についていた方が心強い。もしマイロが右翼からの攻撃に嫌気が差して敵に回ったらどうする?それこそマイロは手ごわい敵になってしまうだろう。マリノーは左翼のリナ・ダナムが自分の妹が子供の頃に性的虐待をしたことを平気で自分の自叙伝に書いていたことと比べて、確かにマイロはダナムに比べたら雲泥の差があるが、だからと言ってマイロの言動が許されるわけではないと語る。

だが、グインはそれに同意できないという。我々は戦争中なのだ。左翼との戦いに勝つためには、味方の些細な落ち度をいちいち重箱の隅をつっつくように攻め立てている余裕はない。マイロは自分の体験を軽々しく語ったかもしれないが、彼が実際に子供を虐待したという証拠があるわけでもなく、幼時と大人の性行為を奨励するNAMBLAなどという団体を支持しているわけでもない。

公開された音声についてグインとカカシの解釈は全く同一だ。つまり、マイロのキャラは人々が衝撃を受けるようなことを言うことにあるので、次から次へとショッキングな供述をしているうちに危険な境界に入ってしまったのだ。マイロが自分が13歳の時に自分を性的に虐待した神父のことを「オーラルセックスがうまくなったのも、マイケル神父のおかげだ」などと口走ったりしたのも、実際にマイロがそう思っていたからではなく、聞いている人々に衝撃を与えることが目的だった。それは文字通りに真に受けるべきではないのだ。

ブラウン女史もグインもマイロのそういう危険すれすれのユーモアを理解している。
カカシが残念に思っているのは、私が今まで頭がいいと思っていた右翼保守の人々の多くが、マイロの危険すれすれユーモアを全く理解できなかったということにある。ステファン・マリノーなどはその口だ。もっとも多くの人々が最初から忌々しい目の上のたんこぶだったマイロを破壊する絶好の機会とばかりに積極的に誤解することを選んだのも事実だが。

グインは最後にマイロは根本的に善良な人だと思うという。グインは以前にマイロがどこかの大学で演説した時、保守派の男子学生が大学構内の左翼とどのように戦ったらいいのかと質問した際、マイロはためらわず即座に、最大の復讐は、ちゃんと勉強してよい仕事につき、お金を儲けて美人の奥さんをもらい、たくさん子供を作って幸せになることだと語ったという。グインはそれを聴いて涙が出るほど感激した。

確かにマイロ自身は右翼や保守派の鏡ではないかもしれない。だがこれはマイロ個人の問題ではない。これは文明社会をどうするかという問題なのだ。そしてマイロは文明社会を守る強い味方なのだ。
ブラウン女史もグインもそういう意味でマイロを応援している。

そしてカカシも。

早くマイロには立ち直ってもらって、また前のように元気に活躍してもらいたいと思う。マイロは本当の意味での文明社会正義の味方なのだから。


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マイロ攻撃に見た右翼保守とアルト・ライトの亀裂

週末のマイロ・ヤノプルスへの攻撃は凄まじかった。金曜日までテレビの人気トークショーに出演したり、出版前の本の前売りがすでにベストセラーになったりして、飛ぶ鳥を落とす勢いだったマイロが、週末に公表された一年半前の10数分に渡るラジオインタビュー音声によって一遍に何もかも失うという恐ろしい結果となった。

マイロはCPACでの演説をキャンセルされたばかりでなく、サイモン&シュースターから出版されるはずだった本をキャンセルされ、火曜日には勤め先のブレイトバートオンラインニュース社からも辞任を余儀なくされるという、信じられない光景が繰り広げられた。

前回も書いたとおり、問題の音声は継ぎ接ぎだらけで、あたかもマイロが13歳の少年と大人の男が性行為をすることを推進しているかのような印象を与えようと編集されていた。しかし、その編集された音声ですらきちんと聞いて見れば、マイロは一度も未成年と大人の性行為を肯定していない。それどころか自分が子供の頃に大人からの性虐待を受けたことを告白し、いかにマイロが未成年への性虐待を嫌悪しているかが明らかになるような内容だった。

マイロはイギリス人なので、普通のアメリカ人風の言葉使いをしない。それだけでなく、彼特有の皮肉に満ちた言葉使いは慣れていない人には誤解されることも多い。だが、私は彼を幼児虐待者などと責めている連中は、彼が何を言わんとしていたかなど興味がなく、誤解されがちな言葉使いの上げ足を取ったに過ぎないと考える。

問題なのは、彼が実際に何を言ったかではなく、彼を意図的に悪者扱いしたメディアにもともとマイロに敵意を持っていた奴らが、右翼にしろ左翼にしろ積極的に事実誤認に参加したということだ。
後退派左翼のやることなら理解できる。奴らは最初から「俺達対奴等」という意識を表に出している。どんなことでも自分の仲間のやったことならよし、敵のやったことは駄目となる。だが、私は右翼保守はそうではないと思っていた。保守派は常に真実を求めるものと思っていた。保守派には信念があると信じていた。

だが、そうではなかった。

右翼保守も後退派左翼と同じだ。自分が求める右翼保守の枠にはまらない人間は積極的に疎外し、相手の言うことを聞こうともしない。そして自分が気に入らない人間が不等に責められていても、見て見ぬ振りをするだけでなく、左翼連中と一緒になって攻撃する。

私はそういう右翼保守の姿を見ていて物凄くむかついた。そして私はこんな奴等の仲間では居たくないと思った。

これが右翼保守の真の姿なら私はその一員では居たくない!

アルト・ライトとは「右翼として別の選択肢」という意味。アルト・ライトが全体的にどういう思想なのかというのは色々な人が書いている。アルト・ライトは白人至上主義だとか国粋主義だとか言う人もいるが、私から言わせるとアルト・ライトは既成の体制派右翼ではない右翼という意味だと思う。そういう意味なら、カカシはアルト・ライトなのかもしれない。

ただし、アルト・ライトならこれこれこういうことを信じなければならない、などという規定には私はきっと当てはまらないだろう。だいたいそんな規定はないはずだ。自分はアルト・ライトだといっているひとたちの間でもアルト・ライトとはなんぞやということで意見の一致を見ているわけではない。
マイロは自分の本は別の出版社から今年中に出版されると記者会見で話していた。また、ブレイトバートは辞めても自分なりに講演ツアーなど続けていくつもりだとも語っている。今回のことでマイロのファンが増えて(減ったとは思えない)彼はこれまでよりもさらに人気者になるかもしれない。少なくともそうなることを一ファンとして祈る。


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マイロ・ヤノプルスを潰しにかかる右翼保守!

出る釘は打たれるというが、今回のマイロ・ヤノプルスに対する攻撃はひどい。しかもその攻撃が左翼からではなく右翼保守から起きたということは私にとって非常に悲しい出来事である。

毎年保守派が集まってするCPACという大会で、マイロ・ヤノプルスが演説をすることになっていたが、彼がオープンにゲイであるということだけでも多くの右翼保守にはおもしろくない。特に彼のフラムボイアントなスタイルに反感を持つ保守派も少なくない。

だいたい由緒あるCPACにおいて演説できるということは名誉なことだ。だから多くの著名な保守派がこぞって演説の機会を狙っていた。ところが、どこの馬の骨ともわからんようなイギリスのおカマなんぞにしゃべらせようなんて冗談じゃねえよ。と思った保守派連中もかなり居たのだろう。嫉妬もあるだろうし。

それで彼が何年か前に何かのインタビューで性行為に同意できる年齢について話していた時のテープを掘り出してきて、それみろマイロは13歳の少年とのセックスはオーケーだといっている。マイロは幼児性虐待を奨励している、とSNSで炎上。

アルト・ライトに人気のマイロを普段から面白く思っていない右翼保守たちは、背景をきちんと理解しないうちにマイロバッシングに走った。ベン・シャピーロまで一緒になってツイッターでマイロの昔の音声をリツイート。結局本日の新聞の見出しによれば、マイロはCPACからの招待を引き下げられたようだ。この記事を書こうと思っている間にも、今度はマイロの本の出版社のサイモン&シュースターがマイロの本出版と取り下げると発表した。

これがアンティファとかブラックライブスマターみたいな後退派左翼による攻撃だというなら話はわかる。ところが普段は道徳的に崇高な顔をしている右翼保守による攻撃なのだからひどい。

私はとっても悲しい。これまで私自身が右翼保守だと思っていたのに、とっても失望している。
何で事の真相がはっきりしないうちからマイロが幼児虐待者だと決め付けるのだ?彼の釈明に少しは耳を傾けてやれよ。昔のビデオや音声なんてどんなふうにも編集できるではないか、全体を聴いて本当に彼が幼児性虐待を奨励しているという証拠があるなら別。でも単にテープの一部だけ切り取って継ぎ接ぎに編集した音声だけで、これまでのマイロのジャーナリストとしての功績を一切無視してしまうのか?

それが右翼保守のやることなのか?

お前らがいつも言ってる言論の自由はどうなったんだよ?

真実究明はどうなったんだよ?

嫌いな奴のキャリアならどんな汚い手を使っても破壊していいというのか?

だったらお前らだって後退派左翼と何の違いもないじゃないか!

普段はクールなマイロもさすがに今回の攻撃にはかなり参ったと見えて、フェイスブックのライブフィードで誤解のある発言をしたとして、心から謝罪している

マイロは彼自身13歳の時に大人に性的攻撃を受けたのだという。誰でもこういう悲劇的な体験の後はそれを克服するために色々な方法を取るが、彼の場合は笑いで誤魔化すことでその痛みを克服したという。そういう話題をジョーク交じりに話すべきではなかったと今は反省していると語る。

過去にマイロは幼児虐待者を暴露する記事を幾つか書いており、ずっと幼児性虐待者に対する憎しみは仕事の上で証明してきたと語る。自分は今までに一度でも幼児性虐待を弁護したことも奨励したこともないと主張する。

私はマイロを信じるね。

もし本当にマイロ・ヤノプルスが幼児性虐待を奨励しているという証拠が他に出てきたら話は別。今回の継ぎ接ぎだらけに編集された音声の一部だけでは全く納得できない。
それにしても出版社はあまりにも早合点が過ぎるんじゃないかな。


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今や保守派こそがカウンターカルチャーだ

先日保守派の王子様マイロ・イヤナポリスがリベラルコメディアンのトークショーに出演。前半が司会のマーとの一対一の対談(ビデオ)、後半は他三人のゲストを招いての座談会。(ビデオ)だった。
マイロがどんな人かよく知らない人はこのビデオをちょっと見て貰えばわかるが、服装は男性だが話し方とか手振り身振りが完全に日本でいうところのオネエさん。かなりの美形なので、もし男らしく振舞ったら女の子たちが放って置かないと思う。もっとも中性的な魅力が男女ともにから好かれるかもしれないが。短くさっぱりした茶色と金髪の混じった髪。黒い革ジャンに首にはチョーカーのパールネックレスと十字架。腕にはチョーカーとおそろいのパールの腕輪といういでたち。
前半のインタビューではマイロはいつもどおりの頭の回転の速さを駆使して早口でしゃべりまくっていたが、相手のマーもさすがだった。長年政治討論番組をやっているだけあって、しかもコメディアンということでもあり、間の取り方がうまい。マーは機転の利いた迅速な答えで応答した。あきらかにマイロは自分のペースで話を進めることが出来ず、マイロの挑発じみた奇抜な発言もマーの隙のないジョークでうまくかわされていた。さすがマーはプロだな、一筋縄では行かない男。
マイロは保守派でマーはリベラルだが、言論の自由という点ではマイロとマーは気が合っているし、モスレム移民が危険だという点でも同意している。どちらかというと意見の違いより共通点の方が多いような印象を持った。このインタビューの内容はそれほど問題ではないのだが、私にはマイロがマーの魅力にかなり惹かれてるなという感じがした。特に後半の座談会ではマイロが隣に座っているマーに見惚れているという感じさえした。またマーもマイロが若い頃の今は亡き共産主義者でやはりゲイだったクリストファー・ヒッチンスを思い出すと言って、マイロの若さと自分がなりえなかった反逆児としての彼に好意と羨望を覚えているような印象を受けた。
英語の解らない人でも後半の座談会の動画をちょっと観てもらいたい。若くて斬新な格好をしているオネエが保守派のマイロで上等な背広姿のかしこまった中年男性三人が左翼のおっさんたち。左翼が背広姿のおっさん連中で、右翼が革ジャン姿の若いオネエ男。これってすっごく変じゃない?
マーとのインタビューのなかでマイロは自分は特に保守派だという意識はないし、トランプ自身従来の共和党や右翼保守とは違うと語った。だが、今や言論の自由を守り体制派から個人の人権を守る姿勢は保守派の姿勢となってしまったのだと語った。
ユーチューブのビデオブロガーのポール・ジョセフ・ワトソン(彼もブリティッシュ)が、今や保守派こそがカウンターカルチャーだと言っていた(ビデオ)のを思い出す。

カウンターカルチャーとは、既存の、あるいは主流の体制的な文化に対抗する文化(対抗文化)という意味である。 1960年代後半〜70年代前半にかけてよく使われた。 狭義にはヒッピー文化や、1969年のウッドストックに代表されるような当時のロック音楽を差すものである。=ウィキペディア

体制派が右翼保守派だった頃は必然的に左翼がカウンターカルチャーになったのでカウンターカルチャーといえば左翼だという観念が普通になっていた。しかし、1960年以来左翼文化が右翼保守を押しのけて文化の面では完全な権力者へと押し上がった。今や左翼文化こそが既存の体制派文化なのである。
ハリウッドの役者や歌手といったセレブリティどもの見てみろ、みんな揃って左翼リベラル。もし今の時代に芸能人が少しでも保守的な考えを述べたりしたらすぐにブラックリストに載せられて明日から完全に干されること間違いなし。
そういう社会においては右翼保守であることこそが既存の文化に対抗(カウンター)する文化(カルチャー)となるのだ。
だが後退派左翼連中は自分らこそが個性的な反体制の反逆者だという妄想に浸っていたい。30近くなってもフリーターで親のすねかじりのくせに、自分らこそが革命派なのだ革新派なのだと思い込んでありもしない「体制」に「抗議」だの「抵抗」だのと言って暴力行為にでる。本当は自分らこそが完全なる体制派なのだということにも気がつかないで。
自分らが反逆児でないことは、大学などで左翼学生の言い分が学校側から完全に支持されていることや、右翼保守がなにかと体制である学校側から迫害されている事実をみても明らかなはず。
ワトソンは、自分が保守派こそがカウンターカルチャーだと書いたツイッターへの左翼連中からのヒステリックな反響に喜びを隠せない様子で、何かと「保守派こそが~、繰り返すぞ~、保守派こそがカウンターカルチャーだあ~!、さまあみろ~」とやっている。
まさに、ワトソンの言うとおりである。


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ピアース・モーガンがリベラルに「黙れ」と一括

ピアース・モーガンといえばイギリス人政治評論家でアメリカでもCNNでラリー・キングの人気長寿番組の後釜として司会をしていたこともある有名人だが、アメリカの銃規制法とか地球温暖化などでバリバリ左翼リベラル度を見せている人物。モーガンについては拙ブログでも色々批判的な記事を書いてきた
ところがこの間、モーガンはビル・マーというアメリカコメディアンの「リアルタイム」という政治トークショーにゲスト出演した際、トランプの移民政策を弁護し、同席していたオーストラリアのコメディアンやハリポタの著者JKローリングと怒鳴り合いになった。その後モーガンはローリングとツイッターで激論を交わした。それについて本人はイギリスのデイリーメール紙で、リベラルは黙ってトランプ大統領の仕事ぶりを見守るべきだと書いている
ピアース・モーガンは先日のリアルタイムでの出来事について、リベラルはトランプを巡ってあまりにもヒステリックになり正気を失っており、きちんとした論理付けが出来なくなっていると批判した。

彼らはイギリスのEU離脱とトランプ勝利から何も学ばなかったのか?普通の人々は甘やかされたプリマドンナ芸能人が政治についてどう思おうとどう投票しろと説教しようと、明らかに全く興味がないのだ。

モーガン曰く、ヒラリー・クリントンは票集めのために人気芸能人を集めて選挙運動に及んだが、国民は全く無頓着で、芸能人支持など全くないトランプを選んだ。いや、アメリカ国民はヒラリーの芸能人支持に無頓着というより芸能人なんかにお説教されたことに反感を持ち、かえってトランプを選んだとさえ言える。それがハリウッド芸能人たちには大変なショックだったのだ。

トランプを好むと好まざるとに関わらず、トランプは公約どおりの政策を進めているに過ぎない。そしてトランプにはその権利があるのだ。トランプを好きになる必要もなければ投票した必要もない。だが、自由社会の民主主義選挙によって明らかに勝利した大統領の座に敬意を評するべきである。

モーガンはさらに、トランプのツイッターや発言にいちいちヒステリックに逆上していないで、少しは大人になってトランプが成功できるかどうか機会を与えてやれという。もしトランプがアメリカを偉大にすることに失敗したら、その時は2020年の選挙で落選させてやればいいではないかと。
まさか私がこんなことを言うとは思わなかったが、まさしくモーガンの言うとおりである。
この間から民主党支持者の間でも後退派左翼と革新派リベラルの間で亀裂が生じつつあるという話をしているが、革新派リベラルの間ではこのまま民主党支持を続けることが出来るのかどうか不安を持っている人も多いようだ。
次にバリバリ左翼の八フィントンポストに時々投稿しているマリーランド州大学の民主党クラブ部長マット・テイテルバウムによるコラムから紹介しよう。
マットはマイロ・イヤナポリスのファンではないが、マイロが彼の大学で演説するなら歓迎すると語る。

私は政治的にマイロと同じ側には居ない。私は先ず何にも増して自由を尊重しており、言論の自由を大事にしている。言論の自由の根本は自分と同意見の言論だけでなく、自分が同意できない意見こそ守ることにある。その権利には自分を傷つける言論をも含まれなければならない。

そんなことは当たり前だが、最近は「ヘイトスピーチはフリースピーチ(言論の自由)には含まれない」と断言する後退派左翼が増えているので、マットのようなリベラルが、言論の自由とは何かをこうして改めて定義つけることは大事だ。
マット曰く本当のリベラル達はバークレー大学で暴動を起した連中のことを「後退派左翼」と呼び蔑んでいる。彼らは自由など求めていない、彼らはただただ反対意見を弾圧することにしか興味がない。 後退派左翼は暴力に及ばなくても、保守派をレイシストだのイスラもフォビアなどと呼んで侮辱する。
マット自身、民主党支持で革新派で民主党青年団のリーダーという経験があるにも関わらず、自分の政治的見解を述べると、何度となくこういう名前で呼ばれたという。一度などはユダヤ教徒の彼に向かって「ニオナチ!」と呼んだ奴もいた。
マットはリベラル民主党支持者として、トランプに反対する者として、それでも右翼挑発者のマイロ・イヤナポリスに自分のような人間もいることを知ってほしいという。そして彼は後退派左翼は間違っているだけでなくとても危険であり、健全な公共の場での討論は決して沈黙させられるべきではないと主張する。
さて同じく、マイロの言論は守られなければならないと語るのは左翼市民団体のACLU.ACLUは昔はKKKの行進すら弁護するほど本当の意味での人権を守ってきた団体だったが、ここ30年余り、左翼以外の人権には全く興味を示してこなかったので、今になってマイロの言論を弁護すると言い出すとは、私はちょっと信じられないで居る。
なぜACLUがマイロの言論の自由を支持するのかを、左翼公共テレビのNPRのインタビューでACLUのローランド弁護士はこう説明する。
言論の自由はどんなひどいものであろうと憲法補整案第一条が保証している。イヤナポリス氏には政府に弾圧されたり人々に阻止されたりせずに話す権利がある。
司会者が、しかしヘイトスピーチは違うのではないかと聞くと、「ヘイトスピーチという言葉は一種のフリースピーチ(自由な言論)です。」と氏は答えた。
まさしくその通りなのだ。大体私はヘイトスピーチなどという概念そのものがインチキだと思っている。なぜなら何がヘイトスピーチに当てはまるのかという定義が固定しているわけではなく、誰か(左翼)が気に入らないスピーチは何でもヘイトスピーチとして弾圧される可能性があるからである。よく、後退派左翼が「ヘイトスピーチはフリースピーチではない」と言っているのを聞けばそれは明らかだろう。
マイロ・イヤナポリスの大学での講演を阻止した左翼学生の一人が、テレビのインタビューで言論の自由を信じないのかという質問に対して、「もちろんマイロの言論の自由は保証されるべきだ。しかしだからと言って壇上が保証されるべきではない。」と言っていた。
これは後退派左翼連中がよく使う詭弁だ。いわゆる「ノンプラットフォーミング」というやつである。確かに自分が何か言いたいことがあるからと言って誰もが自分の言葉に耳を傾けてくれるという保証はない。言論の自由は保証されても観衆までは保証されていないのだから。しかしながら、それは私が言いたいことを誰も聞きたくないというのであれば私が無理やり誰かに聞かせる権利はないということであって、私の言いたいことを聞きたい人が存在するのに私に演説の場を与えなかったり、講演を暴力で阻止していいということではない。言論の自由には好きな演説を聴く権利も含まれるからである。
民営の劇場や会議場であれば、どんな理由で演説を拒絶したとしてもその権利はある。だが連邦政府で運営費を援助されている公立大学には生徒が講師を招きたい場合には学校側が拒否する権限はない。ましていくら反対でも生徒たちに講演会を阻止する権利はないのだ。
革新派リベラルの間では、叙々に後退派左翼への批判が募り始めた。自分たちとこのような暴力的な過激派と一緒にしてくれるなと言う人間も増えてきた。
ピアース・モーガンのような著名なリベラル人間が左翼からの批判を恐れずに脳タリンの芸能人に黙れと言えるなら、我々もようやく長年続いたポリコレ社会に別れを告げられるのかもしれない。


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ニューヨークのゲイ雑誌記者、保守派転向をカミングアウト!

以前にマイロ・イヤナポリスがイギリスのテレビトークショーで「今やイギリスでは同性愛者だとカミングアウトするよりトーリー支持(保守派政党)とカミングアウトする方がよっぽど勇気が要る。」と語ったことがある。イギリスもひどいが、アメリカも同じだ。特にジャーナリストや芸能人の場合は、保守派、というより充分に左翼でないということはキャリアの命取りになるほど危険なことである。にも関わらずチャドウィック・ムーア33歳(Chadwick Moore)という雑誌記者はニューヨークというバリバリ左翼の都市でしかも同性愛者という立場でありながら、今回自分は保守派であるとニューヨークポスト紙でカミングアウトした。
ニューヨークっ子でゲイでジャーナリストとなれば、もうバリバリ左翼リベラルというのが定番。ムーア自身生涯ずっと左翼リベラルと自負していた。去年の大統領選ではヒラリーに清き一票も投じていた。そのムーアが何故突然保守派とカミングアウトしたのか。その原因は何を隠そうマイロ・イヤナポリスにあった。
去年の9月、大統領選が大詰めに迫ってきた頃、ムーアはアルタナライトの顔として話題になっているマイロ・イヤナポリスについてアウト(OUT)というゲイ雑誌に記事を書いたところ、計らずも友人や知人や同僚から攻撃対象となり、長年の友達から仲間はずれにされてしまったという。
マイロのインタビューはムーアが選らんだわけではなく、アウトマガジンがムーアに課した仕事だった。ムーア自身、マイロが左翼からは嫌悪されている存在であることは充分承知していたので、このインタビューは難しいなと感じていた。マイロがその問題な発言の続発によりツイッターから追放されたり、人種差別者とか女性蔑視とかゲイなのにゲイバッシングをしているなど批判されている悪名高い存在だったことは承知のうえで、ムーアはジャーナリストとして公平な目でインタビューに及んだ。それで自分の意見は差し置いて事実だけの記事を書いたのだという。
記事がオンラインに掲載された10月21日、100を越えるツイッターの通知がスマホに来ていた。ツイッターのあらしはムーアのことをナチと呼び、脅迫状やイスラモフォビア扱いした。
自分はナチでもイスラもフォビアでもない、とムーア。
もっとも傷ついたのは自分が長年恩人として慕っていた60代の男性が、フェイスブックでムーアの記事は無責任で危険だと糾弾したことだった。何年も付き合ってきた友人たちがこぞってムーアとの友達設定を解除。アウト雑誌と記事を批判する署名運動まで起きてしまった。ムーアは公平な目でみたマイロの記事を書いたのであり、マイロを攻撃しなかったが賞賛したわけでもない。たったそれだけのことなのに、彼は左翼からつるし上げの目にあったのだ。
ショックを受けたムーアは一週間ほど外にも出られなかった。しかしそのうちに勇気を振起して11年来行き着けのゲイバーに行ってみた。しかしそれまでは抱擁とキスで挨拶をしていた友人たちがよそよそしく挨拶もせずに立ち去った。週に何度か一緒に過ごしてきた友達は常に都合が悪いと誘いを断った。その友だちはクリスマスイブに長文のテキストを送り、お前のハートと魂は何処へ行ったんだ、みんなお前を笑いものにしているぞと告げた。

私はその時自分の大人としての人生で初めて、リベラルバブルの外側に立ちその中を見つめているのだと悟ったのです。そして私が観たものは醜く足並みを揃えた無興味で性悪な精神でした。

ムーアはその後も何回かバーなどで隣り合わせになった人と政治の話を交わしたが、彼が少しでもトランプ政策を支持するようなことを言うと、相手は腹を立てて立ち去ってしまった。そういうことが何度か続くうちにムーアは次第に自分の意見は左翼リベラルとかみ合わないのではないかと気がつきはじめた。リベラルにとってトランプ嫌悪は絶対的な条件なのであり、トランプ支持者やトランプの信念すべてを嫌わなければならないのだ。だから、トランプボイコットに少しでも抵抗を見せたり、保守派の考えを理解するためにリベラルの統計を見直そうなどとしたら、すぐに裏切り者として村八分にされるのだ。
リベラルは自分らの思想に従わない言論の自由には反対のようです。そして私はもうそんなクラブの一員であることが嫌になったのです。
チャドウィック・ムーアさん、我がクラブへようこそ!
本当にねえ、リベラルのバブルの中にいるってことは恐ろしい。こんな簡単なことに気がつくのに33年もかかっちゃうんだから。
実は以前にカカシはミスター苺と、もしもミスター苺がリバタリアンではなくてリベラルだったら、彼のノンフィクションとかバンバン売れたんだろうにねと言ったことがある。何しろニューヨークの出版社がこぞってリベラルなのだから、私たちがリベラルだったらどんだけ楽な生活が送れたことかという話をしたのだ。しかし、ミスター苺は言った。
「もしリベラルだったら物凄く不安だと思うよ。なにしろ常に政治的に正しいことを言うために気を使っていなければならないからだ。一度でも間違って本心を言って、それがポリコレじゃなかったら、突然にして全てを失うことになるんだよ。」
全くその通り。何もかも足並み揃えて左翼の神の言うとおりにしなければ身の危険にさらされる。常にびくびくした生活を送らなければならない。もともと保守派だと公言してしまえば、我々は何を言っても何時ものことだから危険はない。
ところでムーアはトランプ支持者の人々と紳士的な議論を交わすことが出来るようになって、色々と意見の違いはあるとはいうものの、トランプ支持者を好きになった。そうしているうちに自分の意見は現代アメリカの左翼よりもずっと右翼に近いということを認めざる負えなくなった。
ムーアにとって保守派としてカミングアウトするということは15歳のときに両親に自分がゲイだとカミングアウトしたときと同じように勇気の要ることだった。
不思議なことに自分が保守派だと告白したことで彼は今まで疎遠になっていた両親ともっと親近感を持つようになった。特にずっと共和党支持の父親と生まれて初めて異議のある討論ができるようになったという。
そしてムーアには新しい友達が出来た。無論もう口も利いてくれない友達もいる。しかしムーアは今まで馬鹿だとか過激派だとか言って馬鹿にしてきたアン・コールターのような保守評論家たちも結構いいことを言っているなと気がつくようになった。一年前までは考えられないことだった。最近共和党支持の男性と初めてデートした。ムーアは最後にこう締めくくる。

私はニューヨークの人たちが、保守派としての私を受け入れてくれることを望んでいます。保守派のひとたちが私がゲイであることを受け入れてくれたように。

この間デイブ・ルービンも言っていたように、今やクラシックリベラルは左翼社会主義とはかけ離れた存在になってしまった。ちょっと前までは左翼とリベラルや革新派は切っても切れない関係にあったのに、今やリベラル思想は左翼よりも右翼保守派に近い。
全国でいったいどれだけの旧リベラルがちょっとした意見の違いで左翼から攻撃されているのだろうか、そしてそのうちのどれだけの人々が左翼に見切りをつけて保守派に転向しているのだろうか。デイブ・ルービンやチャドウィック・ムーアのように保守派転向をカミングアウトしなくても、心のなかでひっそりと左翼支持から右翼支持へと転向している人々がいたからこそ、民主党支持と言われていた州がトランプ支持に傾いたのだ。ということはこういう人の数は想像以上に多いのかもしれない。
ちょっとつけたしだが、先日スティーブン・クラウダーという保守派トークショーホストがイギリスのテレビ番組でのインタビューで、トランプ当選後の左翼過激派の行動があまりにもひどいため、特にトランプを支持しなかった人々まで(自分を含め)トランプが当選してよかったと思うようになっていると語っていた。それを聞いて、全くその通りだと思った。なにせ格言うカカシも選挙運動中は全くトランプを支持していなかった口だが、今の左翼過激派テロリストたちの行動を見るに着け、ヒラリーが大統領にならなくて本当によかったとホット胸をなでおろしているからなのだ。


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