トランスジェンダーを抹殺せずにトランスジェンダリズムを駆除する方法

先日のてテネシー州の小学校でおきた乱射事件のショックが冷めやらぬうちに、ライフルを構えた女装男の姿が「トランスジェンダー復讐の日」と書かれたポスターともにツイッターで上がってきた。もともと4月1日は「トランスジェンダー可視化の日」とからしいが、トランスジェンダー活動家の暴力的な過激派が復讐の日と銘打って4月1日に集会を開くという計画だというのは前回もお話した通りだ。彼等はテネシーでの乱射事件後もその計画を中止にするでもなく、名前を「可視化の日」と直すでもなく、本気で暴力的なテロ行為を強行するらしい。(このエントリーを書いている間にキャンセルがきまったそう。その理由が多くの脅迫にあったからだとさ。)

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子供三人を含む六人の尊い命がトランス活動家に奪われたばかりだというのに、このような映像をツイッターにあげるなど不謹慎この上ない。誰かが「FBIは国内テロ集団としてこのグループを取り調べるべきではないのか」というツイートをしたが、何人かのTRAらしき人達から保守派は常に市民が銃を持つ権利を訴えているくせにトランスが武装したら文句を言うのかなどと頓珍漢なことを言っていた。

しかし彼のあげたこの動画が不謹慎であるというだけでなく、今こういうことをやるべきだろうか?トランスジェンダーによる乱射事件の翌日にこんな動画を挙げれば、トランスジェンダーは攻撃的な犯罪者の集まりだという印象をより強くしてしまうだけではないか。人々にトランスジェンダーを恐れさせることが彼等の目的なのか?

そして本日、乱射事件のあったテネシー州をはじめケンタッキー州そしてテキサス州で、州による性転換規制法に抗議してトランスジェンダー活動家たちがそれぞれの州議事堂占拠を行った。この人たちは本当に空気が読めないようだ。これではあたかもTRAは先日の乱射事件で勢いづいたようにすらみえる。

しかし我々は何時までもトランスジェンダー概念(トランスジェンダリズム)を悪だと騒いでいてもしょうがない。この文明社会を破壊する悪を駆除するためにはどうしたらいいのか、それを考える必要がある。もちろん「駆除」などという言葉を使うと、TRAたちは「トランスジェンダーの人びとを抹殺しようというのか、ジェノサイドだあ!」と大騒ぎをするが、我々はトランスジェンダーを自認する人々を全て抹殺しろと言っているのではない。トランスジェンダリズムという概念を世の中から駆除すべきだと言っているのだ。

ではトランス自認の人びとを抹殺せずに概念のみを駆除するためにはどうしたらいいのだろうか。

虹色の旗を学校から取り除け

先日、突然自分は女子だと言い出した中学生の甥に付き添って学校まで行ったという女性の話を聞いたのだが、彼女が言うに、学校内では星条旗はないのに虹色の旗がそこら中に飾ってあったという。甥っ子が唯一人信用しているという担任の女性教師は紫色の髪の鼻輪付きという典型的なジェンダー教師。学校によっては親に内緒で女の子に乳房を押し付けるバインダーや、男の子にパッド付のブラジャーを配布するようなところもあるという。パッド付ブラ程度なら身体に危害は与えないが、乳房バインダーは肋骨や内臓に多大なり支障をきたす危険なものである。

こんな学校で教えられたのでは元々内気で友達の少ないような精神的に弱い子供たちに勝ち目はない。トランスジェンダーになりさえすればディラン・モルベイニーみたいに一挙に人気者になれると思い込まされておかしな道へどんどん進まされてしまうのだ。

私が学校から虹色旗を取り除くべきだというのは、文字通り旗を取り除くと同時に、旗に象徴されるこうしたLGBTQ+α教育を義務教育の場から取り除くべきだという意味だ。これはすでにフロリダ州など各地の小学校で行われていることだが、

  • 先ず義務教育学校で教師は親に内緒で年不相応な性教育をさせたり、子供を異性の名で呼んだり異性の服装をさせるなど社会的に性転換させることを禁じること。
  • 親に内緒でジェンダーカウンセリングをさせないこと。
  • 年不相応な性教育をやめさせること。はっきり言って小学校での性教育は女子には生理があること、男子は射精できること、それがいずれ生殖に繋がるのだということを男女に分けて教える程度で十分だ。
  • 学校でLGBTQ+α関係の教育を一切しない。特にトランスジェンダーに関する話は一切タブー。他所からLGBT講師を呼ばない。ドラアグショーなど言語同断である。金髪で女子制服を着てるような変態中年男は絶対学校に入れてはならない!
  • 図書館からLGBT関係の本及び異性愛に関しても18禁のポルノ本は一切排除すること。図書館にある書籍リストは簡単に父母や保護者が調べることが出来るようにデーターベースを用意すること。
  • 子供向けテレビ番組においてLGBTを奨励する内容は一切禁止する。同性愛者の登場人物がいるのはいいとしても、積極的に子供に押し付ける内容は不可。

子供向けジェンダークリニックをすべて閉鎖する

  • 性違和を訴える子供がいたら、そういう子供は普通の小児専門の精神科医にてきちんと診察を受けさせる。間違ってもジェンダークリニックになど連れて行ってはいけない。
  • 性別違和肯定治療を一切禁止する。欧米では子供が性違和を訴えたら絶対に疑問を投げかけてはいけないなどという法律のあるところもある。これは全く逆さまだ。医者の役目は子供の妄想を奨励することではなく治療することにあるのだ。
  • 性転換のための未成年(18歳未満)への思春期ブロッカーや異性ホルモン投与、性転換整形手術は一切禁止する。
  • 大人の性転換医療に保険は不可とする。大人が自分の体をどうしようと国がどうこう言えた義理ではないのでやむ負えないが、これは自分で選んでする手術であり医療として必要ではないものなので保険外とする。ただし性違和に関する精神カウンセリングは保険内とする。

法律で性別を正式に変えることを出来なくする

  • 欧米諸国でも日本でも、合法に性別を変えるための厳しい項目を設けても、いずれその規則を緩和せよという運動が出て来てきて、最終的にはスコットランドで起きたように、自分で自分は異性だと言い張るだけの所謂性自認のみで性別を変えられるようになってしまう。だから最初から性別を変えることが可能だという概念そのものを法律から省く必要がある。
  • スポーツは全面的にXXとXYにわかる。インターセックスの人も男性思春期を迎えた人は残念ながら女子スポーツ参加は禁止だ。DSDのホルモン値は自然な状態で一定値以上の人は不可とし、女性ホルモンによって下げることはドーピングと見なすこと。
  • 女性のプライバシーと安全を守るために、トイレや風呂や更衣室など、公共施設や一定数の男女が居る場合の職場における身体性での区別を義務化する。また民営施設でも男女別施設の設備は差別と見なされないことを法的に定める。

一番大事なのは家族

多分これが一番先にくるべきだったのだろうが、先ずは親がLGBTQ+α思想が子供に与える危険性を学ぶべきだ。先ほど話した知り合いの女性の話だが、甥っ子の母親、つまり女性の姉は自分の息子が自分は女だと言い出した時に何が起きているのか分からなかったという。それで学校が薦めるままに素直に従ってしまったというのだ。何か言ったら子供を取り上げられてしまうという恐れもあった。

もし子供が四六時中スマホとにらめっこして、おかしなソーシャルメディアばかり見ていたら、親は子供が他のことに熱中できるような気晴らしを薦めるべきだろう。子供の居ない私が言うのはたやすいが、学校でみんなが観ているSNSに一人だけ参加できないとなれば子供も抵抗するだろうから、そう簡単にはいかないかもしれない。でも本当に親は子供が誰と話をしているのか知っておく必要がある。世の中には非常に恐ろしい変態がうようよいるのだから。

トランスジェンダリズムはダサいという考えを広めよう

トランスジェンダーカルトに嵌りきっているひとに外野が何を言っても無駄だ。しかし私はこれも一種の流行だと思っている。今はトランスであることがヒップ(格好いい)だということになっているから、本当は性違和などないのに、LGBTQ+αのなにかのアルファベットに自分が属していると言い張る人が多くいる。そういうことで何かの仲間に属せると思い込んでる人も多い。実際ほんの数年前までパッとしない異性愛者の男性だったのに、突如女性だと言い出して女性の恰好をするようなったら人気者なんて人もいるので責められない。しかしこういうなりすましはトランスジェンダーが廃れれば、すぐに辞めてシレっと男に戻ること間違いなし。

つまり我々はトランスジェンダリズムは恰好の悪い異常な概念なのだという考えを広めていくことが大切なのだ。

先日全米ホッケー協会NHLは、LGBTプライドの日に選手にレインボーのジャージーを着るように要請したが、一人の選手が宗教上の理由から拒否した。するとその選手のゼッケンのついたジャージーがファンの間で大人気になった。そうなると他にも拒否をする選手が数人現れ、結局NHLプライドの日をキャンセルしようかと真剣に考えるまでになった。

今メディアや民主党や大企業が煽るからLGBTQ+α界隈の考えが普通であるかのような印象を持つが、実際には嫌だと思っている人は結構居るのだ。だが口に出すと差別者だのトランスフォーブだのターフだの言われるので皆口を噤んでいる。しかし一人でも勇気をもって、それはおかしい、と言える人が出てくると、他にも自分もそう思うという人が出てくる。

最近現役の女性スポーツ選手が次から次へと自認男子の女子競技参加に抗議し始めたように、そんなにたくさんの人が声を挙げずとも数人でもおかしいと言える人がいれば、人々の意見は変わる。そしてトランスジェンダリズムという概念そのものがダサいという考えが人々の中で広まれば、流行だからと迎合していたメディアも大企業も俄か女装家もどんどんTRAを見放すだろう。

そうやってトランスジェンダリズムは過去の異常な狂気として葬り去られるのだ。私はそうなる日は結構近いと信じている。


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なぜ女性の代弁者であるはずのフェミニストがトランスアライとなってしまったのか

先日Blah@yousayblahさんのスペースで橋本久美@hashimotokumiさんから、なぜ女性人権の代弁者であるはずのフェミニストの多くが女性の権利に真向から対抗するトランスジェンダーのアライ(同盟者)となってしまったのかというご質問を受けた。それについて書くにあたり、以前にも色々書いていたことを見直していたのだが、2021年の8月に私が捻じ曲げられた「ジェンダー」江原由美子著に関して書いたエントリーを見つけたのでそれを読みながらお話しよう。

今を遡ること24年前、1999年に「男女共同参画社会基本法」が発表された。この頃日本では「ジェンダーフリー」という言葉がよくつかわれるようになった。このジェンダ―フリーという概念は、男女は皆同じであり、男性に出来ることは女性にも出来るというものだった。ここでいうジェンダ―フリーとはジェンダーを失くすとか性役割から解放されるという意味で使われている。学校の出席番号なども男女を分けずに混合するなど男女の性差を無視する運動が起きたのもこの頃である。

当時このジェンダ―フリー概念を批判する保守派も多くいた。江原はこの批判者たちのことを「バックラッシュ派」と呼んでいる。あの頃上野千鶴子及び小山エミも含む何人かのフェミニスト共著のバックラッシュという本まで出版されたくらいだ。

それで江原がいうバックラッシュ派がどのような理由でジェンダ―フリー理論に反対していたか江原はk下記のように書いている。強調はカカシ。

ジョン・マネーとフェミニズムでは、ジェンダー概念の定義が違うのです。性差についての考え方も、ジョン・マネーとフェミニズムでは異なりますし。そもそもフェミニズム内部でも大きく異なるのです。おそらくバックラッシュ派は、フェミニズムの混合名簿など男女平等に向けた施策実施の主張を、「ブレンダと呼ばれた少年」に対して行ったマネーの治療と同じく、「男を無理やり女にすること」「男と女の区別をなくすこと」として同一視し、否定しようと思ったのだと思いますが、このような同一視は、どう考えてもこじつけでしかなく、無理があります。

そして江原は、バックラッシュ派がフェミニストを攻撃するために捏造したという下記のような「言い掛かり」を羅列している。

  • 小学校での着替えは男女同室でなければならない
  • トイレも一緒にしろ
  • 風呂も一緒に入れろ
  • 性教育で児童を洗脳

もう聡明なる読者諸氏は床に転がって笑っておられるのではあるまいか。

1999年の男女共同参画が唱えたジェンダ―フリー論は、今トランスジェンダー達が唱えているものとそっくりそのままだ。そもそも男女に差はないと言い出したのはフェミニスト達だ。男に出来ることは女にも出来ると言ったのはフェミニスト達なのだ。だから今更男女は身体の作りが違うから男が女子スポーツに参加してはいけないとか女の体は男に比べて弱体だなどと認めるわけにはいかない。男が女になれると言って女性空間を侵略しはじめてもフェミニストには彼等を拒絶する議論がないのだ。

もう一つ問題なのは、「バックラッシュ派」が指摘していたように、フェミニストたちはフェミニストであることよりも先ず左翼なのだということだ。敬虔なる左翼戦士であるフェミニストたちは時の左翼勢力が唱える思想と女性の権利が衝突した場合、女性権利を犠牲にすることになど何のためらいもないのである。

もっと同情的な言い方をするならば、リベラルの女性達は弱い人たちの味方でありたいという自分らの自己満足を満たすために、社会の新しい犠牲者の味方であろうとしているともいえる。彼女達が本心からの同情でそういう態度をしめしているのか、単なる道徳観アピールをしているのかは分からないが、「すべての差別を許さない」という左翼プロパガンダんにうまく乗っかっていると言ってもいい。

ではフェミニストの中にも完全にトランスジェンダリズムを拒絶できる過激派フェミニストが居るのは何故なのか?彼女達の思想は左翼リベラルとは矛盾しないのだろうか?

トランスジェンダーがTERF/ターフ(トランス排除的過激派フェミニスト)と呼んでいる女性達は、あくまでも女尊男卑の思想を持ったラディフェミと言われるひとたちだ。女性の人権を男性を虐げることによって勝ち取ったと誇っている彼女達が女装男に道を明け渡す言われはない。女装男たちをシスターと呼ぶために我々は戦って来たのではないと彼女達はいうのだ。

繰り返すが、この問題がラディフェミ対トランスジェンダーである限りは、ラディフェミに勝ち目はない。

世の中の男性陣には、ラディフェミによって男性がコケにされてきたという感じている人が多くいる。ラディフェミたちがパッとしない男性をオタクと言ったりキモイと言ったりして蔑んで来たのは事実であり、そんなラディフェミたちが女装男たちに虐待されているからなんだというのだ、俺たちには関係ねえよ、お前らの自業自得だよ、と思っている男性が少なからずいるのである。

しかし残念なことに、ラディフェミの間では保守派男性たちの力を借りるぐらいなら自分らだけで戦っていくと頑張ってしまう人が多すぎる。この問題では勇気ある行動をしているJ.K.ローリング女史ですら、マット・ウォルシの差し伸べた手を振り払ってしまったくらいだから。

現在アメリカ各地でトランスジェンダリズムに対抗する政治的な方針を作り出しているのは保守派男性達である。無論女性達も一緒に戦っているが、対トランスで実際に効果を上げ始めたのはマット・ウォルシやロン・ディサンティス知事のような男性が戦いに参加し始めてからである。

今トランスジェンダリズムに迎合しているリベラルフェミ達は、どれだけ自分らがトランスアライであるかを証明するかのように、自分らの子供たちをトランス洗脳し始めている。いつかこの西側諸国のトランス熱が冷めて人々が正気に戻った時、トランスの波におされて大人たちから異性だと洗脳された子供たちの将来はどうなるのだろうか?

次世代の子供たちをこの狂気の犠牲にしないためにも、フェミニストも我々と一緒にトランスジェンダリズムと戦ってほしいものだ。

おまけ:2008年に私が初めてジェンダ―フリーなる言葉を知った時のエントリー。ジェンダ―フリーをトランスジェンダリズムに置き換えると今書いたものかと間違えるくらいタイムリーなエントリーなのでご参照のこと。後で重要な部分だけ抜粋して紹介するつもり。

変態たちが押し進めるジェンダーフリーという神話 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)


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右翼はナッシュビル乱射事件犯人のジェンダーに拘り過ぎだあ?ジェンダー思想を社会に押し付けておいて今更それはない

こちら昨日ニュースウィークに乗ったネイサン・J・ロビンソン(Nathan J. Robinson )のコラム。題名にカチンときたので読んでみよう。意訳すると『右翼がナッシュビルの乱射犯人のジェンダーに拘るのは超気色わるい、その理由を言ってやるよ』(The Right’s Fixation on the Gender Identity of the Nashville Killer Is Disgusting—and Telling | Opinion)となる。

ロビンソンは、おととい起きたテネシー州ナッシュビルのキリスト教小学校での乱射事件は誰の目にも悲劇だったとしながら、今回の乱射事件は他の事件とは違っていた。それは犯人がトランスジェンダーだったということだと始める。実はこれは正しくない。以前にも男性自認の女が学校で乱射事件を起こした事件があるし、ノンバイナリーを名乗る男のゲイバー乱射事件も記憶に新しい。まあそれはいいとして、記事を続けよう。

すぐに、右派の著名なコメンテーターがこの事実を取り上げた。彼らの論評は犯人の性自認に絶対的に固執し、評論家やオピニオン・パーソナリティーは、トランスジェンダーが文明の構造に対して大きな脅威をもたらすという彼らの理論を証明するものとしてこの銃撃事件を取り上げた。

ニューヨーク・ポスト紙は一面トップで “トランスジェンダーの殺人犯がクリスチャン・スクールを襲った “という見出しを掲げた。デイリー・ワイヤーのマット・ウォルシュは、「トランス運動は、わが国が直面する最大の悪である」という確信を得たと述べた。(J.D.バンス上院議員(オハイオ州選出)は、犯人がトランスであるという事実は、「極端な左翼に多くの魂の探求をもたらす」べきであり、「これらの考えに従うことは同情ではなく、危険である」ことを示すものだと述べています。ターニングポイントUSAのベニー・ジョンソンは、トランスの人々が「子供に対する大量虐殺を犯しており」、「地獄の穴からの悪」であることを示していると述べ、報道でトランスジェンダーと確認された他の銃撃犯の例をいくつか挙げて、トランス権利運動が “テロリスト” を生み出していることを証明していると述べた。

ロビンソンは、これは非常におかしな状況だという。なぜならこの乱射事件はこれまで起きた多くの乱射事件のほんの一件であり、これまでの乱射事件のほとんどが白人至上主義者によるものだったからだという。

これも全くの嘘だ。先ほども述べたようにこれまでにトランスジェンダーやノンバイナリーを名乗る犯人による乱射事件は起きているし、乱射事件の犯人には右翼思想も左翼思想もおり、ほとんどが白人至上主義者によるものだなどということはない。

ここ最近起きた事件だけでも、コロラドスプリングの乱射犯人はノンバイナリー。デンバーの犯人はトランスジェンダー、アバディーンスクールの犯人はトランス。(Benny Johnsoのツイッターより)トランスではないが、私の記憶ではフロリダのゲイバー、ポルスの乱射事件犯人はゲイ男性だった。

ロビンソンは乱射事件の犯人がトランスジェンダーである確率は非常に低いと語る。だから数件の乱射事件をしてトランスジェンダーが特に危険だというのは理論的に無理があるといいたいようだ。

右派コメンテーターたちは、乱射犯人がトランスだとそのジェンダーに拘る癖に、犯人が「シスジェンダー」の場合は誰もそれを指摘しないのは何故かと問いかける。犯人がトランスであることが問題だという議論が成り立つなら、これまで起きたほとんどの乱射事件の犯人は「シス」なのだから、「シス」こそ乱射を冒す危険な属性だということが出来るという理屈になるのではないか。

いやいや、ロビンソンは文脈というものを無視している。彼はこの事件が起きた背景を故意に無視し、話をそらそうとしているのだ。

トランスジェンダー活動家による暴力は何もこれが初めてではない。乱射事件という形で現れることがこれまでには珍しかったというだけで、彼等による暴力、特に女子供や老人を対象としたものは、これまでいくらも起きている。

つい先日もニュージーランドのポージー・パーカーの「女にしゃべらせろ」イベントが数百人のTRA暴徒によって妨害された事件が起きたばかり。パーカーのイベントはNZのみならず、オーストラリアでもニューヨークでも、それを言うならロンドンでも常に黒装束のANTIFA/TRAの暴力集団によって攻撃されてきた。

トランスジェンダリズムに抗議する活動は、どこもかしこも同じである。ロビンソンが述べているマット・ウォルシや同じくデイリーワイヤーのコメンテーターであるマイケル・ノールズの講演は、行く先々でピンクや紫の髪に鼻輪を付けたTRAたちによって暴力的な妨害に遭う。ウォルシも自分の番組のなかで話していたが、TRAによって彼の住所が晒され妻子の命が脅迫されたのも一度は二度ではないという。だからウォルシがTRAは社会の最大の敵と言う時には実体験が背景にあるのである。

それにこの事件のタイミングにも注目する必要がある。昨日も書いたように、最近テネシー州では子供の性転換治療を禁止する法律が通った。TRAたちは来る4月1日にトランスジェンダー復讐の日と称して大々的なテロ行為をすると予告している。そんな時に起きたトランスジェンダーによる乱射事件だ。犯人の属性が取りざたされるのは当然の話だ。

しかも犯人は自分が10年前に通ったキリスト教小学校を標的にしている。彼女はキリスト教の家庭に育ち、自分のトランスジェンダリズムを親から拒絶されたという話もある。つまり犯人の乱射の動機には自分がトランスジェンダーであるということが非常に大きな要因を示すのだ。

もしもこれがMAGA信者の白人男性が中絶施設のプランドペアレントフッドを襲撃したという事件だったら、その男性の思想が右翼保守であったことは大々的にニュースになるだろうし、そうなって当然である。なぜなら殺人犯が個人的にたんなる精神病患者なのか、それとも何か危険な思想に感化された人間なのかを知ることは、今後の犯罪を阻止するための重要な手がかりとなるからだ。

だいたい何かにつけてジェンダージェンダーとうるさく騒いでる連中が、聞かれもしないのに自分の代名詞はThey/Themだの、女性を強姦した男の自認が女性だからと、裁判中に検察官が「犯人の男は」と言っただけで検察官のほうが罰金を課せられるような世の中である。そんな中で都合の悪い時だけ「ジェンダーに拘るな」などと言っても、そんなご都合主義は通用しない。ビリー・ジョエルじゃないが、「火をつけたのは我々ではない」

ロビンソンがトランスジェンダリズムが暴力的なカルトではないと証明したいなら、トランスの名のもとにトランスに批判的な人々(特に女子供)に執拗なまでの暴力行為をする活動家を批判したらどうなのだ?彼等はトランス活動家の名にふさわしくないといって何故破門にしないのだ?

F*TERFだ、TERFをぶん殴れだ、TERFをぶっ殺せだの普段から言ってる連中が、この乱射行為はその流れの行きつく場所だと言われることに、今更抗議をする資格などない。


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過激化するトランスジェンダー活動家の暴力、匿うメディア

昨日私はツイッターで、独立ジャーナリストのアンディー・ノーがリツイートしたトランスジェンダー活動家(TRA)が呼びかける「トランスジェンダー復讐の日」というチラシを目にした。TRAは保守派の州で次々に通過している子供の性転換治療禁止や家族向けドラアグショー禁止令などに腹をたてて、4月1日に同時多発テロ行為を呼びかけているのだ。

そのチラシの話を私のツイッターで紹介した直後、なんと最近子供向け性転換治療を禁止したテネシー州はナッシュビル市のキリスト教小学校で男性自認の女オードリー・へイル(28歳)が乱射し、3人の子供と3人と大人が射殺されるという大事件が起きた。犯人の女は駆け付けた警官二人にその場で射殺された。

女は当日事件直前に友人にテキストメールを送り、その日自殺するつもりだと伝えていた。

この女がトランスジェンダーであることはすぐに解ったし、数日前からTRAが復讐の日と称して暴力を煽っていたという事実があるにもかかわらず、メディアはこの女が残したマニフェストの公開はトランスへの憎悪を煽るからよくないなどと言っている。憎悪を煽って暴力沙汰を犯したのはどっちなんだよ、と言いたい!

ツイッターでトランスジェンダー復讐の日のチラシを紹介したツイッターアカウントは文脈関係なしに数日間の凍結の罰を受けている。

TRAはこの事件が起きたにもかかわらず、このイベントを強行すると発表している。乱射事件の原因は銃だと大騒ぎしているバイデン政権及び民主党もメディアもTRAによるテロ予告には全く無関心である。

とうのTRAも犯人は自分らの仲間ではない、彼女のやったことは我々の信念に反する、といった声明を出していない。つまり明らかにこの暴力は彼等の奨励する行為なのであり、今後もどんどん過激化していくことが予想される。

いい加減人々は気づくべきだ。トランスジェンダリズムは社会の敵だ悪なのだ。このトランスジェンダリズムという概念そのものを世の中から抹消しなければならないのだ。


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親女性を反トランスと言うことはトランスにとって逆効果なのでは?

イギリスの女性人権家ポージー・パーカー女史の「女にも言わせろ!」ニュージーランドツアーが、あまりにも暴力的なトランス活動家(TRA)の妨害にあって中止に追い込まれた。昨日野外スピーチのイベントに集まった女性達が暴力的なTRAに囲まれ、ポージーに中身不明の液体がかけられ、暴徒に囲まれもみくちゃにされながら、パーカーは数人の警察官によって救出された。

こちらガーディアンの記事。「騒然たる抗議の後、反トランス活動家ポージーパーカー、ニュージーランドツアーを終える」Anti-trans activist Posie Parker ends New Zealand tour after chaotic protests at event | New Zealand | The Guardian 強調はカカシ。

ポージー・パーカー(Posie Parker)として知られる反トランス活動家は、オークランドで予定されていた講演が混乱し、時には暴力的な抗議活動によって終了したため、今後のイベントをキャンセルし、ニュージーランドを離れたと報じられている。

ポージー・パーカーの名で知られるケリー=ジェイ・キーン=ミンシャルは、土曜日の午前中にオークランドで講演する予定だった。物議を醸した英国のジェンダー活動家は、数千人と推定されるトランス権利推進派の群衆に囲まれ、講演者の支持者を大幅に上回った。彼女は、ブーイングや罵声を浴びせられ、トマトジュースをかけられた後、発言する前にイベントを去った。

キーン=ミンシャルのニュージーランドでの講演は、到着前から大きな物議を醸していた。それ以前にオーストラリアで行われたイベントには、白人至上主義団体が参加・支援し、ナチスの敬礼を繰り返しながら街頭行進を行った

また、多くのLGBTQ+の権利団体が、彼女が公の秩序を脅かすという理由で、ニュージーランドの入国管理当局に彼女の入国を拒否するように働きかけていた。金曜日、ニュージーランドの高等裁判所は、キーン=ミンシュルの入国を許可した決定は合法であるとの判決を下した。

マイケル・ウッド移民相は金曜日の声明で次のように述べた: 「多くのニュージーランド人と同様、私もケリー=ジェイ・キーン=ミンシャルがニュージーランドに足を踏み入れないことを望んでいる。また、白人至上主義者を含む、最も卑劣な人々やグループと接触していることに懸念を抱いています。」

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

読者諸氏もお気づきのように、この記事では何度となくパーカーのことを「反トランス」とか「白人至上主義」とか言っているが、彼女は反トランスでも白人至上主義でもない。オーストラリアでニオナチが登場したのも、彼女のイベントに招待されて参加したわけではなく、TRAが抗議のためにやってきたのと同じようにニオナチもこの場を使ってTRA攻撃をしようとやってきただけで、イベント主催側とは無関係である。ニオナチを惹きつけたのはパーカー達ではなくTRAの方なのだ。

ニュージーランドは移民相の発言でもわかるようにパーカー達のことを最初から快く思っていなかった。彼女が到着する数日前からメディアも彼女がいかに危険人物であるか、白人至上主義であるかを宣伝し、イベントでの暴力を煽っていたのである。そうしておいて彼女のイベントでは暴力沙汰が起きるから歓迎できないとかやるのは、左翼の常套手段だ。

アメリカでも保守派の講演者が大学キャンパスなどで講演をしようとすると、講演者を黙らせようと非常に暴力的な抗議者たちがあつまる。それで大学側は「あなたの講演には警備のお金がかかるのでお断りします」という口実で保守派講演者に話をさせないことが多々起きる。もし大学側が当初からどんな講演者に対しても抗議活動をやった学生はその場で一学期間の停学処分に処すくらいの強気な態度をとっていればこんなことは起こりようがない。だが大学側も保守派講演者に少なからぬ敵意をもっているため、わざと過激派学生たちを煽る行為を取るのである。

本来であれば、ニュージーランドのメディアはテレビ番組にパーカーを招待し、彼女のやっているツアーの主旨について色々質問し、白人至上主義団体に関しても彼女の口から説明させるべきなのだ。しかしNZのメディアがそれをしないのは、彼等も100%TRAの味方だからだ。

しかし、このようにパーカーを反トランス扱いすることはトランス活動家にとって良いことなのだろうか?

私は当初パーカーの「女にしゃべらせろ」ツアーには批判的な考えを持っていた。それは、こんなことをやってもトランス活動家の横暴に虐待されている女性の声を広めることには効果がないと思ったからだ。パーカーの集会に集まる女性達の数はせいぜい数百人。しかも公民館のような場所を借りずに野外広場などでの集会ばかりである。ちょっと有名なユーチューバーのオフ会のほうがよっぽども人が集まる。こんなことをやって何の役に立つのだろうか?

そして何故TRAはパーカーを無視しないのだろうか?彼女のユーチューブチャンネルには多くの視聴者がいるかもしれないが、こんな集会放っておいてもどうということはない。TRAが騒がなければ彼女がNZに来たことさえ話題にもならなかっただろう。それなのに何故千人ちかい数で集まって、女性達に暴力を振るわなければならないのだろうか?

考えてみれば、NZメディアも馬鹿である。パーカーを何か非常な危険人物かのように悪者扱いして、TRAの暴徒を焚きつけることにより、パーカーよりもTRAのほうが過激で乱暴な活動であることを証明してしまい、かえってTRAのイメージが悪くなるような気がする。TRAの狙いは誰も気が付かないうちに自分らの好き勝手な法律を通してしまうことにあるはずで、たかが一人のイギリス人女性が来たからと言って大騒ぎしてみてもまるで意味がないと思う。

もっともNZはすでに十分TRAの支配下にあるので、その権力を誇示するためにTRAに立ち向かう生意気な女たちはこうなるのだという見せしめをしているのかもしれない。


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始まった、トランプ対ディサンティスの戦い

ずっと選挙の話をしてこなかったので、そろそろその話をすべきだろう。今共和党のトップランナーはトランプ、そしてディサンティスが次点だ。しかしトランプ対ディサンティスになると二人とも五分五分。どっちが勝っても不思議ではない状況である。私の正直な見解を申し上げると、私はディサンティス推しである。

その理由をいくつか挙げてみよう。

先ずロン・ディサンティスは若い。彼はまだ44歳。健康そうだしはつらつとしている。今後8年間やってもらうのだからこれは非常に大事。ドナルド・トランプは年の割には健康だし非常にエネルギッシュな人間ではあるが、誰でも年には叶わない。もちろんバイデンと比べても意味はないが、高齢者は突然老けるのでそれが心配。

ディサンティスのコロナ禍での行動。カリフォルニアのギャブン・ニューサム知事が自分は高級レストランでマスク無のパーティーをやりながら、ぐずぐずとロックダウンを続けていたなか、ディサンティスは早急にロックダウンを切り上げ地元のビジネスを救った。ワクチン配布も能率よく速やかにおこなった。

ディサンティスは以前はトランプが立候補するなら自分はしないと言っていたが、フロリダ知事の任期が今期が最後。何らかの形で政治に関与していないと人々の記憶から失せてしまう可能性があるので、タイミング的に今回の出馬は必要かもしれない。

また教育の面でもポリコレに屈せずにどんどん超左翼リベラルな教育委員会やWOKEな教師たちにも挑戦し親たちの権利を取り戻している。義務教育での行き過ぎたLGBT教育の制限、親の許可なく子供の社会的性移行を禁止するなど真っ先に行った知事でもある。ポリコレを巡って天下のディズニーに喧嘩を売って勝利しつつある。なんとも度胸の座った男である。

しかし問題なのはディサンティスはトランプと違って資金源が乏しい。選挙には金がかかる。資金集めで色々な企業から献金があれば、それなりの見返りを期待される。個人的に裕福なトランプと比べるとこの点が不利である。

またディサンティスはカリスマの面でトランプに負けている。トランプには何故か普通の人を惹きつける魅力があるがディサンティスにはそれがない。それにディサンティスはこれまでにも多くいた普通の常識的な政治家というイメージなので、保守派の共和党支持からは支持されるだろうが、無所属の特に黒人やラテン系票を取れるかどうかと言われると自信がない。知名度の面でもトランスのほうが圧倒的に有名だし。

一方トランプの方はというと、未だに大人気で全国各地でラリーを行う度に何万という人が集めている。

私がトランプを評価している理由は、トランプが精力的に公約を守ったことだ。

外交面で素人といわれていたのに、イスラエルの首都をエルサレムだと公式に認め、イスラエルとカタールやUAEの外交関係を達成させた。サウジでさえもあからさまなイスラエル叩きはしなくなった。それまで続いていたパレスチナからのイスラエル攻撃も牽制した。(バイデンになって再び激化したのは言うまでもない)

中国との不公平な貿易関係を是正。無制御に入ってくる違法移民を止めるために壁建設に取り組んだ。経済も好景気が株市場は上がり、黒人層の就職率も史上最高となった。製薬会社に圧力をかけて処方薬の値段を下げ、持病持ちや高齢者の生活を助けた。

公約通り、一度も戦争を始めなかったが、すでにアメリカがかかわっていた戦争では敵を容赦しなかった。プーチンや習近平が大人しかったのも、やたらに手を出せばトランプがどう出てくるか予想できなかったからだろう。

そしてなんといっても資源の面でアメリカはなんと原油を他国に頼ることない自立を達成、外国へ輸出するまでになったのだ。

大統領として、たったの四年間でここまで成し遂げた人がロナルド・レーガン以来、過去に居ただろうか?

トランプの問題点はそのカリスマさゆえにパーソナリティーカルトになってしまうこと。そしてすぐ感情的になり、しなくてもいい個人攻撃を始めてしまうところにある。政治上のライバルである人々の政策を批判するのはいいとしても、個人的にあまり関係のないところでおかしなあだ名をつけてけなしたりするのはどうも私は好きになれない。このあたりディサンティスはうまくかわしていたが。

それとトランプは変なひとたちを周りに置いてしまい、信用すべきでな人間を信用してしまうきらいがある。トランプは政治の世界では素人だったので、周りを専門家で固める必要があった。何と言ってもトランプの大失態はアンソニー・ファウチを信用したことだ。ファウチがロックダウンを言い出した時にさっさと首にすべきだった。

考えてみればあのパンデミックがなかったら、トランプがバイデンに負けるなんてことはあり得なかっただろう。

次の大統領選はなんとしてでも勝たねばならない。そのためにはバイデンを打倒できる候補者を選ぶ必要がある。ディサンティスでもトランプでもバイデンを倒せるならそれでいい。共和党は下院も上院も気を引き締めて、民主党の不正と戦ってほしい。引退後をバイデンのアメリカで過ごすなど御免被りたいものだ。


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役者の人種はどうでもいい、でも筋を通して欲しい

最近ディズニーのリトルマーメイドの新しい予告編が発表されたこともあり、再びアリエルを演じる女優の人種が取りざたされているが、この映画の問題点は主役が黒人になった程度のことではないと思う。しかし今日はその話ではなく、人々が慣れ親しんでいる役を異人種が演じるのはどうなのかという話をしたい。

結論からいえばそれは別にいいと思う。ただし、その映画やお芝居の中でそういう人種の人が出て来てもおかしくない設定になっていればという条件付きではある。

私は昔からお芝居や映画が好きである。特に中学生くらいから生で舞台を見るのが大好きで、一人で歌舞伎座へ行って一幕見をしたり宝塚や劇団四季のミュージカルをみたり、明治座や芸術座なども良く通った。今でも生のお芝居を見るのが大好きなので、地元の地方劇団のシーズンチケットをずっと買い続け、かれこれ30年になる。

この劇団は色々な芝居を手掛けるが、なんといっても一番人気はシェークスピアだ。先日もMuch Ado About Nothing(邦題:空騒ぎ)という私の大好きな題目で非常によかった。

A woman in a bridal veil and man in soldier's uniform face each other in front of a stained-glass window.

↑地方劇団の「空騒ぎ」のシーン。

この劇団に限らず、私はシェークスピアが好きなので色々な劇団やプロダクションでシェークスピアを観ている。同じ題目のものも色々な舞台で観た。「空騒ぎ」もケニス・ブラノフの映画を含めると四度目だ。私は色々な劇場でシェークスピアを観ているが、イギリスのシェークスピア劇場で観たテンペストも含めて、話の設定が中世のイギリスであることは非常に稀であり、台詞はそのままだが舞台は色々な時代や場所に移されていることが多い。

例えば今回の「空騒ぎ」も舞台は1940年代の中南米だったし、以前に見た12夜は1960年代風のカリブ海周辺のどこかだった。21世紀を舞台にしたロミオとジュリエットもあるし、1930年代を舞台にしたリチャード三世なんてのもあった。黒澤明のマクベス(蜘蛛の巣城)やリア王(乱)も有名だ。

このように舞台や設定を変えてしまえば、登場人物の人種や民族が白人のイギリス人である必要はまったくないし、黒人が出て来ようがラテン系が出て来ようが日本人だろうが全く問題はない。

ヒーローものを女性にやらせるにしてもそうだ。例えばワンダーウーマンのように元々女性のキャラで作られたものなら問題はないが、元々男性キャラなのを無理やり女性に変えるのは勘弁してほしい。

私の大好きなSF長寿番組ドクターWHOが女性に生まれ変わった時も思ったのだが、女性にやらせるなら女性特有のキャラクターにしてほしかった。それが男優用に書かれた台本を単に女優にやらせているという怠慢さがにじみ出て、見てる方は完全に白けた

同じドクターWHOでも、以前にドクターの宿敵マスターが女性に生まれ変わりミッシーとなった時、彼女は正確も素振りも確かにマスターの生まれ変わりであったが、19世紀の貴婦人の服を着こなす高貴な女性で、お色気もあったし茶目っ気もある素晴らしいキャラクターだった。私はドクターWHOの女性版にもそういうキャラを期待していたのだが、完全に裏切られた。このシリーズは視聴率最低だったらしい。さもあらん。

結論を言うと、人々が慣れ親しんできたキャラクターの人種や性別を変えようというなら、その変更が人々の納得のいくような筋の通ったものにしてほしいということ。

リトルマーメードなら舞台をカリブ海付近に移して登場人物はすべて黒人にするとか、ピーターパンも舞台を別の国に移すとかして、ピーターパンが東洋人でもティンクが黒人でも違和感のない設定にしてほしかった。しかしディズニーはともかく多様な人種を使うということにだけ気を使って、物語の脚色にも筋にも全く力を入れない怠慢さ。

これらの映画が不人気なのは配役に非白人を起用したことにあるのではなく、オリジナルの設定や脚色をした映画を作るという努力を怠ったその怠慢さが原因なのだ。


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世界陸連、トランス選手の女子競技参加を禁止

本日は非常に良いニュースがある。

【3月24日 AFP】ワールドアスレティックス(World Athletics、世界陸連)は23日の意志決定会議で、思春期を男性として過ごしたトランスジェンダー選手について、男性ホルモンのテストステロン値にかかわらず、女子陸上競技への参加を禁ずることを決めた。セバスチャン・コー(Sebastian Coe)会長が発表した。

 禁止措置は今月31日以降の国際大会が対象となる。コー氏は、この問題について国際オリンピック委員会(IOC)や各国の連盟を含む関係機関と協議した結果、トランスジェンダー選手は女子競技に参加すべきではないとの意見が大半だったと説明。

一方で、禁止措置は「恒久的なものではない」とし、トランスジェンダー当事者が率いる作業部会を設立し、トランスジェンダー選手が持ちうる身体的優位性に関する科学研究の進展を監視していく意向を示した。(c)AFP

またDSD(所謂インターセックスで外見は女性だがDNAがXYで生まれた人)のテスタストロンのレベルも5ナノモールから2.5ナノモールに引き下げることになった。

これは恒久的なものではないとされているが、今後これが覆される可能性よりも、もっと厳しくなる可能性のほうが強いのではないかと私は思っている。それというのも毎日のように男子による女子競技侵略が報道され、多くの人びとがこれが如何に不公平であるかを身近に感じるようになっているからだ。

実は私は知らなかったのだが、2016年オリンピック女子陸上800メートル走で上位三位までを取ったのがなんと全員生物学的な男性だったというのだ。本来ならば金メダルを取るはずだったカナダ人女子選手のコーチは大会に抗議したが、IOCに歯向かったら今後一生スポーツから追放されると脅かされて声を上げることが出来なかったという。

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四位になったカナダ代表の生物学的女子メリッサ・ビショップ、Melissa Bishop Canada

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上位三位は全員生物学的男性

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何故こんな大ニュースが当時私の耳に入ってこなかったのか非常に不思議だ。

ともかく、これからは他の競技もどんどん同じような規則を通して欲しい。

アップデート:このエントリーを書いた後、この上位三人はトランスジェンダーではなく、DSDと言われる所謂インターセックスの人びとであることがわかった。彼等は身体の遺伝子ほとんどがXYなので、本来なら男性としてみなされるべきであるが、外性器が男性器のそれと異なるため出生時に女子とみなされ、ずっと女子として育った選手たちである。

問題なのは彼等は生物学的には男性であるにもかかわらず、医学の発達していないアフリカ圏出身であることから、彼等の生物学的性別がエリートスポーツ選手になるまで発見できなかったという悲劇である。こういう人たちはシステムを悪用して女子競技で勝とうとしている女性成り済ましの奴らとは違って、本人も周りもずっと自分は女子であると信じてきたわけだから気の毒ではある。

私は以前にセメニヤ選手に関して、彼女が生物学的女性であるにも関わらず、異常に高い値の男性ホルモンを分泌する人であるというのであれば、それは背が高いとか足が長いのと同じように女性として扱うべきだと言った。しかしそれは、同選手がインターセックスだということを知らなかったからだ。この人が生物学上は男性であると確認できる以上、お気の毒だが女子競技参加は諦めてもらうしかない。その代わり男子競技への参加は許可されるべきだ。

今後のオリンピックだが、テスタストロン値など関係なく遺伝子だけで判断すべきだと思う。オリンピック協会は昔からあったセックスチェックに遺伝子項目を加え、XYによってのみ男女の判断をすべきであり、その選手の出生届やそれまでの性別は拒否すべきだ。そうすればエリート選手を育てる団体はすべてお金をかけてでも選手の性別をあらかじめ調べるようになるだろう。その方が本人のためにもよいと思う。

一生懸命がんばってきて最後の最後で実は自分は男だったと知らされる人の気持ちも考えてほしいものだ。


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トランスジェンダーの子供を持つ二人の親の対照的な意見

今日は、トランスジェンダーの子供を持つという親ふたりの話を紹介しよう。二人の共通点はトランスジェンダーを自認する子供を持つということだけで、それに対する二人の感情は全く対照的である。

最近保守派の州で、未成年の子供の性転換治療をすることを禁止する法律が通りはじめている。其れに関してトランスジェンダーの子供を持つというある母親の意見から紹介しよう。

母親の名前はジェニファー・コスロー。(Opinion by Jennifer Koslow)この母親はフロリダで通った法案HB1421とSB254について書いている。彼女はこの法令のなかに「 立法府は、未成年の子供の養育、教育、世話を指示することは、両親の基本的権利であることを認める。」とあるが、ではトランスジェンダーの子供に性別肯定治療をうけさせたいと思っている親の権利はどうなるのだと訴える。

私はトランスジェンダーの子どもの親です。私は、我が子の健康や教育にとって何が最善かを判断する基本的な権利を持つべきです。未成年の性別適合医療を禁止し、成人の医療に条件をつけるこれらの法案、そして教育機関や指導要件に関連する法律を拡大する法案は、すべて同じ影響を与えるでしょう。私の親権を弱体化させるものです。

この母親は自分や自分のようにトランスの子供を持つ親たちは常に専門医の助言を考慮にいれており、自分らだけで勝手な判断を下しているわけではないという。そして性同一性失陥は子供が自分の心と身体の不一致について単に「混乱」しているのではないという。

彼女は何十年にもわたるデータにより思春期ブロッカーは安全であり、思春期を一時的に停止させるものであるという。子供たちが思春期を迎えるにあたり、性別肯定ホルモンを与えるのは彼等に十分なj方法を与え親と相談のうえでの決断であるが、HB1421とSB254は親たちのそうした基本的な権利を奪うものだという。

ここまで読んで私はこの母親の無知さに呆れている。性転換治療のために子供に思春期ブロッカーを投与し始めたのはほんのここ10年くらいのことであり、しかもそのような治療を受けた子どもたちは非常に少ない。だから彼女のいうような「何十年にもわたるデータ」などというものは存在しない。それに思春期ブロッカーは思春期を一時的に停止させるものなどではない。一旦この薬を摂取したら子供たちはそのまま普通の大人としての成長を永久的に阻まれるのである。

また性転換のために思春期ブロッカーを摂取したこどもは、誰一人として気が変わって元の性で生きていこうとしない。思春期ブロッカーと異性ホルモン治療はセットになっており、一時停止どころか性転換の道まっしぐらの選択肢しかないのである。もしこの母親が思春期ブロッカーを摂取した子供の気が変わって生まれた性で生きる選択をすることができると医者から言われたのだとしたら、彼女はきちんとした情報を得たうえで同意(Infomrmed Consent)したとは到底言えないのだ。

トランスジェンダークリニックでは、患者が自分はトランスジェンダーかもしれないと言ったら最後、医者にもカウンセラーにもそれに挑戦する権限はない。

それどころか最近は、他の精神疾患で精神カウンセラーに相談に行っても、すぐに性違和だと言われジェンダー専門家に紹介され、あれよあれよという間にトランスジェンダーだからホルモン治療しろ整形手術しろ、さもないとお前の子供は自殺してしまうぞと親を脅迫する「専門家」が後を絶たない。ツイッターなどでも子供たち自身、性違和などないのにカウンセラーから性転換しないとお前は自殺する可能性があると脅迫されたという体験談も色々聞くほどだ。

こんななか、トランスジェンダーと診断された子供や親たちのどれほどがきちんとした情報を元に性転換に同意しているのか、はなはだ疑わしいと言わざる負えない。

これまでも、そしてこれからも、子どもを含むトランスジェンダーは存在する。彼らの個別のケアに関する決定は、彼らの親が行うのがベストではないでしょうか?

ただし、親がきちんとした情報の元で判断していない場合は別である。この間も触れたように、思春期前の子供の性違和は思春期を超えると80%失くなってしまうという調査結果がある。例えこの調査結果が間違っていたとしても、これは単に18歳まではホルモンや整形手術をせずに待とうという提案であり、もしその調査結果が間違っていたとしても子供に危害を加えるものではない。

だがもし自分や医者の判断が間違っていたらどうなるのか?異性になりたくない子供の将来を不可逆的に台無しにしてしまう可能性があるのに、あえて決行するのか?

私なら80%のチャンスに賭けるね。

さて、では対照的に子供をトランスジェンダリズムに奪われたという父親の話を紹介しよう。彼は匿名の父親である。

19歳の息子がプランドペアレントフッドで、説明を受けた上での同意をしたとしてHRT薬を受け取ってから2年が経つ。彼の母親と私は、若くして人生を左右するような決断をしないよう、彼に懇願した。しかし、息子は理性に耳を傾けず、心理学的な評価や監督もなく、医学的な監督もほとんどないまま、この薬を受け取ってしまった。

その時以来、私は激しい怒りの発作を経験し、それが私の精神的な健康を低下させる原因となった。1年近く午前2時に目が覚め、今でも定期的に午前4時に目が覚めるような怒りだ。そのせいで、身体も心も気分も悪くなってしまいまった。うつ状態や無気力状態になることが多くなった。かつては楽しんでいた趣味も、ほとんど楽しめなくなった。日常生活で必要なことをこなすだけで、それ以外のことはあまりしない。

正直なところ、これほどまでに精神的な苦痛を感じることができるとは思っていなかった。

私は何に怒っているのかって?

ファンタジーに見せかけた自傷行為というカルトを社会が許していることだ。私が「トランスフォビック」だといって社会が私を問題視していることにも激怒している。

医療機関が、10代の若者の体を切り刻むことを婉曲に表現し、それを「性別肯定医療」と呼び、小銭稼ぎをしていること。

息子の精神的、肉体的健康が明らかに低下しているにもかかわらず、間違った性ホルモンを投与し続ける医療スタッフ。息子は19歳のときは痩せていたのに、21歳のときは肥満の域に達してる。また、彼は毎日泣いていると報告している。それなのに、この害の元凶である薬の服用をやめようとはしないのだ。

民主党(私はかつて支持していた)とバイデンは、いかにしてこの社会的伝染を可能にしているのか。バイデンは、「女性」という言葉の定義を拒否したジャクソン判事をどのように指名したのだろう。そして、レイチェル(リチャード)・レヴィンが、移行前に子供ができてよかったと言いながら、同時に若い人たちに生殖機能を破壊する治療を勧めているのを見て、怒りを感じている。

自分が女性だと主張するだけで、性犯罪者が女性のスペースにアクセスできるようにする男尊女卑運動。

女性を去勢された男性と見なし、世界に新しい生命をもたらす女性の能力に価値を見出さない女性嫌悪の運動。そして、男性が女性のスポーツに参入して支配したり(例:リア・トーマス)、女性に怪我をさせたり(例:ファロン・フォックスがタミッカ・ブレンツの頭蓋骨を骨折させた)することを許している。

メディアは、捕食者の存在を否定し(例:Wi Spa)、生後間もない女性に起こる身体的被害を報道しないか、報道しても「彼女はペニスで彼女をレイプした」のように、言葉のサラダや意図的に混乱させるような表現を使う。(後略)

この男性は自分は自分の子供たちをきちんと育てたという満足感にひたりながら年を取りたいと思っていた。ところと息子は自分からその喜びを奪ってしまったと彼は嘆く。自分が愛を注ぎいつくしんで育てた子供にすべてを奪われてしまったと。

二年間にわたり彼は息子に辞めてくれと嘆願した。しかしその度に息子は彼と母親を「トランスフォビックと呼んだ」。

彼はもう二度と民主党には投票しないという。ここ一年半ほどセラピストにも通ったが、息子をあんなふうにしたのもセラピストだと思うと正直に自分の心を打ち明けることができなかったという。

週になんどか数分間に渡って泣き続けることがある。妻に心配をかけないように妻が犬の散歩に出かけている時に泣くのだ。もし私が息子を愛していなければこれはもっと簡単だっただろう。でも私は息子を愛している。そしてその愛がその怒りの糧となる悲しみを引き起こしているのだ。

トランスジェンダー自認の人びとは、常に自分がどれほど苦しんでいるかという話ばかりする。だが突然自分がトランスだと言い始めたことによる家族たちの苦しみを彼等は一秒でも考えたことがあるのか?

レイチェル・レビンのように結婚して子供までもうけた中高年男性が突然女装して自分は女だと言い始めた時の、奥さんや子供たの苦しみはどれほどだったことだろう。私なら耐えられない。

夫なら離婚すればいい。でも息子や娘だったらどうする。親だったらどうするのだ?

トランスジェンダリズムは本当に社会を破壊する恐ろしいカルト思想である。


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東洋人の命はどうでもいいのか?無視される黒人による東洋人差別と暴力

先日、サンフランシスコの町を歩いていた若い女性が突然男に襲われ、男は小柄な女性を持ち上げてコンクリートの路面に叩きつけ、女性の所持金を奪って逃げた。女性は重症を負い、下半身不随になる危険性があるという。この全貌が監視カメラに写っており、その動画がソーシャルメディアで拡散されている(観閲注意。非常に暴力的な映像あり)。被害者の女性は東洋人、そして加害者の男は黒人だ。悲しいことにこういうビデオを見ることがあまりにも頻繁になりすぎて、我々はもう、ああ、またかと驚きもしない。

2020年、BLM暴動の真っ最中、東洋人への暴力が頻発するようになって、そのことを指摘しようと誰かが「アジア人の命も大事」という意味で「ALB」運動を始めようと言い出した。ところがすぐに黒人活動家からそういう言い方は黒人だけに許されるものでアジア人は使うなとクレームがついた。そして情けないことにアジア人界隈は「アジア人へのヘイトを止めよう」という意味のStop Asian Hateと名前に変えてしまった。名前くらいどうでもいいだろうと思うかもしれないがそうではない。これこそまさに黒人と東洋人の不均衡な力関係を象徴する出来事だったのだ。

黒人は今やアメリカ社会でどんなことも許される絶大な政治力をもつ。黒人が大手小売店を略奪してもその小売店の親会社はBLMに何億という寄付をする。黒人は人殺しをしても保釈金も無しに即日釈放される。それでも非黒人が黒人に関してひとことでも批判的なことを言えば、この間の漫画家スコット・アダムスのようにすぐさま社会的に抹殺されてしまう。

だが黒人は非黒人に対してどんな差別的なことを言おうと、暴力を煽ろうと、いや実際に癇癪を起して人を殴ったり蹴ったり他人の物を壊したりしても何の罰も受けない。特に被害者が東洋人の場合はメディアも完全無視である。当の東洋人政治家ですら批判を恐れて沈黙している情けなさ。

いや、カカシ姐さん、黒人だって善い人も悪い人もいるでしょ、東洋人だって黒人への差別心を持ってるしお互い様じゃありませんか、黒人による暴力ばかりに注目するのこそ人種差別ですよ、とおっしゃるかもしれない。だが単に多人種に対して差別意識を持っているのと、その対象を迫害し常に暴力を振るう行為は全く同列に並べることは出来ない。もしも黒人による暴力と同じように東洋人による黒人への暴力が頻発しているなら、そんなビデオはネット中で拡散しているはずだ。だがそんなビデオはとんとみかけない。

読者諸氏は1991年代に起きた韓国人コンビニ店主による黒人少女射殺事件をご存じだろうか?

当時15歳だった黒人少女ラターシャ・ハーリンは韓国人経営のコンビニでオレンジジュースを買おうとしていたが、レジをしていた韓国人女性スーン・ジャ・ドゥーは、ラターシャのバックパックから突き出ていたオレンジジュースを見てラターシャが万引きをしようとしていると勘違いをし、ラターシャに何かどなり、彼女のバックパックを取り上げようとして二人は揉め始める。ラターシャが怒ってスーンジャの顔を殴った途端、スーンジャは机から銃を取り出しラターシャに発砲。ラターシャはその場で即死した。スーンジャは起訴されたが執行猶予の判決が降りた。

この事件には色々事情があるが、詳細はともかく、いまだに黒人界隈では東洋人による黒人差別の例として持ち出される事件であり、映画にもなったほどだ。

な~んだ、姐さん、やっぱり東洋人だって黒人に暴力を振るってるじゃあありませんか、という前に考えてみてほしい。この事件が起きたのは32年前だ。なんでそんな事件が未だに語り継がれるのだ?もしも東洋人が日常的に黒人に暴力を振るっていたとしたら、そんな昔の話など持ち出さなくとも、つい先週起きた殺人事件でも持ち出せばよいではないか?その方がみんなの記憶に新しいし、東洋人による黒人差別を示すには効果があるはず。

しかしそんなビデオは存在しない。なぜならそんな事件はしょっちゅう起きていないからだ。黒人と東洋人との暴力沙汰は、圧倒的に黒人が加害者で東洋人が被害者なのだ。

ではいったいどうすればいい?我々東洋人は常に黒人の暴力を甘んじなければならないのか?このあからさまな東洋人差別と虐待に我々はどう対応すればいいのだ?

まずアメリカは黒人至上主義をやめるべきだ。どんな人種も他の人種より優遇されたり冷遇されたりしてはいけない。それにはまず学校教育から始めなければならない。批判的人種理論は先ずやめること。学校内にあるBLMポスターなどは全部取り除くこと。人種差別は白人特有のものではなく、誰が誰にしてもわるいことなのだと徹底的に子供たちに教えること。そして加害者が黒人だろうと何人だろうと、他人に暴行を加えた人間は同じように厳しく罰することが大切だ。黒人を優遇することで人種間の関係はよくならない。それどころか、黒人はより傲慢になり、被害者の多人種はどんどん黒人への敵意を高めてしまう。そうなったら、いつまでも非黒人が大人しく殴られたままでいるとは思えない。

このまま悪いのはすべて白人で、黒人は常に被害者だから何をしても許されるという傾向が続けば、人種間の関係は悪化の一途をたどるだろう。それでいったい誰が得をするのだ?

だが地方の民主党議会はこうした状況に全く興味がない。地元の東洋人人権団体ですら何もしていない。その間に多くの東洋人老人や女子供がどんな酷い目にあっているというのに。

もうこうなったら中国人ギャングでも日本人やくざでもいいから団結して黒人ギャングたちを駆除して欲しいとさえ思う。だがそんなことになったら、都市部では暴力団同士の戦争になってしまうだろう。


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