トミー・ロビンソン逮捕に見る報道規制の恐ろしさ

数週間前、トミー・ロビンソンは「私はもう長くない」という題名のビデオを公開していた。この場合の「長くない」は自分がネット上で人々に情報を提供できる時間はそう長くはないだろうという意味だったのだが、今となってみれば、彼のジャーナリスト生命だけでなく彼自身の命がもう本当に長くないかもしれない状況となっている。

センサーシップ(censorship=検閲)が恐ろしいのは報道や言論の自由が失われることによって、今起きている現実がその場でどんどん政府に都合のいいように書き換えられていくことだ。これについてゲイトストーンが書いているので参考にしながら私の意見を書いていこう。

トミーが逮捕されて数時間後にはすでに13か月の禁固刑という判決が下され、トミー(本名スティーブン・ヤクスリー・レノン)は即座にフル刑務所に送還された。そしてメディアや一般人に対してこの件に関しての報道を一切禁じる報道規制が敷かれた。

英国のメディアは驚くほどこの命令に従順だった。スコティッシュデイリーレコードScottish Daily Record、バミンガムライブ Birmingham Live、ザ・ミラー The Mirror、ブレイトバートニュースBreitbart Newsなど、次々にすでに報道された記事を削除していった。興味深いのは左翼系とされるザ・インディペンデントthe Independentだけは何故か記事を取り消さなかった。それというのも同紙はトミーのサッカーフーリガンというイメージを守る続けることが期待できたからなのだろう。

現にイギリスにおいてトミー・ロビンソンに関して書かれた記事では、彼の名前の前に必ず「極右翼」とか反移民の市民団体である「EDL創設者」といった形容詞をつけ、彼のジャーナリストとしての行動にしてもわざわざ引用符を付け「報道」といったように書き、あたかも彼の行動はジャーナリストの報道に値しないという印象操作をするのが常だ。

英国版ブレイトバート紙は報道規制通知を公開。イギリスの専制ぶりを暴露した。

我々アメリカ人や日本人は言論の自由というものが当たり前だと思っている。テレビなどで放送禁止用語がったりコンプライアンスがどうのこうのという話を聞いても、それが自分に直接かかわってくるとは考えていない。ツイッターやフェイスブックで外国人や他宗教の悪口を言ったからといって、まさか警察が夜明け近くに土足で家宅捜査をするなんてことは想像もつかないだろう。

昔のソ連だの今の中国だのといった国なら別だ。まさかそんなことが現在のヨーロッパ諸国で、ましてやイギリスで、起きるなんて信じられない。しかし実際に今それが起きているのだ。

先日フリートミーのデモに参加した人々も、デモに参加することで失業したり逮捕される可能性を口々に語っていた。フリートミーの署名運動に名前を連ねたら、当局に目を付けられる可能性もある。普段は歯に衣を着せぬ口調で話すイギリスのユーチューバーのカール・ベンジャミンですら、家族に危険が及ぶのを恐れてトミーの件に関してコメントできないと語っている。

「我が国は自由ではない。アメリカ人がとってもうらやましい。君たちは自分らがどれほど幸運なのか分かっていない。」

今はノルウェーでジャーナリストをやっているスエーデン出身のピーター・スワンソンもイギリスで記者活動をしたかったのだが、渡英早々イギリス当局から家宅捜査をされ、在英の自分の両親すらも危険にさらされるに至ったため、ノルウェーに移ったという。イギリスはもうそんな怖い国になり果てていたのだ。我々は単にそれを知らなかっただけ。

今回のトミー逮捕及び情報規制によって、イギリスがどれほどの警察国家及び専制国家になっていたのかがはっきりと暴露されたのである。


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殉教者になりつつあるトミー・ロビンソン

本日のドラッジリポートの第一面にトミー・ロビンソン逮捕及び報道規制に関する記事がいくつかでかでかとリンクされているのを見た。金曜日の逮捕から三日たって、やっとアメリカの主流メディアがトミー逮捕の件を取り上げ始めた。

記事の見出しは、Activest Jailed in London 活動家拘留される, Judge Orders Press Blackout 裁判官報道規制を命令, Robinson Silenced ロビンソン沈黙させられる、などだ。(数分前に見た時は「極右翼の活動家」とあったように思ったのだが、今見たらただの「活動家」になっていた。)

これまでアメリカでは、トミーの名前など聞いたことがない人がほとんどだったのではないかと思う。イギリスのパキスタン移民による大掛かりな集団強姦組織についても、アメリカ国内で知っている人は非常に少ないだろう。現地のイギリスでさえ10年以上も隠蔽されてきたことだから当然と言えば当然だ。

イギリス政府は今回のリーズ地区における19人のパキスタン人強姦集団の裁判に関しても、なるべく世間の目に触れないように内々に済まそうとしていた。彼らの裁判が行われる裁判所の前に主流メディアの報道員が一人も来ていなかったのもそれが理由。イギリスの主流メディアで政府に盾を付ける根性のある奴らはほぼ皆無。ところがトミーがそんなタブーを破って単独でしかもスマホで実況中継をしたことが裁判官の逆鱗に触れたのだ。

はっきり言ってトミー逮捕と報道規制は英裁判所及び政府による最大の失態だったと言える。

トミー・ロビンソンなど保守派の間では弱小な活動家だった。ルートンというイギリスの下町育ちのたかがサッカーフーリガン。若いころは傷害罪で逮捕されたこともあり、反移民を唱えるEDLという右翼団体を創設したが後に脱退。その後も単独で活動していた。放っておけば取るに足らない極右翼活動家で終わっていたものを、イギリス警察がやたらに弾圧しようとしたことで彼はかえって有名になり、より活発な活動家になってしまった。

そして今回の逮捕と報道規制がきっかけとなり、今やトミー・ロビンソンは世界中にその名を知られる「野蛮人移民から西欧を守る救世主」として知られるようになってしまったのだ。

世界中で「Free Tommy/トミーを釈放せよ」署名運動が起きている。デンマークやオーストラリアのアメリカ大使館の前でフリートミーデモが起こっているという話だし、日本ですらトミー解放の署名運動に参加している人たちがいる。

イギリス政府は今非常に微妙な立場に置かれている。このままトミーを拘留し続け、トミーが刑務所内で怪我をしたり死んだりした日には、彼が殉教者となり反政府運動のシンボルとなることは間違いない。だったらそうなる前に釈放すればいいかといえばそうもいかない。今釈放してしまえばトミー逮捕の理由が政治がらみのでっちあげだったことを認めることになる。どうやって政府の顔をつぶさずにこの問題を早期に片づけることが出来るのか、今やテレサ・メ首相は考えあぐねているのではないだろうか?

トミー・ロビンソンについてご存知ない読者諸氏のために拙ブログの過去ログを記載しておこう。リンクしてもなぜか色が変わらないのだが、イタリック文字をクリックしてもらうとリンクにつながる。

お行儀よいだけでは効果はない、マイロやトミーに見る自由主義活動
恥さらし、ピアース・モーガンのインタビューと称したトミー・ロビンソン攻撃
右翼に発言させるな!トミー・ロビンソンのテレビインタビューに怒る英左翼コラムニスト
テロ退治よりポリコレの方が大事、真実を報道するジャーナリストを罰する国イギリス

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ニューヨークレストランの最低賃金値上げ運動に反対なのは当の職員たち!

先日ニューヨークにおいて、Sex & Cityというテレビシリーズで人気になったサラ・ジェシカ・パーカーなる女優がレストラン従業員の最低賃金値上げ運動のため資金集め宴会を行った。一人頭500ドルの会費で、一テーブル5万ドルにも及ぶこの宴会だが、反対派による妨害が予想されたため時間や場所は土壇場になるまで参加者に公開されなかった。

ではいったいどんな人々が彼女の提案に反対なのかというと、それは誰あろうレストラン業界及びレストラン従業員たち!

ここでアメリカにおける最低賃金とチップ制度を簡単に説明しておこう。ウエイトレスやウエイターといった給仕にあたる人たちは基本給は最低賃金だけなので低いように見えるが、実は彼らの収入源はチップが主なのだ。普通チップの割は15%から20%。$20ドルの請求書につき3ドルから4ドルのチップがもらえる。最低賃金が時給12.50ドルとしてもニューヨークのレストランならひとつのテーブルで10ドルくらいは普通にもらえるだろうから、テーブルを2~3卓受け持てば一時間で30ドルくらいになる。基本給と合わせると時給40から50ドルくらいになる。時給40ドルで8時間働き月に20日の労働とすれば、月収は6400ドル(64万円くらい)だから給仕たちは別に最低賃金引上げなど望んでいないのである。

当人たちが望んでいない賃上げを、いったい誰が上げたがっているのかといえば、それはニューヨーク州政府と労働組合。その理由は簡単。

チップは料金中に含まれていないので店の売り上げとはみなされない。また給料の一部でもないので従業員の税金の対象になりにくい。一応料金の10%くらいの割で納税申告をする義務は課せられているが、それ以上もらっていれば後はすべて無税で従業員の懐にはいる仕組み。つまり政府としては従業員がどのくらい収入があるのか実額を知ることが出来ないというわけ。

同じように賃金値上げを狙うのは労働組合。レストラン従業員が必ずしも労働組合に入っているとは限らないが、入っている人たちの組合費は給料の比率で決まるので最低賃金が安いと組合費も格安になってしまう。また労働組合は最低賃金引上げと共に他の賃金引上げについての交渉もするので、最低賃金が上がるとその他の賃金も自然に高くなるというのが現状。よって労働組合の収入も増えるという算段だ。

しかし何故レストラン職員たちが最低賃金値上げに反対なのか不思議に思われるかもしれない。賃金が上がればその分手取りも増えると考えるのは甘い。

経営者の立場からすれば、チップの多い少ないは経営者には無関係だが賃金が上がれば経費も高まる。となると多くの従業員を雇えなくなり何人かをリストラするか小さい店なら店じまいをするところも出てくる。そうなって困るのは今まで働いていた従業員。最低賃金が$12.5から$15になっても失業すれば収入はゼロである。

それに人件費が高くなれば経営者は商品の値上げもせざる負えない。それで食べ物や飲み物の値段が高くなりすぎれば客足も遠ざかるし、来る客たちもこれまでのようにチップをはずまなくなる。例えば一足先に最低賃金の上がったサンフランシスコで働くバーテンダーは、お客から「給料上がったんだからチップはそんなにいらないよね。」と言われてチップ収入が極端に減ったと証言していた。給仕たちの主な収入源はチップなので最低賃金が2.5ドルくらい増えたからといってその分チップが減ったら彼らの絶対収入はかえって減ることになる。

だいたい一人頭500ドルもするような会費を払って宴会に出席できるような金持ちが下々のもののためと称して賃上げ運動をするなどおおきにお世話様!余計なおせっかいはやめてほしい。というのがレストラン業界の意見である。


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トミー・ロビンソンを釈放せよ!数千人がデモ

一昨日のトミー・ロビンソンの逮捕から二日目に突入したが、昨日イギリスではフリートミー(トミーを釈放せよ)というデモがダウニング通にある首相官邸前で行われた。ネットによる呼びかけで集まったのは当初数百人だったのだが、後に近所の公園に移った頃には群衆は数千人(6000人という噂もある)膨れ上がっていた。

昨日も書いた通り、イギリス国内においてトミーの逮捕に関する報道をすることは禁じられている。ツイッターでつぶやくことすら禁止なのだ。であるにも関わらず国外のトミー支持者や自由主義者たちのおかげで、トミー逮捕のニュースはあっという間に世界中に広まってしまった。私のツイッターフィードだけでもオーストラリア、イスラエル、そして日本ですらもトミーのことが話題になっている。下記は海外ニュース翻訳情報局の記事。元記事はVoice of Europeのもの。

英国:衝撃】世界に衝撃:保守系活動家トミー・ロビンソン逮捕、今日はトミーだが明日はあなた

私は主に日本語でツイートしているが、この件について日本語でツイートしているのは私だけではないので、日本にもトミーのことを知っているひとが案外居るのかもしれないとうれしく思った。それにこれはトミーだけの問題ではない。誰にも迷惑をかけずに街頭で事件の報道をしていただけのジャーナリストが、政府に都合の悪い報道をしたというだけで「平和を乱す」などと言いがかりを付けられて逮捕され、たったの一時間の裁判で弁護士も立てずに判決など、法治社会ではあってはならない理不尽が天下の偉大なるブリテンで起きたということは自由を愛する世界中の人々に影響を及ぼす。

報道規制上逮捕の危険を冒してトミーについてツイートをしているケイリン・ロバートソンによると、今のところトミーは刑務所の中でも安全な場所におり襲われたりはしていないということだ。

これだけ事が大きくなってしまった以上、もし彼の身に何かがあったらイギリス政府としても大恥をかくことになるので、トミーは今のところは安全かもしれない。


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トミー・ロビンソン再逮捕、、そして消される現実。

昨日トミー・ロビンソンが再逮捕された。罪名は平和を乱したというもの。トミーは昨日の朝イギリスのリーズクラウン法廷の前で*グルーミングギャングと言われる強姦集団の容疑者たちが入廷する状況を自分のスマホでライブストリーミングしていたところ、7人の警察官に囲まれ逮捕された。その模様は生で流れていたので彼のファンの多くが現時間で目撃することとなった。

驚くべきことに、トミーはこの数時間後には判決が下され、なんと13か月の禁固刑に処された。それというのもトミーは去年の6月にも同じような状況で法廷侮辱罪で逮捕されており(http://biglizards.net/strawberryblog/archives/2017/06/free_speach_in_uk.html)執行猶予中だったためというのが名目だ。

しかし去年の逮捕にしても、トミーは別の件で強姦集団の裁判について裁判所の外で報道していたにすぎず、何の違法行為もしていなかったにも関わらず、裁判所の前の階段にトミーが立っていたことから、規制されている法廷内での撮影をしたという言いがかりをつけ警察はその翌朝、夜明けの4時ごろトミーの家に突然現れ彼の妻や小さな子供たちを恐怖におののかせながら彼を連行したのだ。

前回はトミーのその時の勤め先のレベル・メディアというカナダの保守系団体が弁護士を世話して数日後には釈放されたが、今後一切犯罪を犯さないという18か月の執行猶予付きだった。しかしもともとの罪名が単なる言いがかりであった以上、その後の「犯罪」にしたところで警察は好き勝手にでっち上げることが出来るわけで、イギリス当局は最初から執行猶予中に彼を逮捕して刑務所に放り込むつもりだったと考えて間違いない。

だいたい逮捕から判決まで数時間なんてことが法社会で成り立つということが尋常ではない。元トミーの雇用主で今も友人であるエズラ・ラバンテはすぐにトミーの弁護士に連絡したが、弁護士は全くトミーと連宅が取れない状況にあるということだった。ということはトミーは弁護士もなくして裁判とは名ばかりの手続きの末に投獄されたということになる。こんなことが曲がりなりにも民主主義のイギリスで許されるのか?

トミーが逮捕されたというニュースをツイッターで知った数時間後、もっと背筋の寒くなることが起き始めた。トミー逮捕という記事がイギリスのオンライン紙からどんどん削除されていったのだ。イギリス外に住む外国のジャーナリストたちがツイッターでトミー逮捕は報道規制にかかってイギリス国内では報道できないとツイッターでつぶやき始めた。イギリス国内のユーチューバーたちのビデオもこの件に関してはどんどん削除されているらしい。

なんと恐ろしいことだろう!まるで1984https://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)そのままではないか!

なぜイギリス当局はこうもトミーを目の仇にするのか。それはイギリス警察が十数年にもわたるパキスタン系を主体にしたアフリカやアラブ諸国出身のイスラム教徒らによる集団強姦組織の極悪非道な犯罪をずっと黙認してきた恥を、トミーがイギリス全体に暴露してしまったからだ。トミーはイギリス政府の移民政策が完全破綻している状況を毎日のように国民に訴え、イギリス政府及び警察に大恥をかかせているからなのだ。

今でさえ、すでに周知の事実となった強姦組織の裁判を、イギリス政府はなるべく内々にしておこうとしている。だから、くだらない芸能人のスキャンダルなら大勢集まる報道陣が、グルーミングギャングに関しては裁判の日に法廷の前には一人も姿を現していない。平和を乱したとしてトミーが逮捕された法廷の前は閑散としており、報道していたリポーターはスマホを持ったトミーだけだったのだ。トミーはこの恐ろしい組織犯罪が闇から闇へと葬られるのを防ぐため毎日ひとりで戦ってきたのだ。

トミーにとって13か月の禁固刑は死を意味する。なぜなら刑務所には彼を殺したモスレムがいくらでも居るからである。2016年にモスクにベーコンを投げつけたというだけで六か月の刑に処された男性は拘留された数か月後に殺された。トミーが独房ではなく一般受刑者と同室になればトミーが生き延びられる可能性は非常に低い。裁判所はそうと知ったうえでトミーを大急ぎで刑務所に放り込んだのだろう。

これでトミーが死んだら、イギリス政府は人殺しだ!

そしてトミー・ロビンソンは殉教者となる。トミーは今やゲッセマネの丘に建つイエス・キリストのようだ。もし彼が死んだら、イギリス全土の善良な市民たちは立ち上がって政府の独裁と戦わねばならない。彼の死を無駄にするようなら、もう偉大なるブリテンは終わりである。

本日ツイッターでは「トミーを釈放せよ」という集会が近々開催されるというニュースが飛び交っている。本当に集会が実現して何万という人々が集まってくれれば、イギリス政府はトミーを逮捕することによって、どれだけ彼の運動を広めてしまったかが解るだろう。

このままトミーを沈黙させて、彼のメッセージを闇から闇へと葬れると思ったら大間違いだ!

*グルーミングギャングとは、パキスタン系移民が中心の強制売春組織。彼らは下層階級の思春期を迎えたばかりの少女たちを酒や麻薬で誘惑し、後には暴力で脅迫し性奴隷として飼いならし、何年にも渡り集団で強姦を繰り返していた。全国各地にこういう組織は散漫しており、その被害者は数千人と言われている。


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在米経験のある日本人がアメリカで体験した差別とは、、

ちょっと前のことだが、ツイッターで私がアメリカにおける組織的な人種差別はないとつぶやいたら、いったいどこの惑星のアメリカの話をしてるんだ、自分はアメリカに住んでいたことがあるが人種差別を目のあたりにしたぞ!という若い日本人女性からの返事が返って来た。で、どのような差別を受けたのか聞こうかと思ったのだが、カカシは30余年アメリカ在住だが、そんな体験はしたことがないと言ったら突然ブロックされてしまったので、残念ながら彼女の体験談を聞くことは出来なかった。

アメリカに住んだことがあるという若い人が人種差別を体験したという話はよく聞くが、何度も書いているようにカカシは最初にアメリカに来た1979年から未だかつて日本人であるということであからさまな人種差別をされたことはない。多少差別らしきことをされた体験はあるにはあるが、それも片手の指で数えられる程度の些細な出来事。差別が日常茶飯事などということはない。それではいったい最近の若い日本人はどんな差別にあっているのだろう?興味があったのでユーチューブで「私がアメリカで受けた差別」といったサムネールのあるビデオを幾つか観てみた。下記はその中の典型的なもの。

1) 男子大学生: 道を歩いていたら白人の若者グループから「ヘイジャっプ」と声をかけられ、中指を立てられた。数学の成績が悪かったので教授に相談に言ったら教授から日本人なのに数学が出来ないのか、この科目は放棄した方がいいよと言われた。その後この教授は、悪い点を取った有色人種に対して厳しいことで有名だと噂を聞いた。

2)女子大生(どこの大学かは不明)難しい科目を取ったので教授に質問しに行ったところ、君は日本人だろう、日本人にあの科目を取るのは無理だと言われた。日本人であの科目を過去にパスした者はいない。君の英語力では無理だ。放棄しなさいと言われた。でも実際に英語力はなかったと自分でも認めている。

3)男子大学生:道を歩いていたら車が近づいてきて中から生卵を五個くらい投げつけられた。友達同士で笑っていたら白人から「お前目開いてんの」とからかわれた。アメリカ人から中国人と間違われた。

4)女子大生:スタバで日本語をノートパソコンに書いていたら、「あなた日本人?それ何語?」と白人男性から聞かれた。

はっきり言って、最初の「ヘイジャっプ」以外は人種差別とはいいがたい非常に些細な出来事だ。大学教授らが「日本人ならこれができる、、」「日本人には無理」という発言をしたのも、彼らに悪気があったとは思えない。他人をステレオタイプで判断するのは良くないことではあるが、相手も自分の体験から日本人はこういう人が多いという判断をしているだけなので、そう敏感に差別と取る必要はない。

中国人と間違われるということに関しても、多くのアメリカ人に、特に年配の人は、東洋人=中国人と考えている傾向があるので、これは別にステレオタイプとかそういった類ものではなく、単に無知なだけ。我々が白人はみんな英語をしゃべると勘違いしてるのと同じ。

私も大学時代は数学や化学の授業では成績が良くないほうがおかしいと先入観を持たれて迷惑したことがあるが、それが人種差別だと思ったことは一度もない。

では差別をされるということはどういうことなのか、私の体験からお話しよう。

1)私が若いころ日本で友人の白人男性がアパートを探していた。彼は日本語が出来なかったので私が探してあげようと思い不動産屋に相談に行った。ちょうどその日、なぜか和服を着ていた私に対し、不動産屋の男性職員は非常に親切に対応してくれた。もうすこしで物件を見に行こうという段階に入った時、「友達の白人男性の部屋なんですけど、問題ないですよね。」と言ったら突然男性の態度が変わり、「うちがガイジン用の物件は用意しておりません。」と言われて店から追い出された。後で聞いた話ではガイジンはうるさいし、部屋を汚すから、というのが理由だった。

2)日本で、同僚数人と飲み屋に入ったら、店のなかはがら空きだったのに席が空いてないといって断られた。それでもまだ席が空いてないと一応言ってくれるのは良心のあるほう。同僚たちの話では、彼らだけでいくと腕でばってんのしぐさをして店に入れてくれないところも結構あるんだそうだ。店の前にガイジンお断りの看板が立ってるところさえある。

3)日本で白人男性と一緒に道を歩いていたら、通りすがりの中年日本人男性から「売女!」と怒鳴られた。中高年男性から「パンパン」と呼ばれたこともある。(*パンパン=第二次世界大戦直後米兵を相手にした売春婦のこと)

4)日本の電車の中で黒人男性の横の席が空いていても誰も座らない。以前にも話したが、私が中学生くらいの頃にこの状況に出くわしたことがある。白人と黒人の米兵が電車で座っていて、黒人の横の席が二人分あいていたが誰もすわっていなかった。それをみた私がすかさず母に「あそこ空いてるよ、座ろう」と言うと母が「駄目よ、あそこは、、、」というので私が「私が黒人さんの隣に座るからお母さんは私の横に座ればいいじゃない。」と言うと「それもそうね」と母は納得。二人で米兵たちの横に座ると黒人兵がひとなつこそうに私に話かけてきた。彼は母を指さして「美人だね。お姉さん?」と聞くので「ちがうよ、お母さん。」「へえ~すっごい若い。すっごい美人!」この会話で母は自分のことを言われていると気が付き「カカシちゃん、なんて言ってるの?」と聞くので「お母さんは私のお姉さんみたいに若く見える。すごい美人だと言ってる」と言うと母は突然蔓延の笑顔を浮かべ「はろ~」と黒人兵に声をかけた。

母の人種差別はこんなふうに適当なものであった。

 


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何年も外国に住んでるのに日本語しか出来ない日本人って、、と責めないで

先日、2012年に放送された中国は大連にある日系企業のコールセンターで働く日本人労働者に関するドキュメンタリー番組を観た。その中で中国に渡って2~3年という日本人の数名が全く中国語が話せないことに関して、コメント欄で「三年も中国に居るのに中国語話せないってどういうことだよ」という批判が幾つもあった。しかし言葉と言うものはその国に何年か住んでいれば自然に覚えるという簡単なものではない。そういうふうに他人のことを批判する前に外国語を学ぶことの難しさについて、もう少し理解を示してもいいのではないかなと思った。

言葉を覚えらえるかどうかは、当人が置かれた環境や当人の意欲がどのくらい強いかにかかってくる。それで外国語を学ぶために必要不可欠な動機を三つほど掲げてみたい。この三つのどれかを満たしていなければ外国語習得は先ず無理。

1)外国語を使わないと生きていけない環境にある場合。

何故か外国暮らしが必要となり、自分の周りで日本語が解る人が一人も居らず、地元の言葉を習得しなければ暮らしていくことも出来ない状況にある。こうなってくると言葉の習得は死活問題なので何としてでも覚えようとする。

2)外国語を習得すれば利益があがる場合。

この番組の中で、地元の日本語のコールセンターで働けば地元の一般の仕事より三倍も高い給料がもらえると必死に日本語を学んでいる中国人が何人か現れた。特定の外国語を習得すれば将来利益があると確信できれば学ぼうという意欲は高まる。

3)特定な国や言語に対して異常な興味がある場合。

特定の国や文化に異常なほどの興味を持ち、いつかはその国に行って暮らしたいというような強いあこがれを持っていれば、その国の言葉をどうしても学びたいという気持ちになれるだろう。だがこの願望は他人から見れば異様なほど強くなくては無理。

では私の場合はどれだったのかといえば、三番目が最初にあって、そのために一番の環境に自分を追い込んだというのが実情。

もともと私はどうしても外国で暮らしたいという思いがあった。それで高校卒業後、日本で英語専門学校に通い始めた。ところが学校のレベルは低すぎて、こんな学校に二年くらい通っても英語なんぞ話せるようにならないと判断した。

そこでどうしても英語が話せなければならない環境に自分を追い込もう思い学校を辞めて一年間の予定でアメリカに渡った。一年も居れば英語なんて自然に覚えるという甘い考えがここにあった。

ところが当時の南カリフォルニアは日本のバブル景気のせいで日本企業がわんさか進出しており、地元の英語学校にも日本人が大勢居た。それで渡米一か月にして出来た友達は日本人ばっかり!英語なんか話せなくても十分に生きていける環境だった。私は焦った。これでは高いお金を出して渡米した意味がないと。

というわけで、私はせっかく親しくなった日本人の友達に暇乞いをし、日本に関係のあるものはすべて捨て去り、日本食すらも口にしないと決心してひたすらに自分を英語社会に追い込んだ。どんなにつらくても日本語は口にしない。どんなに大変でも英語のラジオ番組を聴き、英語のテレビを観て、アメリカ人とだけ付き合った。内向的な私が進んで見知らぬアメリカ人に声をかけた。私には一年しかないんだ、親の大反対を押し切ってお金を出してもらったのに、このまま帰ったら恥かしくて親に見せる顔がない、という必死の思いで頑張った。

それが功を成して、一年後には簡単な日常会話くらいは話せるようになっていた。英語のテレビ番組や映画も結構解るようになったし、映像のないラジオニュースも理解出来るようになっていた。

後から思えば、あの程度の英語などアメリカ社会で通用するようなものではなかったのだが、それでも一年程度の滞在で習得したにしては、まあまあなレベルだったと思う。無論本当の苦労はその時から始まったわけだが。

それで先の中国在住の日本人たちに話を戻すが、彼らには上記に挙げた三つのどの条件も満たしていない。中国に在住しているとはいっても職場は日本語だけで通用する。付き合う人々も日本人ばっかり。割高ではあるが日本のスーパーや書店や美容院なども近くにある。オンラインで日本語のテレビも観られる。何の努力もしなくても生きていけるので、特に今差し迫って中国を覚えなければならない理由がない。

こんな状況で中国語を学べるはずはなし、学べないからといって責めるのは酷だ。彼らは中国で一旗揚げてやろうという野心で中国へ行ったわけではなく、日本より就職の機会がありそうだという理由だけで渡っただけであり、地方都市に仕事がないから東京に上京するというのと大した変わりはない。

あの番組は数年前のことで最近の日本の景気は良くなっていることでもあり、この番組の登場人物たちも今や日本でちゃんと生活しているのかもしれない。若い頃に外国で暮らした経験があるのも悪いことではないし、今はみなさんがしっかり日本で生活されていることを願いたい。


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トランスジェンダーに関して保守派は譲歩してはいけない!

 今を去ること10年前、私は同性婚は文明社会を滅ぼすというブログエントリーを書いた。今思うと私の予測はあまりにも甘かった。実際に同性婚が合法化されたアメリカでは私が憂いていた以上の恐ろしい状態が起きている。

私は、同性婚が実施されたら一夫多妻制や近親婚や少女妻などといった因習が舞い戻ってくるのではないかと懸念していた。一夫一婦制という文明社会の基盤を崩せば、結婚制度そのものが崩壊すると考えていたからだ。

しかし現実は私が懸念する以上の異常な状況を生み出した。

人間と言うものは常に異常な文化に興味を持ち魅力を感じるものなのだ。多分それは我々の遺伝子の中に組み込まれているものなのだろう。

異常であるものを求めること自体は悪いことではない。もし保守的な遺伝子のみが優勢であれば我々はいまだに洞穴に住む原始人でしかなかったであろう。それが文明人として進化したのは異常と思われる生活を誰かが欲したからだ。現存している洞穴のむこうに何かがあると求めた人間が居たからこそ現在の我々があるのだ。

しかし、問題なのは一つ異常とされていた行動や現象を通常であると認識するともっと異常な状況を通常として認めろという動きが出てくる。この異常な行為が単に個人の嗜好で済んでいればいいが、それが他人の人権を損ない危害を与えるようなものになってくると話は別だ。トランスジェンダー容認はまさにこれにあたる。

先日こともあろうに王道派の保守雑誌のナショナルレビューにおいてJ. J. McCullough(J.J.マクラフ)という人物が保守派は社会の秩序を守るためにもトランスジェンダーに関しては多少の妥協をすべきだというコラムを書いた。

マクラフ曰く、同性愛行為そのものが不道徳かどうかなどという議論はとうの昔に決着がつき、人々は同性愛者との共存に慣れて来た。同性婚すら合法となった現在、トランスジェンダーを奇妙な目で見たり気持ち悪がったりするのは時代おくれなのではないか、彼らの存在を認めて彼らの求める彼/彼女といった代名詞をつかってあげればいいではないか。その代り、リベラルの方も性は男女の二つしかないことを認め保守派にそれ以上のことを求めないようにするべき。

トランスジェンダーの人権や尊厳を損なうような行動は保守派はとるべきではないというマクラフの意見には同意するがだから相手の好きな代名詞を使うべきというのは理論の飛躍も甚だしい。

ジェームスがジェーンと呼ばれたいというなら、彼をジェーンを呼ぶこと自体は問題ではない。だが、男であるジェームスを彼女と呼ぶということは、私がジェームスを女と認めたことになる。言葉にはそれなりに意味があるのであり、事実と異なる言葉使いをすれば、私は事実を否定することになるのだ。他人に虚偽の事実を認めさせることのどこが妥協なのだろうか?

第一、例え保守派がトランスジェンダーを個人の好きな性別で呼んだとしてもリベラルがそれで満足すると思うのは甘すぎる。後退派左翼の運動はあたかもそこが出発点であるかのようにさらに異常で非常識な現実を認めさせようと激化するに違いないのだ。

男を女と認めさせれば、男が女子施設に入ることも認めなければならない。男が女子スポーツに参加することも認めなければならない。トランスジェンダーが好むのだから彼を彼女と呼んであげればいいではないかでは済まされないのだ。

自称保守派のマクラフがそんなことも解らないというのは悲しいものである。しかし保守派にはこういうふうに左翼に迎合する人間が少なからずいる。保守派はどっちかいうと礼儀正しくしていたい、相手には親切でいてあげたい、と思う人が多い。しかし秩序を守るということは事実を捻じ曲げて相手の言うなりになるという意味ではない。あきらかに間違っていることは間違っていると真実を言い続けなければ本当の秩序など保てないのだ。

我々は今までずっとLGBTの言いなりになってきた。今度という今度こそ、この戦いを諦めてはいけない。

 

 


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やり過ぎなセクハラ取り締まりは女性のためにならない

またセクハラの話題で恐縮だが、最近の日本のセクハラ騒ぎを見ているとセクハラよりも怖いなと思うことが多々ある。私は昔から思っていたのだが、日本と言う国は伝統を大事にしているようで実はそうではなく、何かの拍子にそれが悪いことだとなると180度の転回をあっと言う間にやってしまうという凄さがある。

ちょっと前にユーチューブで観た日本のバラエティー番組のなかで「今ならコンプライアンスにひっかかって出来ない場面」というコントを見せていた人が居た。それは1970年代の刑事ドラマ「太陽にほえろ」の一場面という設定で、外出から帰って来たジーパン刑事がお茶くみの女の子のスカートをめくったり、胸に触ったりしていた。

確かに今ならこんなことはセクハラとして職場では許されまじき行為である。それを言うなら当時でも、そのような行為は許されるべきではなかった。私自身も若い頃は、その程度のことは経験して嫌だったので、日本がそういう行為を容認しなくなったというのは良いことだと思う。

しかし、悪質なセクハラを容認しないということと、なんでもかんでもセクハラだと責め立てることとは違う。男性が女性の容姿を褒める行為や、男女を問わず結婚や出産を促す言葉まで、セクハラだのパワハラだのと言われたのでは、人々は怖くて同僚と口もきけない。そしてこういう行きすぎた取り締まりは本当に女性の地位向上につながっているのだろうか。

この間財務省の福田事務次長がセクハラの疑いをかけられて辞任に追い込まれるという事件があった。

単に嫌疑をかけられただけで、被害者とされる人が公式に被害届を出したわけでも訴訟を起こしたわけでもないのに福田次長が弁護の場すら与えられずに辞任に追い込まれたというのは非常に理不尽だ。

しかしこういうことが起きると男性は迂闊に女性と二人きりで食事に行ったり飲みにいったり出来なくなる。

これは決して日本だけではないが、ビジネスというのは職場だけのつながりでなく、社交の場での付き合いが大切な要因となることが多い。同僚や上司と部下が一緒に食事に行ったり飲みに行ったりして個人的に親しくなって信頼関係が生まれるとコネも生まれる。同業者が一緒にゴルフに行くなどはこの典型だ。上司が部下を誘って昼ご飯に出れば、職場では話せなかったような非公式な話をすることも出来る。男同士ならこれはごく普通に行われることだが、上司が異性の部下を簡単に誘えなくなるとこれは問題だ。

仕事に関する大事な情報が非公式の場で交換されることはよくあることだ。もしセクハラを恐れた男性上司が女性部下を非公式な社交の場に招かなくなれば、女性職員は多々の面で情報を取り逃がす。それに上司も人間だから気の許せる部下には企画を頼みやすいということもあり、社交の場で全く付き合いのない部下にはなかなか任せられないという状況も出てくるだろう。

そうなって損をするのは女性だ。

昔の女性が多少のセクハラには甘んじてきたのも、ちょっとしたことで苦情を言って「だから女に任せられない」と重要な仕事から外されるのを恐れたからだ。それに女性たちはそれなりに嫌らしい同僚や上司への対策も取っていた。単に泣き寝入りしていたわけではない。そうやって少しづつでも確実に女性の立場を向上させてきたのに、今フェミニストたちが一気に階段を駆け上って男性たちを蹴落とそうとする行為を見ると、これまで我慢して頑張って来た女性たちに対し非常に失礼だし、非常に迷惑だ。

今中高年でキャリアウーマンとして若い頃から頑張って来た女性たちは、決して男性を蹴落とそうとか男性を弾圧しようとか思って生きて来たわけではない。女性だからと馬鹿にされないように、人一倍頑張って自分の実力を証明してきた人々だ。彼女たちには若い馬鹿フェミによるセクハラ騒ぎは害あって益なしの雑音に過ぎない。


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セクハラな話

読者の皆様、お久しぶりです。これまでテクニカルディッフィカルティーによりブログが書けない状態でしたが、やっと今回復活できそうなので色々書いていきたいと思います。長々とお休みしてしまい申し訳ありませんでした。

さて本題。最近日本ではセクハラ問題が結構騒がれている。なんとかいう財務省のお役人が女性記者にセクハラをしたとかで、麻生財務相が「セクハラ罪はない」と言ったことが問題になって謝罪しろとか撤回しろとか色々うるさいことになっている。

どうも日本ではセクハラの意味が誤解されているような気がするので、ここでちょっと一体セクハラとはなんぞやということについて考えてみたい。

だいたいからして日本人はやたらとカタカナ英語を使いたがりすぎだ。セクハラなどと言うからわからなくなるのであって、性的な嫌がらせとしておけばことは簡単なはず。

まず、麻生さんの「セクハラ罪」はないという発言は正しい。これはツイッターでよもぎねこさん(@yomounipaku)もおっしゃてたとおり、セクハラと言うのは被害者とされる人々の主観で色々変わるうえに、はっきりした法律的定義がない。

日本のバラエティー番組で誰かが、「政治家にしても芸能人にしてもこれはしたらいけないという定義をしっかり決めといてもらわないと混乱する」と言っていたがまったくその通りだろう。

ではセクハラと思われるものを程度の低い順に並べてみよう。

1)利害関係のないもの同士による言葉による嫌がらせや性的な写真などの掲示。

同級生とか同僚など言葉による嫌がらせに性的な要素が含まれる場合。おまは貧乳だなとか、まだ童貞なんだろう、とか言ったような学業や仕事とは無関係でちょっと意地の悪い言葉使い。昔はよく「まだ嫁に行かないのか」と25歳過ぎの女性に普通に言ってたが、あれも今ではセクハラと取られる可能性がある。

仕事と無関係な女性の裸の写真のカレンダーを共通の場所で飾るのは女子職員は嫌かもしれない。これも職場に性を持ち込むという意味でセクハラと判断されることがある。少なくとも私の同僚は自分の机の上に置いてあったビキニカレンダーがセクハラだと苦情を言われたことがあった。

今のところアメリカではこの程度の行為は犯罪とは見られない。しかし、被害にあったとする人が職場や同僚を訴える可能性はあるので雇用主はこの程度のことから気を遣う必要がある。

2)利害関係あるなしにかかわらず、やたらに触る行為。

触ると言っても色々あるが、性的と言えるかどうか微妙な感じで肩に手をかけてくるものから、お尻や胸に軽く触る行為。昔なら女性が「やっだ~、係長のエッチ!」と言ったくらいで済んでたことだろうが、今はまあアウトだな。

1990年代くらいまで日本のバラエティー番組では男性タレントが女子アナの乳房をわしづかみにするとか平気でやってた時代があったが、あれを許してた日本社会が時代遅れだったことは確か。

触るという行為は暴行とみなされることもあるので、その程度によっては犯罪と判断されることもある。そうでなくてもこれは明らかなセクハラ行為。苦情を訴え出れば社内で厳重な注意を受けること間違いなし。

3)上司が部下に性的行為を強制する行為。

これはかなり悪質で場合によっては刑事犯に問われる行為。要するに上司が自分の立場を利用して「魚心あれば水心じゃ、悪いようにはせん、近う寄れ、、」てな感じで迫るあれだな。実際に性行為に及んだ場合には、例え暴力的な強制がなくても強姦と判断されることもある。すくなくとも脅迫や恐喝と言っていい類の犯罪だ。

4)実際に強姦しておいて立場を利用して口封じする行為

ハリウッドのワインスタインというプロデューサーがこれ。彼は女優たちをホテルの部屋に呼び出して強姦し、しゃべったら干すぞと脅す悪どい手口で何人もの女性を食い物にした。彼は今イギリスで強姦罪の捜査対象になっている。

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さて、今回の山口達也の件はワインスタインの件と近い気がする。山口は自分の立場を利用して競争の激しい番組の出演者、しかも未成年、を呼び出して性行為を迫るというかなり悪質なことをやった。被害者の少女が警察に通報したので大事には至らなかったとはいうものの、ジャニーズ事務所の仲介で示談になり被害届を取り下げるといういきさつがあり、本人も警察から連絡があるまで犯罪おかしたという自覚はなかったと言っている。

天下のジャニーズ事務所所属の人気アイドルで番組司会など色々やってる山口なら、番組出演者の人事にもかなり影響力を持っていたと思われる。とすれば駆け出しの女優やタレントが彼に贔屓にしてもらいたいとか、少なくとも睨まれたくないという気持ちを持っていたとしても当然だ。

中年の男の部屋に若い娘が夜遅くのこのこ出かけていくのが悪いという人もいるが、立場の弱い人間が偉い人から呼び出されたら無碍には断れない事情もあったはず。そうと知ってて呼び出した山口ってのは質が悪い。酒に酔ったせいだとか言ってるが、これまでにもこういうことを何度もやっているのではないか、大抵の女たちは仕事を失うのが怖い、もしくは枕営業と割り切って、言いなりになって来たではないのか?だから少女たちが自分の部屋に来た時点で、もう何をしても構わないと勝手に思い違いをしたのではないか?

はっきり言ってMeToo運動家のフェミニストたちは、これまでにも起きたであろうジャニーズ事務所によるもみ消しとかについて、もっと言及すべきだと思うね。ジャニーさんて人は前々から色々噂もある人で、ああいう人間がいまだに何の捜査対象にもなっていないという方が私には不思議でしょうがない。


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