先日Blah@yousayblahさんのスペースで橋本久美@hashimotokumiさんから、なぜ女性人権の代弁者であるはずのフェミニストの多くが女性の権利に真向から対抗するトランスジェンダーのアライ(同盟者)となってしまったのかというご質問を受けた。それについて書くにあたり、以前にも色々書いていたことを見直していたのだが、2021年の8月に私が捻じ曲げられた「ジェンダー」江原由美子著に関して書いたエントリーを見つけたのでそれを読みながらお話しよう。

今を遡ること24年前、1999年に「男女共同参画社会基本法」が発表された。この頃日本では「ジェンダーフリー」という言葉がよくつかわれるようになった。このジェンダ―フリーという概念は、男女は皆同じであり、男性に出来ることは女性にも出来るというものだった。ここでいうジェンダ―フリーとはジェンダーを失くすとか性役割から解放されるという意味で使われている。学校の出席番号なども男女を分けずに混合するなど男女の性差を無視する運動が起きたのもこの頃である。

当時このジェンダ―フリー概念を批判する保守派も多くいた。江原はこの批判者たちのことを「バックラッシュ派」と呼んでいる。あの頃上野千鶴子及び小山エミも含む何人かのフェミニスト共著のバックラッシュという本まで出版されたくらいだ。

それで江原がいうバックラッシュ派がどのような理由でジェンダ―フリー理論に反対していたか江原はk下記のように書いている。強調はカカシ。

ジョン・マネーとフェミニズムでは、ジェンダー概念の定義が違うのです。性差についての考え方も、ジョン・マネーとフェミニズムでは異なりますし。そもそもフェミニズム内部でも大きく異なるのです。おそらくバックラッシュ派は、フェミニズムの混合名簿など男女平等に向けた施策実施の主張を、「ブレンダと呼ばれた少年」に対して行ったマネーの治療と同じく、「男を無理やり女にすること」「男と女の区別をなくすこと」として同一視し、否定しようと思ったのだと思いますが、このような同一視は、どう考えてもこじつけでしかなく、無理があります。

そして江原は、バックラッシュ派がフェミニストを攻撃するために捏造したという下記のような「言い掛かり」を羅列している。

  • 小学校での着替えは男女同室でなければならない
  • トイレも一緒にしろ
  • 風呂も一緒に入れろ
  • 性教育で児童を洗脳

もう聡明なる読者諸氏は床に転がって笑っておられるのではあるまいか。

1999年の男女共同参画が唱えたジェンダ―フリー論は、今トランスジェンダー達が唱えているものとそっくりそのままだ。そもそも男女に差はないと言い出したのはフェミニスト達だ。男に出来ることは女にも出来ると言ったのはフェミニスト達なのだ。だから今更男女は身体の作りが違うから男が女子スポーツに参加してはいけないとか女の体は男に比べて弱体だなどと認めるわけにはいかない。男が女になれると言って女性空間を侵略しはじめてもフェミニストには彼等を拒絶する議論がないのだ。

もう一つ問題なのは、「バックラッシュ派」が指摘していたように、フェミニストたちはフェミニストであることよりも先ず左翼なのだということだ。敬虔なる左翼戦士であるフェミニストたちは時の左翼勢力が唱える思想と女性の権利が衝突した場合、女性権利を犠牲にすることになど何のためらいもないのである。

もっと同情的な言い方をするならば、リベラルの女性達は弱い人たちの味方でありたいという自分らの自己満足を満たすために、社会の新しい犠牲者の味方であろうとしているともいえる。彼女達が本心からの同情でそういう態度をしめしているのか、単なる道徳観アピールをしているのかは分からないが、「すべての差別を許さない」という左翼プロパガンダんにうまく乗っかっていると言ってもいい。

ではフェミニストの中にも完全にトランスジェンダリズムを拒絶できる過激派フェミニストが居るのは何故なのか?彼女達の思想は左翼リベラルとは矛盾しないのだろうか?

トランスジェンダーがTERF/ターフ(トランス排除的過激派フェミニスト)と呼んでいる女性達は、あくまでも女尊男卑の思想を持ったラディフェミと言われるひとたちだ。女性の人権を男性を虐げることによって勝ち取ったと誇っている彼女達が女装男に道を明け渡す言われはない。女装男たちをシスターと呼ぶために我々は戦って来たのではないと彼女達はいうのだ。

繰り返すが、この問題がラディフェミ対トランスジェンダーである限りは、ラディフェミに勝ち目はない。

世の中の男性陣には、ラディフェミによって男性がコケにされてきたという感じている人が多くいる。ラディフェミたちがパッとしない男性をオタクと言ったりキモイと言ったりして蔑んで来たのは事実であり、そんなラディフェミたちが女装男たちに虐待されているからなんだというのだ、俺たちには関係ねえよ、お前らの自業自得だよ、と思っている男性が少なからずいるのである。

しかし残念なことに、ラディフェミの間では保守派男性たちの力を借りるぐらいなら自分らだけで戦っていくと頑張ってしまう人が多すぎる。この問題では勇気ある行動をしているJ.K.ローリング女史ですら、マット・ウォルシの差し伸べた手を振り払ってしまったくらいだから。

現在アメリカ各地でトランスジェンダリズムに対抗する政治的な方針を作り出しているのは保守派男性達である。無論女性達も一緒に戦っているが、対トランスで実際に効果を上げ始めたのはマット・ウォルシやロン・ディサンティス知事のような男性が戦いに参加し始めてからである。

今トランスジェンダリズムに迎合しているリベラルフェミ達は、どれだけ自分らがトランスアライであるかを証明するかのように、自分らの子供たちをトランス洗脳し始めている。いつかこの西側諸国のトランス熱が冷めて人々が正気に戻った時、トランスの波におされて大人たちから異性だと洗脳された子供たちの将来はどうなるのだろうか?

次世代の子供たちをこの狂気の犠牲にしないためにも、フェミニストも我々と一緒にトランスジェンダリズムと戦ってほしいものだ。

おまけ:2008年に私が初めてジェンダ―フリーなる言葉を知った時のエントリー。ジェンダ―フリーをトランスジェンダリズムに置き換えると今書いたものかと間違えるくらいタイムリーなエントリーなのでご参照のこと。後で重要な部分だけ抜粋して紹介するつもり。

変態たちが押し進めるジェンダーフリーという神話 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)


1 response to なぜ女性の代弁者であるはずのフェミニストがトランスアライとなってしまったのか

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