懐疑派に押された欧州連合議会選挙

5月24日(2019)、イギリスの欧州連合(EU)離脱を巡り二年間による無様な外交により、テレサ・メイ首相は辞任を発表した。彼女はイギリス近代史のなかで最悪な首相だった。イギリス国民は二年前の国民投票でEU離脱を支持した。メイは元々在留派だったが、首相に就任した際、国民の意志は守り通すと断言した。しかし彼女が過去2二年間やってきたことは、なんとかしてイギリスをEUに在留させるかという策略ばかりだった。メイは離脱への道に脚を引きずることによって、世論を変えさせようと思ったのかもしれないが、これは完全に失敗した。今もしまた第二回目の国民投票をやったら、前回よりももっと多数差で離脱派が圧勝することは先ず間違いない。

多々の世論調査によると在留派の方が多数だという意見もある。だがこういう世論調査というのは非常に眉唾だと私は思っている。前回の投票の前も在留派が圧倒的に優勢と言われていたのに、離脱派の勝利に終わった。主流メディアの報道する世論調査には意図的な印象操作が感じられる。

そのような世論調査よりも、イギリス国民の意思がもっとはっきりしたのが、この間行われたEU選挙である。EUには参加国からその人口に合わせて何人かづつ代表者が選ばれるが、イギリス代表ではナイジェル・ファラージ率いるBrexit Party、EU離脱党が30.8%という票を獲得し圧倒的多数で第一位を飾った。離脱党はトミー・ロビンソンの加入などを巡って脱退した元UKIP(イギリス独立党)のメンバーたちで急遽設立された党だった。ちなみにUKIPから出馬したトミー・ロビンソンは選挙運動をことごとく邪魔され僅か2.2%の票で大敗した。これについてはまた後で話そう。

反欧州連合派が優勢だったのはイギリスだけではない。全体で反EU派はなんと30%の議席を獲得したのだ。

ヨーロッパ議会によりますと日本時間の午前9時現在、議会の会派ごとの獲得議席の予測は、EUの統合を支持する中道の2つの会派が全751議席のうち、合わせて329議席で、今の選挙制度が始まった1979年以来初めて、両会派を合わせても過半数に届かない見通しです。

これに対してEUに懐疑的な勢力は、イギリスでEUからの「合意なき離脱」を求める「離脱党」が首位になったほか、フランスで極右政党の「国民連合」が、イタリアで右派政党の「同盟」が、それぞれ首位になりヨーロッパ議会全体でも議席を増やす見通しです。

ヨーロッパでは左翼でない思想はなんでも極右とされてしまうが、フランスではマクロン首相率いる与党がマリーヌ・レペン率いる 国民連合(旧国民戦線)に敗北した。そのほかイタリア、スペイン、ハンガリー、ギリシャなどもEU懐疑派の勝利がめだった。

イギリスによるEU離脱の新しい目標は10月。メイ首相が辞任した今、次の首相が離脱を成功させなければ与党であるトリー党は持たないだろう。離脱党のファラージはすでに国内選挙に出馬する意欲を見せているので、もしかすると長年による与党支配も終わりを告げるかもしれない。イギリスは根底から改革する必要があるからそれはかえって良い結果を生むかもしれない。

それにしてもEUの未来はあまり長くないという感じのする選挙だった。



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留学せずに外国語を習得する方法を考えてみた

日本で英語教育をしている人とツイッターで色々話をしていて、留学せずに外国語を学ぶことは可能だろうかという話になった。実際に外国暮らしをせずに英語を習得したという人をユーチューブで観たことがあるので、明らかに可能だ。ただ、それにはかなりの努力を要すると考える。

先ずどこまで本気で外国語を学ぶつもりなのかが肝心だ。私が語学留学をした理由は自分が英語を使わなければ生きていけない状態に自分を追い込むことにあった。日本で暮らしてそんなことが可能だろうか?

留学したつもりで日本で外国語だけ、少なくとも外国語主体の生活を送るにはどうしたらいいか考えてみた。

先ずは耳から入ろう、常に英語を聴き続ける

先ず朝から英語で始めよう。普通出勤前にテレビニュースをかける人は多いと思う。最近はいくらでも英語ニュースは取得できるので好きな局を選んで聴けばいい。

通勤や通学の間、オーディオブックやポッドキャストで英語を聴き続けること。とにかくあいてる時間で耳が自由な時は英語を聴き続けることが大事だ。

帰宅してテレビを観る時間があったら、英語のテレビ番組を字幕なしで観ること。字幕があると絶対聞き取りに支障を来すからこれは大事。最近はネットでいくらも英語のテレビシリーズを観ることが出来るのでこれは簡単なはず。

スピーキング、独り言って役にたつ

回りに英語で話してくれる人が居なくても、自分なりに英語で話す訓練をしておくといい。あたまに浮かんだことは日本語ではなく英語で声に出すように練習する。その際文法に注意してブロークンにならないようにすること。簡単な文章をいくつか暗記しておいて、それを応用するとよい。

会話はスカイプなどを利用しよう

最近は外国の人とスカイプなどで会話することが出来る。有料でレッスンしてくれる人もいれば、普通におしゃべりしてくれる人もいるので、なるべく言葉使いの上品な人と一週間に数回でも一回につき一時間くらいは話をすると良い。

私がお勧めできないのは一組に何人もいる英会話クラス。上級者用のクラスならまだしも初級中級はクラスメートの英語が下手過ぎるので、お互いに会話しあっても意味がない。英会話レッスンを受けるなら個人授業が一番効果がある。

読むのは独学でも書く方は指導が必要

読むほうはとにかく読むしかない。自分で好きな分野の本を選んで一日一時間くらいは読む時間を設けるとよい。この際、やたらに優しすぎる子供用の本などはつまらなくて飽きるので、なるべく自分が興味のある本を選んだほうが良い。ただ、一行に三つ以上知らない単語が出てくるようなら、それは難しすぎるのでやめたほうが良い。知らない単語は一ページにせいぜい三つ程度で押さえておく。

論文を書くのは独学では難しいが、文章の構成などに関する本はいくらもあると思うのでそれを参考に練習してみるとよいだろう。ただし、書いたものをきちん添削してくれる人がいないと上達は望めない。これはきちんとした英語の先生に直してもらうのが理想。単に英語が出来るというだけの外国人ではだめだ。なぜならこれは文法だけでなく文章力を付けるための勉強なので、英語が話せても文章力のない外国人では話にならない。

語学専門学校はお勧めできない

よっぽど素晴らしい語学学校でない限り、私は語学専門学校はお勧めできない。語学学校はある程度その言語が話せるような上級レベルの学生には効果があるが、初級レベルではあまり意味がない。何故かというと前にも述べたように、初級レベルは周りの学生の英語も下手過ぎるため、英語だけで練習などと言っても全く会話にならないからだ。かえって他の外国人の変あアクセントや癖を覚えてしまのが関の山。初級の人は個人授業をお勧めする。高い授業料払って二年も学校に通うほど余裕があるなら、この二年間一切日本語使わずに暮らすくらいの執念で上記の訓練を行えば英語は出来るようになる。どうせお金を使うなら週に2~3回自分の書いたものをきちんと直して正しい論本の書き方を教えてくれる先生を選ぶほうがずっと効率が良い。前述のように先生は注意して選ぶべし。駅前の英語塾で英語を教えているような外国人ではまあ先ず駄目だ。せめて大学で英文科を卒業した人を選んでほしい。

というわけで留学せずに本気で外国語を学ぼうというのであれば、かなりの努力が必要。これを回りから強制されずともやれる人なら外国語をマスターすることは出来るだろう。またそれだけの努力が出来る人なら、外国へ留学してもきっと成功できるだろう。どこまでやれるかはその人の努力次第だ。

結論、留学した方が楽かもよ。


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ネット上で冤罪被害にあったら、汚名は返上できるのか?

先日何気なくリツイートしたこの記事がけっこ注目を集めているので、もう少し掘り下げて書いてみよう。

アメリカはカリフォルニアにあるチポートレというメキシコ料理のファーストフード店での話。6か月前、そこの店員をしていたドミニーく・モーラン(23歳)さんという若い女性に恐ろしい事件が降りかかってきた。朝起きると突然実家の母から電話がかかってきて「あなた大丈夫?あなたと誰かの写真がネット上に出回ってるわよ」と言われてびっくり。ネットを開けてみると、彼女の顔が「人種差別者」としてあちこちのサイトに貼られていた。

彼女が数人の黒人客にサービスを断っているビデオは7百万回も再生され、3万回もリツイートされ、フォックスやABCニュースにまで取り上げられた。モーランさんは、あっという間に「人種差別雌犬」というレッテルを張られて彼女の信用はがた落ち。チポートレは即座に彼女を解雇。後になって彼女の無実は証明されるが、一旦傷つけられた名誉を挽回するのは並大抵のことではない。

さて、では実際お店では何がおきたのか。この晩、閉店間際10分前に、数人の若い黒人男性たちがやってきた。彼らは店員たちの間ではすでに問題客として知れ渡っていた。男たちは声高にしゃべりスマホのカメラを店員たちに向けていた。「また、あいつらだ」と店員の誰かが言った。彼らはすでに無銭飲食することで知られていたのだ。

ファーストフードは普通前払いだが、支払う場所と品物を受け取る場所が違うので、レジでクレジットカードを渡し、それが拒否されると男たちは受け取る方へダッシュして食べ物だけを取って逃げてしまうということを何回か繰り返していたらしい。この事件の数日前にも彼らがそれをやっていたのが監視カメラにしっかり写っている。

それでこの晩、モーランさんは男たちに、「お金を払わなきゃダメ。あんたたちいつもお金もってないじゃない。」と言って品物を売るのを拒否したのだ。男たちは大声を張り上げて「何を馬鹿なことを言ってる!」「このレイシスト!」などといって騒ぎだした。結局警察が呼ばれる騒ぎへと発展。男たちはこの様子をビデオに撮っていたのである。

その晩遅く、男の一人がこのビデオをツイッターに「働き者のアフリカ系アメリカ人の若者が長い仕事の帰りに食事も取らせてもらえないのか?」というコメントと共に掲載した。ビデオはあっという間に炎上し主流メディアが取り上げるまでになってしまった。仕事帰りの人間がなんで金をもってないんだよ!

最近ネットではこの手のビデオが散漫している。大抵の場合、白人女性や男性が黒人やメキシコ人に向かって人種差別的なことを言っているかのようなビデオだが、モーランさんの件でもわかるように、都合よく継ぎ接ぎした編集ビデオだけ見ても本当に白人たちが差別行為をしたのかどうかはっきりしない。

以前に拙ブログでも紹介した白人高校生たちとインディアン爺さんの件でも、最初は高校生たちが爺さんの道を塞いだと報道されたが、実は爺さんの方から学生たちの輪に入っていったことが後になって解った。しかしこれは一か月近くも学生たちが人種差別者としてネットやメディアで公開私刑にあった後である。

他にも隣人宅から見知らぬ黒人男女が大きな荷物を持ち出しているのを目撃した白人女性が警察を呼んだところ、隣人が違法の民泊を経営しており、黒人男女はただの客だったことが解った。しかし警察を呼んだ女性は、黒人だから警察を呼んだのではなく、隣人宅から知らない人が荷物を持ち出していたから泥棒だと思っただけ。これが白人男女でも彼女は警察を呼んでいただろう。

ちなみに私の知人のベトナム人家族の家が空き巣に入られた時、隣人は見知らぬ黒人が数人家から出入りしているのを目撃していたのに誰も警察を呼んでくれなかったと愚痴っていたので、この白人女性はとてもいい人だと思う。

こういうふうに前後の事情が分からないで一部のビデオだけを見て、その人が差別者だと決めつけるのは非常に危険だ。はっきり言って無責任なビデオをアップした人は名誉棄損で訴えられるべきだろう。

しかしそんなことをしても一旦汚された名誉をどう挽回すればいいのか、ネット社会の恐ろしい現実である。


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女性が身を守ることを徹底的に邪魔する男尊女卑思想

ここ数日ネットでは女性が電車で痴漢から身を守るために安全ピンで護身するのは正当な自衛かどうかという話題で盛り上がっていた。私は無論このやり方には賛成だが、絶対にダメだと言う人が結構いて非常に驚いた。

ピンなどつかわずとも大声をあげて回りに助けを求めたり、警察に通報すればいいじゃないか、という意見が殺到していたが、そういうことを言う人は痴漢の被害にあったことがないのだろうと察しは付く。

実は何を隠そう格いう苺畑カカシは1970年代から80年代にかけて中高その他合わせて6年間くらい電車通学をしたが、その際痴漢被害には数えきれないほど遭遇した。最初は父親に相談して父が警察に届け出をだしてくれたりしたが、ほとんど効果はなく、次に「この人痴漢です!」と大声をあげてみたが回りからは完全無視された。この回りから完全無視されたという体験は多くの女性がしているので、声をあげればいいなんて助言をするのは無責任にもほどがある。

その後も万年筆(当時そういうものがあった)で痴漢のワイシャツにバッテンマークをつけてみたり傘で叩いてみたり、まあ色々やったが、結局最終的にはハットピンという安全ピンよりは多少長いピンを持ち歩くようになり、痴漢されたら自分に触っている手をピンで突き刺すという応戦を始めたら痴漢はすぐに手を引っ込めた。大抵の場合はそれで済んだし、そのうちあまり痴漢には合わなくなっていったので、それほど何回も使うことはなかった。

何十年もミスター苺以外の人にこの話をしたことはなかった。悪い奴でも誰かを傷つけたという話はあまりおおっぴらにするものではないから。しかしネットでそういう自衛をしているという人が今でも結構いると知り、しかも私と同年代やもっと前の世代のご婦人たちも同じように自衛をしていたという話を聞いて、安心するのと同時に日本の痴漢対策はいまだに、まだまだ女性を守り切れていないのだなと実感した。

しかしそんな話を何気なくツイートしたら、「ピンで刺すなんて過剰防衛だ、傷害罪でつかまるぞ」などという返答が沢山帰って来た。「痴漢行為は一種の暴行だ、それを止めさせるためにピンで応戦するくらい正当防衛だろうが、そんな権利も女性にはないのか」という問に対して「あるわけないだろ!」という答えが殺到した。それで「そんな権利もないのなら日本の法律はどうかしてる」というと「嫌なら出てけ!」という定番の答えが返って来た。

強盗をナイフで脅して傷害罪に問われるようなイギリスならまだしも、いくら何でも日本で女性が痴漢追撃のためにたかが安全ピンを使うことも許されないとは信じがたいと思っていたら、とある弁護士のこんなツイートを見つけた。

法律家だらけの俺のTLで過剰防衛(過剰防衛の可能性ではなく)と言ってる法律家を見たことないのはさておき、通常は過剰防衛にもあたらないだろう(よほど強く刺すような場合は過剰)。安全ピンで軽く刺す程度で過剰というのは痴漢の法益侵害性を軽視しているから過剰に感じるという告白に過ぎない。

@lawkus

やっぱりねえ。そんなことだろうと思った。法律を知りもしない人達が過剰防衛だの傷害罪だのという言葉を振り回して、安全ピンで自衛をしようとしてる人たちを脅かしていたに過ぎなかったのだ。それにしてもたかだか安全ピンの自衛をこんなにも躍起になって否定したがる人々の神経とはいったいどういうものなのだろうか?この人たちはそんなにも女性を無力のままで居させたいのか?

答えはイエス。その通り。これは完全なる男尊女卑の思想なのだ。クリスチャンさんのツイートで昔とある小学校で起きたいじめの例が挙げられていた。ずっといじめられていた子供が遂に反撃したらいじめがピタッととまったという。ところがいじめが起きていた時は何もしなかった学校側はこの反撃には強く反応したというのだ。

「殴る奴は殴る/殴られる子は殴られる」が常態。なのに「反撃」が起きたとたん騒ぎ。なぜ?ここからは僕の推測だけど、おそらく先生方は見過ごしつつも 「自分たちは精一杯いい管理をしている」と思いたかったんだろう。しかし「反撃」の発生は、今まで否認してた問題がそこに存在してることを提示し管理の失敗が露呈する。でも先生方は「間違った状態」を無意識のうちに「通常」へと定義してしまったので、そこを覆され不快だったのかも知れん 。

@Christian_Japan

女性が痴漢にあうのは「常態」。だが女性が反撃するのは異常事態。女性が反撃しなければならないという事実を認めれば、痴漢を容認している日本社会の恥を認めることになる。

それに女性の反撃を認めれば、男尊女卑思想の男たちは女性を弱者の立ち場においておくことが出来なくなる。それが嫌だから執拗にその邪魔をするのだ。こういう男たちからよく聞いたセリフが「間違って無実の男が刺されたらどうする?」というもの。被害者は自分に触ってる手を刺すのだから人違いで刺すなんてことは先ずあり得ないと言っても、例え僅かでもその可能性がある限り危険だと帰って来た。しかしこれについてとあるフェミニストがこんなことを言っていた。

女性は毎日痴漢という暴行を受けるかもしれないという恐怖を抱いて電車に乗っている。それを考えたら男が「今日は間違って刺されるかもしれない」程度の恐怖くらい味わっても同情など出来ないと。まさしくその通りだな。

最後に昔痴漢から身を守るためと言って道場に来ていた小柄な女性に剣術を教えたという剣道の先生のツイートで締めくくろう。

結局、こういう世の中だから、私がやってたようなヤロウばかりのむさ苦しい道場に、か弱い女性が人殺しの練習に来るわけで、安全ピンが違法だの傷害罪だのと重箱の隅をつつくヒマがあったら、優しい言葉の1つでもかけてあげるのが人情というものだろうし、今の日本に決定的に欠けているのはそれだろう。

@bci_

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予定外の子供なんて存在しない、妊娠中絶反対を訴える力強い映画、アンプランド(Unplanned)

先日、アラバマ州で非常に厳しい人工中絶規制法が通った。それで私は書きかけでそのままになっていた映画の話をしようと思う。

その映画というのは、アメリカの妊娠中絶専門施設プランドペアレントフッドのテキサス州にある支部の最年少局長としてやり手だった女性が、徐々にそのやり方に疑問を持ち、遂に反中絶運動家になるまでの話を描いたアンプランド。

プランドペアレントフッド(PP)とは家族計画という意味。この組織は表向きは避妊や妊婦への医療提供をするNPO無益法人ということになっているが、実は単なる中絶専門施設。アンプランドという題名は計画していなかったとか予定外のという意味で、PPの家族計画という名前にかけている。

映画は冒頭から中絶手術の生々しいシーンで観客を引き込む。主人公のアビーはPP支部の局長だが看護婦ではない。8年も務めていた自分の施設でも、それまで中絶手術に立ち会ったことは一度もなかった。彼女はその日たまたま手が足りなかった手術室に駆り出され、妊婦のお腹にエコーの器具をあてがう役を請け負った。そばにあるビデオモニターには、はっきりと胎児の姿が写っている。医師が吸引機を妊婦の胎内に差し込むと小さな胎児はあきらかに防衛本能をはたらかして逃げようとしている。そして吸引機が作動すると、胎児が動いていた部分が、あっという間に空洞になった。

私はこのシーンを息をのんでみていた。悲鳴を挙げそうになったので両手で口をふさいだ。嗚咽を抑えようと必死になった。あまりにもショックでその場から逃げ出したい思いがした。ふと気が付くと映画が始まるまでざわついていた劇場はシーンとしており、女性たちが私と同じように悲鳴を抑えている緊張感が伝わって来た。

この、冒頭から観客の感情をつかむやり方は非常に効果的だ。映画はその場面から十数年前に話がさかのぼり、主人公アビーが大学生だった頃からはじまる。アビー・ジョンソンとプランドペアレントフッドの出会いは彼女が大学生の頃、学校のサークル勧誘イベントで誘われたのがきっかけ。避妊に力を入れなるべく中絶を減らし、いざという時は安全な中絶手術を提供するという宣伝文句に動かされ、アビーはボランティアとしてPPで勤めはじめる。その後彼女は無責任なボーイフレンドとの間に出来た子供を中絶。親の反対を押し切ってその男性と結婚したが夫の浮気ですぐ離婚。離婚寸前に二度の中絶を経験する。自身の中絶体験は決して良いものではなかったのにも拘わらず、アビーは若い女性を救うためだという信念に燃えてPPで正式に勤め始める。

診療所では有能なアビーはどんどん出世し最年少の局長にまでなったが、彼女の良心に常に影を差していたのはPP診療所の前で診療所へやってくる若い女性たちに話しかけている中絶反対のキリスト教徒たち。また、敬虔なキリスト教徒であるアビーの両親もそして彼女の再婚相手で娘の父でもある夫もアビーの仕事には反対だった。

アビー・ジョンソンは悪人ではない。彼女は本当にPPが女性を救っていると信じていた。女性が妊娠中絶は非道徳的ではないと自分に言い聞かせるのは簡単だ。

先ず未婚で妊娠してしまったら、両親に未婚なのにセックスしていたことがばれてしまう、学校も辞めなきゃならなくなる、世間の偏見の目のなか貧困に耐えながら子供を育てなきゃならなくなる、養子の貰い手なんてそうそう居るわけないし、そんな家庭に生まれた子供だって幸せにならないだろう。たった一度の若気の至りで一生女の子だけが罰を受けるなんて不公平だ。それに、初期での中絶なんてまだ小さな細胞で胎児は痛みなど感じない。盲腸を取るより簡単な治療なんだから、、、などなどなど

しかしPPのカウンセラーは若い女性たちに中絶をすることによる肉体や精神的な影響について話すことはない。養子を迎えたがっている不妊症の夫婦がいくらでも居る事実も伝えない。ましてや一個の人間の命を自分の勝手な都合で殺してしまうということが如何に罪深いことなのかということを若い女性たちは教えられない。

中絶を法律で禁じても違法で危険な中絶をする少女たちは後を絶たないだろう。いくら禁欲を解いてみても本能には勝てない。だったら不覚にも妊娠してしまった若い女性たちが違法で危険な中絶をして命を落とすようなことにならないためにも、安価で安全な中絶施設を提供することの何が悪いのか。そう思いたい人の気持ちはよくわかる。

でも忘れないでほしい。中絶は母体のみの手術ではない。尊い命がかかわっているのだ。自分の身体をどうしようと余計なお世話だというが、胎児の身体は母親の身体ではない。母親だからというだけの理由で殺してもいいということにはならない。他に選択肢があるならなおさらではないか?確かに15~6歳で妊娠してしまったらどうすればいい?親にセックスしてることが知れてしまう。さっさと除去してしまいたい。その気持ちはよくわかる。でも彼女が抹殺してしまいたいその命をのどから手がでるほど欲しがっている夫婦もいるのだ。

私はアメリカの学校でどのような性教育がされているのか知らないが、避妊の話だけでなく、命の尊さについてもしっかり教えて欲しいと思う。

残念ながらPPのような組織がなくなるとは思えない。また、全国的に中絶を違法にすることが可能とも思えない。ただ、PPを無益法人ではなく営利企業として連邦政府からの補助金は今すぐやめるべきだと思う。大事なのは法律で禁じることではなく、若い人たちに中絶以外に選択肢があることを我慢強く説いていくしかないだろう。PPの柵の向こう側から祈っているキリスト教徒たちのように。いつか、アビーの心に届いたように、我々の声が届くように祈ろう。


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トランスジェンダーという突然の波にのまれた少女たちROGDの現実を知ろう

最近聞くようになった言葉に Rapid Onset Gender Dysphoria (ROGD)というのがある。突然急速に起きる性同一性障害という意味で、子供の頃はごくごく普通の子だったのに思春期を過ぎるあたりから突然自分の性に違和感を持ち始める症状のことをいう。多感な女の子の間で多い現象だ。

思春期を通り過ぎている少女は(少年もそうだが)非常に精神が不安定である。異性に対して憧れや嫉妬や性欲を感じ始めるのもこの頃。普通の女の子はそういう状態を経て色々悩みながらも普通の女性に育っていく。ところが中にはこの頃の精神状態をうまくコントロールできずに鬱になってしまう子もいる。

実は私も12~5歳の頃、ものすごいうつ状態になり中学ではかなりの登校拒否になっていた。だからこの年頃の少女たちが藁をもすがる思いで色々助けを求めようとする気持ちはよくわかる。問題なのは今のネット時代、インターネットに蔓延するトランスカルトの甘い罠にこういう弱い子たちが簡単に引き込まれてしまうことだ。

最近はDetransition(ディ・トランジション)といってトランス異性から自分の元の性に戻ろうとしている人の話をよく聞くようになったが、圧倒的に多いのは女性から男性になろうとし、女性に逆戻りした若い女性たちの話だ。彼女たちに共通しているのは、自分が何かに悩んでいる時にネットで色々とトランスジェンダーの話を観たり聞いたりしてだんだんと洗脳されていったということだ。しかも専門家であるはずのカウンセラーたちもカルトメンバーだから、彼女たちが相談に行っても「そんなことはないよ、あなたは普通の女の子よ。ネットを観るのはやめてスポーツや勉学に励めばそんな悩みも薄れるわよ。」などとは言ってくれない。

私が観たドキュメンタリーではトランス専門診療所では患者の妄想を否定してはいけないという規則があり、「私は異性かもしれない」と迷っている患者には、かえって異性であることを確認してあげるべきだと指導されているという。つまりトランス専門の診療所になど行ったら必ずトランスジェンダーと診断されてしまうということなのだ。今自分がTGなのではないかと迷っている人は絶対に診療所や「専門家」と話てはいけない。彼らはトランスカルトの宣教師たちなのだから。

悩める少女たちが受けるカウンセリングも、思い立ったら吉日、いつまでも待っていると性転換は不可能になるとか、なかなか異性としては通らなくなるとか脅かされて酷いのになると相談にいったその日のうちに男性ホルモンンを処方されたなんて例もある。逆戻りした19歳の女性は16歳の時にトランス治療を始めたが、もし18歳になるまで治療は出来ませんと言われていたら、多分ホルモン摂取など受けなかっただろうと語っている。

不幸なのは、こうやって2~3年ホルモン治療をしたりすると身体は元にもどらないということだ。男性が女性ホルモン摂取を長年続けても、摂取をやめさえすれば普通に男性的な身体に戻るが、女性の場合は変わった声や角ばった顔つきや禿た頭や髭はもとにはもどらないのだ。15~6歳でやたらなホルモンを摂取した少女たちは19歳や20歳という大事な時におかしな男女みたいな姿になってしまうのである。ここで後悔してももう遅い。

今、こうした女性たちの告白が多く聞かれるようになったのは良いことだ。どうか今自分は男だなどと妄想を持っている人は、専門家などというトランス専門の診療所は避けて、普通の精神科のお医者さんに行くか、ネットから遠ざかってスポーツや勉学に身を入れて、ゆっくり考えなおしてもらいたい。ことを急いで取り返しのつかないことになってからでは遅いのだから。


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SNSのバン祭り、言論の自由というよりサービスプロバイダーなのか出版社なのかを決めるべき

先日、フェイスブックとインスタグラムが大型アカウント数人を「危険人物」と称して一斉に凍結してしまった。凍結されたのは私も好きなマイロ・イヤナポリスやポール・ジョセフ・ワトソン及び、突撃ジャーナリストのローラ・ルーマーといった右翼派のアカウントと、加えて極左翼のルイス・ファラカンという(ネイションオブイスラム)黒人イスラム教カルトのリーダー。ファラカンとルーマーは確かにかなりの過激派だが、一時期は奇抜なことをやっていたマイロも最近はとみにおとなしくなっていたし、ポールなどもともと全く問題になるような発言はしていない。左翼の方にはもっとずっと過激なアカウントがいくらもある。

フェイスブックはこれらの人々をバン(追放)したのみならず、危険人物と認定された人々に関して、彼らのビデオや記事を再掲したり、彼らに関して好意的な記事を書いたりした場合には、その記事を削除し、それを続ければそのアカウントも凍結するとしている。どうやら2020年の全国選挙を前に保守派意見を徹底的に弾圧しようというのがフェイスブックの創設者ザッカーバーグの魂胆らしい。

さて、これはひどい言論弾圧だという声が保守派の間からはたくさん出ているが、フェイスブックはSNSとして唯一無二ともいえる莫大な組織であるとはいえ、一応民間企業である。民間企業である以上、同社の経営方針は同社のみが決める権利があるはずだ、と普段は民間企業や大手企業に批判ばかりしている左翼連中が大喜びで叫んでいる。

しかし、これは言論の自由云々の問題ではなく、フェイスブックがSNSというサービスを提供している会社なのか、それとも特定の印刷物を出版している会社なのか決める必要があると、保守系ラジオトークショーのスティーブン・クラウダーは言う。なぜならサービス提供者と出版社ではその責任が全く違うからである。

サービス提供者というのは、電話とかインターネットとかのサービスを提供している会社のことだ。彼らは消費者が電話で何を話そうとどんな内容のメールを送ろうとそれをいちいち検閲する義理はないし、その内容によって責任を問われることはない。であるから、もしFBが単なる掲示板提供者であるなら、FB内でどんな内容の掲載があろうとFB社には全く責任が及ばないということになる。無論犯罪のライブストリームやテロ軍隊勧誘ビデオなどは規制されるべきではあるが。同時に単なる掲示板提供者であるなら人々の表現の自由を検閲する権限を失う。例えそれが白人至上主義者の熱弁であろうと、イスラム教過激派の教えであろうと許容しなければならない。つまり最低限の規則を破っていない限り、どんな人のアカウントも拒否できないのである。

それに対して、もしFBが出版社であるなら、FB内で掲載される内容に関して全面的な責任を負うことになる。もし誰かが特定の人に関する名誉棄損になるデマを流した場合、FBにも責任が及ぶのである。そうであるならFBには掲載内容を厳しく検閲する義務があり権限もある。誰にアカウントを持たせるかはFBの自由選択になる。

今問題になっているのは、こうした情報交換プラットフォームにおいて、使用規則がはっきりしていないことと、規制施行の基準がまちまちで一貫していないことにある。保守派ならだれでも実感していることだが、保守派の人が何気なく言った言葉が突然「ヘイト」だとか「差別」とか言われて削除されたり、挙句の果てには凍結されたりする。そして削除理由があいまいで一体その規則のどの部分に触れたのかという説明が全くない。だが左翼はの発言はもっとひどいあからさまな差別用語や暴力的発言が放置されている。

例えば私が実際に体験したことでは、「トランス女性は男性だ」とか「男を男と言って何が悪い?」という発言が「ヘイト」だとして削除を強要された。ところが、トランス支持派の「ターフは殺せ」「ターフを野球バットで強姦してやる!」「ターフは火あぶりにしろ」などといった発言は完全に放置されている。(ターフというのはトランス排斥主義過激派フェミニストという意味だと言われているが、いまやトランス活動を全面的に熱烈に支持することを拒む人の意味で使われている)

フェイスブックや他のSNSは世界的にそのサービスを提供しているため、世界中の規制に従わなければならないという不思議な状況に置かれている。アメリカでは全く問題にならない発言がドイツやイランや中国では駄目だということはいくらでもある。しかも掲載されて数分以内に削除しないとフェイスブックが罰金を課せられるとかいう理不尽なものもある。だからフェイスブックも躍起になって先手を打って過激派アカウントの凍結に乗り出したのだろう。

しかしこれだけ巨大な組織で一般人による投稿をいちいち検閲するなどとてもとても出来たものではない。以前にジョーダン・B・ピーターソン教授も言っていたが、フェイスブックは検閲機関の責任を負うなどという責任を請け負うのは愚かなことであり第一不可能だろうと語っていたのを思い出す。

となるとSNSは早急に自分らの立場をはっきりさせる必要がある。明らかに今のままでは存続不可能だろう。私は政府によるやたらな規制は望んでいない。だが、政府が介入するのであれば、SNSはサービスプロバイダーなのか、それとも出版社なのか、それをはっきりさせるべきだろう。規則がはっきりしないプラットフォームでは誰も安心して発言できないのだから。


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アメリカを理解してないドラマ、日系二世を描いた「山河燃ゆ」

1984年NHKで放映された大河ドラマ「山河燃ゆ」を何日かにわけてほぼ全編観た。原作は山崎豊子の「二つの祖国」が原作とのこと。率直な感想を述べさせてもらえば、51回もの長編を全部見る価値はない。特に結末は観た時間を返して欲しいと思うほどひどかった。

このシリーズは第二次世界大戦を通して天羽賢治(あもうけんじ 松本幸四郎9代目)という日系二世の男性が日本とアメリカのはざまに立って苦労する話だ。 物語は、大きく分けて三つ。戦前の賢治の日本での生活。戦中アメリカ国内と戦場で、そして戦後の東京裁判の様子。天羽賢治は当時良く居た帰米二世と言われる若者。アメリカ生まれでアメリカ育ちだが、両親が高等教育を日本で受けさせようと長男を日本へ送り返すことがよくあったのだ。

日本人原作の日本制作シリーズだから仕方ないと言えば仕方ないのだが、私が持った違和感は製作者がアメリカ社会やアメリカ人を理解していないことが根本にあるのだと思う。全体的に日本社会や日本人を描いている場面はいいのだが、アメリカ人やアメリカ社会の描き方がおかしい。

物語は賢治が日本で大学を卒業しアメリカへ帰ろうという戦争前2~3年ころから始まる。ウィキによると賢治の日本での生活はドラマのために書き加えられたものらしいのだが、この部分が長すぎる。ここだけで17~8回が注がれていて、いったい何時になったらアメリカの話になるんだろうと思ったくらいだ。

話も筋と関係ない余計なものが多すぎる。戦前の日本で賢治が恋に落ちる大原麗子演じる三島典子とのすれ違い恋愛は昔のメロドラマを観ているようで苛立つし、アメリカで賢治の親友チャーリー(沢田研二)が婚約者のなぎこ(島田陽子)と恋人のエイミー(多岐川裕美)を二股かけているくだりもやりすぎだし不自然だ。友達の三島圭介を演じる篠田三郎の演技は落ち着いている。

戦争が始まって西海岸の日系人たちはアメリカの国籍があるなしに拘わらず強制的にスーツケースふたつのみをもってカリフォルニア北部やアリゾナの収容所に送られた。天羽家も近所の人たちと一緒にマンザナール収容所へ。実は私はもっと収容所での生活についての描写を期待していたのだが、ここでの生活はほんの数回のエピソードで終わってしまった。日系人収容所に関するドキュメンタリーやドラマはアメリカでも多く作られ、私は色々観て知っていたが、日本の人たちはそんなこと全くしらなかっただろうから、もっと詳しく描いてもよかったように思う。

ウィキペディアを読んでいてわかったのだが、原作では賢治及び日系人がアメリカでかなりの偏見や差別にあうことがもっと詳しく描かれているようなのだが、ドラマではあまりそれが描かれていない。話のみそはこういうところにあるはずだ。日系二世アメリカ人の話なのに、アメリカにおける日系人たちの生活が深く描かれていない。そこに私は違和感を持ったのだ。

先ず一番にダメなの白人俳優たち。ケント・ギルバートさんとか何人かはまあまあの演技をしているが、ほとんどが日本在住のアメリカ人で演技が多少できる程度の素人ばかり。大御所歌舞伎役者の幸四郎相手に高校生の学芸会みたいな芝居をされると完全に白ける。

日系人を演じる若い日本人役者たちの演技もひどい。英語が下手なのはしょうがないとしても、日本語のセリフもまともに言えない子たちが何人か居る。賢治の弟の勇(堤大二郎)と妹の春子(柏原芳恵)は多分当時のアイドル歌手かなんかなんだろう。まるで活舌が回っていないし、特に柏原の英語のセリフは聞くに堪えない。また、二人ともアメリカ人のはずなのに身振り素振りが全然アメリカ人のそれではない。若干沢田研二のみがなんとかアメリカ人風のボディランゲージを使っているが、それでもかなり不自然。ただ、なぜか島田陽子と弟忠の西田敏行の英語は非常にきれいで自然だった。賢治の父(三船敏郎)は一世で英語が苦手ということになっているのに、ちょっと話した時の三船の英語はうまかった。

日本人視聴者のためのドラマだから、日本人に人気のある俳優を使いたいのは解るのだが、日系二世ともなると、やはり日系人俳優を使うべきだったのではないだろうか?ただ、収容所に兵士志願者を募りに来た日系陸軍兵を演じた二世兵の俳優やその場で彼に質問をしていた数人の俳優たちの英語は完璧だったので、多分彼らは本物の日系アメリカ人俳優だったのだろう。アメリカ人俳優は白人にしろ二世にしろ全員あのレベルの人たちで固めてほしかった。

それから細かいことを言うようだが、衣装の時代考証もかなりおかしい。日本での日本人俳優たちの衣装は結構いいのだが、白人男優たちのスーツが当時のものではない。あたかも白人俳優たちの衣装は用意されず自前の服で来るように言われたかのようで1930~1950年代の服装とはいいがたいものだった。高予算シリーズなんだからこんなところでけちるのはおかしくないか?

撮影はところどころアメリカでロケをしている。リトル東京も出てくる。しかし、どうもアメリカという雰囲気がしない。

ところでこのシリーズには裏話がある。1984年当時私はすでにアメリカに住んでいたが、当時ロサンゼルスの日本語放送ではNHKの大河ドラマを一週遅れで放映していた。私は沢田研二の大ファンなので、彼が賢治の親友チャーリーを演じるというので予告編を見て非常に楽しみにしていた記憶がある。

ところが実際にはドラマはLAでは放映されなかった。その理由はちょうどそのころ日系三世たちが中心となって第二次世界大戦中に収容所に送られた日系一世及び二世への賠償金を求めて国を相手に訴訟を起こしていた最中であり、日系人はアメリカ人だ、日本帝国に忠誠心など持っていなかったという原告の主張が二つの祖国をもって悩む主人公の話と噛み合わなかったせいだろう。私は知らなかったのだが、番組は放送されてから日系人たちの苦情が殺到して打ち切りになったのだそうだ。

当時はそんなにヒステリーにならなくてもいいのではないかと思ったが、実際にシリーズを観てみて抗議をした日系人たちの気持ちがわかるような気がした。番組に出てくる日系二世登場人物たちがあまりにも日本人過ぎるのだ。

ルーズベルト大統領が人種差別から日系人を迫害したのは事実ではあるが、その対応に普通のアメリカ人が、敵国の人間なんだから当たり前だろうと思ってしまったのは、日系人は日本人だという偏見があったからなのだ。日系人は日本人の血を継いでいるが彼らはアメリカ人なのだ。一世も国籍こそなかったが、それはアメリカの法律で移民一世の帰化が認められていなかったからであり、彼らは10代の頃に移住しずっとアメリカ人として30年以上アメリカで暮らしていた。そんな彼らが天皇陛下や帝国日本に忠儀心など持っていただろうか。

私も以前に、もし日本とアメリカが戦争したら、どちらに忠誠を誓うかと聞かれたことがある。私は躊躇なくそれはアメリカだと答えた。何故ならば、自由の国アメリカと戦争をするような国に日本がなってしまったとしたら、そんな日本政府はなくなってしまうべきだと思うからである。

多くの日系二世たちは自分が見たことも行ったこともない日本に未練などなかっただろうし、忠誠心など持っていたとは思えない。確かにアメリカ政府のやり方には腹を立てていただろう。だがそれとこれは話が別。

そういう部分をこのドラマがきちんと描写していたら、日系人たちから攻撃されるようなこともなかったと思う。しょせん日本人がアメリカ人を描くなどということには無理があったのかもしれない。


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