過労死は選択である、改善のカギを握っているのはあなた

私の体験した長時間就労と同僚の過労死についてお話してきたが、読者の皆さんは疑問に思われたのではないだろうか、これらの人々は、どうしてそこまで自分を追い詰めたのであろうかと。

コメンターのシマさんもおっしゃておられたが、アメリカではすぐ訴訟になるのでそういう環境で勤める人が居るというのは意外かもしれない。

偶然というか、私が上司と喧嘩をしたこの頃から、長時間にわたる残業に関する苦情が上部でやっと取り上げられるようになった。

そのきっかけとなったのは、とある新人が働いているのに残業手当を出さないのは法律違反だとして実際に働いた時間をすべて申告したのだ。実は我々には知らされていなかったのだが、残業は一日4時間までという規則はあくまで基本で、それ以上になる場合は、あらかじめ許可を得ていれば例外として認められるというシステムが会社にはあったのだ。幹部はこの事実を従業員に知らせるのを「うっかり忘れていた」らしい。この新人君のおかげで我々はそのシステムの存在を知ったのだ。

このシステムが明らかになってから、一日8時間以上の残業時間申告をする人が激増し、はじめて幹部はこんなに多くの従業員が長時間働いていることを知ったらしい。そこで会社では幹部役員と週に40時間以上の残業申告をした従業員を集めて緊急会議が開かれた。

この会議において、従業員の怒りは爆発。これまでの不満がいっぺんに表に出ることとなった。

幹部は残業手当の額を減らしたいこともあって、残業時間を本当に減らす努力を始めた。今までのような無償残業は厳しく取り締まられるようになった。最近は出張先で特に用もないのに職場に居ると「帰れ!帰れ!」と叱られるようになった。(笑)

なんだ、こんなことならもっと前に文句を言っておけばよかったな、などと言ってみても仕方ない。長い間苦情を言わずに我慢していた我々にも責任はある。でもどうして我々は苦情を言わずに長年こんな待遇に耐えたのであろうか?

よくアメリカ人は正直に思ったことを口にするとか、自分の権利はきちんと主張するとか言われるが、現実はそんなに甘くない。例えば私が上司に出張が多すぎるので減らしてほしいと言った時の上司の対応。

「出張出来ないなら他で仕事を探すんだね。」

私は腹が立ったので、その時は確かに「わかりました」と言って立ち去ったのだが、だからといってそのまま辞職するだけの勇気はなかった。それに私は仕事そのものが嫌いだったわけではないのだ。出来ればその分野で出世したいと思っていた。

アメリカで長時間就労を頑張ってしまう人というのは、必ずしも会社から強いられているとは限らない。いや、むしろ、会社はそこまでの奉仕を求めているわけではなく、本人がその会社で出世したいから、認めてもらいたいから、といった理由で頑張ってる場合が多いのである。だから仕事が好きな人ほど自分を追い詰めてしまうものなのだ。

日本やアメリカは奴隷制度を敷いているわけではない。だから辞めたければ辞めればいいのだ。自分を殺すほど会社にこき使われる必要はない。確かに日本は転職がアメリカほど普通ではないので、こんなに残業が多いなら辞めますとはいえないかもしれない。だが、病気になったり、ましてや過労死してしまっては元も子もない。

最近日本では人手不足だという。だったら企業は従業員が疲れ果てて死んでしまうまでこき使うのではなく、多くの人が雇われたいと思えるような勤務体制をつくるべきだ。安易に外国人を雇って働かせても根本の問題は解決できない。

日本人労働者はもっと強気になって企業と勤務待遇について話あってもいいのではないだろうか?

 


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人種差別の歴史を教えるのは人種差別という左翼の歪んだ理論、「アラバマ物語」は白人至上主義?

カナダはオンタリオ州のピール教育委員会において、アメリカ小説の傑作ハーパー・リー原作”To Kill a Mockingbird”(放題:アラバマ物語)(グレゴリー・ペック主演で1962年に映画にもなっている。)を子供たちに教えないようにとメモを発表したという記事を読んだ。その理由というのが、「黒人生徒に有害で暴力的で抑圧的であり、救世主としての白人登場人物によって黒人登場人物を人間以下に見せているから。」というもの。

「人種差別の文献が人種差別に関する討論の入門となることはすでに差別を体験している黒人生徒たちにとって、とても有益とは思われない」「これはまず一旦休止すべきだ。誰がこの文献の中心なのか、だれのためになるのか、どうしていつまでも教え続けるのか?」

とメモは問いかけ、この小説のなかには19回も黒人侮蔑語であるNワード(いわゆる黒んぼを意味する言葉)が含まれており、有害なのはそれだけではないが、それがこの本の暴力さに加わっているとしている。

メモはさらに、黒人の父母たちは「子供たちがこの小説を読むことを毛嫌いしている。」本を廃止することは検閲であり、検閲は言論の自由を制限するものだと思われがちだが、人種差別を主題にしたこのような本を読書リストに入れておくことは黒人生徒に対して人種差別で暴力的で抑圧的であるとしている。

このメモを書いた人間は、原作を全く理解していないか、人種差別の恐ろしさを生徒たちに理解させまいとする企みを持っているかのどちらかだろう。

これは、やはりアメリカ小説でマーク・トウェイン著の「ハックルベリーフィンの冒険」が人種差別小説だとしてアメリカ各地の学校で排除されているのと全く同じ理由だ。

ご存知のない読者諸氏のために説明すると、アラバマ物語は著者の少女時代の多少自叙伝的なおもむきもある話で主人公は8歳くらいの少女。舞台は1930年代のアラバマ地方にある架空の小さな町。ひとりの黒人男性が白人女性から強姦されたと告発され裁判になる。この被告人の弁護をする白人弁護士は主人公の父親。問題なのは当時この地域では黒人差別がひどく、特に黒人男が白人女を犯したなどという問題になると、裁判で黒人が正当な裁断を受けられる見込みが非常に少なかった。町民たちはすぐにでも黒人を吊し上げてリンチにかけようといきり立っている。そんな中で地元に住んでいて自分も白人の弁護士が、近所の地元民たちの反感を買いながらも必死に黒人被告人を弁護するという話。

この小説の主題は、いかに人種差別が不当なものであるか、どんな人間も偏見ではなく事実に基づいて正当な裁判を受ける権利があるというもの。この小説が出版されたのは1960年代の人権運動の真っ最中だったということにも注目せねばならない。

この小説はせんだってのカバノー判事のセクハラ疑惑でも持ち出された。小説では、アメリカには「証明されるまでは無実とみなす」という原則があるにもかかわらず、被告が自分が嫌いな集団に属している場合には裁判もせずにつるし上げることの危険性を示している。黒人だというだけで特に告発者が白人の場合、裁判もなしに殺されるという人種差別が如何に悪であったかを訴えているのがこの小説なのだ。

人種差別の恐ろしさや正当な裁判の大切さを訴えるこの小説が、人種差別だとか黒人を人間以下に扱っているから黒人生徒に対して有害だという歪んだ理屈は一体どこから出てくるのか?

はっきり言って、ピール教育委員会がこの小説が人種差別の本で黒人生徒を圧迫するものだなどと本気で信じているとは思えない。この本が教育委員会の左翼どもにとって「有害」であるのは、この話は実際の人種差別がいかに恐ろしく醜いものだったかを示しているからで、それを現在の子供たちが学ぶということは、左翼どもが現在もあると言い続けている「人種差別」がいかに偽物であるかを暴露するものだからである。

左翼連中が人種差別の本当の歴史を抹殺しようと躍起になっているのは、アメリカにおける人種差別は主に左翼連中が行ったことだからだ。奴隷制度をかたくなに守ろうと南北戦争を起こした南部はすべて左翼の民主党。ジム・クロー法などの悪質な人種差別法を通したのも左翼民主党。人種混合は絶対にありえないと小学校の校門を遮ったのも左翼民主党議員。

現在の左翼が少数派を味方につけておくためには、自分らが行った過去の人種差別の歴史を抹殺し、現在の少数派をだまし続ける必要があるのだ。

カナダはアメリカではないが、過去の人種差別がどれほどひどいものであったかを現在の子供たちが学べば、今自分らに起きていることは人種差別などではないと気づいてしまう。そんなことは後退派左翼にとっては絶対に許されないことなのだ。

差別をされていると思い込み自分は弱者だと思っている人間は政府はコントロールしやすい。あなた方は弱い立場に居るのだから政府が守ってあげますと言いやすい。

ピール教育委員会は、これは決して検閲とか言論弾圧ではないと言い張っているが、それ以外の何物でもない。


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反共和党のモブ暴徒を煽る民主党、否定するメディア

ワシントンポストのこの記事には‘An angry mob’: Republicans work to recast Democratic protests as out-of-control anarchy(「怒れる暴徒集団(アングリーモブ)」共和党は民主党抗議者を歯止めの効かない無法者と定義付けようとしている)という見出しがついている。
はあ? 徒党を組んで町を占拠したり、共和党政治家をレストランやエレベーターの中で囲んで大声で威嚇したり最高裁判所の門に集まってドアをけ破ろうとしたりしてるのはモブではないというのか?あれがモブでないなら何なんだ?
この記事によると、共和党はカバノー判事最高裁承認に反対抗議に集まった群衆のことを「アングリーモブ」と定義付けることによって自分らは法と秩序をもってして無法者から国を守る党だと有権者に訴える企みだというのである。民主党支持者を無法者とかアングリーモブとか呼んで悪者扱いし、11月6日に迫った中間選挙で議席を増やそうという魂胆だというわけだ。
この定義付けは人々に未知のものや歯止めの効かない集団に対する恐怖心をあおり、伝統的な道徳や白人、なかでも白人男性、有権者が脅かされていることを強調する道具に使われている。トランプ大統領が先の選挙でMS-13(エルサルバドル暴力団)や黒人フットボール選手の抗議を悪用して有権者を煽ったように。

この写真を見てアングリーモブが見えない人がいるのかね。バーナーには「我々は生存者を信じる」と書かれている。


Protesters rally in the Hart Senate Office Building two days before the confirmation of Supreme Court Justice Brett M. Kavanaugh. (Erik S Lesser/EPA-EFE/Shutterstock)

共和党は常に法と秩序を売り物にしているが、50年前にも共和党の大統領候補者リチャード・ニクソンが反ベトナム戦争で民主党大会の前に集まった集団を暴力的な造反者と呼んで選挙運動に利用した。

今回共和党の敵は左翼、エリーテスト、フェミニスト、学者や芸能人といったところ。特にトランプが敵視しているのがマイケル・アバンティ(弁護士)、大富豪ジョージ・ソロス、マキシーン・ウォーターズ(民主下院議員、加州代表)と言った面々。

記事によれば、共和党が文化戦争を率いて選挙運動を進めるのは、減税や好況が充分に共和党有権者の支持を得ていない証拠だと言う。共和党によるこの定義付けは単に一般市民に恐怖を煽ろうする手口であり、アングリーモブなど存在しないと言いたいようである。

トランプ就任後全国各地で行われている左翼デモ行進の参加者は郊外の女性や若い人たちで、単に有権者にとって大事な問題(銃の安全性とか)について抗議をしているに過ぎない。彼らは自由に集会をする権利を行使しているだけであって、彼らをモブと呼ぶのは彼らの行動を過小評価しよとするものだという。

ポストは、「民主党を怒り狂った歯止めの効かない連中と定義付ける企みは数か月前から始まっていた。」とし、今年の初め、ホワイトハウス報道官のサラ・ハッカビーがバージニアのレストランでサービスを拒まれたり、国土安全保障局のカースティン・ニールソン局長がメキシコ料理店でヤジを飛ばされたりしたとき、共和党は民主党のことをトランプへの敵対感情を制御出来ない感情的な人々だと決めつけたという。そしてカバノー判事の承認審議を前にして共和党はこの同じ定義を一斉に繰り返し始めたと書く。

「彼ら(民主党)は暴徒支配を奨励している」チャールズ・E・グラーシー(共和アイオワ州)金曜日議会で発言。オーリン・ハッチ(共和ユタ州)「雇われた暴徒が有権者の意志を貫こうとするのを阻止しようとしている」マーク・ルビオ(共和フロリダ州)はツイッターで「保守派の怒れる暴徒が最高裁判所の建物に集結したりしたら、ケーブルテレビはどんな報道をするか想像してみて欲しい」と書いた。上院議会与党代表のミッチ・マコーネル(共和ケンタッキー州)は「我々は暴徒に立ち向かう」と宣言。そして土曜の夜にはカンザスのトピーカからトランプ自らが参加、「過激派民主党は怒れる暴徒と化した」と発言。

こうした共和党の陰謀は結構効果的なようで、テッド・クルーズ上院議員(共和テキサス州)が妻とイタリアンレストランで食事中に「我々は生存者を信じる」と叫ぶ怒った暴徒らの嫌がらせから逃れるように店を出たビデオが拡散されると、抗議者よりもクルーズ夫妻への同情が集まった。(その後レストラン経営者はクルーズ夫妻をプライベートルームに案内して夫妻は邪魔の入らない食事をすることが出来た。)クルーズ議員は次の選挙で再選に出馬していることもあり、このことによってクルーズ議員の支持率が向上した。

そこで次の選挙で苦戦している共和党議員たちは皆「民主党は怒れる暴徒」という宣伝文句を使った選挙運動を始めたという。

はっきり言ってだ、共和党がいくら民主党は「怒れる暴徒の集団」などと言ってみても、実際に民主党が何もしてなければ市民もそんなことは信じないだろう。だが、ポートランド市や全国各地で起きているアンティファによる暴虐。次々に暴力的な嫌がらせを受ける共和党政治家や職員や支持者たち。そうした姿が主流メディアが無視してもSNSで拡散される今の時代、共和党が言おうというまいと事実を隠すことは出来ない。そういうラベルを張られたくなかったら、民主党自らがアンティファや怒れる暴徒らを糾弾すればいいだけの話。それをしないで事実を述べている共和党に向かって「恐怖を煽っている」などと批判しても全く無駄である。


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ポートランド市を占拠したアンティファ共産主義者の実態、沖縄と似てるね

先日私はアンディー・ノー(Andy C.Ng)というベトナム系の記者が紹介していたこのツイッターを日本語でリツイートしたところ、「沖縄と同じだ」「辺野古でも同じことが起きてる」という返事をたくさん頂いた。リイートも1000近くに及んだ。(アンディーの元ツイートをクリックすると色々な映像がみられる。)

ここまで読者諸氏の興味が深いのであれば、この状況の背景をきちんと説明せねばなるまい。これはアンディーのAnarchy Breaks Out in Portland, With the Mayor’s Blessing(市長の祝福の元に起きているポートランドの無法状態)という記事より。

今年の7月から8月にかけて38日に渡り、気温38度を超える灼熱の中、アメリカ西海岸の北部オレゴン州はポートランド市において、ICEと呼ばれる移民局ビルの前の一角を200人以上の左翼暴力団が占拠した。占拠した奴らは自称アンティファ実は共産主義暴力団で、名目上は連邦政府の厳しい違法移民取り締まり方針への抗議ということになっている。だが実際にはこの占拠地において麻薬は接収するは尿や便はそこらじゅうでするはで、使い捨ての注射器や排泄物で町全体がごみ溜めになり悪臭が漂っていた。

左翼暴力団が立てこもった当初、ICEの建物の中にいた職員は一時期外へ出られず監禁状態になっていた。中から地元警察へ助けを求める声も空しく、違法移民聖域都市を名乗るテッド・ウィーラー市長は完全に共産党暴力団の味方。連邦政府職員を助ける気など全くない。数人の連邦警察が職員たちを救出したが、地元警察は完全に待機状態。

最終的には連邦警察が出動し、暴力団員数人が逮捕されて一応この状態は収まったかに見えた。しかし、先月パトリック・キモンズという27歳の黒人男が二人の人間に発砲し、警察官にも襲い掛かって来たため射殺されるという事件があった。それに抗議とばかりに、今月10月初期、黒装束の共産党暴力団が再び現れ交差点を占拠。道行く人々の通行を阻止。無理やり通ろうとすれば車を囲って車体をたたくなどして運転手を威嚇した。自動の車いすに乗った初老の婦人が行き先を遮られ、暴徒らによって車いすを破損されイスから放り出されたりした。しかし、例によって市長はこの状態を完全無視。市民は自分の身を自分で守らなければならないというひどい状況に置かれた。

主流メディアもこの状況を完全に無視。地元記者のアンディーのツイートのみが地元からの報道となった。しかし私の細々としたツイートがあっという間に千回もリツイートされたくらいだから、元のツイートが全国的に(世界的に)拡散されたことは間違いない。そうなって初めて主流メディアはポートランド暴動について取り上げ始めた。

ここで理解しなければならないのは、白人至上主義のKKKやニオナチなどという俗に右翼とされる暴力団体を擁護する保守派政治家やメディアは全く存在しないのとは対照的に、後退派左翼の民主党政治家やメディアはアンティファ共産主義暴力団やブラックライブスマターなどの左翼過激派にものすごく同情的である。だから彼らによる暴挙はほとんど報道せず、たまに報道しても「比較的に行儀のよいおとなしい抗議運動」などと虚偽の報道をする。何人もがこん棒で殴られたりペパースプレーやかけられ、リポーターの顔に尿が浴びせられたりしているにも拘わらずである。

アンティファというグループは自称反ファシストではあるが、これは単に彼らのライバルである国粋主義の社会主義者とは多少違うというだけであり、彼らが社会主義者であることには全く変わりはない。やっていることはナチスのブラウンシャツよろしく徒党を組み暴力で市民を威圧している。

上記の動画のキャプションはあたかも平和的な抗議者の間に車が突っ込んだかのように書かれているが、実際は暴徒に囲まれた運転手が怖がって逃げようとして暴行を受けた図である。

民主党は最近こうした徒党を組んだ暴徒集団を使って保守派政治家たちを威嚇している。英語ではこういう群衆のことを”mob”(モブ)と呼ぶ。民主党の政治家たちが共和党政治家やその支持者たちをレストランやガソリンスタンドなどで見かけたら大声で嫌がらせをしろと促進している。大統領選で大敗したヒラリー・クリントンは共和党に礼節など通用しないと公言しているし、オバマ政権の元司法局長のエリック・ホールダーは共和党を蹴飛ばせなどと平気で言っている。も民主党は文明社会の礼儀など全く守る気がないのである。

そういうことをやっておいて、左翼メディア連中は保守派がこれらの暴力団連中を「モブ」と呼ぶと「彼らはモブじゃない。モブなどといって批判するのはおおげさ」などと言い張る。きちんと許可をとって行儀よく集会を開き、定時になったら掃除して帰った保守派のティーパーティーをモブと呼んでた連中がいまさら何をぬかす。

さて、ポートランド市の警察に話を戻そう。

添付したビデオのなかで、ノースカロライナ州ナンバーの車を運転している男性が通りかかると、暴徒らが車を止めて「白人氏至上主義者だろ、ノースカロライナへ帰れ!」などと罵声を浴びせる姿が写っている。男性が携帯で警察に助けを求めているが警察は来なかった。地元警察はこうした状況にも拘わらず出動しなかったことを認めたうえで、変に阻止すれば状況が悪化するのを恐れたからだと言っている。

別のリポーターが撮ったビデオのなかで、警官たちは待機していたが全くなにもしていない姿が写っている。

下手に警察が出動すると状況が悪化するだあ?道を閉鎖され暴徒に囲まれた運転手がスピードを上げて突っ切ったらどうする?そして事故でも起きて運転手が車から引きずり降ろされて八つ裂きにされても黙ってみているつもりなのか?障碍者の女性が車いすから放り出されたのを黙認したように?

1993年、ロサンゼルス暴動のあった翌年に警察官たちの二度目の裁判が行われ、その結果次第では二度目の暴動がある可能性のあった頃、私がダウンタウンの街中を車で走っていると、突然道中に数人の男たちが飛び出してきて私の車を止めようとした。私はクラクションを鳴らしてスピードアップし男たちの中に突っ込んだ。こんな奴らのいいなりになって車を止めたりしたら、どんな目にあわされるかは前年の暴動で見た通りだ。男たちは慌てて車を避けて逃げた。

暴徒が私の行く手を塞いだら、次回も私は同じことをするだろう。それで逮捕されることがあったとしても、殺されるよりはましだ。そういう考えの人が増えたら警察はどうするんだ?それでも何もせずに暴徒のするがままにさせておくつもりなのか?

状況はすでに悪化しているではないか。このまま何もしなければもっとひどいことになる。必ず死人が出る。それは必ずしも我々市民のほうではないと断言しておく。


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言葉の解らない外国人に優しくするのはどこまでか?

この間中国語と日本語の通訳をしているという徳久圭と言う人のブログを読んでいて、その人が日本経済新聞に載ったこんな記事を紹介していた。

「日本人に代われ」「まともな日本語を話せ」――。小売店や飲食店で働く外国人が増えるなか、客などから嫌がらせを受ける事例が相次いでいる。外国人への偏見は根強く残り、企業や行政は安心して働ける環境づくりに苦慮している。

私は日経に登録していないのでこれ以上のことは読めないのだが、サービス業をしている人間が客と意志の伝達が出来ないのは決定的にダメだと私は思う。徳久さんは自分が中国語の勉強に苦労した体験もあり、今も日本での留学生との交流が多いせいか、日本で働く外国人に対して非常に寛容であり同情的でもある。

留学生が日本で最も「心折れること」の一つは、コンビニなどのアルバイト先でちょっとした日本語の拙さを揶揄されることだそうです。そういう人は一度我が身に置き換えて想像してみてほしい。その国の言語を使ってコンビニで働くことがどんなにすごいことなのか分からない?

「日本人に代われ」「まともな日本語を話せ」などと罵る方は一度外語を真剣に学んでみるとよいのです。母語と外語を行き来することがどんなに難しく、深く、そしてエキサイティングであるかが分かります。学んだその先に異なる言語や文化に対する寛容も敬意も生まれてくるでしょう。ご自身の人生がより豊かになること請け合いです。

確かに外国人が地元の言葉を使って働くということは非常に大変なことだ。だから最初の頃は言葉が出来なくてもあまり困らない職種を選ぶべきなのだ。例えば私はアメリカに来たばかりの時に最初にしたのは日本食のレストランでのウエイトレス。多少言葉が解らなくてもメニューの内容くらいは覚えられると思ったからだが、もっともカクテルの種類が多くて非常に驚いた。英語で聞き取れないのでネイティブの人に発音してもらったメニューを録音して何度も聞き取りの練習をしたりした。

だんだん英語が出来るようになって事務職についたが、電話での応答が全くダメで、相手から「あんたじゃ話にならん、英語の解る人に代わってくれ」なんて言われたことは一度や二度ではない。だから「日本人に代わって」と言われて心が折れるというのはよくわかる。

まあ、それでも南カリフォルニアは移民が多いのでかなり多くの人がいい加減な英語で話しているということもあり、客も慣れているからそれほど文句は言われない。それがいいのかと言えばそうとも言えないのだ。

徳久さんが外国人労働者に同情的なのは理解できるのだが、しかしあえて言わせてもらうならば、外国人が地元の言葉を覚えたいのであれば、色々な人に嘲笑されたり侮辱されたりして自分の間違いをただしていく必要がある。あまりにも回りが寛容でどんな間違いも大目に見てくれると、外国人はそれ以上言葉を覚えなくなるからだ。このくらいで足りるならそれでいいと思ってしまうからなのだ。

ちゃんと日本語で話しているのに相手が外国人だからと差別的な態度を取るお客がいたら、それはそれで問題だが、もし言葉が通じないせいでお客が苛立っているのだたしたら、それはやはり本人の努力が足りないせいだろう。

徳久さんのツイッターにフランス在住の人が、日本は優しいねと言っていた。フランスだったらもっとひどい言葉で罵られるし、第一フランス語出来なかったら雇ってももらえないと言っていた。アメリカはちょっと特別だが他所の国ではもっと厳しいようだ。

ところで、自分のツイッターでも紹介したが、やはり移民の多いアメリカのフロリダ州のとある町ではスペイン語を話す人の数が英語を話す人を大幅に上回り、ファーストフードの店で英語で注文しようとした客がスペイン語しか話せない店員に追い返されるという事件が起きた。客がこの一部始終をビデオにとってSNSでアップしたので、後日この店員は首になったそうだ。

寛容寛容と言っていると、外国人にこうやって町を乗っ取られることになる。いずれ日本語が通じない地域が出来てしまうよ。


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カバノー判事、最高裁判事指名承認される!正義は勝った!

先ずは読売新聞の記事から。

【ワシントン=海谷道隆】米上院は6日の本会議で、トランプ大統領が連邦最高裁判所判事に指名したブレット・カバノー氏(53)の人事を承認した。最高裁は、共和党に考えが近い保守派が過半数を占めることになる。

カバノー氏は6日、宣誓式を経て就任し、最高裁は保守派5人、リベラル派4人の構成となった。移民政策などを巡る訴訟に直面するトランプ政権にとり、最高裁の保守化は重要課題だった。11月6日の中間選挙に向け、大きな成果としてアピールする構えだ。

カバノー氏は7月、引退したアンソニー・ケネディ氏の後任として指名された。保守穏健派のケネディ氏は、人工妊娠中絶や同性婚の容認など、リベラル派寄りの判断が目立った。「保守強硬派」(民主党幹部)と目されるカバノー氏の就任で、最高裁判決は当面、保守派寄りとなる可能性が高い。

最終的には承認が50、否認が48。ほぼ共和/民主で別れたのだが、民主党から一人だけ承認が出た。共和党から一人否認投票を予定していたアラスカ代表のマコウスキー議員は、娘の結婚式で欠席したデイン議員の票に合わせて無投票とすることで結果には影響なしとなった。

カバノー判事、就任おめでとう!めでたし、めでたし!

今回の審議ほど民主党の下衆さを表したものもない。私は元々民主党は嫌いだが、それでもここまでやるとは。

トランプ大統領が指名した最高裁判事はカバノー氏が最初ではない。昨年亡くなったスカリア判事の後を継いでゴーシュイッツ判事が指名されている。その時は民主党は多少の抵抗はしたものの、特にこれと言った話題にもならず静かに承認された。それでは何故今回のカバノー氏に限って、民主党は全く何の証拠もない高校生時代の強姦の濡れ衣を着せるというひどいことまでやってカバノー氏の承認を阻止しようとしたのか。

それは上記の記事にもあるように、カバノー氏は比較的リベラルだったケネディ判事の後を継ぐことによって、最高裁の保守とリベラルのバランスが今までの中庸リベラルから保守へと傾くことになるからである。

民主党の狙いは承認審議を長引かせ、11月の中間選挙で民主党議席を増やして、保守派裁判官の就任をあくまで阻止しようというものだった。最初からニューヨーク代表我らが宿敵チャック・シューマー議員は、保守派判事の承認はどんな手を使っても食い止めなければならないと宣言していた。それにしてもいくら汚い民主党でもここまでやるとは思わなかった。

他人に対して無実の罪を擦り付けることは文明社会を冒涜するものだ。聖書でも他人を陥れる偽証は固く禁じられている。アメリカでは人は有罪が証明されるまで無罪とみなされるのに、今回の魔女狩りは告発されただけで、全くなんの証拠も証人もないまま後退派左翼はカバノーを強姦魔扱いした。

私が腹が立つのは後退派左翼たちの偽善だ。1990年代のビル・クリントン大統領は就任する前から浮気騒動やセクハラ訴訟などがあり、強姦されたという女性までいた(強姦されたとされる当時、この女性は警察に被害届を出している。)しかし民主党支持者たちはクリントンのそういう点を大目に見ただけでなく、訴えた女性たちをさんざんこき下ろした。それが今になって「女を信じろ」だあ?

それをいうなら、民主党議員による女性虐待はクリントンに始まったわけではない。最近映画にもなったチャパキディック事件では、1969年、酒によったケネディ議員が車の運転を誤って湖に突っ込んでしまった時、自分だけ車から這い出して同乗していた女性を置き去りにして、助けも呼ばずに何時間も放置して事故当時は生きていたと思われる女性は後に窒息死した。

ケネディはそのあと90年代にもウエイトレスの女性を襲い訴えられている。これは他の上院議員が同席していたことや、レストランの従業員たちが目撃していたことでもあり、事件が起きたことは間違いない。

それでもケネディは議員の座を追われるでもなく、裁判にかけられるでもなく、死ぬまで上院議員の座を保ったのである。

こんなことを共和党議員がやったら彼の政治生命は完全に終わる。こうした連中を温存してきた民主党が何をいまさら女性の味方面して「女を信じろ」なんぞと言えるのだ?恥しらずにもほどがある。

さて、民主党は11月の中間選挙で議席を増やせると踏んでいるが、本当にそうなるだろうか?歴史的にみて、中間選挙では大統領の反対の党が議席を増やすというのが通例だが、今回の民主党の汚い魔女狩り作戦は良識ある民主党有権者たちに少なからず悪印象を持たせたのではないだろうか?また、共和党有権者たちは、民主党に多数議席を持たせることの危険性を改めて確認したのではないだろうか?

次回の中間選挙、非常に楽しみである。


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同性結婚は文明社会を破壊する その3

もう10年前になるが、アメリカで同性婚の有無が取りざたされていた頃に私は同性婚は文明社会を破壊するというその1その2のエントリーを書いた。しかし実際に同性婚が合法となったアメリカでは、私の想像を絶する勢いで世の中が変わりつつある。

同性結婚は文明社会を破壊する その1

同性結婚は文明社会を破壊する その2

実は前回も紹介した海外クリスチャン情報さんが、そのことについて素晴らしい解説をしてくれているのを見つけ、私がもやもやと感じていたことを文字にしてくれていると非常に感動してしまった。

よく、同性結婚推進派は「ベティとマリーが結婚したからって、あなたの生活がどう変わるというの?社会にどんな弊害があるというの?」という質問をする。同性婚が合法化されたからといってそれが我々個人に何の弊害もないのであれば、認めないのは単なるホモフォビアでしかないと言い理論だ。

私はそのことに関して私自身の生活には特に影響はないかもしれないが、結婚は特権であるから、その特権を取り除いてしまうと結婚そのものの意義が失われ、長い目で見た時に結婚する人が減ったり少子化が進む、といった長期的な話をした。

しかし、クリスチャンさんは同性婚を認めるということはそんな甘いものではないと断言する。これまで我々が異性愛を基盤として考えて来た種々のことが、この新法律によって根底から覆される、今まで常識と思ってきたことがすべて非常識となってしまうのだと警告する。

同性婚の法制化は、価値観の転倒という、それこそ天と地がひっくり返るほどの「おおごと」、大事件なのです。

我々は同性愛当事者も含めて、同性愛とは異常なものであるという常識をずっと持っていた。種々の宗教では同性愛は邪悪とみなされ、多くの国々で同性愛行為そのものが違法とされてきた。今もイスラム教圏では違法だ。日本には同性愛を悪とみる伝統はないが、それでも同性愛行為とは、ごく僅かな異常な人々がする行為と見て来た。だからこそテレビでオネエタレントが人気があるのであり、おカマバーやお鍋バーが流行り、BL漫画が婦女子の心をくすぐったりしてきたのである。

だが、同性婚を認めるということは、同性愛行為そのものが「普通」だと認めることになる。今までクイアー(変態)な行為と思っていたことを普通の日常的な現実として認めなければならないということだ。それは具体的にどういうことなのか、これは一風変わった人々が好きなように生きる権利を認めるなどという生易しいものではない。

学校における同性愛正常化教育

2003年に米国全土でいち早く同性婚を認めたマサチューセッツ州の話だ。

米国におけるゲイ活動への警鐘を鳴らす活動家であり、弁護士と神学者の二つの肩書きを持つScott Lively氏が著した “Redeeming the Rainbow” という書籍があります。(オンラインで無料。)同書には、マサチューセッツ州在住の Brian Camenker氏の体験談が収載されており、「同性婚が州裁判所により認定されてから、公立学校で一体どのようなことが起こったか」たかが生々しくまとめられています

同州では、州最高裁が州民の意志を無視して同性婚を合法と認めたとたん、教育委員会は積極的に同性愛正常化教育を義務教育においてするようになった。最初は高校に同性愛専門家なる人々が訪れ、生徒たちに同性愛を受け入れさせる講義を行った。それはさらに中学小学校にまで及んだ。その内容は単に同性愛者を差別してはいけないとか理解を示そうなどという生半跏なものではなく、ゲイやレズのセックスのやり方など詳細にわたって指導するというものだった。そしてこの「教育」の範囲はゲイやレズだけでなく、バイやトランスに関するものにまで広がっている。

また、伝統的なお姫様童話は異性愛だけを対象にした差別的なものとされ、「王様と王様」などといった男同士のおとぎ話なども子供たちに読んで聞かせるようになった。ディズニー映画でも同性愛キャラクターが出演するなど、これからもこうした傾向は強くなっていくだろうとクリスチャンさんはいう。

私自身も去年ニューヨークの図書館でけばけばに化粧をしたドラッグクィーン(女装男)が幼稚園児対象に同性愛童話を読むという、ドラッグクィーンストーリーアワーなる行事について読んだことがある。宗教的な理由で子供たちにそんなことを教えてほしくないという親たちの意見など完全無視である。

同性愛両親に育てられた二世代目の問題

ただでさえ離婚の多いアメリカで、同性婚カップルが養子を迎えたり、精子授与や代理受胎などで実子を設けたりした場合、次の世代の子供たちが大きく同性愛両親の影響を受けることは必定だ。私は同性愛結婚の合法化が進んだ頃、レズビアンカップルに育てられた成人した人々の話を幾つか紹介したことがあるが、彼・彼女たちの人生は非常に苦労の多いものだったと彼らは語っていた。同性婚カップルに育てられたこどもたちの悲痛なさけび)

同性愛カップルは普通の夫婦よりも決別が多く、長い間一緒に居るカップルは非常に少ない。以前に読んだ調査では両親の片方が同性愛者だった場合、子供たちの教育レベルが低かったり、精神病を病んでいたり、麻薬中毒にかかる割合が多かったりするというものがあった。

また、親が同性愛者である場合、子供にも同性愛を強制する親たちは多いだろう。最近話題になっている12歳の少年ドラッグクィーンE!などがいい例だ。

“E!”は、人々がジェンダーを見る目を変えられるよう活発に唱導しており、ジェンダーとは束縛的であって立ち向かうべき概念であると信じる。[大会が開かれる]オースティンへの旅費を工面するため、少年の家族は彼の写真をプリントしたシャツを製作。そこには「ジェンダーを忘れよう、と世界に告げよう!」と書かれている。少年は言う。「ジェンダーを忘れるってことは、男の子も女の子も自分の思うとおりに自分を表現するべきってことなんだ、皆から「君は女の子だからこうしなさい」とか「君は男の子だからここに来なさい」、とか言われないでね。」

LGBT活動家にとって同性婚の合法化は最終目的ではなく単なる布石だ。同性婚が合法化されれば次は子供たちへの洗脳、トランスジェンダーの女性空間への侵略など、どんどん社会は変態性に向かって激化していくのだ。

忘れてはならないのが、「同性婚推進活動」の原動力が、「反差別活動」であったということです。そうすると、同性婚法制化が成功した暁に、これらの活動が沈静化するかといえば、むしろ逆で、かえってますます激しくなるのです。具体的にいうと、同性婚をしたがっていたゲイ・レズビアンカップルだけでなく、全ての性的少数者への差別を撤廃しようと動いてきたのですから、その性的少数者には当然「トランスジェンダー」「トランスセクシャル」「ジェンダークエスチョニング」といったものも含まれるわけです。

同性婚の合法化は結婚の形が多様になるなどということだけでは収まらない。同性婚は社会を基盤を根本から覆し常識や道徳を完全破壊することにつながる。まさに

同性婚は文明社会を破壊するのである。


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