先日イギリスのダンサー・振付師のローズィー・ケイさんのインタビューを聴いた。彼女は若い頃からバレエを習い、プロダンサーとして長年海外やイギリス国内で活躍していたが、2004年に自分のダンスカンパニー、ローズィー・ケイ―・ダンスカンパニーを創設した。最初は彼女自身、そのうちに一人二人をメンバーが増え、だんだんと大きな組織になっていった。
そんな折、ローズィーは資金集めをするためにカンパニーを慈善事業にするべきだというアドバイスを受けた。しかしそうするためにはイギリスの法律で創設者がそのまま取締役をやることはできなかったため、彼女は自らその座を退き、信用できる人員を役員に選んだ。それで書面上ローズィーは自分の会社の社員の立場になった。しかしこれは彼女の会社であり、会社の資金繰りや運営には彼女は深くかかわっていたし、創作的決断はすべて彼女が行っていた。
ローズィーは2年ほど前、ロミオとジュリエットを現代のイギリスの下町を舞台にした作品の制作途中だった。コロナ禍で舞台はどこも苦しい状況にあったため、彼女は仕事にあぶれていたあまり経験のない若いダンサーたちにも機会を与えようと何人か採用した。ところがこの新人ダンサーたちのムードが彼女がこれまで出会ったダンサーたちと違っていた。
彼女はリーダーとして新人たちがうちとけてくれる方法を考えていたが、なにせコロナ禍真っ最中だったため、みんなが一緒に食事をすることも出来ず、彼女は彼女で父親が病気で末期状態ということもあり、なかなかうまくいかなかった。
しかしそれだけでなく、ローズィーにはこの新しい世代の若者たちの態度がどうもしっくりこなかった。それというのも、彼女がダンサーたちを指導しているとき、何か注意をするとダンサーたちは嫌な顔をした。ローズィーはこの道25年のベテラン。振付師に注意されて嫌な顔をするなんて考えられない。第一コロナ禍でダンサーは仕事に飢えていたはず。そんな時経験もない新人が一流プロダクションで踊れるなど感謝すべき立場のはずなのに、彼らは振付師でありディレクターでもあるローズィーに対して全く尊敬の念をみせなかった。
そんな時事件が起きた。ローズィーはある日、若者たちを自宅に招待してパーティを開いた。夜もだいぶ更けて来てみなそろそろ出来上がってきたころ、誰かが次の題目は何を考えているのかと質問した。
ローズィーは次の題目としてバージニア・ウルフ著の「オーランド」の舞台化を考えていると話した。オーランドは不思議な話で、オーランドは何世紀も生きる不老不死の人物。私は映画を見たが確か彼はエリザベス朝の貴族として生まれた男性。ところがある日突然何故か途中で女性になってしまう。話のなかで何故そうなったのかという説明がない。しかし女性となったオーランドはそのまま何百年も生き続け最後は20世紀で終わる。
ローズィーはそろそろオーディションの広告を出そうと思っていると話した。ところがこの募集広告における言葉使いを巡って、まだカンパニーに入ったばかりの新人からクレームがついた。オーランド役はトランスジェンダーであるべきだという話しになったのである。
しかし彼女は女性と男性は違うこと、女性の身体を無視して誰もが女性になれるという考えは危険だという話を始めた。オーランドの面白いところは、男性貴族として生まれたオーランドは何の苦労もなく生きていたが、女性になった途端に自分の父親の財産を相続できないなどの差別にあう。これは社会が男と女をどれほど区別して扱っているかという話でもある。それにウルフの時代にはトランスジェンダーなどという概念すらなかった。だから女になりたい男の話などという設定にしたら話はまるで意味をなさないのだ。
話がすすむにつれて、若い子たちがどんどん喧嘩腰になっていくのが感じられた。どれだけローズィーが説明しようとしても、もう新人たちは彼女を完全に敵視していることがわかった。ローズィーは次の公演に彼等を必要としていたので、なんとかその場を収めようとしたがうまくいかなかった。
翌日彼女は取り締まり役員たちから自分が捜査対象になっていることを告げられた。捜査の結果、ローズィーの無実は認められ、ローズィー自身もダンサーたちに謝罪し、すべては収まったかに見えた。
ところがその後、その結果を不服とした自称ノンバイナリーのダンサーが抗議。外部の捜査員や弁護士がローズィーが設立しローズィーによって利益を得た会社のお金を使って雇われ、ローズィーの二度目の捜査が始まった。そして信じられないような酷い罪を着せられた。
自称ノンバイナリーのダンサーたちはローズィーが頻繁に元の性の代名詞を使うことを不満とし、ローズィーが険悪な職場を作っていると訴えた。しかしローズィーからすれば、振り付けをしている忙しく集中している間に、個々の好む代名詞など思い出せないし、「ハイ、男子はこちらから、女子はこっち」などと言ってる時にいちいちノンバイナリーだなんだのと考えている余裕はなかったと言っている。
このまま会社に残って何も言えない状況で仕事をすることは出来ないと決心したローズィーは自らが設立した会社を辞めて、心機一転、新しい会社を設立。再びダンスカンパニーを一からやり直すことにした。
彼女の新しいカンパニーでは女性が女性であるがゆえの経験を正面に押し出した作品を作り上げていくつもりだという。
これはインタビューアーの一人が言っていたのだが、自分が20歳の新人で、仕事にあぶれている時に未経験の自分を雇ってくれた20年も先輩のしかも有名な振付師が、親切にも自分たちを自宅に招待してくれて、お酒までふるまってくれているのに、その彼女の政治的な意見がどれほど気に入らないにしろ、それを責めるようなこと本人に向かって言うなんて想像もできないと言っていた。
全くその通りだ。自分がどれほど強い気もちを持っていたにしろ、自分はただの新人。ダンサーとしての能力もまだまだ未熟。その時分が有名な振付師の元で修行をさせてもらい、しかも大舞台に立たせてもらえるという時に、恩を仇で返すようなことが出来るその神経は理解に苦しむ。
こういう若者たちは学校で自分らのいう我儘が常に許されてきたのかもしれない。特に左翼思想は何を言っても受け入れられてきたため、その思想に誰かが反論するなど考えてもみなかったのかもしれない。もしこれが正気の世の中であったら、職を追われるのは振付師の方ではなく新人ダンサーの方だったはず。
しかしこれらの若者にとって、トランスジェンダリズムという考えは絶対的な善なのである。これは共産主義政権下で共産主義に批判的な上司を告発するのと全く同じだ。絶対的力のあるトランスジェンダリズムに少しでも歯向かう人間は誰であろうと許されない。即座に沈黙させる必要があるのだ。
最近プロジェクトベリタスの創設者ジェイムス・オキーフが重役会議で委員たちの裏切りにあい、自らが創設してここまでにした会社を追い出されるという事件が起きたばかりだが、ローズィー・ケイにしてもジェイムス・オキーフしても、これらの会社のブランドは創設者その人だ。彼女たちを追い出してもその会社は成り立たない。
ローズィー・ケイの居ないローズィー・ケイカンパニーなんてありえないだろう。慈善事業の資金減は寄付金だ。寄付をするひとたちはローズィーに会社だから寄付をしてきたのであり、彼女が居なくなった会社に何故寄付をする必要があるだろう?
いったいローズィーを追い出した若いダンサーたちは今後どうするつもりなのだろうか?
ローズィーには才能がある。だから彼女は再び新しい会社を始めることが出来る。だが経験もなく口うるさいだけの無能なダンサーたちに将来はあるのだろうか?
もしローズィーがこのままキャンセルされずに新しいダンスカンパニーを成功させることが出来たなら、イギリスにもまだまだ希望は持てるかもしれない。