日本人になりたい! あるビルマ人の悲痛な叫び

オーストラリア在住のフィリピン人ブロガー、レチャードがビルマの友人から手紙をもらったといって紹介している。先日、日本人記者がビルマの紛争に巻き込まれて射殺されたことに関して書かれた手紙だ。

今夜床につく前に私は仏に祈る。朝日本人として目が覚めますようにと。私はこれまでずっとビルマ人だった、そして国連の「人権の普遍宣言」(The Universal Declaration of Human Rights)を読んで以来すべての人間の命の価値は等しいと信じてきた。しかし私はここ数日間で現実の厳しさに目覚めた。

日本人ジャーナリストがラングーンで殺されてからの日本政府の反応をみていて、私はひとりの日本人の命が何千というビルマ人の命より尊いことを知ったのだ。日本政府はビルマ人がフンタの手によってどれほどひどい目にあわされてきたかずっと前から知っていた。裁判なしの処刑、強制労働、強制移住、子供の強制徴兵やもっとひどい悪行について知っていた。だが、日本政府はそんなことには無関心で軍事ユンタと交渉し援助してきた。
突然日本の副外相は日本貴社の死因を調査するためビルマを訪れるという。誤解しないでいただきたい、私を含めすべてのビルマ人は永井さんがビルマ人が毎日のように体験している地獄のような生活を世界中に知らしめようと努力してくれたことには感謝しているのだ。彼の家族にはお慰めを申し上げたい。悲しいのは無実の日本人の命が失われたのは、日本政府が何十年にも渡って現状を無視しつづけてきたからなのだ。
私はまたすべてのビルマ人が日本人として目をさますことを祈ろう。仏はよ、どうか御慈悲を。私たちを日本人として目覚めさせてくれたまえ。
ザウ・タン(Zaw Tun)

これに対してレチャードは、ビルマの自由を勝ち取るためには、国連の人権宣言などを頼りにしていても何の足しにもならないと語る。日本政府が日本市民を守るのはあたりまえだ。しかし日本政府がそのようにふるまうのも、日本人が他国をたよりにせずに自分達の手で自分達の市民を守ろうと政府を設立したからである。国連の連中はビルマ人を気の毒に思ったとしても、ビルマ人を救うために指一本貸してはくれないだろう。ビルマ人がたよりにできるのはビルマ人だけだ。
ビルマの問題はビルマにビルマ市民を守れるような本来の意味での政府がないことにある。ビルマ人自身が本当の政府を望まない限りは、たとえ日本政府が望んだとしても、日本政府にビルマを救うことはできない。
「ビルマはひとりだ」とレチャードは言う。

君たちはひとりぼっちだ。だが君たちには君たち自身がある。君らの政府がどれほど似非ものになろうとビルマ人は男だ。助けはくるかもしれない。だがそれをあてにするのは懸命ではない。君らには君らの男気に頼るしかない。君らの方にこそ自由へのわずかなチャンスが担っている。そこから法が生まれるのだ。国際法などというブルッセルでお菓子やコーヒーを飲みながら作られるのではなく、君らの間から生まれるのだ。統治される民の合意によって。

君らは寂しいだろう。だが助けはこない。自由への道が長く厳しく苦痛に満ちたものではないといえば嘘になる。『死と悲しみが君らの道ずれだ。苦労が君らの着物だ。辛抱と勇気のみが君らの盾だ。』この道こそが君らの歩むべきみちなのだ。なぜなら人として他に道はないからだ。
私には君らに捧げるどんな力もない。ただ言えることは主イエス・キリストと仏のお導きがありますように。そして君らを故郷へお導きなさいますように。

アーメン。


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不公平なバンクーバー市内禁煙法、イスラム教徒には特別許可!

欧米にはポリティカリーコレクト(PC)という概念がある。日本語にすると「政治的に正しい」という意味だ。元来は男女差別や、人種、国籍、宗教などによる差別をしないという目的で生まれた概念なのだが、この概念が実社会で実用される時には何故か必ずといっていいほど左翼政治への迎合という形で現れてしまう。だから右翼の間ではPCは忌み嫌われている。
例えば、女性差別はしないという概念は立派だが、英語では普通の単語になっているメールマンを男性という意味の「マン」でなく配達員という意味の「キャリアー」にせよとか、議長という意味の「チェアマン」を中性の「パーソン」におきかえろとか、スチュワーデスは女性だけを示す言葉なので、フライトアテンダント(機上添乗員)とかいう名前に変えろとか、すべてPCの現れだ。「マン」には男子という意味以外に広い意味で「人間」という意味もあるということや、男性なら単にスチュワードと呼べばいいではないかなどという理屈はPC警察には通用しない。
しかし、言葉使いなんて程度のことならなにも眉をひそめる必要はないと読者諸君はお考えかもしれない。しかしジョージ・オーウェルの「1984」にあったように、左翼の狙いは言葉を変えることによって概念まで変えていくことなのだということを十分に心にとめておく必要ある。おっと、話がちょっと本題からそれてしまった。
さて、PCには少数民族や異教徒を差別しないという概念があるが、差別をしないということと特別扱いをするということは完全に正反対の意味を持つにもかかわらず、一部の宗教団体が自分らの要求が通らないと「宗教差別だ」「人権問題だ」といって騒ぎ立て、常に特別扱いをうけていることはここでは私も何度も紹介した通りである。
私のいう理不尽な「一部の宗教団体」とは言わずと知れたイスラム教徒のことだ。イスラム教徒は自分達が特別な人種だと信じて疑わない。それで異教徒のことをインファデル(信じないもの)といって侮蔑する。彼等は欧米のPCな概念を悪用して、自分らがアラーの神が決めたように下々(しもじも)のものたちとは違った扱いを受けないと大騒ぎをする傾向がある。それでも欧米諸国が「少数民族がうるさいことをつべこべいうな、おれたちのやり方が気にいらねえんなら国へかえれ!」と言って無視してしまえばそれでことはおさまるのに、(当のイスラム諸国では異教徒に同等の権利など与えているところは全くない。)「差別だ」「人権問題だ」といわれるとすぐにへいこらして迎合するから始末が悪い。
アメリカでもミネアポリス空港でイスラム教のタクシー運転手が理不尽な要求をした話や、ミネソタの大学でイスラム教徒用の足洗い場を特別設置することになったなどという話もここで何度かしているが、今度はバンクーバー市で実施されることになった市内一斉禁法について、イスラム教徒だけは例外扱いされるという話をバンクーバーサンが報道している。
中近東ではフーカと呼ばれる水煙草が人気がある。カカシのうちの近所でも中近東の人が多いので、ダウンタウンの歩道カフェなどでは数人の男性が集まってひとつのフーカをまわし吸いしているのをよく見かける。街全体を禁煙にしようというバンクーバー市内では、フーカパーラと呼ばれるフーカを専門にしている喫茶店だけは例外にするというのである。

バンクーバーのフーカパーラーの経営者たちは木曜日、新しく提案されている歩道や商業地域、バス乗り場、バンクーバーを通過するタクシーの社内まで規制する禁煙法にフーカパーアラーが規制対象から外されることを知って喜んでいる。

バンクーバーの市会議員たちは、フーカラウンジは市内のイスラム教徒らの大事な安らぎを与える場所であるとし、一時的に例外とすることを全員一致で決定した。

カリフォルニアはアメリカ国内でもいち早くバーやレストランなどを全面的に禁煙にした州だ。しかし煙草を吸う外国出身の移民が多いうちの近所では、それでは商売があがったり。それで煙草をすう客のために、レストランのほとんどが歩道にテーブルを出して、パティオと呼ばれるパリのように歩道カフェが盛んになっている。ビジネスのビルでは従業員が外の歩道などで煙草を吸っている姿をよくみかける。カナダのバンクーバー市ではこうした外での禁煙も禁止しようというわけだ。
私は禁煙法そのものに全く賛成できないが、それでもその法律が市民全体に平等に適応されるというのならまだしも、イスラム教徒のフーカの習慣だけは例外というのはどういうことだ?この記事のなかには、イスラム教の移民にとってフーカパーラーでの喫煙は日頃の苦労から安らぎを見いだす習慣だと語っている人の話が出ているが、それなら中国系の移民が「マージャンやりながら煙草をスパスパ吸うのは中国人移民にとって憩いの時間だ、マージャン屋でのたばこ喫煙を例外にしろ」と要求してきたらバンクーバーの市会議員たちは耳を貸すだろうか?もしヒッピー連中が「マリファナはヒッピー文化の大事な習慣だ、マリファナ喫煙を合法にしろ」といったらどうするのだ?もし中国系移民やヒッピーの意見が聞き入れられないなら、どうしてイスラム教だけが特別なのか市議会は市民にきちんと説明すべきである。
ちなみに、この法律では葉巻き専門のシガーストアの喫煙所は規制外になっている。その理由は葉巻きは煙草ではないからとなっているが、ノンスモーカーにとっては煙草の煙も葉巻きの煙も迷惑なことに変わりはない。しかし、葉巻きが例外な本当の理由は左翼の政治家のなかに葉巻き愛煙家が多いということだろう。
要するにだ、葉巻きは自分達が好きなものだから合法、フーカはイスラム教徒がうるさいから合法、などというふうに自分達の都合で法律があてはまる人間を区別しているのだ。このようなことがまかり通るのであれば、この社会は本当の意味での自由社会とはいえない。なぜなら自由社会の根本は法律が誰にでも平等に適応されることにあるからだ。法は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずである。法律が権力者の気分次第でどうにでもなるというなら、一般市民はその法律のみならず、すべての法律を尊敬しなくなる。そうなると、人々は盗みは悪いことだからやらない、というような道徳観念で自分の行動を決めるのではなく、捕まらなければ法律は破ってもいいという考え方にかわる。そうなれば既存の警察官の数など社会を取り締まるためにはとうてい追い付かない。
権力者による法律の悪用は社会の秩序を乱すことにつながるのだ。


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朝からビールの長崎空港

移動が多いということは、必然的に空港で過ごす時間が多くなるわけだが、空港といってもそれなりに色々と個性がある。私の出張はほとんどがアメリカ国内なので、それほどの差はない。ただ、国内でも東海岸に行く時は直便ではなくハブシティといわれる空港で乗り換えることが多い。ハブとは車輪のこしきのことで、車輪のように地方からの便が集まることからそう呼ばれている。
乗り継ぎ時間が一時間程度の時は飛行機が遅れたりするとかなり焦るが、かといって二時間以上になるとちょっと時間つぶしに困ってしまう。私は航空会社のラウンジを使えるほどのエリートではないので、待つ場所はもっぱら空港のバー。アメリカの空港ではゲート内でもあちこちにバーがあり、そこでハードリカーとかスピリットとか呼ばれるお酒が売られている。これらはビールやワインとは違って強いお酒で、水割りからカクテルまですべてこの部類にはいる。バーではたいていテレビがあって、フットボール、バスケット、野球などを観ながら見知らぬ旅人同士が長年の友達でもあるかのようにゲームの話で夢中になる。
今日も私の空の旅は待ち時間を入れると朝6時50分から翌朝の7時までの約24時間。名古屋での待ち時間がなんと6時間もあった。
日本に居て気が付いたことは、どこにいてもビールやお酒が飲めるということだ。道ばたの自動販売機やホテルのロビー、バスターミナルの待合室、空港のどこでも缶ビールやカップ酒が買える。値段もアメリカに比べるとずっと格安だし、人々が時間かまわずビールを飲むのはイギリスと非常に似ている。
今朝7時に長崎の空港で朝ご飯がまだだったので、角煮まんじゅうセットなるものを買って食べた。これは豚の角煮の片が中華饅にはさまってハンバーガーのようになっているもの。これをうっていたのは牛乳やパンを売ってるスタンドのようなお店だったのだが、まんじゅうのセットでついてくる飲み物は、なんとビール!朝からビールは飲めないなあと思っていたら、コーヒーなら百円安いといわれ、コーヒーに替えたのだが、朝食からビールがついてくるってのがなんとも日本的。
ところが長崎の空港でみつからないのがスピリッツの飲めるバー。うどん屋でもハンバーガーショップでも、お弁当やでもビールやお酒は置いてるが、カクテルは売ってない。(缶入り酎ハイはいくらでもあったが、これはスピリッツとはいえない。)ま、別に朝っぱらからハードリカーを飲む気はなかったし、長崎の空港は小さいしローカルだからそんなもんだろうと名古屋に期待することにした。
ところが、名古屋でも状況はほぼ同じ。アメリカの空港なら二百メートル間隔であるバーが、名古屋のような国際空港でもひとつも見つからないのだ。うどんやラーメン、トンカツやファミリーレストランなどたくさんあるのに、座ってお酒だけ飲める場所というのが全くない。見た感じはいかにもバーに見えるカウンターのあるところでも、おいてあるお酒はビールとワイン類だけ。(日本酒、焼酎もこの部類)これでは6時間の待ち時間がつぶせないなあ。
それにどうして名古屋空港って、ああも居心地の好い椅子がすくないのだろう? 座って待てる椅子はゲート内にはあったが、ゲート内にある食堂はバス停の待合室にあるようなうどんやさんだけ。
帰りもまた名古屋で長い待ち時間があるのだが、飛行機にお酒が持ち込めないのが非常に残念だ。


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イラク世論調査:大多数が増派はうまくいってないと返答

私がよく行く掲示板でイラクからの悪いニュースを専門に書いてるひとが、またまたこんな記事を紹介してくれた。これはイラクの世論調査でイラク人の大半が米軍の増派作戦は失敗していると感じているという内容である。
約70%のイラク人が増派が始まって以来治安は悪化したと答えた、として始まるこの記事は最近イラク人2000人を対象に、イギリスのBBC, アメリカのABCNews, そして日本のNHKが共同でスポンサーとなって行ったものだが、さらにこの調査では60%のイラク人がアメリカ軍への攻撃は正当だと答えたとしている。これはスンニ派では93%、シーア派でも50%がそう答えたと言う。
それでこの記事を紹介した人は、もしアメリカ軍や従軍記者が言うように、スンニ派の部族がアルカエダに嫌気がさして米軍と協力して戦っているなどということが真実だとしたら、このような世論調査の答えはおかしいではないかと問いかける。無論彼は反イラク戦争派なので、従軍記者たちは米軍からの検閲にあって、自由に記事が書けないと結論付けているのだが。
しかし反米君の疑問にも一理ある。もし90%ものイラクスンニ派が米軍への攻撃を正当だと感じているなら、何故米軍に協力などするのか?反対に、もし米軍や従軍記者が言うように多くのスンニ派部族が積極的に米軍に協力しているというのが本当なら、どうして90%ものスンニ派が米軍への攻撃を正当だなどと答えたりするのだろうか?
一口に世論調査などといっても中東で行われる調査は日本やアメリカのような先進国で行われる調査のようなものだと考えるのは大きな間違いである。独裁政権の下で長年生き延びてきた市民は政府や体制に対する不信感が強い。誰かに意見を聞かれても、その質問に答えることで自分の生活がどのように影響を受けるのかを先ず考えねばならない。このような社会では世論調査の質問に正直に答えなければならないという感覚はまったくない。
冷戦時代にソ連で一般市民にマイクを向けてアメリカの取材班が取材をおこなっていたところ、取材の記者とたあいない世間話に応じただけの商人が記者が立ち去った後にKGBらしき男から詰問されていた映像をみたことがある。
また、先日CNNヨーロッパの放送を見ていてアフガニスタンで取材をした女性がこんなことを言っていた。彼女はタリバン時代から何度もアフガニスタンに足を運びアフガニスタンの女性の生活についてリポートを続けているが、最近の訪問で一般市民にインタビューをしようとしたら、ある女性から「あんたの質問に答えて私に何の得になるというの?」と聞かれて言葉を失ったと言う。
他にも市民が質問者が自分らの生活を悪化させるなり向上させるなりの力のある人だと感じれば、質問者が聞きたいことを答えるということも大いにありうる。一度私は中華の惣菜店で「この料理には卵は使われているか?」と聞いたことがある。これは私が卵を避けていたからなのだが、最初中国人の店員は「卵、欲しい?入ってるいるよ」と調子よく答えた。ところが「それなら私はいらない」言うと「おー、入ってないあるよ。大丈夫。」と答えを変えたのである。この店員にしてみれば、料理に卵が入っているかどうかという事実よりもどう言えば客が品物を買ってくれるかという考えが先行していたのだ。
欧米のメディアがイラクで世論調査をするといっても、彼らが直接イラクへ行って人々に質問をするわけではない。アラブ語の話せるエージェンシーに調査を依頼するのだ。もしもこのエージェンシーが雇った質問者がスンニ派でテロリストと強いつながりがあると地元市民が知っているか、疑っているかした場合には、市民は何と答えるだろうか?シーア派にしたところで、地元の反米権力者と関係があるらしい人が質問をしたら、親米な答えなど正直に言うだろうか?
これについて、ミスター苺はこんなことをいっている。

イラクでの世論調査はあてにならない。イラク人や他のアラブ人たちが世論調査をどう理解しているのか我々にはわからないからだ。彼らは増派が失敗したと言えば地域にもっと多くの軍隊を送ってもらえると考えたかもしれない。もし増派は成功したと答えたらアメリカ軍はすぐに撤退してしまうのではないかと恐れたのかもしれない。

また我々には実際の質問がどういうものだったのか知らされていない。COINのような新作戦がうまくいっているかどうかは、客観的に確認できる事実で判断されるべきであり、人々の意見で一喜一憂すべきではない。

我々は自由社会に住み好き勝手なことを好きなときに言えるので、つい他の社会の人々も同じだと思い勝ちである。だが、実際は中東社会は他の社会とはまったく違うのである。それを我々の物差しで計ろうとするのは非常に危険である。


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カカシのホテル談話

今回日本を出張中というお話は以前にもちらっとしたが、なにせ移動が多いのでひとつところに落ち着けない。とはいうものの、これまでに泊まったホテルはそれぞれ非常に良い点が多いので、ビジネスホテルに泊まる機会のある読者のためにちょっと感想を書いておきたい。
日本への出張が決まった際、うちの会社に所属している旅行代理店の連中は、会社の予算内で泊まれるホテルが見つからないと行ってきた。「じゃあどうしろっての」と聞くと、自分で探してくださいと来たもんだ。探せといわれても出先の会社の地理もよくわからない外国人によくもそんないい加減なことがいえたものだ。支店から1キロ範囲のところなのか10キロも20キロもはなれたところなのか、ホテルの住所を見ただけでは見当もつかない。ロサンゼルスのような大都市の場合、端から端までの距離は何十キロ。車で一時間以上なんてところはざら。それを右ハンドルの左運転なんていう不思議な国で、レンタルカーもなくしてどうやって動きをとれというのだ!
と、まあ、私が普通のアメリカ人なら怒るところだが、そこはそれ。私には日本語の検索機能という強い味方があったのだった!この前もちょっと話たが、日本語で検索できるホテルは結構いろいろあり、お値段も手ごろである。
私が最初に泊まった羽田空港付近のホテルJALCITYは空港まで無料で送迎用のシャトルバスが出ていて非常に便利。お値段も一泊一万三千円程度でビジネスホテルとしてはまあまあだと思う。各部屋にLANケーブル付き。外国機種用にアダプターまで用意してあってネット料金は無料。ツインの部屋を一人で借りたのだが、ゆったりしていて非常に良かった。お風呂は深く座ったままゆっくりつかれる。いいなあ日本の湯船は。
三日間泊まった佐世保ワシントンホテルは佐世保バスセンターから徒歩一分。朝夕食事つきで一泊一万一千円二百円程度。ここはシングルで、部屋は狭かったがひとりならゆったり。ワイヤーレスのネットコネクションあり。ネット料金無料。アダプターは置いてなかった。日本では日本の電圧から外国へ変換するアダプターは売っているがその反対を探すのは大変なので、海外からの旅行客は本国から持参することをお勧めする。このホテルは朝食がバイキングスタイル(英語でいうところのブフェ、フランス語だとビュッフェかな?)は品数が多くとてもおいしい。日本食といわゆる英国風の料理があるが、なんといっても日本食をお勧めする。英国風のスクランブルエッグやソーセージはちょっとね、、、
夕飯もよかったのだが、最後の晩にハンバーグステーキにスパゲティが出たのには参った。最初の二晩の和食が旬の魚をつかった美味だっただけに、最後の晩の洋食にはちょっと失望した。このホテル洋食はやらないほうがいい。ホテルの食事が口にあわなければすぐ歩いていける場所にレストランがごちゃまんと並んでいるし、佐世保駅ビルにはマーケットもついていていくらでもお惣菜を買うことができる。
さて、今夜のホテルは長崎空港近くの長崎インターナショナルホテル。空港からは車で10分程度。朝が早いので朝食抜きで9900円。ツインをひとりで泊まっているが部屋が馬鹿でかい。ベッドのほかに机とコーヒーテーブルが置いてあり、リビングルームのような場所がとってある。二部屋にはなってはいないが、ほとんどスイートといっていもいいくらいの広さがある。ホテル内には和食と洋食のレストランがついているがどちらもお値段はかなりはる。まわりはあまり何もないところで、車がないと非常に不便。通常のネットアクセスは無料だが、パソコンを忘れた人のために一日千円で貸してくれる。やたらにネットカフェなど探さずにすむから非常に便利。
というわけで今回の出張、ホテルには恵まれているカカシである。もうひとつホテル予約がはいっているが、そこに泊まったことのアル同僚の話では結構よさそうなので期待している。
さて明日も早いのでもう寝なければ、、


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「中東有事はそっくりそのまま朝鮮半島有事じゃねぇかよ」

短いが気になったのでちょっと書き留めておく。
タイトルは陳さんのエントリーから拝借。これは陳さんが、シリアからイスラエルが北朝鮮が提供した核兵器の材料を押収していたという記事に対して書かれた反応だが、まさに的を射ていると思う。
でも解せないのは、アメリカが北朝鮮をテロ国家指定から削除するつもりらしいということだ。北朝鮮にはクリントン時代に一度騙されているし、第一シリアへの核兵器援助に関してはアメリカも知っていたという話でもある。とすればどうしてこの次期に北朝鮮を悪の枢軸からはずす必要があるのだろうか?


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イラン大統領に手玉に取られた米コロンビア大学

訪米中のイラン大統領アクマディネジャドが本日ニューヨーク市のコロンビア大学で講演を行った。テロ国家のリーダーを招くとはけしからんと講演する声があちこちで上がっていたが、ここで止めては面子が立たないと思ったのか、コロンビア大学はアクマディネジャド大統領に厳しい質問をするという口実で講演を決行した。
コロンビア大学のリー・ボーリンジャー(Lee Bollinger)学長はアクマディネジャドを紹介する際に、イランの人権迫害問題や大統領のホロコースト否定論などについて言及した。アメリカの左翼連中は、それに対してイラン大統領がその質問に答えず話題を変えたことなどを指摘して、ボーリンジャー学長の態度は立派だの世界の人々がイラン大統領には理がないことを納得しただろうなどと馬鹿げたことを書いている。サンフランシスコクロニクルなどがそのいい例だ。

コロンビア大学のリー・ボーリンジャー学長は勇敢にも本日コロンビア大学で行われたイラン大統領のマフムッド・アフマディネジャド氏の講演をキャンセルせよという圧力に負けなかった。しかも学長はもっと良い行動をとった。アフマディネジャドを目の前にして、氏が代表すると言われるイランの独裁政権について言及。ホロコースト否定論やイスラエル国家の存在権利、レバノン政府への介入やテロ援助などについて、アフマディネジャドが怒らせ答えを強いる挑戦をして会場を沸かせた

クロニクルの目は節穴か? いったい誰を相手にしていると思っているのだ。これはリベラル大学の講義ではないのだ。相手は弁論大会の競争相手ではない!したたかなイラン大統領がこれしきのことで怯むと思っているならボーリンジャーもクロニクルも左翼連中も救いようがないほどおめでたいよ、まったく。
アルジェジーラのみならず、米国メディア以外のメディアはすべて、イラン大統領がアメリカのエリート大学で講演をしたということ自体、先ず大したものだと評価するはずだ。そしてボーリンジャー学長の不公平で差別的な質問に対して、いかにアフマディネジャドが立派に答えたかとか、会場の外で騒いでいる反イラン政権の人たちの抗議についても、大統領はイスラエルシンパにけしかけられた過激派からの圧力にも負けずに勇敢だったとか、パレスチナ支持派連中で固められた会場内の観客の声援を過大評価して、大統領の演説はアメリカの学生達からも快く受け入れられたなどと写真入りで報道するのだ。これでイラン大統領の株は大幅に上がった。これもコロンビア大学のお人よし世間知らずアマチュアのボーリンジャー学長のおかげだ。
以前に「なぜ戦を学ぶのか」でも書いたとおり、歴史上個人的な野心で戦争を始めた独裁者はいくらもいた。彼らが戦争をするのは特に敵に恨みがあるわけでも敵の行為に関して誤解があったからでもない。相手が自分の欲しいものを持っており攻めれば勝てると確信出来れば攻めるという単純な理由で戦争を始める奴らが現在でも存在する。サダム・フセインもそのひとりだったし、アクマデイネジャドもこの部類に入るのだ。
アフマディネジャドは自分の言ってることが真実でないことくらい百も承知だ。大量殺人を平気でするテロリストが、嘘をつくのに何の遠慮があるというのだ?彼はアメリカやイスラエルを誤解しているわけでも、本気でホロコーストを信じていないわけでもない。奴の目的はイランによる世界制覇なのであり、それに利用できる議論をプロパガンダとして利用しているに過ぎないのだ。そんな奴に「あなたの国は独裁政権だ」とか「人権迫害をしている」などと指摘してみても、奴は本心で「あたりめえだ、そうやらないでどうやって国民を牛耳れるとおもってんだ、あほんだら」と思うだけで、返ってくる答えなど「そのような事実はない。あなた方の誤解です」とかなんとか答えにならない奇麗事を並べて終わるだけの話だ。
そんなこともわからないで、テロ国家リーダーをまともな政治家扱いして公然とプロパガンダを広める場所を提供してしまったコロンビア大学の愚か者達。これでイランシンパが増えてアメリカやイスラエルでのテロが増えたなら、その血痕はボーリンジャーの手についていることを知るがいい。


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イラン大統領にグランドゼロを訪問させるな!

国連がイランの大統領アクマネナジャドをニューヨーク本部に招待した。国連が招待した場合、条約上アメリカはどれほど気に入らない相手でも入国を拒否できないらしい。ところがアクマネナジャドはずうずうしくも911同時多発テロの跡であるグランドゼロを訪問したいと言って来た。テロ国家の大統領が911直後にドンちゃん騒ぎをして祝った男が、アメリカ人の血税を浪費して警備員をつけてグランドゼロを訪問し、全世界の前でアメリカの悲劇をあざ笑おうというのである。今のところニューヨーク市は警備の都合でという理由で拒否している。
そんなきれいごとをいってないで、ちゃんと「テロリストにグランドゼロで亡くなった人々の霊を冒涜させるものか!」とはっきり云うべきである。しかしアメリカ人のなかにもナイーブな考え方をする人間がいて、ジョシュ・マーシャルなどというコラムニストはそんなに神経質になることはないではないかという。イランは911とは全く無関係なのだし、ホロコースト否定論者だとかアラブ人ではないがイスラム教徒だというだけで、アクマネナジャド大統領のグランドゼロ反対を唱える人間は大人気なくて恥かいと批判している。だがもしアメリカを敵と公言し、第二のホロコーストを唱えるアクマネナジャドがグランドゼロに行ってテロ犠牲者の冥福を祈ろうなどと考えていると、マーシャルが本気で考えているなら恥かしいのはマーシャルの無知さ加減である。こういうのをクルーレスというのだ。
マーシャルをクルーレスといって批判しているのはタイガーホーク

厳密的には確かにムハメッド・アクマネナジャドは911攻撃には直接は関係ない。しかしイランが少なからず係わっていたという状況証拠以上のものが存在するのである。その証拠があまりにもあるため、911調査委員会はイランがヒズボラを使って関連していた可能性について「さらなる調査に値する」と書いているほどだ。左翼連中はブッシュ政権がイランとの戦いを宣伝しているなどといっているが、ブッシュ政権がこの推薦を実行したという記録は全く無い。無論ブッシュ大統領が911委員会の推薦をしょっちゅう無視していると批判している民主党だが、この件についての批判は聴いたことが無い。
イランが911事件に関係していたとい状況証拠はイランのアルカエダとの同盟との関連のひとつの小さな要素である。これは(右翼)ブロガーたちの間では良く知らている歴史だが、左翼からはほぼ一様に無視されてきた。(略)
であるからジョシュ・マーシャルが「成長しろ」とか「大人になれ」とか我々に説教をする前に、私は「真実を知れ」と言いたい。少なくともヒズボラに毎年何百万ドルも資金をついやしているイラン大統領が911事件とは全く無関係だと宣言するまえに、911調査委員会の報告書くらい読めといいたい!

イラクにしろイランにしろ直接911に係わっていたという事実がないとしても、911が計画されているという事実をそれぞれのリーダーたちが知っていたことは確かである。それでなくてもイランはシーア派民兵のみならず、スンニ派のアルカエダにも資金や武器援助をしてアメリカ兵をイラク国内で殺させていることは周知の事実。そんなテロリストの親玉であるイラン大統領をアメリカで起きたテロの最大規模の跡を訪問させるということが、どれほど世界中にアメリカを馬鹿にした行為に映るか、それを理解できない批評家たちは馬鹿としかいいようがない。
しかもコロンビア大学はこのテロリストを大学に招待して講義をさせようというのだから呆れる。コロンビア大学の学生たちの間でもこれについてはかなりの抗議があがっているが、もし本当に講義が行われるのだとしたら、この際だから学生たちはイランによる大使館のっとり事件について、レバノンでおきた海兵隊寮爆破テロの責任について、そして世界中で起きたイランが関連しているテロすべてについて厳しい質問をし、イラン大統領にのらりくらりと逃げ口上を言わせないようにしてもらいたいものだ。


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イラク戦争:2005年に現在の増派作戦を起用出来なかった訳

イラク戦争総司令官のペトラエウス将軍による対反乱分子作戦、いわゆるCOIN、は成功を収めつつある。こうなってくると自然と「どうして最初からこの作戦をとりいれなかったのか」という疑問が生まれる。アメリカの政治評論家は口をそろえて「2005年の段階でこの作戦を起用すべきだった」という。しかし私は今の時期よりも早い時期にこの作戦を起用しても成功しなかっただろうと思うようになった。つまり、ペトラエウス将軍の前任であるケーシー将軍やアビゼイド将軍のやり方は間違っていなかったと思うようになったのだ。
4~5日前の午後、帰宅途中のラジオでヒュー・ヒューイットがラマディで駐在していたマイケル・トットンのリポート(Michael Totton) を読んでいるのを聴いた。このリポートの内容は非常に楽観的だった。それはラマディのスンニ市民たちはここ数年間にわたるアルカエダによる虐待によってひどい生活を強いられていた。彼らの状況は切羽詰っており、もう忍耐も限界に来ていた。それで今年の初めにアメリカ軍がアメリカ軍及びイラク軍と共にアルカエダと戦おうと提案をもちかけたときには、彼らはすでに心の用意ができていた。いやそれどころか積極的に連合軍への協力に熱意を示した。
地元スンニ部族の協力のおかげで、アメリカ・イラク連合軍はアルカエダをラマディから追い出し、戦闘で破壊され地獄のようになっていた町を生まれ変わらせたのである。無論エデンの園とまではいかないが、それでも地元民もパトロールするアメリカ兵や記者などが防弾チョッキを着るのを忘れてしまうほど平和な町へと変わったのだ。実は私はファルージャからも全く同じ話をきいたし、悪名高いバグダッドのハイファ通りからも似たような話をきいた。こうしたいいニュースはここでもいくつか紹介してきたとおりである。
この三つの別々の記事はペトラエウス将軍のCOINアドバイザーであるデイブ・キルカレン中佐(Lt.Col. Dave Kilcullen)が小さな戦争日記 という題で書いている日記の「アンバーの目覚め」(”Anbar awakening”)の内容と一致している。キルカレン中佐は部族のリーダーたちはもう限界まで追い詰められついに耐え切れずに元味方に反旗をひるがえしたと書いている。
つまり、それがスンニ派にしろシーア派にしろ共通している点は、反政府武装集団による暴虐に嫌気がさして、もうこれ以上耐えられないというぎりぎりのところまで追い詰められているということだ。しかしここで注目しなければならないのは、このぎりぎりの限界は過激派の暴虐を誰かから話を聞いて納得したとかいうものではなく、自分たちで散々体験したことからくるものだということだ。
COIN作戦のなかでも特に大切な要素は地元市民の協力である。これなくして対反乱分子作戦は絶対に成功しない。アンバルにしろ、ディヤラにしろ、バグダッド地域のスンニ派にしろ、地元市民は味方連合軍の目となり耳となって働かなくてはならない。地元民の大半が反乱勢力に同情しているうちはこれは絶対に無理だ。
2005年当時、スンニもシーアもアメリカ人を全く信用していなかった。彼らはアメリカはスンニかシーアのどちらかについて、傀儡政権を通じてイラクを支配するつもりに違いないと考えていた。そうでなければ、途中で飽きて形だけの勝利宣言をして撤退してしまうものと信じていた。彼らにとって我々は占領軍なのであり支配者であり、彼らは我々が彼らの石油と女を盗みにきたものと本気で信じていたのである。
これはまだアルカエダがタリバン式の厳格で理不尽な法律を市民に強制する前のことであり、アルカエダのリーダーたちが娘たちを犯し、息子たちを八つ裂きにする以前の出来事だった。つまり、一般のイラク人たちはまだテロリストとの共存は可能であると信じていた時期だったのだ。
そんななかで、いったい我々はどうやって地元市民の信用を得て共に反乱分子と戦うことができたのだろうか?
我々が単にテロリストは悪であるといってみたところで、イラク市民が信じたとは思えない。 イラク市民がアルカエダの悪に気がつくには自分たちで彼らの悪を体験しなければならなかったのだと私は考える。 そのような体験をしてテロリストは自分らの友ではない、いやテロリストこそが自分たちの敵なのであり、侵略者なのでありアメリカではないのだと自分たちで納得する必要があったのだ。
イラク市民はまたアメリカ人は逆境に強いということを知る必要があった。彼らがアメリカ人は信頼できる、長くかかっても最後まで頑張る信頼できる人間だと知る必要があった。イラク市民は反米の偏見を乗り越えてアメリカを信頼する必要があったのである。そのためにこの6年間は必要だったのだと私は思う。
私は当初ラムスフェルド国防長官の「小さな足跡」作戦を支持していた。 多くの人々が今となってはこれは失敗だったと考えている。私もしばらくはそう考えていた。しかし今は、私はこの作戦は間違いでも失敗でもなかったと考える。イラク市民はアルカエダやシーア民兵がどれだけ独裁主義の悪であるかを自ら学ぶ必要があったのである。
もしも多くの政治評論家たちが言うようにCOINを2005年や2006年に実施していたとしたら、これは完全に失敗していただろう。軍事論説者のエドワード・ルットワクによると、地域が戦争をやりたがっているうちは平和を押し付けることは出来ないという。双方が散々戦って、戦いに疲れてはじめて平和交渉が始められるのだ。これと同じ理論で、反乱分子に協力していた市民の大半がシャリア党の独裁政権下で生きることの恐ろしさを体験してみなければ人々にはこれがどれほど恐ろしいことかわからなかっただろう。
であるから意図的にしろ偶発的にしろ我々は直接な危害が加えられない限りシャリアが拡大するのを黙認してきた。シャリアの影響が大きくなればなるほど人々の不満も積もってくるということは誰でも安易に予測できそうなものだが、我々の多くがそれを予測できなかった。
このような個人的な体験がなければ、「アンバルの目覚め」など不可能だっただろう。であるから「どうして最初からこの作戦をとりいれなかったのか」という質問の答えは、それは完全に失敗しただろうからだ。2005年当時にこの作戦を実施していれば、イラク人とアメリカ人の間でお互い不信感を強めただけでおわっていただろう。
今になって多くのひとが自分は最初から支持していたと主張するこの作戦を本当に実施していたならば、大失敗に終わり、今頃はCOINは全く効果がないと判断されていたに違いない。だから私は一見遠回りをしたように見えるが、実は今の時期にやったからこそCOIN作戦は成果を挙げているのだと確信する。
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日本へ出張

今日はちょっとお知らせ。
明日から日本へ二週間ほど出張する。その間のネットアクセスは宿泊するホテルによるのでどうなることやら。なにしろ合計4つのホテルを点々をすることになっているからよくわからない。
うちの会社は私が行く予定の地域で会社の予算にあうホテルが全く見つからないといって予約の手続きなど全くしてくれない。それでカカシは自分で検索したら、結構予算以内のホテルは存在することが分かった。ただし、英語検索で見つかるホテルは交通の便は空港の近くとか主流な駅の近くとかが多いがその分割高のところが多く、ローカル線をちょっと乗ればいけるところにある「なんたら旅館」などは絶対に見つからない。これでは会社の旅行課が探せなかったのも無理はないのかもしれない。
それにしても、外国への出張だというのに地元の役員が迎えにきてくれるわけでもなく、支店への道順も教えてくれないこの不親切者。空港からバスで一時間以上もある支店なのにどのバスに乗れとも教えてくれないのだからひどいものだ。日本語が分かる私でも不安なのに、一足先に行った日本語の分からない同僚は、なんとか一人でたどり着いたというのだから感心する。世の中には結構度胸のある人がいるものだ。 支店への道順を教えてくれと支店にメールを打ったら、この彼女がむかえにきてくれるという。まったく支店の日本人は何をやっとんのじゃ?
それではもう遅いので今夜はこのへんで。明日以降のエントリーは不規則になると思うが、なるべく書くようにするのでご了承いただきたい。


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