先日エジプトからガザ北部へ向かう支援物資のトラック行列がガザ西部でガザ民の群衆に襲われてエジプト人トラック運転手たちは命からがらエジプトへ逃げ帰ったという話を紹介したばかりだが、不幸なことに少なくとも一人はガザ民の手で殺され、トラックは略奪されてしまったようだ。
Aid truck raided in Gaza after losing control and falling off the road
Possibly because the mob threw stones at the driver
It’s not that aid is not entering Gaza
It’s the total failure of local distribution (read: Hamas stealing it all) pic.twitter.com/TwD4C0P7NH— Hamas Atrocities (@HamasAtrocities) March 3, 2024
陸路では危険だということで、本日からヨルダンやアメリカの空軍が空から支援物資を投下する方法に切り替えたが、空中投下では陸路に比べて支援物資は全く行きわたらないとの批判もある。だが、それではどうしろというのだ?
ガザにトラックを入れればトラック自体が襲われて修繕が効かないほど破損されるだけでなく、運転手の命さえ危険にさらされる。かといってイスラエル軍が武力で群衆から行列を守ろうとすれば、国際社会がIDFが過剰な暴力を振るったといって批判する。
イスラエルとしては批判されながら敵の民の救援をするいわれはない。機会さえあれば自分らを襲ってくるひとたちである。
イラク戦争の時もアメリカ軍の物資輸送トラックが襲われることはよくあった。しかし米軍の場合は前線にいる自分らの味方軍のための物資を輸送していたのであり、襲ってくるのは敵であったからその対応は明白だった。彼等の使命は襲ってくる敵を排除し物資を守るである。相手は敵なのだから何人殺そうが問題ではない。敵の犠牲者が多ければ多いほど戦った方の米軍兵はその勇敢さを讃えられこそすれ責められるようなことはなかった。
しかしイスラエルは不可能な責務を負わされている。救援物資は自分らのためでなく戦っている相手側の民のためのものである。ところが相手は物資をもらって感謝するような輩ではない。ガザ民はイスラエルの敵ではないということになっているが、ガザ民の中には敵のハマスも多く含まれている。物資トラックの襲撃者のなかにもハマスが居たことは間違いないだろう。にもかかわらずイスラエル軍はこの物資を守るために群衆に発砲してもいけないというのだ。物資は守れ、だが襲撃者を殺してはいけない。じゃあいったいどうしろというのだ?
もしこれが日本の被災地とかだったら、日本人はどんなにお腹が空いていても辛抱強く列にならんで配給品を待つだろう。何故ならそうやって待っていたほうが結局はみんなに品が行きわたることを知っているからだ。しかし行儀よく待てるのは途中で略奪する人などいないという前提があるからこそである。もし一部でも暴力で物資を略奪しそれが放置されて末端にいきわたらないことが最初から解っていたら誰もが略奪をしなければならなくなる。それが今のガザの状態だ。
私はこういうのを見ると、つくづく野蛮人と文明人の共存は不可能だと思う。
もうここ20年くらい、欧州では安い労働力として輸入したアラブやアフリカからの移民達が働かなくなり、欧州諸国の手厚い福祉を目当てに最初から働く気のない違法移民が殺到して大変なことになっている。彼等は地元の社会秩序などまるで興味がない。窃盗も強盗も強姦も好きなようにやる。例えつかまっても自国では即死刑になるような犯罪も欧州の罰は緩いので痛くもかゆくもないのだ。
社会秩序は警察が厳しく取り締まることももちろんだが、本当の力はその社会に住む人々が共有する道徳観念だ。何故日本の田舎で無人野菜売店が存在するのか、それは誰も見ていなくても他人の者を盗むことは悪いことだという道徳観念を村の人びとみんなが共有しているからである。だがそんなことは全くお構いなしで本能の欲するままに行動する野蛮人が大量に押しかけて来たらどうなるか。それが今の欧州の実情だ。
無論アメリカも全く他人事ではない。バイデン政権でガバガバになった国境から諸外国の違法移民が殺到している。また警察の予算が削られほぼ無法状態になってしまったワシントン州やカリフォルニア州やニューヨーク州の一部では、万引きが横行してどんどん商店が潰れるという状態になっている。
もういい加減我々に我々は気づくべきだ。人々の価値は皆同じではない。文化の価値も同じではない。世の中には良い文化と悪い文化があるのだ。良い民族と悪い民族があるのだ。文明社会と野蛮社会は違うのである。そして文明人と野蛮人の共存は不可能なのだ。