ハーバード大学入試審査に見る組織的な東洋人差別、訴訟で明らかになる

Systemic Discrimination/組織的差別という言葉をよく聞く。これは黒人やラテン系の人々が自分らが差別されているという時によく使う言葉だ。組織的差別と普通の差別のどこが違うのかといえば、後者は単に個人の差別意識によるものであるのに対し、前者は差別そのものが組織の中に組み込まれているため、個人的にはどうしようもないという意味。黒人と白人が使える施設を完全に分離していたジム・クロー法などがその典型。

このような組織的差別はもう何十年も前に法律で廃止されており、それどころか人種や出身国籍や性別や性嗜好などを理由に差別することは、あらゆる場所で違法となっているため、私はずっと「組織的差別」などというものは存在していないと主張してきた。ただし、東洋人やユダヤ人への差別を除けばの話だが、、

実は先日、東洋人学生を代表とするHarvard, Students for Fair Admissions (SFFA)という団体がハーバードの入試審査が東洋人受験生を不当に差別しているとして2014年に訴えていた件で、事実同大学が組織的に東洋人学生を低評価していたことが明らかになった

ボストン裁判所はハーバードに入試審査の統計を提出するよう求めていたが、大学側が奥歯を抜くほどいやいやながらに提出したリポートには、確かに受験生の人格や嗜好といった主観的な審査で東洋人学生は統計的に大幅な低評価を受けていたことが暴露された。

同リポートによると、学力のみで審査した場合、東洋系学生の数が現在の18.7%から43.4%にまで増えてしまうという。レガシーと言われる推薦学生やスポーツ奨学生の枠を取っても、東洋系学生の割合は31.4%を占めてしまうことになる。この事実は2013年ハーバード内部のHarvard’s Office of Institutional Research (OIR)による調査結果によって同大学はすでに把握していたにも関わらず無視してきたのだ。

またデューク大学ピーター・アーチディアコーノ教授の調査によると、合格率25%の東洋系受験生が、その他のことが全く同一であった場合、白人なら35%にラテン系なら75%、そして黒人なら95%の確率で合格する計算になるという。同教授のリポートにはハーバードが「人格審査」において東洋系受験生の成績を低く審査することにより、いかにして学生の望ましい人種分布が起きるように操作していたかを如実に提示している。

注目されるのは、差別されているのは東洋人だけではないということ。白人やラテン系でさえ少なからず差別されている。一番優遇されているのは誰あろう常に声高に差別を叫んでいる黒人。

同教授によれば、全国統一試験や高校での成績や課外授業などの成績だけで審査した場合、これは主観が入らないため同様系受験生の成績は高い。それで同大学は性格のよさだの協調性だの魅力的だのといった個人の人格に関する主観的な審査を東洋人の場合極端に下げて全体の成績を低評価したという。こういうことがハーバード大学では少なくとも過去十年は続いている。

入試の際に東洋人を差別しているのは何もハーバード大学だけではない。こちらのブログにもその例が載っている。

なお、「アジア系アメリカ人を差別的かつ不当に取り扱っている」との批判を受けているのはハーバード大学に限りません。2016年5月には、130のアジア系アメリカ人団体が、エール大学、ブラウン大学、ダートマス・カレッジなどいずれもアメリカ東海岸を代表する「アイビーリーグ」に属する大学に対して、「人種に基づくクオータ制」を悪用して、アジア系アメリカ人を締め出していると主張して、司法省に対して調査を要求しています。

大学入試において東洋人が極端な差別を受けているということはすでに周知の事実であり、もう二十年以上前から色々取りざたされてきた。訴訟が起きたのもこれが最初ではない。

カカシ在住のカリフォルニアでは1995年にワード・コネリー氏が主体となって、白人や東洋人が極端に不利になる人種による入試審査アファーマティブアクションを州立大学入試から撤廃する案を推し進めた。これがかの有名な法案209条で、州民投票により58.2%の支持を得て通過した。同様の法案はワシントン州でも通過した。

無論後退派左翼はアファーマティブアクション廃止は人種差別だと言って何度も訴訟を起こしカリフォルニア209条を撤廃しようと躍起になっている。何故人種による差別をしてはいけないという法律が人種差別だということになるのか不思議と言えば不思議だが、後退派左翼の理屈というのは常にこのように矛盾に満ちているのだ。

これについては過去のエントリーに詳しく書いているので下記参照。

東洋人を圧伏するカリフォルニアのアファーマティブアクション


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東洋人差別は人種差別どころか反人種差別と言える最近の後退派左翼

ツイッターで紹介されていたニューヨークタイムスのこのコラム、De Blasio’s Plan for NYC Schools Isn’t Anti-Asian.  It’s Anti-Racist. (デ・ブラジオ市長のニューヨーク市学校の新計画は反アジア人ではない、むしろ反人種差別計画だ。)を読んでぶっとんでしまった。カカシ注:イタリックをクリックすると元記事につながる。コラムの著者はMinh-Ha T. Pham(ミンハ・T・ファム)というベトナム系の学者でアジア系アメリカ人の教育に関する活動をしていると紹介にある。

で、デ・ブラジオ市長が提案している計画とはどういうものなのかというと、NY市のエリート高校八校への入学審査を従来通り単に高校入試統一試験で上位の受験生から選ぶのではなく、合格生徒の20%をNYの恵まれない地域にある中学の生徒のために枠を取るという計画だ。

市長はいずれ入学試験を一切廃止し、600に及ぶ中学から上位の生徒を受け入れる方針を取る意向だ。こうすることによってニューヨークの高校はNY内の住民の人種と階級を忠実に反映する人口分布になると言う。「これは単に良いということではない、これこそ正しいことなのだ!」とファム氏は言う。

「残念なことに」ニューヨークの東洋系父母たちは、これはアジア人差別につながるといって反発しているそうだ。しかしファム氏は、いや、これはアジア人差別ではない、それどころか反人種差別なのだ、と主張する。

市長の計画を実施すれば、高額な塾に通えない労働階級の子供たちをエリート高校へ進学させることが出来るようになる。ファム氏はこれは人種枠を作るいわゆるアファーマティブアクションでもないという。単に様々な背景を持つ学生たちにレベルの高い公立学校へ通わせる機会を与えるものであり、人種とは無関係だというのである。これらの高校は公立であり、ニューヨーク市民の税金で成り立っているのであるから、すべてのニューヨーク市民に使用の権利があるべきなのに、エリート高校に入れるのはNY高校受験生のたったの5%。去年これらの高校に受け入れられたのは600校あるNY中学のうち21校からだけだった。これは明らかに差別だ!というわけだ。

確かに差別は差別だが、それは学力による差別であって、高校入試が学力で受験生を差別するのは当然だろう。学校は水泳プールや図書館ではない。公営ではあるが、成績によって選りすぐられた生徒のみが勉強する機会を与えられている場所だ。中学でサボって勉強せず、試験もひどい点数を取って来た生徒たちに、両親が税金を払ってるから通わせるべきだというのはどう考えてもおかしい。他にいくらも程度にあった高校があるのだから。

ファム氏はこの計画は人種とは無関係だというがとんでもない。先日もハーバード大学が東洋系の学生が増えるのを懸念して東洋系受験生の判定を故意に下げていたことが判明していることでもわかるように、東洋系の家庭は教育に熱心なので子供たちも他の人種に比べて成績が良いというのは周知の事実。試験によって上位者から選べば必ず圧倒的に東洋人の割合が多くなる。だから試験を無視して程度の低い中学からの受験生枠を20%もとれば、そのぶん優秀な東洋人の入れる枠が減るのである。ただでさえ狭き門のエリート校の20%も試験免除組が取ることのどこが公平なのか?

ファム氏は統一試験が一番偏見のない審査だと言っているNY市会議員のPeter Koo(ピーター・クー、多分中国系)氏は間違っているという。試験では学生の学力を正確に審査できないことは数々の調査で証明されており、特に少数派の生徒に不公平であることも解っていると語る。本当に偏見のない審査をするためにはすべての学生が小学校の頃から同じ環境で勉強をしてこなければならないのだと。

ほ~ら来たあ!人種の問題ではないと言っておきながら「試験は少数派(マイノリティー)にとって不公平」と少数派人種を持ち出してくる。アメリカ後退派左翼の言葉使いをご存知ない読者のために説明すると、彼らがいう「マイノリティー」というのは黒人と中南米系人種のことであり、ここでいう少数民族に東洋人やユダヤ系が含まれていないことは言うまでもない。

だいたいアメリカに住む東洋人というのはどういう人種なのか?ファム氏自身がベトナム系なのだからよくわかってるはずだが、先ずベトナム人はボートピープルといってベトナム戦争後に難民として裸一貫でアメリカに渡って来た人々の子孫。一世目は明らかな労働階級でドーナッツ屋さんやったり日雇い労働したりして一生懸命働いて子供を良い学校へ行かせた人々だ。中国系や日系も100年以上昔に移住して最初は鉄道工事や農園で奴隷同然の仕事をしてきて二世代目三世代目の教育に力を注いできた。移民としては歴史の浅い韓国系も、最初は治安の悪い地域で命がけでコンビニ経営したりして、二世代目からは医者や弁護士になれるように教育熱心に頑張って来た人々。

どうして東洋系の子供たちがエリート小学校や塾に行けるのかといえば、それは親がそのぶんものすごい努力をしたからで、決して恵まれた環境にあったからではない。黒人やラテン系だってやろうと思えばできることで、現にそうやって頑張ってる人々はいくらでもいるのだ。

親が教育熱心だということが恵まれた環境だとはいっても、成績を上げるために努力したのは生徒本人たちだろう。そうやってがんばって受験勉強してきた子供たちを差し置いて、小中学校でさぼってきた学生を20%枠で受け入れるということは、結局成績の良い生徒=東洋人を差別することになるではないか。

ところで、ここでは話題にされていないが、ユダヤ系学生についても東洋人と全く同じことが言える。第二次世界大戦前後に移住して来たユダヤ系は皆貧乏だったが教育熱心だった。ミスター苺は1970年代に南カリフォルニアで中学高校に通ったが、当時エリート中高に設けられた英才教育カリキュラム入れた学生はほぼ全員ユダヤ系だった。(この間同窓会に一緒に行ったが、本当にそうだった。)

何故東洋人及びユダヤ人差別は差別ということにならないのだ?いや、ファム氏の言い分だと、むしろ東洋人を差別することこそ反差別だというおかしな理屈になる。

ファム氏のように、自らが東洋系でありながら、後退派左翼に頭が染まって全く論理だった理屈が考えられなくなるというのは非常に悲しいことであるが、日系でも民主党支持は多いから東洋人だから頭がいいとは言えないということだな。


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トミー・ロビンソン応援ラリーに集まったのは何万人?

昨日ロンドンの「トミーを釈放せよ!」デモに関する記事を色々探していたら、英語だと英国の新聞だけしか見つからなかったが、日本語で検索したらAFP翻訳版の英ロンドンで極右活動家の釈放求め数百人デモ、警官隊と衝突という記事を見つけた。昨日のエントリーで集まった人々の写真を張っておいたが、あれで数百人てこたあないだろう。(カカシ注:色は変わってないがイタリックの部分をクリックするとリンクにつながる。)

【6月10日 AFP】英ロンドンで9日、極右団体「英防衛同盟(English Defence League)」の元代表、トミー・ロビンソン(Tommy Robinson)氏(本名スティーブン・ヤクスリー・レノン、Stephen Yaxley-Lennon)が法廷侮辱罪などで禁錮刑判決を受けたことに抗議する数百人規模のデモ隊が警察と衝突し、5人が身柄を拘束された。

ロビンソン氏は禁じられているにも関わらず、裁判の動画をソーシャルメディアに投稿。法廷侮辱の罪で有罪となり、先月収監された。

デモ隊はロンドン中心部のトラファルガー広場(Trafalgar Square)近くの大通りを封鎖し、「トミー・ロビンソンを解放しろ」と叫びながら警官隊に向かって発煙弾を投げつけた。さらに観光バスを占拠し、プラカードや英国旗、ウェールズの旗を掲げた。

トミー・ロビンソンに関する記事では必ず「極右団体「英防衛同盟(English Defence League)」の元代表」という紹介文が冒頭に付けられている。ピアース・モーガンを紹介するのに「極左翼偏向自称ジャーナリスト」などとは絶対に書かないくせにね。トミーはEDLがどんどん暴力的な極右翼に乗っ取られていくのに抗議して五年も前に脱退している。だからいつまでもトミーをEDLと結びつけるのはイギリスメディアがいかにトミーを過激派右翼として意味のない存在であるかを強調したいかが解る。

このAFPの記事はこの件に関する英国ニュースの典型で、デモに集まったトミー支持の数人が警官に暴行して逮捕されたという話だけに焦点をあて、トミー解放を求めてどれだけ多くの人が集まったかという点を完全に無視している。なぜトミーごとき「極右翼」で「レイシスト」で「自称ジャーナリスト」のためにこれだけ多くの一般市民が集まったりするのだ?本来のジャーナリズムならそこに焦点を当てるべきではないのか。

トミー・ロビンソンなんてもともとは下町育ちのサッカーフーリガンだ。地元のパキスタン系移民による凶悪犯罪に腹を立ててEDLを創設して何度か集会を開いたりしてはいたが、イギリス政府が取り立てて警戒するような危険人物ではなかった。もし政府が彼を放っておけば、そのうちにEDLの内部争いに負けて脱退し、またもとのチンピラに戻っていただけの男だった。

そのトミーが今や言論の自由を守る救世主のようになって世界中で知られる有名人になったのは何故だ?トミー解放のために集会ごとに数が膨れ上がり、ついには昨日のように何千男万という(とても数百単位の群衆ではないよ)群衆が集まるに至ったのは一体何故なのだ?

以前にイギリス人作家のダグラス・マレーが、トミー・ロビンソンを極右翼と片づけてしまうのは簡単だが、彼が出てくる背後の状況を理解する必要があると語っていた。

一般のイギリス市民は自分らの国がどんどんと野蛮な移民によって乗っ取られている事情に多大なる脅威を抱いている。ロンドンは今やもっと規模の大きいニューヨークよりも治安の悪い都市となってしまった。毎日のように起きるナイフや酸攻撃。スクーターに乗った野蛮人によるひったくりの横行。それについて語ることすら許されない、野蛮人移民をパキスタン人とかバングラディッシュ人とか名指しすることも出来ず、いっしょくたにアジア人などと言って報道する。何千という年端もいかない少女たちが40年にもわたって性奴隷として売買されていたことすら報道できない!

トミー解放運動はイギリス市民のこうした不満の表れだ。この運動はどんどん広がり、そのうち数人の抗議者が逮捕などと言った程度のことでは収まらなくなる。いったいイギリスの警察は市民の味方なのか敵なのか、いまのうちに腹をくくっておいたほうがいい。


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トミーを釈放せよ!トミー解放を求めて支持者ロンドンに殺到

百聞は一見に如かずなので、下記参照。

 


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米最高裁、オレゴン州同性婚ウエディングケーキを拒否したケーキ屋さんを全面的に支持

宗教の自由が勝った! オレゴン州で男同士の結婚式に出すウエディングケーキ製作を宗教上の理由から拒否して訴えられ州裁判で敗訴したケーキ屋が、それを不服とし最高裁に上訴していたのだが、そのケーキ屋さんが先日最高裁で勝訴した。下記は日本語版ハフポの記事より。(カカシ注:イタリックの部分をクリックするとリンクにつながる)英語の記事はこちら

アメリカの連邦最高裁判所は6月4日、宗教を理由に、同性愛カップルにウェディングケーキを作るのを拒否した男性を擁護する判決を下した

裁判を起こしていたのは、コロラド州デンバーにケーキ店を構えるジャック・フィリプス氏。

フィリップス氏は2012年、ウェディングケーキの相談をするために店を訪れた同性カップルのチャーリー・クレイグ氏とデビッド・マリンズ氏に対し、キリスト教を信仰しているのでケーキは作れないと拒否した。

コロラド州の州法は、人種、性別、配偶者の有無、性的指向に基づいてサービスを拒否することを禁じている。クレイグ氏とマリンズ氏は、ケーキ作りを拒んだフィリップス氏は州法を違反していると同州の人権委員会に訴えた。

コロラド州人権委員会はフィリップス氏が州法を犯していると認定。コロラド州裁判所も人権委員会の認定を支持した。

しかしフィリップス氏はこの判決を不服とし、コロラド州人権委員会を相手取って裁判を起こしていた

連邦最高裁判所は判決で、「コロラド州人権委員会は宗教に対する敵意を示しており、アメリカの憲法が保証する、信教の自由に反している」として7-2でフィリップス氏の訴えを支持した。

実はオレゴン州でも似たようなケースがあり、カカシは最初、今回の勝訴をそちらの裁判と勘違いしていた。オレゴン州の件は、スイートケーキと言うケーキ屋さんがレズビアンカップルの同性婚ウエディングケーキを拒否したことにより、レズカップルから訴えられて店は多額の罰金支払いを命じられ、ネットで過激派左翼たちに叩かれひどい嫌がらせを受けるなどして閉店に追い込まれ破産状態になっている。

今回のケースはコロラド州の人権委員会が極端に反宗教偏見を持っていたという理由でケーキ屋の勝訴となったので、オレゴン州のケースとは同等には扱えないとはいうものの、宗教の自由を尊重したという点に非常に大事な凡例となった。

同性婚に関するサービスを拒否して裁判沙汰になったのはケーキ屋さんだけでなく、ウィスコンシン州のフリーランスカメラマンの件やニューヨークのカトリック教徒経営の結婚式場の件などがある。他にも裁判沙汰にならずとも市や州から同性婚へのサービスを拒否して罰金を課された経営者は多く居る。

これらの件で共通しているのは、同性愛カップルたちは、断られることを承知のうえで、わざと敬虔なるキリスト教徒のビジネスを狙ったことにある。同性愛者たちは申し込み拒否されると即座に訴訟を起こした。はっきり言ってこれは完全なるLGBTパワハラである、宗教弾圧である。

他にいくらも同性婚フレンドリーなビジネスはあるわけで、何も取り立てて同性婚に反対な宗教家を選んで依頼を持ち込む必要はない。最初からキリスト教徒への嫌がらせと弾圧が目的であったと考えれば話の辻褄はあう。それが証拠にモスレムケーキ屋が訴えられた例はひとつもない。(コメディアンのスティーブン・クラウダーがわざとモスレムケーキ屋に同性婚ウエディングケーキを注文したところ、はっきりと断られていた。)だからこそ今回の最高裁の判決は非常に大事なのだ。

アメリカでは宗教の自由と言論の自由が憲法補正案第一条で保証されている。何故宗教の自由が言論の自由と同等に扱われるのかといえば、宗教は思想であり思想を表現することが言論であるからだ。思想を弾圧するのは言論を弾圧するとこと同じである。

しかし宗教の自由はどこまで認められるのか。イスラム教のように女児性器を切除するような野蛮な因習を宗教のしきたりだからと言って認めてもいいのかと言えば、そうではない。アフリカ産のブードゥー教では動物を生贄にするしきたりがあるが、これも無論認めることはできない。では、どこまでが認められてどこまでが認められないのか。

思うに、宗教及び言論の自由は自分や他人の身体に危害を与えない及び、他人の権利を損なわないところまでが限界である。他の宗教や思想を批判する行為は許されるが、他人の名誉を傷つける行為や、「○○宗教の人間は皆殺しにしろ」と暴力を煽るような行為は言論の自由では認められない。

しかし、宗教上の理由から特定のサービスを拒否する権利はビジネスには認められるべきだ。そうでなければユダヤ教徒のコーシャーレストランやイスラム教のハラルレストランで豚肉を出さないのは差別だとか、ヒンドゥーレストランでビフテキを出すことを強制できるというおかしなことになってしまうからだ。

それでは宗教上の理由から従業員が仕事を拒否できるのか。この質問の答えは、イエスアンドノー。例えばコンビニの従業員が豚肉製品やアルコール製品の扱いを拒否したとしたら、経営者は彼に仕事を強要することは出来ないが、解雇する権利はある。仕事をしない従業員を抱かえておく義務はどんな経営者にもないからだ。最初からどんな仕事か承知の上で就職しておいて、後で仕事を拒むのはおかしい。

この問題を同性愛者への差別と歪曲している人がいるが、これらのビジネスはそれまでにも同性愛者の客へのサービスを断って来たわけではない。特にスイートケーキの場合はレズカップルとは知り合いで、それまでにも色々なケーキを焼いてきたという話だ。問題なのは同性婚なのであり、同性愛そのものではない。

ともかくこれを機に、同性婚サービスを拒否して裁判沙汰になっているほかのケースもビジネス経営者を支持する判決が下る希望が出て来た。


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