先日杉田水脈議員が国会で2014年に発言した家父長制度と男女共同参画に関するビデオがツイッターで上がってきた。私は日本住まいではないし、日本国内の政治については非常に疎い。しかし私の限られた知識のなかの杉田水脈議員の発言は常に同意できるものばかりだ。これもそのひとつである。

本来日本は男女の役割をきちんとしたうえで女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国です。女性が輝けなくなったのは冷戦後、男女共同参画の名のもと伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等を目指してきたことに起因します。男女平等は絶対に実現しえない反道徳の妄想です。-杉田水脈議員

それで、左翼フェミニストのなかには家父長制度が悪の根源みたいに言う人が多いが、女性は男性が守るべきという社会のほうが、女も男も外で働け!女一人でも子供育てろ!という社会より生きやすいのではないだろうか。という内容のツイートをしたら、私のことを「男尊女卑が身にしみこんでる」と返してきた人がいた。この人と私は普段はトランスジェンダーのことなどで女性空間は守られなければならない、男と女は違うという意見で一致しているのだが、どうも夫婦に関する話題になると突然敵意を丸出しにしてくる。何故左翼フェミニストはこうも男を敵視するのであろうか?

これは非常に興味深い話題だ。家父長制度とは本当に男尊女卑の制度なのか考えてみよう。

家父長制度とは、父方の家系が長男によって受け継がれる制度であるが、日本の場合は婿養子も可能なため、事実上は長女が引き継ぐことも可能だ。確かに昔は長である父親の権限が最高であり最終であるとされており、女性は財産を持てなかったり、発言権がなかったりとかなり男尊女卑な時代もあった。

しかし、戦後の家父長制は単に父方の家系が引き継がれるというだけであり、父親はあくまで家族の代表であり、絶対的権限を持つ長ではなくなった。

フェミニズムが家父長制度を毛嫌いする理由は、これを単なる家族制度と考えず、「男性支配」「女性たちの抑圧」とほぼ同義語として使ってきたからだ。この解釈は明らかに杉田議員の解釈とは違っている。

まず一旦家父長制度という言葉は横に置いて、結婚制度について考えてみよう。

先ず大事なのは結婚は女子供を守る制度だということ。極端な話、男に女子供は必要ない。野生の世界では雄は雌の種付けをしたら、すぐ去っていく種族も多い。人の雄も自然に任せればそういう傾向がある。だから何の規制も無ければ、男は女に飽きたらさっさと去っていくように出来ているのだ。

しかしヒトはそういうわけにはいかない。なぜならヒト科の雌は男性にくらべ弱体で筋力も瞬発力も劣るため雄のように狩をして必要な食料を集めることができない。またヒト科の赤ん坊は他の動物にくらべて非常に未熟なまま生まれてくるため、一時でも目を話すことはできない。だからヒト科の雌と乳児は雄の庇護が無ければ生き延びられないのである。

いにしえの昔から人間社会はそのことに気付いていた。だから男が女を孕ませた後に無責任に逃げてしまわず子供がしっかり育つまで女子供の傍にとどまるために結婚制度というものが生まれたのだ。

確かに肉体的に強い男性が女性を弾圧した時代は長い。しかし現代の日本における家父長制度は男性による女性弾圧の制度ではない。これは男が女を守るというより、結婚制度が女子供を守るのだと言い換えた方がいいのかもしれない。

ところで先ほどの@maikokarino121さんがおもしろいことを言った。

なぜ男が”長”でないといけないのかわかりませんね。役割分担があっても女性が長で問題ありません。うちは世帯主は女ですけどね。安全を守るのは男ではなく警察です。

この「警察」というのは文字通りの「警察」というより政府の象徴と解した方が解りやすい。

以前にもシングルマザーを政府がもっと援助すべきだと言っていた女性がいたが、マイコさんもこうした女性達と同じで、女手一つで子育てをするのは非常に難しいことだと認めている。だが何故か男性の伴侶と一緒に子育てをするのではなく、夫の代わりに政府に面倒をみてもらいたいという考え方なのだ。

家族単位の制度を破壊して社会全体で子育てをするというのは社会主義の典型的な思想だ。

彼女たちは長である男性に決定権を与えたくないと言いながら、政府にその絶対的権力を委ねようというのである。しかも権力者の殆どは彼女達が嫌う男性であると言うことを無視して。

現在の日本における家父長制度の長(世帯主)は、絶対的権力を持ち家族を服従させる立場にある人を指すのではない。彼はあくまで家族の代表に過ぎない。家族がひとつのチームであるとしたら、チームリーダーが必ずしもチームメンバーたちを独裁できる立場ではないことからそれは容易に理解できるはずだ。

ただ長には最終的責任がある。家族で話あって決めたことでも最終的な責任は彼がとらなければならない。だから迂闊は判断はできないのである。私はこんな責任重大な立場になどボランティア(立候補)したくない。頼りになる夫にすべて任せられるならそれに越したことはないと思っている。

日本で男女共同参画なる不思議な制度が起用されるようになって、女性達はそれ以前よりも幸せになったのだろうか?女性の権利はより守られるようになったのだろうか?

私は2008年に、男女共同参画の基盤となっているジェンダ―フリーという思想は女性の権利をまもるどころか文明社会全体を破壊しかねないと警告した。思った通り、男女共同参画によって日本女性たちは女性専用トイレを失い、女湯に男性器付き人間が入ってくる危険にさらされている。男尊女卑だと言って家父長制度を弱体化して母子家庭を増やし、ジェンダ―フリーと言って男女の差を無視した結果がこれである。

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ところで家父長制に関して批判的で、私に敵意むき出しで喧嘩腰に話しかけてくる女性達は、私から見てとても幸せだとは思えない。自分の生活に満足していて幸せな人は他人の何気ない発言に牙をむき出しにして吠えて来たりはしないと思う。

反対に、私と和やかに話をしてくれる人達は、大抵の場合自分の生活に満足している人が多い。もちろん人生色々不満なところはあるに違いないが、自分の不幸せを男性のせいにしてばかりいる女性は幸せになれないような気がする。


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