第2作のEmpire Strikes Back (1980), やReturn of the Jedi (1983)は長い列にならんで深夜のショーをミスター苺を含めた仲間たちで観に行った。特にジェダイの時は、観に行った回の券がすべて売り切れており、今みたいにオンラインで予約できるような時代ではなかったので、真夜中の回まで何時間も映画館の外で並んで待った記憶がある。
私としては1999年から始まったエピソードI, II, & III(1999-2005)そしてThe Clone Wars (2008)は、最初の三部作には全く及ばない凡作だったとは思うが、それでもまあまあ楽しめないことはなかった。興行成績も良くスターウォーズとしては十分な結果だった。
2015年にエピソードVIIのThe Force Awakensが公開された時は、どうしようかと迷ったが、長年のスターウォーズファンとしては一応観ておこうと思って観に行った。正直あまりにもひどい内容でつまらなかったという感想以外には内容についてはほぼ何も覚えていない。覚えているのはハン・ソロが意味もなく殺されたということと、プリンセス・レアを演じたキャリー・フィッシャーが随分年取ったなと、年取ったルークが最後の1シーン出て来たなくらいだ。Rogue One(2016)を観た頃には、もう私の中でスターウォーズは完全に終わっていた。私は見ていないがVIII & IXはかなり評判が悪く興行成績も散々たるものだった。
私がメンバー登録をしている保守派のポッドキャストチャンネルのデイリーワイヤー(DW)がコメディー映画を制作した。DWは数年前からポッドキャストやニュース記事だけでなく、ハリウッド映画界から締め出された保守派俳優などを雇ってサスペンスドラマや西部劇などのストリーミング映画を作ってきた。しかし最近映画プロダクションの予算をかなり引き揚げて色々な映画を発表している。来年の4月には白雪姫も公開予定だ。また虹色に染まってる子供向けテレビ番組に対抗して独自に子供向け番組の制作も始めた。12月1日にオンディマンドストリーミングで公開される映画Lady Ballers(レイディーボーラー)を左翼リベラルのLGBT雑誌LGBTQ Nationが紹介していたので読んでみたい。Rightwingers made a “comedy” movie attacking trans women in sports & it looks terrible (msn.com)。下記はDWの共同経営者ジェラミー・ボーリングのXより。
Hollywood won’t make a movie about how laughably absurd it is that we now allow grown men to call themselves women and then dominate women’s sports.
So we did.
Introducing our first feature-length comedy, ‘LADY BALLERS.’
Lady Ballers』と題されたこの映画の予告編は、シスジェンダーの男性たちがトランス女性になりすまし、このスポーツを支配する目的で女子バスケットボールのリーグに1チームとして参加することを決意する様子を描いている。記事からちょっと引用しよう。今回のDeepLの翻訳は酷すぎたので日本語として通じるようにかなり書き換えた。
ただ、当時私は彼は有罪だと思っていたのだ。その理由はラップの告発がバラエティー紙で発表された直後、スペーシーは謝罪文を出したからである。スペーシーはラップの言うようなことは記憶にないとしながら、「酔って不適切な行為をしたことについて心から謝罪する」 “I owe him the sincerest apology for what would have been deeply inappropriate drunken behavior.”という内容の謝罪をした。
この状況が「Let’s have lunch」という最初の曲で説明される。ハリウッドでは持ちかけられた話を適当に誤魔化すためにこの「いつか昼食でも取りながら話そう」と言うのが定番と言われている。実際に話すつもりなら、その場で話すのが筋なわけだから、「まあそのうちに」とか言われている間はまるで希望がないと言えるだろう。この曲の間にスタジオで衣装を来た人たちが行きかい、二階建ての舞台の上の方でコーラスガールたちがリハーサルをしている姿がえがかれる。スタジオ内のばたばたとした忙しさのなかにジョーの絶望感と借金取りにおわれる緊迫感が感じられる。
そんなある日、借金取りから車で逃げている最中に道に迷ってとある屋敷のドライブウェイに迷い込んでしまう。そこがサンセット通りにあるノーマの屋敷である。ペットのチンパンジーのお葬式をしようと葬儀屋を待っていた屋敷の主に葬儀屋と間違われて屋敷内に案内されてしまう。屋敷の女主人が無声映画時代の大スターだったノーマ・デズモンドであることに気付いたジョーは「あんたは昔大物だった」と言うと、「私は今でも大物だ。小さくなったのは映画のほうだ」と答えるノーマ。ここでノーマの最初のアリア「With one look」が始まる。ここで女優は観客の心をつかむ必要があるが、ルポーンは見事にそれをやってのける。この歌でノーマの自分の昔のイメージへの狂気的な執着度がうかがわれる。
スタジオでは昔のノーマをしっている照明係が「デズモンドさん、デズモンドさん、はっきり見させてくださいよ」と言ってノーマに照明を当てる。それを観た他のスタッフたちが「ノーマ・デズモンドだ!」といって集まってくる。ノーマは久しぶりにファンに囲まれて上機嫌。ここでノーマが歌う「As if we never said goodbye」(まるで一度もさよならを言ったことがないかのよう)はどこでも歌われる名曲である。ルポーンの哀愁に満ちた歌声には心を打たれる。
ジョーは次第にそんな生活に飽きて、夜ごと屋敷を抜け出してはベティと一緒にオリジナルの脚本を書き始める。そうしているうちにベティは婚約者が居ながらジョーに魅かれジョーもまたベティーに魅かれていく。二人が恋に落ちる様子が「Too Much in Love to Care」(愛しすぎて気にならない)で歌われる。しかしこの間ジョーは一度もベティにノーマのことを話していないのだ。どんどんベティに魅かれて生きながら、ノーマの愛人を辞めていないジョー。