もうやめよう、役にたたない外出規制

今朝ツイッターで、日本の中学生くらいの女の子が「もうやだ~」と泣いているビデオがあがってきた。六日後に迫っていた修学旅行が突然中止になったことを嘆いてのことだった。今年入学した中学生たちは、ほとんどの授業がリモートで、文化祭も体育祭もバザーもすべて中止や規模縮小。クラブ活動もままならない状況で、もう子供たちの我慢も限界に達している。

アメリカでも状況は同じようなものだ。武漢ウイルスは子供にはほとんど害がない病気だが、コロナ政策は子供たちに多大なる悪影響を及ぼしている。

さて、それで世界中が試みたロックダウンはほとんど効果はないという調査が発表されたこの調査はジョン・ホプキンス・インスティトュートによるもの。内容の翻訳はちょっと難しすぎて出来ないが、要するにロックダウンをやってもコロナの死亡率にはほとんどか全く影響がなかったというもの。

はっきり言ってそんなことは過去2年間の世界中での様子を見ていれば明白だ。いつまでもだらだらとロックダウンを続けてるカリフォルニアと一年以上も前に完全開放したフロリダと感染率も死亡率も変わりがないことを考えればすぐわかることだ。

実は父が入院し来週にも手術ということで、万が一のために帰国する手続きを色々調べていたら、日本はカリフォルニアからの入国にかなり厳しく、入国してから最低六日間の隔離が必要だという話だ。しかし、六日隔離でも日本に行かれればまだしもなのだが、私の場合入国許可も下りない可能性があることを知った。

拙ブログの読者の方々はご存じだと思うが、私は20年以上前にアメリカ国籍を取得した。つまり日本国籍を持っていない。私は今まで全然しらなかったのだが、日本はアメリカからの無ビサ短期訪問を一時停止してしまったのだ。それでビジネスや観光での外国人の入国は禁止。日本に国籍、永住権、一時居住権などを持っていない人はよっぽどの理由がない限り入国できなくなっているのだ。

親が危篤とか、介護を要するとかいう場合には例外があるらしいのだが、それをどうやって証明するのか今調査中である。

オミクロンは感染してもインフルエンザよりも症状は軽く致死率は極端に少ない。それなのに何故こんなに厳しい入国規制をやっているのだろう?だいたい2020年初期に中国からの入国規制をやらなかった政府が、今になって欧米諸国からの入国規制をするっておかしくないか?

日本にいる妹からは、そんな無理をして帰国しても病院で面会させれくれるかどうかさえ危ういので、今は様子を見た方がいいと言われた。

二年前に帰省した帰り際に父が「今度お前が帰ってくるのは誰かが死んだ時だな」と言われた言葉を思い出して泣けてくる。


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男子の女子スポーツ参加を批判するなら、男を彼女と呼ぶな!

私は昔からアメリカの保守派に対して強い不満を持っている。それは保守派は相手の気持ちをおもんばかり、なんでも円満に片付けようとするあまりに、必要以上に左翼リベラルに迎合する傾向があるということだ。例えば、昔は黒人のことを普通にブラックと呼んでいたのに、それは差別的だからアフリカンアメリカンにしろ、それもだめだからピープルオブカラーにしろ、とリベラルが次々に掲げる条件を保守派と言われるひとたちが素直に受け入れて来た。比較的保守派と言われるフォックスニュースですらも例外ではなく、例えばトランスジェンダーに関しても、彼らのことを批判しながらも、本人が好む彼・彼女といった代名詞を臆面もなく使っている。

それを批判すると、保守派の人たちは言う。「いや、そんな小さいことにいちいちこだわっていたら、もっと大事な会話が出来なくなる、適当に妥協して、もっと大事な話に焦点を当てよう」。最近よく言われる「その丘で死にたいのか?」なんてのがその典型。

しかし保守派が何時まで経っても学ばないのは、左翼は絶対妥協しないということだ。左翼の求める条件を一つでも飲んでしまったら、それ以後も相手の思うように話が進められてしまい、大事な要点などには決してたどり着かない。今この丘を取られたら、次の丘を取るのがより困難になるということを多くの保守派は理解していない。

先日保守派トークショーホストのマット・ウォルシがそれについて、男子でありながら女子競技に参加しているリア・トーマスのことを批判している記事ですら、トーマスが好む「彼女」という代名詞を使っているが、トーマスは女ではない。先ずそこから話を始めなければ、彼のことをどれだけ批判してみてもお話にならないと語っていた。まったくその通りだ。

まず保守派がしなければならないのは、トランスジェンダーなどというものは存在しないと断言することだ。性別が何かしらの行為によって変えられるというのであれば、最終的に女性となった男性を女性扱いしないのは差別になる。言うまでもないが性違和という精神病で悩み、その治療のひとつとして異性に近い身体に改造していくことを選ぶ人がいることは事実であり、彼らの人権をないがしろにしてもよいというわけではない。しかし、彼らは異性になったのではなく異性っぽい風貌になったに過ぎないのであり、中身は元のままの男であり女なのだ。彼らはあくまでトランスセクシュアルでありニューハーフでありオネエなのであり女ではない。

保守派ではないが、今日のピアース・モーガンのオプエドでも、モーガンはトランス「女性」の女子競技参加を批判する記事で、先ずこのような断り書きをしている。Trans athletes like Lia Thomas are destroying women’s sports (nypost.com)

まず明確にしておくが、私は「トランスフォビック」ではない。

私は全てのトランスジェンダーの人々のために(社会が)寛容と公平と平等であることを求める。

真に間違った体と性指向に閉じ込められていると感じなければ、誰も肉体的にも精神的にも長く苦しい道を歩んだりしないだろう。であるからトランス界隈の人々が受け入れられ平等な人権を得る運動を全面的に支持する。

無論その後に、「し、か、し、、、」と言って何故男子の女子競技参加が不公平なのかという話が延々を続くわけだが、はっきり言ってもうこの時点でモーガンの理論は破綻している。なぜならモーガンはトランスジェンダーという概念そのものが正当であると認めてしまっているからだ。

もちろん格いう私も先に性違和の話をしているわけではないと断り書きをしてるくらい、この話は気を付けて言葉を選ばないとトランス活動家に言葉尻を掴まれて、どんな酷い目に合わされるか解ったものではない。あれだけ左翼リベラルでずっとトランスジェンダーの人権を擁護してきたJ.K.ローリング女史ですら、生まれながらの性別は変えられないと言っただけで自分が書いたハリーポッターの20周年記念番組に出演できないという目に合わされたくらいだから。

しかしいくら自分はトランスジェンダーの味方だとかトランスフォビックではないとか言ってみても、すこしでもトランスジェンダーに不利になるようなことを言えば、すぐにトランスフォーブだターフだと言われることは間違いない。だからそんな断り書きは無駄なのである。

根本的な問題は、自分が異性だと主張しさえすれば異性として扱われるという気違いじみた風潮にある。だから先ずそこから拒絶しなければ何の進展も得られない。

モーガンが求めるトランスジェンダーへの寛容だの平等な人権とはどのようなものだ?もし「トランスジェンダー女性は女性」というのが本当なら、彼らが完全に女性として受け入れられないのは寛容でも平等でもないではないか?それは彼らの「女性」としての人権を踏みにじることになるではないか?

だから最初から人が性別を変えられるという概念から挑戦していかなければならないのだ。リア・トーマスは男だから女子競技には参加できない。それだけのことなのだ。それ以上でもそれ以下でもない。ホルモンがどうのこうのなんて話はナンセンスなのだ。

どうしてこんな当たり前のことが言えなくなったのか。世界中が集団ヒステリーにかかっているようだ。


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報復を恐れてトランス選手参加に抗議できないペン大学の女子水泳選手たちの怒り

この話は今月の初めに書こうと思っていて保留にしておいたのだが、最近またこれに関する新しい記事を読んだので改めて書いておこう。

イギリスのデイリーメイル誌によるとペンシルベニア州立大学の女子水泳選手たち数十人がトランスジェンダー選手(自称女の男子)リア・トーマスの競技参加に抗議して、先日1月6日に行われた今シーズン最後の競技をボイコットしようと言う話があったが、ペン大学も全国大学スポーツ協会(NCAA)も彼女たちの抗議を支持しないことは解っており、抗議した選手たちの来季の参加を禁止するなど罰せられる可能性や活動家からの報復を恐れてボイコットを断念したという。

トランス選手の女子競技参加を止めるには、当事者である選手たちの大半がボイコットに参加する必要がある。ボイコットを断念した選手たちを意気地なしとか臆病者とか批判するのは部外者である我々には簡単だが、水泳に青春をささげてきた18~9の女子大生にそれを求めるのは酷というものだ。

そして昨日読んだこの記事。

リア・トーマスは、男性器を保持し、性的指向は女性に向いているので、同じ水泳部の女性たちは更衣室で一緒に着替えることに困惑を感じているという記事。しかもリアはロッカールームで男性器を隠していない場合があり、コーチに訴えたが、受け入れるしかないと言われた。-ポルノ売春問題研究会

記事によると、トーマスは一年間のホルモン治療でホルモン値は女子競技参加規程以内になっているため参加が許可されているが、その他のトランス治療は全く受けておらず男性器もそのままで、しかも性愛の対象は女性であり、そのことをチームメートに話していると言う。

ご覧の通り、トーマスは身体も190センチ近くあり、どうみても男。その男が女子が素っ裸になる更衣室に堂々と入ってきて、男性器を隠しもせずに着替えをしているという。このことに関して水泳チームのあるメンバーは匿名でこう訴える。(名前を出すと罰せられるのを恐れているため匿名)

学校側はリアが大丈夫かということにだけ焦点をあてて彼女のために出来る限りのことをしてあげるのに、のこりの私たちチームメンバーのことは考えにも入れてません。あたかもこのプログラムを作った人たちやリアが来る前に居た人たちなどどうでもいいかのようです。腹が立つのはリアはこれだけ注目されてることに全く気にしてみたいなのです。というよりむしろ楽しんでいるかのようです。これは彼女より私たちへの影響のほうがずっと大きいのです。

学校側は生徒達にカウンセリングを受けられるようにするなど馬鹿なことを言っている。どうして学校側は女子水泳チームの女子たちのことを全く考慮しないのだろうか。どうして自称女の男を女子カテゴリーで競争させることがそんなに大事なのだ?

このことでかなり叩かれたNCAA(全国大学運動協会)は、トランスジェンダーに関する判断は全国の各スポーツ競技協会に任せるという決断を下した。ということは水泳はUSAスイミングの管轄になる。先の女子選手はUSAスイミングはNCAAより保守的なので期待は持てると語っている。しかしUSAスイミングもインクルーシブがどうのこうのと言ってるので楽観はできない。ただ平等な競争を強く信じていると言っているので、多少は希望が持てるかもしれない。

この女子選手も言っているが、トランス女子はオープンカテゴリーを作って、男子競技には誰でも参加できるようにすればいいと語る。そうすればトランス女子も誰にも遠慮せず気兼ねなくスポーツに参加できるし、女子競技は生得的女子のみの競技を保つことができるからだ。

だがそうなったら自称トランス女性は女性ホルモン治療などせず、普通に男として参加すると思われる。競技するのに自分に損になるような治療を受ける意味はないから。結局三流選手がインチキをするための方法にしか過ぎないことを暴露する結果になるだろう。


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カナダのトラック運転手たち、反ワクチン義務化ストライキ

欧米諸国で武漢ウイルスワクチン義務化への反対運動が起きているが、カナダでは国境を超えるトラックの運転手たちへのワクチン義務化に抗議した運転手たちによる大規模なストライキが起きており、日曜日にバンクーバーから出発したトラック行進フリーダムコンボイはゆっくりと首都のオタワに向かっている。

Protesters and supporters for a COVID-19 vaccine mandate for cross-border truckers cheer as a parade of trucks and vehicles pass through Kakabeka Falls outside of Thunder Bay, Ontario, on Wednesday, Jan. 26, 2022. 
フリーダムコンボイと沿道で応援する人々

カナダのワクチン規制はアメリカや日本よりかなり厳しく、ワクチンパスポートがないと何処にも行けずワクチンを打ってないと仕事を首になったりする。今年の一月中旬からトランク運転手へのワクチン義務化が決まったが、運転手たちはほぼ一日中一人でトラックを運転しており、ほとんど人に会わないためワクチンは必要ないと抗議している。

フリーダムコンボイの代表者ベンジャミン・ディクター氏によると、参加数は5万台で行列の長さは70キロメートルにも及ぶと言う。カナダ人ニュースさんによると、1月15日から、アメリカとカナダ間を行き来する運転手はワクチンが義務化され、ワクチンを打っていない場合は国境を超えて帰国する度に二週間の隔離をしなければいけなくなった。アメリカ側も同じ規則を1月22日から始めたとのこと。

実はカナダのトラック運転手の15%約16000人がワクチン未接種者と言われている。ということは85%の人はすでに接種済みであるにもかかわらず、このコンボイに参加しているということになる。これがただのワクチン義務化への抗議だと考えるのは甘いとカナダ人ニュースさんは言っている。

上記の写真でも解る通り、氷点下の気温のなか沿道には運転手たちを支持する人々が声援を送っている。コンボイが通る先々でこのような市民からの応援がみられるが、いい加減カナダ人はトルドー首相の独裁政権に堪忍袋の緒が切れているのだ。トルドーは武漢ウイルスを口実に、次から次へと独裁的な政治を決行。今度のことはラクダの上に乗った最後の一藁ということだ。

ツイッターでは毎日いくつもトラックの行列や応援する市民たちの動画が上がっている。詳しいことはカナダ人ニュースさんが説明してくれているので、こちらにリンクを張っておく

ともかくこんな大量なトラックの行列は至上最大だろう。

こちら上空からの映像。


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父の病気で母の運転諦めない件に進展あり

この間私の87歳の母が未だに運転を諦めずに妹が苦戦しているという話をしたが、その後意外な展開があった。

あのエントリーを書いた後、母は自分で免許証センターに言って免許証を紛失したとして再発行してもらってきてしまった。妹が実家の掃除に寄った際に、母の様子がおかしいので母の財布を調べたところ、ちゃっかり免許証が入っていたというのだ。それで妹は再びその免許証を取り上げ自宅に持ち帰った。

それに気づいた母は大激怒。もう二度と妹を実家に入れないといい、妹が出勤前に毎日実家に顔を出してもドアにチェーンをかけて中にいれてくれないという。妹から父にチェーンを外してくれと頼んでも、お母さんが怒るからと協力してくれないと妹は嘆いていた。

どうしても運転を諦めない高齢者の家族を持つ悩みは多くの人が抱えている。先日もコメンターのhiromiさんがそうした悩みをどう解決したのかという体験談を色々紹介してくれた。(ひろみさんありがとう)

高齢の家族に運転を諦めてもらおうと人々が試した方法とは、

  • 母親が車をこすったので修理に出すといって車を処分。
  • 近所の車ディーラーにかたっぱしから電話をかけて車を売らないでくれと頼んだ。
  • 父親の免許証を取り上げ、車で出かけた父を警察に「無免許運転している」と通報して保護してもらった。
  • 父親が信頼している男性の医者から運転を諦めるように諭してもらった。

と、妹も試した方法なども含め同じような策を取った人が結構いるのだなと感心した。それをいくつか読んでいて、日本では公安委員会が免許証の差し止めの判断をするということを知り、さっそく妹にメールしたところ、妹はすでに公安にはなんども相談しているが拉致があかないと言うことだった。

これだけ高齢者の交通事故が問題になっているというのに、どうして行政はもっと家族の訴えに耳を傾けてくれないのだろうか。本当に歯がゆい。

そうこうしているうちに、妹からお父さんが救急車で病院に運ばれたというメールが来た。なにやら肺に水が溜まって、もしそのままにしておいたら後一年は持たないだろうと言われたという。手術が必要なのだが、何せ父はもう89歳という高齢。手術して寿命を一年二年延ばしたからと言って何が変わるというわけでもなし、などと考えていたが、医者の話では余命一年といってもその間かなり苦しい思いをする羽目になるとのことだった。だったら手術をして一年でも二年でも楽に余生を送ってもらったほうがいいだろうと妹とも話をしていた。

ところが父は手術はしないと母に言ったという。母が車のことで妹とケンカばかりしていて、その板挟みになり、生きていても辛いだけだと話したというのだ。

父を失うことになるかもと思った母は大慌て。それでもう運転は諦めるから、どうか手術を受けてくれと嘆願したそうだ。妹の方にも迷惑をかけてすまなかったと謝罪の電話が来たと言う。妹が散々言っても言うことをきかなかったのに、父の命が危ないとなってやっと心を入れ替えたようだ。

無論母のことなので、父を説得するためにその場しのぎの嘘をついた可能性は無きにしも非ずだが、父の入院などで今後ゴタゴタしている間に、母がそれどころではないと車の件を本気で諦めてくれることを願うばかりだ。


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ノンバイナリーカップル、テレビ討論で保守派評論家に恥をかかされたと激怒!発狂するLGBT活動家達

きょうはちょっと軽い話題。先日私が毎日聴いているポッドキャストのホストであるマット・ウォルシがドクターフィルという昼間の人気TVトークショー番組に出演した。話の内容は「性別と代名詞」についての討論。

番組ではアディソンとネイソンという二人のノンバイナリーカップルが登場。男の方は髭面のまま女装してハイヒールまで履いてる。女の方は明らかに男性ホルモンの影響でこれもまた髭面で声も思春期の男の子みたいにガラガラ声。自分らのSNSで女の方は切除した乳房の後の傷を自慢げに晒している。

英語では他人の話をするときには「彼・彼女」と言った代名詞を使うが、自分が特に性別をはっきりさせたくない人たちの間で、最近はTheyという中性的な複数形を使いたがる人がいる。これは文法的に誤りであるため、文章で使われると非常に混乱を招く。しかしアディソン曰く、

「誰でも代名詞を持っています。あなたのは彼、彼の、かもしれませんが、私はThey(彼ら), them(彼らの)です。」

Image
アディソン・ローズ・ビンセント(自称ノンバイナリー)

アディソンとネイソンは最初二人だけの独壇場で自分たちの主張を説明した。しかし二人の期待に反して、次に紹介されたのがジェンダー理論に批判的なマット・ウォルシ。マットは最近「セイウチのジョニー」という児童本を出版して、それがアマゾンでベストセラーに輝くという功績を持つ。セイウチのジョニーは想像力多感なジョニーが自分はセイウチだと言い張るようになり、母親がネットの意見に感化されてジョニーのセイウチ自認を尊重しなければとジョニーにセイウチ転換治療を行おうとするという話。最終的に動物園の飼育係に説得されて、ジョニーは単に想像力豊かな男の子なのだと納得する話。幼児の性自認を尊重しろというLGBT界隈の傾向を批判する本であることは言うまでもない。

なぜかこのウォルシの著書が、最初LGBT関連の本としてアマゾンで売られていたため、ウォルシは毎回ポッドキャストで「ベストセラーLGBT作家のマットです」と言って同本の宣伝をしている。

それはともかく、ウォルシは個人が代名詞を選ぶことなど出来ない。個人が自分の好きな形容詞を選べないように。例えばウォルシが自分のことを「頭脳明晰なマットウォルシだ」と主張して他人に自分のことをそう表現するように要求したとしても、それは真実ではないのと同じように。

「私は自分はトマトだと感じると言ったとしても、私が実際にトマトだということにはならない。「(性自認)は妄想であり病気だ。

ここで男の方の髭面化粧のアディソンが大袈裟に「えー!」と呆れたような反応を示した。その後ウォルシはジェンダー理論の押し付けは子供たちを混乱させているだけだ、自分は子供たちのことを案じている、女性のことを案じているとつづけた。ここでマットは「あなた方はトランス女性は女性ですというが、では女性とは何か定義できますか?」とカップルに質問した。すると彼らは「それは出来ない」と答えたなぜなら

「それは人によって違うからです。「個の女性、個の男性、個の人間が皆それぞれ性自認とは別な関係を持っているからです。「私は女性と自認していないので、女性が何であるかを定義することはできません」

と、まあ答えになっていない答えを返して来た。

アディソンとネイソン

さて、この番組が放送された翌日、当のアディソンとネイソンがSNSでこんなことを発表した。その内容を簡単に意訳すると、

この番組の収録があってから、ネイソンも私も非常な不安に駆られ一か月間毎晩のように悪夢と鬱の渦巻きのなかにいます。特に今週はひどかった。

私たちが期待していたのとは全然違う内容で、他のゲストから攻撃を受けプロジューサーからは騙されたように感じた。

どうか激励の言葉を送ってほしい。今私たちはそれをとても必要としている。ドクターフィルの番組は私たちに内緒で計画をしていたため、私たちにはそれに対応する十分な用意ができなかった。

要するに、LGBTフレンドリーな番組に招待されて、自分らの主張だけが出来る番組に出演すると思っていたのに、よくも自分らと反対意見を持っているゲストが自分らに難しい質問をするような形にしたな。というわけである。

ウォルシによれば、最初から「性別とその代名詞についての討論ですが出演しませんか」と依頼があったという。この番組にはカップルとウォルシの他にも、LGBT活動家の精神科医や子供をノンバイナリー的に育てている母親や、学校でのトランスジェンダリズム教育に反対する父母なども参加していたが、すべての人が同じ内容の説明を受けていたのである。LGBT界隈の活動家たちは、何かと相手をトランスフォーブだターフだと罵って相手を黙らせることしかしないから、討論の意味もそのやり方も知らないのだろう。

それにしても自分たちが常に推進している思想について、こんな基本的で簡単な質問に答えられないというほうが情けないではないか。番組の後に不安に駆られたり鬱になったり悪夢に悩まされるほどのやわな精神力しかないことこそ、いかに彼らの思想にはまるで根拠がないことの証明だ。

番組中ドクターフィルは最初から最後までどちらの肩も持たず中立な立場で司会の役目を果たしたが、こういう問題で中立であるということがどういうことなのか、翌日のLGBT界隈の反応から伺うことができる。

下記はツイッターに上げられたドクターフィルへの罵倒の一部。

「まったくドクターフィルはF***だ!わざわざノンバイナリーの人を全国ネットテレビに招待してトランスフォビアで有名な男に恥をかかさせるなんて、何のためだ、誰の役に立つと言うのだ、F***ユー!」

「ドクターフィルはいつも話をかき回しているが、これは不謹慎だ。なんでこんな男がまだ番組もってるんだ。実際にクィアーに発言させる代わりに、フィルは精神の算数をやりながらやっと文章を終わらせている。俺は怒ってる。」

「ドクターフィル、こんな奴に偏狭心を広める場を与えるなんて、お前は下劣人間だ。」

「お前の番組なんか終わるべきだ。視聴率稼ぎのために悪いと解っていて話をかき混ぜドラマを作っているんだ!」

ツイッター上だけでなく、LGBT関連の雑誌などでもこの番組への批判が載った。LGBTQネイションの見出しは

ドクターフィルはアンチトランスジェンダー活動家を招いてヘイトをテレビで広めた。観ていて苦痛だった。

こうした反応について当のウォルシは、これこそが彼等がウォルシとの討論に敗北したことを認めている証拠だと自分のポッドキャストで語った。確かにそうだ。もしノンバイナリーカップルがウォルシを論破し、こてんぱんにやっつけたと感じていたら、ドクターフィルにそういう場を与えてくれたことに感謝しこそすれ、批判などしなかっただろう。自分らの側が完全に負かされ恥をかかされたと理解しているからこんな反応をしているのだ。

LGBTQ活動家たちは、彼らの活動に疑問を呈する人々に向かって「勉強しろ」とか「学習しろ」と偉そうにお説教をする割りには、自分達の提唱する立場さえきちんと説明できない連中なのだ。だから彼らは相手側との討論などせず、相手をとことん黙らせる手段を用いるのである。


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選択的夫婦別姓は必要なのか?名前とアイデンティティー色々

先進国で選択的夫婦別姓制度がないのは日本だけだという話を聞いた。だから何なのだというのが私の感想。以前にも書いた通り北米では夫婦別姓は合法だが、ほとんどの女性は結婚時に夫の名前に変える。私の同僚で2~3回結婚離婚を繰り返して、その度に名前を変えた女性がいるが、それもさほど珍しいことではない。

東洋諸国では、例えば韓国とかベトナムとか、結婚しても妻が名前を変えない風習がもともとある社会もあるので、これは進んでいるとか遅れているとかの問題では全くないと思う。

さて先日私はこんな記事を読んだ。夫の私が妻の姓を選んでわかったこと

社会学者の中井治郎氏は、自身が次男であり妻が3人姉妹の末妹だったことから、2019年に結婚した際、それほど強いこだわりもなく妻の旧姓を名乗る選択をした。しかし、いざ戸籍名を妻の姓に変えてみると、不都合なことがとても多いことに初めて気づかされたという。  

中井氏は結婚後も社会的には旧姓の中井を使い続けている。つまり「中井治郎」という名前は現行法の下では「通称」ということになる。当初、中井氏としては、戸籍に関わる問題以外は妻の姓を名乗ることにそれほど大きな影響はないと考えていたそうだ。しかし、税金関係や健康保険、銀行口座、パスポートなどにはいずれも戸籍名を書かなければならず、それが中井氏が通常使っている名前と同一人物であることを証明するのが容易ではないことに、後になって気づかされたという。

ちょっと待てよ。これは中井氏が苗字を変えたことが問題なのではなくて、結婚して改名したのに旧姓を使い続けたことに問題があるのでは?

中井氏は生まれたのが1977年ということなので、結婚当時の年齢は42歳。そんなに長く日本人をやっていて戸籍名を変えることの意味を知らなかったという方がおかしくないか?

私が理解できないのは、芸能人や作家などが本名ではない芸名やペンネームをずっと使ってきて特に問題があったという話は聞いたことがないのに、社会学者が学者としての名前を残したまま婿養子になって本名を変えたら問題が起きるというのは理解できない。私の母は芸事をやっていて師範になった時に名前をもらった。よって母は芸事関係の催しでは師範名を使っており、母のお弟子さんなどは母の本名を知らない人も居る。歌舞伎役者や舞踊家なども先代の名前を襲名したりして、何代目何々となるが、それによって問題が生じたという話は聞いたことがない。

日本では婿養子で男性が苗字を変えることは受け入れられているので、社会的にスティグマがあるわけではない。現に私の父方の伯父は婿養子に入り親族で一人だけ苗字が違う。この中井氏の問題は最初から公式に名前を変えるということがどういうことなのか、通称と本名をどう使い分けるかをしっかり考えないまま安易に苗字を変えたことにあるのであって、苗字を変えること自体で生じる問題ではない。

私は基本的に夫婦別姓を選びたい人が居るなら勝手にやってもらって構わないという立場なのだが、日本の場合は戸籍制度があるため、家族間で苗字が違う人がいるのは色々な意味で不都合が生じると思う。家族は全員同姓であるという基本で日本社会は回っているので、それを変えたら中井氏個人に起きた混乱などとは比べものにならないほどの混乱が生じるだろう。

ここで一番最初に議論しなければならないのは、日本で夫婦別姓に出来ないことで困っている人がいったいどれだけ居るのかということだ。戸籍制度という制度に問題をもたらすような法律を通そうというなら、よっぽどそれを望んでいる人が居るというのでなければ正当化出来ない。

これはこの法律のみならず、同性結婚にしろ差別禁止法にしろ、法律を変えよといなら次の三つの条件を満たしている必要がある。

  1. 法律を変えなければならないほどの問題が実際におきていること、
  2. 新法がそれを是正するに一番適切な方法であること、
  3. 新法によって生まれる弊害が既存の問題と比べずっと低いこと、

私が見たいくつかの世論調査によると、提案に反対が70%賛成が30%くらいというのが普通だ。しかし賛成だと言った30%の殆どの人は、自分らが実際に旧姓を守りたいと思っているというより、他人が変えたくないなら別にいいんじゃないのと言った程度の支持だと思う。であるから実際に夫婦別姓が合法であるべきと考えているひとは多分北米と同じようにせいぜい5%程度なのではないだろうか。

もちろん数が少ないから無視していいというわけではないが、その5%の人たちにしたところで、職場での通称使用などでいくらでも問題は是正できるはずであり、どうしても法律を変えなければならないという理由を提案者側が示す必要がある。他人が夫婦別姓を選んだからといって、あなたにどんな影響があるのですか、などという本末転倒な質問で誤魔化している場合ではないのだ。

そして他国でもやっているから日本でも起用すべきという考えはいい加減にやめてもらいたい。日本には日本のやり方というものがあるのだ。


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世界最初のノンバイナリーのオリンピック選手?なんだそりゃ?

LGBTQ++++αの連中ってのは次から次へとどうでもいいカテゴリーを作り出しては、周りの理解が足りないといって文句をいうのが得意である。それで今回の話題はノンバイナリー。

実は先日、北京オリンピックのアメリカ代表に決まったフィギアスケートのペアのうち男性の方が自分はノンバイナリーだと言い出し、ノンバイナリーで初めてのオリンピアンとか主流メディアがまたぞろ担ぎ上げて騒いでいる

Ashley Cain-Gribble and Timothy LeDuc compete in the  pairs free program at the ISU World Figure Skating Championships in 2021 at Ericsson Globe in Stockholm, Sweden.
Ashley Cain-Gribble and Timothy LeDuc 

上の写真で女性を片腕で担ぎ上げている男性が自称ノンバイナリのティモシー・ルドゥーク選手。

ノンバイナリーなんて情報は一般人には全く無意味なもので、そんなことをいちいちメディアが取り上げる必要があるのかというツイートをしたところ、私の認識が足りないのでこれを読めとサイトを紹介されたので、まあ一応目くらいは通しておこうと読んでみた。先ずはサイトから中里虎徹という人のインタビューから下記参照。

虎鉄さんノンバイナリーi02を拡大表示

中里は身体に違和はないが、男として扱われることは嫌だが、かと言って女になりたいわけでもないそうだ。つまり男に生まれたが男に期待されるような生き方はしたくないということだろう。それでこの生き方で問題が起きる例として、友達四人で旅行に行った時、女二人男二人で予約を入れておいたが、ホテルで女装してる中里を女性と思った職員に怪訝な目で見られたと言う。その時の彼の答え方が、

「男か女しか選べなかったので男性を選んだのです」

というもの。ホテルの職員が怪訝な顔で身分証明書を求めたという。しかしこれは職員にノンバイナリーに関する知識がないとか言って責める前に、女みたいな恰好してる自分が悪いと思うべきなのでは?自分がいくら中性だと思っていても周りはそうは思わない。世の中は男と女の二元性で動いてる。どうしてごく一部の人々のために世の中が今まで何千年と機能してきたシステムを変える必要があるのか?

だいたいホテルが男と女以外にノンバイナリカテゴリーを設けたとして、いったいどうやって部屋分けをするのだ?

中里が自分の身体に違和がないなら、男性との相部屋にも問題なく泊れるはずだ。だったら「私は男です」と言って置いて素直に流せばいいだけの話。

また中里は友達が男性メイクのモデルになってくれないかと言った時も、自分を男とも女とも思ってない自分が身体の要素で男だと判断されるのには傷つくと書いている。

何故傷つくのだ?身体が男なのだから周りが男だと判断するのは当然の話で、友人は彼の顔立ちのみを必要としているのだから素直に応じてあげればいいではないか。

このサイトによると、ノンバイナリは最近言われ出したXジェンダーとも違うのだという。怠慢だとは思ったが、もうこれ以上このサイトを真面目に読む気がしない。どうしてこの人たちは自分の性嗜好で自分を色々な枠にはめ込もうとするのだろう。自分が自分のことをどう思っていようと、何故社会全体がその自分の不思議な思想に合わせるべきだと思うのだろうか。

いったいあなた達は何様なの?

私が思うに、この人たちはなんらかの心の悩みを抱いている。そしてその悩みは特別なものだと思いたいのだ。だから自分のそうした思いに名前が付いて社会から認められると安心するというわけ。強調は原文のまま。

よく耳に新しいセクシュアリティやジェンダー・アイデンティティの名前が出てくると「カテゴリーを増やすだけでは、かえって人々の性のあり方を限定してしまうのではないか?」という疑問が投げかけられることがあります。もしくは「セクシュアリティやジェンダー・アイデンティティに細かく名前を付けていくことに意味があるの?」という疑問もあると思います。

しかし今の社会は、性別二元論や異性愛などが当然視され、当たり前にシステムや人々の認識の前提となっています。そんな中で、「既存の性のあり方に当てはまらない人々」は、不可視化され「いないこと」にされがちです。

また社会の中であまりにも当たり前とされてきた性のあり方の中で、「自分は普通とは違っている」「自分の存在はなんなんだろう」と言語化できずに苦しんでいる人はたくさんいます。そして、自分の性のあり方としっくりくる名前を見つけて安心したり、同じ性のあり方を持つ仲間と出会って安心したり、逆に「自分とは微妙に違うな」という感覚からさらに自分の性のあり方が言語化できる人もいます。

このような経験は「意味がない」と軽視していいことではありません。どんな性のあり方を持っていようと、その人の存在をないことにしない/抑圧しないためには、名前が知られる必要があるのです。

私は男と女というステレオタイプに縛られない人が存在しないなどと思ったことはない。私が40年前に日本を出たのも、女だからといって結婚して専業主婦にならなければならないという性役割に違和感をもっていたからだ。幸いなことに現代の自由社会ではそのようなステレオタイプに従う必要はない。

極端な話日本では60歳の男がミニスカで闊歩しても変な目でみられるだけで逮捕されるわけではない。イスラム圏の国のように同性愛者が極刑に処されたり、ブルカを着てない女性に酸がかけられたりするわけでもない。性別に期待される役割を拒否したいなら自分達で勝手にやればいいと思う。自分の気が休まるならそういう状態に適当な名前を付けるのも本人たちの勝手である。

私が気に入らないのは、その本人たちの勝手な生き方を社会に押し付け認めさせようとする行為だ。ノンバイナリでもXジェンダーでもトランスジェンダーでもいい。他人の領域に侵入したり、他人の仕事を難しくさせるようなことさえしないでいてくれればそれでいい。

だいたい男っぽい女や女っぽい男が存在することの何が悪いのか?それが自分が自分の想定する男女のステレオタイプに嵌らないから、自分はその属性に属さない異質なものだと思うことこそ、男女のステレオタイプを助長することになると私は思うね。


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妻が結婚時に夫の姓を名乗らない夫婦ほど離婚しやすい、カナダの調査

最近日本では選択的夫婦別姓を求める声が大きくなっていると聞く。もっとも選択的別姓を求めているのはせいぜい人口の30%で、ほとんどの人はそれを望んでいないようだ。

さて、夫婦別姓のシステムが日本社会にどのような影響を与えるかという話はまたいずれするとして、本日はカナダで行われた夫婦別姓カップルとそうでないカップルの結婚持続性を調べた調査の記事をみつけたのでご紹介しよう。Marital Surname Change and Marital Duration Among Divorcées in a Canadian County

欧米諸国では日本のように婿養子の伝統はないので結婚して姓を変えるのは常に妻のほうと決まっている。しかしアメリカやカナダでは必ずしも妻が夫の姓に改名しなければならないという法律はない。つまり今日本で一部の人が提案しているような選択的夫婦別姓はすでに起用されているということだ。しかし、カナダのある地域で行われたこの調査によると結婚時に妻が夫の姓に変えるかどうかが、実際にその夫婦が長続きするかどうかに関連性があるらしいという結果がでた。

調査対象となった107組の夫婦で妻が夫の姓に改名した夫婦は改名しなかった夫婦よりも60%長く夫婦でいたという。この中で夫が妻の姓になった夫婦はひとつもなかったが、夫婦の間に出来た子どもは夫の姓を名乗っている。また旧姓を残した妻の夫婦間の子どもの数も少ないことが解った。もっとも結婚する機関が長いと子供の数が多くなるということもあるので、子供の数は直接改名とは関係ないともいえる。

カナダやアメリカでは選択的夫婦別姓は合法であるにもかかわらず、女性が改名しない率は4.6%から6%とかなり低い。また男性側も妻が改名するのは当然という考えがあり、夫婦間の子どもが男性の姓になるのも当然という考えが浸透している。

また北米では旧姓を結婚名とハイフンで続けて残す人も多いが(ヒラリー・ロドム-クリントンのように)こういうことをやる女性は社会的に離婚しやすいとか、よいお母さんになれないのではないかといった偏見で見られやすいとのことだ。

興味深いのは、北米では日本より専業主婦は少ないにもかかわらず、結婚時に旧姓を残す人は極めて少ないということだ。しかも夫が妻の改名は普通だと思っており、男性も女性も旧姓を残す女性は結婚に真剣に取り組んでいないと考えていることである。

で、私はおもったのだが、選択的夫婦別姓に賛成だと言っている日本の30%の人たちも、実際に自分たちが結婚する際に別姓を選ぶという人は少ないのではないだろうか?つまり、私たちは同姓にするが、他の人が別姓でも構わないと思っているだけなのでは?だとすると夫婦別姓を心から望んでいる人たちというのはどのくらいの数なのだろうか?

数が少ないから無視してもいいとは言わないが、既存の法律を変えてまで実現させなければならないほどの問題だろうか?

旧姓をどうしても保ちたいと言う人は、数回の結婚を念頭に置いているのではないかと疑いたくなる。


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87歳の実母が車の運転を諦めず苦戦する妹(アップデートあり!)

後日談があるので最後参照!

わが実母は今年87歳である。30歳過ぎて免許証を取ってから50年以上ずっと車生活を送ってきた。しかし歳も歳であり、腰の手術をしたりなんだかんだで入退院を繰り返し、病院へ車で行って駐車場で他の患者さんに当てて軽傷ながら怪我をさせるという人身事故を起こしたりで、周りがハラハラする出来事が多くなってきた。それで3~4年前から、近所に住んでいる妹や他の親戚たちとも相談して母に運転を諦めてもらおうと説得がはじまった。

しかし母は妹のいうことは全くきかず、母のすぐ下の弟で個人タクシーを長年やっていて80歳で免許返上した叔父から母に運転を辞めるように何度も言ってもらったが母は効く耳をもたない。母が運転出来ない時に送り迎えなどをしてくれている70代の別の叔父も母を説得したがまるで効き目なし。そうこうしているうちに母は妹に何も言わずに大して乗っても居ない車を新車に買い替えてしまった。

妹は母に激怒したが、同時にどうして80過ぎの年よりに新車を売りつけるのだとディーラーにもカンカン。とはいえ向こうも商売、ちゃんと免許証があって代金が払える人に買うなとも言えないだろう。しかし母の運動神経はかなり鈍っているようで、この新車もすぐにあちこちにぶつけたりこすったりで、運転してるより修理に出ていることの方が多い位だった。

去年の終わりごろ、母がまた車をこすって修理に出したのを利用して、妹がディーラーに車を暫く預かってもらうことにした。その時全く事情をしらない私の元に母からラインメッセージが届き、「(妹)ちゃんが私の車をもっていって返してくれない!」と言って来た。この時妹から事情を聴いて母の認知に問題が生じているなと悟った。母は自分で車を修理に出したことをすっかり忘れていたのである。

母は以前にうるさく言う妹を黙らせようと、自分の知り合いの若い人に車を譲るつもりだという話をしていた。母はその人にも車を譲ると約束していたので、妹はさっさとその手続きを進め、車はその知り合いに譲り、母が使っていたディーラーにも事情を話、地元の新車ディーラーシップではどこも母に車を売らないように手配をしてもらった。

これで一件落着と思いきや、数日前妹からメールで母が中古車を買ってしまったと連絡があった。新車ディーラーは扱ってくれないと解った母は、なんと今まで一度も買ったことのない中古車を買う手続きをひとりでやってきてしまったのだ。妹は母の行動力には感心すると呆れていた。私も妹も母が免許証を返上しない限り、こういうことは起こり得るとは思っていたが、まったく油断も隙もあったものではない。

幸いにして妹が納車前に気付き車はキャンセルし代金も返金してもらえた。中古車ディーラーの人も、自分の父親が同じようなことを何回かやってその度にキャンセルするのが大変だったと言って同情してくれたそうだ。

怒った妹は母から免許証を取り上げてしまった。警察署に連絡し、母から申請があっても新しく免許証を発行しないでほしいと頼んだそうだが、警察はうけつけてくれなかったという。高齢者による運転で悲惨な事故が何件も起きているのに家族にはそれを止める手立てはないのだろうか?

苺畑家の老人は脳内外科の専門医から認知症と診断された途端に医者から直接役所に連絡が行き、DMV(車関係の役所)から連絡が来たので、こちらから出向いて返上し運転はできない身分証明書に書き換えてもらった。日本でもそういうことは出来ないのだろうかと妹に聞いてみたが、母が自分から進んで認知診断など受けに行くわけはないので、それは先ず無理とのことだった。うちの老人は自分から進んで診断に行ってくれたので助かったが。

今のところ、妹は母に嘘をついて、警察が新しく免許証を発行してくれることはないと言っているらしいが。母は行動力も情報力もあるので、いつまでその嘘が通じるかわからないとのこと。

そこまで出来るなら認知症などではないのではと思われるかもしれない。実は認知症の症状は軽い時期は家族以外は気が付かない場合が多いようだ。私も母とは同居しておらず、たまに電話で話す程度なので、その短い時間だけだと母はしっかりしているように見える。しかし、ある時母と長電話をした数日後に再び母から電話があり、数日前の電話がなかったことのように全く同じ話を始めたのを聞いて、あ~、やっぱりどっかおかしいと私も気づいた。

高齢化の進む日本では、こういう問題で悩む家庭は多くいるだろう。地域によっては車なしでは生きていけないところもある。近くに家族が居なければ買い物にも行かれないし通院も大変だ。独立心の強いひとほど運転を諦めるのは本当に大変だ。私自身今運転出来なくなったらどうすればいいのか真剣に悩む。

ともかく母がまた何かやらかさないことを祈るばかりである。

アップデート 1月18日現在。さっき妹からメールが来て、母が免許証を再発行してもらってきてしまったという。妹が実家の掃除に寄った時に母の財布を見て発見。再び免許証を取り上げて帰ってきたら、母が大激怒してメールしてきたそう。またもらいに行ってくると頑張ってるらしい。


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