リベラル政治評論家の表現の自由を弁護するのは保守派だけ

昨日もリベラルの言論弾圧について書いたが、リベラル政治評論家、イワン・ウィリアムス氏がNPR公営ラジオ局から解雇された件は予想以上に大きな波紋を呼んでいる。
イワン・ウィリアムスはリベラルの政治評論家だが、リベラルとしては珍しく論理たてて紳士的に議論を出来る人なので、フォックスニュースの政治評論番組にレギュラーで出演したりしても違和感はない。考え方は完全なリベラルなので私はほぼ全くといって同意できることはないのだが、それでも最近の左翼リベラルと違って常識というものがある人だ。
そのウィリアムス氏が契約先のNPRという公営ラジオ局から解雇された公の理由は、ウィリアムス氏はNPRのリポーターなので、政治的な意見の発言は局の規則に触れるということだった。そしてNPRのビビアン・シラー会長はさらに、ウィリアムス氏がイスラム教徒に対してどのような感情を持っていようと、それは氏と精神科医と広報担当者の間でのみ表現されることだと発言してウィリアムス氏を「私を気違い扱いしている」と怒らせるに至っている。
だが、昨日も書いたように、ウィリアムス氏が解雇された本当の理由は氏の発言内容ではなく、氏がNPRが敵として忌み嫌うフォックスニュースの番組に出演していることにある。そのことについては、NPRはかねてから忌々しく感じていたのである。
これについてYSジャーナルが詳しく日本語で説明してくれている。(強調はカカシ)

NPR は、Official Statementで、契約打ち切りの理由を説明しているが、興味深いのは、”Williams’ presence on the largely conservative and often contentious prime-time talk shows of Fox News has long been a sore point with NPR News executives.” の部分である。つまり、Juan Williams が FOX NEWS に出演している事が気にくわなかったと言っているのである。(この発表を書いた人は妙な所で本音が出て正直であるが、馬鹿であろう。これこそ政治的に不適当なコメントである)

     (中略)
リベラルは、リベラルが保守系と仲良くする事さえ我慢出来ないらしい。

同じく当局の記者でフォックスニュースの番組に1997年からずっとレギュラー出演しているマーラ・ライアソン女史も、常々フォックスとの関係を断ち切るようにとNPRからかなり圧力を受けてきたが、ウィリアムス氏の解雇を期にライアソン女史とフォックスの関係についても、さらにリベラルからの批判が強くなっているようだ。
なぜ、NPRは自分らの記者がフォックスニュースに出演することを忌み嫌うのか。2006年5月付けのNPRウェッブサイトのこの記事にその本音が現れている。
この記事では、NPRの聴取者の声を借りて、NPRの記者であるウィリアムス氏とライアソン氏がフォックスニュースに出演するのは、あたかもフォックスニュースがそのスローガン通り「公平で均衡」であるかのような虚りの印象を視聴者にあたえる手助けをしていると批判している。つまり、両氏はフォックスニュースのバリバリ右翼保守的思想を隠すための隠れ蓑になっているというのである。
では、そういうNPRは中立なのかといえばとんでもない! NPRは国から運営補助金を貰っている公営ラジオ局である。従ってその運営方針は政治的に中庸でなければならないことになっている。だが、それは表向きのことであって、NPRが左よりなのは周知の事実。左向きの意見ならどれほど極端な内容でも許容するNPRが、自分らが充分にリベラルではないと感じる政治的に正しくない意見は排除する、その姿勢は偽善としか言いようがない。
その偽善については両氏と共にフォックスニュースの評論番組にレギュラー出演しているチャールス・クラウトハンマー氏が強く指摘している。
PBS公営テレビ局のインサイドワシントンという番組で、クラウトハンマー氏は同じくNPR記者のニーナ・トッテンバーグ女史に対して、女史はしょっちゅう(左翼リベラルの)政治意見を表現しているのに、それは良くてウィリアムス氏が政治的意見を表現するのはいけないというのはどういうことだ、あなたの立場とウィリアムス氏の立場とどう違うのだ? これはダブルスタンダードだ偽善だ、と当のトッテンバーグ女史に詰め寄った。
他の出演者は女史にラジオ局の方針を問いつめるのは筋違いだと弁護に入ったが、クラウトハンマー氏は、「私はイワンを弁護しているのだ!」と続けた。(トッテンバーグ女史は過去にとある共和党議員について、議員とその家族がエイズにかかればいい、などという発言をしている。)
さて、ウィリアム氏の弁護だが、上記のYSジャーナルが面白い指摘をしている。

表現の自由を根拠に、Juan Williams(イワン・ウィリアムス) の契約打ち切りに抗議しているのは、何と保守系の放送関係者ばかりである。黒人の人道活動家、ヒスパニックの国会議員、リベラルのコラムニスト、未だに誰一人彼の擁護に立ち上がっていない。

たしかに、「私を気違い扱いした」と怒っていたウィリアムス氏の発言が放送されたのは、保守派ラジオトークショーホストでフォックスにも番組を持っているグレン・ベックのラジオ番組だった。
左翼リベラルのいう表現の自由とは、左翼リベラル思想を表現する自由であって、保守派やその他の意見の表現は保証されるどころか隠滅されなければならないのだ。
面白いのは、ウィリアムス氏がばリばりのベラルとして著名であるだけに、それまで特にNPRの左翼リベラル偏向について知らなかった一般市民にさえその事実が暴露されてしまった点だろう。YSさんによると、中庸であることが義務づけられているNPRが左翼偏向しているのであれば、国からの運営補助金は取りやめられるべきだという提案が共和党議員からすでに出ているという。これでNPRが国からの補助金を差し止められたら、それこそ自業自得というものだろう。


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イスラム教の脅迫を悪用、アメリカから言論の自由を奪うアメリカ左翼

言論の自由が危ないんだ。解らないか? 本当なら、俺たちはみんなでモハメッドの漫画を描いて、俺たちは皆言いたい事を言う権利があるという信念の元で団結してることをテロリストや過激派たちにみせつけてやるべきなんだ。考えても見ろよ、今まで言論は自由だといって立ち上がるのは簡単だった。なぜってここ数十年俺たちはその権利を守るために危険を犯す必要などなかったからな。だが、今やその時が来たんだよ。もし俺たちが今、身の危険を犯してまで今あるものを守る気がないんなら、言論の自由は信じるだけで守れないってことになるんだ。

これはサウスパークというアメリカのテレビ漫画の中で、登場人物の一人が言った台詞。実は今年の4月、サウスパークはイスラム教の救世主モハメッドをおちょくる内容の番組を放映して、国内のイスラム教過激派から脅迫をされている。
イスラム教ではキリスト教と同じように偶像崇拝を禁止しているが、イスラム教はそれが行き過ぎて、救世主の姿を描いてもいけないという掟がある。サウスパークではそれをおちょくって、モハメッドの姿を描かずモハメッドに熊のぬいぐるみを着せて登場させた。それが国産のイスラム教徒の怒りを買い、レボリューションモスラムというブログサイトでは、サウスパークの製作者であるテリーパーカーとマット・ストーンは「セオ・バン・ゴッホのような目にあうだろう」と言って、イスラム批判映画を制作したことで過激派に惨殺されたゴッホ映画監督の名前を引き合いに出して脅迫まがいの文章がかかれた。
暴力を恐れたテレビ局は問題のエピソードや他のエピソードからイスラム教を怒らせると思われる音声を消すなどして大幅な検閲を行った。
サウスパークのエピソードは以前にオランダでモハメッドをおちょくる一こま漫画をめぐって起きた、諸国でのイスラム教徒による言論弾圧を批判しているわけだが、アメリカでもイスラム教の魔の手が伸びて来ていることは今や明白だ。
だが、ここで実際に問題なのはイスラム教による脅迫ではなく、それを利用して言論の自由を奪おうとするアメリカ左翼なのである。
今やアメリカでは、何もコーランを燃やすなどという極端なことをしなくても、モハメッドとかイスラムという言葉を批判的な内容で口にするだけで、やれイスラモフォビアだの人種差別だの宗教弾圧だのと言って左翼連中から吊るし上げを食う。
例えばこの間も、ノンセクエターという一こま漫画で「モハメッドはどこ?」という漫画にパニクった主流新聞数社が掲載を拒否するという事件がおきた。この漫画にはモハメッドは登場せず、人や動物が公園で平和な一日を過ごしている最後に「モハメッドはどこ?」と一行書かれているだけ。過激派から脅迫状が届いたというわけではなく、そうなるのを『恐れた』新聞社が最初から掲載を拒絶したのである。
つい先日も、イワン・ウィリアムスというリベラル政治評論家が左翼リベラルから忌み嫌われているフォックスニュースの番組で、「イスラム教の服装をしている人が飛行機にのってくると心配になる。」と言ったことを理由にウィリアムス氏は氏が所属するNPRというテレビ局から解雇されるという事件が起きている。ミスター苺に言わせると、イスラム教批判は単なる口実であり、ウィリアムス氏が解雇されたのは、左翼リベラルのNPRはリベラルなウィリアムス氏がフォックスニュースに出演することによって、フォックスが保守の意見だけでなくリベラルの意見も放映しているという「公平で均衡」というスローガンに手を貸したことが許せないのだと言う。左翼リベラル以外の言論を一切認めないNPRは、敵のフォックスが公平に見えるようにウィリアムスが手を貸したことは裏切りであり、今後そういう裏切り者が出ないように手厳しく罰する必要があったのだ。
左翼やリベラルは普段は自分らこそが言論の自由を守るチャンピオンのようなことを言っているが、実際には現代社会で左翼リベラルほど本当の意味で言論の自由を嫌う思想はない。
ヘイトスピーチだセクハラだと人種差別だなんだかんだと言って、ちょっとでも他人の気持ちを害するようなことは言ってはいけないと、次から次へと言えない言葉を作り上げて行くのは左翼リベラルだ。それでいて自分らは全く不適当な場所で好き勝手なことを言って憚らない。
他人の葬式だの卒業式だの、政治討論が全く不適切な場所で突然保守批判をはじめるリベラルなんぞいくらでもいるが、場所柄を考えて遠慮している保守派をあざ笑うようにリベラル連中は大声張り上げて保守批判を続ける。たまりかねた保守派が注意したり反論したりすれば、「場所柄も考えずに政治の話を始めるなど不適切だ!」と言って、まるでこちらが悪いみたいに言い出すのもリベラル。
それもそのはず、左翼リベラルにとって、左翼思想は政治でもなければ思想でもない。かれらにとって左翼リベラル思想こそが唯一つの真実なのであり、それに異見することは悪であり撲滅されなければならないのだ。
左翼連中が敵と見なす考えを黙らせるやり方は、アメリカだけでなく日本でも横行している。以前に曾野綾子氏が「用心すると言う事」というエッセーを発表した後の左翼フェミニストたちのヒステリーぶりを思い出してもらいたい。彼女たちは被害者の自己責任について討論するのではなく、その討論自体が悪だといって自己責任や自己防衛を説く人を頭から黙らせようとした。よかれと思って自己防衛論をとなえた人々を「二次強姦だ!」と言ってけなし、純粋に強姦を防ぐ対策を考えた人々を威嚇し萎縮させた。もしあの時、「私は単に防犯の話をしたつもりだったのに、被害者を傷つけることになるなんて、今後はやたらなことは言わないように気をつけよう」なんてあなたが思ったとしたら、それこそ彼女たちの思うつぼだ。
左翼リベラルは善良な市民の良心や罪悪感に訴えて相手を黙らせ服従させる手段を常に駆使していることを忘れてはならない。
そんなことを言うと、ちょっとカカシさん、それはあなたの被害妄想でしょう。単にあの人たちは差別意識をなくすために、他人の気持ちを害するようなことは避けようと言ってるだけなんじゃないですか、と言うひともいるかもしれない。
だが、もしそれが本当なら、グランドゼロにおける聖廟建設はどう説明するのだ?
オバマ王をはじめ左翼リベラル連中はグラウンドゼロにおける聖廟建設計画を支持している。3000人からのアメリカ住民がイスラム過激派に惨殺された場所に、その宗教を讃える建物を建てる行為は無神経ではないのか?被害者やその遺族たちの気持ちをひどく傷つける行為ではないのか?国民の70%が気分を害しているのに、その気持ちを尊重するどころか、かえってイスラモフォビアだと批判する行為は、イスラム教を優遇しアメリカ市民を冷遇するアメリカ人への差別ではないのか?
アメリカのフェミニストたちが男尊女卑の最たるイスラム教を批判しない事実については、カカシは何度となく書いて来たとおり。フェミニストが本当のか弱き女性の味方ならば、イスラム圏諸国の女性虐待を率先して批判すべきであり、タリバンなどのテロリストと闘うアメリカ軍を積極的に応援すべきである。
左翼リベラルは口でなんと言おうと、言論の自由など信じてはいない。いや、それどころか左翼リベラル以外の言論は撲滅されるべきだと信じている。イスラム教徒による脅迫は左翼リベラルにとって都合のいい口実でしかない。左翼リベラルがイスラム教過激思想を支持するのは、イスラム教が現在の自由社会を破壊するために便利な道具だからなのであり、それによって自由社会滅亡後はイスラムなど追い払って自分ら左翼リベラルが独裁権を持とうと考えているのだ。
この悪の同盟はどっちが勝っても世の終わりを意味する。
我々自由を愛する文明人は、決して彼らに独裁権を取らせてはならない。そのためには危険を承知で危ない事も言わなければならない。危険を承知で意見を述べることが出来ないなら、サウスパークが言うように、言論の自由は信じるだけで守れないってことになるんだ。


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バブルはじけて20年低迷続く日本経済、やる気を失わせるデフレの悪

カカシがアメリカに移住したのは1981年だった。日本は経済バブルの真っ最中で、アメリカにも数多くの日本企業が進出していた。ハワイの不動産はもちろんのこと、ロサンゼルスやニューヨークでの日本企業による大型不動産の買い取りの勢いはすさまじいものがあった。
駐在する日本人ビジネスマンやその家族を対象に、カカシの住むロサンゼルス地域では、リトル東京にしろガーディナ、トーレンスなどで、八百半を中心に日系のショッピングセンターがあちこちにオープン。繁華街では日系のナイトクラブや居酒屋なども軒並み建てられた。
ランチョパロスバレスの高級住宅街には高級車を乗り回し週末はゴルフをする日本のビジネスマンや奥方達や、ビジネスマンの腕にぶらさがる派手派手な愛人達の姿をよくみかけた。(私の知り合いにそういう愛人をやってる娘がいて、よくパロスバレスの愛人宅へ伺ったのだ。笑)
以前にも書いたと思うが、当時は友達とナイトクラブなどに遊びに行くと、必ず「うちで働かない?」と誘われたものだ。どこのクラブも女の子の人手が足りなかったからだが、当時カカシの高卒事務員としての給料がたかが月収20万円程度だったのに比べ、クラブなら最低でも40万は稼げるとか、前記のホステス友人が教えてくれた。
それが、80年代の後半から90年代にかけてのバブル崩壊。私が三回リストラにあったのはこの時期。日本企業相手に仕事してたオフィスで私は毎日のようにレーゾンオフィスをたたんで帰国する企業からの通知を何通も読んだ記憶がある。「お得意先がこんなにつぶれてるんじゃ、私の仕事もさい先短い」と悟ったのもその頃。
本日のニューヨークタイムスの記事に、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった日本が、バブルはじけてはや20年以上たつというのに、一向に経済低迷から抜け出る気配のない不況状態は、今やアメリカやヨーロッパにも他人事ではないと書かれている。
30年代の大恐慌以来日本以外の国では例を見なかったデフレーションが、もしかすると欧米でも起きるのではないかという危機感が、欧米の経済学者たちの間でもたれている。
「我々は日本とは違います。」スタンフォード大学のロバート・E・ホール経済学教授。「アメリカではなんとか再び人々が消費や投資をすることを考えだせるはずです。」
しかし、他の経済学者たちは欧米経済の悪い意味での「日本化」が進んでいるのではないかと懸念する。デフレが起きるのは、消費者が消費を拒絶し、企業が投資を控え、銀行が現金を溜め込むことによって、商品の値段が下がり職が失われ、人々は余計に財布のヒモを絞めるので、ものの値段はどんどん下がるという悪循環が原因。

最近日本の経済状態について本を書いた野村証券のチーフ経済学者リチャード・クー氏は、「アメリカも英国もスペインもアイルランドも皆、日本が10年ほど前に体験したことを今体験しつつあります。」と語る。「何百万という個人や企業のバランスシートが赤字なのを見て、借りたり使ったりせず、現金をで返済しているのです。」

インフレも怖いがデフレも怖い。いや、デフレの方が経済低迷を長引かせ、もっと長期的な打撃を与えるかもしれない。
ニューヨークタイムスは長く続くデフレのために、日本人は非常に悲観的で将来への期待感も過去に比べ縮小されていると書いている。
40歳以下の日本人にとって、バブルなど遠い記憶の彼方だろう。日本企業がアメリカの自動車市場を独占し、ユニバーサルやコロンビアといったアメリカの代表のような映画会社やペブルビーチゴルフ場やロックフェラーセンターといったアメリカを象徴する不動産物件を買いあさり、日本は戦争で負けたが円でアメリカを占領するのではないかと恐れられたあの1980年代なんて、今の状態がどれほどあの時と格差があるのか、きっと想像もつかないだろう。
おごる平家も久しからずというか、バブル後の日本企業は法外な値段を払って買いあさったアメリカの物件を半値以下で元の持ち主に買い取ってもらうという無様な結果を招いた。私はバブル崩壊当時、アメリカの不動産ブローカーに勤めていて、この過程を見ていたから、よく覚えている。
1991年当時、日本経済が世界経済を制覇するのではと予測されたのも何処へやら、いまや中国が日本を追い越して世界第二の経済大国となってしまった。一時は大人気だった大学の日本語教室はからっぽ。今や商売人の目は中国へと向いている。
日本の株市場は1989年の1/4の価値に下落し、一般の住宅の値段は1983年当時のまま、そして政府による赤字はなんと200パーセントと、世界で一番の赤字を抱えている。
しかし、NYTは日本で一番失われているのは「自信」だと言う。1980年のバブル真っ最中の頃は、傲慢とも思えるような日本人の自信過剰な態度がアメリカでは反感を買ったものだが、いまや将来に失望した日本人はささやかな幸せで満足するかのように殻に閉じこもって世界市場から退散しつつあるように見えると。
工業産業は近隣の韓国や中国にどんどん持って行かれるし、団体で海外旅行してはブランド商品を買いあさっていた観光客も、いまや海外旅行は控えて国内で節約旅行。高価な車や電化製品ではなく、ユニクロなどでの買い物が普通になっているとか。
去年カカシが、昔ハワイの免税店で勤めていた日系女性と買い物した時に、がらがらで閑古鳥が泣いている店を見て、彼女は「昔だったら歩けないほど日本人で混雑していたのに」とその不景気を嘆いていた。日本人観光客を頼りにしていたハワイの高級ブランド店やショッピングモールなどもかなり痛手を被っていることは言うまでもない。
デフレの一番の悪は人々が消費をしなくなることだ。お金が入ってくる期待が持てないのにお金を使うわけにはいかない。それは自然な反応だ。だがデフレが長年続きデフレ状態しか知らずに育っている若い世代への悪影響は経済以上のものがあるという。
国の経済が発達するのは、誰かが危険を承知の上で商売を始め、銀行もある程度の損は覚悟のうえで投資するからだが、将来が不安定な世の中では危険承知で商売の賭けをするのは難しい。
日本で最近増えていると言われる草食系の男性というのも、このデフレの生み出した賜物なのかもしれない。
東京よりも楽観的で商売は専門の大阪でも、なんとか消費者にお金を使ってもらおうという努力がかえって値段下競争を生み出し、値段は下がる一方だと言う。
缶ソーダを10円で売る自動販売機、50円のビールを出すレストラン。最初の月の家賃は100円なんていうアパートもある。一時は豪華絢爛を誇った日本の結婚式でさえ、いまや6万円で出来るところがあるとか。うちの妹が20年前に挙げた結婚式の十分の一の値段だ。
高価な洋服を買う若いひとも減ったとかで、2002年に自分で経営していた洋品店がつぶれて以来、別の小売店でパート店員をしている63歳の岡あき子さんは「まるで日本人はよく見せようという願望をなくしてしまったようです。」と語っている。
30年前に日本を後にし、その後も2〜3年おきくらいに帰国しているカカシは、バブルで大繁盛していた日本が、だんだんと廃れている様子を目の当たりに見て来た。ずっと日本に居ないので、時々帰って見る日本の様子がスナップショットのように映るから、かえってその変化が目にとまる。
昔は日本に帰る度に女性達の素敵なファッションに目を見張ったものだが、最近は若い人も中年女性もブランドもののスーツなど着ている人は滅多に見かけないし、ジーパンや地味なパンツ姿の人が多くなった。
日本人ビジネスマンで繁盛したロサンゼルスのナイトクラブが次々につぶれたのは言うまでもないが、日本国内でも高級ナイトクラブの受けた痛手は大きい。昔は単に座っただけで5万円なんて高級ナイトクラブがざらにあった大阪の北新町。いまや1200店あったクラブはたったの480店に減ってしまったという。
昔は交際費とか言って会社が高級クラブで飲めや歌えやとお金を使ったものだ。私が19800年に勤めていた日本の会社では、副社長の一晩の遊び代が私の一ヶ月のお給料より多かったのを覚えている。いまやそんなことができる企業は存在しないだろう。あんなバカ高い飲み代を個人で出せる人間などそうはいないだろうから、店がつぶれるのも無理はない。
不況しか知らずに育った日本の若者は、全世代のような浪費は嫌う。日本マーケティング研究所の取締役で現在若者について幾つか本を書いている松田久一氏は、このような20代の若者を「嫌消費」世代を呼んでいる。松田氏は彼らが60歳になるころまでには、かれらの倹約主義が日本で4200億ドルの損失になっているだろうと語る。
「こんな世代は世界でもありませんでしたよ。」「彼らは消費は愚かだと思ってるんです。」
デフレが一番怖いのは、人々に資本主義の基本である危険承知の投資を敬遠させてしまうからだ。たとえ商売が失敗しても、資本主義経済がきちんと機能していれば、何度でもやり直しがきく。だが、失敗したら借金を抱えるだけで、やり直しの機会はないと人々が思えば、最初からリスクをかけた商売など始めないだろう。
経済が育つのは人々が商売に賭け銀行が融資し人々が投資をするからなのであり、それが出来なければ経済は低迷するばかりなのだ。
日本はこのままデフレの穴底へ転落の一途を辿るのであろうか? 私にはそうは思えない。いくら草食系の若者が増えているとはいえ、いくら嫌消費世代とはいえ、冒険心を持つのが若者の特権だ。
まだまだ日本の若者を見捨てるのは早過ぎると思う。


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日本でフェイスブックが普及しないのは何故?

今朝、フェイスブックでハワイの友達とチャットをしようとして「お早う!」と始めたら、相手が「今からサンディエゴまで運転していくんだ。」というので、どうやってハワイからサンディエゴまでドライブ出来るのかと思って「え〜あんた今何処?」と聞いてから気がついた。ハワイの友人とチャットするつもりで、ロサンゼルスの会社の先輩に話しかけてしまったのだ。
幸いにして、「今なにしてるの?」と聞かれて「出張中の経費報告書いてるところ」と日曜日なのにちゃんと仕事してる話をしたので助かったのだが、これで「日曜日なのに仕事させるんだから、まったくまいるよ、うちの上司は」とかなんとか書いてたらまずいことになるところだった。
さて、このフェイスブック欧米では利用者5億人とかでダントツに人気のあるソーシャルネットワークなのだが、何故か2008年に日本にも紹介されて以来、その普及度はかなり伸び悩んでいるという。その理由について私は以前にこんなことを書いた

私が思うに日本人はPCより携帯でネット参加する人が多いから、短い文章で色々かける手軽なツイッターが人気を呼ぶのではないだろうか。

ただ、フェイスブックは実名登録だが、ツイッターは匿名も可能。ネットで実名が暴露された事件が続発して日本では実名登録が嫌煙されているという理由もあるらしい。

日本人は欧米の人たちより携帯によるネットアクセスが多いので、携帯フレンドリーでないサイトは人気が出にくい。フェイスブックは携帯からもアクセス可能ではあるが、画面が携帯用にデザインされていないので非常に見にくい。特に日本語が直訳で普通の日本語になってないから意味が解りにくい。
だが、それ以外にも日本人特有の内向きのネット使用方法がフェイスブックの普及を妨げているのではと、J-Cast Newsにある。

英調査会社TNSによると、世界46か国のSNS利用実態調査で、SNS(ソーシャルネットワーク)での友だちの数が世界でも少ないのが日本だという。モバイルSNSでは、友人との交流よりもゲームを楽しむユーザーが多いとのデータも出た。「内向き」傾向にある日本人を会員に引き込むには、欧米とは違った独自のアプローチが必要かもしれない。

へえ、そんなんだ。私はミクシーなどの人気からしても、日本でもネットにおける友達作りは盛んなのだと思っていたのだが。
それともうひとつ、日本人はネットでのマナーが海外の人たちよりも悪いという警戒心があるらしい。確かに匿名の掲示板などではかなりひどいことを言う人がいるが、ネット上での行儀など日本でもアメリカでもそれほど違いはないと思う。
実名で顔まで出したら、ああは意地悪なことは言えないだろうし、知り合いにも自分の言ってることがばれるから多少は言うまえに考えてから言うようになるのではないだろうか、と普通は思うが、意外とこれが脇の甘いひとが多いのだ。
以前にも上司をフレンド登録していることを忘れて散々上司の悪口を書いて首になった女性の話を読んだ事がある。また、夫と浮気しているらしい相手の名前をフェイスブックで探し当て、夫と二人で「ハネムーン」に出向いた愛人の写真を目の当たりにして激怒した妻の話とか、私の職場の男性も奥さんじゃない女性と旅行した写真をべたべた張り出して完全に浮気がばれた話とか色々ある。
最近では、ルームメイトに男性とセックスしている場面を隠し撮りされた男子大学生が、その動画をフェイスブックで公表されて恥じかしさのあまり投身自殺するという悲劇さえ生まれている。
またティーンエージャーの女の子同士でもフェィスブックでひどいいじめをしただけでなく、よってたかって一人の女の子を袋だたきにしている様子をビデオにとって公開するなんて信じられないことをする人たちもいた。顔も名前も出てるわけだから、加害者は皆逮捕されたのだが、どうもネットというのはプライバシーという観念を忘れてしまう不思議な力があるらしい。
しかしだ、匿名だからといって本当にプライバシーが守られるのかと言えば、これが非常に怪しいもので、私も以前に書いた通り、匿名の掲示板で実名を出されて散々セクハラ(女性からだが)されたことがあるので、かえって匿名だと思って安心しているとひどい目にあうこともある。
はっきり言って、他人に知られてまずいことは匿名であれ実名であれ、ネットで公開するべきではない。一旦にネットに載ってしまうと、どこかで誰かが見ているもの。
友達同士で酔っぱらって撮った裸踊りの写真が、ネットで出回って近所の笑い者になる、なんてことがないように、我々も注意が必要だろう。
友達の友達は皆友達だからね、フェイスブックでは、、、


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左翼プロパガンダと解っていても楽しんでしまった「マイレージ、マイライフ」

今日の映画、マイレージ・マイライフ(英語題名はUp in the air)が日本で公開されたのは今年の三月(アメリカ公開は去年の11月)。アカデミー最優秀映画賞の候補にも上がったほどで、内容はかなり上出来だと思う。
どうして一年も前に公開済みの映画を今頃観たのかというと、出張ばかりしている同僚が最近出張先のホテルのテレビで観て、いやに気に入ったらしく、私も興味があるのではと勧めてくれたからだ。
主人公のライアン・ギンガム(ジョージ・クルーニー)の仕事は、リストラ中の企業に出向いて行っては自社の従業員を自ら解雇する根性のない重役らに替わって解雇して回ることだ。ライアンはその時だけで後は個人的なつながりを全く持たないこの仕事が気に入っている。
ファーストクラスで飛び回り、一年のうち322日間出張していることや、手荷物だけでする手軽な荷造りの技術にも誇りを持っている。フリークエントトラベラー(頻繁に旅をする人)だから航空会社でもレンタルカー会社でもホテルでもVIP扱い。どこへ行っても列に並んだりせずVIPカードを見せてほぼ素通り。
結婚したこともないし、女性関係はカジュアルで満足。両親はとっくに他界し、結婚間近に控えた妹や男性関係に恵まれない姉とも、ほとんど付き合いはない。人間関係といったら、しょっちゅう使ってるアメリカン航空のチェックイン係りの女性に「おかえりなさい、ギンガムさん」と言ってもらうことくらい。
そんなライアンの生活に二つの変化が起きる。ひとつは魅力的なキャリアウーマン、アレックス(ヴェラ・ファーミガ)との出会い。もうひとつはライアンの会社が新しく採用したインターネットでの解雇方式を提案する有能な新入社員ナタリー(アナ・ケンドリック)の指導を命令されたことだ。
ライアンが自分の能率的な仕事の仕方や生活習慣を、片手間で行ってるレクチャーで説明したり、すばやくセキュリティーチェックを通るための方法を新人のナタリーに教授したりする場面はユーモアたっぷりで楽しめる。フリークエントフライヤーのカカシとしては「なるほど~。」と勉強になる部分も多くあった。
だが、私が一番気に入ったのはホテルのバーでアレックスと出会う場面だ。
バーのカウンターでアレックスが何かのVIPカードを弄んでいる。ライアンがそのカードではどこどこの店では使えないとか、どういう得点があるとかないとか言う話を始めると、自分と同じように色々なメンバーシップカードを持ってるライアンに興味を示すアレックス。
即座に二人はテーブルを挟んでお互いのVIPカードをトランプのように出してその格を競い合う。ライアンのマイレージ数にすっかり魅了されるアレックス。お酒の入った勢いもあるが、マイレージの話で完全に意気投合していく二人の姿はその後に続くベッドシーンよりもずっと色気がある。(ここまで読んでベッドシーンがあると期待した読者は、その淡白な描写に失望するはず。)
一夜を共にした二人は、次回の再開場所をお互いの忙しいスケジュールにあわせてノートパソコンではじき出す。
私がこのへんのくだりを気に入ったわけは、私自身が同僚たちとVIPレベルを比べてカードを見せ合った経験があるし、同じ仕事をしてるのに本社で会う機会などほとんどない同僚たちと示し合わせて飛行機の待ち時間を利用して出先の空港で会ったなんてこともあるからで、同じフリークエントトラベラーとして共感できる点が非常に多くあるからだろう。
しかし、ここまで観ていて、この映画がこれまで個人的な人間関係を持てなかったライアンがアレックスとの出会いによって人との交流の大切さを学ぶロマンティックコメディーだと思ったら大間違い。この映画の本筋はもっと腹黒い反資本主義思想が根底にある。
先ず第一に、ライアンの勤める会社が繁盛するということは、アメリカの景気が不況であちこちで企業がリストラをせざる終えなくなっている状況が背景にある。しかも、企業は景気のいいときはさんざん従業員を利用しておきながら、ちょっと経営不振になると個人感情などおかまいなしに利用価値のなくなった部品を捨てるかのように社員を簡単に解雇する。
この映画のしたたかなところは、企業をあからさまに悪者として責めないところだ。にくったらしく葉巻を吸うような脂ぎった中年男が重役として出てくるわけでもなければ、私腹を肥やす重役のために、まじめな下っ端社員が解雇されるなどというシーンは全く見せない。いや、それどころかこの映画では企業の姿はほとんど描かれない。リストラを決意した重役や、長年勤めた従業員の解雇を外注する人々の冷酷な姿も見せない。だからこそ、この映画に現れる企業はなにかしら不気味で冷酷な物体としてのイメージしかわかない。
映画でライアンに解雇される従業員の一部は俳優ではなく、実際に最近解雇された一般人を起用している。
「30年もまじめに勤めた見返りがこういう仕打ちなんですか?」
「住宅ローンも組んだばっかりなのに、いったいどうやって生活しろっていうんですか?」
「女房や子供にどういう顔みせろってんだよ!」
若い人はまだしも、50や60になって突然リストラされたら、いったいどうすればいいのか。しかも企業は何十年と働いた従業員にねぎらいの言葉をかける気遣いもない。個人的に解雇する勇気すらないで、ライアンのような刺客を雇ってリストラをする。なんて冷酷非情なやつらなんだ!
という感情を観客に生み出させることが出来ればこの映画のプロパガンダは成功したことになる。プロパガンダを承知の上で観ていたカカシですら、自ら従業員を解雇できない重役の根性を批判したくなったほどだから、この映画は非常に良く出来た左翼プロパガンダだといえる。
しかし現実を考えて見よう。
カカシもこれまでに3回ほどリストラされたことがある。そのうち二回とも私は直接の上司から解雇された。どれも会社の経営状態などを考えたら仕方ない現実だった。私がリストラを言い渡される前からすでに社内では大幅な人員削減がおこなわれていたので、私のところに話が来るのは時間の問題だった。
左翼リベラルは認めないが、企業も生き物だ。企業は決して顔のない血も涙もない冷血非道な物体ではない。企業は利益をあげることが商売だが、それが出来なくなれば損失を最小限に抑え何とか生存に勤めるのがその義務でもある。
どんな企業が好き好んでリストラなどするだろう。
確かに長年勤めてきた会社から解雇されてうれしいわけはない。若くてやり直しがいくらでも出来るというならともかく、50だの60だのになって定年間近でリストラなどされたらいまさらどうしろというのだ、という気にもなる。リストラされた当時は私も傷ついた。特に最初の企業は8年も勤めていて、昇進まで約束されていたので、突然の解雇はショックだった。だからこの映画に出てくるリストラされた従業員たちの気持ちは手にとるほど良くわかる。
だが、だからといって企業がリストラをしなかったらどうなるのだ? リストラをするということ自体、企業は経営難でうまくいっていないという証拠だ。そのまま全く経営方針を変えずに同じことを繰り返していれば、いずれは企業自体が倒産の憂き目にある。会社がつぶれれば社員全員が失業するのだ。一部の社員を解雇するだけでは収まらないのだ。
左翼連中はそういう現実を全く考慮に入れない。
すでに公開済みの映画なのでネタばれを心配する必要はないのかもしれないが、ここで私は実際の映画の終わりではなく、私自身が考えた資本主義的終わり方を披露しておきたい。以下はカカシ風結末で映画の本当の結末ではないのであしからず。
ナタリーの訓練を終え、ライアンはナタリーを本社に帰す。アレックスに会いに行った先でのライアンとアレックスのやりとりは映画のまま。
ホテルに帰ったライアンには本社から緊急なイーメールが届いている。翌日ビデオ会議に参加するようにという内容だった。
翌日ビデオ会議を開いてみると、なんとこれはインターネットによるライアンへの解雇通告だった。本社はナタリーの提案を受け入れ本格的にネット解雇に方針を切り替えることにしたため、外回りのライアンたちの職種は削除されることになったからだ。そしてネット解雇部の新しい部長は誰あろうナタリー。
次のシーン。
どこかのホテルのロビー。ライアン・ギンガムのレクチャー看板が飾ってある。その題名は「リストラ後の職探しはどうするか、あなたの未来を考える。」とかなんとかいうもの。会社を首になったライアンは解雇任務を改め、失業した人々のために本当の意味でのキャリアカウンセラーをする仕事を始めたのだ。「あなたの新しい人生は解雇されたときから始まるのです。」観客の中にはライアン自身が解雇した社員たちの顔も見られる。
最後にリストラされた人々が家族の支えでなんとか立ち直ったとかいう証言を流す代わりに、リストラのおかげで自分がそれまで惰性でつづけていた仕事を辞めることが出来、自分が本当にやりたかったキャリアを見出すことが出来た、というような証言が立て続けにされる。
カカシ自身、最初のリストラにあって始めて、それまでの仕事では自分の才能が充分に生かされていなかったことや、給料が低すぎたことを知ったし、二度目三度目のリストラのおかげで、自分の職種には未来がないことを悟り、新しく学歴を得て全く違う分野に視野を広げることが出来た。
そういうことが出来るたのも、アメリカが資本主義の国であり、七転び八起きを許容してくれる社会だからこそだ。そういうことを描写してくれたなら、この映画は満点の価値ありだろう。
無論、この映画のメッセージはその正反対。にもかかわらず、ジョージ・クルーニーのチャーミングな演技に半資本主義プロパガンダ映画にすっかり魅了されてしまったカカシであった。


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反日本捕鯨運動が仲間割れ、わざと船を沈めて日本のせいにしたと元運動家船長が内部告発

シーシェパード環境保全協界(SSCS、the Sea Shepherd Conservation Society)と言えば、反捕鯨を中心に活動しているエコテロリストである。彼らは日本の捕鯨船の回りに船を乗り出して嫌がらせをしたり、時には捕鯨船にわざと衝突してみたり、違法に日本漁船に乗り込んでみたりと、海賊さながらの行為を繰り返している。
その元メンバーだったニュージーランド出身のピート・ベチューン船長は現在のSSCSについて、幹部は「道義的に倒産状態」と非難し、特にグループのリーダーであるアメリカ人のポール・ワトソン船長に対しては、事実を歪曲し世界を騙していると辛辣な批判をしている。
特にベチューン船長とSSCSの亀裂をつくるきっかけとなったのは、今年の1月南極海でベチューン船長操縦の、アディギル号と日本の捕鯨船、第二昭南丸が衝突しアディ・ギル号が沈没した事件だ。下の動画はボブ・バーカー号と昭南丸の双方がそれぞれで撮影したものを並べている。面白いのは、昭南丸で撮影を行っている男性は事故を冷静沈着に報告しているのに対し、ボブ・バーカーの方は「ウォー、すげ〜!」の繰り返し。

衝突自体は双方がお互い相手が故意にぶつかって来たと主張しているが、圧倒的に日本側が悪いと感じたベチューンは衝突に激怒し、直接抗議するため捕鯨船に乗り込んだが、反対に捕鯨船の乗組員に保護され、後に逮捕された。その後ベチューンは日本で五ヶ月間拘束され、二ヶ月の禁固刑を命じられたが、後に五年間の執行猶予となり釈放後即座に強制送還された。
問題なのは、ベチューン船長は取調中、自分の罰を軽くするためにワトソン船長が捕鯨船乗り込み作戦に加担していたと証言し、それが後にワトソン船長の逮捕一時拘束へとつながったことにある。そのことに関してはベチューン船長は自分の非を認めている。
ザ・ブレーズにあてたEメールでベチューン船長は、ワトソン船長からの命令で捕鯨船に乗り込んだという虚偽の証言をしたことを認め、「あれは私ひとりの考えだった。ワトソン船長は賛成した。(虚偽の証言をしたのは)私の愚かな判断だった、そのことについてはポール(ワトソン)に謝りたい。だが、結果的に私はシーシェパードが雇った弁護士の助言に従っただけだ。」
シーシェパードとベチューンの関係が険悪になったのは、シーシェパードがベチューンを日本の監獄に置き去りにしたことにあるという。釈放されたベチューンはワトソンに、もっとボランティアを大切にし、世界に嘘をつくのは止めるべきだと抗議したという。
ベチューンとワトソンの仲違いはそれだけでは済まなかったらしく、ベチューンはついにシーセパードの汚いやり方について内部告発をするに至った。
ベチューンによると、アディ・ギルは第二昭南丸に撃沈されたのではなく、ベチューンがワトソンの命令によって故意に沈めたのだという。ワトソン船長は破損した船を修理するため港まで引っ張って行く時間を惜しんだのだという。

「私は6−12時間でボートが沈むよう細工しろと言われました。「翌日になって船が沈んで行くのを放置されたように見えるシーンはやらせです。あたかも私がその場にいたように見せたのです。「私たちは故意に船を沈め、嘘をついたのです。「まったく道徳に反する行為です。」

この作戦にはアニマルプラネットも関与していたとベチューンは示唆する。
また、ベチューンは他に色々隠蔽があったと書いている。
アディ・ギルが沈むんだ後、海上で昭南丸の乗組員は四本の弓矢を見つけた。シーシェパードは当初弓矢については何も知らないと声明文を出している。今時捕鯨船が弓矢で捕鯨などしているわけはないので、何でこんなところに矢が落ちているのか不思議だが、これには意味がある。
2009年にベチューンがワトソンに最初に会った時、ワトソンはベチューンに毒矢を使うトリックについて説明された。ハープーン船が捕鯨した後、鯨を母船に持って行く際に偽の毒を塗った矢を死んだ鯨の身体に撃ち込むというもの。ベチューンは何故そんなことをするのかについては説明していないが、カカシの想像では矢のつきささった鯨の姿をドラマチックに撮影するのが目的だったのだろう。
また、ワトソン船長が以前に捕鯨船の乗組員から撃たれたという事件もやらせだった可能性が強いとベチューンは言う。自分はその場にいたわけではないから知らないとしながらも、やらせだったという話は聞いているというのだ。
仲違いをした元仲間の証言なので、どれだけ信用できるのかは解らないが、別にやらせなどしなくても、上記の動画を観るだけで、シーシェパードがエコテロリストであることは明白。
これだけでなくシーシェパードは今年二月には「酪酸入りの瓶を発射するなどの妨害活動を行い、監視船「第2昭南丸」の乗組員3人が顔に軽いけがを負」わせるなどの暴力行為をしている。
捕鯨という行為そのものには賛否両論あるだろう。だが、それを阻止したいのであれば合法に国際社会に訴えて廃止を求めるべきなのであり、合法な捕鯨を暴力で阻止しようなど言語道断だ。今は単に小舟をぶつける程度のことで済んでいるかもしれないが、すでに酪酸入りの瓶を投げつけるなどしているところからして、この次は銃弾を使うかもしれない。毒矢も鯨ではなく乗組員にめがけて撃たれるかもしれない。そうなったら捕鯨船はどのように自分らの身を守ればいいのだろうか。
私は今や普通の商船も漁船も武装しておくべきだと思う。インド洋の海賊はすでにおとぎ話ではないし、南極のエコテロリストも現実だ。攻撃されたら反撃する権利はあるはず。奴らがやらせをするのを待つまでもなく、こんな奴らはどんどん撃沈してしまえばいいのだ。


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子供を爆殺する悪趣味ビデオに見た地球温暖化説者たちの残虐な本質

今年の始めに明るみに出たクライメートゲートに始まって、最近地球温暖化説はかなりその信憑性が疑われている。今年の夏は日本は近年でも稀に見る猛暑だったため、多くの日本人は「やはり地球温暖化は起きている」と思ったかもしれないが、日本だけが暑くても地球温暖化とはいえない。現に、カカシの住む南カリフォルニアは非常な冷夏で、果物が育たないという問題がおきたほどだ。
地球温暖化が起きているという科学的根拠がどんどん崩れている中、温暖化説を唱える英国の環境保全団体は、二~三日前、10:10という個人で出来る二酸化炭素排出規制キャンペーンを始めた。この10:10という団体はブラックアダーやノッティングヒルなどでも有名なコメディ作家を雇っていくつかの広告ビデオを制作、それらをユートゥーブで公開した。
ところが、その広告ビデオの内容があまりにも残虐だったため、公開するや否や非難轟々。これらの批判のあまりの激しさに10:10はビデオを取り下げ、そのホームページに謝罪文を掲載せざる負えなくなった。
元々のビデオは取り下げられてしまったが、すでにブロガーやテレビニュースが取り上げて何度も公開されている。興味のある人はこちらのサイトからリンクがつながる。
ビデオの内容は、教室で女教師が中学一年生くらいの生徒達に10:10という二酸化炭素排出を規制する運動について説明している。「最後に参考として何人ぐらい実行するか手をあげて、、ああほぼ全員ね」とほぼ満足な教師だが、ふと手を挙げない男の子と女の子に気づく。「いいのよ、自主的にやれば、プレッシャーはかけないわ。」そういいながら教師は赤いボタンのついた箱を机からとりだし、そのボタンを押す。すると手を挙げなかった男の子と女の子の身体が爆破され、その肉片と血液がそこいらじゅうに吹き飛び回りにいた子供達に降り掛かる。クラスメートの血と肉に覆われて恐怖におののく子供達。にっこりと満足げな女教師。
実を言うと、私は最初にこのビデオを観た時に、これは温暖化説論に猜疑心を持つ誰かが、過激な環境保全運動を批判して作ったパロディなのだと思った。環境保全運動家の間では反対意見を持つ人間をぶっ殺すという過激な思想は普通だというのが、批評家たちの主な意見だからである。
ところが、このビデオを作ったのが当の運動家たちだと知ってカカシはあきれかえった。
速やか且つ激しい批判に驚いてビデオを取り下げた10:10は、ホームページに次のような言い訳を掲載している。

ごめんなさい、

本日、私たちは10:10と環境変化に関する「ノープレッシャー」という短編映画を掲載しました。環境変化がどんどん脅威的になるなか、メディアからの注目が薄れて行っています。私たちはなんとかこの大事な問題を人々を笑わせることによって、第一面に持って行こうと考えました。(略)
ほとんどの人はこの映画をものすごく面白いと感じたのですが、そうは思わない人が何人かいました。そこで私たちは気を悪くした人がいたことについて心からお詫びします。
考えた結果、私たちは映画をウェッブサイトから取り下げました。(略)
やれやれ、生きて学べ。
前進、上進

こういうふうに「気に障った人がいたなら、ごめんなさい」というのは謝罪でもなんでもない。あんたが気を悪くしたのが悪いんだ、俺たちが悪いんじゃない、という本心がみえみえだからである。
もうすでに多くの人々が指摘しているが、ほんとうにおかしいのは、『反対意見を述べる人間はぶっ殺すべき』という考えが笑いを誘うおかしいことだ、と考えている運動家たちの本心のほうだ。そういう事が異常ではない、ごくごく普通の観念だと普段から考えているから、こういうビデオを平気で作る。そして現実社会からあまりにもかけ離れているため、普通の人は冗談でも子供を爆破して肉片や血液が飛び散るような映像など観たくないのだということが理解できない。
以前にもアメリカで、環境保全に協力しない人たちがグリーンポリースという環境警察に逮捕されるというコマーシャルが公開されたことがある。(ユートゥーブビデオはこちら
スーパーで紙袋を選ばずビニール袋を選んだり、電池をゴミ箱に捨てたり、スタイロフォームカップでコーヒーを飲んだりしているごく普通の人がスワットチームさながらの環境警察にタックルされるという内容。
これもはっきり言って、環境保全に神経質な運動家をおちょくるパロディかと思いきや、電気自動車のアウディの宣伝だったのだからしょうがない。環境保全を訴えるなら、ささいな汚染に過剰反応するグリーンポリースなど出して来ては逆効果ではないか。こんなちょっとしたことでも逮捕されるような社会は、はっきりいってユーモアでは済まされない。
ノープレッシャーにしてもグリーンポリースにしても、環境保全運動家たちは自分たちの思想がどれほど過激なものか全く理解できていない。だから普通の人がそういう思想に脅威を抱くということが予測できない。
欧米ではエコテロリストなるものが存在している。彼らは実際に爆弾などを使って自分らの気に入らない企業施設を破壊したり、個人の家に爆弾を仕掛けるなどのテロ行為に及んでいる。日本でも捕鯨船やイルカ漁師などがこうしたエコテロリストによって暴力的な攻撃を受けているからご存知の読者も多い事だろう。
普段、こういうテログループは、普通の環境保全団体とは別個のもので、自分らはそんな過激派ではないという振りをしている団体も、一皮むけば反対派を政治力や暴力を使って弾圧したいと考える過激派そのものなのだ。
今回の「ノープレッシャー」ビデオは、環境保全運動家たちが計らずも自らの残虐な本質を暴く結果となった。完全な自爆である。


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プロ市民をかき集めても及ばなかったワシントンの左翼集会

昨日(10/2/2010)、労働組合や共産主義団体などが主体となって、左翼プロ市民団体の集会が行われた。
去る8月28日に、保守派トークショーホストのグレン・ベックが主催して40万以上の群衆が集まった「名誉回復」集会に対抗しての左翼集会は「One Nation Working Together」といううたい文句。ま、解りやすく言うなら「国が一体となって働く」と言うような意味だろう。
グレン・ベックは特に何かの団体のリーダーではないので、「名誉、、」の集会では、参加者個人が長距離バスや飛行機や自家用車などを使ってそれぞれ自費で交通費を使って全国各地から集まった。バスを調達した団体もあったが、それも参加者が個人的に調達したのであって、主催者側が提供したわけではない。(集会のホームページでは、バスの駐車できる場所とか、タクシーが乗り入れられるまでの場所などの案内があったくらいだ。)
それに比べて「ワン、、」の方は、主催者が労働組合やプロ市民団体であることから、団体バスは主催者側が調達し提供。参加者はほぼすべて組合や市民団体のメンバーで、参加もテレビやラジオのニュースを聞いて自発的に行ったというものではなく、所属団体の幹部から参加を促されての参加だった。
ティーパーティーが草の根運動なら、「ワン、、」は明らかに人工芝運動。
それでも集まった群衆の数は「名誉、、」には遥かに及ばなかった。
グレン・ベック編集のザ・ブレーズというニュースサイトに双方の上空写真が掲載されているので参照されたし。
上から三番目のリンカーンメモリアルの上空写真は、ハフィントンポストという左翼サイトに掲載された左翼集会の写真。そのすぐしたが8/28の「名誉、、」集会の写真。
左翼集会の方はリンカーン銅像のあるところに集中しているが、池の回りには人がまばらに散らばっているだけだ。それに比べ「名誉、、」のほうでは池の回りにもびっしり人が集まり、そこにも入りきらず、あふれた人々は画面左側の芝生の方にも集まっている。
また、「ワン、、」の参加者はバスで来ていたので、バスが迎えにくる時間までには戻らなければならなかった。それで午後12時から4時まで予定されていたイベントも、最後まで残っている人は少なく、ほとんどがバスに乗るために途中で帰ってしまったという。
APニュースですら、この少ない参加者数を無視することが出来ず、『ベックの集会がナショナルモール全体に及んでいたのに比べ、土曜日の集会は遥かに少ない数で、まばらなグループがリフレクティングプールやその他の場所に散らばっていた。』と報道している。
このページにある写真を見ていただくと参加者の性質が解るというと思う。
赤シャツが CWA組合、水色が教員組合、 青が自動車会社労働組合、紫がサービス労働組合のメンバー。プロ市民ばっかり!
「ワンネイション」のホームベージに協賛団体の名前が載っているが、上記の労働組合や市民団体の他に、地球温暖化をマジで唱えている環境保全団体とか、悪名高い共産主義団体アンサーとか、反イスラエル団体、フェミニスト団体、ゲイ団体などといった極左翼団体の名前が羅列されている。
さて集会後の会場だが、「名誉、、」の集会の後には、チリ一つ落ちていなかったのに比べ、この左翼集会の後はゴミ箱にゴミがあふれ、回りに置き去りにされたサインだのペットボトルだのお弁当の包装紙だのがあちこちに散らばってゴミだらけだった。(最初のゴミ一つない綺麗な写真が「名誉、、」集会の後。後のゴミだらけの写真が左翼集会の後。)
こういう所に名誉などという概念を持たない左翼の本性が現れるね。


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中国の世界資源獲得戦略に不安な諸国

昨日中国はブラジルの原油産業に70億ドル(44億ユーロ)の出資をしたそうだ。これによって中国による資源獲得作戦が再び世界中で不安な空気をかもし出している。
下記はウォールストリートジャーナル日本語版より

スペインの石油大手レプソルは1日、ブラジル事業の資産の40%を中国石油化工(シノペック)に71億ドル(約5920億円)で売却すると発表した。

 レプソルのこの日の発表文によると、この案件により、同社はブラジル沖合深海の巨大油田開発でのコストを賄うことが可能になる。中国石油化工の幹部らはこの日、コメントを求める取材に対し、連絡が取れていない。この日は中国の祝日に当たり、企業や政府機関のほとんどが休業している。
 今回の案件により、南米最大の外資によるエネルギー合弁事業の一つに中国企業が出資することになる。中国は国内の景気拡大に必要な原材料へのアクセスならびに権益を拡大しつつあり、同国は国際的なエネルギーセクターでの存在感を強めている。
 レプソルによる今回の案件は、中国石油化工がスイスに本拠を置くアダックス石油を2009年に72億ドルで買収した中国企業によるこれまでで最大の石油関連での買収案件を若干下回る規模。

ザ・インディペンデント紙は、中国はレプソル社の価値の二倍とされる値段で買収を決定したことからして、中国は資源獲得のためなら金に糸目は付けない事がはっきりしたと書いている。
ブラジルの資源買収は中国にとってこれが最初ではない。昨年2月にもシノペック社が国営のペトロブラスに100億ドルの融資をし向こう10年間に渡り一日あたり1万バレルの石油供給の保証を獲得している。
世界各国が今の不況を乗り切るのに用心深くなっているなか、中国だけが大枚はたいて世界中の資源を買いあさっている。
今年だけでも中国企業は何十億ドルという金をかけてカナダの石油砂やギニアの鉄鉱山、アンゴラやウガンダの油田など次々に買収している。
このような中国の動きは世界中で少なからぬ波紋を呼んでいる。中国のシノ化学社がカナダのポタシュ社を買収しようとしているという噂は、中国が世界の肥料市場を独占するのではないかと危惧されている。
また原油流出事故後、株がどっと下がっているBPなども中国に買い取られるのではないかと心配されている。
オーストラリアでは、チャイナアルコ社がリオティント社を買収しようとした時、上院議会から「オーストラリア資源はオーストラリアで保持しろ」とクレームがついたほど。中国の投資が国の国土安全保障に支障を来すのではないかと人々が感じ始めているからだ。
ザ・インディペンデント紙は、こうした懸念とは裏腹に、中国に世界制覇の野心はないと書いている。というより、中国は国内消費が激しくて、そんな余裕はないのだという。中国の経済成長は毎年10%の割で増長している。この勢いは多少弱まることが予測されているとはいえ、このような成長に必要な資源獲得は中国にとって大優先だ。
中国はすでに世界で第二の消費国。国内資源はすでに使い果たしている。このままだとBPサイズの会社を向こう12年間にわたって毎年二つ以上買い取らなければ需要に追いつかないと言う。
また、これによって世界資源の値段が上がるという心配と共に、中国によって世界が不況から抜け出せるという楽観的な見方もある。
ま、諸外国からの援助なしでは自立出来ないアフリカや南米で中国が資源確保のために、こうした第三諸国のインフラ建設に援助をするというのなら、それはそれで良いのではないかという気もする。
これまではアメリカが結構そういうことをして来ているが、中国が経済大国を目指すのであれば、それなりに世界の経済に貢献するというのも悪くない話だ。
中国が民主主義国家であるなら、これは歓迎すべき出来事かもしれない。
だが、中国は自国の国益が大優先であり、人権だの環境保全だのと言った事には全く興味がない。国益になりさえすれば、他国が独裁政権であろうとテロ国家であろうとおかまいなしに資金援助もすれば武器調達もする。
例えば内戦で荒れているスーダンとかダルフールとか、またアフリカ諸国に賄賂をばらまいて、国連において台湾批判をさせてみたりとか、かなり国際社会でも評判の悪い振る舞いをしている。
私が疑問に思う点は、独裁政権は、例えばベネズエラとかキューバとか、諸外国から投資を受けておきながら、企業が利益を得てくると、突然国営企業だからといって外国経営を国から閉め出す傾向がある。もし、中国が投資している国のひとつでもそのような行為に出た場合、中国はどうするのだろうか?
中国はそう簡単に泣き寝入りするとも思えないので、そうなった場合、中国は武力で投資を守ろうとするのだろうか?そうなれば、中国は投資国というより占領国家となるわけだが。
なんにしても、中国の積極的な資源買いあさりは日本やアメリカを含む諸外国にとって、非常に心配な行為である。


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