ソーシャルネットワーキング、実名登録に抵抗ないアメリカ人

アメリカではフェィスブックというソーシャルネットーワキングサイトが非常に人気を呼んでいる。日本では何故かフェイスブックはあまり人気がないが、ツイッターは爆発的な人気だそうだ。私が思うに日本人はPCより携帯でネット参加する人が多いから、短い文章で色々かける手軽なツイッターが人気を呼ぶのではないだろうか。
ただ、フェイスブックは実名登録だが、ツイッターは匿名も可能。ネットで実名が暴露された事件が続発して日本では実名登録が嫌煙されているという理由もあるらしい。
ソーシャルネットワーキングについては、私もここで書いたことがあるが、私と以前に何度かネットで討論したことのある小山のエミちゃんが、これについて面白いエッセーを二つ続けて書いている。特に実名登録と匿名登録の日米の違いについてのエッセーは彼女の左翼的なアメリカ像が現れていて非常に面白い。

Facebookが日本で広まらないのは、当初から言われていたように、実名登録制が日本のネット文化に合わないからである、という説明がよく聞かれる。

Facebook以前は、あるいはそれ以降においても、実名登録制SNSは実は米国でも一般的ではない——というより、MySpaceやFriend-sterを含め、SNSの最も顕著な使われ方は「出会い系」としてのそれであり、Facebookのように「実名登録により、現実社会の友人と繋がる」という使い方はあまりされてこなかった。
となると、求人・求職目的のLinkedInは別として、むしろ問われるべきなのは、なぜFacebookだけがほかのSNSを一線を画す「実名登録制」という特色を掲げ、そしてこれほどまでに成功したのかという点だ。それはつまり、Facebookはどのようにして米国で「実名制への抵抗」を乗り越えたのか、ということでもある。
その答えは、米国に特有の階級文化のあり方と、それを背景としたFacebook自体の出自——あくまで一利害関係者の視点を通してという形でだが、今秋の映画公開が予定されているベン・メズリック著『facebook』に詳しい——にあるとわたしは考えている。

「米国に特有の階級文化」というのは非常に不思議な表現だ。アメリカには貴族だの華族だのは存在しないので、特に階級文化というものはない。金持ちで有名大学に行ったりしてエリート意識を持ってる人間がいるというならそれはそうだが、イギリスや昔の日本のように侯爵だの伯爵だのといった位は存在しないので、親の世代がいくら金持ちでも子供が浪費して破産してしまえばそれまでだし、親が一文もない移民でも、自分の代で事業に成功して大金持ちになれば、身分が低いからといって特定のソーシャルクラブに所属できないといったこともない。
小山の話だと、フェイスブックが実名登録なのは、もともとフェイスブックがハーバード大学の学生及び卒業生の間だけで普及したものだったからだという。

Facebookは、米国ハーヴァード大学の学生だったマーク・ザッカーバーグによって二〇〇四年に創設された。(略)Facebook(当時はThefacebook)はハーヴァード大学のメールアドレスを持っている人だけが参加できる仕組みにすることで、実名登録への安心感を担保すると同時に、特権性・排他性を演出した点が新しかった。

そして当初Facebookを学内に広めるのに大きな役割を果たしたのが、ハーヴァード大学に多数あるさまざまな社交クラブの存在だった。(略)
…….ハーヴァード大学ともなると、普通の大学にあるフラタニティだけでなく、さらに排他的な社交クラブも多数存在していて、本人の資質だけでなく家柄や財産などによっても選別されることになる。普通の大学よりも、より将来に向けた——あるいは在学中にはじめるビジネスの——人脈作りという傾向が強いのだ。
ハーヴァード大学という排他的・特権的なコミュニティにのみ開かれたネットワークを作ることによって、実質的な利用目的はそれまでのSNSと同じく「出会い系」——クラブで開かれるパーティや宴会の目的と同じ——だったしても、それに「信頼できる仲間を作る」「将来のための人脈を築く」といった建前を用意することによって、出会い系そのものにしか見えないサイトへの登録をためらうエリート層が加入しやすいようになった。

はあ、そうなのか。と、一見納得できないこともないのだが、ハーバード大学の学生が裕福な上流家庭の子息子女だけで成り立っているというのであれば、確かにそういうこともあるかもしれないが、実はそうではない。ハーバード大学は奨学金で入学した学生が非常に多く、およそ七割の学生がなんらかの奨学金をもらっている。また少数民族や貧困過程を対象にした奨学金制度もあり、ハーバードに行っている学生は頭脳の面ではエリートかもしれないが、経済面では別にそれほど豊かな家の出身者ばかりではない。
有名校以外の学生は加入禁止という規則でもあるなら、確かにそれは排他的と言えるが、始めはそうでも、最近はフェイスブックがエリートたちの排他的なサイトというイメージはまるでない。誰でも気軽に参加できるし、日本のミクシーみたいに招待されないと参加できないというものでもないから、フェイスブックに参加する事がステータスシンボルになるなんてこともない。
有名大学の生徒や関係者のみサイトというエリート意識に対抗して、高校生や学歴の低い下々の者たちの間で広まったのがマイスペースなのだと小山は言うが、はっきり言ってそんなイメージないなあ。私の印象としては、マイスペースのほうがフェイスブックより出会いサイトという感じがする。私は当初友人のすすめでマイスペースを開設したが、水着姿をプロフィールにしたのが間違いだったのか、変な男達からの誘いばかりが殺到し、日本語で書いたら日本のミュージシャンからの広告リクエスト以外はもらったことがない。
フェイスブックでは、あまり知らない人からのフレンドリクエストが来ないし、変な出会いを期待した誘いも余りもらったことがない。それより、長年合わずに音信不通になっていた学生時代の友達や、出張先で出会ってしばらく会ってなかった人からのリクエストなどがほとんどだ。
小山はアメリカ軍隊の将校と下士官の差についても、それが階級や富の差にあると思っているらしい。

人気ブロガーでSNS研究者のダナ・ボイドは二〇〇七年に発表したエッセイで、Facebookが二〇〇五年に高校生の参加を認めて以来の変化に注目しつつ、FacebookとMySpaceのあいだでユーザが階級に沿って分離しはじめていると指摘している。

またボイドは、米軍内部でも貧しい家庭の出身が多い前線の一般兵士たちの多くがMySpaceを使っており、より恵まれた背景を持つ士官の多くがFacebookを使っていた——軍は二〇〇七年にこれらのサイトの使用を禁止する通達を出した——という点も指摘している。
一般兵士たちの多くが貧しい家庭の出身で高校卒業直後に入隊するのに対し、士官たちは大学卒業後に入隊することを考えれば、高校で既に見られる分断がそのまま軍隊にも持ち込まれているのは当然だろう。

ボイドと言う人がどういう人かは知らないが、確かに士官は大学出でなければならないから下士官より教養はあるが、下士官には貧しい家の子が多く、士官は裕福な家の子が多いというのはアメリカの軍隊を知らない人間の偏見だ。
高校卒業してすぐに志願して下士官になる人というのは、家が貧しくて大学に行けない人というより、高校は出たけど大学には行きたくない、かといってそのまま社会人にはなりたくない、という人が意外に多い。軍隊は、特に下士官は仕事は厳しいが高校時代の延長線みたいな雰囲気がある。回りに年代の同じ仲間が沢山いるし、上から言われた事をしっかり守ってさえいれば特に自分でキャリアを考える必要はないし、昇進に必要な試験にきちんと受かっていれば途中で追い出されたりしないし、精神的には結構楽なもんなのだ。(もちろん戦争に行くのは大変だけど)
大学出で士官として入隊する人は、最初からリーダー格の仕事を望んでいる。士官だからかならず部下がいるわけで、どんな位の低い士官でも自分で判断し下のものを率いる素質を持たなければ昇進できない。私は士官でも若くして部長並みの地位についた人たちと一緒に研修を受けたことがことがあるが、彼らは誰もが頭脳明晰、リーダーシップ抜群で、私の隣に座っていた海軍少佐などは、私の息子くらいの年代なのに、彼に「カカシさん、これやってください。」と言われると、つい「はい!」と言って立ち上がってしまいたくなるほどだった。あの人がリーダーなら素直に付いて行って間違いないと思わせる何かが彼にはあった。
軍隊で士官と下士官は友達関係を結ばないというのは軍隊の規律になっている。これは士官と下士官はプロフェッショナルな関係であり、友人になってなあなあとした関係を持たないための規則である。だからもし、下士官がマイスペースを好み士官がフェイスブックを好むということが事実だったとしても、それは別に彼らのエリート意識云々とは関係がないのだ。
ところで軍隊がソーシャルネットワーキングを禁止したというのは、もしそんなことがあったとしたら一時的なことであって、今では承認している。私は一等兵が軍のコンピュターでフェイスブックを観ていたのをちゃんとこの目で目撃しているから間違いない。軍隊のコンピューターは、色々なサイトに行かれないようにしてあるが、なぜかマイスペースは駄目なのにフェイスブックは観られるという不思議な状態がある。
小山エミが実名登録のフェイスブックの拡大はアメリカ特有の階級文化である排他的なエリート意識にあると言いたいらしいが、アメリカには階級文化などというものは存在しないし、有名校の学生や卒業生たちのエリート意識も、その経済面から来るものではない。
ただ、バラク・オバマ王の例でも解るように、左翼リベラル連中にはこのエリート意識を持った人間が非常に多い。特にお金のかかるアイビーリーグ系大学に行ったひとたちにはその傾向が強い。小山の過ちは、自分が左翼なのでそういう左翼エリートとしかつきあってこなかったから、左翼エリートの階級主義やエリート意識がアメリカのそれだと思い込んでいる点だ。
もっと軍人も含め一般のアメリカ人ともつきあってみてはどうか。そうすれば、アメリカに階級文化などというものは存在せず、貧乏人の子供でも金持ちになれるというアメリカンドリームが健在であることを知るはずだ。


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護衛艦「あたご」裁判で感じた、日本人と謝罪の文化

先日、日本の情勢に詳しい先輩に「そういえば、『あたご』の件はどうなったんでしょうねえ。」と聞いたら、今裁判が起きているという話で、それに関する記事を送ってくれた。先輩は「あたご」の乗組員とは顔見知りで、幹部の人たちとは少なからぬ関わりを持っていた人である。
先輩によると「あたご」の事故が起きた千葉県房総半島のあのあたりは、常に漁船の交通が激しく、漁船は自衛隊を好ましく思っておらず、時にわざと航路を邪魔するような行為を取るということだった。そういう話は他でも海上自衛隊の人から聞いた事があるので、まんざら嘘でもないのだろう。
もちろん、漁船と護衛艦ではぶつかった場合比べ物にならないから、漁船がわざと護衛艦にぶつかるなどということは考えられないが、護衛艦がよける、もしくは止まることを見越して、多少の嫌がらせぐらいはするかもしれない。
ま、日頃からそういう場所なので、自衛隊の方も細心の注意が必要であった。注意不行き届きだった、というのは事実かもしれないが、私の印象では、どうもこういうことが起きると、何でもかんでも全面的に自衛隊が悪いという扱い受けるような気がする。
軍事評論家で作家の佐藤守氏のブログを読んでいて、彼が紹介している「今になって漁船がわるいなんて」という記事に興味を魅かれた。

イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故から2年半。23日にようやく始まった刑事裁判で海上自衛官2人は「亡くなった2人のご冥福をお祈りする」と頭を下げ、無罪を主張した。一方、清徳丸に乗り組み、帰らぬ人となった千葉県勝浦市川津の吉清(きちせい)治夫さん=当時(58)、長男の哲大さん=同(23)=の遺族や地元漁協関係者は「今になって漁船が悪いなんて」と複雑な思いで初公判を迎えた。

軍隊が相手だと、先ず軍隊の非を責めるのはアメリカでも日本と同じだ。イラク戦争中にも何度無実の米軍兵が市民を虐殺したといって裁判にかけられたか知れない。確かにアルグレーブ収容所みたいな例あるにはあるが、ああいうことは先ず稀だ。2005年に海兵隊員が市民を虐殺したとして、あれだけ騒がれたハディーサ事件も、実際にそのような虐殺事件は起きなかったことが2年以上に渡る裁判の結果はっきりし、ほぼ全員が不起訴もしくは無罪になった。
米軍の場合は、最初から兵士らが自分らに非はなかったと主張していたのとは対照的に、「あたご」の場合、艦長さんがわざわざ遺族の家に謝りに行ったりしている。だから謝っておいて今更こっち(漁船側)が悪いというのはおかしいじゃないかという遺族の気持ちは解らないではない。
ただ、日本の文化ではたとえ自分が悪くないと思っていていも、一応謝っておいて、ことを無難に済ませようという風習がある。だから日本では謝るということと非を認めるということは必ずしも同じことではない。
私はアメリカにホームステイで来たばかりの頃、奥さんから何か責められる度に「すいません」と頭を下げていて、「あの子は素直でいい子だ」と思われるどころか、「あの子はドジばかりやっている」と思われてホームステイの家を放り出された経験がある。
アメリカでは交通事故でも、ぶつけて来た相手から訴えられるなんてのは日常茶飯事だ。(カカシも自分が一時停止を無視して突っ込んで来た若い女から慰謝料を請求されぶんどられたことがある。)自分に非がある場合でさえそうなのだから、ましてや自分に非はないと確信出来る場合や、事情がはっきりしていない場合には絶対に謝らないのが常識。
とはいうものの、もしあそこで艦長さんが謝罪をしなかったら、ぶつけておいて挨拶にも来ないといって、遺族のみならず、世論やメディアからどれだけ叩かれたか知れた物じゃない。どっちが悪いにしても、やはり護衛艦の方が大きいのだし、遺族は家族を失ったのだし、とにかく一応謝っておくというのが日本人の道徳というものだ。それは決して自衛隊の方に完全な非があるという承認ではないはず。
だが、日本人同士でもこうなのだから、相手が外国人だった場合には、やたらな謝罪は非常な問題を招く。
先日も古森氏義久氏のブログでが、菅総理による日韓併合の謝罪に関して、拓殖大学学長の渡辺利夫氏著の批判記事を読んだが、まったく同感できる。(強調はカカシ)

韓国併合(日韓併合)条約は1910年8月22日に調印され、同29日に発効した。併合100年を機に菅直人氏の首相談話が、過日発表された。往時の日韓関係についての事情を顧みることなく、謝罪自体を自己目的としているがごとき談話であった。(略)

「私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います」

 現在の価値観をもって往時の日韓関係を眺め、“そういうことはあるべきではなかった”と考えることが、どうして謙虚で率直で勇気のあることなのだろうか。併合条約を有効だとする日本が、条約自体を無効だと言い張る韓国に謝罪の言葉をいくら積み上げたところで、相手を満足させることなどできはしない。道義において自国がいかに劣っていたかを強調すればするほど、姑息(こそく)と卑屈にみずからを深く貶(おとし)めるだけである。現在の価値観で過去を論じることのいかがわしさに、もうこのあたりで気づかねばならない。

まさしくその通りなのだが、現在の価値観のみならず、自分らの価値観と外国文化の価値観の違いにも注意すべきだ。
オバマ王がイスラム圏諸国でやたらとアメリカの過去の『非』を謝っているが、この謝罪ツアーがアメリカ国民をどれだけ怒らせているかは、この間のグレン・ベック主催の集会に、集まった人の数だけみても、オバマ王が何かとアメリカの価値観を諸外国で謝罪しまくる行為を、アメリカ文化の否定と侮辱と取って怒っている人がいかに多いかを表している。
そして謝られた当の国々がアメリカの潔さを買って「その方の態度はなはだ神妙である。」よって今後はアメリカを攻撃するなどということはしないでおこう、などと感心してくれたかといえば、無論そうではない。彼らはオバマの謝罪行為により、アメリカは自らも認める悪徳非道な国であり、オバマのアメリカはブッシュ時代とちがって腰抜けで弱体なので、こっちが何をしても反撃しないだろう。いまこそアメリカを攻めるチャンス。と思った事間違い無し。イランや北朝鮮の態度を観ていれば、これは一目瞭然だ。
さて、話を元にもどすが、私は事故の詳細を知っている訳ではないので、被告の二人が無罪なのか有罪なのかという判断をすることは出来ない。ただ、後潟(うしろがた)桂太郎さんと、長岩友久さんが、政治的な思惑で犠牲にならないよう、公正な裁判において無罪になってほしいと思う。
過去の関連記事:
護衛艦「あたご」半年ぶりに舞鶴に帰港
護衛艦「あたご」乗り組み員一か月ぶりに休暇許可おりる
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人種問題を語るのは左翼の特権なのか?

昨日、黒人の人権運動の象徴とも言うべきマーティン・ルーサー・キング牧師が「私には夢がある」と言った有名な演説をしたリンカーンメモリアルで、しかもその47年目の記念日に、かつて一度オバマ大統領を「人種差別者」と呼んだことのあるグレン・ベックが演説を行ったことにかんし、左翼から人種差別人間がキング牧師の演説を乗っ取ったと批判の声が上がった。
グレン・ベック自身も、大統領を人種差別者だと言ったのは失言だった。今はそうは思っていないと語っている(カカシはオバマは立派な人種差別者だと思うが)。が、同時にエイブラハム・リンカーンを白人が独占しないのと同じで、マーティン・ルーサー・キングは黒人だけにその思想を受け継ぐ独占権があるわけではない、とも語っている。
こと人種差別とか人権問題とかいうと、左翼連中は自分らだけにそれを語る特権があると主張する。左翼リベラルは右翼や保守派とは自他ともに認める人種差別の思想だと本気で信じてる。だから右翼や保守派が実際に人種差別を拒絶し、キング牧師の思想を尊敬し同調するなど、その可能性すら考えることが出来ない。
グレン・ベックのような宗教右翼がキング牧師を本気で敬うなどと言えば、それは他人をたぶらかすための汚い手段だとしか受け取らない。
だが、このような偏見がまかり通るのには、右翼保守連中にも責任はある。右翼保守の多くが左翼リベラルから差別者扱いされるのを恐れるあまり、極力差別者と取られまいと左翼リベラルに迎合し過ぎるからだ。黒人をブラックを呼ばずにアフリアンアメリカンと呼んだりするのがいい例だ。そうやって右翼や保守が何かと妥協するから、左翼リベラルは余計に右翼保守が差別者として後ろめたいからそうでない振りに忙しいのだと確信する。
差別は誰が誰に対して行っても差別である。それがオバマ王が黒人を優遇し白人を冷遇する事に関してオバマを人種差別者だと指摘することは人種差別でもなんでもない。オバマの行為はオバマが白人でも黒人でも同じように良くない事なのだ。
ところで、昨日の集会に集まった人の数は47年前の集会に集まった20万の三倍は居たのではないかという推定もある。少なく見積もっても50万人はくだらないという話だ。そして集会における話題も政治じみたものはほとんどなく、減政権や議会への批判はひとつもなかった。主に宗教を元にしたアメリカの道徳観や価値観を取り戻そうという主題だったという。
また、これだけの人々が集まったにも関わらず、集会の後にはゴミ一つ残されていなかったそうだ。よく環境保全とかいって地球の日に集まる左翼リベラル連中の後はゴミの山になるというから、皮肉なものだ。
それにしても、たかがトークショーホストの呼びかけに、これだけの人々が集まるということは、それだけ人々が現在のアメリカの向かっている方向に不満と危惧を持っているという証拠だろう。現役の議員たちは民主党も共和党も人々のこの声に耳を傾けるべきである。ティーパーティー運動を人工芝だのティーバッグだのといってあざ笑っていると、11月にはひどいことになるぞ。


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グレン・ベック、『アメリカの名誉を取り戻せ!』保守派トークショーホストの呼びかけに集まった大群衆

アップデートあり。下記参照
最近アメリカではグレン・ベックなる保守派トークショーホストが大人気である。私がいつも聴いている朝のトークラジオでも、通勤時間はマイク・ギャラガーからグレン・ベックの番組にかわってしまった。ラジオで朝でも夕方でも通勤時間の番組枠を取れるということはかなり人気がある証拠。
ベックは2年くらい前からフォックスニューステレビでニュース解説番組の司会をしているが、その登場と共に、それまで人気抜群だったビル・オーラーリーを抜いて、飛ぶ鳥を落とす勢いで人気うなぎ上りとなった。
カカシはニュースはテレビよりラジオかネットで取得しているので、ベックが私の好きなラジオ番組を乗っ取るまで、彼の人気にあまり気がつかないでいた。ただ、左翼連中がネットなどでヒステリックにベックを攻撃していたので、これは注目にあたる人間かもしれないとは思っていたが。
そのベックが朝のラジオ番組で本日(8/28/2010)、ワシントンDCで『名誉回復』というテーマで大集会を開くという話をここ数日間ずっとしていた。彼の人気ぶりや番組に寄せられた反響などから、何十万という人が集まる可能性が期待されていたが、フェイスブックのストリームを観る限り、かなりの人々が集まっている模様。
ベックはちょっと宗教色が濃過ぎて私は苦手なのだが、イスラム過激派からの攻撃や、それに迎合しているオバマ王政権や民主党のような無信心左翼連中からアメリカ社会を守るためには、アメリカの基盤であるユダヤ・キリスト教に頼ることが一番効果的なやり方かもしれない。キリスト教を捨てて世俗主義を押し通して来たヨーロッパ社会の今の悲惨な状態をみていれば、アメリカだけがかろうじてイスラムの横暴に屈していないのは、アメリカの宗教の力にあるのかもしれないからだ。
集会を主催したベックは、これは戦争で命を落としたアメリカ兵士らの栄誉を讃え、アメリカ社会で失なわれつつある名誉を取り戻すための集会だとし、政治集会ではないので、政治関係のサインや看板は持ち込まないでくれと呼びかけていた。
自分もティーパーティの熱烈な支持者で、集会にはサラ・ペイリンが特別客賓として招かれているくらいだから、ベックがいくら、これは政治集会ではないと言ってみても説得力はない。ただ、政治よりも宗教を主体にするやり方は、ベックはアメリカを二分させるという左翼連中の批判を躱す意味で懸命だと思う。
特に、政府を批判するようなサインを持ち込まないように、という呼びかけは賢い。サインを許容すると変なことを書いた看板をもった奴らが潜入し、右翼や保守派の振りをしてテレビカメラの前で、あたかもこれが人種差別者やニオナチの集まりであるかのようなポーズを取ったりするからだ。
クリントン政権時代に保守派の星として一世を風靡したラッシュ・リンボーがそうであったように、オバマ政権の成立と共に台頭してきたグレン・ベックもまた、左翼やリベラルから猛攻撃を受けている。
ベックがどれだけ影響力を持っているかということは、左翼連中のヒステリーを観ていれば十分に察知がつくというものだ。だいたい左翼連中は自分らが憎しみに満ちた差別意識まんまんの暴力的な人間であるにも関わらず、常に右翼に対して「人種差別者!」「反乱分子」「憎しみを広めている」などと完全な投影をしている。
だから、保守派や右翼が自分らの持つ先入観通りの差別意識や憎しみに満ちた行動を取らないと、自分らで創作したり演出したりする。
この間も民主党議員の選挙事務所で放火があった際、犯人は右翼だろうと証拠もないのにメディアが煽ったが、実際には先に解雇された事務所の選挙運動員であったり、酔っぱらってイスラム教徒のタクシー運ちゃんを刺した男は、メディアがいうような右翼過激派ではなく、左翼市民団体のメンバーだった、なんていう事件が続けて起きた。
そしてそれでも右翼や保守派が怯まないと今度は法廷や政治力を使って弾圧に至る。(アリゾナの移民法やカリフォルニアの結婚定義法などの弾圧がその良い例だ。)
最近の左翼による文字通り暴力での弾圧もひどくなってきた。つい先日も、ティーパーティーのひとつであるフリーダムワークスなる市民団体は左翼からの爆破やメンバーの暗殺などを示唆した脅迫があまりにひどくなったため、もっと警備の厳重な建物に引っ越さざるおえないという状態が起きた。
グレン・ベックが人気があるのは、ティーパーティーの勢いが全く衰えをみせないのと同じ理由だ。アメリカ市民はアメリカばかりを悪者扱いし、アメリカを守ろうとしない左翼連中に国を乗っ取られたくないと思っているのだ。アメリカの名誉をけがすものは、それがオバマ王であり、民主党の社会主義者たちであり、国民の声を聴かない共和党員であり、同じことだ。
グレン・ベックもティーパーティーも単なる反政権ではないし、断じて共和党のマウスピースではない。そしてまた既存の保守派やリバタリアンでもない。
ティーパーティーはミスター苺のいうところの本当の意味でのポピュラーフロント運動だ。そのことに気がつかないと左翼リベラルも右翼保守も意外な展開を観るかもしれない。
アップデート
土曜日午後6時50分現在: ニューヨークタイムスが報道しているが、集会に集まった群衆の数は30万から50万人とされている。ちなみにベックが市民権活動の父とも言われるマーティン・ルーサー・キング牧師の演説47年記念を乗っ取ったと批判した、自称人種問題専門家のアル・シャープトン主催の集会に集まったのは数百人。


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メキシコ・アメリカ国境で72人の遺体発見される、麻薬暴力団に惨殺された移民か?

またもやメキシコ・アメリカ国境で大量の人々が惨殺されるという事件が発生したが、被害者はどうやらエクアドルからアメリカに違法に移住しようとしていた移民達らしい。
72人の遺体はメキシコの海兵隊によって発見されたが、発見のきっかけとなったのは大量殺害の際に唯一人生き残ったエクアドル人の男性が海兵隊の基地に命からがら辿り着いたことにある。
この男性が襲われたとされる農場へ海兵隊が捜査に行くと、農場にいた暴力団員から猛射撃の反撃を受け、二時間に渡る激しい撃ち合いで海兵隊員がひとり、暴力団員が三人が死亡した。残りの暴力団員は車で逃走。後に多くの武器を残して行ったという。
どうやらメキシコ暴力団は麻薬だけでなく、アメリカへの違法移民密入国にも手を出し始めたらしく、移民たちから一人頭5000ドルから7000ドルと言う多額の金をぶんどったあげくに、それ以上の支払いを拒んだ移民達をその場で射殺したというのだ。なんという血も涙もない連中だろう。
いったい何時までメキシコ政府はこの害虫らを野放しにしておくつもりなのだろうか?


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オバマ王記録更新、六度目の休暇ゴルフは40ラウンドを超す

オバマ夫妻休暇中、という記事をオバマ王が就任してから何回聞かされたことか、まだ戴冠から二年足らずというのに、なんと今回で六度目の休暇。カカシ夫婦なんぞ去年の暮れにサンフランシスコで2〜3日休暇をとったきり休みなんかとってないぞ!この不景気で失業率も上がりっ放しで、一般庶民が苦労してる時に自分たちばっかり贅沢三昧。

オバマ米大統領:一家が避暑地で夏休み

 【ワシントン古本陽荘】オバマ米大統領は19日、家族とともに夏休みを過ごすため、北東部マサチューセッツ州の高級避暑地マーサズ・ビンヤード島に到着した。昨年も夏休みを過ごした場所で、今年の休暇は10日間の予定。厳しい選挙戦が想定される11月の中間選挙前に、英気を養う最後の機会となりそうだ。

休暇を取りすぎていると批判された共和党大統領のロナルド・レーガンやジョージ・W・ブッシュらの単に職場を地元農場に移しただけの『休暇』を含めても、オバマ王のゴルフや水泳だらけで仕事無しのバケーションの数には及ばない。
ブッシュ前大統領がたま〜のゴルフをしている姿を、主流メディアは『戦争中なのにゴルフばっかりしてけしからん』と批判していたが、すでにオバマ王はブッシュ大統領が8年間で行ったゴルフ会の数を、たったの二年足らずで二倍ちかく行っている。(頻度はブッシュの8倍の計算になるそうだ)。6月の原油流出緊急時に行ったゴルフが39回目だったというから、今回のマーサズビンヤード(マーサのぶどう園)避暑地におけるゴルフは少なくとも40回目、確かその間にもオバマは誕生日にとったどっかでの休暇でゴルフをしているから、それをあわせると多分今回は41か42回目くらいになるはず。
別に大統領が何回休暇を取ろうがゴルフをしようが、きちんと大統領としての仕事をしているというならそれでいい。だがオバマ王の場合、普段は職務怠慢で口を開けば庶民に犠牲を求め、責任を迫られれば何もかも前政権が悪いの一点張り。やることなすことアマチュアの域を出ない。
アフガニスタンへの増派作戦にしたってその決断に10ヶ月以上もかけ、あげくの果てに、自分で任命した将軍からリーダーシップを批判されて怒って首にしたり、
歴史上最大の原油流出事故での対策が遅れていると批難されてる真っ最中に休暇を取ったり、
景気は回復し失業率も減っているというホワイトハウスの発言と同時に、高い失業率が発表されたり、
イラン原発稼働作業開始なんてことが起きてるのに、オバマ王はイラン対策には一向に無関心だったり、
グラウンドゼロのイスラム聖廟建設をめぐる国民の感情を全く理解せずに、宗教の自由だとか頓珍漢なことを言って顰蹙かったり、
スコットランド上空で旅客機を爆破させ300人以上の乗客を虐殺したリビアのテロリストがイギリスから解放された当時は無言だったくせに、一年も経ってから犯人はイギリスに返されるべきだなどと手遅れな発言をして大恥をかいたり、
イラクから最後の戦闘員たちが帰国したというのに、ねぎらいの演説もなかったり、
それでいてボーイスカウトの創設100年記念をすっぽかしてテレビトークショーのインタビューには出演したり、
全く呆れるよ!


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アメリカ国民の五人に一人がオバマ王はイスラム教徒と回答

昨日のAPニュースの『世論:オバマを間違ってイスラム教徒と思う市民の数増える』というタイトルを読んで、わざわざ『間違って』と注意書きがあるところに笑ってしまった。

オバマ大統領がイスラム教徒だと誤って納得しているアメリカ人の数が増加している。そして大統領の宗教についてまるっきり困惑している人の数も増えている。

木曜日に発表された世論調査によると、五人に一人もしくは18%がオバマはイスラム教徒だと信じており、2009年三月の調査の11%よりも増えている。
オバマを正しくキリスト教徒と応えた回答者は34%にまで低下した。回答者の中で一番多くの割合である43%が、オバマの宗教は解らないと応え、2009年初期の頃の34%よりも増えている。

興味深いことに、この世論調査は、今回のグラウンドゼロの聖廟建設についてオバマ王の支持演説がある以前に行われたそうだ。
オバマ王の宗教に対して猜疑心を持つ国民が増えたことに関してリベラルメディアは困惑している様子で、上記のAPがわざわざオバマ王がイスラム教徒だという見解は間違っていると注意書きをしているように、タイムやニューヨークタイムスでもオバマが『誤解されている』という内容の記事を報道している。
グラウンドゼロの聖廟建設に関するタイム独自の世論調査の記事によると、、(強調はカカシ)

多くのアメリカ人がイスラム教徒に対して長引く敵意を持っていることがこの世論調査で明らかになった。28%の有権者がイスラム教徒は最高裁の裁判長になる資格はないと応えた。回答者の1/3近くがイスラム教徒が大統領になるのは禁ずるべきだと考えており、24%を多少上回る回答者が現在の大統領官邸の住人(オバマ大統領)がイスラム教徒なのではないかと誤った見解を持っていることが明らかになった。全体的にオバマがキリスト教徒だと応えたのはほんの47%で、24%は無回答か解らないという回答だった。残りの5%はオバマはイスラム教徒でもなければキリスト教徒でもないと応えた。

こうした風潮に関してバリバリリベラルのNYTはというと、、(強調はカカシ)

大統領に関する誤解が国民の中で根をはりつつあるという新しい証拠が出て来た。ビューリサーチセンターの調査によると、オバマ大統領を、誤ってイスラム教徒だと考えるアメリカ国民がかなりの数になっているという。大統領はキリスト教とであるが、オバマがイスラム教徒だと信じているアメリカ人の数は、オバマが候補者だった時から12%、大統領就任当時のから11%も増えていることになる。

はっきり言ってだ、タイムにしろニューヨークタイムスにしろ、単に本人やホワイトハウスが主張しているという以外には、オバマがイスラム教徒ではなくキリスト教徒だと断言できる確固たる証拠は持っていない。
以前にも書いたが、ブッシュ前大統領は何かと自分がキリスト教徒であるという話を演説やインタビューで繰り返ししていたし、クリントン元大統領も分厚い聖書を持って協会通いをしていた。
歴代の大統領達の演説の中には、キリスト教信者ならではの言い回しがあちこちにちりばまれており、彼らがキリスト教徒か、少なくともキリスト教徒の振りをしているくらいの印象は、国民は充分に受けていた。
ところがオバマ王に関しては、およそ西洋文化社会のキリスト教おを思わせるそぶりが見えない。それどころか、アメリカ人には親しみのない異教徒のような振る舞いが非常に多いのだ。
イスラム教とアメリカの伝統的な道徳観が衝突する度に、オバマ王はイスラム教の片をもってきた。今回の聖廟の件だけではない。
ところでこの聖廟及び文化センターの責任者はアメリカ政府からイスラム圏諸国との友好を結ぶ使者として諸外国を訪問することになっているが、その旅費はすべてアメリカの国務省が持つそうだ。ちなみに出張手当(交通費と宿泊費以外の)は日々400ドルから500ドルもあてがわれるのだそうだ。このイマームは実はエジプト発生のテロ軍団モスラムブラザーフッドと深い関係があり、文化センターの資金もイランやサウジアラビアからの献金があるという。
そんな奴がアメリカ国民の血税使って反米施設建設のための募金運動旅行に出かけるというのだ。
オバマ王が実際にどんな宗教を信じているかカカシは知らないし興味もない。だが、オバマ王の行動をみていれば、オバマ王が何を信じているかおのずと解るというもの。ニューヨークタイムスが示唆するようなライバル政治家や陰謀説社によるプロパガンダなど必要ない。


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カリフォルニア州民の声は誰が訴えるのだ? 

ミスター苺著
カリフォルニアの結婚に関する定義を示した提案8号を違憲だとしたウォーカー裁判長は、今度はペリー対シュワッツルネッガー裁判の控訴に関し、弁護側には訴訟当事者として適格性がないと言い出した。
ウォーカーは明らかに反対派が控訴を予定している連邦第9巡回控訴裁判所の裁判官たちに向けて意見を述べているわけだが、この控訴はカリフォルニア知事であるアーノルド・シュワツルネッガーか州の司法長官であるジェリー・ブラウンのみに控訴の資格があるというのだ。
無論これは、シュワッツルネッガー知事もブラウン長官も提案8号を弁護する気も控訴する気もないことを充分承知の上での発言だ。(ブラウン長官といえば、80年代レーガンが大統領として去った後のカリフォルニアでばりばりリベラル知事をやった、あのジェリー・ブラウンその人である。)
ロサンゼルス・タイムスによると:

連邦法廷において適格な立場があるかどうかは、実際に損害を被ったかどうかを証明する必要があり、ウォーカー裁判長は提案支持側はその適格性にあてはまらないとしている….

「提案支持者たちは法域を保証する上で、知事か法務長官に控訴してもらうよう説得する以外に方法がない。」とウォーカー裁判長は書いた。

現役裁判官がカリフォルニア有権者に舌を出している図を想像してもらいたい。
つまり、連邦巡回裁判所として、もっともリベラルで悪名高い第9巡回控訴裁判所は、突如として控訴適格性に興味を持ち出し提案8号の弁護側にはその適格性がないとしてウォカーの判決が正しいかどうかの見直しもせず、 控訴を却下しようという魂胆なのだ。 (hat tip to Le-gal In-sur-rec-tion and Allahpundit at Hot Air)。 裁判官三人からなる審査委員会にいわせると、、

控訴のうえで、控訴側はその内容について提案すると同時に、冒頭序文において、控訴側が控訴適格をしめす第三条によって却下されるべきではないことを示す必要がある。

序文に関する記述であるが、要するにウォーカーの理屈は (1) 知事か法務長官のみがこの件について控訴する資格がある。(2) 二人ともウォカーの判決に賛成して控訴を拒絶している以上、(3) 提案8号提案者や伝統的な結婚支持者は糞食らえ、というもの。
これに関して俺にひとつだけ質問がある。たった六つの単語からなる短い文章だが、そう簡単には応えられないはずだ。
もしウォーカー裁判長が正しく、誰も控訴する事が許されないというなら… “who speaks for the people?”(誰が市民のために発言するのだ?)
7百万というカリフォルニア州民が提案8号に投票したのだ。誰が彼らの主張を訴えるのだ?
市民投票の一番大事な点は、独裁的な法律の改正を有権者自らが提案できる点にある。たとえ選ばれた高官たちが腐敗し、人々の意見を無視して勝手な行動をとっていたとしても、有権者にそれを変えることのできる手段が市民投票なのである。だが、それを政府が単に法案に対する反対側の訴訟を弁護しないという形で市民の意志を覆す事が出来ると言うなら、市民投票の意味など全くなくなってしまう。
連邦レベルでも同じ事がいえる。議会が通し前大統領が署名して法律となったものでも、それに反対する後の大統領が、法律に反対する訴訟を弁護しないことによって既存の法律を覆すことが出来るという理屈になら、憲法を変えずに憲法の裏をかいて実質上変える事が出来るという理屈になってしまう。
これこそリベラリズムである。これこそバラク・H・オバマが約束した「希望と変化」だ。これこそ左翼の得意技だ。
オバマに投票したり、第三党候補に投票したりした人々よ、これこそ君たちがもたらした世界なのだ!

 

 

 

…Miss him yet?

George W. Bush


Cross-posted on Hot Air’s rogues’ gallery


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グラウンドゼロ聖廟建設めぐり、オバマ王の矛盾する発言に迷惑する民主党候補たち

昨日、オバマ王は911事件被災地の目と鼻の先の場所にイスラム教文化センターを建設することを支持する発言を行ったという話をしたばかりだが、本日になってその発言は非常な顰蹙を買ったため、オバマ王は慌てて自分の発言を訂正しはじめたのだが、その訂正がまたまた批評を買ったので、今度は報道官が訂正を訂正するという、なんかおかしなことになっている。
土曜日のオバマの訂正:「私はあそこに聖廟を建てるのが賢い決断かどうかという話をしていたわけではなく、アメリカ国創設の昔から人々が持っている特定の権利について語ったに過ぎません。それがアメリカというものだと。ですから色々と難しい問題もありますが、アメリカ市民としてその価値観に焦点を見失わない事が大切だと思います。」
では、建設そのものが賢い決断かどうか解らないという言い方は、では聖廟の建設を支持するという立場は改めるのかと言う疑問が生まれる。そこでホワイトハウスのビル・バートン報道官は日曜日になって、その訂正の説明をした。
日曜日のバートンの説明:「明確にしておきますが、大統領は別に昨晩のコメントを撤回しようというのではありません。ただ、大統領は地方の企画について判断する立場にありません。ただ、すべてのアメリカ人が宗教の自由という憲法に乗っ取り、平等な扱いを受けることを保証するのは大統領の責任です。ですから大統領の昨晩の発言を確認するならば、あの場所においてキリスト協会にしろユダヤ寺院にしろヒンドゥー神社にしろ建設されるべきなのです。聖廟だからといってその権利を否定されるべきではないのです。」
確かに理屈はそうだが、イスラム過激派のテロが起きた場所で、地元市民が3000人から虐殺された場所で、イスラム教聖廟を建てるというのは無神経を通り越してあまりにも挑発的な行為ではないのか?それを大統領が聞かれても居ないのに、あとになって地元の判断に大統領が口を出す立場ではないと釈明しなければならないくらいなら、なんでわざわざコメントなどしたのだ?
おかげで、地方の問題が全国的な問題へと発展してしまい、来年の選挙に出ている民主党候補たちは、ライバルの共和党候補たちから聖廟建設の立場をはっきりさせろと迫られる立場に追い込まれてしまった。
民主党候補がすでに弱い立場にある地域では、候補者たちが地元の問題に焦点をあてるかわりに、ニューヨークの話をせざる負えなくなったことだけでも、民主党候補にとってオバマの発言は非常に迷惑な話だ。
オバマの演説がある前は、共和党や保守派がグラウンドゼロにおける聖廟建設について話題にするのが難しかった。主流メディアはあえてそういう話題は避けていたし、ニューヨーク以外の地域では「自分らには関係がない」という意識が強かったからだ。
ところが、オバマ王の演説のおかげで主流メディアも無視できない全国的な問題になってくれた。オバマのアホ演説を一番喜んでいるのが共和党の候補者たちだろう。民主党候補者たちは「なんで今、こういう話を持ち出すんだよ!」とかなり頭にきてるはず。
それにしてもオバマ王というのは考えもなしに関係ないことに口を突っ込むのが得意だな。ま、我々保守派としては、今後もどんどんこういう失言をしてほしいものだ。共和党候補はこの期を逃さず、ばしばし民主党を攻撃してほしい。


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うだる東海岸震える西海岸、ヒューストンに夏が来ない年

日本はかなりの猛暑に見舞われているという話だが、アメリカでも東海岸は記録的な暑さに襲われている。摂氏35度以上、湿度100%なんていう蒸し風呂みたいなひどいことになってるらしい。
ところが、それとは裏腹に、カカシが居るカリフォルニアは今年にはいって夏日和は一日もない。カカシは今年はほぼずっとサンディエゴで勤務していたが、朝晩の気温は14〜5度で、海岸沿いにいたせいもあるが、暖房をつけないと寒いくらいだった。
ちょっと内陸にはいった普段は35度は超える暑さになるロサンゼルスでも、今年は30度になる日すらない。同じようなことが数年前その暑さで苺畑夫婦が死にそうになったアリゾナ州でもおきており、フィニックスですら最高気温はせいぜい32〜3度だとか。(アリゾナでは40度なんて普通)
そして本日のニュースだと、やはり普段は猛烈な暑さになるテキサス州のヒューストンでも、今年は異例な冷夏を体験しているという。
ヒューストンでは今週末、なんとか今年最高気温の華氏99度(摂氏37度)を回ったと言うが、普段は45度以上があたりまえの州で8月中旬になっても華氏で100度を超えないというのは珍しい。
もしこのままヒューストンの気温が100度に達しずに夏が終わった場合、ヒューストンでは1997年以来、久しぶりで、華氏三桁台に達しなかった年ということになる。
もっともヒューストンで100度を超えなかった年は昔は結構あったらしい。1890年から1990年までは、10年のうち五年は100度を超えない年があった。それが1900年台の終わりから、毎年100度を超えるのが普通になっていた。
テキサスの気温がここ10年来上がっていたのが地球温暖化によるものなら、今年の寒さは同説明するのかな?
一部の土地で暑く、一部の土地で寒い場合、単純に地球温暖化などとはいえないはず。ま、最近では地球温暖化説は絶えつつあるが。


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