米最高裁、ついに同性婚の合憲性を審議

ついに米国連邦最高裁は同性結婚が合憲であるかどうかを審議することになった。問題となっているのは連邦憲修正14条の解釈。つまり、市民の平等を唱えるこの憲法が、同性結婚の権利を保障しているのかどうかという点だ。
1)最高裁は14条が州に同性結婚許可を求めるものなのかどうか、そして2)自州が同性婚を認めていなくても、他州で結婚した同性カップルを夫婦として認めるかどうかということが審議される。審議がどう転んでも1)が認められれば2)も認められる、1)が認められなければ2)も認められないだろうと予測されている。
もしも14条が同性結婚を保障していないという審議が下った場合、現在一夫一婦制は違憲という裁断のもとに同性婚を認めている30余りの州で同性婚は違法になる。カリフォルニア州でも州民投票の圧倒的多数で通った一夫一婦制の法律の合法性がはっきりする。(今でも合法なのだがブラウン知事が無視して違法結婚を奨励している。それについては後部に説明をつけておく)
いったいどういうことになるのだろうか。最高裁の審議が注目される。


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『引き金警告』『安全地帯』という言葉で女性を馬鹿にするフェミニスト

この間、私が尊敬する元フェミニストのクリスティーナ・ホフ・サマーズ女史がオハイオ州のオバーリン大学で演説を行なった。確かオバーリン大学といえば、醜い裸体をテレビで毎週披露しているレナ・ダナムの出身校。彼女自身が「在学中に大学共和党員にレイプされた」という嘘で騒いだ、あの大学である。
ホフ・サマーズ女史は現代フェミニストの宿敵なので大学での講演など開けないのが普通だが、オバーリン大学の共和党生徒会の招きによって講演が可能となった。女史は、「大学キャンパスにおけるレイプ文化など存在しない」とか「賃金の男女格差は嘘だ」などと遠慮なしにビデオブログやツイッターなどで主張しているので、ばりばり女子大学生フェミニストたちが彼女の講演に敵対心を持って会場前に出された講演紹介の看板に落書きや張り紙を張ってみたり、観客席から野次を飛ばしたりしたのを見ても、まあ、左翼リベラル大学生なら普通の行動なので驚きはしない。
しかし、ホフ・サマーズ女史が楽屋で打ち合わせをしていたとき、会場に二人のどうみてもレズカップルと思われる醜い女子生徒が観客の前に立ち、「引き金警告(トリガーワーニング)」と「安全地帯(セーフルーム)」のご案内をした。これはどういう案内かというと、ホフ・サマーズの演説には強姦に関する話題が含まれているため、それを聞いた女性たちが恐怖感を覚えて気分が悪くなる可能性があるので、女史の演説で気分が悪くなった人は近くに「安全地帯」となる休憩室があるのでそちらをご利用ください。というものだった。
実は、この「引き金警告」とか「安全地帯」というのは最近フェミニストたちの間で使われるようになった新しい言論弾圧のやりかたで、特に大学内での講義や演説で生徒の気持ちを傷つける可能性のある内容が含まれている場合は、それをあらかじめ生徒たちに警告しなければならないという概念。そしてそうした授業などで傷つけられた女子生徒たちが安心して気持ちを落ち着けるために休憩できる場所を「安全地帯」として設置すべしというもの。で、この安全地帯として設けられた部屋にはぬいぐるみとか毛布とか女の子が安心できるようなものが置いてあるんだそうだ。

馬鹿にしないでよ!女をなんだと思ってるの?ビクトリア時代のイギリスじゃあるまいし、女性をやたらにか弱い性として差別しないでくれる?

元来のフェミニストであればそのように怒るところなのだが、フェミニスト自身が考え出したというところが皮肉である。まったく最近の若いフェミニストたちは根性がないな、情けない。せっかく先代のフェミニスト諸姉が築き上げてきた男女同権やたくましい女性像をこんな形で崩してしまうとは。
だが実は、この引き金警告というのが曲者なのである。大学内ではすでにこのシステムを起用するところが増えているが、大学教授が自分の講義のなかで誰かの気持ちを傷つけるかもしれない内容がある場合、あらかじめ生徒に警告しなければならない。で、もし警告した内容に生徒が異議を唱えた場合、教授はそのまま授業を続けられるのだろうか?特定の授業でより多くの生徒を傷つけるような内容の科目はそのまま大学で残るのだろうか? 
たとえばである、地理の授業で「日本海」と書かれた地図をみて韓国人留学生が「傷ついた!」といって騒ぎ立てたら、どうなるのだろう?
どんな授業でもどんな内容でも気分を害さない人間がひとりも出ないということはありえない。私なんか分けわかんない授業についていけなくて傷ついた記憶がいくらもあるからね(笑)。
人々の言論の自由を奪うやり方は、大抵が誰かの「人権を擁護するため」という口実で始まる。私は左翼リベラルが常に使う弱さを武器にしたやり方が大嫌いである。「強姦文化」にしてみても、「共和党の女性に射掛けた戦い」とかにしてみても、自分らを犠牲者扱いし「か弱い女性をいじめるあなた方はなんて非道な人間なの」という立場から相手を弾圧するための道具である。「引き金警告」だの「安全地帯」だの、一見笑ってしまうような馬鹿馬鹿しい観念だが、本当の目的は左翼リベラル以外の言論弾圧にある。そのことを忘れてはならない。
オバーリン大学のフェミニスト活動家たちは、ホフ・サマーズ女史を学校に招待した共和党支持生徒の名前を「強姦文化を促進する者たち」と書かれたポスターに大々的に表示して大学の廊下内のあちこちに貼り付けた。彼女たちにとって「大学内で強姦が蔓延している」という自分らの説に少しでも異論を唱えることは「強姦文化を促進する」ということになるのだ。そして反対意見を述べる人々は断固糾弾し脅迫し弾圧し沈黙させる。
左翼リベラルの常套手段である。


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5歳の幼女をトランスとして育てるのは幼児虐待だ!

先日カリフォルニアはサンディエゴに住む若い両親が自分の5歳の娘はトランスジェンダーだとして男の子として育てる決意をしたという記事を読んで、そりゃ幼児虐待だと即座に思った。
ジェフ・ウィティングトンとその妻のヒラリーは5歳の娘レイランドを男の子として育てることにしたと、サンフランシスコ初の同性愛市長で暗殺されたハービー・ミルクの名前を取った第六回ハービーミルク多様性朝食会でその「勇気ある決断」を評されインスパレーション賞を受賞した。夫妻は5歳の「息子」のトランスへの「長旅」を始めたと誇らしげに語り、男の子姿で現れたレイランドも1000人の観客の前でお辞儀をして自分はトランス子供だと自慢げに挨拶した。
ウィティングトン夫妻は、自分の娘が2歳の頃に自分は男の子だと宣言したことからはじまって、レイランドは常に女の子の服装を嫌がり、男の子の活動を好んだことから、我が娘はトランスに違いないと思い込み、娘が5歳になったのを境に娘の髪の毛も短くして名前も変えて学校も変えて男の子として育て始めたという。
この親アホじゃないの?
と思うのが普通の人間の反応であるはず。娘が自分は男の子だと言ったら「あなたは女の子よ」と言ってあげるのが親だろう。2歳の幼児に男の子も女の子もないのだ。親に正してもらわなければ男女の違いなど理解できない。
だが今や極左翼リベラルLGBTに文化を占領されてしまったアメリカではそんな常識的な批判をすることさえ許されない。ウィティングトン夫妻の記事は主流メディアでは賞賛するものばかり。『夫婦の勇気ある決断』とか『トランスへのジャーニー』とか劇的な言葉使いで夫妻を英雄扱いしている。
まるで裸の王様である。アメリカメディアにはこの夫妻のしていることが幼児虐待だと指摘するものは居ないのか?そう思って色々さがしていたら、ようやく一人私と同じことを書いてるマット・ウォルシという男性のブログを発見した。
マット曰く、この年頃の子供は親の言うことはほとんど本当だと信じ込む。だから親に言われれば、太っちょの白ひげの赤い服を着た爺さんが暖炉の煙突から毎年一回贈り物を届けにくるなんて話しも簡単に信じる。
私も子供の頃よく言われたが、女の子のくせに男の子のものが好きな娘に向かって「お前は本当に男みたいだね、男にうまれてくればよかったのにね」などといったら、感性の強い子供なら親を喜ばせようとして「僕は男の子!」と言い張るかもしれない。子供にはまだ自我の確立が出来ていない。常識も理屈も通用しない。はっきり言って思春期を迎えるまで、自分が何たるかなどということをしっかり把握している子は先ずいないだろう。だから子供には想像の友達がいたり、ぬいぐるみの動物を本物のように扱ったり、自分は女の子なのに男の子の振りをしたりしてみる。そんな子供に自分をトランスジェンダーだと思い込ませるのは簡単である。
親であれば、子供なら誰でも通り過ぎる成長の過程を、なるべく子供の想像力を損なわないようにある程度の妄想は黙認しながらも、危ないときは手を貸してあげるげきだろう。子供が「僕はスーパーマン」といって風呂敷を首に巻いて走り回っているのは放っておいてもいいが、空を飛ぶといって窓から飛び降りようとしたら、親は即座に止めなければならない。
それを大の大人が子供の妄想を助長させてそれを何か勇気ある行為であるかのようにメディアで大々的に発表するというのはどういう神経なのだ?マットも指摘しているが、ウィティントン夫妻は単に娘を利用して自分らが左翼リベラルの間でちやほやともてはやされたいだけなのではないかという。これは娘のトランスというより、娘を洗脳して自分らの名声獲得に利用しているだけなのではないかと。だとすればまさしく幼児虐待である。
この間から私も書いてきたが、だいたいトランスという概念自体が、これまでジェンダーフリーを主張してきたフェミニズムの概念に反する。左翼リベラルは常々、「男とか女というステレオタイプに拘るべきではない」と主張してきた。女の子はおままごとをし、男の子だったらバレエ教室より野球をやらせるべき、といった男女のステレオタイプを子供に押し付けるべきではないといい続けてきた。
だとしたら、女の子であるレイランドがドレスを嫌がり、ズボンが好きで野球帽かぶって外で運動するのが好きだからといって、「この子は男の子なんだ」と決め付けることは、女の子を女の子としてのステレオタイプに押し付けようとする行為ではないのか?
だいたい男女の考え方や素質の傾向にはものすごい個人差がある。たとえば日本人成人女性の平均身長を線グラフで表した場合、左端の120センチくらいの人は少なく、だんだんとなだらかな線が右上がりになり160センチくらいのところが一番高くなり、その後170になってくると右下がりになり、180センチくらいではほぼひらべったくなるだろう。しかし両極端の120センチや180センチの女性も存在する。女性の平均身長が160センチだからといって、120センチや180センチの人は女性ではないなどと言う人はいないはずだ。
それと同じで、女性的とか男性的という性別的な傾向の度合いはひとそれぞれであり、ステレオタイプは単に平均的な性質を述べているに過ぎず、その平均に当てはまらない人々は男女ともに少数派ではあるが存在するのだ。
普通の女の子がおままごとを好むからといって野球やサッカーが好きな子は女らしくないというなら、オリンピックの女子選手はすべて女らしくないということになってしまう。女性は普通エンジニアなどの職種には付かないが、そういう仕事をしている人は女らしくないのか?女性が軍隊に入ったり消防士になったり警官になったりしたら女性らしくないのか?
5歳の子供がドレスが嫌いでも、おままごとが嫌いでも、だから何なんだ、と私は聞きたい。男の子がスカートをはくのとは違って、女の子がズボンを履いて学校に行ったからといってどうということはないだろう。髪の毛もショートカットが好きならそうさせてやればいい。だが、あくまで娘は女の子なのだということを親はきちんと教育すべきだ。いくら思春期前は男の子を装っていても、いずれは女性の身体になるのだから、そうなってから子供が混乱しないように常に自分は女性であるということを親はきちんと納得させるべきだ。
だいたいトランスという概念ほど自己を拒絶する不寛容な概念もない。女性の身体で生まれたからと言って社会が決めた女性の役割を果たさなければならないという義務はない。特に自由社会のアメリカではそれが可能だ。何故ステレオタイプのジェンダーに自分を無理やり当てはめようとするのか?
OK,あなたは男と感じている。だったら女に生まれながら男と感じるという人間として生きていくことのどこがいけないのだ?何故世間が認める心身ともに男にならなければならないのだ?一生男装の麗人を生き抜けばいいではないか?
自分で自分を拒絶しておきながら、社会に寛容を強制させるトランス活動家に私が怒りを覚えるのはこの点だ。しかもそれを5歳児にまで押し付けるとは、、
こんな親は親失格である。


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同性婚反対意見を徹底的に弾圧する左翼リベラルの不寛容

左翼リベラルは常に人に対して「寛容性」や「多様性」を求め、多少でも意見が分かれると「批判的」「偏狭者」と言って相手をなじるが、彼らほど反対意見に不寛容で批判的で偏狭心を持つ者もない。彼らほど反対意見を弾圧し沈黙させる者もない。この反対意見を徹底的に弾圧する汚いやり方は最近の同性婚に関する態度にも歴然と表れている。
ザ・ウィークに載ったこの記事など典型的だ
ザ・クエーカーフレンズスクールオブバルティモアという高校(?)の卒業生ライアン・T・アンダーソンさんはエリート学校のプリンストン大学卒業後、ノートルダム大学で博士号を取るという優秀生。現在33歳の若さで、彼の意見は最高裁のサミュエル・A・アリトJr.裁判官が同性婚に関して異見を述べた際に参考意見として引用されたり、最近では彼の同性結婚に関する意見が評価され、ザ・コンサーバテイブヘリテージファウンデーション(the conservative Heritage Foundation)という格式高い保守派団体からシニアリサーチフェローという権威ある地位に任命されたばかり。左翼リベラル系のワシントンポストですら、「右翼、同性婚に対し新鮮な声を発見」という公平なプロファイルまで紹介した。
それで彼の出身校であるバルティモアの高校は、活躍している卒業生として学校紹介のウェッブサイトにアンダーソン氏のプロファイルを掲載した。しかし、これを不寛容な左翼が黙っているはずがない。すぐに誰かから苦情が出た。すると同学校のマシュー・W・ミシチエ(Matthew W. Micciche)校長はアンダーソン氏紹介記事を即座に削除、しかも長々と氏を紹介したことを謝罪する文まで掲載した。
校長の長文の謝罪において、校長はアンダーソン氏を紹介したことは、「無神経」な行為であり生徒や学校の関係者の皆様に「苦しみや混乱を招き」「苦痛を与えた」ことを「心からお詫びする」といった内容の文を延々と書き連ね、反同性婚のア氏の紹介は決して同学校の見解を語るものではないと強調した。
保守派の著名人を紹介したことにいちいち苦情を述べる方も方だが、即座に謝って保守派著名人との関係を絶ってしまうという校長の態度もひどいものだ。何故いつも同じ意見しか認めない?教育者ともあろうものが、物事には別々の見解があるということを生徒に指導するどころか、政治的に正しくない意見は一切撲滅せねばならないという態度をとるなど、まるで旧ソ連のやり方ではないか。とても自由主義のアメリカの学校のやるべきことではない。
左翼リベラルの常套手段であるが、右と左で意見が分かれている場合、たとえ右側意見が過半数を占めている場合でも、左の意見が普通で右の意見を支持するのは差別者か変質者くらいであるかのように振る舞う。同性結婚は超リベラルのカリフォルニア州ですら過半数の州民が反対している制度だ。ブラウン州知事が州の法律を無視して同性結婚を既成事実にしようと同州での同性結婚を黙認しているので、多くの国民が加州では同性婚がすでに合法となっていると誤解している。だが、同性婚支持は左翼リベラルがうるさく主張するほど国民の支持を得ていないのである。
何かにつけて同性婚に反対な人間を虐待する行為は、決して同性婚支持者を増やすどころかかえって反感を買うことにつながる。なぜ全国各地の州でカリフォルニア州でも州民投票で通ったような「結婚は一夫一婦制のみ認める」という法律やこの間インディアナ州で通ったような宗教の自由を守る法律が続けて通っているのかといえば、アメリカ全国各地で同性婚支持者による横暴から州民を守る必要性を多くの国民が感じているからである。
昔、同性愛者たちが市民運動を始めた頃、彼らの要求は単に法律によって差別されないことにあった。同性婚も差別をうけない平等を求めるものだという主張だった。「マリーとジェーンが結婚したからって、あなたの結婚にどういう影響があるというの?」というのが口癖だった。
ところが単に「我々の結婚を認めろ」が、「我々の結婚を祝福しろ」「我々の結婚を積極的に支持しろ」「我々の結婚式に参加しろ」と要求するようになった。単に「認めろ」が「支持しろ」に変わりいまや、「反対は許さない」「反対意見は断固弾圧する」になり、遂には「同性婚を積極的に支持して参加しないものは罰する」となってしまったのだ。
同性婚はそれ自体がもたらす悪影響のみならず、このように反対意見の言論をとことん弾圧するという意味でも非常に悪質な制度であり、絶対に許してはならない。
繰り返すが、カリフォルニア州では同性婚はいまだに違法である。ブラウン知事の行為は完全な加州憲法違反なのである。


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トランスが傷つけるフェミニズムのあり方、ジェンダーハーツ

前々から紹介しようと思っていた本がある。これは自他共に認める過激派フェミニストのシーラ・ジェフェリー著「ジェンダーハーツ」。あえて訳せば『性別は傷つける』かな?この内容は、トランスジェンダーの政治権力をフェミニストの立場から批判するもの。
私はどんな過激な思想を持っているひとでも、信念を持っている人には一応の敬意を持つ。なので左よりリベラルよりも、徹底的な左翼の人とか、フェミニストでも過激派で完全な女性優位主義者のほうが口だけ寛容とか多様性とか言って自分らの信念をご都合主義で歪曲する人たちよりずっと尊敬できる。
で、私は前々から本当のフェミニストならトランスという概念を受け入れられないはずだと思っていた。これは女性から男性へ、男性から女性へと、転換しようとしているどちらの人々に関しても同じだ。もっともその理由は異なるが。
女から男へ(FTM)は、女性を拒絶している。はっきり言ってフェミニストからしてみればこれほどの裏切りはない。要するに女であることを誇りに思い女性の立場を推進するどころか、女を拒絶して男になろうなんていうのは男子優位社会を自ら促進するようなものだ。
男から女へ(MTF)はフェミニストの敵だ。彼らは女じゃない。彼らに女みたいな面をされたくない。そう思うのは当然。歴史上弾圧されてきた女性の葛藤を元々男のMTFに理解できるわけないだろう。男としての有利な立場をずっと保ってきた人間が整形してホルモン剤摂取したくらいで女面するな、ってなもんである。
というのは私の見解だが、ジェフェリー女史の立場はちょっと違う。彼女にしてみれば、やたらに「ジェンダー」と言って性別を区別すること自体に問題がある。女性はハイヒールを履いてスカートを着て無償の家事を喜んで行ない、男性は着心地の良い服を着て仕事に専念できるべき、といったようなステレオタイプを強調することを拒絶してきた彼女達にとって、トランスジェンダーはそのステレオタイプを推進する最たるものである。トランスの横暴は「性別」という観念がフェミニズムに損害を与えるまたひとつの例である。
MTFが率先するトランス活動は、元々男なので筋力も本当の女性たちより強いし、性格も積極的で攻撃的な人が多い。男性同性愛者のゲイたちの支援を受け、MTFの政治的権力がフェミニストのそれより強まっているのも、権力を求めそれに対して活動する行動力は男性のほうが女性よりも勝るからである。そういう偽女を女性の運動に導入すれば、彼らが活動を乗っ取るのは時間の問題だ。いや、もうすでにトランスの権力は極フェミニストたちを無力な少数派へと追い込みつつある。
ジェフェリー女史はそのトランス(特にMTF)により、トランス否定派の極フェミニストたちが、どれほど言論を弾圧されているかを訴えている。トランス活動に批判的な会合や活動はトランス活動家によって妨害され、会場からイベントをキャンセルされることが多くなってきたことや、彼女自身がフェミニスト会合で演説することすら許されない状態が起きているという。(現代フェミニズムを批判して立ち入り禁止になった元フェミニストのクリスティーナ・ホフ・サマーズを思い出す。)
女として生まれるということに選択の余地はない。生物学的に女であることで受けた差別や迫害は個人の選択によるものではない。このような女としての体験を単に「女でありたい」人間が理解できるはずはない。ジェンダーという概念は選べても性は選べないのだ。トランス女に本当の女性の体験は理解できない。
ジェフリー女史は、女とはどうあるべきかという形付けは男性優位社会が女性に押し付けてきたものだと主張する。そしてMTFトランスの意味づける女性像は、まさに男による女性像の押し付けであるとする。
元々フェミニズムは権力者である男性が女性を下級階級の従僕として都合よくつくりあげた女性像からの逸脱を目指すものであった。女性は強姦、強制的な妊娠や出産によって男性から虐げられてきた。フェミニズムはどの男性による女性弾圧への革命から始まったのだ。にもかかわらずMTFトランスを女性として受け入れるということは、男性による女性像を受け入れることに他ならない。
ジェフェリー女史は最近はフェミニスト会合などで、MTFが主賓として招かれ「女性の体験談」などを語ることが増えてきていることをひどく嘆いている。女史はまた、MTFの多くが伝統的に男性が持っていたラフな職業(パイロット、軍隊の特別部隊出身など)を持ち、妻子持ちの人も多くいることを指摘。こういう男たちに女としての何がわかるというのか?
女史は同著のなかで、あえてMTFやFTMといった言葉使いはせず、トランスジェンダー男、女という呼び方をしている。どんな手術を受けようとホルモン剤を摂取しようと生物学的な性を変えることは出来ないからである。
同著ではトランスとして性同一適合手術(SRS)まで受けておきながら、後になってその決断を後悔し、現在は元の生物学的性に戻っている人たちの勇気ある活動にも触れている。この「勇気」というのは本当で、今やSRSが性不適合障害の唯一つの治療として受け入れられている現在、それを批判することはトランスの政治権力に相反することになり、そのバックラッシュは生半かなものではないのだ。
トランス政治が我々一般人の生活にも危害を与えつつある現在、ジェフェリー女史の著書は非常にタイムリーだと思う。一読の価値ありとみた。


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アメリカの大学、無実の罪を着せられた男子生徒からの訴訟激増

アメリカの大学において性犯罪の冤罪を着せられ大学から停学や退学などの処分を受けた男子学生が人権侵害されたとして大学を訴える事件が急増している。特に2010年以前は指で数えるほどしかなかった訴訟が、2010年ごろから急激に増え、2014年から2015年になるとなんと40件ちかく発生している。いったい大学では何がおきているのか。
ウォールストリートジャーナルによると、連邦政府教育委員会は1972年に通った男女平等法律タイトル9に乗っ取って、大学構内における性犯罪をもっと厳しく取り締まるようにと全国の大学に勧告状を送った。
特に大きな変化として、 “preponderance of evidence” 「だいたい正しいと思われる証拠」があれば処置してよいというもの。これは具体的にどういうことかというと、問われた罪がだいたい50%くらい信頼性のある証拠があれば、有罪として処分に移ってもよいという意味。これはこれまでの75%以上の信憑性が必要とされていた“clear and convincing evidence”「明らかで納得のいく証拠」と大きな違いがある。
この基準でいくと、被害者を名乗る方が加害者とされた方よりも圧倒的に有利であり、普通の法廷なら検察側が被告が疑いの余地なく有罪であることを証明しなければならないのに対し、この基準だと被告が自分の無罪を証明しなければならなくなる。多くの大学は被告の男子生徒に弁護士をつけることも許さず、、きちんとした法的アドバイスもせず一方的に男子生徒を罰している。
ルイス・マクリードさん24歳もその一人。マクリードさんは卒業を二週間に控える去年の春、強姦の罪でデユーク大学を退学になった。彼は同大学の女子学生とバーで出会い、自分の部屋でセックスをした。マクリードさんは同意の上だと主張しているが、女性は翌日、自分は酔っ払っていて性交渉には同意していないと警察に訴えた。地元警察は取り調べの結果マクリードさんを起訴しなかった。警察は強姦があったことすら認めていないのに、学校側は女性側の言い分を全面的に認めてすぐさまマクリードさんを退学処分にした。マクリードさんはこの大学側の処分は不当であるとして大学を相手に訴訟を起した。
マクリードさんのようなケースは2014年から2015年にかけて全国各地で40件ちかくも起きており、その多くが学校側との示談で終わっている。つまり、学校側の処分が不当であったと認めざる終えない件が大半だということだ。マクリードさんの件も、法廷はマクリードさんが無罪である可能性が非常に高いため、大学側に「退学処分」という記録を正すようにと命令した。マクリードさんはすでに就職が内定しており、卒業証書がもらえればそれでいいと語っている。
ここでも何度も書いてきたが、オバマ政権及びフェミスト団体は何故かアメリカの大学内での性犯罪が深刻な問題になっているという説を強め、5人に1人の女子学生が大学在学中にレイプされていると主張。この数は全くのでっちあげなのだが、オバマ政権の教育委員会はそれを理由に大学内での性犯罪取り締まりを厳しくするようにと勧告しているのだ。それによって被告として冤罪を着せられる男子生徒が激増。公平な法的裁判を受けなかったとして学校を訴える男子学生も激増しているというわけだ。
ハーバード大学の法律教授は教育委員会の新基準は気違い沙汰だと非難している。
同大学は、最近連邦政府からタイトル9に即して大学の方針を変更するようにと勧告されそれに同意した、それに対して同大学の人権及び家族法の専門エリザベス・バーソレット教授(Elizabeth Bartholet)は、連邦政府が勧告する新規則は「気違い沙汰」であり歴史がこの法律が如何に誤ったものであるかを証明するだろうと語る。
同教授は法律ブログに下記のようなメールを送った。:

連邦政府がハーバード大学がタイトル9に違反したとする決断は政府によるタイトル9の誤った解釈にほかならない。教育委員会の人権委員会による決断は最終的に法律として認められるものではない。法廷こそが法の解釈に責任があるのだ。そして法廷はいずれ政府による解釈を拒絶すると信じる。現在の法廷の裁断は最高裁判所も含め、セクシャルハラスメントに関し、わいせつ行為による被害を受けた側の人権を守るとともに、誤って罪を着せられた側の人権及び個人の恋愛関係に関しても、もっと均衡の取れた姿勢をとっている。

同教授はハーバード大学は連邦政府の勧告に挑戦すべきであって安易に折れるべきではなかったと強く批判している。
はっきり言って私が男子大学生だったら女性とのデートは怖くて出来ない。お互い同意の上でセックスしたと思ったのに、後になって女性がその行為を後悔したり、痴話げんかのすえ、腹いせにレイプをでっちあげる女子生徒によって、自分の将来は台無しにされる可能性が大きいからである。
もともと引っ込み思案でおとなしい男子生徒だったら、大学在学中は女子大生とは付き合わないと決める男性も多くでるかもしれない。女子大生にとって男女交際に消極的な男子学生が増えることは良いことなのだろうか?
ミスター苺はよく、フェミニストとは醜くてモテナイ女の集まりだ、とひどいことを言っているが、自分たちはどうせ男女交際など出来ないので、他の女の子たちが男の子たちと付き合いにくい環境をつくることこそ、彼女たちの本当の目的なのかもしれない。


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バージニア女子大生狂言輪姦事件で明るみに出たメディアの大学は強姦魔の巣窟という奇妙な思い込み

去年にバージニア州立大学の構内のパーティで、暴力的な輪姦の被害にあったという女子大生の事実無根の話を掲載したローリングストーン誌が、今回改めて何故このような嘘がまことしやかに同誌に掲載されてしまったのかという自己調査を行い、その調査結果を発表した。
ことの内容を詳しく知りたい方は拙ブログの女は強姦されたという嘘は付かないって本当?どんどん異様な事実が明らかになるバージニア女子大生の狂言輪姦事件をご参照願いたい。
この調査結果を断片的に読んでみたが、要するに、記事を書いた女性記者がアメリカの「大学構内において強姦が蔓延している」という偏見をジャッキー(仮名)という女子大生の証言が完全に裏づけする形となったため、それ以上の取材をせずに彼女の言い分をそのまま鵜呑みにしてしまったというのが原因である。以前にも書いたとおり、アメリカの大学構内で起きる強姦事件数は構外で起きる事件よりもずっと少ない。にもかかわらず何故かメディアやフェミニストたちは、男子大学生による女子大生への性犯罪が非常な問題になっているという迷信をなんとしてでも広めたいようだ。
こういう事態になってもまだ元記事を書いたサブリナ・アーデリー記者は、男子大生による女子大生への犯罪は深刻な問題だという自説を変えようとしない。彼女の謝罪文を読んでみるとそれは明らかである。

ローリングストーンの読者の皆様はじめ、編集者及び同僚の皆さん、バージニア大学の関係者の方々、そして私の記事によって実際に性犯罪の被害者でありながら名乗りでるのをおそれるようになってしまった人々に対して深くお詫びを申し上げます。

この謝罪では彼女が一番迷惑をかけた人々への謝罪が抜けている。ジャッキー及びアーデリーの記事で無実の罪を着せられたフラタニティーの男子生徒たちである。彼らは意味もなく学校を停学になり、フラタニティーを閉鎖され、他の生徒や世間から白い目でみられて、今後の就職活動やその他の社会的活動に多いに支障をきたした。にも関わらず、アーデリーは彼らに対する侘び心は微塵も持ち合わせていないのだ。それは、彼女のなかに、彼らが今回の事件では無罪でも、他に同じようなことをやっているに違いないという偏見があるからである。
最近各地の大学で、男女交際に関する厳しい規則が次々に設立されている。しかしそのどれもこれもが、男女間の性交渉において何か問題が生じた場合、全ての責任が男子生徒にあるという立場から書かれている。
たとえばとある男女が合コンでお互い飲みすぎてそういう関係になってしまったとしよう。もしも彼女が酔っていたので適切な判断が出来ず性交渉に同意してしまい後になって後悔した場合、彼女はそれを「レイプ!」と言って彼を責め立てることが出来る。女子生徒には「酔っていたから」といって許される行為が男子生徒には絶対に許されない。
この前にも紹介したレナ・ダナムの件でも、彼女は男子生徒を自分の部屋に招きいれ、お互い裸になってベッドにまで入ったのに、途中で気が変わったのか、後になってその体験があまりよくなかったと後悔したのか、何年も経ってから「私は大学時代にレイプされた」と当時の同級生を名指しで責めた。
これじゃあ男子学生は怖くてやたらに女子大生と付き合えない。さて、これに関して私の好きなパワーラインで時々書いてるペンネーム、アモガールが面白いことを書いている。

私は一生涯で一度も、セックスを期待、いや強く希望せずに、すっぽんぽんになって男性とベッドインしたことはない。少なくとも私はそう。
教えてほしいんだけどさ、私は古い人間だから若い女の子たちに聞くんだけど、男性の前で裸になってあなた方は何の反応も求めてないわけ?(「見せもんじゃないよ、単に隣の寮部屋の平均的な裸の女性が寝ようとしているだけだ、スポーツ番組でも見て無視しろ」ってなもん?)
幼稚園生の時代からきゅうりにコンドーム着せてた世代でしょう、それが男性の性欲についてこれっぽっちも知識がないってのはどういうことよ。
もちろん長年に渡る結婚生活のなかでは、「あなた、お休み」といって寝てしまうことはある。でも服を着ていない男が服を着ていない女とあったかい心地よいベッドで一緒にいて何にも起きないってな本はかけないでしょうが。(ここで幼稚な「やった、やらない」賭けジョークを挿入)男性はささやかなヒントは見失うかもしれない。でも普通の健康な男なら、自分のベッドに自主的に裸の女がはいってきたら今夜はラッキーなことが起きると取るのは当然。
それが嫌なら、いったいあなたそこでなにをしてるわけ?

アモガールは同記事のなかで、自分から裸になって男性のベッドに入って男性が何もせずに寝返りして寝てしまったら、それこそ頭にくると書いているが、全く同感だ。女が自分から迫って拒絶されるほど恥かしい事はないからね。強姦の被害者に「そんなところで何をしていたんだ」と聞くのは被害者を責める二次レイプだとか言うフェミニストがいるが、ここまで来るとこの質問は適切だろう。
何度も繰り返しているが、後になってセックスを後悔した、もしくは振られた腹いせに復讐しようとかして、虚偽な強姦罪をでっちあげる行為は邪悪だ。それは無実の罪を着せられた男性に対しても、本当に凶悪な強姦の被害にあった女性たちに対しても非常な冒涜である。


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大多数のアメリカ人が宗教に違反する商売を断る権利を支持

インディアナ州にあるメモリーピザというピザ店が、FRFAについてどう思うかというテレビのインタビューで、自分らの店はキリスト教徒経営なので、同性結婚式のための出前だったら断るかもしれない。と答えたことがあだとなって、全国中のゲイやその支持者たちから同店のフェイスブックにヘイトメールが殺到し、消費者によるレストラン批評のページでは悪評が何百と掲載され、いっぱんのお客さんから受ける注文用の電話もヘイトコールによってふさがり、全く商売あがったりの状態となってしまったという話は前回紹介したが、これには後日談がある。
同性愛活動家による脅迫に腹を立てメモリーピザに同情した人々がネット上で彼らを援助しようという募金活動をはじめたところ、なんと二日間で100万ドル近い支援金が集まったそうだ。どれだけ一般人が同性愛活動家たちの横暴に腹を立てているかがわかるというもの。
実は、一般市民がどれほどこの問題に嫌気がさしているかをあらわす世論調査があった。ラスマスン世論調査によると大多数のアメリカ市民が、一般企業には宗教的な理由でサービスを拒否する権利があると感じていることがわかった。

調査によると、53%のアメリカ人が自分らの州にRFRAのような新法が通ることは望んでいないものの、70%の回答者が「キリスト教徒のカメラマンが自分の深い信心により同性婚に反対している場合、そのような結婚式を拒否する権利がある」ことに同意した。略
キリスト教の企業が自分たちの宗教に違反するような顧客の要求を拒否すべきではないと答えたのはたったの19%だった。

またこの調査では59%の共和党支持者がRFRAを支持しているのに対し、民主党支持者は13%、無所属は37%支持していることがわかった。にも関わらず、「キリスト教写真家が同性婚の結婚式の撮影を拒否することが出来るか」という質問に対しては、民主党支持者では56%、共和党84%、無所属69%が、もし宗教の教えに反するのではれば拒否できるべきと答えたという。
民主党支持者でRFRA法の支持者が極端に少ないのは、彼らが同性愛活動家らによるRFRA法の内容を信じてしまっているからなのかもしれない。だが、一般のアメリカ市民はそれほどナイーブではないようだ。
同調査では「同性愛活動家やメディアがインディアナ州で通ったような宗教の自由を保障する法律を正しく報道しているという思うか」という質問で思うと答えたのが27%だったのに対し、活動家たちが「法律が差別を促進するような歪曲した報道をしている」と答えた人が過半数の51%も居た。つまり一般のアメリカ人は同性愛活動家や主流メディアがRFRAを口実に何をやろうとしているのかお見通しだということである。
もともとアメリカという国は宗教迫害を逃れるために他国から自由の国アメリカを目指してやってきたひとたちによって建国された国である。そんな国でアメリカの根本である宗教の自由を奪おうとしている同性愛者たちに民主党支持者ですら脅威を感じるようになってきた。どんなアメリカ人でも他人に自分の宗教に関して色々言われたくないと思ってる。ましては自分の信じる宗教の教えに反する行為を無理やりさせられることへの怒りは大きい。
左翼連中は常にやりすぎる。同性愛活動家たちは相手をホモフォブ(同性愛恐怖症)だのヘイター(憎悪する人)だの差別者だのと言って相手を黙らせてきた。しかし今回のことで、アメリカ国民は目覚めつつある。これまでは同性愛者のクイアな生活は自分たちには関係がないと思っていた人々が、日がな夜がな同性愛崇高主義を押し付けられてかなり嫌気がさしてきている。こんな横暴がもっと続けば(さらにひどくなることは必定)お人よしのアメリカ人の堪忍袋の緒が切れる日は近いのでは?


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イスラム圏に拡大する企業がインディアナ州の宗教の自由を批判する偽善

先日インディアナ州で通過した宗教の自由を守る法律”Religious Freedom Restoration Act」”(信教の自由回復法)について紹介したばかりだが、それに関してアップル社のクック会長ら大手企業が批判的な意見を表明していると話題になっている。

Appleの最高経営責任者(CEO)Tim Cook氏を含むテクノロジ業界の大物たちは、新しい「信教の自由」に関する法をめぐって、インディアナ州に圧力をかけている。同法は同性愛者などに対する差別に利用されるおそれがある、と批判者たちは主張する。
 Cook氏は米国時間3月27日、Appleは同法に「深く失望」している、とツイートした。Appleは、世界で最も成功している企業の1つで、最も人気の高いブランドだ。(略)

その通り。アップルは世界中にその企業を拡大しているが、特に興味深いのはアップルによるサウジアラビア進出。サウジといえば極端な男尊女卑で女性は運転も出来なければ野外での一人歩きは禁止。外出の際は家族の男性同伴のうえに頭巾着用が強制されている国。同性愛はもちろん違法。同性愛者はそうとわかればその場で逮捕されて拷問の上斬首される(かどうかはわからないけど)ような国。そういう国に同性愛弾圧について何も言わずに自社の企業を進出させておいて、インディアナ州のマイナーな法律を批判するってのは偽善にもほどがある。
ところで、この記事ではこの法案についてきちんと説明がされているので、そのまま抜粋させてもらうと。

 

問題となっている法案「Religious Freedom Restoration Act」(信教の自由回復法)は3月26日、インディアナ州知事のMike Pence氏の署名によって、法律として成立した。州政府や地方自治体の行為は、その行為が「説得力のある政府の利益を促進するのに不可欠」であり、それを実行する「最も制限の少ない手段」であることが示されない限り、「信仰を実践する人々の権利に大きな負担を課してはいけない」と同法は宣言している。

 1993年に可決された連邦法に基づく同法は、信教の自由に関連する問題の解決に関して、明確な法的指導を提供するだけだ、と支持者は主張する。

アメリカではすでに同性愛行為そのものは違法ではない。同性結婚も州民の意志を無視した行為とはいいながら、法廷によって合法になった州もいくつかある。(カリフォルニアではまだ合法ではないので間違えないように。)
このRFRAは決して同性婚者やその支持者を差別してもいいという法律ではなく、自分の宗教の施行に関して極端な弊害がある場合は、個人でも企業でもその行動を拒否する権利があるというもの。つまり同性婚に反対な人を無理やり同性結婚式に参加させたり、ケーキ屋さんに同性婚ウエディングケーキを無理やり焼かせたり、写真家に結婚式の写真をとらせたり、といって行為を政府が強制することはできないという法律。
ともかく、同性愛活動家たちのダブルスタンダードや偽善は、彼らが攻撃の標的をキリスト教徒に絞り、キリスト教よりもずっと厳しく同性愛行為を禁止しているイスラム教に対しては全く無言であるという点だ。何故同性愛者たちはアメリカでもイスラム教徒の多いミシガン州のディアボーンあたりのケーキ屋さんに行って、同性婚祝いのウエディングケーキを焼いてくださいと頼み、断られたらどれだけイスラム教徒がヘイトな宗教だと主張して訴えたり嫌がらせをしたりしないのだろうか?
という疑問が生まれるのは当然である。それで、イスラム教ケーキ屋さんに同性婚ウエディングケーキをたのんだらどうなるかという実験をした隠しカメラのビデオが最近公開された。ラウダー・クローダーという保守派のコメディアン・評論家がゲイに扮してイスラム教徒経営のケーキ屋さんを幾つか尋ねて、同性婚のウエディングケーキを焼いてくれと依頼したところ、どこの店も即座に断った。どの店も彼を失礼な態度で応対したりはしなかったが、「うちでは出来ません、~さんの店ならやってくれるんじゃないでしょうか」というのが共通した答えだった。
ところで、インディアナ州にあるメモリーピザというピザ店が、FRFAについてどう思うかというテレビのインタビューで、自分らの店はキリスト教徒経営なので、同性結婚式のための出前だったら断るかもしれない。と答えたことがあだとなって、全国中のゲイやその支持者たちから同店のフェイスブックにヘイトメールが殺到し、消費者によるレストラン批評のページでは悪評が何百と掲載され、いっぱんのお客さんから受ける注文用の電話もヘイトコールによってふさがり、全く商売あがったりの状態となってしまった。
こんなひどいことをしたゲイやその支持者の活動家たちは、先のビデオでウエディングケーキ作成を断ったモスレムの店にもヘイトメールやヘイトコールを送るだろうか、何故か疑わしいね。
それにしても何故同性愛活動家にしろフェミストにしても彼らにとって最悪の敵であるイスラム教の冒涜を完全無視するのだろうか?「平等だの寛容だの全く語彙にないイスラム教の悪行は完全無視して、ただ放っておいて欲しいだけのキリスト教徒を容赦なく攻撃する運動家たちの本当の目的は何なのか?
実はその答えは非常に簡単だ。同性愛活動家もフェミニストたちも実はその本性は社会主義者ファシストである。彼らの目的はアメリカの本来の姿を破壊することにある。オバマ自身、アメリカを生まれ変わらせたいと正直に言って大統領になったのだから、その支持者が同じ考えだと考えるのは道理。
アメリカを破壊するためにはアメリカの基盤となっているユダヤ・キリスト教を破壊することが大事。イスラム教はアメリカ文化には無関係なので攻撃の対象にはならない。いや、それどころか、反アメリカという点で今のところ自分たちと同じ側に立っていることから、かえってゲイ活動家もフェミストもイスラム教に迎合するきらいがあるという皮肉な状況が生じる。無論アメリカ破壊の暁には両者ともに権力争いをするのだろうが、それはまた後の話。


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宗教の自由を弾圧する同性愛活動家たちの横暴に負けるな

最近インディアナ州で宗教の自由を保障する法律(「宗教の自由復活法」Religious Freedom Restoration Act、RFRA)が通った。これは個人や企業や団体が自分らの宗教の教えに反する行為を連邦政府から強制されない権利を守るものである。無論自分らの宗教に反するからと言って病気の子供に手術を受けさせないとか、宗教の儀式だからといって動物を生贄にしたりとかいった行為まで保証されているわけではない。主に対象となっているのが、宗教団体が従業員の避妊や堕胎の費用を含む保険料金の負担を強制されないとか、キリスト教徒のケーキ屋さんや写真家が同性婚の顧客を拒否する権利といったものが保障されるという法律である。
自由社会のアメリカで言論の自由と宗教の自由は基本的な権利であり、憲法補正項目の第一条で保障されている。こんな法律に異存がある人など居ないだろうと思ったらそれが大間違い。インディアナでは、この法律は同性愛者を差別することに悪用されると何千という抗議者が集まって抗議デモが始まった。
すでに連邦政府にはこの法律は存在しているのだが、アメリカは州単位で色々な取り決めが違うので、連邦の法律と州の法律が食い違った場合、その解釈は個々のケースによって色々変わってくる。それで、多くの州では混乱を防ぐため、州でも連邦政府とほぼ同一の法律を通そうということになったわけだ。もうすでに20の州で同じような法律が通っていたので、インディアナ州知事も同州の法律がこれほど批判を受けるとは予想していなかっただろう。はっきり言って私にもこの法律のどこがいけないのか反対者の理屈が理解できない。アトランティック紙のギャッレト・エプスはこう説明する。(下記は概訳)

(インディアナ州の新法が連邦政府の法律と同じだという主張)は正しくない。二つの法律の文面を詳しく読んでみるとそれははっきりする。インディアナ州のRFRAには一般企業が『自由に宗教を施行』する権利が記載されているが、連邦政府のRFRAやサウスカロライナを除くほかの州のRFRAにはそのような項目はない。それどころかルイジアナやペンシルベニアではNPO以外の企業にRFRAは当てはまらないと記されている。

つまりエプスは教会や慈善事業の無理益企業は別として有益を目指す一般企業には同性愛者を拒絶する権利は存在しないと主張しているわけだ。しかしすでにこれに関しては、連邦政府の最高裁判所の裁断により、有益企業も個人と同様に宗教の自由を施行する権利があると取り決められているのである。であるからインディアナ州の法律は連邦政府や他の州の法律には特に記載されていないが、最高裁判所の裁断で決められた項目を法律に取り入れたにすぎず、決して個人の権利を迫害するような項目ではないのである。
はっきり言ってアメリカの同性愛活動家のやり方は汚い。わざとキリスト教徒の商店や企業を選んで、その企業が受け入れられない要求をし、それを拒まれるとすぐに訴訟起しヘイトメールや脅迫状をどんどん送ってビジネスが成り立たないようにしたり、地方政府と共謀して多額の罰金を払わせたりしている。
同性婚が裁判所によって多々の州で強制的に施行されるようになるまで、同性愛者は自分らが同性同士で結婚することが異性結婚をする人々にどんな悪影響があるのだ、などと言っていたが、一旦同性婚を無理やり合法にしてしまうと、同性婚に同意できないビジネスや人々に同性婚を無理やり押し付ける暴力的な脅迫を始めた。インディアナ州でこのような法律が通ったというのも、こうした同性愛者による横暴な行為への反応だったとも言える。
ところでとあるキリスト教徒の活動家が同性愛者経営もしくは同性愛親派のケーキ屋さんに、「同性婚は悪だ」というメッセージを入れたケーキを焼いて欲しいと頼んだところあっさり断られた。その時の録音を聞いたが、「うちはゲイによるパイ菓子屋なので、自分たちの主旨に反するパイは焼けません」と言う答えが返ってきた。それでこのキリスト教徒は「あ、じゃああなた方は公平に反するのですね。差別するんですね。」と言うと「違います。そんな嫌悪(ヘイト)に満ちたメッセージは焼けません。」と答えていた。
同性愛派が自分らの主旨に反するからといって反対派のスローガンの入ったケーキやパイを焼くのを断る権利があるのなら、何故キリスト教徒の店が同性婚を支持するという自分らの主旨に反するスローガンの入った菓子を焼くことを断る権利を認めないのだ。何故「同性婚を支持しましょう」というメッセージはよくて、同性婚はいけないというメッセージはヘイトスピーチということになるのだ?
私は近年の同性愛過激派らによる行き過ぎな横暴はすでに多くの一般人のなかでかなりの反感を買っていると感じている。全国の学校区で無理やり施行されつつあるトイレ法(バスルームビル)をはじめ、一般の常識を著しく破る変態的な法律が幅を利かすようになるにつけ、これまで同性愛者は自分の好き勝手な生き方をすればいい、自分には関係ない、と思っていた一般人に「同性愛者てなんて傲慢なんだ」という印象を持たせるようになっている。
我々保守派は昔から同性愛過激派の陰謀、いわゆるゲイアジェンダ、の危険性を説いて生きたが、最近になって同性愛者たちの目に余る悪行を目の当たりにして、それまでゲイアジェンダなど全く興味がなかった普通の人にもその危険性が理解できるようになったのではないかと思う。
ゲイたちの行き過ぎたやり方は決していい結果を生まない。これまで何かと言うと「ホモフォビア」と言う言葉を乱発してきたゲイたちだが、一般人が「フォビア・恐怖症などではなく、本当にホモは驚異的な存在なのだ」と実感したとき、それまでゲイたちホモフォビアなどといっていたのが子供だましのごとく、ひどいバックラッシュを受けるだろう。
もうこの問題は双方後ずさりできないところまで来てしまった。非常に残念なことではあるが、同性愛者たちへの極端なバックラッシュが訪れるのは時間の問題だと思う。しかもかなり短時間の。


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