Tag: イスラエルの歴史

前回も現在パレスチナ人と呼ばれている人たちの多くが20世紀初期にアラブ近隣諸国から移住してきた人たちの子孫だと言う話をしたが、それに関して面白い記事と動画を見つけたのでご紹介しよう。先ずこちらのサイトからArab migration shaped Palestinian society – The Ettinger Report

(前略)イギリス委任統治領パレスタインのアラブ人のほとんどは出稼ぎ労働者であり、エジプト、スーダン、レバノン、シリア、ヨルダン、イラク、サウジアラビア、バーレーン、イエメン、リビア、北アフリカ、ボスニア、インド、アフガニスタンなどからの1832年から1947年までのアラブ/イスラム移民の波の子孫であった。 イギリスの委任統治領はアラブ人の移民を奨励する一方で、ユダヤ人の移民を阻止した。(略)

イスラエル地理学の世界的権威であるヘブライ大学のモシェ・ブラワー教授は、1920年代から1930年代にかけてのアラブ移民の波が、イスラエルの地におけるアラブ人村落の例外的な拡大に与えた影響を記録している。これは、エジプトの支配者ムハンマド・アリ・パシャがこの地域を征服した1832年から1840年にかけての持続的なアラブ人移民に続くものであった(「イスラエルの地におけるアラブ人村落の成長要因としての移民」、定期刊行物『メルハヴィム2』、1975年)。 第一次世界大戦後、移民の波は、軍事基地、道路、鉄道、倉庫といったイギリス委任統治領の大規模なインフラ建設プロジェクトに加え、ユダヤ人による商業農業(特に柑橘類)の拡大や住宅建設によって労働力需要が高まったことが引き金となった。(略)

1917年当時、ヤッファのアラブ人の国籍は、エジプト人を中心に、シリア人、イエメン人、ペルシア人、アフガニスタン人、ヒンズー人、バルチ人など、少なくとも25カ国に及んでいた。 英国パレスチナ探検基金は、ヤッファ地区にエジプト人居住区が広がっていることを記録している: アブ・ケビール、スメイル、シェイク・ムニス、サラメ、フェジャなどである。内陸部のアラララ、ケーファー・カセム、タイイバ、カランサワにも数百世帯のエジプト人が定住していた。

現在のパレスチナ難民は、なにかとパレスチナ人という民族があの土地に先祖代々住んでいたのに、シオニストが来てパレスチナ人の土地を奪ったと主張するが、実はパレスチナには25以上の隣国からアラブ人が移住してきており、パレスチナ民族なるものは存在したことがないのだ。これを裏付けるDNA検査の動画を見つけたのでちょっと紹介したい。これは数人のパレスチナ人が自分のDNA検査をした結果を集めた動画集で合計15人の結果が出ているので、ちょっと統計を取ってみた。

この検査では個別の国ではなく、地域での分配なので細かいことは解らないのだが、全員に共通していることは誰もが5つ以上の民族のDNAを持っていること。多い人は8つもあった。下記が主な地域及び民族。

  • 中東
  • 北アフリカ
  • 西アジア
  • イタリア
  • イラン・イラク
  • ナイジェリア
  • アイベリア
  • アシュケナジジュー(東欧系ユダヤ人)
  • サフェリックジュー(中東系ユダヤ人)

現代のパレスチナ人にユダヤ人の血が流れているのは全く不思議でもなんでもない。隣り合わせで済んでいるのだし交流が全くないわけではないから。しかしこれではっきり言えることはパレスチナ人は一つの民族ではなく、多くの地域から移住してきた人々の子孫だということだ。移民の多いアメリカなどでも一人でいくつもの地域の人のDNAを持っていることは珍しくない。一つの民族が同じ土地で何千年も住んでいれば、このようなDNAのバリエーションはあり得ない。

例えばこれが日本人のDNA検査だったりすると、98%日本民族で後の2%その他といった人がほとんどである。これこそが日本民族が存在する証拠だ。

さて、パレスチナ人がパレスチナ民族という一つの民族の子孫ではないと言うことが解ったからといって、じゃあ何なんだと言えば、彼等が一つの民族ではないということは、彼等が先祖代々あの地域に住んでいた民族であり後から来たシオニストらによって国を追われた、という論説がなりたたなくなる。

だからパレスチナ活動家は必死になってパレスチナ人はカナン族の末裔だなどとアホなことを言っているのだ。

アップデート:2月26日現在

昨日Xで現在のパレスチナ人はカナン族の末裔であるという証拠としてある論文を添付した人がいた。その内容は私には難しすぎて理解できなかったのだが、その論文を素人にも解るように説明したサイトがあったので貼っておく。Jews and Arabs Descended from Canaanites – Biblical Archaeology Society

これによると今現在中近東に住むアラブ人やユダヤ人の祖先の半分は古代カナナイツ族であるというもの。特にパレスチナ人がどうのこうのということは全く書いてなかった。


4 responses to パレスチナ人という民族は存在しない、DNA検査で見つけた予想通りの結果

苺畑カカシ2 months ago

食塩
@tableSalt0117
パレスチナ沿岸部は人類文明の初期から交易地として栄え、常に雑多な民族の来入があり、元ツイの「歴史」を見ても歴史上かわるがわる様々な民族の入植と支配があったのが明らかで、DNAが雑多になるのは当然で、ひとつの民族の子孫ならあり得ないという認識が間違っている。

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苺畑カカシ2 months ago

先ず基本的に考えて、DNAテストの結果としてパレスチナ人という枠が存在していないということから、明らかにgenealogists系統学者はそういう民族の存在を認めていないということになる。

私はgenealogistではないのではっきりしたことは言えないが、歴史上かわるがわる様々な民族と入植と支配があったなら、そこに居る民族は先祖代々同一の民族が続いてきたとは言い難い。

同じく交易地として栄えた地中海湾岸の国々でもDNAテストをすると割合何処の国の人かすぐわかる。私はユーチューブで色々とDNAテストをやったという人の結果を見てみたが、とあるイタリア人の男性は祖母がフランス系である以外は全員イタリア人だと言っており、その結果は75%イタリア人で残りの25%はほぼフランス人という予測通りの結果が出ていた。イタリアは島国ではないし、ベニスなど交易港もあるわけで、そのアトランダムに選んだイタリア人男性が75%イタリア人と出るということがイタリア民族というものが存在することを証明している。

反対にパレスチナ人はアトランダムの10人が10人とも複数の民族の混血だ。どうして10人のうち一人でも「パレスチナ人」という枠に嵌らないのか?

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苺畑カカシ2 months ago

ところで移民だらけの土地出身の現パレスチナ人が混血ばかりなのは当然だが、それを考えると世界中に散り散りになっていたユダヤ人が、ユダヤ民族のDNAを未だに守り続けていることのほうが奇跡ではないだろうか?

ずっと中近東に残ったユダヤ人は別として欧州に二千年も住んでた人々が、どうやって先祖代々のDNAを保つことが出来たのだろうか?

実はユダヤ教徒には昔から異教徒とは結婚しないという掟がある。ミスター苺に言わせるとユダヤ人は「血縁関係」に物凄くうるさく執着するとのこと。その理由は祖国なくして流浪の民となった民族が団結するためには血を守るしかないからというもの。

無論、誰もがユダヤ教徒とだけ結婚するわけではない。屋根の上のバイオリン弾きでも四人いる娘の一人は地元のロシア人と結婚している。しかしあのお芝居でも大事にされているのは「伝統」である。親が子どもの婚姻を管理していることがテーマだ。

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苺畑カカシ1 month ago

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC18733/
Jewish and Middle Eastern non-Jewish populations share a common pool of Y-chromosome biallelic haplotypes

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