ポリコレに気を使いすぎて訳の分からなくなったリトルマーメイド実写版とオンラインゲームの行き過ぎたポリコレ

ポリコレに気を使いすぎて訳の分からなくなったリトルマーメイド

戦没者追悼の日の三日連休で公開されたリトルマーメイドの実写版リメイクだが、公開前からアリエルが赤毛の白人少女から黒人になったということなどで色々話題になっていた作品だ。公開されてみると売り上げはあまり芳しくないらしい。国内ではまあまあらしいが海外の売れ行きはかなりひどく、製作費や宣伝費を考えると完全なる赤字で終わりそうだ。

まあそんなことは私はあまり興味がないのだが、作品を観た人たちの感想動画をいくつか観たところ、主役が黒人に変わったということよりも、全体的に一貫性がなく面白くないというのがよく聞く感想である。

私が聞いた批判をいくつか箇条書きにしてると、、

  • アリエルの両親は二人とも白人(魚?)なのにアリエルを含め7人の姉妹たちが全員違う人種なのはどういうわけだ?
  • アリエルの父親役のハビアー・バーダムのやる気のない演技にしらける
  • エリック(王子様)は白人なのにお母さんは黒人なのは変(養子という無理やりのこじつけも説得力がない)
  • 登場人物全員が全く違う方言(アクセント)で話すのは何故なんだ!
  • 画像が暗すぎる
  • CGが安っぽすぎる
  • フラウンダー、セバスチャン、スカトルのCG描写がしょぼすぎる
  • アクアフィナが演じるスカトルの歌が曲も歌声も酷すぎて死にたくなった
  • 原作アニメは一時間半未満だったのに実写版は二時間半で長すぎ
  • 王子様がアリエルに二回も救われる。軟弱でまるで存在感がない

とまあこんな具合だ。もしリトルマーメイドを観たことがない人がこうした批評だけを聞いたら、この映画が人魚姫を描いたミュージカルなのだということを知ることができるだろうか?はっきり言って、こういうどうでもいいことばかりが気になるということは、映画の内容そのものがつまらない証拠だろう。ポリコレばかり気にしすぎて、映画の内容に力を入れないからこういうことになるのだ。

リトルマーメイドは1989年にアニメ版が公開されて以来、ブロードウエイを始め高校や中学の演劇部などによっても何万回と舞台ミュージカルとして再現されている。どうせリメイクをするのであればすべてのキャラクターを人間にやらせるくらいの想像力が欲しかった。この映画を見るくらいなら、近所の高校生が文化祭でやった舞台を観た方がずっとましだ。(高校生の舞台を観たことがあるが、結構よかった)

オンラインゲームの行き過ぎたポリコレ

私はオンラインゲームは全くやらないので内容については無知なのだが、昨今ゲームの世界でも欧米のポリコレが入り込んでおり、内容が不自然に歪められているという。特にゲーマーの間では悪名のたかいフェミニスト、Briana WuとAnitaSarkeesianらによって、プレイヤーの殆どが男性というゲーマーの世界は散々な目にあっている。(BrianaWuについては拙ブログでも過去に書いたことがある。自分の政治運動のために無実の男性を告発する悪質なミーツー運動、ゲーマーの場合 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)

こちらのキャベツさんのユーチューブチャンネルでキャベツさんは何度もこのポリコレの悪影響について語っている。動画はそれぞれ結構長いので興味のあるかたはそちらをご覧になることをお薦めするが、この過激フェミニスト達のおかげでゲームがどのように改悪されているかというと、、

  • 美女のキャラクターがブスに変わる。何故かフェミニストは美女でグラマーな女性が嫌いなようで、あまりにも美しい主人公は少女たちに非現実的な理想を生むからとかなんとかいう理屈で、可愛かったキャラがだんだんブスになっていく。
  • 露出の多い衣装がなくなる。圧倒的に男子プレイヤーが多いゲームなのだから綺麗な女性が露出の多い服を着るのは当然のはず。
  • 筋に無関係なところで突然ヘテロだったキャラがLGBTに変貌する。文脈に関係ないところで女同士のキスシーンがあったりしてプレイヤーたちは困惑。
  • 不自然に黒人キャラが登場する、白人キャラが突然黒人に変貌したり、北欧を舞台にしたゲームの日本人制作者が登場人物に黒人が少ないと批判されたりしている。

キャベツさんは、アニータ・サキ―ジアンについての動画もあげているので興味あるかたはそちらをご覧になるのも良いだろう。

私はこれらの動画をみていて思ったのだが、時々ツイッターで私が萌え漫画のポスターなどについて批判的なツイートをすると敵意丸出しの男性オタクらに絡まれることがあるが、彼等は多分日頃から過激フェミニストによって自分らの好きなアニメやゲームを散々叩かれていることから、フェミニストに対して非常なる敵意を持っているからなのだろう。確かに彼女たちの行動を見ていると、オタク男子たちが怒るのも理解できる。

この美人がブスになるとか、白人キャラが黒人に変わるとか、やたらとLGBTが出てくるというのはテレビドラマの中でもしょっちゅうあることで、私が好きなスタートレックシリーズのディスカバリーなどはもう観ていられないほどのポリコレになっていた。主人公含め登場人物の半分以上が黒人。やたらと女性キャラが多いにもかかわらず、みんなブスかデブかその両方。オリジナルシリーズのようなミニスカートや新世代のぴちぴちスーツの美女は出て来ない。しかも前シーズンの最終回では本物の超左翼リベラル黒人女性政治家本人が登場するという、もういい加減にしろと思ってしまった。私は今シーズンはもう全く観る気ない。

ところでキャベツさんはまだ気づいていないが、こうしたポリコレの裏に居るのは単なる口うるさいフェミニストたちだけではない。フェミだけではこんなにゲーム業界全体の作品を変えてしまうような力はない。これは私が先日ご紹介したESG指標が関連している。つまり黒幕はフェミニストではなくブラックロックのような大企業なのだ。

ESGが幅を利かせている以上、今後もポリコレ迎合映画やゲームがどんどん作られていくことだろう。それに対抗するためには、消費者が抗議の声をあげ作品をボイコットしていく以外に方法はない。


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消費者を無視するESGファシズム、企業がターゲットボイコットから学ぶべきこと

バドライトへのボイコットにより親会社のアナハイザーブッシュは大打撃を受けている。このままではバドライトはもうライトビールブランドとして生き延びることは出来ないのではないかと思われるほど深刻な状況になっている。

実は私にはずっと解らないことがあった。なぜバドライトのような庶民的なビールメーカーがほとんどの消費者が全く好まないであろうお目覚め主義(WOKE)の宣伝をしたのかということだ。今回はバドライトがやり玉に挙がったが、お目覚め主義に迎合しているのはなにもバドライトに限ったことではない。同業者のミラーライトにせよ、今子供向けトランスジェンダー衣服の販売で炎上しているターゲットにせよ、プライドキャンプのスポンサーになってドラアグクィーンをコマーシャルに出してるノースフェイスにせよ大企業がこぞって消費者の意図を無視してお目覚め主義を積極的に取り入れている。商売に政治色を混ぜるのは良くないというのはマーケティングの基本のはずだ。世論が大きく二つに分かれていることのどちらかの肩を持てば、後の半分を敵にまわしてしまうことになる。最初から客の半分を敵に回すような商法は愚かとしか言いようがない。にもかかわらず、どうしてこうした企業はこのようなことをやっているのだろうか?

市場を支配するESG基準とはなにか

実はそれにはESG指標というものが裏にあるのだ。アナリストの*ダン・サンチェズ氏の記事を参考に読んでみよう。

*ダン・サンチェスは、エッセイスト、編集者、教育者。主なテーマは、自由、経済、教育哲学。経済教育財団(FEE)のコンテンツ担当ディレクター、FEE.orgの編集長を務める。FEEでハズリット・プロジェクトを立ち上げ、ミーゼス研究所でミーゼス・アカデミーを立ち上げ、Praxisでライティングを教える

昨今ステークホールダーキャピタリズム(StakeholderCapitalism 利害関係者資本主義)と呼ばれるものが勢いを増している。これは資本主義の新しい形として世界中で奨励されているが、いったいそれは資本主義をどのように「改良」するものなのか。

SC推進者によれば、これは株主中心資本主義(shareholder capitalism)に対抗するもので、企業の短期的な利益だけに焦点を当てるのではなく、株主以外の利害関係者である消費者や供給者や従業員や地方自治体や社会の利益になるように企業方針を進めていくものだというもの。SCはつまり企業経営者たちに利益だけでなくより維持のできる(sustainableサステイナブル)決断を促すというもので、長い目でみて企業の利益にもつながるという理屈だ。

そこで出て来たのがESGである。ESG指標とはなにか。それはenvironmental, social, and corporate governanceの略である。直訳するならば「環境と社会及び企業統治」とでもいったところだろうか。

この名前は最初に2004年の国連リポート「Who Cares Wins」という国連が招いたエリート金融機関の共同取り組みの中で使われたもので、このリポートは「資産運用、証券仲介サービス、関連する調査機能において、環境、社会、企業統治問題をよりよく統合する方法についてのガイドラインと勧告を作成する」ものだった。この取り組みの建前は2000年に国連長官だったコフィ・アナン氏のゴールであった「ビジネスにおける普遍的な原則」を実践するという目的で始められた。

しかし時と共に、ただの「ガイドラインや推薦」だったはずのESGは世界経済の大部分を支配する明示的な基準と化してしまったのである。

そしてこの基準は「the Sustainability Accounting Standards Board (SASB)、維持能力会計基準審議会」といった機関によって厳しく取り締まわれており、その施行はESG基金を管理する投資会社によって行われている。その投資会社で最も力があるとされているのが誰あろうブラックロック(Blackrock)である。ブラックロックの取締役ラリー・フィンク氏はESGとSASBの率先者である。

今やESG基金は世界中の基金資産の10%を占めると言われており、今年の春、ブルームバーグは、ESGについて、「推定では、40兆ドル以上の資産に相当する。モーニングスターによると、本物のESGファンドは第4四半期末時点で約2.7兆円の運用資産を保有していた」とある。

そのような資本を利用するためには、もはやビジネスが良い投資収益を提供するだけでは不十分であり、ESG基準を満たす「環境」「社会」指標を報告する必要がある。

だが元々国連という社会主義の中で生まれたこの基準が純粋な資本主義にとって良いことであるはずはない。表向きは株主らによる利潤至上主義を改革するものということになっているが、資本主義というのは市場が企業の方針を決めるものであり、上から何かの委員会によってコントロールできるものではない。市場ではなく権力者が(この場合SASB)企業の経営方針をコントロールするやり方には名前がある。それはファシズムだ。

市場とはなにかといえば、要するに消費者だ。市場は消費者が何を買うか買わないかによって決まる。企業はその消費者の意向を元に経営方針を決めていく。それがレゼーフェアキャピタリズム(laissez faire capitalism)だ。レゼーフェアの最大のステークホールダーは株主ではなく消費者なのだ。

ESG推進者は環境や社会を考慮にいれた企業方針は長い目でみて消費者にとっても良い社会をつくることになると主張してきた。これが自由市場であるならば、ESGは市場によって浮き沈みは判断されるはずだ。しかし問題は市場は全く自由ではないということ。国連のお偉方が決めたこの基準は各国の政権によって自分らの私服を肥やすためにESG基準を色々と操作して市場をコントロールされているのだ。

国家が市場を不正に操作する主要な方法の1つは、中央銀行の政策である。

近年、連邦準備制度理事会(FRB)をはじめとする中央銀行が金融機関に注入した膨大な量の新生金は、一般市民から金融機関へ膨大な量の真の富を移転させた。その結果、金融機関である大手銀行や投資会社は、国家への帰属意識が高まり、消費者への帰属意識は低下している。

つまり、金融機関以外の企業も、FRBの資金供給源、つまり資本を利用したいのであれば、ESGプログラムに参加しなければならない。特に、悲惨な経済政策によって一般消費者がますます貧しくなるにつれ、企業が消費者を喜ばせることで市場利益を得るインセンティブは、国の「社会的」基準を満たすことでFRBの戦利品の流れに乗るというインセンティブに次第に取って代わられつつある。

資本の流れをますますコントロールすることで、国家は経済全体に対する支配力をますます強めている。

企業はESG指標が下がると、いや下げるぞSASBから脅しをかけられるだけで、その株価が暴落してしまうという危険性がある。こうして考えると、企業が消費者の意向を無視してお上の決めたESG基準に躍起になって従おうとするのかがわかるというものだ。

ESGと市場の間に挟まる企業

しかし今回のバドライトボイコットでも解るように、消費者の怒りは恐ろしい。企業はいつまでもESG基準に従って消費者を無視し続けていていいのだろうか。今日ワシントンイグザミナーでジョン・観るティモアが興味深いことを書いている。The ESG empire strikes back following Bud Light embarrassment By Jon Miltimore

ミルティモア―曰く、今回のバドライト崩壊は単なるアナハイザーブッシュ社だけの問題ではなく、ESG基準そのものの危機でもあることに多くに人々がまだ気づいていない。

ESGが今まで猛威を振るって来れたのは、ESGに従わないことで起きる損害に比べ、従うことにかかる経費の方が少なくて済むという前提で成り立っていた。なんのことはない、やくざのみかじめ料と同じ理屈だ。しかしバドライトの大炎上でその見解が変わりつつある。

危機を察したESG帝国は反撃に出ていると著者は言う。先日の金曜日、ヒューマンライツキャンペイン(HRC)はアナハイザーブッシュに対して同社のエクイティー指標を停止すると警告した。これは企業のLGBTQ従業員への待遇を示す指標である。

「アナハイザー・ブッシュは、多様性、公平性、包括性という自社の価値観の重要性を示す重要な場面であったにもかかわらず、その対応は実に不十分だった」とHRCのシニアディレクターであるエリック・ブロームは述べている。

つまり、アナハイザーブッシュは消費者のボイコットにあった時に、すぐに伝統的な愛国心をそそるコマーシャルを作ったりして、充分にトランスジェンダーのディラン・モルベイニーを弁護しなかったとして同社を罰するというわけだ。消費者とESGの間に立たされてアナハイザーブッシュには気の毒な気もしなくはない。

しかし最早この状況はアナハイザーブッシュ一社の問題では収まらない。ミラーライトや、ノースフェイスや、ターゲットがすでに大炎上していることからみて、今後も消費者による押し戻しが強くなると思われる。

これまで一般市民はLGBT活動などポリコレ運動に抵抗するのは個人的にも危険な行為だと思わされてきた。やたらなことを言えば仕事を首になったり社会的にも疎外されると恐れていた。そしてポリコレはおかしいと思いながらも、そう思っているのは自分だけなのではないかという気持ちもあった。しかし今回のボイコットのおかげで多くの人びとが、このお目覚め主義に嫌気がさしているのは自分だけではないと悟ったのである。

インスタグラムではバドライトやターゲットをおちょくる動画がどんどん上がり、何百万という再生数を挙げている。一般消費者はやっと自分らの声を発見したと言えるだろう。

となってくるとESGはこのまま生存できるのだろうか。それは我々消費者がどれだけ信念を持ってお目覚め主義と戦えるかにかかっている。


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カカシ、そろそろ引退を考える

わたくし苺畑カカシは今年で64歳になる。それでそろそろ引退しようかと思い、先日ファイナンシャルコンサルタントに相談をしたところ、どうやら今年中に引退できそうだということが分かった。

で、アメリカって定年はないんですか?という疑問をお持ちの方も多いだろう。端的にいうとそういうものはない。ただ、国民年金が貰えるようになるのが62歳からで満額もらえるようになるのが67歳なので、だいたいその間に引退することになる。無論身体も健康で労働意欲があり職場からも求められている人なら80歳まで働いても構わない。実際うちの職場にも80歳代で引退した人が二人ぐらい居たし、いまでも勤労年数50年なんて人もいる。

私はもう身体が限界だし、第一頭がついていかない。これ以上職場に居ても若い人たちの重荷になるだけで大した役にも立てないので、まあこのあたりが潮時だろう。

ではアメリカ人はどうやって引退するのか、というお話をちょっとしよう。

これは私のように普通のサラリーマンだった人の話なので、自営業の人だと多少違うと思うのでそこは一応断っておこう。

アメリカにはソーシャルセキュリティーという日本で言ったら国民年金みたいなものがある。これは誰でも仕事をして税金を払っているひとなら毎回お給料から差し引かれている。それでどのくらいのお給料をもらっていたか何年払っていたかで、この年金の額は決められる。専業主婦などで全く収入のなかった人でも配偶者の貰う金額の半額までは貰うことが出来るので、年金を全くもらえないという人は先ずいない。

日本で私と同じ年の義弟は私よりも勤めた年数も長く、最終給料は私とどっこいどっこいだったにもかかわらず私が貰える額のほうが多いので、日本の国民保険よりもアメリカのほうが金額は高いようだ。

そのほかに長年正規社員として同じ職場で勤めた人は会社から年金が出るところもある。これは企業が元従業員に払うもので政府とは関係がない。ただし年金をもらうためには10年以上とか20年以上という規則がある。金額もちょっとややこしい計算方法があり、うちの会社では勤めた年月と最後の三年間のお給料とが基本になって決められる。私の場合は20年強なので多少貰えるが、20代から始めた人に比べるとさほどでもない。しかしアメリカは4~5年で転職する人も多いので、この年金はみんながみんな貰えるというわけではない。以前に20年以上働いた人に年金を出す契約だったのに、19年数か月の従業員を大幅解雇した悪質な企業があった。

次がIRAとか401Kとか言われるもの。これは個人でする積立預金みたいなもので、引き出すまでは税金対象にならない。ただ、62歳までは引き出せないという規則がある。このお金は株に投資するのが普通で、私は職場を通じてこれをやっていた。人に言われるままにやっていたのでその残高すらあんまりきちんと監視してこなかったのだが、トランプさん時代に引退できていればかなりの金額まで上がっていた。しかしバイデン政権になって株式市場が暴落したので、私の投資も大きな痛手を被った。

基本これらが引退時に降りてくるお金である。もちろん人によっては他に投資もあるだろうし貯金もあるだろうから、老後の暮らしは人それぞれである。

というわけで私の場合は、私の年金と主人とを合わせれば、まあまあ何とか食べていけるくらいの収入はありそうなので、今年いっぱいで引退しても大丈夫だということが分かった。(主人はとっくに引退している)

で、カカシさん、断捨離はどうなりました?

ま、お金のことはそのくらいにして、私は引退したら持ち家を売って、もっと小さいところへ引っ越そうと思っており、そのためには長年住んで貯まっているガラクタの整理をしなければと考えて、2年くらい前から色々要らない物を捨てて行っている。いわゆる断捨離である。これについては2021年の12月に苺畑夫婦の断捨離五年計画、ガラージで6万円発見 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)というエントリーで書いている。

これはアメリカ人がよくやり勝ちなことで、うちも例外ではないのだが、あまりにも多くのガラクタを集めすぎてしまい、家の中では収まりきらなくなったものをガラージに詰め込むので、そのうち車も入れられないガラージとは名ばかりの倉庫になってしまうという現象。それで先ずガラージから整理しようと本格的に始めたのが2021年の12月だったというわけ。実はガラージにはファイリングキャビネットが二つあり、その中には30年以上前からの主人の書類がどっさり詰め込まれていた。しかも昔の納税の書類などでやたらに捨てることが出来ず、毎晩のように書類をシュレッダーにかけたりして何週間にもわたって処分した。

そのほか古い本箱だの、キャビネットだのは、毎週ごみの日に粗大ごみとしてひとつづつ出して市にもっていってもらい、お金を払わなくても引き取ってもらえる粗大ごみの処分はようやく終わった。それで整理を始めてから1年半かかってやっとガラージの整理がほぼ完了した。

次のチャレンジは主人が使っていた書斎。主人はもう仕事をしていないので今は私の在宅勤務の書斎へと化している。しかし主人の机や本箱はそのままになっていたので、これも処分。そしたら本箱にたてかけたままになってすっかり埃をかぶっていた二つのギターが出て来た。主人は凝る時は色々道具を買い集めるくせに、すぐに飽きては放ったらかしになる。そうやって集まったガラクタがどれだけあることか!

ふと思ったのだが、うちにあるガラクタのほとんどは主人のものだ。だから主人が全て片付けるべきなのだが、彼に任せておいては何時になっても片付かないので私が指揮をとってやるしかない。

2021年に断捨離を始めた時には5年計画でやると書いていたが、そんなに時間を掛けなくても大丈夫そうだ。第一今年中に引退するとなったら、そんなのんびりしたことは言ってられない。

明日は戦没者追悼の日(Memorial day)で休日なので、また頑張ろう。


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保守派消費者にも力がある。バドライトのボイコットとターゲット批判の成功に発狂する左翼リベラル

先日からお話しているように、アメリカではバドライトのボイコットと、ターゲットへのバックラッシュが続いており両者の株価は下がる一方である。プライド月間を目の前に虹色キャンペーンを計画していた企業はみな明日は我が身と戦々恐々としている。

Well…GOOD!

我々保守派及び一般市民は、もう何年も左翼リベラルによる企業を通したポリコレ押し付けを我慢してきた。ここ数年右も左も虹色一色に染まり、ことあるごとにけばけばしい化粧姿の女装男が裸同然の姿で子供たちの前で腰を振り、愛用していた店や洋服ブランドやビールまでもがトランスジェンダリズムの虹色に冒されていくのを指をくわえて見ているしかなかった。なぜなら少しでも苦情を述べようものならすぐにトランスフォーブだ差別者だターフだと言って叩かれ、地位や名声も一瞬にして奪われるという憂き目にあってきたからである。

そうやって我々が耐えているのをいいことに、左翼リベラルの活動はどんどん過激になった。数年前までは一年に数日ゲイプライドマーチがあった程度だったのに、いつの間にかそれが6月一杯続くようになり、小中学校で同性愛セックスの指南を始めたり、子供向けにペドフィリア登録者のドラアグクィーンのショーを開催したり、危険なホルモン治療を子供に施したり、親に内緒で子供を社会的に性転換されるなど、もう見て見ぬふりをしていられる時期はとっくに過ぎてしまったのである。

それでも普通の客は、ターゲットの一角に虹色コーナーがある程度のことなら、忌々しいとは思っても、いつものことだと無視していたに違いない。しかし左翼はいつもやり過ぎるのだ。

バドライトに関してはディラン・モルベイニーという目障りな女装キャラが一年以上にわたってメディアでもてはやされてきたことを女性達は文句を言いながらも、彼が宣伝しているタンポンやスポーツブラに対するボイコットはお粗末なもので、あまり効き目がなかった。それが一気に効き目を及ぼしたのはバドライトが男らし男たちの飲み物だったことだ。こう言っちゃなんだが、男が腰を上げると何もかも一気に変わる。

バドライトのことがあったばかりなので、企業も気を付けるかと思いきや、ターゲットやノースフェイスはトランスジェンダリズムにフルギアで挑んだ。だからターゲットが批判の標的(ターゲット)にされたとしても自業自得である。

さて、これまでTRAの横暴に一般消費者は注意を払って来なかった。しかし彼等が突然目を覚ましたかのようにターゲットを批判し始めたというのも、そのマーケティングが子どもたちに向けてされていることが一番の理由だろう。

これについてワシントンポストのモニカ・へセ(Monica Hesse)は、ターゲットへの批判はお門違いだという記事を書いている

今回ターゲットが炎上しているきっかけとなったのは、ターゲットで買い物をしていた若い母親が子供向けの水着に男性器を隠すような所謂タック用ポケットがあるとソーシャルメディアで動画を挙げたことがきっかけだ。しかし後になって、ターゲットはタック付きの水着は子供用ではなく大人向けだけだったと主張し、実際子供向けにそんな水着があったのかどうかは不明である。

[数日前、私はTargetのウェブサイトにログインし、現在右翼の憤慨と店舗の大規模なボイコットを引き起こしている2つの商品をこの目で確かめた。その結果、その商品(「幼児用」のタック入り水着)が実在しないことがわかった。少なくとも、マット・ウォルシュのような怒れるネット上のインフルエンサーが主張するようなものではなかった。

AP通信に引用されたターゲットの広報担当者によると、水着自体は本物で、カラーブロックのワンピースや黒のハイウエストボトムにスポーツブラのトップスを合わせたものだったそうだ。(略)

憂慮する人たちが言うように、水着は「猥褻」でも「性的」でも「グルーミング」でもなく、極めて控えめなものだった。水着は、水着であるだけで「猥褻」でも「性的」でもない。水中で泳ぐための実用品だ。露出度が高いという点では、安心されたし、オリンピックの男子ダイビングチームには、このターゲットのスーツで見るよりも露骨な膨らみがある。ウェブサイト上でこれを着たフレッシュな顔のモデルたちは、まるでプールパーティにポテトサラダを運ぶ準備をしているように見えた。]

ただその乳児や幼児用の虹色水着にはLGBT奨励メッセージが書かれているということはモニカ記者は無視している。乳児服に「プライド」なんて書く必要がどこにある?しかもプライド売り場には悪魔崇拝主義者のデザイナーによる商品も売られているということに関しては何も言うことがないのかな?

しかし記事のこの部分は実は記者自身は気づいていないが非常に良い点をついている。記事では今企業経営者はこの一連のバックラッシュにどのように対応すべきなのかという点について、ターゲットもアナハイザーブッシュもすでに「子供の性的描写」を避けているとし、ターゲットで売られている水着や服は之と言って性的でもなんでもなく、子供を洗脳するようなものでもない、バドライトに至ってはビールは大人向けであり子供は関係ないと言う。(強調はカカシ)

「もしあなたが企業経営者なら、自社の利益を守るために反発を避けるためには、トランスジェンダーをまったく認めないという選択肢しかなかったということに気がつくかもしれない。

彼らがビーチに行きたいと思っていて、そのために適切な服装が必要であることを認めないようにする必要があっただろうし、彼らがビールを飲むことを認めないようにする必要があっただろう。簡単に言えば、彼らが存在することを認めないようにする必要があったのだ。(実際、多くの怒りを買ったターゲットのTシャツには、「Trans people will always exist」とだけ書かれていた)。」

もし記者が言うように、大企業が、子供向けであるとなかろうと、トランスジェンダリズムに関する広告をすること自体が商売にとっては非常に有害であるという教訓を得たというならそれは非常にすばらしいことだ。モニカは驚くかもしれないが、もしもトランスジェンダリズムの押し付けを拒否するということが「トランスジェンダーを全く認めない」という解釈になるというなら、私個人としては全くそれでいいと思う。私はハナからトランスジェンダーなんてものは存在していないと考えているから。

説明するまでもないが、ここでいうトランスジェンダーとは異性の振りをしているだけの政治活動家たちのことであって、実際性違和があって異性装をしているGID当事者のことを指すのではない。

モニカ記者はボイコットをしている人々は建前上は子供を守るためだとかきれいごとを言っているが実際は自分が理解できないトランスジェンダーというものを見たくないだけなんだろうという。そう、その通り。日用品や服を買う場所で、これでもかというほどトランスジェンダーに関する情報など見たくない。まだ心の準備も出来ていない子供に向かって大人ですら訳の分からない人たちの存在についていちいち説明などしたくない。

トランスジェンダー用の水着でも洋服でも需要があるというなら、それ専門の店なりネットビジネスなり始めればいい。いや、すでにそういうビジネスは存在している。なにもターゲットのようなファミリーフレンドリーな大型小売店で大々的に売り場まで作って売る必要はないはずだ。

ターゲットの損失によって他の企業もトランスジェンダリズムに迎合することの危険性を学んでくれるならそれに越したことはない。マット・ウォルシも言っているように、トランスジェンダリズムは商売にとって非常に有害な概念なのだということを国中に広めよう。


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Book of Will、シェークスピアの戯曲を救った仲間たち

ミスター苺と私が30年来シーズンチケットを買っている地方劇団ノイズ・ウイズイン、今シーズン最後の作品は「Book of Will、ウィルの本」前知識全くなしで観に行ったのだが、観始めて、ここでいうウィルとはウィリアム・シェークスピアのことだったことに気付いた。これはシェークスピア亡きあと、生前彼の芝居を演じたグローブ劇場の役者や劇場のマネージャーやその家族や友人たちが、なんとか彼の作品を後の世に残そうと作品全部を一つの本にして出版するまでの話だ。これが史実に基づいたものなのか作家による創造なのかはわからないが、シェークスピアファンなら、あちこちにシェークスピア戯曲のセリフがちりばめられており、感激する戯曲である。

原作は現代劇作家ローレン・ガンダーソン。登場人物はほぼ全員実在した人々のようだ。

時はシェークスピアが死んだ数年後というから1620年代初期、グローブ劇場でキングスマンと呼ばれた劇団はシェークスピアの戯曲を演じて人気があった。しかし役者たちも年を取り、若い役者たちが別の劇場でシェークスピアもどきの芝居をへたくそに演じているのを見て、ベテラン俳優のリチャード・バーべジ、ヘンリー・コンデル、そして元俳優で今は劇場マネージャーのジョン・ヘミングスは忌々しく思っている。特にバーべジは頭の中に詰まったシェークスピアのセリフを若い大根役者の前で披露して若い役者を圧倒させてしまう。

しかし数日後、バーべジが急死。このままシェークスピアを覚えている役者が死んでしまったら、自分らの代でシェークスピアの偉大な作品は忘れ去られてしまうとヘンリーは考える。そこでヘンリーは乗り気のないジョンを説得し、ジョンの妻と娘、自分の妻も一緒になってシェークスピアの作品をすべて集めて出版しようと活動を始める。

問題なのはシェークスピアの時代には台本は皆手書き。しかも題目は日替わりなので長い芝居を登場人物の分書き写すなどと言う暇はない。また当時は著作権というものがなかったので、シェークスピアは戯曲を全部書いた台本を役者に渡して盗まれるのを恐れていた。だから役者は自分のセリフのところだけのページしか持っておらず、全編はシェークスピア本人が保存していたが、それも火事でほぼ焼けてしまったという状況。それで役者たちが持っていた部分的な台本や、台本を写本した人がたまたま持っていた台本などを集め、後はヘンリーやジョンの記憶から話をつなげるという気の遠くなるような作業が続いた。

それだけではない。本を出版するとなればお金もかかる。紙代も印刷もただではない。それでヘンリーとジョンはシェークスピアの戯曲を無断で出版していた出版社のウィリアム・ジャガードと息子のアイザックと停戦を結び協力しあって印刷にこぎつける。シェークスピアとはけんか相手だったベン・ジョンソンやシェークスピアの元愛人エミリアを説得して前書きを書いてもらったりお金を融資してもらったりする。

いったいシェークスピアの本は完成するのだろうか?

と聞くまでもなくもちろん完成した。だからこそ我々が400年以上も経った今、シェークスピアの作品を楽しめるのである。話の結末を知っているにもかかわらず、ヘンリーとジョン、そして家族や仲間たちが本完成に向けて奔走する姿は観ていてハラハラドキドキである。

全編コメディータッチで描かれているが、時々ハムレットのシーンが出て来たり、仲間の一人が死ぬなど悲しいシーンもある。喜劇在り悲劇在り詩あり、シェークスピアのお芝居のようである。

これを観ていて思い出したのは、クリスマス・カロルを書いたチャールズ・ディケンズがお金に困ってほんの数週間でクリスマス・カロルを書き上げ自費出版(色々な人に借金はしたものの)するまでの過程を描いたThe Man Who Invented Christmas(クリスマスを発明した男)を思い出した。もちろん我々はディケンズが成功したことは知っているわけだが、それでも観ていて本当にどうなるんだろうと思わせる経緯がおもしろかった。

シェークスピアはあまりにもポピュラーなのでどうやって出版されたのかなんて私は今まで考えたこともなかったのだが、もしもヘンリーやジョンのような人たちが居なかったら、今頃彼のお芝居は切り刻まれてつぎはぎになった訳の分からない形でしか残っていなかったことだろう。シェークスピアの作品がほぼ完ぺきな状態で今まで保存されたのも、仲間たちの努力のおかげだ。

最後にヘンリーとジョンがシェークスピアの未亡人アンに印刷されたばかりの本を持っていく。アンは年老いて目が悪いため本は読めない。

「私の目の前には名優が二人いるんでしょ、はじめなさい」

ヘンリーとジョンはテンペストの最初のシーンを読み始める。そして出演者全員がそれぞれシェークスピアのセリフを同時に言いながら舞台に集まった時は私は思わず涙が出て立ち上がり拍手をおくっていた。

ありがとうヘンリー、ありがとうジョン、ウィルの本を作ってくれたすべての仲間たちよ。ありがとう!

The Bokk of Will(ブックオブウィル、ウィルの本)

脚本ローレン・ガンダーソン、演出ジュリア&ジェフ・エリオット、出演ジェラミー・ラボ、ジェフ・エリオット、フレデリック・スチュアート、トリシャ・ミラン、デボラ・ストラング、ケイシー・マハフィー、ニコール・ハビアー、スタンリー・アンドリュー・ジャクソン、ケルビン・モラレス、アレックス・モリス


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イギリスサイクリング協会、トランス自認男子の女子競技参加を禁止、トランスはオープンカテゴリーへ

本日、5/26/2023、イギリスサイクリング協会、British Cyclingがトランスジェンダー及びノンバイナリーの選手に関する新しい規則を発表した。Update: Transgender and Non-Binary Participation policies (britishcycling.org.uk)

これによるとイギリス国内のサイクリング競技において、既存の女子枠は従来通り生得的女子と男性ホルモン治療を始めていない自認男性の女子のみ参加が許可される。既存の男子枠はオープン枠に変更され、女性自認やノンバイナリー自認の生得的男子の参加が許可される。

トランスジェンダーによって持たれている記録は、この規則が正式に施行されるまで公式記録として残される。

国際大会がイギリスで開催された場合は、UCIの規則が優先される。

イギリス国内のエリート競技はこれでいいが、まだまだ問題は残っている。競技ではない趣味の会のようなものだとこれまで通り女性自認男子の女子大会参加が許可される。また、女性自認男子が女子と同じ更衣室やシャワー室を使うことも可能である。

まだまだ問題点はあるものの、一応正しい方向へ一歩踏み出したと言えるだろう。

付けたし:イギリスで最強の女性自認男子サイクリスト、エミリー・ブリジスは男子を女子競技に参加させない新規則(実は昔の正常な状態にもどっただけ)について「暴力的な行為」だと批判した。

ブリジスは自分のソーシャルメディアにこの新規則を暴力的な行為とした後、協会はアメリカの大統領候補者の一人であるロン・ディサンティスに影響をうけているとつづけ、アメリアを見よ、スポーツから我々を排除することからはじまって若者への医療やトイレ使用などを通じてジェノサイドは進むのだ。文字通りナチスや陰謀論者がトランスを駆除しようとしている側に協会は立つのか、と怒り心頭といったところだ。

まったくTRAというのはやたらに「ナチス」だの「ジェノサイド」だのという言葉を振り回すが、自分らのような男性体の人間が女子競技に参加することによって、女子スポーツが破壊されることなどさらさら興味がないのである。いや、女子競技を破壊することこそ彼等の目的なのだといっても過言ではないだろう。

このエミリー・ブリジスという男は実は結構才能ある男子サイクリストであり、まじめに男子として男子枠に参加しても悠々上位に進出できるだけの腕があるのだ。彼は一年前まで現役大学選手で、イギリス男子大学生記録まで出しているような男なのだ。無論全イギリスおよび全世界となれば、彼並の選手はたくさんいる。だから彼には優勝の可能性はあるとはいえ、保証されているわけではない。しかし女子枠なら彼の支配は間違いない。だから彼は女性の上に君臨したいのだろう。本当になんとも情けない男である。


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アメリカ陸軍、志願兵激減の危機

本日アメリカ陸軍は史上最悪の志願兵不足に危機的状況であるという記事を読んだ。Army recruiting crisis: shortage of soldiers despite record bonuses (usatoday.com)

このUSATodayの記事によると、米陸軍は1973年に志願兵のみの軍隊に変わって以来史上最悪の志願数という危機状態だという。

好景気の時は軍隊への志願数が減るというのはよくあることで、今年は失業率が3.6%という50年以来の低さが原因ではないかと同記事は分析しているが、コロナ禍で若者の間で生まれた新しい生活習慣も影響があるのではないかとしている。

ペンタゴンはヨーロッパ駐留軍に2万人を追加し10万人に増やしたばかりだ。この状態で兵士が足りなくなるというのはかなりの問題だ。(翻訳DeepL)

  • 魅力的な民間雇用市場と有能な候補者の減少により、陸軍は隊員の補充と重要な任務の遂行に必要な若者の数が決定的に不足している。
  • 4月までに陸軍が採用した兵士の数は目標の68%で、目標より8,282人少なかった。海軍は1,473人の水兵が不足し、目標に8%届かなかった。空軍、海兵隊、宇宙軍はいずれも目標を達成または上回っていた。
  • 陸軍は、6年間の入隊を約束した新兵に対して、過去最高額の5万ドルのボーナスを支給することになりました。陸軍は6月の1週間、新兵に高校卒業資格かそれに相当するものを与えるという条件を取り消した。
  • 水曜、陸軍幹部は、陸軍を理解し、兵士としての生活を思い描くことができず、軍を含む米国の制度に対する信頼と信用を失いつつある米国人が少ないことを指摘し、募集の問題についてのメモを発表した。

クリスティン・ウォーマス陸軍長官とジェームス・マクコンビル(将軍)陸軍参謀長は志願兵を46万6千人に増やすべく新方針を発表した。なにしろこのままだと今年度末の9月30日までに44万5千人程度しか集まらない見通しだからである。

陸軍当局によると、軍人年齢の17歳から24歳のアメリカ人で軍人にふさわしい精神的肉体的なレベルの若者はおよそ23%程度だという。コロナ禍で在宅勤務に慣れた若者の生活スタイルは軍隊とは対照的だ。才能ある若者の軍隊離れは深刻である。

しかし原因はそこにあるのだろうか? この記事には書かれていないが、米軍への入隊希望者が減っているとしたら、それは今の軍隊の姿勢に大きな問題があると私は考える。だいたい最近の軍隊のリクルートコマーシャルでレズビアンカップルに育てられた女性の話を起用したり、トランプ大統領が禁止していたトランスジェンダーの入隊許可が始まって以来、ネットでは化粧した男子兵士の動画だの訳の分からないWOKEな軍人の動画で溢れかえっている。

陸軍リクルートコマーシャル

それに加えてアフガニスタン撤退の無様ぶりも記憶に新しい。こんな虹色に染まったアメリカ軍にいったいどういう若者が志願するというのだ?

アメリカ軍が全志願兵制度になってから、軍隊に志願する若者には特徴がある。これは家族の経済状況や人種や階級よりも地域的なものなのである。ちらのサイトに詳しい統計が掲載されている絶対数から言えば志願兵が一番多いのは人口の多いカリフォルニアやテキサスなのだが、人口の割合からいうと上位10州は、1サウスダコタ、2ハワイ、3アラスカ、4フロリダ、5ジョージア、6コロラド、7アラバマ、8テキサス、9ノースカロライナ、10ネバダの順である。

Joining the Military photo

伝統的にこうした州からの志願兵が多いというのも、軍隊に志願しようと思う若者の多くが家族に軍隊経験者がいる。2019年の統計によれば、ほぼ8割がたの志願兵が家族に少なくとも一人軍隊経験者がおり、なんと25%が親が軍人の家庭だ。親や親せきから過去の武勇伝を聞かされたり、軍隊で勤めることは愛国者としての義務だと聞か割れて育てば、そりゃあ自分も軍隊に入ろうという気にもなるだろう。

しかし愛国心溢れ冒険を求める若者にとって、今の軍隊は魅力的な場所だろうか?

だいたい軍隊に憧れる若者が求める者とは何か?すでに銃を持って狩りをやってるようなアウトドアな若者たちが軍隊で何をしたいと思うだろうか?

LGBTQ+αに染まった軍隊が彼等を惹きつけることができると思う方がおかしいのだ。

ここでアメリカ軍がイラクで苦戦していた2007年頃のリクルートの状況を書いた拙ブログのエントリーを張っておこう。当時アメリカ軍は長年の泥沼状態からはい出しつつあった頃であり、戦死者や負傷者の数もかなり多かった。しかし一番最前線に送り込まれる可能性の高い海兵隊は志願兵が減っていなかったという内容だ。米軍隊志願兵が減っているという嘘 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)

イラク戦争が不人気なため志願者の数が減っているというのが本当だったとしたら、戦場へかり出される可能性が一番高い隊が一番不人気になるはずであるが、実際はその逆である。

戦争において一番危ない戦場へ送り込まれるのは誰かといえば、それは圧倒的に海兵隊だろう。その次が陸軍でむろん空軍は常に危険な空を飛ぶことになる。海軍は比較的安全だが、それでも中東で戦争が起きていれば長期にわたる出動が期待される。また正規軍と比べて予備軍や州兵隊は後方の援護が主な任務であり最前線にいく可能性は低い。それを考えると現在軍隊に志願した若者の傾向は実際に戦場へいく可能性の高い部署ほど人気があるということになる。

それでは最後にロシア軍のリクルートコマーシャルを掲げておこう。君が男ならどっちの軍隊に入りたいかな?


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プライド月間間近、バドライトの二の舞を恐れてターゲットが緊急会議

Target holds ’emergency’ meeting over LGBTQ merchandise in some stores to avoid ‘Bud Light situation’ | Fox News By Brian Flood | Fox News

先日、アメリカの大型小売店ターゲットが6月のLGBTQ+αプライド月間に備えて、正面玄関のど真ん中にプライド商品売り場を設けLGBT関係の商品を並べているという話をしたばかりだが、すでにネットでは、あちこちのターゲット支点でこれらのプライド売り場に関する動画がたくさんあがり話題になっている。

ターゲットはアメリカ全国あちこちにあり、どこの州でもプライド売り場が歓迎されているわけではない。場所によって客が売り場の係員にクレームをつける可能性もあり、現場の店員たちは衝突を恐れてびくびくしている状況だったという。

Foxニュースによると、ターゲット本部からの命令で南部のターゲット店舗数軒において、プライド製品を正面からどかせ、奥の目立たないところに移し、その規模も半減させ、店からプライド関係のポスターなどを全部外すことが支持された。

ターゲットは毎年6月になるとプライド関係の飾りを店中ですることで有名だが、最近保守派の顧客のあいだから、ターゲットのやりすぎなプライド商品には批判が集まっていた。とくに子供向けの男児用女児水着などかなりの不評である。

あるターゲット内部の人間によると、南部の地方の店舗ではプライド売り場があることでバドライトのようなバックラッシュが起きるのを避けるために売り場を移すなどしているという。

Target in Palmdale, California

内部通報者によればターゲットは先週の土曜日に緊急会議を開き、地区の幹部らが集められプライド売り場を目立たなくするよう即対処せよと支持を受けたという。

「36時間以内に、プライド商品を、それまでの1/3に減らして店の正面から奥の方に移すように言われました。マネキンにも(プライド関係の服)を着せないように、大きなサインなどもすべて取り除くように言われました。」

今年は何故か客からの苦情がこれまでの何十倍も増えているとある店員は言う。「バドライトの状況を考えると経営側は恐怖に震えているようです。」

ターゲットで20年近く勤務しているという従業員は、ターゲットがこのような早急な決断を下すのは非常に珍しいという。この電話会議はほんの15分間で終わり、最初の10分間は、どのように店員の安全を守るかに終始したという。それというのもプライド商品への顧客の怒りは相当なものらしく、経営者側は客と店員との間でいざこざが起きるのを恐れ警備を強化しているのだという。この会議では会社側の警備チームまでもが出席していたという。

Pride swimsuit

男児の男性器を隠すタック用ポケットのある水着。

TARGET-PRIDE-COLLECTION-TAG

この突然の方針変更に店員たちは肩をなでおろしているという。「よかった、なにしろ私たちが最前線で対処するわけですから」と店員の一人は言った。

バドライトのボイコットが成功するまで、多くの人びとは自分ら一人が苦情を述べたからと言って何が変わるんだという気持ちだったと思う。だが、ボイコットが成功して我々は学んだ。我々にも力はある。バドライトのボイコットのおかげで、LGBT三昧の売り場や学校やメディアにいい加減嫌気がさしてきている我々一般市民は、実は我々にもできることがあるのだということを知った。だから、これまで忌々しく思いながらも沈黙していた消費者たちがターゲットに苦情を言えるだけの勇気を持ったのだろう。そしてそれをターゲット自身が感じているのである。

プライドの虹色一色にすることが商売にはよくないということを大企業が学べば、この狂気から我々は抜け出すことが出来る。大事なのは企業のボトムラインを責めること。苦情を言いながらも便利だから安いからという理由でターゲットを愛用していては駄目である。

この戦いに勝つためには今が正念場だ。


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黒人差別と女性自認男性の女子空間立ち入り禁止を混合させる悪質さ

何かとトランスジェンダー活動家(TRA)は女性自認の男子が女子空間に入れないのは、昔黒人が白人施設に入れなかったのと同じで差別だというが、公民権法が通った1964年前のアメリカ南部での組織的な黒人差別は、今「トランスジェンダー」と言われる人々が受けているような「差別」とは質も程度も全く違うものである。だが、どこがどう違うのかを知るためには、昔のアメリカの黒人差別がどんなものであったのかを知る必要がある。

日本の皆さまは、アメリカでは黒人差別があったということはご存じでも、それがどのようなものだったのかということについてはよくご存じないだろう。いや、それを言うならアメリカ人ですら、実際の黒人差別とはどういうものだったのか知らない人が多い。

私が前々から言っているように、現在のテレビドラマや映画で時代ものをやる時に、当時の人種差別感覚及び法律から言ってあり得ない設定が多すぎることが、現代人の人種差別知識を歪めている。人種差別は現在でも存在する。それは確かだ。しかし公民権運動前のアメリカと今のアメリカではその度合いは全く違うのだ。先ずそれを理解できないと現代の差別も正しく理解することは出来ない。

組織的な人種差別

よく人権屋が口にするこの「組織的な人種差別 (systemic racism)」だが、いったいこれは何を意味するのか。これは法律などで強制される差別のことである。つまり、ジム・クロー法のあった南部では、黒人と白人が特定の施設を共用出来ないことがその一つ。これは法律が積極的に黒人を差別しなければいけないとしていた法律なのだ。例えば、

  • 黒人は白人専用のトイレや水飲み場を使ってはいけない
  • 黒人と白人は同じ学校に通ってはいけない。
  • 黒人は白人専用のホテルに泊まってはいけない。
  • 黒人は白人専用のレストランに入ってはいけない。
  • 軍隊は黒人と白人の部隊を分けなければいけない。

といったものがあった。ここではっきりさせなければならないことは、これは強制的な分離であり、施設の運営者や経営者が個人的にどう思っているかとは関係なかった。よしんばホテルのオーナーが黒人も泊めてもいいと思ったとしても、彼の一存でそれを決めることは出来なかったのである。

このような分離をしていたにもかかわらず、南部ではこれは黒人差別だとは思われていなかった。「分離した平等」というのが彼等の口実だった。しかし現実は全く平等ではなかった。

例えば白人用のトイレは清潔で安全であっても、黒人用トイレは数も少なく掃除も警備も行き届いていないとか、学校も白人用の学校は水泳プールがあったり施設も新しく設備も整っているが、黒人用のほうには碌な教材もないなど、その格差は酷いものだったのだ。

以前に観た1950年代を舞台にした「ドライビング・ミス・デイジー」という映画(芝居)のなかで、デイジーの運転手の黒人男性が運転途中にトイレに行きたいので車を止めると言った時、ミス・デイジーが「なんで、さっきホテルで止った時に行かなかったの?」と聞く場面があった。「あんなところで黒人がトイレに入れるわけないでしょ」と運転手が答えるとミス・デイジーはハッとした顔をする。彼女は決して人種差別者ではなかったが、差別されている黒人がどんな生活をしているかに全く興味もなかったし無知だったのである。

1940年代のビッグバンドでも、もしバンドメンバーに黒人と白人が混じっていたら、バンドマスターがいくら望んでもメンバーたちが同じホテルに泊まることは出来なかった。演奏以外はいちいち別行動を強いられるため、移動の多いバンドは人種混合を好まなかった。しかも理不尽だったのは、ホテルやナイトクラブでエンターテイナーとして歌ったり演奏したりする黒人ミュージシャンたちは、自分らが演奏する施設を客として使うことが出来なかった。もし、ホテル側が特別配慮で黒人エンターテイナーを宿泊させたとしても、他の白人客と鉢合わせしないように業務用エレベーターや非常階段使用を強要されるなどといった屈辱的な扱いを受けた。

だから現在のように黒人や白人が同じレストランで肩を並べて食事をするとか、同じホテルに泊まるとか、同じ舞台で演技をするとか先ずあり得ないことだったのだ。ただし、白人が黒人専用のナイトクラブへ行くのは許されていたので、ハーレムのクラブなど白人客も多かった。この反対はあり得なかったわけだから、これも不平等であった。

1964年に公民権法が通り、法律による人種差別は廃止され、上記のような組織的差別は失くなった。もちろん法律で差別しなくなったからといって長年にわたる人々の差別意識が失くなったわけではない。しかし組織的差別廃止のおかげで、アメリカの人種間関係は急速に良好化したのである。

黒人差別と身体性別の区別は同じではない

さてここで何をもってしてトランスジェンダー差別というのか、それを黒人差別を例にして考えてみよう。前述のようにジム・クロー時代の黒人は白人と比べて劣悪な環境の施設の使用を余儀なくされ、どれだけお金を持っていようと白人が使う高級施設を使うことは出来なかった。同じ仕事をしても黒人の賃金は安く同じ待遇では扱われなかった。単に白人と黒人は分離されていただけでなく、その待遇には雲泥の差があったのである。

これと同じことがトランスジェンダー(TG)と言われるひとたちにも言えるだろうか?

異性を自認したからと言って、泊まれないホテルや入れないレストランがあるわけではない。スポーツにしろ何にしろ自分の身体の性に合った方に参加しさえすれば、他の人たちと全く違う扱いをされることはない。

昔タイではオネエだらけの男子バレーチームがあり、彼等も男子として普通に試合に参加したという例がある。化粧をしていようが髪の毛を伸ばしていようが男子である以上男子としての参加は許可されているのだ。これのどこが差別なのだろうか?

TRAは女性自認男子が女子トイレや更衣室に入れないのは差別だという。だが、黒人と白人の分離と違って、男子トイレや更衣室が女性のそれより劣るというわけでもなければ数が足りないというわけでもない。特に女性自認男性が男子施設で危険にさらされるという根拠もない。しかも、多くの施設ではトランスジェンダーに気を使ってユニセックスの個室があったり、誰でもトイレを増設したりしている。こんなに色々と気を使ってもらえる差別があるだろうか?

異性を自認する人に許されていないのは、自分の身体と違う性別専用の施設や活動に参加することだけだ。その程度のことは異性を自認するという異常な生き方を選んだ以上、本人が責任を持つべきだと思うが、どうだろうか?


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反トランスが使うというレトリックの解説、トランスジェンダリズムは陰謀論なのか、その2

この第二部はトランス批判派(GC)がどのような詭弁を使っているかという例が箇条書きにされているのだが、敵もさるもの引っ搔くものというか、結構彼等も我々の論説を勉強しているようである。しかし、あまりにも我々の言い分を誠実に再現してしまったため、それに対する反論がいい加減なので、かえって自分らの主張を弱めてしまっているように思える。

記事はトランス批判派が使い古されたレトリックで話をすり替えていると語る。で、そのレトリックとは何かというと、「言語的な技巧のことです。詭弁のような論法であり、誤謬(ごびゆう)とも言えます」だそうで下記を羅列する。

  1. すべり坂論法
  2. 藁人形論法
  3. 極端な訴え(極論)
  4. フィアモンガリング
  5. 前後即因果の誤謬
  6. 自然に訴える論証
  7. 権威に訴える論証
  8. 無知に訴える論証
  9. 純粋さに訴える論証
  10. 燻製ニシンの虚偽
  11. トーンポリシング
  12. ホワットアバウティズム
  13. 誤った二分法
  14. 完璧主義者の誤謬(ニルヴァーナの詭弁)
  15. 事実誤認(早まった一般化)
  16. 擬似相関
  17. 多重質問の誤謬
  18. 思考を終わらせる常套句

下記の説明を読むと解るが、彼等がFallacy(誤謬)だとするその例が実はすべて正しい。例えば1番の滑り坂論法。「これは『Aをしてしまえば、次はBが起こるに違いない。だからAはするべきではない』というもので、実際はAとBに因果関係はありません。」と言いながら、その例として「ジェンダー・アイデンティティに基づくトイレ利用を認めれば、犯罪者が女性トイレに入ってくるに違いない。だからジェンダー・アイデンティティに基づくトイレ利用は認めてはいけない」が挙げられているのだが、実際にもうすでに性自認を認めた諸外国でそれが起きている。実際に起きていることを述べているのだから誤謬とはいえない。

いちいち反論も面倒くさいのでいくつかかいつまんでご紹介しよう。

2.藁人形論法:例 「トランスジェンダリズム活動家(TRA)は、ペニスのついた人でも女風呂に入れることが平等だと言っている。そんなのおかしいことです!」

(カカシ:ペニス付の男性が女子風呂に入れないのはトランス排除だと言ってるのは君たちだろ)

3.極端な訴え:例 「腕が2本の人が“私は腕が1本がいいから手術させてくれ”と言ってきたら医者のあなたは手術しますか? 性別適合手術もそれと同じく倫理に反しているでしょう?」

(健康な乳房や子宮や睾丸を切除する行為は極端な例ではないのか?)

4.フィアモンガリング(Fearmongering):例 「このままトランスジェンダリズムの好き勝手にさせてしまえば、女性やレズビアンの存在が滅ぼされてしまいます!」

(子供が性転換治療を受けないと自殺してしまうというのは恐怖を煽る行為ではないのか?)

6.権威に訴える検証:これは「権威によって裏付けられたものは、とにかく正しいに違いない」というものです。

(君らがやたらにWHOを持ち出すように?)

11.トーンポリシング:これは「何か声を上げた相手に対し、主張内容ではなく、相手の話し方、言葉づかい、態度、感情を批判することで、論点をずらす」というものです。

(トランスジェンダリズムを批判する人々を差別者だTERFだと言うように?)

14.完璧主義者の誤謬(Nirvana fallacy)」:これは「実際の物事を非現実的で理想化された選択肢と比べてしまう」というもので、この誤謬に陥った人は、どんな対案にも反発し、現実的な解決策を評価しません。

(女子トイレから男性を排除しても女子トイレでの犯罪を撲滅できるわけではない、と君らは何時も行ってるけどね。)

16.擬似相関(Spurious relationship):例 「性的暴行の加害者のほぼ99%は男性。トランスジェンダー女性は元は男性。つまりトランスジェンダー女性を性的暴行の加害者として想定するのは当然だ」

(性自認が女性の男性の性犯罪率が普通の男性より低いという根拠がない)

まあこんな調子である。やたらと英語圏のTRAが使うカタカナ英語が出てくることから考えて、この記事は英語で書かれたマニュアルの翻訳であると考えられる。それというのも日本人が聞いたこともないトーンポリシングだのホワットアバウティズムだの訳の分からないカタカナ英語が飛び交っているからだ。

さて、では彼等がこの「陰謀論」とやらを誰が広めていると思っているのかといえば、無論『「極右」「保守的な政治思想」「宗教右派」』が最前線だという。ま、彼等が我々保守派にその功績を与えようと言うなら異議は唱えないが、TRAに批判的なのは何も極右翼だけではない。もっともそれについては彼等も理解している。記事はイギリスではフェミニストが主体になってメディアで誤情報を流しているとし、TQ以外のLGB当事者ですら反トランス論者になっているとまるで四面楚歌という被害妄想を繰り広げている。

結局のところ、反トランスの論者や団体は、「極右」「保守的な政治思想」「宗教右派」「左派・リベラル」「包括性を支持しないフェミニズム団体・個人」「排外主義的な性的少数者団体・個人」「ちょっと面白そうかもと安易に手を出している人」などの極めて広範な連合体によって支えられており、これらは直接的に結束はしないのですが、陰謀論がこれらを緩く結合するのに一役買ってしまっている状態です。

こうした陰謀論的な勢力が、性犯罪などに不安を持っている真っ当な人たちさえも抱え込んで利用してしまう構図です。一部の「“トランスジェンダリズム”」危険主張はそうやってときに正当的に見せかけ、社会的地位を得ようとしています。

これだけ多種多様な人々が口々にトランスジェンダリズムが危険な概念であることを訴え始めたということは、これらの人びとがすべて陰謀論に惑わされたと考えるより、人々がトランスジェンダリズムの真実を知れば知るほど危険であることに気が付いたと考えるべきではないだろうか?

最後に私はこの記事に全面的に同意できるところがある。それは、

トランスジェンダーについて正しい情報を学びましょう。学び続けましょう。


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