特例法を骨抜きにする手術要件撤廃に反対する勇気ある女性達のデモ行進

先日日本で特例法の手術要件撤廃を反対する女性達の抗議デモが行われた。以下産経新聞の記事より

性別変更の適合手術要件撤廃に反対 女性団体がデモ(2023/9/23 18:24)

性別変更する上で性別適合手術の要件撤廃を求める動きに反対する女性たちのデモ活動=23日午後、東京都新宿区(奥原慎平撮影)
性別変更する上で性別適合手術の要件撤廃を求める動きに反対する女性たちのデモ活動=23日午後、東京都新宿区(奥原慎平撮影)

戸籍上の性別を変更する上で性別適合手術を要件とする現行法の規定の合憲性が争われている家事審判を巡り、市民団体「女性と子どもの権利を考えまちづくりにいかす杉並の会」は23日、東京都内で合憲判決を求めるデモ活動を行った。

手術要件が不要となれば、安易な性別変更が横行し社会が混乱しかねず、自民党の保守系議員を中心に懸念する声が上がっている。

この日のデモでは約20人の女性がJR新宿駅周辺を練り歩き、「手術要件を撤廃するな」「男は女ではない」「人間の性別は遺伝子が決める」「女性だけの女子トイレを返せ」などと声を上げた。

家事審判は27日に最高裁の弁論が予定されている。

実際に集まった人たちの数は100人に満たなかったようだが、それでも主流メディアに取り上げられたことや、海外のニュースでも取り上げられたことは成果があったと言える。今後徐々にカナダやアメリカでのように保護者たちとも協力してどんどん草の根運動を広げて行ってもらいたい。

特筆すべきは、フェミニストを名乗る人々やLGBTQ+活動家や日本のANTIFAであるしばき隊連中からの執拗な嫌がらせがあったことだ。洋の東西を問わず反LGBTQ+運動は必ず左翼暴力団による妨害に遭う。しかし女性達やカナダの保護者達の発言がより多く取り上げられればられるほど、一体彼女達が言っていることの何がいけないのかと疑問に思う人たちが増えることだろう。そしてその彼女達に暴力的に攻撃を加えるLGBTQ+ANTIFA連中とはいったいどういう輩なのだろうという注目も浴びるだろう。

一方フェミニスト団体であるはずのウーマンズパレードはなんと自認女性の男にバーナーを持たせて先頭を切らせるという行進を行っていた。

「女性もトランスジェンダーも共に」 ウーマンズパレード、大阪市で花房吾早子2023年9月9日 18時00分

写真・図版

 「夫婦別姓を認めろ」「男性にも性教育を」――。ジェンダー平等を求めて声を上げる「ウーマンズパレード」が8日夜、大阪市であった。新阿波座公園(西区)で集会を開いた後、難波駅近くまで約30人が練り歩いた。

 集会では、社会福祉士原発避難民、音楽家など様々な立場の女性たちがマイクを握った。

 男性として生まれ、女性として生きる弁護士の仲岡しゅんさん(38)は、自身も含めたトランスジェンダーがヘイトクライムにさらされている現状を訴えた。「今の社会は、シスジェンダー(生まれた時と現在の性別が一致している)で異性愛の男性を基準につくられている」として、「女性もLGBT(性的少数者)も抑圧されている存在として連帯したい。共に闘いましょう」と呼びかけた。

 岡崎あきらさん(42)は、パレードの先頭を歩いた。男性として生まれ、女性として生きるトランスジェンダー。大阪府富田林市でマイノリティーの居場所を作っている。「気持ちよく歩くことができた。人権が守られる社会を実現したい」(花房吾早子)

これに関しては、何でウーマンズマーチの音頭を男に取らせるのだとかなりの批判があったようだ。それで同団体は(11) Womyn’s Parade on X: “トランスヘイトに対する声明文を出しました  #トランスヘイトに対する声明文 #ウーマンズパレード声明文 https://t.co/WRVe1Y2e8l” / X (twitter.com)という声明文を出した。

私たちウーマンズパレード実行委員会は、すべてのヘイトスピーチヘイトクライムに抗議し、攻撃にさらされているマイノリティーと共に、差別抑圧偏見に屈することなく闘い連帯していきたいと考えます。2023年9月8日の行った朝日新聞に多くのトランスヘイトが寄せられました。差別と偏見から来る心無い言葉を浴びせられた当事者の気持ちを思うと悔しい気持ちでいっぱいです。私たちは様々なマイノリティーたちと連帯しともに声を上げることが必要と考えます。

女性もまた差別と弾圧に晒されているマイノリティーであり続けています。

私たちは女性差別と闘い、女性解放を目指しエンパワメントしていきます。

これからもトランスジェンダーを含むマイノリティーの方々と共にヘイトに屈せず、連帯しながらともに、女性差別、抑圧と闘っていきます。

この人たち全く馬鹿じゃないの。自分らの活動を女装男達に乗っ取られていることにも気づかずに、何が「女性差別と抑圧と闘う」だ。女性の安全空間を女装男に侵略されてどうやって女性差別や抑圧と闘うのだ、これでフェミニストを気取るのだからあきれてものが言えない。

だから私はフェミニスト運動なんぞというものを信用しないのだ。


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男の人生を破壊したければレイプを叫べばいい、納得いかないキャンセルカルチャー

ここ数日、イギリスのラッセル・ブランドという人気コメディアンのキャンセルが凄まじい勢いで起きている。数日前四人の女性が20年前にブランドにレイプされたと名乗り出て(と言っても全員匿名)、イギリスの新聞が一斉に書きたてドキュメンタリードラマまで報道されたと思いきや、すべての情報を消火する暇もなく、ブランドは自分の所属事務所から解雇になり、レギュラー番組からも降ろされて、次々に彼が関与していた仕事から解雇されてしまった。そして本日(9月19日)ここ10年来やっているユーチューブからも無収益となってしまった。このすべてがほんの2~3日の間に起きてしまったのである。まだブランドを告発した女性達の話が事実かどうかも分からないと言うのに。いったい彼がどんな恐ろしい犯罪をしたと告発されたのかBBCニュースから読んでみる

コメディアンで俳優のラッセル・ブランドが、名声絶頂の7年間にレイプ、性的暴行、精神的虐待を受けたとして告発された。

この疑惑は、『サンデー・タイムズ』紙、『タイムズ』紙、チャンネル4の『ディスパッチ』による共同調査で明らかになった。

2006年から2013年の間に4人の女性が性的暴行を受けたとしている。

ブランドは疑惑を否定し、彼の交際は「常に合意の上」だったと語っている。

疑惑の対象となった数年間、ブランドはBBCラジオ2やチャンネル4、ハリウッド映画の俳優など、時期によってさまざまな注目される仕事をしていた。(中略)

捜査の一環として、何人かの女性がブランドに対して申し立てをしている:

  • ある女性は、ブランドからロサンゼルスの自宅で壁に向かってレイプされたと主張している。彼女は同日、レイプ・クライシス・センターで治療を受けた。タイムズ紙は、これを裏付ける医療記録を見たとしている。
  • もう一人の女性は、ブランドは30代前半、彼女は16歳(イギリスの合法同意年齢は16歳)でまだ学校に通っていたときに暴行を受けたと主張している。ブランドは彼女を “子供 “と呼び、感情的に虐待し、支配していたという。
  • 3人目の女性は、ロサンゼルスでブランドと一緒に働いていたときに性的暴行を受けたと主張し、ブランドは彼女が自分の申し立てを誰かに話したら法的措置を取ると脅したと主張している。
  • 4人目の女性は、ブランドから性的暴行を受け、身体的にも精神的にも虐待を受けたと主張している。

金曜日に、ブランドはビデオを公開し、その中で、彼に対する「重大な犯罪疑惑」を否定した。俳優でありコメディアンであるブランドは、テレビ会社と新聞社から「攻撃的な攻撃」の「羅列」が書かれた手紙を受け取ったと語った。

私はラッセル・ブランドという人を良く知らないが、たまにユーチューブで彼の話を聞いたことはある。有名人が20年近くも前の性犯罪で訴えられメディアがそれに関して大騒ぎをする時は、実際の犯罪をメディアが悪いと思っているというよりも、告発されている当人を破壊しようという協調されたメディアの意図を感じる。

例えばドナルド・トランプが民主党支持で大金持ちビジネスマンで後にテレビの人気番組の司会をしていた頃は、トランプがどれだけ女たらしかなんて話は誰も取沙汰しなかった。あれだけの人なら多くの美女が身体を投げ出してくるだろうに、そんなことを問題にする人は一人も居なかったのだ。ところが共和党から大統領候補に出た途端、トランプから性被害を受けたという匿名女性達が名乗り出て、根も葉もない言い掛かりであったにも拘わらず、メディアは大騒ぎをした。結局トランプの人気は凄まじいものだったので、トランプの支持者たちはトランプへの個人攻撃だとしてこれらの告発を真剣に取り合わなかった。

なのでブランドに対してこうも迅速かつ猛烈なキャンセルが行われるということには何か裏があるに違いないと勘繰りたくなるのは当然の話だ。

ウィキペディアで彼の経歴を調べてみると、現在48歳。2004年くらいからイギリスの人気番組の司会を始め2007年頃から映画俳優としても活躍しだし、いくつものヒット映画に出演している。そして2006年から2017年にかけてラジオ番組も手掛けていた。そして最近はポッドキャスト二つのホストもやっている。

2013年ごろからは政治活動家として、ニュー・ステイツマンという左系政治雑誌で毎週コラムをかいていた。彼の政治活動は富の不均衡、麻薬依存症、企業資本主義、環境変動、偏向メディアなどである。2014年には政治系コメディ番組シリーズThe Trewsをユーチューブで始めた。またレボリューションという本も出版している。

こうやって経歴をざっと読んでいると、どう見てもメディアが目の仇にしそうな右翼保守ではない。いや、むしろ典型的な左翼リベラル活動家のように見える。どうしてこんな人が昨今のキャンセルカルチャーに巻き込まれたのだろうか?

実はブランドは左翼活動家とはいえ、左翼リベラルが信じているすべてを素直に信じてない。例えば2020年のアメリカの選挙に対してや、1月6日の出来事に関しても、左翼リベラルやメディアとは違う考えを表明していた。また、彼が資本主義を批判するのは彼が左翼だからというより資本主義は庶民を苦しめていると本気で考えているからのようだ。それで特定の企業が金儲けのために庶民を苦しめていると思えば、どんな企業に対しても本気で抗議するのである。特に最近では大手製薬会社への批判が目立つようになっていた。

ブランドがメディアの逆鱗に触れたのではないかと言われているのが、最近ビル・マーが司会するトークショーで述べた内容だ。

  • 疫病でモダーナやファイザー関係の製薬会社では新しく40人の億万長者が生まれた。
  • アメリカの国会議員の三分の二がこうした製薬会社から政治献金をもらっている。
  • ファイザーの会長は2020年にワクチンは金儲けのために作ったのではないと言ったが、2022年ファイザーは1000億ドルの収益を上げた。
  • ワクチン開発の経費はアメリカ国民が払ったのだ。
  • 医療危機で製薬会社が儲け、戦争で防衛産業が儲け、エネルギー危機でエネルギー企業が儲けるというシステムだと、常に危機状態が続いてしまう。こうやって一般人が必要とするものとエリートのそれとはどんどん分かれて行ってしまうのだ。

これは理想的社会主義思想の持主なら考えて当然のことだろう。しかしご存じのように本物の社会主義は非常にエリート主義で偽善の塊だ。だからブランドのように理想と現実の矛盾を指摘するような人間は目の上のたんこぶなのであり、非常に不都合な存在なのだ。

強姦事件というのはその日のうちに警察に行って被害届を出しても証明が非常に難しい犯罪だ。特定の場所と時間がはっきりしていて、そこの加害者とされる人間と告発者が一緒にいたことが解っていたとしても、よしんば二人が性行為に至ったことが証明できたとしてですらも、お互い同意の上ではなかったとはっきり証明することは至難の業である。それで被害者がいくら自分は被害を受けたと訴えても、証拠不十分で被告が無罪になること、いや起訴すらされないことの方が多いのだ。

にもかかわらず20年近くも前に起きたとされる犯罪をいったいどうやって証明することが出来るというのだろうか?本当に強姦が起きていたとしても、告発者の証言以外にどんな証拠が残っているというのだろうか?

アメリカはどんな人でも有罪が証明されるまでは無罪として扱うことが原則となっている。ジョニー・デップの家庭内暴力の話にしても、デップの映画出演が次々にぽしゃって数年経ってから、実は暴力を受けていたのはデップの方で元妻の方ではなかったことが証明されたが、人気絶頂期の役者が数年も働けなかったことは彼のキャリアにとって大打撃であった。

ブランドがもし本当にそんなひどいことをしていたのなら、なぜ彼が人気テレビの司会者だった頃に誰も何も言わなかったのだ?ブランドは自他ともに認める女たらしで、一か月に80人からの女性と性行為を持っていた時期があったと公表している。もし彼が普通に女性を虐待するような男だったのなら、当時から色々噂になっていたはずである。それが事実であったならメディアが何も知らなかったわけはない。それなのに人気俳優だから、左翼活動家だから、という理由で彼の所業を黙認してきたのだとしたら、そのせいで多くの女性が犠牲になっていたのだとしたら、そっちこそ問題ではないのか?

私はブランドが無罪か有罪かは知らない。だが裁判で何が起きようと、すでにメディアは判決を下し罰をあたえてしまったのである。


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セックスワークがワークなら何故恥じる?民主党議員候補のポルノ女優過去に対する不可解な態度

バージニア州の州議員に民主党から立候補している女性議員が、過去に自分の夫とオンラインでポルノ動画を配信していたことが発覚し話題を呼んでいる。候補者の名前はスーザン・ギブソンで現在は看護婦。今回の初めての出馬である。

彼女がポルノ動画を配信していたのはChaturbateというサイトで、これはパスワードなどが必要なプライベートなサイトではなく、誰もが観ることのできる公共サイトである。このサイトにおいてギブソンは夫と共に、視聴者からの有料リクエストを受けて生配信で様々なセックスアクトをしていた。保存されたのは2022年だが、実際の生配信が何時だったのかは定かではない。

ワシントンポストによれば、この情報を共和党工作員から得たとしており、ギブソンはこの記事を自分のプライバシーを侵害する違法行為であり、自分と家族を辱めようとしている汚いやり口だと強く批判している。(強調はカカシ)

私を脅すことも黙らせることもできません。私の政敵と共和党の同盟者たちは、私と私の家族を攻撃するために性犯罪を犯すこともいとわないことを証明しました。

ギブソンの弁護士ダニエル・P・ワトキンスはこのビデオを公開することはバージニア州の「リベンジポルノ」法に触れる可能性があり、州と連邦政府の警察と相談中であるという。

ちょっと待ってほしい。リベンジポルノとはプライベートに撮影した性的なビデオを本人の承諾なくネット上に公開し個人の社会的信用を落とす行為を指す。だがこのビデオは夫婦間だけでプライベートに撮影されたものではない。このサイトは会員制のプライベートなサイトでもなく誰でも観られるサイトである。そこでギブソン夫婦は視聴者からお金を取って自主的にセックスアクトを行い生配信をおこなっていたのである。つまりこれは夫婦のお金儲けの一つの手段だったのだ。こういうのをセックスワークというのではないのか?

バージニア州はワシントンDCに近いこともあり民主党の強い州である。しかし昨今の教育界での行き過ぎた性教育に不満を抱いた多くの民主党支持者が先の選挙では共和党のヤンキン知事を当選させた。そういう土地柄であるから、州議員候補の過去のセックスワーク経歴が問題視されるのは当然のことである。

しかしここで不可解なのはギブソン候補のこれに対する態度である。彼女のような左翼リベラルは常にセックスワークも仕事だと言って売春もポルノ業も立派な仕事だと主張している。だったら過去にポルノ女優だったことを何故恥じる必要があるのだ?過去にオンラインポルノに出演していたからなんだというのだ?「お金のために夫とオンラインでポルノ配信をしました。恥じていません」とはっきり言えばいいではないか?それをなぜ共和党の汚い手口だの性犯罪だのリベンジポルノだなどと言い訳するのだ?おかしいではないか。

結局なんだかんだきれいごとを言っても、左翼リベラルは自分らですら性産業が立派な仕事だなどとは思っていないのだ。職業に貴賤はないなどと言いながら本当はそんなことは信じていないのである。

だからリベラルな若者は活動家の口車に乗って馬鹿な行為をネットで晒したりしてはいけない。特に今の時代、一旦なにかをネットに上げたら永久に残ってしまう。若気の至りではすまなくなってしまうのだ。

左翼リベラルの偽善は何も今に始まったことではない。昔、イラク戦争の初期、アメリカ軍に従軍して戦地の情報を色々配信していた独立記者が居た。名前は覚えていないが彼は元海兵隊の軍人で、その時は民間人記者として現地に赴き色々と貴重な情報をブログで伝えていた。彼の仕事ぶりは認められ、保守派のCPACで演説をしたりもした。ところがある日、彼が若い頃ゲイポルノの男優だったことが暴露され大騒ぎになった。保守系ブロガーでしかも元軍人の彼がこともあろうにゲイポルノ男優だった、ほれみろ保守派なんて結局はこんなもんだ、と左翼たちは馬の首でもとったかのように大はしゃぎ。彼がその後どんなリポートをしようと、その都度左翼たちは元ゲイポルノ男優と言って蔑んだ。

当時ヤフーの掲示板に入り浸っていた私は彼の批判者に「君らは常にゲイを差別するなとか、性産業を蔑むなとか言っているくせに、一旦誰かがゲイポルノ男優だったと解ったら、それを理由に彼のリポートの信頼度を疑うのはおかしいのではないか?彼がゲイであることもポルノ男優だったことも、今の彼の仕事とは全く無関係だ。」

保守派の反応はというと、彼自身が自分の過去について、ポルノは心を腐らせると気づき改心して軍隊に志願したとはっきり認めたため非常に寛容だった。その後の彼のブログでも彼は保守化から遮断されるどころか、かえってどのように改心したのかという話をあちこちで演説するなど、右翼保守や宗教右翼と呼ばれる人たちから歓迎されたと書いていた。これが右翼と左翼の違いである。

ギブソン候補は自分の立場をはっきりさせるべきだ。過去の自分の行為は若気の至りであった後悔している、過去の過ちを生かして今後の教訓としたいとするのか、ポルノは立派な職業である、私は私と夫のしたことをひとつも悔いてはいない、私の過去を批判する人は性産業差別者だとするのか、どちらかに決めるべきだ。

それをせず、あたかも過去のプライベートな秘密が暴かれた被害者のようにふるまうのは一番卑怯なやり方である。


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伝統的専業主婦女性達の人気急上昇、一方で独身生活を奨励する女性インフルエンサーが目立つのは何故?

最近TikTokで伝統的な1950年代のアメリカのホームドラマに出て来るような主婦の恰好をした美女が、夫のために美味しい料理を作ったり家の中を綺麗にしていたりすることを自慢するビデオが人気を浴びている。最初は一人二人だったのが、だんだん同じようなことを自慢する人たちが増え、それがある種のブームになっている。

女性の幸せはキャリアを持ち経済的に独立し男に頼らずに一人で生きていくことだと言われてきたにもかかわらず、一定数の女性達はキャリアではなく夫に仕え子育てにいそしむことに幸せを求めているというのも興味深い。

英語ではトラッドワイフ(Tradwife=Traditional wife)運動を始めた代表的存在なのがエスティ―・ウイリアムスという女性。彼女はTikTokビデオの中で一年前に動画を始めた頃は別に取り立てて何かの運動だと思っていなかったが、今や伝統的な妻として母親としての女性であることはある種の運動になりつつあると語っている。彼女にとって妻であり母親であることが自分に与えられた最高の使命だと感じるとし、その動きが戻ってきたことは素晴らしいことだと語る。

しかしこうした運動に発狂しているのがフェミニスト達。伝統的女性像は家父長制度の増長だとか、これは宗教右翼の陰謀だとか、人種差別だとか(なんで?)本日見つけたこの記事なんかはその典型である。何故か著者はマイク・ウォルタースという男性。“A Lot of Them Were Raised in the Cult of Conservative Christianity”: The “Tradwife” Trend and the Dangers It Poses to Submissive Women

[「トラッドワイフ」運動をさらに複雑にしているのは、米国やその他の地域における極右勢力との関連である。イギリスの「トラッドワイフ」たちは、この関連性から距離を置く傾向にあるが、この運動が白人女性の服従を主張する白人至上主義者たちと共鳴していることは否定できない。]

一体何を言ってるんだ?伝統的な専業主婦が圧倒的に多いのは白人社会ではない国々だ。私の年代の女性達のほとんどが専業主婦だが、日本女性はみんな白人至上主義だとでもいいたいのか?バカバカしい!この著者のいるイギリスでもインドやパキスタン系の移民のほとんどの女性が専業主婦だ。キャリアウーマンを目指す傾向はほぼ全面的に白人社会の傾向だ。それを持ち出すならフェミニズムこそ白人士至上主義の賜物だと言える。

ウォルタースは皮肉なことにこれらのトラッドワイフはTikTokで常に自分の幸せな主婦生活をアピールするのに忙しく、実際の主婦としての義務を怠ってしまってはいないかと懸念する。現に有名なインフルエンサーたちはあちこちのメディアでインタビュー受けるなどひっぱりだこで忙しい。結局彼女達のトラッドワイフは単なるコスプレではないのかというのである。

またTikTokで登録者が多い人気者になれば、明らかに収入はあるわけで、それ自体がキャリではないのかという声もある。

現在のトラッドワイフと実際の1950年代の主婦との違いは、当時の女性達はもし夫に甲斐性がなく酒飲みで暴力を振るうような男だった場合でも、離婚して女手一つで子供を育てるという選択肢がなかった(あっても難しかった)のに対し、現代の女性はそんなDV男はさっさと見限って財産を半分貰って離婚し、自分も仕事を探してシングルマザーとして子育てをするという選択肢がある。そんな安全な社会で専業主婦が偉いみたいに言うのは偽善だという意見もある。

だがトラッドワイフたちは別にキャリアウーマンを見下しているわけではないし、酒飲み暴力夫と我慢して一緒に暮らせと説教しているわけでもない。現代のトラッドワイフたちも現代っ子である以上、暴君の夫にまでおとなしく仕えるべきだなどとは思っていないだろう。

忘れてはならないのはトラッドワイフには明らかに夫が居るということだ。そしてこのような伝統的な専業主婦を妻に持つためには男たちにも伝統的な役割を果たす義務があるのだ。つまりトラッドワイフが成り立つためにはトラッドハビー(trad hubby=traditional husband 伝統的夫)の存在が必要なのである。

伝統的夫とはどんな男か、それは外に出て働き妻子が経済的に困窮しないように養い、家事と子育てに忙しい妻に感謝し、家にいる時は子供達の面倒も見、積極的に子供の教育に参加する。言ってみれば1950年代のホームドラマFather Knows Best, Leave it Beaver, The Dick Vandike show, 1970年代ならBrady Bunchなどに出て来る父親像に当てはまる男たちである。

これらの夫・父親たちは外で働いて帰って来てから、妻から家の中で起きた色々な話を真剣に聞き、聞き分けのない子供について妻から「あなたからも言ってやってくださいよ」と言われたらきちんと子供と話をするし、場合によっては罰も加える。そして妻からも子供たちからも「やっぱりお父さんが一番だ」と愛され尊敬されるのだ。

さて一方で、同じくTikTokで最近よく見かけるようになったのが30過ぎても独身の女性たちが、いかに自分達が独身生活を満喫しているかという動画である。私自身はTikTokは中国のスパイ機能があると思っているから使っていないが、いくつかのサイトで上がってきたので観てみた。だいたいがこんな感じだ。

今、朝10時、昨日友達と遅くまで飲んでたからゆっくり寝てた。誰も文句言う人はいないし、煩い子供はいないし、今日は一日ユーチューブで観た料理のレシピを試してみようっと。好きな時に一人で旅行に行けるし、子守の心配も要らないし、あ~1人って本当に幸せ。

といったような内容だ。別に独身生活を満喫しているというならそれはそれでいい。だが、彼女らのビデオの内容は非常に希薄で、本当にそんな生活に満足してるんだろうかと疑いたくなる。

私は家庭の事情で結婚せず独身を通しているひとや、早くに夫を失くし子供も独立して何十年も一人暮らしをしている女性を何人か知っているが、彼女達の生活はこんな空虚なものではない。たとえば一人暮らしの叔母は近所の小中学校でボランティア活動をしており、裁縫がうまいので子供たちの演劇祭で衣装担当などをして大忙しだ。彼女の子供達はもう40年以上も前に独立しているが、何時電話しても今週はスケジュールが一杯だからランチは来週ね、などと断られてしまうくらい独身生活を満喫している。もう一人は仕事をしているが、週末はあっちこっちの劇場で観劇ざんまい。押しの俳優が出る舞台は飛行機に乗って宿を取ってまで観に行くという熱心さ。だからたまに彼女と電話をするとお芝居の話で花が咲いてしまう。

彼女達は別に独身でいることを特にアピールするようなことは言わない。幸せな人は自分が幸せなアピールをする必要はないからだろう。

朝好きな時間に起きてなにもやることもなく一日中ぶらぶらできるのが幸せだというなら、それはそれで結構だが、そんな生産性のない生活を一生続けることが本当にその人にとって幸せなのだろうか。それでも若い頃はいい。20代後半までなら週末羽目を外してパーティーするのもいいだろう。だが30過ぎていつまでもそんなことをやっていたら、あっという間に美しくも若くもなく何もできない中年女が残るだけだ。若さをそんな風に無駄にしてしまっていいのか?

無論、人それぞれなので私がどんな生き方が正しいなどという気はない。ただフェミニスト達が不幸せな結婚生活に嵌ってしまっていると見下げていた専業主婦たちが多かった1950年代に比べて、現代女性の幸せ度は極端に落ちている。(Is There a Happiness Gender Gap? (berkeley.edu)もしフェミニスト達が言うようにキャリアを目指した独身女性達の方が幸せだと言うなら、なぜこんなにも現在の女性達は不幸せなのだろうか?

考えてみる価値があるのでは?


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馬鹿フェミのおかげで歪曲されたペドフィリア論争

数日前にわたしはX(ツイッター)で「ペドに人権などない」と何気なくツイートしたことがきっかけで三日三晩と思えるほどペドフィリアを擁護する人たちから猛攻撃を受けた。一番酷い時は一時間で20人はブロックしたと思う。これは私には非常に意外だった。なぜなら幼児を性虐待する願望を持つ人間が邪悪であるなどという概念は常識的過ぎて誰も異論はないだろうと思っていたからである。たしかにLGBTQ+活動家達の間ではペド奨励はが居ることは知っていたが、まさかネトウヨにまで攻撃されるとは信じがたかった。日本ではこんなにも小児性愛が認められているのか、などと情けなくなった。

しかし脊髄反射的に擁護派をブロックするのではなく、彼等の言っていることにも多少耳を傾けてみると、どうも彼等の考えるペドフィリアと私が考えるペドフィリアでは定義にかなりの差があるということに気が付いた。特に何人もの人から「ペドフィリアとチャイルドマレスターを混同するな」と言われたのは意外だった。何故なら英語圏ではペドフィリアもチャイルドマレスターも同じように扱われているからで、この二つの違いなどに気を留める人は先ずいないからだ。

ペドフィリア/Pedophilia (小児性愛障害)とは思春期前の子供に性愛を持つ精神疾患を意味する。この性癖を持つ人をペドファイル/pedofile(略してペド)と呼ぶ。日本ではこれを実際に願望はあるが行動に移さない人たちのことを指すと勘違いしている人が多が、英語ではペドファイルとは単に小児性愛障害者と言う意味であって実際に犯行に及ぼうが及ぶまいがペドファイルであることに違いはない。そしてチャイルドマレスター・child molester とは子供を性虐待する者という意味だ。子供を性虐待するような者は先ずペドだと考えて間違いないだろう。だから英語圏ではペドもマレスターも同義語のように理解されるのである。

Twitterで私に絡んで来たペド擁護派はこうした背景に関しては完全に無知であるだけでなく、実際ペドは無害な存在だと考えているらしかった。よくよく彼等の言い分を聞いてみると、彼等はペドのことを萌え絵やBL漫画を愛読したり少女アイドルに夢中になっている、いわゆるオタクのことだと思っているらしいことに気付いた。そして「ペドに人権などない」と言った私のことをネトウヨオタクを「ペド、ペド」と言って散々攻撃してきているツイフェミと呼ばれるセクシーな女性像に過敏に発狂する過激派フェミニストだと思ったらしいのだ。

なるほど、ネトウヨオタク連中が「ペド」とは自分らのことだと勘違いし、そんな人権は要らないと言った私は彼等の宿敵であるツイフェミだとして猛攻撃をかけたというわけである。道理で話が噛み合わない訳である。

私はフェミニスト達がほんのちょっとした女性像をやたらに攻撃するのは女性を守るために何の役にも立っていないと思っている。特にファン連中が自分らだけで楽しんでいる偶像を外部からなんだかんだいちゃもんをつけるべきではない。そして実際無害なオタクたちを侮辱するつもりで「ペド、ペド」などと呼ぶのは害あって益なしである。何故ならそうやってなんでも「ペド」に入れてしまうと本当に悪質なペドの邪悪さが薄れて理解されてしまうからだ。

現に私はツイッターで子供の性奴隷としての人身売買がいかに深刻であるかという話をすると、単なる陰謀論だとか、親による子供虐待問題を無視して、大した問題でもない話を持ち出すなどという人が少なからずいたのだ。

ペドフィリアは非常に深刻な問題だ。子供の人身売買も恐ろしく膨大で、今や武器闇取引よりも巨大でそのうち麻薬取引を超す勢いなのである。しかし単なるオタクをペドなどと呼んで、その悪質さを過小評価していてはことの深刻さに取り組むことはできない。

ジャニー喜多川による少年性虐待が何十年にもわたって黙認されてきたというのも、人々が子どもへの虐待を過小評価してきたからだ。

馬鹿フェミ連中がオタクのような無害な連中をペドなどと呼ぶことで、実際に被害を受けている子供達を救うことが出来なくなっているとしたら、彼女たちの行動は非常に有害である。


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王谷晶さんはキャンセルカルチャーの犠牲者だった

アップデート:9月4日現在 本日ツイッターでイン・クィア・タイムスの共同編集者が日本のツイッターで起きた一連の騒動に気付いて、自分らの本にはペドフィリアに関する話はひとつもないと驚きの声明文を上げていた

賢花:翻訳した村上さつきさんは『インクィアタイム』を”私の本”だから責任を持ってぺドフィリア差別に反対すると主張していた。 でも、原作者のイン・イーシェンさんの表明はこの通り真逆なわけで、今回の件は翻訳者の発言権が及ぶ範囲を逸脱した結果の暴走だったということがわかりました

gesheI:今回のペドフィリア擁護/擁護反対の論争に際し、発端となったアンソロジーに関係なく議論が進行していること、またころから社、王谷氏、村上氏それぞれの文責の捉え方の脆弱さに違和感を感じていた旨をツイートしたところ、当該のアンソロジーのco-editor であるイン・イーシェンNg Yi-Sheng氏から応答がありました。

Ng Yi-Sheng: Thanks for bringing this to my attention. My god, what a clusterf*ck. I oppose pedophilia based on the inability of a child to consent & as co-editor of the book I can say we didn’t feature any stories that even mentioned the subject. (お知らせ頂きありがとうございます。なんて馬鹿げた事!私は子供が同意できないと言う立場からペドフィリアには反対です。また本著の共同編集者として言わせてもらいますが、この本にはそのようなことは一言も書かれていません。)

出版社に向けられた苦情投稿(本著とは何の関係もない、ただ紹介の帯を書いただけの人への個人攻撃)で始まったこの一連の出来事は先ず出版社の対抗が優柔不断だったことと、ただの翻訳者があたかも本著の意図を代表するかのようにペドフィリア擁護をして暴走したことが原因だった。しかし私が本著の編集者ならこれだけでは済ませないだろう。何故ならこのことで多くの人たちが原作のインクィアタイムはペドフィリア奨励の本だと勘違いしてしまった可能性があるからだ。編集者たちは断固出版社に抗議をし、自分らの本はペドフィリア奨励本ではないこと、自分らは断固ペドフィリアに反対であることを表明しなければならないだろう。

9月3日:前回のブログエントリーで(LGBTQ+のQ+に小児性愛は含まれるのか含まれないのか? – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)王谷晶さんという作家がペドフィリアを巡ってツイッター上で話題になったという話をちょっとしたが、私の理解が完全に間違っていたことを今日になって知ったので訂正し王谷さんにも勝手な思い込みで失礼なことを書いてしまったことをお詫びしたい。(以後敬称は省く)

事の発端は王谷がイン・クィア・タイムという翻訳本の帯に彼女のメッセージを書いたことで、この本に王谷が関わったことに腹を立てた自称ペドフィリアの男が出版社に苦情の手紙を送ったことから始まる。

私が誤解していたのは、この翻訳本そのものがペドフィリアに関するもので王谷がそれを奨励するような推薦文を帯に書いたことで、読者からペドを奨励するなどけしからんとクレームがついたのだと思ったことだ。だが実は事実はその正反対で、王谷は常日頃からペドフィリアとクィアを同一視すべきではないという立場を取っていた。

「LGBTQのQにはペドフィリアが含まれる」というデマが知らないうちにかなり広まっているみたいで驚いた…… 私もロイターのファクトチェック張りますが日本語でいい記事ないのか

普通に考えたらそんなことあるわけなかんべよ、というとんでもない話でも、差別心や恐怖心を媒介にあっという間に結び付けられて特定の界隈では「事実」になってしまうのは本当に怖い。自分も気をつけたい。

特定の属性や相手を悪魔化して見ていると、どんなトンデモ話でも「あいつらならそれくらいやりかねない」と信じ込んでしまいがち。それはデマになり陰謀論になり社会を損壊する流れを作ってしまう。これは思想の左右やジェンダーそのほか関係なく起こると思うので、ほんと気をつけよ……。」

それで苦情を述べた側は彼女がペド差別をしているのに、クィアに関する本の推薦帯を書くなどけしからんとクレームを付けたのである。出版社の「ころから社」は王谷の帯を外す気はないと声明文を出したものの、ペドフィリアに関しては「ころからは、ペドフィリアを含むあらゆる内心の自由について、いかなる制限もなく保障されるべきだと考えております。」と書き、王谷のペド批判意見には同意しない旨をあきらかにした。そして同社は苦情を述べた坪井里緒という人物に文句があるなら直接ネットで王谷に言えと言ったようだ。

そして翻訳者の村上さつきという人が苦情投稿者ら数人と一緒になって王谷をツイッター上で差別者として批判し始めたのだ。ネット上でペドフィリア擁護者たちから激しく叩かれた王谷は「あらゆる差別に反対する」という立場からあっさり謝罪してしまう。(8月29日)強調はカカシ。

以前単行本「イン・クィア・タイム」の帯を聞こうしたころから社から以下のアナウンスが出ました。他の版元様から軽油で同様のご指摘をいただき、ペドフィリアとチャイルドマレスターを混同しペドフィリア差別を助長していると思われる事故の過去ツイートをいくつか削除いたしました。帯の取り扱いにつきましては各版元・書店さん等にご判断をお任せしたいと思います。私の方としましてはもちろん外していただいてかまいません。改めまして今後も全ての差別に反対していると言う自らの言葉に矛盾しないよう強く気を付けたいと思います。あらゆるセクシュアリティは他者の人権を侵害する行為以外の権利はすべて有しており、内診の自由は保障されるべきという考えです。(略)

自分の認識の間違い、勉強不足によりセクシュアリティの一つであるペドフィリアと現実に加害行為を行うチャイルドマレスターを混合させ、特定のセクシュアリティを犯罪・加害と結び付け周縁化するような発言をしたことを反省します。この二つは混同して語ってはいけないものです。

あらゆるセクシュアリティの差別と暴力に反対する者として、ペドフィリア差別にも反対します。(後略)

全く何とも情けない文章である。LGBTQ+活動家は男を女として女性空間に受け入れろというだけでなく、子供を虐待する性癖まで正当化しろというのか?そしてそれを批判したらキャンセルの危機にさらすのか?日本も欧米並みのひどさになってきたようだ。

しかしもう聡明なる読者諸氏はよくご存じのように、ネットのリンチモブに謝罪などしても意味はない。いやそれどころか謝罪をしたことで自分の弱さを暴露してしまった王谷はさらに容赦のない攻撃を受ける。

先に述べた村上さつきや坪井里緒やコバヤシアヤノなる輩が執拗に王谷を攻撃した。この頃から王谷は自分が小児虐待の被害者であることをツイッターで述べ自分の謝罪がサバイバーの人たちを傷つけることになってしまったとしたら申し訳ないとツイートしている。

何度か書いていますが、自分も幼児と言っていい時期に見知らぬ他人から性被害をうけています。そのうえで、その被害はペドフィリアと児童性虐待者を同一に観て排除しても、おそらく防げなかったと思います。その二つはイコールでなく、児童に性愛的に惹かれなくても、支配欲で暴力を振るう人はいるので。35年以上経っていても被害の記憶は苦しいです。(略)

すると、今度はそれを攻撃するツイートが付いた。

あなたがサバイバーに言及した語りは有害です。被害経験やトラウマはケアにあくせすできるようにすべきで、特定の属性の話にもちこむべきではありません。性暴力被害の問題をトランスの問題としてはいけないように。今やるべきことは差別反対とバッシングを諦めることです。ーじゅごん

ペドフィリアの性暴力の被害にあった女性に対してここまで言うとは本当にこいつらには魂がない。だいたいペドフィリアとチャイルドマレスター(児童性虐待者)は違うなどというのは詭弁だ。一歩進めば犯罪者なのに、何がセクシュアルマイノリティーだ!ただの変態ではないか!

王谷さんはなんとかこうした攻撃から身を守ろうと、「混乱していた」「少し時間をください」と一生懸命にツイートした。しかしそれが無駄なことはもう皆さまもご存じの通り。

王谷はこうしたバッシングに耐え切れず、自分は心を病んでしまったとその心の内をふせったーという媒体で語っている

結局彼女は「差別者だ」と叩かれたことで動揺し、あまり考えもなしに安易に謝ってしまったことを深く後悔しているようだ。それにペドフィリアを正当化する人たちから「謝れ」「訂正しろ!」「ペドは悪くないと認めろ」などと言われて過去のトラウマを思い出してしまったようだ。

私個人としては王谷の受けた仕打ちは酷いと思うし同情もする。しかし問題なのは彼女の「あらゆる差別に反対します」という矛盾に満ちた姿勢にある。トランスジェンダリズムを擁護し、女を自認する男たちを女として認めて女性空間に許容すれば、かならずやこういう変態が入ってくる。我々は最初からそう警告してきたではないか?王谷はそれを無視して八方美人でいようとした、性加害者と性被害者の人権を同時に守るなんて出来るはずがない。そんな不可能なことをやろうとするから、こういうことになってしまうのだ。

実は私はこのまとめをこちらのノートから参考にしているが、このノートにはもっとたくさんのペドフィリア擁護者の醜いツイッターが紹介されている。読むのもおぞましいのでこちらでは紹介しないが、本当にこいつらは悪である。ペドフィリアも幼児性虐待者も全く同じだ。混同もなにもない。ペドは単に幼児ポルノを見てるだけで実行に移さないなんてのは屁理屈だ。幼児ポルノにはモデルになって虐待された子供がいないとでもいうのか?モデルのいないイラスとやAIの絵だけを見てるとか誤魔化すのもいい加減にしろ。彼等がどんな幼児ポルノを見ているか、私は知っている。無論私は見たことはないが、映画のサウンドオブフリーダムの元となった男性がその写真やビデオについて細かく描写するのを聞いたことがある。此処では書かないが、犠牲者の居ない幼児ポルノなど存在しない。そしてそんな写真やビデオを持っている男たちは、かならず仲間同士で情報を交換して実行に移すのだ。(サウンドオブフリーダムでもそういう状況が描写されている)

王谷さんにはしばらくネットから離れて心の療養に励んでもらいたい。しかし気を取り直して帰ってくる時までに、自分のなかにある矛盾と向き合ってほしい。

性加害をする人間までLGBTQ+の性自認の中に含んでもいいのかどうか、いったいTQ+に含まれる人たちって誰なのか、あらゆる差別を許さないとはいったいどういう意味なのか、もう一度しっかり考えなおして欲しい。

追記:この一抹は私だけでなく色々なトランスジェンダリズムに批判的なジェンダークリティカルと呼ばれるツイッタラーさんたちの注目を浴びた。そして普段は多分王谷のように無思慮に「反差別者」を気取っている人々には批判的な人々も彼女に同情した。しかしそれ以上にペドフィリアを擁護する人々の悪質さに嫌気がさしたと見え、ペド擁護アカウントを次々にX(ツイッター)社に通報した。私は普段通報と言うのが好きではない。どんな意見でも他人の名誉を汚すようなことでない限り言論の自由は守られるべきだからである。しかしペド擁護の人たちの言い分は酷すぎる。読んでいて胸糞が悪くなる。

ところで王谷さんに同情の念を示したのはペドとクィアを同一視するなと主張している仲岡しゅん弁護士のようなLGBTQ+活動家ではない。彼等はペド差別反対などと言っているLGBTQ+当時者やそのアライ達を批判するのではなく、Q+にはペドが含まれると指摘している我々をデマを拡散している「ヘイター」だと言って責める。そんなことを言っている暇があるのなら、ペド擁護のLGBTQ+活動家達に「お前らのおかげで我々の評判が落ちるから黙れ」と一括するのが筋ではないのか?ツイッターで必死に「ペドはクィアに含まれるなどデマだ」と言い張る仲岡しゅん弁護士などが先頭に立ってペド擁護者たちを糾弾すべきではないのか?それをせずに我々をがデマを拡散しているだのヘイターだのと言ってみても、全く説得力がない。


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女性は若いうちに結婚して子供を産むべき

実は本日ツイッターで誰かがこんなことをつぶやいていた。

「多くの人が悩む問題に無神経に触れる言動が、単なる『あいさつ』程度に扱われる現状はもはや社会問題だと思います。『彼氏/彼女できた?』とか『結婚はまだ』などというのも挨拶程度に言うべき言葉じゃないよね。 」

それに対して私は、

「まだ結婚しないの、子供まだ?とかいう質問は必要だと思ってる。そうやって社会が圧力かけてたから人々が頑張って結婚して子供産んだんだよ。おせっかいおばさんがお見合い進めてくれて助かった人はいくらもいるんだわ」

と書いたところ、案の定、フェミニストと思われる女性達から苦情が殺到した。

いつもそうなのだが、私が少しでも伝統的な女性の役割について肯定的な話をすると、フェミニストさんたちから一斉攻撃を受ける。しかも彼女達の攻撃からは単に意見が違うというのではなく、ものすごく感情的で憎悪すら感じとれる。彼女達の平凡な女性の幸せに対する憎悪は尋常ではない。

私が結婚もせずに若い頃に好き勝手なことをやって自由気ままに生きて来たと思った人からは、

「自分は好きに生きたけど年食って既得権益が見えてきた途端に『インフラも福祉もボロボロで国が終わる!いかん!下の世代に産めよ増やせよと言わねば!』というのは自分の安泰な老後のために若いあなた達は私達の味わった楽しみを諦めて人生を犠牲にしてねという意味でしかないので卑怯だと思うんだよ…

という感想をもらった。反対に私が子だくさんで孫に囲まれているとでも思ったのか、こんな返答をくれたもいた。。

凄い、相手のプロフィールも知らないのに、出産可能な年齢か勝手に判断して手遅れとか批難。まさに女の敵は女、そのもの。出産出来た女からのマウントって?最悪。相手が子沢山だったらどうするのだろう?アタマ、頭、悪過ぎ。男には好かれるな、女を攻撃する女だから。恥を知れ。

彼女の年齢については、この直前のやりとりで彼女が子どもを産むほど若くはないと言ったので、それではもう手遅れですね、と私が答えたことに関する返答だ。

この人たちは私個人がどんな人生を送ってきたかについては全く反対の印象を持っているが、何故か若い時に結婚して子供を産むと言う平凡な女の幸せへの憎悪は同じようだ。

ま、私の人生はどちらかと言えば最初の人の印象のほうに近いが、別に好き勝手に自由に暮らしていたというわけでもない。確かに20代の頃は子供が欲しいと思わなかったのでずっと避妊をしていたが、30代になって子供は欲しいと思っていた。しかし40歳までは産めると思っていたので特に焦っていなかった。何年経っても出来ないので遂にお医者に診てもらった時は手遅れだったのだ。

そういう背景があるから、もしもっと若い頃に年を取ると妊娠しにくくなるよとか、40歳まで産めるとか神話だよ(産める人もいるが普通は非常に難しいし危険)とか助言してくれる人が傍にいたら私の人生も随分違うものになっていただろうと思う。

だから私は経験ある周りのおばさん達が若い女性に対して結婚や出産をせっつくのは、人生の先輩として義務だとさえ思うのだ。

ところで上記のこのお二人、プロファイルを見る限りすでに中年のご婦人のようだが、とても幸せな人生を送ってきた人たちのようには見えないね。

追記:ところで健康上の理由で子供が出来ない人に対して「お子さんはまだ?」と聞くのは残酷ではないかという質問だが、確かに一生懸命頑張ってるのに授からないのは辛い。私にもそういう時期があった。私はそういう時は「コウノトリがまだ来ないので」とか「神の御心にお任せしてますので」と言って来た。そういうと私は頑張ってるけど出来ないのだということが解ってもらえるので、それ以上は聞かれなかった。そういう年ごろを過ぎてからは「お子さんはいるの?」と聞かれるようになったが、「いません」というとそれで済んでいた。だからそんなに気にするほどのことはないと私は思う。


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「バービー」はフェミニストの映画?いやパロディーでしょ

デイリーワイヤーのベン・シャピーロなど保守派のコメンテーターたちがこの映画はフェミニストのプロパガンダ映画だと言っていたので全く観るつもりはなかったのだが、同じくデイリーワイヤーのマイケル・ノールズが、いや、そうじゃない、この映画は一見フェミニストを持ち上げているように見えるが実はフェミニストをおちょくったパロディーなのだと言っていた。また別の保守派YouTubeチャンネルでは、これはフェミニストプロパガンダだが制作者の意図に反して非常に面白いコメディーになっていると言っていたので、これは観るしかないだろうと思って観て来た。

結論からいうと、私はマイケル・ノールズの言う「これはフェミニストをおちょくったパロディー」という意見に同意する。

あらすじ:バービーランドに住むバービーたちは全て完璧で最高の生活を送っている。洋服は常に美しく最高のファッション。それぞれのバービーが壁のないプラスチックのバービーハウスに住んでいる。バービーランドはバービーたち女性人形がすべてを取り仕切っており、大統領も学者もお医者もすべてバービー。ケンたちはバービーたちを引き立てる飾りに過ぎず全く権力を持たない。しかし金髪のケンはバービーを愛していて常にバービーの気を引こうと必死だが、バービーは全然興味なく、毎日ガールズナイトでディスコパーティーに明け暮れる。

そんなバービーがある日突然何かに憑かれたのように死を意識するようになる。そして人間の母と子の夢を見る。予告編でもあるようにかかとが地面についたり完璧なバービーの世界が少し歪んでいるのだ。そこでバービーは問題を解決するためにバービーランドに住む変なバービーに相談にいく。変なバービーは現実の世界へ行って、夢に出て来た女の子を探しだせという。そこでバービーは現実社会へと旅立つが、なぜかケンもついてきてしまう。

バービーとケンが訪れた現実社会は、バービーランドとは反対にすべて男性によって牛耳られている。それを知ったケンはこの家父長社会に感激し、バービーを残して一人バービーランドへ帰る。現実社会で色々あったバービーが人間の母子を連れてバービーランドに帰ってみると、何とケンがバービーランドのリーダーになり、バービーたちを召使のように扱っていたのである!バービーはケンからバービーランドの主権を取り戻そうと実社会の母子と一緒に計画するのだが、、あらすじ終わり

まずこれがフェミニストの映画ではないと思う最初の手がかりは、予告編にもあるように何もかも女性が仕切っているバービーランドに住んでいながら主役のバービーが突然、死を意識するところである。バービーランドはフェミニスト天国であり何の落ち度もないのだ。そんな国に住んでいるのに何故わざわざ不完全な現実社会に行かなければならないのか?

現実社会に行ったバービーは公園で遊ぶ子供たちやベンチに座っている老婆に見入る。幸せそうな人もいれば悲しみにくれている人もいる。バービーはそんな人たちを観て感動してしまうのだ。でも何故?全部女性が仕切って居て完璧なバービーランドから来たのに、どうしてこんな不揃いな人たちを観て感動したりするのだろうか?

注意:この先ネタバレあり!

バービーはすぐに自分の持主である中学生くらいの少女に出会う。しかし少女は自分はバービーなんて5歳くらいから遊んだことはないと言い、完璧な女性像を描く「典型的バービー」は現実の女性とは大違いで、かえって少女たちから夢を奪っていると説教されてしまい大いに傷つく。

バービー人形と他のお人形の違いは、それまでお人形と言えばみんな赤ちゃんや子供の人形だったのが、バービーは大人の女性だということ。それまでのお人形は遊ぶ子供の年齢に合わせたもので、同時に女児たちがお母さんを真似する遊びのためのものだった。言ってみればお人形遊びやおままごとというのは将来女児たちがお母さんになるための修行の始まりだったと言ってもいいだろう。ところがバービー人形は違う。彼女は大人の女性だ。独立心旺盛でお医者さんだったり弁護士だったり大統領だったりするのだ。彼女は単に完璧に美しいだけでなく立派なキャリアもあるのだ。そのうえハンサムなボーイフレンドのケンという男性まで侍らせている。まさにフェミニストの夢だろう。

ところが現実社会に行ったバービーは少女たちがバービーの完璧すぎるフェミニスト像に絶望し希望を失っていることを知るのだ。

バービーの世界はプラスチックのファンタジーの世界だ。本当の女性は典型的バービーのように美しくもなければキャリアで成功しているわけでもない。いやよしんば美人でキャリアを持っている、いってみればこの役を演じている女優のような女性の人生もバービーランドのバービーたちのように完ぺきではない。フェミニストが言うようなすべてを完璧に持ち合わせている女性などこの世に存在しないのである。

反対に現実社会でケンは男性が権力を握っていることを知る。バービーやケンの製造会社マテルの重役はすべて男性。バービーランドのケンたちはただハンサムなだけで何も出来ないお飾りなのだが、現実社会では男達が生きがいのある仕事をしているのを見て感動する。しかし現実を理解できないケンは現実社会では男だというだけでなんでもやらせてもらえるのだと勘違いしてしまう。現実社会の男性は男性だから高い地位についているのではなく、実力があるからその地位についているのだということが理解できない。それというのもバービーランドのバービーたちはバービーだというだけで権力があるからである。バービーたちの職業は本物ではない。彼女達の肩書には中身がない。バービーランドでバービーたちがケンたちより権力があるのは、そういうふうに作られたからであって、実際にバービーたちにバービーランドを仕切る才能があるわけではないのだ。

ケンはバービーより一足先にバービーランドに帰ってケンが仕切る社会を作り出す。ケンは他のケン達に「現実社会では男が尊敬されているんだ!」と興奮して語る。どうやったのかケンはバービーたちを洗脳してケンたちに仕えることに満足させてしまう。どうしてそんなことが可能なのかは全く説明されないが、まあそれはいいとしよう。

結局現実社会から戻ったバービーは洗脳されていない他のバービーと、現実社会から連れて来た母親と娘のペアの協力を得てバービーランドを元のバービー支配下に戻すことができる。しかしその時、ケンはバービーに自分は別にバービーランドを支配したかったわけではないと告白。ただ単にバービーから尊敬されてバービーに愛してもらいたかっただけだと語る。

男性は女性の尻に敷かれて生きたいのではない。だが男性がすべてを支配したいわけでもない。ただ女性から尊敬されたいだけなのだ。これがフェミニストの考える理想的男性像だろうか?

私がこの映画がフェミニストの映画だと思わない最大の理由は、最後にバービーがバービーランドを出て現実社会で生きて行こうと決めるところだ。バービーランドはフェミニストの理想社会へと戻ったのだ。典型的バービーは大統領になってその社会を仕切ればいいではないか?それなのに彼女は不完全な現実社会へと出かけていくのだ。

何故?

彼女が最後に行った場所。それは産婦人科だったのだ!

バービーはバービーランドでフェミニストの理想的社会に生きるよりも、現実社会で子供を産むことを選んだのである。これでもこの映画はフェミニスト映画と言えるだろうか?


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小児性愛嗜好は実行に移さなくても駄目なのか、答え「駄目です!」

だいぶ前からLGBTQ+のQ+には小児性愛が含まれるのかという話のなかで、含まれたとして何が悪いのか、小児に性愛を持つこと自体は実行に移さない限り構わないではないかという人の意見を聞くようになった。だが私はその度に小児に性愛を持つこと自体が悪なのであり、そのような欲望を正当化してはいけないと言って来た。しかし誰に性愛を感じるかは人の自由であって、それを行動に移さない限り誰に加害をするわけでもない、その気持ちまで規制すべきではないと反論する人が少なからずいるのである。それで本日は、なぜそのような欲望を正当化してはいけないのか、その話をしたいと思う。

先日も小児性愛を差別すべきではないと言うブログエントリーを読んだ。読んでて気持ち悪くなったので読者諸氏にはお勧めしない。

「ペドフィリアは危険」の「根拠」としてよく挙がるのが、ペドファイルの欲望の対象が、性的同意が可能であるとみなすべきでない年齢であることだろう。ペドファイルは、その「定義」上、現実的には絶対に性的同意を得られない対象へ欲望が向いている。

だが同意を得られない対象と言うなら、子供だけでなく面識のないアイドルやすでに亡くなった人への性愛も危険だと言えるのだろうかとブログの著者は問いかける。

自分が求めてるのは、「同意のない行為」がなされることを阻止すること。性的同意のない対象への行為を非難することと、性的同意のない対象へ欲求をおぼえることは区別して語れるし、きちんと区別して語るべきことではないのか。(略)そもそも、あなたが本当は問題にしたいのは、「ペドファイル」の欲望ではなくて、「チャイルド・マレスター」による性暴力ではないのか。(略)加害しそうなひとやしたひとを必要な教育やケアへつなぎ、性暴力やそれを繰り返すことを共同体として防いでいくことではないのか。

著者は「同意の得られない対象への性愛(ペドフィリア)」を悪とするのではなく、「同意の得られない行為」を阻止すべきなのだと主張するが、同意のない性行為への欲望が行為に移るのを阻止するメカニズムとは何であろうか?

ある対象が性愛となるということは、その対象との性的欲望を満たしたいという気持ちがあるということだ。無論小児への性的虐待は違法である。だが法律に出来ることは実際に犯罪が起きてしまってから犯人を罰することだけであり、犯人が行為に及ぶことを阻止するためには、物理的にそういう欲求を持っている人を彼等の対象となる子供たちに近づけないこと以外にない。

だがもっと大事なことは、本人が自分の持っている欲望は悪であると意識することだ。もし本人にそれが出来ないのなら、せめて社会がそのような欲望を許さない姿勢をはっきり見せることである。ペドフィリアをLGBと同じような性指向であるかのように扱いQ+に含んで社会的に許容されるべき指向であるかのように認めるなどとんでもないことだ。

普通、道徳心のある文明人が犯罪を犯さないのは何故か?文明社会のいて普通の人がものを盗まないのは何故だ?無論窃盗は違法だが、監視カメラもなく無人の野菜売り場でも人々がお金を置いて野菜を持っていくような場所が存在出来るのは何故だ?それは誰もみていなくても罰せられる可能性が全くなくても、盗みは悪いことだという共通した道徳観念が社会にはあるからだ。

しかし社会におけるこの道徳的共通観念がなくなり法がきちんと機能しなくなるとどうなるか。それは今のサンフランシスコの無法ぶりをみていればよくわかるはずだ。

小児性愛は行動に移そうが移すまいがその欲望自体が悪なのである。社会がそのように判断しているからこそ多くの小児性愛者はそれを行動に移すことをためらうのだ。もしこれで社会がそれも正当な性指向のひとつだなどと認めたらどうなる?違法である今でさえ多い小児性虐待が爆発的に増えるのは火を見るよりも明らかである。

現にTQ+の活動家たちが子どもを性的に手懐けようと必死ではないか?

我々は決してこのような変態達の口車に乗ってはいけない。

付け足し:いままさにツイッターで子供に性行為は同意できないというツイートに対してこんなのがかえってきた。結局どんなきれいごとを言おうと本心はこういうことなのだ。

なんなんちゃんキューテストフォーエバーインザ・ワールド2023@vegan@NANANANANNNANNM

なぜ絶対合意できないと言えるんや? 判断能力なんて個別で異なるやろ。 判断能力で決めるなら知的障害者と健常者の恋愛は健常者側が変態って事やな。 ましてや知的障害者同士は恋愛するなって事やな。


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インディアナジョーンズ5,たった4日で低予算独立映画サウンドオブフリーダムに一位の座を奪われる

いやいやいや、今年のディズニー映画は不作ぞろいだが、製作費と広告費を合わせて3憶5千万ドルかかったといわれるインディアナジョーンズ第5弾最終章「ダイアルオブデスティニー」は、なんと公開たったの4日目(しかも7月4日の独立記念日)にして製作費1千4百50万ドルの独立映画「サウンドオブフリーダム」に一日の売り上げ一位の座を奪われてしまった。サウンドオブの4日の売り上げは1.42千万ドルで、インディアナの1.17千万ドルを上回ってしまい、すでに製作費をほぼ全額取り戻しつつある。

インディアナのほうは公開が6月30日で、これまでの売り上げが1.54億ドルとまだまだ製作費の半分程度。今後国外市場の売り上げ数があがってくるとはいうものの、この手の映画の第一週末としてはあり得ないほど低い数値。

天下のディズニーだぞ!全国最多の映画館公開だぞ!インディアナジョーンズだぞ!ハリソンフォードだぞ!なんて売れない?なんで1兆ドルの売り上げにならないんだ?あり得ないだろう!!

というわけで7月4日前日にディズニー社では緊急会議が開くため夏休み休暇中の重役たちがそれぞれの旅先から呼び戻されたんだそうだ。

このサウンドオブフリーダムと言う映画は曰く付きでディズニーとは無関係ではない。子どもの人身売買シンジケートを扱った地味で重苦しい内容だが、映画自体は2018年にすでにエンジェルスタジオによって制作は完了していた。当時20thセンチュリーフォックスが配給する予定あったのだが、フォックスがディズニーに買収されてしまったため、ディズニーの配給となったのだが、何故かディズニーはこの映画を公開せず、そのままお蔵入りにしてしまった。

そこでエンジェルスタジオはディズニーから映画を買い戻し、なんと2年かけてクラウドファンディングで今回の配給に持ち込んだと言うのだ。独立映画会社であるから公開映画館もディズニーの約2分の1。限られた劇場だけでディズニーを上回るとは快挙だ。5年前にディズニーがさっさとサウンドオブを公開しておけばこんなことにはならなかったのに。馬鹿だなあ。

サウンドオブの予想外の大成功もさることながら、ディズニーの悲劇的な失態ぶりも大したものだ。なぜこんなことになってしまったのか。ちまたではプロジューサーのキャサリン・ケネディーに問題があると噂されている。ディズニーになってからスターウォーズに人気も大低落だし今度はインディアナジョーンズと来たもんだ。この2つに共通しているのがケネディーである。詳しいことは知らないが、ケネディーはスティーブン・スピルバーグとジョージ・ルーカスと初期の頃から一緒に仕事をしてきたという話だが、今回スピルバーグもルーカスもかかわっていないこの映画でケネディーだけが残った結果がこうだとすると、今までの成功にケネディーは全く貢献していなかったということは明白である。

私はどちらも観ていないのだが、スターウォーズの最新作でもこのインディアナジョーンズでも共通して言えることは全く魅力のない女性キャラクターだそうだ。スターウォーズのほうはルーク・スカイウォーカー、インディアナの方はインディアナ・ジョーンズというファンに長年愛されてきたキャラクターたちが主役だが、新作ではどちらもこれらのキャラクターが落ちぶれた老いぼれ爺さんとして脇役においやられ若くて生意気な女が何もかも解決してしまうという設定になっている。

ケネディーは一体これらの映画を誰のために作ったのだ?SF冒険もののファンはほとんどが男性だ。男は老いも若きも女にどつきまわされる老いぼれ爺さんの話なんか観たくない。いやそれをいうなら女だって何もかも自分でやってしまう女性の話なんぞ観たくない。

だいたい一番最初のスターウォーズの筋を考えてみてほしい。美しいレア(お姫様)が助けを求めるメッセージを送る。それを見た格好いいルーク(王子様)がお姫様を助けに冒険の旅に出、数々の試練を乗り越えてお姫様を救出するという昔ながらのおとぎ話の設定である。

フェミニストたちはこういふうに悲嘆の女性を救う設定は女性蔑視だといちゃもんをつけ、強い女性を描かなければならないと言い張る。元々強い女を描いた1990年代のXenaとか昔ながらのワンダーウーマンのようなキャラは人気があるが、これらの作品には彼女達の愛に等しい強い男性が登場する。どうもフェミニストたちは男をコケにすることでしか強い女を描けないらしい。

しかしこういういけ好かない女たちは人気がない。昨今のディズニーの不入り続きを観ていればそれは明白なはずだ。


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