イラン英兵15人を解放、強行派アフマディネジャド折れる

まずはまあいいニュースから。

2007.04.04
Web posted at: 22:41 JST
– CNN

テヘラン(CNN) イランのアフマディネジャド大統領は4日、記者会見を開き、拘束中の英海軍兵士15人に恩赦を与えて釈放すると言明した。 先週始まったイランの新年を記念し、親善の意を表した恩赦という。大統領は記者会見後、英兵の一部と面会した。
イランの国営テレビは、大統領がスーツ姿の英兵らと握手を交わし、談笑している映像を放送。音声では、英兵の1人が英語で大統領に謝意を示す発言や、大統領が英兵らに「どんな旅を強制されていたのか」などと冗談交じりに話しかける発言が聞こえる。

はっきりいってどれほど待遇がよかったにせよ、なんで英国の水兵や海兵隊員がスーツ姿でにこにこしてるのか。解放されてうれしいのは分かるがカカシには胸くそ悪い。これがアメリカ兵でなくて本当に良かった。もっともアメリカ兵ならこんなに積極的にイランのプロパガンダには参加したとは思えないが。
とはいえ人質が無事にかえってきたのは良かった。タイミングから昨日のイラン高官解放と関係があるのだろうかという疑問はあるが、実は強行派のアフマディネジャド派が現実派のラフサンジャニに押されての妥協なのではないかという説がある。
一見イギリスはイランの無謀行為に対して強気の姿勢も見せず国連だのNATOなどに訴えるなど武力行使ではなくあくまで外交尊重の態度をとっていたことで、イランはイギリス軍などいくら湾岸に武装勢力を集中させても無力だと国際社会に証明したかのように見える。イギリス兵がイランのテレビで海域を侵しましたなどと「自白」した姿も印象的だ。
しかし一方で、イランはイギリス政府から公式にイラン海域を侵したと認めさせることはできなかったし、イギリスは謝罪などもってのほかという態度を崩さなかった。脅しは実行に移さなければ脅したほうが弱く見える。イギリスが罪を認め謝罪しなければイギリス兵をスパイの疑いで裁判にかけると息巻いていた強行派のアフマディネジャドがイギリス兵を無傷で返還したとなるとアフマディネジャドはどこかからの圧力に屈服したのか、イギリスから何か報酬を獲得したのかどちらかだろう。
もしアフマディネジャドが国内の政権から、特にラフサンジャニに示唆されたカタミ師から圧力をかけられたとしたら、アフマディネジャドのイラン国内での勢力はかなり弱まっていると考えることができる。この間の選挙でもアフマディネジャド派はずいぶん地方で議席を失っているし、イランの予算案などでもなにかとラフサンジャニに押されている。
また、イギリスがイランと裏で色々交渉をしたのではないかと考えると、イギリスが明かにイランへの報酬だと分かるものを与えなければ諸外国はイランがイギリスに脅迫されたと解釈せざる終えない。となればイギリスは無力どころか案外イランの痛いところをついたのではないか、つまりイランはイギリスに盾をつけるような立場にはないのではないか、という印象を外に与える。
となってくると、アフマディネジャドによるイギリス兵拉致作戦はイランの外交としては大失策だったのかもしれない。実際にイギリスとイラン、どちらが駆け引きに勝ったのか今後のイギリスの出方が注目される。


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女性ブロガーは狙われる! (ほかの女性からだけど、、)

左翼の女性ブロガーが自分のブログや他のブログで自分に向けられた脅迫を恐れて予定されていた講演をキャンセルするという事件が起きた。このことでワシントンポストなどの主流メディアが注目しネット上での脅迫を批判している。脅迫を受けたのはキャシー・シエラという10代の女性ブロガー。
私は決してネット上の脅迫を擁護する気はないが、この事件で大騒ぎしている主流メディアは右翼女性ブロガーが脅迫され続けてきたこの数年間どこにいたのだ? とカカシは聞きたい。アメリカメディアの左翼偏向は今にはじまったことではないから特に驚きはしないが、右翼女性ブロガーのミッシェル・モルキンや、右翼コメンテーターのアン・コルターがさんざんひどいことをいわれていた時はだんまりを決め込んでいたくせに、ちょっと左翼女性が嫌がらせをされると大騒ぎ。
私自身にも明らかに精神異常をきたしている左翼アラシのストーカーがついている。このアラシは私の実名を某掲示板で暴露し、私の写真やミスター苺の写真を貼付けて、ミスター苺の体型についてここでは再掲できないようなわいせつな内容で何か月にも渡っていやがらせを続けている。しかも性的に嫌らしいことばかり書いているこのアラシはなんと女性なのだから呆れてしまう。
しかし女性ブロガーに性的な嫌がらせコメントを残すのは案外女性である場合が多いようだ。特に左翼女性による右翼女性への攻撃はえげつないものが多い。ドクターヘレンという保守派のブロガーが受けたという嫌がらせの内容をよんでいて、カカシは口をあんぐりとあけてしまった。なぜなら彼女が受けた嫌がらせは私が受けているものとそっくりだったからである。

ブログ社会には男女差別が満載されていることに男性はあまり気が付かない。…私も気が付いたことだが、女性蔑視の嫌らしいコメントを私のブログに残す人の多くが男性ではなく女性である。割合からいって政治ブログの読者は75%が男性であることから考えて、男性からのコメントのほうが多いはずだ…多くの男性は女性のサイトを支持している。そうでなければわざわざ女性ブロガーと言葉を交わしたりしないだろう。正直言って、私がもらったひどく悪質なコメントを残すような人は、決まって私の夫の体型についてひどいことをいったりする卑怯者である。

ドクターヘレンは左翼のフェミニストブログから、彼女のご主人が大学教授であることから、ミセス教授などと言われたという。女性を配偶者の職業を使って呼びかけるやり方は女性蔑視ではないのかとドクターヘレンは問いかける。そういえば、ミッシェル・マルキンも彼女のコメンタリーは白人の旦那さんが代わりに書いてやってるのではないかなどとコメントをする人がいた。また、私に対しても私の意見は主人の意見の受け売りだと書いた左翼サイトがあった。

私は最近女性の政治ブログを調査している人から、ネット上で女性だからと差別を受けたことがあるかと質問を受けた。私は「はい。よく他の女性から受けます」と答えた。そして女性からの攻撃は大抵が控えめなものではなく、容姿に関係するものであることが多い。私はある「フェミニスト」ブログで私の書いたことに異論のあったそのブロガーが「彼女のあの髪なんとかならないの?おえ〜」と書いているのを読んで「なんて意地悪なコメントだろう」と感じた。特にこのブロガーは自分のことをフェミニストと誇っているようだったからだ。

もっとも左翼フェミニストは右翼女性は本当の女性ではないと考えている節がある。

リベラルフェミニストによると保守派女性は本当の女性ではない。グローリア・スタイナムがテキサス共和党ケイ・ベイリー・ハッチンソン女性議員について「女装した男」と言ったことを覚えているだろうか? それからNOWのリーダー、パトリシア・アイルランドが民主党支持者に「本物の」女性候補にだけ投票するように呼びかけたことは? またアル・ゴアのファッションコンサルタント、ナオミ・ウルフが外交分析専門家のジーン・カークパトリック女史にたいして「女性の体で感じる体験から全く影響を受けていない」と批判したことは?

そういえばある掲示板でミスター苺が「うちのカミさんがこういうことを言っていた」と何気なく書いたら、「本当の女がそんなことを言うはずがない。」「お前が結婚してるなど嘘だろう。カミさんは架空の女だ」という投稿が女性から続出したという。(笑)
左翼の考える本当の女性とは左翼の考えを持っているひとたちに限られ、右翼の偽女性はどんな嫌がらせをされても右翼の考えなど持っている以上自業自得とでもいうのかな?


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タイミングが怪しいイラン2等書記官の解放

今朝、読売新聞のイラクで拉致されたイラン2等書記官、解放され帰国へこの見出しを見てちょっと首をひねった。

【テヘラン=工藤武人】イラン国営テレビは3日、今年2月にイラクのバグダッドで拉致されたイラン大使館の2等書記官が解放され、同日中にイランに帰国すると伝えた。

 解放の詳細な経緯は不明だが、イラン学生通信はイランの在バグダッド大使館筋の話として、同書記官は2日に解放されたとしている。
 この書記官は2月上旬、イラク軍特殊部隊の制服姿の男たちに拉致された。同部隊はイラク駐留米軍との関係が密接なため、イラン側は、米国が関与していると激しく非難していた。
(2007年4月3日20時47分 読売新聞)

なにしろイランでは例の15人のイギリス兵が人質になっている。イギリスもアメリカもそしてイランも人質交換は公には話題にしていないが、もしこれでイギリス兵がイギリスに帰ってくるということになったなら、これは完全に人質交換の交渉が裏で行われていたということになる。非常にまずい状態だ。
一方イギリスのインディペンデント紙では、イギリス兵が拉致されたのはアメリカのイラク政策失敗が原因だという筋違いの記事が掲載されている。

イラク北部を公式訪問中のイラン警備将校のアメリカ軍による拉致失敗が10週間後にイギリスの水兵海兵隊員15人が拉致される引き金を引いた。
今年1月11日の早朝ヘリコプターで潜入したアメリカ兵らはクルド族地区のアービルに長期に渡って存在していたイランレーゾン事務所を襲撃。5人の比較的下位の職員5人をスパイ容疑で逮捕、今も拘束中。
しかし現実にはアメリカはもっと野心的な目的があったことをインディペンデント紙は学んだ。この手入れの目的はクルド地方政権に知らせずにイラン警備組織の重要人物二人を捕まえることにあった。

その後のイランの怒り狂った反応からいって、イランが報復行動に出ることくらいはイギリス政府は予期すべきだったと記事の著者パトリック・コクボーン記者。そしてコクボーン記者はイラクに公式訪問しているイランの諜報部員を拉致するということは、外国を公式訪問しているCIAやMI6の高官が外国で拉致するようなものだとし、イランが怒るのも当たり前だといわんばかりである。
ほお〜、正式な外交関係のあった国の大使館を襲撃し大使および職員53名を拉致して444日も監禁した行為はどうなるんでしょうかね? そういうことへの報復が許されるっていうならアメリカはまだイランに48人のイラン高官を拉致するだけの借りが残っている。
イランが人質をとっては自分らの理不尽な要求を突き付けているのはなにも今にはじまったことではない。1979年のアメリカ大使館襲撃はいい例ではあるが、それですら始まりではない。16世紀から19世紀にかけてバーバリーコーストといわれるモロッコ、アルジェリア、タニーシアそしてリビア海岸の海洋を荒らして欧州の船を拿捕し乗組員を誘拐しては身代金を要求していた海賊らは当時のイスラム教諸国を背後にもつ海賊たちだった。それをいうなら2004年にもイギリス兵二人がイランに拉致された事件があったではないか、あれもアメリカのせいだというのか? コックボーン記者は誘拐はイスラムの常套手段だという歴史的事実さえ知らないらしい。(先に紹介したような学校教育を受けた結果かもしれない。)
インディペンデント紙は、アメリカの作戦を批判する暇があったら、抵抗もせずにみすみす捕われの身になったイギリス兵15人の態度について見直したらどうなのだ? そして拉致された後恥も外聞もなくイランのテレビに出演して地図の前で「確かにイランの海域に侵入しました」などと白状し、汚らわしいバーカなどまとってすましている恥さらしを批判したらどうなのだ! それともイギリス兵は捕らえられたら抵抗せずに何でも敵の言われるままに行動しろという命令でも受けているのか、だとしたらそんな非常識な命令をくだしたイギリス軍高部に対する批判でもしたらどうなのだ!
このイギリス兵の無様なていたらくがどれほどイランのプロパガンダに貢献したか知れない。どれだけかつての偉大なる英国も地に落ちたかを暴露する結果となったことか。どれだけ我々の敵を元気づけることになったことか。これがアメリカ兵だったなら絶対にこのような態度はとらないとニューヨークポスト紙でラルフ・ピータース陸軍中佐(退役)。

アメリカ海兵隊員を洞穴に押し込み歯をなぐり折ったところで、彼から本国と海兵隊への誇りをなぐり折ることはできない。「センパーファイ(Semper fi)」には意味があるのだ。

オージー(オーストラリア兵)も同じようにタフだ。
いったい何が英国海兵隊に起きたのだ? エリート隊のメンバーとして通ってきた隊なのに。労働党政府の政策はイギリス軍をずたずたにした。戦闘機を飛行不能にし、軍艦を引退させ、陸軍隊を解体し、制服を着る兵士らの胸から勇気までももぎとってしまったのか?
女性水兵が泣き崩れて政府に降伏を訴える姿も無様だったが、海兵隊員までがお茶や同情を懇願しだしたとなると、もう見てられない。嘘だと言ってくれ!
…ウィンストン・チャーチルは天国でスコッチを吐き出しているだろうよ。

ピータース氏も指摘しているように、イギリス軍は当初比較的平穏だったバスラの警備を完全に怠り、バスラ警察や地元政府がシーアの民兵に乗っ取られていくのを指をくわえて見ていた。もし当時イギリス軍がアメリカ軍のように厳しい取り締まりやパトロールを行っていればイラク南部でおきたシーア派民兵による暴走を防げたかもしれない。そういう失態を棚にあげて、自分らのぶざまで臆病な態度を顧みず、アメリカだけを責めるイギリスの政治家やメディアたち。アメリカの民主党より質が悪い。
ピータースもミスター苺と同意見でこの任務に当たっていた海軍の司令官らは敵を前にして臆病な行動をとった罪で軍法会議にかけられるべきであると語る。そしてこの「ワンカーども」が所属している王立海兵隊はさっさと任務からほどかれ解散しちまうべきだ!と手厳しい。カカシも全く同意見だ。


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ホロコーストも十字軍も教えちゃ駄目! イギリスの諸学校歴史の書き換え

イギリスではイスラム教生徒らの気分を害さないようにと、学校のカリキュラムからホロコーストや十字軍に関する授業を削除する傾向が増えているという。イギリスの教育界も左翼連中に乗っ取られたとみえる。以下はデイリーメール紙から

政府の調査では諸学校でイスラム教生徒の気分を害さないため、歴史の授業からホロコーストを削除するところが増えていると発表した。
調査によると教師のなかにはホロコースト否定論を信じる生徒を傷つけるのを恐れてこのような虐殺を教えたがらない人がいるという。
また11世紀にエルサレムでキリスト教徒とイスラム軍が戦った十字軍について教えることに抵抗する傾向もある。それというのもこれは地元のイスラム聖廟で教えられていることとよく矛盾するからである。
この調査により学校によっては歴史を使って政治的に正しい政策が促進されているという批判が上がっている。

この調査は小学校と中学校の歴史の授業を対象に行われたが、教師らはこれらの話題に反発した「反ユダヤ思想」をもっているイスラム系生徒らから抗議を受けるのを怖がって、なるべくはやくこの問題を取り上げるのをやめようと必死らしい。

歴史教育アドバイザーで元トーリー政権のアドバイザーだったクリス・マクガバン氏は「歴史は政治的なただしさの道具ではありません。子供たちはこうした問題のある主題に関して知識を得る手段をもつべきです。それが口にあったものであろうとなかろうと。」

ナチスドイツではユダヤ人を悪徳な金貸しだとか、女性を冒涜する犯罪者だらけだとかいうイメージ作りから始まり、ユダヤ人迫害への道へと進んだ。イギリスをはじめヨーロッパでは今まさにその歴史が繰り返されようとしている。
もう二度と起こしてはならないという歴史の教訓がユダヤの敵過激派イスラム教徒らによって書き換えられていくのをイギリスの教師らは正面から立ち向かうどころか、生徒から反論されても子供たちに適切な説明をする能力もなければ根性もなくただ避けて通ろうというのである。
すでにイスラム過激派の対象はユダヤ教だけでなく反キリスト教へも進んでいる。そのうちイギリスの生徒らは十字軍の存在すらも知らずに育つことになる。ヨーロッパの暗黒時代に終止符を打ち、ルネッサンスを迎えるにいたって重大な役目を果たす十字軍の歴史。エルサレムがキリスト教の手からイスラム教徒に奪われたのを奪い返した歴史もイギリスは忘れようとしている。
まったく情けない。偉大なる帝国の名が泣くよ。


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フランス政府に学ぶイラク戦争に負ける方法

前回のフランス軍に学ぶイラク戦争に勝つ方法に引き続き歴史家アーサー・ハーマン氏によるHow to Win in Iraq. And how to lose.から、今度はイラクで負ける方法についてお話ししたい。
無論カカシは何もイラクで負けたいと思ってるわけではないが、どういうやり方をすれば勝てる戦争に負けてしまうのか、フランス政府の失態を教訓にしてイラク戦争でも十分にあてはまる部分を研究してみよう。
前回にも書いたようにフランス軍は2年足らずで反乱軍ゲリラのFLNにはほぼ全面的に勝利を納めていた。だが、圧倒的な軍事勝利にも関わらずフランスは戦争そのものには負けてしまった。あれだけの栄光を納めたフランス軍はそのたった2年後にアルジェリアから完全撤退してしまったのである。
いったい何がおきたのか? それはフランス軍がアルジェリア戦地で反乱軍ゲリラ相手に一生懸命になっている間、フランス国内では左翼による政治反乱軍がフランス政権を蝕みはじめていたのである。彼らは今のアメリカの民主党や左翼メディアと同じで、軍事成功そのものをあたかもフランスによるアルジェリア市民弾圧や迫害であるかのようにフランス市民に訴えはじめたのである。
フランス軍はFLN打倒の目的で、諜報のために多少の拷問は許可した。ところがフランス左翼はこれに噛み付いた。フランス市民は特に常日頃から捕虜の目玉をくり抜いたり男性性器を切り取ったりするような残虐な拷問をしているゲリラに対して特にこれといった同情心などもっていたわけではないが、50年後のアブ・グレーブがアメリカの反戦左翼に利用されたように、フランス内部の反政権勢力によってこの問題は反戦運動に多いに活用された。
反戦派のジョン・ポール・サルテル(Jean-Paul Sartre)に率いられ、フランス軍弾劾運動が始まった。左翼たちはフランス軍がフランスの宿敵ナチスとかわらないといって攻撃した。アメリカの左翼がブッシュ政権をナチスとしょっちゅう比べるのと全く同じだ。サルテルの同士シモン・デ・ブビエーなど(Simone de Beauvoir)などはフランス軍の制服は「スワスティカがかつて与えたのと同じ印象を与える」とまで言った。反戦派の先導者はほとんどが共産主義者や左翼だったが、なかにはフランス市民が尊敬する中庸派の人々も含まれていたため、フランスではだんだんと反戦ムードが高まっていった。反戦派が常に繰り返したメッセージは「アルジェリア紛争の元凶はFLNではなくフランス軍の存在だ、フランス軍が撤退してはじめてアルジェリア人は自分たちの運命を決めることができるのだ」というものだった。まさにアメリカ左翼の連中が唱えている「イラク問題はアメリカ軍にあるアメリカが撤退することでイラク人にイラク再建が出来るようになる」というメッセージと瓜二つである。
フランス軍も当時のフランス政権もこの左翼反戦派からの攻撃には面食らった。まるで予期せぬ攻撃だったのである。彼等に対してはどれだけ軍事行使の正当性を訴えてみても無駄だった。拷問を許可したもともとの命令が撤回されても全く効き目がなかった。このフランス内部の政治的混乱を利用してFLNはアルジェリア各地で爆弾を爆破させた。アメリカ国内で民主党支配の議会がイラク撤退期日決定やイラク増兵反対の議決案を通す度にアルカエダのテロリストが奮起してイラクで自爆テロを増加させるのと全く同じ状況である。 これによって1956年現在でフランス市民のほとんどが「アルジェリアを見捨てるなどもってのほか」という考えでまとまっていた団結が完全に崩壊してしまったのである。
フランス国内の分裂は政権崩壊につながり、後継のフランス政権はその存続のため軍事的に惨敗したアルジェリアの独裁政権にみすみすアルジェリア統治の権限を与えてしまった。その結果起きた悲劇は無惨であった。アルジェリアの白人層は大量にアルジェリアから避難、フランス政府に協力したアルジェリア人たちは何万何千という単位でFLNによって虐殺された。フランス軍と並んで戦ったアルジェリア軍人たちは処刑の前に勲章を飲みこまされてから射殺された。
これはアメリカ軍が撤退した後でのベトナムでも繰り返された。そしてアメリカがイラクから撤退すればアメリカ軍に協力したイラク人たちがサドル民兵やアルカエダのテロリストに全く同じ目にあわされることは火を見るよりも明らかである。
イラク戦争の最初の三年間はイラク軍がアメリカ軍が制覇した土地を継続して守ることができなかったという問題があった。アメリカ軍の数が足りていないという批評家の批判にも一理あった。だが、フランス軍の例でもわかるように戦況は作戦変更で短い時間にあっという間に成功を遂げることも可能なのである。だからカカシはイラクは軍事的に十分に勝利の可能な状況にあると主張しているのだ。
しかしアメリカ国内の内政となってくるとカカシは同じような確信を持つことができない。もし民主党がイラク戦費の差し止めに成功したならば、いくらブッシュ大統領ががんばってみても必然的にアメリカ駐留の期間は制限される。今のところ共和党議員たちが一人二人の裏切り者以外はほぼ団結しているため、上院下院の両方で議決案が通っても大統領の否決を倒して議案を成立させることはできない。
また、民主党は戦費完全差し止めを強行するにはまだまだアメリカ世論がついてこないことを承知している。だからアメリカの反戦左翼はアメリカ世論を反戦にもっていくべくそのキャンペーン運動をさかんに行っている。

たとえば、「作戦的撤退」と称する書類で the left-liberal Center for American Progressという左翼団体はイラクにおける暴力の原因となっているのはテロリストでも反乱ゲリラでもなくアメリカの『占領軍』であるという立場を明らかにしている。これによるとイラクは放っておけばシーアもスンニも必然的に妥協し平和共存する選択に迫られるというものだ。

現にノースキャロライナ大学の中東専門家サラ・シールド女史などは今日のジハーディストたちは「占領軍に対抗して戦っている最新の例である」とし我々が撤退する時期が早ければ早いほど、「我々の占領と関連したとして不利になる人々の数がすくなくてすむ」と書いているほどだ。

これはまさしくフランス左翼やアメリカ左翼の負け組がアルジェリア紛争やベトナム戦争で唱えた議論とそっくりそのままだ。これらの声に耳を傾け駐留軍が戦地から撤退することで、結果どのような悲劇を生んだか歴史が顕著に語っている。
もともとアメリカがイラクを攻めた理由はなにか? それはイラクがテロ軍団の温床となってイラクを拠点としてアメリカ本土に攻撃をしかけてくるのを防ぐための先制攻撃であった。フセイン政権打倒も、WMDの処置も、その手段だったのであり、一番大切な目的はイラクをアルカエダのようなテロリストの手に渡さないことにあった。だとすれば、いくらフセイン政権を倒してみても我々を威嚇する危険なWMDが存在しなかったとしても、イラクが内乱状態となってアルカエダが自由気ままにテロを起こせる場所にしてしまったら元も子もない。イラク戦争そのものが完全に無意味だったということなってしまうのだ。
これを考えたなら我々がイラクから絶対に撤退してはならないということは子供でも分かる理屈である。撤退は選択に含まれない。イラクでは軍事的にも政治的にも絶対に勝たなければならない。敗北は断固許されないのである!


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アメリカ兵はイラク任務遂行を望んでいる!

イラク駐留のアメリカ兵が今一番聞きたくない言葉は「私はアメリカ軍を支持します」という反戦バカサヨ政治家の偽善的な発言だろう。軍隊を支持するといいながら軍隊に必要な予算を削り、敵のテロリストを元気づけるような議案を次々に提案し議会を通す民主党の議員たち。アメリカ軍人たちは、こんな応援なら要らないよ。ほうっといてくれ!と叫びたいのではないだろうか。
アメリカメディアは現役やイラク帰還兵のなかに存在する反戦兵士たちを探し出してきては、アメリカ軍人ですらイラク戦争には反対している、即撤退を望んでいると騒ぐのに忙しい。ここでも一度紹介したが、イラク即刻撤退を訴える草の根運動といううたい文句で登場したAppeal for Redressという団体は現役および退役軍人らによって発足一か月ですでに1000以上の署名を集めたといってメディアが大騒ぎしたのもいい例だ。(発足2か月の現在はほぼ1600程度。実は草の根とは名ばかりの組織力抜群の左翼団体の看板団体であることはすでにここでもお話した通り)
だが実際には軍人たちの本心はどのようなものなのだろうか? 実は反戦署名運動に対抗してAppeal for Courageという賛戦署名運動が現役軍人らの間で行われている

発足者はジェイソン・ニコラス中尉。33歳の海軍企画将校で今年の一月からバグダッド勤務をしている。中尉は(署名運動)の目的は議員たちに軍隊がイラクでの任務遂行を達成することに焦点をあて、常時失敗を宣言するのをやめてもらうことだと語る。

「ベトナムで学んだ最大の教訓は、戦地で勝つことはできても本土で負けるということだ」と中尉はスターズアンドストライプ紙(軍隊新聞)へのメールで語った。「我々は今後も難かしい日々は続くとはいえ、イラクに駐留し最後まで仕事をさせてもらえるなら、イラクでは勝てると考えている。」
この訴えは…議会に「我々の任務を完全に支持しイラク撤退宣言を停止すること」と訴えるものである。我々はイラク戦争は必要で正当な戦争であり「敵に英気を与え本国アメリカ市民の支持を衰えさせるようなメディアの運動」に積極的に反対して欲しいと訴える。

私のネットスケープではホームページにいかれないので確認できないのだが、ミネアポリス州兵でイラク駐留のデイビッド・スル軍曹によると、始まって一か月足らずですでに1500以上の署名が集まったと言う。そうだとすれば反戦署名運動よりも署名の集まり方は早いことになる。反戦署名運動に集まった1000の署名を特集する暇があるなら、もっと多くの署名が集まった任務遂行を訴える署名運動についても主流メディアは報道すべきではないのか? むろん反戦まるだしのアメリカメディアが戦争支持の報道などするわけないが。
パワーラインでは現役軍人及びその家族から議会が押している即撤退議案についてどう思うかという意見をつのっている。パワーラインに届いたほとんどの手紙は任務遂行まで撤退すべきではないという内容だった。ここでもそのふたつみっつ紹介しよう。


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国連人権会議、「ユダヤ人は黙れ!」

国連が反イスラエルであることはすでに周知の事実だが、それをあからさまにあらわす出来事が先日国連の人権委員会の会議で起きたのでここで紹介しておこう。
3月23日、ジェニーバで行われた国連の人権委員会において各国の人権団体が国連に世界でおきる人権迫害について色々と意見を述べた際、UNウォッチという市民団体の代表ヒラル・ニューアーは国連の不公平なイスラエル攻撃を批判する演説をした。

議長殿、

60年前ナチスの脅威の後、エレノア・ルーズベルトやレネ・カッシンらと並び立派な人々がここにあつまり、ジェニーバ湖のほとりで人間の尊厳の信念を確認しあいました。彼等は人権委員会を設立したのです。今日我々は問いかけます。「あの崇高な夢はどうなったのだ?」と。
この議会の場でその答えを見ることができます。世界中から集まる拷問や迫害や女性への暴力といった確たる報告に対してこの議会は何を宣言しましたか? 何を決めましたか?
何もありません。反応は全くの沈黙です。反応は無関心です。この反応は犯罪です!
ひとによってはハリー・トルーマンの言葉を借りて無行動で役立たずの委員会というでしょう。


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フランス軍に学ぶイラク戦争に勝つ方法

過去から学ばない者は必然的に過去の過ちを繰り返す、とはどっかの有名な歴史家が言ったのだろうか、今は誰とは思い出せないが。
以前にイランをどう攻めるかという話をした時にもちょっと紹介した歴史家アーサー・ハーマン氏がHow to Win in Iraq. And how to lose.(イラクで勝つ方法、そして負ける方法)というエッセーでアメリカはフランスとアルジェリアとの戦いから多いに学ぶことがあると語っている。
以前に私は別の歴史家、ドナルド・ストカー氏の『ゲリラはめったに勝たない』という意見を紹介したことがある。

ゲリラ戦というとアメリカではどうしてもベトナム戦争の記憶が新しい。しかしストカー氏はアメリカはベトナム戦争からゲリラには勝てないという間違った教訓を学んだという。氏はゲリラは常に勝つどころか、めったに勝たないと断言する。だから、イラクでもアメリカ軍を増派し作戦を変更することで十分に勝利をおさめることが可能だというのである。しかし、イラクでアメリカが勝とうというのであれば、アメリカは過去の間違いから学ばなければならない。なぜならゲリラ撲滅は辛抱強く時間をかけてやる必要があるのだが、ブッシュにはあまり時間がないからである。

ハーマン氏も軍事的にはゲリラ戦に勝つことは十分に可能だが、政治的に勝つこととなるとこれは別問題だという。

事実歴史的な記録は明白だ。イラクでおきているようなゲリラとの戦いにおける失敗は軍事的なものではない。それどころか西側の軍隊は驚くほど非一般的な敵に対し勝つための貴重な技術を学び学び直し、難かしく慣れない戦闘にすばらしく勇敢に立ち向かっている。もしイラクが失敗するとしたら、その原因は他にある。

ベトナム戦争の時も、アメリカは軍事的な戦闘にはことごとく圧勝した。しかし国内の世論が反戦ムードに極端に傾き、議会が戦費の割り当てを拒否したため軍隊は撤退を余儀なくされた。今のイラクの状態と非常によく似ている。しかしハーマン氏は歴史上の似ている状況を比べるのなら、ベトナムよりも50年前にフランスが元フランス植民地だったアルジェリアと戦った時の状況がイラク状況に酷似しているという。
そこで今日はまず、フランス軍によるアルジェリア反乱軍との戦いからイラクにおいて軍事的に勝つ方法を考えてみたい。
50年前のアルジェリアでもイスラム過激派を中心とする反乱ゲリラが地元政府とフランス軍を悩ませた。興味深いことに1954年の11月に本格的にフランスが攻撃をはじめたこのイスラム教過激派グループ、the National Liberation Front (FLN 全国解放前線)は現在のアルカエダの直接の前身であり、戦い方も酷似していた。当初フランス軍は普通の戦闘でないゲリラ戦に十分な対応ができずゲリラたちに上手を取られた。
ゲリラのリーダーたちは国粋主義というより反西洋(特に反ユダヤ教ではなく)の思想によって導かれていた。彼等は最初からフランス正規軍にたいして軍事的な勝利を得られるなどとは考えていなかったし、それが目的ではなかった。それよりも、彼等はアルジェリアの支配層であった白人たちに対してイスラム教徒による反乱をおこさせ全面的な内乱をおこさせようとしたのである。イラクでアルカエダの連中が圧倒的軍事力のあるアメリカ軍に直接攻撃をかけずイラクシーア派に攻撃をしかけてシーア対スンニの内乱をおこさせようとしているのと全く同じやり方だ。

この目的のため、彼等は穏健派イスラム教徒やアルジェリアのビジネス上層階級を標的にして驚異的な爆破攻撃、拷問、残虐な殺人を行った。「スーツを着たひとつの死体は制服を着た20のそれに値する」とひとりのFLNリーダーは語った。最初からゲリラが影響を及ぼそうとしていた観客はアルジェリアではなくフランス本土そのものだったのである。
アメリカで対ゲリラ戦専門のブルース・ホフマンが書いているようにアルジェリアの反乱分子は「戦争が長引けばフランス人の疲労と無関心が戦争の風向きをかえるのに役立つと賭けていた。」これは知能的な作戦だった。
今日イラクにいるアメリカ軍同様、フランス軍は次々に起きる危機にそのつど反応するしかなくその間に司令官が次々と入れ替わり、作戦や資源がぽつぽつと循環する状況に立たされていた。2007年現在のイラクの半分にも満たない人口を14万の兵をもってしてもフランス政府は戦況を好転させることに全く無力だった。急速に崩壊していくこの状況にあってアルジェリアの白人層は政府に反感を持つようになった。1956年の終わりには首都で起きた爆破テロにより49人が殺されもっと多くが負傷しストレスや疲労がたまっていたフランス警察や軍隊はタオルを投げる用意ができていた。

ところがここで英雄の登場である。1956年8月、フランス軍のデイビッド・ガルーラ中佐(David Galula)がゲリラの棲息する山岳地帯の司令官として任命されると、中佐はゲリラたちの不規則な戦闘に型破りなやり方で応戦した。このやり方は大成功を納めたため、即座にアルジェリア各地のフランス司令官らに広く取り入れられた。イラクのアメリカ軍総司令官として任命されたペトラエウス将軍はこのガルーラ作戦を広範囲で応用しているといわれている。
1957年の一月にはすでにフランス軍ジャック・マスー将軍らによって市街地でも中佐の作戦は取り入れられるようになっていたという。この新しい作戦によってほんの数週間のうちにマスー将軍らの部隊は市街地のゲリラを追い出し、一地区ごとにゲリラから奪い返していった。また地元市民による協力を訴え、ゲリラの居場所を通告してくれるよう説得した。これはまさに現在アメリカ軍がスンニ地区でやっているのと同じ作戦だ。イラクでも地元スンニ派がアルカエダに味方するよりもアメリカ軍やイラク軍に協力しようとする動きが目立ってきている。
1959年にはガルーラ中佐の作戦はアルジェリア全国に広まり、全国に600の特別事務所が設置された。この事務所では地区ごとの民間および軍事的な管理がおこなわれ、やっとフランス軍は15万という圧倒的な兵数を効率良く生かすことができるようになった。1960年になると三年前には不可能と思われた反乱軍鎮圧はほぼ成功を遂げていたのである。
さてそれでは、ガルーラ中佐の対ゲリラ・テロリスト作戦の教訓をまとめてみよう。

    1)兵を一地区に集中させること。テロリストは自動車爆弾などを使って少人数で大規模なダメージを起こすことができるが、政府軍は大人数の軍隊を使っても広範囲に散らばっていてはとてもとても市民ひとりひとりを監視することなどできない。そこでガルーラは守る地域を、白、ピンク、赤という地区に分けた。白とは政府の統括下にある地域、ピンクはゲリラと政府が競争している地域、赤は完全にゲリラが制覇している地域。対反乱作戦を成功させる鍵は、ピンクを白に、赤をピンクへと、一区画づつ地道に変えていくことにかかっている。
    2)継続的で目立つ軍事的防御体制。地元市民が常に安心してたよりにできる民間および軍事的な施設の存在は反乱軍を牽制し地元民の信用を得るための必要不可欠な要素である。正規軍が常に監視に目をひからせパトロールを継続させゲリラの潜入を絶対に容認しない。テロリストは厳しく処罰し、市民の協力を報酬などを使って奨励する。これによって地域は安定を保つことができるようになる。
    3)勝利は確実と市民に確信させること。地元の人々は政府と政府軍が結果的には勝つと確信しなければならない。そのためには地元軍の存在は必要不可欠である。なぜなら駐留軍がいなくなった後でもこの平和は継続される、生活の基盤は崩れないという信頼感がなければ市民は安心して政府に協力などできないからだ。

現在のバグダッドにおける新作戦はまさにこのガルーラ作戦を教科書どおり遂行しているといえる。バグダッドでは50マイル直径の場所で80%の暴力沙汰が起きている。この赤地帯をピンクおよび白へと変えていくことがまず教訓の第一歩だ。
批評家たちは今回の作戦など一時的なものだというが、その一時的な状態を長期にわたって継続し、それがいつのまにか永久的な状況へと変化していくことが最終的な目的なのである。一挙に全地区を安定させるなどという無謀な野心は失敗を招くもとだ。「この考えは最初にはじめたときより日ごとに敵の数がじょじょに減っていくことにあります」とペトラエウスは語る。
ペトラエウスはガルーラの二番目の教訓を生かす方法として「失うものが多い人の数を増やすこと」を強調している。例えば将軍はカビリア地区において部下たちに女子も含む1400人の生徒のいる学校を管理させ、道路建設などにも従事させた。またモスールでは第101空挺隊が大学再建に協力するなど地元民の生活に多大なる影響を与えた。「最良の武器は撃たないもの」と将軍は語る。
また将軍は地元リーダーたちと常に会合を開き地区の治安について話あっている。アメリカ軍がイラク軍と同じ釜の飯を食って共同訓練をおこなっているというのも、地元民のイラク再建に対する熱意を高めることに役立っている。要するにイラク再建はアメリカ駐留軍だけの問題ではなく、イラク国民全員にとって良いことなのだということをイラク市民に納得してもらうことが非常に大切だということだ。
歴史家のハーマン氏はペトラエウス将軍のこれまでの戦闘体験から、イラク全体にも当てはめられるとその能力を高く買っている。
こうしてみると軍事的にはアメリカ軍はイラクにおいて決して不利な状況にはない。自動車爆弾テロなどで大量な犠牲者が出ているとはいえ、その数は日ごとに減っている。ここで継続的な警備体制を保つことができれば、いずれはイラク戦争に勝つことができるとカカシは確信する。
だが心配なのはこの「継続的な警備体制を保つ」という点だ。アメリカ国内では主に反政権の民主党政治家たちが現地の司令官らの意見とは裏腹に撤退撤退を繰り返している有り様だ。このような状態でアメリカは本当にイラクで勝てるのだろうか?
ハーマン氏はこれについても、50年前のフランスから多いに学ぶことがあると語る。ただし、これは反面教師としてだが、、
その話は次回に続く。


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21世紀を目指す穏健派イスラム教徒の試練

先日空飛ぶイマーム達に訴えられている乗客を救う会を結成したアリゾナ住まいのイスラム教徒医師、ジャシャール医師(Dr. Zuhdi Jasser)を紹介したが、今日のミネソタ州のスタートリビューン紙に彼の過激派イマームたちとの戦いの模様が掲載されている。著者はキャサリーン・カースティン。
911が起きた時、ジャシャール医師はイスラム教がテロリストに代表される過激派イスラミストらに乗っ取られるのを心から恐れた。2003年同じような考えのアリゾナ州在住のイスラム教徒らとthe American Islamic Forum for Democracy(アメリカイスラミック民主主義討論会)を結成。
「私たちは親イスラム教ですが、反イスラミストです。」と医師は語る。医師の言うイスラミストとは宗教と政権は切ってもきれない関係にあり、聖職者が政治のリーダーであるべきだというものだ。
ジャシャール医師はアリゾナ州では結構有名らしいが、全国的にはあまり知られていなかった。それがこの間の空飛ぶイマーム事件で同じイスラム教徒でありながらイマームたちの「差別された」という抗議に真っ向から反対する人として全国的に注目を浴びた。
「アメリカ人は宗教的な感覚を傷つけるのを恐れすぎています。我々イスラム教徒が率先して『これはお祈りの問題ではない、空港の警備の問題だ』と主張すべきなのです。」医師は自分は一日に4回きちんとお祈りをするし、家族と公園でピクニックをする時に外でお祈りを捧げることもあるという。だが、911以後空港警備は国内警備の門でありそこで他人の迷惑も考えずにこれまで通りお祈りをする権利があると考えるイスラム教徒は鈍感すぎると医師はいう。
イマームたちは自分達の席で静かに祈ることもできたし、家に帰ってからゆっくり祈ることもできたはず。医師は敬虔なイスラム教徒はなにも厳しい規則に従うだけが能ではないとし、「お祈りというのは自分の信心深さを世界に訴えるためのものではありません。個人と神との約束ごとです。」と加える。
実はジャシャール医師と空飛ぶイマーム達がぶつかったのは今回が初めてではない。6人組のひとりであるアクメッド・シャケイラット(Ahmed Shqeirat)氏が常時説教をしているテンプルイスラミックコミュニティーセンターという聖廟にジャシャール医師は昔よく通っていたのだそうだ。しかし911以後聖廟での説教がテロリストを糾弾するどころかアメリカが一方的に悪いといった内容であることに反感をもったという。医師は聖廟は宗教の場で政治の場ではないと抗議するとシャケイラットはジャシャール医師は世俗主義で信心が足りないと逆に批判したという。
ジャシャール医師は2004年に「イスラム教徒と立ち上がってテロリストと戦う会」という反テロリストデモ行進を主催した際にもイマーム達は参加を拒んだという。
アセアンさんは、聖職者でもない一介の市民がいくら声を大にして騒いでみても、所詮イスラム教徒への影響力などなく、イスラム教を生まれ変わらせる力になどならないと言う。だが私はそうは思わない。ジャシャール医師によると彼のような考えを持つイスラム教徒はたくさんいるという。

「私はこの国に住むイスラム教徒の多くの人々の意見を代表していると思います。」とジャシャール。「彼等はテロリスト擁護や政治的な説教には腹をたてています。大多数のひとたちが精神的な方針と政治的な方針とを区別したいと考えているのです。」

アメリカに住む大多数のイスラム教徒がジャシャール医師のような考え方だというのはちょっと信じがたいのだが、それが本当なら歓迎すべきニュースである。しかしジャシャール医師の政教分離の考えはイスラム教にとっても決して異邦な考えではない。それどころかイラクでも最も尊敬されている偉大なるアヤトラ・シスタニ師も聖職者は政治家になるべきではないという考えを明らかにしている。だとすれば21世紀のイスラム教徒たちはイスラム教を国教として政教を同一視しているイランのような国こそが、イスラムを誤って解釈しているのだと主張することができるわけだ。ジャシャール医師のような21世紀のイスラム教徒はイスラム教が何かあるごとに原点に戻るという概念を逆手にとって、「政教分離こそがイスラムの原理だ」と主張すればいいのである。
聖戦とは個人の精神的な葛藤を意味する、異教徒の身体を殺さずとも、イスラムの教えに従わない異境徒は精神的な死を体験する、と解釈していけばイスラム教を裏切らずに21世紀の宗教に生まれ変わらせることができるのだ。
私はタルムードを読んだことがあるわけではないのでこれはミスター苺からの受け売りだが、ユダヤ教にも昔の教えには色々とおかしなものがあるという。だが、タルムードの便利なところはユダヤの昔の教えはその時代に合ったものであって、現代社会にはあてはまらないという説明が事細かにされている点だというのである。
キリスト教もカトリック教会が政治を征服している時代があったが、マーティン・ルターなどのような人々が「協会は聖書を間違って解釈している」と唱えはじめ、キリスト教は原点に戻る必要があると考えはじめた。これがキリスト教が新しい時代の宗教として生まれ変わる発端となった。
彼等のいう「原点に返る」という概念が文字どおりモハメッド時代の考えに戻るという意味でなくてもいいのだ。単に現代の信者たちが「本来こうあるべきだ」と納得することさえできればいいのである。
国家単位でもトルコのように厳しいシャリア法を取り入れず、政教分離を実現させ、西洋のような民主主義ではないとはいえ、なんとか現代社会に参加している国もある。フセイン時代のイラクやシリアに占領される前のレバノンが世俗主義だったのは周知の事実だし、聖職者が政権を握っているイランでさえも、決して原理主義のイスラム教を政治に取り入れているとはいい難い。イランに長年すんでいた人からきいたことがあるが、イラン社会は案外世俗主義で女性はバーカなど着ないで西洋風の服で闊歩しているといっていた。
つまりこれらの国々では人々は口でなんといおうと本当は現実社会とシャリアの共存が不可能なことを知っているのである。だから私はイスラム諸国が現代化することは可能だと考えているのだ。ただ、彼等の多くが種族主義部族主義であることから、「仲間対よそもの」意識が先行し、イスラム教徒が異教徒と争っていると自動的にイスラム教徒の味方をしてしまうという悪癖が彼等にはある。
ジャシャール医師のような穏健派には厳しい試練がまっている。だが、彼のように誰かがはじめなければイスラム教は滅亡の道を歩む以外にない。我々非イスラム教徒は穏健派を応援し奨励することはできるが、終局的に滅亡を選ぶか現代化を選ぶかはイスラム教徒らにかかっているのである。


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イギリス海兵隊は何故抵抗しなかったのか?

15人のイギリス海兵隊員と海軍兵がイラン軍に拉致された事件について、イギリスと共同作戦をとっているアメリカ海軍側では、どうしてイギリス兵は抵抗しなかったのかという疑問が出ている。

湾岸における高位の米司令官は、これが彼の部下であればイラン革命防衛軍の人質になる前に発砲していただろうと語った。

これはイラクで一緒に戦っていながら、イギリス軍とアメリカ軍が取り入れている姿勢の違いを劇的に表している。拘束された15人を含むイギリスの隊と隣り合わせで行動をしていたエリック・ホーマー米海軍少佐は、英国海兵隊員と水兵たちがもっと攻撃的でなかったことに「驚いている」と語っている。
インディペンデント紙の、これが少佐の部下達だったとしたらイラン兵に発砲していたか、という質問にたいして少佐は「同意。そうです。イギリス軍の作戦について今さら判断したくありませんが、我々の攻撃規則はもう少し臨機応変性があります。我が軍の乗船チームは自己防衛に対してもう少し積極的な訓練を受けています。」
イギリスのHMSコーンウェルと同じくイギリス指令下の任務編隊に所属する米フリゲート艦USSアンダーウッド号の副艦長で第二司令官は「アメリカ海軍特有の攻撃規制は自己防衛の権限が与えられているだけでなく、自己防衛は義務であるとされています」と語る。「私が思うに彼等(イギリス兵)は拉致される前に自己防衛をする十分に正当な権利がありました。我々としては『どうして自己防衛をしなかったのだ』という反応です。」

どうもイギリス海軍はどのような理由があってもイラン軍に発砲してはならないという命令を受けていたらしいのだが、ミスター苺によるとそのような命令は違法であり、海兵隊員も水兵らも従うべきではなかったと言う。

そのような命令は違法命令だ。

誰にも発令できない命令というものがある。例えば総司令官が兵士らに強姦を命令したとしよう。このような命令は明かに違法であり、従えば罪に問われる。(そしてそのような命令を下した大統領は即刻弾劾され取り除かれるべきである。)
イギリスでも同じことが言える。(女性を含む水平ら)軍人にテロリストと深い関係にあるイスラム過激派政権の人質になれなどという命令は明らかに違法命令だと俺は確信する。そのような命令を誰かが下したとは信じがたい。
…降参する気でもない限り軍人は敵の攻撃から身を守ることは正当であり、攻撃規制などくそくらえである。俺が思うにイギリスにはいまでも戦争に勝つために最前を尽くすべきという姿勢が存在しているはずだ。

ミスター苺は拉致されたボートが所属するイギリス艦HMSコーンウェルの艦長は敵を前にして臆病な行為をした罪で軍法会議にかけられるべきだと言って息巻いている。(笑)
しっかしかつての栄光が泣くよまったく。偉大なるイギリス帝国海軍がこれではご先祖様に顔向けできないよなあ。
しかし過ぎたことをなんだかんだ言っていてもしょうがない。イギリスは、ブレアは、いったいどうするつもりなのだろう?


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