アメリカ初のイスラム教議員イスラムテロの本性現す!

アメリカ初のイスラム教徒の議員として今年から下院議員となったキース・エリソン議員。就任式の時にも聖書ではなくコーランをつかって宣誓をするとだだをこねて話題になった。選挙運動中から反対派はエリソン氏は過激派黒人イスラム教団体やアラブ系テロの看板団体CAIR(イスラムアメリカ評議会)などと深いつながりを持っている危険人物だと主張していたが、地元のミネソタ州メディアは反対派による人種差別だと言い張ってエリソン議員とテロリストとの関わりを全く報道しなかった。
おかげでエリソン議員は当選したが、この間の空飛ぶイマームたちの訴訟事件がきっかけで、ついにエリソン議員はそのテロリストたる本性をあらわした
米国下院議会で火曜日、共和党議員らによって公共交通機関を利用する乗客らが挙動不審な人物を通告する際、後に訴訟などの標的になるのを防ぐ議案が提案された。これはすでに訴訟の起きている空飛ぶイマーム事件のようなことを防ぐのが目的で、議案は304対121で圧勝した。
興味深いのはイスラムテロリストプロ市民団体代表議員のキース・エリソン議員が率先してこの議案に反対したということだ。なぜ、アメリカの議員がアメリカの一般市民がアメリカ人の安全を守るためにテロリストと思われるような危険人物を通告することを阻止しなければならないのだ?  なぜアメリカの議員がアメリカを攻撃するテロリストが行動しやすいような状況を作ろうとするのだ?
エリソン議員を選んだミネソタ市民はこの話に注目しているのだろうか? それともミネソタの新聞はこのニュースも黙殺するのかな?


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ガザ、ワニを腰に巻いて密輸をはかった女

きょうは時間がないんで著作権侵害コピペだけの「どうでもいいニュース」ははは、、

生きたワニ3匹を「腰」に巻いて密輸図った女を逮捕 ガザ
2007.03.27
Web posted at: 16:41 JST
– CNN/AP
エルサレム──パレスチナ自治区ガザとエジプトの境界で近ごろ、警備員が「不自然に太った」女に気付いて身体検査をしたところ、腰部分に3匹の生きたワニが巻いてあるのを発見、野生動物密輸の罪などで拘束した。女は「ワニを運ぶよう頼まれた」と主張している。
警察などによると、女は今月22日にガザ南部ラファの検問所を通って、エジプトからパレスチナへ向かおうとしていた。
不審な体つきだったため、別室で女性警官におる身体検査を実施したところ、女性警官が叫びながら部屋を飛び出てきたという。
周囲の警備員らが叫び声に驚き、部屋に駆け付けると、女が腰にワニ3匹を巻き付けた状態だった。騒ぎが一通り収まると、周囲にいた人々は腰にワニを巻いた女に、思わず見とれてしまったらしい。
ワニはそれぞれ、体長約50センチほどの大きさで、かみつかないように口部分をひもで縛ってあった。
密輸入し、ガザの小さな動物園や個人向けに売りつけようとしていたと見られる。ガザではワニは高価で、1匹あたり500ドルほど(約5万000円)と、警官の収入の約2カ月分に相当する。
ワニはエジプト側へ戻された。

意外とめずらしい動物の密輸というのは結構あるらしく日本なんかもあまり自慢できることではないが密輸入国としてはいいお客さんらしい。ほかにも胸に猿をまきつけて密輸しようとした女がいたというし、まったくどうなっているのやら。


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露中もあきれるイランの無思慮な行動

今日のヘッドラインニュースはイランからの話題二つが目に付いた。
最初はロシアと中国がイランに国連安保理の条例に従えと促したという記事。ロシアにしても中国にしてもイランの無思慮な行動が英米によるイラン攻撃につながることを恐れているのだろう。なにしろ両国とも現イラン政権と特別な契約を結んでいるわけで、ロシアなど原子力発電所建設のために提供した原料だの労働だのの支払いをまだしてもらってない。ここで現政権に崩壊などされて借金がごわさんになってはたまったもんではない。
安保理の常任理事である両国からの促進は、イランが国連条例に含まれるIAEA査察を一部差しとめるという発表に答えるものだ。
これまで厳しい制裁を促していたイギリス、フランス、アメリカといった国の態度には乗り気でなかった中国やロシアまでがイランに国連に協力しろと言い出したとなると、国際社会のイラン外交はかなり大詰めを迎えているといえるのかもしれない。
そんな国際社会の空気を多少は察したのかイランは拉致したイギリス兵がイラン海域に入ったのが意図的なものか偶発的なものかを確かめるため、イギリス兵に拷問、、おっと「取り調べ」をおこなっているという。
しかし金曜日にはイギリス兵の14人の男性と1人の女性をスパイとして裁判にかけると強気なことをいっていたイランだが、月曜日になってかなりその姿勢を緩和させたということは言える。

イラン外務省次官のメフズィ・モスタファビ氏は緩和した態度で月曜日14人の男性と1人の女性は取り調べを受けている最中だと語った。

「水域侵入が意図的なものか偶発的なものかは(取り調べによって)明らかになるはずです。それがはっきりしてから必要な決断をしたいと思います。」とモスタファビ氏は語った。
イランは拘束されている米兵たちがどこで拘束されているのか、イギリス高官と話すことが許可されているのかどうか話すことを拒んだが、テヘランのイギリス大使、ジェフェリー・アダムス大使に彼等の健康状態は良好であると保証した。

ま、イラン人はイラクのテロリストなどと違って人質の目をくり抜いたり女性を冒涜するなどということはしないだろうが、それでも取り調べと言って殴るくらいのことはするだろう。イギリス側は外務省のマーガレット・べケット長官がトルコを訪れた月曜日、イギリス人員と器具が安全に返還されるまではイランに圧力をかけ続けると発表。一方ロンドンでもイラン大使が事件ご3回も呼び出され、人質の早急な返還を要求されている。
イギリスでは人質が西側とイランとの核兵器開発交渉の間に挟まってしまう可能性と、アメリカが拘束しているイラン軍人との交換に使われるのではないかという心配がされている。いまのところモスタファビは人質交換を求める気はないとしているが、イラン政権のなかではそういう話も出ているようだ。
イランは昔から西側との「交渉」に人質作戦や威嚇脅迫作戦をとってきた。1979年のアメリカ大使官占拠にはじまって、レバノンでのアメリカ兵とフランス兵の兵舎爆発事件、サウジのコーボル棟アメリカ兵舎爆破事件など、正々堂々と外交というものをやったことがない国だ。これに対して西側の対応が貧弱なものであったこともイランを強気にさせている原因だ。
となってくると、今後のイランの行動はここでイギリスがどう出るかにかかってくる。ブレア首相はそろそろ引退するとはいえ、イランには強気な態度で出て欲しいものだ。


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アメリカを毒するシャリア法

イスラム過激派による欧米攻撃は飛行機乗っ取り、列車や自動車爆破といった自爆テロなどという軍事攻撃だけではない。彼等による西側メディアや西側の寛容な人権保護法や移民法を悪用した民間レベルの攻撃も非常に周到に行われている。
すでに欧州ではその数を生かして、イスラム過激派はどんどんイスラム系市民への特権を手に入れているが、アメリカ国内でもその運動は非常に盛んだ。ここでも何度も紹介している空飛ぶイマームたちの訴訟などもその攻撃計画の一部である。そこで今回はアメリカ国内でイスラム過激派のプロ市民たちがどのようにシャリア法を設立しようとしているのかについて話してみたい。
まず、アメリカ下院議会で紹介されているイスラムテロリストを守る特権法の提案について紹介しよう。(Hat tip Gates of Vienna)
下院議員のジョン・コンヤース(民主)氏によって提案されているこの議案は、コーランへの冒涜禁止という題目ではあるが、このほかにも色々とこまかい規制が含まれている。例えば、空港でのイスラム教徒へのプロファイリング(テロリストの容貌にあてはまる人間を対象にした検査)の禁止、学校におけるイスラム祈祷の権利、ヘイトクライム(人種差別を動機とする犯罪)の定義拡大によりヘイトスピーチ(差別的な言論)との差をぼやかそうというものなどである。
このような法律が通れば、常識的な対テロ政策がイスラム教徒への差別だとして批判され、イスラム批判をすればヘイトクライムだヘイトスピーチだと言われて犯罪者扱いされかねない。自由社会の基盤となる国内警備や言論の自由や宗教の自由など完全におさらばである。
そしてこのような法律を後押ししているグループは、the American-Arab Anti-Discrimination Committee (ADC、アラブ系アメリカ人反人種差別委員会), the Arab American Institute (AAI、アラブ・アメリカ研究所), the Muslim Public Affairs Council (MPAC、モスレム公共協議会), the National Association of Muslim Lawyers (NAML、全国モスレム弁護士協会), and the Islamic Society of North American (ISNA、北アメリカイスラム協会)、そしてもちろんアメリカイスラム評議会(CAIR)やモスレムアメリカソサエティー(MAC)といった面々だ。
おそろしいのは、アメリカの司法省がこのようなイスラム系グループと国土安全保証対策について審議しているという点である。まるで強盗に家の戸締まりの仕方を相談しているようなものだ。Gates of Vienna(ゲイツオブビアナ、ウィーンの門の意味)の著者バーロン(Baron Bodissey)は、これはトロイの木馬だと表現している。

つまり、司法省の宗教差別対策がCAIR, ISNA, MAS (共産主義団体のANSWRと3月17日の反戦デモを共催した団体)そしてMPACといったグループの指導者たちによって先導されているのである。

以前から言っているように、これはアメリカ憲法の真ん中にトロイの馬が運ばれてきたようなものだ。これを阻止したいのであれば我々の声は聞かれなければならない…
もし今回眠ってすごしてしまったら、次回の議事はもっと通りやすくなってしまう、そしてその次、その次と続くだろう。
そしてある日気が付いた時には、イスラム宗教の自由を守る項目には、イスラム教徒の水泳プールは男女別々になり、学校の給食には豚肉を含まないメニューが保証され、イスラム系諸国での紛争にはアメリカ軍を出動させないなどの規制が含まれるようになるのだ。
つまり、アメリカはユーロアラビア(アラビアに侵されたヨーロッパ)のようになってしまうということだ!

空飛ぶイマームたちや、イスラム教徒らによるタクシー乗車拒否、豚肉販売拒否などで話題の多いミネソタ州でも、シャリア法設立の動きは活発である。これについてウォールストリートジャーナルの電子版、オピニオンジャーナルにおいてキャサリン・カーステン(Katherine Kersten)が書いている

いったい(ミネソタで)何がおきているのか?どうやらこれは地元の状況と大掛かりな動機をもつ政治活動家とが関わっているようである。タクシー運転手の例をとってみよう。ミネソタは何千何万という(アフリカの)ソマリアからの移民の里となっており、そのほとんどが最近の移民である。楽屋裏では穏健派ソマリア指導者たちと無防備な新移民を利用しようとする全国レベルのイスラム教政治組織との間で勢力争いが起きているのである。タクシー運転手の乗車拒否を拒絶するソマリア人らは、イスラム教はアルコールを飲むことは禁止しているがアルコールの輸送は禁止していないという。しかし2006年の6月、モスレムアメリカソサエティー(MAS) のミネソタ支部はイスラム教運転手に「罪に協力するのを」避けるためアルコール輸送禁止ファトワ(イスラムのお布れ)を発布した。

ファトワに調印した一人であるハサーン・モハムッドは、(タクシーの上に)二つのライトをつける案を全国の職場や住居などにおけるイスラム教徒への計らいのモデルとして奨励した。しかしセントポールにあるthe Somali Justice Advocacy Center(ソマリア正裁弁護センター)のオマー・ジャマルはMASは「ソマリア移民を過激化させ中東のアジェンダで乗っ取ろうとしている」と語る…
これらの出来事から察するに、ここにはもっと大掛かりな作戦がある。人権法におんぶしてイスラム系活動家たちは空港警備と過激な人種偏見を均等視し、ゆっくりと二つの法的機構を設立していこうというものである。威嚇はその重要な手段だ。「空飛ぶイマーム達」の訴訟に当局に通告した乗客を含むことでアンテ(ポーカーで新しい札を引く前に出す賭け金)は引き上げられた。プロ市民たちはメディアをあやつる手管も完璧化させている。ワシントンDCのレーガン国内線空港において、「祈祷デモ」をやった後、すっかりだまされたMSNBCのアンカーは空飛ぶイマームたちのパフォーマンスをロザ・パークの市民運動(1960年代の黒人解放運動発端となった女性)とを同等に比較した。
この比較は間違っている。空飛ぶイマーム達のリーダーであるオマー・シャーヒン(Omar Shahin)はテロリズムを支持して閉鎖された少なくとも二つの慈善事業のために募金活動をしていた人間だ。2000年から2003年にかけてシャーヒンは(アリゾナ州の)ツーサン市でイスラミックセンターを先導しており、このセンターはテロ専門家のリタ・キャッツ(Rita Katz )がワシントンポストにおいて「基本的にアメリカ国内における最初のアルカエダ支部」と説明しているような組織である。CAIRはテロリストとの関連が長年取りざたされている問題ある団体だが、シカゴトリビューン紙はMASはイスラム原理教のモスレムブラザーフッドのアメリカ支部だという。 彼等は「宗教と政治は離しては考えられない、政権はいずれはイスラム教になるべきだ」と唱えている。

モスレムブラザーフッドとはエジプト発生の過激派テロ軍団で、アルカエダのナンバー2となったアイマン・ザワヒリが席をおいていたグループ。イスラエルと和平交渉を結んだエジプトのサダト大統領を暗殺したのもこのグループの仕業だといわれている。
ではここでまとめてみよう。アメリカ国内ではテロリストと深いつながりのあるイスラム系過激団体が、アメリカの機構を悪用してアメリカで特権を得ようとしているのである。彼等はアメリカにイスラム教の法律であるシャリア法を設立し、イスラム教徒と他のアメリカ市民とは別々の法律のもとに裁かれるという社会をつくろうとしているのだ。
これはまさに、イスラム教徒を特権階級となり異教徒たちが下層階級の市民として扱われた7世紀の中東社会にアメリカ社会をかえていこうという陰謀である。アメリカや日本および諸外国の反ユダヤの陰謀切論者たちは、ユダヤ金融の陰謀などというありもしない陰謀に頭を悩ませる暇があったら、アメリカ及びヨーロッパ社会を蝕むイスラム過激派による本当の陰謀に目を向けるべきである。なぜなら欧米がイスラムの手中に嵌れば、東洋やアフリカもイスラムの陰謀の手を逃れることはできなからだ。


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英国兵15人を拘束したイランの意図は?

イランがイラクとイランの国境近いイラク側の水域で監視活動を行っていたイギリス海兵隊の隊員15人を拘束するという事件が起きた。

3月24日8時1分配信 産経新聞

 【ロンドン=蔭山実】BBCテレビなどによると、現場はイラクとイランの国境にあたるシャトルアラブ川のイラク側の水域で、兵士らはボート2隻で車の密輸船を検査していたという。AP通信はイラン革命防衛隊の海上部隊が英兵らを拘束したと伝えている。
 英国防省は「兵士らは何ら問題なく貨物船の検査を行っていたが、突然、イランの船に包囲され、イラン側の水域へと拉致された」と語った。兵士らは無事とみられ、兵士らをすみやかに解放するようイラン当局と交渉している。
 BBCがイラク南部のバスラに駐留している英軍の司令官の話として伝えたところでは、イランは武装勢力に強力な武器を与えているほか、イラク南部の住民に金を払って英兵への攻撃を仕掛けさせているという。

イラン側はイギリス兵たちがイランの水域を侵したとして水兵たちを拘束しているわけだが、無論、そんなことは単なる言いがかりだ。イランは多分、当初イギリス兵を人質にして国連のイラン経済制裁決議を阻止しようと企んだのだろう。だが、国連安保理は制裁決議を可決してしまったので、今度は英兵たちがスパイ行為をしていたと言い出したようだ。
多分イギリス兵らを拷問にかけて無理矢理「自白状」を書かせ、数人を処刑した後生き残った数人を使ってアメリカ軍が拘束しているイラン軍特別部隊クォッドの高官らと人質交換を言い出してくるつもりなのだろう。
交渉中の国の軍人を拉致してそれを使って人質交換、、、イランの手先がどっかで同じ手口を使ってひどい目にあった前例がつい最近あったような、、あれ〜? どこだったかなあ〜?
ハッキリ言ってイラン側の行為は戦闘行為ともみなせる。イギリスがその気になればイギリスによるイラン攻撃の口実は立派にできたことになる。イランのこの強行作戦はかえって裏目にでるのではないかな?


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空飛ぶイマームから乗客を守ろうと穏健派イスラム教団体らが募金運動

ミネソタ州のミネアポリス空港で不振な挙動をしていた6人のイスラム教聖職者たちが飛行機への登場拒否をされたことで、航空会社を相手どって訴訟を起こした話しはこの間空飛ぶイマームの訴訟でした通り。
その時コメンターのhoneycatさんが、イマームたちはその場に居合わせて乗務員に挙動不審なイマームたちについて通告した乗客たちまで訴えているという話をしてくれたが、その乗客たちを訴訟から守ろうという動きがミネソタ地元の弁護士や穏健派のイスラム教徒たちの間で起きているという歓迎すべきニュースがある。
アリゾナ州にあるthe American Islamic Forum for Democracyというイスラム教徒の団体がそのひとつで、その代表者のジャシャール医師(Dr.Zuhdi Jasser)がラジオでビル・べネットにインタビューされている模様をパワーラインのリンクから聞くことができる。
トランスクリプトがないので、記憶からお伝えするしかないのだが、このグループはここでも何度か紹介したテロリストの看板団体CAIR(アメリカイスラム評議会)の陰謀によって訴えられそうな乗客や乗組員の弁護費を代償するため募金運動をすると買って出た。
ジャシャール医師はCAIRのようなグループは宗教団体などではなく政治的な野心まるだしの団体であり、イスラム教の教えに反した恥べく団体だと非難する。怪しげな行動をしている人間を通告するのは市民の義務であり、それを訴訟などを使ってイスラム教差別だのといって威嚇するやりかたは、イスラム系アメリカ人と一般アメリカ市民との溝を深めるだけでイスラム系市民への偏見を減らすことに何の役にも立たないという。「こんなやり方で溝を埋めることなどできません」と医師。また空の旅は「権利」ではなく「特権」であり、航空会社には乗客を守る義務が最優先されるべきなのだとも語る。
ジャシャール医師によれば、アメリカにすむ大多数のイスラム教徒は宗教家が政治的な指導者になるべきではないという考えであり、アメリカにイスラム教法のシャリアを広めようなどという野心は全くないと語る。ロバート・スペンサーのようにコーランにそう書かれているから宗教心の強いイスラム教徒ならシャリアを望むのは当たり前という考えには全く賛成できないという。コーランは7世紀の社会に適して書かれたものであり、現在の世の中で文字どおり通用するなどと考えるべきではないというのだ。
無論べネットはそれが本当ならなぜ多くのイスラム教徒がCAIRのような団体にイスラム教徒の代表のような顔をさせておくのかと質問する。
ジャシャール医師はイスラム系市民の間では宗教心というよりもそれ以前に部族主義の傾向が高く、それが多くのイスラム教徒を沈黙に追い込んでいるという。これらの沈黙の大多数を目覚めさせ、CAIRのような団体はイスラム系市民を代表しないということを今後も訴えていくことが大切だと語る。
カカシはジャシャール医師の見解に大賛成である。私はここで何度もロバート・スペンサーのコーラン解釈を紹介してきたが、その度にスペンサーの分析は大事な情報として把握する価値はあるものの、スペンサーのいう悪の元凶はイスラム教そのものという考えにはどうしても同意できないでいた。それというのも、我々非イスラム教徒がイスラム全体を敵にまわしてしまったら、それこそ第三次世界大戦は免れないし、その犠牲者たるや双方あわせても莫大な数になるだろう。終局的にイスラム教は滅びるかもしれないが、いったいその後の世界はどのような恐ろしいものになっているのかわからない。
私はコーランは7世紀に書かれたもので、その内容の多くは現代社会にはあてはまらないという考え方に非常に励まされた。大事なのはジャシャール医師のような人がもっと多くイスラム教徒の間から出て、穏健派イスラム教徒たちがCAIRや他の政治的なイスラム系団体に対して、彼等は我々イスラム教徒を代表しないと声を大にして訴えることだろう。
さて、イマーム及び彼等を背景であやつっているCAIRの理不尽な訴訟から被告となる乗客や乗組員を守ろうという動きはここ数日活発に起きている。

ミネソタの法律事務所Faegre&Benson LLPに所属するゲリー・ノルティング(Gerry Nolting)弁護士は被告の乗客を無料で弁護すると申し出た。士は法廷が「威嚇の目的で使われている」としそれは「完全に間違っている。このようなことは断固として阻止されるべきだ」と語った。

「公共方針としてFAA(連邦航空委員会)は乗客に本土警備計画の一旦として不振な挙動を通告するようにと要請している。」とノルティング氏。「(訴訟は)人種や民族などとは無関係であり、乗客を脅かすことによって、乗客が不振な挙動を通告するのを防ごうとするもので、安全な旅行を促進することを阻止するものだ。」とした。
また別のミネソタの弁護士、トム・マローン氏(Tom Malone)もこの訴訟は「非常にあからさまに人々を威嚇しようとするものだ」さらに「無理矢理に人々を黙らせようとしている」とし、無料の弁護を申し出ている。

もっとも裁判所はこのような訴訟は取り上げないのではないかという説もある。

「もし(乗客ら)らが常識の範囲内で行動し、常識的な態度をとっていたなら、損害の責任対象にはならない」とワシントンにあるShook Hardy & Bacon LLP法律事務所のパートナーでアメリカ訴訟法改正委員会(the American Tort Reform Association)の一般顧問でもあるビクター・シュワーツ弁護士は語る。

ノルティングやマローン弁護士を含む数人のミネソタの弁護士たちは、ミネソタ基盤の三人の弁護士が経営しているブログ、パワーラインなどを通して、他の弁護士たちにも無料で乗客らの弁護をするべく呼びかけている。
また、下院議会ではスティーブ・パース議員らが中心となってテロリストと戦うアメリカ市民を守る法律、H.R. 1640 (Protecting Americans Fighting Terrorism Act) が提案された。パース議員はその際下記のように語った。

アメリカの自由な機構が対テロの戦いにおいて我々に対抗して悪用されるというのは悲しいことであります。 私は初めてミネソタでイマームたちにより起こされた訴訟について聞いた時、これは明らかに、単に自分達の安全を守ろうとしたアメリカ市民に対する不正だと感じました。 これらの勇敢な市民は評価されるべきです。特に前例のテロ攻撃を示唆するような疑わしい挙動を通告するという行為ならなおさらです。

アメリカ人として我々は我々の生き方を妨害する人々の横暴を許してはなりません。我々はテロリストのシンパたちによってテロ行為を通告する前に人々が訴訟を恐れてテロ行為を通告するのを心配するようなことを許してはなりません。これが威嚇作戦であろうと大規模な攻撃であろうと、アメリカ人は自分達と同胞市民を守る義務があるのです。そこで私はアメリカ市民を守り、すべての市民がここアメリカにおいて対テロ戦争最前線において注意深く、発言力を持ち続けられるように、この法案を提案するものであります。

アメリカ人はテロリストの脅迫なんぞには怯まんぞ! というわけである。


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人種差別男尊女卑まるだしの、とある左翼ブログへの返答

ちょっと船に乗ってネットアクセス不能な状態が一週間続いているうちに、我が「苺畑より」がどっかのブログにリンクされたらしく、やたらとヒット数が多い日があった。
紹介リンクをたぐっていったら、サイトに南米の共産主義極悪大量殺人革命家チェ・ゲバラの写真が載ってるバリバリの共産主義サイト。なんでこんなサイトが極右翼の我がブログをリンクしてるんだろうと不思議だったのだが、どうやらユダヤ人バッシングが目的だったらしい。この共産主義ブログのリンクしたわがブログのエントリーは「北米キャンパスを乗っ取る聖戦主義のユダヤ弾圧」。それについてこの人間の感想を読めばこの著者がどういう種類の人間がよく分かるというものだ。

カナダの大学でイスラム教徒たちが団結して生徒会を乗っ取り、ユダヤ系サークルをいじめた、という事件だ…アメリカ在住の姉さんがブログしてます。それにしてもこの人、バリバリのネオコンだね。さすが高校出たばかりでアメリカまで逝っちゃうお姉さんは違いますな。こういうの、バナナと呼ぶわけだ。表面は黄色く見えても脳味噌は白人。むしろアジア系の容貌に物凄くコンプレックス持っているんで、過剰適応でバリバリのネオコンになる…

オンナってヤツは頭が空っぽなので、相手によってどうにでも思想が変わるわけだ。この馬鹿も、アラブ人の亭主とくっついたら明日から「パレスチナ万歳! ユダヤ人を殺せ!」とか言いはじめるんだろう。ちなみにこちらで顔を晒しています。キチガイって顔を出すのが好きだったりするよね。誰が、とは言いませんが。
まぁ、ユダヤ系の宗教サークルがいじめられるのなんざ身から出た錆なんでどうでもいいが…

この著者の文章から彼の反ユダヤ主義思想や男尊女卑の偏見がありありと伺われる。だがその話をする前に先ずは間違いから正しておこう。
私のエントリーを読んでもらえば解るが、ヒラルというユダヤ系宗教サークルは生徒会からいじめられたなどという生易しい扱いをされたのではない。彼等は生徒会から学校の正式なサークルとして閉め出され予算を完全に断ち切られただけでなく、ヒラル主催の講演会では観客が暴行を受けるなどのひどい目に合い、暴力的な手段で言論が弾圧されるというすさまじい迫害を受けたのである。
またカカシはネオコンではない。ネオコンというのはもともとリベラルから保守派系になった新しい保守派のことで、中絶問題や同性愛結婚などにはリベラルだが経済的に保守派という人が多い。私は社会的にも経済的にも保守派の旧保守ペリオコンである。もっともブログをやり出して気が付いたのは私は結構中庸派保守で移民問題などでは特にバリバリの右翼ではないらしいということだが。(苦笑)
ではこの左翼ブロガーの人種差別と男尊女卑に話をもどそう。


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おとぎの国につながる『テラビシアにかける橋』

出張中の週末、忙しい中時間が開いたので昨日はディズニーの映画、”Bridge to Terabithia“『テラビシアにかける橋』を観た。

ニューベリー賞受賞のファンタジー児童文学(邦題:テラビシアにかける橋)の映画化。学校にも、家族にすらもなじめない少年ジェス(ジョシュ・ハッチャーソン)は、転校生の女の子・レスリー(アナソフィア・ロブ)と友達になる。絵を描くのが得意なジェスと空想好きなレスリーは、森の中に “テラビシア” という世界を創造する。

ジェスは小学校6年生の男の子。ティーンエージャーでけんかばかりしている姉二人と、甘えん坊の一年生の妹、生まれたばかりの乳飲み子の妹と女ばかりに囲まれた5人兄弟の真ん中にいる。田舎の村にすむジェスの父親は金物屋を営んでいるが経営は苦しく裏庭にある温室で育てている野菜は家族にとって必要不可欠。家計のやりくりや赤ん坊の世話で忙しい母親には陸上の得意なジェスに新しい運動靴を買ってやれず、姉からのお下がりで女の子用のピンクの靴を履けという。
学校でもジェスは友達がいず、後ろからわざとぶつかってくるいじめっ子たちにも妹をいじめる8年生(アメリカでは小学校から高校まで年生を続ける。)の女の子にも対抗できない。
そんななか隣に超してきた転校生のレスリーと友達になる。作家の両親を持つレスリーは偶然みつけたツリーハウスの上でいろいろなことを想像する。想像の世界をまるで現実に起きているかのように言うレスリーにジェスは最初レスリーが何をやっているのかわからず困惑するが、だんだんとレスリーの導きで幻想の世界が自分にも見えるようになってくる。

terabithia

レスリーとジェス


映画は彼等が本当に幻想の世界に行ったのかどうか断言しない。目の前にある大木が巨人に見えたり、空を飛ぶ鷹が巨大な鳥となって攻撃してきたり、松ぼっくりが手りゅう弾になったり、モグラやリスが凶暴な獣に変身したり、観客にはそれが二人の単なる想像なのか現実なのか、二人には本当にそう見えるのかただそう振舞っているだけなのか解らない。
この映画を観たある友人はファンタジー映画だと思って観にいったのに、主役の子供たち二人はファンタジーの世界に実際に行くのではなくてただ想像しているだけでつまらなかったと言っていた。
あなたが私と同じように子供だったことがある人ならきっと覚えているはずだ。ブランコが飛行機になって世界旅行をしたり、木からぶら下がってるロープを使って密林の王者ターザンになったことや、塀の上からシュワッチと行って飛び下りて完全にウルトラマンの気分で空をとんだことや、怪獣に変身した隣のマー君をこてんぱんになぐってやったことが、あなたにもあったはず。私たちはその時幻想の世界へ行かなかったのだろうか? 私たちはあの時おとぎ話の橋を渡って向こう側の世界に存在していたのではないだろうか?
そんな経験のある人ならこの映画は大人でも十分に楽しめる映画である。私は常に想像力は人の心を豊かにすると考えている。人々に想像力があったからこそ文明は発達したのだと私は思う。自分がすんでるほら穴以外に別な世界があるはずだと想像できなかったら、我々はいまでも穴暮しをしていたことだろう。
おとぎ話は想像や幻想の世界かもしれない。だがその世界を一度もかいま見ることのできなかった人は不幸だと思う。ジェスはレスリーによってその橋を渡ることができた。あなたもジェスとレスリーと一緒にこの橋を渡ってみませんか? おとぎの国、テラビシアにかける橋を。


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『モハメッドに関する真実』 その3

本日はロバート・スペンサー著のThe Truth about Muhammad『モハメッドに関する真実』感想文最終回。
原点に戻った聖戦主義たち
この間私はヨーロッパの暗黒時代に関するドキュメンタリーを観たばかりだが、当時のイスラム圏の文化はヨーロッパがローマ時代の文化を失い後退したのと反対に、文明社会を満喫していた。それがルネッサンスを迎えたヨーロッパに完全に追い越され、以来全く発展せずに中世のまま留まってしまった。以前に読んだバーナード・ルイス博士のWhat Went Wrong? という本にも書いてあったが、イスラム教徒は何か悪いことが起きると、「どこで我々は道を踏み外したのだろうか?」と自問いするという。それは決して悪いことではない。なんでもかんでも他人のせいにするよりはいい。だが、その結論が常に「イスラム教の教えを忘れたからだ」となってしまうという。だから苦境から脱するためには「イスラムの原点に戻ること」となってしまうのである。
中世にあれだけ発展していたイスラム社会の多くが7世紀に逆戻りしてしまったのは、モハメッド時代の原点に戻ろうという原理主義のせいなのである。そしてモハメッドの生き方を地で行ってるのが聖戦主義者たちなのだ。
異教徒を暴力で改宗させる、相手がそれを拒めば追放する、もしくは首を切る。女性の価値は男性の半分であり、性犯罪の罪を証明するには男性四人の証言が必要だなど、すべてコーランに書いてあるのだ。
スペンサーにいわせると、タリバンなどはイスラム教の過激派でもなければイスラムを間違って解釈したのでもなく、タリバンのような聖戦主義者たちこそがイスラムの代表なのだ。だから西側の人々はイスラム教を「平和な宗教」などといって美化してはならない。その本質を理解しその危険性に対抗しなければないのだ。
イスラムとの共存は可能なのか?
私はイスラエルとパレスチナの紛争をみていて、彼等が平和共存することは不可能だといつも感じる。そしてその原因は一重にパレスチナ側にあると考える。これは決して私がイスラエル贔屓だから言うのではない。ユダヤ教には異教徒を暴力でユダヤ教に改宗させなければならないなどという教えはない。それどころか、ユダヤ教は父親がユダヤ人でも母親がユダヤ人でなければユダヤ人として認めないとか、かなり排他主義的なところがあり、はっきり言ってユダヤ人は宣教とか布教ということに興味があるとは思えない。
だがパレスチナの原理主義者たちは異教徒、しかも宿敵(mortal enemyは宿敵でいいのかな?)であるユダヤ教国家が聖地エルサレムに在するなどもってのほかだ。イスラムをモハメッド時代にさかのぼって解釈したならば絶対に許せることではない。
ではイスラムと西洋社会は共存できないのだろうか? 私はそうは思わない。
私はスペンサーの引用したコーランのなかでも、文字どおりの解釈をせず現代風のスピンを加えた解釈がいくらでもできると感じた。もしイスラム教徒のなかにコーランの新しい解釈をするだけの勇気のある人がいるなら、イスラムが7世紀の原始的な社会から文明社会へと参加することが可能だと私は考える。
だが、そのためにはイスラム教徒自身がその道を選ばなければならない。彼等のなかで命の危険を覚悟でコーランの現代風解釈をイスラム社会に広めなければならない。
西側諸国はスペンサーの警告に耳を傾けるべきである。これを無視することは致命的な間違いをおかすことになる。イスラム原理教の脅威は真実である。だが、もし我々現代人がイスラム対文明社会という悲惨な最終戦争を望まないのであれば、我々は穏健派イスラム教徒に訴えなければならない。
イスラム教は平和な宗教だ! イスラム教の教えは暴力での征服を求めない! イスラム教は異教徒を寛容に受け入れる! と、、
十字軍やスペイン宗教裁判などで象徴される不寛容で残虐だったキリスト教が生まれ変わったように、イスラム教も生まれ変わることができるはずだ。ただ、キリスト教がかかったような何百年という時間を待つような余裕はイスラム教にも西側にもない。
世界が宗教戦争で滅びないうちにイスラム教が生まれ変わってくれることを神に祈ろう。


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『モハメッドに関する真実』 その2

引き続き今日はロバート・スペンサー著のThe Truth about Muhammad『モハメッドに関する真実』をご紹介しよう。
都合のいいお告げ
モハメッドは一生の間何度も天使ガブリエルからお告げを受ける。しかしモハメッドのお告げは非常にご都合主義なのだ。これも聖書に出てくるユダヤヤ・キリスト教徒らが神から受けるお告げとかなりの違いがある。
例えばモーゼは神から十戒をさずかり、それを広めることを命ぜられる。キリストは神から人々の罪をしょって自分の命を犠牲にするよう命じられる。どちらも神から試練を与えられた。彼等の個人の意志や願望とは裏腹なものである。
だがモハメッドが受けるお告げは非常に自分勝手なご都合主義のものが多い。例えば自分の養子の先妻を気に入って結婚したいと思うと、都合良く神のお告げを受け、普通はスキャンダルな結婚がなぜかモハメッドだけには許されたりするし、和平交渉を結んだ敵との条約を破って攻め入るときも、イスラムが勝つためには異教徒との約束ごとは無効になるというお告げを受けたりする。
どうりでパレスチナがイスラエルとの停戦条約を守らないわけである。コーランにちゃんとそう書いてあるのだから。
特権階級としてのイスラム
スペンサーによると、イスラムには世界中の誰にもあてはまる普遍の法則というものはない。イスラム教徒は特別なのであり、異教徒と同じ法律に従う必要はないという考えなのだ。ここがユダヤ教などとは全く異なる点だろう。
例えばユダヤ教は公平な裁きを要求する。法律は誰にも同じように当てはめられなければならないという考えだから、王様でも乞食でも同じ法で裁かれるべきであり、神様でさえ自分の作った法をやぶるべきではないと考える。
腐敗したソドムとゴモラを滅ぼそうという神の意志に対して、アブラハムは「いくらなんでも一人も善人がいないってこたあないでしょう。大半の人口が悪いからって罪のない善人まで一緒に滅ぼしてもいいんですかい? ひとりでも善人がいたらどうするんです?」と神と交渉する。古(いにしえ)の時代でもやっぱ弁護士はユダヤ人に頼むべきだという証拠である。(笑)ユダヤ人が世界中で嫌われるのはこういうふう誰に対しても公正な裁きを要求するからだという説もある。
しかしイスラム教はそうではない。よく中世のイスラム社会は他宗教に寛大な時代だったという人がいる。確かに異教徒への迫害がひどかったヨーロッパに比べれば当時のアラブ諸国は比較的寛大だったといえなくもない。だが、それも異教徒が異教徒として下層階級である地位に甘んじる限りはという意味である。
モハメッドは自分が侵略した土地に住む人間が多神教徒であれば容赦なく虐殺した。異教徒がユダヤ・キリスト教徒であった場合は三つの選択をあたえた。1)イスラムに改宗する。2)出ていく。3)その場でイスラムの奴隷となる。
イスラム圏に住む異教徒達はそれぞれ宗教によって階級を与えられそれに見合った税金を収めさせられた。イスラム教徒は税金を払わないため、イスラム社会の経済は異教徒からの税金で成り立っていた。現代のサウジアラビアで働くのは外国人ばかりという状態と酷似している。経済上の理由から後には多神教の人間も受け入れたようだ。
これらの異教徒はディミーと呼ばれ、自分らの奴隷的な立場を受け入れさえすれば、一応平穏に暮らすことが出来た。とは言えそれもモハメッドの気分次第でいつ何時どうなるかわからない。異教徒にはイスラム教徒による暴挙に対して全く抵抗する手段がなかったからである。イスラム教のいう寛容とはこういうことなのだ。


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