前回のフランス軍に学ぶイラク戦争に勝つ方法に引き続き歴史家アーサー・ハーマン氏によるHow to Win in Iraq. And how to lose.から、今度はイラクで負ける方法についてお話ししたい。
無論カカシは何もイラクで負けたいと思ってるわけではないが、どういうやり方をすれば勝てる戦争に負けてしまうのか、フランス政府の失態を教訓にしてイラク戦争でも十分にあてはまる部分を研究してみよう。
前回にも書いたようにフランス軍は2年足らずで反乱軍ゲリラのFLNにはほぼ全面的に勝利を納めていた。だが、圧倒的な軍事勝利にも関わらずフランスは戦争そのものには負けてしまった。あれだけの栄光を納めたフランス軍はそのたった2年後にアルジェリアから完全撤退してしまったのである。
いったい何がおきたのか? それはフランス軍がアルジェリア戦地で反乱軍ゲリラ相手に一生懸命になっている間、フランス国内では左翼による政治反乱軍がフランス政権を蝕みはじめていたのである。彼らは今のアメリカの民主党や左翼メディアと同じで、軍事成功そのものをあたかもフランスによるアルジェリア市民弾圧や迫害であるかのようにフランス市民に訴えはじめたのである。
フランス軍はFLN打倒の目的で、諜報のために多少の拷問は許可した。ところがフランス左翼はこれに噛み付いた。フランス市民は特に常日頃から捕虜の目玉をくり抜いたり男性性器を切り取ったりするような残虐な拷問をしているゲリラに対して特にこれといった同情心などもっていたわけではないが、50年後のアブ・グレーブがアメリカの反戦左翼に利用されたように、フランス内部の反政権勢力によってこの問題は反戦運動に多いに活用された。
反戦派のジョン・ポール・サルテル(Jean-Paul Sartre)に率いられ、フランス軍弾劾運動が始まった。左翼たちはフランス軍がフランスの宿敵ナチスとかわらないといって攻撃した。アメリカの左翼がブッシュ政権をナチスとしょっちゅう比べるのと全く同じだ。サルテルの同士シモン・デ・ブビエーなど(Simone de Beauvoir)などはフランス軍の制服は「スワスティカがかつて与えたのと同じ印象を与える」とまで言った。反戦派の先導者はほとんどが共産主義者や左翼だったが、なかにはフランス市民が尊敬する中庸派の人々も含まれていたため、フランスではだんだんと反戦ムードが高まっていった。反戦派が常に繰り返したメッセージは「アルジェリア紛争の元凶はFLNではなくフランス軍の存在だ、フランス軍が撤退してはじめてアルジェリア人は自分たちの運命を決めることができるのだ」というものだった。まさにアメリカ左翼の連中が唱えている「イラク問題はアメリカ軍にあるアメリカが撤退することでイラク人にイラク再建が出来るようになる」というメッセージと瓜二つである。
フランス軍も当時のフランス政権もこの左翼反戦派からの攻撃には面食らった。まるで予期せぬ攻撃だったのである。彼等に対してはどれだけ軍事行使の正当性を訴えてみても無駄だった。拷問を許可したもともとの命令が撤回されても全く効き目がなかった。このフランス内部の政治的混乱を利用してFLNはアルジェリア各地で爆弾を爆破させた。アメリカ国内で民主党支配の議会がイラク撤退期日決定やイラク増兵反対の議決案を通す度にアルカエダのテロリストが奮起してイラクで自爆テロを増加させるのと全く同じ状況である。 これによって1956年現在でフランス市民のほとんどが「アルジェリアを見捨てるなどもってのほか」という考えでまとまっていた団結が完全に崩壊してしまったのである。
フランス国内の分裂は政権崩壊につながり、後継のフランス政権はその存続のため軍事的に惨敗したアルジェリアの独裁政権にみすみすアルジェリア統治の権限を与えてしまった。その結果起きた悲劇は無惨であった。アルジェリアの白人層は大量にアルジェリアから避難、フランス政府に協力したアルジェリア人たちは何万何千という単位でFLNによって虐殺された。フランス軍と並んで戦ったアルジェリア軍人たちは処刑の前に勲章を飲みこまされてから射殺された。
これはアメリカ軍が撤退した後でのベトナムでも繰り返された。そしてアメリカがイラクから撤退すればアメリカ軍に協力したイラク人たちがサドル民兵やアルカエダのテロリストに全く同じ目にあわされることは火を見るよりも明らかである。
イラク戦争の最初の三年間はイラク軍がアメリカ軍が制覇した土地を継続して守ることができなかったという問題があった。アメリカ軍の数が足りていないという批評家の批判にも一理あった。だが、フランス軍の例でもわかるように戦況は作戦変更で短い時間にあっという間に成功を遂げることも可能なのである。だからカカシはイラクは軍事的に十分に勝利の可能な状況にあると主張しているのだ。
しかしアメリカ国内の内政となってくるとカカシは同じような確信を持つことができない。もし民主党がイラク戦費の差し止めに成功したならば、いくらブッシュ大統領ががんばってみても必然的にアメリカ駐留の期間は制限される。今のところ共和党議員たちが一人二人の裏切り者以外はほぼ団結しているため、上院下院の両方で議決案が通っても大統領の否決を倒して議案を成立させることはできない。
また、民主党は戦費完全差し止めを強行するにはまだまだアメリカ世論がついてこないことを承知している。だからアメリカの反戦左翼はアメリカ世論を反戦にもっていくべくそのキャンペーン運動をさかんに行っている。

たとえば、「作戦的撤退」と称する書類で the left-liberal Center for American Progressという左翼団体はイラクにおける暴力の原因となっているのはテロリストでも反乱ゲリラでもなくアメリカの『占領軍』であるという立場を明らかにしている。これによるとイラクは放っておけばシーアもスンニも必然的に妥協し平和共存する選択に迫られるというものだ。

現にノースキャロライナ大学の中東専門家サラ・シールド女史などは今日のジハーディストたちは「占領軍に対抗して戦っている最新の例である」とし我々が撤退する時期が早ければ早いほど、「我々の占領と関連したとして不利になる人々の数がすくなくてすむ」と書いているほどだ。

これはまさしくフランス左翼やアメリカ左翼の負け組がアルジェリア紛争やベトナム戦争で唱えた議論とそっくりそのままだ。これらの声に耳を傾け駐留軍が戦地から撤退することで、結果どのような悲劇を生んだか歴史が顕著に語っている。
もともとアメリカがイラクを攻めた理由はなにか? それはイラクがテロ軍団の温床となってイラクを拠点としてアメリカ本土に攻撃をしかけてくるのを防ぐための先制攻撃であった。フセイン政権打倒も、WMDの処置も、その手段だったのであり、一番大切な目的はイラクをアルカエダのようなテロリストの手に渡さないことにあった。だとすれば、いくらフセイン政権を倒してみても我々を威嚇する危険なWMDが存在しなかったとしても、イラクが内乱状態となってアルカエダが自由気ままにテロを起こせる場所にしてしまったら元も子もない。イラク戦争そのものが完全に無意味だったということなってしまうのだ。
これを考えたなら我々がイラクから絶対に撤退してはならないということは子供でも分かる理屈である。撤退は選択に含まれない。イラクでは軍事的にも政治的にも絶対に勝たなければならない。敗北は断固許されないのである!


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