『法と秩序』か社会福祉か、揺れるフランス大統領選挙

フランスも長年に渡るジャック・シャラク大統領の時代がついに終わり、新しい大統領選挙がいよいよ大詰めである

サルコジ氏首位で最終盤へ=第1回投票まで1週間−仏大統領選

 【パリ14日時事】22日のフランス大統領選第1回投票まであと1週間。ニコラ・サルコジ国民運動連合(UMP)総裁が支持率トップを維持しているが、同総裁の問題発言が報じられるなど、選挙戦の行方にはなお不透明な要素もある。
 主要6機関による世論調査の支持率は、サルコジ氏が27−29.5%、社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル元環境相22−25%、仏民主連合(UDF)のフランソワ・バイル議長18−20%、国民戦線(FN)のジャンマリ・ルペン党首13−15%。1−4位の座は最終盤にきて固まりつつある。
 こうした中、サルコジ氏が哲学誌に掲載された対談で、小児性愛や若者の自殺志向について「先天的なもの」と発言。これは「人の運命が最初から決まっていると言っているようなもの。非常に重大な発言だ」(バイル氏)などと対立候補から批判されたほか、有識者や聖職者からも相次いで厳しい指摘を受けた。

 
選挙を目前にして保守派とリベラルの間ではフランスの遊園地で起きた警察官殺人事件を巡ってフランスをまっぷたつに割っている深刻な問題が浮き彫りになった。
4月12日、Foire du Trôneという遊園地で、『若者』数人が乗車券を買わずに観覧車に乗ろうとしたところを係員に注意されけんかになった。警備に当たっていた二人の警察官が仲裁にはいったが、そのうちの一人の警察官、レイナルド・カローン巡査(31歳)が観覧車の通路に落ち観覧車に打たれて即死した。カローン巡査は強い衝撃で体がふきとばされ、そのあまりの惨さに思わずパートナーの警察官は失神しそうになったほどだという。
当初この事件はカローン巡査が誤って落ちた事故死であると報道されたが、その場にいた二人の目撃者が名乗り出て、巡査は『若者ら』に突き落とされたのだと証言したことから、殺人事件とみなされた。事件に関わった少年3人が即座に事情聴取で連行され、犯罪の常習犯でパリでも特に柄の悪いことで知られるla Cité des Pyramidesという貧民窟にすむ大柄な『黒人』の少年(15歳)が故意に巡査を突き落としたことを認めた。
フランスのメディアが「移民」「黒人」「若者」といういい方をする時は、犯人がイスラム系の移民であると判断してまず間違いはないのだが、メディアは未だに少年がイスラム教徒であったかどうかは公開していない。
ここで問題なのはフランスのメディアもそして警察も二人の目撃者が殺人を目撃しているにも関わらず、三日以上もこの事件を殺人として扱わず事故として扱おうとしたことである。
まず最初に遊園地の係員が少年らに注意したことを「的屋と若者のけんか」と表現して係員にも罪があるかのようないいかたをしたり、カローン巡査は逃げようとした少年に突き飛ばされて落ちたのであって故意に落とされたのではないとか、少年らの罪をなんとか軽くさせようという努力がされた。
フランスメディアと警察のこの消極的な態度には原因がある。実は先月の終わりにも別の遊園地で無賃乗車を取り締まろうとした警察と若者たちの間で Gare du Nord紛争と呼ばれる暴動あったばかりだったからである。
この暴動では遊園地の乗り物に無賃乗車をしよとした若者数人を逮捕した警察官のやり方を巡って若者たちが暴れ出したのがきっかけだった。小競り合いはすぐに激化し機動隊が出動して催涙ガスがつかわれるなどの大騒動となり13人が逮捕された。その時サルコジ候補は警察のやり方は正しかったとし、「切符の代金を支払わない人間を逮捕することが問題になるのはわが国くらいである」と発言。「警察が最低限の秩序を守ることが許されないなら警察はなんのためにあるのだ?」と問いかけた。
以前から再三書いてきたように、フランスではイスラム系移民の暴挙はここ数年、目に余るものがある。一日に平均10人以上の警察官が移民によって暴行を受けることや、乗用車が一晩で百代以上も焼かれていることはもうここ2〜3年日常茶飯事になっている。しかしそれに対するフランスメディアやフランス政治家の対応は取り締まりではなく迎合一点張りである。以前にパりは燃えているで私はこのように書いた。

私はこの間…フランスで起きているインティーファーダ(過激派イスラム教徒による反政権運動)について、やたらにメディアが遠慮がちであることを書いた。 アメリカのメディアは重体者を出した数台のバス放火事件の犯人を単に「若者」とか「移民を祖先に持つ若者」もしくは「低所得者住宅地の若者」といった言葉で表現し、明らかにイスラム系移民であることを必死に隠そうとしていた。しかしこの傾向は当のおふらんすメディアでも同じことらしい。 …去年のイスラム教徒による暴動のきっかけとなった二人のちんぴらが感電死した記念日に、なんと市長さんが慰霊碑にお見舞いをするという珍動。 いくらイスラム系移民の多い地区とはいえ、ここまで迎合する必要があるのか、といいたくなる。しかし過激派に対して迎合すること以外にフランス政府には政策がないというのも事実なのだろう。 そしてその迎合の姿勢を必死で守っているのがフランスメディアである。

フランスの左翼議員が下層階級の票欲しさに犯罪者に甘い顔を見せる傾向はひどくなる一方だ。パジャマスメディアに掲載されたこの記事によると、仏民主連合(UDF)のフランソワ・バイル議長などを中心に左翼の候補者たちはこぞって貧民窟で貧乏人たちと一緒に写真をとってみたり、危険な地区の地下鉄に乗ってみたりして、いかに自分達が庶民の味方であるかという態度をアピールするのに余念がないらしい。メディアが心配しているのはそんななかでこの事件が凶悪な殺人事件として扱われれば大事な選挙中にフランスの治安の乱れに市民の注目が行き、貧乏人の味方をとなえる左翼候補らより、法と秩序をうたい文句にしているサルコジ候補が有利になってしまうということなのである。
フランスの治安の乱れに関する記事は下記参照:
フランスを蝕むイスラム系移民二世たち
フランス国内のイスラム問題解決はイラク戦争にある?!
犯罪者に甘い顔をして下層の票を集めようとしているのはバイル候補だけではない。

  • José Bové:反グローバリゼーション運動家、フランスの違法移民と仲良し。
  • Olivier Besancenot:共産党、労働者と反シオニスト活動家たちに迎合している。
  • ジャンマリ・ルペン:(Jean-Marie Le Pen:国民戦線(FN)の党首)レバノン新聞でサルコジ候補はイスラエルと仲良しだからフランスには危険な人物だと主張。
  • セゴレーヌ・ロワイヤル:(Ségolène Royal – 社会党)ルペンに負けじとこちらも別のレバノンの新聞にて自分が選ばれたらブッシュ大統領とは握手しないと宣言した。

ほかにも色々いるが皆福祉のやり過ぎで経済が破たんしているフランス社会で、低家賃の住宅を保証するとか、失業者すべてに失った仕事を返すとか非現実的な社会福祉ばかりを約束している。こうした候補者にとって警察官殺人事件への注目は非常に不都合な事態を及ぼす。

フランス左翼の候補は皆ロイヤルを筆頭にバイルも含め過激派中の過激派Schivardiにいたるまで収入を分割し社会を平穏化することを約束している。左翼はGare du Nord暴動の後、選挙運動に無関係な法と秩序問題を持ち出したとして右翼を攻撃。左翼にいわせると市民は賃金の値上げや家賃援助の住宅や就職の安定そして年金について聞きたいとのことだ。残酷な若い警察官の死は優しい政府を目指す候補者には都合が悪い。市民がどう判断するかは投票によって近日中にあきらかになる。第一回目の投票は4月22日の日曜日。どちらに輪が回るのか、賭けてください。Les jeux sont faits。


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ナジャフ行進とグリーンゾーン爆破も別な見方をすれば、、

主流メディアの報道だけを聞いていると、この間のナジャフでは大規模な反米デモ行進が行われたとか、バグダッド市内では相も変わらず殺人事件が続出、警備の厳しいはずのグリーンゾーン内部ですら爆破事件がおきるなど、アメリカの新作戦は成果を見せるどころかイラクの治安は悪くなる一方だという印象を受ける。事実背後関係を全く説明しない主流メディアの報道だけを読んでいればそう感じても無理はない。しかし今のイラクの戦況を注意して見てみると実はそれほど悪い状態ではなく、それどころか結構ペトラエウス将軍の新作戦は実を結びはじめていることがわかる。
ナジャフの行進、数千か数万か
主流メディアはこぞって今回のデモ行進を「大規模な反米デモ行進」などという見出しで飾っているが、規模が大きかったのか小さかったのかということは何か比較になるものがなくては正確な判断は下せない。
イラク連合軍の当初の公式発表ではデモ行進の参加者は5千から7千とのことだった。後になってロイターが航空写真をもとにした軍の測定ではピーク時には1万5千になったと報道していた。主流メディアではその数は「何万」といった漠然とした表現しか使われていないため実際にはどのくらいの数だったのかは公式発表に頼る以外にないが、多く見積もっても参加者数はせいぜい2万人程度だった。この数をもってして果たしてサドルのデモ行進は主流メディアが言うほど成功だったと言えるのだろうか? 
幸いなことにこのインターネット時代、ちょっとした検索でサドルが主催した去年のデモ行進と比べてみることができる。下記は2006年8月バグダッドで行われたデモ行進の模様、イラクザモデルから:

世論調査で人気があるということは必ずしも事実とは一致しない。今日のデモ行進を見てもサドルが期待した百万という数に対してバグダッドの二百万を超えるシーア派市民のうち集まったのはたったの10万人。サドルは南部の地域に送迎バスまで送っったというのにだ。しかも忘れてならないのはデモが行われたのはサドルにとっては本拠地。支持者が集まるのには何の努力もいらないはずだ、なにせ自分のうちの裏庭に集まれといわれたも同然なのだから。

イラクザモデルの数は少な目のほうで、別の記事では8月の参加者は20万人だったと報道したところもある。だが期待されていた二百万よりは一桁も少ない数だったとはいえ、それでも今回の2万人に比べたら5倍から10倍の数が集まっていたのだ!
たった8か月後に送迎バスまで派遣して集めたデモ行進参加者が十分の一に減っているという事実はサドルの勢力が大幅に弱体化していることを意味する。
バグダッド市内の死者減少
さて、イラクの治安が良くなっているかどうかを客観的に判断するためには、イラク内で殺される市民の数を作戦前と作戦が始まった後とで比べてく見ることが必要だ。APの記事によればこの数は確実に減っている

APが合計したイラク警察発表の数によると作戦が始まってから木曜日までの間にバグダッド市内で殺されたイラク市民の数は1586人。

これは新作戦が始まる前の2か月間で暴力的な死を遂げた市民の数2871人に比べ大幅に減ったことになる。
二月十四日から四月十二日木曜日の間に首都外部で殺された市民の数は1504人。その前の二か月間の合計は1009人とAPの報告は示している。

バグダッドでの死亡率は45%の減少、外部では50%の増加となる。悪い奴らがバグダッドから追い出されているため外部の殺人率が増えているわけだが、それでも全体の死亡率は20%減という計算になる。
グリーンゾーン爆破の真相
警備がどこよりも厳しいはずのイラク議会ビルで自爆テロがあったというニュースは、イラクの治安悪化を意味するように見える。しかしブラックファイブに投稿したイラク議会ビルに勤める民間人によると、議会ビルは2006年からイラク政府の管轄になっておりグリーンゾーンの中には位置していないのだという。

「頑丈に要塞化されたグリーンゾーンの真ん中」の警備をテロリストがやぶって潜入したとCNNやBBCやNPRなどは報道していますが、実は議会ビルはグリーンゾーンの中にはないのです。私たちはこのビルは2006年にイラク政府に譲渡しており、ビルはグリーンまたは国際区域の北西にあたる外側に位置することになったのです。

この投稿者のいっていることが正しいかどうかは分からないが、議会ビルの警備を担当していたのがアメリカ軍でないことは確かなようで、議会ビルにつとめるイラク人たちはアメリカ軍による厳しい警備を嫌がってもっと緩い警備体制を敷いていたという。今回の犯人もアルカエダと関係のあるスンニ警備員の仕業だったようだが、もう大分前から議会ビルの警備の甘さは指摘されていた。
ということは議会ビルの爆破はおこるべくして起きたことであり、アメリカ軍の新作戦の対象にはなっていなかったことになる。この事件のせいで議会ビルは警備体制の見直しがされることになる。
このテロで注目すべきなのはアルカエダの攻撃対象となった政治家たちはスンニ派だったことである。アルカエダの連中はイラク政府に協力するスンニ派を裏切り者としてどんどん暗殺している。それに対抗し本日もこれまでアルカエダと協力関係にあったイラクイスラム軍がアルカエダと手を切ってアルカエダと戦うと宣言した。アルカエダとスンニ反乱軍の亀裂は深まる一方である。
ピンクから白へ、赤からピンクへ
ここで私が先に紹介したイラク戦争に勝つ方法の第一段階を思い出していただきたい。

1)兵を一地区に集中させること。テロリストは自動車爆弾などを使って少人数で大規模なダメージを起こすことができるが、政府軍は大人数の軍隊を使っても広範囲に散らばっていてはとてもとても市民ひとりひとりを監視することなどできない。そこでガルーラは守る地域を、白、ピンク、赤という地区に分けた。白とは政府の統括下にある地域、ピンクはゲリラと政府が競争している地域、赤は完全にゲリラが制覇している地域。対反乱作戦を成功させる鍵は、ピンクを白に、赤をピンクへと、一区画づつ地道に変えていくことにかかっている。

グリーンゾーンが白だとすればバグダッドの大半はピンクだったが、今そのピンクゾーンはだんだんと白に変わりつつある。赤からピンクへ変わる時点では戦いが激化するため双方の犠牲者は増えるが、バグダッド外部での死亡者が増えているということはレッドゾーンがピンクにかわりつつあることを意味する。
こうして考えていくとイラクの戦況はかなり良い方向へ向かっていると判断することができる。今後主流メディアの記事を読む時は自爆テロや犠牲者の数だけでなく、どの地域でどういう状況でそうした事件が起きているのか、そしてそれがどういう意味を持つのか注意してみてみれば暗雲が立ちこめるように見える空の合間に銀色の裏地が見えるかもしれない。


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イギリスは立ち直れるか?

先日帰還したばかりの15人のイギリス兵人質が、体験談を巨額な金額でゴシップ雑誌に売ることをイギリス国防省が許可したことでイギリス国民から非難ごうごうだという話を小林恭子さんのところで読んだばかりだったのだが、今日になって当局はやはりこれを許可しないと発表した。
当初はきわめて特殊な例なので許可するということだったのだが、由緒正しいビクトリアクロス受賞者くらいしか許されていない特権をたかが人質になっただけの兵士らに許していいのか、イラク戦争でなくなった人々の遺族はどうなる、などの批判が次々に寄せられたようだ。
一旦許可して批判があったからやっぱりやめましたじゃ本当にイギリス軍隊の名誉も地に落ちたというものだ。私は別に彼等が体験談を金で売ること自体が悪いことだとは思わないが、抵抗もせずむざむざ捕まって敵のプロパガンダに簡単に協力し拷問もされていないのに「殺されるかと思った」だの「恐かった」だの平気で公言し、それを恥るでもなく平気で金で売って大々的に宣伝しようという精神が理解できない。私がこんな状態で帰国したら恥かしくて世間様に顔向けできないと思うが。
これが小林さんのいうところの「新しい英国人」と私みたいな古い人間の差だろうか?

8日のサンデータイムズで、アンドリュー・ロバーツ(歴史家、作家)という人が書いていたのが印象に残る。それは、もし15人の体験談を売ることに「いいんじゃないの?すごい体験だったし、お金をもうけてもかまわないだろう」と自然に思える人は、「新しい英国人New Brit」、今回の件で怒る人は「古い英国人Old Brit」と指摘していた。まさにそうなのかもしれない、と思った。

この間私もロバーツ氏とアメリカの保守派DJとのインタビューで、下記のような発言をしていたのを紹介したばかりだ。

HH:いったいジョン・ブルはどうしちゃったんです?僕が読んだどのイギリスの歴史書でもこんな挑発があればダンスホールで歌がはじまり灯火をもった行進が始まったとあります。
AR: 残念ながら私にもわが国に何が起きたのか解りません。 私にはショックです、そしてこれだけ多くのひとが、、、私たちは首を傾げているんですが、過去の政府ならこんな明らかな暴挙にたいして必ずしたであろう対応をしたいと答えた人がたったの6%なんですから。

私はこの会話を聞いてアカデミーで主演女優賞を取ったヘレン・ミレンが主演したThe Queen (女王)という映画のなかで、ダイアナ元皇太子妃が交通事故で亡くなった時のイギリス国民の皇室に対する理不尽な不満に対して、エリザベス女王が「私の国に何が起きたのか解らない」といった意味のことを言うシーンがあったのを思い出した。
現在のイギリス社会がダイアナ妃人気の頃からどうもおかしくなっていると考えたのは私だけではなかったらしく、イギリスの政治コラムニスト、メラニー・フィリイプさんもロバーツ氏のいう新しいイギリスをイギリスのダイアナフィケーション(ダイアナ化)と呼んでいる。
故ダイアナ妃は皇太子と結婚してからパパラッチに追い回された挙げ句の果てがパリでの事故死。ダイアナに少しでも関係のあった人々は昔なら口が堅くて有名だった皇室の従業員から昔の恋人から占い師にいたるまで、皇室での出来事をゴシップ雑誌に恥も外聞もなく売りさばいた。いくら金の力は強いとは言えこれらの人々には仕事に対する誇りとか忠誠心といったものは全くないのだろうか?その傾向が一介の民間人だけならまだしもイギリス軍隊にまでひろまっているとはこれは由々しき問題だと私は思う。
アメリカ軍人の間で人気のあるミルブログのブラックファイブでは、コメントを寄せているのは内容からいって若い現役軍人が多いらしく、当初15人が拉致されたという時点で15人が抵抗しなかったことには同情的だ。ただその後捕虜になってからの態度は軍人として頂けないという意見が大半を占めていた。実際にはイラン側に協力したのは13人。15人のうち二人は最後まで協力を拒否したのだそうだ。
我々民間人や退役して何年にもなるお偉い軍人と違って、明日は我が身の若い兵たちはやはり上からの命令で抵抗するなという戦闘規約があったのなら中尉程度の立場でそれに反して抵抗を判断するのは難しいのではないかという同情心が出るようだ。しかしそのかわり、そのような戦闘規約をあのような危険な場所で実行しているイギリス海軍そのものに関しての批判は非常に大きい。
実を言えば私はこの事件はおこるべくしておこったことだと考える。最近世界広しと言えども海軍に投資し規模を拡大しているのはアメリカのほかは日本海上自衛隊くらいなものである。欧州はこの大事な時に防衛費を大幅に削りただでさえ小さい軍隊をさらに規模削減へと進んでいる。かつて皇立海軍をあれだけ誇った英国ですらブルーウォーター海軍は全面的に廃止する予定だという。あの13人の振る舞いは例外というよりも、もう長いこと病んでいるイギリス海軍の症状といってもいいだろう。
今日イギリス人であることを誇りに思うのは難かしい。
私は今のイギリスの状態は1979年にイランのアメリカ大使館をイラン人の過激派学生たちに占拠された時のアメリカと似ているような気がする。私は当時あの事件をリアルタイムでテレビでみていたが、人質をとられた直後のカーター大統領のぶざまな慌てふたふたむきぶり、その後のイランへの屈辱的な嘆願、そして恥さらしな救助大失敗と続き、アメリカではアメリカ人であることへの屈辱感が全体的にただよっていたのをよく覚えている。
実はアメリカに暗雲が広がりはじめたのは長年の苦労の甲斐もなく、ベトナム戦争がああいう形で負けた1975年頃からだ。それまで一度も戦争に負けたことのなかったアメリカにとってベトナム敗戦は非常に大きな痛手だった。
1976年、共和党のニクソンのスキャンダルとフォードの不能な政治のおかげで民主党のカーターが大統領になったが、それと同時にアメリカ経済は低迷状態。当時のインフレは20%、失業率は二桁というひどさ。オイルショックでガソリンは不足するし、日本車の進出でアメリカ自動車業界は瀕死の状態。そんな中で起きた大使館占拠事件は棺に打たれた釘といってもいい。
イランの宗教革命を事前に予知できずこのような事態を引き起こしたカーター大統領の支持率は地に落ちたが、それ以上にこの事件によってアメリカ人の自己意識は最低となった。アメリカ人がアメリカ人であることに誇りを持てなくなっていたのである。
そんな時、アメリカ人の気持ちを高揚させるひとつの出来事が起きた。皆さんは1980年の冬季オリンピックでアメリカのホッキーチームが優勝したことをご存じだろうか? (ディズニーの映画でこの時のことを描いた「ミラクル=奇跡」という映画があるので是非観ていただきたい。)
当時のオリンピックの規則ではプロは参加できないことになっていたので、アメリカチームは学生ばかりの平均年齢20歳未満のアマチュアチーム。それに対抗するのは東共産圏の経験豊な強敵プロチームばかり。なにせ共産圏の選手たちはアマチュアとは名ばかりの年も経験もいったプロばかり。青二才の学生たちばかりをかき集めたアメリカチームなど勝ち目は全くなかった。
ところがこのアマチュアチームが誰の予想にも反して優勝してしまったのだ!最近のオリンピックでアメリカのチームを応援する時アメリカ人がよく声を合わせて「USA, USA」と叫ぶのはこの時優勝の決め手となったソ連チームとの試合の時から始まったのだという。
長年アメリカ人であることに自己嫌悪を持たされていたアメリカ市民はこのチームのおかげで再びアメリカを誇りに持てるようになったのだ。
アセアンさんはよく大使館占拠事件がアメリカ人のトラウマになっているというが、私はかえってあの事件はアメリカが立ち直る踏み台になったと思う。カーター大統領の悲劇的な政権はあの事件で終止符を打った。カーター大統領に対抗して出てきた楽観的なレーガン大統領が圧勝したのもこうした背景があればこそだ。
レーガン大統領が当選した時、日本のマスコミがレーガン氏は三流の映画俳優だがハンサムだし、何よりもアメリカ人にアメリカ人であることを誇りに思わせることができるひとだと分析していたのを私はよく覚えている。
イラン大使館占拠でアメリカ人として最大の屈辱を味あわされたアメリカ人は、もう負け犬でいるのはたくさん、誇り高きアメリカを取り戻そうという気になった。今回の事件で集団的自己嫌悪に陥っているイギリス国民が、この事件を期に目を醒ましてくれることを望む私は楽観的すぎるだろうか?
イギリスよ、いまは軍事縮小の時ではない! グローバルジハーディストたちと戦うため、今こそ軍事を拡大しかつての無敵で偉大なる英国を取り戻すときなのだ!
イギリスよ、立ち直ってくれ!


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サドルの大誤算、ナジャフデモ行進の意味するもの

アップデートあり: ナジャフ行進参加者の数に訂正あり、下記参照。
昨日サドルはマフディ軍にアメリカ軍に抵抗するようバグダッド落日4年目の記念日にナジャフに集まって反米大行進を呼びかけた。それに応えて何千というマフディ軍およびその支持者がナジャフに集まってデモ行進を行っている
これだけ見ていると、サドルの人気はまだまだ高くイラクにおけるシーア派による反米感情は高まる一方だと考えがちだが、実はそうともいえない。
サドルはアメリカ軍が増派を含む新作戦をはじめた当初マフディ軍にたいしてはおとなしくしていろと命令した。逮捕されても抵抗するなとまで言っていた。サドルの狙いは三つあった。

  1. アメリカ軍の新作戦は長続きしない。ほとぼりが冷めるまで大人しくしていてアメリカ軍が撤退したらまた活動をはじめればいい。
  2. マリキ政権はブッシュ大統領からの圧力で形ばかりの民兵取り締まりはするだろうが、真剣な取り締まりなどするわけがない。マフディ兵が逮捕されても後でコネを使って釈放させればいい。
  3. この際だからマフディ軍内部にいるサドル犯行分子をアメリカ軍に引き渡し、アメリカやイラク政府に協力しているふりをしてライバルを取り除いてしまおう。

産經新聞もサドルのこの作戦について、イラク政府はシーア民兵を温存する形となったなどと報道していた。(イラク掃蕩作戦に悲観的な産経新聞参照のこと)

汎アラブ紙アルハヤートなどによると、サドル師は、マリキ首相の密使として派遣されたジャアファリ元首相(シーア派)との会談で「マフディー軍潜伏」を決断したという。「掃討作戦の対象はシーア派、スンニ派を問わない」との公式な立場を取るマリキ首相も、マフディー軍の「一時的潜伏」により大規模掃討作戦の目標の半分が、実質的に空振りに終わることを、暗黙のうちに認めていることになる。
…しかし、米軍の段階的撤退が視野に入ってきた現状で、その後も“シーア派覇権”を維持するために独自の軍事力の温存は宗派全体としての中・長期的な“戦略的利益”にかなう。

では何故サドルは今になってその潜伏作戦を覆し、アメリカ軍にたいして表立った抵抗を呼びかけはじめたのだろうか?
ここで私が一月の時点でサドルの計算違いでサドルの計画は産經新聞がいうような具合には運ばないだろうと予測していたことを思い出していただきたい。

  • 意図的にしろ無理矢理にしろ一旦敵に占拠された領土を取り戻すとなると、もともとの領土を守るようなわけにはいかない。
  • 民兵たちは正規軍ではない、ただのギャングである。何か月もサドルのいうことをきいて大人しくしているとは思えない。自分勝手に暴れた民兵たちが大量にアメリカ軍やイラク軍に殺されるのは目に見えている。
  • アルカエダの勢力は昔に比べたら大幅に衰えているため、シーア派民兵が抵抗しなければバグダッドの治安は安定しサドルの思惑はどうあれ傍目にはブッシュの新作戦が大成功をしたように見える。そうなればアメリカ軍の新作戦は長続きしないどころかずっと継続する可能性がある。

サドルの狙いに反してマリキ政権はシーア派取り締まりに真剣に取り組んだ。マフディ軍はバグダッド中心部から即座に追い出され南部へと追い込まれている。しかもバグダッドを退散した民兵たちはイラン国境近くのディワニヤ地域でアメリカ軍空軍による激しい攻撃を受けている。
また、マフディ軍無抵抗作戦に亀裂でも述べたように、マフディ軍のなかにもイラク政府に本気で協力しようという勢力と断固協力できないという勢力との間で亀裂が生じてきている。ビル・ロジオのリポートによればイラク政府に協力する勢力はどんどん増えているという。
となってくるとサドルの潜伏作戦ではアメリカの新作戦が時間切れになる前にマフディ軍の勢力が大幅に弱体化し、アメリカ軍が去った後に戻ってくる場所がなくなってしまう危険性が大きくなったのだ。そこでサドルは今必死になって作戦変更。イラク軍にたいしてもマフディと戦わないでくれと嘆願書まで送り出す始末。(無論そこはアラビア、嘆願書でも勇ましい書き方をしてはいるが、切羽詰まった感情は隠しきれない。)
アメリカ軍の概算ではナジャフに集まった群衆の数は5千から7千、サドルが期待していた何万という数にはおよそほど遠い数となった。しかもサドルがデモ行進を率先して対アメリカ抵抗を呼びかけたというのならばともかく、自分は安全なイランに隠れたままで書面だけの呼びかけなどその弱体さを暴露したようなものである。
このデモ行進の規模の小ささとサドルの臆病な態度がイラクの民兵らの士気に響かないはずがない。しかもイラク・アメリカ連合軍はマフディ軍退治の大規模な最終攻撃に備えてちゃくちゃくと準備を進めている。
サドルよ、お前の最後も近い。
アップデート: ロイターの記事によると アメリカ軍の空からの偵察写真によると参加者の数は約15000人とある。地上にいた記者の概算では数万とあるが、地上では正確な数字はつかみにくい。唯一つ正確な測定ができるのは航空写真のみなので、私はアメリカ軍の測定を信用する。


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人質はどう振舞うべきか その2

アメリカ海軍の新聞、ネイビータイムスに今回のイギリス兵と同じような状況で拘束されたアメリカ兵らの話が載っている。同じ海域で任務にあたっているアメリカ海軍としては、今回の事件は全く他人事ではない。個人的には私の同僚のおじさんが今あのあたりの軍艦で勤務中ということもある。
さて先ず気になるのはアメリカ海軍の兵士らがイギリス兵のような状況におかれた時、アメリカ兵はどのように行動することが期待されているのだろうか?ということだ。今回のイギリス海軍の反応から言って英兵らの行動はROE(戦闘規制)に乗っ取ったものであったようなので、ここでアメリカ軍のROEを確かめておこう。

4月5日のCNNのインタビューにおいて、マイク・ミュラン大将海軍総司令官は、解りやすくいえばアメリカ海軍兵はこのような状況を防ぐことを期待すると語った。

「私の期待としては、アメリカの水兵たちはこのような状況において拘束されることは絶対にないということです。」と語った。「個人や隊は自己防衛の権利に添って行動すべきであり、自分達を守るために上からの許可を待つ必要はありません。このような作戦や任務につく場合、そういう考えで出動しています。」
水兵らが拘束された場合には、アメリカ兵士として、基礎訓練キャンプで教え込まれた6つ「行動の規律」を守ることが期待されていると大将は付け加えた。 兵士は自分の名前のほかにはほとんど情報を与えず、その他の質問には「非常に限られた範囲で答えること」だと大将は語った。

ホッ! ではアメリカ軍はイギリス軍が明かに時代送れと考えている、「名前、生年月日、出席番号」以外は言うなというモットーを貫き通しているわけだ。よかった〜。
さて、ここで先のイギリス兵15人とほぼ同じ状況で捕われたアメリカ兵たちの話をしよう。まず最初の事件は1969年に北朝鮮にだ捕された偵察線プエブロの乗組員たちが11か月ほど拘留された事件。乗組員たちはその間しょっちゅう殴るけるの乱暴を受けた。彼等も今回のイギリス兵と同じようにプロパガンダの写真撮影をされたが、みんなでピースサインならぬバードサイン(中指を突き付ける侮辱のサイン)をしてにっこり撮影に応じたという。これがタイムマガジンに掲載されジェスチャーの意味が説明されてしまい、兵士らはまたまたひどい拷問にあったという。(ありがとう!タイムマガジン!)
そのうちの一人、ラルフ・マクリントックさんは「行動の規律」を自分なりに状況に当てはめて解釈しながら行動したという。
2001年4月、中国近郊の航空で中国戦闘機に無理矢理着陸をさせられた米海軍偵察飛行機PC3の乗り組み員24人が捕らえられ11日間拘束された事件では、状況が非常に似ているだけに米海軍兵と英海軍兵の行動の違いは対象的である。
そのうちのシェーン・オズボーン元海軍少尉は当初から乗組員全員で力の限り抵抗しようと決心。イギリス兵が解放された時点ではまだまだ抵抗力は残っていたという。
拘束10日目にして、オズボーン少尉は中国の空域を侵したと認める声明文を書けばその日のうちに解放してやると言われたが、「謝罪より自分が白髪頭の年寄りになる方が先だ」と部下たちに告げ部下たちも全員賛成したという。
今回の人質ドラマをみていてオズボーン氏は「私は自分の部下たちをどれほど誇りに思ったかを思い出しました。私たちは名誉を保持したまま(中国を)去りました。」
まったく、爪のあかを煎じて、、、、、

アメリカ軍人たる行動の規律

I
自分は我々の生き方をそしてわが国を守る軍隊にて戦うアメリカ人である。自分はそのためなら命を捧げる用意がある。
II
自分は決して自分の意志で降伏しない。もし自分が司令官なら抵抗の余地があるうちは隊員を決して降伏させない。
III
もし自分が捕われたなら出来る限りの方法で抵抗を続ける。自分は脱走に力の限り努力し他者の脱走も援護する。自分は敵からの恩赦も特別扱いも受け入れない。
IV
もし自分が捕虜になったなら同僚の捕虜とともに信心を守り続ける。自分はどのような情報も敵に与えず同胞を害するような行動には加担しない。自分が上官なら指揮をとる。そうでなければ任命された上の者の合法な命令に忠実に従う。
V
捕虜となり尋問された時は自分は名前、位、サービス番号、生年月日を提供する義務がある。それ以上の質問には最大限、力の限り答えるのを避ける。自分は口頭であれ筆記であれわが国を裏切り同盟国を傷付け、その努力を傷つけるような発言はしない。
VI
自分は自由の為に戦うアメリカ人であることを決して忘れない。自分が自分の行動に責任を持つこと、そしてわが国を自由にした信念に敬虔であることを決して忘れない。自分は神とアメリカ合衆国を信頼する。


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人質はどう振舞うべきか

アメリカやオーストラリアでは同じ文化を受け継ぐものとして、今回のイギリス兵捕虜の無様な姿には少なからずショックを受けている。戦時中捕虜になった軍人や民間人はアメリカには多くいるので、彼等は決して何の経験もないのに口先だけでイギリス兵を批判しているわけではない。そこで今日は人質としてとらわれの身となったアメリカ人の例をいくつかあげて、彼等がどのように人間としての威厳を守りとおしたか考えてみたい。
1975年イランはテヘランにあるアメリカ大使館が当時大学生だった現在の大統領アハマディネジャドを含む過激派学生たちによって襲撃された。当時の襲撃で何人かが殺された後、外交官や職員といった民間人と軍人を含む53人が444日間イラン政府に拘束された。
下記はパワーラインを参考にした:

人質たちは目隠しをされ後ろ手に縛られ独房に入れられた。彼等は「自白状」に署名をしろといわれ拒絶すれば殴られ、食事を拒否され、偽処刑を何度も体験した。
ジョン・リンバートさんはペルシャ語の堪能な外交官だった。彼はテヘランから200マイルほどの場所で独房に入れられており、ほかの人質がどうなったのか全く分からなかった。ある時英語を教えていたイラン看守がこれはどういう意味かとリンバートさんに聞いてきたいくつかの言葉をみてみると、、「ぼろ布頭」「ぼけなす」「*母を犯す物*」「おカマ野郎」といった言葉が並んでいたという。リンバートさんは大笑い。どこか近くにアメリカ海兵隊員が自分と同じように耐えているのだと思うと心があたたまる思いだったとリンバートさんは後に語っている。
マイク・ホーランドさんはペルシャ語堪能な警備員だった。彼は素っ裸で歩き回って看守を常に侮辱した。また救援がくると信じたホーランドさんは看守の銃に細工をしたりした。
マイケル・メトリンコさんは、平和隊でボランティア活動をしたこともあるタフな外交官。ペルシャ文化に精通していた知識をつかってメトリンコさんは何かと看守や尋問者に議論を吹っかけ精神的な抵抗をし続けた。イラン人にしか分からないような腹立たしい罵倒をするのでその度に殴られた。一度は自分のイラン人の友達が尋問を受けている最中に尋問者にけんかをふっかけ友達のかわりに殴られたりした。この抵抗精神は最後まで変わらず解放される日に輸送バスの中で兵士の母親の悪口をいってバスから引きすりおろされあやうく解放されないところだった。しかし土壇場でイラン高官が間にはいりメトリンコさんはドイツ行きの飛行機にのることができた。メトリンコさんはイランを愛するが故、過激派独裁者が許せなかったという。

下記はIMAOに寄せられた同じくイランのアメリカ大使館で人質となった海兵隊員の話を要約した。

大使館を警備していた海兵隊は1000:1で圧倒的に劣勢だった。しかし隊員たちは秘密書類や重要な器具を破壊するため12時間部屋に立て籠った。
最初に連行された時隊員たちはアメリカのイラン政策を批難する声明文に署名をさせられたが、皆「ミッキーマウス」とか海兵隊英雄の「チェスティー・プラー」「ダン・デイリー」などという名前で署名した。
イラン側はプロパガンダとして隊員たちを何度もフィルムに撮ったが、著者は常にほかの人質の影に隠れて顔を隠していたいため、そのうちアメリカでは彼は行方不明ということになってしまったという。他の隊員は裸になったり顔にケチャップをつけたりして撮影を妨害したという。
解放の前日、著者らは再び尋問され、いわれた通りの宣言をしないなら解放されないとおどかされたが、隊員たちは黙ったままだったり、海兵隊の歌や聖歌を歌ったりして全く協力しなかった。
「解放の日、おれは飛行機に向かって二匹の猿たちに連行された。おれは奴らの手から腕を振払ってアメリカはナンバー1だ!と指を立ててやった。間違った指だけど、、、」
隊員らは殴る蹴るはもちろんのこと偽処刑などの精神的拷問を何度も受けた。「おまけにアムネスティーインターナショナルのバカが時々おれたちがどれだけ人道的に扱われているか世界に知らせるためにやってきた」と著者。しかしそのようなひどい目に遭いながら、隊員たちは一人もくじけず抵抗を続けた。(ただひとり陸軍兵が最初からイラン側に協力し人質たちからは村八分になったという)
「おれたちは抵抗した、なぜならおれたちは一番に海兵隊員だからだ!おれたちはおれたちに勇気を与えてくれたアメリカに名誉と忠誠を誓うからだ。自分らの名を、隊の名を、国の名を汚すくらいなら死んだ方がましだ。
センパーファイ!(Semper Fi)」

まったくこの人たちの爪のあかでも煎じてあの15人に飲ませてやりたいね。
ハッピーイースター!


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いよいよ大詰め? アルカエダイラクが崩壊する時

最近アルカエダによるスンニ種族への攻撃は過激になってきている。すでに塩素ガスを使った攻撃は今年にはいって9件にもなる

2007.04.07
Web posted at: 16:01 JST
– CNN/AP

バグダッド——イラク警察によると、同国中部ラマディ近くで6日、爆薬や塩素ガスを積んだトラックによる自爆攻撃があり、少なくとも27人が死亡した。塩素ガスを用いたテロは今年1月以降に表面化した新たな手口で、これで9件目。
ラマディがあるアンバール州ではイスラム教スンニ派部族が、国際テロ組織アルカイダ系の外国人戦闘員の追放で政府系勢力を足並みをそろえる動きが出ており、6日のテロはこれに反発した犯行ともみられる。
現場はラマディ市から西部へ約4.8キロ離れた警察の検問所。トラックが高速で突っ込んできたため警官が発砲したものの爆発した。付近の建物も損壊するなどの被害を受けた。
呼吸困難など訴える住民が入院した。負傷者の詳しい数は不明。ラマディはスンニ派武装勢力の拠点ともなっている。

アルカエダによる元同胞への攻撃は自殺行為としかいいようがない。いくら自爆作戦が得意なアルカエダとはいえこれは完全に非生産的なやり方である。そのあまりのひどさに、スンニ派たちは次々にアルカエダに反旗を翻し、一時は敵として戦っていたアメリカ軍やイラク軍に協力する姿勢すら見せ始めている。

2007.04.07
Web posted at: 17:12 JST
– CNN/AP

バグダッド——イラクで昨年10月に結成されたとするイスラム教スンニ派武装組織の結集団体「イラク・イスラム国家」に属する「イラク・イスラム軍」は5日、イスラム系ウェブサイトに声明を載せ、国際テロ組織アルカイダを非難した。
同イスラム国家は、アルカイダ系のイラク・アルカイダ機構の指導者のきも入りで誕生したもので、団体内の対立を物語る動きとして注目される。
イラク中部アンバール州などでは、イスラム教スンニ派部族がアルカイダ系の外国人戦闘員の追放で政府系勢力と足並みをそろえる動きを見せており、これへの報復ともみられる攻撃も生まれている。
「イラク・イスラム軍」は声明で、「アルカイダは、同組織に忠誠を示さないイスラム軍などスンニ派武装勢力の戦闘員を殺害している」と非難。アルカイダはスンニ派の富裕層も標的にしており、「金を払わなければ殺害される」と主張している。
また、アルカイダを批判、もしくは路線の誤りを指摘する人物は殺されていると述べている。

毒ガス攻撃や自爆テロを「良いニュース」というのも変な言い方ではあるが、これは実際我々にとっては良いニュースなのである。なぜならアルカエダはイラク抵抗軍としての表看板を完全にあきらめたことを意味するからだ。
一般的にアルカエダはスンニと協力することでイラクを侵略者アメリカから守る「抵抗軍」だという表向きの正当性を主張してきた。しかし地元イラク人を殺しまくりスンニ派にまで愛想をつかされたのでは、アルカエダなどイラクの平和を乱す単なる外国人武装勢力、つまりテロリスト、に過ぎない。イラク人のアルカエダに対する憎悪は一部のイラク人がアメリカに持っているものなどとは比べ物にならないほど深い。イラク住民のすべてが家族や知り合いの誰かをアルカエダの暴力で失っているのだ。
ということは今後どんなことがあってもイラクがアルカエダの温床となることはあり得ない。アルカエダが地元イラク人の擁護を得ることは完全に不可能となったからだ。また今回の事件でイラク警察の活躍も無視できない。27人のイラク人を殺した毒ガス入り爆弾は関門でイラク警察が発表した際に起爆された。もしイラク警察にとめられずに貫通していたならば何百という被害者がでていたことだろう。
一方南部のシーア民兵は、、、
良いニュースといえば、同盟軍はマフディ軍も順調に噛み砕いている。昨日などは空爆を使っての猛攻撃だった。モクタダ・サドルが戻って来ようとしても彼のマフディ軍は元の面影など全くないものになっているだろう。マフディ軍のないサドルなんて、クリームのはいってないコーヒーと同じよ。政治的に全く意味のない存在となる。
また、昨日イギリス兵4人が戦死したバスラの攻撃でも解るようにマフディ軍はイラク南部へと勢力を集中させている。ところでイギリス兵4人を殺したのはEFP(explosively formed penetrator)と呼ばれる強力な武器でこれまでイラク内ではあまり見られなかった武器だが、最近イラク南部でよくみられるようになった。明らかにイランからの贈り物である。
さてそれでは現在にイラク状況をまとめてみよう。

  • イラクのアルカエダは元同胞のスンニ種族らを恐れるあまり、アメリカ軍や他のイラク人への攻撃を中断し、スンニを標的に攻撃を集中させている。
  • 一方シーア民兵は首都のバグダッドを追われ南部に追い込まれている。しかし避難した南部でも同盟軍の攻撃でどんどん勢力を失っている。
  • そしてイランはイギリス人への贈り物としてイギリス兵がパトロールを中断した海峡を使ってイラクシーア派へEFPなどの武器を供給してイギリス兵を殺している。

こうして見るとイラクの戦況はまずまずといったところだ。しかしイランからのシーア民兵への武器供給は深刻な問題だ。イギリスが人質事件騒ぎで臨検を中断しているというのも心配のひとつ。この機に乗じてイランはどんどんイラクへ武器を運び込むだろう。イギリスが海域を警備できないのであればアメリカがやるしかないが、恥さらしの臆病者15人が無事にかえってきてもその結果が勇敢にイラクで戦う別のイギリス兵を殺すことになるのでは話が逆ではないか? 早くイギリス政府はそれに気付いて海上警備を再会してもらいたい。


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英元海軍兵、帰還人質15人は恥さらしと批判

アップデートあり! エントリーの後部参照。
帰還したイギリス兵たちのいいわけがましい記者会見が続く中、アメリカの軍人らによる15人の臆病者行為の批判は高まっている。
「抵抗は論外だった」とクリス・エア大尉は語り「抵抗していたなら我々の多くはこうして今日ここに立っていないでしょう。」と続けた。これに対してアメリカのジャック・ジェイコブ大佐(退役)はテレビのインタビューで「イギリス軍の先輩たちが第二次世界大戦でこいつらのような態度をとっていたら、このぼけなすは今日ここに立っていなかっただろう。」というような発言をした。さすがアメリカ軍人、歯に衣を着せない。
しかしカウボーイのアメリカ軍人が批判するのは当たり前だが、イギリス本土では彼等に対する批判は全くないのだろうかと私はちょっと疑問に思っていた。
それでこの元イギリス海軍兵でイラクで拉致された経験もあるトビー・ハーンデン記者のこの記事は興味深い。

私はいま女王陛下の皇立海軍の隊員がマクムド・アハマディネジャドを「サー」と呼び彼と彼の同胞の水兵と海兵隊員は「あなたのお許しに感謝します。」とへつらう映像を観た。
恥かしいかって?当たり前だ。私は1990年代に15人の人質が勤務するHMSコーンウェル艦で勤務していた。だからこの件についてはちょっとは分かるつもりだ。また私はズィンバブエでしばらく拘束されていたこともあるし、イラクの反乱分子から尋問を受けた体験もある。だから自分の意志に反して拘束されるということについてちょっとした内部の知識もあるつもりだ。
この15人はやたらにカメラに映りたがってると感じるのは私だけだろうか?もちろん捕虜は言われた通りのことをするしかない。自分の命が危機にさらされているときは相手の要求をすべて飲むのは良識というものだろう。
だがこの水兵らや海兵隊員らは最初から処刑されたり傷つけられたりすることはないと解っていたはずだ。もし彼等がそれを知らなかったとしたら、シャトアルアラブ水域で勤務する船舶臨検隊員らへのブリーフィングは非常にお粗末なものだったということになる。
ちょっとおびえたふうにモノトーンで話していたフェイ・ターニー水兵(女性)を除き、のこりの水兵や海兵隊員の落ち着いた態度から言ってイラン側から良く扱われていたことを示している。では彼等がイラン水域を「侵犯」していたとそう積極的に認めてイラン側に協力する必要があったのだろうか?
我々はみな人質ビデオをみたことがある。人質には拉致者に迎合せずに振舞うやり方というものがある。湾岸戦争で撃ち落とされた英国竜巻き号のパイロットを覚えているだろうか? また2003年のアパッチ号のパイロットは?
釈放寸前に水兵と海兵隊員が熱心にアハマネディネジャドと握手をしている姿をみて、私はこれらの兵士らがこういう場合にどう振舞うべきなのか全く知らされていなかったのだと確信する。
私は別に大統領の目をつっつくべきだったと言っているのではない。だが自分らに対してひどいことを行った扇動政治家に熱心に対してこれほどまでに明らかさまに心から感謝している姿をみせるのはやり過ぎだ。拘束から解放されるのは常にうれしいことだ。私はズィンバブエでのことをよく覚えている。しかし彼等はテヘランのカメラに向かって手を振ったりニヤニヤ笑たりする必要があったのか?
私のオーストラリア人の同僚が私の事務所の前を通りすぎてくすっと笑って私に聞いた。「英国人が誇る固い上唇はどうなったんだ?」(stiff upper lip, 逆境に負けない強い精神)
もうひとつの疑問は15人が一発も発砲せずに捕われたという事実だ。英国のあの地域での戦闘規制は相手から発砲されない限り撃ってはいけないということになっている。
水兵と海兵隊員はどの時点で抵抗しなければ拘束されると判断したのだろうか?アメリカ兵がこのような状況で拉致されるということは先ず考えられない。無論イラン兵を殺すことは15人の死を招くか、すくなくとも国際紛争に発展しかねないという議論は理解できる。
場合によっては発砲を自制することは重大である。私が英国軍兵としてイラクに居た時、兵士らがその場の状況を正しく判断して懸命にも引き金を引かなかったことがあった。
しかしアメリカ兵が引き金をやたらに引きたがるカウボーイであるのと同時にイギリス兵は反対の問題を抱えているのではないか?2003年の6月に赤帽(英国憲兵)がイラクのMajir-al-Kabirで一発も発砲せず銃を降ろしてから殺された事件があったように。
私の英海軍での経験からいって、私は15人はこのような状況に対応できる十分な訓練や準備を受けていなかったのだと思う。明らかに将来このことは改正されなければならない。しかしここで問われなければならないことは15人のなかにいた2人の将校は適切な指揮をとったのだろうかということだ。
… イギリス兵が今回教訓として学ぶことは今後このような状態の時イギリス兵はどうふるまうべきなのか訓練をし直す必要があるということだ。

残念ながらハーンデン記者の意見は少数派らしい。今日ヒューヒューイットのラジオ番組を聞いていたら、イギリスのアンドリュー・ロバーツという歴史家とのインタビューでイギリス市民でイギリス兵たちがもっと強行な手段をとるべきだったとアンケートに答えたのはほんの30%程度だという話をしていた。

HH:いったいジョン・ブルはどうしちゃったんです?僕が読んだどのイギリスの歴史書でもこんな挑発があればダンスホールで歌がはじまり灯火をもった行進が始まったとあります。

AR: 残念ながら私にもわが国に何が起きたのか解りません。 私にはショックです、そしてこれだけ多くのひとが、、、私たちは首を傾げているんですが、過去の政府ならこんな明らかな暴挙にたいして必ずしたであろう対応をしたいと答えた人がたったの6%なんですから。
HH: その世論調査を信じますか?きちんと質問したんでしょうか?
AR: いえ、していません。さらに24%の人たちが政府はもっと強行な手段を考えるべきだと答えています。ですから強行手段をとるべきだという6%ともう少し強硬な手段をとるべきだと答えた人をあわせればすくなくとも30%になりますが、これは対テロ戦争を支持しているひとたちとほぼ同じ割合の数になります。

本当に偉大なる英国はどうなってしまったのだろうか? チャーチルやサッチャー首相のイギリスはもう戻ってこないのだろうか? 悲しい限りである。
アップデート: このような事件の再発を防ぐためイギリス海軍は船舶臨検方法の見直しを考えているというが、その間船舶臨検は一時中止すると発表した。先日イラクのバスラ地域でイギリス兵4人を殺害したRFPはイランからイラクへ渡った武器だったのだということをイギリスには忘れて欲しくないもんだ。臨検を怠ってもっと多くの武器がイラクへ渡れば15人程度ではイギリスの犠牲はおさまらない可能性を忘れて欲しくない。

ロンドン(CNN)2007.04.06 ペルシャ湾で船舶荷物の検査に当たっていた英水兵、海兵隊員15人がイラン軍に拘束、約2週間ぶりに5日に解放された問題で、英国防省筋は6日、事件の詳しい経緯の調査を開始、同時に同湾での臨検を中断することを決めた、と述べた。

臨検作業は、イラン核問題に絡む国連安保理の制裁決議やイラク政府の要請で実施されていた。
英海軍首脳は、拘束された水兵らの交戦規定への順守や必要とされる装備品の有無、受け取っていた関連情報の真偽などを調べると述べた。事件でイラン側は、拘束水兵の画像を放映、イラン水域侵犯を認めたなどと主張していたが、これらの発言が「強要の圧力」の結果ではなかったのかも調べるとしている。


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恥さらし米下院議長ペロシ女史の中東訪問

アメリカでは政権及び大統領に任命された外交官以外の人間が国の代表として外交するのは違法である。一個人が親善の形で他国を訪れるのはかまわないがアメリカの外交政策について他国の勢力者と直接交渉するのは禁じられている。
だがこの法律は結構しょっちゅうやぶられており、やぶった人間が法的に裁かれるということは先ずない。クリントン政権中に元大統領のカーター氏が独断で北朝鮮と交渉を行って時のクリントン政権に大恥をかかせたことなどはその典型だ。(おかげで北朝鮮の核兵器開発をアメリカは指をくわえて見守る形となってしまった。)
今回の米下院ペロシ議長の中東訪問も国の外交官としての正式に任命を受けたわけでもないのに、ペロシ女史は国務長官のライス女史を差し置いてのこのこでかけていって大恥をさらしている。主流メディアのなかでも比較的民主党寄りのワシントンポストですらも、国会議員が外交をしてはいけない典型などと言ってペロシ女史の軽々しい行為を批判している。
イギリス兵返還のニュースと共にニュース映像を埋め尽くしたのがシリアを訪れた下院議会議長のペロシ女史の醜いスカーフ姿。私は別にペロシ女史がブスだと言っているのではない。イスラム教女性の衣装であるヒジャブと言われるこのスカーフをまとい、化粧なしのすっぴん顔で聖廟を訪れるという行為そのものが醜いと言っているのだ。女史は自分がどれだけアメリカ代表としてシリアにコケにされたのか全く分かってない。女史がアメリカ国内でいつも自慢げに着ている真っ赤なデザイナースーツやどぎついほどの真っ赤な口紅をつけミニスカートにハイヒール姿ででも登場してくれたならまだいい。それがすっぴんにヒジャブ? 冗談じゃない!
ジャーナリストなどの一介の市民と違い、ペロシ議長はアメリカの都合はどうあれアメリカの顔として世界のメディアは報道しているのだ。そのアメリカの顔が独裁国シリアの女性蔑視の屈辱的な慣習に従うということはアメリカは独裁者アサドよりも下位にあると表現したようなものである。シンボル的な力関係が多いに影響を及ぼす中東外交でこのような行動は愚かとしか言い様がない。

ナンシー・ペロシの愚かなシャトルバス外交(ワシントンポスト)

Thursday, April 5, 2007
下院のナンシー・ペロシ議長(民主、カリフォルニア州代表)は昨日なぜ国会議員が国務長官の代理外交をやってはいけないのかという典型的な例を披露してくれた。ダマスカスでシリアの独裁者バシャー・アルアサドに会見した後、ペロシ女史はイスラエルのエクド・オルメルト首相からの「イスラエルは和平交渉をする用意がある」というメッセージを伝えたと発表した。さらに女史はアサド大統領も「平和行程を進める意志がある」と付け加えた。この外交的成果を発表した後、ペロシ女史はキッシンジャー式シャトルバス外交はまだ始まったばかりだとほのめかした。「私たちは私たちの良いオフィスを通じてイスラエルとシリアの仲を取り持っていきたいと思います。」と女史。
しかしここにひとつ問題がある。イスラエルの首相はペロシ女史にそのような伝言を頼んでいないのである。「合衆国議会議長に伝えた内容のなかにイスラエルの方針を変えるものは一切含まれていない。」と首相側は慌てて声明を発表した。事実オルメルト氏はペロシ女史に「最近ダマスカスを訪れた何人もの上院下院議員が受けた印象はバシャー・アサドの公式発表とは裏腹にかの国のイスラエルとの和平について方針は変わっていないというものだ。」と語っている。つまりペロシ女史はイスラエルの立場をわい曲しただけでなく、たった一人アサドの言葉がプロパガンダであることを見抜けなかったのだ。

ブッシュ政権はシリアとの正式な外交は差しとめている時であり、下院議長のダマスカス訪問はシリアに錯誤したメッセージを与えるものだと批判している。その批判に対してペロシ女史は大統領の正式許可をもたずに共和党下院議員がダマスカスを訪れたこともあると抗議した。しかしそれらの議員たちは中東問題に首をつっこむようなことはしなかった。「私たちは友情と希望そしてダマスカスへの道は平和への道という信念で来たのです。」とすっかり外交官気分のペロシ議長。これだけから度素人は始末が悪い。
ワシントンポストはペロシ議長の今回の中東訪問といい、議会が大統領の軍総司令官としての大統領の意志と完全に矛盾する政策を無理矢理おしすすめようとする議案の数々についても強い批判をしている。ポストはなんとペロシ女史は大統領に取って代わって影の政権を作ろうとしているとし、そのような行為は愚かであるとさえ指摘している。民主党寄りの新聞にここまで言わせてしまうナンシー・ペロシ下院議長。
戦争中に戦費予算削減を訴えて最近下がっている民主党の株が議長の愚かなシャトルバス外交によってまたぐっと下がってしまった。


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イランが米兵でなく英兵を拉致した理由

私や多くのアメリカ人はアメリカ兵なら今回拉致されて昨日解放された15人のイギリス兵のように簡単には人質になったりしなかっただろうと考えていた。無論これは身内のひいき目もあるかもしれないが、どうやらそう判断したのはアメリカ人だけではなかったらしい。実はイランも本当はアメリカ兵を拉致したいと思っていた。いや思っていただけでなく実際に彼等は少なくとも2度ほどアメリカ兵拉致を試みていたのであるがどちらも失敗に終わっていたのである。一度はイラン兵が殺されて終わり、二度目はアメリカ兵が5人殺されるという悲劇となった。
一つ目の事件はあまり大げさには報道されなかったが去年9月イラン・イラクの国境付近で起きた出来事である。
陸軍が公開した情報によると、イラク軍に同伴していたアメリカ陸軍82空挺師団73騎兵連隊第5中隊(the 5th Squadron 73rd Cavalry 82nd Airborne) の兵士らがバグダッドから約76マイルはなれたイランとの国境ぞいで常時パトロールに当たっていたときのことだ。兵士らはイラク側からイランへと撤退していく二人のイラン兵を目撃した。そのすぐ後今度は三人目の兵士に遭遇した。アメリカ兵並びにイラク兵がイラン将校に近付き業務質問をはじめると突然部隊はどこからともなく現れたイラン兵の部隊に高台から囲まれてしまった。
イラン軍のキャプテンはアメリカ・イラク兵らが逃げようとすれば射つと警告した。いらん兵らによる拉致を恐れたアメリカ兵らは即行動を開始し撃ち合いが始まった。イラン兵らは最初ピストルや小銃で応戦したが、そのうちロケット弾を発砲。アメリカ兵らはよりイラク内部に後退した。その間4人のイラク兵と通訳1人国境警備員1人がイラン軍側に取り残された。
しかし結果的にアメリカ兵らに死傷者は出ず、少なくともイラン兵が1人殺されて事件は終わった。
二つ目の事件はこのブログでも取り上げたが、今年1月のこの事件

イラクの軍施設襲撃事件、米当局がイランの関与を調査

バグダッド(CNNー2007.01.31) イラク中部カルバラで1月20日、米軍とイラク治安部隊の共同施設が武装勢力に襲撃され、米兵5人が死亡した事件で、米国防総省は容疑者がイラン人か、イランで訓練を受けた活動家であるとみて調査を進めている。米当局者が30日、CNNに語った。
犯行グループは米軍風の制服で変装し、米軍で使用されている種類の車に乗り、英語を話すなど、用意周到だった。米軍は当初、死亡した米兵らが武装勢力に抵抗していたと説明していたが、後日犯行グループが検問所を難なく通過したうえ、米兵らを施設から連れ出し殺害したことを認めた。こうした手口は、武装勢力や外国人過激派には見られないという

私は最初にこのニュースを聞いた時、私にはこの事件は非常に不思議だった。それというのもイラン兵は4人の兵士を拉致する際、施設内で抵抗した米兵1人を射殺しているが、彼等はイラク内の武装勢力や外国人テロリストがよくやるような残虐な拷問や死体冒涜などをした形跡はなく、残りの米兵4人はただ射殺されていたからである。最初から単に殺すのが目的ならその場で5人とも殺してしまえば話は早い。なぜわざわざ4人を外へ連れ出したのだろう?
今考えてみれば、これは米兵拉致作戦未遂事件だったのだと私は思う。米兵らは多分拉致者のイラン兵が手に負えないほど抵抗をしたのだろう。だからイラン兵らはイランまで安全に米兵らを送還することは不可能だと判断したのではないだろうか?だからせっかく拉致した米兵らをみすみす殺すはめになってしまった。
イラク駐留の米兵は口を揃えて、イラクで彼等が戦っている敵はジェニーバ条約など聞いたこともないような野蛮人で、こんなのに捕まったら地獄の苦しみを味あわされて惨殺された上遺体がさらし者になるのは必定。そんな目に合うくらいなら死んだ方がまし、なるべく多くの敵を道ずれに死んでやるという。テロリストに捕われて生きてかえってきた米兵はいないのだから当たり前だ。
しかしイラン側はこの二つの作戦失敗により、アメリカ兵を拉致するのは不可能、もしくは少なくともかなり難儀。なにしろアメリカ人はそう易々とは捕まらないし、捕まえようとするとこちらの被害もかなり考えなければならない、、、と考えたのではないだろうか? アメリカ兵の拉致は不可能となると、抵抗しない戦闘規制が厳しいイギリス海軍を狙おうということになったのではないかな?
今日はアメリカのミルブログ(アメリカの現役及び退役軍人が経営しているブログ)の数カ所でアメリカ国防庁の軍人としての規律が掲載された。

I

自分は我々の生き方をそしてわが国を守る軍隊にて戦うアメリカ人である。自分はそのためなら命を捧げる用意がある。
II
自分は決して自分の意志で降伏しない。もし自分が司令官なら抵抗の余地があるうちは隊員を決して降伏させない。
III
もし自分が捕われたなら出来る限りの方法で抵抗を続ける。自分は脱走に力の限り努力し他者の脱走も援護する。自分は敵からの恩赦も特別扱いも受け入れない。
IV
もし自分が捕虜になったなら同僚の捕虜とともに信心を守り続ける。自分はどのような情報も敵に与えず同胞を害するような行動には加担しない。自分が上官なら指揮をとる。そうでなければ任命された上の者の合法な命令に忠実に従う。
V
捕虜となり尋問された時は自分は名前、位、サービス番号、生年月日以外を低雇用する義務がある。それ以上の質問には最大限、力の限り答えるのを避ける。自分は口頭であれ筆記であれわが国を裏切り同盟国を傷付け、その努力を傷つけるような発言はしない。
VI
自分は自由の為に戦うアメリカ人であることを決して忘れない。自分が自分の行動に責任を持つこと、そしてわが国を自由にした信念に敬虔であることを決して忘れない。自分は神とアメリカ合衆国を信頼する。

イギリス軍隊にも同じような規律があったはずだ。しかし観光客気分で新品のスーツを着させてもらいお土産までもらってニコニコ顔で帰ってきたイギリス水兵と海兵隊員たちを見る限り、そんな規則が存在するとはかなり疑わしい。


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