先日空飛ぶイマーム達に訴えられている乗客を救う会を結成したアリゾナ住まいのイスラム教徒医師、ジャシャール医師(Dr. Zuhdi Jasser)を紹介したが、今日のミネソタ州のスタートリビューン紙に彼の過激派イマームたちとの戦いの模様が掲載されている。著者はキャサリーン・カースティン。
911が起きた時、ジャシャール医師はイスラム教がテロリストに代表される過激派イスラミストらに乗っ取られるのを心から恐れた。2003年同じような考えのアリゾナ州在住のイスラム教徒らとthe American Islamic Forum for Democracy(アメリカイスラミック民主主義討論会)を結成。
「私たちは親イスラム教ですが、反イスラミストです。」と医師は語る。医師の言うイスラミストとは宗教と政権は切ってもきれない関係にあり、聖職者が政治のリーダーであるべきだというものだ。
ジャシャール医師はアリゾナ州では結構有名らしいが、全国的にはあまり知られていなかった。それがこの間の空飛ぶイマーム事件で同じイスラム教徒でありながらイマームたちの「差別された」という抗議に真っ向から反対する人として全国的に注目を浴びた。
「アメリカ人は宗教的な感覚を傷つけるのを恐れすぎています。我々イスラム教徒が率先して『これはお祈りの問題ではない、空港の警備の問題だ』と主張すべきなのです。」医師は自分は一日に4回きちんとお祈りをするし、家族と公園でピクニックをする時に外でお祈りを捧げることもあるという。だが、911以後空港警備は国内警備の門でありそこで他人の迷惑も考えずにこれまで通りお祈りをする権利があると考えるイスラム教徒は鈍感すぎると医師はいう。
イマームたちは自分達の席で静かに祈ることもできたし、家に帰ってからゆっくり祈ることもできたはず。医師は敬虔なイスラム教徒はなにも厳しい規則に従うだけが能ではないとし、「お祈りというのは自分の信心深さを世界に訴えるためのものではありません。個人と神との約束ごとです。」と加える。
実はジャシャール医師と空飛ぶイマーム達がぶつかったのは今回が初めてではない。6人組のひとりであるアクメッド・シャケイラット(Ahmed Shqeirat)氏が常時説教をしているテンプルイスラミックコミュニティーセンターという聖廟にジャシャール医師は昔よく通っていたのだそうだ。しかし911以後聖廟での説教がテロリストを糾弾するどころかアメリカが一方的に悪いといった内容であることに反感をもったという。医師は聖廟は宗教の場で政治の場ではないと抗議するとシャケイラットはジャシャール医師は世俗主義で信心が足りないと逆に批判したという。
ジャシャール医師は2004年に「イスラム教徒と立ち上がってテロリストと戦う会」という反テロリストデモ行進を主催した際にもイマーム達は参加を拒んだという。
アセアンさんは、聖職者でもない一介の市民がいくら声を大にして騒いでみても、所詮イスラム教徒への影響力などなく、イスラム教を生まれ変わらせる力になどならないと言う。だが私はそうは思わない。ジャシャール医師によると彼のような考えを持つイスラム教徒はたくさんいるという。

「私はこの国に住むイスラム教徒の多くの人々の意見を代表していると思います。」とジャシャール。「彼等はテロリスト擁護や政治的な説教には腹をたてています。大多数のひとたちが精神的な方針と政治的な方針とを区別したいと考えているのです。」

アメリカに住む大多数のイスラム教徒がジャシャール医師のような考え方だというのはちょっと信じがたいのだが、それが本当なら歓迎すべきニュースである。しかしジャシャール医師の政教分離の考えはイスラム教にとっても決して異邦な考えではない。それどころかイラクでも最も尊敬されている偉大なるアヤトラ・シスタニ師も聖職者は政治家になるべきではないという考えを明らかにしている。だとすれば21世紀のイスラム教徒たちはイスラム教を国教として政教を同一視しているイランのような国こそが、イスラムを誤って解釈しているのだと主張することができるわけだ。ジャシャール医師のような21世紀のイスラム教徒はイスラム教が何かあるごとに原点に戻るという概念を逆手にとって、「政教分離こそがイスラムの原理だ」と主張すればいいのである。
聖戦とは個人の精神的な葛藤を意味する、異教徒の身体を殺さずとも、イスラムの教えに従わない異境徒は精神的な死を体験する、と解釈していけばイスラム教を裏切らずに21世紀の宗教に生まれ変わらせることができるのだ。
私はタルムードを読んだことがあるわけではないのでこれはミスター苺からの受け売りだが、ユダヤ教にも昔の教えには色々とおかしなものがあるという。だが、タルムードの便利なところはユダヤの昔の教えはその時代に合ったものであって、現代社会にはあてはまらないという説明が事細かにされている点だというのである。
キリスト教もカトリック教会が政治を征服している時代があったが、マーティン・ルターなどのような人々が「協会は聖書を間違って解釈している」と唱えはじめ、キリスト教は原点に戻る必要があると考えはじめた。これがキリスト教が新しい時代の宗教として生まれ変わる発端となった。
彼等のいう「原点に返る」という概念が文字どおりモハメッド時代の考えに戻るという意味でなくてもいいのだ。単に現代の信者たちが「本来こうあるべきだ」と納得することさえできればいいのである。
国家単位でもトルコのように厳しいシャリア法を取り入れず、政教分離を実現させ、西洋のような民主主義ではないとはいえ、なんとか現代社会に参加している国もある。フセイン時代のイラクやシリアに占領される前のレバノンが世俗主義だったのは周知の事実だし、聖職者が政権を握っているイランでさえも、決して原理主義のイスラム教を政治に取り入れているとはいい難い。イランに長年すんでいた人からきいたことがあるが、イラン社会は案外世俗主義で女性はバーカなど着ないで西洋風の服で闊歩しているといっていた。
つまりこれらの国々では人々は口でなんといおうと本当は現実社会とシャリアの共存が不可能なことを知っているのである。だから私はイスラム諸国が現代化することは可能だと考えているのだ。ただ、彼等の多くが種族主義部族主義であることから、「仲間対よそもの」意識が先行し、イスラム教徒が異教徒と争っていると自動的にイスラム教徒の味方をしてしまうという悪癖が彼等にはある。
ジャシャール医師のような穏健派には厳しい試練がまっている。だが、彼のように誰かがはじめなければイスラム教は滅亡の道を歩む以外にない。我々非イスラム教徒は穏健派を応援し奨励することはできるが、終局的に滅亡を選ぶか現代化を選ぶかはイスラム教徒らにかかっているのである。


5 responses to 21世紀を目指す穏健派イスラム教徒の試練

asean12 years ago

おはようございます、カカシさん
>終局的に滅亡を選ぶか現代化を選ぶかはイスラム教徒らにかかっているのである。
 その通りなのです、ですから非イスラム側はイスラム側に対して何もしてはいけないのです。
 7世紀の呪縛から抜け出すして21世紀や更なる未来(それも現世でのですね)に対応して行くのか否かの選択は
イスラム側”だけ”の責任であって誰の責任でもありません。
 僕が常日頃「欧米側はイスラム教を無視すべきだ」というのも実はそういう意味でなんですよ。
 この手法が最も上手だったのはベーカーさんですね(現在ではフランスのサルコジがこれに近い手法です)。
 つまり、アジズが何を言おうがどうしようが発言の全てに対して「計算ミスだ!」としか対応しなかった。
 なぜなら、イスラム側は常に交渉なり声明の基礎としてのはいわゆる明確で客観的な”制度”でも何でもなく
宗教的な思想に基づいた観念法とでも言うべき解釈の幅の非常に広いある種の道徳律的なモノを基準としている。
 しかし、非イスラム側は”客観的な制度”としての自由・民主主義に基づいた客観的な行政運営法を基準としている。
 交渉の次元が違うのですから、簡単に言えば、その部分でどちらも歩み寄ること等出来る訳がないのです。
 米国の大都市の警官が法執行に当たる際の基本的な態度が実は最も対イスラム(異文化)としては妥当なのです。
 つまり、ある法律違反を犯した人間に対して例えそれが如何なる人種であろうが(その地域の)法律を犯したのだから
逮捕されなり罰則を受けるのが「言葉が通じない」等には関係なく等しく適応される。
(その逮捕等に不服がある場合は、正式に抗議すれば良いのですし、その道も開かれているはずです)
 イスラム側が何を言い出そうが、今現在、話題になっていることは宗教とは関係の無い現世での社会秩序を維持する
上での制度的な問題点なのだ!っとしてしまうことなのです。
 米国”国内”では非イスラム教徒がイスラム”穏健派”を支持するのは勝手ですが
世界のイスラム教徒からすると(特に中東イスラム諸国)、穏健派、原理主義派に関わらず
非イスラム教徒に支持されるイスラム教徒の存在は背教者にしか見えないでしょうから絶対に倒錯ではありません。
 最も効果があるのは欧米に移住したイスラム教徒の中から中東イスラム教徒が”うらやむ”大金持ちが出現することですよ
(ははは、これ程、穏健な思想を採用するならば非イスラム諸国でもイスラム教徒が大成功するのだ!
という具体的な事例はないですからね)
 相手の価値観を介入によって変更させる、それこそが侵略の何物でもないのですから、イスラム教の価値観を
どうするか?は非イスラム側がとやかく言うことではないのです。
 但し、前のコメントでも書いたように、米国”内”で実現しているからと言って同じ条件が米国”外”でも同様に
成立する等とは思わないことです。
 いわゆる保守派の方々にお願いしたいのは、皆さんが話題にしているのは制度的な問題なのかそれとも
価値観的な問題なのかを明確にしてもらいたい、と思いますね。
 この部分を明確にしないまま議論を展開しようとするから、根拠の曖昧な感情論に陥ってしまうでしょうし、その結果はイスラム原理主義過激派が望んでいる状況でもあるからです。
 因みにカカシさんが使用される”穏健派”という表現も原理主義者もイスラム教としての最終目標は同じですよ。
 単にその理想的なイスラム社会の実現に至るプロセスの手法が違うだけの話なのです。
 米国や欧州の中では自由・民主主義であるが故に逆に宗教をどのように扱っても良いのですが
(つまり、宗教が副次的な存在として扱っても良い)、世界にはその宗教をそのように扱っては駄目だ!と言う国家が
幾らでもあるのです。
 僕が常に言っているのはイスラム教をどうするか?はイスラム教徒の問題であって非イスラム側がとやかく言うことではない・・・故に非イスラム側は
そうしたモノを無視すべきだ!ということなのです。
 穏健派なるモノを非イスラム側は支持することでイスラム教が変化する・・・等と考えることこそ
イスラムに対する敬意も何も払わない思い上がりなんじゃないですか?
 敬意を払うが故に”イスラム教”には一切に介入しない姿勢が必要なのです。
 しかし、現世での国際社会の秩序(それが何か?っとなるとかなり厄介ですが、苦笑)を維持する為の
客観的な制度への挑戦は断じて許さない!という態度と意思は大事ですけどね。
 重犯罪は重犯罪であり、その犯罪を犯したモノには断固とした対応をその法律に基づいて執行する・・・・
それだけの話なんじゃないですか・・・はい。
 彼ら(イスラム側)の理屈に貴方方(非イスラム側)の精神的、道徳的な価値観で批判したり議論すること自体が
状況を複雑にしてしまうのです。

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scarecrowstrawberryfield12 years ago

アセアンさん
イスラム教の過激派がトラボラの山奥にこもってシャリア法でもなんでも行使してるぶんには我々が彼等を無視することはできますが、彼等がイスラムの名の下に西側諸国を襲ってきている限り、我々は単に無視すればいいという態度はもう取れないんですよ。
欧米のイスラム教移民に関してはアセアンさんのいう通りの方針をとるべきだと思います。業に入れば業に従えですから、異教徒だろうとなんだろうと地元の法律に従うべきなのは当たり前です。その点を欧州の多くの国々が完全に間違ったことが、今のひどい状態を招いたわけです。アメリカやオーストラリアは欧州のようなことになる前に問題解決に進んでいますけどね。
日本はアメリカの黒船に無理矢理国を開かれましたね。国際社会において自分達はイスラム教を信じてるんだから放っておいてくれ、という態度は通用しません。特にイスラム教の名のもとに諸外国の平穏を脅かすのであればね。
だから我々に黙って放っておけといっても無駄です。それは不可能です。だからこそイスラム諸国は即刻変化しなければならない。なぜなら西側諸国はイスラム教が穏健派になるのをのんびり待っている余裕なんかないからです。
カカシ

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asean12 years ago

どもどもカカシさん
 ですからね、僕が言ってるのは”イスラム教とその価値観”を無視しろ、
っと言ってるのであってイスラム”教徒”を無視しろ、とは言っていないんですよ。
 それにカカシさんご自身も仰ってるように、(欧)米国”国内”では通用しても~”国外”で
同様の条件が通用するとは限らないでしょ?
 ですが、現在の国際社会のメジャーを占める”制度”は自由・民主主義である訳ですから
国外(国際社会)でも同様にその制度”だけ”を適応するべきなのですが、そもそも国際社会の制度(ルール)は
自由・民主主義であるが故に、思想的、宗教的なモノと基本的には切り離されている・・・
つまり、中東イスラム諸国の多くのイスラム教徒が思うような宗教的影響を受けた制度では無いはずです。
 何度でも申し上げますが、イスラム教を変革するのはイスラム教徒自身の問題であって非イスラムの問題でも
責任でもありません。
 僕は、現在の現世に於ける国際社会の制度や慣習を非イスラム側が前面に押し出すことで
イスラム教の屁理屈を無視出来る、っと言ってるのです。
 例えば、イスラム側は自らの価値観からいわゆる国際法の存在やその遵守を尊重しません。
(極端な場合は、イスラム教の価値観が優先されるので敢えて欧米のそうした法律を知る必要さえ感じません)
 欧米の(国際)社会秩序を維持する法律の遵守に価値観を見出さない相手に
国際法の存在を説いた所で話は全く前に進まないのですから、ベーカーとパパブッシュが実施したように又
現ブッシュ大統領が実施したようにイスラム側が言うことは全て計算ミスだとして問答無用の攻撃を加えたのではありませんか?
 つまり、イスラム側のイスラム教的な理屈とでは文字通り
”問答無用”だ!
しかし、現在の国際社会の制度に基づいた理屈なら聞く耳も話し合う口も持とうじゃないか!っということです。
 イスラムの理屈では、全ての非イスラム的なモノが消滅して初めて理想的なイスラム社会が成立する
のですから原理主義テロ組織のテロ行為の原則は破壊の為の破壊であって、政権奪取を伺う為のゲリラ行為とは
根本的に違いますから、彼らの意識には”護るべき同胞”意識などは存在せず、アッラーの教えのみが
”護るべき存在”ですから、非戦闘員、戦闘員の区別もありません。
 欧米型の自由・民主主義又は博愛主義的な社会秩序維持概念は欧米の”中”だけで通用する話なのですから
その概念を無視する相手にそれを要求すること自体が筋違いなのです。
 つまり、現在の国際社会に参加したいのならその制度を遵守しろ!というだけです。
(相手国の中に進出している外資系企業は全て相手国の文化的価値観を尊重した活動をしているのですから
そのことと自国外:相手国や国際社会:で同様の条件を求めるのはそれこそ筋違いでしかありませんし、
外国に進出したイスラム系企業がその従業員にイスラムの習慣を要求するのは自由な話ですしね)
>特にイスラム教の名のもとに諸外国の平穏を脅かすのであればね。
 ではどうするのか?なのです。
 本当に(実際に)イスラム諸国がイスラム教の名の下に諸外国の”平穏”を脅かす「直接的な脅威」を
示しているのであれば・・・・
>イスラム諸国は即刻変化しなければならない。なぜなら西側諸国はイスラム教が穏健派になるのをのんびり待っている余裕なんかないからです。
 変化しなければならない・・・っとイスラム諸国が真剣に考え実行しようとするにはどうしたらよいのしょうか?
 その答えは簡単ですよ・・・国際社会の制度を無視してその秩序を破壊したいというのなら
問答無用で消えて無くなって貰う・・・んです。
 戦闘員、非戦闘員の区別を”付けたがっている”のは欧米側であってイスラム側ではありませんよ。
 一罰百戒の効果は、絶大です!
 下手にイスラムテロ組織に共感してそのテロ組織が欧米へのテロ行為の発現地としてその第三世界を利用したのが
明らかになった瞬間にその第三世界の一国が瓦礫の山になってしまう圧倒的な報復攻撃を受けるのです。
 そんな状況で誰が好き好んで自分達がそれ迄そんな理屈があったことも知らない原理主義を標榜するテロ組織なんかに
加担等するもんですか・・・第三世界の人間の多くは
徹底的な個人主義であり低度の現実主義なのです。
 再度、申し上げますが、関わるなと言ってるのではなく、関わるならイスラム”教”に関わるな!っと言ってるのです。
 イスラム教の価値観に触らない姿勢を貫くことで相手側が非イスラム側の制度違反をする姿勢を見せた瞬間に
断固とした行動を取ることも又正当化されるのではないですか?
 考えや価値観が変だと言ってるのではなく、その”方法”は国際社会の方法では違法なのだ!というだけの話なのです。
 イスラム教の価値観を批判も支持もしない(関わらない)、しかしその”方法”では国際社会は受け入れることが出来ない。
・・・そんなに難しい話じゃない、ベーカーやパパブッシュは出来ていたんです。
 実際、例えイスラム社会であろうが”貨幣経済”と”公正な利益の分配”を実現しようとするなら
いわゆる欧米型の”手法”を取り入れなければ無理なのは自明なのですから・・・
 支配か屈服かの二元論的な価値観しかない相手に多様な価値観の存在を認めろ!といった所で始まりません。
 早急に危機を排除したいのなら、何処でもいいですからイスラム教国の一つを地球上から消してしまうことです。
(現状でその候補はイランですか?)
 それで初めて分かるんです、変化しなくては自分達の現世での生存が危うい・・・ん?ちょっと違いますね
正しくは、現世での繁栄を手に入れることが出来ない、っと認識するんです。
 因みに日本の開国ってな話はちょっと違うと思いますよ。
日本の場合は元々国民性がミーハーだった(笑)。
っと言うか文化的に十分に成熟した社会が既に構成されていたんですよ・・・なので異文化を吸収出来る
余裕があったし観念的制限がなかった、江戸時代の日本が宗教的に固まった文化圏だったなんてことはないですからね。

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scarecrowstrawberryfield12 years ago

アセアンさん、

イスラム教の価値観を批判も支持もしない(関わらない)、しかしその”方法”では国際社会は受け入れることが出来ない。
・・・そんなに難しい話じゃない、ベーカーやパパブッシュは出来ていたんです。

ベーカーやパパブッシュが出来ていたとはいいがたいですよ。出来ていたならフセインイラクが湾岸戦争後に再び力を得たことが説明できません。
私が何故イスラム教は変わらなければならないと言っているのか、それはアセアンさんのように、楯突くやつは皆殺しにしてしまえという思想の人をこれ以上増やさないためです。
世界中の人々がアセアンさんと同じように、イスラム教諸国とは交渉は不可能だ、何かあったら戦闘員も非戦闘員もおかまいなしに一国をがれきの山にしてしまえなんて考えになったらどうなります?
イランもイスラム原理教を信じているのはムラーなどの支配階級だけであって、一般市民はそんなことにはほとんど興味がありません。それどころかイスラム教徒でない人もかなりいます。イスラムを現代化できる可能性のある若者たちも一緒に殺してしまえというのですか?
それに、ひとつふたつのイスラム諸国を潰しても、死を歓迎する過激派たちが別の国から戦争を仕掛けてきたらどうするんですか? そのうちに、西洋社会はイスラムこそが悪の元凶だと思うようになるでしょう。アセアンさんがいうようにイスラムの原理教は相手の破壊あってこそだという思想だとすれば、それが変わらなければいずれそういうことになるのです。
だからこそイスラムが生き残りたいのであれば、イスラム教にも色々あり、大多数のイスラム教徒はテロリストを支持しないどころかテロリストと積極的に戦う用意があるという姿勢をイスラム諸国は早急に西側に訴えなければならないのです。
イスラム対西側の戦争になったら、その時こそアセアン式の戦いによりイスラム教は滅びます。イスラム教そのものがなくなるのはいいとしても、それとともに無実の人々が大量にころされてしまうでしょう。私はそれを一番恐れているのです。
カカシ

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asean12 years ago

おはようございます、カカシさん
 イスラム教は7世紀から21世紀の現代にかけて約1400年の長い時間を掛けて(イスラム教に限った話ではないですが)
その価値観を基本的に変えて来なかった宗教です。
 それだけ長い時間を掛けて構成された価値観を、たかがたイラク攻撃やイランを攻撃した位の”時間”で変更出来るでしょうか?
 カカシさんが非イスラム側はイスラム側が変わるのをそんなに悠長には待てない、っと仰っている。
 だったら・・・・という前提で僕はコメントさせて貰っている訳です。
 それと、カカシさんの仰る
>イランもイスラム原理教を信じているのはムラーなどの支配階級だけであって、一般市民はそんなことにはほとんど興味がありません。それどころかイスラム教徒でない人もかなりいます。
 という文脈では、イスラム原理主義的な過激思想を流布している責任は宗教指導者達に”だけ”あって
一般的なイスラム教徒には無い、っと仰っていると思うのですが、果たしてそうなのでしょうか?
 
 (中南海が好んで使用する、政治指導者に責任はあるが一般国民には責任は無い、という理屈と似ていますけど)僕がブログでも言ってることのベースにあるのは
第三世界の特徴でもある「一般国民の無責任体質」にその元凶があるのであって宗教やそれに基づいた価値観に
あるのではない、っということです。
 特に中東イスラム諸国の悪い癖なのですが、為政者達の無能無策による国政失敗の責任転換として
欧米諸国の陰謀論に摩り替えたり、一般国民の多くが「政治は”偉い人”がやることであって自分達には関係が無い」
っという認識が結果的に共産主義的な「指導されなければならない民主主義と大衆」的な思い上がりを為政者達に
持たせてしまうことだと考えています。
 こうした第三世界の為政者が持つ誤解(真実である部分もありますが)といわゆるカカシさんが仰る”無辜の民”的な
理解もその根本的な構造は同じなのではないでしょうか?
 簡単に言うと「”何も知らないんだから”許してやれよ」と「”何も知らないのだから”指導者たる自分達が
正しく導かなくてはならない」っというモノだからです。
(まぁ、どちらも馬鹿にして見下した見方であることに代わりが無い、ってことなんですが・・・)
 しかし、残念なことにこの方法では何時になっても第三世界の一般国民は「責任の取り方」を学ぶことはないのではないでしょうか?
 これ迄は、
「自国の政治(内政、外交)の責任は自分達には無い」という一般国民層と
「自分達の政治が上手く行かないのは全てアメリカ・シオニズムの陰謀によって邪魔された結果であって
自分達には責任は無い」っという指導者層・・・
 この構図が続く限り誰がその国家主権の全ての責任を負うのか?が全く分かりません。
 話はズレますが(苦笑)、いわゆる自由・民主主義国家であってもそれは同様なのではないですか?
例え、言論弾圧があろうがなかろうがある国家主権が戦争を始めた場合の責任はその国民全てにあるのではないでしょうか?
(それを国民自らが気が付くか気が付かないか、はそれこそ民度の高低なのかも知れませんが・・・)
 いわゆる”責任を果たす”行為を実際に行っているのは現在イラクやアフガン等で現実に治安維持活動に当たっている
兵士達であり戦闘を始めてしまった責任を果たそうとする
ブッシュ政権ですが、残念なことに
軍事組織には”復興機能”を兼ね備えていないが故に軍事的な面での責任しか取れない。
 現地で治安維持活動をしている兵士達のほとんどが「その現地の人達の安全を維持すること」を眼前の目的としている
(それが結果的に母国の安全保障に繋がるというだけでしかありあせん)故に、イランに拘束された英軍兵士も
抵抗等する訳もありません・・・もしも抵抗してそれこそ無益な戦闘拡大に至ってしまったらどうにもなりませんからね。
 非イスラム側の人達は、現在の状況に対してどう責任を取ろうというのでしょうか?
 
 戦争を始めたのは政治家の責任であって自分達の責任ではないのでしょうか?
 それとも、9.11を起こしたイスラム原理主義テロ組織の責任であってその報復に出た自分達の責任は無いのでしょうか?
 又、イスラム教国の政治部門を武力介入で崩壊させる責任は政治家にあって自分達にはないのでしょうか?
(役割分担だっ、っと行ってしまえばそれ迄ですが・・・)
 イスラム側にも同様に、国家の責任は指導者達にはあって自分達には無いとでも思っているのでしょうか?
 何度も申し上げますが、イスラム教自身がどうするかはあくまでもイスラム教側の責任であって誰の責任でもありません。
 1400年変わらない価値観をカップ麺のように変更すること等不可能であり相当に長い時間を必要とするはずです。
 1400年の価値観を外部からの介入で変更出来る等と思うこと自体が非イスラム側の思い上がりに過ぎないと考えます。
 そして、その変更を悠長に待っていられないのなら、どうする気なのか?っと伺っているのです。
 イスラム教が戦争やテロ行為をしている訳ではなく、イスラム”教徒”という人間がそうした行為を実行しています。
 お互いがそうした”行為を起こした責任”を取らないで、どうやって終結させるのでしょうか?
 妥協の余地を全く見出せない価値観にお互いが固執している間は、実際の行為に対する責任が
自分達個人個人にもあるのだ、という次元に到達することは出来ないのではないでしょうか?
 確かに僕はタカ派ではありますが、一国を消滅させる為の理屈が単に価値観が違うから等と言う
低次元なモノであっていいとは絶対に思っていません(もっとまともな理屈が必要だ、というだけですが)。
 現世での現実的な方法は、如何なる理想主義的な理屈も凌駕することは様々な領域で証明されていますし
そのことと個人個人の思想心情宗教観が影響したりされたりということも実は現実の前には起こり得ません。
(例えば、”情報開示”という概念だけでも相当に有効な手段であって様々なレベルの不正を抑止し公正さを実現する
ことが可能なのですから)
 因みに、湾岸戦争後のイラクの問題は、ベーカーやパパブッシュの責任では決してありません。
 強いて言うなら、UN、湾岸イスラム諸国、ロシア、中国、フランス等の曖昧さが引きこしたモノです。
 理想的な事柄ではなく、現実主義的な領域で相互にその責任を果たすことこそが問題解決には必要なことだと思うのですが・・・

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