英語だけ出来ても新しい扉は開かない

最近、英国で英語教育関係の仕事をしている人のツイッターをフォローしているが、彼女は自分が仕事だから「英語が出来れば未来は明るい」とか「英語が出来れば給料が上がる」と常に宣伝している。そして怖いのになると「英語が出来ないと置いてけぼりを食う」みたいな表現も出てくる。しかしそれに対しての反論ツイッターも結構あり、英語だけ出来たって食べていけない、もともと何か技術があるから英語が役に立つんでしょう。などという意見も見る。どちらも本当のことだと思うが、これはあくまでも英語圏で暮らすという前提があっての助言なのではないだろうか。日本で暮らしていく人々が英語が出来たら有利なのかどうか、これはかなり怪しいという気がする。

徳久圭さんという中国語と日本語の通訳や留学生の日本語教育をしている人のブログを読んでいて、日本で語学を専門に生きていくのは非常に難しいことなのだなと感じた。特に徳久さんの「英子の森」を読んでの感想は「身悶えする」とまでおっしゃる。

どうも日本て国は通訳に関する理解がないようで、あれだけ一生懸命に時間とお金を投資して得た技術を持っている人々に対して評価が低すぎる。登場人物の英子が観たと言う求人広告では国際会議での受付嬢で英語が出来る人の時給が1100円。英語が出来ない人の時給が1050円とたった50円しか違わないと嘆くシーンがあるそうだ。そして徳久さんも中国語の通訳の求人募集で時給1200円+交通費1000円までという広告を載せている。これが2018年の日本の現状なのか?

実は私はアメリカで一年暮らした後に、一旦帰国して日本で職探しをしたことがある。当時の私の英語は普通に会話が出来る程度で、英作文が出来るとか翻訳が出来るといったレベルではなかったが、それでも多少英会話が出来れば何かの足しになるのではないかと色々探してみた。外資系の会社とか、ガイドの仕事とか。しかし適当な仕事は全く見つからなかった。たまに簡単な通訳みたいな仕事もあったが、時給800円とかお話にならないレベルだった。これだったら喫茶店でのアルバイトと全く変わらない。結局英語など全く関係ない普通の会社で事務員になった。一年もアメリカに語学留学した意味は全くなかった。もしあのまま日本に留まってあの会社に勤めていたら、いつの間にか英語は忘れてしまっていただろう。

でも英語が出来てもこの程度の扱いを受けるなら、何故日本ではあんなに英語教育が盛んなのだろうか?今年の三月に日本に行った時も、電車内や駅の構内には多々の英語学校の広告があったし、駅から見える駅ビルにも英語学校の看板があちこちにあった。日本で働きたい欧米人のほとんどが英語教師で身を立てている。どうしてこんなに役に立たないことに日本人は身をついやするのだろう?

はっきり言って私は日本人が英語を学ぶべき理由は大きく分けて二つしかないと思う。

第一は仕事やキャリアで必要に迫られている人。

仕事でどうしても英語が話せないと顧客と文字通り話にならない環境にあるとか、勤め先の会社が外国に支店を出し自分も駐在員としていかなければならないので英語が必要とか、自営業の人で外国に市場を拡大したい人とか、英語圏の会社との取引で英語が必要とか。

第二は英語が好きで趣味で勉強してる人。

別に英語が出来ても出来なくても困るわけではないが、とにかく外国語を学ぶのが好きで、特に英語が好きだから勉強してる人。こういう人は視野が広がるとか英語の本を言語で読みたいとか色々あるだろうが、まあ、趣味の域を出ない。

英語を学ぶ動機として一番不十分なのは「将来英語を生かした仕事につきたい」だと思う。こういう漠然とした理由では英語がうまくなること自体が難しいし、よしんば英語を習得出来たとしても、じゃあそれでどうするんだということになってしまう。以前にも書いたかもしれないが、私が日本で行った英語専門学校で講師に言われたことで一番心に残っているのは、「君たちは英語を話せるようになることにばかり気を取られず、英語で何を言いたいのかを勉強しておく必要がある。」という助言だ。

英語圏で生きようと思うなら英語は出来て当然。他に何か売るものがなくては意味がない。また、日本で暮らしていても、英語だけでやれる本業というのはなかなかない。通訳や翻訳や映画の字幕などで生計を立てられるのはほんの一握りの人たちだ。元々何か技術があるからこそ、英語が出来ることが有利になる。

そう思うと、普通の日本人が躍起になって英語を学ぶ必要は特にないようだ。それに最近は翻訳アプリなども発達しているので、数年語には世界中の人達が普通にアプリで話が通じるようになるだろう。そうなったら通訳なんて本当に必要ない仕事になってしまうのかもしれない。


Comment

フェミニストの「男は女ではない」という言論を弾圧するトランスジェンダー活動家たちにツイッターも加担

カカシのブログをお読みの方は私がフェミニストのファンでないことはよくご存知のことと思う。しかしながら、フェミニストの中でもポリコレの圧力に負けずにトランスジェンダー女は本当の女ではないと勇気をもって言える女性には敬意を示す。彼女たちにとってトランスジェンダーに対して批判的なことを述べるのは我々一般の保守派がするより難しいことだからである。

この間もお話したように、ツイッターにおいてはトランスジェンダーを本人が好まない代名詞で呼んだり性転換前の名前で呼んだりすると口座を凍結される恐れがある。つまり、自称男/女を彼女/彼と呼んだり、デッドネイミングという規則が出来、今は女性名のケイトリンを名乗ってるジェナーを元の男性名ブルース・ジェナーと呼んだりするのは厳禁というわけ。

そういう理由でツイッターを永久的に追放されたのがメーガン・マーフィーというフェミニスト。彼女は来年の一月にカナダのバンクーバーで講演をする予定だが、トランスジェンダー活動家がなんとかその講演を阻止しようと開催会場となる図書館に圧力をかけている。フェミニスト自身もこれまで他人の言論を弾圧してきたグループなので、彼女たちに同情などする気はない。だが、私は言論弾圧は誰が誰に対してしても支持できない。トランスジェンダー女が自分は女だと主張するのはの権利だが、マーフィーがトランス女は女じゃないと言うのも彼女の権利であり、双方の言論の自由は守られるべきだ。

それにしても、ツイッターから永久追放されたり、トランス活動家からこれほど毛嫌いされるメーガン・マーフィー女史とはどういう女性なのだろうかと思い、彼女が過去に書いた記事を読もうと彼女が運営するフェミニストカレントというウエッブサイトに行ってみたら、今サーバーがダウンしていて開けられない。これはトランス運動家らによるサボタージュかな?

仕方ないので、彼女について書いている他の記事を読んでみた。マーフィーは今年の8月、ツイッターから警告を受け、数々のツイートを削除させられたり、口座を一時凍結されたりしていた。その内容というのは「男は女じゃない」とか「男は女になれない」「普通の男とトランス女の違いっていったい何?」といったもの。ツイッターをご使用の方々は、今やツイッターではこういう常識的発言がヘイトスピーチとして削除されるのだということをよ~く心得ておいていただきたい。

さて、そのマーフィーの口座が永久的に閉鎖される理由となったのは、ジョナサン・ヤニーブという男がとある美容院で睾丸の毛の脱毛を要求し、女性のスタッフから断れたことから美容師数人を相手に訴訟を起こしたことにある。男は自分はトランス女だと言い張り、女性専門の脱毛をしている美容院で女性スタッフ拒絶されたのは差別だと言いがかりを付けたのである。この件に関する感想をツイッターで述べた時、マーフィーはヤニーブのことを「彼」と呼んだことが原因で彼女はツイッターから追放され、彼女がツイッターでしていたウエッブサイトの宣伝なども出来なくなった。

ところでツイッターが施行している新しいデッドネイミイングがもしも法律にでもなったら非常に危険だとスペクテイターのジュリー・ビンデルは言う。どのような理由があるにせよ改名した人間の本名を公開してはいけないということになれば、犯罪者が名前を変えてデッドネイミイングの陰に隠れていくらも犯罪を繰り返すことが出来るようになるからだ。

さて、ツイッターのこうした言論弾圧はかえって言論の自由につながるという訳のわからんことを書いてる記事があった。

著者はパーカー・モリーというトランス女(女装男)。モリーは、トランスジェンダー女(女装男)として、自分がトランスで大多数の人々から永久に妄想癖変態だと思われていると、常に思い知らされるのは屈辱的だと言う。デッドネイミイングはトランスの正当性やその生活態度に異論を述べるものであり、それこそが会話を遮断するのものだと言うのだ。

ミスジェンダーを弾圧するのは言論の弾圧だという人がいるが、何もかも自由にすることは権力のある人が会話を独占することになるとモリーは言う。つまり、モリーは本当の女性ではなく単なる変態の女装男だという偏見から話が始まると、それ以上の会話が出来ないと主張するのだ。

私には男を男と呼ぶことで会話が遮断されるという理屈にはどうしてもついていけない。

だいたいヘイトスピーチなどというものは存在しない。嫌な言論に対抗するのは良い言論だ。相手を負かしたいならこちらが理論正しい説をもっと提供すればいいだけの話。相手を黙らせなければ自分の意見が通せないなら、それは相手が自分に同意したのではなく、単に脅迫で屈服させただけ話だ。そういうことをしていれば、いつか自分より力のある人間が現れて自分を弾圧するだろう。言論の自由が言論弾圧で促進されるなどということは絶対にありえないのだ。

ところで保守派からのボイコットを恐れて、ツイッターの株が暴落しているという。

ツイッターの株はこの木曜日6パーセントも落ちたのだそうだ。フォックスニュースがここ二週間ほど全然ツイートしていないことが原因なのではないかという。フォックスニュースは同局のコメンテーター、タッカー・カールソンの住所がツイッターで公表され、彼の自宅に暴徒が押し寄せたことに抗議し、静かな抗議運動をしているのではないかというのだ。

ツイッターは保守派のツイートを次々に追放していることでもあり、今後こう言ったボイコットも広まる可能性がある。格言う私も何時なんどきツイッターから追放されても仕方ないと覚悟は出来ている。

しかしそうやって誰も彼も追放していたら、いずれ誰もツイッターをつかえなくなるのではないかな。

ま、最近はツイッターよりインスタグラムとか他のSNSが人気があるらしいので、ツイッターなど消滅したからといってどうということはないが。


Comment

自分の政治運動のために無実の男性を告発する悪質なミーツー運動、ゲーマーの場合

ちょっと前、米国オレゴン州のポートランド市において、女性から暴行されたと無実の罪を着せられた男性たちを守るという目的で「ヒム・ツー」という集会が行われたが、ポートランド市といえば左翼ファシスト暴力団のアンティファの拠点。案の定黒装束に覆面姿の共産主義ファシストどもが手に手に凶器を持って集会を妨害しようと集まってきた。集まった男性たちは殴る蹴るの暴行を受けたが逮捕されたのはたったの四人。ミーツー運動で女性を信じろとか言い張る割には、男性の人権には完全に無関心な左翼どもだ。

さて、同じミーツー運動関連の話で、ゲイマーに宣戦布告したフェミニストの話をしたい。このフェミニストの名前はブリアナ・ウー。彼女は何年か前にコンピュータゲーム産業は女性を性対象にしているとしてやたらいちゃもんを付けてきたバリバリ左翼フェミニスト。彼女自身もゲーム開発者なんだそうだが、とにかくゲイマーたちからは嫌われてる女だ。当時はゲイマーから脅迫を受けたとか何とか言ってるが、左翼のいう「脅迫された」なんてのほどあてにならないものはない。

ウー女史は前回の中間選挙でマサチューセッツのボストン地域代表の下院議員に民主党から(当たり前だが)立候補していたが、当選の暁にはゲーム業界における女性差別や人種差別に真っ向から闘いを挑むつもりだと宣言していた。その小手試しかなんだかしらないが、今年の1月30日、彼女にその機会が現れた。ゲーム開発者協会と訳すのか、The Game Developer’s Conference (GDC) という組織があり、彼らはゲーム業界に貢献した開発者を称えるパイオニア賞をアタリの創設者ノーラン・ブッシュネル氏に与えると発表した。

ブリアナ・ウー女史はすぐにツイッターで攻撃に出た。ウー女史はブッシュネルが1980年代にどれだけのセクハラを行っていたかをツイッターで何回にも分けて「暴露」。(ブッシュネル氏がアタリに居たのは70年代で80年代ではない)#NotNolan(ノーランは駄目)のハッシュタグで猛烈なツイッター攻撃が始まった。瞬く間に自称ゲーマーの女性たち25人がノーラン氏に批判的なツイートをし、その晩にはザ・バージという人気ウエッブサイトがこの件を取り上げた。抗議を受けたGDCは、ブッシュネル氏のそういう過去については全く知らなかったとし、結局今年のパイオニア賞は氏に与えず過去の声なき人々の貢献に与えることとすると発表した。ウーによるノーノーランキャンペーンが起きて立った数時間後のことだった。SNSの力は恐ろしい。

さて、ここまでくると、本当にブッシュネル氏はそんなにひどいセクハラ男だったのかを吟味する必要があるが、GDCがそんなことを調査する時間はなかったはずなので、結局彼らはウーやその仲間のフェミナチ共に圧倒されて、あっさりと降伏してしまったようだ。

私が読んだこの記事の記者ブラッド・グラスゴーは、ブッシュネル氏と一緒に働いたことがあり、当時のことを知ってる女性たちやアタリ創設に関する本の著者らにインタビューをし、当時の様子がどんなふうだったのかを取材した。

1970年代と言えば、まだまだ女性の企業進出が遅れていた時代。その時代において、ブッシュネル氏は多くの女性エンジニアたちを雇いキャリアの機会を与えた。そのなかでもロニー・リーダー女史はツイッターでもブッシュネル氏に対する告発は何の根拠もないものだ、氏はセクハラで訴えられたこともないと氏を弁護した。リーダー女史によると、当時アタリで勤めていた女性たちは、それこそ本当のセクハラを他所の企業で受けており、本当の意味でのミーツー体験をしている。しかしアタリ社では全くそんなことはなかったと証言。このミーツー運動は本当のセクハラの深刻さを軽減させるものだと強く批判した。

もうひとりのエンジニア、イレーン・シャーリー女史は、当時のアタリはパーティのような環境で、ブッシュネル氏が女性に言い寄ったのは事実だが、女性たちも彼に言い寄っていたと語る。もう一人の女性エンジニア、キャロル・カンター女史も1970年代のアタリ社でセクハラの事実は全くなかった、ブッシュネル氏は才能ある人々を回りにつけ、人々の才能を生かしてくれたと語る。

またアタリ創設時の模様を描いたAtari Inc, Business is Funの共著者であるカート・ベンデル氏はブッシュネル氏が如何に当時は珍しかった女性技師を多数起用したかを語る。ブッシュネル氏は女性だろうと男性だろうと性別にこだわらずに才能のある人材を多数雇った。ブッシュネル氏は女性のキャリアを促進したとして称えられこそすれ、セクハラで訴えられるべき人では断じてないということらしい。

ではこんな男性が何故セクハラをしたなどと言われるのか。ブリアナ・ウーがブッシュネル氏をセクハラ男とした根拠な何だったのだろう。実は、それはベンデル氏の著書のなかにあった、ある一節に起因するらしい。

当時アタリでエンジニアをしていたアル・アルコン、かの有名なポングのデザイナーは、当時の様子をこんな風に語る。

「重役会議でこんなことがありました。ノーランはロスガトス市の丘の上にある素晴らしい家に住んでたんですが、その家の裏庭に露天風呂がついてたんです。それでそのお風呂のなかで会議をしたんです。(略)ノーランは何かの書類が必要となってので、事務所に電話して女の子に書類を持ってこさせるように言いました。私たちはみんなお風呂に入っていたので、ノーランはやってきた女の子にもお風呂に入れと誘ったのです。」

どうやらこの一件が、ウーの眼には、女子社員を風呂に招いて乱交パーティを強制させた、と写ったようである。しかし当人のアルコン氏によると、結局この女子社員は誘いを断って終わったということだった。風呂の中には他に10人くらい社員がすでに入っており、このことは彼らが全員目撃している。ノーランがセクハラをしたことなど見たことがないとアルコン氏は付け加える。

キャロル・カンター女史も、ノーランは誰でも露天風呂に誘ったが、それは全く性的なものではなかったと言う。そういう時代だったのだとも。

グラスゴー記者が取材した他の当時の社員たちも、口を揃えてセクハラなど全くなかったと証言している。

グラスゴー記者の記事を読んでいて思ったことは、ウー女史は1970年代という時代背景を全く理解しておらず、当時は特に男女ともに何とも思っていなかったことを現代フェミニストの歪んだ眼で見て完全に曲解しているということだ。1970年代といえば1960年代のヒッピー時代をちょっと過ぎた時期。女性のセクシュアリティーも多いに歓迎されていた頃。当時のフェミニストたちは性的に開放されていることを謳歌していたものだ。今のミーツー運動のビクトリア時代後退派とは大違い。

アタリ社はコンピューターゲームの先駆けであり、ブッシュネル氏は男女差別をせずに才能ある人々を雇った画期的な人だ。ゲーム業界のパイオニア賞を受け取るにこれほど適した人もないだろう。そういう立派な人を自分らの歪んだフェミニズム思想で無実の罪をでっちあげ、その名誉を汚すことをなんとも思わないフェミニストたち。こんな奴らがいるから本当の性犯罪の犠牲者が名乗りでられなくなるのだ。

ところで、ブリアナ・リーは民主党の予選で3:7で惨敗した。


Comment

「ドラッグクィーンストーリーアワー」のさほど隠れていないトランスジェンダー養育計略

以前にも紹介したが、アメリカやカナダのあちこちの図書館で、ケバケバしい女装をしたドラッグクイーン(女装男)が子供たちの前で同性愛やトランスジェンダーについて物語を読んで聞かす「ドラッグクイーンストーリーアワー(DQSH)」なる催しが開催されている。日本風に言えば「オネエが語るおカマ話」みたいなもんかな?当然のことながら、多くの父母たちは、やたら破廉恥な恰好をした女装男が、あきらかなトランスジェンダー推進の動機を持って感受性の高い小さな子供たちに話をするのは教育上良くないのではないかと心配していたが、先日とあるドラッグクイーンの発言で彼らの心配が正当であったことが証明された。

ルイジアナ州にあるラファエテ市の図書館で10月にDQSHが催されることになった。対象は若い子になると3歳という幼稚園児。主催者はディラン・ポンティフというドラッグクイーン。これについて住民のなかで反対の声があがり、市議会においてイベント開催の是非を問う審議がされた。

ポインティフは市議会において、自分が子供の頃に他の男の子と違うということでいじめの対象となったことなどを語り、次の世代に他の子と違うことは恥かしいことではないと教えるのは大事だと語った。また、この件において同市民から色々な批判を受けたが、それは誤解や不寛容よるものだと語った。ドラッグクイーンは必要以上に性的であるという批評に関しても、ドラッグクイーンは時と場合に合わせて性的描写を制御することが出来るのでその心配はないと語る。

イベント反対派のラファエテ住民、レスリー・アレキサンダーは、これはいじめとか不寛容の問題ではない、これは、確固たる指導を一番必要としている時期の子供たちに対して性的混乱を招くことを意図的に目的としたものである。後々になって子供たちが自分の性に疑問を抱くように種を蒔こうという策略だと語った。

ポンティフは自分にはこれといった計略があるわけではないとしながらも、次の世代を養育することが目的だと自慢げに認めた。次の世代とはどんな世代だ?明らかに次のトランスジェンダー世代を育てるという意味だろう。反対派が心配している通りではないか?

根性のない市議会議員たちはこのことについて審議することを拒否した。しかし10月4日のニュースによると、私立図書館でのイベントは一応延期。ルイジアナコミュニティー大学でのイベントも警備の問題から延期になった。市立図書館は完全なる中止ではなく、あくまでも適当な会場が見つかるまでの延期だと主張している。

こういうことがあるごとに、良識ある市民が立ち上がって抗議しないと、どんどん子供たちが洗脳されていく。どれだけ相手がこちらを差別主義だのホモフォブだの不寛容だの騒いでも、子供たちの将来がかかっているのだ、我々は常に戦わねばならない。


Comment

左翼白人は有色人種を馬鹿にしてるという調査結果

私は時々白人をものすごく嫌っている有色人種に出会う。ネットなどで日本人と話していても、アメリカの白人はどんなに善良に見える人でも本心は人種差別者だと言い張る人がいる。そしてそういう人たちは必ずと言っていいほど左翼リベラルと自称する。

昔、ニューヨークで数か月暮らしたことがあるという日本人男性とネットで議論したことがある。彼は大の反米(特に反白人)だった。どうやら数か月間のアメリカ暮らしで散々差別されて嫌な思い出だけを持って帰国したらしい。にも拘わらず、彼のアメリカ論は完全にアメリカ左翼メディアの受け売りだった。それで私はよく、君はアメリカの悪口ばかり言いながら、何故アメリカメディアの言うことを鵜呑みにするんだね、と聞いたものだ。

私はその当時から考えていたのだが、アメリカにおける後退派左翼有色人種は付き合う白人も後退派左翼だけだというのが問題なのではないだろうか?つまり、後退派左翼の白人は口で何と言おうと、無意識のうちに人種差別的な行動を取っている。そして決して馬鹿ではない有色人種はその表面下にある白人達の偽善や欺瞞に少なからぬ反感を持ってしまうのではないだろうかと。

それを証明するような記事を読んだので紹介しよう。Study: White Leftists Simplify Their Language For Minorities (左翼白人は少数民族には簡単な言葉使いをする)

エールとプリンストン大学の二人の調査員は過去25年間に渡り、白人民主党の政治候補者の演説を調べたところ、少数派に対しての演説ではその内容を簡素化し難しい言葉遣いを避けて話していることが解った。同じ期間で保守派候補者の演説では白人に対しても少数派に対しても言葉使いに全く違いはなかったという。

これはエールとプリストンの助教授二人が白人が有色人種い対しどういう行動を取るかを調査したもので、よかれと思って接している白人でも左翼だと不思議と人を見下した言い方になっているという結果が出た。

政治家だけではない。一般人でも左翼白人は明らかに白人と解る名前の人へのメールと明らかに黒人の名前の人のメールとでは、書く時の語彙が違っていたという。ところが保守派白人は相手が誰でも全く違いがなかったという。

この調査結果には全く驚かない。私が長年持っていた考えと完全に一致している。私が出会った左翼有色人種たちは左翼白人としか付き合いがないから、左翼白人連中が持っている人種差別意識を薄々感づいていたのだろう。だがそうした白人から保守派白人はすべて白人至上主義だと言われていたことを鵜呑みにしているため、保守派白人との付き合いは全くない。それで事実は保守派白人は全く差別意識など持ち合わせていないということすら知らず、白人は口で何を言おうと本心は人種差別者なんだと思い込んでしまう。

それでも頭のいい少数派はそれに気づいて、本当の白人至上主義者は後退派左翼の方なのだとして徐々に民主党を離れて言っている。トランプ支持の黒人やラテン系が増えているのもそうしたことからだろう。


View comments (2)

トランスジェンダーという精神病に世界が付き合うべきじゃない

トランスジェンダー関連の記事を二つ紹介しよう。

一つは、なんで調査なんかしなきゃわからないんだ、というような記事。その内容はというと、男女共用の更衣室は女性が性犯罪の被害者になる可能性が高いというもの

当たり前だろうが!そんなこと試してみなくても最初から解ってたことだろうが!いったいどれだけの人がそういうって反対したと思ってるんだ。あまりのポリコレで、どれだけの婦女子が犠牲になったことか。

記事は全部読むまでもなく、90%以上のセクハラや覗きや女性への性暴行は市民プールなどの男女共同更衣室で起きていることが使用者たちの被害届で分かったというもの。

もうひとつの記事はナショナルレビューのベン・シャピーロ著のコラムで、トランスジェンダーへの同情が社会の現実を変えてはいけないという意見筆者はトランスをめぐるいくつかの例をあげて、行きすぎたトランスへの同情が社会秩序を乱していると語る。

女性専門の運動ジムに女装男が現れ更衣室で着替えを始めた。経営者は彼に個室を使うよう求めたが、本人は自分は女だと言い張り個室使用を拒否。他の普通の女性会員が苦情を述べたが、経営者側はトランス女に個室を使わなければ会員権をはく奪すると言えば訴えられる可能性があるとして女性会員たちの苦情を受け入れることが出来なかった。結果多くの女性会員がジムを辞めてしまった。ジムの経営者はたったひとりの女装男のためにジムがつぶれる危機に陥っている。

ツイッターでは、本人が好まない代名詞を使った場合はその口座を凍結するというもの。つまり、自称トランス女を「ミスター」とか「彼」とか読んだりしたらもうアウト。ジョーダン・B・ピーターソン教授がカナダで通ったこの法律について抗議していたのは、これは言論弾圧だからだ。トランスジェンダー運動は本当に他人の言論を徹底的に弾圧する思想だ。

このオプエドでも紹介されているが、私が最近読んだ記事で、テキサスで離婚後の親権を巡り母親が6歳の男の子を女子として育て名前までルナと変えてしまったことに関して父親が抗議したところ、かえって母親の方から幼児虐待だと責められ、父親の方が親権を取り上げられそうだという話。しかもこの母親は別れた夫に対して子供のホルモン治療やセラピーや性転換治療費を払えと要求している。

だが肝心の男の子ジェームスはどうかというと、彼は自分が女の子だなどとは思っておらず、男の子として扱ってほしいと思っているというのだ!にも拘わらず法廷は父親に子供とセクシュアリティに関しての話をすることを禁じ、女子と男子の両方の服装を提供することを義務付けたという。だが父親は男の子は自分といるときに女子の服を着るのは断固拒絶しているという。

ジェームス君は母親が連れて行った精神科の医者によって性同一障害と診断され、母親が付き添いで行くセラピーでは女の子の性を好む行動を取っているという。しかし父親といる時や他の友達といる時はジェームスと呼ばれることを好み男の子として振る舞っている。ジェームス君が通う教会の牧師さんも、ジェームス君はどう見ても普通の健全な6歳の男の子に見えると語る。

はっきりいって精神科の医者にかかるべきなのは母親の方だろう。これはいわゆる代理ミュンヒハウゼン症候群(munchausen by proxy)という病気だ。つまり、母親が自分が病気なのにそれを投影して子供が病気だと思いこむ精神病。病弱な子供を献身的に支える母親として注目されたいと思うのが症状。これは明らかに母親が男の子をトランスだとすることによって自分が注目されたいと思っている症状だ。これによって本当にジェームス君がホルモン治療などされてしまったら、彼の人生はどうなるのだろうか?

しかし今や常識が通用しない世の中。この父親は自分の子供が母親の妄想によって虐待されるのを手をこまねいてみているしかないのか、抗議したらそれこそ子供を失う恐れがあるのだ。こんなことってあっていいのか?

自然な生物学を書き換えることは現実社会に多大なる悪影響を及ぼすとシャピーロは言う。客観的な現実を無視し誰かの主観的な社会観を押し付けるということは、ビジネスや学校や病院や言論の自由に至るまで、ありとあらゆることを根底から崩さなければならなくなる。性同一性障害に病む人々への同情が客観的な社会現実を破壊することになってはならない。

一部の人々の精神病に何故世界中が付き合わなければならないのだ?そんなことをしてみても当事者は救われないだけでなく、部外者が多大なる被害を被る。婦女子が安心して更衣室やトイレに行かれない。言論は弾圧される。子供は無理やり異性ホルモンを飲まされる。抗議する片親が親権を失う。

そんな世界に誰が生きたいのだ?


View comments (2)

ついにアメリカ国境到着、中南米発の侵略者キャラバン!

先月ホンジュラスやグアテマラあたりから出発した違法移民キャラバンが遂に、この日曜日メキシコとアメリカの国境の町ティワナで両国の国境警備隊と衝突。下記はフォックスニュースの映像。

国境では侵略者たちが女子供を全面に押し出し、彼女たちを人間の盾にして後ろから警備隊に岩を投げつけるなどの攻撃を仕掛けた。これに対してトランプ政権は催涙弾を撃つなどして応戦した。

当然のことながら、後退派左翼の民主党は侵略者たちの暴力を過小評価し、催涙弾で応戦したトランプ政権を激しく批判している。実はオバマ政権も数年前に国境の柵を乗り越えようとした数百人の移民に対して全く同じことをしていたのだが、それはそれ、ダブルスタンダードは左翼の定番。

アメリカの主流メディアはキャラバンについて嘘八百を報道しているので、月曜日、国家安全保障省のキアスチャン・ニールソン(Kirstjen Nielsen)長官は、この移民キャラバンの実態について六つの特性をあげて説明した

1.キャラバンは狂暴である

局長は日曜日に見られた暴力は十分に予測できたことであったと述べ、彼らはすでにメキシコをはじめ通過してきた中米の国境警察を攻撃していたと指摘した。

「警察官に対して岩など飛び道具を使っての攻撃が受け入れられると本気で信じている人がいるとは信じられない。こんなことを説明しなければならないとは驚きだが、警官たちは重症を負ったり致命傷を負う可能性もある。法を守っているアメリカ人にとって、正当防衛は討論の余地はない。」

2. キャラバンは規模が大きく組織的である

長官は今回のキャラバンは前回にくらべずっと規模が大きく組織的であると言う。今8500人以上のメンバーがティワナやメキシコに居る。また別のキャラバンがすでに国境に近づいているという。

3. キャラバンメンバーのほとんどに亡命が認められない

メディアはキャラバンが母国での虐待から逃れるため亡命を求めている女子供が主体であるように報道しているが、これは正しくないと長官は言う。「歴史的にみて、グアテマラやホンジュラスやエルサルバドルからの移民で亡命が認められた例は10%にも及ばない。90%以上が亡命資格がない。」

移民のほとんどは仕事を探しているから、すでにアメリカに居る家族と一緒になるために来た。そういう人たちは難民とは認められない。また、彼らはメキシコからの庇護や国連の難民局からの援助も拒否している。

4. キャラバンのメンバーはほとんどが男

メディアは多くの女子供が亡命を求めているというが、キャラバンのほとんどは男。MSNBCのは番組内で現地に記者を派遣して女子供の映像を写させようとしたが、現場の記者はほとんどが男だと報告した。

5. キャラバンには犯罪者が含まれている

ニールセン長官はキャラバンのメンバー構成について、その身元をはっきり確認することはできないとし、アメリカに危害を及ぼす危険な犯罪者が含まれていることは確認できているという。長官によると、少なくとも600人の犯罪者が含まれており、その中にはすでに当局が関知している傷害犯罪や麻薬犯罪、窃盗、強姦、幼児虐待など極悪な犯罪者が含まれているという。すでに100人のキャラバンメンバーがメキシコで自国で犯した犯罪で逮捕されているという。

6. 日曜日の暴動でけが人は出ていない

長官は国境警備隊の行動を賞賛した。長官は銃などの武器を使わず催涙弾を使ったことで移民にも警備隊にもけが人を出さなかったことを褒めている。

確かに今のところ国境警備隊は催涙弾やペパースプレー程度の武器で応戦しているが、これで侵略者たちの数が膨れ上がったり、相手が銃などで女子供の後ろから撃ってきたらどうするつもりなのだろうか。トランプはまだ軍隊の総司令官として試されていない。トランプ政権は国を守るために正規軍ではない侵略者たちに銃を向ける覚悟があるのだろうか?

民主党やメディアはキャラバンを国を追われた可哀そうな人々と主張したがるが、添付したビデオを見て、これは可哀そうな難民だと思えた人がどれほどいるのだろうか?どう見て侵略者にしか見えない。こんな奴らに国を乗っ取られるのはごめんだ。

アップデート:ツイッターでこんな記事を紹介してもらった。


View comments (2)

英検一級の第一次試験を試してみた!

なあんてユーチューバーのサムネイルのような書き方だが、ツイッターで出会ったとある御仁のご意見を聞いて英検にちょっとした興味を持ったのだ。この男性は在米14年の経験があり、アメリカでMBA修士を取り、アメリカと日本の企業のどちらでも働いた経験があり、今は日本に帰国して企業コンサルタントをしているらしい。その方が、実際に自分の英語の実力がどのくらいあるのかを知るには、やはりTOEICや英検を受けて客観的に審査してみる必要があると書いていたのを読んで、ふ~む、確かに一理ありだなと思ったのである。

実際に英検を受けるかどうかを決める前に、先ず英検一級のレベルとはどのくらいのものなのか調べてみることにした。そこで2018年一回目の英検一級一次試験をダウンロードして、筆記とヒアリングを試してみた。

筆記試験は4部に分かれていて、1部は語彙、2部は短文の読解力、3部は長文の読解力、そして4部は作文。作文は採点のしようがないので一応飛ばして1から3までやってみた。一部は25問あり、文脈から正しい単語及び熟語を選ぶ。先ずこんな感じ。

Kim was annoyed when her colleague Dan kept giving her advice on how to raise her son. She told him to stop being ( ) and keep his opinion to himself.

1. nonchalant, 2. dispassionate, 3 obtrusive, 4. tortuous

2部と3部は写すと長いので省くが、私がとちったのはこの最初の25問のうち5問。これは最初からまずいなと思ったが、気を取り直して2部3部と挑戦した。こちらの読解の方は全く問題なく全問正解。

次はヒアリング。ヒアリングは30分強あり4部に分かれて27問。部が進むにつれて難しくなり、問題は一度しか言ってくれない。私はヒアリング100%は出来なければ恥ずかしいだろうと思っていたのだがダメだった!(恥かしい)

四部では最初に設定となる文章と質問を10秒で読み、そのあと音声がはいって、その質問の答えにを4つの選択肢から選ぶというもの。この選択肢を読む時間も10秒。私が戸惑ったのはこの最初の10秒で問題を読み切ることができなかったこと。だから問題の意図が理解できないままに音声が始まってしまったので、完全に混乱した。これは聞き取りが出来るかどうかというより、いかに早く読み取って意味を理解するかにかかっているなという印象。

最後の作文は与えられたテーマにそって、賛成か反対かどちらかの立場を取り、三つの理由を述べて半ページくらいの短い文章を書く。こういうのはESLの授業でもずいぶんやらされた覚えがある。

全体的な印象としては、英検一級は普通のアメリカ大学で一年生ならだれでも必須で取る英語作文の授業、English101でAを取れるくらいの実力が必要。これだけ出来たら英語圏の大学に留学しても英語では苦労しないだろう。

さて、それで肝心のスコアだが、採点の仕方がよく解らないので正解の割合から言うと、筆記は88%、ヒアリングは89%だった。英検について詳しく説明していた人のブログによると、だいたい80%くらい取れれば合格するということだったので、ま、これならいけるんじゃないかなと思う。語彙を勉強して早く読み取る練習をすれば、多分大丈夫だろう。

この次は二次試験に挑戦してみよう。それにしても、最近はネットで色々情報が入るから勉強はしやすくなった。最近の人は恵まれているな。


View comments (3)

映画ボヘミアンラプソディー、フレディの人生よりバンドの功績に焦点をあててほしかった

先日、クイーンのリードボーカリスト、フレディ・マーキュリーの人生を描いた映画ボヘミアンラプソディーを観て、その感想をツイッターで色々書いていたら結構反響があった。あ、こういうことはブログに書かなきぃかんなと今頃思いついた。

クイーンは1970年代中期に大ヒットして1980年代にはイギリスで80年代最高のバンドとして賞までもらってるくらいの偉大なロックバンド。最初はヘビーメタル調だったが、フレディ・マーキュリーの影響もあって、ハーモニーを生かしたオペラ的な音楽をやってみたり、個性的な音で旋風を巻き起こしたバンド。

映画がどんな風かは実際に映画と事実とでの違いを指摘した記事があったので、これを読んでいただくとよくわかるのだが、先ずバンドの結成から始まり、結成してからアメリカツアーにたどり着く、ロックとしては風変りなボヘミアンラプソディーの誕生、バイセクシャルなフレディと、その妻との不思議な友情、フレディのシングルアルバム、そしてライブエイドコンサートでのクライマックス。

映画の筋としてはあんまり大したことはない。バイオピック(伝記映画)でも面白いものもあるが、普通の人は、例えロックンローラーでも、そんなに波乱万丈な生き方をしているわけではないからだ。特にクイーンはみんな高学歴でフレディ以外はそれほど破廉恥な生き方をしておらず、麻薬におぼれて破産してしまうとか結婚離婚を繰り返すとかいったこともしていない。つまり、プライベートではそれほど変な人生は送っていないのだ。

この映画はクイーンの映画というよりフレディ・マーキュリーのプライベートな人生に焦点を当てすぎている。フレディは確かにカラフルな人ではあったが、ファンとしては彼の人生そのものよりも、クイーンのメンバーとしてどのように音楽創りをしていたかに興味があるのではないだろうか?いや、ファンでなくても、そういうことに焦点を当てた方が面白い。

映画でもバンドがスイスの山奥のモントレー(Montreux)スタジオでアルバムを作る場面が出てくるが、別のドキュメンタリーのインタビューで観たリード・ギターリストでバンドのリーダーでもあるブライアン・メイによると、当時クイーンは色々な音を試していた。多重録音もその一つ。彼らが尊敬していたビートルズもアルバムで色々試していたが、クイーンの頃は録音技術も発達していたので、かなり面白い音が出たと話していた。映画でも色々メンバーたちがドラムに水をかけたり、バケツを使ったりというシーンがあったが、彼らが何をしようとしていたのか、もう少し説明があってもよかったのではないかと思う。

私にとってのクイーンと言えば、中学生の頃にラジオのロック音楽番組を聴いてた頃に、キラークイーンが何週間もナンバー1だったというのが最初の記憶。当時クイーンは日本ツアーを行っており大成功を収めている。日本ツアーをした頃の動画がユーチューブでも見られるので是非ご覧になることをお勧めする。今思えばコンサートに行ければよかったのなあ。(コンサートなんて親が絶対に行かせてくれなかった。)

日本ツアーと言えば、ツイッターで色々な人から指摘されたのだが、クイーンはアメリカよりも日本で最初に人気が出た。アメリカツアーは日本ツアーの後なのである。クイーンが日本に来た時に日本は大歓迎で、何百というファンが空港におしかけたり、クイーンは行く先々で群衆に出会い、ちょっと怖い思いをしたようだ。これも別のインタビューで観たのだが、彼らは日本に来る前にそれほど自分たちが日本で人気があるとは知らず、また日本のファンはお行儀がいいので心配はないと言われていたのに、実際にコンサートをやったらみんな立ち上がって舞台に駆け寄ろうとしたりの大騒ぎでびっくりしたそうだ。

そういうこともあるので、クイーンのバイオピックに日本ツアーが出てこないのは不自然。しかし他のファンの人から「日本ツアーの様子は出てましたか」と聞かれて、そんなシーンはなかったなあと不思議に思ったのである。

そうしたらば、、なんと、実際は日本ツアーのシーンは撮影してあったんだそうだ。何故か本編ではカットされたという話を聞いて驚いてしまった。これにはちょっとしたコントラバーシーがあり、映画の予告ではドラマーのロジャー・テイラーが旭日旗のTシャツを着て空港(多分成田)に他のメンバーと到着するシーンがあったが、誰かからのクレームで(誰とは言わないが)ロジャーのシャツが赤く塗りつぶされたというのである。本編ではこの予告シーンは全く使われていなかったので、私にはよく意味が解らなかったのだが、日本ツアーのシーンが完全に削られていたとなって、やっとその意味が分かったのだ。

さて俳優だが、フレディ以外はずいぶんメンバーに似た人たちを集めたなと思う。特にベースのジョン・ディーコンなんかそっくり。クイーンのメンバーたちが女装して歌う”I want to break free”では、あのミュージックビデオがかなり正確に再現されていて、ロジャーは完全コピーだ。

当時のロジャーはすごくかわいくて本当に女学生に見えた。うちの父はフレディやロジャーの高音から、クイーンには女性が居ると思い込んでいて、アルバムの写真でロジャーを観て納得していたものだ。

ところで女装のアイデアはロジャーで、フレディが口ひげをわざと剃らずに女装したが、間に入ったバレエのようなシーンはフレディのアイデア。その場面ではちゃんと髭をそっている。そういうことも映画で言ってくれたらおもしろかったのに。

他のメンバー役の役者たちはすごく似ているのに、フレディ役のラミ・マレックは全然似てないし演技も下手。フレディがトルコ系だったから、人種が近い人を探したのだろうけど、別に似てなくてもいいからもっと演技のうまい人にやってもらいたかった。フレディが出っ歯だったので、マレックは多分付け歯を使ったのだろうが、それでセリフが言いにくそうだった。それに、フレディの男らしい勇ましさを全く感じられない小柄な感じに見えた。身長はフレディと同じなんだそうだが、どうしてあんなに小ぶりに見えたのだろう。やっぱりフレディの存在感を表すのは難しかったのだろうか。つまり、それだけ演技が下手だってことだ。

ただ、全体的にクイーンの演奏によるヒット曲がちりばめられており、特に最後のライブエイドのシーンでは本当に野外コンサートを観てるような迫力があった。クイーンファンなら音楽を聴くというだけでも観る価値はある。最後には一緒に「うい~あ~ざちゃ~んぴお~んず」と合唱しよう。

余談だが、80年代後半、アメリカでクイーンの人気が下火になっていた頃、自分の映画ウエインズワールドの一シーンにボヘミアンラプソディーを起用し、クイーンのアメリカでの人気を盛り返すことに貢献したマイク・マイヤーズがプロジューサーの役で出演している。

配役:
フレディー・マーキュリー:ラミ・マレック
ロジャー・テイラー:ベン・ハーディー
ジョン・ディーコン:ジョセフ・マツェロ
ブライアン・メイ:グイリム・リー


View comments (2)

フェミニストはトランスに仕えろ!フェミニストに完全服従を要求する女装男たち

もう数年前からMTFと呼ばれるトランス女(女装男)たちが生物学的な女子以外を女とは認めないと主張するフェミニストやレズビアンに圧力をかけているという話はすでに拙ブログでも何回かしてきたが、先日もそれにかかわる話題を二つ見つけた。

先ず東ミシガン大学はイーブ・アンスラー著の1994年作の戯曲で女性のセクシュアリティーを全面的に押し出した「バジャイナモノローグ」(膣の独白)を、トランス女性に対する配慮がないとして、今後上演しないことにしたと発表。ここ2~3年、アメリカではこの戯曲の排斥が広がっている。一時は女性の性解放を示すものとして大称賛され、どこの女性グループもこぞって上演したものなのだが、左翼社会のポリコレの変化はめまぐるしい。常にその時代にあった「政治的に正しい」ことをしていないと弾圧される。

さて、それに関連してハフィントンポストがすべてのフェミニストはトランス解放のため戦わねばならない」というオプエドを発表した。トランス連中は、特に女装男たちは、やたらとフェミニストを目の仇に完全服従を要求する。このコラムはその典型。

著者はセンティ・ソジワルという写真からみて明らかな黒人女装男。ソジワルは先ず11月20日はトランスの日だと発表。これは暴力によって殺されたトランスを追悼する日なんだそうだ。ソジワルによると2017年暴力的に殺されたトランスの数は29人と記録的な高さであり、特に有色人種の被害の割合が高いという。この数が多いか少ないかという判断は、他の人口と比べてみないと意味がない。

左翼の黒人が「パーソンオブカラー、色のついてる人」という時は、まず黒人と限定しており、ラテン系や東洋系は年頭にない。残念ながらアメリカ国内で暴力的な死を遂げる黒人の割合は多人種よりも圧倒的に高い。それは、黒人が集中しているシカゴやボルティモアなどで暴力的犯罪が集中して起きているからである。であるから、黒人トランス女が殺される割合が他の黒人男性の殺される割合と同じであったなら、彼の死の原因は必ずしもトランス差別によるものとはいえない。

ソジワルによると、アメリカにおいてトランスにおける失業者やホームレスや健康保険のない割合は非常に高いという。そうして彼らは人種差別やホモフォビアやトランスフォビアの性差別や階級差別といったあらゆる差別の対象となって苦しんでいるという。今日こうした非常に厳しい環境に直面しているトランスコミュニティーが出来ることは、団結してトランスが平等に生きられる社会をつくるべく作戦を立てることだという。

彼に言わせるとトランスになると突然差別されて貧困に陥るかのようだが、もともと労働意欲のない人間がトランスライフに魅かれるという可能性も考えられる。トランスでも普通に仕事をしている人はいるので(明らかな女装男のパイロットを私は見たことがある)なぜトランスに失業者やホームレスが多いのかという問題は真剣に考える必要がある。

トランス人権獲得のための第一の作戦としてソジワルが克服しなければならないと考えるのは、伝統的なフェミニストたちによるトランス(特に女装男)の拒絶意識だ。フェミニストたちは自分たちの空間から女装男を排除してきた。女性弾圧や男性社会における平等といった会話にはトランスが含まれることは先ずない。当たり前だろう、女装男は女じゃないんだから。

フェミニストたちがトランス拒否をしてきた以上、今後はフェミニストたちこそがトランス解放のために最前線に立って戦う必要があるのだという。

トランプ大統領就任を抗議した「女性行進」と呼ばれる左翼女性たちの行進で、女性器を意味する「プシーハット」と呼ばれるピンクの帽子も、ソジワルにあってはトランス差別の象徴。この行進には多々の人種の女性が参加したが、トランス女は含まれなかった。プシーとは膣の俗語であり、それを女性の象徴として活動するということは、膣をもたないトランスやノンバイナリー(男女どちらでもないと主張する変態性の人々を指す)を差別するものだというのである。

ここまで笑わずに読めた人は偉い。今風に言うなら「まじかよ」といった感じの屁理屈だ。ま、彼に言わせるとトランプ大統領はトランスコミュニティーにとっては非常に危険な存在であり、反トランプ活動にトランスを含まないのは差別だというわけだ。

しかし彼はトランス差別はトランプ政権で始まったわけではないと認める。男女差別の問題でトランスは常に会話から排除されてきた、ミーツー運動にトランス女が含まれないのはおかしいとか。

ソジワルはトランス(男女ともに)が性的暴力を受ける割合は非常に高いというが、彼の出す例は要するに売春に携わる人々だ。売春というのは元々危険を伴う商売だ。アメリカのほとんどの州で売春は非合法なので、セックスワーカーなどときれいごとを言っても、顧客には変態が多く、売春婦/夫が暴力を振るわれる可能性は高い。これも、トランスだから受けた暴力なのか、それとも売春婦一般における暴力なのかをきちんと区別しないと意味がない。

しかし、ここでソジワルが無視している現実は、フェミニストが最初に戦った男女差別は個人の選択によって起きたものではないということだ。女性差別は女性という持って生まれた性質によって差別されることであり、本人にはどうしようもない。だが、トランスは自分で選んだ生き方だ。男性優先社会だと本気で信じるなら、なぜ差別されるような女装をわざわざするのだ? 差別が嫌なら普通の男性のように振る舞えばいいではないか。なぜ女装してわざわざ危険な売春という仕事を選ぶのだ?

しかしソジワルは、トランス弾圧を無視する人間にフェミニストを自称する資格はないとまで断言する。特にフェミニストたちのなかでもいまだに勇敢に女装男は女ではないと主張している一部の女性たちのことを彼は「TERFs、トランス排除的過激派フェミニスト」と呼んで侮蔑する。彼はこうした正常な女性たちは右翼保守の家族主義の人々よりもトランスにとって危険な存在だとしている。当然だ左翼同士での亀裂の方が右翼への敵対心より深刻なのは常にあること。

最近のフェミニストたちは全く不甲斐なくトランスの圧力に負けているが、それでもソジワルに言わせれば、まだまだ足りないというのだ。ソジワルにとってフェミニストたちの完全服従がない限り、トランスの人権が守られたことにはならないからだ。まったくなんという男性至上主義!これこそミソジニーだ。

私がトランスコミュニティーに全く同情できないのは、これは彼らが選んだ道だということ。自分らで人に嫌われる行為を選んでおいて、受け入れられないから差別だ、受け入れろと要求するのは理不尽だ。しかも自称トランス女という女装変態男による性犯罪は頻繁に起きている。明らかな男を女性施設に立ち入らせる危険はすでに顕著に表れている。そういうことを常に要求して、やれ平等だやれ人権だと騒ぐ奴らは本当にうっとうしい。

勇ましいことを言っていても、結局アメリカのフェミニストなんてだらしない女たちの集まり。女装男たちのこうした圧力に戦えるのはほんの一部の伝統的フェミニストおばさんたちだけ。まったく情けないもんだ。


Comment