トランス許容方針に疑問を抱いた途端にヘイターにされた左翼リベラル活動家

以前にも書いたが左翼リベラルは異見を許さない。常に寛容とか許容とか反差別とか多様性とか言ってる割には、多少なりとも主流意見から踏み外した人間には容赦なく攻撃を加える。いままで肩を並べて革新派運動を行なってきた同胞でも、リベラル体制方針に対して「それはちょっと違うんじゃないの?」といったら最後、所属していた左翼団体を追い出すだけでなく、その後も執拗に徹底的に叩きその人物の名誉を完全破壊しようとする。

先日もちょっと触れたが、ACLUという極左翼市民団体のジョージア支部長に就任したばかりのマヤ・ディラード・スミスという黒人女性が同団体のトランスジェンダー支援方針に疑問を抱いたことが原因で辞任を余儀なくされた。左翼リベラルからの彼女への攻撃は迅速かつ猛烈である。シンクプログレス(革新思想とでも訳すべきか)というサイトに掲載されたこの記事などはその典型である。
抗議の辞任をしたのはマヤ・ディラード・スミスという黒人女性。最年少で最近ACLUジョージア州支部長に抜擢された女性弁護士として非常な期待をされていた。その彼女が何故このような大事な立場を自ら辞任などということになったのか。彼女は自分がACLUのトランス方針に疑問を抱いたきっかけをこう説明する。

私が小学生の娘たちを女子トイレに連れて行った際、いずれも(身長)180センチを超え、野太い声をした、明らかに男性の、三人のトランスジェンダーの若者たちが入ってきました。子供たちは身の危険を感じて明らかに怖がっていました。私も非常に不安になりました。私は子供たちの数ある質問に対して、多くの親がそうであるように、私もまた全く答えに詰まってしまいました。

それで、私はACLUに就任してから色々質問をしてきました、たとえば『トランスジェンダーの人権を推進するにあたり、それが女性や女児に与える影響とは何か、子を持つ親たちの人権に与える影響とは何か』といった単純な疑問を投げかけてきました。

記事の著者ザック・フォードの記事だけ読んでいると、スミスとACLUの亀裂はスミスの反トランスジェンダー偏見だけのような印象を受けるが、スミスが添付したビデオインタビューを聞いていると、スミスが疑問を抱いたのはACLUがどんな問題に対しても片一方だけの狭い考えに凝り固まっており、競い合う人権があった場合、ひとつの団体の人権を守るために他の団体の人権が損なわれることについて、きちんとした討論がされていないという点だ。たとえば同性愛者の人権を守るために宗教家の人権が損なわれるといったように、トランスジェンダーを守るためにおきる女性や子供への影響がきちんと吟味されていないことにスミスは疑問を抱いたのである。

フォードはスミスがトランスジェンダーについて単に無知だったというなら仕方ないが、彼女自身がトランス男たちの存在に不快感を持ったと述べていることを批判し、スミスが子供たちから受けた質問を武器にして反トランス運動家に豹変したと指摘する。

スミスは中庸を目指してトランスと一般人がお互い納得できる解決策を探そうという主旨でユーチューブビデオを作製。彼女や子供たちの質問を幾つか投げかけているが、その中でも最も大事な質問を要約すると、

質問することさえ許されずに、トランスジェンダーについてどのように学べというのか。

この問題について双方が安心して討論できる場所はあるのか?

単にトランスジェンダーとは何かといった質問をするだけなら問題はないが、スミスがトランスジェンダー女子を「ボーイズ」と表現し、「『彼』が男の子のお手洗いで不快な思いをするのは可愛そうだけど、、」という「間違った」代名詞を使っているところにスミスの偏見が丸見えだと批判する。だが、それはフォード自体のトランス女は女だと決め付ける偏った判断にある。

フォードはちょっとネットで検索すればトランスジェンダーとは何ぞやという質問の答えはいくらも得ることが出来るというが、それは全く正しい供述ではない。私のようにトランスジェンダー問題に興味を持った人間が色々調べてみて解ったことは、トランスジェンダーという正しい定義は存在しないということだ
だから本物のトランスジェンダーとトランスを装った変態との区別はどうつければいいのか、という反対派の質問に推進派はきちんと答えることが出来ないのである。トランスジェンダーというのが医学的にきちんと証明できるというのであれば、トランスの人々は常にトランス証明書でも所持しておく必要がある。だが、現在トランス許容法を施行している施設において、そのような証明書を求めるところはない。フォードの質問を許さない態度はこの文章を読めば明らかだ。

中庸を求める必要性そのものが崩れるのは、トランスジェンダーの人々がトランス立ち入りを許可を悪用して、トイレなどの施設で人を襲った事件は一つも起きていないことにある。何年も前からこのような方針を取っている州や市がいくらでもあるというのにである。保守派がトランスでない男たちがトイレなどへのアクセスを悪用したとする例にしても、彼らはきちんと逮捕されていることからして、トランス許容法が犯罪を誘発することにはならないという証拠だ。

自称トランス女が女性施設で犯罪を犯した例は一つもないというのは嘘である。トロントの女子シェルターでトランス女と称する男が数人の女性を強姦した例や、トランス女と称して女子刑務所に移転を許可された連続強姦魔が女子受刑者を数人強姦した例など、数え上げたらきりがないのだ。

フォードやトランス法支持者らのいいぶんは、性犯罪を犯す人間は本物のトランスではないという屁理屈だ。つまり、トランスジェンダーは性犯罪を犯した途端にトランスジェンダーではなく単なる変態男に変わるのだ。だから、トランスジェンダーがトランス許容施設で性犯罪を犯した例は一つもないという理屈になるわけ。これも、トランスジェンダーとはなんぞや、というきちんとした定義がないから起きる現象なのだ。

また、性犯罪はもともと犯罪であるからトランス許容法があろうとなかろうと関係がないというのが推進派の論理である。しかし、トランス許容法は性犯罪の定義をも変えてしまうのでこの論理はまるで意味がない。他の多くの人々が指摘しているように、男子が女子施設に立ち入るという「違法行為」を合法にしてしまえば、性犯罪の大半を占める「覗き」を合法にすることになる。実際に写真を撮ったり、女子の身体に触れたりしなければ犯罪ということにならないというなら、大の男が股間の一物を怖がる女子に披露する行為はどうなるのか?女性の身体をじろじろ見てにたにたする行為はどうなるのか?推進派はそういう質問に全く答えずに、トランスの存在に不快感を持った女性が悪いのだと責め立てるのみ。

フォードはスミスが子供たちと一緒に体験したトランス「女」たちとの遭遇において、スミスの対応は最悪だったと責める。フォードは一般女性よりトランス「女」のほうがよっぽども公衆トイレでハラスメントや暴力に合っているというのだ。しかしトランス「女」の75%以上が体験したという「ハラスメントや暴力」とはどういうものなのかをよくよく読んでみると、

女子トイレに入ろうとして立ち入りを拒否された。

女子トイレで女性たちから出て行けと言われた。

女子トイレから腕力で追い出された。

私はトランス「女」たちが冷遇された体験というのは、てっきり男子トイレでおきたものだと思っていたのだが、彼らの体験はすべて女子トイレで起きている。つまりそれだけ一般女性は男子の女子施設立ち入りに拒絶反応を示すということだ。それだけではない。このアンケート調査で明らかなのは、75%に及ぶトランス「女」たちは、明らかに女性には見えない男性だということである。つまり、彼らを追い出した女性たちにとって彼らは単なるドレスを着た男にしか見えなかったということなのだ。

ザック・フォードは名前からして男だが、スミスのような一般女性や女児たちの母親としての心配はすべてトランスフォビアとして片付ける。女たちは鬘を付けて醜い脛毛まるだしでミニスカートをはき大型ハイヒールを履いている男たちがずかずかと自分らの空間に入ってくるのを大手を広げて歓迎しろというのである。

まさしく男尊女卑のなにものでもない!


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男子を女子トイレに入れるな!トランスジェンダートイレ法に一歩も譲れない理由

信じられないことだが、世界最強の自由国(であるはず)のアメリカ大統領が、なんと全国の小中高学校区において男女の区別なく生徒の好むトイレ及び更衣室そしてシャワー室に至るまでその使用を許可するよう命令した。そのことで全国各州から猛烈な反対の声が上がっている。断っておくが、大統領命令といっても、大統領には立法権限がないため、連邦政府に施行権限はない。ただ、オバマ王はオバマ王の命令に従わない学校区への連邦政府からの補助金を差し止めると脅迫している。しかし多くの学校区がたとえ補助金を失っても大統領の命令に背くものと思われる。なぜならこれは女子生徒を必然的に危険にさらす悪方針だからである。

以前にも書いたが、左翼リベラルが最終的に求める社会はすべての市民が常に恐怖におののいて不安で居る社会だ。個人の力を弱めることによって市民が大きな政府に頼らなければならない社会が左翼リベラルの理想なのである。だから彼らは常に社会の常識を破壊しようとする。男女を区別することは社会の基盤だ。それは男女を不公平に差別するという意味ではない。男女の違いをわきまえた上で差別をしない社会と言う意味だ。

しかし一般の人々は左翼リベラルの求める極端な社会像を想像することが出来ない。だから保守派が左翼リベラルが男女平等を唱えるとき、彼らの最終目的は男女の差を完全無視し、このままいけば男女が同じトイレやシャワー室を使う社会を求めるようになる、と警告したとき「そんなばかな、右翼保守の被害妄想だ」と一笑に付してきたのである。

それがどうだ?やっぱりそうなったではないか?

それでも多くの人々が、別にトイレくらいいいじゃないかという。特に女子トイレは全て個室だから、別に隣にトランスジェンダーのオネエさんが入っていても解るわけではない。そんなに大げさに騒ぎ立てることではないのでは、と言う。

だがそうじゃないのだ、トイレぐらい別にいいじゃないか、という考えは非常に危ない。なぜなら、一旦生物学的男子の女子トイレ立ち入りを許可すれば、次は更衣室になり、その次はシャワー室になり、日本なら銭湯の女湯や温泉の女湯にまで男子の女子施設立ち入りを許可しなければならなくなるからである。トイレがいいなら女湯は何故だめなのだということになるからだ。すでにオバマ王の命令のなかには更衣室もシャワー室も含まれている。これらの規則は右翼保守の被害妄想ではないのである。

男女共用施設法を押しているトランスジェンダー活動家たちは常に、こうした規則を施行した施設において特に犯罪率が上がったという事実はないと主張する。だが、男子が女子施設に入るという違法行為を合法にした以上、覗きの犯罪は減って当然。第一、彼らは明らかに覗きの理由で女子施設に立ち入った男子らによって、恐怖におののいている女子や女児やこどもたちの両親による抗議などは「問題」として全く取り上げていない。

だがすでに、男女共同施設方針を施行すると公表したアメリカ大手小売店ターゲットでは、各地の支店で明らかに男に見える人物が女子施設への使用を要求するという事件が起きている。ターゲットだけではない。同じような方針を施行したロス洋品店でも女子試着室に男性が入ってきたことで苦情を述べた女性客が店員から同店は差別行為をしない方針を取っていると言われただけで無視されるという事件が起きたばかり。

この方針を取り入れる企業や公共施設が増えれば増えるほどこういう事件が増えるだろう。そうと解っているのにオバマ王が義務教育の場でこの方針を強制しようとする本当の理由は何なのか。明らかに0.3%にも及ばないと思われるトランスジェンダー生徒の安全とは無関係である。だとすれば人口の50%を占める市民の安全を脅かすような方針を無理やり市民に押し付けようという行為は女性弾圧以外に他ならない。

大学キャンパスで女性の安全地帯を訴えるフェミニストたちは何をしているのだ!

オバマ政権の本当の目的はトランスジェンダーを守ることではない。彼らの本当の目的はアメリカ社会を根底から覆すことにある。そのためにはアメリカの基盤となっている常識や道徳観念を破壊することが一番手っ取り早いのである。私は常に一夫一婦制の結婚こそがアメリカ文明社会の基盤だと述べてきた。その結婚制度を崩した今、次の課題は男女の差という常識を崩すことだ。矛盾していると思うかもしれないが、男女を全く同じように扱うことで一番被害を蒙るのは女性なのである。

何故西洋では騎士道というものが生まれたのか。西洋社会では大昔から女性を大事にするという基本がある。これは女性は弱いものだから守らなければならないという気持ちからくるものだ。男が戦うのは女子供を守るためといっても過言ではない。だから女を守れない社会は文明が進まないのだ。モスレム社会や男尊女卑の極端な一部の東洋諸国を見てみればこれは明らかなはずである。
だが、もしも、女も男も全く何の変わりはないということになれば、男が女を守る必要性もなくなる。モスレム男たちに冒涜される自国の婦女子を守ろうともしない腰抜け欧州男たちを見ていれば、男が女を守らなければならないという観念を攻撃してきたフェミニズムがどれだけ欧州を落ちぶらせたかがわかるというものだ。

無論私は男性に比べて女性が劣ると言っているのではない。女性の優れた点は男性のそれとは違う面で現れるのであって、筋力の面で男女を同じ土俵に置くことの愚かさは常識のある人間なら誰にでもわかるはずだ。

オバマ王及び左翼リベラルの最終目的は、アメリカがアメリカたることを崩壊することである。アメリカの自由主義、資本主義、本当の意味での男女平等主義といったアメリカの文明社会を破壊することである。トイレ法はその小手調べにすぎないのだ。こういうことは最初が肝心。同性婚では負けたが、我々保守派は断じてトイレ法で譲ってはいけない。

アメリカ社会がアメリカがアメリカたることを守りたいのであれば、このような変態方針は断じて認めてはならないのだ!


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トランスから元の性に戻った女性が語る、トランス社会女性弾圧の実態

トランス女がフェミニズムを乗っ取ってしまったという話は以前から聞いているし、拙ブログでも何回か紹介したことがあるが。が、先日トランスジェンダーに関する記事を集めている4thWaveNowというブログに載った女から男(FTM)へのトランスジェンダーとして二年間生きて、一年前から生まれた性の女性に戻る努力を始めたックスという女性の体験談を読んで、トランス社会における女性迫害及び弾圧の事実を知って改めて驚いている。

マックスは子供の頃から男勝りで男の子とまじってサッカーをしたりしていた。16歳ごろからFTMに関する書物を読みまくり、ネットでFTMのブログを読んだりFTMと呼ばれるほかの10代の女の子たちと友達になって色々話をするにあたり、自分もFTMなんだと思い込むようになった。心の片隅では自分が自分にトランスだと思い込ませようとしているという気持ちもあったが無視した。

自分の心の痛みは、単に間違った身体に生まれてきたからだと思い込むほうが簡単だった。間違っているならただせばいい。そう思ったマックスは17歳にして両乳房の摘出手術をおこない、男性ホルモン治療を始めた。

しかし本格的なトランスの道を歩み始めても心の痛みは消えなかった。完全なFTMになることで幸せになれると思っていたのにそうではないとなると、そういう気持ちを打ち明ける相手が居なかった。トランス専門セラピストはやはりFTMの元女性。マックスは自分のトランス願望は単なる自分のなかにある女性蔑視だったのではないだろうか、という質問をFTMのセラピストは一笑に付したという。

マックスの問題点は男性になりたかったというより、女性であることが嫌だったといったほうが正しい。しかも彼女の女性観は何故か女性であることが社会的に非常に不利であるという長年に渡る左翼リベラルフェミニズムの神話を信じきっていたことにある。

これがサウジアラビアとかUAEとかエジプトとかの社会ならわかるが、アメリカ社会で1995年に生まれた女性がいったい社会からどれだけ虐待されているというのか、今のアメリカ社会で女性弾圧など全く馬鹿げている。若いとこうも左翼の嘘に感化されてしまうものなんだな。

ではマックスが何故男として生きることを止めたのかというと、これは男から女(MTF)へ変わろうとしているトランス女による女性虐待が大きな原因となっている。トランス社会ではMTFの権力が圧倒的に強く、トランス女たちは元々女性であるFTMに非常な敵意を抱いている。MTFは自分たちが女性として生まれてこなかったことで誰よりも迫害を受けていると主張し、女性として生まれたFTMはMTFより恵まれているのだと言い張る。元々女性に性欲を覚える男性で特にこれといった治療も手術も受けておらず、自分を「彼」から「彼女」と呼ぶように他人に強要する以外はどうみても男に見える人間が、自分はトランス女として虐待されていると主張する。

しかもこういう人間に限って自分はレズビアンだと言い張り、レズビアンの女性やFTMといった生得的女性とつきあいたがる。自分は女だから安全だと言って女性を安心させておいて、いったん彼女の部屋にはいると強姦魔に豹変する男もいる。こうしたMTFの男たちによる暴力に苦しむレズビアンやFTMは少なくないのだそうだ。いくら女装してみても男は男だ。どれだけホルモン治療を受けていようが女は女だ。男の暴力に勝てるはずはない。だが、彼女たちがMTFによる暴力を訴える場所がない。トランス社会でMTFの女性虐待を訴えれば裏切り者として非常な制裁を受けるのだ。

また、LGBT社会においてレズビアンやFTMが、MTFとの交際を迫られる例が多く、元々の女性としか付き合いたくない女性たちも、トランス女を拒絶することが政治的に正しくない行為として責められるのを恐れて無理やり元男のMTFと付き合っている人も少なくないという。

マックスは個人的に20人余りの暴力MTFを知っているという。犠牲者になった女性たちは内々に情報を交換してこういう悪い奴らの餌食にならないよう警戒しているというが、誰が味方で誰が敵かわからないので情報交換は非常に難しい。下手をすると「トランスフォビア」とか「ヘイター」とか汚名を着せられてひどい目にあわされるからだ。

マックスが自分はやはり女だったと気が付き女として生きると宣言したことで失った友達は数知れない。彼女は女だけの空間の大切さを知らなかったという。トランス社会では自分は女だと言い張る男たちにによって女性の空間が侵されている。だから彼女はトランス女たちとトイレやシャワー室や更衣室を共用したくないという。彼女はトランス女たちの性犯罪嗜好を十分わきまえているからだろう。トランス女が性犯罪を犯さないなど、それこそ神話だ。

マックスはトランス社会にどっぷり使っていたときは、トランス女は本当の女ではないというフェミニストの書物を読むのは厳禁されていた。彼女自身これらの書物はトランスフォビアだと思い込んで読まなかった。いまにして思えば、もっと早くにそういう本を読んでおくべきだったという。

だが、マックスはまだ20歳。まだまだ人生は長い。トランスジェンダーのヒステリアに感化されて乳房を切除してしまったり男性ホルモンを乱用してしまったりして自分の身体に取り返しのつかない害を与えてしまったことは非常な悲劇である。

私はこれまでトランスジェンダーにしろLGBTにしろ、彼らに対してほとんど何の意見も感情も持っていなかった。彼らは単に異性の格好や振りをしたいだけの変態であり、一般社会に悪影響を及ぼさない限り勝手にクイアーな生き方をすればいいと思っていた。昔は女装男を外でみかけても変な人だなと思っただけだったが、最近そういう男を見かけると吐き気がするようになった。唾を吐きかけたくなった。

LGBT活動家たちは彼らの生き方を我々一般人に押し付け、我々が何千年にも渡って伝統的に培ってきた社会的道徳観を根本から覆そうとしている。男女共同トイレ法がその言い例である。だが、こんなのはまだまだ序の口。LGBTの陰謀はもっともっと深く大きい。今我々が彼らの攻撃を食い止めなければ、今後もどんどん極端なほうへと進むであろう。

今こそ我々一般常識人は立ち上がってLGBTの横暴に抵抗すべきときである。彼らの横暴を許せば、我々文明社会に未来はない。


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幼児のトランス治療は幼児虐待という声明文に物申す!

先日紹介したアメリカ小児科医学大学(ACP)の幼児期におけるトランス治療は幼児虐待だという声明文早くも反論が載ったので紹介しよう。

まずこの反論はACPが小児科医の団体を装った反LGBTのヘイトグループだと断定している。どうして左翼リベラルが議論するときは相手側を単に「意見の違う人々」とせず「憎しみを持つ人々」というふうに表現するのだろうか?幼児の身の安全を守るという立場は同じでも、単にそのやり方が違うだけだという考えはまるで受け入れられないらしい。常に自分らのやり方が最善なのであり、それ以外のやり方はあってはならないものという左翼リベラル特有の奢りである。

反論の著者はザック・フォード。記事の載ったシンクプログレスというのは極左翼サイト。フォードによると私がアメリカ小児科医大学と訳したThe American College of Pediatricians (ACP)という団体はまともな小児科医の団体ではなく極右翼の政治団体で、その会員数せいぜい300人なんだそうだ。ACPを会員数6万人の正規の小児科医師会ザアメリカンアカデミーオブペディアトリックス(the American Academy of Pediatrics)と混乱すべきではないとしている。

たしかにフォードのいうとおりACPは医師会というより小児科医300余名で成り立つ保守派市民団体だといったほうがいいだろう。だがそうだとして、彼らの言っていることが間違っているかどうかはまた別である。フォードに言わせるとACPの声明内容はすでにその間違いが証明されているものばかりだと主張する。

まずフォードはACPはすべてのトランスジェンダーが精神病患者だと決め付けているが、ACPが引用しているDSMでは全くその正反対のことが書かれているという。まず下記は先日私が書いたACP声明の意訳だが、

一個人が自分が別のものであるように感じるというのは混乱した思想である。医学的に健康な男児が女児であると信じたり、医学的に健康な女児が男児であると信じたりするのは、客観的にみてこれらの子供たちの心の根底に精神的な問題が存在するものであり、そのように治療されるべきである。これらのこどもたちは性別齟齬(GD)もしくは(GID)と言われる精神病でアメリカ精神医療鑑定と統計教本(Diagnostic and Statistical Manual of the American Psychiatric Association (DSM-V))にも記されている。

まず、ACPは性別を混乱している子供たちがすべて精神病患者だとは言っていない。それはフォードの勝手な歪曲である。ACPは単に、性別を混乱して悩んでいる子供たちは心を病んでいるのであって身体の病気があるかのような外的な治療をすべきではないといっているのだ。

DSMには、生まれた性に適応しないということ自体は必ずしも精神病とは言えないとされ、自分が異性だとはっきり主張し、それを悩んでいる場合のみ治療されるべきだと書かれている。

もともとACP声明は思春期を遅らせるホルモン投与治療を受けるような子供たちについて書かれているわけで、病気でないなら治療など必要ないはずだ。治療を受ける必要がある以上こういう子供たちは必然的にGender Dysphoria= GD(性別齟齬)という診断がされてしかるべきだ。

トランスジェンダーが病気ではないなら何の治療も必要ない。だとすれば子供たちが単に異性っぽい嗜好があるからといって親が悩む必要はない。危険なことや違法行為に至らない限り好きなようにさせておけばいい。どうせ思春期がくればGDと診断された84%の子供たちが自分の性を受け入れるようになるのだから。

フォードは『84%以上の子供たちが、、、』という「神話」はすでに「間違っていると証明されている」調査結果を基にしたもので、この数字は全く正しくないと言い張る。

フォードがいうに、この調査の対象となった子供たちはGDと診断された子供たちだけでなく、単に自分の性に違和感を持っているというだけの子供たちも対象にされていることと、対象となったサンプルの数が少なすぎる点などをあげ、この調査結果は無効であると断言している。

フォードは「間違っていると証明されている調査」というのを直接リンクせず、その調査の誤りを完全に暴露したとされる記事にリンクしていたので、カカシはそこからまたリンクをたどって元々の調査のリンクにたどり着いたのだが、そのサイトに載っているのはアブストラクト(摘要)だけだった。しかし、そのアブストラクトを読む限り、幼年期にGDと診断された10代の子供25人を対象に調査を行なったとあるので、フォードがいうGD以外の子供も対象にされているというのは嘘である。また対象数が少なすぎるというのも、GDそのものが非常に珍しい病気であるから一つのクリニックでGDと診断された子供のうちアンケートに答えてくれた人だけという非常に限られたサンプルしかないのは仕方のない話だ。

それにしてもひとつのクリニックでGDと診断された25人のうち21人もの青年たちが思春期を過ぎたら症状がなくなってしまったと証言しているということは決して無視できない。フォードが言うような調査のやり方に問題があるとは思えない。よしんば調査のやり方に問題があったとしても、調査結果が間違っていると断言することは出来ない。であるからすでに「間違っていると証明されている」というフォードのほうこそ間違っている。

次に、フォードはACPがいう「異性ホルモンを摂取したり性適合手術を受けた大人の自殺率は一般人の20倍にも登る。」と書いていることも「神話」だと言い張る。これはスエーデンでの調査からくるものだが、フォードはこの調査では異性ホルモン摂取や性適合手術が自殺に結びついているとは書かれていないと主張する。たしかにそうである。だが、ACPもこうした治療が直接自殺に結びつくとは書いてない。他人が言っていないことを、こんなバカなことを言ってる、といって反論することを藁人形議論というのだ。

さて、でそのスエーデンの調査というのはどういうものだったのかというと、カカシ自身がすでに紹介しているのでそこから抜粋する。

2011年にスエーデンのカロリンスカ研究所が発表した調査によると、性転換手術をした324人の患者を30年間に渡って追った結果、手術後10年ぐらい経つと精神的な問題がどんどんひどくなることがわかった。しかも恐ろしいことにこうした人々の自殺率は普通の人の20倍にも及ぶという。なぜ手術を受けた人々の間でこんなにも自殺率が多いのかはわかっていないが、年を取るにつけ自分が社会から受け入れられずに孤立していくのが原因ではないかと思われる。

このとき、カカシも、

これだけみても性同一障害の治療をすぐに性転換手術に結びつけることの危険性が解るというもの。性転換手術が自殺の原因になったとはいえないが、手術が患者の心の病気の治療に効果的であるとはいえない。

と書いた。フォードは自殺の原因は家族や友達からの孤立や社会からの差別にあるという調査結果を紹介しているトランスの自殺率が高いということは誰もが認める事実であるが、その原因はひとつではないだろう。だが、以前にも書いたようにGDが病気ならば、ホルモン摂取や適合手術という治療を受けた人々病状が良化するどころか返って悪化しひいては自殺にまで及ぶとすれば、そして自殺率が健康なひとたちのそれと比べて20倍も多いということは、これらの治療はGDの治療として効果的ではないと結論づけるべきである。少なくとも最適な治療とは言いがたい。

またフォードはジョンホプキンス大学のポール・マックヒュー教授のことをアメリカで顕著な医師のなかでただひとりトランスジェンダー平等扱いを拒絶する医師だというが、カナダで幼年期のGD治療はこのましくないと発表して仕事を首になった小児科医もいる。このように考えている医師らは他にいくらでもいるだろう。だがその見解を発表すればすぐにLGBT社会から差別だヘイトスピーチだと批判され、仕事まで失いかねないので、大抵の医師たちは口ごもっているに過ぎない。

ま、左翼リベラルの反論なんてのはこんなもんだ。フォードや左翼リベラルが好き好んで使う「神話」とか「ディバンク(間違っていると証明される)」という言葉があるが、彼らのいう「神話」とは自分らが賛同できない学説のことであり、「ディバンク」とは単に自分らが嘘だ嘘だあ~!と声高に叫ぶことでしかない。

はっきり言ってフォードの反論は全く反論になっていないというのが私の感想。


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全国小児科医学大学トランスジェンダー思想は幼児虐待声明発表!

昨日(2016年3月21日アメリカ小児科医学大学(American College of Pediatricians)がジェンダー思想は子供を傷つけるという声明文を発表したこの声明は常識ではあるが、最近非常識がまかりとおるようになったこの世の中で、この声明発表は画期的なものである。カカシは何度も子供の性適合治療は幼児虐待だと説いてきた。しかしここにいたって著名な小児科医たちの公式な声明が出されたことは非常に喜ばしいことだ。

アメリカ小児科医学大学は教育者及び立法者らに訴える。こどもたちに薬品や手術による異性模写が普通の生活であると受け入れさせる方針のすべてを拒絶せよ。思想ではなく事実が現実を断定するのである。

同声明文は性やジェンダーについて幾つかの項目を挙げて詳しく述べているので簡単に紹介しよう。

  1. 人間の性は生物学上XYとXXという健康な遺伝子による二種類に分けられる。正常な人間は男子か女子のどちらかとして生まれるように出来ている。人間の性は二種類であるのは種の存続という目的のために出来た自然な形である。時として性器発達に異常のある人間が生まれることはあるが、これは医学的な奇形として認められており、第三の性ではない。
  2. 誰もジェンダー(性別意識)を持って生まれてこない。誰もが生物学的な性を持って生まれてくる。自分が男か女かという意識は社会的及び精神的な概念であり客観的で医学的な概念ではない。誰も自分が男か女かという意識を持って生まれてこない。この意識は発育の段階で叙々に培われるものである。この発育の段階で、どのような工程でもおきうるように、道を外れることはしばしばある。これは子供の主観的な見解や人間関係や子供時代の不幸な体験などに左右される。自分が「異性であるように感じる」とか「(男と女の)間に居るような感じ」という人々は第三の性を持つのではない。これらの人々が生物学的に男子であり女子であることに変わりはない。
  3. 一個人が自分が別のものであるように感じるというのは混乱した思想である。医学的に健康な男児が女児であると信じたり、医学的に健康な女児が男児であると信じたりするのは、客観的にみてこれらの子供たちの心の根底に精神的な問題が存在するものであり、そのように治療されるべきである。これらのこどもたちは性別異常症(GD)もしくは(GID)と言われる精神病でアメリカ精神医療鑑定と統計教本(Diagnostic and Statistical Manual of the American Psychiatric Association (DSM-V))にも記されている。
  4. 思春期は病気ではない。思春期を遅らせるホルモン投与は危険である。元に戻すことが可能であろうとなかろうと、このホルモンは思春期を迎えないことにより再生能力の未発達や他の病気を健康な子供にもたらす弊害がある。
  5. DSM-Vの調査によれば、性適合障害に病む男児の98%女児の88%が思春期を迎えると共に自分の性を受け入れるようになるという統計がある。
  6. 思春期阻止ホルモンによって異性模写をする子供たちは青年期を迎えてから異性ホルモンの摂取が必要とされる。異性ホルモン(テストステロンやエストロゲン)は健康体に高血圧や脳卒中や癌といった非常な危険を及ぼす薬である。
  7. 異性ホルモンを摂取したり性適合手術を受けた大人の自殺率は一般人の20倍にも登る。98%の男児や88%の女児が思春期以後自然に治る精神状態に対してこのような危険な治療を施す必要がどこにあるだろうか?
  8. 一生薬品や手術による異性模写が普通であると子供に信じ込ませることは幼児虐待に他ならない。(強調はカカシ)。性不適合が普通だと教育界や法制度をほどこすことは子供やその保護者たちを混乱させるだけであり、より多くの子供たちが「性適合治療医院」へ足を運び危険な思春期阻止治療を受ける結果を招く。このような治療は子供たちを生涯において癌誘性及び他の毒素を持つ異性ホルモンの摂取や大人になって不必要な整形手術を受ける結果をもたらすのである。

性適合障害は精神病だと主張したフェミニストが講壇の場を失くしたり、トランスジェンダーだといって男子金メダル受賞者がスターとしてもてはやされる狂った時代だが、人間は男子と女子の二つの性で成り立っているという科学的事実は変えることはできない。幼子を持つ親たちが早急にそれに気がついてくれることを祈るものである。


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幼児の性同一性障害治療を巡って首になった小児精神科医にみる政治と科学

私は以前から性同一性障害の治療は性転換手術にあるという考え方に非常な疑問を持ってきたが、それが幼児に対する治療である場合は特に、親が幼児を性同一性障害患者として異性となることを奨励するのは幼児虐待だと主張してきた。思春期を迎える前の子供の性同一性障害専門医で子供が生まれた性を受け入れる方が好ましいという思想で治療を進めていた医師が性同一性障害医療クリニックから解雇されたという記事を読んで、この問題は医療や科学とは全く別のトランス活動家の政治活動に悪用されていると痛切した。

左翼市民運動の活動はどんな運動でも元になる問題とは別に、自分らの左翼権力促進が根本であることがほとんどである。だから女性解放運動にしろ、黒人運動にしろ、同性愛人権運動にしろ、本当の目的は社会から差別されたり弾圧されたりしている少数派の人権を守ることではなく、運動の主導権を握っている人間らの権力を強化することにある。

幼児の性同一性障害を専門に治療してきた精神科医ドクター・ケニス・ザッカー医師はこの道では有名な研究家である。現在65歳のザッカー医師はカナダのトロント市の病院で何十年も幼児期の性同一性障害の治療と研究にあたっており、何冊も研究書を発表している。そのザッカー医師が突然にして彼が勤める(幼児及び少年と家族の性同一性クリニック) the Child Youth and Family Gender Identity Clinic (GIC), を解雇された。その理由というのも、医師の幼児の性同一性障害は子供の成長に任せてなるべく異性変更への道を強制しないという姿勢がトランス運動家らの怒りを買ったからである。

ザッカー医師は決して性同一性障害が存在しないと主張しているわけでも、思春期を越した青少年が性転換に進むことを拒絶しているわけでもない。同医師の治療法は、思春期前の幼児の性同一性に関する混乱は幼児期だけに起きる一時的なものであったり、周りの環境に左右されたりするもので、本当の意味での性同一性障害とは判断できない場合が多いため、あえて早急に異性への変更に取り組むべきではないという常識的な考えに基づいている。

それをトランス運動家たちは、ザッカー医師がトランスの子供たちを無理やり普通の子供に戻そうと野蛮な治療を行なっているかのように訴え、その政治力で医師をの解雇を実現させてしまった。これは本当に性同一性障害やその他の精神病に悩む幼児に対して非常な悪影響を及ぼすものだ。

私は性同一性障害という精神病が存在しないとは思っていない。いやむしろ持って生まれた自分の性を受け入れられないのは精神病だと考えるのは当然のことだと思っている。だが性同一性障害が病気であるならば、その治療法はきちんと科学的に研究されるべきであり、政治が介入すべきことではない。
もしもホルモン投与や整形手術によって障害者の病気が本当によくなるというのであれば、それはそれとして認められるべきことだ。しかし性適合手術を受けた人々の自殺率は受けなかった人々と比べて同率かもしくはかえって高いという調査がある。治療が治療前の症状を悪化させているとしたら、これは有意義な治療方法とは言いがたい。

それでも分別のわかる大人がすることであれば、危険覚悟の治療も許可されるべきかもしれないが、それが幼児となるとそう簡単にはいかない。

子供というのは周りの環境に左右されやすい。男勝りの女の子が回りから「あんたは男の子に生まれてきたらよかったのにね。」と常に言われたら、自分は単に男の子の遊びがしたいだけの女の子が自分は男であるべきなのだと思い込んでしまう危険は多いにある。また、自分が異性だったらいいのに、と願うことと自分は異性であると思うこととは別である。そういう子供をいっしょくたにして異性への転向を回りが奨励するのは危険である。一旦異性への転向の道を歩み始めてしまうと、子供が途中で気が変わっても元の性に戻るのは回りの環境を考えると非常に難しい。単に男っぽいもしくは女っぽい女児や男児でいれば、気が変わってもどうということはないが、一旦自分は異性だと言い張りまわりにもそのように対応するよう要求してきた子供が、気が変わったと言ってまた回りの対応を変えてもらうというのはかなり勇気のいることである。

何度も書いているが、性同一性障害を精神病として扱わずに差別されている小数派民族であるかのように扱うことに問題がある。だいたいトランスジェンダーという考え方自体、いわゆるアイデンティティーポリティクスというステレオタイプを使った差別である。

男女という性別に関しては、それぞれそれなりの傾向がある。男と女が違うのは当然の話だが、どのグループにもそのグループの特質からは離れる例外者は存在する。たとえば男性のほうが格闘技は得意であるというのは一般的な傾向ではあるが、女性でも力強く格闘技に優れている人もいる。そういう人を無視して女性は戦闘員には向かないから受け入れないという考えは女性差別である。また、男性でもスポーツ観戦よりファッションショーのほうが好きという人もいるだろう。だから彼は女々しい男だと言い張るのは男性差別だ。

ところがトランス活動家はそういう差別的なステレオタイプを強調し、女性がズィーナやワンダーウーマンのように強かったら彼女は男であるべきだと主張し、男性が裁縫や料理が好きだったら女であるべきだと主張するのだ。そして彼らはこのステレオタイプを幼児にまで押し付けようというのである。
皮肉なことだが、数十年前左翼リベラルたちは幼児の性別は持って生まれた性よりも周りの環境によって決まると決め付けていた。だから男児でも女児でも性別を無視した教育をすればどちらの性にもなり得るという実験をしたが、それは徹底的な失敗に終わった。現在の左翼リベラルたちは、幼児が幼児特有の幻想を使って異性の違いを学ぶ自由を奪い取り、幼児に自分らの持つ性のステレオタイプを押し付けようとしている。何故男勝りの女の子ではいけない?何故おままごとの好きな男の子ではいけないのだ?

子供たちはそうやって自分らのアイデンティティーを確立していく。大人たちはそっと彼・彼女たちをみまもってやればいいではないか。

ザッカー医師のそんな親心は左翼リベラルには全く通用しなかったようだ。


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男を女子トイレに入れるな! ヒューストン市民投票バスルームビル(トイレ法)を断固拒否

アップデートあり:コメンターのアンデルセンさんが紹介してくれた記事で、日本でも同じようなことが起きる可能性があると感じた。後部参照。

先日ヒューストン市で行なわれた選挙において、性適合障害男性の女子用施設の使用を許可する法案が、市民投票によって惨敗した。この法律はヒューストン市議会が二年前に強引に通し施行して三ヵ月めに市内の牧師や神父らの訴えで一時差し止めになっていたもの。法律反対派が十分な署名を集めたことから今回の選挙で市民投票にかけられ決着をつけることとなったのである。

ヒューストンの法律は、正式にはヒューストン平等人権法(HERO)提案1という名前で、その名目上の目的は性同一性障害や性嗜好によって就職や公共施設の使用や住宅選択などで差別されないためというもの。企業、個人営業、住宅など、違反者は最高5千ドルの罰金を課されるというもの。ただし宗教団体は対象にならない。

トランスやゲイやレズビアンを差別しないことの何がいけないのか、という疑問が生まれるのは当然だが、「差別しない」とは具体的にどういうことを指すのか。ここに問題があるのだ。

この法律では、自分が女性だと感じている男が女子トイレや更衣室やシャワー室を使用することが可能になる。実際に性適合手術を受けていようといまいとに関わらずである。ということは、実際にトランスジェンダーではない覗きや痴漢男が女子施設に入室しても一般人は文句を言えないことになる。女性が脅威を感じても警備員を呼ぶことも警察を呼ぶことも出来なくなるのである。極少数の変態人間の性嗜好のために人口の五割を占める女性たちが犠牲になるという悪法なのである。

無論法律提案者の言い分は、人権を平等に守る差別を禁止する法律のことをトイレ法などという言葉を使って市民を怖がらせるのは卑怯なやり方だというもの。この法律の目的はトランスジェンダーやゲイやレズへの差別をなくすことにあり、女子トイレやシャワー室に変態男が入るのを許可するものではない。反対派の言ってることは嘘だ、嘘だ、嘘だらけだア~!というものだ。

しかしここで私は反対派の言い分は嘘だと言う支持派に聞きたい。

この法律において、全く女性に見えない普通の男が自分は女性だと言い張って女子施設を使用することは可能となるのか?

もしその答えが「イエス」であるならば、もうそれ以上の議論は必要ない。他にどんな差別廃止だの人権だの平等だのという言葉で飾り立ててみても、変態痴漢男による女性や女児への危害を誘発するような法律は断じて通すべきではない。これ、常識である。

『反対派の主張は一般人に恐怖を煽るだけの嘘八百だ』という支持派の意見を二つほど読んでみたが、上記のシンクプログレスにしてもこの記事しても、反対派はアンタイゲイだとかヘイトスピーチだとか言うだけで、それがどういうふうに嘘なのかという説明がまったくされていない。
支持派の言い分は、HEROはトイレ法ではない、この法律は差別をなくすためのもので、女子トイレとは関係ないの繰り返しである。

もし10歩譲ってこの法律の意図が女性や女児を痴漢の危険にさらすものではないとしても、この法律がその危険を誘発するのであれば同じことである。この法律によって女性や女児が危険にさらされる可能性がないというのであれば、この法律がどのように痴漢が女子用施設を使用することを防ぐことが出来るのか説明すべきである。

法律支持派は極右翼が恐怖を煽ることによる憎しみに満ちた運動によって法案が崩れたと主張するが、事実は一般市民の常識がものを言った結論だったのである。

カリフォルニアでも全く同じ法律が今訴訟によって差し止め状態にある。市民の署名が集まればヒューストンと同じように住民投票に持っていけるのだが、カリフォルニアはテキサスよりはずっと左翼リベラルである。まだまだその道は険しい。

だがいずれはカリフォルニア州民も常識で投票してくれるもと私は期待している。

白浜、女装して女湯入った疑い

2015年11月8日(日)19時42分配信 共同通信
和歌山県警白浜署は8日、男性なのに女装して公衆浴場の女湯に入ったとして、建造物侵入の疑いで中国人の自称会社員、夏良容疑者(36)を現行犯逮捕した。
同署によると、着物姿にロングヘアーのかつらを着用し女湯の脱衣場に侵入。バスタオルを巻いて風呂に入り自撮り棒を使ってスマートフォンで撮影を始めたため、不審に思った女性客が浴場の係員に通報、110番した。

スマホには入浴中の女性は写っていなかった。夏容疑者は容疑を認め「女湯からの景色がきれいと聞いていた」と話しているという。
逮捕容疑は8日午前10時半ごろ、白浜町の露天風呂「崎の湯」の女湯に、侵入した疑い。


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人種は生まれつきだが、性別は社会的建造だと言える左翼リベラルの倒錯した理屈

昨日も紹介したが、レイチェル・ドレンザルという地方黒人人権団体の幹部を務め、大学で黒人学の教授までやっている、いわゆる黒人の人権活動家である女性が実は白人だったという話が今ものすごい話題になっている。特に元オリンピック男子陸上金メダリストのブルース・ジェナーが性転換中を発表した直後のことだったこともあり、男が髪型を変えて化粧してドレスを着れば女だということになるのなら(ジェナーは性別適合手術をまだ受けていない)白人が髪型を変えて黒っぽい化粧をすれば黒人ということになるのではないか、という問いかけがあちこちでされている。だがこれについて、黒人運動家の間からは、ドレンザルとジェナーを比べるのは筋違い。人種は生まれつきだが性別は社会的創造だ、と平気で言い張る輩がいて全く笑っちゃうのであった。
白人のレイチェル・ドレンザルが10年近くも黒人として生きてきたことに関して、ドレンザルは気がふれていると主張する意見が多く聞かれる。ツイッターでは“dolezal crazy” (クレイジー)とか“dolezal nuts” (気違い)といったハッシュタグには多くの意見が寄せられている。
それについてフェデラリストのショーン・デイビスは、

ドレンザルがしてきたことと、ジェナーが現在していることと、いったいどういう違いがあるというのだ?レイチェル・ドレンザルは黒人ではない。ケイトリン(ブルースの女性名)ジェナーは女ではない。(略)レイチェル・ドレンザルが洋服を変えメーキャップを変え髪形を変えても黒人にはなれない。明らかな理由から皆それにはほぼ同意している。赤をいくら青を呼ぼうとも赤は魔法のように青には変われない。

にもかかわらず、左翼やメディアはブルース・ジェナーが名前を変えて洋服を変えてメーキャップをかえて髪型をかえただけで、女に変われると言い張る。どうもってくればでジェナーは英雄だがドランザルは精神病患者だという理屈が成り立つのだ?

『ドレンザルが白人として黒人運動に参加していたなら問題はないが、黒人の振りをしていたことに問題がある』と書いているツイッターに対し、デイビスはジェナーがガールスカウトの指導員になるのは問題ないのかとたずねたところ、返事は「ケイトリン・ジェナーは女性の振りをしているわけではない」という返事が返ってきた。

ちょ、ちょっとまったあ、多少でも事実を把握できる人なら、何の手術を受けてない(手術をしたからといって染色体を変えられるというわけではない。染色体のみが性別を確定できる。)ジェナーが女性の振りをしているわけではないって? いったいどうすればジェナーがやっていることとドレンザルがしてきたことが酷似している事実に気がつかないでいられるのだ?ほぼ一夜にして人種は社会的建造であり性別は生物学的建造であるという観念が逆転してしまったようである。

デイビスが言うように、単なる女装男が自分は女だと主張しただけで社会が彼を女だと認めなければいけないというのであれば、自分は黒人だという白人の主張も認めるしかない。それがいけないというならその理由をはっきりさせるべきだ。
もっとも左翼リベラルがきちんとした理屈で反論など出来るわけはない。彼らの反応はジェナーとドランザルを比較すること自体がトランスフォビアでありレイシズムなのだ、やめろ~!である。議論できないと相手を差別者扱いして黙らせるのが左翼リベラルの常套手段。
それよりは、まだましな議論をしている場合でも、これなんか読んでいて私は笑ってしまった。要約すると、「トランスレイシャル」という観念は、黒人としての差別とか弾圧とかいった体験を肌で感じたことがない人間が、黒人の特権だけを利用する行為だ。こういう行為は人種のステレオタイプを促進することに他ならず、黒人の振りをしさえすれば黒人であることを「感じる」ことが出来るという誤った観念を広めることになるというもの。
あれ~?この議論、どっかで聞いたことないかあ?「トランスレイシャル」を「トランスジェンダー」に置き換え、「黒人」を「女性」に置き換えれば、これはラディフェムがトランス女について言ってることとそっくりそのままではないか?
はっきり言って、白人が黒人の振りをしたからといってそれほど害があるとは思えない。こんなことは、政府や大学や企業が少数民族に対する特別扱いを止めれば済むことだ。白人であろうと黒人であろうと東洋人であろうと、大学入試の合格点数が黒人のほうが白人や東洋人よりずっと低いとか、就職の際に黒人が優先されるといたことさえなければ、誰がどんな肌の色で暮らそうと社会的な影響は全くない。
だが、男性が女性として女性社会に侵入してくることの弊害は膨大である。時を同じくして女子MMAのトランス女選手ファロン・フォックスが相手のタミカ・ブレンツに対して圧倒的な勝利を遂げた際、ブレンツ選手に大怪我を負わせるという事件が起きた。ブレンツ選手はこれまで色々な女子選手と戦ってきたが、このように圧倒的で強烈なパンチを受けたのは初めてだと、男子と女子の肉体的な莫大な違いについて語った。
もうすでにトランス女による女子スポート侵略は始まっている。どれだけ女装しようと男は男だ。女子が男子とまともに立ち向かって勝てるはずはない。単に試合に負けるだけならまだしも、これは女子の安全に関わることである。トランス女を女子スポーツに参加させることは女性虐待である。女性差別である。
ま、そのことについてはまた後日話すとして、トランスジェンダーが認められるならトランスレイシャルも認めるべき。この二つは切っても切り離せない関係にあるのだ。単に相手をトランスフォビアとかレイシストと呼ぶだけでは解決できない問題である。


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トランス社会の台頭にたじたじの情けない現代フェミニズム

ここ数回の選挙運動で民主党は共和党が女性に戦いを挑んでいるというプロパガンダを流し続けている。大学などでは在りもしない強姦文化/レイプカルチャーが話題になり、無実の罪を着せられた男子学生が大被害を受けたり、女子学生の繊細な神経を逆撫でするような講義はあらかじめ引き金警告(トリガーワーニング)をするようにとか言われて、大学教授たちはびくびくでまともな授業が出来ない有様。だが、実際にフェミニズム及びは女性全体に戦いを挑んでいるのは共和党や保守派や男子大学生などではなく、超過激派左翼のトランスジェンダー活動家たちなのである

この間ニューヨークタイムスのオプエドに載ったエリノア・バーケット女史のコラムがそれを如実に現しているので、ちょっと読んでみたい。バーケット自身フェミニストのジャーナリストで、元女性研究学の教授。ドキュメンタリー映画製作でアカデミー賞を受賞したこともある。彼女のコラムの題名は「何が女性を作るのか?」という直訳になるが、要するに「女性とは何ぞや」という意味だ。
まず、最近性転換中であると発表した元男子陸上10種目の金メダリストブルース・ジェナーが、自分は女性の脳を持っていると発言したことに対し、女性と男性では脳が違うのか、とバーケットは問いかける。

一昔前、ハーバード大学のローレンス・H・ソマーズ教授が男女の頭脳は違うという学説を発表して大批判を受けたことがある。教授はすぐさま男女差別者だといわれ同僚からは総すかんを食い、卒業生徒会からの献金が取り下げられるというひどい罰を受けたりした。それがブルース・ジェナーが自分は女性の頭脳を持っているというと、いまや左翼リベラルたちはジェナーを聖人かなにかのように崇め奉っている。

カカシ自身は女性と男性では頭脳の働きが違うという説は納得がいく。女性と男性では同じ問題を解いているときでも脳の別の部分を使っているという研究を読んだことがある。また、男性は距離感覚に長けているので、縦列駐車とか女性よりもはるかにうまい。だが女性は言語面に長けているので、外国語を覚えるのは女性のほうが早い。これは別にどちらの性の頭脳が優れているとか劣っているとか言う意味ではない。生物学的に男性の頭脳と女性の頭脳を区別することはペットスキャンを撮ればわかるらしい。だが、ジェナーがそういう身体検査を受けたという話は聞いていない。

バーケット女史が腹を立てているのは、彼女自身がフェミニストとして身体の面では男女の違いは明らかであるが、頭脳の面では男女差はない、男女は平等だと何十年にも渡って主張しつづけ戦ってきたことをトランスたちが破壊しつつあることである。また、ジェナーが女装してバニティーフェアという女性雑誌に胸を押し上げたコルセットを着て女性のステレオタイプな姿で現れたことに関しても、女性の価値は外見だけではないと主張しつづけてきたバーケットの怒りをさらにかきたてる。

私の68年間の人生のほとんどの間私は女性たちの、我々の頭脳、我々の心、我々の身体、そして我々のムードすらもひとつの小さな箱におしこめ作り上げられたステレオタイプと戦ってきた。それが突然私が味方と思っていたひとたちが、自分たちを革新家だと誇るひとたちが自己の信念を熱烈に支持するという人たちが、女性と男性の頭脳における些細な違いによって人々の人生は最初から決められているという考えを受け入れてしまっている。

このようなナンセンスが何世紀にも渡って女性を弾圧してきたのだ。(略)ジェナーやソマーズによって我々は定義されない。それは男性が非常に長い間してきたことだ。

バーケットはトランス女が男性を捨てたいというならそれは勝手だが、自分らのの威厳を獲得するために女性たちの威厳を踏み潰すようなことはやめてもらいたいと語る。

カカシ自身、バーケットの意見には賛成だ。トランス女たちが自分たちのことを昔から女性と感じていたと語る時、彼らにとって実際に女性であることの意味などわかるはずがない。バーケットはビジネス会議の時に男性が自分の胸を見つめていたり、セックスの後でバースコントロールピルを飲んだかどうか忘れた恐怖や、混みあった電車の中で突然生理が来たときの困惑や、同僚男性の給料が自分よりはるかに多かったり、体力の差から強姦魔を恐れる気持ちなど、トランス女たちにそんな女性体験は一度もないという。女性として生きるということは、一生を通してこういう体験をしてきたということにある。トランスジェンダーの人々がやたらに誇張する女性らしさとは程遠いものである。

だいたいからして、ブルース・ジェナーは男性としての特権をフルに生かして生きてきた典型である。ジェナーは若い頃から運動神経が発達していて、大学でも陸上の奨学金で推薦入学。女性で運動競技の奨学金をもらって大学入学するのは非常に難しい。女子スポーツは男子スポーツより虐げられているのは現実。特にジェナーが大学に行った1970年代なら今よりずっとひどかったはず。オリンピック選手としてのトレーニング中も、ジェナーは女子運動選手のようにウエイトレスのアルバイトなどする必要はなかった。背も高く立派な体格のジェナーは夜道を歩いていても何も恐れることなどなかったはず。ジェナーは1976年当時世界一のアスレートだったのだ、男の中の男だったのだ、そんな人間に女性の何がわかるというのだ?

女性の頭脳というのは色々な女性体験を元に序々に形成されたものだとバーケットは言う。「私は間違った身体で生まれてしまった」というのも非常に侮辱的だとバーケットは言う。あたかも女性は乳房と膣によって定義されるかのような言い方だ。

バーケットはラディフェムなので彼女自身も左翼リベラル。であるから少数派の権利をやたらに主張するという面ではトランスジェンダーたちに同情する面もあると語る。だが、トランス活動が主流化するにあたり、どうしても問題になるのは、トランス女たちが自分たちの権利を「女性の権利」として主張することにある。トランスジェンダーの運動は、一般社会からの差別をなくすというよりも女性たちに対して、女性という定義を改定せよと求めるものだ。

最近では女性や女性専門用語を使うことがトランスフォビアだと責めたてられる例がいくつもある。たとえば、2014年1月、人工中絶権利の運動家マーサ・プリムトンが「1000の膣の夜」という催しを主催したとき、「膣」という女性性器の言葉を使うことで膣を持たないトランス女を阻害することになると大批判を受けた。その批判にも負けず「膣」という言葉を遣い続けると主張したプリムトンはターフ(トランス疎外者)というトランスが作り上げた侮蔑的な形容詞を投げかけられた。膣がなければ妊娠できない、そんな女に人工中絶は必要ないだろうが、そういう常識が通用しないのがトランス社会。

この「膣」という言葉が問題になった例として、1990年代にフェミニストの間で大人気になった「ザ・バジャイナモノローグス」(膣の独白)という芝居がある。これは女性独特の性体験について数人の女性たちがそれぞれ語るお芝居。それが、2015年の1月、マウント・ホーリーダイク女子大学では、このお芝居が「女性であることに関して非常に狭い見解を持つもの」という理由で上演をキャンセルした。

トランス女たちは「膣」という言葉を使わず「正面の穴」とか「体内性器」とかいう単語を使えと主張しはじめた。女性性器を穴扱いするな!と私は言いたいね!こういういことを言うことこそ女性を尊敬していない証拠。

最近では「女性」という言葉すら差別用語だと批判する輩が出てきた。拙ブログでも以前に紹介したが、中絶専門の医療センターで「女性」という言葉使いをしないようにと働きかける運動がある。その理屈は中絶は女性だけの問題ではないからというもの。もしこれが中絶の決心は父親にも関係があるというなら解るが、そういう意味ではない。ここで言う女性以外の人というのは、生物学的に女性として生まれながら生殖器だけは残して男性として暮らしていながら妊娠したトランス男たちのことを指している。

以前にも言ったが、女性として究極の役割である妊娠出産をあきらめることが出来ずに、自分は男だと主張する人間の精神状態は明らかに異常である。しかしこれらの異常者からの圧力で女性専門医療センターが「女性」という言葉使いが出来なくなっている。

また、女子大学ではトランス男たちの扱いで複雑な状態が起きている。私から言わせれば自分は男だと言い張る人間が何故女子大にいるんだと思うが、彼女たちは自分は男だといいながら女子大の生徒会などで活躍しているというのだからよくわからない。自分は女だと言い張るトランス女たちを受け入れている女子大はあるのだろうか?女子大でもエリート中のエリートウエルスリー大学では生徒たちの間から「姉妹愛」や「彼女」という代名詞を使わないようにという要求が多く出てきているそうだ。

今や女性という概念を正しく定義つける権限はトランス人間だけに与えられた特権となったのか、トランス人間以外に本当の女性は存在しないのか、とバーケットは問いかける。

もしトランス社会の目的が男女という二つに一つのステレオタイプを壊すことにあるのであれば歓迎するが、もしそれが女性であることのアデンティーを弾圧しこれまでの女性運動の葛藤や苦労を消し去ろうというのであればそれは絶対に受け入れることは出来ないとバーケットは言う。

現実は、まさにバーケットが恐れるとおり。トランス運動家たちの目的は女性という定義の破壊だ。女性の権限弾圧だ。フェミニストたちが男女には全く差がないと主張した時からこの運命は決まっていた。男女は明らかに違うが、それを認めたうえで差別しないという方針を取っていればこういう道にはつながらかっただろう。

今、若かりし頃のブルース・ジェナーのような男子陸上選手が自分は女だと言って女性競技への参加を主張したらどうなる?今後女性競技は全てトランス女によって占拠されてしまう。女性競技は破壊される。

トランス女を女性として認め受け入れることは女性運動を完全に破壊するのみならず、女性の立場を極端に弱める方向へとつながる。女性人権の弾圧につながる。トランス女ほど男尊女卑のグループも存在しない。彼らは普通の男性よりよっぽど差別意識が強く偏狭で汚らしい運動家たちである。そういう意味で普段はラディフェムとは相対する意見を持っているカカシだが、ことこの件に関しては私はラディフェムを前面的に応援したい。


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去勢男たちに乗っ取られた現代フェミニズム

先日から、小山エミが韓国人慰安婦の問題で話題の人になったらしいという話をしているが、実はそれとは全く無関係な調査をしている最中に、またまた小山エミの名前にぶち当たり、何故私は彼から逃れられないのだろうと苦笑してしまった。実は前々からフェミニズムが男から女(MTF)に転換した去勢男たち(トランス女と呼ばせてもらう)に乗っ取られつつあるという話を聞いていたが、そのことについて色々検索していたら小山エミが2001年に書いたトランスフェミニズムマニフェストなるものを発見した。それを読んでいて、小山について長年そうではないかと思っていた疑惑がやはりそうだったのかという確信に変わった。結論からいえば、小山自身が男から女へと転換を図ったトランス女だったということだ。

カカシが小山のことを当初かなり誤解した理由は、私自身が非常にナイーブで、LGBTやトランスによるフェミニズム乗っ取りについて全く無知だったということにある。カカシが小山のことをレズビアンと呼んだり、レズビアンフェミニストの話をしたりしたときに、小山が『カカシさんに説明してもわからないと思う』と書いたり、ラディフェミに対して少なからぬ敵意を抱いているという印象を持ったのも、今思えばそういうことだったのだなと納得がいく。ま、小山の写真をみれば、あれが普通の女性でないことは一目瞭然なのだが、女性だという先入観を持ってみていたので、唖然としてしまった覚えがある。(ミスター苺は常に「あれは男だ」と言っていたが。)
2014年8月発行のニューヨーカーに載ったミッシェル・ゴールドバーグの記事が解りやすくラディフェム(極フェミニスト)対トランス女(について語っているのでそちらの記事を読みながら現在のフェミニズムについてちょっと考えてみたい。

最近、トランス女を女として認めているリベラルフェミニストたちと、トランス女はあくまで男であり、女子トイレとか女子更衣室や、女性のみを対象としたイベントにトランス女たちを入れるべきではないという姿勢をもったラディフェムたちとの間で大きな亀裂が生じている。だが情勢はラディフェムたちにかなり不利。ラディフェムはトランス女たち率いるリベラルフェムたちに圧倒されており、今やフェミニズムはトランス女と呼ばれる去勢男たちに乗っ取られてしまっているのだ。

最近になってトランス女たちの権力が顕著となってきたが、実は、トランス女たちによるフェミニズム乗っ取りはもう40年以上も前からその兆しをみせていた。
最初にフェミニストたちの間でトランス女の存在が問題となったのは、1973年にロサンゼルスで開かれた西海岸レズビアン大会で当時はまだ珍しかったトランス女でフォークシンガーのべス・エリオットの演奏を許可するかどうかでもめたことにあった。大会の主賓演説をしたロビン・モーガン(女性)はトランス女について、

私は男を「彼女」とは呼ばない。32年間男中心社会で苦しみ生き延びてきて「女性」という肩書きを獲得した。それを女装して数分間町を歩いてひやかされた(多分それも楽しんで)くらいの男が、よくも、よくも、私たちの苦痛がわかるなどというな。 いや、我等が母の名において、我らの名において、我々は断じて彼を妹などと認めてはならない!

と語った。ゴールドバークはこういう意見は最近では少数派になったがラディフェムと呼ばれる人々の間では強く信じられた信念だという。カカシとしてはラディフェムのほうに肩を持つね。トランス女たちは自分らは男の身体で生まれたが頭脳は女性だと主張するが、ラディフェムは男らしいとか女らしい考え方とか行動というのは、男中心の社会が決め付けたものであって「中和された服従」なのだと主張している。

ゴールドバークは、ラディフェムの考える性別はアイデンティティーというよりも社会の地位と受け取れるという。つまり、男として生まれた人間はたとえ後に女になることを選んでも、男としての有利な立場は一生保持されるというもの。女になるという選択権があるということ事態、男に女の立場など理解できるはずがないというわけだ。であるからトランス女を女性として認めよと要求するのも男としての権限を振りかざしているに他ならないというのだ。
トランス女たちや、その支持者たちはトランス女が受けるひどい差別や嫌がらせなどからトランス女の間での自殺率が高いことなどをあげてラディフェムの考えがいかに偏見に満ちたものであるかを主張する。だが最近トランス女たちの権力は目にあまるものがあり、ラディフェムたちのほうがずっと虐待されている。

去年の5月にオレゴン州のポートランドで行なわれたラディフェムの演説会も最初はクエーカー図書館の会議室で行なわれるはずだったのが、土壇場になってトランス活動家による抗議によりイベントがキャンセルされてしまい別の場所に移動せざるおえなかった。こういうことは何もこれがはじめてではない。2012年にロンドンで行なわれたラディフェム大会は、当初コンウェイホールで行なわれることになっていたが、大会はトランス女の参加を拒否していたことと、反トランスとして有名なシーラ・ジェフェリー女史が演説をするということで、トランスジェンダーの活動家らによる圧力に屈してコーンウェイホールは大会の開催を拒否。結局ラディフェム大会は別の秘密の場所で開催された。カナダのトロントで開かれた2013年のラディフェム大会もまたトランス活動家により土壇場で場所を変えざる終えないという状況に追い込まれた。

ラディフェムたちはトランスによる時として暴力的な妨害に対して「ジェンダー批判の鎮圧」だとして抗議したが時すでに遅し。トランス側はラディフェムは差別的なヘイト団体だというレッテルを張り、新しくラディフェムを侮辱する言葉としてTERF/ターフ(trans-exclusionary radical feminist. トランス阻害過激派フェミニスト)という単語を作り出し、ラディフェムたちの弾圧により力を入れている。

トランスによるラディフェムへの攻撃は尋常なものではない。ツイッターでのラディフェム攻撃は脅迫まがいのものが多く、ある若いブロガーはナイフをかざしたセルフィーを撮って「ターフをつれて来い!」というサインをかざしたりしている。こういう命を狙うような脅迫状が多くなったため、ラディフェムのウェッブサイトではそういうコメントを記録するまでになった。ラディフェムでディープグリーンレジスタンス(DGR)というエコ(環境)フェミニストグループを作ったリーラ(?)・キース(Lierre Keith、女性)はトランスたちはラディフェムが彼らを女性と認めないことにひどく腹を立てていると語る。

キースのグループ自体、かなり過激なエコテロリストグループらしいが、その暴力的な姿勢よりもトランスに対する姿勢の方が問題視されている。彼女たちの考えでは男としての特権を持って生まれた人間がどんな手術をしようと女になどなれない。それは白人が日焼けして黒人だと主張しても認められないのと同じだ。このディープ、、が始めて会合を開いた2011年、男から女への転換中の男性の女性専門寝室への入室を拒否した。「男性が支持者として会合に参加するのは結構ですが、女性が寝る部屋や女子トイレへの使用は許可できません」と言うのが理由。あったりまえだろうと思うが、これが問題なのか?

キースのこの態度がトランス派にはかなり気に障ったと見え、去年の2月キースがオレゴン大学で環境保全法についての演説をするはずだったのが、トランス支持派の生徒会の猛反対を受け、命の危険すらあるということでキースは6人の警察官に護衛されて壇上に立ったという。

最近は、一旦は自分はトランスだと思い込んで転換への道を歩み始めた人々が、やっぱり自分はトランスではないと気がついて元の性に戻ろうとする人が少なからず増えている。カカシは女から男へ転換しようと決心して男性ホルモンを一年以上も打っていた人が、やっぱり止めることにしたと涙の宣言をしているユーチューブビデオを何本か発見した。彼女たちは自分のなかで「男っぽい女」でいることが本当の自分なんだとやっと納得できた人たちである。
しかし、性転換が難しいとしたら、逆戻りはもっと大変だ。それは身体にかかる負担もそうだが、トランスを拒絶したとしてこれまで仲間としてつきあっていた人たちから背信者として攻撃を受けるからである。そんななかの一人、ヒース・アトム・ラッセル(女性)は大学在学中にトランス治療を始め大学のトランス人権団体から祝福されていた。しかし四年生のときにシーラ・ジェフェリー著の「アンパッキングクイアーポリティクス(同性愛政治解体)」という本を読み、FTMは男性優位社会に迎合する行為だという主張に感動し性転換をやめたという。カカシが発見したビデオでの告白では、彼女にはレズビアンとしての良きロールモデルがおらず、女が好きだから自分は男であるべきだという間違った考えに感化されてしまったのだという。

彼女の体験はシーラ・ジェフェリーの新作「ジェンダーハーツ」にも登場するんだそうだ。カカシはジェンダーハーツは作品紹介の部分しか読んだことがないが、やっぱりちゃんと読むべきだな。

シーラ・ジェフェリーはオーストラリア出身で今はロンドンの大学教授で、フェミニズムに関する本を9書も書いている権威あるフェミニスト。普段なら新作発表はロンドンの大学書店で行なわれるのだが、今回大学側から厳重な警備が必要だと警告され、新作発表は招待客のみで行なわれることとなった。またジェフェリー女史は、ロンドンの大学にある自分の事務所のドアから名札を外したという。トランス女は女ではないと主張しただけで命まで狙われるとは何と言う恐ろしさだろう。

フェミニストがトランスジェンダーに批判的な本を書いた例はなんと1979年にまでさかのぼる。元尼さんのレズビアンフェミニストジャニス・レイモンドが書いた「ザ・トランスジェンダー帝国、シーメール(彼女・男性)の作成」彼女は尼から医者に転向した人で、医者の立場から性転換手術による身体的精神的な弊害について書いた。レイモンド女史は女性から男性への転換手術について、「すべての転換は女性の身体を強姦するものだ。「トランスセクシュアルによるレズビアンフェミニズムは女性の性と精神を冒涜するものである」としている。このような考えは40年前は主流メディアからも斬新な考えとして好評を受けた。それに比べてジェフェリー女史の「ジェンダーハーツ」はメディアからはほぼ完全無視の状態。時代は変わったものである。

レイモンド自身、彼女に対する風当たりが近年ひどくなってきたことを感じている。彼女は今、トランスに関する問題よりも人身売買についての研究に専念しているが、去年の8月ノルウェー政府からの招待で売春婦登録に関する法律について語るはずだったのが、行ってみると招待が引き下げられていた。それというのも彼女はトランスフォビアだという投稿が主流新聞に載ったからだという。

トランスというか、ジェンダーに関する考えが劇的に変わったのは何と言っても大学だ。特に文科系の大学では生徒はどんな性別の代名詞を使いたいか聞かれるのは普通だという。日本語ではあまり彼とか彼女という代名詞は使わないが、英語だと他人の話をするときはhe/sheの区別が必要。ところが最近は “ze,” “ou,” “hir,” “they,” なかには“it” なんてのもあるんだそうだ。カカシも最近フェイスブックでは20いくつの代名詞があると聞いてぶっとんだくらいだから。面倒くさいから中性の「あの人」みたいな言葉をつくったらいいんじゃないのかと思うね。

最近では大学の保険が性転換手術の費用負担をしたりするところも増えているんだとか。ハーバードやエールやドューク、カリフォルニアのUCシステムもそうなんだとか。医療といえば、先にあげたラッセルが大学で女性は妊娠によって弾圧されているという話をしたとき、他の生徒からまじで「でも女性でも男の場合はどうなの?」と聞かれたという。なんだそりゃ?

もっと複雑で笑っちゃうが冗談じゃない話がある。フェミニストといえば人口妊娠中絶の権利を主張するのが定番だが、ニューヨークの人工中絶基金( the New York Abortion Access Fund)という中絶費用が出せない若い妊婦たちへの費用提供のための基金では、去年の5月、妊婦を「女性」と呼ばないことに決めたという。女性というと女から男へのトランス男たちを排除することになるからだという。何でトランス男が妊娠するんだよと聞くのは野暮なのだろうか?NARALとか中絶専門施設のプランドペアレントフッドなどにも「女性」という言葉使いをしないようにという圧力がかかっているそうだ。

こういう言葉使いの変化について批判するのはシスジェンダー(cisgender)の特権にしがみつく行為だというのが若いフェミニストたちの言い分。シスジェンダーというのは要するにトランスではない人たち、つまり正常な人間のことをさす。左翼リベラルってのはやたらとくだらない言葉を作り出して、周りにその言葉使いの使用を強制する。単に正常人と呼べ、と言いたいね。

古いタイプのフェミニストたちはこういう新しい考えについていけない人が多い。サラ・セイント・マーティン・リン(41歳女性)は昨年ベイアリアガールスロックキャンプの委員会から辞任を要求された。それというのも彼女がミシガン女性音楽祭the Michigan Womyn’s Music Festivalに関連しているというのが理由。女性という意味のwomanをわざわざWomynとつづるほどの過激派フェミニストたちの音楽祭は、女性に生まれた女性のみの参加しか許可していない。

この音楽祭でトランス女が追い出されるという事件がもう20年以上も前にあったという話は小山エミのエッセイを読んで知ったのだが、その後手術後のトランス女はいいのではないかという話が持ち上がり、その際手術前のトランス女たちが抗議してはちゃめちゃなことになったらしい。まったく事実は小説よりも奇なりというが本当である。
さて俗にミシフェストと呼ばれるこの音楽祭は毎年8月に開かれている。創設者はリサ・ボーゲルで始まったのは1976年、彼女がまだミシガン大学の学生だったころに始め、いまでもボーゲルが主催している。音楽祭とはいうものの、音楽もさることながら、大事なのは毎年何千という女性が集まり、キャンプを設置し女性だけの女系コミュニティーを作ることに意義があるのだとボーゲルは言う。人によっては豪華なコスチュームで現れる女性もいれば、素っ裸で歩き回る女性もいる。もしも世の中が女性だけだったらどういうふうな社会になるだろうというファンタジーの世界を作り出すのが目的だという。

彼女にとって夜一人歩きをしても安全を感じられる場所は大事なのだという。ここは女性が無防備でも安心できる場所であり、こんなところは他にないと。「明日、誰でも大歓迎ということになったら、それはそれでクールな場所かもしれないけど、我々が我々であることの深い意味での自由な意識は変わると思います。」

トランス活動家たちからすれば、トランス女は女性にとって危険な存在だといわんばかりのボーゲルの考えは非常に侮辱的に取れる。

トランス女で生物学者のジュリア・セラノ(MTF)はトランス女が居ると普通の女性が不快になるというのは、ゲイやレズビアンが更衣室にいると不快だというのと同じ理屈だという。セラノについてはジェフェリーの新著のなかで「フェミニズムを自分の変態的性欲に合わせるべく変えようとしている」としてかなり手厳しく批判されている。セラノは今や現代フェミニズムの新星として大人気者、大学の講演などでひっぱりだこだ。抗議がキャンセルされたり警備が必要なラディフェムたちとは大違い。

2003年、セラノは約百人のトランスたちとキャンプトランスなるキャンプを設置しミシフェストに抗議した。この抗議キャンプは最初にトランスたちがミシフェストから追い出された1994年から時々開催されていた。それまではミシフェスト参加者との遭遇は比較的平和的だったというが、その年はトランスキャンプがあらされケーブルが盗まれたり水源が止められたりという嫌がらせがあったという。

それ以後、トランスたちの作戦は、ミシフェスト参加ボイコットを使った嫌がらせへと変更された。おととし、ミシフェストで長年レギュラー出演していたザ・インディゴガールズは突然、トランス参加を認めるまではミシフェストでの演奏はしないと宣言。去年のヘッドライナーのハンター・バレンティーノも同じ理由で参加を辞退。逆にミシフェストで演奏したパフォーマーたちは別の場所でボイコットを受けたりしている。ファンクシンガーのシェリー・にコールは彼女のバンドがミシフェストに出演するとわかったとたん、ブルックリンのショーから下ろされてしまったという。.

ベイアリアガールスロックキャンプの幹部から辞任を余儀なくされたセントマーティンリンは、首になるまで自分がラディフェムだという意識はなかったという。だが、ミシフェスト攻撃運動やラディフェムへの攻撃が過激化していくのをみるにつけ、女性として生まれた女性のみの大会は存続されなければならないと強く思うようになったという。

トランス活動家のサンディー・ストーン(MTF)は、ラディフェムたちはトランス女たちの邪魔をしないで欲しい、ラディフェムを避けるのはトランス女の責任ではないという。

カカシが思うに、ラディフェムはトランス女たちの邪魔をしているのではなく、トランス女たちがラディフェムの区域に侵入しようとしてくるのを防ごうとしているだけだ。ラディフェム主催のミシフェストをボイコットするのはいいとしても、何故ミシフェストに無理やり参加を要求しなければならないのだ?

トランス女という去勢男たちにフェミニズムが乗っ取られてしまったというのも皮肉な話ではあるが、トランス女たちの横暴はフェミニズム乗っ取りだけでは済まされない。今や過激派トランス活動家によるトランス女を女子トイレや更衣室に入れろという運動は全国各地で起きており、カリフォルニア議会は市民の許可も得ず勝手にトランス女の女子専門施設入室を許可する、バスルームビル(いわゆるトイレ法)を通してしまった。これについてはミスター苺やカカシもその抗議署名運動に加わり、次の選挙でトイレ法廃止案を投票項目に加えるべく運動に参加している。(前回は署名数不足といういいがかりをつけられて項目に載らなかった。)カリフォルニアのトイレ法はいまのところ施行差し止め中。にもかかわらず多くの学校で不法な施行がすでに始まっている。

左翼リベラルのやることは常に保守的な組織を破壊することにある。だが、トランス女を女性専門施設に入れろというのは、一時期男性のみだった商工会やビジネスクラブに女性の入会を許可しろというのとはまるで違う。またゲイやレズビアンを軍隊に入れろというのとも違う。なぜかと言えば、ゲイやレズビアンが傍にいて不快になる人が居たとしても、それ自体軍隊の仕事に支障はきたさない。また、更衣室などで同じ性の同性愛者が居たとしても、それ自体危険な状況ではない。

だが、女子トイレや更衣室に男性が居ることは、単に女性が不快になるだけでなく、女性の安全を脅かすことになる。それはトランス女が危険だというより、トランス女を装う変態男たちの使用をも許可することとなるからである。

以前にも書いたがカリフォルニアのトイレ法は、自分が女性だと思っているだけで女装もしていないどう見ても男にしか見えない男が女子トイレや更衣室に入室するのを許可するという信じられない法律なのだ。ある個人が頭のなかでどんな妄想を描いているかなど他人に解るはずがない。これは幼児わいせつ癖のある変態男でも、自分は女だと主張しさえすれば女子トイレに入れるとなれば、女性の安全など絶対に保てない。

今なら、女子トイレに入ろうとする男がいたら警備員が注意をすることも可能だが、トイレ法が通れば普通の男がずかずか女子トイレや更衣室に入っても誰も文句は言えないのである。この間のプラネットフィットネスで起きた事件など、文句をいった女性会員が会員権を剥奪されるなど、まるで常識が通らない世の中になりつつある。
ラディフェムたちがトランス女たちに圧倒されていることは、これまでのラディフェムのやり方からして「いい気味だ」とかいってやりたい気もしなくはないが、トランス横暴の被害者はラディフェムだけに収まらない。そこが重大な問題なのである。


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