5歳の幼女をトランスとして育てるのは幼児虐待だ!

先日カリフォルニアはサンディエゴに住む若い両親が自分の5歳の娘はトランスジェンダーだとして男の子として育てる決意をしたという記事を読んで、そりゃ幼児虐待だと即座に思った。

ジェフ・ウィティングトンとその妻のヒラリーは5歳の娘レイランドを男の子として育てることにしたと、サンフランシスコ初の同性愛市長で暗殺されたハービー・ミルクの名前を取った第六回ハービーミルク多様性朝食会でその「勇気ある決断」を評されインスパレーション賞を受賞した。夫妻は5歳の「息子」のトランスへの「長旅」を始めたと誇らしげに語り、男の子姿で現れたレイランドも1000人の観客の前でお辞儀をして自分はトランス子供だと自慢げに挨拶した。

ウィティングトン夫妻は、自分の娘が2歳の頃に自分は男の子だと宣言したことからはじまって、レイランドは常に女の子の服装を嫌がり、男の子の活動を好んだことから、我が娘はトランスに違いないと思い込み、娘が5歳になったのを境に娘の髪の毛も短くして名前も変えて学校も変えて男の子として育て始めたという。

この親アホじゃないの?

と思うのが普通の人間の反応であるはず。娘が自分は男の子だと言ったら「あなたは女の子よ」と言ってあげるのが親だろう。2歳の幼児に男の子も女の子もないのだ。親に正してもらわなければ男女の違いなど理解できない。

だが今や極左翼リベラルLGBTに文化を占領されてしまったアメリカではそんな常識的な批判をすることさえ許されない。ウィティングトン夫妻の記事は主流メディアでは賞賛するものばかり。『夫婦の勇気ある決断』とか『トランスへのジャーニー』とか劇的な言葉使いで夫妻を英雄扱いしている。
まるで裸の王様である。アメリカメディアにはこの夫妻のしていることが幼児虐待だと指摘するものは居ないのか?そう思って色々さがしていたら、ようやく一人私と同じことを書いてるマット・ウォルシという男性のブログを発見した。

マット曰く、この年頃の子供は親の言うことはほとんど本当だと信じ込む。だから親に言われれば、太っちょの白ひげの赤い服を着た爺さんが暖炉の煙突から毎年一回贈り物を届けにくるなんて話しも簡単に信じる。

私も子供の頃よく言われたが、女の子のくせに男の子のものが好きな娘に向かって「お前は本当に男みたいだね、男にうまれてくればよかったのにね」などといったら、感性の強い子供なら親を喜ばせようとして「僕は男の子!」と言い張るかもしれない。子供にはまだ自我の確立が出来ていない。常識も理屈も通用しない。はっきり言って思春期を迎えるまで、自分が何たるかなどということをしっかり把握している子は先ずいないだろう。だから子供には想像の友達がいたり、ぬいぐるみの動物を本物のように扱ったり、自分は女の子なのに男の子の振りをしたりしてみる。そんな子供に自分をトランスジェンダーだと思い込ませるのは簡単である。

親であれば、子供なら誰でも通り過ぎる成長の過程を、なるべく子供の想像力を損なわないようにある程度の妄想は黙認しながらも、危ないときは手を貸してあげるげきだろう。子供が「僕はスーパーマン」といって風呂敷を首に巻いて走り回っているのは放っておいてもいいが、空を飛ぶといって窓から飛び降りようとしたら、親は即座に止めなければならない。

それを大の大人が子供の妄想を助長させてそれを何か勇気ある行為であるかのようにメディアで大々的に発表するというのはどういう神経なのだ?マットも指摘しているが、ウィティントン夫妻は単に娘を利用して自分らが左翼リベラルの間でちやほやともてはやされたいだけなのではないかという。これは娘のトランスというより、娘を洗脳して自分らの名声獲得に利用しているだけなのではないかと。だとすればまさしく幼児虐待である。

この間から私も書いてきたが、だいたいトランスという概念自体が、これまでジェンダーフリーを主張してきたフェミニズムの概念に反する。左翼リベラルは常々、「男とか女というステレオタイプに拘るべきではない」と主張してきた。女の子はおままごとをし、男の子だったらバレエ教室より野球をやらせるべき、といった男女のステレオタイプを子供に押し付けるべきではないといい続けてきた。
だとしたら、女の子であるレイランドがドレスを嫌がり、ズボンが好きで野球帽かぶって外で運動するのが好きだからといって、「この子は男の子なんだ」と決め付けることは、女の子を女の子としてのステレオタイプに押し付けようとする行為ではないのか?

だいたい男女の考え方や素質の傾向にはものすごい個人差がある。たとえば日本人成人女性の平均身長を線グラフで表した場合、左端の120センチくらいの人は少なく、だんだんとなだらかな線が右上がりになり160センチくらいのところが一番高くなり、その後170になってくると右下がりになり、180センチくらいではほぼひらべったくなるだろう。しかし両極端の120センチや180センチの女性も存在する。女性の平均身長が160センチだからといって、120センチや180センチの人は女性ではないなどと言う人はいないはずだ。

それと同じで、女性的とか男性的という性別的な傾向の度合いはひとそれぞれであり、ステレオタイプは単に平均的な性質を述べているに過ぎず、その平均に当てはまらない人々は男女ともに少数派ではあるが存在するのだ。

普通の女の子がおままごとを好むからといって野球やサッカーが好きな子は女らしくないというなら、オリンピックの女子選手はすべて女らしくないということになってしまう。女性は普通エンジニアなどの職種には付かないが、そういう仕事をしている人は女らしくないのか?女性が軍隊に入ったり消防士になったり警官になったりしたら女性らしくないのか?

5歳の子供がドレスが嫌いでも、おままごとが嫌いでも、だから何なんだ、と私は聞きたい。男の子がスカートをはくのとは違って、女の子がズボンを履いて学校に行ったからといってどうということはないだろう。髪の毛もショートカットが好きならそうさせてやればいい。だが、あくまで娘は女の子なのだということを親はきちんと教育すべきだ。いくら思春期前は男の子を装っていても、いずれは女性の身体になるのだから、そうなってから子供が混乱しないように常に自分は女性であるということを親はきちんと納得させるべきだ。

だいたいトランスという概念ほど自己を拒絶する不寛容な概念もない。女性の身体で生まれたからと言って社会が決めた女性の役割を果たさなければならないという義務はない。特に自由社会のアメリカではそれが可能だ。何故ステレオタイプのジェンダーに自分を無理やり当てはめようとするのか?
OK,あなたは男と感じている。だったら女に生まれながら男と感じるという人間として生きていくことのどこがいけないのだ?何故世間が認める心身ともに男にならなければならないのだ?一生男装の麗人を生き抜けばいいではないか?

自分で自分を拒絶しておきながら、社会に寛容を強制させるトランス活動家に私が怒りを覚えるのはこの点だ。しかもそれを5歳児にまで押し付けるとは、、
こんな親は親失格である。


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性同一性障害少年の自殺を口実に障害治療を違法にしようとする動き

去年のクリスマスに、性同一性障害に病む17歳の少年、ジョシュア・(リーラ)・アルコンが走行中のトラックの前に飛び出し自殺した。少年は女子であると主張する少年の病気を無理やり治療させようとした両親への抗議文をフェイスブックに掲載した。これを悪用して同性愛団体がトランスジェンダーコンバージョン治療を違法にしようという署名運動を始めた。

私は以前から性同一性障害の治療が野蛮な性転換手術のみであり、他の治療法を認めたがらないトランス社会の横暴なやり方に非常な苛立ちを感じている。記事にあるようなコンバージョン治療というものがどういう類のものなのかわからないが、カリフォルニア州では、性同一性障害患者に「あなたは自分が異性であるという妄想をもっているだけかもしれない」という精神カウンセリングをすることすら違法となっている。これが正しい医療といえるだろうか?はっきり言ってこれは言論の自由迫害だ。実際に性転換手術をうけてから自殺する人の数は手術を受けなかった人より多いという調査結果もある。

ジョシュア少年が自殺したのは悲劇である。だが、彼の自殺が実際にコンバージョン治療によるものなのか、彼をトランスだと思い込ませたうつ病にあるものなのか現時点では解らない。

この件に関しての記事は全てコンバージョン治療が悪質な拷問であるかのように書いているが、その治療というものが一体どういうものなのかという具体的な例が出されていない。また、治療によって良くなった人たちがいるのかどうか、つまり成功率や失敗率に関するデータがまるで表示されていない。
コンバージョンセラピーを違法にせよ! と騒ぐ前に我々は次のことを学ぶ必要がある。

  1. コンバージョンセラピーとは具体的にどのようなものを指すのか
  2. 治療の成功率/失敗率はどのくらいなのか
  3. 治療の結果、自殺に追い込まれた患者はどのくらいいるのか
  4. 他にどのような治療法があり、その成功率/失敗率はコンバージョンに比べてどのようになっているのか

繰り返すが、性同一性障害の治療が性転換だと決め付けるのは非常に危険だ。私は性転換手術をしたことを後悔している人たちの記事をずいぶん読んだり聞いたりしたが、手術後の自殺者も多い。そのことについては去年にも書いたことがある。

2011年にスエーデンのカロリンスカ研究所が発表した調査によると、性転換手術をした324人の患者を30年間に渡って追った結果、手術後10年ぐらい経つと精神的な問題がどんどんひどくなることがわかった。しかも恐ろしいことにこうした人々の自殺率は普通の人の20倍にも及ぶという。なぜ手術を受けた人々の間でこんなにも自殺率が多いのかはわかっていないが、年を取るにつけ自分が社会から受け入れられずに孤立していくのが原因ではないかと思われる。

これだけみても性同一障害の治療をすぐに性転換手術に結びつけることの危険性が解るというもの。性転換手術が自殺の原因になったとはいえないが、手術が患者の心の病気の治療に効果的であるとはいえない。

コンバージョン治療を違法にせよとわめきたてる運動家の理屈でいけば、手術後患者の自殺率が一般社会の自殺率より20倍もあるような治療は断固違法にすべきということになるが、トランス運動家の間に性転換手術反対の声は聞かれない。それどころか性転換手術以外の治療は断固阻止するという動きのほうが圧倒的に強い。

トランス運動家は、手術を後悔して元の性に戻りたいという人々の声を暴力的に沈黙させている。
彼らの目的はまよえる子羊を救うことにあるのではない。彼らは自分らの変態的な生活を無理やり一般社会に押し付けることにある。だからちょっとでもトランス人口を増やすことが目的なのであり、性同一性障害に病む患者を治療することなど全く興味がないのだ。
私は「コンバージョンセラピーは違法にすべし」という法律は絶対に通してはならないと思う。特にこの治療の内容が具体的でないことが一番危険だ。

さて、関連記事だが、アメリカの老齢者用健康保険が性転換手術費用を支払うことになり、74歳の男性が女性になる転換手術を行なった。

国民の税金をこういうふうに無駄遣いするとは、いい加減にしてもらいたいね!


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後悔する性転換者の話を隠滅するトランス社会

最近アメリカではトランス活動家たちの権力が大きくなっているが、そんななかで性別適合手術という、いわゆる性転換手術を受けたことを後悔する人たちの話も聞くようになった。 私も以前に意外に多い、いい加減な診断で性転換手術を受けて後悔する患者達というエントリーでそんな人たちの話を紹介したことがある。

ただ、トランスそのものは祝福し奨励するLGBT社会も、手術を後悔する人がいるという話は隠滅するだけでなく、後悔しているというトランス者に対して暴力的脅迫をするので、実際にどれだけの人々が黙って悩んでいるのかその正確な数はつかみにくい。

つい先日も性転換を後悔する人々の話しを隠滅するトランス社会についての記事を読んだ。

この記事の著者はステラ・モラビト(Stella Morabito)で、彼女は性転換手術を後悔していると公言した人々がどのようにトランス社会から報復を受けたかを記述している。

アラン・フィンチ, オーストラリア住人。19歳のときに男から女への治療を始め20歳で去勢手術を受けた。しかし2004年、フィンチが36歳のとき、彼はガーディアン紙でこのように語った。

. . . 性同一性障害とは精神科医が作り上げたものだ。…基本的に性別を変えることなどできない。手術で遺伝子を変えることはできない。(性転換手術)は性器切断だ。私の膣は睾丸の袋に過ぎない。カンガルーの袋みたいなもんだ。怖いのは性欲を覚えるといまだにペニスがあったときのように感じる。ge==幻影肢症候群みたいに。すべてひどい冒険のようだ。私は女だったことはない。私はただのアランだ。 . . . 性別を変えることを切実に望む人に手術を薦めるというのは、例えて言うならば、拒食症の人に脂肪吸引手術を薦めるようなものだ。

フィンチはオーストラリアの性同一医院に対し誤診されたと訴訟を起こした。フィンチはまた「ジェンダーメンダース」(性別を直す)という組織を始め性転換を後悔するひとたちに手を差し伸べようとした。しかしこの彼の行動はトランス社会からの反応は敏捷で猛烈であった。

以来、フィンチの組織サイトは停止したままで全く更新されていない。フィンチの沈黙は非常に普通で、性転換後悔を公表するのはトランス社会では完全なタブー。その掟を破ればトランス社会からの恐ろしい攻撃が待っている。 にもかかわらず我々が時々この後悔している声を聞くことがあるのは、ハリウッドすらも彼らを完全にコントロールすることができない証だろう。

モラビト記者はトランス社会が掲げるトランスの真実さや幸せは事実よりフィクションだと語る。
レネー・リチャード、リチャードは1970年代のテニスプロ。当時はまだ珍しかった性転換手術のさきがけだった。テニスプロとして有名人だったので、すごい話題になった。それでリチャードはトランスの鏡、ロールモデルとしてがんばってるかと思いきや、そうでもない。1999年、リチャードはテニスマガジンでこんなことを述べている。

もし薬かなんかで当時私が受けていたプレッシャーを緩めることができたら、あのままの自分でよかったと思う。完全に備わった人間として。心の底で私は自分がセカンドクラスの女だとわかっている。トランスになりたい人たちから色々質問を受けるが、私は誰にも私を手本として従うようなことはしてほしくない。 現在は女装趣味とか性的な混乱によるうつ病などに関して薬を含め色々と選択の余地がある。女性として満喫しているかといえば、私は夢にみたほど満喫していない。手術を受けたがっている人たちからたくさん手紙をもらうが、私は皆止めるようにと言っている。 —Rene Richards, “The Liaison Legacy,” Tennis Magazine, March 1999.

マイク・ぺネー。ロサンゼルスタイムスで24年のベテランスポーツライターだった。2007年に突然休暇の後にクリスティーンとなってもどってくると宣言。一時はトランスの報道官的存在となってトランス社会から持ち上げられていた。ところが2008年、突然何の説明もなくクリスティーンはマイクにもどり、新聞のウェッブサイトにもマイクがクリスティーンだったことに関する説明は削除されてしまった。内部の人によると、ぺネーは結婚の破綻にショックを受けていたようで、2009年の11月自らの命を絶った。葬式には招かれなかったLGBT社会は、クリスティーン・ぺネーの追悼式を行なったが、マイクの名前は無視されていた。

これらは男性から女性への性転換者の話だが、もうひとつは女性から男性への転換を行なって後悔した人の話。

ナンシー・バーヘルスト、ベルギーの44歳の女性。乳房削除の手術の跡、そのあまりのひどさに自分は化け物になってしまったといって、ベルギーの安楽死法を使って自殺。44歳の若さでこの世を去った。それにしても自殺擁護もここまでくると犯罪ではないのかね。彼女は子供の頃から両親が男の兄弟たちばかりを贔屓するのをうらやましく思っており、男になりたかったのだという。

この間も紹介したが、トランスの自殺者は普通の人の20倍にも及ぶというのも、手術を受けた段階で家族や友達から孤立した個人が、後悔した時点でトランス社会から迫害を受け新しい友達からも孤立するという二重の孤立を感じるからなのではないだろうか。

もともとトランスの人々は自分の身体を受け入れられないという精神的な弱点を持っている人々であるから、このような大打撃に一人で打ち勝っていくのは簡単なことではないだろう。こうした人々の悩みを本来ならば受け入れるべきトランス社会が、反対に彼らを宿敵のように扱うことが、トランス社会の偽善を現している。

次回はトランス社会がどのように性転換後悔者を虐待するかについてお話する。


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精神科名医、「性同一性障害の治療に性転換手術は好ましくない」最近のトランス政治に異論

この間からカカシが書いているカリフォルニアやテキサスはヒューストン市のトイレ法もそうだが、最近は同性愛過激派団体によるトランスジェンダー人権保護という非常に過激な政治改革が幅を利かせている。 米国でも名高いジョン・ホプキンス病院の元精神科局長を務めていたポール・マクヒュー医師は、性同一性障害は精神病なのであり、健康な身体の一部を切り取る性転換手術は好ましくないという論文を最近ウォールストリートジャーナルに発表した。

マクヒュー博士は最近のアメリカの健康保険に性転換手術が含まれる可能性についてや、トランスの人々の人権保護という名目で、精神科医や両親が性同一性障害をもった患者に性転換手術以外の精神カウンセリングをすることを違法とする法律がカリフォルニアを含め幾つかの州で通されたことに関して、性同一性障害の治療を即性転換に結びつけるのは非常に危険なやり方であると主張する。

まず、博士は、性同一性障害者は精神科医の間ではよく知られる「思い込み」の障害だという。トランスの場合、自分の持って生まれた性別が何故か自分の思い込みとは違う。

これは身体醜形障害といわれる精神病のひとつの症状で、自分の容姿を「醜い」と思い込む病気だ。自分は太り過ぎだと思い込んで拒食症になったりするのもこの病気のひとつである。

こういう人は自分の身の回りに起きている問題が、容姿を変えさえすれば解決されると思い込み、非常に自分勝手に社会が自分の妄想を受け入れるべきと考える傾向がある。

トランスの場合は自分の性別が間違っているという妄想を持ち、その妄想を社会に受け入れさせようとする傾向が非常に強い。最近の左翼リベラルはトランスの人々を道具に自分らの変態的なアジェンダを進めさせているが、マクヒュー博士に言わせると、こうした動きはトランス患者の病気を本質的に治療することには役立たないどころか、かえって危険だと語る。

同性愛活動家らは絶対に認めないが、実はトランス患者に関しては長期的な調査がされており、トランスの治療は性転換手術のみという議論に多大なる疑問を投げかける結果が出ている。
イギリスのバンダービル病院とロンドンポートマンクリニックの調査によると、性同一障害患者の70から80%が性転換手術を受けなくても、突然にして異性であるという気持ちを失っていたことがわかった。25%の患者がずっとその気持ちを持ち続けているが、この二つのグループの違いは未だわかっていない。

ジョン・ホピキンス大学病院では1960年代にアメリカで最初に性転換手術を行なった。しかし1970年代に行なわれた手術効果の調査結果から、患者たちは満足していると答えてはいるものの、精神的な問題は解決されていないことがわかった。よって同病院は性転換手術は性同一性障害の治療として好ましくないという結論に達し、その後性転換手術は行なわなくなった。

2011年にスエーデンのカロリンスカ研究所が発表した調査によると、性転換手術をした324人の患者を30年間に渡って追った結果、手術後10年ぐらい経つと精神的な問題がどんどんひどくなることがわかった。しかも恐ろしいことにこうした人々の自殺率は普通の人の20倍にも及ぶという。なぜ手術を受けた人々の間でこんなにも自殺率が多いのかはわかっていないが、年を取るにつけ自分が社会から受け入れられずに孤立していくのが原因ではないかと思われる。

これだけみても性同一障害の治療をすぐに性転換手術に結びつけることの危険性が解るというもの。性転換手術が自殺の原因になったとはいえないが、手術が患者の心の病気の治療に効果的であるとはいえない。

性同一障害の患者の一部には回りの環境に感化されやすい若者が多いとマクヒュー博士は言う。若者は常にショッキングなことをやってみたいと思う傾向があるので、最近学校などで同性愛を美化する教育を受けたりすると、自分もトランスなのではないかと思い込んでしまう若者が居るという。特に若いうちにホルモン治療などを受ければ、後々の手術結果が良くなるということもあり、若いうちに「治療」を始めるケースが多い。

もっとひどいのは、まだまだ性別に関して未熟な考えしか持っていない思春期前の子供にホルモン剤などを投入して思春期を遅らせる「治療」を施すケースだ。こんなことをすれば子供の成長が止まり、後に再生能力を失う可能性もある。こどもたちが大きくなって、やっぱり自分は男だった女だったと思ったときはすでに取り返しのつかない損失を与えることとなる。教授はこれは明らかな幼児虐待だという。私も全くその同意見だ。

未成年の子供は精神的に色々な段階を通り抜けていく。身体の変化によってそれぞれ色々な妄想や願望を抱く。それをいちいち実現させていたら、いったいどんなことになるかわからない。私も子供の頃は男勝りで、身体も大きく男の子と取っ組み合いをして勝っていた。しかし思春期が近づいてくると力では男の子に勝てなくなり、特に日本のように男女の役割がはっきり別れている社会に住んでいると、「私も男の子に生まれて繰ればよかった」と思うことがしばしばあった。

しかしこれはカカシは自分は男の子だと思ったわけでもなく、どうしても男の子になりたいと思ったというわけでもない。単に男の子が肉体的に社会的に可能なことを自分も出来たらいいなという願望に過ぎなかった。

現在でも異性がやっていることを自分もやってみたいと思う子供はいくらでも居るだろう。それを親や医師が早とちりして「この子は性同一性障害だ、性転換手術のためにホルモン治療を始めよう」なんてことをすることが子供のために良いはずがない。

マクヒュー博士の結論は、現在話題になっている男性から女性に性転換手術を受けたトランスを女性として女性スポーツ競技に参加させるべきかということに対して釘をさすものだとと思う。

問題の真髄は性同一性とは何かという性質への混乱だ。「性転換」は生物学上不可能である。「性別適合手術」を受けた人々は男から女になったり女から男になったりすることは出来ない。単に女っぽい男や男っぽい女になるだけである。これを人権問題だとして手術を奨励するのは、現実的には精神病に協力し奨励するようなものである。


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意外に多い、いい加減な診断で性転換手術を受けて後悔する患者達

この間、自分を男子と思っている中学生女子生徒と学校側との訴訟について書いた時に、性同一性障害の実態について色々と検索していた際、男性から女性への性転換手術をしたことを後悔している男性達の告白サイトを日本語でも英語でも多数発見した。彼らの告白を読むに付け、私が常々感じていた性同一障害の治療を即「性適合手術」に結びつけることの悪を改めて確認することとなった。

ずいぶん以前に男から女への性転換手術をした人たちの話を何かのドキュメンタリーで観た事がある。その番組によると、性転換には時間がかかり、色々な段階をふまなければならないとあった。先ずは患者が本当に性同一性障害であるかどうかの精神診断がされ、女性ホルモン投与が適切な治療法であるかどうかが吟味される。患者は手術前に少なくとも一年間女性として暮らす、そしてそれで絶対に女性になりたいという願望が失せない人のみ手術を受けることが出来る、というものだった。

ところが、私が読んだ数々のサイトでは、金儲け主義で性転換手術を行う病院がいくらもあり、カウンセリングもいい加減で、本人が「自分は女性であるべきだと思う」と言っただけで即女性ホルモンを大量に処方したり、「一年間女性として暮らした」と本人が言いさえすれば、その確認もなしに簡単に手術を許可する医者がいくらでもいるということを知った。これはアメリカでも日本でも程度の差こそあれ事情は同じようである。

それで実際には複雑な精神病に苦しむ患者が自分は性同一性障害者だと錯覚し性転換さえすれば自分は幸せになれると思い込み極端で取り返しのつかない去勢手術に及び、女性ホルモンや手術の後遺症及び精神的な打撃に苦しむという悲劇が多く生じているのだ。

男性/女性に生まれた人が、自分は異性であると実際に知ることは不可能だ。男と女は単に性器の形が違うというだけではない。どれほど女っぽい/男っぽい人でも実際の異性とは違う。男女の違いは肉体の違いはもとより思考回路や感情移入なども全く異なるのだ。どれだけ自分は異性と同調できると感じても、異性であることの本当の意味など誰にもわからない。きちんとした精神科医ならば、自分が異性であると感じる人々の根本的な問題に取り組むであろうし、安易に取り返しのつかない性転換手術など勧めるはずはない。

悲劇なのは、どう見ても女性には見えないような普通の男性が、特に40過ぎの中年男性が突然女性になりたいといって性転換手術を受けてしまう例だ。まだどっちつかずの未成年の頃からホルモン剤投与を行えば、男性でも女性に見えるように変化することは可能かもしれない。(それにしても異性ホルモンを長年摂取することの弊害ははっきりしない。)だが40過ぎまでごく普通の男性として生きてきた人間がちょっとやそっとホルモン剤を摂取したり去勢した程度で普通の女性に見えるような変身など出来るはずがない。結局去勢されただけの変態人間として余命を過ごさなければならなくなる。

そのようなことをすれば、安定した職を失い妻子にも見放され親兄弟からも敬遠されるという悲劇を招くことになる。そうやって孤独に追い込まれて自殺する人も少なくないようだ。

最近はメディアや同性愛活動家が煽って、性同一障害患者の妄想に迎合する傾向があるが、本当にこういう精神病を患う人のことを思うのであれば、きちんとした精神カウンセリングを重視するべきである。精神障害者の妄想に迎合することは患者の健康にかえって悪影響を及ぼす。

もっとも左翼連中の本当の目的は変態者を増やすことにあるから、ごく普通の市民に変態者への迎合を強制するのも理解できるというものである。


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フェミニストなら怒るべき、トランスセクシャルを女性スポーツに参加させるな!

オリンピックでは、ドラッグ検査の他にセックスチェックという検査があった。外見は女性に見えても実際は男性である選手が女性競技に参加するのを防ぐためである。共産圏の選手達は女性が男性ホルモンを摂取して男か女かわからないような選手が多かったので、去勢を受けた男性が女性と偽って女性競技に参加したりしては不公平という理屈だったのだ。ところがそのオリンピック協会が2011年から女性ホルモン治療を二年以上受けて来たトランスジェンダーによる異性競技への参加を認めた。最近では格闘技にすらトランスセクシャル男が女性として参加し話題を呼んでいる。

女性のMMA(格闘技)の選手として颯爽と現れたフォルン・フォックスは、実は男に生まれ整形手術をしていた所謂トランスセクシャル男性であることが暴露された。常識ある世界ならこんな男は詐欺師としてMMA協会から追放されてしかるべきだが、今やリベラルが牛耳るアメリカではフォックスを女性として競技に参加させるだけでなく、それを批判したMatt Mitrioneという男性MMA選手を反対に罰するというまったくハチャメチャな状態が起きているのだ。

トランスセクシャル男性を女性競技に参加されるというのは、女性競技への攻撃であり、女性への冒涜である。男性競技者としてはそこそこの男でも、「性転換手術」を受けて外見だけ女に見えるようにすれば女性プロスポーツで花形選手になれるというなら、いずれ女性スポーツはトランスセクシャルに乗っ取られてしまい、女性スポーツそのものが破壊されるだろう。

実際に自分は女だと思っている性同一性障害とかいう精神病を患ってなどいなくても、整形手術を受けることで富や名声が得られると考える男性が「性転換手術」を受ける可能性は多いにある。いや可能性どころか、タイなどでは特に同性愛者でも性同一性障害者でもない普通の少年が売春のために性転換手術を受けることが横行している。

最近カリフォルニアでは、小中高学校の女子トイレや女子更衣室などに性同一傷害を持つ男子生徒の使用を許可すべきという信じられない法案が提案されており、リベラルしか居ないカリフォルニアの議会では、この法案が通りそうである。

自分は女性だと言い張って女子トイレや女子シャワー室を使用するようなティーンエージャーがいるだろうかと不思議に思うかもしれないが、別に性同一性障害者だと証明する義務は課されていないので、男子生徒が集団で女子更衣室に居座っても女子生徒には文句をいう権利がない。はっきりいって年頃の娘達が男性がたむろするトイレやシャワー室を使うとは思えないので、こんな法律は事実上女子専用トイレやシャワー室をなくすのとおなじであり、完全な女子差別であり、ひどいセクハラである。差別をなくす目的としながら、実際には女子生徒を差別する皮肉な法律なのである。

もっとも法案を出した政治家達の目的はトランスやバイやホモセクシャル生徒達への差別を減らすことにあるのではなく、一般常識や道徳観念の破壊にある。そのために女性が犠牲になることなど何とも思わないのである。

はっきり言って、このあからさまな女性への暴行に対しフェミニスト達が沈黙していることが私には理解出来ない。トランスセクシャルや性同一性障害者への特別扱いで一番の犠牲になるのは一般女性達なのだ。フェミニスト達は声を揃えてこの理不尽な方針に抗議すべきである。

トランスセクシャル男性は女性ではない。普通のスポーツ競技ではホルモン剤などの筋肉増幅剤を摂取してはいけないことになっているが、フォックスが女性としての外見を保つためには女性ホルモンを摂取する必要がある。話によると女性ホルモンを摂取している限りトランスセクシャル男性は男性筋肉を失い女性と同等の筋力になるというが、そのような医学的調査は全くされていない。

整形外科医のジョニー・ベンジャミン医師はオリンピック協会のガイドラインは医学に基づくものではなく、単なる政治的圧力に負けた協会の方針であると語る。

ドクター・ベンジャミンによると、男女の筋力や骨格の違いは思春期後に極端な差が出るため、大人になってからの整形手術やホルモン投入が医学的な男性を女性にするという事実はない。女性ホルモン治療を受けた男性の骨や筋肉がどのように変化するのかという調査もされていない。トランスセクシャル男性の競技選手が女性選手よりどのくらい有利な立場にあるのか、きちんとした医学的調査は存在しないのである。そういう調査が存在しない以上、トランスセクシャル男性選手は女性選手として扱われるべきではないとドクターベンジャミンは主張する。

「私が言いたいのは、我々には充分な知識がないのです。充分な医学的情報がない以上、安全を先決させるべきです。それがきちんとわかるまでは私は支持できません。どのような危険が伴うのかわからないからです。」

私が女性選手だったなら、政治的に正しいとかなんとかいうことより男性と格闘するという危険性について考えるだろう。すでにMMAの女性選手の何人かはフォックスとの試合は安全性の立場から拒否すると公言している。すべての女性選手がフォックスとの試合を拒否しなければこのような方針はずっと続くだろう。


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「妊娠男」離婚を求めて最高裁に訴訟を求める

2008年に性転換後に妊娠出産した男性として話題になったトーマス・ビーティー氏が、今度は離婚を巡って話題を起こしている。この話はカカシも2008年当時取り上げている。

ここ数日「男性が妊娠した、奇跡だ」という話題が持ち上がって大騒ぎになっていたので、いったい何のことなんだろうと不思議に思っていたら、何のことはない、性器整形手術とホルモン治療で外見が男に見えるようになったというだけの、生物学的には女性が妊娠したという話。奇跡でもなんでもないではないか。(略)私は性器整形をしただけで生物学的に全くなんの変化も遂げていない女性を「男性」と呼ぶのには非常な抵抗がある。見かけがどうあれ、彼女はいまでも女性なのだ。しかも、子供を生むという女性として最高の役割をあきらめていない人が自分を男だなど呼ぶのは矛盾も甚だしい

ビーティーは乳房摘出手術をし男性ホルモン治療を受けて多少あごひげが生えていたりもし外見は男に見えないくもない。だが、子供を生むために子宮は保存し、子宮摘出手術を受けて妊娠不可能だった「妻」に代わって、2008年の最初の出産に続いて人工授精で3人の子供を出産した。

しかし「結婚」9年後の今、ハワイで一緒になった二人の関係は破局。アリゾナで離婚訴訟を起こした。しかしアリゾナ法廷は、ビーティーは生物学的に女性であり、同性結婚を認めていないアリゾナ州においては同性結婚の離婚は認められないとしてビーティーの訴訟を棄却した。自分の子供達を私生児にしたくないと感じたビーティーは、アリゾナ法廷の裁断を不服として最高裁に訴えている。

ビーティーの場合、彼女は自分は女性だとは考えていないので、彼女の結婚は同性結婚だったという意識はないのだろう。しかし、いくらなんでも三人もの子供を生んだ女性を男性として扱えというのは理不尽な話だ。

同性カップルの結合を結婚という形で認めることになれば、必然的にビーティー氏のような異質な「結婚/離婚」についてまともに考えなければならなくなる。
さて、2008年当時の記事を読んでみると、

うっすらとあご髭を生やしたビーティーさんは、子供をもうけたいと思うのは性を超えた人としての欲求であり、当然自分にも血のつながった子供をもうける権利があると訴えた。

とある。だが、女性として生まれ、きちんと女性機能を持っている彼女にとって、子供を生みたいという欲求があるのは当然のことで、その同じ欲求が男性にもあるかなんてことは、生物学的に女性である彼女にわかるはずはない。彼女の子供を生みたいという強い欲求はそれは「性を超えたひととしての欲求」からではなく、単に彼女の女性としての母性本能からくるものではないのか。自分が女性であることを忌み嫌って乳房どころか健康な子宮もとってしまうというならまだ話はわかるが、女性と男性を決定的に分ける妊娠出産という欲望と機能を保った彼女が、自分は男性だと主張するのは矛盾に満ちている。

彼女自身の矛盾に満ちた自己の確立は彼女個人の問題であり我々には関係がない。だが、その矛盾を正当なものとして社会に認めろとなってくると話は別である。なぜ我々一般人が彼女の変質的な欲望につき合わなければならないのか。

問題なのは、同性婚という例外を社会が公式に認めた場合、別の形の結合も結婚として認めなければならないとなってくるのは自然の成り行きである。ひとつでも例外を認めれば他の例外も考慮しなければならなくなる。だが、そうやって例外をいくつも受け入れてしまえば、結婚制度そのものの価値が失われる。何でもありは何にもないのと同じだからである。

ビーティーのような判例が普通に議論されるようになるのも、同性結婚が真剣に吟味されることにより、いかに我々の社会が乱れて来ているかという証拠である。


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信じられない、子供の性転換増える!

最近少数ではあるが、ジェンダーアイデンティティーディスオーダー(性別意識混乱症)といって、自分が持って生まれた性別と反対の性であると思い込む子供達に対し、親が早期にホルモン治療などを施し性転換を行う例が増えて来ているいう。

ロサンゼルスに住む8歳児、女の子として生まれたが18ヶ月の時に「僕は男の子」と宣言した。両親は最初はショックを受けたが以来娘を男児として育て、思春期に入る兆候が見え次第ホルモン治療を始めるつもりだと母親はAPニュースに語った。

ちょっと待ってよ。1歳6ヶ月の子供が言ったことを真に受けて子供に性転換のホルモン剤を与えるって、子供の「治療」より、親の精神鑑定を最初にすべきじゃないの?

女児への性転換の治療を受けている11歳の男児を持つレズビアンの両親は、性転換は早いうちに施すべきだと自分らの決断を正当化している。

レズビアンのなかには男性を極度に嫌う人が多い。この両親は男に生まれた子供の性を嫌うあまり、子供を洗脳し性転換治療を強制しているのではないのか、だとしたらこれは幼児虐待以外の何物でもない。

ボストンの子供病院にアメリカ初の小児性別意識医療クリニックを開いたノーマン・スパック医師は、こういう子供はいくらでも居る。門戸を開ければどんどんやって来る、小児科医はその事実をもっと認識すべきだとインタビューで語っている。

異性の恰好をしたり振りをしたりするのは、子供たちの間では極普通に起きる遊びのようなものだが、この子供達はそういう遊びを通り越し、実際に自分は間違った性に生まれたと確信しているのだという。

一般に性別意識混乱症と診断されているこうした子供達のことを、スパック医師は「混乱症」と呼ぶのには弊害があると言う。最近色々な調査によって、こうした子供達は脳が異性に近く形成されている可能性があるとスパック医師は言う。しかも同医師によると、一万人に一人の割でこのような子供が存在するという。本当かね、かなり眉唾だが。

しかしである、こんな幼少の時から後もどりの出来ない医療を施すというのは危険きわまりない。18歳以下の子供の性転換に関与する小児科医もどうかしている。はっきり言ってこのような行為は幼児虐待として違法にされるべきだ。

確かに幼児の頃に異性の恰好や振る舞いを真似る子供はいるが、そういう子供は必ずしも自分は異性に生まれるべきだったと考えているわけではない。単に他の精神的な悩みが女装という形で現れただけかもしれないのだ。きちんとした精神鑑定を受け、根本の問題を明白にしてカウンセリング等を受ければ、極普通の男の子になれるかもしれない。

まだ身体が出来上がっていない18歳以下の子供に性転換治療を施すのは危険だという批判もあるが、だが未成年にこうした治療を施す小児科医に言わせると、早いうちに治療をはじめないことのほうが子供を傷つけることになると主張する。

性別意識混乱症を患う子供達は思春期を過ぎると自己流で性器を切り取ろうとしたり、学校でからかわれたりしてノイローゼになったり自殺を計ったりするという。だが、異性になるための治療を受けている子供達からはそういった問題はなくなるとスパック医師は主張する。

もしもこの男児が身長180cm以上で肩幅も広く筋肉質な体型に育つはずの子だったらどうするのだ?こんな子に女性ホルモンなど思春期から打ち始めたら、いったどんな怪物に成長するかわかったものではない。そのほうがよっぽども他人から変な目で見られ辛い思いをすることになるのではないか?
第一、後になって自分はやっぱり男だったと悟ったらどうする? 男嫌いのレズビアンの両親に好かれたくて子供の頃は女の子になりたいと本気で思っても、年が行くにつれて自分は男だという意識が強くなったとして、ホルモン治療を長年受けた以上取り返しがつかない。

そんなことを医師ともあろうものがやってもいいのか?

テキサスやロサンゼルスのクリニックでも、性転換治療を小児科でほどこした例がいくつもあり、ロサンゼルスの患者には8歳という子もいる。

性転換に使われているホルモン剤は、思春期が早期に来過ぎる子供の治療のために使われるものだが、本来は性転換のためのものではない。スパック医師は一時的に成長を遅らせ、子供が精神的に落ち着いたら永久的な性転換に移るという。しかし医師の患者の97人のうち永久性転換を求めなかったのはたった一人だったそうだ。

思春期前の子供なら性別がはっきりしない場合が多いので、早期に治療を始めれば性転換は後になってするより容易であるとスパック医師が考えるのは理解できる。しかしセックスホルモンは大量に摂取するのは危険である。スパック医師が使っている量は無害な量だと主張するが、そんな若い時期から長期に渡って一生セックスホルモンを摂取することの弊害はまだあきらかになっていない。

性転換手術は18歳以下の未成年に施すことはできないが、スパック医師は16歳の女児の乳房撤去手術には関わった事があると認めている。しかし、思春期にホルモン治療を受ければ女児は乳房の発達を防ぐ事が出来、極端な手術は必要なくなるという。

冒頭に述べた8歳の女児。母親は彼女にセックスホルモンの治療を始めれば胸は大きくならないというと女児は非常に喜んでいると語る。この女児は男児として小学校に在籍しているという。

母親は、娘に女の子の身体について教えたが、娘はそれを完全拒否。幼稚園の頃からドレスを着ることを拒み男の子の名前で呼ばれることを主張した。母親は最初は一時的なものだと思ったが、もしかしたらレズビアンなのではないかと思いセラピストに相談した。その時はじめて性別意識混乱症なるものが存在することを知った。

親として子供がそのような意識を持っていることを受け入れるのは辛かったと言う。通いつけの小児科の医者はこの女児を男児として扱うことを拒否。私立の小学校もこの女児を男児として入学させることを拒絶した。そしてやっとロサンゼルスの子供病院のトランスジェンダークリニックおいて、ジョー・オルソン医師という専門家を見つけることができた。

幼稚園児がドレスを着たがらないとか、男の子の名前で呼ばれたがるくらいどうってことないだろう。それを小学校は男児として入学させるとか、思春期になったらホルモン治療をさせるとか、どういう親なんだと私は聞きたい!子供の性別意識を受け入け入れるのが辛かったなどというのは私には信じられない。

普通の親なら、子供が異常に育たないように普通の子になるように努めるはずだ。相談に言ったセラピストが小児科の医者や学校に娘を男児として扱わせろなどと薦めたなら、冗談じゃないといって別のセラピストへ行くべきだ。

男の子がドレスを着て学校へ行くとなると問題だが、女の子がドレスを拒絶するくらいどうってことないだろう。名前が気に入らないと言うなら、男名のニックネームで呼ぶのもかまわない。男勝りでスポーツが得意なら、好きなようにラフなスポーツをさせればいい。だが、幼稚園児が自分は男だと主張したからといって、両親が「そうよ、あなたは不幸にして女の子の身体に生まれた男の子なのよ。」などと迎合する必要がどこにある?

子供が何と言おうと「あなたは女の子として生まれて来た。だから私たちはあなたを女の子として扱います。」とはっきりさせるべきだ。娘が18歳を過ぎて、どうしても性転換をしたいというなら、それは仕方ない。だが、まだアイデンティティーなど確立できない子供に取り返しのつかないホルモン治療をするなどもってのほかだ。

こんなことは断じて許されるべきではない!


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「性転換」手術後に妊娠した女性を「男性」扱いするな!

ここ数日男性が妊娠した、奇跡だという話題が持ち上がって大騒ぎになっていたので、いったい何のことなんだろうと不思議に思っていたら、何のことはない、性器整形手術とホルモン治療で外見が男に見えるようになったというだけの、生物学的には女性が妊娠したという話。奇跡でもなんでもない。(カカシ注:2022年9月現在。ここで性器整形手術と書いたが、女子の性器の整形手術はこのエントリーを書いた当時まだ普通には行われていなかった。しかもそんな手術を受けていたら子供を産むことは不可能だったので、彼女が受けていたのはホルモン治療のみである。)

【4月5日 AFP】トーマス・ビーティー(Thomas Beatie)さんは、女性として生まれた後、性転換手術を受けて法的に男性となったが、現在妊娠中。雑誌で妊娠が告白されるや性同一性障害者の権利をめぐり、米国で議論が白熱している。

ビーティーさんは、胸部の整形手術を行い、男性ホルモン療法を受けながらも、女性生殖器を残すことを決心していたという。性転換後に結婚した妻が子宮を摘出したため、人工授精で自分が妊娠することにしたという経緯を公表して以来、数々の雑誌が「彼」を取材した。

人気のテレビ司会者オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)のトーク番組にも出演した。うっすらとあご髭を生やしたビーティーさんは、子供をもうけたいと思うのは性を超えた人としての欲求であり、当然自分にも血のつながった子供をもうける権利があると訴えた。

ビーティーさんの妊娠は、前月米国のゲイ雑誌「Advocate」に投稿した「愛の労苦(Labor of Love)」と題するエッセイのなかで告白された。

このLaborという言葉はだじゃれで、Laborには「労苦」という意味と「出産」という意味があるのでそれを掛けているのだ。ま、そんなことはどうでもいい。私は性器整形をしただけで生物学的に全くなんの変化も遂げていない女性を「男性」と呼ぶのには非常な抵抗がある。見かけがどうあれ、彼女はいまでも女性なのだ。しかも、子供を生むという女性として最高の役割をあきらめていない人が自分を男だなど呼ぶのは矛盾も甚だしい。

男女双方の性器及び染色体を持って生まれたいわゆる両性体質の人が、幼い頃に医者が便宜上選んだ性別にどうしても馴染めず反対の性別を選ぶという例はあってもおかしくないと思う。こういう体質の場合はホルモンの関係もあって見かけと中身が一致しないことはあるからである。

しかし、生物学的に何の異常もなく、はっきりとした性を持って生まれた人間が、大人になって「自分は常に異性であると感じていたので整形手術をして異性に見えるようになりたい」と言うのはどうもいただけない。

それでもまだ、自分は異性ではなく同性に愛情を感じるというのであれば、自分は間違った性で生まれてきたのだと感じたとしても、まあわからなくはない。

だが、私に分からないのは、普通の性を持つ異性愛者として生まれ、異性に対する欲望は全くかわっていないのに自分は異性であると主張する人である。手術後にも女性としての妊娠機能を保ちたいと思っているひともそうだが、手術後も元の性の特質をそのまま保っておきたいと考えるなら、なぜ「性転換」手術などする必要があるのだろうか。

よく、ジェンダーフリーを売り物にする人たちはジェンダーは持って生まれた性に捕われないものだと主張する。もしそれが本当なら、「性転換」という概念自体が成り立たない。つまり、持って生まれた性と自分のジェンダーのアイデンティティーが矛盾してもよいというのであれば、生物学的には女性でも自分は男性だと主張するのは個人の勝手だし、特に男性に見えるような手術をしたり戸籍を男性に変えたりして周りの人間に無理矢理自分は男だと認めさせる必要はないはずである。しかも女性として子供を生むという機能を保ちたいならばなおさらだ。

私は男性から女性への「性転換手術」を行った人物が女性のマウンテンバイクトーナメントに参加したカナダの例テレビのドキュメンタリーでみたことがある。この人物の私生活は常に野外でするスポーツに始終しており、特に女性らしい生活をしているとはいいがたい。しかもデートする相手は特に男女どちらとは特定していないというのである。だとしたらどうしてこの人が「女性」に「性転換」などする必要があったのだろうか?(レースに勝つための性転換だったとしたらこんな人間を参加させるカナダのスポーツ業界にも問題がある。)

また女性として生まれながら乳ガンでお乳を失ったのをきっかけに男性ホルモン治療を受けながら、男性に魅力を感じるとして男性とつきあっている「元女性」の例も読んだことがある。どうしてこの人は単に男っぽい女性として好きな男性とつきあう普通の生活を望まないのであろうか?女性でもいくらでも男性顔負けの運動神経の人は存在するし、男性が多い学問でも才能を見せる女性はいくらでもいる。(ちゃんと縦列駐車できる女性もいるし、、)それなのになぜあえて男性の同性愛者という異常な生き方を選んだのであろうか?

男女双方の性の特性を両方持って生きたいのであれば、元々持って生まれたジェンダーをそのままにしておいても何の差し支えもないはず。それをわざわざ整形手術で見かけを変えたいというなら、これは美容整形の域を出ない。そんな安易なファッション感覚で「性転換」手術を受けるなど、あまりにも無責任すぎはしないか?

私はこれらの問題は現在の医学会に大きな責任があると考える。いくら最新の整形技術のおかげで、見かけだけはなんとなく異性に見えないこともないという手術が可能だとしても、可能だからやってもいいという理屈は道徳に反すると思う。自分が特定の性に生まれながら異性であると信じ込むひとたちに必要なのは性器整形ではなく精神治療のはずである。

これもテレビのドキュメンタリーでみたのだが、男性として生まれ異性愛者として妻子もある人が、女性になりたいという幻想を拭え切れないので精神科のお医者さんに診てもらったところ、このヤブ医者は彼に性転換をすすめたというひどい例があった。男性は医者に説得され妻子を捨てて性転換手術を受けてしまったのである。捨てられた妻は医者を夫を洗脳したとして訴えていたがその訴訟がどうなったのかその後のことは私は知らない。

性器整形は鼻を高くしたり目をぱっちりさせるような美容整形とは訳が違うのだ。妻子を持ち自らも異性愛者と認めている男性に性転換をすすめるなど医者としてあるまじき行為である。この男性は明らかに精神異常を煩っておるのであり、いかにして男性として生きることが正しい行為であるか理解させるのが医者としての義務である。それを怠って安易に「性転換手術」を治療として施すなど医者の風上にもおけない人物だ。訴えられて当然だろう。

私は原則として「性転換」という名前の性器整形手術には反対だ。整形して見かけを異性に変えることを考えるまえに、自分の個としての自我の確率に力をいれるべきだ。男として女として生きるということは、見かけだけで決まるのではないのだから。


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変態たちが押し進めるジェンダーフリーという神話

男女共同参画という政策にはジェンダーフリーという概念がついて回る。あたかも性別を無視することによって男女平等が実現するかのような不可思議な思想だ。しかし現実には、ジェンダーフリーとは私が当初考えていたよりもずっと悪質な概念であることが最近になってわかってきた。

真実のジェンダーフリーとは男女平等だの女性救済のための思想などではなく、文明社会の基盤となる一夫一婦制という男女間の関係を破壊し、我々の自由社会を根底から覆えそうという恐ろしい概念なのである。この思想は我々が一番大事にしている道徳観や価値観や信仰を嫌い、個人の自由を迫害する全体主義の左翼思想だ。

ジェンダーフリー推進者の真の目的は、人権擁護法が特定の少数派が特権階級となるために提案されているのと同じように、自分達の変態的な性嗜好を一般社会に強制的に押しつけ、伝統的な社会を破壊した上で自分達が理想とする変態社会を作り上げ、ファシストよろしく自分たちがその社会をコントロールしようというものなのだ。

カカシはジェンダーフリー推進者の本質を暴くことによって、この概念がいかに邪悪なもので、我々の愛する自由社会を脅かす非常に危険な思想であるかを証明していきたいと思う。

そこで先ず、今回はジェンダーフリーを押し進める人々とは、いったいどんなひとたちなのか、という話から進めてみたい。


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