昨日も紹介したが、レイチェル・ドレンザルという地方黒人人権団体の幹部を務め、大学で黒人学の教授までやっている、いわゆる黒人の人権活動家である女性が実は白人だったという話が今ものすごい話題になっている。特に元オリンピック男子陸上金メダリストのブルース・ジェナーが性転換中を発表した直後のことだったこともあり、男が髪型を変えて化粧してドレスを着れば女だということになるのなら(ジェナーは性別適合手術をまだ受けていない)白人が髪型を変えて黒っぽい化粧をすれば黒人ということになるのではないか、という問いかけがあちこちでされている。だがこれについて、黒人運動家の間からは、ドレンザルとジェナーを比べるのは筋違い。人種は生まれつきだが性別は社会的創造だ、と平気で言い張る輩がいて全く笑っちゃうのであった。
白人のレイチェル・ドレンザルが10年近くも黒人として生きてきたことに関して、ドレンザルは気がふれていると主張する意見が多く聞かれる。ツイッターでは“dolezal crazy” (クレイジー)とか“dolezal nuts” (気違い)といったハッシュタグには多くの意見が寄せられている。
それについてフェデラリストのショーン・デイビスは、

ドレンザルがしてきたことと、ジェナーが現在していることと、いったいどういう違いがあるというのだ?レイチェル・ドレンザルは黒人ではない。ケイトリン(ブルースの女性名)ジェナーは女ではない。(略)レイチェル・ドレンザルが洋服を変えメーキャップを変え髪形を変えても黒人にはなれない。明らかな理由から皆それにはほぼ同意している。赤をいくら青を呼ぼうとも赤は魔法のように青には変われない。

にもかかわらず、左翼やメディアはブルース・ジェナーが名前を変えて洋服を変えてメーキャップをかえて髪型をかえただけで、女に変われると言い張る。どうもってくればでジェナーは英雄だがドランザルは精神病患者だという理屈が成り立つのだ?

『ドレンザルが白人として黒人運動に参加していたなら問題はないが、黒人の振りをしていたことに問題がある』と書いているツイッターに対し、デイビスはジェナーがガールスカウトの指導員になるのは問題ないのかとたずねたところ、返事は「ケイトリン・ジェナーは女性の振りをしているわけではない」という返事が返ってきた。

ちょ、ちょっとまったあ、多少でも事実を把握できる人なら、何の手術を受けてない(手術をしたからといって染色体を変えられるというわけではない。染色体のみが性別を確定できる。)ジェナーが女性の振りをしているわけではないって? いったいどうすればジェナーがやっていることとドレンザルがしてきたことが酷似している事実に気がつかないでいられるのだ?ほぼ一夜にして人種は社会的建造であり性別は生物学的建造であるという観念が逆転してしまったようである。

デイビスが言うように、単なる女装男が自分は女だと主張しただけで社会が彼を女だと認めなければいけないというのであれば、自分は黒人だという白人の主張も認めるしかない。それがいけないというならその理由をはっきりさせるべきだ。
もっとも左翼リベラルがきちんとした理屈で反論など出来るわけはない。彼らの反応はジェナーとドランザルを比較すること自体がトランスフォビアでありレイシズムなのだ、やめろ~!である。議論できないと相手を差別者扱いして黙らせるのが左翼リベラルの常套手段。
それよりは、まだましな議論をしている場合でも、これなんか読んでいて私は笑ってしまった。要約すると、「トランスレイシャル」という観念は、黒人としての差別とか弾圧とかいった体験を肌で感じたことがない人間が、黒人の特権だけを利用する行為だ。こういう行為は人種のステレオタイプを促進することに他ならず、黒人の振りをしさえすれば黒人であることを「感じる」ことが出来るという誤った観念を広めることになるというもの。
あれ~?この議論、どっかで聞いたことないかあ?「トランスレイシャル」を「トランスジェンダー」に置き換え、「黒人」を「女性」に置き換えれば、これはラディフェムがトランス女について言ってることとそっくりそのままではないか?
はっきり言って、白人が黒人の振りをしたからといってそれほど害があるとは思えない。こんなことは、政府や大学や企業が少数民族に対する特別扱いを止めれば済むことだ。白人であろうと黒人であろうと東洋人であろうと、大学入試の合格点数が黒人のほうが白人や東洋人よりずっと低いとか、就職の際に黒人が優先されるといたことさえなければ、誰がどんな肌の色で暮らそうと社会的な影響は全くない。
だが、男性が女性として女性社会に侵入してくることの弊害は膨大である。時を同じくして女子MMAのトランス女選手ファロン・フォックスが相手のタミカ・ブレンツに対して圧倒的な勝利を遂げた際、ブレンツ選手に大怪我を負わせるという事件が起きた。ブレンツ選手はこれまで色々な女子選手と戦ってきたが、このように圧倒的で強烈なパンチを受けたのは初めてだと、男子と女子の肉体的な莫大な違いについて語った。
もうすでにトランス女による女子スポート侵略は始まっている。どれだけ女装しようと男は男だ。女子が男子とまともに立ち向かって勝てるはずはない。単に試合に負けるだけならまだしも、これは女子の安全に関わることである。トランス女を女子スポーツに参加させることは女性虐待である。女性差別である。
ま、そのことについてはまた後日話すとして、トランスジェンダーが認められるならトランスレイシャルも認めるべき。この二つは切っても切り離せない関係にあるのだ。単に相手をトランスフォビアとかレイシストと呼ぶだけでは解決できない問題である。


Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *