私は以前から性同一性障害の治療は性転換手術にあるという考え方に非常な疑問を持ってきたが、それが幼児に対する治療である場合は特に、親が幼児を性同一性障害患者として異性となることを奨励するのは幼児虐待だと主張してきた。思春期を迎える前の子供の性同一性障害専門医で子供が生まれた性を受け入れる方が好ましいという思想で治療を進めていた医師が性同一性障害医療クリニックから解雇されたという記事を読んで、この問題は医療や科学とは全く別のトランス活動家の政治活動に悪用されていると痛切した。

左翼市民運動の活動はどんな運動でも元になる問題とは別に、自分らの左翼権力促進が根本であることがほとんどである。だから女性解放運動にしろ、黒人運動にしろ、同性愛人権運動にしろ、本当の目的は社会から差別されたり弾圧されたりしている少数派の人権を守ることではなく、運動の主導権を握っている人間らの権力を強化することにある。

幼児の性同一性障害を専門に治療してきた精神科医ドクター・ケニス・ザッカー医師はこの道では有名な研究家である。現在65歳のザッカー医師はカナダのトロント市の病院で何十年も幼児期の性同一性障害の治療と研究にあたっており、何冊も研究書を発表している。そのザッカー医師が突然にして彼が勤める(幼児及び少年と家族の性同一性クリニック) the Child Youth and Family Gender Identity Clinic (GIC), を解雇された。その理由というのも、医師の幼児の性同一性障害は子供の成長に任せてなるべく異性変更への道を強制しないという姿勢がトランス運動家らの怒りを買ったからである。

ザッカー医師は決して性同一性障害が存在しないと主張しているわけでも、思春期を越した青少年が性転換に進むことを拒絶しているわけでもない。同医師の治療法は、思春期前の幼児の性同一性に関する混乱は幼児期だけに起きる一時的なものであったり、周りの環境に左右されたりするもので、本当の意味での性同一性障害とは判断できない場合が多いため、あえて早急に異性への変更に取り組むべきではないという常識的な考えに基づいている。

それをトランス運動家たちは、ザッカー医師がトランスの子供たちを無理やり普通の子供に戻そうと野蛮な治療を行なっているかのように訴え、その政治力で医師をの解雇を実現させてしまった。これは本当に性同一性障害やその他の精神病に悩む幼児に対して非常な悪影響を及ぼすものだ。

私は性同一性障害という精神病が存在しないとは思っていない。いやむしろ持って生まれた自分の性を受け入れられないのは精神病だと考えるのは当然のことだと思っている。だが性同一性障害が病気であるならば、その治療法はきちんと科学的に研究されるべきであり、政治が介入すべきことではない。
もしもホルモン投与や整形手術によって障害者の病気が本当によくなるというのであれば、それはそれとして認められるべきことだ。しかし性適合手術を受けた人々の自殺率は受けなかった人々と比べて同率かもしくはかえって高いという調査がある。治療が治療前の症状を悪化させているとしたら、これは有意義な治療方法とは言いがたい。

それでも分別のわかる大人がすることであれば、危険覚悟の治療も許可されるべきかもしれないが、それが幼児となるとそう簡単にはいかない。

子供というのは周りの環境に左右されやすい。男勝りの女の子が回りから「あんたは男の子に生まれてきたらよかったのにね。」と常に言われたら、自分は単に男の子の遊びがしたいだけの女の子が自分は男であるべきなのだと思い込んでしまう危険は多いにある。また、自分が異性だったらいいのに、と願うことと自分は異性であると思うこととは別である。そういう子供をいっしょくたにして異性への転向を回りが奨励するのは危険である。一旦異性への転向の道を歩み始めてしまうと、子供が途中で気が変わっても元の性に戻るのは回りの環境を考えると非常に難しい。単に男っぽいもしくは女っぽい女児や男児でいれば、気が変わってもどうということはないが、一旦自分は異性だと言い張りまわりにもそのように対応するよう要求してきた子供が、気が変わったと言ってまた回りの対応を変えてもらうというのはかなり勇気のいることである。

何度も書いているが、性同一性障害を精神病として扱わずに差別されている小数派民族であるかのように扱うことに問題がある。だいたいトランスジェンダーという考え方自体、いわゆるアイデンティティーポリティクスというステレオタイプを使った差別である。

男女という性別に関しては、それぞれそれなりの傾向がある。男と女が違うのは当然の話だが、どのグループにもそのグループの特質からは離れる例外者は存在する。たとえば男性のほうが格闘技は得意であるというのは一般的な傾向ではあるが、女性でも力強く格闘技に優れている人もいる。そういう人を無視して女性は戦闘員には向かないから受け入れないという考えは女性差別である。また、男性でもスポーツ観戦よりファッションショーのほうが好きという人もいるだろう。だから彼は女々しい男だと言い張るのは男性差別だ。

ところがトランス活動家はそういう差別的なステレオタイプを強調し、女性がズィーナやワンダーウーマンのように強かったら彼女は男であるべきだと主張し、男性が裁縫や料理が好きだったら女であるべきだと主張するのだ。そして彼らはこのステレオタイプを幼児にまで押し付けようというのである。
皮肉なことだが、数十年前左翼リベラルたちは幼児の性別は持って生まれた性よりも周りの環境によって決まると決め付けていた。だから男児でも女児でも性別を無視した教育をすればどちらの性にもなり得るという実験をしたが、それは徹底的な失敗に終わった。現在の左翼リベラルたちは、幼児が幼児特有の幻想を使って異性の違いを学ぶ自由を奪い取り、幼児に自分らの持つ性のステレオタイプを押し付けようとしている。何故男勝りの女の子ではいけない?何故おままごとの好きな男の子ではいけないのだ?

子供たちはそうやって自分らのアイデンティティーを確立していく。大人たちはそっと彼・彼女たちをみまもってやればいいではないか。

ザッカー医師のそんな親心は左翼リベラルには全く通用しなかったようだ。


5 responses to 幼児の性同一性障害治療を巡って首になった小児精神科医にみる政治と科学

アンデルセン8 years ago

自己実現のために他人を操作しようとする暴力行為がどこでも野放しにされているものですね。家庭という密室で保護者という立場の人間が、見識も権利も不十分な子供という存在を対象に正義の名の下に行ったらたまったもんじゃない。
日本ではニートと呼ばれる、就学、就労、職業訓練のいずれも行っていない社会適応力に欠けた人たちが福祉を喰うと社会問題化していますが、子供を非難する親の発言を手繰って思考回路を分析すると子供のアイデンティティーを破壊した疑いが持たれ、精神科で治療すべきは親の方で、それがニートを開放し、前向きに生きるための動機になるんじゃなかろうかと思うことしばしばですが、説明しても理解されることは少なく、本人の責任だとか、「ニートは死ね」とか、平気で暴言を吐く人が多いです。
成長期の足に施された纏足で否応なく変形した足と、大人になって見かけ重視で選んだ靴で外反母趾になった足では、本人の責任の重さも人生に及ぼす影響も違う。子供に責任がないとは思わないが、肉体に自律性があり限界があるように、精神にだって自律性や限界があるだろうに、神風特攻精神論が未だまかり通る恐ろしい日本。
「性同一性障害」が、万能免罪符にならなければよいのですが。

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アンデルセン8 years ago

トランプ、頑張っちゃってますね。

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アンデルセン8 years ago

以前ご紹介した育休希望の宮崎謙介衆院議員(35)、奥さんの出産入院期間中に自宅でタレントとの不倫疑惑が出てきました。ある程度下の方です。
自民党「かばう必要はない」
浮気で自民党大物議員のお嬢さん(国会議員)に三行半を突き付けられた過去もあり……。いやはやおそまつな結果に終わりました。この種のスキャンダル、特に興味ないんですが、育休取得の話題が出た時既にギャルのおねえちゃんが至極まともな批判を展開していたのを発見し、人は見かけと肩書きで判断しちゃいかんとつくづく思わされました。ギャップがすごいので貼ってみます。

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苺畑カカシ8 years ago

アンデルセンさん、宮崎議員の話は浜村淳さんのラジオ番組で聴いて呆れました。奥さんが妊娠中に浮気してる男が国民の血税使って育児休暇だあ?国民を馬鹿にするな!アンデルセンさんご紹介のおねえちゃんの言ってることはまさしくまともですね。
産休とか育休するなら代理を立てて自分は無給で休めばいいんですよ。派遣社員とか自営業の人とか中小企業務めで育児休暇なんて贅沢なことは言ってられない市民のことを考えたら、高給取りの議員が国民の税金つかって育児休暇とか冗談じゃないと思いますね。
ま、国会議員は子供を生むなというのは酷ですが、生むのであれば、それが仕事に差し障らない時期を選んでスタッフも整えて計画的な出産をすべきでしょうね。
両立しないなら辞めるというのは当然だと思います。
カカシ

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In the Strawberry Field8 years ago

幼児のトランス治療は幼児虐待という声明文に物申す!

先日紹介したアメリカ小児科医学大学(ACP)の幼児期におけるトランス治療は幼児虐待だという声明文に早くも反論が載ったので紹介しよう。 まずこの反論はACPが小児科医の団体を装った反LGBTのヘイトグループだと断定している。どうして左翼リベラルが議論するときは相手側を単に「意見の違う人々」とせず「憎しみを持つ人々」というふうに表現するのだろうか?幼児の身の安全を守るという立場は同じでも、単にそのやり方が違うだけだという考えはまるで受け入れられないらしい。常に自分らのやり方が最善なのであり、それ以外のや…

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