嘘だらけリード米上院議員「イラク戦争は負けた」発言

米上院議会の多数党リーダーである民主党のリード上院議員の「イラク戦争は負けた」宣言は引き続き色々な波紋を呼んでいる。
この間もディック・チェイニー副大統領がリード議員を強く批判した話をちょっとしたが、私が読んだAPの記事ではその内容まではあまり触れていなかったので、ここでもう少し詳しくご説明しよう。普通副大統領は議会には出席していても自分から意見を述べるということはしない。議案の投票にも賛成と反対が五分五分の時だけ投票して同点を防ぐくらいだ。その副大統領がリード議員の発言について記者たちの前で抗議するというのはよっぽど腹がたったという証拠だろう。(以下はThe Raw Storyより抜粋)

「昨日の(リード上院議員)の発言は非常に残念です。議員の発言は全面的に情報不足で誤解を招くものです。リード上院議員はイラクに関していくつもの姿勢をとってきました。議員はもしブッシュ大統領が今回の提案中の補充議案を否決するならロス・ファインゴールド議員の案を送ってイラク戦費を全面的に差し止めると脅かしました。しかし去年の11月にリード上院議員はイラクの戦費を差し止めることはあり得ないと約束したばかりなのです。つまり6ヶ月もたたなうちにリード議員は戦費を充分な予算をあてがうという立場から条件付であてがうに変わり、さらに全面的に差し止めると変わったのです。わが国が面する非常に大事な外交政策と国家の軍事に関して、たった5ヶ月の間に三回も立場をかえているのです。

「(リードの言う)イラク増派はイラク調査委員会の推薦に反するというのは誤りです。イラク調査委員会の報告書ではバグダッドの警備のため増派が好ましいと明記されています。」

またチェイニー副大統領は、リード上院議員がイラクでは地元政府との話し合いがされていないとか、大統領は米議会と意味のある会議を開いていないと言っているが、リード自身ホワイトハウスでの会議で大統領とは異議のある話しあいをしたと述べていたと、リード議員の矛盾を指摘している。さらに副大統領は、

「リード議員の昨日の発言で何よりも問題なのはその敗北主義です。事実先週もリード議員は戦争はすでに負けたといいました。そして議員の押している時間制限は敗北を保障するものです。

「これは政治的な計算によるものなのかもしれません。…一部の民主党のリーダーたちはイラクに関する政策に盲目に反対することが政治的に有利なことだと信じているようです。 リード議員自身イラク戦争のおかげで次の選挙では自分の党が議席を増やすと語っています。政治的に有利になるからといって敗北宣言をするなどというのはあまりにもシニカルです。指導者たるもの国の安全を守る政策をそのような自分勝手な政党の都合で決めるべきではありません。」

これに対してリード上院議員は「大統領はよく自分の番犬を送り込む」などと副大統領を番犬扱いしておきながら、説明を求められると「個人的な中傷誹謗は避けたい」などと言い逃れをした。自分がいま中傷誹謗をやったばかりなのも知らん顔。
リード議員の「戦争は負けた」発言は民主党内でも失言だったという解釈がひろまったようで、その後リード自身も繰り返していないが、CNNのインタビューでその話を持ち出されたリード議員は苦し紛れに次のような言い訳をした。この話はこの前もちょっとしたがそのインタビューのトランスクリプトが一部手に入ったので紹介しておこう。

司会者: 「戦争は負けた」という言い方はかなり神経を逆撫でしましたが、その言葉を守り通りしますか?

リード: ペトラエウス将軍も軍事的な勝利の可能性は20%しかないと言っています。彼は現場に今いるひとです。彼が戦争の80%は外交、経済、そして政治を通じて勝つべきだと言っているのです。私はペトラエウス将軍に同意しているのです。…
司会者: しかし、将軍は戦争に負けたとは言ってません。もう一度お聞きしたいのですが、、、
リード: 将軍はペトラエウス将軍は軍事力だけでは戦争に勝てないといっているのです。彼がそう言ったのです。…
司会者: 18か19でイラクで任務についている人たちが、命をかけて、時には命を失っているひとたちが、ワシントンから自分達はすでに負けた戦争のために戦っていると聞かされるのはなんだな思いませんか?
リード: ペトラエウス将軍がそう言ったのです。
司会者: 将軍がどういうふうに言ったのですか?
リード: 将軍は軍事力だけでは勝てないと、そう言ったのです。彼は現場の司令官です。
司会者: しかし議員、それはちょっと違うんじゃ、、.
リード: 彼らは将軍が間違っているとでも?
司会者: しかしそれと戦争に負けたと言うのとでは違うんじゃないですか?
リード: ま、それはその、言葉の使い方であって、ペトラエウス将軍は軍事的には勝てないといってるわけですから、、兵士らは皆彼が何と言ったか知ってるのではないですか? そう思いますよ…
司会者: (大統領は)ペトラエウス将軍はワシントンに来てイラクでの進歩を明確にすると言ってます。いわゆる増派もうまく言っているといってますが、将軍がそう言ったら信じますか?
リード: いえ、信じません。事実はそうではないからです。

あれ? 地元の司令官の言うことだから信じるんじゃなかったのかな? それとも自分に都合のいい部分だけは信じるが、そうでない部分は信じないとでも?
しかしリード議員が何度もペトラエウス将軍が言ったと繰り返している発言とは実際はどのようなものだったのだろうか? Mudvillegazetteが説明する

歴史を勉強したものなら誰でも気がつくことだが、イラクのような反乱分子の問題は軍事力によって解決することは出来ない。軍事行使は警備の安全保障のために必要だが、これまで述べた理由の通り、充分な方法とはいえない。

軍事行使は必要だが充分な方法ではない。」と「軍事では勝てない」とでは意味が違うし、ましてや「戦争に負けた」では全然意味が違うではないか! リード議員は自分の失言を撤回せずにどうにか他人のせいにして誤魔化そうという魂胆らしい。
そして肝心のペトラエウス将軍はワシントンで議会の質疑応答に応じる予定だが、下院議会のペロシ議長は降伏議案を通すのに忙しくて将軍の話など聞いてる暇はないと当初、公聴会を設けないと言い張っていたが、あまりの批判に公聴会は開くことになった。しかし彼女自身は忙しいので欠席するそうだ。
まったくしょうがないね。民主党は。


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「イラク戦争は負けた」米民主党首の失言に波紋

さっき私は今滞在中のホテルのジムでちょっと運動をしていたのだが途中で帰ってきてしまった。それというのも私の運動は非常に不愉快な形で邪魔されたからだ。ジムで30分ほどウエイトトレーニングをしていたところで一人の男性が入ってきてテレビをつけた。番組はCNNニュースでイラクで自爆テロがあったというニュースだった。それはいいのだが、CNNは昨日9人のアメリカ兵が自爆テロで殺されたという話からこれまでに何人のアメリカ兵が自爆テロに殺されてきたかという話を延々とし始めたのである。私はそういう話を聞きながら運動したくなかったのだが、男性は自分の使っているマシンが煩かったのか音量を大幅に上げたので嫌でも聞こえてくる。いくら私がMP-3の音量を上げても無駄だった。私は我慢できずに中途半端でジムを出た。
昨日も一日中ホテルはネットアクセス不能だったため仕方なくテレビでCNNニュースを観たときも、CNNバグダッド支部長のマイケル・ウエアというオーストラリア人がアメリカ兵の戦死を喜びを隠し切れない顔で語っていた。前のCNN局長のイーソン・ジョーダンもいやらしいやつだったが、こいつはもっとえげつない。
それにしても、いったい何時から味方の犠牲者の数を数え上げることが戦争のニュースだということになったのだろうか? こんなものがニュースとして成り立つならCNNはわざわざ高いお金を出して支局を設ける必要などないではないか。イラク内政省とアメリカ中央司令部の公式発表だけで充分だ。
第二次世界大戦のニュースが味方側の戦死者の数を数え上げるだけで戦況がどうなっているのか全く説明をしなかったなら、どれだけのアメリカ人が戦争を支持しただろうか?D-デイのノルマンディ上陸も膨大な数の戦死者についてだけ報道し、同盟軍がドイツに上陸したことを報道しなかったならどうなっていただろうか? 私ははっきり言って当時CNNが存在していたらアメリカ人は今頃ドイツ語を話していただろうと思うね、全く。こんなニュースばかりを毎日聴かされていては戦意を奮い立たせるのは困難である。ただでさえ苦しい戦争をしているときに、わざわざ国民の戦意を喪失させるような報道をするアメリカの主流メディアには腹がたってならない。
しかしもっと腹がたつのは現場の戦況とは無関係に自分たちの政治力を強めるためどうしてもイラク戦争に負けたいアメリカ民主党の政治家たちである。彼らはなにかにつけてブッシュ大統領のイラク政策を邪魔してかかっているが、先日の民主党ハリー・リード党首の発言はそのなかでもきわめて無責任なものだった。以下ミスター苺曰く。

本日(4・19)臆病者の上院議会多数派代表の臆病者ハリー・リードはイラク戦争について「この戦争には負けた」と断言した。この発言で奴は「指導者」としての地位失格だ。 奴は指導するどころか脱走しようってんだから。
リードはブッシュ大統領との会見の後ホワイトハウスを出る際に記者たちの前で勝ち誇ったように敗北宣言をした。リードは特に対ゲリラ作戦を「増派」とさげすんだ後、昨日の大規模な自爆テロを指して、この作戦は客観的に失敗だと語った。

「私はこの戦争は負けたと信じます。イラクでの昨日の激しい暴力沙汰でもわかるように、増派は何の効果もあげていません。 」とネバダ代表のリード議員…

すばらしい理屈だよ。それをいうなら昨日はちょっと寒かったから地球温暖化なんて起きてないっていうのと同じじゃないか。

このリード議員の降伏運動はこの発言にとどまらない。同議員は数日中に民主党が多数派を占める議会において米軍のイラク撤退を10月1日から6ヶ月かけておこなう議決案を通すと宣言した。
無論このような議案は上院でも下院でも通るはずはない。だが大事なのは議案が通るかどうかではなく、アメリカ国内及び国外へアメリカ議会はイラク撤退を考えていると提唱することに意義があるとリード議員は考えているわけだ。(イラク及び中東を混乱に陥れようというならこれはいい考えと言える。)

「問題は、、、」とリード議員、「ジョージ・W・ブッシュはまだアメリカ軍の総司令官です。これは彼の戦争です。」
本当の問題はここだ。最初からリード及び民主党はこのイラク戦争を党派間争いとして(利用できる)機会だと思ってきた。
民主党は世界に、そして特にアメリカの敵に対して、統一した姿勢を見せることを拒否してきた。なぜなら彼らの歪んだ考えでは(統一した姿勢を見せる)ことは2008年に民主党が大統領選挙に勝つ可能性を低めると判断したからだ。

このようなリード党首に鬱憤を隠しきれないチェイニー副大統領は、いくら地元で票につながるからといって敗者的な発言は不適切だと厳しく批判。リード議員も負けじと「ブッシュの番犬」のいうことなど気にならないなどといって反論した。
ところで民主党が「単なる増派」といって全く成果を挙げていないと馬鹿にしているこの作戦は成果を挙げていないもなにも、まだ本格的な作戦体制に入っていないのである。アメリカの主流メディアがアメリカ兵の戦死者の数をうれしそうに数えていないで、デイビッド・ペトラエウス将軍の作戦がいったいどういうもので、今どのくらいのところまで進んでいるのか、何時ごろその攻撃は全面体制に入るのか、ということをもっと詳しく庶民に説明してくれれば、リード議員の「イラク戦争は負けた」発言がどれほど無責任で事実に反したものであるかが解るはずなのである。
ウィークリースタンダードのよればここ2~3ヶ月のアメリカ軍の行動はクリア&ホールド作戦(掃蕩制覇)の基盤つくりなのだという。アメリカ軍がすでに実行している基盤つくりとは:

  • バグダッドや、付近のアンバーやサラハディンやダイヤラ地区にあるアルカエダやスンニ反乱分子のアジトをたたく。
  • バグダッド中に拠点を配置し初段階の掃蕩を行う。
  • 地区ごとにコンクリートの防御壁を儲け市民や交通の出入りを厳しく規制し、今後の作戦の準備態勢を整える。
  • サドルの遁走ですでに弱まっているシーア民兵の重要なリーダーたちを取り除くことによってサドル組織の力をさらに弱める。

このアメリカ軍の新作戦に対応すべく、敵側も作戦を変更。攻撃の焦点をバグダッド南部へと移行した。ペトラエウス将軍らは南部へ援軍を送りこみまたディヤラ地域にもさらに援軍を送った。戦略とはこのように臨機応変に状況に機敏に対応していくことにあるのだ。アメリカ軍の作戦は古いアジトを捨て去った敵に別の場所で新たな温床を持たせないよう先手先手を打って行くことにある。
この掃蕩制覇作戦が本格的に行われるのは5月の終わりから6月の初旬に予定されている。そして作戦が完成するまでにはさらに数週間がかかるとされている。そして作戦が成功か失敗かを判断できるのはそれからさらに何週間も後のことになるだろう。イラクではまだ増派のための援軍出動すら完成していないのである。
今アメリカに帰国して議会の前で戦況を説明しているペトラエウス将軍は、常日頃から作戦の成果はこの秋ごろにならなければわからないと語っている。
にもかかわらず非国民のリード議員は現場の専門家であるペトラエウス将軍の意見を無視して現実はイラクは負けていると言い張るのである。CNNでのインタビューで司会者の、ペトラエウス将軍はいわゆる「増派」は成果を挙げていると語っているがどう思うかという質問に対してリード議員は「信じませんね。なぜならそれは起きていないからです。現実を見つめさえすればそれが解るはずです。」と答えた。
イラク戦争に勝てる可能性があるという現実が自分の再選に結びつかなければ是が非でもイラク敗北を現実にし、それを口実に2008年の総選挙で民主党の議席を大幅に増やし大統領選挙にも勝とうというのがリード議員並びに民主党の狙いだ。そのためにどれだけ多くのアメリカ兵やイラク人が奮起だったアルカエダの自爆テロの犠牲になろうと一向にお構いなしというわけである。
これが非国民でなくてなんだろう?


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ナジャフ行進とグリーンゾーン爆破も別な見方をすれば、、

主流メディアの報道だけを聞いていると、この間のナジャフでは大規模な反米デモ行進が行われたとか、バグダッド市内では相も変わらず殺人事件が続出、警備の厳しいはずのグリーンゾーン内部ですら爆破事件がおきるなど、アメリカの新作戦は成果を見せるどころかイラクの治安は悪くなる一方だという印象を受ける。事実背後関係を全く説明しない主流メディアの報道だけを読んでいればそう感じても無理はない。しかし今のイラクの戦況を注意して見てみると実はそれほど悪い状態ではなく、それどころか結構ペトラエウス将軍の新作戦は実を結びはじめていることがわかる。
ナジャフの行進、数千か数万か
主流メディアはこぞって今回のデモ行進を「大規模な反米デモ行進」などという見出しで飾っているが、規模が大きかったのか小さかったのかということは何か比較になるものがなくては正確な判断は下せない。
イラク連合軍の当初の公式発表ではデモ行進の参加者は5千から7千とのことだった。後になってロイターが航空写真をもとにした軍の測定ではピーク時には1万5千になったと報道していた。主流メディアではその数は「何万」といった漠然とした表現しか使われていないため実際にはどのくらいの数だったのかは公式発表に頼る以外にないが、多く見積もっても参加者数はせいぜい2万人程度だった。この数をもってして果たしてサドルのデモ行進は主流メディアが言うほど成功だったと言えるのだろうか? 
幸いなことにこのインターネット時代、ちょっとした検索でサドルが主催した去年のデモ行進と比べてみることができる。下記は2006年8月バグダッドで行われたデモ行進の模様、イラクザモデルから:

世論調査で人気があるということは必ずしも事実とは一致しない。今日のデモ行進を見てもサドルが期待した百万という数に対してバグダッドの二百万を超えるシーア派市民のうち集まったのはたったの10万人。サドルは南部の地域に送迎バスまで送っったというのにだ。しかも忘れてならないのはデモが行われたのはサドルにとっては本拠地。支持者が集まるのには何の努力もいらないはずだ、なにせ自分のうちの裏庭に集まれといわれたも同然なのだから。

イラクザモデルの数は少な目のほうで、別の記事では8月の参加者は20万人だったと報道したところもある。だが期待されていた二百万よりは一桁も少ない数だったとはいえ、それでも今回の2万人に比べたら5倍から10倍の数が集まっていたのだ!
たった8か月後に送迎バスまで派遣して集めたデモ行進参加者が十分の一に減っているという事実はサドルの勢力が大幅に弱体化していることを意味する。
バグダッド市内の死者減少
さて、イラクの治安が良くなっているかどうかを客観的に判断するためには、イラク内で殺される市民の数を作戦前と作戦が始まった後とで比べてく見ることが必要だ。APの記事によればこの数は確実に減っている

APが合計したイラク警察発表の数によると作戦が始まってから木曜日までの間にバグダッド市内で殺されたイラク市民の数は1586人。

これは新作戦が始まる前の2か月間で暴力的な死を遂げた市民の数2871人に比べ大幅に減ったことになる。
二月十四日から四月十二日木曜日の間に首都外部で殺された市民の数は1504人。その前の二か月間の合計は1009人とAPの報告は示している。

バグダッドでの死亡率は45%の減少、外部では50%の増加となる。悪い奴らがバグダッドから追い出されているため外部の殺人率が増えているわけだが、それでも全体の死亡率は20%減という計算になる。
グリーンゾーン爆破の真相
警備がどこよりも厳しいはずのイラク議会ビルで自爆テロがあったというニュースは、イラクの治安悪化を意味するように見える。しかしブラックファイブに投稿したイラク議会ビルに勤める民間人によると、議会ビルは2006年からイラク政府の管轄になっておりグリーンゾーンの中には位置していないのだという。

「頑丈に要塞化されたグリーンゾーンの真ん中」の警備をテロリストがやぶって潜入したとCNNやBBCやNPRなどは報道していますが、実は議会ビルはグリーンゾーンの中にはないのです。私たちはこのビルは2006年にイラク政府に譲渡しており、ビルはグリーンまたは国際区域の北西にあたる外側に位置することになったのです。

この投稿者のいっていることが正しいかどうかは分からないが、議会ビルの警備を担当していたのがアメリカ軍でないことは確かなようで、議会ビルにつとめるイラク人たちはアメリカ軍による厳しい警備を嫌がってもっと緩い警備体制を敷いていたという。今回の犯人もアルカエダと関係のあるスンニ警備員の仕業だったようだが、もう大分前から議会ビルの警備の甘さは指摘されていた。
ということは議会ビルの爆破はおこるべくして起きたことであり、アメリカ軍の新作戦の対象にはなっていなかったことになる。この事件のせいで議会ビルは警備体制の見直しがされることになる。
このテロで注目すべきなのはアルカエダの攻撃対象となった政治家たちはスンニ派だったことである。アルカエダの連中はイラク政府に協力するスンニ派を裏切り者としてどんどん暗殺している。それに対抗し本日もこれまでアルカエダと協力関係にあったイラクイスラム軍がアルカエダと手を切ってアルカエダと戦うと宣言した。アルカエダとスンニ反乱軍の亀裂は深まる一方である。
ピンクから白へ、赤からピンクへ
ここで私が先に紹介したイラク戦争に勝つ方法の第一段階を思い出していただきたい。

1)兵を一地区に集中させること。テロリストは自動車爆弾などを使って少人数で大規模なダメージを起こすことができるが、政府軍は大人数の軍隊を使っても広範囲に散らばっていてはとてもとても市民ひとりひとりを監視することなどできない。そこでガルーラは守る地域を、白、ピンク、赤という地区に分けた。白とは政府の統括下にある地域、ピンクはゲリラと政府が競争している地域、赤は完全にゲリラが制覇している地域。対反乱作戦を成功させる鍵は、ピンクを白に、赤をピンクへと、一区画づつ地道に変えていくことにかかっている。

グリーンゾーンが白だとすればバグダッドの大半はピンクだったが、今そのピンクゾーンはだんだんと白に変わりつつある。赤からピンクへ変わる時点では戦いが激化するため双方の犠牲者は増えるが、バグダッド外部での死亡者が増えているということはレッドゾーンがピンクにかわりつつあることを意味する。
こうして考えていくとイラクの戦況はかなり良い方向へ向かっていると判断することができる。今後主流メディアの記事を読む時は自爆テロや犠牲者の数だけでなく、どの地域でどういう状況でそうした事件が起きているのか、そしてそれがどういう意味を持つのか注意してみてみれば暗雲が立ちこめるように見える空の合間に銀色の裏地が見えるかもしれない。


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イギリスは立ち直れるか?

先日帰還したばかりの15人のイギリス兵人質が、体験談を巨額な金額でゴシップ雑誌に売ることをイギリス国防省が許可したことでイギリス国民から非難ごうごうだという話を小林恭子さんのところで読んだばかりだったのだが、今日になって当局はやはりこれを許可しないと発表した。
当初はきわめて特殊な例なので許可するということだったのだが、由緒正しいビクトリアクロス受賞者くらいしか許されていない特権をたかが人質になっただけの兵士らに許していいのか、イラク戦争でなくなった人々の遺族はどうなる、などの批判が次々に寄せられたようだ。
一旦許可して批判があったからやっぱりやめましたじゃ本当にイギリス軍隊の名誉も地に落ちたというものだ。私は別に彼等が体験談を金で売ること自体が悪いことだとは思わないが、抵抗もせずむざむざ捕まって敵のプロパガンダに簡単に協力し拷問もされていないのに「殺されるかと思った」だの「恐かった」だの平気で公言し、それを恥るでもなく平気で金で売って大々的に宣伝しようという精神が理解できない。私がこんな状態で帰国したら恥かしくて世間様に顔向けできないと思うが。
これが小林さんのいうところの「新しい英国人」と私みたいな古い人間の差だろうか?

8日のサンデータイムズで、アンドリュー・ロバーツ(歴史家、作家)という人が書いていたのが印象に残る。それは、もし15人の体験談を売ることに「いいんじゃないの?すごい体験だったし、お金をもうけてもかまわないだろう」と自然に思える人は、「新しい英国人New Brit」、今回の件で怒る人は「古い英国人Old Brit」と指摘していた。まさにそうなのかもしれない、と思った。

この間私もロバーツ氏とアメリカの保守派DJとのインタビューで、下記のような発言をしていたのを紹介したばかりだ。

HH:いったいジョン・ブルはどうしちゃったんです?僕が読んだどのイギリスの歴史書でもこんな挑発があればダンスホールで歌がはじまり灯火をもった行進が始まったとあります。
AR: 残念ながら私にもわが国に何が起きたのか解りません。 私にはショックです、そしてこれだけ多くのひとが、、、私たちは首を傾げているんですが、過去の政府ならこんな明らかな暴挙にたいして必ずしたであろう対応をしたいと答えた人がたったの6%なんですから。

私はこの会話を聞いてアカデミーで主演女優賞を取ったヘレン・ミレンが主演したThe Queen (女王)という映画のなかで、ダイアナ元皇太子妃が交通事故で亡くなった時のイギリス国民の皇室に対する理不尽な不満に対して、エリザベス女王が「私の国に何が起きたのか解らない」といった意味のことを言うシーンがあったのを思い出した。
現在のイギリス社会がダイアナ妃人気の頃からどうもおかしくなっていると考えたのは私だけではなかったらしく、イギリスの政治コラムニスト、メラニー・フィリイプさんもロバーツ氏のいう新しいイギリスをイギリスのダイアナフィケーション(ダイアナ化)と呼んでいる。
故ダイアナ妃は皇太子と結婚してからパパラッチに追い回された挙げ句の果てがパリでの事故死。ダイアナに少しでも関係のあった人々は昔なら口が堅くて有名だった皇室の従業員から昔の恋人から占い師にいたるまで、皇室での出来事をゴシップ雑誌に恥も外聞もなく売りさばいた。いくら金の力は強いとは言えこれらの人々には仕事に対する誇りとか忠誠心といったものは全くないのだろうか?その傾向が一介の民間人だけならまだしもイギリス軍隊にまでひろまっているとはこれは由々しき問題だと私は思う。
アメリカ軍人の間で人気のあるミルブログのブラックファイブでは、コメントを寄せているのは内容からいって若い現役軍人が多いらしく、当初15人が拉致されたという時点で15人が抵抗しなかったことには同情的だ。ただその後捕虜になってからの態度は軍人として頂けないという意見が大半を占めていた。実際にはイラン側に協力したのは13人。15人のうち二人は最後まで協力を拒否したのだそうだ。
我々民間人や退役して何年にもなるお偉い軍人と違って、明日は我が身の若い兵たちはやはり上からの命令で抵抗するなという戦闘規約があったのなら中尉程度の立場でそれに反して抵抗を判断するのは難しいのではないかという同情心が出るようだ。しかしそのかわり、そのような戦闘規約をあのような危険な場所で実行しているイギリス海軍そのものに関しての批判は非常に大きい。
実を言えば私はこの事件はおこるべくしておこったことだと考える。最近世界広しと言えども海軍に投資し規模を拡大しているのはアメリカのほかは日本海上自衛隊くらいなものである。欧州はこの大事な時に防衛費を大幅に削りただでさえ小さい軍隊をさらに規模削減へと進んでいる。かつて皇立海軍をあれだけ誇った英国ですらブルーウォーター海軍は全面的に廃止する予定だという。あの13人の振る舞いは例外というよりも、もう長いこと病んでいるイギリス海軍の症状といってもいいだろう。
今日イギリス人であることを誇りに思うのは難かしい。
私は今のイギリスの状態は1979年にイランのアメリカ大使館をイラン人の過激派学生たちに占拠された時のアメリカと似ているような気がする。私は当時あの事件をリアルタイムでテレビでみていたが、人質をとられた直後のカーター大統領のぶざまな慌てふたふたむきぶり、その後のイランへの屈辱的な嘆願、そして恥さらしな救助大失敗と続き、アメリカではアメリカ人であることへの屈辱感が全体的にただよっていたのをよく覚えている。
実はアメリカに暗雲が広がりはじめたのは長年の苦労の甲斐もなく、ベトナム戦争がああいう形で負けた1975年頃からだ。それまで一度も戦争に負けたことのなかったアメリカにとってベトナム敗戦は非常に大きな痛手だった。
1976年、共和党のニクソンのスキャンダルとフォードの不能な政治のおかげで民主党のカーターが大統領になったが、それと同時にアメリカ経済は低迷状態。当時のインフレは20%、失業率は二桁というひどさ。オイルショックでガソリンは不足するし、日本車の進出でアメリカ自動車業界は瀕死の状態。そんな中で起きた大使館占拠事件は棺に打たれた釘といってもいい。
イランの宗教革命を事前に予知できずこのような事態を引き起こしたカーター大統領の支持率は地に落ちたが、それ以上にこの事件によってアメリカ人の自己意識は最低となった。アメリカ人がアメリカ人であることに誇りを持てなくなっていたのである。
そんな時、アメリカ人の気持ちを高揚させるひとつの出来事が起きた。皆さんは1980年の冬季オリンピックでアメリカのホッキーチームが優勝したことをご存じだろうか? (ディズニーの映画でこの時のことを描いた「ミラクル=奇跡」という映画があるので是非観ていただきたい。)
当時のオリンピックの規則ではプロは参加できないことになっていたので、アメリカチームは学生ばかりの平均年齢20歳未満のアマチュアチーム。それに対抗するのは東共産圏の経験豊な強敵プロチームばかり。なにせ共産圏の選手たちはアマチュアとは名ばかりの年も経験もいったプロばかり。青二才の学生たちばかりをかき集めたアメリカチームなど勝ち目は全くなかった。
ところがこのアマチュアチームが誰の予想にも反して優勝してしまったのだ!最近のオリンピックでアメリカのチームを応援する時アメリカ人がよく声を合わせて「USA, USA」と叫ぶのはこの時優勝の決め手となったソ連チームとの試合の時から始まったのだという。
長年アメリカ人であることに自己嫌悪を持たされていたアメリカ市民はこのチームのおかげで再びアメリカを誇りに持てるようになったのだ。
アセアンさんはよく大使館占拠事件がアメリカ人のトラウマになっているというが、私はかえってあの事件はアメリカが立ち直る踏み台になったと思う。カーター大統領の悲劇的な政権はあの事件で終止符を打った。カーター大統領に対抗して出てきた楽観的なレーガン大統領が圧勝したのもこうした背景があればこそだ。
レーガン大統領が当選した時、日本のマスコミがレーガン氏は三流の映画俳優だがハンサムだし、何よりもアメリカ人にアメリカ人であることを誇りに思わせることができるひとだと分析していたのを私はよく覚えている。
イラン大使館占拠でアメリカ人として最大の屈辱を味あわされたアメリカ人は、もう負け犬でいるのはたくさん、誇り高きアメリカを取り戻そうという気になった。今回の事件で集団的自己嫌悪に陥っているイギリス国民が、この事件を期に目を醒ましてくれることを望む私は楽観的すぎるだろうか?
イギリスよ、いまは軍事縮小の時ではない! グローバルジハーディストたちと戦うため、今こそ軍事を拡大しかつての無敵で偉大なる英国を取り戻すときなのだ!
イギリスよ、立ち直ってくれ!


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サドルの大誤算、ナジャフデモ行進の意味するもの

アップデートあり: ナジャフ行進参加者の数に訂正あり、下記参照。
昨日サドルはマフディ軍にアメリカ軍に抵抗するようバグダッド落日4年目の記念日にナジャフに集まって反米大行進を呼びかけた。それに応えて何千というマフディ軍およびその支持者がナジャフに集まってデモ行進を行っている
これだけ見ていると、サドルの人気はまだまだ高くイラクにおけるシーア派による反米感情は高まる一方だと考えがちだが、実はそうともいえない。
サドルはアメリカ軍が増派を含む新作戦をはじめた当初マフディ軍にたいしてはおとなしくしていろと命令した。逮捕されても抵抗するなとまで言っていた。サドルの狙いは三つあった。

  1. アメリカ軍の新作戦は長続きしない。ほとぼりが冷めるまで大人しくしていてアメリカ軍が撤退したらまた活動をはじめればいい。
  2. マリキ政権はブッシュ大統領からの圧力で形ばかりの民兵取り締まりはするだろうが、真剣な取り締まりなどするわけがない。マフディ兵が逮捕されても後でコネを使って釈放させればいい。
  3. この際だからマフディ軍内部にいるサドル犯行分子をアメリカ軍に引き渡し、アメリカやイラク政府に協力しているふりをしてライバルを取り除いてしまおう。

産經新聞もサドルのこの作戦について、イラク政府はシーア民兵を温存する形となったなどと報道していた。(イラク掃蕩作戦に悲観的な産経新聞参照のこと)

汎アラブ紙アルハヤートなどによると、サドル師は、マリキ首相の密使として派遣されたジャアファリ元首相(シーア派)との会談で「マフディー軍潜伏」を決断したという。「掃討作戦の対象はシーア派、スンニ派を問わない」との公式な立場を取るマリキ首相も、マフディー軍の「一時的潜伏」により大規模掃討作戦の目標の半分が、実質的に空振りに終わることを、暗黙のうちに認めていることになる。
…しかし、米軍の段階的撤退が視野に入ってきた現状で、その後も“シーア派覇権”を維持するために独自の軍事力の温存は宗派全体としての中・長期的な“戦略的利益”にかなう。

では何故サドルは今になってその潜伏作戦を覆し、アメリカ軍にたいして表立った抵抗を呼びかけはじめたのだろうか?
ここで私が一月の時点でサドルの計算違いでサドルの計画は産經新聞がいうような具合には運ばないだろうと予測していたことを思い出していただきたい。

  • 意図的にしろ無理矢理にしろ一旦敵に占拠された領土を取り戻すとなると、もともとの領土を守るようなわけにはいかない。
  • 民兵たちは正規軍ではない、ただのギャングである。何か月もサドルのいうことをきいて大人しくしているとは思えない。自分勝手に暴れた民兵たちが大量にアメリカ軍やイラク軍に殺されるのは目に見えている。
  • アルカエダの勢力は昔に比べたら大幅に衰えているため、シーア派民兵が抵抗しなければバグダッドの治安は安定しサドルの思惑はどうあれ傍目にはブッシュの新作戦が大成功をしたように見える。そうなればアメリカ軍の新作戦は長続きしないどころかずっと継続する可能性がある。

サドルの狙いに反してマリキ政権はシーア派取り締まりに真剣に取り組んだ。マフディ軍はバグダッド中心部から即座に追い出され南部へと追い込まれている。しかもバグダッドを退散した民兵たちはイラン国境近くのディワニヤ地域でアメリカ軍空軍による激しい攻撃を受けている。
また、マフディ軍無抵抗作戦に亀裂でも述べたように、マフディ軍のなかにもイラク政府に本気で協力しようという勢力と断固協力できないという勢力との間で亀裂が生じてきている。ビル・ロジオのリポートによればイラク政府に協力する勢力はどんどん増えているという。
となってくるとサドルの潜伏作戦ではアメリカの新作戦が時間切れになる前にマフディ軍の勢力が大幅に弱体化し、アメリカ軍が去った後に戻ってくる場所がなくなってしまう危険性が大きくなったのだ。そこでサドルは今必死になって作戦変更。イラク軍にたいしてもマフディと戦わないでくれと嘆願書まで送り出す始末。(無論そこはアラビア、嘆願書でも勇ましい書き方をしてはいるが、切羽詰まった感情は隠しきれない。)
アメリカ軍の概算ではナジャフに集まった群衆の数は5千から7千、サドルが期待していた何万という数にはおよそほど遠い数となった。しかもサドルがデモ行進を率先して対アメリカ抵抗を呼びかけたというのならばともかく、自分は安全なイランに隠れたままで書面だけの呼びかけなどその弱体さを暴露したようなものである。
このデモ行進の規模の小ささとサドルの臆病な態度がイラクの民兵らの士気に響かないはずがない。しかもイラク・アメリカ連合軍はマフディ軍退治の大規模な最終攻撃に備えてちゃくちゃくと準備を進めている。
サドルよ、お前の最後も近い。
アップデート: ロイターの記事によると アメリカ軍の空からの偵察写真によると参加者の数は約15000人とある。地上にいた記者の概算では数万とあるが、地上では正確な数字はつかみにくい。唯一つ正確な測定ができるのは航空写真のみなので、私はアメリカ軍の測定を信用する。


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いよいよ大詰め? アルカエダイラクが崩壊する時

最近アルカエダによるスンニ種族への攻撃は過激になってきている。すでに塩素ガスを使った攻撃は今年にはいって9件にもなる

2007.04.07
Web posted at: 16:01 JST
– CNN/AP

バグダッド——イラク警察によると、同国中部ラマディ近くで6日、爆薬や塩素ガスを積んだトラックによる自爆攻撃があり、少なくとも27人が死亡した。塩素ガスを用いたテロは今年1月以降に表面化した新たな手口で、これで9件目。
ラマディがあるアンバール州ではイスラム教スンニ派部族が、国際テロ組織アルカイダ系の外国人戦闘員の追放で政府系勢力を足並みをそろえる動きが出ており、6日のテロはこれに反発した犯行ともみられる。
現場はラマディ市から西部へ約4.8キロ離れた警察の検問所。トラックが高速で突っ込んできたため警官が発砲したものの爆発した。付近の建物も損壊するなどの被害を受けた。
呼吸困難など訴える住民が入院した。負傷者の詳しい数は不明。ラマディはスンニ派武装勢力の拠点ともなっている。

アルカエダによる元同胞への攻撃は自殺行為としかいいようがない。いくら自爆作戦が得意なアルカエダとはいえこれは完全に非生産的なやり方である。そのあまりのひどさに、スンニ派たちは次々にアルカエダに反旗を翻し、一時は敵として戦っていたアメリカ軍やイラク軍に協力する姿勢すら見せ始めている。

2007.04.07
Web posted at: 17:12 JST
– CNN/AP

バグダッド——イラクで昨年10月に結成されたとするイスラム教スンニ派武装組織の結集団体「イラク・イスラム国家」に属する「イラク・イスラム軍」は5日、イスラム系ウェブサイトに声明を載せ、国際テロ組織アルカイダを非難した。
同イスラム国家は、アルカイダ系のイラク・アルカイダ機構の指導者のきも入りで誕生したもので、団体内の対立を物語る動きとして注目される。
イラク中部アンバール州などでは、イスラム教スンニ派部族がアルカイダ系の外国人戦闘員の追放で政府系勢力と足並みをそろえる動きを見せており、これへの報復ともみられる攻撃も生まれている。
「イラク・イスラム軍」は声明で、「アルカイダは、同組織に忠誠を示さないイスラム軍などスンニ派武装勢力の戦闘員を殺害している」と非難。アルカイダはスンニ派の富裕層も標的にしており、「金を払わなければ殺害される」と主張している。
また、アルカイダを批判、もしくは路線の誤りを指摘する人物は殺されていると述べている。

毒ガス攻撃や自爆テロを「良いニュース」というのも変な言い方ではあるが、これは実際我々にとっては良いニュースなのである。なぜならアルカエダはイラク抵抗軍としての表看板を完全にあきらめたことを意味するからだ。
一般的にアルカエダはスンニと協力することでイラクを侵略者アメリカから守る「抵抗軍」だという表向きの正当性を主張してきた。しかし地元イラク人を殺しまくりスンニ派にまで愛想をつかされたのでは、アルカエダなどイラクの平和を乱す単なる外国人武装勢力、つまりテロリスト、に過ぎない。イラク人のアルカエダに対する憎悪は一部のイラク人がアメリカに持っているものなどとは比べ物にならないほど深い。イラク住民のすべてが家族や知り合いの誰かをアルカエダの暴力で失っているのだ。
ということは今後どんなことがあってもイラクがアルカエダの温床となることはあり得ない。アルカエダが地元イラク人の擁護を得ることは完全に不可能となったからだ。また今回の事件でイラク警察の活躍も無視できない。27人のイラク人を殺した毒ガス入り爆弾は関門でイラク警察が発表した際に起爆された。もしイラク警察にとめられずに貫通していたならば何百という被害者がでていたことだろう。
一方南部のシーア民兵は、、、
良いニュースといえば、同盟軍はマフディ軍も順調に噛み砕いている。昨日などは空爆を使っての猛攻撃だった。モクタダ・サドルが戻って来ようとしても彼のマフディ軍は元の面影など全くないものになっているだろう。マフディ軍のないサドルなんて、クリームのはいってないコーヒーと同じよ。政治的に全く意味のない存在となる。
また、昨日イギリス兵4人が戦死したバスラの攻撃でも解るようにマフディ軍はイラク南部へと勢力を集中させている。ところでイギリス兵4人を殺したのはEFP(explosively formed penetrator)と呼ばれる強力な武器でこれまでイラク内ではあまり見られなかった武器だが、最近イラク南部でよくみられるようになった。明らかにイランからの贈り物である。
さてそれでは現在にイラク状況をまとめてみよう。

  • イラクのアルカエダは元同胞のスンニ種族らを恐れるあまり、アメリカ軍や他のイラク人への攻撃を中断し、スンニを標的に攻撃を集中させている。
  • 一方シーア民兵は首都のバグダッドを追われ南部に追い込まれている。しかし避難した南部でも同盟軍の攻撃でどんどん勢力を失っている。
  • そしてイランはイギリス人への贈り物としてイギリス兵がパトロールを中断した海峡を使ってイラクシーア派へEFPなどの武器を供給してイギリス兵を殺している。

こうして見るとイラクの戦況はまずまずといったところだ。しかしイランからのシーア民兵への武器供給は深刻な問題だ。イギリスが人質事件騒ぎで臨検を中断しているというのも心配のひとつ。この機に乗じてイランはどんどんイラクへ武器を運び込むだろう。イギリスが海域を警備できないのであればアメリカがやるしかないが、恥さらしの臆病者15人が無事にかえってきてもその結果が勇敢にイラクで戦う別のイギリス兵を殺すことになるのでは話が逆ではないか? 早くイギリス政府はそれに気付いて海上警備を再会してもらいたい。


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イランが米兵でなく英兵を拉致した理由

私や多くのアメリカ人はアメリカ兵なら今回拉致されて昨日解放された15人のイギリス兵のように簡単には人質になったりしなかっただろうと考えていた。無論これは身内のひいき目もあるかもしれないが、どうやらそう判断したのはアメリカ人だけではなかったらしい。実はイランも本当はアメリカ兵を拉致したいと思っていた。いや思っていただけでなく実際に彼等は少なくとも2度ほどアメリカ兵拉致を試みていたのであるがどちらも失敗に終わっていたのである。一度はイラン兵が殺されて終わり、二度目はアメリカ兵が5人殺されるという悲劇となった。
一つ目の事件はあまり大げさには報道されなかったが去年9月イラン・イラクの国境付近で起きた出来事である。
陸軍が公開した情報によると、イラク軍に同伴していたアメリカ陸軍82空挺師団73騎兵連隊第5中隊(the 5th Squadron 73rd Cavalry 82nd Airborne) の兵士らがバグダッドから約76マイルはなれたイランとの国境ぞいで常時パトロールに当たっていたときのことだ。兵士らはイラク側からイランへと撤退していく二人のイラン兵を目撃した。そのすぐ後今度は三人目の兵士に遭遇した。アメリカ兵並びにイラク兵がイラン将校に近付き業務質問をはじめると突然部隊はどこからともなく現れたイラン兵の部隊に高台から囲まれてしまった。
イラン軍のキャプテンはアメリカ・イラク兵らが逃げようとすれば射つと警告した。いらん兵らによる拉致を恐れたアメリカ兵らは即行動を開始し撃ち合いが始まった。イラン兵らは最初ピストルや小銃で応戦したが、そのうちロケット弾を発砲。アメリカ兵らはよりイラク内部に後退した。その間4人のイラク兵と通訳1人国境警備員1人がイラン軍側に取り残された。
しかし結果的にアメリカ兵らに死傷者は出ず、少なくともイラン兵が1人殺されて事件は終わった。
二つ目の事件はこのブログでも取り上げたが、今年1月のこの事件

イラクの軍施設襲撃事件、米当局がイランの関与を調査

バグダッド(CNNー2007.01.31) イラク中部カルバラで1月20日、米軍とイラク治安部隊の共同施設が武装勢力に襲撃され、米兵5人が死亡した事件で、米国防総省は容疑者がイラン人か、イランで訓練を受けた活動家であるとみて調査を進めている。米当局者が30日、CNNに語った。
犯行グループは米軍風の制服で変装し、米軍で使用されている種類の車に乗り、英語を話すなど、用意周到だった。米軍は当初、死亡した米兵らが武装勢力に抵抗していたと説明していたが、後日犯行グループが検問所を難なく通過したうえ、米兵らを施設から連れ出し殺害したことを認めた。こうした手口は、武装勢力や外国人過激派には見られないという

私は最初にこのニュースを聞いた時、私にはこの事件は非常に不思議だった。それというのもイラン兵は4人の兵士を拉致する際、施設内で抵抗した米兵1人を射殺しているが、彼等はイラク内の武装勢力や外国人テロリストがよくやるような残虐な拷問や死体冒涜などをした形跡はなく、残りの米兵4人はただ射殺されていたからである。最初から単に殺すのが目的ならその場で5人とも殺してしまえば話は早い。なぜわざわざ4人を外へ連れ出したのだろう?
今考えてみれば、これは米兵拉致作戦未遂事件だったのだと私は思う。米兵らは多分拉致者のイラン兵が手に負えないほど抵抗をしたのだろう。だからイラン兵らはイランまで安全に米兵らを送還することは不可能だと判断したのではないだろうか?だからせっかく拉致した米兵らをみすみす殺すはめになってしまった。
イラク駐留の米兵は口を揃えて、イラクで彼等が戦っている敵はジェニーバ条約など聞いたこともないような野蛮人で、こんなのに捕まったら地獄の苦しみを味あわされて惨殺された上遺体がさらし者になるのは必定。そんな目に合うくらいなら死んだ方がまし、なるべく多くの敵を道ずれに死んでやるという。テロリストに捕われて生きてかえってきた米兵はいないのだから当たり前だ。
しかしイラン側はこの二つの作戦失敗により、アメリカ兵を拉致するのは不可能、もしくは少なくともかなり難儀。なにしろアメリカ人はそう易々とは捕まらないし、捕まえようとするとこちらの被害もかなり考えなければならない、、、と考えたのではないだろうか? アメリカ兵の拉致は不可能となると、抵抗しない戦闘規制が厳しいイギリス海軍を狙おうということになったのではないかな?
今日はアメリカのミルブログ(アメリカの現役及び退役軍人が経営しているブログ)の数カ所でアメリカ国防庁の軍人としての規律が掲載された。

I

自分は我々の生き方をそしてわが国を守る軍隊にて戦うアメリカ人である。自分はそのためなら命を捧げる用意がある。
II
自分は決して自分の意志で降伏しない。もし自分が司令官なら抵抗の余地があるうちは隊員を決して降伏させない。
III
もし自分が捕われたなら出来る限りの方法で抵抗を続ける。自分は脱走に力の限り努力し他者の脱走も援護する。自分は敵からの恩赦も特別扱いも受け入れない。
IV
もし自分が捕虜になったなら同僚の捕虜とともに信心を守り続ける。自分はどのような情報も敵に与えず同胞を害するような行動には加担しない。自分が上官なら指揮をとる。そうでなければ任命された上の者の合法な命令に忠実に従う。
V
捕虜となり尋問された時は自分は名前、位、サービス番号、生年月日以外を低雇用する義務がある。それ以上の質問には最大限、力の限り答えるのを避ける。自分は口頭であれ筆記であれわが国を裏切り同盟国を傷付け、その努力を傷つけるような発言はしない。
VI
自分は自由の為に戦うアメリカ人であることを決して忘れない。自分が自分の行動に責任を持つこと、そしてわが国を自由にした信念に敬虔であることを決して忘れない。自分は神とアメリカ合衆国を信頼する。

イギリス軍隊にも同じような規律があったはずだ。しかし観光客気分で新品のスーツを着させてもらいお土産までもらってニコニコ顔で帰ってきたイギリス水兵と海兵隊員たちを見る限り、そんな規則が存在するとはかなり疑わしい。


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タイミングが怪しいイラン2等書記官の解放

今朝、読売新聞のイラクで拉致されたイラン2等書記官、解放され帰国へこの見出しを見てちょっと首をひねった。

【テヘラン=工藤武人】イラン国営テレビは3日、今年2月にイラクのバグダッドで拉致されたイラン大使館の2等書記官が解放され、同日中にイランに帰国すると伝えた。

 解放の詳細な経緯は不明だが、イラン学生通信はイランの在バグダッド大使館筋の話として、同書記官は2日に解放されたとしている。
 この書記官は2月上旬、イラク軍特殊部隊の制服姿の男たちに拉致された。同部隊はイラク駐留米軍との関係が密接なため、イラン側は、米国が関与していると激しく非難していた。
(2007年4月3日20時47分 読売新聞)

なにしろイランでは例の15人のイギリス兵が人質になっている。イギリスもアメリカもそしてイランも人質交換は公には話題にしていないが、もしこれでイギリス兵がイギリスに帰ってくるということになったなら、これは完全に人質交換の交渉が裏で行われていたということになる。非常にまずい状態だ。
一方イギリスのインディペンデント紙では、イギリス兵が拉致されたのはアメリカのイラク政策失敗が原因だという筋違いの記事が掲載されている。

イラク北部を公式訪問中のイラン警備将校のアメリカ軍による拉致失敗が10週間後にイギリスの水兵海兵隊員15人が拉致される引き金を引いた。
今年1月11日の早朝ヘリコプターで潜入したアメリカ兵らはクルド族地区のアービルに長期に渡って存在していたイランレーゾン事務所を襲撃。5人の比較的下位の職員5人をスパイ容疑で逮捕、今も拘束中。
しかし現実にはアメリカはもっと野心的な目的があったことをインディペンデント紙は学んだ。この手入れの目的はクルド地方政権に知らせずにイラン警備組織の重要人物二人を捕まえることにあった。

その後のイランの怒り狂った反応からいって、イランが報復行動に出ることくらいはイギリス政府は予期すべきだったと記事の著者パトリック・コクボーン記者。そしてコクボーン記者はイラクに公式訪問しているイランの諜報部員を拉致するということは、外国を公式訪問しているCIAやMI6の高官が外国で拉致するようなものだとし、イランが怒るのも当たり前だといわんばかりである。
ほお〜、正式な外交関係のあった国の大使館を襲撃し大使および職員53名を拉致して444日も監禁した行為はどうなるんでしょうかね? そういうことへの報復が許されるっていうならアメリカはまだイランに48人のイラン高官を拉致するだけの借りが残っている。
イランが人質をとっては自分らの理不尽な要求を突き付けているのはなにも今にはじまったことではない。1979年のアメリカ大使館襲撃はいい例ではあるが、それですら始まりではない。16世紀から19世紀にかけてバーバリーコーストといわれるモロッコ、アルジェリア、タニーシアそしてリビア海岸の海洋を荒らして欧州の船を拿捕し乗組員を誘拐しては身代金を要求していた海賊らは当時のイスラム教諸国を背後にもつ海賊たちだった。それをいうなら2004年にもイギリス兵二人がイランに拉致された事件があったではないか、あれもアメリカのせいだというのか? コックボーン記者は誘拐はイスラムの常套手段だという歴史的事実さえ知らないらしい。(先に紹介したような学校教育を受けた結果かもしれない。)
インディペンデント紙は、アメリカの作戦を批判する暇があったら、抵抗もせずにみすみす捕われの身になったイギリス兵15人の態度について見直したらどうなのだ? そして拉致された後恥も外聞もなくイランのテレビに出演して地図の前で「確かにイランの海域に侵入しました」などと白状し、汚らわしいバーカなどまとってすましている恥さらしを批判したらどうなのだ! それともイギリス兵は捕らえられたら抵抗せずに何でも敵の言われるままに行動しろという命令でも受けているのか、だとしたらそんな非常識な命令をくだしたイギリス軍高部に対する批判でもしたらどうなのだ!
このイギリス兵の無様なていたらくがどれほどイランのプロパガンダに貢献したか知れない。どれだけかつての偉大なる英国も地に落ちたかを暴露する結果となったことか。どれだけ我々の敵を元気づけることになったことか。これがアメリカ兵だったなら絶対にこのような態度はとらないとニューヨークポスト紙でラルフ・ピータース陸軍中佐(退役)。

アメリカ海兵隊員を洞穴に押し込み歯をなぐり折ったところで、彼から本国と海兵隊への誇りをなぐり折ることはできない。「センパーファイ(Semper fi)」には意味があるのだ。

オージー(オーストラリア兵)も同じようにタフだ。
いったい何が英国海兵隊に起きたのだ? エリート隊のメンバーとして通ってきた隊なのに。労働党政府の政策はイギリス軍をずたずたにした。戦闘機を飛行不能にし、軍艦を引退させ、陸軍隊を解体し、制服を着る兵士らの胸から勇気までももぎとってしまったのか?
女性水兵が泣き崩れて政府に降伏を訴える姿も無様だったが、海兵隊員までがお茶や同情を懇願しだしたとなると、もう見てられない。嘘だと言ってくれ!
…ウィンストン・チャーチルは天国でスコッチを吐き出しているだろうよ。

ピータース氏も指摘しているように、イギリス軍は当初比較的平穏だったバスラの警備を完全に怠り、バスラ警察や地元政府がシーアの民兵に乗っ取られていくのを指をくわえて見ていた。もし当時イギリス軍がアメリカ軍のように厳しい取り締まりやパトロールを行っていればイラク南部でおきたシーア派民兵による暴走を防げたかもしれない。そういう失態を棚にあげて、自分らのぶざまで臆病な態度を顧みず、アメリカだけを責めるイギリスの政治家やメディアたち。アメリカの民主党より質が悪い。
ピータースもミスター苺と同意見でこの任務に当たっていた海軍の司令官らは敵を前にして臆病な行動をとった罪で軍法会議にかけられるべきであると語る。そしてこの「ワンカーども」が所属している王立海兵隊はさっさと任務からほどかれ解散しちまうべきだ!と手厳しい。カカシも全く同意見だ。


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フランス政府に学ぶイラク戦争に負ける方法

前回のフランス軍に学ぶイラク戦争に勝つ方法に引き続き歴史家アーサー・ハーマン氏によるHow to Win in Iraq. And how to lose.から、今度はイラクで負ける方法についてお話ししたい。
無論カカシは何もイラクで負けたいと思ってるわけではないが、どういうやり方をすれば勝てる戦争に負けてしまうのか、フランス政府の失態を教訓にしてイラク戦争でも十分にあてはまる部分を研究してみよう。
前回にも書いたようにフランス軍は2年足らずで反乱軍ゲリラのFLNにはほぼ全面的に勝利を納めていた。だが、圧倒的な軍事勝利にも関わらずフランスは戦争そのものには負けてしまった。あれだけの栄光を納めたフランス軍はそのたった2年後にアルジェリアから完全撤退してしまったのである。
いったい何がおきたのか? それはフランス軍がアルジェリア戦地で反乱軍ゲリラ相手に一生懸命になっている間、フランス国内では左翼による政治反乱軍がフランス政権を蝕みはじめていたのである。彼らは今のアメリカの民主党や左翼メディアと同じで、軍事成功そのものをあたかもフランスによるアルジェリア市民弾圧や迫害であるかのようにフランス市民に訴えはじめたのである。
フランス軍はFLN打倒の目的で、諜報のために多少の拷問は許可した。ところがフランス左翼はこれに噛み付いた。フランス市民は特に常日頃から捕虜の目玉をくり抜いたり男性性器を切り取ったりするような残虐な拷問をしているゲリラに対して特にこれといった同情心などもっていたわけではないが、50年後のアブ・グレーブがアメリカの反戦左翼に利用されたように、フランス内部の反政権勢力によってこの問題は反戦運動に多いに活用された。
反戦派のジョン・ポール・サルテル(Jean-Paul Sartre)に率いられ、フランス軍弾劾運動が始まった。左翼たちはフランス軍がフランスの宿敵ナチスとかわらないといって攻撃した。アメリカの左翼がブッシュ政権をナチスとしょっちゅう比べるのと全く同じだ。サルテルの同士シモン・デ・ブビエーなど(Simone de Beauvoir)などはフランス軍の制服は「スワスティカがかつて与えたのと同じ印象を与える」とまで言った。反戦派の先導者はほとんどが共産主義者や左翼だったが、なかにはフランス市民が尊敬する中庸派の人々も含まれていたため、フランスではだんだんと反戦ムードが高まっていった。反戦派が常に繰り返したメッセージは「アルジェリア紛争の元凶はFLNではなくフランス軍の存在だ、フランス軍が撤退してはじめてアルジェリア人は自分たちの運命を決めることができるのだ」というものだった。まさにアメリカ左翼の連中が唱えている「イラク問題はアメリカ軍にあるアメリカが撤退することでイラク人にイラク再建が出来るようになる」というメッセージと瓜二つである。
フランス軍も当時のフランス政権もこの左翼反戦派からの攻撃には面食らった。まるで予期せぬ攻撃だったのである。彼等に対してはどれだけ軍事行使の正当性を訴えてみても無駄だった。拷問を許可したもともとの命令が撤回されても全く効き目がなかった。このフランス内部の政治的混乱を利用してFLNはアルジェリア各地で爆弾を爆破させた。アメリカ国内で民主党支配の議会がイラク撤退期日決定やイラク増兵反対の議決案を通す度にアルカエダのテロリストが奮起してイラクで自爆テロを増加させるのと全く同じ状況である。 これによって1956年現在でフランス市民のほとんどが「アルジェリアを見捨てるなどもってのほか」という考えでまとまっていた団結が完全に崩壊してしまったのである。
フランス国内の分裂は政権崩壊につながり、後継のフランス政権はその存続のため軍事的に惨敗したアルジェリアの独裁政権にみすみすアルジェリア統治の権限を与えてしまった。その結果起きた悲劇は無惨であった。アルジェリアの白人層は大量にアルジェリアから避難、フランス政府に協力したアルジェリア人たちは何万何千という単位でFLNによって虐殺された。フランス軍と並んで戦ったアルジェリア軍人たちは処刑の前に勲章を飲みこまされてから射殺された。
これはアメリカ軍が撤退した後でのベトナムでも繰り返された。そしてアメリカがイラクから撤退すればアメリカ軍に協力したイラク人たちがサドル民兵やアルカエダのテロリストに全く同じ目にあわされることは火を見るよりも明らかである。
イラク戦争の最初の三年間はイラク軍がアメリカ軍が制覇した土地を継続して守ることができなかったという問題があった。アメリカ軍の数が足りていないという批評家の批判にも一理あった。だが、フランス軍の例でもわかるように戦況は作戦変更で短い時間にあっという間に成功を遂げることも可能なのである。だからカカシはイラクは軍事的に十分に勝利の可能な状況にあると主張しているのだ。
しかしアメリカ国内の内政となってくるとカカシは同じような確信を持つことができない。もし民主党がイラク戦費の差し止めに成功したならば、いくらブッシュ大統領ががんばってみても必然的にアメリカ駐留の期間は制限される。今のところ共和党議員たちが一人二人の裏切り者以外はほぼ団結しているため、上院下院の両方で議決案が通っても大統領の否決を倒して議案を成立させることはできない。
また、民主党は戦費完全差し止めを強行するにはまだまだアメリカ世論がついてこないことを承知している。だからアメリカの反戦左翼はアメリカ世論を反戦にもっていくべくそのキャンペーン運動をさかんに行っている。

たとえば、「作戦的撤退」と称する書類で the left-liberal Center for American Progressという左翼団体はイラクにおける暴力の原因となっているのはテロリストでも反乱ゲリラでもなくアメリカの『占領軍』であるという立場を明らかにしている。これによるとイラクは放っておけばシーアもスンニも必然的に妥協し平和共存する選択に迫られるというものだ。

現にノースキャロライナ大学の中東専門家サラ・シールド女史などは今日のジハーディストたちは「占領軍に対抗して戦っている最新の例である」とし我々が撤退する時期が早ければ早いほど、「我々の占領と関連したとして不利になる人々の数がすくなくてすむ」と書いているほどだ。

これはまさしくフランス左翼やアメリカ左翼の負け組がアルジェリア紛争やベトナム戦争で唱えた議論とそっくりそのままだ。これらの声に耳を傾け駐留軍が戦地から撤退することで、結果どのような悲劇を生んだか歴史が顕著に語っている。
もともとアメリカがイラクを攻めた理由はなにか? それはイラクがテロ軍団の温床となってイラクを拠点としてアメリカ本土に攻撃をしかけてくるのを防ぐための先制攻撃であった。フセイン政権打倒も、WMDの処置も、その手段だったのであり、一番大切な目的はイラクをアルカエダのようなテロリストの手に渡さないことにあった。だとすれば、いくらフセイン政権を倒してみても我々を威嚇する危険なWMDが存在しなかったとしても、イラクが内乱状態となってアルカエダが自由気ままにテロを起こせる場所にしてしまったら元も子もない。イラク戦争そのものが完全に無意味だったということなってしまうのだ。
これを考えたなら我々がイラクから絶対に撤退してはならないということは子供でも分かる理屈である。撤退は選択に含まれない。イラクでは軍事的にも政治的にも絶対に勝たなければならない。敗北は断固許されないのである!


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アメリカ兵はイラク任務遂行を望んでいる!

イラク駐留のアメリカ兵が今一番聞きたくない言葉は「私はアメリカ軍を支持します」という反戦バカサヨ政治家の偽善的な発言だろう。軍隊を支持するといいながら軍隊に必要な予算を削り、敵のテロリストを元気づけるような議案を次々に提案し議会を通す民主党の議員たち。アメリカ軍人たちは、こんな応援なら要らないよ。ほうっといてくれ!と叫びたいのではないだろうか。
アメリカメディアは現役やイラク帰還兵のなかに存在する反戦兵士たちを探し出してきては、アメリカ軍人ですらイラク戦争には反対している、即撤退を望んでいると騒ぐのに忙しい。ここでも一度紹介したが、イラク即刻撤退を訴える草の根運動といううたい文句で登場したAppeal for Redressという団体は現役および退役軍人らによって発足一か月ですでに1000以上の署名を集めたといってメディアが大騒ぎしたのもいい例だ。(発足2か月の現在はほぼ1600程度。実は草の根とは名ばかりの組織力抜群の左翼団体の看板団体であることはすでにここでもお話した通り)
だが実際には軍人たちの本心はどのようなものなのだろうか? 実は反戦署名運動に対抗してAppeal for Courageという賛戦署名運動が現役軍人らの間で行われている

発足者はジェイソン・ニコラス中尉。33歳の海軍企画将校で今年の一月からバグダッド勤務をしている。中尉は(署名運動)の目的は議員たちに軍隊がイラクでの任務遂行を達成することに焦点をあて、常時失敗を宣言するのをやめてもらうことだと語る。

「ベトナムで学んだ最大の教訓は、戦地で勝つことはできても本土で負けるということだ」と中尉はスターズアンドストライプ紙(軍隊新聞)へのメールで語った。「我々は今後も難かしい日々は続くとはいえ、イラクに駐留し最後まで仕事をさせてもらえるなら、イラクでは勝てると考えている。」
この訴えは…議会に「我々の任務を完全に支持しイラク撤退宣言を停止すること」と訴えるものである。我々はイラク戦争は必要で正当な戦争であり「敵に英気を与え本国アメリカ市民の支持を衰えさせるようなメディアの運動」に積極的に反対して欲しいと訴える。

私のネットスケープではホームページにいかれないので確認できないのだが、ミネアポリス州兵でイラク駐留のデイビッド・スル軍曹によると、始まって一か月足らずですでに1500以上の署名が集まったと言う。そうだとすれば反戦署名運動よりも署名の集まり方は早いことになる。反戦署名運動に集まった1000の署名を特集する暇があるなら、もっと多くの署名が集まった任務遂行を訴える署名運動についても主流メディアは報道すべきではないのか? むろん反戦まるだしのアメリカメディアが戦争支持の報道などするわけないが。
パワーラインでは現役軍人及びその家族から議会が押している即撤退議案についてどう思うかという意見をつのっている。パワーラインに届いたほとんどの手紙は任務遂行まで撤退すべきではないという内容だった。ここでもそのふたつみっつ紹介しよう。


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