久しぶりの友達との電話で色々語った思い出話し

友人のLが入院したと言う話を北カリフォルニアに住む共通の友達Dに連絡をしたことがきっかけで昨晩遅く久しぶりの長電話をした。Lの事情を一通り説明してから、そういえば最後に私たちが会ったのは4~5年前だったねという話になり、色々と昔話に花がさいた。友人のLとDとミスター苺を含めた仲間たちと私が出会ったのはなんと1979年のことである。

私とミスター苺が出会ったのがお互いに10代だったので、ハイスクールスィートハートだと誤解する人が多いが実は全くそういうわけではない。

私がアメリカに初めて来たのは1979年(昭和53年)のことである。私が19歳の春であった。当時私はウエストウッドというUCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)のある町でホームステイをしていた。歩いていける距離に大学があったので、そこの付属の英語学校に通っていたのだ。私は大学の学生ではなかったが、学食では「Student? (学生?)」と聞かれて「イエ~ス!」と偽って学割を使った食事をしたりしていた。キャンパス内は学生でなくても入れたので、あたかも留学生であるかのように歩き回っているうちにとある男子学生と知り合いになり、彼が所属してた大学のサークルに誘われた。

学生でもないのにサークル活動に参加したのがきっかけでミスター苺やLやDや他の仲間と出会った。よく日本人留学生は日本人や他の外国人留学生とばかり付き合って地元のアメリカ人とは友達になれないという話を聞くが、私の場合はその反対で、アメリカで知り合った人たちは英語学校で知り合いになった2~3人の日本人以外はすべてアメリカ人だった。それというのも、初級クラスに集まる外国人ばかりの英語学校には早々に見切りを付けてサンタモニカビーチで甲羅干しばかりしていたからなのかもしれない。

ミスター苺とLとDはサークルの中でも凄く仲が良かった。私はこのサークル仲間のパーティにも参加したし、一緒に当時話題だったスターウォーズを含め色々な映画鑑賞やSFコンベンションにも行った。Lと私は同い年でDとミスター苺はまだ18歳だった。Lは卒業後ロサンゼルスの法律学校へ進み、ミスター苺とDは北部の大学院へ進み後に海軍に入隊してしまった。そして私は日本に帰国。

というわけで我々の交際は数年間途絶えたのだが後に私は再び渡米し、その間にも電話や手紙(手紙!)などで交流は続いていた。大学のサークル仲間たちはそれぞれ大学卒業後も交際は続いており、Dが軍隊の出動から帰国した際にはダウンタウンのユニオン駅にみんなで迎えに行った覚えがある。サークル仲間の誰かの結婚式にはミスター苺が白の海軍制服で出席した。制服姿のミスター苺を見た時は馬子にも衣裳とは良く言ったものだなと感心したものである。

我々が出会って10年が経った頃、Lは法律事務所勤め、海軍を除隊したDはカリフォルニア北部の大学で数学の教師、除隊後ロサンジェルスに戻ったミスター苺は会社員となっていた。私は長年勤めていた日系企業からリストラに遭い今後どうしようかと迷っていた時期だった。近所住まいになったLとミスター苺と私はしょっちゅう食事に行ったり映画を観たりハイキングをしたりしていた。Lとミスター苺は週末にラケットボールをしていた。

そのうち私とミスター苺は男女交際をするようになり、なんと出会ってから20年後の1999年の春に私たちは結婚した。

Lは付き合っていた女性が脳卒中で倒れ介護施設くらしになった彼女の最後の数年を献身的にすごしたが、その後はずっと独身生活を続けている。DはDで除隊後にゲイだとカムアウト(清潔で痩身で独身と三拍子そろった彼がゲイなのはみんな知っていた)しその後もずっと独身だ。

ミスター苺と私が結婚してからは、毎年冬になるとサンフランシスコで休暇を過ごし、必ず一日はSF郊外に住むDを訪ねてイングリッシュパブでサイダーを飲むなどして過ごしていた。コロナ禍になる直前の冬、ずっとDに会っていなかったLを誘って三人でSF旅行をし久しぶりの再会を果たした。今にしてみれば本当にあの時三人で一緒にSF旅行をしておいて良かったと思う。あの後Lの病状は悪化し、とても旅行など出来る状況ではなくなったからだ。

そんなこんなで昔話は尽きなかったが、二時間の長電話の後名残を惜しみながら電話を切った。


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溶けたアイスクリームが引き出し中に!

ナイフを出そうと引き出しを開けたらアイスクリームのカートンと溶けたアイスが引き出し一杯に広まっていた。なにこれ~!お爺ちゃん!冷蔵庫開けちゃだめっていったでしょ!

「冷凍庫を開けるなとは言われてない」

屁理屈言うな!

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お爺ちゃんは料理などしないので火の危険はないのだが、冷蔵庫のドアを開けたまま閉めるのを忘れたことがあるので、冷蔵庫は開けちゃだめと言ってあったのだが、アイスクリームの誘惑には勝てなかった模様。


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子供に手を出すな!カナダ各地で反虹色教育の大規模デモ

昨日カナダのオタワとバンクーバーでそれぞれ一万人近い父母たちが集まって、カナダの学校における行き過ぎたLGBTQ+教育に抗議するデモ行進「子供たちのための100万人行進」が行われた。人々は声を揃えて「我々の子供達に手をだすな!”Leave our kids alone”」と謳いながら行進した。参加者は多種多様でキリスト教徒やイスラム教徒らが団結していた。

この子供の保護者達による草の根運動は北米ではかなり成果を見せ始めている。イギリスの活動家ケリー・ジェイ・キーンの「女にしゃべらせろ”Let women speak”」集会ではせいぜい数十人という参加者に比べ、かえって反対派のアンティファの方が多いくらいの集まりとは対照的に、カナダでの保護者達の集会に集まった参加者の数は膨大だ。

無論アンティファ連中もやって来て人々のスピーチを妨害するなどしたが、往々にして警察は双方のグループを分離するのに成功したようだ。

私はだいぶ前からKJKの運動は何か成果を上げているのだろうかと疑わしく思っていたのだが、集会の度に集まって暴力的な妨害をするアンティファ連中のことが結構取りざたされるようになり、彼等の過激さが世の中のひとにも知られるようになったということは良いことだと思う。ただ、やはり女性だけで数十人程度集まって体験談を話しているだけでは一般人にこの問題を理解してもらうにはあまり効果がない。私がツイッター(X)でジェンダーイデオロギーが如何に危険な思想であるかを書いていても、フェミ対トランスの問題で自分らには関係ないという態度を示す男性が非常に多いことに気付く。いや、むしろ今までさんざんフェミニスト達に馬鹿にされてきた右翼保守のオタク男性達は、フェミらが嫌がっていると面白がってトランスの方を持ったりしている。ジェンダーイデオロギーは社会全体の問題なのだということを理解してもらうためには、こうした男性達も味方に付けなければだめなのだ。

しかしこれはいつものことだが、左翼連中はやり過ぎる。自分らが勝っていると思うと、とことん突き進むのだ。最初は「放っておいて欲しい」が「差別するな」となり、それが「認めろ」となり、遂には「お前らもやれ」となって子供の洗脳となった。学校内は虹色で埋まり、幼稚園児向けのテレビ番組や絵本に至るまで年齢にふさわしくない、しかも異常な性描写が溢れるようになった。数年前にゲイコーラスの連中が「我々はお前たちの子供を狙っている」という歌を冗談交じりで歌っていたのも、最近ではもう冗談とは取れないようになってしまった。それで同性愛や両性愛の人たちも「グルーミングに反対するLGB」という団体まで作ってジェンダー概念に反対する動きも見られるようになった。そりゃそうだろう、ゲイ(特に男性の同性愛者)たちは昔から子供を腐敗させるとして忌み嫌われてきた歴史がある。それでずっと差別されていたのが、長年にわたる活動によってようやくそれが偏見であると理解され行為も合法となり社会も受け入れ始めていたというのに、TQ+連中のおかげで元の木阿弥。やっぱり同性愛者は危ないと警戒する人が増えてしまった。

ジェンダー活動家達が子どもに手を出したのが運の付き。これまで比較的リベラルだった人たちもこれだけは退けないと立ち上がったのだ。カナダのリベラルぶりはアメリカのリベラルの比ではない。そのカナダでこのような運動が起きるというのは凄いことである。ジェンダー概念は過渡期を迎えた。もうこれ以上彼等の思い通りにはさせない。多くに人々が目を覚ましたのだ。


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星条旗掲揚

午後8時。

「カカシ、見ろ!」

え?なあに?

「見ろ!」

と窓の外を指さすお爺ちゃん。国旗が外に出ている。

「ちゃんと掲げたぞ!」

確かに。でも今夜の8時だよ。日没には国旗は下げるんだよ。さっき二人で降ろしたじゃん。

「駄目なのか?」

ううん。いいのよ。ちゃんと掲げられたんだもんね。よくやったよ。でも夜だから私が降ろしておくね。また明日の朝お願いね。でも偉いよ。一人で掲げられたんだから。

「そうじゃろ。わっはっは!」

これでいいのよ。


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用意しておきたい1人暮らしの連絡先リスト

昨日遅く私の知らない人から自宅の電話にメッセージが残されているのに気づいた。それは私とミスター苺とは40年来の友達のLが入院したというメッセージだった。私は電話の主を知らなかったので多分Lが入院した先の看護婦さんか病院の事務の人なんだろうと思い、すぐかけ直したのだが出なかったので連絡して欲しいと伝言の残しておいた。

看護婦にしてはどこそこの病院だとも言わない不思議なメッセ―ジだったので、なんだこの役に立たないメッセージはと思い、近所の救急病院に電話してLが居るかどうか聞いてみた。Lの自宅とうちは目と鼻の先なので救急病院へ行くとしたら大きな病院は二つしかなかった。一つ目の病院には居なかったが、二つ目の病院では入院していると言われ部屋番号も教えてくれたので、今朝仕事を休んでミスター苺とお見舞いに行った。

病院の受付で病室番号を言うと、向いの棟だと言われたのでその階に上がって気が付いた。私も去年入院したので解るのだが、これは一人部屋の隔離病棟で、ここにいるということは相当の重病だと考えることが出来る。

部屋に入ってみると髪の毛の真っ白なLが弱弱しい感じで寝ていた。「ハイ、L、具合はどう?」そう声をかけると「良くないね」と消えそうな囁く声が返ってきた。Lと私は同い年だが、彼はもう誕生日が来ているから64歳。だいぶ前から甲状腺、パーキンソン病、糖尿病と色々持病があり、今回は糖尿病で部屋で意識を失ったのだそうだ。

「もっと早く連絡しなくて悪かったよ。最初の2週間は意識が無くてね」

え?いったい何時から入院してるの?

「ちょうど一か月前からだ」

ええ~!全然知らなかった!Lは一人暮らしで色々持病を持っていることでもあり、近所に家族は居ないので私とミスター苺が唯一家族のような存在だった。お互い何かあった時のための緊急連絡先にしておこうと以前から言っておいたはずなのに、なんで一か月も音信不通になるんだと不思議だったのだが、これには訳があった。

私はなるべくLとの連絡が途絶えないように2週間に一度くらいの割で電話を入れていた。だがここ一か月ほど私自身の体調がすぐれないこともあり電話を怠っていた。それで三日ぐらい前にLに電話をしたのだが通じなかったので昨日も電話をしたところだった。Lは外出などしないので、電話をすれば昼寝でもしていない限りすぐに出るのだが、二回も電話しているのに出ないとなると何かあったのかもしれないと少し心配だった。やはりその心配は当たっていた。

Lの話によると、一か月前に部屋で意識を失って倒れた。どのくらい意識を失っていたのか分からないが時々意識が戻ったと言う。だがパーキンソンのせいで身体を起こすことが出来ず、電話までたどり着くことも出来ずそのまま横たわったまま数日が過ぎてしまった。発見されたのは、郵便配達の人が彼の手紙が貯まっていることに気付き、配達時には何時も挨拶をしていて彼が旅行に出るような人ではないことを知っていた配達人は不審に思い彼のマンションの部屋の上の住人に連絡して様子を聞いたのだと言う。Lは上の住人とは結構親しかったので、彼女は絶対なにかあったに違いないと救急車を呼んでくれた。救急隊員は鍵がないためドアを壊して中に入ったところ、倒れているLを見つけたのだ。

Lの意識が戻った時、Lが連絡先を空で覚えていたのは彼の元の職場の番号のみ。元同僚でLとは個人的に仲の良かった女性が病院に駆けつけ、Lの自宅に入って連絡先の控えてあるノートを見つけ、ようやくうちの電話番号が見つかったというわけである。Lは必死に私の携帯番号を思い出そうとしたが駄目だったそうだ。それでうちに電話をくれたのは病院の人ではなく、この元同僚の女性だったのである。

Lは自分が何かあった時の用意を全くしていなかったと反省していた。持病があり、以前にも倒れたことがあったのだから、連絡先をまとめて書いたリストでも誰でもわかるところに貼っておくなりすればよかった、何かあった時ボタンひとつで救急車を呼べるアラートを買っておけばよかったのに、と色々いっていた。以前に私も、そろそろ介護士さんに週に何回かでも来てもらったらどうかという話もしていたのだが、「まあ、ちかいうちにな」と言いながら先延ばしにしていたのだった。

Lはずっと独身で何十年も一人暮らし。特に贅沢をするでもなく、海外旅行に出るでもなく、まじめに一つの会社で2020年に病気で退職するまでひたすら働いていた。それで貯金は使いきれないほどあるのだ。以前に病院へ行く時にバスに乗っていこうとしてバス停までの道で転んでしまったという話を聞いた時、「なんでタクシー呼ばないのよ、馬鹿ね!そんなところでケチってどうすんのよ!」としかり飛ばしたことがある。「今度お医者に行く時はせめて私に電話しなさいね!」と念を押しておいたのだが、まあ今となってはしょうがない。

彼が自宅のマンションに戻ることはもうないだろう。もう病気の緊急事態は終わったのでいつまでも入院しているわけにはいかない。それで次は介護施設に移動することになった。考えてみれば今回のことは不幸中の幸いというか、これで彼はもう一人暮らしをすることはなくなり、何かあったらすぐに治療を受けられるようになるのだ。結果的にはこれで良かったのだろう。

それでつくづく考えさせられたのは、何かあった時の連絡先リストをきちんと作っておく必要があるということだ。60代などまだ若いから大丈夫などと言っていても、病気をすることもあるし怪我をすることもある。まだそんな心配はいらないなどと言っている場合ではない。やはり私もきちんとした遺書を作っておこうと思った。

Lと同じで私も必要なことをついつい先延ばしにしてしまう悪い癖がある。今回のことを教訓に色々用意しておかなければならないなと思った。


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Twitter(X)別アカウント作成のおしらせ

二週間ほど前に凍結してしまった「苺畑カカシ」ツイッター(X)のアカウントですが、今回新しく別のアカウントを作成し、いちからやり直しをすることにしました。同じハンドル名は使わない方がいいと言われたので改名しました。

  • ハンドル名:カカシ姐さん
  • アカウント名:@KakashiSis90118

です。

これからは、あまり問題発言をしないように気を付けて大人しくなっていこうと思ってます。

以前に自分がフォローしていた方々のアカウントを記録していなかったので、再びフォローするのは時間がかかると思いますが、よかったらアカウント名をDMでも電子メールでもして教えてください。XのDMは規則が変わったとかで、こちらから送れないんですが、どうすればいいのか解る人がいたら教えてくださいね。

ではこれからもよろしく。

ichigobatakekakashi@gmail.com


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男の人生を破壊したければレイプを叫べばいい、納得いかないキャンセルカルチャー

ここ数日、イギリスのラッセル・ブランドという人気コメディアンのキャンセルが凄まじい勢いで起きている。数日前四人の女性が20年前にブランドにレイプされたと名乗り出て(と言っても全員匿名)、イギリスの新聞が一斉に書きたてドキュメンタリードラマまで報道されたと思いきや、すべての情報を消火する暇もなく、ブランドは自分の所属事務所から解雇になり、レギュラー番組からも降ろされて、次々に彼が関与していた仕事から解雇されてしまった。そして本日(9月19日)ここ10年来やっているユーチューブからも無収益となってしまった。このすべてがほんの2~3日の間に起きてしまったのである。まだブランドを告発した女性達の話が事実かどうかも分からないと言うのに。いったい彼がどんな恐ろしい犯罪をしたと告発されたのかBBCニュースから読んでみる

コメディアンで俳優のラッセル・ブランドが、名声絶頂の7年間にレイプ、性的暴行、精神的虐待を受けたとして告発された。

この疑惑は、『サンデー・タイムズ』紙、『タイムズ』紙、チャンネル4の『ディスパッチ』による共同調査で明らかになった。

2006年から2013年の間に4人の女性が性的暴行を受けたとしている。

ブランドは疑惑を否定し、彼の交際は「常に合意の上」だったと語っている。

疑惑の対象となった数年間、ブランドはBBCラジオ2やチャンネル4、ハリウッド映画の俳優など、時期によってさまざまな注目される仕事をしていた。(中略)

捜査の一環として、何人かの女性がブランドに対して申し立てをしている:

  • ある女性は、ブランドからロサンゼルスの自宅で壁に向かってレイプされたと主張している。彼女は同日、レイプ・クライシス・センターで治療を受けた。タイムズ紙は、これを裏付ける医療記録を見たとしている。
  • もう一人の女性は、ブランドは30代前半、彼女は16歳(イギリスの合法同意年齢は16歳)でまだ学校に通っていたときに暴行を受けたと主張している。ブランドは彼女を “子供 “と呼び、感情的に虐待し、支配していたという。
  • 3人目の女性は、ロサンゼルスでブランドと一緒に働いていたときに性的暴行を受けたと主張し、ブランドは彼女が自分の申し立てを誰かに話したら法的措置を取ると脅したと主張している。
  • 4人目の女性は、ブランドから性的暴行を受け、身体的にも精神的にも虐待を受けたと主張している。

金曜日に、ブランドはビデオを公開し、その中で、彼に対する「重大な犯罪疑惑」を否定した。俳優でありコメディアンであるブランドは、テレビ会社と新聞社から「攻撃的な攻撃」の「羅列」が書かれた手紙を受け取ったと語った。

私はラッセル・ブランドという人を良く知らないが、たまにユーチューブで彼の話を聞いたことはある。有名人が20年近くも前の性犯罪で訴えられメディアがそれに関して大騒ぎをする時は、実際の犯罪をメディアが悪いと思っているというよりも、告発されている当人を破壊しようという協調されたメディアの意図を感じる。

例えばドナルド・トランプが民主党支持で大金持ちビジネスマンで後にテレビの人気番組の司会をしていた頃は、トランプがどれだけ女たらしかなんて話は誰も取沙汰しなかった。あれだけの人なら多くの美女が身体を投げ出してくるだろうに、そんなことを問題にする人は一人も居なかったのだ。ところが共和党から大統領候補に出た途端、トランプから性被害を受けたという匿名女性達が名乗り出て、根も葉もない言い掛かりであったにも拘わらず、メディアは大騒ぎをした。結局トランプの人気は凄まじいものだったので、トランプの支持者たちはトランプへの個人攻撃だとしてこれらの告発を真剣に取り合わなかった。

なのでブランドに対してこうも迅速かつ猛烈なキャンセルが行われるということには何か裏があるに違いないと勘繰りたくなるのは当然の話だ。

ウィキペディアで彼の経歴を調べてみると、現在48歳。2004年くらいからイギリスの人気番組の司会を始め2007年頃から映画俳優としても活躍しだし、いくつものヒット映画に出演している。そして2006年から2017年にかけてラジオ番組も手掛けていた。そして最近はポッドキャスト二つのホストもやっている。

2013年ごろからは政治活動家として、ニュー・ステイツマンという左系政治雑誌で毎週コラムをかいていた。彼の政治活動は富の不均衡、麻薬依存症、企業資本主義、環境変動、偏向メディアなどである。2014年には政治系コメディ番組シリーズThe Trewsをユーチューブで始めた。またレボリューションという本も出版している。

こうやって経歴をざっと読んでいると、どう見てもメディアが目の仇にしそうな右翼保守ではない。いや、むしろ典型的な左翼リベラル活動家のように見える。どうしてこんな人が昨今のキャンセルカルチャーに巻き込まれたのだろうか?

実はブランドは左翼活動家とはいえ、左翼リベラルが信じているすべてを素直に信じてない。例えば2020年のアメリカの選挙に対してや、1月6日の出来事に関しても、左翼リベラルやメディアとは違う考えを表明していた。また、彼が資本主義を批判するのは彼が左翼だからというより資本主義は庶民を苦しめていると本気で考えているからのようだ。それで特定の企業が金儲けのために庶民を苦しめていると思えば、どんな企業に対しても本気で抗議するのである。特に最近では大手製薬会社への批判が目立つようになっていた。

ブランドがメディアの逆鱗に触れたのではないかと言われているのが、最近ビル・マーが司会するトークショーで述べた内容だ。

  • 疫病でモダーナやファイザー関係の製薬会社では新しく40人の億万長者が生まれた。
  • アメリカの国会議員の三分の二がこうした製薬会社から政治献金をもらっている。
  • ファイザーの会長は2020年にワクチンは金儲けのために作ったのではないと言ったが、2022年ファイザーは1000億ドルの収益を上げた。
  • ワクチン開発の経費はアメリカ国民が払ったのだ。
  • 医療危機で製薬会社が儲け、戦争で防衛産業が儲け、エネルギー危機でエネルギー企業が儲けるというシステムだと、常に危機状態が続いてしまう。こうやって一般人が必要とするものとエリートのそれとはどんどん分かれて行ってしまうのだ。

これは理想的社会主義思想の持主なら考えて当然のことだろう。しかしご存じのように本物の社会主義は非常にエリート主義で偽善の塊だ。だからブランドのように理想と現実の矛盾を指摘するような人間は目の上のたんこぶなのであり、非常に不都合な存在なのだ。

強姦事件というのはその日のうちに警察に行って被害届を出しても証明が非常に難しい犯罪だ。特定の場所と時間がはっきりしていて、そこの加害者とされる人間と告発者が一緒にいたことが解っていたとしても、よしんば二人が性行為に至ったことが証明できたとしてですらも、お互い同意の上ではなかったとはっきり証明することは至難の業である。それで被害者がいくら自分は被害を受けたと訴えても、証拠不十分で被告が無罪になること、いや起訴すらされないことの方が多いのだ。

にもかかわらず20年近くも前に起きたとされる犯罪をいったいどうやって証明することが出来るというのだろうか?本当に強姦が起きていたとしても、告発者の証言以外にどんな証拠が残っているというのだろうか?

アメリカはどんな人でも有罪が証明されるまでは無罪として扱うことが原則となっている。ジョニー・デップの家庭内暴力の話にしても、デップの映画出演が次々にぽしゃって数年経ってから、実は暴力を受けていたのはデップの方で元妻の方ではなかったことが証明されたが、人気絶頂期の役者が数年も働けなかったことは彼のキャリアにとって大打撃であった。

ブランドがもし本当にそんなひどいことをしていたのなら、なぜ彼が人気テレビの司会者だった頃に誰も何も言わなかったのだ?ブランドは自他ともに認める女たらしで、一か月に80人からの女性と性行為を持っていた時期があったと公表している。もし彼が普通に女性を虐待するような男だったのなら、当時から色々噂になっていたはずである。それが事実であったならメディアが何も知らなかったわけはない。それなのに人気俳優だから、左翼活動家だから、という理由で彼の所業を黙認してきたのだとしたら、そのせいで多くの女性が犠牲になっていたのだとしたら、そっちこそ問題ではないのか?

私はブランドが無罪か有罪かは知らない。だが裁判で何が起きようと、すでにメディアは判決を下し罰をあたえてしまったのである。


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サンセット大通り、最初からネタバレなのにやっぱり理解に苦しむエンディング

サンセット大通りは1950年に公開されたフィルムノワール風につくられた大傑作映画である。(ビリー・ワイルダー監督、ウイリアム・ホールデンとグロリア・スワンソン主演。)

この映画の特徴は冒頭でネタバレがあることだ。ハリウッドの豪邸のプールに浮かぶ一人の若い男の死体。この男がホールデン演じるジョー・ギルス。男を殺したのはこの豪邸の持主で元大女優のノーマ・デズモンド。この物語は中年の女が若い男を殺して終わることは分かるが、どうしてそんなことになったのか、その話は数か月前にさかのぼるのだが、その解説をするのがなんとプールに浮かんでいる男その人なのである。

実は今日私がお話したいのは映画の方の感想ではなくこの映画を元にしたアンドリュー・ロイド・ウエバーによるミュージカルの方である。しかし筋は映画を忠実に再現しているので、どちらの話も一緒にして差し支えないだろう。

私がこの映画を観たのはもうずいぶん昔だ。とはいっても公開当時はまだ生まれていなかったので観たのは大人になった80年代だ。それでもちゃんと映画館で観た覚えがあるので、多分どこかの名画座あたりで観たのだろう。

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グロリア・スワンソン(映画サンセット大通りより)

ミュージカルの方は1994年のブロードウェイバージョンをグレン・クロースとアラン・キャンベル主演でロサンゼルスでミスター苺と一緒に観た。残念なことに私は当時この作品の偉大さに気付かなかった。後に私はイレイン・ぺージの歌を(https://youtu.be/zlk-gj5Ukes?si=bHWpWxgKU3Irr1K)動画で見て、あれ?これってかなりいいミュージカルなんじゃ、、と思い直したのだ。で、今回私が観たのはコンサートでイギリスのウエストエンドでのオリジナルキャスト、パティ―・ルポーンとケビン・アンダーソン主役のバージョンである。(1993年)

話の舞台は1950年代のハリウッド映画界隈。舞台でも出だしは映画と同じでジョーがプールに浮かんでいるところから始まる。ここは映画のようにフィルムで紹介されるが、その横でジョーが立って話を解説し始める。

ジョー・ギルスはハリウッドで脚本家として一旗揚げようと一年くらい前にやってきた。いくつか低予算映画には採用されたりしたが、今は全く仕事がない。壁紙の禿げた安アパートで暮らし毎日借金取りに追われている。色々エージェントや伝手をつかって仕事得ようとするが全くうまくいかない。

この状況が「Let’s have lunch」という最初の曲で説明される。ハリウッドでは持ちかけられた話を適当に誤魔化すためにこの「いつか昼食でも取りながら話そう」と言うのが定番と言われている。実際に話すつもりなら、その場で話すのが筋なわけだから、「まあそのうちに」とか言われている間はまるで希望がないと言えるだろう。この曲の間にスタジオで衣装を来た人たちが行きかい、二階建ての舞台の上の方でコーラスガールたちがリハーサルをしている姿がえがかれる。スタジオ内のばたばたとした忙しさのなかにジョーの絶望感と借金取りにおわれる緊迫感が感じられる。

そんなある日、借金取りから車で逃げている最中に道に迷ってとある屋敷のドライブウェイに迷い込んでしまう。そこがサンセット通りにあるノーマの屋敷である。ペットのチンパンジーのお葬式をしようと葬儀屋を待っていた屋敷の主に葬儀屋と間違われて屋敷内に案内されてしまう。屋敷の女主人が無声映画時代の大スターだったノーマ・デズモンドであることに気付いたジョーは「あんたは昔大物だった」と言うと、「私は今でも大物だ。小さくなったのは映画のほうだ」と答えるノーマ。ここでノーマの最初のアリア「With one look」が始まる。ここで女優は観客の心をつかむ必要があるが、ルポーンは見事にそれをやってのける。この歌でノーマの自分の昔のイメージへの狂気的な執着度がうかがわれる。

誤解が溶けてジョーが脚本家であることを知ったノーマは、自分が書いたというサロメという分厚い脚本をジョーに渡し、それをなんとかきちんとした脚本に書き換えてほしいと仕事の依頼をする。その間ノーマの屋敷の離れに住むと言う約束で。ミュージカルでは説明がないが、映画ではノーマはジョーに黙ってジョーのアパートの家賃を支払ってジョーの荷物をすべて屋敷に移してしまう。ここですでにノーマによるジョーへのコントロールが始まっているのである。

ノーマは大きな屋敷に侍従のマックスと二人暮らし。トーキーになって20年以上も経っているというのに、無声時代の自分の名声にしがみつき、時代の流れに全く順応できていない。ノーマに献身的に尽くすマックスは、ノーマの幻想を壊さないためにせっせとファンレターを書き続けている。ノーマと毎日のように脚本を書く日が数か月続き、毎日高級料理をたべ上等のシャンパンを飲み高価なスーツまで買ってもらうジョー。大晦日にノーマはパーティをすると言ってジョーを相手にタンゴを踊る。そして如何に今年が完璧な年だったかをジョーに囁く「Perfet year」。しかし踊っている最中にノーマから愛の告白をされたジョーは息の詰まる思いでノーマの求愛を拒絶する。そして若い仲間たちのいるハリウッドスタジオへ向かう。

スタジオで大晦日のパーティーに参加したジョーは友人の婚約者であり以前に少し話をしたデミル監督の元でスクリプトガールをしているベティと再会し、一緒に脚本を書かないかと提案される。彼女の提案をうけ、やはり屋敷は出ようと決心したジョーはマックスに電話をしてその旨を告げようとするが、その時ノーマがカミソリで手首を切ったと知らされる。急いで屋敷に戻ったジョーは、ノーマの哀れな姿に罪悪感と同情心が混ざりノーマに口づけをする。ノーマはジョーの襟首をつかみ引き寄せ、しっかりとジョーの首に手を回す。もうお前を離さないとでもいうかのように。

自分の命を人質にとって男を引き留めようとするやり口は汚い。しかしジョーもその手口には気付いたはずだ。ジョーのこの口づけはジョーの無条件降伏でもある。俺はこの女から逃れられないと覚悟を決めた口づけだ。ここで第一幕目が終る。

二幕目の冒頭はこの芝居の主題歌ともいえるジョーのソロ、サンセットブルバードだ。

ノーマの若い燕となり快適な暮らしをしているジョーだが、自分が籠の鳥であることは十分自覚している。それでいて自分から去ることができない自分の優柔不断さに苛立ちを感じている。それがジョーの歌のなかで一番重要な主題歌「サンセットブルバード」である。

そうさ、名声を求めてここへ来た。プール付き犬付き名誉が欲しかった。ワーナーの敷地に駐車場。でも一年経って地獄の一部屋、折り畳みのベッドに角が剥がれた壁紙。

サンセットブルバード、曲がりくねった道、秘密で金持ちで怖いサンセット大通り。油断してる奴を飲みこもうと待っている。

夢だけじゃ戦争には勝てない。ここじゃ何時も点数を控えてる。日焼けの下で熾烈な戦い。借りて来たほほ笑み、誰かのグラスを注ぎ、誰かの奥さんにキス、誰かのケツにキス。金のためなら何でもするさ。

サンセットブルバード、見出しの大通り。たどり着くのはほんのはじまり。サンセットブルバード、大当たり大通り、一度勝ったら勝ち続ける。

(魂を)売り渡したと思うか?ああそうだよ売り渡した。いい依頼があるのを待ってるんだよ。快適な部屋、定期的な配給、24時間五つ星のサービスだ。正直俺はあのご婦人が好きだしね。彼女の愚行に打たれたんだ。泳ぎながら彼女の金を受け取ってる。彼女の日没(サンセット)を観ながら。

ま、作家だからね、俺は。(後略)

引きこもり生活をしていたノーマが唯一外出するシーンがある。それはパラマウントスタジオから電話がかかってきたことがきっかけだ。ノーマはジョーと書いていた脚本をスタジオに送っていたため、それが受け入れられ女優として主役を演じられるものと思い込みマックスにクラシックカーを運転させてジョーを連れてスタジオへ向かう。スタジオを見学に来たと思ったデミル監督(映画では本人が演じている)はノーマを椅子に座らせて「今リハーサル中だからここで見学してくれ」と言う。

スタジオでは昔のノーマをしっている照明係が「デズモンドさん、デズモンドさん、はっきり見させてくださいよ」と言ってノーマに照明を当てる。それを観た他のスタッフたちが「ノーマ・デズモンドだ!」といって集まってくる。ノーマは久しぶりにファンに囲まれて上機嫌。ここでノーマが歌う「As if we never said goodbye」(まるで一度もさよならを言ったことがないかのよう)はどこでも歌われる名曲である。ルポーンの哀愁に満ちた歌声には心を打たれる。

結局スタジオからの電話は彼女へのオファーではなく、彼女のクラッシックカーを借りたいという話だったのだが、それを知ったマックスはそのことを絶対にノーマに知らせまいと決心しジョーにも口止めする。なぜそこまでマックスがノーマを守ろうとするのかジョーが問い詰めると、マックスは実は自分は昔映画監督で16歳のノーマをスターにしたのは自分だったこと、そして彼はノーマの最初の夫だったことを告白する。しようと思えば映画監督を続けられたのに、ノーマの失脚とともにノーマを守るために自分も映画界を去ったのである。マックスはこれからもノーマを守っていくとジョーに次げる。マックスもまたジョーと同じでノーマの奴隷となっているのだ。

ジョーは次第にそんな生活に飽きて、夜ごと屋敷を抜け出してはベティと一緒にオリジナルの脚本を書き始める。そうしているうちにベティは婚約者が居ながらジョーに魅かれジョーもまたベティーに魅かれていく。二人が恋に落ちる様子が「Too Much in Love to Care」(愛しすぎて気にならない)で歌われる。しかしこの間ジョーは一度もベティにノーマのことを話していないのだ。どんどんベティに魅かれて生きながら、ノーマの愛人を辞めていないジョー。

ジョーが外で女と会っていることを知ったノーマはベティの電話番号を突き止め彼女に何度と電話をして嫌がらせをする。その現場に居合わせたジョーはノーマから電話を取り上げベティにノーマのサンセット通りの住所を教えて今すぐ来いと言って電話を切る。

駆け付けたベティに向かってジョーは自分がノーマの囲い者であることを白状する。ベティは「そんなことは知らない。私は何も聞かなかった。さっさと荷物をまとめて一緒に出て行きましょう」という。だがジョーは自分はここの生活が気に入っている。ここを出ても仕事などない。またあの安アパートに戻れというのか、君は婚約者の元へ戻って結婚しな。時々遊びにおいでよ、プールを使わせてあげるからと皮肉たっぷりに言う。

ベティはショックを受けてそのまま立ち去ってしまう。ジョーはベティを引き留めようと一旦は腕を伸ばすがその手を引っ込めソファに座りこもうとしてソファから崩れ落ちてしまう。

そこへノーマが入って来て「ありがとうジョー」と言うが、ジョーはスーツケースを持って出て行こうとする。そしてどうなったか、それが冒頭のシーンである。

さてここで私には解らないことがあった。結局ノーマの元を去ろうと決心したのなら、なぜベティと一緒に出て行かなかったのだろう?どうせ出ていくなら好きな人と一緒の方がよかったのでは?何故ベティに心にもない三下り半を下したりしたのだ?

色々な人の解釈を聴いていて納得したのは、ジョーはすでにハリウッドで腐敗してしまった敗北者だという気持ちがあった。それでベティまで腐敗させたくなかったという親切心からではないかという話。たしかに、もう自分が立ち直るのは手遅れだが、愛するベティだけでもなんとか救いたいという気持ちだったのかもしれない。多分ジョーはノーマの家を出たら、故郷のオハイオにでも帰って、また一からやり直そうと考えていたのだろう。

だがノーマ(ハリウッド)は自分勝手な退場は許さない。利用するだけ利用し役立たずになったら追い出すまでジョーはノーマの奴隷だったのである。

同じテーマのこんな歌を思い出す。

ようこそホテルカリフォルニアへ、チェックアウトは何時でも出来ます。でも永遠に去ることはできません。

一番有名なシーンについて書くのを忘れていた。冒頭のシーンでジョーがプールに浮かんでいると言ったが、そこにはすでに警察や新聞記者らが集まっていた。フラッシュをたいて写真を撮っている報道陣を観て、狂気の絶頂に達してしまうノーマ、あたかも撮影現場にいるかのように大袈裟なポーズを取りながら長い螺旋階段をおりてくる。映画ではこの間、階段やその下に集まっている警察官や報道陣はまるで時が止ったかのように動かず、ノーマだけがゆっくりと階段を降りてくる。

そして無声映画の役者特有のドラマチックな表情をしたかと思うと例の有名な台詞で幕が閉じる。

「デミル監督、クロースアップをどうぞ。」


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カリフォルニアのニューサム知事、ロックダウンについて「私たちは皆間違っていた」と語る、いや間違ってたのはあんたでしょ!

先ほどもカリフォルニアのロックダウンの一貫性のなさについて書いたばかりだったが、ロスアンゼルスデイリーニュースで面白い記事を見つけた。著者はカリフォルニア州南部のオレンジ郡議会委員のドン・ワーグナー(Don Wagner)記事の見出しは「いや、ニューサム知事『私たち』はコロナ禍のロックダウンについて間違っていなかった、間違っていたのはあんただ」というもの。

最近のインタビューで、ニューサムはCOVIDの厳重なロックダウン対策についてこう語った。

すべて違うやり方をしていたと思う。私たち全員が、知恵を結集して、進化してきたと思う。私たちは知らなかったことを知らなかった。私たちは後知恵の専門家だ。今はみんな天才だ

いやいやいや、私(カカシ)を含め多くの人が当初からロックダウンは害あって益なしだと抗議していた。それを無視してロックダウンを強行したのはニューサム知事その人だ。今更「知らなかった」では済まされない。

ニューサムはもちろんいずれ大統領になりたいと思っている。バイデン爺さんの耄碌ぶりは日に日に顕著になるし、このまま次の選挙に本当に出られるのかどうか、かなり疑わしい。健康上のと言う理由でバイデンが出馬を断念した後に颯爽と貴公子のように登場しようと身構えているのがニューサムである。そのためには今のうちにロックダウン当時の大失態ぶりから話題をそらす必要があるのだ。しかし我々カリフォルニアンは覚えているぞ、いかにニューサムの独裁政治がカリフォルニアの経済を破壊し人々の自由を侵害したかを。

ニューソムは礼拝所を閉鎖し、憲法修正第1条の自由を侵害する一方で、ハリウッドの事業継続を許可した。ターゲットやウォルマートのような大型店舗は営業を続け、記録的な利益を上げたが、同じ地域で同じ商品を販売する中小企業は、国家権力の靴底に直面した。ニューソムは中小企業、教会、学校を 「必要不可欠ではない 」と宣言した。彼は自由に対するCOVIDに基づく犯罪を犯し、COVIDに基づく精神衛生上の危機を作り出した。しかし、大企業の献金者、フレンチ・ランドリーのような高級レストラン、プロスポーツは 「不可欠 」だった。

ニューサムは、州民には三人以上で集まるなと言っておきながら、自分はフレンチランドリーという高級レストランで友達十数人と集まってマスク無のパーティーをやっていたことが後になって暴露されている。

ワーグナーによると、オレンジ郡など地方議員たちは知事の政策について何一つ発言権を持たなかったという。知事はオレンジ郡のビーチを閉鎖したが、他の郡のビーチは解放されたままだった。オレンジ郡の太陽と砂と空気はほかの郡より危険らしいワーグナー。

コロナ禍初期からこの病気に一番危険がないのは子供達であることが解っていた。にもかかわらず知事は小中高を一斉に閉鎖した。この病気で危険にさらされるのは老人だけで健康な若いひとたちにはほぼ影響がないことが解っていたにもかかわらず、お年寄りたちは家族に看取られることもなく寂しく亡くなっていったのだ。私は介護施設にいるようなお年寄りなら、家族にずっと会わないまま一年か二年生き延びるより、例えコロナに罹っても家族に囲まれたま数週間で死んだとしても、その方がずっとましだと思っただろう。

ワーグナーはさらにニューサム知事が重犯罪者の刑を軽くして多くの極悪犯罪者を釈放したことや、劣悪化するカリフォルニアのホームレス問題についてもニューサムの政策はすべて間違っていると批判する。

まったくその通りだ。こんな奴に大統領の仕事など断じて任せられない。


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国中がロックダウンで苦しんでいる中も仕事をしていたハリウッドのストライキなど国民は興味がない

ハリウッドの脚本家と俳優たちが合同ストライクを始めてすでに100日を超えるそうだ。テレビなんぞ全く観ない私からすれば、だから何?と言ったところだが、実をいえばアメリカ市民のほとんどが私と同じように感じているようで、私が良く観てるユーチューバーが行ったアンケート調査ではストライキを辞めて早く戻ってこいと答えたのが何とたったの3.2%だったそうだ。ま、彼の視聴者はもともとハリウッドファンではないから当然の結果だが。

一回の出演料が何千万ドルとかいうような大型スターはともかく、脇役でちょこちょこ出ているような下っ端俳優などは一か月も二か月も収入が無かったら暮らしていけない。それに撮影がなければヘアやメイクさんや技術や大道具など、撮影関係でその他いろいろな仕事をしてる人たちの生活にも支障をきたすだろう。確かにお気の毒なことではある。しかしながら、、

2020年3月から始まった2年間のロックダウンにより、どれだけのビジネスが崩壊したかを考えると、その間ずっと仕事をし続けていた芸能界が三か月やちょっと休んだからといって同情心を持てと言われてもそれは難しいだろう。

私はロックダウン中にレストラン経営者が室内飲食を禁止されたため、野外テラスを設置したにもかかわらず、不衛生ということで営業を許可されないその真横で、映画撮影のためのケイタリング用野外食事場が設置されている前で泣きながら訴えていた動画を今も鮮明に覚えている。何故レストランの野外テーブルは駄目で、撮影現場のケイタリングは良いのか、何が違うんだと彼女は訴えていた。

だいたいロックダウンで生活に必要不可欠だからと営業を継続できたビジネスと、不必要だと言われて閉店を余儀なくされた商売との不公平さは今もって理解できない。

ステイプルと言う大型文房具店は開いているのに、その隣にあるキッチン用品専門店は休店。文房具店へ入るのは安全でも台所用品店に入るのは危険とはどういう意味だ?洋服も売っているウォールマートのような大型小売店は開いているのに、個人経営の洋品店は休店。同じように不可解な理由で美容院やエステなども休店。ロックダウンの影響で潰れたビジネスはうちの近所だけでも、先に話した台所用品店、50年以上やっていたコーヒーショップ、行きつけのカフェ、近所で唯一本物の味がしたラーメン屋、個人経営の中華店、苺畑夫婦が30年来通っていた運動ジム、などなど数えたらキリがない。

人びとがそうやって苦しんでいる間にも映画やテレビの仕事は続いていた。それでいて金持ち芸能人たちがテレビで「マスクしろ!」「ワクチン打て!」「ソーシャルディスタンスを守れ!」などと煩いお説教を人々にしていたことを我々は未だ忘れていない。

それはともかく、最近のハリウッド映画はすでに観客離れが始まっている。この夏は大型映画の不発ぶりが特に顕著で、ディズニーのリトルマーメイドやライトイヤー、インディアナジョーンズ、ミッションインポッシブルなどが不入りで次々にずっこけた。これまで必ず成功していたヒーローものもザ・フラッシ、シャザーン、ブルービートルなど全く駄目だった。テレビ界でもテレビドラマ至上最高の製作費を投入したロードオブザリングスシリーズが大失敗、黒人女性を起用したクレオパトラシリーズも大不評、とまあこんな具合だ。個人的には楽しみにしていたスタートレックのピカードやストレンジニューワールドの新シーズンが酷すぎて観られたものじゃなく、パラマウントのストリームはキャンセルした。(ただしネットフリックスのワンピース実写版は評判がいい)

この映画やテレビの観客離れが続いているのも、最近のハリウッド作品のポリコレお説教に人々が嫌気をさしてきたからだろう。それにロックダウン中に押し付けられたストリーミングサービスのおかげで我々は別に新作品を観なくても、昔の傑作品をいくらでも観ることが出来る。

何にしろインフレで大変は人々がハリウッドなんぞに同情する余裕はないのである。


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