昨日遅く私の知らない人から自宅の電話にメッセージが残されているのに気づいた。それは私とミスター苺とは40年来の友達のLが入院したというメッセージだった。私は電話の主を知らなかったので多分Lが入院した先の看護婦さんか病院の事務の人なんだろうと思い、すぐかけ直したのだが出なかったので連絡して欲しいと伝言の残しておいた。

看護婦にしてはどこそこの病院だとも言わない不思議なメッセ―ジだったので、なんだこの役に立たないメッセージはと思い、近所の救急病院に電話してLが居るかどうか聞いてみた。Lの自宅とうちは目と鼻の先なので救急病院へ行くとしたら大きな病院は二つしかなかった。一つ目の病院には居なかったが、二つ目の病院では入院していると言われ部屋番号も教えてくれたので、今朝仕事を休んでミスター苺とお見舞いに行った。

病院の受付で病室番号を言うと、向いの棟だと言われたのでその階に上がって気が付いた。私も去年入院したので解るのだが、これは一人部屋の隔離病棟で、ここにいるということは相当の重病だと考えることが出来る。

部屋に入ってみると髪の毛の真っ白なLが弱弱しい感じで寝ていた。「ハイ、L、具合はどう?」そう声をかけると「良くないね」と消えそうな囁く声が返ってきた。Lと私は同い年だが、彼はもう誕生日が来ているから64歳。だいぶ前から甲状腺、パーキンソン病、糖尿病と色々持病があり、今回は糖尿病で部屋で意識を失ったのだそうだ。

「もっと早く連絡しなくて悪かったよ。最初の2週間は意識が無くてね」

え?いったい何時から入院してるの?

「ちょうど一か月前からだ」

ええ~!全然知らなかった!Lは一人暮らしで色々持病を持っていることでもあり、近所に家族は居ないので私とミスター苺が唯一家族のような存在だった。お互い何かあった時のための緊急連絡先にしておこうと以前から言っておいたはずなのに、なんで一か月も音信不通になるんだと不思議だったのだが、これには訳があった。

私はなるべくLとの連絡が途絶えないように2週間に一度くらいの割で電話を入れていた。だがここ一か月ほど私自身の体調がすぐれないこともあり電話を怠っていた。それで三日ぐらい前にLに電話をしたのだが通じなかったので昨日も電話をしたところだった。Lは外出などしないので、電話をすれば昼寝でもしていない限りすぐに出るのだが、二回も電話しているのに出ないとなると何かあったのかもしれないと少し心配だった。やはりその心配は当たっていた。

Lの話によると、一か月前に部屋で意識を失って倒れた。どのくらい意識を失っていたのか分からないが時々意識が戻ったと言う。だがパーキンソンのせいで身体を起こすことが出来ず、電話までたどり着くことも出来ずそのまま横たわったまま数日が過ぎてしまった。発見されたのは、郵便配達の人が彼の手紙が貯まっていることに気付き、配達時には何時も挨拶をしていて彼が旅行に出るような人ではないことを知っていた配達人は不審に思い彼のマンションの部屋の上の住人に連絡して様子を聞いたのだと言う。Lは上の住人とは結構親しかったので、彼女は絶対なにかあったに違いないと救急車を呼んでくれた。救急隊員は鍵がないためドアを壊して中に入ったところ、倒れているLを見つけたのだ。

Lの意識が戻った時、Lが連絡先を空で覚えていたのは彼の元の職場の番号のみ。元同僚でLとは個人的に仲の良かった女性が病院に駆けつけ、Lの自宅に入って連絡先の控えてあるノートを見つけ、ようやくうちの電話番号が見つかったというわけである。Lは必死に私の携帯番号を思い出そうとしたが駄目だったそうだ。それでうちに電話をくれたのは病院の人ではなく、この元同僚の女性だったのである。

Lは自分が何かあった時の用意を全くしていなかったと反省していた。持病があり、以前にも倒れたことがあったのだから、連絡先をまとめて書いたリストでも誰でもわかるところに貼っておくなりすればよかった、何かあった時ボタンひとつで救急車を呼べるアラートを買っておけばよかったのに、と色々いっていた。以前に私も、そろそろ介護士さんに週に何回かでも来てもらったらどうかという話もしていたのだが、「まあ、ちかいうちにな」と言いながら先延ばしにしていたのだった。

Lはずっと独身で何十年も一人暮らし。特に贅沢をするでもなく、海外旅行に出るでもなく、まじめに一つの会社で2020年に病気で退職するまでひたすら働いていた。それで貯金は使いきれないほどあるのだ。以前に病院へ行く時にバスに乗っていこうとしてバス停までの道で転んでしまったという話を聞いた時、「なんでタクシー呼ばないのよ、馬鹿ね!そんなところでケチってどうすんのよ!」としかり飛ばしたことがある。「今度お医者に行く時はせめて私に電話しなさいね!」と念を押しておいたのだが、まあ今となってはしょうがない。

彼が自宅のマンションに戻ることはもうないだろう。もう病気の緊急事態は終わったのでいつまでも入院しているわけにはいかない。それで次は介護施設に移動することになった。考えてみれば今回のことは不幸中の幸いというか、これで彼はもう一人暮らしをすることはなくなり、何かあったらすぐに治療を受けられるようになるのだ。結果的にはこれで良かったのだろう。

それでつくづく考えさせられたのは、何かあった時の連絡先リストをきちんと作っておく必要があるということだ。60代などまだ若いから大丈夫などと言っていても、病気をすることもあるし怪我をすることもある。まだそんな心配はいらないなどと言っている場合ではない。やはり私もきちんとした遺書を作っておこうと思った。

Lと同じで私も必要なことをついつい先延ばしにしてしまう悪い癖がある。今回のことを教訓に色々用意しておかなければならないなと思った。


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