トランス『女』は生物学的にも男じゃないって言える神経

アップデートあり:後記参照。
ユーチューブでちょっと有名なライリー・J.デニスという男が居る。彼の存在を知ったのは若いアルトライト連中が彼のビデオをしょっちゅうおちょくっているからなのだが、今回はエブリデイフェミニズムという後退派左翼馬鹿フェミサイト、いつもトンデモビデオをこさえているデニスとしても特に突拍子もなく馬鹿げた見出しがついていたのでつい読んでしまった。(さすがにビデオを見る気にはなれなかったが)。題していや、トランス女は生物学的にも男子ではない!No, Trans Women Are NOT ‘Biologically MaleFebruary 10, 2017 by Riley J. Dennis というもの。
先ずデニスを知らない読者のために説明すると、彼は自称「トランス女」なのだが、日本のテレビ番組で人気のあるオネエさんたちと違って女性に見せようという努力を全くしてない男だ。彼は髪の毛を伸ばしてマスカラをつけている以外は女性の振りさえしていない。興味のある人はリンク先からビデオでも見ていただければわかるが、声も男のまんまだし話し方も全く男そのもの。ホルモン治療も整形手術もする気はないと常に言っているし生まれつきな女性以外には魅力を感じないとも認めている。
最初にデニスはトランスジェンダーなんぞ存在しないと思っている人は最初からこのビデオを見ないでくれと言っている。このビデオはトランスジェンダーの存在は認めているが、生物学的な性を変えることは出来ないと考えている人のためのものだという。それで性別(ジェンダー)は社会的構造であるが、性(セックス)は生物学的であると考えるのは間違いで、真実は性も生物学的なものではなく社会的構造なのだ、とデニスは主張するのだ。
だいたい性と性別が別物だという考えからしておかしい。カカシちゃんは生物学的には女子だが性別は男子だ、なんて何の理屈にもなっていない。セックスとジェンダーは同義語であり切り離すことは出来ないのである。だから、性は生物学的なものだと信じている人は、それがセックスでもジェンダーでも同じことなので、デニスの屁理屈がどういうものなのか紹介したいと思う。
カカシがトランスの人がよく使う言い回しで特に嫌いなのが「生まれたときに指定された性別」という言い方だ。人間は生まれた時点で誰かに「はい、あなたを男子/女子と指定します」などと言われるわけじゃない。あえて誰かが指定したとしたら、それは神様だろうが、デニスは無宗教者だというからそれも無理。
性/性別は単に生物学的な識別である。一般には新生児の性器でその識別は行なわれる。確かに性器がはっきりしていない新生児も居るが、その場合は染色体を調べればはっきりするし、それで中性だった場合にはインターセックスという例外として識別される。 インターセックスはあくまでも例外である。
性の識別は科学的にはっきりしている。いつか人間の染色体まで変えることが出来る日が来るかもしれないが、今の段階では性は男女の二つしかない。そしてそれは受精したときから一生変ることはないのである。
デニスの屁理屈は、『一般人は染色体だのホルモンの検査だのを受けるわけではなく、性器の形で男子か女子かを決められている、しかし最近は整形やホルモン治療で見かけなどいくらでも変えることが出来るようになったのだから、生物学的にも異性への転換が可能になった。』というものだ。
デニスがこういうことが言えるのは、彼が生物学を全く理解していないからだ。一般に男子と女子の違いは見かけで区別がつく。しかし男女の差は見かけの違いだけではなくもっと複雑なものだ。先ず第一に生殖機能の違い。女性には妊娠して出産するという機能がある。どれだけ男子が女子に見えたとしても彼が子供を宿して生むことは不可能である。同時に男子には女子を妊娠させることが出来るが、どれだけ男性ホルモンを受けていようと彼女に女子を孕ませることは出来ない。
もちろん女子でも不妊症の人も居れば男子でも女子に妊娠させることが出来ない人もいる。閉経した女子が女子でなくなるのかといえばそうではない。生殖機能は男女を区別する上で非常に大事な要素ではあるが全ての要素ではない。
筋肉や骨の密度、骨格の違い、内臓の違い、そして近年明らかになった脳の違いなど、男女の差は数え上げたらキリがない。確かに我々は双方ともヒトではあるが男と女ではまるで別な動物であるかのごとく違うのである。
生物学的な違いは我々の自我に非常に大きな影響を与える。個人が自分が何たるかを感じるとき、この遺伝子とは切っても切れないつながりがあるのだ。どれだけホルモン剤を摂取しようと性器を整形しようと人の中身を変えることは出来ない。
それでもまだ、ホルモン治療やいた~い去勢や乳房除去手術などをやって、より異性にみせようと努力しているひとならともかく、デニスのようにそんな努力を全くせずに、どうみても単なる女装男が女性だと感じただけで生物学的にも女性になれると言い切れるその神経って、いったいどうなってんだと私は聞きたい!
毎月の生理の痛みや不快さを感じたこともない男に女の何がわかるっつうの!初潮の苦しさ、長年に渡る生理の不快さ、予期せぬ生理に衣服を汚してしまった恥かしさ、妊娠や出産の喜びと苦しみ、または女性に生まれながら不妊に悩む苦しみ、10年にも渡る更年期のつらさ、そんなもの何にもわからないくせに、想像もつかないくせに、
そういういう男が女面(おんなづら)するな!
アップデート:実は~、デニスはあたかも自分がトランスジェンダー女の代表みたいな顔をしているが、トランス女でもデニスを嫌っている人はかなり居て、そのなかでもデニスは本当のトランス女ではないと言い張るトランス女たちが結構居るということを知った。
彼ら(彼女ら?)によると、普通トランス女は自分の男性的な体格には嫌悪感を持っているのだという。考えてみれば体は男なのに心は女だと信じている人々にとって、常に男性を思い出させる男性器や骨格やのど仏などは自分が男性であることの確証として忌み嫌われるのというのも理解できる。
ところがデニスは別のビデオのなかで、自分の体のなかで特に嫌いな部分はないと言っている。繰り返すがデニスは髪を多少長めに伸ばしていることと、マスカラを塗っている以外はとりたてて女性らしい格好をしていない。彼が好んで来ているタンクトップの外にはみ出している幅広い肩幅や筋肉質な腕や人一倍大きな喉仏にしても、まるで男性そのもの。そういったものをデニスは特に隠そうとしていないし声も完全に男のままで話し方も全然女らしくない。
生まれた性に一致した身体に全く抵抗がなく(よってホルモン治療も整形手術も受ける気がない)生物学的な異性に性的魅力を感じる人間って、単に普通の男じゃん!彼のどこがトランスジェンダーなんだよ?!という疑問が生じるのは当然。
で、とあるトランスジェンダーブロガーによると、デニスは本当は生物学的にも精神的にも完全な男だが、トランスジェンダーを装って、馬鹿げたビデオを作り続けることによって本当のトランスジェンダーをおちょくって、その信用度を落とそうとしているのではないかというのである。
もし、デニスがトランスジェンダーのパロディキャラを演じているとしたら、彼のばかばかしいビデオは大成功を収めているといえる。なにせアルトライトからもフェミニストやレズビアンやトランスといった左翼連中からもデニスはバンバン叩かれて、彼のビデオのヒット数はうなぎのぼり。ユーチューブはヒット数が多ければ多いほどお金になるのだから、デニスの狙いはそこにあるのかもしれない。


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少子高齢化と人口減少は関係ない?

先日お話した日本の少子化についてのビデオで紹介されていた、現代社会研究所所長・青森大学社会学部教授古田隆彦(ふるたたかひこ)氏のインタビューを見つけたので読んでみたら、なんか目から鱗が落ちたという感じがした。古田教授によると人口減少は決して悪いことではなく、これは社会形成の転機なのであり、「人口減少はビジネスチャンス」だと語る。
まず教授は、人口減少の原因は少子化でも国民の高齢化でもなく、出生率にくらべて死亡率が高いということでしかないと語る。

過去40年間、ほぼ3~4年ごとに1歳ずつ伸びてきた平均寿命が限界に近づき、今後は10年経っても1歳伸びるかどうか、という段階に入り、2005年前後から死亡数が出生数を追い越します。そのため人口が減るのです。その本質を見誤って、少産・多死化を少子・高齢化と考えるから悲観論一色になるのです。

教授に言わせると、問題なのは出産適齢期の女性数が減っている限り、出生率を高めるのはむずかしいとのことだ。しかし、だからといってこれが問題なのかといえばそうともいえない。
人口減少が「問題」となるのは、生産者の数より扶養者の数が増えて、生産者への負担が高まるという点にあるが、教授はどの世代が子供でどの世代が老人かという定義を変えるだけでこの問題は解決するという。

最大の問題はいまだに65歳以上を高齢者、すなわち被扶養者と決めつけて議論していることです。この定義は平均寿命が70歳前後だった1960年頃に決められたもので、寿命が80歳を超した現在には合わないのです。現在の65~74歳は体力や気力もあり、仕事、貯蓄、資産運用などで経済力も維持しています。

 70歳が平均寿命のとき、最後の5年間の面倒を社会が見ようと高齢者を65歳としたならば、80歳が寿命の現在は75歳から高齢者とするべきでしょう。今後3年ごとに高齢者の定義を1歳ずつ上げていけば、2035年前後の75歳以上は2045万人となり、現在の65歳以上より494万人も減るのです。

はあ、なるほどね~。確かに年金というのは最後の5年くらいを目安に作られたもののはずなのに、最近の「老人」は長生きだから年金を15年も20年も受け取っている。うちの隣のご隠居さんなんかもう90歳を過ぎているから、年金暮らし25年以上!
教授はさらに子供の定義も変えるべきだという。

一方、子供は0~14歳と定義されていますが、これは1960年代にWHO(世界保健機構)の提案を受け入れたものです。当時は進学率が高校約60%、大学など約10%で、10代の大半が働いていました。ところが、現在では高校進学率は97%に達し、10代後半はほとんど未就労です。そこで、子供の定義を10歳繰り上げて24歳までとし、同様に今後3年ごとに1歳ずつ上げていけば、2035年には1800万人となり、現在の14歳以下より50万人も多くなります。

いっくらなんでも30歳を子供というのはおかしくないかな?確かに学士や博士を取るとなると30歳くらいまでは働けないから収入がないという意味で「子供」と定義するのもわかる気はするが。
しかし年金支払いの年を75歳に引き上げたとしたら、55歳定年とかいう制度は見直す必要がある。熟年でも普通に働ける場所がなければ定年から年金授与までの20年をどうやって生きたらいいのかということになる。

そのためには、もちろん60~70年代の働く場を確保する必要がある。65~75歳の「ハイパーミドル」が年金を負担しつつ、生活を保障できるチャンスを社会が提供するべきでしょう。企業だけでなく、例えば大学や高校も経験豊かな社会人を講師として採用する。行政の窓口でも、窓口業務の上手な定年退職者を活用するべきです。

銀行の窓口とか昔は妙齢で綺麗なお姉さんたちがやっていたが、最近では結構パート主婦も増えたし、長年働いて経験のある人たちを使わないという手もない。それに若い人が激務で過労死しているという状況があるなら、企業は職員を増やしてシフト制を取り入れて、シニアの職場を確保してはどうなのだろうか?
また教授は人口が減るということは顧客も減るということなので、多くの人に買ってもらうというより、高額なものを買ってもらう、何回も買ってもらう、多く買ってもらうといったビジネスモデルに切り替えるのも大切だという。
スマホとかコンピューターとか個器の数ではなく、それにつけるソフトの販売に力を注ぐべき。確かにそうだな。スマホが普通になってきている現在は10年前では考えられない「商品」が売られるようになった。ポケモンゴーなんてのがその典型だろう。
教授は日本のアニメとかゲームとかオタク製品の輸出などで成功している企業もあるので、そういう分野の開発も必要だろうと語っている。
シニアシチズンの年齢を定義だけ変えて75歳からにしてみても、もしその人が65歳以下のひとたちより病気がちだったり体力が極端に落ちていたりしたら若いときのような生産性はなくなる。高齢社会では高齢の人々がなるべく長く健康を保てるようにしなければならない。もし日本社会が、いや文明社会が人口減少による生産率の降下を防ぎたいなら、出産率向上に力を入れるよりも、高齢者の健康維持のための医学開発に力を入れるべきなのかもしれない。


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またまた記録的に寒い冬が始まった

地球温暖化説が毎年毎年ものすごい勢いで崩壊しているが、今年もまた例年以上に寒い冬になるらしい、という話を書こう書こうと思っているうちにさむ~い冬がアメリカ各地で、もう始まってしまった。日本でもすっごく寒いらしいが、読者諸氏風邪などひかないようにお気をつけあれ。
この記事を読んだ時点で、今年の冬は北極風の影響で例年平均より華氏で35度、摂氏だと37度以下になる予測だとあり、数日中に気温は急激に下がるだろうと書かれていたが、実際に本日はノースダコタやモンタナ州では命に関わる寒さになっているとか。モンタナの気温は摂氏零下34度。外には10分以上でないようにと忠告されているほどだ。
北極からの風が太平洋からの風と合流して降雪につながっており、東海岸のあちこちで雪が降っている。ウィスコンシン、バーモント、ニューハンプシャー、そしてメインといった州で豪雪が降っており、土曜日だけで15cm以上積もったとか。ボストンでは133年来一番寒い12月17日となった。
これからも寒く長い冬が続きそうだが、カカシは新年早々東海岸に出張の予定。やだな~!
このブログを書き始めて10年以上経つが、ほぼ毎年のように今頃になると「今年の冬は記録的に寒い冬になりそうと書いてきた。これはアメリカだけの現象ではない。北半球はもう10年近く全体的に寒い冬が続いている。いったい何年こういう冬が続けば地球温暖化説は間違っていたということになるのだろうか?いったいどの科学者が勇気を持って「我々は間違っていた。」と認めるのだろう?
未だに国連は温暖化を阻止するために二酸化炭素排出量を減らそうとかいって先進国に色々圧力をかけている。カリフォルニア州はこの間の選挙でスーパーなどでビニール袋を無料で提供することが禁止になった。日本ではすでにビニール袋ひとつにつき7円くらい取っているのを2~3年前に帰国した際に見ているが、カリフォルニア州では一袋10円。たくさん買い物したら何袋も使うから、これを毎回払っていたら結構費用がかさむ。で、この袋代は何処へ行くのかといえば、結局州が税金として取り立てるというだけで、これが温暖化防止にどういう影響があるのか全く不明。(実はまるでないのだ!)
苺畑家ではこれを予測してもう数年前からスーパーのビニール袋をたくさん集めておいた。物置にはビニール袋で一杯。
若い世代の人は覚えていないだろうが、カカシが子供の頃は、主婦は買い物の際に買い物籠というものを持って行った。これはプラスチックやビニールではなくウィッカー。イメージはこういう感じ。そろそろ我が家も買い物籠を購入するときが来たのかな?
なぜ時代をさかのぼらなければならないのか、進歩にはそれなりに理由があったのに。


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ポリコレによって脅かされる女性の健康

ちょっと前に読んだ記事なのだが、男女の脳の違いを研究している科学者たちは、女性蔑視の汚名を着ることを恐れて自分らの研究発表が容易にできないという内容だった。それで、女性特有の脳の病気など、治せる可能性のある病気の治療がままならないという。
ここ何十年、フェミニストたちは男性の脳も女性の脳も同じだと主張してきた。その非科学的な政治的に正しい説は、性別に適した薬品の開発をきわめて難しくしているという。この記事によると神経学者らによれば、男性と女性の脳はあきらかに違う。
男と女では筋肉や骨格や運動神経など大差がある。病気にしたところで心臓病は女性より男性の方が多いことや、男性に子宮がんはあり得ないとか、男女差があることは誰もが認めることだ。それなのに脳みそだけが男女全く作りが同じと考える方がおかしい。
フェミニストたちが間違える点は、違う=優劣がある、と思い込んでいること。 たとえばオリンピックの選手でマラソン選手と体操選手のどちらが優れたアスレートか考えたとき、どちらも優れた運動選手であることに変りはないが、それぞれ違った意味で優れている、比べようがない。それと同じで男女の脳はつくりは違うかもしれないが、それぞれ違った面で優れていると考えれば特に問題はないはず。
男性と女性とで脳のつくりが違うので、薬に対する脳の反応にもかなりの違いがあるという。しかし科学者たちはフェミニストたちからのセクシストという批判を恐れて救命の可能性がある薬品開発に消極的なのだという。.
UCLA大学のラリー・カヒル脳神経生物学者は主流神経学会の間で嫌われ者になることは承知のうえで、女性の脳卒中患者に効果的な薬品開発について神経学調査医学ジャーナルにその結果発表をした。そのなかで博士は女性にとって効果のやる薬品が男性にも効果があるとは限らないと記す。
たとえばアルツハイマーは男性と女性とでは脳のどの部分が影響を受けるかが違うのだという、つまり、男性と女性とでは脳の細胞の死に方が違うのだ。その差がわからなければ双方に見合った適切な治療は困難になる。
カヒル博士は男女の脳の差についての研究はしないようにと警告されたが、脳移植が麻痺した手を動かす可能性のある研究をあえて進めている。また同博士はLazaroidsという薬品の研究についてのべった。この薬品は男女合同のテストではその効果が明らかではなかったが、それは単に男子には効果があったが女子にはなかったというだけのことかもしれないという。だが、研究者たちは女子と男子の違いを認めようとしない。よってこの薬品の本当の効果力を正しく調べることが出来ないで居るのだ。
さて、ここで私は興味深いことに気が付いた。脳神経学の専門家たちが男女の脳の違いについてまともな研究発表をすることすら憚られる時代に、実際に男女の脳の違いを証明する検査を普通に行なっている医師がいるのだろうかということだ。
聡明な読者諸氏はもうカカシの疑問をお察しだろう。そう、トランスジェンダーの人々が自分らは精神病患者なのではなく、生物学的な性とは違う異性の脳みそを所持しているだけだと言い張っていることに注目していただきたい。脳神経学者でないトランスたちにどうしてそんなことがわかるのか?彼らは脳神経科のお医者様にペットスキャンでもやってもらって自分が異性の脳みその持ち主であることを証明してもらったのか?
いや、それはあり得ないだろう。なぜならカヒル博士がいうように、そのような研究はノンポリコレとして学会では認められていないからである。
最近トランスジェンダーのポリコレのほうがフェミニストのポリコレよりも優勢だ。男女の脳に違いはないと主張するフェミニストたちはしょっちゅうトランスポリコレの連中から講演を阻止されている。ターフという侮蔑語まで作られて罵られ虐げられている。となると、トランスジェンダーたちは遂に脳神経学者の男女脳研究を可能にしてくれるのだろうか?
私はそうは思わない。かえってトランスジェンダーたちはその研究を阻止するだろう。万が一男女の脳を簡単に見分ける方法が開発されたとしても、トランスジェンダーたちはそんな検査は拒否するだろうし、もしもトランスジェンダーの識別を脳検査によって行なうなどという法律を誰かが提案しようものなら、トランスコミュニティーから大バッシングを受けること間違いない。
なぜか? それは自分はトランスジェンダーだと言い張っている人々は心の底ではそうではないと知っているからだ。いや、確信はしていなくても、自分はトランスではなく単に精神異常なだけかもしれない、と認めることが怖いのだ。自分がトランス女だと言い張っていた男性が検査によって男性の脳を持っていることが判明したら、もうすでにしてしまったホルモン治療や去勢手術などどうすればいいのだということになる。
科学が政治によって左右されることは本当に恐ろしい。だが、地球温暖化似非説がここまでまかり通ったのも政治と金がらみである。だから誰もが本当だと思っていることが通らず、科学的に間違ったことが横行してしまうのだ。
そしていつもどおり、フェミニストたちの間違った考えの犠牲になるのは他ならぬ女たちである。本当のフェミニストなら今すぐ男女の脳は同一だなどという非科学的な考えは捨てて、科学者たちの研究の邪魔を止めて欲しい。


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アメリカは記録続きの寒い冬、今年はもっと寒くなる

近年、毎年この時期になると『今年は記録的に寒い冬になるそうだ』と壊れたレコードのように繰り返しているカカシだが、今年は更にその記録更新となりそうだという予報を読んだ。
そうこうしているうちに、日本では54年ぶりに11月に雪が降ったとかで、日本もかなり厳冬が予測される(日本語)ということだ。

    ・2016年冬から2017年にかけては厳冬になると予想!
    ・日本海側では2010年のような大雪になる可能性があり!
    ・平均気温としては高めだが、寒暖差が激しく身にしみる寒さになる!

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外国語勉強中に母国語を忘れる人は習得が早い

この間、アメリカ人と結婚してホノルルに住み始めて数年という日本人の友達と食事中、彼女が「英語がそれほどうまくなってるわけでもないのに、日本語を忘れちゃうのよね。」と言う。「カカシちゃんはアメリカ生活長いのに、よく忘れないわねえ。」とも言われた。実は私もアメリカに住み始めてほんの数ヶ月という時にそういう体験をした。英語もろくろくしゃべれないのに日本語忘れてどうすんだよ、と自分でも情けなくなったのだが、実はこれは外国語を学ぶのに誰もが通り過ぎる関門であるようだ。
本日見つけたこの記事バイリンガルな人の「脳の構造」についての最新報告は非常に興味深い。冒頭の記者の体験談が私の体験とそっくりなのに驚いた。

留学先のメキシコシティから数日ほど帰国していたときに、わたしは父親に「『lavadora』を使ってもいい?」と尋ねた。

「何だって?」。父はスペイン語がわからなかった。とはいえわたし自身も、メキシコで半年ほど過ごしてやっと会話できるようになったくらいだ。洗濯しようとして、頭のなかに浮かんだ唯一の言葉がスペイン語だったのはなぜだろう?
「あぁ、うーん…服を洗うやつ」。自分に何が起きているのか、わたしにはわからなかった。
「洗濯機のことか?」
「そう、それ!」とわたしは言い、20年以上も覚えて使っていた名詞を認識し、安心した。

私の場合は「冷蔵庫」が思い出せなくて、里の母に「リフジレーター」と言ってしまって戸惑わせた記憶がある。
ペンシルベニア州立大学で、バイリンガル能力とその認知的影響を研究している心理学者、ジュディス・クロールは「バイリンガルが操る2つの言語は、しばしば“競合”するものです」とワシントンDCで開かれたアメリカ科学振興協会の演説で語った。
この記事の記者は英語を母国語に持つスペイン語とのバイリンガルだが、「スペイン語を話すときは、意識して認識のスイッチを切り替えなければならない。何年もの間、毎日スペイン語を話していてもそう感じる。」と書いているが、まさしくカカシも同じである。
カリフォルニアではそういうことは先ずないが、ハワイのホテルに泊まっていてフロントに電話をしたりすると、日本名の客からの電話だと「はい、フロントです」と日本語で答えてくることがある。特に大手ホテルではこういうことがままあるのだが、英語で話すつもりで電話をしたのに日本語で返ってくると一瞬言葉につまって「え~、あ~、は~」となってしまう。
反対に、特に意識していないときには、どちらの言葉で話しかけられてもきちんとその言葉で答えたりする。以前にミスター苺が仕事に熱中しているフランス人の同僚にフランス語で話かけたら、普段はフランス語など話たこともないのに、ちゃんとフランス語で答えてきて、ミスター苺が知ってる簡単なフランス語でやり取りをしたのに、その同僚は他のことを考えていたらしく、自分がフランス語をしゃべっていることにしばらく気づかなかったという。解るなあ、その気持ち。
クロール教授によると、外国語から母国語に切り替える時も、母国語から外国語に切り替えるのと同じ作業を脳はしているのだという。「特に外国語の環境にどっぷりつかっていると、母国語を見つけるのに一苦労します」とクロールは言う。「一瞬、パニックになるかもしれませんね」

「第2言語を学習中、母国語は忘れやすくなるかもしれません」とクロールは言う。「ですが、それは言語を規則化するための重要なプロセスなのです」。彼女の実験結果によると、「母国語を忘れるといった学習初期に表れる影響を受けやすい人は、第2言語を習得する能力に優れているかもしれない」という。
そして、話す単語1つひとつを選択するのは、脳が重量挙げをしているようなものなのかもれない。(略)バイリンガルが常に直面するこのような負荷は、不要な情報をふるいにかけて決定を行う能力(実行機能)の向上につながるとクロールは考えている(

記者も書いているが、私も日英バイリンガルな友達と話すときは、言葉が日英ごっちゃになることがある。これは自分の怠慢のせいだとおもっていたのだが、そうでもないらしい。

「1980年代、人々は言語の混合は病的なものだと考えていました」とクロールは言う。「しかし、実際はごく自然なものです」。また、(言語を混同することで)わたしの脳が怠けているというわけでもない。わたしはいまだに単語を選ぶたびに2つの言語から選んでおり、単に毎回同じ選択をしているわけではないのだ。

私の場合、自分が選んだ単語がどっちの言葉に属するかどうか一瞬忘れることがある。それでレストランで「お勘定、プリーズ」とか言ってしまって変な顔をされてから、「あれ、お勘定って英語じゃなかったけ?」なんて首をひねったりしている。
この間はミスター苺が「チェックプリーズ」といいながら両手の指をつかって四角を作った。実はこれは日本の「お勘定」とか「おあいそ」のときのボディランゲージ。英語の場合は指で署名をするしぐさになる。私といつもお寿司屋さんに行ってるせいで、ミスター苺のボディランゲージがバイリンガルになってしまった、、のかも?


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幼児の性同一性障害治療を巡って首になった小児精神科医にみる政治と科学

私は以前から性同一性障害の治療は性転換手術にあるという考え方に非常な疑問を持ってきたが、それが幼児に対する治療である場合は特に、親が幼児を性同一性障害患者として異性となることを奨励するのは幼児虐待だと主張してきた。思春期を迎える前の子供の性同一性障害専門医で子供が生まれた性を受け入れる方が好ましいという思想で治療を進めていた医師が性同一性障害医療クリニックから解雇されたという記事を読んで、この問題は医療や科学とは全く別のトランス活動家の政治活動に悪用されていると痛切した。

左翼市民運動の活動はどんな運動でも元になる問題とは別に、自分らの左翼権力促進が根本であることがほとんどである。だから女性解放運動にしろ、黒人運動にしろ、同性愛人権運動にしろ、本当の目的は社会から差別されたり弾圧されたりしている少数派の人権を守ることではなく、運動の主導権を握っている人間らの権力を強化することにある。

幼児の性同一性障害を専門に治療してきた精神科医ドクター・ケニス・ザッカー医師はこの道では有名な研究家である。現在65歳のザッカー医師はカナダのトロント市の病院で何十年も幼児期の性同一性障害の治療と研究にあたっており、何冊も研究書を発表している。そのザッカー医師が突然にして彼が勤める(幼児及び少年と家族の性同一性クリニック) the Child Youth and Family Gender Identity Clinic (GIC), を解雇された。その理由というのも、医師の幼児の性同一性障害は子供の成長に任せてなるべく異性変更への道を強制しないという姿勢がトランス運動家らの怒りを買ったからである。

ザッカー医師は決して性同一性障害が存在しないと主張しているわけでも、思春期を越した青少年が性転換に進むことを拒絶しているわけでもない。同医師の治療法は、思春期前の幼児の性同一性に関する混乱は幼児期だけに起きる一時的なものであったり、周りの環境に左右されたりするもので、本当の意味での性同一性障害とは判断できない場合が多いため、あえて早急に異性への変更に取り組むべきではないという常識的な考えに基づいている。

それをトランス運動家たちは、ザッカー医師がトランスの子供たちを無理やり普通の子供に戻そうと野蛮な治療を行なっているかのように訴え、その政治力で医師をの解雇を実現させてしまった。これは本当に性同一性障害やその他の精神病に悩む幼児に対して非常な悪影響を及ぼすものだ。

私は性同一性障害という精神病が存在しないとは思っていない。いやむしろ持って生まれた自分の性を受け入れられないのは精神病だと考えるのは当然のことだと思っている。だが性同一性障害が病気であるならば、その治療法はきちんと科学的に研究されるべきであり、政治が介入すべきことではない。
もしもホルモン投与や整形手術によって障害者の病気が本当によくなるというのであれば、それはそれとして認められるべきことだ。しかし性適合手術を受けた人々の自殺率は受けなかった人々と比べて同率かもしくはかえって高いという調査がある。治療が治療前の症状を悪化させているとしたら、これは有意義な治療方法とは言いがたい。

それでも分別のわかる大人がすることであれば、危険覚悟の治療も許可されるべきかもしれないが、それが幼児となるとそう簡単にはいかない。

子供というのは周りの環境に左右されやすい。男勝りの女の子が回りから「あんたは男の子に生まれてきたらよかったのにね。」と常に言われたら、自分は単に男の子の遊びがしたいだけの女の子が自分は男であるべきなのだと思い込んでしまう危険は多いにある。また、自分が異性だったらいいのに、と願うことと自分は異性であると思うこととは別である。そういう子供をいっしょくたにして異性への転向を回りが奨励するのは危険である。一旦異性への転向の道を歩み始めてしまうと、子供が途中で気が変わっても元の性に戻るのは回りの環境を考えると非常に難しい。単に男っぽいもしくは女っぽい女児や男児でいれば、気が変わってもどうということはないが、一旦自分は異性だと言い張りまわりにもそのように対応するよう要求してきた子供が、気が変わったと言ってまた回りの対応を変えてもらうというのはかなり勇気のいることである。

何度も書いているが、性同一性障害を精神病として扱わずに差別されている小数派民族であるかのように扱うことに問題がある。だいたいトランスジェンダーという考え方自体、いわゆるアイデンティティーポリティクスというステレオタイプを使った差別である。

男女という性別に関しては、それぞれそれなりの傾向がある。男と女が違うのは当然の話だが、どのグループにもそのグループの特質からは離れる例外者は存在する。たとえば男性のほうが格闘技は得意であるというのは一般的な傾向ではあるが、女性でも力強く格闘技に優れている人もいる。そういう人を無視して女性は戦闘員には向かないから受け入れないという考えは女性差別である。また、男性でもスポーツ観戦よりファッションショーのほうが好きという人もいるだろう。だから彼は女々しい男だと言い張るのは男性差別だ。

ところがトランス活動家はそういう差別的なステレオタイプを強調し、女性がズィーナやワンダーウーマンのように強かったら彼女は男であるべきだと主張し、男性が裁縫や料理が好きだったら女であるべきだと主張するのだ。そして彼らはこのステレオタイプを幼児にまで押し付けようというのである。
皮肉なことだが、数十年前左翼リベラルたちは幼児の性別は持って生まれた性よりも周りの環境によって決まると決め付けていた。だから男児でも女児でも性別を無視した教育をすればどちらの性にもなり得るという実験をしたが、それは徹底的な失敗に終わった。現在の左翼リベラルたちは、幼児が幼児特有の幻想を使って異性の違いを学ぶ自由を奪い取り、幼児に自分らの持つ性のステレオタイプを押し付けようとしている。何故男勝りの女の子ではいけない?何故おままごとの好きな男の子ではいけないのだ?

子供たちはそうやって自分らのアイデンティティーを確立していく。大人たちはそっと彼・彼女たちをみまもってやればいいではないか。

ザッカー医師のそんな親心は左翼リベラルには全く通用しなかったようだ。


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人種は生まれつきだが、性別は社会的建造だと言える左翼リベラルの倒錯した理屈

昨日も紹介したが、レイチェル・ドレンザルという地方黒人人権団体の幹部を務め、大学で黒人学の教授までやっている、いわゆる黒人の人権活動家である女性が実は白人だったという話が今ものすごい話題になっている。特に元オリンピック男子陸上金メダリストのブルース・ジェナーが性転換中を発表した直後のことだったこともあり、男が髪型を変えて化粧してドレスを着れば女だということになるのなら(ジェナーは性別適合手術をまだ受けていない)白人が髪型を変えて黒っぽい化粧をすれば黒人ということになるのではないか、という問いかけがあちこちでされている。だがこれについて、黒人運動家の間からは、ドレンザルとジェナーを比べるのは筋違い。人種は生まれつきだが性別は社会的創造だ、と平気で言い張る輩がいて全く笑っちゃうのであった。
白人のレイチェル・ドレンザルが10年近くも黒人として生きてきたことに関して、ドレンザルは気がふれていると主張する意見が多く聞かれる。ツイッターでは“dolezal crazy” (クレイジー)とか“dolezal nuts” (気違い)といったハッシュタグには多くの意見が寄せられている。
それについてフェデラリストのショーン・デイビスは、

ドレンザルがしてきたことと、ジェナーが現在していることと、いったいどういう違いがあるというのだ?レイチェル・ドレンザルは黒人ではない。ケイトリン(ブルースの女性名)ジェナーは女ではない。(略)レイチェル・ドレンザルが洋服を変えメーキャップを変え髪形を変えても黒人にはなれない。明らかな理由から皆それにはほぼ同意している。赤をいくら青を呼ぼうとも赤は魔法のように青には変われない。

にもかかわらず、左翼やメディアはブルース・ジェナーが名前を変えて洋服を変えてメーキャップをかえて髪型をかえただけで、女に変われると言い張る。どうもってくればでジェナーは英雄だがドランザルは精神病患者だという理屈が成り立つのだ?

『ドレンザルが白人として黒人運動に参加していたなら問題はないが、黒人の振りをしていたことに問題がある』と書いているツイッターに対し、デイビスはジェナーがガールスカウトの指導員になるのは問題ないのかとたずねたところ、返事は「ケイトリン・ジェナーは女性の振りをしているわけではない」という返事が返ってきた。

ちょ、ちょっとまったあ、多少でも事実を把握できる人なら、何の手術を受けてない(手術をしたからといって染色体を変えられるというわけではない。染色体のみが性別を確定できる。)ジェナーが女性の振りをしているわけではないって? いったいどうすればジェナーがやっていることとドレンザルがしてきたことが酷似している事実に気がつかないでいられるのだ?ほぼ一夜にして人種は社会的建造であり性別は生物学的建造であるという観念が逆転してしまったようである。

デイビスが言うように、単なる女装男が自分は女だと主張しただけで社会が彼を女だと認めなければいけないというのであれば、自分は黒人だという白人の主張も認めるしかない。それがいけないというならその理由をはっきりさせるべきだ。
もっとも左翼リベラルがきちんとした理屈で反論など出来るわけはない。彼らの反応はジェナーとドランザルを比較すること自体がトランスフォビアでありレイシズムなのだ、やめろ~!である。議論できないと相手を差別者扱いして黙らせるのが左翼リベラルの常套手段。
それよりは、まだましな議論をしている場合でも、これなんか読んでいて私は笑ってしまった。要約すると、「トランスレイシャル」という観念は、黒人としての差別とか弾圧とかいった体験を肌で感じたことがない人間が、黒人の特権だけを利用する行為だ。こういう行為は人種のステレオタイプを促進することに他ならず、黒人の振りをしさえすれば黒人であることを「感じる」ことが出来るという誤った観念を広めることになるというもの。
あれ~?この議論、どっかで聞いたことないかあ?「トランスレイシャル」を「トランスジェンダー」に置き換え、「黒人」を「女性」に置き換えれば、これはラディフェムがトランス女について言ってることとそっくりそのままではないか?
はっきり言って、白人が黒人の振りをしたからといってそれほど害があるとは思えない。こんなことは、政府や大学や企業が少数民族に対する特別扱いを止めれば済むことだ。白人であろうと黒人であろうと東洋人であろうと、大学入試の合格点数が黒人のほうが白人や東洋人よりずっと低いとか、就職の際に黒人が優先されるといたことさえなければ、誰がどんな肌の色で暮らそうと社会的な影響は全くない。
だが、男性が女性として女性社会に侵入してくることの弊害は膨大である。時を同じくして女子MMAのトランス女選手ファロン・フォックスが相手のタミカ・ブレンツに対して圧倒的な勝利を遂げた際、ブレンツ選手に大怪我を負わせるという事件が起きた。ブレンツ選手はこれまで色々な女子選手と戦ってきたが、このように圧倒的で強烈なパンチを受けたのは初めてだと、男子と女子の肉体的な莫大な違いについて語った。
もうすでにトランス女による女子スポート侵略は始まっている。どれだけ女装しようと男は男だ。女子が男子とまともに立ち向かって勝てるはずはない。単に試合に負けるだけならまだしも、これは女子の安全に関わることである。トランス女を女子スポーツに参加させることは女性虐待である。女性差別である。
ま、そのことについてはまた後日話すとして、トランスジェンダーが認められるならトランスレイシャルも認めるべき。この二つは切っても切り離せない関係にあるのだ。単に相手をトランスフォビアとかレイシストと呼ぶだけでは解決できない問題である。


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ブルース・ジェナーの性転換は単なる売名行為

元オリンピック陸上競技金メダリストのブルース・ジェナーが今流行りのトランスジェンダーだと告白してメディアは大騒ぎ。整形手術後(まだ未完成らしい)の写真をファッション雑誌で公開した姿が美しいと評判。
は!どこも整形していない普通の男性だって女装して厚化粧してプロの写真家に撮ってもらえば信じられないほどきれいになるし、それにくわえて多々のエアブラッシやフォトショップでいくらも欠点は補える。こんな写真だけ見ても本人が実際に女に見えるかどうかはかなり怪しい。
トランス女を本物の女性として扱うかどうかという点については賛否両論がある。無論私は性転換手術なんか受けようという人は精神病を患っているのであり、その精神病に迎合するような態度を社会はとるべきではないと考えている。実はそれについて色々書こうと思っていたところ。
しかしながら、ジェナーに対する応援にしろ批判にしろ、ジェナーの本当の目的は人々の話題の種になることにあった。
ミスター苺は、ジェナーが金メダルを獲った当時、ジェナーは国民的英雄として人気の的だった。スポーツ選手を宣伝に使う朝食シリアルの箱に顔写真が載ったり、今風に言えばイケメンが幸いしてコマーシャルやバラエティーショーやトークショーなどひっぱりだこだった。しかしそれはもう40年以上も前の話し。それ以後は俳優に転向するでもなく、スポーツキャスターになるでもなく、今の若い人で陸上選手としてのジェナーを知っている人は少ないと思う。
最近のジェナーはキム・カダーシアンというリアリティーショーの美女ヒロインの継父ということでテレビに出演してはいるものの、あくまでも脇役。これといった名声があるわけではない。
ところが、自分はトランス女だと発表した途端、左翼リベラルメディアや芸能人やひいてはオバマ王までジェナーは英雄だとか勇敢だとか訳のわからない賞賛を浴びせ、今やジェナーは一躍トップスターの座に押し上った。ジェナーの演説講演費はトランス発表前の4倍の額になったというし、ジェナー主役の性転換の過程を追ったリアリティテレビ番組の公開も真近いという。
単なる売名行為だけのためにここまでやるか、という疑問もあるかもしれないが、大昔中国では宦官(かんがん)といって、自ら去勢して宮廷勤めをする人間が多く居た。宦官になることよって出世し莫大な権力を得る可能性があったからだ。タイでは今でもトランスは職業みたいなもの。同性愛者でも性同一性障害でもない男性が金儲け目的でトランス手術を受けることが後を絶たない。
そう考えれば名声や金儲けのためにトランス女になることをジェナーが決意したとしても、今の時代変態的な行為ではあるといえ、全く理解できないこともない。
まったく不思議な世の中になったものである。


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寒さに震えた東海岸の旅

本日はちょっと個人的なお話。

カカシは先週の金曜日までぴったり三週間ほどバージニア州のバージニアビーチ市付近に滞在していた。去年と今年のバージニア州は例年にみない寒波に襲われ、降雪も70年ぶりとか言う大雪に見舞われた。私が滞在していたのは真冬の二月だから、まあ寒かったこと!最低気温は華氏マイナス一度。摂氏になおすと零下18度!これは最悪だったが普通でも零下12度から8度くらいだった。

私が滞在しはじめた次の週にものすごい大雪が一晩中降って、翌日は道に止めてあった車が完全に雪に埋まっていた。日中になって日が照ってきても、雪の表面が多少解けても気温が零下なのですぐに凍りつき、夜になってさらに新しい雪がその上に積もりと言う状態が続き、道は何センチものがちがちに凍りついた雪で固まっていた。運転なんて冗談ではないという状態。

ミシガン州出身の同僚が、ミシガン州ならこんなのどうってことないだけどね、と言っていたが、問題なのは普段雪が降らないところには除雪機などの設備が整っていないということ。表通りや高速道路の除雪はまあまあなんとかなるとしても、裏道とか住宅街の道路や歩道までには手が回らない。だから一般人は自宅から表通りに出るまでのところで車が詰まって走れない状態となってしまった。

近所の学校や公共施設は一斉に雪休み。レストランとか一般のお店も皆閉まってしまった。うちの職場も最初の日は休みだったが、そう何日も休んでいるわけにはいかないので、二日目からは時間を遅らせて開業。

私の泊まっていたホテルの前の道が完全にスケートリンク化していて、車があっちゃこっちゃでスピンして数メートルが進めない。やっとなんとか表通りまで出て職場まではいけたのだが、職場の駐車場に雪が10センチくらい積もったまま。駐車の線が全く見えないので、みんなひっちゃかめっちゃかに駐車していた。私の車も駐車場でつっかえてしまい、何度も車を降りては雪かき。車をとめるのに20分以上かかってしまった。やっと車を泊めて仕事場まで歩いている途中で滑って転んで膝がおおあざをつくってしまった。帰りは帰りで雪に埋まった車を掘り返すのに一苦労。

それでもやっと三週間の仕事を終えてカリフォルニアに帰ってこようと思ったら、帰りの日に大雪予報が出た。一旦降り始めたら2~3日は帰れなくなってしまうと思った私は帰りを一日繰り上げて飛行機の予約を変えた、、つもりだったが、空港へ行ったら予約が入っていないといわれた。旅行会社のミスで日にちが一日間違っていたのだ!

無論翌日は大雪で飛行機はすべて欠航。結局その日は帰れず、道もふさがってどこへもいけないので、ホテルで缶詰になった。

金曜日になって、なんとか予約が取れて帰ってこれることになったが、出発が二時間も遅れたため、乗り継ぎのデトロイト空港でゆっくりお昼ごはんを食べる予定が完全に狂い、次のゲートまで猛烈ダッシュする結果となった。ああ、もう散々!

もう雪のバージニアには死んでもいかないからね!

もっとも大雪で大変だったのはバージニア州だけではない。ニューヨークやメリーランドもかなり大変だったよし。ま、雪の多い東北とかの人たちからしてみたら、こんなことで大変がってる我々がおかしいかもしれないが、もともと雪の多い地元の人たちはなれてるし、インフラもしっかりしてるからちょっとやそっとの雪で町が遮断してしまうなんてことはない。慣れてないから困るんだよね、これって。
カカシも雪道運転なんてしたことなかったし、、

それにしても、ほんとうに毎年のように記録更新するこの寒さ。アル・ゴアさん、地球温暖化はどうなったんですか?


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