「女性スペースを守る会」活動始まる

先日弁護士の滝本太郎氏が「女性スペースを守る会」という運動を始めた。こちらがそのサイト。女性スペースを守りたい方は、ご賛同を!|女性スペースを守る会|note.

では先ず同会の設立趣意書から。

当会は、いわゆるLGBT新法などにより、女性トイレ等を女性自認者(いわゆるトランスジェンダー女性=身体違和は不要で、性指向は女・男・両性である身体的・法的な男性)が使うことが公認されて良いかを問い、諸々の課題がある『性自認』について立ち止まって十分な国会審議を求める会です。

滝本氏は各党の政治家にトランスジェンダー方針についてどのような見解を持っているのか質問状を送り、その答えを受け取り次第同サイトに掲載すると言っている。これは非常に良い運動だと思うので、滝本弁護士には頑張ってもらいたい。

また滝本氏が自分のブログでトランスジェンダーについて多くの人が持っている18項目の誤解について述べている。t滝本氏はこの問題に関してはまだ初心者ということなのだが、それでも結構色々な人の意見を聞いているようだ。

例えば、

✕ 女性自認者(トランスジェンダー女性)が、あやしい目的のために女性専用エリアに入ることはあり得ない。

◯ 違います。女性自認者の中にも、性的指向は女性に向いている方がもちろんいます。通例の男性同様に、中にはあやうい方もいましょう。これらは当然の事理です。こう述べることは差別でも何でもありません。

トランス活動家(TRA)は常に真のトランスジェンダーは性犯罪を犯さないという前提で始める。しかし、トランスだからといって性犯罪を犯さないという保証は全くない。トランスジェンダーの性指向は男とは限らず、いやむしろ女性や女児に向けられていることの方が多く、トランスジェンダー「女」の犯罪率は一般男性と変わらないかそれ以上であることが解っている。

TRA常套手段のお惚けについても、

✕ トランスジェンダーの専門家は、女性自認者はほとんど女湯に入ることなど求めていない、丸裸になる場所ではトラブルになり易いからそんなことはないと言っています。ですから論点ではないとみて良いのではないですか。

◯ 違います。一部でもそれを主張する人がいることに注意すべきでしょう。信頼性ある女性自認者ばかり考えるのでは、「世の中にはホント色々な人がいる」ことを前提に定められなければならない法制定の議論として正しくないです。 スローガン「トランス女性は女性だ」にて女性としての扱われる権利を主張するのですから、その論理は女湯にも妥当します。おいおいトラブルが起きていくとみなければなりせん。 「女性という自認」という外から分からないことで要件が成立するのですから、女性や業界関係者が不安に思うのは当然です。

この件に関しては諸外国ですでに自称トランスの女装男たちによる犯罪が頻発していることから、日本でも起きると想定するのが妥当。法律が通ってしまってからでは遅い。

そして最後に一番大事だと思われるのがこの点。強調はカカシ。

✕ 「トランスジェンダー女性は、女性」なのに「女性トイレに入れない」というのはマジョリティーである女性の横暴で、差別ではないのですか。

◯ 違います。「女性だ」は、身体的・法的にも男性である以上、「尊重してくれ」という主張、スローガンに止まります。女性自認者は、「性の多様性」としてある男性の一つの類型ですから、マジョリティーである通例男性の中のマイノリティーの課題です。それを、女性トイレに入れるようにすることで解決するのは筋違いです。「多様性」と言っていながら、突然「女性だ」と白黒の発想になり、女性スペースを利用できる筈とすることは矛盾しています。解決方法としては、女性トイレはそのままに、当面は男性トイレを男女トイレとして違和感を少しでも減らす、さらに別に共用トイレを多く設置していけば、トランスジェンダー女性(女性自認者)の法益も相当に守れます。

不当な差別ではありません。女性は今も様々に差別されている実態にあり、さまざまな性犯罪におびえています。女性の横暴などでは、決してありません

私は滝本氏のいう「女性自認者は男性の一つの類型である」という理論に感心した。先日同ブログでも紹介したサラ・ダンスキー女史が言っていた「トランス女性は女性のサブカテゴリ―ではない」というのと同じで、トランス女性はあくまでも男性の多様性の一種だという考え方だ。

無論滝本氏の活動はすでに色々な方面から攻撃を受けている。特に弁護士団体からの誹謗中傷が酷い。

弁護士神原元@kambara7·某弁護士団体のメーリスで滝本さんが総スカンを食らってる案件ですよね、これ。 弁護士のメーリスで賛同が得られないとTwitterに復帰して自信を取り戻し。またメーリスで叩かれるの繰り返し。そして、こういう方々にネチ絡み。 何やってるんですか?貴方は。

滝本さんの主張は弁護士の人権団体ではほとんど支持されていませんね。理由は簡単、立法事実がないから。 かなり前に、トランス女性のトイレ利用を制限する立法事実はあるのか滝本さんに問うた。回答はなかったのだが、その後別の場面で「実験するわけにいかない」と主張した。 立法事実はないのだ

とか、


大野友也@ono_tomoya
·実験せずともアメリカではトランスジェンダーに性自認に一致するトイレを使用させよと判決が出ているわけで、そのアメリカの実態を調査すれば済むはずですが、滝本氏はそれをしないわけですから、たちが悪いですね。なおアメリカの裁判所も「犯罪が増えるという証拠はなく推測に過ぎない」としてます。

などが典型。弁護士の悪い癖だが、裁判での裁断が一番正しいと思い込んでいる点。裁判官も人間の集まりだ、偏見もあるし間違いも犯す。アメリカの裁判所が何を言っているかではなく、こうした法律が通ったアメリカで何が起きているかを言及すべき。

それにしても日本でもついにこんな議論を交わさなければならない日が来たということか。しかし日本は諸外国ですでに試して失敗している例から学ぶことが出来る。だから日本の政治家たちは安易におかしな法律を通してしまわないよう国民の声に耳を傾けてほしいものだ。そういう意味で滝本氏の運動は非常に大事だ。頑張ってほしい。


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典型的藁人形論で女装変態男の女性施設許容を求める詭弁

今日もツイッターで上がってきた女装変態男をどうしても女性施設に入れたい人のエッセーを読んでみた。題して、「トランスを排除しないと女性スペースの安全は保てない」は主張として正当性を保てるか?その主張はフェミニズムか?ぽてとふらい著。

著者は反トランスジェンダーの理論を四つカテゴリーに分けて理論を進めている。

  1. トランス女性は「性犯罪者」である男性と見分けがつかない?
    • 「トランス女性は確実にシス女性と見分けがつく容姿をしているはずだ」というバイアス
    • シス女性の多様性の忘却
  2. 「女らしくない容姿を排除」すれば解決?
  3. トランス女性を排除できなくなれば犯罪目的の男性を排除できなくなる、は本当か?
  4. 男性さえ排除すれば女性だけのスペースは安全?
    • 犯罪者は犯罪を起こすまでは犯罪者ではない
  5. トランス女性の権利を擁護することは”ミソジニー”か?
  6. 終わりに:トランス女性の権利を守ることは全ての女性の権利を守ることに繋がる。

そういうことなので、私も彼の目次に従って彼への反論をしていこう。

1.トランス女性は「性犯罪者」である男性と見分けがつかない?

「トランス女性は確実にシス女性と見分けがつく容姿をしているはずだ」というバイアス(略)

ここから見えてくるのは、トランス女性は一律に”女”として通用しない、ありていに言えば”本当の女”とは明らかに違う、言い換えれば”男らしい”見た目をしているはずであり、だから確実に見分けられるという、バイアスが存在している事です。

しかし、これは明らかにトランス女性の実態に即していません。(略)現実は当然そんな事にはなってないので、この方法ではトランス女性と男性を見分けることはできません。(略)

シス女性の容姿も、トランス女性と同じで多様であり、中には男性と見分けがつきにくい、あるいはまったくつかないシス女性も存在します。(略)現実の世界においては、トランス女性と男性どころか、シス女性と男性でさえ確実には見分けられないのです。トランス女性のスペース利用において問題となる”パス度“(女性に見えるか、見えないか)の尺度は、現実の世界ではシス女性にも降りかかっていることを、忘れてはいけません。

我々はトランスジェンダー女性が実際に女性に見えるかどうかという話など最初からしていない。もし自称女性の男性を女子施設に許容したならば、痴漢目的で女性施設に入ってくる男性でも自分は女性だと言い張りさえすれば、その人間を女子施設から排除することが出来なくなることを問題視しているのだ。

男性と間違われるほど男っぽい女性が居たとしても、彼女が自分が女性であることを証明することが出来さえすれば不都合はあっても間違いでしたで済まされる。だが、通報された人が実際に男性だった場合、性自認法なるものがあったら、どれほど女性に脅威を及ぼす人間でも女性は彼らを排除できなくなるのである。この著者はその問題を完全に無視している。

2:「女らしくない容姿を排除」すれば解決?

ならば、見分けがつかない存在を全て排除してしまえばどうか?つまり、女らしく無い見た目の女は、女性だけのスペースを利用する権利を制限してしまえ、という案です。トランス女性とシス女性を見分けることが不可能で、シス女性と男性を見分けることも不可能である、ならば”男らしい”見た目を排除すればよいのか?という話になるのは当然です。

完全なる藁人形理論。我々が求めているのは男っぽく見える人たちの排除ではなく、男性体の人間の女子施設立ち入りを禁じることだ。どう見ても女性に見えない人が(髭面すね毛男)が女子施設に堂々と入ってきても、自分が女性だと言い張りさえすれば女性が何も出来ないような社会にしないようにと主張しているだけ。

実際女性に見える女装男が存在するからといって、男性体の男でも女性に見えさえすれば女性施設への立ち入りは許されるなどということになれば、外見だけで判断することになり問題は拡大する。だからみかけはどうあれ男性体の人は女性施設に入らないでくれと言っているのだ。

3:トランス女性を排除できなくなれば犯罪目的の男性を排除できなくなる、は本当か?

法的に言えばトランス女性がトイレを使用しても、それは正当な理由であり、問題は無いと考えられます。

防犯・犯罪検挙という観点で言えば、たとえトランス女性が女子トイレを使用するようになったとしても、不審な人物や犯罪者が捕まえられなくなるなどということは、法的に考えてもあり得ません。

これは、たとえシス女性であっても、不審な行為を行っている人や、性犯罪に関わる行為を行っている人は、法的に検挙可能であるという事実からも、容易に類推される事です。逮捕できるかできないかは、そのスペースの利用権を持っているか、持っていないか、では無く、不法行為を働いているかいないか、によるものだからです。

日本ではまだ自称女性の男性が女子施設を使うことは違法のはずだ。著者が完全に無視している点は、生得的女性が他の女性に性犯罪を犯す可能性は限りなくゼロに近いが、たとえ性転換手術をしていたとして生得的男性が犯す性犯罪率は一般男性と全く変わらないという事実だ。

トランス女性と性犯罪者の区別がつかないから駄目なのではなく、トランス女性は一般男性と同じように性犯罪を犯す確率が高く、しかもその被害者は圧倒的に女性であるという点が問題なのである。統計的に見て生得的女性が女性に性犯罪を犯す率は限りなくゼロに近い。

その空間に居るべきではない人間を排除できなければ女性が犯罪の被害者になる可能性は非常に高まるのだ。犯罪が起きてしまってから対処しても遅いのである。だからその場に居るべきでない人間を最初から排除することが犯罪防止にとっては非常に大事なことなのだ。

4:男性さえ排除すれば女性だけのスペースは安全?

今回検討している論法において、そもそもなぜトランス女性を排除するのか?そうすれば、男性の侵入を防ぐことができ、そうすれば性犯罪も防げる、という考え方に基づいています(略)果たしてこれは本当に正しいのか?少し考えてみます。

この論理展開の裏側には「女性を加害するのは男性である」「女性は女性を加害しない」という暗黙の了解が存在しているのは間違いありません(このバイアスは、フェミニズムにおいて過去に繰り返し内部批判がされているものです)。

現状において、性犯罪で検挙される人に男性が多いのは事実です。また、被害者が女性に大きく偏っているのも事実です。しかしながら、たとえばトイレや脱衣所で大きな問題となる盗撮事件では、実際には女性が盗撮の加害者であるケースも以前から言われています(商業的に女性に報酬を支払って盗撮させたり)。また、女性による性加害も、統計上はっきりと存在しています。

「女性による性加害が統計上はっきりと存在する」と言いながらその統計を提示しないのは卑怯な手口だ。実際の統計を出すならば、性犯罪の90%以上が男性によるものでその被害者は女性か女児または男児である。繰り返すが女性が女性を加害する率は限りなくゼロに近いのだ。これについては拙ブログでも何度も取り上げて来た。

性犯罪者=男性という構図は偏見でもなんでもない統計上の事実なのである。

誰も男性を女子施設から排除したからといって性犯罪を根絶できるとは言っていない。しかし性犯罪を防ぐための最低限の方法として男性と女性の施設を分けることが得策であると我々常識人はずっと主張してきたし、これまで往々にそれは成功してきた。

5:犯罪者は犯罪を起こすまでは犯罪者ではない

この手の議論をする際に忘れがちであり、かつ重要な点ですが、犯罪者は犯罪を起こすまでは犯罪者では無い(言い換えれば犯罪を起こした人が犯罪者である)という点です。これは現代社会にとって基礎の基礎であるはずです。

しかし、以前ツイッター上である人がこの基礎の基礎を指摘した時、「性犯罪を放置するのか」といったようなバッシングが起きました。では、特定の容姿や属性を持っているだけで、頻繁に警察に職務質問をされたり、あるいは犯罪者では無いのに通報されたり、場合によっては”強制排除”という名のリンチを受けたりする社会は、果たして全ての女性にとって公平な社会であり得るのでしょうか?

著者が完全に無視している点は、現法では男性が女子施設に立ち入る行為そのものが犯罪だということだ。その犯罪行為を犯罪ではないとしてしまえば、その後に起きるもっと深刻な犯罪を防ぐことができなくなる。

ロサンゼルスの女湯に侵入した露出狂男はこれまでにも公衆わいせつ罪で何度もつかまっていた常習犯だった。だが、女性を自認するだけで女子施設への立ち入りが許されれば、こういうわいせつ行為をする性犯罪者も犯罪者として扱われなくなるのだ。「犯罪を犯したものが犯罪者」だと言うが、既存の犯罪を犯罪ではないとしてしまえば犯罪者も犯罪者ではないということになるのだ。

6:トランス女性の権利を擁護することは”ミソジニー”か?

トランス女性が安全に、安心して女性だけのスペースを使えるようになることは、ひいては全ての女性が安全に、安心して女性だけのスペースを使えるようになることであると、考えます。そのような主張がミソジニーであるとは決して考えません

トランス女性は女性ではない、彼らはただの女装男性だ。そんな男が自分らは女性だと主張し、それを認めろと女性に要求する行為そのものが男尊女卑以外のなにものでもない。

終わりに:トランス女性の権利を守ることは全ての女性の権利を守ることに繋がる。

これまで、トランス女性を排除しても”女性”の安全は向上しないし、トランス女性を排除することははっきりとフェミニズムに反する行動であること、「トランスを排除しないと女性スペースの安全は保てない」は主張として正当性を保てないことを、少し長いですが述べてきました。

トランス女性を排除することで生みだされる見せかけの”安全”は、実際には安全ではありません。
それは、”パス度”に不安を抱えるトランス女性が自主的に女性だけのスペースの使用を諦めている現状においても、安全性が十全に確保されていないという事実からも明らかです。

それどころか、このような排除の言説は、規範からはずれたシス女性をもまとめて排除する、権利が守られない女性を生みだす明らかに反フェミニズム的な代物です。
ですので私は「トランスの権利を叫ぶ事は“女性”の権利をないがしろにしたミソジニー」であるという主張は、はっきりと間違いであると主張します。そして、むしろこのような排除理論こそ、極めてミソジニーで家父長制的な「女性の統制」に基づいた差別的な代物である、と考えます。

私が繰り返しはっきり言っておきたい事は、トランス女性もシス女性も全ての女性が安全に使える女性だけのスペースは、間違いなく全ての女性の権利を守るものであるという事です。
そのような主張を、一体どう解釈したら女性の権利をないがしろにしているというのでしょうか?

もしトランス女性が自分らが本当に女性だと思っているなら、男性が女子専用施設に入りやすくなる法律を歓迎するはずがない。こんな詭弁を平気で言えることこそ、この著者が男性であることの証拠である。私はこのエッセーを全文読んでいて吐き気を催している。


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フェミニスト作家、トランス戦争停戦提案を拒否。人間性に妥協はない

今日はカラ・ダンスキーという作家のエッセーを紹介したい。今年の4月にアンドリューサリバンがA Truce Proposal In The Trans Wars(トランス戦争、和平提案)というエッセーを書いたことへの返答である。アンドリュー・サリバンと言えばゲイ作家で同性婚の頃によく聞いた名前だ。ダンスキーのエッセーを読む前に先ずサリバンの提案とやらを読んでみたが、それ自体には問題があるようには思えない。

  • 子供と大人の扱いは区別する:18歳以上の大人が何をしようと本人の自由。性移行に関するすべての医療を開放すること。
  • トランス女性と女性の両方の権利を守る:ほとんどの場合トランスと女性の権利は衝突しないが、シェルターなど女性のみの施設は守られるべき。刑務所ではトランス女性は他の危険な犯罪者とは分けられるべきだが、女性とトランス女性は一緒にすべきではない。
  • 未成年の治療は限定し安全を保つべき:未成年への治療を全面的に禁止するのはプライバシーの侵害であり、政府にそのような権限を与えるべきではない。だが第二次性徴を止めるブロッカーなどの処方は安易に行われるべきではなく、充分な精神カウンセリングをした後に限定的にされるべき。
  • 同性愛者や性別不適合の子供たちを守る:世の中のステレオタイプの性別に嵌らない子供たちは成長するまでほうっておいてあげるべき。特にどちらかのワクに嵌める必要はない。人口のたった1%にも満たないトランスジェンダーの子供を守るためといって、自分が男になるか女になるかなどという議論を学校でするのは子供たちを混乱させるだけである。そのような議論は学校でされるべきではない。

サリバンの提案はまともなものだと思うが、サリバンはこのような提案はトランスジェンダー活動家にもフォックスニュース右翼にも受け入れられないだろうと言う。しかし彼に言わせればこの妥協案こそトランスジェンダーの威厳を保ったまま、女性の権利と安全を守る最良の手段だと語る。

さてそれではダンスキーの反論を読んでみよう。

まずのっけからダンスキーは妥協案という概念そのものに疑問を投げかける。

なんだって我々女性が我々の人間性において妥協しなければならないのだ?

ダンスキーは自分は左派寄りだが、これまでに色々な政策の面で右派との妥協には応じて来たという。しかしこと女性や少女たちの権利やプライバシーや安全と人間性そのものにおける性自認がもたらす「妥協」とは単なる政治見解の違いにおける妥協とは全く異なるものだと語る。

先ずサリバンは冒頭から女性には女性という枠のなかにトランスジェンダー女性という集合が含まれるという前提で話を進めている。これを認めてしまったら女性というカテゴリーそのものが消えてしまうのだ。もうこの時点で妥協などありえないとダンスキーは言う。

問題なのは、サリバンがこの討論が権利が相反する二つのカテゴリーの人々との間で起きているとしていることだ。ダンスキーに言わせればトランスなどというカテゴリーは存在しない。これはごく少数の大金持ちの男たちが広めた神話だと主張する。

妥協というの意見の違う二つのグループが争いを止めるために何らかの条件に同意して成り立つものだが、トランス問題ではきちんと同意できる争いそのものが存在していない。争いがあるとしたら、それは一部の男性は女性なのかということだけで、それはまともな論争ではないからだ。もちろんこれらの男性が本当に女性であるのなら、女性の空間に入ってくることはゆるされるべきだ。しかし彼らは女性ではない。そして彼らはそれを知っているのだ。

サリバンは生物学的に男と女が違うということを無視している。なぜ我々は事実に反する妥協をしなければならないのか?

妥協策を探すことに興味のある人々は自分に質問すべきである。いったいどれだけの人間性を犠牲にするつもりなのかと。もしその質問の答えがゼロ以上であるなら、我々はすでに人間性と事実そのものを捨て去る決意をしたのだと認めなければならない。すまないねアンドリュー。でも私は今日妥協する気はない。

さて、読者諸氏はどう思われるかな?


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何故弱者の味方のはずの左翼がトランスジェンダリズムを使って女性を弾圧するのか?ヒント、その前提が間違っているから

森田成也著の「トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――」というエッセーを読んだ。左翼の立場からトランスジェンダリズムを批判している面白いものだったので紹介したい。

森田はマルクス主義者の立場から何故マイノリティーの味方であるはずの左翼リベラルがトランスジェンダリズム(以下TRAと略)を使って女性を弾圧するのかについて語っている。彼に言わせると左翼こそが女性の味方をすべきだというものなのだが、長年左翼思想を観察してきた私から言わせてもらうと、左翼が弱者の味方であるという前提が間違っている。

先ず森田はTRAの性自認を人種差別と比べてこう語る。

たとえば、アメリカ合衆国で黒人であるということは、過酷な奴隷制度のもとで虐げられてきた歴史的過去を有し、今日なお日常的に暴力と差別を受け、しばしば警察官に撃ち殺される恐怖の中で生活することを意味します。そうした状況の中で、アメリカ白人として生まれ白人として育った人物が、すなわち白人としてのあらゆる社会的・人種的特権を享受してきたものが、「自分の心は黒人だ」と称して、髪の毛をドレッドヘアーにし、顔を黒く塗り、ストリートファッションで身を固めて、「俺を黒人として扱え、さもなくば差別主義者だ」と言い出し、少数人種のためのさまざまな制度やアファーマティブ・アクションを利用し始めたらどうでしょうか? 明らかにこれは許しがたい簒奪だとみなされるでしょう。さらにこの「トランス黒人」が、黒人として生まれ育って差別と抑圧を受けてきた人々に対して、「君たちはシス黒人にすぎない。シス黒人はシス特権を持っているので、トランス黒人に対しては抑圧者であり、マジョリティ」だと言い出したら。どうでしょうか? これほどバカげた途方もない差別的主張は存在しないと思うでしょう。ところが、それが性別になると、突然そうした主張が全面的に正当だとみなされて、マイノリティ運動の支持者や左翼がこぞってそれを支持し、それに異論を唱える女性たちが逆に差別者扱いされるのです。これほど理不尽なことがあるでしょうか?

たしかに黒人が歴史的に差別されてきたというのは事実だが、いまでもひどい差別を受けているというのは真実ではない。また日常的に暴力にさらされていることや、警察官に撃ち殺される恐怖というのも、黒人同士の暴力沙汰が非常に多いからであって、白人による黒人差別が原因で起きていることではない。

アメリカでは混血の人が非常に多いので、奴隷制度時代の一滴でも黒人の血が混じっていれば黒人という理屈で、自分は黒人だと言い張ってアファーマティブアクションの恩恵を受けようとする白人が結構いる。いや、それどころか一滴の血も混ざってないのに黒人だと称して黒人運動に参加した人たちまで居るのだから面白いもんだ。黒人が白人よりも不利な立場にいるのなら、何故白人が黒人の振りをするのか考えただけでもおかしいとおもうはず。

それはともかく、白人が黒人を「自認」することは許されないのに、男が女と「自認」しただけで、社会がその男を女扱いしなければならないというのは理不尽だと森田は言う。たしかにそれはその通りである。しかし、ではなぜ左翼リベラルがこの不思議な思想を推し進めるのか、それについて森田は言及する。強調はカカシ。

まず第1に、進歩派・左派の当然の価値観としての「多様性の尊重」「マイノリティの権利擁護」という常識が悪用されていることです。生物学的に男性であっても男性らしい格好や生活スタイルを取らない人でも個人として尊重されるべきこと、トランスセクシュアルやトランスジェンダーであることを理由に職場や教育などで不当な差別を受けるべきではないこと、これらはすべて当然のことです。しかし、トランスジェンダリズムが主張するのはこうした水準(個人の尊重としての自由権)から完全に逸脱して、女性を自認ないし自称する人はすべて法的・社会的・制度的にも「女性」と認めなくてはならず、そうしないものは差別者として排除されるべきであると主張しています。これは「多様性の尊重」ではなく、多様性の根本的な破壊であり、「マイノリティの権利擁護」ではなく、女性というマイノリティへの攻撃です。「多様性の尊重」や「マイノリティの権利擁護」という入り口から入ってきたこの全体主義思想は、多様性を破壊し、他のマイノリティを解体しつつあるのです。

森田はTRAだけが特別な思想だと思っているようだが、「多様性の尊重」や「マイノリティの権利擁護」が左翼革新派によって悪用されなかったことなどないではないか?不寛容も多様性の一種だとして受け入れれば不寛容が横行するのは当然の話だ。だから多様性などという訳の分からないものをむやみやたらに受け入れてはいけなかったのだ。また、左翼による「マイノリティの権利擁護」は単に少数派を特別扱いするためだけの方針で、それによって少数派の暮らしが楽になるとか、社会的地位を得られるとかいうものでは決してない。それどころか、その特別扱いにしがみつくことによって独立できずに政府に頼り切りになる少数派が多く居る。90%以上の黒人が町を悲惨な状況にしている民主党議員に性懲りもなく投票し続けているのを見れば一目瞭然だ。

森田は左翼がTRA思想を簡単に受け入れた理由として左翼が女性を被差別集団とはみなしていないのではないかと語る。

しかし第2に、より本質的な理由として、左翼の中でもいまだ女性は、本当の意味で被差別集団・被抑圧集団とは結局みなされていないという問題が存在します。多くの左翼は性差別に反対だと主張し、たとえば森喜朗のような保守派の発言に怒りを表明しますが、その多くは反自民という政治的企図にもとづくものです。左派のあいだでも、女性は結局、人種的・民族的少数派と(少なくとも)同程度の被抑圧集団であるとはみなされていないようです。

これは左翼が女性を被差別集団としてみなしていないというよりも、左翼特有の女性蔑視がTRAのせいで顕著になったというだけの話だ。左翼は口で何と言おうと男女平等などという思想を最初から信じていたわけではないのだ。森田も認めているとおり、左翼が女性への侮辱に怒りを表明する時は政治的企図によるものであり、実際に女性のために怒っているわけではない。セクハラ男のビル・クリントンやジョー・バイデンを左翼がずっと黙認してきたことを見てもこれは明らかだ。

左翼の多くは、保守派のようにわかりやすいストレートな女性差別をするのではなく、「トランス女性」(つまり身体男性)を「最も抑圧された集団」扱いするという回り道を通じて女性差別に加担しているのです。これはちょうどセックスワーク論において、「セックスワーカー」の権利を擁護するという建前で、買春者である男性の権利を擁護するのと同じからくりです(実際、セックスワーク論を支持している「人権」団体の多くはトランスジェンダリズムをも支持しています)。

保守派が「ストレートに女性差別をする」という決めつけには笑ってしまう。私は日本の右翼保守が女性をどのように見ているのかはよく知らないが、少なくともネットで保守派思想家の話を聞く限り女性蔑視は感じられない。またアメリカでも右翼保守の男性たちの方が女性を大事にしていると感じる。

確かに保守派には男女が完全に平等だとは考えていない人が多い。しかしそれは、女性はか弱いものだから守らなければならない、母として妻として娘として姉妹としての女性達への尊敬の念から来るものである。女性は卑しいものという軽蔑心から来るものではない。森田は自分が左翼なので、左翼によるミソジニーは左翼の本髄から逸脱するものであると強調するが、私から言わせれば、ミソジニーこそ左翼の本髄だ。

森田はここで「ジェンダーは社会的・文化的構築物」という考えについて、ジェンダーが性別の役割という元来の定義ではなく、生物学的な性までもが社会的構築物だとされはじめたことに関して、非科学的な最たるものだと批判する。

生物学的性別は確固たる物質的現実であって、社会的構築物などではありません。マルクス主義は、自然的・物質的現実を踏まえつつ、その歪んだ解釈を排するのであって、自然的・物質的現実を否定するのではありません(エコロジーを重視するエコ社会主義の思想は、まさにこのような自然的・物質的現実の優位性にもとづいています)。ところがトランスジェンダリズムはその反対のことをします。この思想は、身体的・生物学的性別の現実性を否定する一方で、生物学的に男性でもピンク色やスカートやお化粧や長い髪が好きだから実は女の子だというような発想をします。つまり、性別の物質的現実を否定しつつ、社会的構築物にすぎないジェンダー(社会的・文化的な支配的規範としての性)をあたかも生得的な何かであるかのように扱うのです。これほど転倒した観念論もないでしょう。

そもそもジェンダーなどという造語を作って、男女の差は社会的建築物だと言って来たのは左翼。もともとフェミニストたちが『男と女は違う、それぞれ特性も違うから向き不向きもある。だが双方に同じ機会を与え実力のある人が女性だというだけで道を閉ざされないようにすべきである』と主張してきたのなら別。それを男に出来ることは女にも出来るとか男女の差はないと主張し、特定の分野で女性が少ないと、すぐ女性差別の結果だと騒いできたのも左翼だ。今更ジェンダーとセックス(生物学的性)は違うなどと言い始めて時すでに遅しである。

森田はTRAによるフェミニストや反TRAへの実際の暴力や脅迫についても、これはマルクス主義思想に反するものだと批判する。しかし今欧米などでTRAの味方をして暴力的に反TRAの女性達を攻撃しているのは極左翼でマルクス主義者だと自負するアンティファ暴力団である。もしTRAによる反対意見弾圧がマルクス主義の教えに反するものであるというなら、いったいこの矛盾をどう解決するのだ?

男性は女性にはなれないと言って世界中のTRAから叩かれたJKローリングに関して左翼の腰抜けぶりに森田は怒りを隠せない。

一人の勇気ある進歩派の女性が全世界の何千・何万というミソジニストから攻撃されているとき、新旧左翼は彼女を擁護する勇気をひとかけらも持ちあわせていなかったのです。何と恥ずべきことでしょうか。
 トロツキストはかつて、スターリニストによる世界的な弾圧と迫害のもとでもその正義の旗を降ろしませんでした。その偉大な伝統を復活させる必要があります。

たとえ、既存の左翼陣営から「TERF」や「トランスフォーブ」とののしられても、女性の人権と安全を断固として守り抜くことが必要であり、「TERF」とか「ヘイター」と攻撃されているフェミニストや市井の女性たちと断固連帯することが必要です。どうか勇気を奮い起こし、正義を貫いてください。

森田が左翼としてTRAの行動及びTRAに屈する左翼たちを批判したい気持ちはよく分かるが、もしかしたら、左翼思想そのものがこうした危険分子を生み出しているのではないだろうか?

イギリスやカナダで反TRAの女性たちがどんどん口を閉ざされているなか、彼女達にプラットフォームを与えたのはアメリカでも比較的保守派の団体だった。もしかしたら、TRAは左翼にとっては例外なのではなく、TRAこそが左翼の行きつく場所なのでは?

すくなくとも今まで隠されてきた左翼による女性蔑視が顕著になったことを森田は直視すべきなのではないだろうか?


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イギリス平等人権委員会、トランス女性を女性と認める必要はないと宣言

いち早くトランスジェンダーの権利を認めたイギリスで変化が起きている。なんとイギリスの平等人権委員会がトランスジェンダー女性を女性と認める必要はないと宣言したのだ。「トランス女性が女性であることを受け入れなくてもよい」イギリス人権局の見解 – What is transgender? (xdomain.jp)

週末にEquality and Human Rights Commission(平等人権委員会)の新委員長であるバロネス・フォークナー氏がTimes紙に対して、「トランスジェンダーの女性は女性ではないと思っても、罰せられたり、虐待されたりするべきではない」と語った。

つまり、英国の人権当局は、トランス女性が女性であることを受け入れなくてもよいと言っているのです。この議論を見てきた人ならわかるように、これは大きな意味を持っています。また、性とジェンダーに関する政策や実践の意味を議論することが容易になってきたことの表れでもあります。適切に議論された政策は、オープンな議論を経ずに静かに実施された政策では不可能な方法で、国民の信頼を得ることができます。

自称女性の男性を性自認だけで女性と認めることによって、イギリスでは多々の問題が生じている。そんなこと試す前から明白だったではないかと思うかもしれないが、なぜかそうした理不尽な法律が人々の合意がないまままかりとおってしまったのである。

しかし今になって男女の犯罪の違いは余りにも明白であり、男を女としてカテゴライズすることの弊害が明らかになってきた。以下は労働党のガワー議員であるトニア・アントニアッツィのスピーチをまとめたもの。

  • すべての犯罪が女性や女児に与える影響を完全に理解するためには、データを正確に男女別に集計する必要がある。
  • 性差別に対抗するためには、性別をカウントする必要があり、他のグループに対する差別に対抗するためには、別の追加データを記録する必要がある。
  • 男性の犯罪パターンと女性の犯罪パターンは、最も高い差異を示しているので、すべての犯罪の被害者と加害者の性別を監視する必要がある。例えば、2019年に起訴された者の中で女性の割合は、性犯罪では2%、強盗では8%、武器所持では7%。
  • 女性や少女に対する犯罪の公式記録に関しては、すべての人を守るために、犯罪の被害者や加害者の性自認に関するデータに加えて、生物学的性別の正確な記録が必要であるにもかかわらず、全国警察本部長会議の助言を受けて、少なくとも16の地方警察が容疑者の性別を自称で記録するようになったと聞いている。性自認に基づくデータだけでは、女性や少女に対する暴力戦略を構築するための正確なデータにはならない。
  • 警察の記録がしっかりしておらず、性別が正しく集計されていなければ、信頼性が低く、誤解を招く可能性のあるデータが報道されることになる。例えば、BBCは英国の45の地方警察に、2015年から2019年までの女性加害者の児童性虐待の報告事例に関するデータでは84%の増加が見られた。この大幅な増加が女性加害者の増加によるものなのか、女性と認識している者の増加によるものなのかがわからず、その詳細が問題となっている。
  • すべての性犯罪の検挙者のうち、女性は3%である。これらの犯罪で有罪判決を受けた女性の数は非常に少ないため、加害者の性別を誤って記録すると、すぐにデータが歪んでしまう。女性の犯行が非常に少ない犯罪カテゴリーでは、たった1人か2人が加わるだけで、データに大きな影響を与えてしまう。例えば、2017年にバーミンガムのクラウン裁判所で殺人未遂などの罪で有罪判決を受けた生物学的な男性が女性として記録されたため、イングランドとウェールズで同年に殺人未遂で有罪判決を受けた女性の数が約20%も誤って上昇してしまった。
  • 警察の正しい記録を確保し、犯罪や女性・少女への影響に関するデータが汚される可能性を防ぐために、政府がどのような行動を取るのかを知る必要がある。

以前に私はMtFは自称女性であろうが性別適合手術を受けていようがその犯罪パターンは全く変わらないというエントリーを書いたことがある。性転換手術をしても変わらない男性の狂暴性 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)

ジェイミーはさらに、公衆トイレや更衣室及び試着室における事件に関して何年にも渡り何百という時間をついやしてネット検索をし、1000件に渡る事件を収集した。これらの事件で1000件中952件までが生物学的に男性による犯罪だった。

その内訳は、大人の男性839件、少年70件、女装男25件、MTF7件、大人女性25件、FTM1件、少女12件。女性による犯罪は性犯罪は非常に稀であるが、犯罪の犠牲者は女性が大半を占める。

最近日本でもトランス自認を認めようという動きが起きているが、すでに試して失敗している欧米の例から十分に学んでほしいものだ。


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テキサス州の新しい中絶法に発狂する左翼たち

先日テキサスで新しい人工妊娠中絶を制限する法律がとおった。これは妊娠6週以降の中絶を禁止するもので、アメリカの左翼たちは発狂状態である。何故6週間なのかというと、その頃に胎児独自の鼓動が始まるからというのが理由だ。

アメリカで人口妊娠中絶が合法になったのは1973年のRoe vs. Wade訴訟で最高裁判所が中絶を認めたことから始まる。それまで中絶に関する法律はそれぞれの州でまちまちであった。今でも中絶が出来る時期がいつまでかという制限は州によって違う。

私がアメリカに来た当初、私にはこの中絶に関する討論の意味が良く理解できなかった。当時私はアメリカ人の友達に、「日本でも中絶は違法だが、例外が色々認められているため、事実上合法になっている。アメリカでも法律上は違法でも現実では合法にしておけば双方が納得するのでは?」と聞いたことがあるのだが、「いや、それはダメでしょ!」と言われてしまった。アメリカは法治国家である。違法行為をそう簡単に認めるわけにはいかないというのが理由。アメリカ人て結構融通が利かない国民だなとその時は思った。

人工中絶に対して非常に強い気持ちが起きるのは、アメリカがユダヤ・キリスト教の国だからだろう。

私個人としては中絶には賛成できない。ただ100%どんな場合でも中絶をすべきではないという考えではない。特に6週間という初期の場合であれば、胎児がまだ個の人間として成長していないという議論も理解できる。しかし、6週間は早すぎると議論している所謂プロチョイス(選択派)と呼ばれる中絶推進派は実は非常に不誠実な議論を繰り広げている。

6週間が早すぎるなら何週間ならいいのか?

6週間では妊娠に気付いていない人がほとんどなので、気が付いた時には時すでに遅しとなるからダメだと言う意見を聞いたが、たいていの妊婦は4週間から7週間の間に妊娠に気付くという。女性の生理サイクルは28日。6週間というと生理が二週間遅れるという状況だ。妊娠を望んでいる女性なら二週間も遅れたらすぐに気が付くだろう。問題は妊娠を望んでいない、特に若い子はもしや妊娠したかもと思っていても怖くて誰にも言えずに迷っているうちに6週間が過ぎてしまうということはあり得る。

しかし中絶推進派は、では何週目からの制限なら賛成するのかという質問には答えない。何故かと言えば彼らの本心は中絶は生まれるまでいつでも合法であるべき、いや酷い人になると生まれてからでも殺していいと考えている。だから6週間は早すぎると言いながら、同じ口で後期(7か月や8か月)中絶禁止にも反対するのだ。

じゃあ強姦や近親相姦の場合はどうなるのか?

この質問はよく聞く。プロライフと呼ばれる宗教保守の基本的な姿勢は母体に支障を来す場合以外の中絶を認めない。それで中絶推進派は「レイプや近親相姦」で妊娠した可哀そうな女の子にさえも中絶を認めないのかと迫る。だが、その質問に答える前に、ではそれらを例外にしたら中絶制限に賛成するのかという質問をしたい。無論中絶推進派の答えは否と決まっている。なぜなら、中絶推進派は反対派がいくら例外をつけて譲歩しても、どんな時でもどんな理由でも中絶可能という法律以外支持する気など毛頭ないからである。

安易に可能な中絶は女性を守らない

中絶というものが母体に与える身体的精神的な打撃や、胎児を殺す行為だということを安易に考えて、中絶が気楽にできる社会で得をするのは女性ではない。そういう法律で一番得をするのは未成年を虐待する大人の男や、女性の体をおもちゃにする無責任男たちだ。

性行為には妊娠はつきものだ。だから女性は相手をしっかり選ぶ必要がある。もしも妊娠した場合、この人と結婚し一緒に子供を育てられるかどうか慎重に考えなければならない。もしその気がなく、ただセックスを楽しみたいだけの相手との性交渉であるならば、避妊は必然である。

しかし中絶が簡単に出来るとなると、特に未成年の少女を食い物にする大人が、保護者面して少女を中絶クリニックに連れて行き、中絶を済ませたら、また虐待を繰り返すなどということが起こりかねない。いや、多分すでにそういうことは起きているだろう。

フェミニストはやたら中絶を支持する。フェミニストなら中絶を支持しなければならないとさえ思っている。だが、実際に中絶は一番無防備な少女たちにとって非常に危険な制度なのだということも考えるべきである。

この問題はすぐには解決しない。いや、解決策はないのかもしれない。結局その社会がどのくらい中絶を許容するかで法律は違ってくる。だからアメリカは州ごとにまちまちの法律があるのであり、州の権限は尊重されるべきなのだ。


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男を女子施設に入れさせようとしてるのはどういう男たちなのか?

以前にもアメリカやイギリスでトランスジェンダーを女子施設に入れるべきだと推してる人たちのなかに性犯罪歴のある男たちが何人か混じっていたという話はしたことがあるが、今日どんな人たちがこの政策を押しているのかというまとめリストを発見したので紹介しよう。

ツイッターでこの記事を紹介してくれたのはこの人。(1) ポルノ・買春問題研究会|国際情報サイト on Twitter: “男女別のトイレや更衣室をなくしてオールジェンダーにしろ、そうしても性犯罪は別に増えない、性犯罪が増えるというのはターフの嘘だ、と声高に主張していたトランスアライの男性活動家たちが、実際に児童性虐待の犯罪者であったという話。必読。ぜひDeepLでお読みください。 https://t.co/vs5UlpLhC5” / Twitter

元記事のリンクはこちら題名は「パターンがはっきりしてきた」というもの。男が女子施設にはいっても問題は起きないとか犯罪など誘発しないと熱弁を振るっていたやつらに限って全く信用できないという証拠がここにある。

この記事にはまずそれぞれの男たちがトランスジェンダーやクィア理論についてどんなことを言っていたかを紹介し、その後に男たちの犯罪が示されている。その何人かを紹介しよう。

ピーター・ブライト。この男はツイッターでトランスジェンダー女が女子トイレに入ってくるのは危険だなどという意見はまるで根拠のない戯言だと言っていた。それに関していくつもツイートがあるが、あまりにも下品な内容なのであえて訳さない。ただ、「女の子がペニスを見たからって、そんなに大変なことか?」などと言っていた。また女性がトイレで襲われるとかいう恐怖を持つのは全く根拠のない被害妄想だとも言っていた。そして去年未成年女子を誘い出して性行為をさせようとした罪で逮捕され有罪となっている。

エリック・ジョイス。イギリスの元議員、学校の男女共同トイレに抗議した女性議員のツイートに対して、生物学的な性は社会構造でありそういう考えはすでに賞味期限切れだと言っていた。数か月後ジョイスは児童へのわいせつ行為で逮捕され有罪になった。

デイビッド・スミス。イギリスの元議員。男女共同施設推進の熱心な活動家。彼の運動のおかげで地元議会のビルのトイレが男女共同トイレになってしまった。女性や女児への犯罪を誘発するという懸念に対して、共同トイレになればそんなことは起きない。犯罪を犯すようなものはどこでも犯すなどと言っていた。こいつも児童へのわいせつ行為で捕まった。

ゴードン・パイク。イギリスの刑務所職員。自称女が女子施設に移行するのを強く推していた男。彼の提案が認められた二年後、大量な児童ポルノ所持で捕まる。なんと45枚のディスクに2万以上のイメージが保存されていた。

リストはまだまだ続くのだが、ひとりアメリカの芸能人が混じっていて驚いた。私も昔よく見ていたミス・バスターという番組に出演していたアダム・サベージ。番組がキャンセルされてだいぶ経つが、彼も熱心なトランス活動家だったらしい。彼自身はトランスジェンダーではない。最近になって実の妹から子供の頃にサベージに何度も強姦されたとして訴えられている。

自分はLGBTでもないのに、やたらとトランスジェンダーを持ち出して女子施設に男を入れようとする奴は非常に危険だ。トランスジェンダーなどただの言い訳に過ぎない。彼らは女子を狙っているのだ。この記事は最後にロザ・ルクセンバーグ女史の言葉で締めくくられている。

女性はペドフォリアを見分けることが出来る。なぜなら少なからず影響を受けて来たからだ。彼らの風貌やしぐさやジェスチャーに気が付く。私は女性の安全を考える男しか信用しない。すぐに差別だと言い出す男は危険だ。私たちにはパターンが見える。だから彼らは私たちを憎むのだ。

ちなみにルクセンバーグのツイッターアカウントは凍結されている。きっと変態男たちの差し金だろう。


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自分で自分を論破してしまったフェミニスト江原由美子のコラム

今日拾ったコラム。著者の意図に反して、すごく面白かったのでちょっと紹介しよう。題して捻じ曲げられた「ジェンダー」江原由美子著

このコラムの内容は彼女のいう「バックラッシュ派」という1999年に施行された「男女共同参画社会基本法」に反対した保守派政治家たちがフェミニズムを攻撃するために「ジェンダー」の意味を捻じ曲げてハイジャックしてしまったというもの。

この運動で「バックラッシュ派」が槍玉に挙げたのが「ジェンダー」という概念です。彼らの言い分をそのまま書くと「『共同参画法』をつくった者やそれに賛成する者はすべて共産主義者である――画の「共参」とは「共産」のことである――。この共産主義者たちが使うジェンダーという言葉には、性差は存在しないという意味が含まれている。つまり『共同参画法』とは、社会から性差を抹殺しようとする『ジェンダー・フリー法』である。よって、性差があることが科学的に示されれば、この法律や共産主義者の言うことが誤りであることが証明される」となります。

性別を表す英語「セックス」の代わりに「ジェンダー」という言葉を使い始めたのは後に幼児性愛者であると暴露された藪医者ジョン・マネーという変態精神科医だ。彼の理論は男女の違いは社会機構であり、男でも女でも育て方でどちらのジェンダーにもなり得るというもの。それを証明するためと称して、マネーは割礼の事故で男性器を損傷した男児を女子として育てるよう両親を説得して、その後何年も観察と称して男児の双子の兄と一緒に性行為をさせるなどという虐待を続けた。結局自分は男だと悟った弟の方は後に男として暮らすようになるが、長年に渡る虐待のため精神を病みこの双子はそれぞれ自殺してしまった。

江原はバックラッシュ派はこのマネーの話を根拠に男女共同参画法は危険だと言い出した。しかしフェミニズムが使って来た「ジェンダー」という言葉はマネーが作り上げた時の概念とは違うのだと主張する。

フェミニズムへのこうした批判に対し、そんなことを言っているのではない。男女の役割は社会や文化によってさまざまなのだから、私たちの社会に適した役割というものを考えていくべきだ。それには、生物学的な性差だけではなく、社会的・文化的な多様性をもつ性差にも目を向けるべきではないか。そうした議論のために、オークレーは「ジェンダー」という概念を使ったのです。

もしそうであるならば、フェミニストはマネーのような幼児虐待変態医者の作った言葉など使わずに別な言葉を作るべきだったのでは?

このコラムの中でも一番傑作なのが四ページ目の「バックラッシュ派は何をしたか」というという部分。強調はカカシ。

ジョン・マネーとフェミニズムでは、ジェンダー概念の定義が違うのです。性差についての考え方も、ジョン・マネーとフェミニズムでは異なりますし。そもそもフェミニズム内部でも大きく異なるのです。おそらくバックラッシュ派は、フェミニズムの混合名簿など男女平等に向けた施策実施の主張を、「ブレンダと呼ばれた少年」に対して行ったマネーの治療と同じく、「男を無理やり女にすること」「男と女の区別をなくすこと」として同一視し、否定しようと思ったのだと思いますが、このような同一視は、どう考えてもこじつけでしかなく、無理があります。

また江原はバックラッシュ派はフェミニストを攻撃するためにありもしないことを捏造したと批判。そのありもしないこととは、、

  • 小学校での着替えは男女同室でなければならない
  • トイレも一緒にしろ
  • 風呂も一緒に入れろ
  • 性教育で児童を洗脳

ふ~む、どっかで聞いた要求だなあ。江原はバックラッシュ派のこうした懸念について「こんな主張をしていたフェミニストはひとりもいません」と断言している。だが本当にそうだろうか?

聡明なる読者諸氏は私が何を言いたいかはもうすでにお分かりだろう。江原は日本の保守派の話をしているが、実はアメリカで「ジェンダー」という言葉を持ち出された時に、アメリカの保守派も同じような反論をした。男も女も変わりはないと主張したフェミニストたちに「ではトイレも男女共同にすべきなのか?」という質問はすでに出ていた。フェミニストの間違いは、すべての性差は社会が作り出したものだと主張したことにある。江原はマネーのジェンダーの定義とフェミニストのそれとでは違うというが、私にはその違いが全く理解できない。

江原はバックラッシュ派の言い分を次のように片付ける。

日本における「ジェンダー・バックラッシュ」言説の特徴は、フェミニズムへの攻撃を、ジェンダー概念を曲解し、批判することによって行おうとしたところにあります。バックラッシュ派は、性差を否定し、過激な性教育を行い、フリーセックスを推奨する「ジェンダー・フリー派」なるフェミニスト像を捏造し、「共同参画法」やフェミニズムに対する否定的な世論を喚起しました。(略)

バックラッシュ派は、開かれた合理的議論を行うために必要なルールに関して、重大なルール違反を犯しました。何のエビデンスもない、まるでロジカルでもない言説であっても、しつこく言い続けていれば、国民にそれが事実だと信じさせることができる。そのことにかれらは気づいたのです。これがフェイクニュースや陰謀論がはびこる今日の状況へとつながっていることは、もはや言うまでもありません

このコラムが書かれたのが2000年当時であるならば、彼女の言い分にも一理あるかもと思うかもしれないが、驚くことにこのコラムが書かれたのは今年2021年の5月のことなのだ。よくもまあ白々しくこんなことを書けるものだと呆れた口がふさがらない。

江原由美子は自分をジェンダー研究者などと言っておきながら、今現在「ジェンダー」という言葉がどのようにして使われているのか全く知らないようだ。バックラッシュ派のかもした警告が全く現実になっていないというならまだしも、彼らの放った警告がすべて現実となった今、本気でそれを言うのか?

もしジェンダーという言葉がの「捻じ曲げられた」というのが事実だというなら、それをやったのは彼女のいうバックラッシュ派ではなく、左翼フェミニストたちが必死に庇っている(そしてそれを反対する一部フェミニストを悪者扱いしている)トランスジェンダー活動家だ。

そんなことも知らないと言うなら、彼女はジェンダー研究者として大失格である。

(前略)先人の研究成果を――ときに批判的に――継承し、誤りがあれば正し、そこに自分が何を付け加えることができるのかを考える。そのようにして過去を今につなげ、今を未来につなげていくことが学術の歩みであり、さらに言うならば、人類の歩みなのではないでしょうか。何が正しいのかを決めることは決して容易ではありません。時代や地域によって結論が異なることもあるでしょう。しかし、いや、だからこそ、その「正しさ」を決める議論における最低限のルールは、何があっても守っていかなければならないのです。

現在のトランスジェンダー活動家の書いた論文でも読んで、ご自分の古臭い考えを改めてはいかがかな?


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損得だけで物事を判断すると思わぬ落とし穴にはまる、戸籍を女性に変えた男性に父親認知をしてはいけない理由

先日竹田恒泰さんのチャンネルを観ていたら武田氏が非常にいいことを言っていた。それは損得で物事を判断すると意外な落とし穴にはまるというもの。神様でもない限り、その判断に関するすべての利点と不利点をすべて考えられるわけではないので、損得だけが物の価値を決める手段になってしまうと自分が思いつかない意外な問題が起きてしまうということだ。

彼は全く違う話題について話していたのだが、実はこれを聞いて私はあることを思い出した。それは性別適合手術を受け男性から女性に戸籍を変更した男性が、凍結しておいた自分の精子で現在のパートナーの女性に出産させ二人の子持ちになっていた件で、同性婚を認めない日本の法律の下で自分を親と認知できないのはおかしいとして国を訴えている件だ。その記事を読んでいてこの部分に私は非常にひっかかったのだ。

法律上の親子関係が認められないことで、福利厚生の恩恵が受けられないなど、実生活でたくさんの不便を被っている。 「私たちの認知が通ったとしても、誰も困らない。一般の方達に迷惑がかかることではないと思うんです。認知を認めていただけたらというのが強い思いで、皆さんが応援してくださると嬉しく思います

これはアメリカでも同性婚が合法になる前に同性愛活動家が言ってた台詞そのままである。「ジェーンとマリーが結婚したからといって、あなた方の結婚生活にどんな迷惑がかかるというのですか?」という質問をいったい何度聞いただろう。

しかし法律というものは、誰かが直接得をするか損をするかという基準で決められているわけではない。法律の基準というのは道徳的観念から社会全体が何が良いことで何が悪いことかと判断して決められている。少なくともそれが根本にある。もし個々のそれぞれの判断で誰が得をするか損をするかで法律の例外をいくつも作ってしまったら、戸籍変更の法律のみならず、他の法律にも多々の影響が出てくる。この裁判の原告はそれを知ってか知らずか、こういう自分勝手な理屈をこねているのだ。

日本の特例法は性適合手術を受け外見上異性に見える人が普段の生活に支障をきたさないために、種々の条件を満たした人には戸籍変更を認めるというものだ。私はもともとこのような特例法は通すべきではなかったと考えている。それというのも、必ずその条件が厳しすぎるといって条件を緩和しろという輩が出てくることは十分予測できたことだからだ。

ご存じのように、この法律が通るにあたり、いくつかの条件が出来たのには理由がある。まずは条件の項目をおさらいしよう。

(性別の取扱いの変更の審判)第三条 家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。

  1. 二十歳以上であること。
  2. 現に婚姻をしていないこと。
  3. 現に未成年の子がいないこと。
  4. 生殖せんがないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
  5. その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

これらの項目を読むと、1と5以外はすべて本人の周りにいる人間、特に配偶者や子供たちへの影響を考慮しての条件だ。

原告は戸籍変更前に精子を冷凍保存していたということは、戸籍変更後に実子をもうける計画を立てていたということになる。現法がどうなっているかを十分に承知していながら、戸籍を変えたのは自分の決断ではないか。父親になりたいと言う欲望を失っていなかったのに何故わざわざ戸籍を変えたのだ?実子をもうけたいと考えていたなら何故男性のまま女性と結婚し子供をもうけて普通の家族として暮らさなかったのだ?何故父親として責任を果たすまで戸籍変更を待たなかったのだ?

自分の変態的欲望を優先させて子供を政治活動に利用するような男に育てられる子供たちの方こそ大迷惑だ。何が誰にも迷惑がかからないだ。一番迷惑を受けているのは自分の血を分けた子供たちではないか!

この原告に例外を許せば、特例法の条件を緩和しろという動きが激化するだろう。同性同士でも実父実母になれるということになれば、同性結婚を認めろという動きにもつながるだろう。

誰にも迷惑がかからないどころか、社会全体に与える悪影響は想像を絶する。

だからこういう「私たちが○○したからといって誰にも迷惑はかからない」という議論に絶対に乗ってはダメなのだ。


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トランスジェンダリズムこそ、左翼による反フェミニズム作戦

先日小田急線で若い女性を狙った刃物事件が起きた。私は詳細はしらないのだが、これについてツイッターのフェミニストさんたちの間で「フェミサイド」なる言葉が乱発され始めた。フェミサイドとは英語ではfemicideと綴り女性を暴力や権力で弾圧する行為のことを指すらしい。そしてにわかに対女性暴力や女性差別が話題になっている。

女性虐待といえば、アメリカの左翼はずっと反女性である。左翼は常に弱いものの味方という姿勢を取る。だが実は彼らは権力主義で独裁的で決して弱い者の味方などではない。それは彼らが何を言うかではなく、彼らが何をするかを見ていれば明白である。特に左翼による女性虐待は目に余るものがある。1960年代に始まったフリーセックスや人工妊娠中絶合法化運動など、一見女性の自由を唄っているかに見える政策も、実は無責任な男性が女性を利用するのに便利な政策ばかりだ。

問題なのは、自称フェミニストと言われる人たちが、この左翼による女性虐待に加担して、女性の地位向上よりもマルクス主義推進のために女性を弾圧してきたことにある。しかしフェミニストたちが、どれだけマルクス主義のために戦っても、生粋の左翼はフェミニズムを受け入れて来たわけではない。いや、それどころか左翼はフェミニストを左翼から排除しようと長年にわたりあらゆる反フェミニズム作戦を繰り広げてきた。

2015年にキャロリン・ノーマが書いたこの論文にその詳細が示されている。ちょっと古いが現状にぴったりはまるので読んでみたい。

男尊女卑思想の強い左翼にとって生意気な女たちによる女性解放運動は忌々しいものだった。しかしあからさまにフェミニズムに対抗すれば、少数派への反差別を常に唱えて来た左翼としては弱い者いじめをしているようで世間体が悪い。そこで彼らはこっそりとフェミニズムを排除するための陰謀を企てていた。左翼の作戦は女性同士でも意見が一致しない問題を取り上げて、女たちを互いに対立させることだった。

最初に成功したのは1980年代のポルノグラフィに関してだった。当時フェミニストの間では女性を性対象にして摂取するのは女性への冒涜だという意見が多数を占めるようになっていた。それでそれ以前にポルノは女性解放の象徴だと主張していたフェミニストたちがフェミニズム運動から大量に排除されてしまった。

1990年代になると、それまで売春は女性を弾圧するもで撲滅すべきという主流な主張が、売春も立派な職業でありセックスワークとして受け入れるべきだと主張するフェミニストたちと対立した。

しかし21世紀にもなると、ポルノも売春も女性同士が対立する問題としてはその勢いを失っていた。そこで左翼が持ち出したのがトランスジェンダリズムである。しかし今回は1980年代や1990年代のそれと違い、女性達に同士として忠誠を誓わせるという強硬手段に変わった。

いまや女性を女性だと呼ぶことさえ憚られるようになり、「トランス女性は女性です」を全面的に支持出来ない女性達は講壇の場を失い仕事を失い、トランスジェンダーを批判すれば暴力を振るわれる危険すらある。

ノーマはトランスジェンダリズムはフェミニストを左翼から排除するための作戦だと言う。そしてこれは左翼の強い男尊女卑が根本にあるのだと語る。

トランスジェンダリズムは革新的な思想に動かされた政治的な運動ではない。これは最新の左翼による対フェミニストの武器に過ぎない。グリーンやレイモンドやジェフェリーズやビンデルやブレノンといった底辺にいる女性達の状況を心配している女性達を左翼から排除するために、21世紀の対立の道具として使われているのだ。

トランスジェンダリズムが左翼の男尊女卑から来ていることは間違いない。そうでなければこうも簡単に女性の存在自体を消滅させるような運動が左翼によってこうも熱烈に支持されるはずがないからだ。

興味深いことに伝統的に女性蔑視をしているとされてきた右翼保守達はトランスジェンダリズムに強く抵抗している。自分たちを左翼戦士と思って来た伝統的なフェミニストたちに講壇の場を与え応援しているのは彼女たちが宿敵として嫌っていた右翼保守の男性たちだった。

男女平等を大々的に唱えて来た左翼と違い、右翼保守は男と女が完全に平等だとは思って来なかった。男と女は根本的に違う、個人的な差はありこそすれ男と女では出来ることが違うと主張してきた。だがこれは女性を蔑視していると言う意味ではない。多くの右翼保守男性たちは女性を母として妻として娘として尊重してきた。右翼保守の男性が軍隊に志願するのも、家を守る女たちを守りたいという気持ちからだ。女性はか弱いもの、男性が守るものという騎士道から来る思想である。女性を性欲の対象として隷属させたい左翼の男どもの思想とは雲泥の差があるのだ。

本当の意味で女性の地位向上を求めるフェミニストたちは、今こそ左翼思想を捨て、右翼保守の考えを少し勉強してみる必要があるのでは?


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