今日もツイッターで上がってきた女装変態男をどうしても女性施設に入れたい人のエッセーを読んでみた。題して、「トランスを排除しないと女性スペースの安全は保てない」は主張として正当性を保てるか?その主張はフェミニズムか?ぽてとふらい著。

著者は反トランスジェンダーの理論を四つカテゴリーに分けて理論を進めている。

  1. トランス女性は「性犯罪者」である男性と見分けがつかない?
    • 「トランス女性は確実にシス女性と見分けがつく容姿をしているはずだ」というバイアス
    • シス女性の多様性の忘却
  2. 「女らしくない容姿を排除」すれば解決?
  3. トランス女性を排除できなくなれば犯罪目的の男性を排除できなくなる、は本当か?
  4. 男性さえ排除すれば女性だけのスペースは安全?
    • 犯罪者は犯罪を起こすまでは犯罪者ではない
  5. トランス女性の権利を擁護することは”ミソジニー”か?
  6. 終わりに:トランス女性の権利を守ることは全ての女性の権利を守ることに繋がる。

そういうことなので、私も彼の目次に従って彼への反論をしていこう。

1.トランス女性は「性犯罪者」である男性と見分けがつかない?

「トランス女性は確実にシス女性と見分けがつく容姿をしているはずだ」というバイアス(略)

ここから見えてくるのは、トランス女性は一律に”女”として通用しない、ありていに言えば”本当の女”とは明らかに違う、言い換えれば”男らしい”見た目をしているはずであり、だから確実に見分けられるという、バイアスが存在している事です。

しかし、これは明らかにトランス女性の実態に即していません。(略)現実は当然そんな事にはなってないので、この方法ではトランス女性と男性を見分けることはできません。(略)

シス女性の容姿も、トランス女性と同じで多様であり、中には男性と見分けがつきにくい、あるいはまったくつかないシス女性も存在します。(略)現実の世界においては、トランス女性と男性どころか、シス女性と男性でさえ確実には見分けられないのです。トランス女性のスペース利用において問題となる”パス度“(女性に見えるか、見えないか)の尺度は、現実の世界ではシス女性にも降りかかっていることを、忘れてはいけません。

我々はトランスジェンダー女性が実際に女性に見えるかどうかという話など最初からしていない。もし自称女性の男性を女子施設に許容したならば、痴漢目的で女性施設に入ってくる男性でも自分は女性だと言い張りさえすれば、その人間を女子施設から排除することが出来なくなることを問題視しているのだ。

男性と間違われるほど男っぽい女性が居たとしても、彼女が自分が女性であることを証明することが出来さえすれば不都合はあっても間違いでしたで済まされる。だが、通報された人が実際に男性だった場合、性自認法なるものがあったら、どれほど女性に脅威を及ぼす人間でも女性は彼らを排除できなくなるのである。この著者はその問題を完全に無視している。

2:「女らしくない容姿を排除」すれば解決?

ならば、見分けがつかない存在を全て排除してしまえばどうか?つまり、女らしく無い見た目の女は、女性だけのスペースを利用する権利を制限してしまえ、という案です。トランス女性とシス女性を見分けることが不可能で、シス女性と男性を見分けることも不可能である、ならば”男らしい”見た目を排除すればよいのか?という話になるのは当然です。

完全なる藁人形理論。我々が求めているのは男っぽく見える人たちの排除ではなく、男性体の人間の女子施設立ち入りを禁じることだ。どう見ても女性に見えない人が(髭面すね毛男)が女子施設に堂々と入ってきても、自分が女性だと言い張りさえすれば女性が何も出来ないような社会にしないようにと主張しているだけ。

実際女性に見える女装男が存在するからといって、男性体の男でも女性に見えさえすれば女性施設への立ち入りは許されるなどということになれば、外見だけで判断することになり問題は拡大する。だからみかけはどうあれ男性体の人は女性施設に入らないでくれと言っているのだ。

3:トランス女性を排除できなくなれば犯罪目的の男性を排除できなくなる、は本当か?

法的に言えばトランス女性がトイレを使用しても、それは正当な理由であり、問題は無いと考えられます。

防犯・犯罪検挙という観点で言えば、たとえトランス女性が女子トイレを使用するようになったとしても、不審な人物や犯罪者が捕まえられなくなるなどということは、法的に考えてもあり得ません。

これは、たとえシス女性であっても、不審な行為を行っている人や、性犯罪に関わる行為を行っている人は、法的に検挙可能であるという事実からも、容易に類推される事です。逮捕できるかできないかは、そのスペースの利用権を持っているか、持っていないか、では無く、不法行為を働いているかいないか、によるものだからです。

日本ではまだ自称女性の男性が女子施設を使うことは違法のはずだ。著者が完全に無視している点は、生得的女性が他の女性に性犯罪を犯す可能性は限りなくゼロに近いが、たとえ性転換手術をしていたとして生得的男性が犯す性犯罪率は一般男性と全く変わらないという事実だ。

トランス女性と性犯罪者の区別がつかないから駄目なのではなく、トランス女性は一般男性と同じように性犯罪を犯す確率が高く、しかもその被害者は圧倒的に女性であるという点が問題なのである。統計的に見て生得的女性が女性に性犯罪を犯す率は限りなくゼロに近い。

その空間に居るべきではない人間を排除できなければ女性が犯罪の被害者になる可能性は非常に高まるのだ。犯罪が起きてしまってから対処しても遅いのである。だからその場に居るべきでない人間を最初から排除することが犯罪防止にとっては非常に大事なことなのだ。

4:男性さえ排除すれば女性だけのスペースは安全?

今回検討している論法において、そもそもなぜトランス女性を排除するのか?そうすれば、男性の侵入を防ぐことができ、そうすれば性犯罪も防げる、という考え方に基づいています(略)果たしてこれは本当に正しいのか?少し考えてみます。

この論理展開の裏側には「女性を加害するのは男性である」「女性は女性を加害しない」という暗黙の了解が存在しているのは間違いありません(このバイアスは、フェミニズムにおいて過去に繰り返し内部批判がされているものです)。

現状において、性犯罪で検挙される人に男性が多いのは事実です。また、被害者が女性に大きく偏っているのも事実です。しかしながら、たとえばトイレや脱衣所で大きな問題となる盗撮事件では、実際には女性が盗撮の加害者であるケースも以前から言われています(商業的に女性に報酬を支払って盗撮させたり)。また、女性による性加害も、統計上はっきりと存在しています。

「女性による性加害が統計上はっきりと存在する」と言いながらその統計を提示しないのは卑怯な手口だ。実際の統計を出すならば、性犯罪の90%以上が男性によるものでその被害者は女性か女児または男児である。繰り返すが女性が女性を加害する率は限りなくゼロに近いのだ。これについては拙ブログでも何度も取り上げて来た。

性犯罪者=男性という構図は偏見でもなんでもない統計上の事実なのである。

誰も男性を女子施設から排除したからといって性犯罪を根絶できるとは言っていない。しかし性犯罪を防ぐための最低限の方法として男性と女性の施設を分けることが得策であると我々常識人はずっと主張してきたし、これまで往々にそれは成功してきた。

5:犯罪者は犯罪を起こすまでは犯罪者ではない

この手の議論をする際に忘れがちであり、かつ重要な点ですが、犯罪者は犯罪を起こすまでは犯罪者では無い(言い換えれば犯罪を起こした人が犯罪者である)という点です。これは現代社会にとって基礎の基礎であるはずです。

しかし、以前ツイッター上である人がこの基礎の基礎を指摘した時、「性犯罪を放置するのか」といったようなバッシングが起きました。では、特定の容姿や属性を持っているだけで、頻繁に警察に職務質問をされたり、あるいは犯罪者では無いのに通報されたり、場合によっては”強制排除”という名のリンチを受けたりする社会は、果たして全ての女性にとって公平な社会であり得るのでしょうか?

著者が完全に無視している点は、現法では男性が女子施設に立ち入る行為そのものが犯罪だということだ。その犯罪行為を犯罪ではないとしてしまえば、その後に起きるもっと深刻な犯罪を防ぐことができなくなる。

ロサンゼルスの女湯に侵入した露出狂男はこれまでにも公衆わいせつ罪で何度もつかまっていた常習犯だった。だが、女性を自認するだけで女子施設への立ち入りが許されれば、こういうわいせつ行為をする性犯罪者も犯罪者として扱われなくなるのだ。「犯罪を犯したものが犯罪者」だと言うが、既存の犯罪を犯罪ではないとしてしまえば犯罪者も犯罪者ではないということになるのだ。

6:トランス女性の権利を擁護することは”ミソジニー”か?

トランス女性が安全に、安心して女性だけのスペースを使えるようになることは、ひいては全ての女性が安全に、安心して女性だけのスペースを使えるようになることであると、考えます。そのような主張がミソジニーであるとは決して考えません

トランス女性は女性ではない、彼らはただの女装男性だ。そんな男が自分らは女性だと主張し、それを認めろと女性に要求する行為そのものが男尊女卑以外のなにものでもない。

終わりに:トランス女性の権利を守ることは全ての女性の権利を守ることに繋がる。

これまで、トランス女性を排除しても”女性”の安全は向上しないし、トランス女性を排除することははっきりとフェミニズムに反する行動であること、「トランスを排除しないと女性スペースの安全は保てない」は主張として正当性を保てないことを、少し長いですが述べてきました。

トランス女性を排除することで生みだされる見せかけの”安全”は、実際には安全ではありません。
それは、”パス度”に不安を抱えるトランス女性が自主的に女性だけのスペースの使用を諦めている現状においても、安全性が十全に確保されていないという事実からも明らかです。

それどころか、このような排除の言説は、規範からはずれたシス女性をもまとめて排除する、権利が守られない女性を生みだす明らかに反フェミニズム的な代物です。
ですので私は「トランスの権利を叫ぶ事は“女性”の権利をないがしろにしたミソジニー」であるという主張は、はっきりと間違いであると主張します。そして、むしろこのような排除理論こそ、極めてミソジニーで家父長制的な「女性の統制」に基づいた差別的な代物である、と考えます。

私が繰り返しはっきり言っておきたい事は、トランス女性もシス女性も全ての女性が安全に使える女性だけのスペースは、間違いなく全ての女性の権利を守るものであるという事です。
そのような主張を、一体どう解釈したら女性の権利をないがしろにしているというのでしょうか?

もしトランス女性が自分らが本当に女性だと思っているなら、男性が女子専用施設に入りやすくなる法律を歓迎するはずがない。こんな詭弁を平気で言えることこそ、この著者が男性であることの証拠である。私はこのエッセーを全文読んでいて吐き気を催している。


2 responses to 典型的藁人形論で女装変態男の女性施設許容を求める詭弁

苺畑カカシ3 years ago

https://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20210831/archive
トランスジェンダー女子施設利用に関して誤解されている18の項目。

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苺畑カカシ2 years ago

https://crowclaw-2.hatenadiary.org/entry/2021/10/18/183055
私のエントリーに直接反論してるブログエントリーがあったので張っておく。あとで感想を書く。https://crowclaw-2.hatenadiary.org/entry/2021/10/18/183055

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