森田成也著の「トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――」というエッセーを読んだ。左翼の立場からトランスジェンダリズムを批判している面白いものだったので紹介したい。

森田はマルクス主義者の立場から何故マイノリティーの味方であるはずの左翼リベラルがトランスジェンダリズム(以下TRAと略)を使って女性を弾圧するのかについて語っている。彼に言わせると左翼こそが女性の味方をすべきだというものなのだが、長年左翼思想を観察してきた私から言わせてもらうと、左翼が弱者の味方であるという前提が間違っている。

先ず森田はTRAの性自認を人種差別と比べてこう語る。

たとえば、アメリカ合衆国で黒人であるということは、過酷な奴隷制度のもとで虐げられてきた歴史的過去を有し、今日なお日常的に暴力と差別を受け、しばしば警察官に撃ち殺される恐怖の中で生活することを意味します。そうした状況の中で、アメリカ白人として生まれ白人として育った人物が、すなわち白人としてのあらゆる社会的・人種的特権を享受してきたものが、「自分の心は黒人だ」と称して、髪の毛をドレッドヘアーにし、顔を黒く塗り、ストリートファッションで身を固めて、「俺を黒人として扱え、さもなくば差別主義者だ」と言い出し、少数人種のためのさまざまな制度やアファーマティブ・アクションを利用し始めたらどうでしょうか? 明らかにこれは許しがたい簒奪だとみなされるでしょう。さらにこの「トランス黒人」が、黒人として生まれ育って差別と抑圧を受けてきた人々に対して、「君たちはシス黒人にすぎない。シス黒人はシス特権を持っているので、トランス黒人に対しては抑圧者であり、マジョリティ」だと言い出したら。どうでしょうか? これほどバカげた途方もない差別的主張は存在しないと思うでしょう。ところが、それが性別になると、突然そうした主張が全面的に正当だとみなされて、マイノリティ運動の支持者や左翼がこぞってそれを支持し、それに異論を唱える女性たちが逆に差別者扱いされるのです。これほど理不尽なことがあるでしょうか?

たしかに黒人が歴史的に差別されてきたというのは事実だが、いまでもひどい差別を受けているというのは真実ではない。また日常的に暴力にさらされていることや、警察官に撃ち殺される恐怖というのも、黒人同士の暴力沙汰が非常に多いからであって、白人による黒人差別が原因で起きていることではない。

アメリカでは混血の人が非常に多いので、奴隷制度時代の一滴でも黒人の血が混じっていれば黒人という理屈で、自分は黒人だと言い張ってアファーマティブアクションの恩恵を受けようとする白人が結構いる。いや、それどころか一滴の血も混ざってないのに黒人だと称して黒人運動に参加した人たちまで居るのだから面白いもんだ。黒人が白人よりも不利な立場にいるのなら、何故白人が黒人の振りをするのか考えただけでもおかしいとおもうはず。

それはともかく、白人が黒人を「自認」することは許されないのに、男が女と「自認」しただけで、社会がその男を女扱いしなければならないというのは理不尽だと森田は言う。たしかにそれはその通りである。しかし、ではなぜ左翼リベラルがこの不思議な思想を推し進めるのか、それについて森田は言及する。強調はカカシ。

まず第1に、進歩派・左派の当然の価値観としての「多様性の尊重」「マイノリティの権利擁護」という常識が悪用されていることです。生物学的に男性であっても男性らしい格好や生活スタイルを取らない人でも個人として尊重されるべきこと、トランスセクシュアルやトランスジェンダーであることを理由に職場や教育などで不当な差別を受けるべきではないこと、これらはすべて当然のことです。しかし、トランスジェンダリズムが主張するのはこうした水準(個人の尊重としての自由権)から完全に逸脱して、女性を自認ないし自称する人はすべて法的・社会的・制度的にも「女性」と認めなくてはならず、そうしないものは差別者として排除されるべきであると主張しています。これは「多様性の尊重」ではなく、多様性の根本的な破壊であり、「マイノリティの権利擁護」ではなく、女性というマイノリティへの攻撃です。「多様性の尊重」や「マイノリティの権利擁護」という入り口から入ってきたこの全体主義思想は、多様性を破壊し、他のマイノリティを解体しつつあるのです。

森田はTRAだけが特別な思想だと思っているようだが、「多様性の尊重」や「マイノリティの権利擁護」が左翼革新派によって悪用されなかったことなどないではないか?不寛容も多様性の一種だとして受け入れれば不寛容が横行するのは当然の話だ。だから多様性などという訳の分からないものをむやみやたらに受け入れてはいけなかったのだ。また、左翼による「マイノリティの権利擁護」は単に少数派を特別扱いするためだけの方針で、それによって少数派の暮らしが楽になるとか、社会的地位を得られるとかいうものでは決してない。それどころか、その特別扱いにしがみつくことによって独立できずに政府に頼り切りになる少数派が多く居る。90%以上の黒人が町を悲惨な状況にしている民主党議員に性懲りもなく投票し続けているのを見れば一目瞭然だ。

森田は左翼がTRA思想を簡単に受け入れた理由として左翼が女性を被差別集団とはみなしていないのではないかと語る。

しかし第2に、より本質的な理由として、左翼の中でもいまだ女性は、本当の意味で被差別集団・被抑圧集団とは結局みなされていないという問題が存在します。多くの左翼は性差別に反対だと主張し、たとえば森喜朗のような保守派の発言に怒りを表明しますが、その多くは反自民という政治的企図にもとづくものです。左派のあいだでも、女性は結局、人種的・民族的少数派と(少なくとも)同程度の被抑圧集団であるとはみなされていないようです。

これは左翼が女性を被差別集団としてみなしていないというよりも、左翼特有の女性蔑視がTRAのせいで顕著になったというだけの話だ。左翼は口で何と言おうと男女平等などという思想を最初から信じていたわけではないのだ。森田も認めているとおり、左翼が女性への侮辱に怒りを表明する時は政治的企図によるものであり、実際に女性のために怒っているわけではない。セクハラ男のビル・クリントンやジョー・バイデンを左翼がずっと黙認してきたことを見てもこれは明らかだ。

左翼の多くは、保守派のようにわかりやすいストレートな女性差別をするのではなく、「トランス女性」(つまり身体男性)を「最も抑圧された集団」扱いするという回り道を通じて女性差別に加担しているのです。これはちょうどセックスワーク論において、「セックスワーカー」の権利を擁護するという建前で、買春者である男性の権利を擁護するのと同じからくりです(実際、セックスワーク論を支持している「人権」団体の多くはトランスジェンダリズムをも支持しています)。

保守派が「ストレートに女性差別をする」という決めつけには笑ってしまう。私は日本の右翼保守が女性をどのように見ているのかはよく知らないが、少なくともネットで保守派思想家の話を聞く限り女性蔑視は感じられない。またアメリカでも右翼保守の男性たちの方が女性を大事にしていると感じる。

確かに保守派には男女が完全に平等だとは考えていない人が多い。しかしそれは、女性はか弱いものだから守らなければならない、母として妻として娘として姉妹としての女性達への尊敬の念から来るものである。女性は卑しいものという軽蔑心から来るものではない。森田は自分が左翼なので、左翼によるミソジニーは左翼の本髄から逸脱するものであると強調するが、私から言わせれば、ミソジニーこそ左翼の本髄だ。

森田はここで「ジェンダーは社会的・文化的構築物」という考えについて、ジェンダーが性別の役割という元来の定義ではなく、生物学的な性までもが社会的構築物だとされはじめたことに関して、非科学的な最たるものだと批判する。

生物学的性別は確固たる物質的現実であって、社会的構築物などではありません。マルクス主義は、自然的・物質的現実を踏まえつつ、その歪んだ解釈を排するのであって、自然的・物質的現実を否定するのではありません(エコロジーを重視するエコ社会主義の思想は、まさにこのような自然的・物質的現実の優位性にもとづいています)。ところがトランスジェンダリズムはその反対のことをします。この思想は、身体的・生物学的性別の現実性を否定する一方で、生物学的に男性でもピンク色やスカートやお化粧や長い髪が好きだから実は女の子だというような発想をします。つまり、性別の物質的現実を否定しつつ、社会的構築物にすぎないジェンダー(社会的・文化的な支配的規範としての性)をあたかも生得的な何かであるかのように扱うのです。これほど転倒した観念論もないでしょう。

そもそもジェンダーなどという造語を作って、男女の差は社会的建築物だと言って来たのは左翼。もともとフェミニストたちが『男と女は違う、それぞれ特性も違うから向き不向きもある。だが双方に同じ機会を与え実力のある人が女性だというだけで道を閉ざされないようにすべきである』と主張してきたのなら別。それを男に出来ることは女にも出来るとか男女の差はないと主張し、特定の分野で女性が少ないと、すぐ女性差別の結果だと騒いできたのも左翼だ。今更ジェンダーとセックス(生物学的性)は違うなどと言い始めて時すでに遅しである。

森田はTRAによるフェミニストや反TRAへの実際の暴力や脅迫についても、これはマルクス主義思想に反するものだと批判する。しかし今欧米などでTRAの味方をして暴力的に反TRAの女性達を攻撃しているのは極左翼でマルクス主義者だと自負するアンティファ暴力団である。もしTRAによる反対意見弾圧がマルクス主義の教えに反するものであるというなら、いったいこの矛盾をどう解決するのだ?

男性は女性にはなれないと言って世界中のTRAから叩かれたJKローリングに関して左翼の腰抜けぶりに森田は怒りを隠せない。

一人の勇気ある進歩派の女性が全世界の何千・何万というミソジニストから攻撃されているとき、新旧左翼は彼女を擁護する勇気をひとかけらも持ちあわせていなかったのです。何と恥ずべきことでしょうか。
 トロツキストはかつて、スターリニストによる世界的な弾圧と迫害のもとでもその正義の旗を降ろしませんでした。その偉大な伝統を復活させる必要があります。

たとえ、既存の左翼陣営から「TERF」や「トランスフォーブ」とののしられても、女性の人権と安全を断固として守り抜くことが必要であり、「TERF」とか「ヘイター」と攻撃されているフェミニストや市井の女性たちと断固連帯することが必要です。どうか勇気を奮い起こし、正義を貫いてください。

森田が左翼としてTRAの行動及びTRAに屈する左翼たちを批判したい気持ちはよく分かるが、もしかしたら、左翼思想そのものがこうした危険分子を生み出しているのではないだろうか?

イギリスやカナダで反TRAの女性たちがどんどん口を閉ざされているなか、彼女達にプラットフォームを与えたのはアメリカでも比較的保守派の団体だった。もしかしたら、TRAは左翼にとっては例外なのではなく、TRAこそが左翼の行きつく場所なのでは?

すくなくとも今まで隠されてきた左翼による女性蔑視が顕著になったことを森田は直視すべきなのではないだろうか?


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