私は映画ファンで地元映画館チェーンのメンバーでもあるのだが、それでもアカデミー賞(以後オスカー)には全然興味がない。それというのも最近のオスカーはポリコレに染まりすぎていて、全然映画の良し悪しや興行成績とは無関係になってきているからだ。とはいうものの、今回は日本勢が大健闘したこと、と東洋人への人種差別がどうのこうのという話が上がってきたので、それについてもお話しよう。

しかしその前に、日本人の功績と言う点で、海外でも広く愛されている偉大なる漫画家の鳥山明さんが亡くなったニュースについて触れておこう。私の年代ではドラゴンボールは観ていないのだが、私が好きだったのはドクタースランプのあられちゃんである。しかし今や世界中でドラゴンボールを知らない人はいないだろう。それで漫画ファンやアニメファンの間ではアメリカでも彼の死は非常に悲しまれている。まだ68歳ということで、お若いのに、本当に残念だ。御冥福をお祈りする。

それでは昨晩のオスカーの結果。

 ◇第96回アカデミー賞授賞式(2024年3月10日 ロサンゼルス・ドルビーシアター)

 米映画界最大の祭典、第96回アカデミー賞の授賞式が10日(日本時間11日)、ロサンゼルス・ハリウッドのドルビーシアターで行われ、「オッペンハイマー」が作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞した。

 日本作品は、宮崎駿監督(83)の10年ぶりの監督作品「君たちはどう生きるか」は長編アニメーション映画部門賞、山崎貴監督の「ゴジラ―1・0」が視覚効果部門賞に輝いた。国際長編映画賞(旧外国語映画賞)にノミネートされていた役所広司(68)の主演映画「PERFECT DAYS」(ヴィム・ヴェンダース監督)の受賞はならなかった

私はゴジラは観ていないのだが、「君たちは、、」の方は観た。私は宮崎氏の作品はヒット&ミスがあって、この映画はあまり好きになれなかった。宮崎氏は二度目の受賞ということだが、視覚効果部門で日本映画が受賞したのは初めてだそうだ。最近のハリウッド映画は不発が多いなか、予算が断然低い日本映画が二つとも大人気だったことは喜ばしいことだ。

ロバート・ダウニーJr.とエマ・ストーンはアジア人差別をしたのか?

さて、もうひとつ東洋人関係で話題になったのは、最優秀助演男優賞と主演女優賞をそれぞれ受賞したロバート・ダウニーJr.とエマ・ストーンがプレゼンターのアジア人俳優・女優たちを無視したのは人種差別なのでは、ということ。

オスカーは前年の受賞者が今年の受賞者にオスカー像を手渡すことになっているが、ダウニーにしてもストーンにしても授与者に対してほぼ一瞥もくれず握手もハグもない。すぐ隣にいる他の男優や女優に対する仕草とは全く対照的である。

これについて多くの人からダウニーたちがアジア人差別を行ったと批判する声が上がっている。このビデオだけを観ていてそういう結論付けるのはちょっと乱暴な気もするが、多くの東洋人が自分も透明人間のように扱われたという印象を持っており、ダウニーもストーンも意図的に差別をしたというより、東洋人を使用人かなにかのように扱って同等とみていない本心が出てしまったのではないかという意見もある。

個人的には、像を受け取ってからクォンを無視してるダウニーよりも、像を渡そうとしているミッシェル・ヨーを無視して隣の女優と話をしていて最終的にその女優から像を受け取ったストーンの方がずっと失礼に見えた。

私はこれまでにも何度も言ってるように、40余年もアメリカに住んでいながら、日本人だとか東洋人だとか言う理由で差別されたことはほとんどない。しかし東洋人への差別というのは昔、組織的に黒人が差別されてきたのとは違って、かなり微妙なものであることが多い。だからもしかしたら私などは差別されていることにも気が付いていなかっただけなのかもしれない。ただ、差別されてる方がされてることに気付かないくらいのものであるなら、私はそんなの無視していいという考えなので、やたらに腹を立てたりはしない。

しかし今回のことで腹を立てている東洋人が共通して述べていることは、白人は東洋人に対してあからさまな差別は行わないが、まるでそこに居ないかのように透明人間扱いすることはよくあるということだ。ちょっとその感想を集めてみよう。

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アカデミー授賞式での件、とても悶々とする。 あれは本当にアジア人差別の典型的な事例が公の場で露呈してる。 そんなことなくない?と言ってる人は現地であの「空気のように扱われる」感覚を味わったことのない人だと思う。

Ke Huy Quan の件もMichelle Yeohの件も見てて思うけど、アジア人差別って、しれっとしたマイクロアグレッションなものが多い。 そして指摘すると、必ず白人からは考えすぎだと言われる。 個人的な経験から言うと、私が受けた人種差別って、上記の様に自分を存在しないものとして扱われたものが殆ど。 無視されるって、1番堪えるよ。 ニーハオって言われる方が、存在を認識されてるだけまだマシかもしれないとさえ思う.

アジア人の透明化。意思も悪意もなき差別。ロバート・ダウニーJr.もエマ・ストーンも大好きな俳優で受賞を素直に祝いたいのに…..。オスカー像を渡してくれる昨年受賞者に敬意を払えないのは、少なくとも好印象ではないな。

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実はその場に居るのに無視されたという体験は私もしたことがある。しかしその時は人種差別だとは思わなかったし、実際そうだったのかどうかちょっと解らない。

これは10年くらい前に外部の会議に参加した時のこと。参加者は色々な企業から集まってきた人たちばかり。それで会議が始まる前にそれぞれの自己紹介をした。Uの字になった席で真ん中に司会者が居た。私は司会者の左横で一番端だったため、右から始まった自己紹介では一番最後の番だった。ところが全員の自己紹介が終った後、司会者は私を飛ばして会議を始めてしまったのだ!

私は一瞬戸惑ったが、すでに会議は始まっており、私が咳払いをして話を止めるのも変な感じだったので不満はあったが何も言わなかった、これが大間違いだった。参加者の中で女性は私一人だったし、私が司会者のすぐ横にいたことから、彼は私をスタッフか何かと間違えたのかもしれないと思った。それでも挨拶くらいはさせるべきだったのではないかと思うが、その時参加者の中で東洋人は私一人であったということには今の今まで忘れていた(笑)。

この会議の主賓は外国軍の重要人物数人で、アメリカ側の会議参加者はそのお客人たちに対してアメリカ側の研究成果を色々報告をするのが目的で集まっていたのだ。

これは私の落ち度でもあるのだが、私はプレゼンターでもなく会議の始まりで自己紹介をしなかったせいで、会議が終ってからのサイドバーでのおしゃべりの時にも私は完全無視されてしまった。何故なら参加者にとって私は重要な存在ではなく参考になる情報など持っていないと思われたからである。最初に順番を飛ばされた時に、きちんと主張しておけば、後々こんなことにはならなかっただろうと、自分の愚かさを反省した。外国のVIPたちも、女が重要な立場にあるとは思っていなかったらしく、彼等も私を完全無視した。

私はこのことを自分がてっきり自分が女だから無視されたと今の今まで思っていたのだが、もしかしたら私が東洋人だったから無視されたのかもしれない。今となってはしるよしもないが。こういう微妙な差別は結構起きるが、あまりにも微妙すぎてなかなか気が付かないというのも事実だ。

まあ私がおめでたい人間だからなのかもしれないが、もしかすると私は40年以上もそういう差別に気付かないまま生きて来たのかもしれない。


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