米体操選手シモーン・バイルス、ストレスに負けて棄権、なぜか激励の嵐

今回のオリンピック、アメリカでは今一つ盛り上がってない。その理由のひとつがアメリカ選手の中にやたらとWOKEな人が居るからで、女子サッカーチームなぞ国歌の時にひざまずくとかアホなことをやっていてスエーデンにぼろ負けするなど無様な姿を晒している。俳優のケビン・ソーボが皮肉っぽく「オリンピック至上初めて、アメリカ人が自国が負けたことを喜んだ」などとツイートしていたが、まさに、あんなチーム負けて当然だ。

さて、先日アメリカの女子体操選手シモーン・バイルスが跳馬で大きなミスをした後、突然棄権を宣言。精神面で自身を失くしたというのがその理由。このくらいのエリート選手になってくると大会でのプレッシャーで精神力がない人は勝てない。それも実力のうちだ。それなのにストレスに負けて棄権だなんてスポーツ選手としてはあるまじき態度だろう。

五輪金メダル4個を獲得している24歳のバイルスは、「私は自分にとって正しいことをして、自分のメンタルヘルスを優先し、自分の健康と幸せを危険にさらさないようにしなければいけない」と語った。  バイルスは最初の跳馬で精彩を欠くと、会場を一時離れた。再び会場入りした直後、米国はバイルスの途中棄権を決定。決勝ではロシア五輪委員会(ROC)が米国を抑え、金メダルを獲得した。  バイルスは、表彰式でチームメートと共に銀メダルを受け取った後、けがをしたわけではなかったと説明。「ただ、以前と比べて自信がなくなった。それが年齢のせいなのかは分からない。体操をする時、不安が少し増すようになった」と明かした。  さらに「前ほど楽しめていないように感じる。この五輪は自分のためのものにしたかった」と打ち明けると、涙を流した。「悔しいのは、これが五輪で起きたということ…ただここ1年のことを考えると、こうなったことにそこまで驚いてはいない

上記はヤフーニュースより抜粋、強調はカカシ。ここ一年ずっと精神面で悩んでいたのなら、なぜそれを前もって関係者に話さなかった?オリンピックで精神面で崩れる可能性があったのなら、オリンピックに来る前に出場を辞退し、専攻に漏れた他の選手と代わってもらえばよかったではないか。自分が体調を崩すことで、どれだけ多くの人に迷惑がかかるか全く考えていない。

こういうのを我儘というのだ。

こんな無責任な行為を取った彼女には批判が集まるかと思いきや、チームメイトの一人は「私たちは誰にも金メダルを取る借りはない」などと言ってバイルスを弁護した。また他のエリート選手たちも彼女の「勇気」を称えた。

大阪なおみがメンタルヘルスを理由にフレンチオープンを棄権した時も、多くのスポーツ選手から支持の声が上がったが、どうして挑戦が怖くて逃げる行為が「勇気」ということになるのだ?それは「臆病」とか「意気地なし」と表現されるべき行為ではないか。

確かに人気アスリートはメディアから追いかけまわされるし、周りからの期待も大きく押しつぶされそうになる時もあるだろう。彼らには彼らしか理解できない苦しみがあるだろう。だからエリート選手からの同情が集まるのも理解できる。私たちファンはただ応援しているだけでいいが、当人の苦労はそれは大変なものに違いない。だが、だからこそ彼らが成功し好成績を取った時の喜びと興奮と誇りは我々に勇気を与えてくれるのだ。彼らが自国を代表して頑張ってくれたことを誇りに思い喜ぶのだ。

「誰にも金メダルを取る借りはない」というのは間違っている。なぜなら彼女達がここまでこれたのは彼女達だけの努力によるものではないからだ。練習の送り迎えをしてくれた両親やコーチやスタッフに何の借りもないというのか?またスポンサーやファンたちにも何の借りもないというのか?金メダルを期待されてた選手が銀や銅を取ってはいけないと言っているのではない。金メダルを取るために最大限の努力をすることはオリンピック選手たるものの責任だ。今まで援助してくれた人々や応援してくれたファンたちへの最低の敬意だ。

それを一番大事な試合中に、嫌になったからもうやめる、というのであれば、もうばかばかしくてファンなんかやってられないと思われてもしょうがないだろう。

大阪なおみも同じだ。

WOKEのせいで多くの人たちが彼女たちを批判してはいけないと思っているかもしれない。だからしばらくは彼女たちの我儘も通るだろう。だが同じく多くの人たちが呆れ果てていることだろう。そうやってスポーツファンは徐々に離れて行ってしまう。

チームのことや国のことより自分のことしか考えられない人はオリンピックに出場してはいけないのだ。

アメリカ人のオリンピック離れは一層ひどくなっていくことだろう。


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WOKEお目覚め文化に反旗を翻したサンフランシスコの東洋系市民たち

アメリカでもWOKE(ウォーク)というお目覚め文化の首都といえばサンフランシスコだが、最近サンフランシスコの教育委員会役員たちが次々にリコールの対象になっているというウォールストリートジャーナルの記事を見つけたので読んでみる。著者はウィリアム・マックグイン(William McGurn)。

サンフランシスコといえばアメリカでも特に左翼リベラルの都市なのだが、最近、義務教育世代の子供を持つ父母たち、とくに東洋系の間で、このウォーク思想に反発する動きが顕著になってきた。

ウォークとはなんでもかんでも人種によって社会の階級が決まるという思想。常に白人が弾圧者でありその他の人種は被弾圧者となる。しかし東洋系は被弾圧者のカテゴリーに入るはずなのに、東洋系生徒たちの学力は白人平均を超える。差別をなくすために学力主義制度を廃止しようという動きで一番迷惑を被るのは白人ではなく東洋系生徒ということになる。

東洋系はリベラルな人が多いが、直接自分たちに影響があることが解って、この平等だの多様性だとのいったきれいごとが実は単なる東洋人差別になっていると気が付き始めたようだ。

そこでサンフランシスコの父母たちは市の教育委員会のガブリエラ・ロペズ会長とファウガ・モリガ副会長とアリソン・M・コリンズ委員をリコール対象にし、リコール選挙のための署名集めを始めた。締め切りは9月7日だがすでに半分以上の署名が集まっている。世論調査によると、なんと69%のサンフランシスコ保護者たちがリコールを支持しているという。

ことの起こりは、今年初め、サンフランシスコのエリート高校ローウェル高校の入学資格を、少数民族の数を増やすという理由で、これまでの成績順ではなくくじ引きで決めることにするという政策を教育委員会が打ち出したこと。だがローウェル校の生徒はすでに80%が非白人。だがウォークとって東洋系は少数民族には含まれない。東洋系が優秀なのは組織的人種差別の表れだということになるようだ。

アジアンアメリカンリーガルファウンデーション代表リー・チェング氏は最近とみに増えている対東洋人暴力とも掛け合わせて「街のチンピラと教育委員会とは共通点が多くある。どちらも人種差別者だ。ただ片方はちょっと身なりがいいだけ」と皮肉たっぷり。

リコールの対象となってる三人はどれも学力主義制度に反対票を投じ、学力重視は基本的に人種差別だと言い張る。コリンズに関しては以前にもお話したように、東洋系へのひどい人種差別ツイートが暴露され副会長の座を追われた人物。しかしまだ一応委員会のメンバーとして居座り、委員会相手に8700万ドルの損害賠償を求めて訴訟をおこしたりしているふてぶてしい奴。

インド系弁護士のハミール・ディリオン氏はアジア系アメリカ人は教育委員会を相手どって訴訟を起こす覚悟があると14ページにわたる声明文を委員会に送った。同じような訴訟はすでにバージニアのフェアファックス市で起きている。東洋と一口にいっても中国・韓国・日本のみならず東南アジアやインドも含まれる。特にインド系生徒たちの成績は非常によく、年収もインド系がどの人種よりも高いことは有名である。

マックグインも指摘しているが、SF教育委員会は黒人やラテン系の生徒達をより多くエリート高校に入学させるために、いかにして彼らの学力を上げるかという努力をせずに、単に学力のある他の人種から席を奪おうという単純な方法しか考えていない。学力が追いつかないのにくじ引きや下駄を履かされてエリート高校になど入ったら、入った本人の方が苦労するだけで結局落ちこぼれてしまうのがオチだ。入学してからも成績に下駄を履かすなら、今度は大学入試に失敗するだろうし、ここでもまたアファーマティブアクションで黒人やラテン系が優遇されるという悪循環を生む。

アメリカではなぜか東洋人への差別だけは許されている。前期のディリオン氏はこの風潮は止めさせなければならないと語る。

ウォーク連中は反人種差別者だと言い張るが、彼らこそ人種に拘るグループもない。加えて彼らのいうマイノリティー(少数民族)には注意書きがあり、東洋系やユダヤ系は含まれない。結局ウォークの言うマイノリティーとは黒人と一部のラテン系だけだ。(同じラテン系でもキューバ系が含まれるかどうか疑問)

この何かと黒人を甘やかす風潮は決して黒人のためにならない。

東洋系アメリカ人は民主党支持が多いのだが、これを機に、批判的人種理論を推し進める民主党は決して東洋系の味方ではないということに早くきがついてほしいものだ。


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米軍医総監「誤った情報は我々の自由を奪う」と警告

昨日アメリカの(Dr. Vivek Murthy)軍医総監(Surgeon general)が、武漢ウイルスについて誤った情報が出回っており、これらの誤情報は非常に危険であると発表した。そのなかでも「誤った情報は我々の自由を奪う」という部分は非常にオーウェル的な言い方だ。マーティ総監が特に問題としているのはワクチンやマスクに関する誤情報のために、人々の健康が危険にさらされていると言う点。またホワイトハウスのジェン・サキ報道官も、フェイスブックと協力して武漢ウイルスに関する誤情報の検閲に力を入れると発表した。

これが言論弾圧でなくて何なんだ?

近年ソーシャルメディアによる検閲がひどくなり、去年はさらにその乱用が増した。フェイスブック、ツイッター、ユーチューブなど、武漢ウイルスに関する情報は次々に検閲され、掲載した口座は次々と凍結の憂き目を見た。しかしそれに対して我々が文句をいうと、これらの会社は民営企業であるから何を掲載するかは彼らの自由だとか、言論弾圧は民間人や企業には出来ない、それが出来るのは政府のみだと言っている人もいた。

では、政府が民間企業に働きかけてそこに掲載される意見や情報を誤情報として検閲するのは何と呼ぶのだ?それこそ言論弾圧以外の何だと言うのだ!

トークショーホストのマット・ウォルシも指摘しているが、2020年コロナ禍当初、マスクは意味がない、かえって毒だと最初に発表したのは誰あろう当時の軍医総監だった。藪医者ドクターファウチも最初はマスクはしないほうがいいと言っていた。アメリカの疾病管理予防センター(CDC)もWHOも当初は人人感染はないとか、マスクも必要ないから買いだめなどするなと言い、アメリカ国内にいた中国人転売屋どもにすべて買い漁られてしまったではないか?

ワクチンにしても、トランプ大統領がワープスピードで開発を進めている時、バイデンチームは、そんなもの信用できない、開発されても自分は打たないと言っていた。

しかし一時期は誤情報としてSNSでさんざん検閲されたウイルスの武漢研流出説やハイドロクロロキンの効果性など、今や本当だったと誰もが認めざる負えなくなっている。効果的な治療法が誤情報として人々から隠され、医師が処方するのさえ禁止されたおかげで、どれだけの人の命が奪われただろうか?

科学を信じろと言いながら、ワクチンした後もマスクしろとか非科学的なことを言っているのはバイデン政権の方だ。そんなバイデン政権の言うことを無条件で信じろと言われても私には全く納得がいかない。去年中嘘をつき続けてきたCDCや軍医総監のいうことなど今更信じろと言われても無理だ。

間違った情報をただすのは正しい情報しかない。軍医総監の仕事はなるべく多くの正しい情報を供給し、国民が正しい判断が出来るようにすることであり、間違ったとされる情報を検閲することではない。

ワクチンを打つ打たないは、その個人の年齢や健康状態で病気のリスクとワクチンの副作用とを比べて、どちらが自分にとって最善の方法であるかを判断すべきなのだ。そのためにもワクチンの副作用に関する情報を検閲するようなことはあってはならない。もちろん悪質な誤情報もあるだろう。だが何が誤情報かを政府が決めるべきではない。

特に不正で選挙に勝った政権なが決めるべきことではない。


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「俺たちはお前らの子供を狙っている」サンフランシスコのゲイ男性合唱団の気持ち悪い本音ソング

アップデートあり!

先日サンフランシスコゲイ男性合唱団(SFGMC)が「俺たちはお前らの子供を狙っている」という気持ちの悪い歌を発表した。SFGMCは随分昔からある男性合唱団で、歌もうまく評判がいい。私も彼らのコンサートを観たことがあるが、とても質の高い合唱団だ。しかし今回のこの歌はいただけない。

もう何十年も前から一部の保守派の間では、同性愛活動家には「ゲイアジェンダ」というものがあり、彼らは若者を腐敗し堕落させる目的があるという考えがあった。そのためにゲイたちは我々の子供たちを狙い、幼少の頃から子供たちを同性愛者に勧誘しようとしていると主張してきた。

しかしこのような考えはこれまで、単なる一部過激保守派層の被害妄想だというのが左翼活動家たちの主張だった。セサミストリートでゲイカップルを紹介したからといって、別に子供たちを同性愛に引き込もうとか考えてるわけじゃない、すぐそうやってなんでもセックスに結びつけるあんたたち保守派の方がおかしいのよ、という意見をいくらも聞いた。

ところが、SFGMCはなんと、そんな保守派の心配は全く真実だという本音ソングを発表してしまったのだ!

ビデオは若いゲイ男性が奇妙な笑みを浮かべながら、こんなふうに始まる。

'We're coming for your children': San Francisco Gay Men's Chorus pushes woke agenda

台詞:未だに平等な権利に反対している人たちへ、私たちからメッセージがあります。

歌(独唱):あんたたちは私たちの権利に反対する。アタシ達の生き方を尊敬できないという。でもあんたたちはただ怖いだけ。アタシ達の目的を注意してみていないと、アタシ達があんた達の子供を腐敗させると思ってるみたいだけど、変よね、この一度だけ、あんたたちは正しいわ。(略)

歌(独唱)アタシ達はあんたらの子供たちを改宗する。すこしずつ、静かに、解らないように、あんたらが気が付かないうちに。

歌(合唱):アタシ達はあんたらの子供を狙っている。(略)

歌(独唱):あんたたちが心配したように、子供たちは付き合う仲間を変え、あんたたちが認められないようなところへ子供たちは夜でかけていくようになる。あんたたちが忌み嫌って必死で隠してたことを子供たちはオンラインで見つけてしまう。逃れることはできない。

歌手2(独唱)アタシ達が子供たちを改宗してあげる。誰かが憎まないように教えてあげなきゃね。

合唱:アタシ達はあんたらの子供たちをねらってる。We’re coming for your children あんたらの子供を奪ってやる。(繰り返し)

そしてこの歌は100人あまりの大合唱で、”We’re coming for your children, we are coming for them”「アタシ達はあんたらの子供をねらってる、子供を奪ってやる」という大合唱で終るのだ。LGBTには子供を腐敗するアジェンダがあると言い続けてきた父母たちにとって、これほど明確な自己確認があるだろうか?

発表と共に酷いバックララッシュがあったらしく元歌は削除されてしまったようだが、こちらのサイトで全編観ることが出来る。非常に気持ち悪いビデオだが一見の価値はある。

アップデート!

このエントリー書いた後で、なんとSFGMCでこの気持ち悪い歌を歌った男性たちの中に性犯罪者が沢山混ざってたって話。しかも小児性愛の。


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トランスジェンダーリズムが子供を傷つけないという嘘

前々から私は左翼たちのお惚け作戦について何度も書いてきた。彼らは本当のことを明かさない。彼らの真の目的は我々が考えるより、ずっと悪質で陰湿なものだが、我々がそれを暴露すると、あたかも我々の方が被害妄想狂の陰謀論説者のように言って話をそらす。だがそうそういつまでも、彼らのお惚け作戦は通用しない。

本日のワシントンポストに掲載されたこのオピニオンピース、マリー・アメリア・ジョージ著のOpinions | False claims of protecting children are fueling anti-trans legislation(子供を守るという虚偽の訴えで反トランス立法が煽られる)も左翼典型のお惚け議論である。だが、先日のWiSpa事件後、彼女の論説はかなり空しく感じる。

この論文は要するに子供を出汁にして反トランス法律を作るのは止めろという要求だ。常に「子供のことを考えろ」と言って左翼アジェンダを押し付けてくる左翼が今更何を言ってんだといいたいとこだが、一応彼女の言い分を聞いてみよう。

ジョージによると、過去6か月間にわたってなんと250ものトランスジェンダー権利を制限する法律が発案されたという。しかもそのほとんどが若者を対象にしたもので、トランス女子のスポーツ参加や未成年へのホルモン治療を規制するものがほとんどだという。4月にはアーカンサス州で未成年トランスジェンダーへのジェンダーアファーミング治療(本人が言う性別を認めるという治療)が禁止された。同じような法案が他13の州で提案されている。

Schuyler Bailar et al. standing in front of a crowd posing for the camera: Parade marshals line up as they prepare to march during the Brooklyn Liberation's Protect Trans Youth event at the Brooklyn Museum on June 13 in New York City.© Michael M. Santiago/Getty Images Parade marshals line up as they prepare to march during the Brooklyn Liberation’s Protect Trans Youth event at the Brooklyn Museum on June 13 in New York City.

これらの法律は無防備な子供たちを守るために必要だとされているが、実はそうではないとジョージは言う。

医師は子供が思春期になるまで医薬治療は施さないし、その時でも完全に可逆的なホルモンブロッカーを処方するだけだ。トランスジェンダーは普通18歳になるまで手術を受けることはできない。なぜならトランスジェンダーの若者は最低限の治療でも多大なる効果を得られるからで、主流な小児科医や精神科医会では子供への治療を制限することは危険であるとして反対している。しかし法律家たちは子供を守るためという論説に頼っている。なぜならこのやり方は過去にLGBTQの権利を制限することに成功しているからである。

思春期になるまでとジョージは言うが、その年齢は子供によっては10歳から13歳くらいの幼い年齢である。しかもブロッカーは一旦受けたら元に戻すことは出来ない。幼いうちに性違和を感じる子供の90%以上が思春期を過ぎると違和感を持たなくなるのに比べ、第二次性徴期を停止するブロッカーを接種した子供は100%性移行に進み、途中で辞めて元の性に戻ることはない。一旦これを始めたら逆戻りは不可能なのである。またジョージのいう「治療による多大なる効果」とは何なのか?子供が異性であるという思い込みが強まるという意味なら、それが子供にとって良いことだと言えるのだろうか?

ここでジョージは1970年代から現代にいたるまで、いかに保守派が子供たちのためといってLGBTQの権利を制限してきたかを語る。しかしLGBTQ権利を守るという法律が子供に害を与えるという保守派の考えは間違っていたのだろうか?それを一つ一つ吟味するのは大変なので最近のトランスジェンダーに関するものだけ考えてみよう。

LGBTQ権利反対派は子供を守るためという訴えをトランスジェンダー権利と闘うためにも使っている。2000年代に州や市で性自認反差別法が通り始めると、保守派たちは変態が法律を悪用して性別を区分けした空間に入り込んでくると抗議した。フロリダ州のゲインズビル市そしてミシガン州のカラマズー市が性自認保護法を提案した時、保守派はテレビコマーシャルで、長いブロンドの少女が公園の女子トイレに入っていく後ろを怪しげな髭男が就けていく姿を流した。テレビ画面には地元政府の法律がこの男の行動を合法化すると字幕が流れた。しかし、このCMは説得力がなく過半数の市民は反差別法に投票した。

トランスジェンダー権利の波を変えるために、反対派は子供を守る訴えをさらに強めた。2012年、アンカーレッジの性自認保護法を撤回させるために、保守派は漫画でピンクのドレス着て真っ赤なハイヒールを履き、派手な化粧をした男を描き、この男が「キャロルの保育園」での就職を申し込む姿を描いた。この法律によってトランスベスタイド(女装男)が幼児の世話をするのを拒絶することができないとナレーションが入った。

トランスジェンダーと似た言葉である侮辱的なトランスベスタイドという言葉を使うことにより、この件について良く知らない観客にこの二つのカテゴリーを混乱させることが目的だった。アンカーレッジの有権者はこのCMに動かされ、市の州辞任保護法を撤回することに投票した。ヒューストン市や他の郡でもこのやり方は成功した。

ジョージはトランスジェンダー権利の拡大したいと思っているから、保守派のやり方に腹を立てるのは解る。だが、彼女が出したこれらの例で、保守派達の言い分は間違っていたのか?つまり、保守派たちはトランスジェンダーに関する偽りの表現で有権者たちを騙したのだろうか?

髭面男が公園の女子トイレに入るコマーシャルだが、先日のWiSpaの件ではっきりしたように、性自認のみの性別を法律が認めた場合、本人が主張する方の施設への立ち入りが許される。ということは公園で金髪の女児が女子トイレに入った後に、髭面変態男が女子トイレに入るのは合法だ。このコマーシャルに偽りはない。

けばけばしい化粧をしたトランスベスタイドが保育士になるというコマーシャルにしても、すでに全国各地の図書館で幼稚園児相手にケバケバ化粧のトランスベスタイド(ドラアグクィーン)が幼稚園児にポルノまがいの絵本を読むイベントがいくらも繰り広げられているではないか?しかも彼らの中には幼児性愛犯罪者も含まれていたのだ。性自認保護法が合法ならこういう奴らが保育園で働くことを拒否できなくなるという保守派の論説に偽りはない。

保守派活動家の議論はすでにトランスジェンダー権利は抜け穴を悪者が悪用するというものではなく、1970年代と1980年代に使われた反LGBTQ権利の議論の応用となっている。保守派は子供たちが親や友達からトランスジェンダーになるように圧力をかけられているとし、大人が性移行を阻止すれば、トランス自認など自然になくなると主張する。

これはクィアー自認が阻止できるという根強く残った誤った前提からくるものだ。しかし医師たちは、子供たちにとって最善なのは専門家の管理のもとで子供たちに性自認や性移行を自由に探検させることだとしている。子供たちに性移行の可能性を見せないことは子供たちの恐怖症や鬱になったり、自殺の危険性を高めるものだとしている。

保守派には子供を出汁にするなと言って置いて、自分はトランス権利拡大のために、子供へのトランス治療を止めると子供の精神状態を悪化させ自殺に追い込むと脅して十分子供を出汁に使っているではないか。

ジョージのいう「医師たち」が専門家なら別の専門家たちは全く違うことを言っている

前述通り、小児科医専門家が行った調査によれば、小児時代の性違和は放っておけば大人になればなくなるという結果が出ている。トランスジェンダー、特に女子から男子への移行はネットや友人関係の影響がかなり強いことも統計で証明されている。

ジョージは同性愛者とトランスジェンダーを一緒くたにして誤魔化そうとしているが、LGBとTでは、トランスベスタイドとトランスジェンダーの違いよりもずっと大きな違いがある。

確かに昔は同性愛は精神病で、きちんとした治療をすれば同性愛は「治る」と思われていた時代があった。それで今では考えられないような残酷な治療が施されたのも事実である。しかし同性愛志向は治療で治る病気ではない。どんな「治療」を施してみても、同性愛志向は幼児の時代から一生を通じて変わることはほぼない。それが変わる人は同性愛者でも異性愛者でもない、バイセクシャルなだけだ。そしてバイもまたひとつの性志向である。

しかしトランスジェンダーの場合、我々は子供たちに危険な治療を施してトランスジェンダー病から正常に戻せと言っているのではない。いや、むしろその逆だ。不可逆的で危険な治療を施すのではなく、子供たちが自然に成長するのを待つべきだと言っているのである。

性移行治療の先端を行くスエーデンでは、当初言われた性移行を幼いうちに始めないとトランス若者の自殺が増えるという説は全く根拠のない出鱈目であったことがはっきりしている。この説の元を探るジャーナリストのドキュメンタリーを観たが、そのもととなる調査結果はどこにもないのである。

ジョージは保守派が偽りの訴えで自分らの反トランス運動を進めているというが、子供を出汁にして偽りの情報でトランス権利拡大を計っているのはトランスジェンダー活動家たちのほうなのである。


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批判的人種理論はアメリカの義務教育で教えられていないという嘘

今日ニュースフィードに上がって来た記事で、多くの州で次々に批判的人種理論(CRT)を義務教育で教えるのを禁止するという法律が通っているが、保守派の政治家や父母たちが騒ぐほどCRTは社会に浸透していないだけでなく、義務教育で教えている学校など存在しないという内容の記事を読んだ。記事の著者はこのバックラッシュは単なる保守派の過剰反応であり被害妄想で、現実とは全く異なるものだ、リベラルは真面目にとりあうべきではないと締めくくっていた。

なんか胡散臭い記事だなと思いながら読んでいたが、リンクのURLを保存する前に誤って閉じてしまい、後で色々探したていたら、なんとCRTは学校で強制的に教えられているなどという事実はないという記事が続々と出て来た。どうして急に示し合わせたよう同じような記事があちこちから出て来たのだろう。しかもその内容がマニュアルでもあるかのように同じなのいである。

アメリカの公共放送NPRは「バージニアの学校で間違ったCRT説に反感が集まる」と言う見出しでCRTは1970年代にハーバード法律学校で組織的人種差別の理解を促進するために生まれたとし、ラウダン郡公立学校教育委員会(LCPS)の委員の言葉を借りて、CRTを義務教育で教えているなどということは「恐怖を煽って白人のもろさを誘う無知なデマである」としている。同委員会のスコット・ズィーグラー委員長はCRTはを教えない教師が罰せられたり解雇されたなどというのはSNSで広まったデマであり真実ではないと主張している。

NPRはまたジョシュア・コールというバージニアの教育大学の重役の言葉を借りて、CRTは世界をどういう見解でみるかという論理であり、特別に教えているわけではないと言っている。

ポリティファクトでも話が大袈裟になっているとし、ほとんどの教師たちはCRTについて詳しい指導など受けていないという内容の記事を掲載。NBCのチャック・トッドもCRTが問題になっているということ自体が創作だと断言した。

MSNBCの司会者ジョイ・リードはCRTが学校で子供たちに教えられているという記事を多く書いているクリストファー・ルフォにインタビューしておきながら、ルフォにはひとこともしゃべらせず、「そんなバカげた嘘をつく人に答えさせるわけにはいきません」と言い切った。(だったらなんで番組に呼ぶんだよ。)

いったいどうなっているのだ?CRTは左翼にとって大事な理論ではないのか、どうしてそれが義務教育で教えられているという事実をこうも躍起になって否定する必要があるのだ?教育委員会に苦情を述べた父母たちは間違っているのか?本当にCRTは学校で教えられていないのか?

The lady doth protest too much, methinks.. (思うに彼女は抗議しすぎじゃないか?―ハムレット)

左翼が何かを必死になって否定するとき、真実はそこにあると考えるのが妥当だ。去年の夏中全国各地で起きたBLM暴動を「概ね平和的な抗議運動」と言ってみたり、ANTIFAは単なる概念でありそんな集団は存在しないと言ってみたり、彼らはなんとかして真実を人々から隠そうとする。だが彼らが躍起になればなるほど、真実はその正反対であり、非常に危険な状況にあると考えるべきだなのだ。

CRTは1970年に1960年代の公民権運動の後、批判的法律学と過激派フェミニズムから生まれたとされているが、実はこれは1930年代のドイツで始まった批判的理論というマルクス主義とフロディアン思想に深く影響を受けた運動が始まりである。

2001年に出版されたRichard Delgadoと Jean Stefancic著のCritical Race Theory: An Introduction(批判的人種理論入門)のなかで著者はCRTについて「活動家や学者が人種及び人種差別や権力の関係を改造するための運動を集めたもの」と説明している。そしてこの運動はLGBTやラテン系や東洋系など様々な人種の人権運動へと広がっていった。

そして無論CRTは小学校や中学校の教師たちに、多様性トレーニングという名目で長年教えられてきたのだ。教師たちがそういう訓練を受けているのに、それが子供たちの教育に影響を及ぼさないはずがない。ジョイ・リードなどが義務教育でCRTが教えられていないと主張するとき、ハーバード法律大学の講義で学ぶようなCRTという哲学を研究するような教え方はされていないというだけであって、その内容は子供にわかるように平たく教えられている。CRTという名前の授業がないからCRTは教えられていないなどというのは詭弁である。

義務教育でCRTという名前の授業はないかもしれない。だが、CRTはあらゆる分野に影響を及ぼしている。例えば、人種差別は組織的であり故意に行われると言う思想。

CRT入門によれば、「人種差別は普通であり例外ではなく(略)社会の普通に機能するやり方である」とある。人々が認める認めないにかかわらず人種差別はいたるところに存在し、特に法律は「白人至上主義」「白人特権」もしくは「白さと言う所有権」によって構成されている。白人が人種差別をなくそうとするのは、白人が利益を得られる時だけであると教える。

メイン州のとある教育委員会が生徒の父母たちに送った手紙には、「白人至上主義が継続的に強調される文化において、正裁が行われる唯一の方法は社会の隅々にまではびこる反黒人主義に立ち向かい修繕することだ、そしてそれは家庭、学校、職場、近所付き合い、宗教の場そして政府と言った場所で行われなければならない」とあった。

サンディエゴの教育委員会は多様性教育を必須課目とし「人種学」を取り入れ人種間の問題に焦点をあて、宿題を期限通りに提出する義務を失くすとした。教科書の一部には「アメリカの学校は黒人の子供たちの精神殺害の罪を犯している」とまで記述されている。同学校区は「反人種差別区」を目指すとのことだ。

インターセクショナリティー(Intersectionality)というのもCRTの一部である。これは人々のアイデンティティーが人種、性別、性自認、言葉、民族、そして宗教によって決まるという思想で、人々がこれらのどれに当てはまるかによって優越の順位がつけられている。例えば白人ヘテロ男性は「特権階級最上位」とみなされるので左翼の世界では最低の位置。黒人女性でノンバイナリーなんて言えば被差別で一番弾圧されているから左翼の世界では最上位。いや、一番は黒人トランス女性かな? 

クパーションの小学校三年生は自分の人種や性指向を吟味して自分が「権力と特権」階級のどの位置に属するかを解明するなどという授業を受けさせられている。

なるほど、これでは中学や高校で自分のことをノンバイナリーとかクィアーとかいう生徒たちが続出するわけだ。普通に白人学生だったら何も良いことがない。インター、、で上位になるためには、なにかしら被差別の要素を持っている必要があるからだ。

ブラックライブスマター(BLM)もCRTの思想に深く影響を受けたマルクス主義思想だが、これもまた多々の教育委員会や市民団体が義務教育で熱心に教えている。

そして最後にアクティビズム(Activism)これは活動主義とでも訳すのだろうか。CRTは単なる概念ではない、活動を通して既存の文化を破壊していくことが必要だ。

前出のLCPSは2020年の6月、「すべての生徒とその家族と界隈が白人至上主義と組織的人種差別、および人種や宗教や出身国や性志向や性自認に関するヘイトスピーチを破壊し崩壊させることを呼びかける」と訴えた。破壊して崩壊させることこそアクティビズムの典型である。

同委員会はCRTを基盤にした多様性トレーニングになんと42万ドル以上を使っている。そして同学校区は幼稚園児に「社会正義」を教えると発表し、あの悪名高い左翼ヘイト団体サザンパバティーロウセンター(SPLC)と協力して寛容について教える計画だという。

というわけだから、左翼政治家や学者やジャーナリストが義務教育でCRTが教えられていないなどというのは、左翼特有のお惚けであり大嘘である。しかし常識ある父母たちはそんな詭弁には騙されていない。だからこそ各地の学校区で父母たちがCRTを禁止するよう抗議しているのだ。左翼はすっとぼければ我々が騙されると思っているが、彼らが思うほど我々はお人よしではないのだ。

参考記事:Is ‘Critical Race Theory’ Being Taught in Public Schools? CRT Deniers Claim it Isn’t – Daily Citizen (focusonthefamily.com)


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お目覚め暴徒に謝っても無駄

最近よく聞くようになった英語の単語にWOKEというのがある。それを誰かが「お目覚め文化」と訳していて、皮肉たっぷりな適訳だなと思った。woke(ウォーク)は目覚めるという意味のwakeという動詞の過去形であるが、この場合は動詞ではなく「目覚めたこと」という形容詞に使われている。使い方としてはShe is so WOKEという感じ。しかし目覚めるという言葉の意味とは裏腹に、これは単に過激派左翼の思想にどっぷり浸かっていることを意味する。彼らの特徴としては、周りの人間が自分らが思うほど十分に過激派左翼ではないと思われる時、重箱の隅をつつくように、いかに相手がWOKEでないかを指摘して糾弾するのだ。

例えば先日、新しいミュージカル映画「インザハイツ」のキャストのほぼ全員がラテン系役者であるにもかかわらず、色の黒いアフリカ系ラティノが十分に含まれていないとか、LGBT+αの登場人物がいないなどというクレームがついた。アメリカでラティーノ(男性)とかラティーナ(女性)というと、中南米移民の子孫を指すことが多いが、カリブ海諸島やキューバなど元スペインの植民地で今でもスペイン語が公用語である国々からの移民やその子孫も含まれる。それで人種も白人や黒人やインディアンや混血など多種多様である。ザ・ハイツはニューヨークにある地域で主にドミニカ共和国出身の移民が多いそうで色の黒い人が多いのだそうだ。

さて、最近ではラティーノとかラティーナではなく中性的なラティンクスと呼ぶのがウォークとされているが、このミュージカルの作詞作曲をしたLin-Manuel Miranda(リン・マニュエル・ミランダ)は自身もラティーノでアメリカ創設の父たちをすべて黒人俳優にしたミュージカル「ハミルトン」の成功でも有名だ。こんなバリバリ左翼の脚本家がほぼ100%ラテンイーノで配役されたミュージカルについて、役者の肌の色が十分に黒くないとして謝罪を余儀なくされたのだ。これがウォークだ。

人気歌手のビリー・エリッシュの場合も非常にバカバカしい。現在19歳の彼女が12~13歳だったころ東洋人をバカにする言葉使いをしたビデオが暴露され謝罪に追い込まれた。そのビデオは観ていないのだが、彼女が歌っていたとされる元歌はユーチューブでまだ観ることが出来る。元歌は黒人のラップ。ウォークの偽善は黒人ラップ歌手は歌のなかでニガーだのチンクだの平気で歌い、それがラジオで流れても誰も何も言わないのに、白人がその歌を歌ったら人種差別者ということになることだ。言ってはいけない言葉なら、誰が言ってもいけないはず。どうして黒人が中国人をチンクと呼んでも良くて、白人が言ったらだめなのだ?

エリッシュの問題はこれだけではないようで、自分にはボーイフレンドが居るにも関わらず、自分をレズビアンに見立てた新しいビデオがLGBTに迎合しているとしてファンから批判を受けているようだ。

ビリー・エリッシュもミランダと同じでバリバリ左翼。去年の選挙でも民主党大会の時に演説までぶったほどだ。だからキャンセルカルチャーに文句を言えた義理ではない。しかしミランダやエリッシュのような敬虔な左翼過激派信者ですらも、ウォーク文化は容赦なく責める。彼らがいくら謝ってみたところで、いったんレイシストの汚名を着たら、そう簡単には名誉挽回は出来ないのだ。なにしろキャンセルの対象になった人が謝罪して許してもらえた例は一度もないからだ。

ウォーク連中には謝っても無駄だ。彼らが求めているのは謝罪ではない。彼らは攻撃の対象となった人々の完全破壊である。だからもしも彼らの攻撃対象となったら、何も言わずに彼らが飽きて別の対象を見つけるのを待つか、自分は何も悪いことはしていないと開き直った方が良い。

それにしても、いったい我々はいつまでこのウォーク文化に付き合わされるのだろうか?


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歩み寄り姿勢すら差別だと責める左翼

最近日本でもアメリカでも「反差別」運動が活発に行われている。アメリカではBLM/ANTIFA推進の「批判的人種理論」、日本では「LGBT理解推進法」などがそれだ。これらの左翼思想の共通点は、左翼は他人の理解を求める努力をするのではなく、自分らの理論を全面的に受け入れろと要求することだ。そして、反対派に異論を述べる機会を与えず、すべてを「差別だ!」で片付けようとすることだ。

左翼のやり方で特に卑怯なのは、彼らは白を黒と認めさせるため、目の前で起きている現実を否定することだ。例えば去年のBLM暴動中、背景で街が燃え火の粉が飛んできている場所で「概ね平和的なデモ」などと実況中継をしているアナウンサーなどが典型例である。今アメリカを不穏な状況にしているのはBLM/ANTIFAの度重なる暴動であるにも関わらず、バイデン政権は今のアメリカでもっとも危険なのは白人至上主義という国内テロリストだなどというのも、その一貫だ。

さて本日フェミニストのウェブサイトWANに掲載されていた二つのエッセーを読んで、本当に左翼のお惚けには呆れると思った。どちらもフェミニストによるエッセーだが最初のはトランスジェンダーを排除しているわけではない 石上卯乃。二つ目はこのエッセーへの反論になってない反論「トランスジェンダーを排除しているわけではない」が、排除するもの 岡野八代である。

石上のエッセーはこの問題を追ってきたひとには非常に親しみのある議論である。タイトルからも解るように、石上はトランスジェンダー女子を女子空間に入れるべきではないという議論は、決してトランスジェンダーを排除しているわけではないというもの。そしてトランスジェンダーに歩み寄りの姿勢を見せようとしても、少しでもこの点を強調するとTERFなどと呼ばれて「殺せ、犯せ、殴れ」といったひどい脅迫を受けると主張。

私たちは、女性の権利や安全に関心があります。フェミニストです。そしてすべての差別がなくなり、みんなが安心して暮らしていける社会を求めています。

ところが、私たちはなぜか、TERF(Trans Exclusionary Radical Feminist トランス排除的ラディカル・フェミニスト) と呼ばれるようになってしまいました。TERFという言葉を少し調べれば、殺せ、犯せ、殴れといった言葉と一緒に使われるので、とても怖くなってしまっています。そしてなぜ、そう呼ばれるのかが、全く分かりません。私たちは、トランスジェンダーの人たちとも、平和的に共存したいと思っています。ただほんの少しの場所、トイレや風呂、更衣室、レイプクライシスセンターなどのシェルターでは、安心して過ごせるように、安心・安全という問題意識を理解してもらい、どうすればいいのかを一緒に考えて欲しいと言っていただけなのです。

これは完全に正論で私は石上と全く同意見である。あえて異論があるとしたら、石上はトランス活動家に理解を示しすぎているという点くらいだろう。石上はトランスの脅迫の例としてハリー・ポッターの作家JKローリングが「生理のある人を女性と呼べないのはおかしい」といっただけで作家としての生命を奪われかねない迫害や脅迫を受けた例をだしている。また日本でもトランス権利活動家(TRA)の行動に批判的な人々をTERFの名で罵倒し、脅迫まがいの発言をするのが、ただのチンピラではなく学者や研究者と言われる人々であることも指摘している。

さて、これに対する岡野の反論だが、自らもレズビアンであると言う彼女は先ず石上のエッセーを「稚拙」「悪質」と侮辱し、左翼特異のお惚け作戦を取り、漠然とした差別理論を繰り広げる。

先ず岡野は石上のエッセーが悪意に満ちているという印象操作から始める。強調はカカシ。

わたしは、本記事を読めば読むほど、説明すべき文脈や根拠をあえて示さず、一文に多くのことを書き込むことで(稚拙な文書のように見せかけることで)、はじめてTERF といった言葉を知る人や、これまでトランスジェンダーの権利について深く考えたことがない人たちに対して、トランス恐怖を与え、差別意識を植えつけるようなしかけがあるように思えてなりません。

(略)記事の真意は、トランス女性は、なるべく本物の女性がいるところにはいないでほしい、それどころか、そもそもトランス女性は、危険な人なのだと訴えているようにみえます。言葉遣いは丁寧な文書ながら、トランスジェンダーの人たち、直接的にはトランス女性に対して、本物の女性が抱えている不安や恐怖を理解していないと決めつけているようにさえ読めます。

もしもこのエッセーだけを読み石上のエッセーを読んでいなかったら、岡野のこの文章が出鱈目であることには気づけない。だが、石上はトランスジェンダーがTERFと呼んでいる人たちに対して行っている脅迫について、きちんとJKローリングの件で「文脈や根拠」をきちんと示している。二章節目に関しては、石上の述べた事実がそう受け止められるとしたら、実はそれが事実だからともいえる。

次に岡野は左翼特有のお惚け作戦にでる。TRAによる脅迫や暴力について岡野は、

なにより、他者にそのような言葉を投げかけることは、脅迫、あるいは犯罪教唆に他なりません。そうした言動をとる人は、厳しく非難され、あるいは告発されるべきですし、その罪は、そうした言動をなした個人にこそ帰せられるべきであり、トランスジェンダーの権利とはなんら関係がないはずです。

JKローリングを脅迫状を送り付けたのは名もないSNS上の不特定多数だけではない。石上も指摘しているように、TRA研究者と呼ばれる著名な人たちが多く混じっていた。また脅迫とまではいかないまでも、ハリー・ポッターの主演役者などもローリング批判に参加していた。

もしTRAに批判的な人々への脅迫がTRAの一貫でないならば、何故TRAの一人でもこうした行動を批判しないのだ?もし女性を「ターフ」と言って「犯せ、殺せ」と言ってる人たちが一部の過激派だというなら、なぜトランス活動家たちが積極的にこのような攻撃を受けている女性たちの弁護に回らないのだ?「ターフ」への暴力的脅迫を批判もせずに容認しているのであれば、それがTRAの作戦だと思われても文句はいえない。

お惚けと言えば、TRAは自認さえ女なら男性器を持ったまま女性空間に入ってもいいと言っている女装男たちの存在を否定して、そんな人はいない、いたとしても少数、犯罪者は通報すればいい、トランスジェンダーとは無関係と言い続けている。諸外国の例を出すまでもなく、日本でも「自分は女性です」と主張して女装のまま女湯にはいった男の事件が今年だけで二件もあったというのに。

岡野は最後の部分で差別とは何かについて言及しているが、長々と書かれた彼女の文章を読んでいてわかったことは「言われた本人が差別だと思えば差別」だということ。岡野は「差別とは社会構造の問題であって、個人の悪意や意識、理解力は二次的な問題だと考えて」ていると言っているにもかかわらず、今現在LGBTQ+αが具体的に社会構造の中で、どのような差別を受けているのかを示していない。

彼女がレズビアンとして受けたとする差別は、大学時代にカムアウトした時に「私を襲わないでね」と友人から冗談で言われたことくらいで、彼女自身もそれが社会構造の問題だとは言ってない。ただ人々の何気ない言葉使いが差別をされてきた歴史を連想させると主張する。

普段忘れて/ 封印して過ごしている過去の経験を、突然想起させることが、わたしは差別発言がもたらす効果がもつ特徴の一つだと考えています。わたしたちの言葉には、その言葉を共有する共同体に投げ入れられ解釈されて初めて意味をもつために、単なる媒介手段ではなく、折り重なる意味と経験と歴史を運ぶ重みがあります。一つの言葉に内包される意味や文脈は、その言葉が背負っている共同体の歴史が反映されます。だからこそ、差別発言は、差別を受けている者に対して、差別されてきた者たちがこれまでも、そしておそらく今後も受けるであろう差別を痛感させます。(略)

石上さんの記事、とりわけそのタイトルの「排除しているわけではない」は、そもそも、自分が生きている社会から排除されてきた/ いる者たちにとって、彼女たち・かれらの抱えている現実を認めない、とうい宣言に他なりません。いくら、誰かに〈私たちは、あなた(たち)を排除している/ 差別しているわけではない〉と伝えられても、厳然とした差別構造がなくならないかぎり、差別は終わりません。排除している/ 差別しているわけではないと宣言できる人がいるとすれば、日本社会に深く根ざしたこの差別構造を変革しようと努力している者たちだけではないでしょうか。

私がこの文章に納得がいかないのは、いったい「日本社会に深くねざしたこの差別構造」とは何なのかが全く示されていないことだ。岡野は石上が文脈や根拠を提示せずにTRAによる脅迫について書いていると批判しながら、自分がこの差別構造でどのように差別されてきたかという話の例をひとつもあげていないのだ。

例えばイギリスでは同性愛行為自体が違法であった時代があり、オスカー・ワイルドやチューりングといった著名な人々も逮捕され拘束された例がいくらもある。アメリカでも自宅の寝室で寝ていた二人の男性がソドミー行為に至ったとして逮捕された例もあり、それが訴訟に繋がりやっとソドミー法が撤去されるという歴史がある。だが日本では一度でもそのような組織的差別はなかった。

確かに昔は同性愛者であることがばれてキャリアを奪われた人々は存在しただろう。松浦大悟氏によれば、紅白の司会までやった人気歌手の佐良直美さんが芸能界から干されたのもレズビアン疑惑が原因だったという話しだから、昔はそういうこともあったのだろう。

岡野は弁護士だ。レズビアンということで酷い差別をされてきたという割りには立派な職業で身を立てているではないか?レズビアンだとばれて弁護士協会から破門されるなどということも起きていない様子だし。いったい彼女自身どんな差別を受けたというのか?

岡野の理屈だと、差別をされる立場に居ないひとが「差別をしていない」とか「排除してるわけではない」ということ自体が差別だということになり、他人に差別体験を思い出させるような発言も差別だということになる。だから私は「反差別」思想には付き合えないと最初から言っているのだ!

石上はフェミニストだと自ら言っており、トランスジェンダーにも理解を示して歩み寄ろうという姿勢を見せている。だが同じフェミニストの岡野の方には歩み寄りの姿勢は全く見られない。彼女たち反差別主義者たちの要求を100%受け入れない人々は、どれだけ口で差別反対を唱えても無駄だと言い張るのだ。

レズビアンの岡野が、トランスジェンダー女性の横暴の事実を全く知らないとはとても信じられない。彼女は知ってて惚けているだけなのだ。なぜなら岡野のような左翼にとって個人の人権などどうでもいいからである。フェミニスト運動が女性のためのものではなかったのと同じように、LGBT運動もLGBTのための運動などではないのだ。左翼にとって被差別者たちなど、左翼思想を促進するための将棋の駒でしかないのである。


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男が子供を産み、アメリカは1619年に建国され、イスラエルが加害国 - 左翼が信じる不思議な世界

もしもあなたが道義的に常に正しい方を支持したいと考えているとしよう。ところがイスラエルとパレスチナ紛争に関しては事情がよく分からない。日本のメディアだけを見ているとイスラエルが一方的に悪いような気もするが、常に公平な立場にありたいあなたはメディアのいうことだけを信じたいとも思わない。それであなたはどちらの言い分が正しいのかどう判断していいか分からないとお思いかもしれない。そういう時は、いったいどんな人たちがそれぞれを支持しているのかを考えてみれば、自ずとその答えが出るかもしれない。

本日はユダヤ教学の専門家で保守派のトークショーホストであるデニス・プレーガーのコラムから読んでいきたい。

アメリカの左翼連中は常識人では信じられないことを信じろと要求する。左翼は男でも生理が来たり子供を産んだりすることが出来るといい、女子競技に生得的男子を参加させろと要求する。

何千何万という学校で子供たちがアメリカの建国は1776年んではなく最初にアフリカ奴隷が北アメリカに渡ってきた1619年だと洗脳されている。この1619プロジェクトという嘘は、トランンぷ大統領弾劾を支持していたリベラル歴史家たちさえ、嘘だらけだと批判している。

そして今パレスチナのハマスである。ハマスは国際社会がテロ軍団と指定しているイスラムテロ組織である。そのハマスがイスラエル市民に向かって何千というロケット弾を撃ち込み、イスラエルは迎撃せざる負えない状況にある。ところが世界の左翼たちはイスラエルが悪者でハマスは犠牲者だという嘘を我々に信じろと要求するのだ。

プレーガーはイスラエルを糾弾しハマスに同情するのは、これもまた左翼によるひっくり返った道徳観によるものだと言う。

このようにアメリカの独立戦争は奴隷制度を守るためだったなどと主張し、男にも生理が来るなどと非常識なことを言っている人たちが、ハマスは犠牲者でイスラエルは加害者なのだと言い張っている場合、読者諸氏は、この見解を無条件に受け入れることが出来るだろうか?

私は長年イスラエルとパレスチナの紛争を見てきて、この二つの国(パレスチナは国ではないが)の平和共存は不可能であるという結論に落ち着いている。ウエストバンクの入植地にしても、パレスチナ側の言い分とイスラエルの言い分は真っ向から反発しており、あの問題は解決などしようがない。

だがプレーガーは今回の戦争は土地問題とは無関係だという。この戦争の原因はひとえにイスラエルが存在することにあると。ハマスやハマスを支援するイランはイスラエルと何か不同意があるのではない。彼らはイスラエルが存在していることに賛同できないのだ。

であるから、イスラエルにはイスラエル自身が消滅する以外に敵を満足させるすべはないのである。

先日私はパレスチナ出身らしきアメリカ在住のモスレムと、この問題についてツイッターで話したが、彼女はイスラエルと協定を結ぶなどありえないと言っていた。これまでイスラエルがパレスチナにしてきた非人道的な行動を考えたらイスラエルとの平和共存など不可能だと言うのである。それで私は、それでは今ハマスがやっていることがパレスチナにとってどんな得になるのか、まさかイスラエルが黙ってロケット弾を何千発も撃たれるのを黙ってみているとは思わないだろう、と聞いてみたが、イスラエル統治下で奴隷のように生きるくらいなら、戦って死んだ方がましという意見のようだった。もっとも彼女はパレスチナ在住ではないから、そんな他人事みたいなことが言えるんだろうと言ったらそこで会話は破綻してしまったのだが。

つまり、パレスチナ人もそれを統括するハマスもイスラエルと何かに同意するなどという気持ちは全くない。911テロの時にも私は言ったが、こちらの完全壊滅を望む敵に同妥協するのだ?我々の人口の半分だけ殺すことに同意でもするのか?

左翼や多くのモスレムは、世界中には22のアラブ国家と50を超えるモスレム国家が存在するのに、ニュージャージー州程度の小さな国であるユダヤ国家は存在すべきではないと言うのだ。

プレーがーはモスレムのアンタイセメティズム(反ユダヤ教徒思想)は単なる人種差別などではないという。この反ユダヤ主義は単なる偏見などではなくユダヤ撲滅思想なのだという。

実は先日、やはりツイッターでイスラエルによるパレスチナ人の扱いは中国共産党によるウイグル人虐待と同じだと主張する人が居た。その人は他の話題では結構右翼保守で道徳的観念を持っている人だったので、そんな過激なことを言うのを聞いて非常に驚いた。しかし、実際に中共がやっているような人口浄化をする可能性があるのはイスラエルよりパレスチナの方なのである。

イスラエルはパレスチナ及びアラブ圏の国々と戦争をして何度となく勝利してきた。もしイスラエルが左翼のいうような悪徳な国だったのなら、今頃パレスチナ人がイスラエル統治下の土地で生き延びるなどということは出来なかったはずだ。反対にもしパレスチナが過去の戦争でイスラエルに勝っていたとしたら、ユダヤ人がアラブ人の土地に平和に生存するなどということが考えられただろうか?

にもかかわらず左翼はイスラエルを悪者扱いする。何故なのか?

プレーガーは、それは左翼は常に道徳的に病んでいるからだという。よく左翼のモラルコンパスは故障しているという人がいるが、故障しているコンパスもたまには正しい方向を向くことがある。だが、左翼のコンパスは常に北ガ南で東が西なのである。

だから左翼はアメリカが嫌いなのでありイスラエルを憎むのである。

イギリス軍のアフガニスタン戦における元司令官のリチャード・ケンプ大佐は2014年、「自分はアフガニスタンのイギリス軍司令官だった。北アリルランド、ボスニア、マセドニアそしてイラクと世界中の戦闘地で戦った。そして2014年のガザ紛争の時にもそこにいた。自分の経験と観察から言って、イスラエル防衛軍IDFは歴史上どんな軍隊よりも市民の安全と権利を考える軍隊だと言える」と語っている。

だからこそ左翼はイスラエルが嫌いなのである。イスラエルは近隣国よりも道徳的であり、ましてや敵よりも道徳的だ。アメリカがそうであるように。しかしもしあなたがアメリカが建国されたのが1619年で男が子供を産めるとしんじるなら、ハマスとの戦いで悪いのはイスラエルの方だと信じることが出来るだろう。

追記:アメリカでどんな人たちがパレスチナを支持しているかといえば、先日ロサンゼルスでアンティファ連中がイスラエル支持の抗議デモに襲い掛かった。もしこれでもあなたがパレスチナを支持するべきだと思うのであれば、自分の右翼保守としての立場を考え直した方がいい。

またBLM暴徒たちもパレスチナ支持を表明。

a group of people standing in front of a crowd: An activist holds a "Free Palestine" flag at a Black Lives Matter rally last week in Pasadena, Calif.

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エクイティー(平等)という人種差別、激化する左翼による東洋人弾圧

カリフォルニアの教育委員会は人種平等のため、同州の数学英才教育プログラムを廃止することを提案した。それというのも、このプログラムでは東洋系生徒が圧倒的に優勢であり、白人はもとより黒人やラテン系の参加が非常に少ないという現実があるからだ。

カリフォルニアでは2004年から2014年にかけて、32%の東洋系生徒が英才教育プログラムを受けた、比べて白人は8%、黒人生徒は4%、ラテン系生徒は3%だった。

これは英才プログラムを受ける32%が東洋人という意味ではなく、東洋系生徒の1/3以上が英才プログラムに入ることが出来たという意味。2020年現在のカリフォルニア人口配布はウィキによると、一番多いのがラテン系39.29%、白人36.64%、東洋系14.52%、黒人5.51%、混血その他が約4%となっている。パーセンテージを四捨五入しプログラムの定員を100人とすると、多い順に東洋系50人、白人30人、ラテン系12人、黒人及び他の人種は10人以下となる。なるほどプログラムの合格者半分が東洋系になってしまうというわけだ、これでは左翼連中が『完全に人種エクィテイーの思想に反する!』と怒るのも無理はない。だが、もしもこれがラテン系と黒人が半数以上を占めるという結果だったなら多分誰も文句は言わなかったんだろう。

アメリカにはAPというテストがある。これはAdvanced Placement Examと言われ、各科目で個々の試験があるのだが、これは大学レベルの課目試験を高校時代に受けることが出来るものだ。この試験に受かれば大学に行ってから基礎コースを受けずに直接高レベルの単位を取ることが可能となる。UCバークレーやUCLAの理数系に入るためには、このAP試験に受かっていることは必要条件だ。だからこそ、成績の良い子供たちが受験に有利になるために高校時代からAP試験を目指す英才教育が存在するのだ。このプログラムを廃止するということは、カリフォルニアの学生たちが将来STEM(Science, Technology, Engineering, Math)と呼ばれる理系分野に進むうえで不利になるということである。

無論裕福層の親たちは公立学校ではなくレベルの高い私立高校や公文などの進学塾に子供を通わせることは出来る。だが、貧困層に生まれながら勤勉で才能のある生徒たちはどうなる?彼らの将来はどうなるのだ?コンビニやガソリンスタンドで長時間働きながら子供を学校に行かせている東洋人移民たちに、どれだけの負担がかかるようになるだろうか?

前回もニューヨーク市で東洋人生徒ばかりが受かってしまうエリート高校への入学試験を廃止しようという動きがあることをお話した。左翼連中のいう人種エクイティー(平等)とは公平という意味ではない。単に結果が平等であるというだけだ。つまり、大学入学の配分が人口の配分と同じにならなければ不平等だというのである。しかし、これまでに何度もお話してきたように、それぞれの民族にはそれぞれの文化というものがあり、すべての民族が同じようにふるまうわけではない。よって同じ学校に行ったからと言ってすべての生徒たちが同じ成績を取るはずがないのだ。だが、それが自由社会の良いところではないのか?それが自由競争というものではないのか?

左翼連中がエクイティーという時、必ずその名のもとで無実の一般人が犠牲になる。昔はジェンダーエクイティーと言えば、単に学業や就職や昇進の際に男女差別をせずに能力で判断すべきという意味だったのが、今ではLGBTQ+(特にトランスジェンダー)の理不尽な言い分を無条件で受け入れるという意味になってしまった。だから女子スポーツに自称女性の女装男を受け入れることがジェンダーエクイティーだなどという理屈がまかり通るようになったのだ。

これらのことで共通しているのは、正直に努力したり才能のある人たちが公平な立場で競争できず馬鹿を見る社会である。

もしカリフォルニアの教育委員会が黒人やラテン系の学力が伸びないことを本気で心配しているなら、成績の悪い学生のための補修プログラムを作るなどして成績を上げることを奨励したらいいではないか。それを彼らの成績が悪いのは人種差別のせいだから彼らには責任はないといって、成績のよい生徒たちを犠牲にするなど、話が逆さまである。

東洋系の成功はアメリカは人種差別の国だという左翼の主張には非常に不都合である。何故白人至上国で少数派である東洋人が成功できるのかという問題が生じてしまうからだ。だからこそ、東洋人は学生のうちから潰しておかなければならないのだ。

最近黒人による東洋人への暴力行為がとみに増えているのも、左翼連中が組織的に東洋人を差別していることと深い関係があると思われる。


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