アメリカ最高裁、人口妊娠中絶の合憲制を認めた裁断ロー対ウエイドを覆す。中絶法は各州の権限に戻される

いやいや、まさか本当にこんな日が来るとは思っていなかった。まずはBBCの記事から。

米連邦最高裁は24日、アメリカで長年、女性の中絶権を合憲としてきた1973年の「ロー対ウェイド」判決を覆す判断を示した。この判決を受けて、アメリカでは女性の中絶権が合衆国憲法で保障されなくなる。

最高裁(判事9人)は、妊娠15週以降の中絶を禁止するミシシッピー州法は、「ロー対ウェイド」判決などに照らして違憲だとする同州のクリニックの訴えについて、6対3で違憲ではないと判断した。下級審では、違憲との判決が出ていた。

「我々は、憲法が中絶する権利を付与しないと考える(中略)そして、中絶規制する権限は国民と、国民が選んだ代表に戻さなくてはならない」と、判決文には書かれている。

今回の判決は、約半世紀前に連邦最高裁が定めた判例を、同じ最高裁が自ら覆したことになり、きわめて異例。今後、アメリカ国内で激しい論争と政治対立を引き起こすとみられている。

数週間前に最高裁の意見書が漏洩し、判事らの命が狙われたり、妊婦救済センターや教会が襲われるなどという左翼による横暴に負けず、最高裁はロウ対ウエイドの判決を覆した。

以前にもお話したように、だからといって今後アメリカでは人工妊娠中絶が完全に違法になるというわけではない。単に中絶に関する法律は各州の議会に判断を任せるということになっただけだ。アメリカと言っても広い。州によって文化や風習や伝統や宗教が違う。それで無論中絶に関する考え方も全く違うのである。

ある州では受精した時点で胎児は母親と別の個人と見なすところもあれば、生まれて来て最初の息を吸うまでは人間ではないと考えるところもある。こんなに意見が真っ二つに分かれているところで妥協の余地はない。

私個人の考えとしては、テキサスの6週間目にして胎児の鼓動が聞こえたら中絶禁止というのがもっとも妥当な法律だと思っている。無論それ以後でも母親の健康にかかわる場合や胎児に極度の障害があった場合は、両親と医者の判断で例外を認めるべきだろう。

また強姦された直後のアフターピルは合法とされるべきだと考える。これは受精を防ぐ行為なので、堕胎とは言えないと思うし、自分を犯した男の子どもを満期まで宿すのは精神的にも辛いことだろうと思うからだ。

当然のことながら、民主党のペロシ下院議長を始め、クリントン夫人、AOCなど、おなじみの面々が次々にこの判決は歴史上最悪のものだなどと大騒ぎしている。そして中絶推進派とANTIFAが組んで、またぞろ暴動を起こしている。しかも彼らが暴れているのは中絶法などないに等しいほど自由なオレゴン州、ワシントン州、カリフォルニア州などである。本当にこいつら馬鹿じゃないの?

ところで最高裁はこの判決を下した全日、ニューヨーク州の市民が自由に銃携帯をする権利を否定している法律は違憲であるという裁断を下している。テキサスのイベルダ小学校の乱射事件の直後なだけに、この判決は色々左翼リベラルの間から批判されている。

アメリカは11月に中間選挙を控えているが、終わりを知らないガソリン代の高騰(ロサンゼルス地域では1ガロン6ドルを超えた!)とインフレ、そして金利の引き上げで、アメリカの経済は今やデプレッション寸前の危機。それに加えて国境警備皆無状態、警察予算削減で悪化する都市部の治安。バイデン爺はすべてプーチンが悪い、コロナのせいだ、と言っているが誰も爺のうわごとなど信じてはいない。この間など爺はガソリンの値段を下げる方法と言って、石油会社に値段を今すぐ下げろなどと信じられないほど馬鹿なことを言った。ここまでくると耄碌爺の妄想としか思えない。うちの認知症の爺さんですらそんな幼稚園児みたいなことは言わない。

という状況にあるので、民主党は次回の選挙で大敗北するのではないかと恐れている。それで民主党は話題を変えようと必死なのだ。しかし人工妊娠中絶や銃規制にのみ焦点を当てて選挙運動をしたら、それこそ勝てる選挙も勝てなくなる。なぜならこれらの問題は、過去に何度も議論され、何度も有権者から無視されてきた問題だからである。

アメリカ人の殆どは中絶の完全禁止を求めてはいないが、かといって何の規制もない法律を求めているわけではない。ロウ対ウエイドが覆されたからといって自分らのこれまでの生活に全く影響が及ばないことを学べば、ほとんどの人は興味を失くすだろう。

銃規制にしても、過半数のアメリカ人は市民が銃を持つ権利を保証する憲法補正案第二条を信じているし、警察予算が削られ自分らの住む地域での治安が目の当たりに悪化している中で護身用の銃を手放したいと考えている人など先ずいないだろう。だからアンケート調査では銃規制は厳しくすべきだと応えたとしても、実際に市民から銃没収を唱えるような議員には投票しないのである。

ところで面白いことが起きている。バイデン政権がラテンアメリカからの違法移民を放置している理由のひとつとして人種配分を変えることがある。すでにアメリカではあと10年もすれば白人の数よりも少数派すべてを合計した数の方が多くなり、そのうちラテン系が大半を占めるようになることが解っている。ラテン系は伝統的に民主党に投票するので、ラテン系の人口が増えれば必然的に民主党が政権を握ることになり半永久的に民主党政権は安泰となる、というわけである。だが果たしてそうだろうか?

ここで忘れてはいけないのは、ラテン系、特にメキシコ系の人々のほとんどは敬虔なカトリック教徒であるということだ。そして無論カトリックは人工中絶は神に対する冒涜である大罪だという思想を持っているのだ。

何故伝統的にラテン系は民主党に投票してきたのかというと、新移民は言葉が解らないので、地元の権力者の言いなりに投票する。以前にデニーシュ・デスーザの映画でもあったが、多くのラテン系は政治になど興味がない。それで投票用紙の埋め方すら知らない老人などのために近所の民主党活動家たちが個々の家を訪問し、その埋め方を「指導」してサインだけさせて自分らで回収していくというやり方をしてきた。(これは票田収穫と言って違法である)

しかしきちんと移民法に従って市民権を得たラテン系は、そうそういつまでも地元やくざのいいなりにはならない。実際に自分らの頭で考えるようになると、彼らの考えは世俗主義の民主党より保守的な共和党に近いことに気付くのである。

バイデン爺政権が推しているもうひとつのアジェンダがトランスジェンダリズム。先日大学における女性の権利を守る法律タイトルIX(ナイン)のカテゴリーに自称女の男子も含めるという大統領命令を出した爺に、マッチョ文化の強いラテン系が理解を示すとは思えない。

実はすでにラテン系が共和党になびいているという現象は起きている。三月にテキサスで行われた特別選挙で伝統的に民主党しか勝ってこなかった地区でマイラ・フロレス(Myra Flores)というメキシコ移民一世が共和党代表として当選するという快挙を遂げた。テキサスのラテン系が共和党になびいているというのは、この今年一月のCNNの記事にも書かれている。

ローンスターをシンボルに持つテキサス州は保守的で共和党支持で知られているが、メキシコと国境を面していることもあり、田舎の労働層である白人の数が、都市部のラテン系移民とその子孫らによって圧倒されかかっている。そこで民主党は民主党支持者を得る絶好のチャンスとテキサス州南部のラテン系を勧誘し始めた。しかし、、

2016年ヒラリーが33ポイントリードで圧勝したザパタ郡はメキシコとの国境沿いにあるが、2020年には共和党に変わった。ウエッブ郡もう一つの国境沿い地域は2016年から比べて共和党支持が二倍となった。そしてウエッブ郡の南にあるスター郡は2016年から55%もの移動があった。このような大きな移行は全国でも他に類を見ない。

メディアがトランプの国境警備方針を始め、トランプはラテン系を馬鹿にしているとか目の敵にしているとか報道していたにもかかわらず、これらのラテン系はそんな報道には影響されていなかった。その理由について大のトランプ嫌いであるCNNはこう語る。

答えは簡単だ。南テキサスの住民は自分らのラティノとか移民だとは考えていないのだ。それで投票はトランプの発言を元にしていなかった。彼らは自分達をテハーノスと呼び、その多くがアメリカ合衆国に六世、七世、中には八世と言う人も含まれる。

中には全く移住しなかった家族もいる。昔のことわざにあるように「私が国境を越えたのではない、国境が私を超えたのだ」。1845年にアメリカはテキサスを手に入れた、それですでにメキシコからの分離を望んでメキシコ北部に住んでいた人たちはアメリカ領土に住むこととなったのだ。

今ラティーノと呼ばれる新移民と違って、昔の移民子孫テハーノたちは地元文化への融和に努めた。当時の社会がそれを強要したのだとCNNは悪いことであるかのように書いているが、多くのテハーノ達はスペイン語を話すことさえ辞めてしまった。だから現在のテハーノたちはメキシコからの新移民にはそれほど親しみを持っていないし、ましてや南アメリカのガテマラやハンドラスやニカラグアの人々には親近感など持てるはずがなかった。

そりゃそうだ。我々日本人だって同じ東洋人だというだけで韓国や中国や他の東南アジアの人々と同じ文化を持っているわけではないのと同じことだ。20世紀中盤の頃になるとテハーノたちはチカーノと呼ばれるラテン系新移民たちとは距離を置くようになり、なんとテハーノの98%が世論調査で自分らの人種を「白人」と答えているという。

こうしたテハーノとチカーノを一緒くたにラテン系枠として圧倒的に民主党支持をするに違いないと考えて来た民主党は考え直す時が来ている。

私はCNNの見解とは違って、世俗的になっているテハーノ達よりも、かえって伝統的な家族愛を重視しているチカーノ達の方が共和党に共感する可能性が高いと思っている。前回の選挙でもバイデン支持者は少数派よりも郊外の白人女性が圧倒的に多かったからだ。

民主党は白人は共和党を支持するとなぜか思っているようだが、共和党支持者は人種関係なく、共和党の保守的思想と政策に共感を持つ人々なのである。そのことを両党とも考慮して、共和党は保守思想を抱く少数民族へのアピールを今後とも強化すべきである。

今回のロウ対ウエイド撤廃判決は、ラテン系有権者の票獲得には共和党にとっては非常なチャンスなのである。


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イーロン・マスク、ツイッター買収に成功!発狂する左翼リベラル

いやあ、本当に起きてしまった。世界一の大富豪(世界一かどうかは解らないが)テスラの社長、イーロン・マスクが遂に重役たちの努力も空しくツイッターを買い取ってしまった。いったいこれは何を意味するのであろうか?

マスクは常々ツイッターの検閲に批判的な発言をしており、ツイッターは誰もが好きなことを言える公共の意見交換の場所であるべきと言っていた。それ自体全く悪いことではないはずなのだが、なぜか左翼リベラル達が発狂している。笑っちゃったのはMSNBCのアリ・メルバーの発言。ツイッターで上がってきたのをRicky Elwood(@David_R_Stanton)さんが解説してくれてるのでちょっと引用。

もしあなたがツイッターあるいはフェイスブックをまるごと所有しているならばあなたは自分の事を説明する必要はありません。透明性を保つ必要すらありません。

あなたはある政党の1人の候補者あるいは全ての候補者あるいは全ての指名された人々を秘密裏にバンする事が出来ます。あるいはあなたはこっそりと彼らのスピーチやニュース(stuff)の登場機会をこっそり減らして、他の誰かの登場機会を増やす事だって出来るんです(ラジオのボリュームを絞ったり上げたりする手真似)。

そして視聴者はその減らされた人々については『選挙が終わるまで』見つけ出す事すら出来なかったかも知れないんです。イーロン・マスクはこれ(ツイッター買収)は全て国民を助けるためであると言っています。何故ならば彼はただ『言論の自由、哲学的に明快で開放的なマインドの助力者に留まっているから』です。

原文にはないが、音声がないと解りにくいので皮肉で言ってる部分は『』をした。メルバーは自分が何を言ったかわかっているのだろうか?これはまさしくツイッターが過去4年間にわたってやってきたことではないか。

2020年の選挙運動期間、ハンター・バイデンのスキャンダルを報道したワシントンポストの口座を凍結。民主党による不正選挙の話をするとすぐ削除されたり注意書きが付けられたりした。

コロナ禍ではワクチン推進以外のツイートはどんどん偽情報だと言って排除。イベルマクチンやハイドロクロロキンの話など名前を出しただけで要注意扱い。

リア・トーマスは男性だと言えば、数日間の謹慎処分!

そして極め付きは現職大統領のアカウントを永久追放。

左翼リベラル連中は普段は言論の自由だの表現の自由だの言ってるが、実際にはそんなものは信じていない。実際「民主主義を守るために言論の自由を許してはいけない」なんて本気で言う人が出てくるくらいだ。メルバーが焦っているのはツイッターがこのような言論統制をすることが今後難しくなるかもしれないということだ。

実際マスクが本当に主流メディアと違う意見のツイートを許すようになるのかどうかは解らない。もしかしたら彼は口先だけなのかもしれない。しかし、少なくとも今は、左翼リベラルたちの発狂ぶりをみるのは愉快である。こちらLibs of TikTokが集めた「ツイッター辞めた!」宣言のまとめ動画

まあ多少は辞める人もいるだろうが、トランプが勝ったらカナダに移住すると言っていた芸能人のほとんどがそんなことをしなかったのと同じで、大抵の人は辞めないだろう。何故かと言えば、マスクは左翼リベラルの発言を検閲すると言っているのではなく、左翼リベラル以外の発言を許すと言ってるだけなので、よく左翼活動家たちの使う言いかたを使わせてもらうならば、「私が自分の意見をツイートしたからといって、あなた方に何の弊害があるんですか?」

付け足し:今ツイッターで非常に興味深いツイートを見つけたのでこれも紹介しておこう。ツイッタラーさんはカン・西田@KanAugustさん。

本日オバマ元大統領がスタンフォード大学を訪れ、検閲の大事さを演説した。その理由について西田さんはこう語る。

なぜこのタイミングでオバマがスタンフォード大学の学生たちに 「言論の検閲」の必要性を訴えたか。 それは、この大学の多くの学生がシリコンバレーテック企業の有望社員として就職していくから。つまり、イーロン・マスクのような「言論の自由」を求めるトップに抵抗し、 内部で勝手に「言論の検閲」を行え、というメッセージ。 それだけ、「彼ら」にとっては自由に話されると困ることがあるということ。

リンク先の動画でスタンフォードの教授が”disinformation”(偽情報)という言葉を用いて、次の世代が偽情報と闘かわなければいけないと強調している。しかし彼らの戦い方とは、偽情報と彼らが判断した情報を検閲し、誰にも見えなくすることだ。

わたしは前々から言って来たが、偽情報と闘えるのは正しい情報だ。もし誰かが「バイデン爺さんはファシストだ」と言ったら、それを検閲するのではなく、何故バイデンがファシストではないのか論理だてて反論し、周りを説得すればいいのである。すべての情報を公開して、人々が自由に何が正しいのかを判断できるようにすることこそ民主主義の基本のはずだ。

それにしても以下に左翼リベラルが言論の自由を恐れているかが良く分かる今日この頃である。


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トルドー首相が緊急事態法を撤回した本当の理由

昨日カナダ人ニュースさんがトルドーが緊急事態法を撤回したという話をしていて、その理由として下院の決定を上院が承認しない可能性があるからだと説明していた。それというのもカナダの議会は下院は選挙で選ばれた議員たちだが、上院はトルドー首相の任命よって議員が構成されているが、普段ならトルドーの意志通りに動くはずの上院で緊急事態法に反対する動きが目立ち始めていたからだ。トルドーのいうことを聞くはずの上院が法律を棄却した場合、トルドーは大恥をかくことになる。

しかし、実はもうひとつ非常に申告な問題が持ち上がった。こちらがそれ。

信頼できる情報源によると、カナダの銀行から莫大な額の資金が流出したため、トルドー首相は緊急事態法を断念せざるを得なくなったという。カナダ人は、トルドー首相が裁判所の命令なしに銀行口座を凍結したことで、何万人もの人々が米国に口座を移し、クレジットカードも含まれるようになった。カナダ人は銀行口座から全財産を引き出し始め、ほとんどの人は現金に、他の人は金に、そして一部の人はビットコインに切り替えた。米ドルの需要は、この1週間で3倍以上になった。

カナダの銀行では、大量の資金が引き出された。この24時間で500%もの増加があったようである。これが政治家の問題点である。彼らにはこのような決定を下す資格がない。口座の凍結が銀行システムへの信頼を損なうことを知らないのである。 Trudeau氏は非常に深刻な危機を生み出しており、緊急事態法を取り消すだけではすべてが解決するわけではない。トルドーはカナダ経済の中枢に杭を打ち込んだのだから、国際資本はトルドーが政権を握っている限り、カナダを信用することに懐疑的になるだろう。

これは当然と言えば当然の結果だ。実は私も、もし自分がフリーダムコンボイを支持していて一銭でも寄付していたら、口座が凍結されないうちにスイス銀行にでも全財産を送金しておくべきだろうと思っていたのだが、そう思ったのは私だけではなかったようだ。

アームストロング氏も書いているが、トルドーが緊急事態法を撤回したからといって、カナダドルの流出に歯止めがつくとは思えない。なぜなら、ほんのちょっとトルドー政権の政策を批判したというだけで、何の罪も犯していないのに突然トルドーの一存で全財産が凍結されるというなら、今後もそのようなことが起きる可能性は多いにある。そんなところに全財産を置いておくのは危険だと市民の誰もが思ったことだろう。

トルドーは本当に馬鹿だ。カナダで前代未聞の大規模抗議デモが何週間にもわたって起きたのに、その指導者と対話して妥協案を練るどころか、指導者たちをバンバン逮捕して、生活の糧を奪い銀行口座まで凍結などという過激な方針に出た。普段から少数派の人権がとか労働者の味方とか言いながら、彼らがちょっとでもトルドーに歯向かったと思ったら、ナチスドイツさながらの独裁政策。今回フリーダムコンボイを支持した国民は、もう2度とトルドーを信用しないだろう。

緊急事態が撤回されたとなると、その間に凍結された口座はどうなるのか、逮捕された人々の身柄はどうなるのか、今後も油断は許されない。

フリーダムコンボイは終わりをつげ、抗議者たちは家に帰った。しかし戦いは終わったわけではない。第一ラウンドはトルドーが獲った。だが第二ラウンドはトルドーの負け。次はワクチン強制をどうするかにかかってくる。


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TRAなんて存在しない?左翼人権屋の典型的お惚け理論

アップデート:自称トランス女性の性犯罪率について最後に書き加えておく。

私は別にフォローしているわけではない誰かのツイートが上がってきた。なんだかおかしなことを書いてるなと思っていたら、自分のブログにまとめてあるから読め、と誰かに言ってたのでちょっと読んでみたら、なんか見覚えのある文章がいくつか引用されていた?あれ?これって私の文章?と思ったらやっぱりそうで、しかもそれが、トランスフォーブ(トランス恐怖症)達の本音」として紹介されていて笑ってしまった。

本音というからには普段はそれを隠していると取れるが、私のトランスジェンダリズムに関する思想は昔からさほど変わっていないし、ブログでもツイッターでもずっと「本音」しか書いてない。だからこの言いかたは非常におかしいと思う。まあ自分が常に嘘ばかり書いてるから他人も本音と建て前は違うと思うのも解る気はするが。

この鴉の爪というブロガーの主張は、

  • トランスジェンダリズムなどという思想は存在しない
  • TRA(トランス人権活動家)などという人たちも存在しない
  • 女子専用施設に自称女の男性を許容しても女性達に危害は及ばない
  • であるから外見が女性に見えるトランスは女子施設を使えるべき

というもの。

現実に自称トランス「女性」という女装男による凶悪な犯罪を何件も読んで来た私から言わせると、こういう発言は英語でいうところのガスライティングとしか思えない。ガスライティングとは昔のイギリスの戯曲で、妻の資産を横領しようと企む夫が、出かけると称して屋根裏に隠れ、妻の所持品を隠したり置き場所を変えたりして妻を狂気に追い込もうとする話から来る。戯曲の題名は昔の家はガスで明かりを灯していたが、一つのライトで火を灯すと他のライトの火もかすかに揺れることから、自分と使用人しかいないはずの家でライトが揺れることに妻が気付くシーンから来ている。イングリッド・バーグマン主演の映画が有名だが、私は別のイギリスのプロダクションでも観たことがある。なんてことは余談だが。

要するに鴉の爪は現実に起きている女装男による性犯罪は我々による被害妄想であり、そんな存在しない犯罪を恐れてトランスジェンダーを「排除」しようとするのは差別だあ~というものだ。

さて、鴉の爪が特に問題だとしている私の主張を簡単に説明すると。

  • 性犯罪を犯す90%以上が男性であり、性犯罪者=男性という構図は統計上事実である。男性を女子空間から締め出すことは差別ではなく最低限の防犯である。
  • 既存の法律で男性の女子専用施設への立ち入りは違法であるが、それを合法とすればLAのWiSp事件のように現状の性犯罪が犯罪として取り扱われなくなる。
  • トランス女性は女性ではなく、ただの女装男性である。彼らを女性と認めろと要求する行為そのものが男尊女卑以外のなにものでもない。もしトランス女性が自分らが本当に女性だと思っているなら、男性が女子専用施設に入りやすくなる法律を歓迎するはずがない。

それに関して鴉の爪は「彼ら彼女らが求めているのは『風紀を撹乱する性犯罪者の取り締まり』に近いものであり、女性への性犯罪対策であるから、当然に議論の余地無く「正義」であると確信していることがわかります。念のため書いておきますが、筆者も性犯罪対策は議論の余地無く正義だと思っています。当たり前ですが、このような論理は二重三重に事実に反しており、完全に誤っています。」という。

私が示した上記の三つの項目のうち二つは事実に基づくものなので、誤りであると言われても困るのだが、その根拠として鴉はこんなことを言う。

第一に、性犯罪者の90%以上が男性なのは事実ですが、このような議論は「全男性の何%が性犯罪者であるか」を(意図してかしないでか)無視しています。こちらの記事によれば、2019年に検挙された男性性犯罪者は約6000名であり、これは日本の総成人男性人口(約5000万人)の0.012%に当たります。仮に暗数が膨大で、実数がこの10倍あったとしても、0.12%です。これは貴方が男性で、1000回ランダムなトイレに入ったら、一度顔を合わせるか合わせないか程度の確率ということです。

誰も男性すべてが痴漢だなどとは言っていない。男性のすべてが痴漢ではないが、痴漢のほとんどは男性だと言ってるだけ。中学生から20歳まで日本の電車で毎日のように痴漢にあった私にそんなことを言われても空しいとしか言いようがない。じゃあ私のあの体験は私の幻覚だったとでもいうのか?痴漢には一度でもあったら問題じゃないか。なにを頓珍漢なことを言ってるんだ。

対策として必要なのは、徹底した検挙と厳罰・精神医療による再発防止、そして何よりも、性犯罪者が犯罪を犯しにくい社会環境を整備することでしょう。勿論、トランスを排除しても解決出来ません。

犯罪は起きてしまってからでは遅い。ともかく防犯を厳格にするのが大事なのだ。我々は特別にトランス女性を排除しろと言っているのではなく、男性体の立ち入りを許してはならないと言っているだけだ。そうでないと、この間大阪の商業ビルで起きたような女装趣味の男が女子トイレに毎週末出没するなどという事件が増えるのは火を見るよりも明らかだ。すでに日本で女装男による女子施設侵入は何件も起きている。今は彼らの行為は犯罪として取り締まられるが、トランス許容を公認すればこういう奴らが堂々と入ってきても誰にも何もいえなくなるのだ、鴉はそういう当たり前の現状を故意に無視している。

第二に、トイレなどの施設をトランスジェンダー男女が利用出来るように開放したところで、犯罪が増加したエビデンスはないと言うことです。

こちらの記事では、アメリカのファクトチェック機関MediaMattersによる、「トランスジェンダーのトイレ利用を許可すると(シスジェンダー男性のものも含む)性犯罪が増加し、治安が悪化する」という「神話」が偽りであり、実際に法施行したアメリカではそのような事態になっていないことが明らかとなっています。

大型デパートのターゲットがトイレや更衣室へのトランス許容を始めた途端に覗きや盗撮事件が増発した事実は私の妄想だったとでもいうのか?だいたいメディアマタースなどという極左翼メディアの「ファクトチェック」なんて全く当てにならない。それにこの記事は2016年のものであり、その後自称トランスによる事件はいくらも起きている。

また、「トランスジェンダリズム反対派」は世界中に存在しますが、彼ら彼女らから「恐ろしく高いトランスジェンダー女性の性犯罪率!」などのデータが示されたことは過去一度もありません。最初のツイート主が言うように、実際に多数の性犯罪が起きているならば、その増加がデータとして表れるはずですが、そういった報道は一度も無く、代わりにTwitterでの真偽不明な痴漢発生事例などが何度も何度もピックアップされ、限られたクラスターの中でのみ繰り返し流通しています。

ローリング女史叩きでも解るように、今の欧米リベラルメディアが自認トランス女性の性犯罪など公表するわけがない。第一自認女性の犯罪はたとえ男性器を使った強姦であっても女性の犯罪として登録されるなどという気違い沙汰が起きている以上、実際にトランスによってどれだけの犯罪が起きているのかなどというデータを集めることは容易ではない。また鴉は私が集めた自認女の男による数々の性犯罪事件についても、「真偽不明」などと言って全く取り合わない。

イギリスでは自分はトランス女性だと主張して女子施設への移転を求める男のなんと60%が性犯罪で受刑中という恐ろしいデータがある。普通の男子受刑者の性犯罪者率は18%とかなので、もし移転を希望する受刑者たちの言葉を信じるならば、トランス女性は一般男性よりずっと性犯罪を犯す確率が高いということになってしまう。もし彼らが本当のトランスではなくただのなりすましだったとしても、我々がずっと言ってきているように、トランス許容方針を取り入れると悪用する人間が増えるというのは真実だということになる。こうした頻発するトランスによる強姦に対処するため、あるイギリス刑務所はトランス用収容所を作ったほどだ。

またいち早く男女共用トイレを起用したイギリスでは、今度新しく公共の場のトイレは男女別々にしなければならないという法律が通ったほど。いかに男女共用トイレが不人気だったかが解ると言うものだ。

カリフォルニアでも女子収容所に自称女の男たちが移転された途端に強姦が頻発し、妊娠する受刑者まで出ている。それで刑務所は女子受刑者たちにコンドームを配るなどという対策を取っているというのだから呆れる。

こういうふうであるからトランス許容方針を取り入れても犯罪が増えないから安心しろなどと言われても、目の前で起きている事件を無視しろと言われているだけで、被害にあっている当事者の女性達からしたら空しい戯言に過ぎない。

鴉は長々と記事を書いているが、彼がトランスジェンダリズムもTRAも存在しないとしている根拠はまるで書かれていなかった。存在しないも何も、トランスジェンダリズムとはトランスジェンダー思想のことであり、トランスジェンダーは存在すると信じることだ。だから鴉自身がトランスジェンダリズム信者なのだ。またTRAも我々が言い出した言葉ではなく、単にトランス人権活動家という意味であり、活動家たちが自分らで使ってる言葉だ。

鴉は「何故トランスフォーブとの対話は不可能なのか」と書いているが、先ず相手をトランスフォーブなどと侮辱してしまうのでは、最初から対話をする気がないのは鴉本人だと言わせてもらう。

アップデート:以前にも紹介したが、ここでも改めて自称トランス女性による性犯罪率について紹介しておく。元記事はこちら。イギリス、公共施設での男女別トイレ設置を義務付ける

トランスジェンダーを名乗る男性の犯罪パターンは一般男性と同じか、性犯罪に限っては一般男性よりも高いという調査結果がある。こちらがそのpdf版。この調査のなかで述べられている、ウェールズとイングランドの刑務所収監者のうち性犯罪者の割合について2020年4月の数字をみてみると、

  • トランス女性 79/129人(58.9%)
  • 女性 125/3812人(3.3%)
  • 男性 13234/78781人(16.8%)

この数字だけを見ても、自称トランスが如何に女性にとって危険な存在であるかがわかる。こんな人間を女子施設に移してもいいなどという裁断をする裁判所って何なんだ?


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カイル・リッテンハウスは英雄だ!

二日続けてカイル・リッテンハウスは英雄ではないというエッセーを読んだので、何故カイル・リッテンハウスは英雄なのかという話をしたい。このエッセーを書いたのはナショナル・レビューなどで記事を書いていた保守系政治評論家のデイビッド・フレンチ。フレンチは体制派保守系でネバートランパー。私は今までフレンチの書いたものに同意したことがないが、今回も例外ではない。

まずフレンチはカイルはこの裁判で無罪になる可能性は高いが、トランピスト(トランプ派)達が彼を英雄として担ぎ上げるのは間違っていると始める。裁判が検察側にとって有利に進んでいない理由は、正当防衛法は事件が起きた直前の状況だけを考慮に入れるため、どんな愚か者にでも正当防衛の権利があるとするからだと語る。

フレンチは「ビデオや証言の証拠が見せたものは、危険な場所で混乱して孤立した大人の武器を持った17歳の少年だった。」とし、カイルが男たちに追いかけまわされてペド変態男ジョセフ・ローゼンバウムを撃ったこと、スケボ男のフーバーに殴られて蹴られそうになって撃ったこと、ピストル男のグロスガーツに銃を向けられてグロスガーツの腕を撃ったことを羅列し、直接的にカイルが危険にさらされていたことも、その時点でのカイルの行動は法律上正当であったことも認めながらも、カイルの行動は道徳的に正しくなかったと結論付ける。

フレンチ自身は市民が銃を持つ権利を支持しており、自分も危険にさらされた場合には銃を使ったこともあるという。だが銃携帯とオープンに銃を持ち歩く素人自警団とでは全く話が違うという。そして自分や家族の身が危険にさらされて最後の手段として使うのと、銃を威嚇のために持ち歩くのでは雲泥の差があるというのだ。

そしてフレンチはカイルを英雄のように讃えている右翼連中たちは自分らの子どもに銃を持たせて暴動に送り出すなんてことは全体にしないはずだと言い張る。

カイル君は確かに17歳だったが子供ではない。ウイスコンシンでは16歳以上の未成年がライフルを所持し持ち歩くことは違法ではない。しかもカイル君は大人としてこの裁判にかけられている。彼の犯したとされる罪が大人の犯罪だというなら、彼が地元の町を守ろうとしたことも大人の行動だと認めるべきだ。

アメリカでは18歳から軍隊への入隊が許可されている。第二次世界大戦中は17歳の少年たちが歳を偽って軍隊に入隊するなどということがよくあった。それは何故か?国が危険にさらされていると感じた正義感強い若者が我先にと立ち上がったせいだ。

フレンチはカイル君のような愚かな若者を英雄として崇めたてれれば、これからも多くの若者が同じようなことをするだろうと言う。(メディアが犯罪者のジョージ・フロイドを聖人のように崇めてるようにか?)州が暴動を放置したことは問題だが、訓練もうけてない一般人が武装して町を繰り出したらそれこそもっと危険な状況になるという。(警察がなにもせずに暴徒が町を二日間も火の海にしていたことはいいのか?)

カイル君は治安維持に貢献したり暴動を止めることに役立たなかった、そして二人の人間が死に一人が怪我をするという結果を招き、彼自身がアクティブシューターと化したのだとフレンチは言う。(アクティブシューターとは乱射人間のこを指す。カイル君は乱射などしていない)

フレンチは自分はアメリカ憲法補正案第二条で保証されている一般市民が銃を持つ権利を支持しており、自分も自分や家族を守るために銃を携帯していると自慢しているが、銃を持ってるだけでいざという時に使えなかったら何の意味があるのだ?

ここで憲法補正案第二条をもう一度読み返してみよう。

“A well-regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed.” 

「自由国家の安全のためには統率された民兵が必要であるため、人々が銃を所持し携帯する権利は侵害されてはならない」

ここでいうミリシャ(民兵)とは正規軍や警察のことではなく、ごく一般市民のことを指す。つまりアメリカ人は、いざという時には銃を取って戦う義務を課された民兵とならなければならないという意味だ。このいざという時というのは外敵がアメリカを責めて来た時だけでなく、国内でBLM/ANTFAのような暴徒が暴れて町を焼き払ったり略奪したり殺人を犯したりする時も含まれる。

カイル君のやったことは、まさにこの第二条に書かれていることをそのままなのだ。フレンチが本当に第二条を支持しているならば、そのくらいのことは理解できたはずだ。

カイル君にとってケノーシャは地元だ。父親の家もあり親戚や友達も多く住んでいる。その地元たちが暴徒たちの手で焼野原にされ略奪され地元民の危険が脅かされているときに、正義感強い17歳の青年に黙って家でテレビでも観てろというのか?フレンチは自分にはそんな勇気がないから勇気あるカイル君は愚か者だとさげすむことで自己満足してるだけじゃないか。

多くの人が無視しているが、あの晩武装して町の警備にあたったのはカイル君だけではない。多くのボランティアが銃を構えて警備にあたっていたのだ。その中にはカイル君と組んで警備をしていた元陸軍兵のバルチなどもいた。そして、そのおかげでそれまで酷い暴動が起きていたケノーシャでは、略奪も大きな火災も起きなかったのだ。

ここで1992年に起きたロサンゼルス暴動を思い出していただきたい。あの時ロサンゼルス市内では警察の姿は全く見られなかった。韓国人街の商店は暴徒らに略奪の被害にあった。そこで店の経営者や親せきや家族などが店の屋根からライフルを構えて略奪者に向かって発砲するという事態が生じた。いわゆる「屋根の上の韓国人」たちである。

何日も続いたあの暴動で銃を構えて地元を守ったのは彼らだけではない。わがミスター苺も暴動の真っただ中で自分の住んでいたアパートが脅威にさらされていた。ミスター苺と近所の人たちは自分たちの住居に続く道の入り口にバリケードを作り、ラテン系や黒人や白人のご近所さん達が一緒になって銃を持って暴徒らが道に入ってこないように防衛したのである。

時のLA市長はこれ以上暴力が拡大しないようにと銃砲や銃弾の販売を一時停止した。銃弾が足りなくなったミスター苺の元に遠方から友達が危険を顧みずに銃弾を持ってきてくれた。カイル君よりずっと遠いところに住んでた友達だ。あの時のルーフトップコリアンたちもミスター苺やご近所さんたちも、みんな英雄だ。アメリカはそういう国なのだ。そうでなければならないのだ。

カイル君は英雄だ。そしてカイル君のような若者がもっと大勢街に繰り出して自警をしてくれたら、BLMやANTIFAも手が出せなくなる。左翼暴力団たちが何故我が物顔で略奪を繰り返すのかといえば、左翼政治家たちが警察の予算を削り、ちゃんと仕事をしている警察官たちを人種差別者であるかのように扱って、警察という組織を弱体化させたからである。

警察が頼りにならなければ、地元市民が立ち上がるのは当然の話だ。すべてのアメリカ人がフレンチみたいな腰抜けばかりだったら、アメリカは本物の国内テロリストであるBLM/ANTIFAに乗っ取られてしまうのだ。それでもいいのか?

カイル・リッテンハウスは英雄だ。17歳の青年が、アメリカ人が身をもってアメリカ人があるべき姿を見せてくれたのだ。カイル君が無実となることを切に願う。


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何故保守派は文化戦争に勝たなければならないのか?

先日のバージニア州での共和党圧勝とニュージャージー州の知事選の接戦で我々保守が学ぶべきなのは、文化戦争には勝たねばならないということだ。昨日もお話したように、今回の選挙の争点は義務教育で何が教えられているか、それについて親たちがどれだけ影響を与えられるかということにあった。これは共和党であろうと民主党であろうと子供を持つ親たちにとっては非常に関心のある問題だ。今回のバージニア州での選挙では、2020年の選挙でトランプが得ることのできなかった郊外に住む白人女性達の票がヤンキンに集まったことがヤンキンの当選につながる大きな要素となった。

多くの人は文化がどう変わろうとそれが自分たちの生活に直接かかわってくるという認識がない。しかし最近になってやっと左翼アジェンダがどのように学校教育に悪影響を及ぼしているか、親たちが中心になって草の根運動が起きたことで多くの人が知るに至った。

民主党のしたたかなところは、彼らこそが弱者の味方であり、女性問題にしろLGBTQ+の問題にしろ、マイノリティーの問題は民主党のみが守ることが出来るというイメージを何十年にもわたって作り上げて来た。そして共和党はそれに対してきちんと対抗してこなかった。

共和党及び右翼保守の悪いところは、民主党がどれだけ共和党や保守派に対して間違った表現をしようが、正しいことをやっていれば人々には理解してもらえると思い込んでいることである。

私は昔から右翼保守の態度に非常に苛立ちを感じていた。それは常に左翼リベラルの要求に何も抵抗せずに妥協してしまうと言う点だ。左翼リベラルは昔から言葉をどんどん変えていくという手段で一般人や右翼保守を黙らせてきた。右翼保守はたいていが礼儀正しい人々だし、なるべく波風立てずに生きて行こうとしているので、相手が理不尽な要求をしてきても、さほど自分の生活に影響を及ぼさないと判断した場合には相手のいうことを受け入れて来た。

その最たるものが言葉使いだ。昔アメリカでは黒人のことをアフリカンと呼んでいた。しかしアメリカ人である彼らをアフリカ人と呼ぶのはおかしいということで、二グロと呼ぶようになった。二グロとは単に黒い人という意味でスペイン語のネグロと全く同じ意味。同時期に色のある人という意味でカラードという言いかたもあった。これは二グロよりもちょっと蔑んだ意味があったが、結構普通に使われていた。だが、いつの間にか二グロもカラードもダメで、そのうちブラックと呼ばれるようになった。だがそのうちにブラックもダメで、アフリカンアメリカンとなり、今はそれもダメでピープルオブカラー(POC)となってしまった。

左翼たちがどんなふうに言葉使いを変えていこうと彼らの勝手だが、一般人や右翼保守がそれに付き合う義理は全くない。にも拘わらず自称保守の人たちが進んで左翼の言葉使いに付き合い始めた。アメリカ人にとって人種差別者扱いされることは何よりも嫌なこと。しかも左翼リベラルは右翼保守はみんな人種差別者だと勝手に言い張りメディアもその偏見を常に垂れ流していることでもあり、右翼保守はいかに自分らが人種差別者でないかを証明するために、自分らから進んでリベラル言葉使いをしてきたのである。

右翼保守の愚かな点は、左翼に迎合して彼らの要求する言葉使いをすれば事は済むと思い込んでいることだ。左翼はどれだけ右翼が迎合しようとも、彼らが我々のことを人種差別者扱いしなくなるわけではない。右翼保守は自分らが根は善人だから、自分らが誠意を尽くせば相手も解ってくれるという甘い考えを持っている。左翼は右翼の考えを変えさせようと思っているわけでも、正論を述べて我々に納得させようなどとも思っていない。彼らの目的は相手を完全服従させることにあるのだ。だから彼らの要求を一つでも受け入れればそれは我々にとって一歩も勝利の道へと繋がらない。単に足場を一つ失うだけである。

ドナルド・トランプが政権を握っても、アメリカ文化左傾化の勢いは弱まるどころか、その勢いはさらに増した。学校では批判的人種理論がどんどん広がり、LGBTQ+のアジェンダがどんどん過激化してしまっている。何故我々右翼保守は社会がここまでおかしくなるまで何もせずに指をくわえて見ていたのか?

ヤンキンがトランプがとらえることのできなかった郊外の白人女性達の心をとらえられた理由は、人々の心に響くメッセージを持っていたからだ。今度のことで共和党は考えを改め、人々が直接興味を持っていることに重点を置いて、共和党こそがその問題の解決に取り組むことが出来ると積極的に人々にアピールする必要がある。正しいことをやっていれば人々は解ってくれるなどという甘い考えでは駄目である。


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なぜ保守派は文化戦争に勝てないのか?マサチューセッツ州の「トランスジェンダー反差別法撤廃の失敗」から学ぶ

先ほどツイッターで誰かがトランス活動家のプロパガンダ誌に掲載された記事を紹介していた。そのピンクニュースの記事などうでもいいのだが、そこで取り上げられていたマスレジスタンスという過激保守派サイトの記事は興味深い。それは2018年の11月、マサチューセッツ州にある反トランスジェンダー差別法を撤回させようとして失敗した保守派の反省文と言っていい。Analysis: MA voters pass trans law by large margin! (massresistance.org)

マサチューセッツ州(MA)にはトランスジェンダー反差別法なるものがあり、トランスを本人が自認する方の性別で扱わないと罰せられ罰金を課されることもある。去年の11月にその法律を撤廃しようと保守派の親家族グループによる動きがあったが、州民投票で撤廃派の試みは68-32で惨敗した。

LGBTロビーはこの問題はLGBTの人権問題だとし反対派は反人権派だと決めつけた。しかも撤廃派の20倍にあたる5.7百万㌦という支援金を集め、テレビコマーシャルや個別訪問など非常に組織的で効果的なキャンペーンを実行。もちろん主流メディアも活動家に友好的な報道をした。

それに比べて撤廃派の保守派グループのキャンペーンはお粗末なものだった。マスレジスタンスはどちらかというと過激な保守派団体のようで、今までのおとなしい保守派のやり方にかなり不満を持っているようだ。同記事は先ず保守派の「お手洗いでの安全性」を主題にした作戦が間違っていたと指摘する。

著者は反トランス法によって女子トイレの周りに変態がうろうろするとか、女性のプライバシーが侵害されるとかいう議論にばかり終始してLGBT側の人権に関する反論を全くしなかった。異様なトランスジェンダリズムに関する議論も全くせず、単に「トランスジェンダーの権利はすでに守られているので新法は必要ない」とするに留まった。また保守派側は支援金を少額しか集められず、これと言った団体からも支持されなかった。

同記事は組織的なLGBT活動家と立ち向かうためには、このようなおとなしいやり方ではなく、もっと攻撃的に相手の詭弁をひとつひとつ壊していく必要があると主張する。マスレジスタンスが注目すべきとしたのは次の三点。

  1. この法律とLGBT人権とは無関係であること
  2. トランスジェンダリズムは精神障害であり、破壊的な思想であること
  3. この法律は男が女になれるという偽りを人々に受け入れさせるものであること

マスレジスタンスというグループは保守派ではあるが、この記事を読む限りかなり過激な思想を持っているように思う。要するに彼らは既存の「女性の安全やプライバシーを守る」というような生易しいメッセージではトランス活動家たちを倒すことは出来ないと言っているわけだ。なにしろ相手は我々を少数派の人権を踏みにじる冷血な差別者であると位置づけているのだから、こちらも同等にLGBT活動家の異常さを全面的に出して戦うべきだという考えだ。

マスレジスタンスは保守派のおとなしいやり方に苛立ちを覚えているようだが、一方でLGBT過激派の活動はその過激性を増しており、一般に差別はいけないと思っていた人たちの間でも、何かおかしいという気持ちが芽生え始めている。LGBTですら一枚岩ではない。

だから私はLGBTを一緒くたにして異常だとするようなキャンペーンは逆効果だと思う。それより伝統的には左翼と言われてきたフェミニストやLGBの人たちとも連帯して、この問題は右翼とか左翼ではなく、常識対異常との戦いなのだということを地道に説得していくことが大事だと思う。


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違う意見を絶対に許さない不寛容なリベラル、ヒップホップ界の宇多丸とDJOasisの違い

ツイッターでヒップホップ歌手の宇多丸という人のラジオトークが上がってきた。彼が自分の番組で音楽仲間のDJ Oasis(以後オアシスと略)という人のトランスジェンダーに関するツイートについて批判したものだ。宇多丸はかなり辛辣にオアシスを批判していたので、いったいどんなひどいことをツイートしたのだろうか読んでみたら非常にまともなことをしか書いてなかった。では先ず問題とされたオアシスのツイートより。

DJ Oasis
@djoasisthefunkp
·
Sep 27
「トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして」を観た。これを観ればこれまでの辛い環境、差別的歴史、守るべきTの人が居る事が当然理解出来る。ここに出て来る人達は皆守られるべきTの人だろう。問題なのはTという事を利用して性犯罪やスペースの侵害をしようとしている人間が居るという事。

犯罪は性別、性自認、時と場所を問わず問題提起されるべき事。Tという事を利用され犯罪を犯そうとしている人間に対しTの人達は当事者としてもっと問題提起するべきなんじゃないか?そして生物学的女性への差別、侵害、それも問題提起していいんじゃないだろうか?

この作品に出てる人は明確な考えを持ち発言も出来る人。ならば自分達の権利だけでなく多くの問題提起も出来る人達なんじゃないだろうか。Tが利用され起きる犯罪を無くす為、生物学的女性と共生出来るコミュニティを作る為に世を変えるのはこういう当事者の人達がその発言をする事なんじゃないだろうか

何故当事者にはそういう発言をする人が少ないんだろうか。何故どんな事も「差別」「差別者」で済ます人が居る事に「それで終わらすべきじゃない」とメッセージを出さないんだろうか。そういう点がこの作品に無かった事が残念だ。自分は勉強不足の人間だ。でも勉強不足の人間から出る率直な意見なんだ。

これのどこが悪いのか私には解らないが、宇多丸が何故これが差別的だと思ったのか、彼の長ったらしいトークから抜粋しよう。宇多丸はつい最近までトランスジェンダーに関してはほとんど何も知らなかったとしたうえでこのように述べる(強調はカカシ)

当然、この番組はカルチャーキュレーション番組、文化の番組ですけども。だからこそ、そういうところの勉強は怠らない。それはもちろん今後も、たとえばジェンダーのこと、たとえばセクシズム的なこと、性差別に関しても私は昭和のシス男性で……シスジェンダーというのはつまり、自分の性自認と生物学的な性別が一致しているということですけども。

まあ、多数派にして男性ということで、この社会の中でははっきりと抑圧をするような立場であって。我々は……図らずもですよ? 自分がそう意図をしていなくても、社会の構造として。というので、とにかく謙虚に耳を傾け、勉強していくことは必須であろうと。(略)

(オアシス)自身も「トランス差別をしている」という意識とか意図はないと思うんですよ。彼の言っていることはいわゆる「セルフID危険視論」っていうのがあって。要するに自分で性自認を決められるということにあると、たとえば……これはその方々の主張ですよ? たとえば、そういう女性に限定されるような空間……たとえば公共浴場であるとか、そういうところに「私は女です」と勝手に自ら言っている男が入ってきて、性暴力とかそういったことが起きてしまうではないかっていうようなことを言っているんですが。

でも、この論理自体もパッと聞いて「あれ?」って思う人、いると思うんですけども。「あれ? その性暴力をしているのは『男』なのでは?」っていう。「トランスジェンダー女性」には何の責任もないことですよね。女性に嫌がらせをしたいとか、性的に何かをしたいっていう意図で性別移行をする人って、いないと思うんですけども。だから、それをやるのは明らかに「男性」ですよね。おそらく、それは「シス男性」ですよね? なので、ちょっとそれは問題の論点が違うだろうと。

もちろん、たとえばそういう危険性をどう防ぐのか?っていう個別の議論はあってしかるべきでしょうし。女性が安心していろんなところに行けるっていうのは当然、あれでしょうけども。そのことをトランスジェンダーという人々に対して責を負わせるというのは完全に筋違いですし。

宇多丸はオアシスの書いた文章を読んだのだろうか?オアシスの発言にはトランスジェンダーへの差別的なものは何もない。トランスジェンダーの人たちには差別されている人もいるだろうし辛い環境の人もいるだろうとしたうえで、トランスジェンダー界隈の人たちこそ、積極的に性犯罪を犯す自称トランスたちを批判すべきなのではないかと問題提起をしているだけだ。差別だ差別だと騒いでいるだけでは理解は得られないと言っているのだ。

宇多丸もオアシスが観たという「トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして」 を観たという。宇多丸の傲慢なことろは、同じ映画を観たひとは全く同じ感想を持つと思い込んでいる点だろう。同じものを観ても全く違う印象を持つ人や意見を持つ人がいるなど信じられないようだ。それでオアシスとは何度かコラボをしているというのに、このままオアシスの意見が変わらないのであれば今後一緒に仕事はできないだろうなどと言っている。多種多様を常に言っているリベラルにしては偏狭だな(皮肉です)。

宇多丸はオアシスが前記のツイートを訂正して謝罪すべきだと言う。

だからちょっと、わかりません。ここから先は。どういう風に、オアシスさんがどの程度考えを改めてくれるとか……それは彼の問題でもあるので。あるいは、ちゃんと訂正をして謝罪をしてくれるところまで行くのかはわかりません。僕としてはそこまで行かないとこの件は決着がつかないと思うけど。で、これを今、放送上で言っていることでちょっと刺激しちゃっているところもあるかもしれないけど。でも僕は、話ができる仲間だと信じたいというか。ヒップホップシーンの自浄の力を信じたいというか。進歩する力を信じたいというか。僕らの世代のヒップホップをやっている人間であってもね。ここんところ、評判が悪かったから。

オアシスの他のツイートを見る限り、彼の考えは結構一貫して保守的なので、彼がこの発言を本当に悪いと思って撤回するとは思えない。もしそれをするとしたら、宇多丸みたいな音楽関係の人たちから撤回しなければ今後仕事はしないというような圧力をかけられた場合のみだろう。

オアシスがツイートしたのは昨日のことなのでまだどうなるか解らないが、アメリカで芸能人がこういう発言をしたら即座にキャンセルされるだろう。日本ではまだそこまで行っていないのだとしたら非常に喜ばしいことだが、宇多丸のような同じ業界の人たちがオアシスに撤回しろ、謝罪しろ、と圧力をかけたらどうなるかは分からない。オアシスという人がどのくらいその業界で顔が効くかにもよるが、彼のキャリアに響く可能性はある。

以前にも言ったがトランス界隈は絶対服従を求めるので、どれほどトランスジェンダーに理解を示しても、最後の最後まで100%服従しない人間には容赦がない。オアシスさんがその圧力に負けないことを祈ろう。


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何故弱者の味方のはずの左翼がトランスジェンダリズムを使って女性を弾圧するのか?ヒント、その前提が間違っているから

森田成也著の「トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――」というエッセーを読んだ。左翼の立場からトランスジェンダリズムを批判している面白いものだったので紹介したい。

森田はマルクス主義者の立場から何故マイノリティーの味方であるはずの左翼リベラルがトランスジェンダリズム(以下TRAと略)を使って女性を弾圧するのかについて語っている。彼に言わせると左翼こそが女性の味方をすべきだというものなのだが、長年左翼思想を観察してきた私から言わせてもらうと、左翼が弱者の味方であるという前提が間違っている。

先ず森田はTRAの性自認を人種差別と比べてこう語る。

たとえば、アメリカ合衆国で黒人であるということは、過酷な奴隷制度のもとで虐げられてきた歴史的過去を有し、今日なお日常的に暴力と差別を受け、しばしば警察官に撃ち殺される恐怖の中で生活することを意味します。そうした状況の中で、アメリカ白人として生まれ白人として育った人物が、すなわち白人としてのあらゆる社会的・人種的特権を享受してきたものが、「自分の心は黒人だ」と称して、髪の毛をドレッドヘアーにし、顔を黒く塗り、ストリートファッションで身を固めて、「俺を黒人として扱え、さもなくば差別主義者だ」と言い出し、少数人種のためのさまざまな制度やアファーマティブ・アクションを利用し始めたらどうでしょうか? 明らかにこれは許しがたい簒奪だとみなされるでしょう。さらにこの「トランス黒人」が、黒人として生まれ育って差別と抑圧を受けてきた人々に対して、「君たちはシス黒人にすぎない。シス黒人はシス特権を持っているので、トランス黒人に対しては抑圧者であり、マジョリティ」だと言い出したら。どうでしょうか? これほどバカげた途方もない差別的主張は存在しないと思うでしょう。ところが、それが性別になると、突然そうした主張が全面的に正当だとみなされて、マイノリティ運動の支持者や左翼がこぞってそれを支持し、それに異論を唱える女性たちが逆に差別者扱いされるのです。これほど理不尽なことがあるでしょうか?

たしかに黒人が歴史的に差別されてきたというのは事実だが、いまでもひどい差別を受けているというのは真実ではない。また日常的に暴力にさらされていることや、警察官に撃ち殺される恐怖というのも、黒人同士の暴力沙汰が非常に多いからであって、白人による黒人差別が原因で起きていることではない。

アメリカでは混血の人が非常に多いので、奴隷制度時代の一滴でも黒人の血が混じっていれば黒人という理屈で、自分は黒人だと言い張ってアファーマティブアクションの恩恵を受けようとする白人が結構いる。いや、それどころか一滴の血も混ざってないのに黒人だと称して黒人運動に参加した人たちまで居るのだから面白いもんだ。黒人が白人よりも不利な立場にいるのなら、何故白人が黒人の振りをするのか考えただけでもおかしいとおもうはず。

それはともかく、白人が黒人を「自認」することは許されないのに、男が女と「自認」しただけで、社会がその男を女扱いしなければならないというのは理不尽だと森田は言う。たしかにそれはその通りである。しかし、ではなぜ左翼リベラルがこの不思議な思想を推し進めるのか、それについて森田は言及する。強調はカカシ。

まず第1に、進歩派・左派の当然の価値観としての「多様性の尊重」「マイノリティの権利擁護」という常識が悪用されていることです。生物学的に男性であっても男性らしい格好や生活スタイルを取らない人でも個人として尊重されるべきこと、トランスセクシュアルやトランスジェンダーであることを理由に職場や教育などで不当な差別を受けるべきではないこと、これらはすべて当然のことです。しかし、トランスジェンダリズムが主張するのはこうした水準(個人の尊重としての自由権)から完全に逸脱して、女性を自認ないし自称する人はすべて法的・社会的・制度的にも「女性」と認めなくてはならず、そうしないものは差別者として排除されるべきであると主張しています。これは「多様性の尊重」ではなく、多様性の根本的な破壊であり、「マイノリティの権利擁護」ではなく、女性というマイノリティへの攻撃です。「多様性の尊重」や「マイノリティの権利擁護」という入り口から入ってきたこの全体主義思想は、多様性を破壊し、他のマイノリティを解体しつつあるのです。

森田はTRAだけが特別な思想だと思っているようだが、「多様性の尊重」や「マイノリティの権利擁護」が左翼革新派によって悪用されなかったことなどないではないか?不寛容も多様性の一種だとして受け入れれば不寛容が横行するのは当然の話だ。だから多様性などという訳の分からないものをむやみやたらに受け入れてはいけなかったのだ。また、左翼による「マイノリティの権利擁護」は単に少数派を特別扱いするためだけの方針で、それによって少数派の暮らしが楽になるとか、社会的地位を得られるとかいうものでは決してない。それどころか、その特別扱いにしがみつくことによって独立できずに政府に頼り切りになる少数派が多く居る。90%以上の黒人が町を悲惨な状況にしている民主党議員に性懲りもなく投票し続けているのを見れば一目瞭然だ。

森田は左翼がTRA思想を簡単に受け入れた理由として左翼が女性を被差別集団とはみなしていないのではないかと語る。

しかし第2に、より本質的な理由として、左翼の中でもいまだ女性は、本当の意味で被差別集団・被抑圧集団とは結局みなされていないという問題が存在します。多くの左翼は性差別に反対だと主張し、たとえば森喜朗のような保守派の発言に怒りを表明しますが、その多くは反自民という政治的企図にもとづくものです。左派のあいだでも、女性は結局、人種的・民族的少数派と(少なくとも)同程度の被抑圧集団であるとはみなされていないようです。

これは左翼が女性を被差別集団としてみなしていないというよりも、左翼特有の女性蔑視がTRAのせいで顕著になったというだけの話だ。左翼は口で何と言おうと男女平等などという思想を最初から信じていたわけではないのだ。森田も認めているとおり、左翼が女性への侮辱に怒りを表明する時は政治的企図によるものであり、実際に女性のために怒っているわけではない。セクハラ男のビル・クリントンやジョー・バイデンを左翼がずっと黙認してきたことを見てもこれは明らかだ。

左翼の多くは、保守派のようにわかりやすいストレートな女性差別をするのではなく、「トランス女性」(つまり身体男性)を「最も抑圧された集団」扱いするという回り道を通じて女性差別に加担しているのです。これはちょうどセックスワーク論において、「セックスワーカー」の権利を擁護するという建前で、買春者である男性の権利を擁護するのと同じからくりです(実際、セックスワーク論を支持している「人権」団体の多くはトランスジェンダリズムをも支持しています)。

保守派が「ストレートに女性差別をする」という決めつけには笑ってしまう。私は日本の右翼保守が女性をどのように見ているのかはよく知らないが、少なくともネットで保守派思想家の話を聞く限り女性蔑視は感じられない。またアメリカでも右翼保守の男性たちの方が女性を大事にしていると感じる。

確かに保守派には男女が完全に平等だとは考えていない人が多い。しかしそれは、女性はか弱いものだから守らなければならない、母として妻として娘として姉妹としての女性達への尊敬の念から来るものである。女性は卑しいものという軽蔑心から来るものではない。森田は自分が左翼なので、左翼によるミソジニーは左翼の本髄から逸脱するものであると強調するが、私から言わせれば、ミソジニーこそ左翼の本髄だ。

森田はここで「ジェンダーは社会的・文化的構築物」という考えについて、ジェンダーが性別の役割という元来の定義ではなく、生物学的な性までもが社会的構築物だとされはじめたことに関して、非科学的な最たるものだと批判する。

生物学的性別は確固たる物質的現実であって、社会的構築物などではありません。マルクス主義は、自然的・物質的現実を踏まえつつ、その歪んだ解釈を排するのであって、自然的・物質的現実を否定するのではありません(エコロジーを重視するエコ社会主義の思想は、まさにこのような自然的・物質的現実の優位性にもとづいています)。ところがトランスジェンダリズムはその反対のことをします。この思想は、身体的・生物学的性別の現実性を否定する一方で、生物学的に男性でもピンク色やスカートやお化粧や長い髪が好きだから実は女の子だというような発想をします。つまり、性別の物質的現実を否定しつつ、社会的構築物にすぎないジェンダー(社会的・文化的な支配的規範としての性)をあたかも生得的な何かであるかのように扱うのです。これほど転倒した観念論もないでしょう。

そもそもジェンダーなどという造語を作って、男女の差は社会的建築物だと言って来たのは左翼。もともとフェミニストたちが『男と女は違う、それぞれ特性も違うから向き不向きもある。だが双方に同じ機会を与え実力のある人が女性だというだけで道を閉ざされないようにすべきである』と主張してきたのなら別。それを男に出来ることは女にも出来るとか男女の差はないと主張し、特定の分野で女性が少ないと、すぐ女性差別の結果だと騒いできたのも左翼だ。今更ジェンダーとセックス(生物学的性)は違うなどと言い始めて時すでに遅しである。

森田はTRAによるフェミニストや反TRAへの実際の暴力や脅迫についても、これはマルクス主義思想に反するものだと批判する。しかし今欧米などでTRAの味方をして暴力的に反TRAの女性達を攻撃しているのは極左翼でマルクス主義者だと自負するアンティファ暴力団である。もしTRAによる反対意見弾圧がマルクス主義の教えに反するものであるというなら、いったいこの矛盾をどう解決するのだ?

男性は女性にはなれないと言って世界中のTRAから叩かれたJKローリングに関して左翼の腰抜けぶりに森田は怒りを隠せない。

一人の勇気ある進歩派の女性が全世界の何千・何万というミソジニストから攻撃されているとき、新旧左翼は彼女を擁護する勇気をひとかけらも持ちあわせていなかったのです。何と恥ずべきことでしょうか。
 トロツキストはかつて、スターリニストによる世界的な弾圧と迫害のもとでもその正義の旗を降ろしませんでした。その偉大な伝統を復活させる必要があります。

たとえ、既存の左翼陣営から「TERF」や「トランスフォーブ」とののしられても、女性の人権と安全を断固として守り抜くことが必要であり、「TERF」とか「ヘイター」と攻撃されているフェミニストや市井の女性たちと断固連帯することが必要です。どうか勇気を奮い起こし、正義を貫いてください。

森田が左翼としてTRAの行動及びTRAに屈する左翼たちを批判したい気持ちはよく分かるが、もしかしたら、左翼思想そのものがこうした危険分子を生み出しているのではないだろうか?

イギリスやカナダで反TRAの女性たちがどんどん口を閉ざされているなか、彼女達にプラットフォームを与えたのはアメリカでも比較的保守派の団体だった。もしかしたら、TRAは左翼にとっては例外なのではなく、TRAこそが左翼の行きつく場所なのでは?

すくなくとも今まで隠されてきた左翼による女性蔑視が顕著になったことを森田は直視すべきなのではないだろうか?


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トランスジェンダリズムこそ、左翼による反フェミニズム作戦

先日小田急線で若い女性を狙った刃物事件が起きた。私は詳細はしらないのだが、これについてツイッターのフェミニストさんたちの間で「フェミサイド」なる言葉が乱発され始めた。フェミサイドとは英語ではfemicideと綴り女性を暴力や権力で弾圧する行為のことを指すらしい。そしてにわかに対女性暴力や女性差別が話題になっている。

女性虐待といえば、アメリカの左翼はずっと反女性である。左翼は常に弱いものの味方という姿勢を取る。だが実は彼らは権力主義で独裁的で決して弱い者の味方などではない。それは彼らが何を言うかではなく、彼らが何をするかを見ていれば明白である。特に左翼による女性虐待は目に余るものがある。1960年代に始まったフリーセックスや人工妊娠中絶合法化運動など、一見女性の自由を唄っているかに見える政策も、実は無責任な男性が女性を利用するのに便利な政策ばかりだ。

問題なのは、自称フェミニストと言われる人たちが、この左翼による女性虐待に加担して、女性の地位向上よりもマルクス主義推進のために女性を弾圧してきたことにある。しかしフェミニストたちが、どれだけマルクス主義のために戦っても、生粋の左翼はフェミニズムを受け入れて来たわけではない。いや、それどころか左翼はフェミニストを左翼から排除しようと長年にわたりあらゆる反フェミニズム作戦を繰り広げてきた。

2015年にキャロリン・ノーマが書いたこの論文にその詳細が示されている。ちょっと古いが現状にぴったりはまるので読んでみたい。

男尊女卑思想の強い左翼にとって生意気な女たちによる女性解放運動は忌々しいものだった。しかしあからさまにフェミニズムに対抗すれば、少数派への反差別を常に唱えて来た左翼としては弱い者いじめをしているようで世間体が悪い。そこで彼らはこっそりとフェミニズムを排除するための陰謀を企てていた。左翼の作戦は女性同士でも意見が一致しない問題を取り上げて、女たちを互いに対立させることだった。

最初に成功したのは1980年代のポルノグラフィに関してだった。当時フェミニストの間では女性を性対象にして摂取するのは女性への冒涜だという意見が多数を占めるようになっていた。それでそれ以前にポルノは女性解放の象徴だと主張していたフェミニストたちがフェミニズム運動から大量に排除されてしまった。

1990年代になると、それまで売春は女性を弾圧するもで撲滅すべきという主流な主張が、売春も立派な職業でありセックスワークとして受け入れるべきだと主張するフェミニストたちと対立した。

しかし21世紀にもなると、ポルノも売春も女性同士が対立する問題としてはその勢いを失っていた。そこで左翼が持ち出したのがトランスジェンダリズムである。しかし今回は1980年代や1990年代のそれと違い、女性達に同士として忠誠を誓わせるという強硬手段に変わった。

いまや女性を女性だと呼ぶことさえ憚られるようになり、「トランス女性は女性です」を全面的に支持出来ない女性達は講壇の場を失い仕事を失い、トランスジェンダーを批判すれば暴力を振るわれる危険すらある。

ノーマはトランスジェンダリズムはフェミニストを左翼から排除するための作戦だと言う。そしてこれは左翼の強い男尊女卑が根本にあるのだと語る。

トランスジェンダリズムは革新的な思想に動かされた政治的な運動ではない。これは最新の左翼による対フェミニストの武器に過ぎない。グリーンやレイモンドやジェフェリーズやビンデルやブレノンといった底辺にいる女性達の状況を心配している女性達を左翼から排除するために、21世紀の対立の道具として使われているのだ。

トランスジェンダリズムが左翼の男尊女卑から来ていることは間違いない。そうでなければこうも簡単に女性の存在自体を消滅させるような運動が左翼によってこうも熱烈に支持されるはずがないからだ。

興味深いことに伝統的に女性蔑視をしているとされてきた右翼保守達はトランスジェンダリズムに強く抵抗している。自分たちを左翼戦士と思って来た伝統的なフェミニストたちに講壇の場を与え応援しているのは彼女たちが宿敵として嫌っていた右翼保守の男性たちだった。

男女平等を大々的に唱えて来た左翼と違い、右翼保守は男と女が完全に平等だとは思って来なかった。男と女は根本的に違う、個人的な差はありこそすれ男と女では出来ることが違うと主張してきた。だがこれは女性を蔑視していると言う意味ではない。多くの右翼保守男性たちは女性を母として妻として娘として尊重してきた。右翼保守の男性が軍隊に志願するのも、家を守る女たちを守りたいという気持ちからだ。女性はか弱いもの、男性が守るものという騎士道から来る思想である。女性を性欲の対象として隷属させたい左翼の男どもの思想とは雲泥の差があるのだ。

本当の意味で女性の地位向上を求めるフェミニストたちは、今こそ左翼思想を捨て、右翼保守の考えを少し勉強してみる必要があるのでは?


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