礼儀正しくしてる時期はとっくに過ぎた。マット・ウォルシのディラン・モルベイニー批判が意地悪過ぎると批判する保守派たちに反撃するコメンター達

しょっとややこしい題名になってしまったのだが、解りやすく箇条書きにしよう。

  • 数日前マット・ウォルシが「女の子○○日目」動画で一躍スターダムにのし上がった女装男ディラン・モルベイニーの最新の整形後動画に対して、お前は美しくなどないと痛烈な批判をした
  • 対し、リベラルではなく右翼保守のインフルエンサーたちがこぞってウォルシの口調が厳しすぎると批判した。中でも私が愛聴しているイギリス人コメディアン二人のトリガーノメトリー(Trigernometry)がイギリス人特有の皮肉たっぷりの口調でマットを批判した。
  • ところがトリガーノメトリーの動画に寄せられた4000以上のコメントをいくつか拾って読んでみると、マット・ウォルシの意見に大賛成のものばかりだった。

さて、では事の最初からご説明しよう。読者諸氏はディラン・モルベイニーという女装男をご存じだろうか。彼はほんの一年前までは鳴かず飛ばずのブロードウェイ俳優だった。コロナ禍で劇場が閉まり、食い扶持に困ったのか、インスタグラムで「女の子1日目」などといって女性になるための日記を動画に挙げたところ、これが大ヒット。モルベイニーはもともと役者なのでぶりっ子の女の子を演じるのが非常に上手だった。私はそのやり方があまりにも大袈裟だったので、てっきりパロディーだと思っていたのだが、どうやらモルベイニーは本気らしく、すくなくとも本気で自分は女になろうとしているとして、動画上でタンポンの話をしたり化粧品の話をしたりして、いくつもの大手企業のスポンサーが付き、果てはホワイトハウスに招待されて大統領にインタビューするまでに至った。

そして最近彼は顔を女性らしくする整形手術を受けて、その結果をミュージックビデオよろしく発表。そして自分は普通の女性より美しい、女性達の旦那を乗っ取れるくらい美しいというビデオを公開。マット・ウォルシはその動画を観て怒りを隠せない様子で批判したのだ。

ディラン、それが君にとって最も美しい姿だというなら、君の最も醜い姿は想像したくもない。(略)君は男らしくないかもしれないが、決して女らしくもない。君は気味悪く、人工的で、製造され、生気がなく、地に足のついてない、奇形だ。君は何かの人間ディーブフェイクだ。(略)君が得られるものは最高でも良くてちゅうぶらりんだ。しかもそのちゅうぶらりんの状態ですら、君はしょせん男だ。単に誰からも尊敬されず真面目に取り合ってもらえないだけの男だ。

なんとこのマットの動画はツイッターだけでも2億回再生されたのだそうだ。それで無論LGBTQ+αやTRAからの批判がでたのは予想通りのことだが、何故か普段はマットと同意見の右翼保守派の間ですらも、マットの発言は厳しすぎる、意地悪過ぎる、下品だという批判が沸き上がって、日本語で言うところの大炎上である。マットを批判した保守派のなかには私が結構よく聞いているポッドキャスターたちもいたので個人的にはちょっと失望した。

私もよく聞いているユーチューバーのTheQuateringのジェラミーやティム・プールなどがマットの言ったことに間違いはないと認めながらも、言い方が意地悪だとかそんなやり方で相手の同意は得られないとか、特にトリガーノミトリ―の二人の皮肉を込めた批判には苛立ちを感じた。しかしながら、先ほども言ったように、トリガーノミトリ―のコメントセクションの殆どがマットの意見に賛成しているのだ。下記にいくつか拾ってみよう。

ディランは大人の「女の子」を気取る大人の男だ。マットはかなり遠慮しているわ。女性としてこの茶番はもう沢山。親切にしろとか言われたくないわ。

マットはこの馬鹿げたことを終わらるために、この先どうするかを示しているんだよ。彼ははっきりと正直に言えばどうなるかをみせているのだ。

ウォルシは無防備な見解に関して記帳な意見を十分礼儀正しいし優しくのべている。

もう俺たちは「誰かの気持ちを変えさせる」なんて時期はすぎちまったんだよ。奴らは我々の子どもたちを狙っているんだぞ。比喩的にも文字通りにも。

あなたたちはこれに関して完全な見直しをすることが必要だ。マットのあなたたちへの反応はドンピシャだよ。

あなたたちが解らないのは、もうこれはすでに行き過ぎてるんだよ。今更礼節なんて言ってる場合じゃない。もう戻れない地点まで来てしまったんだよ。

まだわからないの?奴らに1インチでも譲れば1マイルとられるんだってことが。マットの言い方は個人的だったかもしれないけど、これはディランみたいなやつらがどれだけ長いこと個人的になってきたかへの反応よ。ただ一つ言い方がまずかったとしたら、キャンセルと言う言葉かしら。人々はもうびくびくしながら歩くのにうんざりしてるのよ。

とまあこんな感じだ。もっともこれらのコメントのなかには、マットのファンもかなり混じっているから、トリガーノミトリ―のファンの本当の意見かどうかは分からない。

実は私もマットと同じ意見だ。私は昔からアメリカの右翼保守は左翼リベラルに遠慮しすぎると思って来た。特に言葉使いに関しては、リベラル達が気まぐれに始める新しい造語を、自分らは差別者とよばれたくないばっかりにすすんで使おうとするのが保守派である。例えば、生得的と言わずに生まれた時に割り当てられた性だの、女性と言わずにシスウーマンだの、ミスジェンダーだのターフだの、我々保守が受け入れるべきではない概念を表す言葉ですらあたかも当たり前のように使いはじめたりする。

その結果我々は何を得たというのだ?敵は少しでも我々の立場を理解しようとしたか?我々に歩み寄ろうとし方?事実はその真逆だ。奴らは余計にいい気になって自分らのより一層理不尽な要求を求めて来る。

あれだけ左翼リベラルとして性的マイノリティーの味方をしてきたJKRだって、ほんの少しの意見の違いでまるで今世紀最悪の魔女のように扱われている。マット・ウォルシがモルベイニーに理解をしめしたところで誰がウォルシを理解しようなどと思うだろうか?

いい加減に誰かが、もうたくさんだ、と声を上げる時なのだ。

ディラン・モルベイニーは女なんかじゃない。奴の整形した顔は美しくない。その厳しい現実を声高に述べることは意地悪でもなんでもない。

いや真実とは時として非常に意地悪なものなのだ。


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家父長制度は男尊女卑なのか

先日杉田水脈議員が国会で2014年に発言した家父長制度と男女共同参画に関するビデオがツイッターで上がってきた。私は日本住まいではないし、日本国内の政治については非常に疎い。しかし私の限られた知識のなかの杉田水脈議員の発言は常に同意できるものばかりだ。これもそのひとつである。

本来日本は男女の役割をきちんとしたうえで女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国です。女性が輝けなくなったのは冷戦後、男女共同参画の名のもと伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等を目指してきたことに起因します。男女平等は絶対に実現しえない反道徳の妄想です。-杉田水脈議員

それで、左翼フェミニストのなかには家父長制度が悪の根源みたいに言う人が多いが、女性は男性が守るべきという社会のほうが、女も男も外で働け!女一人でも子供育てろ!という社会より生きやすいのではないだろうか。という内容のツイートをしたら、私のことを「男尊女卑が身にしみこんでる」と返してきた人がいた。この人と私は普段はトランスジェンダーのことなどで女性空間は守られなければならない、男と女は違うという意見で一致しているのだが、どうも夫婦に関する話題になると突然敵意を丸出しにしてくる。何故左翼フェミニストはこうも男を敵視するのであろうか?

これは非常に興味深い話題だ。家父長制度とは本当に男尊女卑の制度なのか考えてみよう。

家父長制度とは、父方の家系が長男によって受け継がれる制度であるが、日本の場合は婿養子も可能なため、事実上は長女が引き継ぐことも可能だ。確かに昔は長である父親の権限が最高であり最終であるとされており、女性は財産を持てなかったり、発言権がなかったりとかなり男尊女卑な時代もあった。

しかし、戦後の家父長制は単に父方の家系が引き継がれるというだけであり、父親はあくまで家族の代表であり、絶対的権限を持つ長ではなくなった。

フェミニズムが家父長制度を毛嫌いする理由は、これを単なる家族制度と考えず、「男性支配」「女性たちの抑圧」とほぼ同義語として使ってきたからだ。この解釈は明らかに杉田議員の解釈とは違っている。

まず一旦家父長制度という言葉は横に置いて、結婚制度について考えてみよう。

先ず大事なのは結婚は女子供を守る制度だということ。極端な話、男に女子供は必要ない。野生の世界では雄は雌の種付けをしたら、すぐ去っていく種族も多い。人の雄も自然に任せればそういう傾向がある。だから何の規制も無ければ、男は女に飽きたらさっさと去っていくように出来ているのだ。

しかしヒトはそういうわけにはいかない。なぜならヒト科の雌は男性にくらべ弱体で筋力も瞬発力も劣るため雄のように狩をして必要な食料を集めることができない。またヒト科の赤ん坊は他の動物にくらべて非常に未熟なまま生まれてくるため、一時でも目を話すことはできない。だからヒト科の雌と乳児は雄の庇護が無ければ生き延びられないのである。

いにしえの昔から人間社会はそのことに気付いていた。だから男が女を孕ませた後に無責任に逃げてしまわず子供がしっかり育つまで女子供の傍にとどまるために結婚制度というものが生まれたのだ。

確かに肉体的に強い男性が女性を弾圧した時代は長い。しかし現代の日本における家父長制度は男性による女性弾圧の制度ではない。これは男が女を守るというより、結婚制度が女子供を守るのだと言い換えた方がいいのかもしれない。

ところで先ほどの@maikokarino121さんがおもしろいことを言った。

なぜ男が”長”でないといけないのかわかりませんね。役割分担があっても女性が長で問題ありません。うちは世帯主は女ですけどね。安全を守るのは男ではなく警察です。

この「警察」というのは文字通りの「警察」というより政府の象徴と解した方が解りやすい。

以前にもシングルマザーを政府がもっと援助すべきだと言っていた女性がいたが、マイコさんもこうした女性達と同じで、女手一つで子育てをするのは非常に難しいことだと認めている。だが何故か男性の伴侶と一緒に子育てをするのではなく、夫の代わりに政府に面倒をみてもらいたいという考え方なのだ。

家族単位の制度を破壊して社会全体で子育てをするというのは社会主義の典型的な思想だ。

彼女たちは長である男性に決定権を与えたくないと言いながら、政府にその絶対的権力を委ねようというのである。しかも権力者の殆どは彼女達が嫌う男性であると言うことを無視して。

現在の日本における家父長制度の長(世帯主)は、絶対的権力を持ち家族を服従させる立場にある人を指すのではない。彼はあくまで家族の代表に過ぎない。家族がひとつのチームであるとしたら、チームリーダーが必ずしもチームメンバーたちを独裁できる立場ではないことからそれは容易に理解できるはずだ。

ただ長には最終的責任がある。家族で話あって決めたことでも最終的な責任は彼がとらなければならない。だから迂闊は判断はできないのである。私はこんな責任重大な立場になどボランティア(立候補)したくない。頼りになる夫にすべて任せられるならそれに越したことはないと思っている。

日本で男女共同参画なる不思議な制度が起用されるようになって、女性達はそれ以前よりも幸せになったのだろうか?女性の権利はより守られるようになったのだろうか?

私は2008年に、男女共同参画の基盤となっているジェンダ―フリーという思想は女性の権利をまもるどころか文明社会全体を破壊しかねないと警告した。思った通り、男女共同参画によって日本女性たちは女性専用トイレを失い、女湯に男性器付き人間が入ってくる危険にさらされている。男尊女卑だと言って家父長制度を弱体化して母子家庭を増やし、ジェンダ―フリーと言って男女の差を無視した結果がこれである。

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ところで家父長制に関して批判的で、私に敵意むき出しで喧嘩腰に話しかけてくる女性達は、私から見てとても幸せだとは思えない。自分の生活に満足していて幸せな人は他人の何気ない発言に牙をむき出しにして吠えて来たりはしないと思う。

反対に、私と和やかに話をしてくれる人達は、大抵の場合自分の生活に満足している人が多い。もちろん人生色々不満なところはあるに違いないが、自分の不幸せを男性のせいにしてばかりいる女性は幸せになれないような気がする。


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道徳観念がないと理解できない他人の正義感

ちょっと今日は哲学的な話をしようと思う。もっとも私は哲学なんて大学で必須課目を一学期取っただけなので学問としての哲学に関してはほぼ無知である。私が本日話したいのは、もっと一般的な正義や道徳の話だ。

昨日私はツイッター上で渡辺(ツイッターでは白江)直弼というツイッタラーと話をしていて改めて気づいたことがある。それは、世の中には道徳観念というものを持ち合わせていない人がいるのだということだ。普通ある行為が良い行為か悪い行為かを判断するためには行為そのもので判断されるべきだ。しかし道徳観念のない人たちは行為そのものが良いか悪いかではなく、行為を行った主役が自分の仲間であるか敵であるかでその罪が良くも悪くもなると考えるのである。

そう思ったきっかけはツイッター上で回ってきた渡辺によるノートエッセーに私がコメントしたことだった。エッセーというより他人のツイッターをコピペしてその下にちょっとしたコメントを書いた程度のお粗末なものだが、彼はLGBTQがやたらとペドフィリアと結び付けられることに文句を言っていた。

渡辺はLGBTQにはペドフィリアも含まれるという言い方は、LGBTQ以外にはペドフィリアは居ないと言っているのと同じで、ペドがLGBTQ特有の性癖であるかのような誤解を与える悪意のある表現だという。

ドラァグクイーンの中にペドフィリアがいることをどれだけ主張しようが、これは(B)LGBTQを属性として見たときの「含んでいる」を示しているにすぎず、「LGBTQ以外もペドフィリアを含んでいること」を否定できません。この路線で「LGBTQはペドフィリアを含んでいる」と主張することは、過激な差別主義者がやることでしょう。

確かにペドフィリアはLGBTQ界隈の専売特許ではない。悲しいことに異性愛者の男性が女児を性的に虐待するという話はいくらでも聞く。このように忌まわしい犯罪を犯すけしからん輩はどこの世界にも存在する。

問題なのは、こうした行為を目のあたりにした時、人がどのような態度をとるのかということだ。幼児虐待は誰がやっても悪いことだからと告発するのか、それとも同胞がやっていることだからと黙認するのか。

残念ながらLGBT界隈にはその自浄作用が機能していない。いや、それどころか小児性愛はセクシュアリティーの一種でありQueerの一部として認めるべきだなどと平気で言う人までいるのだ。下記はトランスアライで有名なジェンダー学者の清水晶子女史の2016年のツイート。

どこから再燃しているのか知らないですが、またTLにあがっているようなので。ペドフィリアはセクシュアリティーの一つだと思いますし、ペドファイルはその意味ではセクシュアルマイノリティーです。それは否定できない。そのことと、性暴力や性虐待を許容しないこととは別の話です。ー 清水晶子

またQueerを自認する学者たちの間で、ペドフィリアという呼び名にはスティグマがあるので「未成年に魅かれる人々」という意味のMAPという呼び名を使うべきだなどと言う人まで出てきており、およそLGBT界隈からはペドを排除する動きが見られない。

それだけではない。最近のLGBT活動家たちの行動を見ていると、ペドを排除するどころか小児性愛を奨励し推進しているかに見える。

例えば幼稚園児や小学校低学年に「性教育」と称したポルノまがいの本を教材にして教えたり、ファミリーフレンドリーと称して子連れ親子を対象に非常に性的で卑猥なパフォーマンスをするドラアグショーを行ったり、父母たちが怒って抗議をするとANTIFA暴力団を放って父母たちを脅迫したりしている。これがペドフィリアを悪いことだと思っている人々のする行為だろうか?

このような話を私がツイッターで延々と描いていたところ、著者である渡辺が白江の名前で「なぜペドフィリアを批判するのにLGBTと結びつける必要があるのですか?」と抗議してきた。

私は先に述べたもろもろの理由からLGBT界隈はペドを排除するどころか奨励しているように見える、そうでないというなら界隈でそれを批判している例をあげてはどうか、先ずは渡辺自身が率先して批判してはどうかと返した。

ここで断っておくが、この話をする際にはLGBTQ+と一緒くたにしないでLGBとTQ以降を分けるべきだと考える。何故かと言うとLGBのなかにはLGB同盟やGays against groomers(グルーマーに対抗するゲイたち)といった、子供を性的に洗脳することや子供の性転換に反対する運動をしている人たちが存在するからである。私の知る限りTQ+でそういう運動をしている人は居ない。

しかし渡辺はLGBTを執拗なまでに一緒に扱い、「ペドとLGBTを結びつけるな」と繰り返すだけだった。

長時間にわたる彼との退屈な会話のなかで私はあることに気が付いた。それは渡辺はドラアグクィーンやゲイカップルによる幼児性虐待について、そうした事件を紹介した私に対しては何度も批判したが、実際に幼児を虐待したドラアグクィーンやゲイカップルに対する批判は一度もしなかったことである。それをいうなら小児性愛が忌まわしい性癖であり、子供を性対象にするなどあってはならない行為だという発言も全くしなかったのだ。ただただ私がペドがLGBTだけの間で起きることのようにいい、異性愛者の間で起きていることを無視していると責めるばかりである。これは私が彼に「ペド行為とその加害者を批判しないのか」と何度も聞いた後でも変わらなかった。私が何度聞いても彼はペドフィリアと言う行為も行為を行った加害者に関しても一切批判することをしなかったのである。

なぜだろうか?

そこで私はハタッと気が付いた。なんでこんな単純なことに今まで気が付かなかったのだろうか?

彼は小児に性愛を感じることや性行為をすることが悪いことだとは思ってないのだ!

彼の中には幼児虐待は加害者がヘテロだろうがゲイだろうが絶対にあってはならない行為だという感覚がまるでないのだ。渡辺からすると、

幼児とのセックスなんて誰でもやっていることで、別に悪いことでも何でもないのに、LGBT界隈がそれをすると悪いことであるかのように責め立てられるのは不公平だ。なんで異性愛者のペドフィリアは批判されないんだ。なんで異性愛者はお咎めなしなんだ。

という感覚なのだ。だから彼は長年カトリック教会の神父が男児を虐待してきたこと(これってゲイだけど?)や、男性が上半身裸で男児と走っている写真を挙げて「これを批判しないのか?批判しろ!」と鬼の首でも取ったようにわめきたてた。カトリック神父の件はカトリック教徒の間でも十分に非難されたし、だいたい告発者自身がカトリック教徒だ。そして写真については、これがどういう状況で撮られた写真かわからないので判断のしようがないというと、ほれみろヘテロの虐待は批判しないんだなと大騒ぎ。

実はこういうやり方は渡辺だけではなくアメリカのLGBT界隈が良く使う手段だ。例えば右翼保守派が子供のドラアグクィーンを批判すると、女児の美人コンテストの例を出して「これはいいのか?これは批判しないのか?」とやってくる。だが彼らにわからないのは、我々右翼保守には道徳観念というものがあるということ。女児の美人コンテストはよくて男児のドラアグはいけないなどとダブルスタンダードを言い出すような右翼保守はいない。どちらも悪いに決まってる。だから我々はどちらも悪いという。其れで話は終わってしまう。だいたいこれが反論になっていると思う彼らの思考こそ浅はかなのだ。

だから渡辺のような男には、人々がLGBT界隈のペドとの関係について批判すると、それはペドが悪いのではなく、LGBT界隈がやっているから悪いと批判されているに違いないと思い込んでしまうのだ。彼らには誰がやっても悪い行為は悪いという観念は理解できないのである。

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余談だが、私はアメリカ文化や英語を良く分からない人が、英語の文章だけを直訳してわかったようなことを言うのを見るとすごく苛立つ。その国に住んで背景をよく理解していない人にはなかなかわからないことは色々あるのだ。Case in point.

それをいうならあなたが出してるこの画像なんてちゃんと服も着てますし露出ないですよね。何が問題でどのあたりがペドフィリアだと言ってるんですか? -白江直弼

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この写真を見ておかしいと思わないその感覚がすでにおかしいのだが、これはテキサスはダラズのおカマバーで行われた「家族向け」と称したドラアグクィーンショーの一部。ごてごてに子供が悪夢でみそうな化粧をしたドラアグクィーンのお腹の上に男児が寝そべっている。そしてその横にあるサイン、”It’s not gonna lick itself” (自分では舐められない)は非常に性的に意味深である。

渡辺はこのフレーズはテキサスのアイスクリームチェーンのキャッチフレーズであり、ドラアグショーとは無関係だと主張する。だがこういうダブルミーニング(二重の意味)の看板がおカマバーに飾ってあるのは偶然ではない。下記の写真をみるとそれが良く分かる。

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もしこのサインが単にアイスクリームを宣伝しているだけのものであるなら、何故舞台の後ろ側にでかでかとピンクのネオンサインで掲げられているのだ?明らかにイベント主催者はこのフレーズを強調したくて掲げたのである。こんな子供だましの言い訳に誰がのると思ってるんだろうか?

もっともこれはアイスクリーム会社のキャッチフレーズでドラアグショーとは関係ないというアホなことを書いたのは実は渡辺ではなくアメリカ人ツイッタラーなので(笑)余計にアホかと思ってしまう。左翼ってどれだけ右翼保守をバカにしてんだか。


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異見を許さない左翼馬鹿フェミ、反トランス活動家の足をひっぱる

私はずっとトランスジェンダー活動家らのカルトぶりを批判してきたが、昨晩私は左外野から反TRAと自称するフェミニストたちから突然多数の批判攻撃を受けた。ことの起こりは、私が日本の特例法は悪法であり廃止すべきだと言ったことに発する。それに関し「お前はいつからTRA(トランスジェンダー活動家)になったのか」という質問がきた。どういう意味かと聞いたところ、TRAは特例法廃止を推進している、よって同じく特例法廃止を推進するカカシもTRAだと言う理屈であった。

私は凡そ二時間にわたって何人もの自称反TRAの女性達から袋叩きにあった。ネット上とはいえ、私はかなり狂暴なTRAからですらここまで凄まじい攻撃は受けたことがない。「GIDに暴言を浴びせかけた」「GIDの歴史を知らない」「読解力ない」「GIDの人権を侵害した」などという言われのない批判に始まって、ヘイトだ差別だとまるでTRA顔負けの罵倒の嵐だった。この間私は四つのツイッターアカウントをブロックしたが、後から後からモグラのように湧いてくる自称反TRAを叩きのめすのは難儀であった。

先日お話した滝本太郎弁護士ですらも、特例法廃止を訴えるのはトランスと対抗するにあたり逆効果であるとして、私の発言の訂正を求めて来た。私はTRAのいうことに一度でも屈したことはない。ましてや反TRAからのこのような理不尽な攻撃にも屈するつもりは毛頭ない。

私は常々反トランスジェンダー概念を持つ左翼過激派フェミニストたちと自分の間には深い溝があることは察知していた。反TRAに関しては私には彼女らと共感出来る点はいくつかあるが、元来右と左という別な方向から来たこともあり、色々な面で意見の違いが出てしまうのはしょうがいないことだろう。

しかし過激派フェミニストの中には、同じ目的を達成するために運動している人たちを、自分らが正しいと信じるやり方とは違う手段を使って運動しているというだけで、まるで宿敵のように扱って足を引っ張る人がいる。彼女らのこうした女性達への攻撃はTRAのやり方となんら変わりがない。

イギリスの反TRA活動家のポージー・パーカー(別名ケリー・ジェイ・キーン)女史も、同じく反TRAの左翼過激派フェミニストたちから理不尽な攻撃を受けているひとりである。

ポージーはいま、アメリカ各地を周り野外で女性集会を開いて演説をおこなっている。当然のことながら、極左翼暴力団のANTIFA連中が、女史の集会を妨害しようとして黒装束の覆面姿で現れている。彼女個人への脅迫がかなりひどかった場合は集会そのものがキャンセルされることもあった。それでも集まって演説を始めた女性達がANTIFA暴徒に襲われて怪我人が出るなどの事件が起きている。

こんなことが起きても怯まずに行動を続けるポージーの勇気をイギリスのフェミニストたちは称賛しているかというと全くそうではない。先日も、長年左翼フェミニストとして知られ、反TRAとしても活動しているジュリー・ビンデル(Julie Bindel)が、ポージーの集会でボディーガードとして雇われた男性がアメリカの右翼団体プラウドボーイズの一員だったとしてポージーを批判するツイートをした。ビンデルの支持者と思われる人たちが、ビンデルに同意するツイートを続けていた。

事実テキサスの集会でポージーが演説をしているときに、彼女の演説を邪魔しようとして表れた若い男が、強面(こわもて)のおっさんに追い払われるという一幕があった。この男性がポージーに雇われたボディーガードなのか、単に参加しただけのボランティアなのか、実際プラウドボーイズの一員なのかは全く不明。

これはポージーに限ったことではないが、女性達が女性空間を守る集会をしたり反TRA演説をしたりしようとすると必ずといっていいほど左翼ANTIFA・TRAの男どもから妨害を受ける。ポージーの集会でもすでに、パイを顔に投げられたり指を折られるなどの被害を受けた女性が出ている。そうした女性達を守ろうとボディーガードを買ってでるのは必ず右翼保守の男性だ。

トランス活動家たちはこれみよがしに、それみろ反トランスのフェミニストたちは右翼保守に身を売ったのだ、奴らは本物のフェミニストなんかじゃない。あんな奴らの味方をするのかと大騒ぎ。そして残念なことに、ビンデルのような左翼フェミ達までが右翼保守の庇護を受けたポージーや他のフェミニスト達を右翼に迎合しているだの家父長制度に加担しているなどと言って責めたてるのである。

しかしこれらの左翼フェミさんたちは目的を見失っている。いったいあなたがた反TRAフェミニストたちの目的は何なのだ?右翼だ左翼だに拘って女性達の間で仲たがいをすることなのか?TRAを打倒するより誰が反TRA運動で一番活躍するかという権力争いの方が大事なのか?

反TRAのフェミニスト達が、本気で女装男たちの暴虐からフェミニズム及び女性一般を守ろうと思っているのであれば、その戦いに参加するのが右翼保守男性だからと拒絶することは賢明なことなのか?

少なくともアメリカでは、トランスジェンダリズムに対抗して効果的な運動を進めているのは左翼フェミニスト達ではない。

私が何度となく紹介している右翼保守派白人男性のマット・ウォルシの「女性とはなんぞや」という映画は、劇場公開がされていないにもかかわらず大評判になり、TRA界隈に多大なる波紋を呼んでいる。ウォルシが呼びかけた未成年の性転換治療禁止は、アメリカ各地の州で実際に実現している。先日もフロリダの医療機関が未成年トランス治療を禁止したばかりだ。ウォルシの地元テネシーのバンダービル病院でも治療は廃止された。

こう言ってはなんだが、ポージーの集会に集まる女性達の数はせいぜい20人程度。ウォルシの講演に集まる老若男女の数は毎回大学の講堂や公民館会場を埋め尽くす千人近い数である。無論ウォルシはデイリーワイヤーという大規模なポッドキャスト機関の一員であるから、会場や十分な警備体制を取る予算がある。

アメリカで、女性自認男子のスポーツ参加や女子施設の使用など、禁止条例を出しているのはすべて右翼保守の共和党知事や地方議会である。それなのに何故反TRAの左翼フェミ達はいつまでも右翼保守を忌み嫌うのだ?

反TRA運動が左翼過激派フェミニストの間でちまちまやられている間は、そういう問題が起きてるようだというかすかな気配を醸し出しただけだった。実際にTRA撲滅のために効果を上げているのは右翼保守の男たちが乗り出してきてからだ。

いい加減に左翼の馬鹿フェミどもは目を覚ませ。この問題は左翼でも右翼でもない。文明社会の存続をかけた大問題なのである。


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在米邦人の政治見解は左翼リベラルだけじゃない

When anti-racism demands racism (msn.com)

私はアメリカ在住40余年である。そして右翼保守を自負して30年余りが経つ。アメリカに住むようになってから、最初の4~5年は日本とアメリカを比べて日本は遅れてる、欧米のように変わるべきだと考えていた時期があった。

私は日本が嫌でアメリカに移住した。しかし長年アメリカに在住し時が経つにつれて、日本がどれだけ素晴らしい国であるかを切実に感じるようになった。私が未だにアメリカ在住なのは単に私個人の性に合っているからであって、どちらの国が優れているかという問題ではない。

そんな中で、長期アメリカ在住の邦人でブラックライブスマター(BLM)やLGBTQ+を熱烈に支持し、そうしない在米邦人は名誉白人気取りの人種差別者だと主張する意見をきくと、お前ら何様じゃ!と言いたくなる。

日本にお住まいの方々にご理解いただきたいのは、日本国内にも色々な意見があるように、在米邦人の間でも色々な意見がある。当然のことながら、我々在米邦人が個人的にどのような経験をしてきたかによってアメリカ政治や社会的な動向への意見が異なるのは当然のことである。

私はこの違いは何なのだろうかと考えていたのだが、ふと気が付いたことがある。それはそれぞれの在米邦人がどんな理由でアメリカに来たのかに起因すると思われる。

アメリカに永住している邦人がアメリカに来た理由は次の三つに分かれると思う。

  1. アメリカの高度の教育を経て高収入のアメリカ企業に努めたい
  2. 日本が嫌でともかくアメリカで実力を試したい
  3. アメリカ国籍者と結婚したのでアメリカに住むことになった

この中で左翼リベラルに染まるのは先ず第一カテゴリーの人々だ。特にここ20年以内に留学して就職した人は個人的に強い意思を持っていない限り左翼リベラルに嵌ってしまう。なぜならアメリカの大學は左翼リベラル思想に染まっており、この傾向はエリート大学になればなるほど強まるからだ。そこで高度教育を受けてカリフォルニアのシリコンバレーのような左翼バリバリ文化の企業に努めたり、東海岸の大學やアカデミアで教授になったりすれば、学生時代から左翼リベラル思想に洗脳され、そのまま左翼エリート意識まるだしの社会人として生きているから、他の生き方をしている人々を卑下するようになるのだ。

こうしたエリートたちはアメリカで経済的な苦労をせず、反対意見を聞くこともなく20年近く気楽なアメリカ生活を送ってきた。だからアメリカに住んでいながら全然違う意見を持つ人々の意見など理解出来ないのは当然だ。

カテゴリー2や3の人々の体験は全く違う。先ずカテゴリー2の人々は、英語力も日本での教養もそこそこで、ともかく努力だけでなんとかアメリカで実力を発揮してきた苦労人たちである。日本ではまるで経験がなかったのに、寿司職人になったり庭師になったりして生計を立ててきた。いってみればたたき上げの人々だ。こういう人たちはアメリカで独立することの苦労を知っている。英語だって生活に必要だからブロークンでもともかく通じるまで頑張った。こういう人たちには努力もしないで黒人だからという理由で下駄をはかせてもらってる黒人に同情などしてる余裕はない。しかも自分のビジネスが黒人の強盗や略奪者によって被害を散々受けたとなればなおさらである。なぜ自分らは実力だけで試されるのに、黒人は組織的に優遇されるのか、それを考えない人は居ないだろう。

第三のカテゴリーに属する人たちは、当初は自分がどんな境遇に置かれるかという選択肢がなかった人々だ。恋愛してアメリカ人と結婚して愛だけでアメリカに来てしまった女性達などがその典型。相手の実家や故郷がどんなところかなんて最初はまったく考えずに移住してきたわけだが、この人たちの行く先は両海岸の大都会とは限らず、日本人はおろか東洋人を見たこともないような人々だらけの田舎であったりする。そして旦那さんが軍人だったりすれば、また考え方は変わる。こういう場所に住むアメリカ人は、当然のことながら都会のアメリカ人とは考え方が全然違う。そんな社会できちんと融和して家族を築いたひとたちは、ニューヨークやロサンゼルスのリベラルと同じ意見であるはずがない。

しかしカテゴリー2や3と1の人たちとの決定的な違いは政治見解だろう。私が今までに出会った人々の多くは比較的保守的な人だった。アメリカにおける右翼保守と左翼リベラルとの決定的な違いは、右翼保守は左翼リベラルをよく理解しているが、左翼リベラルは右翼保守を全然理解できていないことだ。その理由は非常に簡単。アメリカのメディアはほぼ全面的に左翼リベラル。だから普通のアメリカ人は毎日のように左翼リベラルプロパガンダを聞かされている。ニュースにしろトークショーにしろテレビドラマも映画も左翼リベラル思想でうめつくされているからだ。

それと、左翼リベラルの人々は自分の考え方が絶対に正しいと思っているので、無遠慮に場所柄もわきまえずに自分らの思想を当然のことのように話はじめる。誰かの結婚式や卒業パーティや送別会などでもである。保守派の人々は礼儀正しい人が多いので、周りの雰囲気を読んで議論しない。それで左翼リベラルは自分らの理屈に保守派たちが納得したと勘違いする、もしくは周りにいる保守派の存在に気が付かないかのどちらかだろう。

それで起きるのは左翼リベラルのすさまじい無知さ加減である。彼らは自分たちと同じ考えを持っているひとたちとしか付き合っていない。だから他の意見など聞いたこともないのだ。先日もアメリカのエリート大学マサチューセッツ工科大学で教授をしているという邦人が、今アメリカ各地で起きている行き過ぎた性教育のことについて何も知らず、朝日新聞の記事について頓珍漢なことをツイートしていたので、それは違うと思うとコメントを書いたら速攻ブロックされた。まるでなんの議論もなしにだ。

ワシはアメリカ生活20年のエリート大学教授だ。そなたのような下々の者の意見など聞く耳もたぬわ。

てな具合である。

さて、では西海岸のロサンゼルス近郊以外に住んだことのない私が、何故バリバリ右翼保守になったのかという話だが、左翼リベラルならさしずめ「旦那が保守だから影響されたんだろ」とでもいうところだろうが実は違う。確かに主人は最近は右翼保守になり共和党支持になったが、彼は私と会う前はリバタリアンで比較的リベラルなほうだった。中絶問題でも合法中絶のデモに参加したりしていたくらいで、彼の元カノはバリバリ左翼だった(笑)。

私はひょんなことから左翼リベラルメディアの嘘を知ってしまった。大手メディアが危険だと言っていた農薬が実は危険ではなかったという話。そのデマ報道のおかげで多くの農園が閉鎖の危機に追い込まれたのだ。私は興味があったので色々調べた結果、危険ではないという結論に達したのだが、そうなってくると、もしこの件で嘘をついているのなら、メディアは他のどんなことに関して嘘をついているのだろうと思うようになったのだ。そうしたら、色々な矛盾が見えるようになった。それが1980年代の半ば頃だったと記憶している。

それでも私は長いこと自分はリベラルだと思っていた。ところがある日、右翼保守の友人から色々質問をされて、「君は立派に保守だよ。少なくともリベラルでは断じてない」と言われてしまい、へえそうなんだと自覚し始めた。

ツイッターを始めて知ったのは、同じカリフォルニア南部に住んでる人でも結構保守的な邦人が多いということだった。そうしてこういう人たちのなかにアカデミアの人は一人もいない。結局リベラルと保守の違いは理想と現実だと私は思う。真実を追い求めるとリベラルではいられなくなるのだ。

さて、実は私は先日読んだ記事の紹介をしようと思っていたのだが、前書きが長くなりすぎたので、記事の紹介は次回に回す。


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政府は結婚出産する女性より単身女性への支援をすべきなのか?

この話のきっかけは私がこの人のツイートに返答したことから始まる。

竹取の翁@q83341178

単身女性がスーパーウーマンじゃなくても、貧困に苦しまず生きていける社会になって欲しい。別に全女性が『結婚やパートナーと過ごす=幸せ』であるとは限らない、単身の方が過ごしやすい女性も居る、にも関わらず現状の女性支援は結婚出産子育てする女性前提のものばかりだ。

それに対する私の返答はこちら。

苺畑カカシ

少子化の日本で独身女性を支援したら、余計に結婚しない人が増えて少子化が進む。国の対策として結婚して子供を産む人を支援するのは当然だと思う。

この何気ない私の返答にものすごい数の批判の嵐。特に若いフェミニストと思われる人たちからの批判が集中した。

  • まるで女性個人がもう自由も自立も手に入れたかのような言い分だけど、単身女性は貧困で苦んでいますよ あなたの支持する考えにのっとって。   女性個人の自由を奪い自立させないように抑え込み、男にあてがい産ませるシステムの維持強化への加担 あなたの主張は、女性差別への加担
  • いや、女性支援をすれば出産する女性が減る…すなわち女性を貧困に貶めて男とつがって出産しなければ生きていけない社会がいいと言っているのは立派な女性差別です。
  • 少子化対策と独身女性への支援は別のレイヤーで考えるべき。まるで「産まない罰」みたいじゃないですか……「生きられないから結婚して子供産む」は生存権とのバーター。男性はそんなこと求められないのに。少子化は「子供が欲しいのに産めない」方にフォーカスすべき。第二子以降の堕胎数とか。
  • 子供産みたい人は結婚の選択取るだろうから問題なくない?結婚しない人が増えるって事は裏を返せばしたくないのに結婚する人を増やすことになるけど。
  • なんで独身女性を支援したら少子化が進むの???あ、もしかしてやっぱり結婚って人身売買制度…ってコト?!
  • それって女性を兵糧攻めにしたら、子供産む人増えるって事ですよね。人権侵害ってレベルじゃねーぞ
  • 控除なしの税金を払い続けていてもこんな言われよう。単身者は国の支援を当たり前に受けるべきなんですよ。
  • 世の中には、経済力が許すなら何人でも子供欲しかったし生みたかったけど家計と子供の将来すり合わせた結果1~2人が限界という人や、結婚はするけど経済的に厳しいから子供は作らないという人もいる。 欲しくない人を追い込んで生ませるよりそっちに支援した方がいい。産んで終わりじゃないんだから。

これらのツイートに共通している点は、女性が結婚出産することは女性にとって一番不幸な生き方でああり、単身女性を国が支援しないということは、女性にその一番不幸な人生を強制するようなものであるという考えだ。

もし日本の若い女性達が結婚生活は地獄だと本気で思っているとしたら、それは非常に由々しき問題だ。種の存続はあらゆる社会で最優先されるべきものだから。

この単身者への支援というのは、要するに生活保護である。そしてあまりにも生活保護が手厚くなれば世の中働かない連中が増えるというのは、いまのアメリカを見ていれば明白なはずだ。これについて的確な感想があった。

黒酢ニンニクきぬよ@RafikoinLA

この議論て、トランプが黒人貧困コミュニティに雇用を増やすためにした政策と、黒人貧困層にはどんどん生活保護を与えておけばいいと福祉漬けにして立ち上がらせなくしたオバマ政権の構図の対比と似てる。

そう、私が言いたいのはまさにこれ。もし単身女性だからというだけで国から金銭的な支援が受けられるとなった場合、この女性達は政府にべったり頼るようになり政府の言いなりになる。自分で努力して自立しようという考えもなくなり、だらだらニート生活を続ける人が増えるだろう。そんなことが日本社会にとって良いことだろうか?そしてそれは女性の地位向上につながるだろうか?

アメリカでは黒人層の未婚の母率がなんと70%である。そしてこれは彼らの間で非常に多い生活保護受給と無関係ではない。アメリカの生活保護は未婚の母への支援金が手厚いため、女性達は未婚のまま父親の違う子供を産み続ける。そうやって父親のいない子供たちがどんどん育ち、育った子供たちによる犯罪が増える。

黒人層に貧困家庭が多いのは、こうして何の努力もせずに生活保護に頼っている家庭が多すぎるからなのだ。もし黒人層がきちんと結婚して子供を両親で育て上げ自立の道を選んでいたなら、アメリカ社会における黒人層の地位はもっと上がっていたことだろう。黒人といえば貧乏で犯罪者だというイメージが定着してしまったのも、黒人層を生活保護に依存させた民主党の政策が原因なのだ。にもかかわらず生活保護を受け続けたい怠惰な人たちが、民主党に投票し続けるから、民主党が権力を握っている州の腐敗は進むばかりだ。

さて日本に話を戻そう。もし私に反論してきた人たちの意見が日本のフェミニスト達の普通の意見だったとしたら、日本で女性の地位が上がらないのはもっともだと言わざる負えない。女性の社会的地位の向上を目指すなら、女性も男性と同等に社会に貢献していることを証明する必要がある。確かに女性というだけで賃金が低かったり出世できなかったりといった理不尽はあるかもしれない。だが、そういう不公平な女性差別と闘うのであれば、政府からの支援金を求めるなどもってのほかだ。独身女は社会の重荷になると思われることで女性の地位を上げることなど無理な相談だからだ。

また、ブロガー仲間のよもぎねこさんも指摘しておられるように、女性だから自立できないという考えはすでに独身でキャリアを持って成功している女性達に対して失礼ではないか?

ところで男女の賃金の格差について、これは日本でもアメリカでも同様に言えることなのだが、職業を自由に選べる社会では女性と男性では選択のしかたが違う。特に日本の場合、仕事をしている多くの人がそれで生活しようというのではなく、夫の給料の足しになり、育児や家事になるべく影響をもたらさない程度の仕事をしていることが多い。だから正規社員で残業も多い男性の賃金よりも低くなるのは当然のことだ。

こちらよもぎねこさんが提供してくれた資料。

よもぎねこ on Twitter: “男女賃金格差があるから単身女性は貧困とか言ってるけど、でも女性の平均賃金を算出場合は、主婦のパートなど生活費は原則夫が稼ぎ、妻は家事に差し支えない程度に働く、扶養控除の範囲内で働く女性が多数含まれているからね。 一生独身を覚悟して働いてきた女性の賃金を考えないと意味ないよ。

(7) 竹取の翁🎍 on Twitter: “厚生労働省 『男女間の賃金格差解消のためのガイドライン』より 事実を述べることは差別にはならない。 https://t.co/lbcmboZ4KM” / Twitter

キャリアウーマンが多いと思われるアメリカでも、女性は家庭を優先させる傾向があるため、機会があっても出張や残業の多い職務を選ばない人や、子育てのために一旦離職する人も多い。そのため女性のキャリアは同年代の男性よりも進んでいないということが多々ある。

また女性は男性のように危険で体力が必要な仕事に就きたがらない。アメリカだと軍隊は志願者のみで女性の志願者も大いに奨励されている。しかし現在米軍に所属する女性は全体の27%である。また比較的給料のよい理系の仕事に就く女性の割合も全体の10%程度だ。辛うじて医者や看護婦や薬剤師に女性が多いことが救いだが、それにしたってアメリカ人だけでは足りずにインドやフィリピンからの移民に頼る有様である。

大学でジェンダースタディーだのフェミニストスタディーだの何の役にもたたない似非学問を学び、全く価値のない学歴を得て高収入の仕事に就けないと嘆いてみても仕方ない。一人で生きて行こうというなら、それなりのキャリアに繋がる学問を勉強し、男と対等に競争し合う術を身に付けるべきである。

私のことを女性蔑視してるだの女性差別だのと批判する女性達は、自分のキャリアのためにどんな努力をしてきたのか胸に手を当てて考えてもらいたい。低賃金の将来のない会社勤めをずっとして、何か資格を取るとか芸を身に着けるとかと言う努力を少しでもしたのか?

そして職場で女性が女性であるというだけで不当な扱いを受けた時、その理不尽さを誰かに訴えたのか?場合によっては訴訟にもっていくくらいの覚悟はあるのか?そういう努力をしてこそ女性の立場の向上につながるのだ。それを奨励し応援するのが真のフェミニズムというものではないのか?

政府からの支援金をあてにしてるようでは何時まで経っても女性の地位など向上しない。世の中のお荷物になる人を尊重する世の中などないからだ。


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馬鹿フェミがトランスジェンダーに負ける理由、男が差し伸べる手を受け入れないから

先日歌手のマーシー・グレイが男は女になれないという常識的な発言をしたことで叩かれ、たったの三日で過激派にひれ伏してしまったという話をしたばかりだが、それについて保守派ポッドキャスターのマット・ウォルシが彼女をツイッターで批判したことから、トランスジェンダリズムについては勇気ある批判的な発言をしてきた作家のJ.K.ローリングとちょっとした口論になった。

マット:悪いがトランス活動家からの意地悪なコメントが怖くて「女性」の定義を公の場で放棄するような女性は、どんな批判を受けても仕方ない。こうなったのも、もとはと言えば、こういう骨なしの臆病心こそが原因なのだ。

J.K.ローリング:限りのない命や強姦の脅迫、生きる糧を失う脅迫、雇用主が標的にされ、直接嫌がらせをうけ、家族の住所がオンラインで晒され、爆弾作成のマニュアルが送りつけられてくるのは単なる「意地悪なコメント」なんかじゃない。この問題に立ち向かう女性達がどんな目にあってるか解らないなら、黙らっしゃい!

マット:私はあなたのこの件で見せた勇気には敬意を払います。しかしながら、トランス活動家の要求に簡単に折れて真実や事実を諦めてしてしまう人が多くいすぎます。このような臆病心こそがこの話の悪者なのです。彼らは責任を取るべきです。

ローリング:あなたの映画は性自認連中の意味をなさない理屈や危険な思想をうまく暴露したと思います。私が過去に尊敬していた組織がこの思想を無条件で受け入れてしまっています。しかしながら彼らへの抗議は私のやり方でやります。個々の女性を「臆病者」などと呼ぶのではなく。

マット:たしかに悪いのは彼ら(TRA)のほうです。私も壇上のない若い女性達がトランス暴徒らに攻撃されることには同情しています。しかしマーシー・グレイは有名な歌手です。彼女が折れてしまったことは特に残念だと思います。

とまあこんな具合だ。ツイッター上では多くの保守派がローリング女史に対して、マットはこの件に関して女性達の味方だ、トランスジェンダリズムとはあなたと共闘できる仲間だと告げたが、ローリング女史は断固としてマットの差し伸べた手を拒否した。

ローリング:(前略)私は「ターフを殴って殺せ」軍団にずっと立ち向かってきましたが、一度たりとも、この問題をフェミニズムが西洋文化で最悪の出来事だと思っているような男の手に委ねでようと思ったことはありません。

左翼の多くの女性達のように、私はあまりにも多くの自称リベラルが性自認運動の男尊女卑やそれが醸し出す女性や女児への脅威を黙認していることに絶望しています。ウォルシの映画が多くの左翼が怖がっていえないことを暴露したことは確かです。

しかし生物学的に女性が存在するという考え(加えて水が濡れているとか月がチーズで出来てるわけではないこととか)に同意できるからといって味方であるとは言えません。私は女性は女性特有の脅威に瀕し特異な必要性もあり、フェミニズムこそがその権利を守ることが出来ると信じます。

ウォルシはフェミニズムは腐っていると信じ、自分と同意しない女性を蔑むことを基本としています。彼は淡い色のピンクと青の旗に隠れて「黙れ、さもないとぶっとばすぞ」と言ってる連中と同じように私の仲間などではありません。

私は以前にも書いたと思うが、もともとローリング女史の左翼フェミニズム振りは嫌いだった。彼女は典型的な左翼馬鹿フェミであり、私と意見の合うことなど何一つなかった。しかし、TRAの脅迫に負けず女性の権利を守るという信念を貫き通しているという点に関してだけは敬意を払って来た。

マット・ウォルシもずっとそう言って来た。だがローリング女史はそれを認めることが出来ないのだ。女性の権利と安全を守るという信念よりも、男なんぞにフェミニズムを売り渡してなるものかというプライドの方が勝ってしまうのだ。なんと情けないことだろう。

これに対するマットの返答は右翼保守典型の紳士的なものだった。

私は過激派トランス軍団による女性や子供たちや現実への攻撃に立ち向かう人となら誰とでも一緒に戦う用意はできている。ローリングや多くのフェミニストたちはそれを拒否した。仕方ない。しかし二人の子供本ベストセラーの著者が協力できないのは残念だ。

私はいつかローリングが立ち止まって、彼女が何故この件を除いた全ての件でトランス活動家に同意できるのか考えてほしいと思う。彼らは基本的なところで同じ社会観を持っているのだ。だからこそフェミニズムはジェンダー概念を阻止することができなかったのだ。これは考える価値があると思う。

私は以前にトランスジェンダリズムは過激派フェミニズムの賜物であると書いたことがある。

最近よく耳にする英語にジェンダークリティカルというのがある。これはトランスジェンダリズム思想に批判的な考えを指す。おもしろいのは、これまで左翼リベラルを気取って来た過激派フェミニストたちが多少なりともジェンダークリティカルな意見を述べると、右翼アジェンダの回し者とか、裏切り者とか、右翼保守の人がトランス批判するより叩かれてしまう。だいたいからしてターフなどという侮蔑語もトランス排除的過激派フェミニストという意味だ。しかしながら、私から言わせるとトランスジェンダリズムを生み出したのは、まさに過激派フェミニストなのではないかと思うのだ。なにしろ男女の違いは社会構造だと言い出したのは過激派フェミニストたちなのだから。(略)

ところが過激派フェミニストたちはそうした性的な傾向を無視して、男に出来ることは女にも出来る。男女の能力に差はないと主張してきた。だから、ある種の分野に女性の数が少ないのは女性が差別されているからだと決めつけた。もし男女の能力に全く差がないのであれば、結果の差は差別からくるものだと結論づけられる。男女の差は単に社会構造なのだとすることは過激派フェミニストにとっては非常に都合の良いものだったのだ。

生物学者が男女の脳の働き方には違いがあるなどという話を始めれば、それは男女差別につながるとして、そうした言論を弾圧するフェミニストたちもいた。男女の肉体的能力差を指摘することすらミソジニーだと責め立てていた。

もし男女の差が肉体的能力や適応性の差ではなく単に社会構造によるものだとすれば、男性と女性が入れ替われるという理屈はそれほど非常識なものではない。むしろ自然な成り行きだと思える。男女の差は社会構造だと言い続けて来たフェミニストたちにはその理屈を使って、だから男も女になれる、というトランスジェンダリズムに反論するのは難しい。(2019年 苺畑カカシ)

女性の権利を守るためには、一部の女たちだけが騒いでいてもダメなのだ。多くの男性が女性達の言い分にも一理あると同意し女性を差別するのは不当だと納得しなければ男性が牛耳る社会を変えていくことなどできない。奴隷制度が終ったのも、不公平な黒人差別が公民権運動で撤廃されたのも、多数派の白人たちが、これらの差別は不当だと考えたからこそ実現できたことなのだ。

圧倒的な力を持つ支配階級が弱体な少数派に迎合する必要がどこにある?自分らの権限を守ることだけが目的なら少数派など徹底的に弾圧すれば済むことだ。それなのに何故白人は組織的な黒人差別を止めたのだ?戦争をして貴重な白人の血を流してまで奴隷制度を廃止したのは何故なのだ?男たちは何故女たちを平等に扱おうなどと思ったのだ?

それは多数派の間で少数派を虐待することは道徳的に正しくないと思う人が存在したからだ。

フェミニズムが腐敗して常に失敗する理由は、自分らの作り上げた右翼保守や男たちへの偏見を捨てきれないからだ。それで本来なら力強い味方となってくれるひとたちが差し伸べた手を拒絶するからだ。

一部の過激派フェミニストたちはマットや他の右翼保守たちがTRAに立ち向かい始めると、「私たちの方がずっと前から抗議してたのに、途中から来て運動をのっとらないでよ」とバカなことを言い出す。あんたらこの戦いに勝ちたいの?それとも活動家の間の勢力争いにしか興味がないの?

私もマットと同意見。もしもフェミニストたちがトランスジェンダリズムと本気で戦う気があるなら、協力者として拒否はしない。だが、左翼フェミであることのほうが女性の権利を守ることより大事だというなら、あんたたちとトランスアライたちと大した違いはない。

マットの言う通り、ローリング女史及びジェンダークリティカルの女性達は、女性の権利や安全を守ろうとしない左翼フェミニズムにこそ問題があるのだと、いい加減気が付くべきなのではないか?


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何故保守派に移行する左翼リベラルが増えているのか

本日スティーブン・ターリー教授がYTで紹介していたThe Turnというエッセーを紹介したい。これは左翼リベラルのエリートとして長年教鞭をとってきた男性が、徐々に自分は左翼リベラルではないと気づき、保守派に移行したという話で、今左翼に絶望を感じている人たちへのアドバイスでもある。著者はLIEL LEIBOVITZ (リール・リーボヴィッツ)。

リーボヴィッツ教授はニューヨーク大学(NYU)の教授。出身大学はアイビーリーグのお金持ちか頭のいい人しか行かれない有名私立校。教授は若い頃から左翼系の思想を持っており、左翼は善人で恵まれない人たちのことを思うと信じていた。時としてスターリンみたいな失敗例もあったが、だからと言って社会主義が全部だめだってことにはならんだろうと思っていた。ともかく過去や現在はともあれ、左翼思想こそが未来だと信じていた。

高校時代に社会主義に染まり、パレスチナ人と一緒にエルサレムでハンガーストライキをやったり、貧乏な学生のために学費を減らす運動に参加したりした。2000年代には物欲と戦争しか興味ない共和党に反抗するため、どんどん過激派左翼運動に加わるようになった。

アッパーウエストサイド(ニューヨークの裕福な地域)でのディナーパーティーなどでは、必ずブッシュ大統領を批判しタイムスの社説を称賛し、常に左翼系エリートたちの仲間であることをアピール。特に無理にやっていたわけではなく、それが正しいと思っていた。

仕事面でも恵まれ有名大学の教授になり、立派なオフィスもあてがわれ、左翼有名人たちとの交流も深めた。なにもかもが順調な左翼生活を送っていた。

そこに訪れたのがザ・ターン(転機)である。体験した者なら誰でもわかるが、その転機は突然やってきたわけではない。それは何か劇的なひとつの事件で起きるものではなく、少しづつ何か引っかかるようになり、そのうち何か居心地の悪さとなり、そしてそれがパニックに変わっていくのだ。

過去5年間、MAGAやアンティファやアイデンティティーポリティクスに囲まれコロナによる世界中の大混乱を経験し、自分のような人がどんどん政治的ホームレスになっていった。教授は本能的に民主党に助けを求めた。しかし自分がかつて読んでいた新聞や学校の入学案内は恐ろしいものになっていた。教授はがんばって左翼に何が起きているのだろうと説明しようとした。左翼は正しいはずだと自分に言い聞かせようとした。それが転機だ。

自分が転機を迎えているかどうかが解るのは、言論の自由はたとえ他人を不快にさせたとしても自由であるべきだと考えているのに偏狭者と思われるのが怖くてそれを認められなくなっている時、公共の健康対策に関してロックダウンの効果や学校閉鎖などについて疑問があるのに反ワクチン派と言われるのが怖くて口に出来ない時、町を焼き略奪するのが社会正義を奨励するのに得策ではないと感じているのに白人至上主義者と呼ばれたくなくて何も言えない時、テロ軍団が世界唯一つのユダヤ人国家を攻撃しているのに同僚たちがアメリカ国内で子供たちが死んでいるのを無視してフェイスブックやツイッターでイスラエルはアパルトヘイトだと言ってるのを見て何も言えない時。

もし君が心底心配していることを友達と共有したら、友達から絶交されるんじゃないかというむかむかした気分を感じているなら、もし君がちょっと息が苦しくていったい何が起きているのだろうと絶望的気分になっているなら、 残念ながら君は転機を迎えているんだ。

教授は自分がイスラエルを弁護したことで、仲の良い友達から厳しく冷たい口調で警告を受けたという。彼が真実を信じていたものがどんどん崩れ去っていくのを感じた。友達だと思っていた人たちが去っていくのも体験した。

もし左翼が道徳的であることをすべて「右翼」と呼ぶなら、右でいいのだ。

なぜなら今や右だ左だというのは意味のない言葉になってしまったからだ。政府が提供する独占を守るために国中で一番の金持ちから献金を受け取っておいて「金持ちに反対」なんかできない。自分と反対意見を持ってる人の発言を禁止して「言論の自由を支持する」ことなんて出来ない。肌の色で互いを戦わせて、自分の身体について選択する人から仕事を奪っておいて「民衆のため」になど働けない。アマゾンから物を注文し地域の小さな商店への影響を無視しておきながら「経済の不平等を真剣に」考えているなどとは言えない。政治に沿ってない科学説を認めないでおいて「科学を信じている」などとはいえない、人種で人を分けて判断しておいて「反人種差別者」にはなれない。違う意見の発言を許さないでおいて「統制に反対」などとは言えない。

今や、裕福なエリート層の党となり、国家警察が人種の分断をはかり、国家が言論弾圧をし、一般市民や憲法をおざなりにし、人々が何をし何を考えるかを逐一命令する、それが左翼だ。自分が左翼だというなら、そういう側に自分は居るのだと知るべきだ。

だから左翼が支持してるリストを見て自分に聞いてみることだ。これは自分か?もしその答えがイエスならいい。君は居場所を見つけた。だがもしその答えがノーであるなら、空っぽの言葉で自分を定義させてはいけない。出ていくんだ。そして一旦出てしまったら、誰にも自分を定義させるな。左翼レイシストや警察国家のファンじゃないことは白人至上主義者でもトランプ崇拝者でもない。そんな二元主義を信じるのは小さい子供か機械か熱狂的宗教家だけだ。

外にでて向こう側に行くと、自由を肌で感じることができる。無論立ち去ったことで失った友人やキャリアや失うものは多く苦痛だ。しかし自由よりエネルギーをあたえてくれるものはない。

英語だと「正しい」と「右」が同じ言葉なので、それにかけて教授は目覚めたひとたちに「the right sideにようこそ」と言っている。左翼たちが反科学的だ人種差別者だTERFだといくら我々を罵ろうが、我々にはもっと良い言葉がある。それは「自由」だと。

左翼から始まるひとというのは、そのおかしさに気付くのに時間がかかるようだ。リーボヴィッツ教授のように教養もあり頭もいい人が何故左翼思想に嵌ってしまうのだろうか?若い頃からずっと右翼保守の私からすると非常に不思議だ。

私はリベラルだったことはあるが、左翼だったことは一度もない。何しろ私が育ったころはソビエト連邦がまだ健在だったし、共産主義は心から憎んでいるから、どう考えても左翼にはなりようがないわけだが。

良識ある左翼リベラルの人なら、今の左翼の状況に絶望するのは当然だろう。そして今まで毛嫌いしていた右翼保守が、実はそんなに悪徳非道な人たちの集まりではなかったことに気付くだろう。リーボヴィッツ教授のいうとおり、そういう人が増えてくれるといいのだが。

Liel Leibovitz is editor at large for Tablet Magazine and a host of its weekly culture podcast Unorthodox and daily Talmud podcast Take One.

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アメリカ最高裁、人口妊娠中絶の合憲制を認めた裁断ロー対ウエイドを覆す。中絶法は各州の権限に戻される

いやいや、まさか本当にこんな日が来るとは思っていなかった。まずはBBCの記事から。

米連邦最高裁は24日、アメリカで長年、女性の中絶権を合憲としてきた1973年の「ロー対ウェイド」判決を覆す判断を示した。この判決を受けて、アメリカでは女性の中絶権が合衆国憲法で保障されなくなる。

最高裁(判事9人)は、妊娠15週以降の中絶を禁止するミシシッピー州法は、「ロー対ウェイド」判決などに照らして違憲だとする同州のクリニックの訴えについて、6対3で違憲ではないと判断した。下級審では、違憲との判決が出ていた。

「我々は、憲法が中絶する権利を付与しないと考える(中略)そして、中絶規制する権限は国民と、国民が選んだ代表に戻さなくてはならない」と、判決文には書かれている。

今回の判決は、約半世紀前に連邦最高裁が定めた判例を、同じ最高裁が自ら覆したことになり、きわめて異例。今後、アメリカ国内で激しい論争と政治対立を引き起こすとみられている。

数週間前に最高裁の意見書が漏洩し、判事らの命が狙われたり、妊婦救済センターや教会が襲われるなどという左翼による横暴に負けず、最高裁はロウ対ウエイドの判決を覆した。

以前にもお話したように、だからといって今後アメリカでは人工妊娠中絶が完全に違法になるというわけではない。単に中絶に関する法律は各州の議会に判断を任せるということになっただけだ。アメリカと言っても広い。州によって文化や風習や伝統や宗教が違う。それで無論中絶に関する考え方も全く違うのである。

ある州では受精した時点で胎児は母親と別の個人と見なすところもあれば、生まれて来て最初の息を吸うまでは人間ではないと考えるところもある。こんなに意見が真っ二つに分かれているところで妥協の余地はない。

私個人の考えとしては、テキサスの6週間目にして胎児の鼓動が聞こえたら中絶禁止というのがもっとも妥当な法律だと思っている。無論それ以後でも母親の健康にかかわる場合や胎児に極度の障害があった場合は、両親と医者の判断で例外を認めるべきだろう。

また強姦された直後のアフターピルは合法とされるべきだと考える。これは受精を防ぐ行為なので、堕胎とは言えないと思うし、自分を犯した男の子どもを満期まで宿すのは精神的にも辛いことだろうと思うからだ。

当然のことながら、民主党のペロシ下院議長を始め、クリントン夫人、AOCなど、おなじみの面々が次々にこの判決は歴史上最悪のものだなどと大騒ぎしている。そして中絶推進派とANTIFAが組んで、またぞろ暴動を起こしている。しかも彼らが暴れているのは中絶法などないに等しいほど自由なオレゴン州、ワシントン州、カリフォルニア州などである。本当にこいつら馬鹿じゃないの?

ところで最高裁はこの判決を下した全日、ニューヨーク州の市民が自由に銃携帯をする権利を否定している法律は違憲であるという裁断を下している。テキサスのイベルダ小学校の乱射事件の直後なだけに、この判決は色々左翼リベラルの間から批判されている。

アメリカは11月に中間選挙を控えているが、終わりを知らないガソリン代の高騰(ロサンゼルス地域では1ガロン6ドルを超えた!)とインフレ、そして金利の引き上げで、アメリカの経済は今やデプレッション寸前の危機。それに加えて国境警備皆無状態、警察予算削減で悪化する都市部の治安。バイデン爺はすべてプーチンが悪い、コロナのせいだ、と言っているが誰も爺のうわごとなど信じてはいない。この間など爺はガソリンの値段を下げる方法と言って、石油会社に値段を今すぐ下げろなどと信じられないほど馬鹿なことを言った。ここまでくると耄碌爺の妄想としか思えない。うちの認知症の爺さんですらそんな幼稚園児みたいなことは言わない。

という状況にあるので、民主党は次回の選挙で大敗北するのではないかと恐れている。それで民主党は話題を変えようと必死なのだ。しかし人工妊娠中絶や銃規制にのみ焦点を当てて選挙運動をしたら、それこそ勝てる選挙も勝てなくなる。なぜならこれらの問題は、過去に何度も議論され、何度も有権者から無視されてきた問題だからである。

アメリカ人の殆どは中絶の完全禁止を求めてはいないが、かといって何の規制もない法律を求めているわけではない。ロウ対ウエイドが覆されたからといって自分らのこれまでの生活に全く影響が及ばないことを学べば、ほとんどの人は興味を失くすだろう。

銃規制にしても、過半数のアメリカ人は市民が銃を持つ権利を保証する憲法補正案第二条を信じているし、警察予算が削られ自分らの住む地域での治安が目の当たりに悪化している中で護身用の銃を手放したいと考えている人など先ずいないだろう。だからアンケート調査では銃規制は厳しくすべきだと応えたとしても、実際に市民から銃没収を唱えるような議員には投票しないのである。

ところで面白いことが起きている。バイデン政権がラテンアメリカからの違法移民を放置している理由のひとつとして人種配分を変えることがある。すでにアメリカではあと10年もすれば白人の数よりも少数派すべてを合計した数の方が多くなり、そのうちラテン系が大半を占めるようになることが解っている。ラテン系は伝統的に民主党に投票するので、ラテン系の人口が増えれば必然的に民主党が政権を握ることになり半永久的に民主党政権は安泰となる、というわけである。だが果たしてそうだろうか?

ここで忘れてはいけないのは、ラテン系、特にメキシコ系の人々のほとんどは敬虔なカトリック教徒であるということだ。そして無論カトリックは人工中絶は神に対する冒涜である大罪だという思想を持っているのだ。

何故伝統的にラテン系は民主党に投票してきたのかというと、新移民は言葉が解らないので、地元の権力者の言いなりに投票する。以前にデニーシュ・デスーザの映画でもあったが、多くのラテン系は政治になど興味がない。それで投票用紙の埋め方すら知らない老人などのために近所の民主党活動家たちが個々の家を訪問し、その埋め方を「指導」してサインだけさせて自分らで回収していくというやり方をしてきた。(これは票田収穫と言って違法である)

しかしきちんと移民法に従って市民権を得たラテン系は、そうそういつまでも地元やくざのいいなりにはならない。実際に自分らの頭で考えるようになると、彼らの考えは世俗主義の民主党より保守的な共和党に近いことに気付くのである。

バイデン爺政権が推しているもうひとつのアジェンダがトランスジェンダリズム。先日大学における女性の権利を守る法律タイトルIX(ナイン)のカテゴリーに自称女の男子も含めるという大統領命令を出した爺に、マッチョ文化の強いラテン系が理解を示すとは思えない。

実はすでにラテン系が共和党になびいているという現象は起きている。三月にテキサスで行われた特別選挙で伝統的に民主党しか勝ってこなかった地区でマイラ・フロレス(Myra Flores)というメキシコ移民一世が共和党代表として当選するという快挙を遂げた。テキサスのラテン系が共和党になびいているというのは、この今年一月のCNNの記事にも書かれている。

ローンスターをシンボルに持つテキサス州は保守的で共和党支持で知られているが、メキシコと国境を面していることもあり、田舎の労働層である白人の数が、都市部のラテン系移民とその子孫らによって圧倒されかかっている。そこで民主党は民主党支持者を得る絶好のチャンスとテキサス州南部のラテン系を勧誘し始めた。しかし、、

2016年ヒラリーが33ポイントリードで圧勝したザパタ郡はメキシコとの国境沿いにあるが、2020年には共和党に変わった。ウエッブ郡もう一つの国境沿い地域は2016年から比べて共和党支持が二倍となった。そしてウエッブ郡の南にあるスター郡は2016年から55%もの移動があった。このような大きな移行は全国でも他に類を見ない。

メディアがトランプの国境警備方針を始め、トランプはラテン系を馬鹿にしているとか目の敵にしているとか報道していたにもかかわらず、これらのラテン系はそんな報道には影響されていなかった。その理由について大のトランプ嫌いであるCNNはこう語る。

答えは簡単だ。南テキサスの住民は自分らのラティノとか移民だとは考えていないのだ。それで投票はトランプの発言を元にしていなかった。彼らは自分達をテハーノスと呼び、その多くがアメリカ合衆国に六世、七世、中には八世と言う人も含まれる。

中には全く移住しなかった家族もいる。昔のことわざにあるように「私が国境を越えたのではない、国境が私を超えたのだ」。1845年にアメリカはテキサスを手に入れた、それですでにメキシコからの分離を望んでメキシコ北部に住んでいた人たちはアメリカ領土に住むこととなったのだ。

今ラティーノと呼ばれる新移民と違って、昔の移民子孫テハーノたちは地元文化への融和に努めた。当時の社会がそれを強要したのだとCNNは悪いことであるかのように書いているが、多くのテハーノ達はスペイン語を話すことさえ辞めてしまった。だから現在のテハーノたちはメキシコからの新移民にはそれほど親しみを持っていないし、ましてや南アメリカのガテマラやハンドラスやニカラグアの人々には親近感など持てるはずがなかった。

そりゃそうだ。我々日本人だって同じ東洋人だというだけで韓国や中国や他の東南アジアの人々と同じ文化を持っているわけではないのと同じことだ。20世紀中盤の頃になるとテハーノたちはチカーノと呼ばれるラテン系新移民たちとは距離を置くようになり、なんとテハーノの98%が世論調査で自分らの人種を「白人」と答えているという。

こうしたテハーノとチカーノを一緒くたにラテン系枠として圧倒的に民主党支持をするに違いないと考えて来た民主党は考え直す時が来ている。

私はCNNの見解とは違って、世俗的になっているテハーノ達よりも、かえって伝統的な家族愛を重視しているチカーノ達の方が共和党に共感する可能性が高いと思っている。前回の選挙でもバイデン支持者は少数派よりも郊外の白人女性が圧倒的に多かったからだ。

民主党は白人は共和党を支持するとなぜか思っているようだが、共和党支持者は人種関係なく、共和党の保守的思想と政策に共感を持つ人々なのである。そのことを両党とも考慮して、共和党は保守思想を抱く少数民族へのアピールを今後とも強化すべきである。

今回のロウ対ウエイド撤廃判決は、ラテン系有権者の票獲得には共和党にとっては非常なチャンスなのである。


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イーロン・マスク、ツイッター買収に成功!発狂する左翼リベラル

いやあ、本当に起きてしまった。世界一の大富豪(世界一かどうかは解らないが)テスラの社長、イーロン・マスクが遂に重役たちの努力も空しくツイッターを買い取ってしまった。いったいこれは何を意味するのであろうか?

マスクは常々ツイッターの検閲に批判的な発言をしており、ツイッターは誰もが好きなことを言える公共の意見交換の場所であるべきと言っていた。それ自体全く悪いことではないはずなのだが、なぜか左翼リベラル達が発狂している。笑っちゃったのはMSNBCのアリ・メルバーの発言。ツイッターで上がってきたのをRicky Elwood(@David_R_Stanton)さんが解説してくれてるのでちょっと引用。

もしあなたがツイッターあるいはフェイスブックをまるごと所有しているならばあなたは自分の事を説明する必要はありません。透明性を保つ必要すらありません。

あなたはある政党の1人の候補者あるいは全ての候補者あるいは全ての指名された人々を秘密裏にバンする事が出来ます。あるいはあなたはこっそりと彼らのスピーチやニュース(stuff)の登場機会をこっそり減らして、他の誰かの登場機会を増やす事だって出来るんです(ラジオのボリュームを絞ったり上げたりする手真似)。

そして視聴者はその減らされた人々については『選挙が終わるまで』見つけ出す事すら出来なかったかも知れないんです。イーロン・マスクはこれ(ツイッター買収)は全て国民を助けるためであると言っています。何故ならば彼はただ『言論の自由、哲学的に明快で開放的なマインドの助力者に留まっているから』です。

原文にはないが、音声がないと解りにくいので皮肉で言ってる部分は『』をした。メルバーは自分が何を言ったかわかっているのだろうか?これはまさしくツイッターが過去4年間にわたってやってきたことではないか。

2020年の選挙運動期間、ハンター・バイデンのスキャンダルを報道したワシントンポストの口座を凍結。民主党による不正選挙の話をするとすぐ削除されたり注意書きが付けられたりした。

コロナ禍ではワクチン推進以外のツイートはどんどん偽情報だと言って排除。イベルマクチンやハイドロクロロキンの話など名前を出しただけで要注意扱い。

リア・トーマスは男性だと言えば、数日間の謹慎処分!

そして極め付きは現職大統領のアカウントを永久追放。

左翼リベラル連中は普段は言論の自由だの表現の自由だの言ってるが、実際にはそんなものは信じていない。実際「民主主義を守るために言論の自由を許してはいけない」なんて本気で言う人が出てくるくらいだ。メルバーが焦っているのはツイッターがこのような言論統制をすることが今後難しくなるかもしれないということだ。

実際マスクが本当に主流メディアと違う意見のツイートを許すようになるのかどうかは解らない。もしかしたら彼は口先だけなのかもしれない。しかし、少なくとも今は、左翼リベラルたちの発狂ぶりをみるのは愉快である。こちらLibs of TikTokが集めた「ツイッター辞めた!」宣言のまとめ動画

まあ多少は辞める人もいるだろうが、トランプが勝ったらカナダに移住すると言っていた芸能人のほとんどがそんなことをしなかったのと同じで、大抵の人は辞めないだろう。何故かと言えば、マスクは左翼リベラルの発言を検閲すると言っているのではなく、左翼リベラル以外の発言を許すと言ってるだけなので、よく左翼活動家たちの使う言いかたを使わせてもらうならば、「私が自分の意見をツイートしたからといって、あなた方に何の弊害があるんですか?」

付け足し:今ツイッターで非常に興味深いツイートを見つけたのでこれも紹介しておこう。ツイッタラーさんはカン・西田@KanAugustさん。

本日オバマ元大統領がスタンフォード大学を訪れ、検閲の大事さを演説した。その理由について西田さんはこう語る。

なぜこのタイミングでオバマがスタンフォード大学の学生たちに 「言論の検閲」の必要性を訴えたか。 それは、この大学の多くの学生がシリコンバレーテック企業の有望社員として就職していくから。つまり、イーロン・マスクのような「言論の自由」を求めるトップに抵抗し、 内部で勝手に「言論の検閲」を行え、というメッセージ。 それだけ、「彼ら」にとっては自由に話されると困ることがあるということ。

リンク先の動画でスタンフォードの教授が”disinformation”(偽情報)という言葉を用いて、次の世代が偽情報と闘かわなければいけないと強調している。しかし彼らの戦い方とは、偽情報と彼らが判断した情報を検閲し、誰にも見えなくすることだ。

わたしは前々から言って来たが、偽情報と闘えるのは正しい情報だ。もし誰かが「バイデン爺さんはファシストだ」と言ったら、それを検閲するのではなく、何故バイデンがファシストではないのか論理だてて反論し、周りを説得すればいいのである。すべての情報を公開して、人々が自由に何が正しいのかを判断できるようにすることこそ民主主義の基本のはずだ。

それにしても以下に左翼リベラルが言論の自由を恐れているかが良く分かる今日この頃である。


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