キャンセルカルチャーに立ち向かうアメリカ

ジェイソン・アルディーンのTry that ina small townという曲が人種差別の歌だと言い掛かりをつけられ、カントリーミュージックテレビ局がビデオ放映を中止するなどしてアルディーンに圧力をかけたが、左翼の必死のキャンセル努力とは裏腹に曲自体は大ヒットである。

Chart (2023)Peak
position
カナダ Canada (Canadian Hot 100)[45]9
グローバル200 Global 200 (Billboard)[46]2
ニュージーランドヒットシングルスNew Zealand Hot Singles (RMNZ)[47]26
オランダグローバルNetherlands Global (Dutch Top 40)[48]28
イギリスシングルスヒットUK Singles Sales (OCC)[49]9
アメリカビルボード上位100US Billboard Hot 100[50]1
アメリカカントリーエアプレイUS Country Airplay (Billboard)[51]20
アメリカ人気カントリーソングスUS Hot Country Songs (Billboard)[44]1

アルディーンはキャンセルカルチャーの圧力に屈せず謝罪を全くしていない。反対にアルディーンの曲をかけない決断をしたCMTの方が視聴者からボイコットの対象になっているくらいだ。CMT Suffers Huge Blow After Boycott Calls Over Jason Aldean Music Video Ban (msn.com)

CMTは自分らの視聴者を理解していない。カントリーファンは愛国心の強い人が圧倒的に多いのだ。アルディーンの歌はアメリカが犯罪者の暴力で破壊されつつあるのを憂う歌だ。そんな歌を締め出したらファンが怒るのは当然だろう。女装男のディランモルベイニーと提携して破産寸前に追い込まれているバドライトもうそうだが、大企業は消費者をバカにした態度をもういい加減やめたらどうなのだろうか。

さて、もう一人、こちらも危うくキャンセルされそうになった歌手の話をしよう。こちらは詳しいことをBlahさんがツイッターで説明してくれている

この歌手の名前はNe-Yoというラッパーだ。数日前のインタビューでトランスジェンダーに批判的な発言をしたのが今回の炎上の原因。

「親がちょっと親としての役割を忘れかけてるんじゃねぇかなって思うよ。お前の5歳児がさ、『ダディ、ぼくはおんなのこなんだ』って言って、それ認めちゃうんかよって。5歳だぞ…許可すりゃ一日中キャンディばっか食べてる年齢だ…まだ車の運転もできないのに、性別は決められるってのかよ?一体いつから5歳、6歳、12歳の子供に生涯を変える選択をさせるのを良しとするようになったんだ?いつからだよ?わからん。」 (略)

「もしも自分の息子が『ダディ、ぼく、おんなのこになりたいの』って言ってきたら、『息子よ、おんなのこって何だろうね?』と訊いてやるんだよ。息子はどうすると思う?人形遊びをしたいかもしれない。いいんだよしても。人形で遊べばいい。でもお前は人形遊びをする男の子ってだけだ。『ピンクが着たい』って?いいじゃねぇか、ピンクを着れば。でもお前はピンクを着てる男の子だよ。」

普段は政治的なことを言わない芸能人が、こうやってたまに本音でいいことを言うというのはこれまでにもあったことなのだが、大抵の場合1日も経たないうちに左翼メディアやSNSで叩かれて、必死に謝罪して「ごめんなさい、勉強します、許してください」で幕を閉じるので、どうせ今回もそういうことになるんだろうと思っていた。NeYoはアルディーンと違って黒人ラッパーなのでなおさらだ。

案の定翌日にはNeYoからの謝罪声明がツイッターに掲載された。

「反省に反省を重ね、子育てと性自認に関する私のコメントで傷つけてしまった方々に深くお詫び申し上げます。私は常にLGBTQI+コミュニティにおける愛と包括性を提唱してきたので、私の言葉がいかに無神経で攻撃的なものと解釈されたかは理解しています。 ジェンダー・アイデンティティは微妙なニュアンスを持つものであり、正直なところ、私自身このトピックについてもっと深く学ぶべきだと認めます。そうしていずれ、一層の共感を持って対話に臨めるようになればと思います。 私は愛を持ってすべての人の表現の自由と幸福の追求を支持していく所存です。」

彼のファンは怒ったが、まあどうせそんなことになるだろうと思っていた私は驚かなかった。しかしNe-Yoは黒人ラッパーで、マッチョな文化のある黒人界隈ではトランスジェンダリズムはさほど人気はない。特に彼のファンは多分彼と同じ意見をもっているはず。だからNe–Yoは謝罪などせずに持論を貫き通しても決して彼の人気には悪影響など及ぼさないはずだ。だから人々は非常に落胆した。

ところがその翌日、Ne-Yoは自分の言葉で今度はインスタグラムで謝罪を撤回。先の謝罪文は自分が書いたものではなく、彼の事務所の広報部が書いたものであり自分の本意ではないことを明らかにした。

親愛なるみんな、どうしてる。Ne-Yoだ。普段はあんまり自分が何を思ってるとか何をどうするとかについて話さねぇんだけど、っていうのもみんなそれぞれ意見なんて持ってるし、なにも特別なことじゃないからな。 でもこれは俺が強く感じてることだから言わせてくれ。パブリシストのコンピュータからじゃなく、俺の口から直接聞いてもらいたい。(略)

だけど、誰かが俺に質問を投げかけたら、俺には俺の意見がある。俺は子供達が人生を台無しにするような決断をするのを、決して見過ごせない。俺はそれは絶対にできない。だめだ。

それで俺がキャンセルされるって言うんなら、世界はもうNe-Yoを必要としてないのかもしれねぇな。でも俺は全く構わない。俺はハスラーでなんとでもやっていける、俺には養わなきゃいけない子供達がいるからな。何があっても俺はやる。

ブラボー!Ne-Yoさん、良く言ってくれた。キャンセルカルチャーの圧力に負けないでくれてありがとう。

私はヒップホップは全然興味ないのでNe-Yoがどのくらいの大物ラッパーなのかは知らないのだが、だいぶ人気のある人らしい。こういう人気のある人が父親の責任についてこうして語ってくれるというのは非常に頼もしい。

キャンセルカルチャーと戦うためには、キャンセルに参加しないことが一番大事なことだ。大物芸能人が人種差別だのトランス差別だの言われても怯まず謝罪せず毅然とした態度を示し、それでもファン達から見放されない例がいくつも出てくれば、レコード会社や事務所がパニックを起こして芸能人たちと即座に手を切るなどということはなくなるだろう。さらにCMTのように手を切ったおかげでかえってウ経済的なダメージを受けるとなれば、左翼に染まっている大企業も早々簡単にキャンセルに参加することは出来なくなる。

だから今回この二人の大物がキャンセルカルチャーに立ち向かってくれたことは非常に喜ばしい限りだ。


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アメリカ高校生男子の65%が保守派寄り

Tag: 世論調査

本日拾ったニュース。High school boys are trending conservative | The Hill。これによるとアメリカ高校生男子の約65%が保守派寄りの傾向があり、これに対して女子の場合はたったの31%が保守派寄りだという。

普通若い子はリベラル寄りになると思いがちだが、最近は男の子に限っては比較的保守派の子が増えているという。

もともとリベラルな民主党支持には若い女性が多いことは知られているが、最近特に民主党からの男離れが酷くなっているらしく、特に男らしさが尊重される黒人やラテン系が民主党から共和党に移る率が女性よりも高くなっている。

ジョーダン・ピーターソンやプレーガ―大学のデニス・プレーガ―やスティーブン・クラウダ―など、何百万というフォロワーのいるユーチューブやランブルチャンネルでもその視聴者の大多数が若い男性である。またデイリーワイヤーのベン・シャピーロも視聴者の86%は男性で、18歳から44歳が一番多いという。

いや、面白い。私はベン・シャピーロが共同創設者のデイリーワイヤーのメンバーでシャピーロもピーターソンも愛聴しているし、またスティーブン・クラウダ―のメンバーでもある。プレーガ―U(プレーガ―大学)はあまり観てないが、昔はプレーガ―のトークラジオをよく聴いていた。こうしてみると、どうも私は男性が好きなものが好きな傾向があるようだ。

ヘリテージ基金(Heritage Foundation)のデラーノ・スクワイヤース(Delano Squires)はこれに関して保守派はもともと男らしさを受け入れる傾向にあるとし、リベラルの機動力はフェミニズムにあると語る。

男の子たちのリベラル離れは納得がいく。学校教育はそれに関わる人たちが圧倒的に女性だ。学校の先生もカウンセラーも女性ばかり。それで教育の場ではあたかも男性が男性らしくあることが悪いことであるかのように教えられる。「有害な男らしさ”toxic masculinity”」などと言って男の強さが忌み嫌われる傾向があるのだ。最近のリベラルは女みたいな男を奨励するので、自分は女だとか言い出す少年が出て来るのである。

男はもともと乱暴な生き物だ。だから暴力的なビデオゲームやアクション映画が好きなのであり、こうしたメディアむの愛好家は圧倒的に若い男たちなのだ。ところが最近のゲームや映画の世界でもやたらと強い女の存在が強調され、男たちは脇に追いやられている。最近崩壊したアニータ・先―シアンのフェミニストフリークエンシーなど、自分らはゲームなどしないくせに、ゲーム内の女性の描写が女性差別だのなんだのとクレームをつけ、危機に瀕する美女を格好いい男が救うというシナリオをことごとく書き換えさせたり、最近のスターウォーズやインディアナジョーンズなどでも、鼻持ちならない女性キャラクターが愛されてきた男性キャラクターをコケにする内容ばかりだ。それで結局何が起きたかと言えば、ブスの女性キャラが活躍するゲームや映画からファンがどっと去ってしまうという現象だ。最新のインディアナジョーンズのずっこけぶりは前代未聞である。

ここまで馬鹿にされれば、男の子たちが道を見失うのも無理はない。それで男は男らしく強くあるべきだと言ってくれる保守派に男の子たちが魅かれるのは当然の成り行きだろう。


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ホワイトハウスの庭園でトップレスになった女性自認男、左右から猛攻撃を受けて謝罪にならない動画をあげる

先日、ホワイトハウスの庭園で行われたプライド月間イベントで上半身裸になって偽乳房を揉みしだいた動画を挙げた女性自認男の行動に関して、保守派からの批判は当然のことながら、左翼リベラル及びトランス界隈からすらも、あまりにも時と場合を弁えない不適切な行為として猛批判を浴びている。

この自称女の男の名前はローズ・モントヤ。トランスジェンダー活動家界隈では結構有名で、私も前々から色々噂は聞いている。我々保守派からすれば、モントヤの行為は特に驚くべきことではない。我々は前々からTRAは子供を腐敗すると言い続けて来たし、昨今のプライド活動は子供を標的にして性的な行為をする危険なものになっていると訴えて来た。モントヤの行動は単にそれを象徴するものだ。

モントヤは当初、保守派からの批判に対して全く反省の色をみせず、自分は乳房を除去した「トランス男性」への同胞の意思を示した「乳首を開放せよ」運動の一貫だったと主張していた。これはおこるべきしておきた事件である。

モントヤが場所柄もわきまえずにあんな破廉恥な行為に出たというのも、そしてそれが許されると考えたというのも、最近どれだけTRAがアメリカで特別扱いされてきたかを証明するものだ。過激な行為は容認すればするほど過激になっていく。だれも境界線を引かなければこういう連中が頭に乗るのは当然のことである。

しかし、いくら何でも今回のことはやり過ぎということで、ホワイトハウス自体がモントヤらの行為を強く批判。今後これらの人びとのホワイトハウスへの立ち入りは禁止するとジョンピエール報道官は宣言した。しかしすでにダメージは起きてしまった。だいたいこんな奴らをホワイトハウスに招待することが良いことだと思ったバイデン政権にこそ非があるわけで、今更こいつらを出禁にしたところで全く意味はない。

今回のモントヤの行動は、さすがのTRA界隈でもやりすぎだという批判が出ている。それでなくてもトランスジェンダーは子供を腐敗すると叩かれている時期であるのに、ファミリーフレンドリーとして子供も招待されていたプライドイベントで裸になるとはどういうことだ、と右からも左からも批判されたモントヤは自宅にまでメディアが押しかけ、謝罪に追い込まれ「謝罪」動画を上げたが、これが全く謝罪になっていなかった。

先ずモントヤは昨今反トランスやトランスへの暴力的な法律などが通るなか、自分の声を聞いてもらうためにホワイトハウスに招かれたことを光栄に思うと言った後、そのうれしさのあまり、その場の雰囲気に飲まれて、その場にそぐわない行為をしてしまったと説明。しかしながらそれ自体が悪かったという謝罪をせず、自分の行為がここまで反響を呼ぶとは思わなかったと言い訳に入った。そして謝罪を始めるのだが、彼が最初に謝罪したのは「色付の兄弟や姉妹たち」。黒人のトランスジェンダーは常に攻撃の対象にされていると、全く関係のない人種問題を持ち出し黒人のTRAからの同情を買おうと思ったんだろう。もうここですでに彼は間違っている。

次にモントヤは今回のことで迷惑をかけた自分の友達や家族、それからLGBT界隈に向けて謝罪した。そして最後にバイデン大統領と国民に対して「最後になりましたが」と謝罪した。おいおい、それは順序が逆だろうが!

彼が最初に謝るべきなのは自分を招待し自分の発言の場を与えてくれたバイデン大統領とジル夫人だ。彼の行動がホストであるバイデン大統領にどれだけ恥をかかせたか解っているのか?そしてアメリカ国民全体に対してだろうが。彼の行為は大統領官邸という聖なる場を汚したのみならず、アメリカ国民全体に恥をかかす行為だったのだ。そういう根本的なことをモントヤは理解できていない。

彼が全く反省していないことがわかるのは次の部分で、未だに自分の行動がこれほどまでに反響を呼ぶとは思っていなかったと言っている点である。そして「私のトランスとしての喜びの瞬間が、邪悪な人々によって反対派の武器として使われるとは思いもよりませんでした」と悪いのは自分ではない、自分の行動を悪用したアンチが悪いのだと続けている。彼は単に自分の行動によって自分の友達や家族に迷惑がかかったということに謝罪しているだけであって、自分の行動そのものが悪かったという意識は全くないのである。

モントヤはこの機を使って他の人たちにトランスジョイに分かりやすく教育していきたいという。どうしてこの人たちは常に相手に「教育」しようとするのかね。本当に自分らがどれだけ特権階級だと思い込んでいるのか、思い上がりにもほどがある。

そして最後にわらっちゃったのは、メディアに対して自分や家族のプライバシーを守って欲しいと言ったことだ。大衆の面前で偽乳房をさらけ出して揉みしだいた人間がプライバシーも何もあるもんか、ばっかじゃないの!


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保守派消費者にも力がある。バドライトのボイコットとターゲット批判の成功に発狂する左翼リベラル

先日からお話しているように、アメリカではバドライトのボイコットと、ターゲットへのバックラッシュが続いており両者の株価は下がる一方である。プライド月間を目の前に虹色キャンペーンを計画していた企業はみな明日は我が身と戦々恐々としている。

Well…GOOD!

我々保守派及び一般市民は、もう何年も左翼リベラルによる企業を通したポリコレ押し付けを我慢してきた。ここ数年右も左も虹色一色に染まり、ことあるごとにけばけばしい化粧姿の女装男が裸同然の姿で子供たちの前で腰を振り、愛用していた店や洋服ブランドやビールまでもがトランスジェンダリズムの虹色に冒されていくのを指をくわえて見ているしかなかった。なぜなら少しでも苦情を述べようものならすぐにトランスフォーブだ差別者だターフだと言って叩かれ、地位や名声も一瞬にして奪われるという憂き目にあってきたからである。

そうやって我々が耐えているのをいいことに、左翼リベラルの活動はどんどん過激になった。数年前までは一年に数日ゲイプライドマーチがあった程度だったのに、いつの間にかそれが6月一杯続くようになり、小中学校で同性愛セックスの指南を始めたり、子供向けにペドフィリア登録者のドラアグクィーンのショーを開催したり、危険なホルモン治療を子供に施したり、親に内緒で子供を社会的に性転換されるなど、もう見て見ぬふりをしていられる時期はとっくに過ぎてしまったのである。

それでも普通の客は、ターゲットの一角に虹色コーナーがある程度のことなら、忌々しいとは思っても、いつものことだと無視していたに違いない。しかし左翼はいつもやり過ぎるのだ。

バドライトに関してはディラン・モルベイニーという目障りな女装キャラが一年以上にわたってメディアでもてはやされてきたことを女性達は文句を言いながらも、彼が宣伝しているタンポンやスポーツブラに対するボイコットはお粗末なもので、あまり効き目がなかった。それが一気に効き目を及ぼしたのはバドライトが男らし男たちの飲み物だったことだ。こう言っちゃなんだが、男が腰を上げると何もかも一気に変わる。

バドライトのことがあったばかりなので、企業も気を付けるかと思いきや、ターゲットやノースフェイスはトランスジェンダリズムにフルギアで挑んだ。だからターゲットが批判の標的(ターゲット)にされたとしても自業自得である。

さて、これまでTRAの横暴に一般消費者は注意を払って来なかった。しかし彼等が突然目を覚ましたかのようにターゲットを批判し始めたというのも、そのマーケティングが子どもたちに向けてされていることが一番の理由だろう。

これについてワシントンポストのモニカ・へセ(Monica Hesse)は、ターゲットへの批判はお門違いだという記事を書いている

今回ターゲットが炎上しているきっかけとなったのは、ターゲットで買い物をしていた若い母親が子供向けの水着に男性器を隠すような所謂タック用ポケットがあるとソーシャルメディアで動画を挙げたことがきっかけだ。しかし後になって、ターゲットはタック付きの水着は子供用ではなく大人向けだけだったと主張し、実際子供向けにそんな水着があったのかどうかは不明である。

[数日前、私はTargetのウェブサイトにログインし、現在右翼の憤慨と店舗の大規模なボイコットを引き起こしている2つの商品をこの目で確かめた。その結果、その商品(「幼児用」のタック入り水着)が実在しないことがわかった。少なくとも、マット・ウォルシュのような怒れるネット上のインフルエンサーが主張するようなものではなかった。

AP通信に引用されたターゲットの広報担当者によると、水着自体は本物で、カラーブロックのワンピースや黒のハイウエストボトムにスポーツブラのトップスを合わせたものだったそうだ。(略)

憂慮する人たちが言うように、水着は「猥褻」でも「性的」でも「グルーミング」でもなく、極めて控えめなものだった。水着は、水着であるだけで「猥褻」でも「性的」でもない。水中で泳ぐための実用品だ。露出度が高いという点では、安心されたし、オリンピックの男子ダイビングチームには、このターゲットのスーツで見るよりも露骨な膨らみがある。ウェブサイト上でこれを着たフレッシュな顔のモデルたちは、まるでプールパーティにポテトサラダを運ぶ準備をしているように見えた。]

ただその乳児や幼児用の虹色水着にはLGBT奨励メッセージが書かれているということはモニカ記者は無視している。乳児服に「プライド」なんて書く必要がどこにある?しかもプライド売り場には悪魔崇拝主義者のデザイナーによる商品も売られているということに関しては何も言うことがないのかな?

しかし記事のこの部分は実は記者自身は気づいていないが非常に良い点をついている。記事では今企業経営者はこの一連のバックラッシュにどのように対応すべきなのかという点について、ターゲットもアナハイザーブッシュもすでに「子供の性的描写」を避けているとし、ターゲットで売られている水着や服は之と言って性的でもなんでもなく、子供を洗脳するようなものでもない、バドライトに至ってはビールは大人向けであり子供は関係ないと言う。(強調はカカシ)

「もしあなたが企業経営者なら、自社の利益を守るために反発を避けるためには、トランスジェンダーをまったく認めないという選択肢しかなかったということに気がつくかもしれない。

彼らがビーチに行きたいと思っていて、そのために適切な服装が必要であることを認めないようにする必要があっただろうし、彼らがビールを飲むことを認めないようにする必要があっただろう。簡単に言えば、彼らが存在することを認めないようにする必要があったのだ。(実際、多くの怒りを買ったターゲットのTシャツには、「Trans people will always exist」とだけ書かれていた)。」

もし記者が言うように、大企業が、子供向けであるとなかろうと、トランスジェンダリズムに関する広告をすること自体が商売にとっては非常に有害であるという教訓を得たというならそれは非常にすばらしいことだ。モニカは驚くかもしれないが、もしもトランスジェンダリズムの押し付けを拒否するということが「トランスジェンダーを全く認めない」という解釈になるというなら、私個人としては全くそれでいいと思う。私はハナからトランスジェンダーなんてものは存在していないと考えているから。

説明するまでもないが、ここでいうトランスジェンダーとは異性の振りをしているだけの政治活動家たちのことであって、実際性違和があって異性装をしているGID当事者のことを指すのではない。

モニカ記者はボイコットをしている人々は建前上は子供を守るためだとかきれいごとを言っているが実際は自分が理解できないトランスジェンダーというものを見たくないだけなんだろうという。そう、その通り。日用品や服を買う場所で、これでもかというほどトランスジェンダーに関する情報など見たくない。まだ心の準備も出来ていない子供に向かって大人ですら訳の分からない人たちの存在についていちいち説明などしたくない。

トランスジェンダー用の水着でも洋服でも需要があるというなら、それ専門の店なりネットビジネスなり始めればいい。いや、すでにそういうビジネスは存在している。なにもターゲットのようなファミリーフレンドリーな大型小売店で大々的に売り場まで作って売る必要はないはずだ。

ターゲットの損失によって他の企業もトランスジェンダリズムに迎合することの危険性を学んでくれるならそれに越したことはない。マット・ウォルシも言っているように、トランスジェンダリズムは商売にとって非常に有害な概念なのだということを国中に広めよう。


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大悪評の歌舞伎町タワー男女共同トイレ、苦情殺到で遂に男女別に改装へ!だから言ったじゃないの!

いやあ爽快な記事を読んでしまった。

歌舞伎町タワーのジェンダーレストイレ、ついに改修へ 暫定的に女性用に仕切りも設置

5/19(金) 18:34配信82

施設のジェンダーレストイレ

 東京・新宿の複合高層ビル「東急歌舞伎町タワー」で物議を醸したジェンダーレストイレについて、施設側は、一部を女性用トイレに振り分けていたが、元々の女性用と合わせてトイレに暫定的な仕切りを設置したことが分かった。 【写真】結局、仕切りで女性用が分けられた  

トイレを巡っては、使いづらいとの声が相次いでおり、施設側は、そのことに配慮したと取材に説明している。そのうえで、「更にお客様に安心してご利用頂けるトイレを目指し、今後改修工事を実施する予定」であることを明らかにした。

■仕切りには、「仮設のパーテーション」と表示  歌舞伎町タワーは、2023年4月14日にオープンし、2階には、性別に関係なく利用できるジェンダーレストイレの個室が5基設置された。  同じ空間には、ジェンダーレストイレに向かって右側に女性用トイレが5基、左側に男性用トイレが2基あり、手洗い場も共用とされた。さらに、多目的トイレが1基あるほか、男性用の小便器は別の空間に配置されていた。  

しかし、ネット上では、数種類のトイレが同じ空間にあって使いづらいとの声が相次いだほか、性犯罪などの危険を指摘する声も出ていた。特に、女性からは、トイレは別の空間にしてほしいとの声が強かった。  これに対し、案内のために警備員が配置されたとネット上で報告され、施設もそれを認めた。そして、施設では5月初めごろ、ジェンダーレストイレの3基を女性用に振り分ける措置を取ったことが新たに分かった。また、フロアガイドに書かれたジェンダーレストイレが単純な「トイレ」に表記変更されているとの情報もあった。  

その後、5月16日になって、ジェンダーレストイレの前付近に仕切りが設けられ、右側の女性用を分けていたとして、ツイッター上に写真が投稿された。それを見ると、仕切りには、「仮設のパーテーション」と表示されていた。  この投稿は、1万4000件以上「いいね」が付けられており、様々なリプライが寄せられている。

「安心してご利用頂けるトイレを目指し、今後改修工事を実施」

 「これは良い試み」と評価する声が出る一方、「これでも万全とは言えない」「もう作り直せば?既存の男性用と女性用にして」といった意見も相次いでいる。  今回の仕切りについて、施設側は5月19日、J-CASTニュースの取材に対し、トイレについて改善を何度か重ねたとし、「お客様からの多くのご意見を踏まえ、女性トイレ利用エリアを、暫定的にパーティションで区画することにいたしました」とメールで説明した。  男性用トイレと同じ空間にあるジェンダーレストイレの2基については、そのまま残したことも明らかにした。  仮設のパーテーションではなく、トイレを改装して男女別に壁を作るべきとの声も、ネット上では多い。  この点について取材すると、具体的な内容は分からなかったものの、「更にお客様に安心してご利用頂けるトイレを目指し、今後改修工事を実施する予定でございます」と明らかにした。

要するにこのジェンダーレストイレの試みは大失敗に終わり、従来通り男女別トイレに改装されることになったというわけ?

いったい誰の素晴らしいアイディアだったんだよこれは?Whose bright idea was this?

こうなることは作る前からわかりきっていたことではないか。最初から女性達は共同便所なんか求めていなかったし、普通の男性達も女子と共同なんて嫌だと思っていた。喜んでいたのは痴漢や売春目当ての売春婦やその客たちくらいだろう。

正直言って今度のことは話題になったおかげで男女共同便所が如何に時代遅れでバカげた考えであるかがはっきりした。そういう意味では少なくとも試すだけの甲斐はあったのかもしれない。私は何度も繰り返し言っているのだが、既存のやり方を変えようとする前に、そもそもどうしてそういうやり方が導入されたのかということをよくよく吟味してから考えてほしい。東急はこんなことに経費を浪費したことを十分に反省してもらいたい。


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礼儀正しくしてる時期はとっくに過ぎた。マット・ウォルシのディラン・モルベイニー批判が意地悪過ぎると批判する保守派たちに反撃するコメンター達

しょっとややこしい題名になってしまったのだが、解りやすく箇条書きにしよう。

  • 数日前マット・ウォルシが「女の子○○日目」動画で一躍スターダムにのし上がった女装男ディラン・モルベイニーの最新の整形後動画に対して、お前は美しくなどないと痛烈な批判をした
  • 対し、リベラルではなく右翼保守のインフルエンサーたちがこぞってウォルシの口調が厳しすぎると批判した。中でも私が愛聴しているイギリス人コメディアン二人のトリガーノメトリー(Trigernometry)がイギリス人特有の皮肉たっぷりの口調でマットを批判した。
  • ところがトリガーノメトリーの動画に寄せられた4000以上のコメントをいくつか拾って読んでみると、マット・ウォルシの意見に大賛成のものばかりだった。

さて、では事の最初からご説明しよう。読者諸氏はディラン・モルベイニーという女装男をご存じだろうか。彼はほんの一年前までは鳴かず飛ばずのブロードウェイ俳優だった。コロナ禍で劇場が閉まり、食い扶持に困ったのか、インスタグラムで「女の子1日目」などといって女性になるための日記を動画に挙げたところ、これが大ヒット。モルベイニーはもともと役者なのでぶりっ子の女の子を演じるのが非常に上手だった。私はそのやり方があまりにも大袈裟だったので、てっきりパロディーだと思っていたのだが、どうやらモルベイニーは本気らしく、すくなくとも本気で自分は女になろうとしているとして、動画上でタンポンの話をしたり化粧品の話をしたりして、いくつもの大手企業のスポンサーが付き、果てはホワイトハウスに招待されて大統領にインタビューするまでに至った。

そして最近彼は顔を女性らしくする整形手術を受けて、その結果をミュージックビデオよろしく発表。そして自分は普通の女性より美しい、女性達の旦那を乗っ取れるくらい美しいというビデオを公開。マット・ウォルシはその動画を観て怒りを隠せない様子で批判したのだ。

ディラン、それが君にとって最も美しい姿だというなら、君の最も醜い姿は想像したくもない。(略)君は男らしくないかもしれないが、決して女らしくもない。君は気味悪く、人工的で、製造され、生気がなく、地に足のついてない、奇形だ。君は何かの人間ディーブフェイクだ。(略)君が得られるものは最高でも良くてちゅうぶらりんだ。しかもそのちゅうぶらりんの状態ですら、君はしょせん男だ。単に誰からも尊敬されず真面目に取り合ってもらえないだけの男だ。

なんとこのマットの動画はツイッターだけでも2億回再生されたのだそうだ。それで無論LGBTQ+αやTRAからの批判がでたのは予想通りのことだが、何故か普段はマットと同意見の右翼保守派の間ですらも、マットの発言は厳しすぎる、意地悪過ぎる、下品だという批判が沸き上がって、日本語で言うところの大炎上である。マットを批判した保守派のなかには私が結構よく聞いているポッドキャスターたちもいたので個人的にはちょっと失望した。

私もよく聞いているユーチューバーのTheQuateringのジェラミーやティム・プールなどがマットの言ったことに間違いはないと認めながらも、言い方が意地悪だとかそんなやり方で相手の同意は得られないとか、特にトリガーノミトリ―の二人の皮肉を込めた批判には苛立ちを感じた。しかしながら、先ほども言ったように、トリガーノミトリ―のコメントセクションの殆どがマットの意見に賛成しているのだ。下記にいくつか拾ってみよう。

ディランは大人の「女の子」を気取る大人の男だ。マットはかなり遠慮しているわ。女性としてこの茶番はもう沢山。親切にしろとか言われたくないわ。

マットはこの馬鹿げたことを終わらるために、この先どうするかを示しているんだよ。彼ははっきりと正直に言えばどうなるかをみせているのだ。

ウォルシは無防備な見解に関して記帳な意見を十分礼儀正しいし優しくのべている。

もう俺たちは「誰かの気持ちを変えさせる」なんて時期はすぎちまったんだよ。奴らは我々の子どもたちを狙っているんだぞ。比喩的にも文字通りにも。

あなたたちはこれに関して完全な見直しをすることが必要だ。マットのあなたたちへの反応はドンピシャだよ。

あなたたちが解らないのは、もうこれはすでに行き過ぎてるんだよ。今更礼節なんて言ってる場合じゃない。もう戻れない地点まで来てしまったんだよ。

まだわからないの?奴らに1インチでも譲れば1マイルとられるんだってことが。マットの言い方は個人的だったかもしれないけど、これはディランみたいなやつらがどれだけ長いこと個人的になってきたかへの反応よ。ただ一つ言い方がまずかったとしたら、キャンセルと言う言葉かしら。人々はもうびくびくしながら歩くのにうんざりしてるのよ。

とまあこんな感じだ。もっともこれらのコメントのなかには、マットのファンもかなり混じっているから、トリガーノミトリ―のファンの本当の意見かどうかは分からない。

実は私もマットと同じ意見だ。私は昔からアメリカの右翼保守は左翼リベラルに遠慮しすぎると思って来た。特に言葉使いに関しては、リベラル達が気まぐれに始める新しい造語を、自分らは差別者とよばれたくないばっかりにすすんで使おうとするのが保守派である。例えば、生得的と言わずに生まれた時に割り当てられた性だの、女性と言わずにシスウーマンだの、ミスジェンダーだのターフだの、我々保守が受け入れるべきではない概念を表す言葉ですらあたかも当たり前のように使いはじめたりする。

その結果我々は何を得たというのだ?敵は少しでも我々の立場を理解しようとしたか?我々に歩み寄ろうとし方?事実はその真逆だ。奴らは余計にいい気になって自分らのより一層理不尽な要求を求めて来る。

あれだけ左翼リベラルとして性的マイノリティーの味方をしてきたJKRだって、ほんの少しの意見の違いでまるで今世紀最悪の魔女のように扱われている。マット・ウォルシがモルベイニーに理解をしめしたところで誰がウォルシを理解しようなどと思うだろうか?

いい加減に誰かが、もうたくさんだ、と声を上げる時なのだ。

ディラン・モルベイニーは女なんかじゃない。奴の整形した顔は美しくない。その厳しい現実を声高に述べることは意地悪でもなんでもない。

いや真実とは時として非常に意地悪なものなのだ。


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家父長制度は男尊女卑なのか

先日杉田水脈議員が国会で2014年に発言した家父長制度と男女共同参画に関するビデオがツイッターで上がってきた。私は日本住まいではないし、日本国内の政治については非常に疎い。しかし私の限られた知識のなかの杉田水脈議員の発言は常に同意できるものばかりだ。これもそのひとつである。

本来日本は男女の役割をきちんとしたうえで女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国です。女性が輝けなくなったのは冷戦後、男女共同参画の名のもと伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等を目指してきたことに起因します。男女平等は絶対に実現しえない反道徳の妄想です。-杉田水脈議員

それで、左翼フェミニストのなかには家父長制度が悪の根源みたいに言う人が多いが、女性は男性が守るべきという社会のほうが、女も男も外で働け!女一人でも子供育てろ!という社会より生きやすいのではないだろうか。という内容のツイートをしたら、私のことを「男尊女卑が身にしみこんでる」と返してきた人がいた。この人と私は普段はトランスジェンダーのことなどで女性空間は守られなければならない、男と女は違うという意見で一致しているのだが、どうも夫婦に関する話題になると突然敵意を丸出しにしてくる。何故左翼フェミニストはこうも男を敵視するのであろうか?

これは非常に興味深い話題だ。家父長制度とは本当に男尊女卑の制度なのか考えてみよう。

家父長制度とは、父方の家系が長男によって受け継がれる制度であるが、日本の場合は婿養子も可能なため、事実上は長女が引き継ぐことも可能だ。確かに昔は長である父親の権限が最高であり最終であるとされており、女性は財産を持てなかったり、発言権がなかったりとかなり男尊女卑な時代もあった。

しかし、戦後の家父長制は単に父方の家系が引き継がれるというだけであり、父親はあくまで家族の代表であり、絶対的権限を持つ長ではなくなった。

フェミニズムが家父長制度を毛嫌いする理由は、これを単なる家族制度と考えず、「男性支配」「女性たちの抑圧」とほぼ同義語として使ってきたからだ。この解釈は明らかに杉田議員の解釈とは違っている。

まず一旦家父長制度という言葉は横に置いて、結婚制度について考えてみよう。

先ず大事なのは結婚は女子供を守る制度だということ。極端な話、男に女子供は必要ない。野生の世界では雄は雌の種付けをしたら、すぐ去っていく種族も多い。人の雄も自然に任せればそういう傾向がある。だから何の規制も無ければ、男は女に飽きたらさっさと去っていくように出来ているのだ。

しかしヒトはそういうわけにはいかない。なぜならヒト科の雌は男性にくらべ弱体で筋力も瞬発力も劣るため雄のように狩をして必要な食料を集めることができない。またヒト科の赤ん坊は他の動物にくらべて非常に未熟なまま生まれてくるため、一時でも目を話すことはできない。だからヒト科の雌と乳児は雄の庇護が無ければ生き延びられないのである。

いにしえの昔から人間社会はそのことに気付いていた。だから男が女を孕ませた後に無責任に逃げてしまわず子供がしっかり育つまで女子供の傍にとどまるために結婚制度というものが生まれたのだ。

確かに肉体的に強い男性が女性を弾圧した時代は長い。しかし現代の日本における家父長制度は男性による女性弾圧の制度ではない。これは男が女を守るというより、結婚制度が女子供を守るのだと言い換えた方がいいのかもしれない。

ところで先ほどの@maikokarino121さんがおもしろいことを言った。

なぜ男が”長”でないといけないのかわかりませんね。役割分担があっても女性が長で問題ありません。うちは世帯主は女ですけどね。安全を守るのは男ではなく警察です。

この「警察」というのは文字通りの「警察」というより政府の象徴と解した方が解りやすい。

以前にもシングルマザーを政府がもっと援助すべきだと言っていた女性がいたが、マイコさんもこうした女性達と同じで、女手一つで子育てをするのは非常に難しいことだと認めている。だが何故か男性の伴侶と一緒に子育てをするのではなく、夫の代わりに政府に面倒をみてもらいたいという考え方なのだ。

家族単位の制度を破壊して社会全体で子育てをするというのは社会主義の典型的な思想だ。

彼女たちは長である男性に決定権を与えたくないと言いながら、政府にその絶対的権力を委ねようというのである。しかも権力者の殆どは彼女達が嫌う男性であると言うことを無視して。

現在の日本における家父長制度の長(世帯主)は、絶対的権力を持ち家族を服従させる立場にある人を指すのではない。彼はあくまで家族の代表に過ぎない。家族がひとつのチームであるとしたら、チームリーダーが必ずしもチームメンバーたちを独裁できる立場ではないことからそれは容易に理解できるはずだ。

ただ長には最終的責任がある。家族で話あって決めたことでも最終的な責任は彼がとらなければならない。だから迂闊は判断はできないのである。私はこんな責任重大な立場になどボランティア(立候補)したくない。頼りになる夫にすべて任せられるならそれに越したことはないと思っている。

日本で男女共同参画なる不思議な制度が起用されるようになって、女性達はそれ以前よりも幸せになったのだろうか?女性の権利はより守られるようになったのだろうか?

私は2008年に、男女共同参画の基盤となっているジェンダ―フリーという思想は女性の権利をまもるどころか文明社会全体を破壊しかねないと警告した。思った通り、男女共同参画によって日本女性たちは女性専用トイレを失い、女湯に男性器付き人間が入ってくる危険にさらされている。男尊女卑だと言って家父長制度を弱体化して母子家庭を増やし、ジェンダ―フリーと言って男女の差を無視した結果がこれである。

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ところで家父長制に関して批判的で、私に敵意むき出しで喧嘩腰に話しかけてくる女性達は、私から見てとても幸せだとは思えない。自分の生活に満足していて幸せな人は他人の何気ない発言に牙をむき出しにして吠えて来たりはしないと思う。

反対に、私と和やかに話をしてくれる人達は、大抵の場合自分の生活に満足している人が多い。もちろん人生色々不満なところはあるに違いないが、自分の不幸せを男性のせいにしてばかりいる女性は幸せになれないような気がする。


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道徳観念がないと理解できない他人の正義感

ちょっと今日は哲学的な話をしようと思う。もっとも私は哲学なんて大学で必須課目を一学期取っただけなので学問としての哲学に関してはほぼ無知である。私が本日話したいのは、もっと一般的な正義や道徳の話だ。

昨日私はツイッター上で渡辺(ツイッターでは白江)直弼というツイッタラーと話をしていて改めて気づいたことがある。それは、世の中には道徳観念というものを持ち合わせていない人がいるのだということだ。普通ある行為が良い行為か悪い行為かを判断するためには行為そのもので判断されるべきだ。しかし道徳観念のない人たちは行為そのものが良いか悪いかではなく、行為を行った主役が自分の仲間であるか敵であるかでその罪が良くも悪くもなると考えるのである。

そう思ったきっかけはツイッター上で回ってきた渡辺によるノートエッセーに私がコメントしたことだった。エッセーというより他人のツイッターをコピペしてその下にちょっとしたコメントを書いた程度のお粗末なものだが、彼はLGBTQがやたらとペドフィリアと結び付けられることに文句を言っていた。

渡辺はLGBTQにはペドフィリアも含まれるという言い方は、LGBTQ以外にはペドフィリアは居ないと言っているのと同じで、ペドがLGBTQ特有の性癖であるかのような誤解を与える悪意のある表現だという。

ドラァグクイーンの中にペドフィリアがいることをどれだけ主張しようが、これは(B)LGBTQを属性として見たときの「含んでいる」を示しているにすぎず、「LGBTQ以外もペドフィリアを含んでいること」を否定できません。この路線で「LGBTQはペドフィリアを含んでいる」と主張することは、過激な差別主義者がやることでしょう。

確かにペドフィリアはLGBTQ界隈の専売特許ではない。悲しいことに異性愛者の男性が女児を性的に虐待するという話はいくらでも聞く。このように忌まわしい犯罪を犯すけしからん輩はどこの世界にも存在する。

問題なのは、こうした行為を目のあたりにした時、人がどのような態度をとるのかということだ。幼児虐待は誰がやっても悪いことだからと告発するのか、それとも同胞がやっていることだからと黙認するのか。

残念ながらLGBT界隈にはその自浄作用が機能していない。いや、それどころか小児性愛はセクシュアリティーの一種でありQueerの一部として認めるべきだなどと平気で言う人までいるのだ。下記はトランスアライで有名なジェンダー学者の清水晶子女史の2016年のツイート。

どこから再燃しているのか知らないですが、またTLにあがっているようなので。ペドフィリアはセクシュアリティーの一つだと思いますし、ペドファイルはその意味ではセクシュアルマイノリティーです。それは否定できない。そのことと、性暴力や性虐待を許容しないこととは別の話です。ー 清水晶子

またQueerを自認する学者たちの間で、ペドフィリアという呼び名にはスティグマがあるので「未成年に魅かれる人々」という意味のMAPという呼び名を使うべきだなどと言う人まで出てきており、およそLGBT界隈からはペドを排除する動きが見られない。

それだけではない。最近のLGBT活動家たちの行動を見ていると、ペドを排除するどころか小児性愛を奨励し推進しているかに見える。

例えば幼稚園児や小学校低学年に「性教育」と称したポルノまがいの本を教材にして教えたり、ファミリーフレンドリーと称して子連れ親子を対象に非常に性的で卑猥なパフォーマンスをするドラアグショーを行ったり、父母たちが怒って抗議をするとANTIFA暴力団を放って父母たちを脅迫したりしている。これがペドフィリアを悪いことだと思っている人々のする行為だろうか?

このような話を私がツイッターで延々と描いていたところ、著者である渡辺が白江の名前で「なぜペドフィリアを批判するのにLGBTと結びつける必要があるのですか?」と抗議してきた。

私は先に述べたもろもろの理由からLGBT界隈はペドを排除するどころか奨励しているように見える、そうでないというなら界隈でそれを批判している例をあげてはどうか、先ずは渡辺自身が率先して批判してはどうかと返した。

ここで断っておくが、この話をする際にはLGBTQ+と一緒くたにしないでLGBとTQ以降を分けるべきだと考える。何故かと言うとLGBのなかにはLGB同盟やGays against groomers(グルーマーに対抗するゲイたち)といった、子供を性的に洗脳することや子供の性転換に反対する運動をしている人たちが存在するからである。私の知る限りTQ+でそういう運動をしている人は居ない。

しかし渡辺はLGBTを執拗なまでに一緒に扱い、「ペドとLGBTを結びつけるな」と繰り返すだけだった。

長時間にわたる彼との退屈な会話のなかで私はあることに気が付いた。それは渡辺はドラアグクィーンやゲイカップルによる幼児性虐待について、そうした事件を紹介した私に対しては何度も批判したが、実際に幼児を虐待したドラアグクィーンやゲイカップルに対する批判は一度もしなかったことである。それをいうなら小児性愛が忌まわしい性癖であり、子供を性対象にするなどあってはならない行為だという発言も全くしなかったのだ。ただただ私がペドがLGBTだけの間で起きることのようにいい、異性愛者の間で起きていることを無視していると責めるばかりである。これは私が彼に「ペド行為とその加害者を批判しないのか」と何度も聞いた後でも変わらなかった。私が何度聞いても彼はペドフィリアと言う行為も行為を行った加害者に関しても一切批判することをしなかったのである。

なぜだろうか?

そこで私はハタッと気が付いた。なんでこんな単純なことに今まで気が付かなかったのだろうか?

彼は小児に性愛を感じることや性行為をすることが悪いことだとは思ってないのだ!

彼の中には幼児虐待は加害者がヘテロだろうがゲイだろうが絶対にあってはならない行為だという感覚がまるでないのだ。渡辺からすると、

幼児とのセックスなんて誰でもやっていることで、別に悪いことでも何でもないのに、LGBT界隈がそれをすると悪いことであるかのように責め立てられるのは不公平だ。なんで異性愛者のペドフィリアは批判されないんだ。なんで異性愛者はお咎めなしなんだ。

という感覚なのだ。だから彼は長年カトリック教会の神父が男児を虐待してきたこと(これってゲイだけど?)や、男性が上半身裸で男児と走っている写真を挙げて「これを批判しないのか?批判しろ!」と鬼の首でも取ったようにわめきたてた。カトリック神父の件はカトリック教徒の間でも十分に非難されたし、だいたい告発者自身がカトリック教徒だ。そして写真については、これがどういう状況で撮られた写真かわからないので判断のしようがないというと、ほれみろヘテロの虐待は批判しないんだなと大騒ぎ。

実はこういうやり方は渡辺だけではなくアメリカのLGBT界隈が良く使う手段だ。例えば右翼保守派が子供のドラアグクィーンを批判すると、女児の美人コンテストの例を出して「これはいいのか?これは批判しないのか?」とやってくる。だが彼らにわからないのは、我々右翼保守には道徳観念というものがあるということ。女児の美人コンテストはよくて男児のドラアグはいけないなどとダブルスタンダードを言い出すような右翼保守はいない。どちらも悪いに決まってる。だから我々はどちらも悪いという。其れで話は終わってしまう。だいたいこれが反論になっていると思う彼らの思考こそ浅はかなのだ。

だから渡辺のような男には、人々がLGBT界隈のペドとの関係について批判すると、それはペドが悪いのではなく、LGBT界隈がやっているから悪いと批判されているに違いないと思い込んでしまうのだ。彼らには誰がやっても悪い行為は悪いという観念は理解できないのである。

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余談だが、私はアメリカ文化や英語を良く分からない人が、英語の文章だけを直訳してわかったようなことを言うのを見るとすごく苛立つ。その国に住んで背景をよく理解していない人にはなかなかわからないことは色々あるのだ。Case in point.

それをいうならあなたが出してるこの画像なんてちゃんと服も着てますし露出ないですよね。何が問題でどのあたりがペドフィリアだと言ってるんですか? -白江直弼

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この写真を見ておかしいと思わないその感覚がすでにおかしいのだが、これはテキサスはダラズのおカマバーで行われた「家族向け」と称したドラアグクィーンショーの一部。ごてごてに子供が悪夢でみそうな化粧をしたドラアグクィーンのお腹の上に男児が寝そべっている。そしてその横にあるサイン、”It’s not gonna lick itself” (自分では舐められない)は非常に性的に意味深である。

渡辺はこのフレーズはテキサスのアイスクリームチェーンのキャッチフレーズであり、ドラアグショーとは無関係だと主張する。だがこういうダブルミーニング(二重の意味)の看板がおカマバーに飾ってあるのは偶然ではない。下記の写真をみるとそれが良く分かる。

Image

もしこのサインが単にアイスクリームを宣伝しているだけのものであるなら、何故舞台の後ろ側にでかでかとピンクのネオンサインで掲げられているのだ?明らかにイベント主催者はこのフレーズを強調したくて掲げたのである。こんな子供だましの言い訳に誰がのると思ってるんだろうか?

もっともこれはアイスクリーム会社のキャッチフレーズでドラアグショーとは関係ないというアホなことを書いたのは実は渡辺ではなくアメリカ人ツイッタラーなので(笑)余計にアホかと思ってしまう。左翼ってどれだけ右翼保守をバカにしてんだか。


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異見を許さない左翼馬鹿フェミ、反トランス活動家の足をひっぱる

私はずっとトランスジェンダー活動家らのカルトぶりを批判してきたが、昨晩私は左外野から反TRAと自称するフェミニストたちから突然多数の批判攻撃を受けた。ことの起こりは、私が日本の特例法は悪法であり廃止すべきだと言ったことに発する。それに関し「お前はいつからTRA(トランスジェンダー活動家)になったのか」という質問がきた。どういう意味かと聞いたところ、TRAは特例法廃止を推進している、よって同じく特例法廃止を推進するカカシもTRAだと言う理屈であった。

私は凡そ二時間にわたって何人もの自称反TRAの女性達から袋叩きにあった。ネット上とはいえ、私はかなり狂暴なTRAからですらここまで凄まじい攻撃は受けたことがない。「GIDに暴言を浴びせかけた」「GIDの歴史を知らない」「読解力ない」「GIDの人権を侵害した」などという言われのない批判に始まって、ヘイトだ差別だとまるでTRA顔負けの罵倒の嵐だった。この間私は四つのツイッターアカウントをブロックしたが、後から後からモグラのように湧いてくる自称反TRAを叩きのめすのは難儀であった。

先日お話した滝本太郎弁護士ですらも、特例法廃止を訴えるのはトランスと対抗するにあたり逆効果であるとして、私の発言の訂正を求めて来た。私はTRAのいうことに一度でも屈したことはない。ましてや反TRAからのこのような理不尽な攻撃にも屈するつもりは毛頭ない。

私は常々反トランスジェンダー概念を持つ左翼過激派フェミニストたちと自分の間には深い溝があることは察知していた。反TRAに関しては私には彼女らと共感出来る点はいくつかあるが、元来右と左という別な方向から来たこともあり、色々な面で意見の違いが出てしまうのはしょうがいないことだろう。

しかし過激派フェミニストの中には、同じ目的を達成するために運動している人たちを、自分らが正しいと信じるやり方とは違う手段を使って運動しているというだけで、まるで宿敵のように扱って足を引っ張る人がいる。彼女らのこうした女性達への攻撃はTRAのやり方となんら変わりがない。

イギリスの反TRA活動家のポージー・パーカー(別名ケリー・ジェイ・キーン)女史も、同じく反TRAの左翼過激派フェミニストたちから理不尽な攻撃を受けているひとりである。

ポージーはいま、アメリカ各地を周り野外で女性集会を開いて演説をおこなっている。当然のことながら、極左翼暴力団のANTIFA連中が、女史の集会を妨害しようとして黒装束の覆面姿で現れている。彼女個人への脅迫がかなりひどかった場合は集会そのものがキャンセルされることもあった。それでも集まって演説を始めた女性達がANTIFA暴徒に襲われて怪我人が出るなどの事件が起きている。

こんなことが起きても怯まずに行動を続けるポージーの勇気をイギリスのフェミニストたちは称賛しているかというと全くそうではない。先日も、長年左翼フェミニストとして知られ、反TRAとしても活動しているジュリー・ビンデル(Julie Bindel)が、ポージーの集会でボディーガードとして雇われた男性がアメリカの右翼団体プラウドボーイズの一員だったとしてポージーを批判するツイートをした。ビンデルの支持者と思われる人たちが、ビンデルに同意するツイートを続けていた。

事実テキサスの集会でポージーが演説をしているときに、彼女の演説を邪魔しようとして表れた若い男が、強面(こわもて)のおっさんに追い払われるという一幕があった。この男性がポージーに雇われたボディーガードなのか、単に参加しただけのボランティアなのか、実際プラウドボーイズの一員なのかは全く不明。

これはポージーに限ったことではないが、女性達が女性空間を守る集会をしたり反TRA演説をしたりしようとすると必ずといっていいほど左翼ANTIFA・TRAの男どもから妨害を受ける。ポージーの集会でもすでに、パイを顔に投げられたり指を折られるなどの被害を受けた女性が出ている。そうした女性達を守ろうとボディーガードを買ってでるのは必ず右翼保守の男性だ。

トランス活動家たちはこれみよがしに、それみろ反トランスのフェミニストたちは右翼保守に身を売ったのだ、奴らは本物のフェミニストなんかじゃない。あんな奴らの味方をするのかと大騒ぎ。そして残念なことに、ビンデルのような左翼フェミ達までが右翼保守の庇護を受けたポージーや他のフェミニスト達を右翼に迎合しているだの家父長制度に加担しているなどと言って責めたてるのである。

しかしこれらの左翼フェミさんたちは目的を見失っている。いったいあなたがた反TRAフェミニストたちの目的は何なのだ?右翼だ左翼だに拘って女性達の間で仲たがいをすることなのか?TRAを打倒するより誰が反TRA運動で一番活躍するかという権力争いの方が大事なのか?

反TRAのフェミニスト達が、本気で女装男たちの暴虐からフェミニズム及び女性一般を守ろうと思っているのであれば、その戦いに参加するのが右翼保守男性だからと拒絶することは賢明なことなのか?

少なくともアメリカでは、トランスジェンダリズムに対抗して効果的な運動を進めているのは左翼フェミニスト達ではない。

私が何度となく紹介している右翼保守派白人男性のマット・ウォルシの「女性とはなんぞや」という映画は、劇場公開がされていないにもかかわらず大評判になり、TRA界隈に多大なる波紋を呼んでいる。ウォルシが呼びかけた未成年の性転換治療禁止は、アメリカ各地の州で実際に実現している。先日もフロリダの医療機関が未成年トランス治療を禁止したばかりだ。ウォルシの地元テネシーのバンダービル病院でも治療は廃止された。

こう言ってはなんだが、ポージーの集会に集まる女性達の数はせいぜい20人程度。ウォルシの講演に集まる老若男女の数は毎回大学の講堂や公民館会場を埋め尽くす千人近い数である。無論ウォルシはデイリーワイヤーという大規模なポッドキャスト機関の一員であるから、会場や十分な警備体制を取る予算がある。

アメリカで、女性自認男子のスポーツ参加や女子施設の使用など、禁止条例を出しているのはすべて右翼保守の共和党知事や地方議会である。それなのに何故反TRAの左翼フェミ達はいつまでも右翼保守を忌み嫌うのだ?

反TRA運動が左翼過激派フェミニストの間でちまちまやられている間は、そういう問題が起きてるようだというかすかな気配を醸し出しただけだった。実際にTRA撲滅のために効果を上げているのは右翼保守の男たちが乗り出してきてからだ。

いい加減に左翼の馬鹿フェミどもは目を覚ませ。この問題は左翼でも右翼でもない。文明社会の存続をかけた大問題なのである。


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在米邦人の政治見解は左翼リベラルだけじゃない

When anti-racism demands racism (msn.com)

私はアメリカ在住40余年である。そして右翼保守を自負して30年余りが経つ。アメリカに住むようになってから、最初の4~5年は日本とアメリカを比べて日本は遅れてる、欧米のように変わるべきだと考えていた時期があった。

私は日本が嫌でアメリカに移住した。しかし長年アメリカに在住し時が経つにつれて、日本がどれだけ素晴らしい国であるかを切実に感じるようになった。私が未だにアメリカ在住なのは単に私個人の性に合っているからであって、どちらの国が優れているかという問題ではない。

そんな中で、長期アメリカ在住の邦人でブラックライブスマター(BLM)やLGBTQ+を熱烈に支持し、そうしない在米邦人は名誉白人気取りの人種差別者だと主張する意見をきくと、お前ら何様じゃ!と言いたくなる。

日本にお住まいの方々にご理解いただきたいのは、日本国内にも色々な意見があるように、在米邦人の間でも色々な意見がある。当然のことながら、我々在米邦人が個人的にどのような経験をしてきたかによってアメリカ政治や社会的な動向への意見が異なるのは当然のことである。

私はこの違いは何なのだろうかと考えていたのだが、ふと気が付いたことがある。それはそれぞれの在米邦人がどんな理由でアメリカに来たのかに起因すると思われる。

アメリカに永住している邦人がアメリカに来た理由は次の三つに分かれると思う。

  1. アメリカの高度の教育を経て高収入のアメリカ企業に努めたい
  2. 日本が嫌でともかくアメリカで実力を試したい
  3. アメリカ国籍者と結婚したのでアメリカに住むことになった

この中で左翼リベラルに染まるのは先ず第一カテゴリーの人々だ。特にここ20年以内に留学して就職した人は個人的に強い意思を持っていない限り左翼リベラルに嵌ってしまう。なぜならアメリカの大學は左翼リベラル思想に染まっており、この傾向はエリート大学になればなるほど強まるからだ。そこで高度教育を受けてカリフォルニアのシリコンバレーのような左翼バリバリ文化の企業に努めたり、東海岸の大學やアカデミアで教授になったりすれば、学生時代から左翼リベラル思想に洗脳され、そのまま左翼エリート意識まるだしの社会人として生きているから、他の生き方をしている人々を卑下するようになるのだ。

こうしたエリートたちはアメリカで経済的な苦労をせず、反対意見を聞くこともなく20年近く気楽なアメリカ生活を送ってきた。だからアメリカに住んでいながら全然違う意見を持つ人々の意見など理解出来ないのは当然だ。

カテゴリー2や3の人々の体験は全く違う。先ずカテゴリー2の人々は、英語力も日本での教養もそこそこで、ともかく努力だけでなんとかアメリカで実力を発揮してきた苦労人たちである。日本ではまるで経験がなかったのに、寿司職人になったり庭師になったりして生計を立ててきた。いってみればたたき上げの人々だ。こういう人たちはアメリカで独立することの苦労を知っている。英語だって生活に必要だからブロークンでもともかく通じるまで頑張った。こういう人たちには努力もしないで黒人だからという理由で下駄をはかせてもらってる黒人に同情などしてる余裕はない。しかも自分のビジネスが黒人の強盗や略奪者によって被害を散々受けたとなればなおさらである。なぜ自分らは実力だけで試されるのに、黒人は組織的に優遇されるのか、それを考えない人は居ないだろう。

第三のカテゴリーに属する人たちは、当初は自分がどんな境遇に置かれるかという選択肢がなかった人々だ。恋愛してアメリカ人と結婚して愛だけでアメリカに来てしまった女性達などがその典型。相手の実家や故郷がどんなところかなんて最初はまったく考えずに移住してきたわけだが、この人たちの行く先は両海岸の大都会とは限らず、日本人はおろか東洋人を見たこともないような人々だらけの田舎であったりする。そして旦那さんが軍人だったりすれば、また考え方は変わる。こういう場所に住むアメリカ人は、当然のことながら都会のアメリカ人とは考え方が全然違う。そんな社会できちんと融和して家族を築いたひとたちは、ニューヨークやロサンゼルスのリベラルと同じ意見であるはずがない。

しかしカテゴリー2や3と1の人たちとの決定的な違いは政治見解だろう。私が今までに出会った人々の多くは比較的保守的な人だった。アメリカにおける右翼保守と左翼リベラルとの決定的な違いは、右翼保守は左翼リベラルをよく理解しているが、左翼リベラルは右翼保守を全然理解できていないことだ。その理由は非常に簡単。アメリカのメディアはほぼ全面的に左翼リベラル。だから普通のアメリカ人は毎日のように左翼リベラルプロパガンダを聞かされている。ニュースにしろトークショーにしろテレビドラマも映画も左翼リベラル思想でうめつくされているからだ。

それと、左翼リベラルの人々は自分の考え方が絶対に正しいと思っているので、無遠慮に場所柄もわきまえずに自分らの思想を当然のことのように話はじめる。誰かの結婚式や卒業パーティや送別会などでもである。保守派の人々は礼儀正しい人が多いので、周りの雰囲気を読んで議論しない。それで左翼リベラルは自分らの理屈に保守派たちが納得したと勘違いする、もしくは周りにいる保守派の存在に気が付かないかのどちらかだろう。

それで起きるのは左翼リベラルのすさまじい無知さ加減である。彼らは自分たちと同じ考えを持っているひとたちとしか付き合っていない。だから他の意見など聞いたこともないのだ。先日もアメリカのエリート大学マサチューセッツ工科大学で教授をしているという邦人が、今アメリカ各地で起きている行き過ぎた性教育のことについて何も知らず、朝日新聞の記事について頓珍漢なことをツイートしていたので、それは違うと思うとコメントを書いたら速攻ブロックされた。まるでなんの議論もなしにだ。

ワシはアメリカ生活20年のエリート大学教授だ。そなたのような下々の者の意見など聞く耳もたぬわ。

てな具合である。

さて、では西海岸のロサンゼルス近郊以外に住んだことのない私が、何故バリバリ右翼保守になったのかという話だが、左翼リベラルならさしずめ「旦那が保守だから影響されたんだろ」とでもいうところだろうが実は違う。確かに主人は最近は右翼保守になり共和党支持になったが、彼は私と会う前はリバタリアンで比較的リベラルなほうだった。中絶問題でも合法中絶のデモに参加したりしていたくらいで、彼の元カノはバリバリ左翼だった(笑)。

私はひょんなことから左翼リベラルメディアの嘘を知ってしまった。大手メディアが危険だと言っていた農薬が実は危険ではなかったという話。そのデマ報道のおかげで多くの農園が閉鎖の危機に追い込まれたのだ。私は興味があったので色々調べた結果、危険ではないという結論に達したのだが、そうなってくると、もしこの件で嘘をついているのなら、メディアは他のどんなことに関して嘘をついているのだろうと思うようになったのだ。そうしたら、色々な矛盾が見えるようになった。それが1980年代の半ば頃だったと記憶している。

それでも私は長いこと自分はリベラルだと思っていた。ところがある日、右翼保守の友人から色々質問をされて、「君は立派に保守だよ。少なくともリベラルでは断じてない」と言われてしまい、へえそうなんだと自覚し始めた。

ツイッターを始めて知ったのは、同じカリフォルニア南部に住んでる人でも結構保守的な邦人が多いということだった。そうしてこういう人たちのなかにアカデミアの人は一人もいない。結局リベラルと保守の違いは理想と現実だと私は思う。真実を追い求めるとリベラルではいられなくなるのだ。

さて、実は私は先日読んだ記事の紹介をしようと思っていたのだが、前書きが長くなりすぎたので、記事の紹介は次回に回す。


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