何故弱者の味方のはずの左翼がトランスジェンダリズムを使って女性を弾圧するのか?ヒント、その前提が間違っているから

森田成也著の「トランスジェンダリズムは究極のミソジニー ――日本左翼への訴え――」というエッセーを読んだ。左翼の立場からトランスジェンダリズムを批判している面白いものだったので紹介したい。

森田はマルクス主義者の立場から何故マイノリティーの味方であるはずの左翼リベラルがトランスジェンダリズム(以下TRAと略)を使って女性を弾圧するのかについて語っている。彼に言わせると左翼こそが女性の味方をすべきだというものなのだが、長年左翼思想を観察してきた私から言わせてもらうと、左翼が弱者の味方であるという前提が間違っている。

先ず森田はTRAの性自認を人種差別と比べてこう語る。

たとえば、アメリカ合衆国で黒人であるということは、過酷な奴隷制度のもとで虐げられてきた歴史的過去を有し、今日なお日常的に暴力と差別を受け、しばしば警察官に撃ち殺される恐怖の中で生活することを意味します。そうした状況の中で、アメリカ白人として生まれ白人として育った人物が、すなわち白人としてのあらゆる社会的・人種的特権を享受してきたものが、「自分の心は黒人だ」と称して、髪の毛をドレッドヘアーにし、顔を黒く塗り、ストリートファッションで身を固めて、「俺を黒人として扱え、さもなくば差別主義者だ」と言い出し、少数人種のためのさまざまな制度やアファーマティブ・アクションを利用し始めたらどうでしょうか? 明らかにこれは許しがたい簒奪だとみなされるでしょう。さらにこの「トランス黒人」が、黒人として生まれ育って差別と抑圧を受けてきた人々に対して、「君たちはシス黒人にすぎない。シス黒人はシス特権を持っているので、トランス黒人に対しては抑圧者であり、マジョリティ」だと言い出したら。どうでしょうか? これほどバカげた途方もない差別的主張は存在しないと思うでしょう。ところが、それが性別になると、突然そうした主張が全面的に正当だとみなされて、マイノリティ運動の支持者や左翼がこぞってそれを支持し、それに異論を唱える女性たちが逆に差別者扱いされるのです。これほど理不尽なことがあるでしょうか?

たしかに黒人が歴史的に差別されてきたというのは事実だが、いまでもひどい差別を受けているというのは真実ではない。また日常的に暴力にさらされていることや、警察官に撃ち殺される恐怖というのも、黒人同士の暴力沙汰が非常に多いからであって、白人による黒人差別が原因で起きていることではない。

アメリカでは混血の人が非常に多いので、奴隷制度時代の一滴でも黒人の血が混じっていれば黒人という理屈で、自分は黒人だと言い張ってアファーマティブアクションの恩恵を受けようとする白人が結構いる。いや、それどころか一滴の血も混ざってないのに黒人だと称して黒人運動に参加した人たちまで居るのだから面白いもんだ。黒人が白人よりも不利な立場にいるのなら、何故白人が黒人の振りをするのか考えただけでもおかしいとおもうはず。

それはともかく、白人が黒人を「自認」することは許されないのに、男が女と「自認」しただけで、社会がその男を女扱いしなければならないというのは理不尽だと森田は言う。たしかにそれはその通りである。しかし、ではなぜ左翼リベラルがこの不思議な思想を推し進めるのか、それについて森田は言及する。強調はカカシ。

まず第1に、進歩派・左派の当然の価値観としての「多様性の尊重」「マイノリティの権利擁護」という常識が悪用されていることです。生物学的に男性であっても男性らしい格好や生活スタイルを取らない人でも個人として尊重されるべきこと、トランスセクシュアルやトランスジェンダーであることを理由に職場や教育などで不当な差別を受けるべきではないこと、これらはすべて当然のことです。しかし、トランスジェンダリズムが主張するのはこうした水準(個人の尊重としての自由権)から完全に逸脱して、女性を自認ないし自称する人はすべて法的・社会的・制度的にも「女性」と認めなくてはならず、そうしないものは差別者として排除されるべきであると主張しています。これは「多様性の尊重」ではなく、多様性の根本的な破壊であり、「マイノリティの権利擁護」ではなく、女性というマイノリティへの攻撃です。「多様性の尊重」や「マイノリティの権利擁護」という入り口から入ってきたこの全体主義思想は、多様性を破壊し、他のマイノリティを解体しつつあるのです。

森田はTRAだけが特別な思想だと思っているようだが、「多様性の尊重」や「マイノリティの権利擁護」が左翼革新派によって悪用されなかったことなどないではないか?不寛容も多様性の一種だとして受け入れれば不寛容が横行するのは当然の話だ。だから多様性などという訳の分からないものをむやみやたらに受け入れてはいけなかったのだ。また、左翼による「マイノリティの権利擁護」は単に少数派を特別扱いするためだけの方針で、それによって少数派の暮らしが楽になるとか、社会的地位を得られるとかいうものでは決してない。それどころか、その特別扱いにしがみつくことによって独立できずに政府に頼り切りになる少数派が多く居る。90%以上の黒人が町を悲惨な状況にしている民主党議員に性懲りもなく投票し続けているのを見れば一目瞭然だ。

森田は左翼がTRA思想を簡単に受け入れた理由として左翼が女性を被差別集団とはみなしていないのではないかと語る。

しかし第2に、より本質的な理由として、左翼の中でもいまだ女性は、本当の意味で被差別集団・被抑圧集団とは結局みなされていないという問題が存在します。多くの左翼は性差別に反対だと主張し、たとえば森喜朗のような保守派の発言に怒りを表明しますが、その多くは反自民という政治的企図にもとづくものです。左派のあいだでも、女性は結局、人種的・民族的少数派と(少なくとも)同程度の被抑圧集団であるとはみなされていないようです。

これは左翼が女性を被差別集団としてみなしていないというよりも、左翼特有の女性蔑視がTRAのせいで顕著になったというだけの話だ。左翼は口で何と言おうと男女平等などという思想を最初から信じていたわけではないのだ。森田も認めているとおり、左翼が女性への侮辱に怒りを表明する時は政治的企図によるものであり、実際に女性のために怒っているわけではない。セクハラ男のビル・クリントンやジョー・バイデンを左翼がずっと黙認してきたことを見てもこれは明らかだ。

左翼の多くは、保守派のようにわかりやすいストレートな女性差別をするのではなく、「トランス女性」(つまり身体男性)を「最も抑圧された集団」扱いするという回り道を通じて女性差別に加担しているのです。これはちょうどセックスワーク論において、「セックスワーカー」の権利を擁護するという建前で、買春者である男性の権利を擁護するのと同じからくりです(実際、セックスワーク論を支持している「人権」団体の多くはトランスジェンダリズムをも支持しています)。

保守派が「ストレートに女性差別をする」という決めつけには笑ってしまう。私は日本の右翼保守が女性をどのように見ているのかはよく知らないが、少なくともネットで保守派思想家の話を聞く限り女性蔑視は感じられない。またアメリカでも右翼保守の男性たちの方が女性を大事にしていると感じる。

確かに保守派には男女が完全に平等だとは考えていない人が多い。しかしそれは、女性はか弱いものだから守らなければならない、母として妻として娘として姉妹としての女性達への尊敬の念から来るものである。女性は卑しいものという軽蔑心から来るものではない。森田は自分が左翼なので、左翼によるミソジニーは左翼の本髄から逸脱するものであると強調するが、私から言わせれば、ミソジニーこそ左翼の本髄だ。

森田はここで「ジェンダーは社会的・文化的構築物」という考えについて、ジェンダーが性別の役割という元来の定義ではなく、生物学的な性までもが社会的構築物だとされはじめたことに関して、非科学的な最たるものだと批判する。

生物学的性別は確固たる物質的現実であって、社会的構築物などではありません。マルクス主義は、自然的・物質的現実を踏まえつつ、その歪んだ解釈を排するのであって、自然的・物質的現実を否定するのではありません(エコロジーを重視するエコ社会主義の思想は、まさにこのような自然的・物質的現実の優位性にもとづいています)。ところがトランスジェンダリズムはその反対のことをします。この思想は、身体的・生物学的性別の現実性を否定する一方で、生物学的に男性でもピンク色やスカートやお化粧や長い髪が好きだから実は女の子だというような発想をします。つまり、性別の物質的現実を否定しつつ、社会的構築物にすぎないジェンダー(社会的・文化的な支配的規範としての性)をあたかも生得的な何かであるかのように扱うのです。これほど転倒した観念論もないでしょう。

そもそもジェンダーなどという造語を作って、男女の差は社会的建築物だと言って来たのは左翼。もともとフェミニストたちが『男と女は違う、それぞれ特性も違うから向き不向きもある。だが双方に同じ機会を与え実力のある人が女性だというだけで道を閉ざされないようにすべきである』と主張してきたのなら別。それを男に出来ることは女にも出来るとか男女の差はないと主張し、特定の分野で女性が少ないと、すぐ女性差別の結果だと騒いできたのも左翼だ。今更ジェンダーとセックス(生物学的性)は違うなどと言い始めて時すでに遅しである。

森田はTRAによるフェミニストや反TRAへの実際の暴力や脅迫についても、これはマルクス主義思想に反するものだと批判する。しかし今欧米などでTRAの味方をして暴力的に反TRAの女性達を攻撃しているのは極左翼でマルクス主義者だと自負するアンティファ暴力団である。もしTRAによる反対意見弾圧がマルクス主義の教えに反するものであるというなら、いったいこの矛盾をどう解決するのだ?

男性は女性にはなれないと言って世界中のTRAから叩かれたJKローリングに関して左翼の腰抜けぶりに森田は怒りを隠せない。

一人の勇気ある進歩派の女性が全世界の何千・何万というミソジニストから攻撃されているとき、新旧左翼は彼女を擁護する勇気をひとかけらも持ちあわせていなかったのです。何と恥ずべきことでしょうか。
 トロツキストはかつて、スターリニストによる世界的な弾圧と迫害のもとでもその正義の旗を降ろしませんでした。その偉大な伝統を復活させる必要があります。

たとえ、既存の左翼陣営から「TERF」や「トランスフォーブ」とののしられても、女性の人権と安全を断固として守り抜くことが必要であり、「TERF」とか「ヘイター」と攻撃されているフェミニストや市井の女性たちと断固連帯することが必要です。どうか勇気を奮い起こし、正義を貫いてください。

森田が左翼としてTRAの行動及びTRAに屈する左翼たちを批判したい気持ちはよく分かるが、もしかしたら、左翼思想そのものがこうした危険分子を生み出しているのではないだろうか?

イギリスやカナダで反TRAの女性たちがどんどん口を閉ざされているなか、彼女達にプラットフォームを与えたのはアメリカでも比較的保守派の団体だった。もしかしたら、TRAは左翼にとっては例外なのではなく、TRAこそが左翼の行きつく場所なのでは?

すくなくとも今まで隠されてきた左翼による女性蔑視が顕著になったことを森田は直視すべきなのではないだろうか?


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トランスジェンダリズムこそ、左翼による反フェミニズム作戦

先日小田急線で若い女性を狙った刃物事件が起きた。私は詳細はしらないのだが、これについてツイッターのフェミニストさんたちの間で「フェミサイド」なる言葉が乱発され始めた。フェミサイドとは英語ではfemicideと綴り女性を暴力や権力で弾圧する行為のことを指すらしい。そしてにわかに対女性暴力や女性差別が話題になっている。

女性虐待といえば、アメリカの左翼はずっと反女性である。左翼は常に弱いものの味方という姿勢を取る。だが実は彼らは権力主義で独裁的で決して弱い者の味方などではない。それは彼らが何を言うかではなく、彼らが何をするかを見ていれば明白である。特に左翼による女性虐待は目に余るものがある。1960年代に始まったフリーセックスや人工妊娠中絶合法化運動など、一見女性の自由を唄っているかに見える政策も、実は無責任な男性が女性を利用するのに便利な政策ばかりだ。

問題なのは、自称フェミニストと言われる人たちが、この左翼による女性虐待に加担して、女性の地位向上よりもマルクス主義推進のために女性を弾圧してきたことにある。しかしフェミニストたちが、どれだけマルクス主義のために戦っても、生粋の左翼はフェミニズムを受け入れて来たわけではない。いや、それどころか左翼はフェミニストを左翼から排除しようと長年にわたりあらゆる反フェミニズム作戦を繰り広げてきた。

2015年にキャロリン・ノーマが書いたこの論文にその詳細が示されている。ちょっと古いが現状にぴったりはまるので読んでみたい。

男尊女卑思想の強い左翼にとって生意気な女たちによる女性解放運動は忌々しいものだった。しかしあからさまにフェミニズムに対抗すれば、少数派への反差別を常に唱えて来た左翼としては弱い者いじめをしているようで世間体が悪い。そこで彼らはこっそりとフェミニズムを排除するための陰謀を企てていた。左翼の作戦は女性同士でも意見が一致しない問題を取り上げて、女たちを互いに対立させることだった。

最初に成功したのは1980年代のポルノグラフィに関してだった。当時フェミニストの間では女性を性対象にして摂取するのは女性への冒涜だという意見が多数を占めるようになっていた。それでそれ以前にポルノは女性解放の象徴だと主張していたフェミニストたちがフェミニズム運動から大量に排除されてしまった。

1990年代になると、それまで売春は女性を弾圧するもで撲滅すべきという主流な主張が、売春も立派な職業でありセックスワークとして受け入れるべきだと主張するフェミニストたちと対立した。

しかし21世紀にもなると、ポルノも売春も女性同士が対立する問題としてはその勢いを失っていた。そこで左翼が持ち出したのがトランスジェンダリズムである。しかし今回は1980年代や1990年代のそれと違い、女性達に同士として忠誠を誓わせるという強硬手段に変わった。

いまや女性を女性だと呼ぶことさえ憚られるようになり、「トランス女性は女性です」を全面的に支持出来ない女性達は講壇の場を失い仕事を失い、トランスジェンダーを批判すれば暴力を振るわれる危険すらある。

ノーマはトランスジェンダリズムはフェミニストを左翼から排除するための作戦だと言う。そしてこれは左翼の強い男尊女卑が根本にあるのだと語る。

トランスジェンダリズムは革新的な思想に動かされた政治的な運動ではない。これは最新の左翼による対フェミニストの武器に過ぎない。グリーンやレイモンドやジェフェリーズやビンデルやブレノンといった底辺にいる女性達の状況を心配している女性達を左翼から排除するために、21世紀の対立の道具として使われているのだ。

トランスジェンダリズムが左翼の男尊女卑から来ていることは間違いない。そうでなければこうも簡単に女性の存在自体を消滅させるような運動が左翼によってこうも熱烈に支持されるはずがないからだ。

興味深いことに伝統的に女性蔑視をしているとされてきた右翼保守達はトランスジェンダリズムに強く抵抗している。自分たちを左翼戦士と思って来た伝統的なフェミニストたちに講壇の場を与え応援しているのは彼女たちが宿敵として嫌っていた右翼保守の男性たちだった。

男女平等を大々的に唱えて来た左翼と違い、右翼保守は男と女が完全に平等だとは思って来なかった。男と女は根本的に違う、個人的な差はありこそすれ男と女では出来ることが違うと主張してきた。だがこれは女性を蔑視していると言う意味ではない。多くの右翼保守男性たちは女性を母として妻として娘として尊重してきた。右翼保守の男性が軍隊に志願するのも、家を守る女たちを守りたいという気持ちからだ。女性はか弱いもの、男性が守るものという騎士道から来る思想である。女性を性欲の対象として隷属させたい左翼の男どもの思想とは雲泥の差があるのだ。

本当の意味で女性の地位向上を求めるフェミニストたちは、今こそ左翼思想を捨て、右翼保守の考えを少し勉強してみる必要があるのでは?


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米体操選手シモーン・バイルス、ストレスに負けて棄権、なぜか激励の嵐

今回のオリンピック、アメリカでは今一つ盛り上がってない。その理由のひとつがアメリカ選手の中にやたらとWOKEな人が居るからで、女子サッカーチームなぞ国歌の時にひざまずくとかアホなことをやっていてスエーデンにぼろ負けするなど無様な姿を晒している。俳優のケビン・ソーボが皮肉っぽく「オリンピック至上初めて、アメリカ人が自国が負けたことを喜んだ」などとツイートしていたが、まさに、あんなチーム負けて当然だ。

さて、先日アメリカの女子体操選手シモーン・バイルスが跳馬で大きなミスをした後、突然棄権を宣言。精神面で自身を失くしたというのがその理由。このくらいのエリート選手になってくると大会でのプレッシャーで精神力がない人は勝てない。それも実力のうちだ。それなのにストレスに負けて棄権だなんてスポーツ選手としてはあるまじき態度だろう。

五輪金メダル4個を獲得している24歳のバイルスは、「私は自分にとって正しいことをして、自分のメンタルヘルスを優先し、自分の健康と幸せを危険にさらさないようにしなければいけない」と語った。  バイルスは最初の跳馬で精彩を欠くと、会場を一時離れた。再び会場入りした直後、米国はバイルスの途中棄権を決定。決勝ではロシア五輪委員会(ROC)が米国を抑え、金メダルを獲得した。  バイルスは、表彰式でチームメートと共に銀メダルを受け取った後、けがをしたわけではなかったと説明。「ただ、以前と比べて自信がなくなった。それが年齢のせいなのかは分からない。体操をする時、不安が少し増すようになった」と明かした。  さらに「前ほど楽しめていないように感じる。この五輪は自分のためのものにしたかった」と打ち明けると、涙を流した。「悔しいのは、これが五輪で起きたということ…ただここ1年のことを考えると、こうなったことにそこまで驚いてはいない

上記はヤフーニュースより抜粋、強調はカカシ。ここ一年ずっと精神面で悩んでいたのなら、なぜそれを前もって関係者に話さなかった?オリンピックで精神面で崩れる可能性があったのなら、オリンピックに来る前に出場を辞退し、専攻に漏れた他の選手と代わってもらえばよかったではないか。自分が体調を崩すことで、どれだけ多くの人に迷惑がかかるか全く考えていない。

こういうのを我儘というのだ。

こんな無責任な行為を取った彼女には批判が集まるかと思いきや、チームメイトの一人は「私たちは誰にも金メダルを取る借りはない」などと言ってバイルスを弁護した。また他のエリート選手たちも彼女の「勇気」を称えた。

大阪なおみがメンタルヘルスを理由にフレンチオープンを棄権した時も、多くのスポーツ選手から支持の声が上がったが、どうして挑戦が怖くて逃げる行為が「勇気」ということになるのだ?それは「臆病」とか「意気地なし」と表現されるべき行為ではないか。

確かに人気アスリートはメディアから追いかけまわされるし、周りからの期待も大きく押しつぶされそうになる時もあるだろう。彼らには彼らしか理解できない苦しみがあるだろう。だからエリート選手からの同情が集まるのも理解できる。私たちファンはただ応援しているだけでいいが、当人の苦労はそれは大変なものに違いない。だが、だからこそ彼らが成功し好成績を取った時の喜びと興奮と誇りは我々に勇気を与えてくれるのだ。彼らが自国を代表して頑張ってくれたことを誇りに思い喜ぶのだ。

「誰にも金メダルを取る借りはない」というのは間違っている。なぜなら彼女達がここまでこれたのは彼女達だけの努力によるものではないからだ。練習の送り迎えをしてくれた両親やコーチやスタッフに何の借りもないというのか?またスポンサーやファンたちにも何の借りもないというのか?金メダルを期待されてた選手が銀や銅を取ってはいけないと言っているのではない。金メダルを取るために最大限の努力をすることはオリンピック選手たるものの責任だ。今まで援助してくれた人々や応援してくれたファンたちへの最低の敬意だ。

それを一番大事な試合中に、嫌になったからもうやめる、というのであれば、もうばかばかしくてファンなんかやってられないと思われてもしょうがないだろう。

大阪なおみも同じだ。

WOKEのせいで多くの人たちが彼女たちを批判してはいけないと思っているかもしれない。だからしばらくは彼女たちの我儘も通るだろう。だが同じく多くの人たちが呆れ果てていることだろう。そうやってスポーツファンは徐々に離れて行ってしまう。

チームのことや国のことより自分のことしか考えられない人はオリンピックに出場してはいけないのだ。

アメリカ人のオリンピック離れは一層ひどくなっていくことだろう。


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WOKEお目覚め文化に反旗を翻したサンフランシスコの東洋系市民たち

アメリカでもWOKE(ウォーク)というお目覚め文化の首都といえばサンフランシスコだが、最近サンフランシスコの教育委員会役員たちが次々にリコールの対象になっているというウォールストリートジャーナルの記事を見つけたので読んでみる。著者はウィリアム・マックグイン(William McGurn)。

サンフランシスコといえばアメリカでも特に左翼リベラルの都市なのだが、最近、義務教育世代の子供を持つ父母たち、とくに東洋系の間で、このウォーク思想に反発する動きが顕著になってきた。

ウォークとはなんでもかんでも人種によって社会の階級が決まるという思想。常に白人が弾圧者でありその他の人種は被弾圧者となる。しかし東洋系は被弾圧者のカテゴリーに入るはずなのに、東洋系生徒たちの学力は白人平均を超える。差別をなくすために学力主義制度を廃止しようという動きで一番迷惑を被るのは白人ではなく東洋系生徒ということになる。

東洋系はリベラルな人が多いが、直接自分たちに影響があることが解って、この平等だの多様性だとのいったきれいごとが実は単なる東洋人差別になっていると気が付き始めたようだ。

そこでサンフランシスコの父母たちは市の教育委員会のガブリエラ・ロペズ会長とファウガ・モリガ副会長とアリソン・M・コリンズ委員をリコール対象にし、リコール選挙のための署名集めを始めた。締め切りは9月7日だがすでに半分以上の署名が集まっている。世論調査によると、なんと69%のサンフランシスコ保護者たちがリコールを支持しているという。

ことの起こりは、今年初め、サンフランシスコのエリート高校ローウェル高校の入学資格を、少数民族の数を増やすという理由で、これまでの成績順ではなくくじ引きで決めることにするという政策を教育委員会が打ち出したこと。だがローウェル校の生徒はすでに80%が非白人。だがウォークとって東洋系は少数民族には含まれない。東洋系が優秀なのは組織的人種差別の表れだということになるようだ。

アジアンアメリカンリーガルファウンデーション代表リー・チェング氏は最近とみに増えている対東洋人暴力とも掛け合わせて「街のチンピラと教育委員会とは共通点が多くある。どちらも人種差別者だ。ただ片方はちょっと身なりがいいだけ」と皮肉たっぷり。

リコールの対象となってる三人はどれも学力主義制度に反対票を投じ、学力重視は基本的に人種差別だと言い張る。コリンズに関しては以前にもお話したように、東洋系へのひどい人種差別ツイートが暴露され副会長の座を追われた人物。しかしまだ一応委員会のメンバーとして居座り、委員会相手に8700万ドルの損害賠償を求めて訴訟をおこしたりしているふてぶてしい奴。

インド系弁護士のハミール・ディリオン氏はアジア系アメリカ人は教育委員会を相手どって訴訟を起こす覚悟があると14ページにわたる声明文を委員会に送った。同じような訴訟はすでにバージニアのフェアファックス市で起きている。東洋と一口にいっても中国・韓国・日本のみならず東南アジアやインドも含まれる。特にインド系生徒たちの成績は非常によく、年収もインド系がどの人種よりも高いことは有名である。

マックグインも指摘しているが、SF教育委員会は黒人やラテン系の生徒達をより多くエリート高校に入学させるために、いかにして彼らの学力を上げるかという努力をせずに、単に学力のある他の人種から席を奪おうという単純な方法しか考えていない。学力が追いつかないのにくじ引きや下駄を履かされてエリート高校になど入ったら、入った本人の方が苦労するだけで結局落ちこぼれてしまうのがオチだ。入学してからも成績に下駄を履かすなら、今度は大学入試に失敗するだろうし、ここでもまたアファーマティブアクションで黒人やラテン系が優遇されるという悪循環を生む。

アメリカではなぜか東洋人への差別だけは許されている。前期のディリオン氏はこの風潮は止めさせなければならないと語る。

ウォーク連中は反人種差別者だと言い張るが、彼らこそ人種に拘るグループもない。加えて彼らのいうマイノリティー(少数民族)には注意書きがあり、東洋系やユダヤ系は含まれない。結局ウォークの言うマイノリティーとは黒人と一部のラテン系だけだ。(同じラテン系でもキューバ系が含まれるかどうか疑問)

この何かと黒人を甘やかす風潮は決して黒人のためにならない。

東洋系アメリカ人は民主党支持が多いのだが、これを機に、批判的人種理論を推し進める民主党は決して東洋系の味方ではないということに早くきがついてほしいものだ。


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米軍医総監「誤った情報は我々の自由を奪う」と警告

昨日アメリカの(Dr. Vivek Murthy)軍医総監(Surgeon general)が、武漢ウイルスについて誤った情報が出回っており、これらの誤情報は非常に危険であると発表した。そのなかでも「誤った情報は我々の自由を奪う」という部分は非常にオーウェル的な言い方だ。マーティ総監が特に問題としているのはワクチンやマスクに関する誤情報のために、人々の健康が危険にさらされていると言う点。またホワイトハウスのジェン・サキ報道官も、フェイスブックと協力して武漢ウイルスに関する誤情報の検閲に力を入れると発表した。

これが言論弾圧でなくて何なんだ?

近年ソーシャルメディアによる検閲がひどくなり、去年はさらにその乱用が増した。フェイスブック、ツイッター、ユーチューブなど、武漢ウイルスに関する情報は次々に検閲され、掲載した口座は次々と凍結の憂き目を見た。しかしそれに対して我々が文句をいうと、これらの会社は民営企業であるから何を掲載するかは彼らの自由だとか、言論弾圧は民間人や企業には出来ない、それが出来るのは政府のみだと言っている人もいた。

では、政府が民間企業に働きかけてそこに掲載される意見や情報を誤情報として検閲するのは何と呼ぶのだ?それこそ言論弾圧以外の何だと言うのだ!

トークショーホストのマット・ウォルシも指摘しているが、2020年コロナ禍当初、マスクは意味がない、かえって毒だと最初に発表したのは誰あろう当時の軍医総監だった。藪医者ドクターファウチも最初はマスクはしないほうがいいと言っていた。アメリカの疾病管理予防センター(CDC)もWHOも当初は人人感染はないとか、マスクも必要ないから買いだめなどするなと言い、アメリカ国内にいた中国人転売屋どもにすべて買い漁られてしまったではないか?

ワクチンにしても、トランプ大統領がワープスピードで開発を進めている時、バイデンチームは、そんなもの信用できない、開発されても自分は打たないと言っていた。

しかし一時期は誤情報としてSNSでさんざん検閲されたウイルスの武漢研流出説やハイドロクロロキンの効果性など、今や本当だったと誰もが認めざる負えなくなっている。効果的な治療法が誤情報として人々から隠され、医師が処方するのさえ禁止されたおかげで、どれだけの人の命が奪われただろうか?

科学を信じろと言いながら、ワクチンした後もマスクしろとか非科学的なことを言っているのはバイデン政権の方だ。そんなバイデン政権の言うことを無条件で信じろと言われても私には全く納得がいかない。去年中嘘をつき続けてきたCDCや軍医総監のいうことなど今更信じろと言われても無理だ。

間違った情報をただすのは正しい情報しかない。軍医総監の仕事はなるべく多くの正しい情報を供給し、国民が正しい判断が出来るようにすることであり、間違ったとされる情報を検閲することではない。

ワクチンを打つ打たないは、その個人の年齢や健康状態で病気のリスクとワクチンの副作用とを比べて、どちらが自分にとって最善の方法であるかを判断すべきなのだ。そのためにもワクチンの副作用に関する情報を検閲するようなことはあってはならない。もちろん悪質な誤情報もあるだろう。だが何が誤情報かを政府が決めるべきではない。

特に不正で選挙に勝った政権なが決めるべきことではない。


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「俺たちはお前らの子供を狙っている」サンフランシスコのゲイ男性合唱団の気持ち悪い本音ソング

アップデートあり!

先日サンフランシスコゲイ男性合唱団(SFGMC)が「俺たちはお前らの子供を狙っている」という気持ちの悪い歌を発表した。SFGMCは随分昔からある男性合唱団で、歌もうまく評判がいい。私も彼らのコンサートを観たことがあるが、とても質の高い合唱団だ。しかし今回のこの歌はいただけない。

もう何十年も前から一部の保守派の間では、同性愛活動家には「ゲイアジェンダ」というものがあり、彼らは若者を腐敗し堕落させる目的があるという考えがあった。そのためにゲイたちは我々の子供たちを狙い、幼少の頃から子供たちを同性愛者に勧誘しようとしていると主張してきた。

しかしこのような考えはこれまで、単なる一部過激保守派層の被害妄想だというのが左翼活動家たちの主張だった。セサミストリートでゲイカップルを紹介したからといって、別に子供たちを同性愛に引き込もうとか考えてるわけじゃない、すぐそうやってなんでもセックスに結びつけるあんたたち保守派の方がおかしいのよ、という意見をいくらも聞いた。

ところが、SFGMCはなんと、そんな保守派の心配は全く真実だという本音ソングを発表してしまったのだ!

ビデオは若いゲイ男性が奇妙な笑みを浮かべながら、こんなふうに始まる。

'We're coming for your children': San Francisco Gay Men's Chorus pushes woke agenda

台詞:未だに平等な権利に反対している人たちへ、私たちからメッセージがあります。

歌(独唱):あんたたちは私たちの権利に反対する。アタシ達の生き方を尊敬できないという。でもあんたたちはただ怖いだけ。アタシ達の目的を注意してみていないと、アタシ達があんた達の子供を腐敗させると思ってるみたいだけど、変よね、この一度だけ、あんたたちは正しいわ。(略)

歌(独唱)アタシ達はあんたらの子供たちを改宗する。すこしずつ、静かに、解らないように、あんたらが気が付かないうちに。

歌(合唱):アタシ達はあんたらの子供を狙っている。(略)

歌(独唱):あんたたちが心配したように、子供たちは付き合う仲間を変え、あんたたちが認められないようなところへ子供たちは夜でかけていくようになる。あんたたちが忌み嫌って必死で隠してたことを子供たちはオンラインで見つけてしまう。逃れることはできない。

歌手2(独唱)アタシ達が子供たちを改宗してあげる。誰かが憎まないように教えてあげなきゃね。

合唱:アタシ達はあんたらの子供たちをねらってる。We’re coming for your children あんたらの子供を奪ってやる。(繰り返し)

そしてこの歌は100人あまりの大合唱で、”We’re coming for your children, we are coming for them”「アタシ達はあんたらの子供をねらってる、子供を奪ってやる」という大合唱で終るのだ。LGBTには子供を腐敗するアジェンダがあると言い続けてきた父母たちにとって、これほど明確な自己確認があるだろうか?

発表と共に酷いバックララッシュがあったらしく元歌は削除されてしまったようだが、こちらのサイトで全編観ることが出来る。非常に気持ち悪いビデオだが一見の価値はある。

アップデート!

このエントリー書いた後で、なんとSFGMCでこの気持ち悪い歌を歌った男性たちの中に性犯罪者が沢山混ざってたって話。しかも小児性愛の。


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トランスジェンダーリズムが子供を傷つけないという嘘

前々から私は左翼たちのお惚け作戦について何度も書いてきた。彼らは本当のことを明かさない。彼らの真の目的は我々が考えるより、ずっと悪質で陰湿なものだが、我々がそれを暴露すると、あたかも我々の方が被害妄想狂の陰謀論説者のように言って話をそらす。だがそうそういつまでも、彼らのお惚け作戦は通用しない。

本日のワシントンポストに掲載されたこのオピニオンピース、マリー・アメリア・ジョージ著のOpinions | False claims of protecting children are fueling anti-trans legislation(子供を守るという虚偽の訴えで反トランス立法が煽られる)も左翼典型のお惚け議論である。だが、先日のWiSpa事件後、彼女の論説はかなり空しく感じる。

この論文は要するに子供を出汁にして反トランス法律を作るのは止めろという要求だ。常に「子供のことを考えろ」と言って左翼アジェンダを押し付けてくる左翼が今更何を言ってんだといいたいとこだが、一応彼女の言い分を聞いてみよう。

ジョージによると、過去6か月間にわたってなんと250ものトランスジェンダー権利を制限する法律が発案されたという。しかもそのほとんどが若者を対象にしたもので、トランス女子のスポーツ参加や未成年へのホルモン治療を規制するものがほとんどだという。4月にはアーカンサス州で未成年トランスジェンダーへのジェンダーアファーミング治療(本人が言う性別を認めるという治療)が禁止された。同じような法案が他13の州で提案されている。

Schuyler Bailar et al. standing in front of a crowd posing for the camera: Parade marshals line up as they prepare to march during the Brooklyn Liberation's Protect Trans Youth event at the Brooklyn Museum on June 13 in New York City.© Michael M. Santiago/Getty Images Parade marshals line up as they prepare to march during the Brooklyn Liberation’s Protect Trans Youth event at the Brooklyn Museum on June 13 in New York City.

これらの法律は無防備な子供たちを守るために必要だとされているが、実はそうではないとジョージは言う。

医師は子供が思春期になるまで医薬治療は施さないし、その時でも完全に可逆的なホルモンブロッカーを処方するだけだ。トランスジェンダーは普通18歳になるまで手術を受けることはできない。なぜならトランスジェンダーの若者は最低限の治療でも多大なる効果を得られるからで、主流な小児科医や精神科医会では子供への治療を制限することは危険であるとして反対している。しかし法律家たちは子供を守るためという論説に頼っている。なぜならこのやり方は過去にLGBTQの権利を制限することに成功しているからである。

思春期になるまでとジョージは言うが、その年齢は子供によっては10歳から13歳くらいの幼い年齢である。しかもブロッカーは一旦受けたら元に戻すことは出来ない。幼いうちに性違和を感じる子供の90%以上が思春期を過ぎると違和感を持たなくなるのに比べ、第二次性徴期を停止するブロッカーを接種した子供は100%性移行に進み、途中で辞めて元の性に戻ることはない。一旦これを始めたら逆戻りは不可能なのである。またジョージのいう「治療による多大なる効果」とは何なのか?子供が異性であるという思い込みが強まるという意味なら、それが子供にとって良いことだと言えるのだろうか?

ここでジョージは1970年代から現代にいたるまで、いかに保守派が子供たちのためといってLGBTQの権利を制限してきたかを語る。しかしLGBTQ権利を守るという法律が子供に害を与えるという保守派の考えは間違っていたのだろうか?それを一つ一つ吟味するのは大変なので最近のトランスジェンダーに関するものだけ考えてみよう。

LGBTQ権利反対派は子供を守るためという訴えをトランスジェンダー権利と闘うためにも使っている。2000年代に州や市で性自認反差別法が通り始めると、保守派たちは変態が法律を悪用して性別を区分けした空間に入り込んでくると抗議した。フロリダ州のゲインズビル市そしてミシガン州のカラマズー市が性自認保護法を提案した時、保守派はテレビコマーシャルで、長いブロンドの少女が公園の女子トイレに入っていく後ろを怪しげな髭男が就けていく姿を流した。テレビ画面には地元政府の法律がこの男の行動を合法化すると字幕が流れた。しかし、このCMは説得力がなく過半数の市民は反差別法に投票した。

トランスジェンダー権利の波を変えるために、反対派は子供を守る訴えをさらに強めた。2012年、アンカーレッジの性自認保護法を撤回させるために、保守派は漫画でピンクのドレス着て真っ赤なハイヒールを履き、派手な化粧をした男を描き、この男が「キャロルの保育園」での就職を申し込む姿を描いた。この法律によってトランスベスタイド(女装男)が幼児の世話をするのを拒絶することができないとナレーションが入った。

トランスジェンダーと似た言葉である侮辱的なトランスベスタイドという言葉を使うことにより、この件について良く知らない観客にこの二つのカテゴリーを混乱させることが目的だった。アンカーレッジの有権者はこのCMに動かされ、市の州辞任保護法を撤回することに投票した。ヒューストン市や他の郡でもこのやり方は成功した。

ジョージはトランスジェンダー権利の拡大したいと思っているから、保守派のやり方に腹を立てるのは解る。だが、彼女が出したこれらの例で、保守派達の言い分は間違っていたのか?つまり、保守派たちはトランスジェンダーに関する偽りの表現で有権者たちを騙したのだろうか?

髭面男が公園の女子トイレに入るコマーシャルだが、先日のWiSpaの件ではっきりしたように、性自認のみの性別を法律が認めた場合、本人が主張する方の施設への立ち入りが許される。ということは公園で金髪の女児が女子トイレに入った後に、髭面変態男が女子トイレに入るのは合法だ。このコマーシャルに偽りはない。

けばけばしい化粧をしたトランスベスタイドが保育士になるというコマーシャルにしても、すでに全国各地の図書館で幼稚園児相手にケバケバ化粧のトランスベスタイド(ドラアグクィーン)が幼稚園児にポルノまがいの絵本を読むイベントがいくらも繰り広げられているではないか?しかも彼らの中には幼児性愛犯罪者も含まれていたのだ。性自認保護法が合法ならこういう奴らが保育園で働くことを拒否できなくなるという保守派の論説に偽りはない。

保守派活動家の議論はすでにトランスジェンダー権利は抜け穴を悪者が悪用するというものではなく、1970年代と1980年代に使われた反LGBTQ権利の議論の応用となっている。保守派は子供たちが親や友達からトランスジェンダーになるように圧力をかけられているとし、大人が性移行を阻止すれば、トランス自認など自然になくなると主張する。

これはクィアー自認が阻止できるという根強く残った誤った前提からくるものだ。しかし医師たちは、子供たちにとって最善なのは専門家の管理のもとで子供たちに性自認や性移行を自由に探検させることだとしている。子供たちに性移行の可能性を見せないことは子供たちの恐怖症や鬱になったり、自殺の危険性を高めるものだとしている。

保守派には子供を出汁にするなと言って置いて、自分はトランス権利拡大のために、子供へのトランス治療を止めると子供の精神状態を悪化させ自殺に追い込むと脅して十分子供を出汁に使っているではないか。

ジョージのいう「医師たち」が専門家なら別の専門家たちは全く違うことを言っている

前述通り、小児科医専門家が行った調査によれば、小児時代の性違和は放っておけば大人になればなくなるという結果が出ている。トランスジェンダー、特に女子から男子への移行はネットや友人関係の影響がかなり強いことも統計で証明されている。

ジョージは同性愛者とトランスジェンダーを一緒くたにして誤魔化そうとしているが、LGBとTでは、トランスベスタイドとトランスジェンダーの違いよりもずっと大きな違いがある。

確かに昔は同性愛は精神病で、きちんとした治療をすれば同性愛は「治る」と思われていた時代があった。それで今では考えられないような残酷な治療が施されたのも事実である。しかし同性愛志向は治療で治る病気ではない。どんな「治療」を施してみても、同性愛志向は幼児の時代から一生を通じて変わることはほぼない。それが変わる人は同性愛者でも異性愛者でもない、バイセクシャルなだけだ。そしてバイもまたひとつの性志向である。

しかしトランスジェンダーの場合、我々は子供たちに危険な治療を施してトランスジェンダー病から正常に戻せと言っているのではない。いや、むしろその逆だ。不可逆的で危険な治療を施すのではなく、子供たちが自然に成長するのを待つべきだと言っているのである。

性移行治療の先端を行くスエーデンでは、当初言われた性移行を幼いうちに始めないとトランス若者の自殺が増えるという説は全く根拠のない出鱈目であったことがはっきりしている。この説の元を探るジャーナリストのドキュメンタリーを観たが、そのもととなる調査結果はどこにもないのである。

ジョージは保守派が偽りの訴えで自分らの反トランス運動を進めているというが、子供を出汁にして偽りの情報でトランス権利拡大を計っているのはトランスジェンダー活動家たちのほうなのである。


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批判的人種理論はアメリカの義務教育で教えられていないという嘘

今日ニュースフィードに上がって来た記事で、多くの州で次々に批判的人種理論(CRT)を義務教育で教えるのを禁止するという法律が通っているが、保守派の政治家や父母たちが騒ぐほどCRTは社会に浸透していないだけでなく、義務教育で教えている学校など存在しないという内容の記事を読んだ。記事の著者はこのバックラッシュは単なる保守派の過剰反応であり被害妄想で、現実とは全く異なるものだ、リベラルは真面目にとりあうべきではないと締めくくっていた。

なんか胡散臭い記事だなと思いながら読んでいたが、リンクのURLを保存する前に誤って閉じてしまい、後で色々探したていたら、なんとCRTは学校で強制的に教えられているなどという事実はないという記事が続々と出て来た。どうして急に示し合わせたよう同じような記事があちこちから出て来たのだろう。しかもその内容がマニュアルでもあるかのように同じなのいである。

アメリカの公共放送NPRは「バージニアの学校で間違ったCRT説に反感が集まる」と言う見出しでCRTは1970年代にハーバード法律学校で組織的人種差別の理解を促進するために生まれたとし、ラウダン郡公立学校教育委員会(LCPS)の委員の言葉を借りて、CRTを義務教育で教えているなどということは「恐怖を煽って白人のもろさを誘う無知なデマである」としている。同委員会のスコット・ズィーグラー委員長はCRTはを教えない教師が罰せられたり解雇されたなどというのはSNSで広まったデマであり真実ではないと主張している。

NPRはまたジョシュア・コールというバージニアの教育大学の重役の言葉を借りて、CRTは世界をどういう見解でみるかという論理であり、特別に教えているわけではないと言っている。

ポリティファクトでも話が大袈裟になっているとし、ほとんどの教師たちはCRTについて詳しい指導など受けていないという内容の記事を掲載。NBCのチャック・トッドもCRTが問題になっているということ自体が創作だと断言した。

MSNBCの司会者ジョイ・リードはCRTが学校で子供たちに教えられているという記事を多く書いているクリストファー・ルフォにインタビューしておきながら、ルフォにはひとこともしゃべらせず、「そんなバカげた嘘をつく人に答えさせるわけにはいきません」と言い切った。(だったらなんで番組に呼ぶんだよ。)

いったいどうなっているのだ?CRTは左翼にとって大事な理論ではないのか、どうしてそれが義務教育で教えられているという事実をこうも躍起になって否定する必要があるのだ?教育委員会に苦情を述べた父母たちは間違っているのか?本当にCRTは学校で教えられていないのか?

The lady doth protest too much, methinks.. (思うに彼女は抗議しすぎじゃないか?―ハムレット)

左翼が何かを必死になって否定するとき、真実はそこにあると考えるのが妥当だ。去年の夏中全国各地で起きたBLM暴動を「概ね平和的な抗議運動」と言ってみたり、ANTIFAは単なる概念でありそんな集団は存在しないと言ってみたり、彼らはなんとかして真実を人々から隠そうとする。だが彼らが躍起になればなるほど、真実はその正反対であり、非常に危険な状況にあると考えるべきだなのだ。

CRTは1970年に1960年代の公民権運動の後、批判的法律学と過激派フェミニズムから生まれたとされているが、実はこれは1930年代のドイツで始まった批判的理論というマルクス主義とフロディアン思想に深く影響を受けた運動が始まりである。

2001年に出版されたRichard Delgadoと Jean Stefancic著のCritical Race Theory: An Introduction(批判的人種理論入門)のなかで著者はCRTについて「活動家や学者が人種及び人種差別や権力の関係を改造するための運動を集めたもの」と説明している。そしてこの運動はLGBTやラテン系や東洋系など様々な人種の人権運動へと広がっていった。

そして無論CRTは小学校や中学校の教師たちに、多様性トレーニングという名目で長年教えられてきたのだ。教師たちがそういう訓練を受けているのに、それが子供たちの教育に影響を及ぼさないはずがない。ジョイ・リードなどが義務教育でCRTが教えられていないと主張するとき、ハーバード法律大学の講義で学ぶようなCRTという哲学を研究するような教え方はされていないというだけであって、その内容は子供にわかるように平たく教えられている。CRTという名前の授業がないからCRTは教えられていないなどというのは詭弁である。

義務教育でCRTという名前の授業はないかもしれない。だが、CRTはあらゆる分野に影響を及ぼしている。例えば、人種差別は組織的であり故意に行われると言う思想。

CRT入門によれば、「人種差別は普通であり例外ではなく(略)社会の普通に機能するやり方である」とある。人々が認める認めないにかかわらず人種差別はいたるところに存在し、特に法律は「白人至上主義」「白人特権」もしくは「白さと言う所有権」によって構成されている。白人が人種差別をなくそうとするのは、白人が利益を得られる時だけであると教える。

メイン州のとある教育委員会が生徒の父母たちに送った手紙には、「白人至上主義が継続的に強調される文化において、正裁が行われる唯一の方法は社会の隅々にまではびこる反黒人主義に立ち向かい修繕することだ、そしてそれは家庭、学校、職場、近所付き合い、宗教の場そして政府と言った場所で行われなければならない」とあった。

サンディエゴの教育委員会は多様性教育を必須課目とし「人種学」を取り入れ人種間の問題に焦点をあて、宿題を期限通りに提出する義務を失くすとした。教科書の一部には「アメリカの学校は黒人の子供たちの精神殺害の罪を犯している」とまで記述されている。同学校区は「反人種差別区」を目指すとのことだ。

インターセクショナリティー(Intersectionality)というのもCRTの一部である。これは人々のアイデンティティーが人種、性別、性自認、言葉、民族、そして宗教によって決まるという思想で、人々がこれらのどれに当てはまるかによって優越の順位がつけられている。例えば白人ヘテロ男性は「特権階級最上位」とみなされるので左翼の世界では最低の位置。黒人女性でノンバイナリーなんて言えば被差別で一番弾圧されているから左翼の世界では最上位。いや、一番は黒人トランス女性かな? 

クパーションの小学校三年生は自分の人種や性指向を吟味して自分が「権力と特権」階級のどの位置に属するかを解明するなどという授業を受けさせられている。

なるほど、これでは中学や高校で自分のことをノンバイナリーとかクィアーとかいう生徒たちが続出するわけだ。普通に白人学生だったら何も良いことがない。インター、、で上位になるためには、なにかしら被差別の要素を持っている必要があるからだ。

ブラックライブスマター(BLM)もCRTの思想に深く影響を受けたマルクス主義思想だが、これもまた多々の教育委員会や市民団体が義務教育で熱心に教えている。

そして最後にアクティビズム(Activism)これは活動主義とでも訳すのだろうか。CRTは単なる概念ではない、活動を通して既存の文化を破壊していくことが必要だ。

前出のLCPSは2020年の6月、「すべての生徒とその家族と界隈が白人至上主義と組織的人種差別、および人種や宗教や出身国や性志向や性自認に関するヘイトスピーチを破壊し崩壊させることを呼びかける」と訴えた。破壊して崩壊させることこそアクティビズムの典型である。

同委員会はCRTを基盤にした多様性トレーニングになんと42万ドル以上を使っている。そして同学校区は幼稚園児に「社会正義」を教えると発表し、あの悪名高い左翼ヘイト団体サザンパバティーロウセンター(SPLC)と協力して寛容について教える計画だという。

というわけだから、左翼政治家や学者やジャーナリストが義務教育でCRTが教えられていないなどというのは、左翼特有のお惚けであり大嘘である。しかし常識ある父母たちはそんな詭弁には騙されていない。だからこそ各地の学校区で父母たちがCRTを禁止するよう抗議しているのだ。左翼はすっとぼければ我々が騙されると思っているが、彼らが思うほど我々はお人よしではないのだ。

参考記事:Is ‘Critical Race Theory’ Being Taught in Public Schools? CRT Deniers Claim it Isn’t – Daily Citizen (focusonthefamily.com)


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お目覚め暴徒に謝っても無駄

最近よく聞くようになった英語の単語にWOKEというのがある。それを誰かが「お目覚め文化」と訳していて、皮肉たっぷりな適訳だなと思った。woke(ウォーク)は目覚めるという意味のwakeという動詞の過去形であるが、この場合は動詞ではなく「目覚めたこと」という形容詞に使われている。使い方としてはShe is so WOKEという感じ。しかし目覚めるという言葉の意味とは裏腹に、これは単に過激派左翼の思想にどっぷり浸かっていることを意味する。彼らの特徴としては、周りの人間が自分らが思うほど十分に過激派左翼ではないと思われる時、重箱の隅をつつくように、いかに相手がWOKEでないかを指摘して糾弾するのだ。

例えば先日、新しいミュージカル映画「インザハイツ」のキャストのほぼ全員がラテン系役者であるにもかかわらず、色の黒いアフリカ系ラティノが十分に含まれていないとか、LGBT+αの登場人物がいないなどというクレームがついた。アメリカでラティーノ(男性)とかラティーナ(女性)というと、中南米移民の子孫を指すことが多いが、カリブ海諸島やキューバなど元スペインの植民地で今でもスペイン語が公用語である国々からの移民やその子孫も含まれる。それで人種も白人や黒人やインディアンや混血など多種多様である。ザ・ハイツはニューヨークにある地域で主にドミニカ共和国出身の移民が多いそうで色の黒い人が多いのだそうだ。

さて、最近ではラティーノとかラティーナではなく中性的なラティンクスと呼ぶのがウォークとされているが、このミュージカルの作詞作曲をしたLin-Manuel Miranda(リン・マニュエル・ミランダ)は自身もラティーノでアメリカ創設の父たちをすべて黒人俳優にしたミュージカル「ハミルトン」の成功でも有名だ。こんなバリバリ左翼の脚本家がほぼ100%ラテンイーノで配役されたミュージカルについて、役者の肌の色が十分に黒くないとして謝罪を余儀なくされたのだ。これがウォークだ。

人気歌手のビリー・エリッシュの場合も非常にバカバカしい。現在19歳の彼女が12~13歳だったころ東洋人をバカにする言葉使いをしたビデオが暴露され謝罪に追い込まれた。そのビデオは観ていないのだが、彼女が歌っていたとされる元歌はユーチューブでまだ観ることが出来る。元歌は黒人のラップ。ウォークの偽善は黒人ラップ歌手は歌のなかでニガーだのチンクだの平気で歌い、それがラジオで流れても誰も何も言わないのに、白人がその歌を歌ったら人種差別者ということになることだ。言ってはいけない言葉なら、誰が言ってもいけないはず。どうして黒人が中国人をチンクと呼んでも良くて、白人が言ったらだめなのだ?

エリッシュの問題はこれだけではないようで、自分にはボーイフレンドが居るにも関わらず、自分をレズビアンに見立てた新しいビデオがLGBTに迎合しているとしてファンから批判を受けているようだ。

ビリー・エリッシュもミランダと同じでバリバリ左翼。去年の選挙でも民主党大会の時に演説までぶったほどだ。だからキャンセルカルチャーに文句を言えた義理ではない。しかしミランダやエリッシュのような敬虔な左翼過激派信者ですらも、ウォーク文化は容赦なく責める。彼らがいくら謝ってみたところで、いったんレイシストの汚名を着たら、そう簡単には名誉挽回は出来ないのだ。なにしろキャンセルの対象になった人が謝罪して許してもらえた例は一度もないからだ。

ウォーク連中には謝っても無駄だ。彼らが求めているのは謝罪ではない。彼らは攻撃の対象となった人々の完全破壊である。だからもしも彼らの攻撃対象となったら、何も言わずに彼らが飽きて別の対象を見つけるのを待つか、自分は何も悪いことはしていないと開き直った方が良い。

それにしても、いったい我々はいつまでこのウォーク文化に付き合わされるのだろうか?


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歩み寄り姿勢すら差別だと責める左翼

最近日本でもアメリカでも「反差別」運動が活発に行われている。アメリカではBLM/ANTIFA推進の「批判的人種理論」、日本では「LGBT理解推進法」などがそれだ。これらの左翼思想の共通点は、左翼は他人の理解を求める努力をするのではなく、自分らの理論を全面的に受け入れろと要求することだ。そして、反対派に異論を述べる機会を与えず、すべてを「差別だ!」で片付けようとすることだ。

左翼のやり方で特に卑怯なのは、彼らは白を黒と認めさせるため、目の前で起きている現実を否定することだ。例えば去年のBLM暴動中、背景で街が燃え火の粉が飛んできている場所で「概ね平和的なデモ」などと実況中継をしているアナウンサーなどが典型例である。今アメリカを不穏な状況にしているのはBLM/ANTIFAの度重なる暴動であるにも関わらず、バイデン政権は今のアメリカでもっとも危険なのは白人至上主義という国内テロリストだなどというのも、その一貫だ。

さて本日フェミニストのウェブサイトWANに掲載されていた二つのエッセーを読んで、本当に左翼のお惚けには呆れると思った。どちらもフェミニストによるエッセーだが最初のはトランスジェンダーを排除しているわけではない 石上卯乃。二つ目はこのエッセーへの反論になってない反論「トランスジェンダーを排除しているわけではない」が、排除するもの 岡野八代である。

石上のエッセーはこの問題を追ってきたひとには非常に親しみのある議論である。タイトルからも解るように、石上はトランスジェンダー女子を女子空間に入れるべきではないという議論は、決してトランスジェンダーを排除しているわけではないというもの。そしてトランスジェンダーに歩み寄りの姿勢を見せようとしても、少しでもこの点を強調するとTERFなどと呼ばれて「殺せ、犯せ、殴れ」といったひどい脅迫を受けると主張。

私たちは、女性の権利や安全に関心があります。フェミニストです。そしてすべての差別がなくなり、みんなが安心して暮らしていける社会を求めています。

ところが、私たちはなぜか、TERF(Trans Exclusionary Radical Feminist トランス排除的ラディカル・フェミニスト) と呼ばれるようになってしまいました。TERFという言葉を少し調べれば、殺せ、犯せ、殴れといった言葉と一緒に使われるので、とても怖くなってしまっています。そしてなぜ、そう呼ばれるのかが、全く分かりません。私たちは、トランスジェンダーの人たちとも、平和的に共存したいと思っています。ただほんの少しの場所、トイレや風呂、更衣室、レイプクライシスセンターなどのシェルターでは、安心して過ごせるように、安心・安全という問題意識を理解してもらい、どうすればいいのかを一緒に考えて欲しいと言っていただけなのです。

これは完全に正論で私は石上と全く同意見である。あえて異論があるとしたら、石上はトランス活動家に理解を示しすぎているという点くらいだろう。石上はトランスの脅迫の例としてハリー・ポッターの作家JKローリングが「生理のある人を女性と呼べないのはおかしい」といっただけで作家としての生命を奪われかねない迫害や脅迫を受けた例をだしている。また日本でもトランス権利活動家(TRA)の行動に批判的な人々をTERFの名で罵倒し、脅迫まがいの発言をするのが、ただのチンピラではなく学者や研究者と言われる人々であることも指摘している。

さて、これに対する岡野の反論だが、自らもレズビアンであると言う彼女は先ず石上のエッセーを「稚拙」「悪質」と侮辱し、左翼特異のお惚け作戦を取り、漠然とした差別理論を繰り広げる。

先ず岡野は石上のエッセーが悪意に満ちているという印象操作から始める。強調はカカシ。

わたしは、本記事を読めば読むほど、説明すべき文脈や根拠をあえて示さず、一文に多くのことを書き込むことで(稚拙な文書のように見せかけることで)、はじめてTERF といった言葉を知る人や、これまでトランスジェンダーの権利について深く考えたことがない人たちに対して、トランス恐怖を与え、差別意識を植えつけるようなしかけがあるように思えてなりません。

(略)記事の真意は、トランス女性は、なるべく本物の女性がいるところにはいないでほしい、それどころか、そもそもトランス女性は、危険な人なのだと訴えているようにみえます。言葉遣いは丁寧な文書ながら、トランスジェンダーの人たち、直接的にはトランス女性に対して、本物の女性が抱えている不安や恐怖を理解していないと決めつけているようにさえ読めます。

もしもこのエッセーだけを読み石上のエッセーを読んでいなかったら、岡野のこの文章が出鱈目であることには気づけない。だが、石上はトランスジェンダーがTERFと呼んでいる人たちに対して行っている脅迫について、きちんとJKローリングの件で「文脈や根拠」をきちんと示している。二章節目に関しては、石上の述べた事実がそう受け止められるとしたら、実はそれが事実だからともいえる。

次に岡野は左翼特有のお惚け作戦にでる。TRAによる脅迫や暴力について岡野は、

なにより、他者にそのような言葉を投げかけることは、脅迫、あるいは犯罪教唆に他なりません。そうした言動をとる人は、厳しく非難され、あるいは告発されるべきですし、その罪は、そうした言動をなした個人にこそ帰せられるべきであり、トランスジェンダーの権利とはなんら関係がないはずです。

JKローリングを脅迫状を送り付けたのは名もないSNS上の不特定多数だけではない。石上も指摘しているように、TRA研究者と呼ばれる著名な人たちが多く混じっていた。また脅迫とまではいかないまでも、ハリー・ポッターの主演役者などもローリング批判に参加していた。

もしTRAに批判的な人々への脅迫がTRAの一貫でないならば、何故TRAの一人でもこうした行動を批判しないのだ?もし女性を「ターフ」と言って「犯せ、殺せ」と言ってる人たちが一部の過激派だというなら、なぜトランス活動家たちが積極的にこのような攻撃を受けている女性たちの弁護に回らないのだ?「ターフ」への暴力的脅迫を批判もせずに容認しているのであれば、それがTRAの作戦だと思われても文句はいえない。

お惚けと言えば、TRAは自認さえ女なら男性器を持ったまま女性空間に入ってもいいと言っている女装男たちの存在を否定して、そんな人はいない、いたとしても少数、犯罪者は通報すればいい、トランスジェンダーとは無関係と言い続けている。諸外国の例を出すまでもなく、日本でも「自分は女性です」と主張して女装のまま女湯にはいった男の事件が今年だけで二件もあったというのに。

岡野は最後の部分で差別とは何かについて言及しているが、長々と書かれた彼女の文章を読んでいてわかったことは「言われた本人が差別だと思えば差別」だということ。岡野は「差別とは社会構造の問題であって、個人の悪意や意識、理解力は二次的な問題だと考えて」ていると言っているにもかかわらず、今現在LGBTQ+αが具体的に社会構造の中で、どのような差別を受けているのかを示していない。

彼女がレズビアンとして受けたとする差別は、大学時代にカムアウトした時に「私を襲わないでね」と友人から冗談で言われたことくらいで、彼女自身もそれが社会構造の問題だとは言ってない。ただ人々の何気ない言葉使いが差別をされてきた歴史を連想させると主張する。

普段忘れて/ 封印して過ごしている過去の経験を、突然想起させることが、わたしは差別発言がもたらす効果がもつ特徴の一つだと考えています。わたしたちの言葉には、その言葉を共有する共同体に投げ入れられ解釈されて初めて意味をもつために、単なる媒介手段ではなく、折り重なる意味と経験と歴史を運ぶ重みがあります。一つの言葉に内包される意味や文脈は、その言葉が背負っている共同体の歴史が反映されます。だからこそ、差別発言は、差別を受けている者に対して、差別されてきた者たちがこれまでも、そしておそらく今後も受けるであろう差別を痛感させます。(略)

石上さんの記事、とりわけそのタイトルの「排除しているわけではない」は、そもそも、自分が生きている社会から排除されてきた/ いる者たちにとって、彼女たち・かれらの抱えている現実を認めない、とうい宣言に他なりません。いくら、誰かに〈私たちは、あなた(たち)を排除している/ 差別しているわけではない〉と伝えられても、厳然とした差別構造がなくならないかぎり、差別は終わりません。排除している/ 差別しているわけではないと宣言できる人がいるとすれば、日本社会に深く根ざしたこの差別構造を変革しようと努力している者たちだけではないでしょうか。

私がこの文章に納得がいかないのは、いったい「日本社会に深くねざしたこの差別構造」とは何なのかが全く示されていないことだ。岡野は石上が文脈や根拠を提示せずにTRAによる脅迫について書いていると批判しながら、自分がこの差別構造でどのように差別されてきたかという話の例をひとつもあげていないのだ。

例えばイギリスでは同性愛行為自体が違法であった時代があり、オスカー・ワイルドやチューりングといった著名な人々も逮捕され拘束された例がいくらもある。アメリカでも自宅の寝室で寝ていた二人の男性がソドミー行為に至ったとして逮捕された例もあり、それが訴訟に繋がりやっとソドミー法が撤去されるという歴史がある。だが日本では一度でもそのような組織的差別はなかった。

確かに昔は同性愛者であることがばれてキャリアを奪われた人々は存在しただろう。松浦大悟氏によれば、紅白の司会までやった人気歌手の佐良直美さんが芸能界から干されたのもレズビアン疑惑が原因だったという話しだから、昔はそういうこともあったのだろう。

岡野は弁護士だ。レズビアンということで酷い差別をされてきたという割りには立派な職業で身を立てているではないか?レズビアンだとばれて弁護士協会から破門されるなどということも起きていない様子だし。いったい彼女自身どんな差別を受けたというのか?

岡野の理屈だと、差別をされる立場に居ないひとが「差別をしていない」とか「排除してるわけではない」ということ自体が差別だということになり、他人に差別体験を思い出させるような発言も差別だということになる。だから私は「反差別」思想には付き合えないと最初から言っているのだ!

石上はフェミニストだと自ら言っており、トランスジェンダーにも理解を示して歩み寄ろうという姿勢を見せている。だが同じフェミニストの岡野の方には歩み寄りの姿勢は全く見られない。彼女たち反差別主義者たちの要求を100%受け入れない人々は、どれだけ口で差別反対を唱えても無駄だと言い張るのだ。

レズビアンの岡野が、トランスジェンダー女性の横暴の事実を全く知らないとはとても信じられない。彼女は知ってて惚けているだけなのだ。なぜなら岡野のような左翼にとって個人の人権などどうでもいいからである。フェミニスト運動が女性のためのものではなかったのと同じように、LGBT運動もLGBTのための運動などではないのだ。左翼にとって被差別者たちなど、左翼思想を促進するための将棋の駒でしかないのである。


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