高まるイギリスの反ユダヤ思想

私の好きなイギリスのネオコンコメンテーター、メラニー・フィリップス女史が数回にわけてイギリスで高まっている反ユダヤ人思想について語っている。題して対ユダヤ人戦争(The war against the Jews)。
フィリップス女史によると、Bournemouth で先日行われたUniversity and College Unionというイギリスの大学と短大の学識者が設立した集会で、代表者たちは158対99でイスラエルの教育部門を国際社会の学問の世界からボイコットしようということで意見が一致した。彼等のいい分はイスラエルが昔の南アフリカのようなアパルタイト国家であるというものだ。
この集会を行ったUCUというグループはイギリスでもかなり左翼よりの学識者の団体のようだが、彼等の反イスラエル見解はアラブ社会が周到に広めている歴史の書き換えやパレスチナが一方的な犠牲者であるというプロパガンダを鵜呑みにしたものであり、調べればすぐに分かるような明らかな嘘をそのまま繰り返しているという。

アパルタイトとの比較など無論根拠のない醜悪な嘘である。そして実際にアパルタイトを体験したアフリカ人への侮辱でもある。このような比較はアパルタイト否定論とさえ取れる。しかし真実は反イスラエル派にとって意味のないものだ。彼等にとってはパレスチナの悲惨な運命はイスラエルのせいであり、イスラエルこそが攻撃者であり、パレスチナが犠牲者なのだ。真実はパレスチナこそが攻撃者でありイスラエルこそがテロ攻撃や自爆テロそして1400ものロケット弾を打ち込まれている被害者であるにも関わらずだ。イスラエルはパレスチナ独立を阻止しているかのように責められているが、実際には1937年、1948年、1967年、そして2000年と数度に渡ってパレスチナ独立に合意してきた、それをその度に拒絶して、イスラエル崩壊を唱えているのはパレスチナの方なのである。

イスラエルはアパルタイト国家だの民族浄化だの大量殺害だのと責められている。しかしイスラエルではアラブ人の学生がイスラエルの大学で学び、国会に議席をもち裁判所にも出席できる。そしてイスラエルの病院が一日たりともガザ内部紛争で負傷したパレスチナの子供たちを治療しない日はない。イスラエル市民の大量殺害を唱えているのはイランであり、独立したパレスチナ領ではユダヤ人の居住は許されないという民族浄化を唱えているのはパレスチナの方なのだ。(ボイコットを薦めている学会では新しく設立されるべきパレスチナ領にユダヤ人の居住区は全く認めていない。)

しかしUCUのメンバーたちはこのダブルスタンダードがアンティセメティズムと呼ばれるユダヤ民族差別ではないと主張している。「私は反シオニズムであり反ユダヤではない」とか、「イスラエルを批判しているのであってユダヤ人を差別しているのではない」といういい方はもう何十年も前から人種差別主義者の間で使われてきた建前上のごまかしに過ぎない。彼等のいってることをちょっと掘り下げればそこには根深い反ユダヤ民族への差別意識が必ず見つかる。もし民族浄化や大量殺害が悪行だから批判されなければならないというのであれば、なぜイスラム教徒がアフリカのダルフールで行っている民族浄化および大量虐殺が話題にされないのだ? なぜ派閥が違うというだけで殺しあいをしているパレスチナの武装勢力は罰せられないのだ? 毎日のようにイスラエルに打ち込まれるロケット弾はなぜ批判されないのだ? イスラエルのやっていることと比べたらこっちのほうが数百倍も悪いではないか。イスラエルをボイコットする暇があったら世界中で起きている悪行からまず取り組むべきだ。それをせずにイスラエルのあら探しをしてはイスラエルだけを罰するのはアンティセメティズム以外の何ものでもない。
イギリスでは数日中に「もうたくさん!」というスローガンで反イスラエル集会が行われる。しかしこの集会でハマスとファタ同士の殺しあいを「もうたくさん!」と批判する計画は提案されていない。


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滅び行く欧州、栄えるイスラムの脅威 その3

マーク・スタインの悲観的なヨーロッパ論に一週間も付き合っていたらかなり気が滅入ってしまった。200ページもある本のなかでこれだけヨーロッパはイスラムに侵略される直前だ、ヨーロッパは滅びると最後論を振り回しておきながら、ではどうすればいいのかという解決策は最後のたった一章きり。すでに三分の二あたりで読む気はなくしていたのだが、最後まで読まずに感想文を書くのもなんだと思って出動前最後の日曜、お昼からずっとホテルの一室に閉じこもって読書をした。しかしその褒美がこれとはひどいな。
ま、とはいえ外へ出かけたくなるような天気ではない。5月も中旬を過ぎたというのに肌寒くどんよりと曇った空。海辺の町とは往々してこんなものだが、持ってきた水着もまだ着ていない。この肌寒いのにプールで泳いでいる観光客はけっこういるが私はお断りだな。出航前に風邪をひきたくない。なにしろ船はもっと北へ行く。寒流があるからきっとずっと寒いだろう。2月の出張前に母が送ってくれた厚手のセーターとマフラーが役に立つ。
さて、それでは紅茶を入れ直し、気分も取りなおしてシリーズ第三段といこう。
スタインはヨーロッパは近いうちにその自堕落な政策からイスラム社会に乗っ取られ地理的にはヨーロッパとして残ってもヨーロッパの文化は消失してしまうだろうと予言した。その理由として、ヨーロッパの少子化による人口減少、多様文化主義によるヨーロッパ文化の崩壊、世俗主義による自分勝手な日和見主義を上げている。
マーク・スタインの悲観主義は現実的だろうか。本当にヨーロッパ諸国は負け犬のように腹を見せてイスラムに服従するのだろうか?私はそうはおもわない。
イスラム聖戦主義は成功しない
先ずイスラム教はスタインが言うほど強力な勢力ではない。カカシはなにもアメリカ本土を攻撃し3000人の市民を虐殺し、イラクでもアメリカ軍を悩ませているジハーディストの力を過小評価しようというのではない。彼らは危険な敵だ。それは正しく把握する必要がある。敵を見下すのは自殺行為だ。
しかし、イスラムは魅力的な宗教でもなければ建設的な文化でも政治機構でもない。世界ひろしといえどいったいどのイスラム教国家が経済的に成功し高い教養を持った幸せな国民で溢れているというのだ? どのイスラム教国が強力な軍隊を保持して世界のスーパーパワーとして君臨しているというのだ?どこのイスラム教国からノーベル賞を受賞するような科学者や、ビル・ゲーツのような事業家が出ているというのだ?
イスラムはユダヤ・キリスト教に比べれば歴史は浅いかしょうがないのだと言う人もいるだろう。だが、建国してせいぜい100年からのアメリカは19世紀終わりにはすでにかなりの実力国家としてヨーロッパ諸国から無視できない国になっていた。イスラムには1400年という時間があったのに、いまだにほとんどのイスラム諸国が7世紀の生活をしているのは何故だろうか?
その理由は簡単だ。イスラム教は何も生産しない、イスラム教は新しいアイディアを奨励しない、イスラム教は生より死を選ぶからだ。
よくアラブの歴史をよく知らない人たちが、中世のイスラム諸国はヨーロッパよりも異教徒に寛容であり、異教徒を受け入れ優遇していたという。彼らが都合よく無視している点はこうした国々のイスラム教支配者たちは異教徒を下層階級の人間として差別し、その宗教によって位をもうけ、それに見合った税金を払わせていた。イスラム教徒からは税金を取らない主義なので、彼らは異教徒からの税金で国をまかなっていたのである。
異教徒の労働に頼り異教徒の富に寄生する以外に生活の方法を見出だせないのがイスラム原理教なのだ。今でさえ中東に石油が無ければイスラム教諸国など誰からも相手にされないだろうし、テロリストも資金源がなく活発な活動など望めたものではないのだ。もしジハーディストが世界侵略できるような勢力をもったなら、彼らは異教徒に無理やり改宗をせまり、そむけば虐殺するなり追放するなりするだろう。そうやって金をむしりとる相手がなくなったら自分らが持っている僅かながらの富を巡って仲間同士で殺し合いをするのがおちだ。
パレスチナのガザで起きていることを見れば、それがイスラム教支配の縮図だと言うことがわかる。パレスチナ庶民はイスラエルだけが悪の根源だとしてイスラエルを追い出すのに躍起になっていた。ところがいざイスラエルが出て行ったら、インフラは全く機能しなくなった。電力発電も、水道も、下水も、すべてイスラエルによって管理されていたからだ。パレスチナ領内に産業はない。イスラエルまで出稼ぎに行くしか生活の糧がないのに、イスラエルへの自爆テロやロケット弾の打ち込みをやめないからイスラエルからも締め出されてしまう。テロに嫌気の差したイスラエルが防御壁を建てればゲットーと同じだなどと騒ぎ出す。
こんな奴らにヨーロッパを侵略だって、ご冗談を!
だいたい聖戦主義者の唱えるイスラム教のシャリアにしたところで、イスラム教徒ですら両腕を広げて受け入れているわけではない。スタインはロンドンに住むイスラム教徒の多くがシャリアの元に生きたいと答えた世論調査を出しているが、私はこれらのイスラム教徒はシャリアが本当にどんなものかなど理解していないと思う。
今欧州でジハードに勧誘されている若者は、単に自分らが暴れたいという本能をジハードという宗教で正当化しているに過ぎない。人殺しをしようが放火をしようが徒党を組んで女性を強姦しようが、すべてがアッラーの思し召しだとして許されている。彼らは役に立つ愚か者としてジハーディストに利用されているに過ぎないのだ。彼らがそれに自爆テロで吹っ飛ぶ前にそれに気がつけば彼らとてシャリアなど受け入れはしない。
フランスでフェタチーズを肴にボルドーワインを飲みながら、キャバレーで半裸の美女が踊るのを楽しむイスラム教の若者に、「考えても御覧なさい、イスラム教徒が勝てばこれがすべてがなくなるのですよ。チーズとワインの代わりに殻が残ってるざらざらのコーヒーを飲み、半裸女性の変わりに山羊とデートができるようになるのです」と言ってもやる気は出ないはずだ。
もちろんイスラム過激派の脅威は本物だ。イスラム過激派とは断固戦わねばならない。問題はヨーロッパに戦う意志があるのかどうかということだ。スタインは無いと言う。
スタインは間違っている。ヨーロッパはスタインが思うほど軟弱で堕落しきった文化ではない。イスラムの歴史など比べ物にならないほどの虐殺を体験してきたヨーロッパである。イスラム教ごときに戦わずして滅ぼされるようなことはあり得ない。今のヨーロッパの問題はまだヨーロッパ諸国がイスラム教の脅威を正確に理解していないことにある。つまり半分居眠り状態なのだ。
しかしヨーロッパが目覚めかけているという兆しが私には見える。長くなるのでこの続きはまた今度。


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滅び行く欧州、栄えるイスラムの脅威 その2

ヨーロッパの世俗化、イスラムの過激化
どうして欧州では少子化が進むのか、そのヒントとしてスタインは2002年の世論調査をあげている。2002年、9月11日、あの悲劇の日から一周年の記念日に、あなたは将来について楽観的かというう質問に対して、61%のアメリカ市民が楽観的であると答えた。
それに対して、楽観的な将来を持っていると答えたヨーロッパ人は、カナダで43%、英国42%、フランス29%、ロシア23%、ドイツにおいてはなんとたったの15%。こんなに悲観的に将来を見ているのでは、そんな社会に子供を送り出したくないと考えるのも当たり前というものである。いったいこの悲観主義は何処から来るのであろうか?
その原因はヨーロッパの世俗主義にあるとスタインは言う。欧州の人間はアメリカが信心深いことを洗練されていない田舎者だと馬鹿にする。だが、アメリカ国内でも2000年の選挙でリベラル(青)と保守派(赤)と分かれた州のうち、赤い州の出産率は青い州に比べて圧倒的に多いのである。バイブルベルト(聖書地域)と呼ばれるこれらの地域はなんといっても信心深い人が多く集まっている。
欧州や日本では話題にもならない人工中絶の合法性や、欧州各地ですでに合法となっている同性愛結婚の是非が選挙の度に話題になるのも、こうした宗教心がアメリカの基盤となっているからだ。
この間もアメリカは国が新しいため守るべき伝統がないと言っているある右翼ブロガーの意見を紹介したが現実はその反対だ。古い歴史のあるヨーロッパこそが自らの伝統を捨て去りユダヤ・キリスト教の価値観や信念を見捨ててしまった。ヨーロッパから受け継いだその伝統を頑なに守り通している国を田舎者といって馬鹿にするヨーロッパのざまを見よ!国が古かろうが伝統があろうがそれを守ろうとしないのなら何の意味があるというのだ?
自らの宗教を足蹴にしてきたヨーロッパではイスラム教の信仰の深さやその強さを理解することができない。だからイスラム教の横暴は宗教心そのものに起因するのであり、世俗主義こそがイスラムに対抗できるのだと唱える人々がいる。2006年に十数人のインテリたちによって出版された対イスラムマニフェストの著者には元イスラム教徒で今は世俗主義のAyaan Hirsi Ali, Irsahd Manji, Salman Rushdieといった人たちが名を連ねている。
スタインはこれらの人々の勇気を讃えながらも、彼らは間違っていると断言する。そしてカナダのKathy Shaidleの言葉を借りてこう語る。

「世俗主義そのものが問題のひとつなのだ、解決方法ではない。世俗主義こそがヨーロッパの精神的道徳的真空状態をつくってしまい、そこへイスラム主義が突入してきたのだから。」

ヨーロッパのあちこちで、イスラム教の理不尽な要求にヨーロッパが迎合する度にイスラム教徒はヨーロッパ人の信念の無さをあざ笑っている。ヨーロッパのクリスチャンの価値観が弱いからこそ偉大なるイスラム教の要求に服従するのだと考える。もともとイスラム教徒は異教徒を汚れたもの卑しいものと考える傾向がある。欧州の政府が多様文化主義などという言い訳で彼らに迎合すればするほどイスラム教徒はこの教えを確信するのだ。これではヨーロッパに移住したイスラム教徒がヨーロッパ文化に溶け込もうなどとしないのは当たり前だろう。
Anjem Choudaryという39歳のイギリスイスラム教徒のリーダー格のイマームはイギリスはシャリア法を取り入れるべきだと主張している。BBCのインタビューでそれならすでにシャリア法を取り入れている国へ引っ越してはどうかと聞かれて、彼はこう答えた。

「イギリスがあなた方のものだと誰が決めたのです?…イギリスはアラーのものです。世界中がアラーのものなのです。」「私がジャングルへ行ったなら、私は動物のように生きません。私は崇高なる生き方を広めます。イスラムこそが崇高な生き方なのです。」

欧州人たちがこのようなイスラム教徒の野心を理解できず、イスラム教徒に迎合するのはその場しのぎの対策しか考えていないからだ。スーパーのお菓子の棚の前で「買って買って~!」と駄々をこねる子供に欲しいものをかってやればその場はおとなしくなるかもしれないが、長い目で見て決していい結果を生まない。いずれ子供が要求してくるものはお菓子どころではすまなくなる。
このようにヨーロッパ人が長期的な見方をして国家対策を立てることが出来ないのも、まさに世俗主義が原因なのである。ヨーロッパは自分達の今の生活がよければそれでいいという日和見主義。だから短い労働時間や長い休暇が将来自分らの国を破壊してしまう可能性など無頓着なのだ。今日イスラム教徒に迎合して煩い蠅を追い払ったつもりでも、それが次の世代にどんな悪影響を与えるかなど考えてもいない、、おっと子供がいないんだから関係ないか、、、
トーマス・カイル著のThe Gifts of the Jews(ユダヤの贈り物)という本のなかで、ユダヤ教が始めて過去現在未来は違うという概念を生み出したと書かれていた。それまで人々は世界は今あるままの姿でずっと存在していたのであり、これからもこのまま何の変化もなく永遠に続くのだと考えていた。だが旧約聖書は初めて「歴史」という継続した時間の概念を人々に紹介したのである。将来は今よりもよくなっているという希望を人々に初めて与えたのがユダヤ教だとカイルは言う。
我々の行動は将来の社会に影響を与える。未来は現在とは継続しながら変わって行くという概念があるからこそ我々は未来のために今は我慢して頑張ろうと言う気になれるのだ。将来への希望があるからこそ子供を生む。
また宗教は道徳観と切っても切り離せないものがある。私は昔、もし世の中の人々が警察に捕まることだけを恐れて悪いことをしなかったとしたら、今いる警察官の数ではとても治安を守りきれないと言われたことがる。我々が犯罪を犯さないのはそれが違法だからではなくて、それが道徳的に悪いことだと知っているからだ。それを教えてくれるのは誰なのか?それが神ではないだろうか?
だからヨーロッパで起きているようなイスラム教徒への迎合はアメリカでは起こりにくい。無論ここでも何度も紹介したように、アメリカにも世俗主義や多様文化主義のリベラルが大学などにはうようよいるので、全く無いとは言わない。だが、宗教心の強いアメリカではイスラム教の教えが我々のユダヤ・キリスト教の価値観よりも優れているなどという考えは拒絶される。
宗教こそが宗教の横暴に対抗できるのである。世俗主義に勝ち目はない。


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滅び行く欧州、栄えるイスラムの脅威 その1

この先数日間ネットアクセス不能になるため、カナダの政治評論家マーク・スタイン著のアメリカアローンを参考にヨーロッパにおける、少子化問題、イスラム教台頭、そして今後のヨーロッパの宗教と文化が世界に与える影響などについて考えて生きたいと思う。
まず、最初に断っておくが、私は著者のスタインの意見に全面的に賛成しているわけではない。スタインは以前に紹介したロバート・スペンサー氏と同じで非常に悲観的な世界観をもっている。スペンサーのイスラム論にも参考になる部分は多々あったがイスラム教に未来はないというその結論には同意できなかったのように、スタインの警告には耳を傾ける価値は多いにあると思うが、ヨーロッパは決してスタインが言うほど絶望的な状態にはないとカカシは考える。
スタインは地球最後の日を唱える最後論者と自分は違うと主張している。たしかに一昔前までは氷河期が来て人口増加のため資源を使い果たして地球は滅びると言う最後論者が多かったのに、最近は地球温暖化と少子化問題で地球は滅びるという人々にとってかわった。しかしどういうわけか、地球最後の日を唱える人々は地球が冷めようと熱しようと人口が増えようと減ろうとその解決策はいつも同じで、個々の国々が目指す資本主義の産業発展を諦め、世界がひとつに団結して自然を守ろうと主張する。無論そのためには世界政府なる大きな政府に巨大な権限を与え、人々は個々の幸せを犠牲にして世界のために貢献することが要求される。なにしろ悪の根源は文明発展と人類にあるのだから。京都規定などがその典型といえる。
その点政府の権限をなるべく最小限にして資本主義を拡大すべきだと主張するスタインは最後論者としては異質だと言える。だが、その絶望的な世界観はやはり最後論者を思わせる。
単純に人口分布を考える
少子化はヨーロッパだけでなくすべての文明国の間で深刻な問題だ。日本やアメリカも全く他人事ではない。しかしヨーロッパの少子化問題はその膨大な福祉制度を考えると日本のそれよりもずっと深刻である。
ではここで先ず、欧米並びに日本の出生率を見てみよう。社会が人口増加も減少もせずに同じ率を維持していくためには、一夫婦あたり2.1人の子供を生む必要がある。先進国でこの数をぎりぎり満たしているのは僅かにアメリカの2.11人があるだけで、後はニュージーランドとアイルランドの1.9人、アルベニア、1.8人、オーストラリアの1.7人と続く。 しかしカナダになってくると1.5人と極端に減り、ドイツとオーストリアは共に1.3人。ロシアとイタリアは1.2人、スペインが最低でなんと1.1人。 ヨーロッパの平均出生率はなんと1.3人! (出生率が最低だった2005年現在の日本は1.25人だから、かなり低いことがわかる。)
もしこのままの状態が続けば、スペインなど次の世代で人口が半減してしまうことになるのだ。ロシア、イタリアそして日本もほぼ同じような状態にある。
しかし私など都市部に住み毎日渋滞した高速を走って通勤してることもあるし、故郷も東京のベッドタウンといわれる郊外なので、あの満員電車を見ていると人口が減ることがそれほど悪いことには思えない。だが都市部に労働者が集中してしまうということ事態、それだけ地方では産業が成り立たないことを意味する。日本にしろアメリカにしろちょっと地方へ足を運べばその過疎化は明白だ。
では何故人口減少は社会にとってよくないことなのか。自然の世界で考えれば種族の存続こそがその種族の一番大切な目的であり、繁殖率の高い種族こそが成功種族といえるのであり、世代ごとに半減してしまう種族は成功しているとは言いがたい。文明社会は古代大木だのパンダだの珍種の海老などの絶滅を心配している場合ではない。絶滅の一番の危機にあるのは文明人なのだ、とスタインは言う。
少子化が進む欧米をよそ目に健康な出生率を保ちその種族繁栄を充分に謳歌している国々は、無論存在する。それらの国々はどこかと言うと、ナイジャー,7.46人、マリ, 7.42人、ソマリア, 6.76人、アフガニスタン, 6.69人、そしてイエメンの6.58人。これらの国々に共通するものが何か読者諸君にはもうお分かりだろう。その通り、イで始まってスラムで終わる、あの宗教イスラムである!
ここで思い出してもらいたいのがアルベニアの出生率の1.8人。イスラム諸国に比べて比較的低い数値ではあるが、ヨーロッパのなかでは一番高い。その理由はなんだかお分かりになるだろうか?その通り、アルベニアはヨーロッパ唯一のイスラム教が多数を占める国なのである。実際イスラム教移民の多いフランスなどは、イスラム移民の出生率を除けばもっと数値が低くなるという。
単純に出生率だけをみても、欧米諸国はイスラム教諸国に押されていることがわかる。しかもこれらのイスラム教徒らは自分らの祖国だけでなくヨーロッパ全土にどんどん移住しているという事実がある。
これまでヨーロッパでは「ゆりかごから墓場」までと言われた社会福祉を進めてきた。これらの国々ではすべての市民が短い労働時間で長期休暇を取ることができ、医療費も学費も無料及びただ同然。年金は保証されてるし失業保険もばっちり。一見こんなすばらしいシステムはない。だが、「ただほど怖いものはない」と言うように、これらのサービスは決してただではないのだ。誰かが払っているのである。
そしてその誰かとはまさに消え行く若い世代であり、彼らが払う高い税金によってこれらは賄われているのだ。しかし、このシステムの最大の欠点は次の世代の人口が増え続けて行くことを前提としている点だ。前世代の引退者への年金は今世代の労働者の税金が補っているのである。ということは次世代の人口が半減した場合、労働者一人当たりにかかる負担は二倍になってしまうわけだ。こんなことを永久に続けられないことは子供でもわかる。
そこでヨーロッパは第三諸国から大量の安い労働力を輸入して問題を解決しようとした。それが現在ヨーロッパを内側から揺るがす原因となっていることは言うまでもない。たかが数パーセントの少数派イスラム教にこれだけ脅かされているヨーロッパが、出生率の高いイスラム教徒に多数派の座をうばわれたならどういうことになるのか、想像するだけでも恐ろしい。

「我々こそがあなた方を変えるのだ。」ノルウェーのイマーム、ムラー・クレカーは2006年、オスロの新聞Dagbladetに書いた。「ヨーロッパでの発展をみてごらんなさい。そこではイスラム教徒が蚊のように増えています。西洋の女たちは平均1.4人しか生んでいないのに対して、同じ国々に住むイスラムの女達は3.5人も生んでいるのです。」そうして彼は次の言葉で締めくくった。「我々の思想があなた方のものより強力であるということが証明されるでしょう。」

果たしてヨーロッパは外側からも内側からもイスラム教に侵略されてしまうのだろうか? そしてヨーロッパのイスラム化が起きた後の世界はいったいどうなってしまうのだろうか?
次回はヨーロッパの宗教排斥、世俗化がもたらした悲劇について語りたい。


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中国の新幹線部品盗難で散々な目に!

中国では釘で床に打ち付けてないものは何でも盗まれるという話を以前に陳さんのところで読んだことがある。なにしろ公共広場においてある鉢植えだの、ガスだの電線だのが平然と盗まれてしまうという社会だから、考えてみれば下記のような実態も驚くほどのことはないのかもしれない。

2007年5月17日、鉄道高速化計画の目玉として登場した弾丸列車が走行を開始して1か月、定期点検のため河南省鄭州市の鉄道局検査場に戻ってきた。約100人の技術者が車体を検査したところ、無残なほどボロボロにされていることがわかった。

ボロボロになった原因は乗客による備品の持ち去り。被害が最も多かったのは手洗い場のセンサー式蛇口。多数取り外されてなくなっていた。さらに緊急脱出用のハンマー。また密室であるトイレも被害が大きかった。便座の温度調節つまみやペーパーホルダーの軸さえ取りはずされ消え失せている実態には、ただもうむなしさが募るばかりだと技術者たちはこぼす。
鳴り物入りで走り出した夢の高速列車だが、わずか1か月で満身創痍になって戻ってくるとはおそらく想定外だったはずだ。同局は今後、備品持ち去り禁止を表示するのか、乗客の資質向上を待つのか、判断を迫られることだろう。

なぜ中国ではこのような窃盗が日常茶飯事に起きるのだろうか? カカシはこれは共産主義国家においては起こるべくして起こる現象だと考える。共産主義という思想そのものが個々の所有権を拒絶するものだ。共産主義社会ではすべてが国民全体の共有物であり個々は何も所持しないという思想だ。しかも最近の中国では農村や漁村の土地が国が支持する大企業によって個々の市民から強制的に奪い取られている。土地が奪われないまでも工業排水や有毒ガスの排出によって川も湖も魚介類が生息できないほど汚染されてしまっている。
個々が所有物を持つ権利がここまで迫害される世の中で個々の市民が公共施設を尊重しないからといって何の不思議があるだろう?公共物はみんなのもの、だったら私がもらってもいいと破損窃盗がひろまったとしても、これは中国共産主義の実から出たさびと言える。
また共産主義社会は宗教を拒絶する。精神のよりどころのない国民に道徳観念が根付かないのも無理はない。


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21世紀の共産主義、多様文化主義は自由社会を滅ぼす

カカシの苺畑よりをご愛読いただいている読者の皆様はもういつものことなので慣れていらっしゃると思うが、カカシはまたまた来週からネットアクセス不能の状態となる。リアルタイムでのエントリー更新は不可能な時はテーマを決めての特集をしているが、今回は今読んでいるマーク・スタイン著のアメリカアローン(アメリカ一人で)について特集するつもりだ。スタインの主題は欧州の少子化がイスラム文化侵略を許容しているといものだ。
しかしそれに先駆けて、同じテーマの記事を見つけたので今日はそれを紹介しておきたいと思う。ここでは少子化ではなく、多様文化主義がヨーロッパへのイスラム教侵略を許しているというもの。
私は長いことマルチカルチャーリズム(Multiculturalism)、いわゆる多様文化主義には疑いの目を向けてきた。多様文化主義とは何かといえば、どのような文化も均等に価値のあるものであり、どれが善くてどれが悪いということはない、それぞれの違いを認めた上でお互いに尊重し合おうというものだ。
一方でお互いの違いを尊重しあおうと言いながら、その違いを指摘すれば人種差別者とレッテルを貼られるのも多様文化主義の矛盾である。この矛盾を乗り越えて多様文化主義を完全に取り入れることができるのは全体主義でしかあり得ないと語るのがブルッセルジャーナル(Brussel Journal)のFjordman である。
多様文化主義では文化が非常に軽視されている。文化などファッションのようなもの。ただのアクセサリー。時々変えてみるのも悪くない。しかし、この文化への軽視こそが共産主義の本質であったことを忘れるべきではないとFjordmanは警告する。

文化が一般に重要ではないという考えはまさにマルクス的見解の世界であることを忘れてはならない。この、人は経済において一様であり、労働者と消費者の合わさった存在以上の何者でもないという考えは左翼だけでなく、政治的な右翼の間ですら受け入れられている。マルクス主義者は文化的考えが全く意味がないとは言っていないが、政治機構や経済についで比較的重要性の低いものと考えている。

多様文化主義者たちは宗教の価値を大幅に過小評価しているため、たとえイスラム教が世界を制覇するようになったとしても、キリスト教と名前が変わり協会の代わりに聖廟へいくだけのことでたいした差はないと考えている。これこそマルクス主義の物欲主義だとFjordmanは言う。

暗黙の了解となっている前提は独特の文化の時代は終わったということだ。それは世界中の人々がじょじょにお互いと混ざり合い、民族や宗教、人種間の緊張も消えてなくなる。なぜなら人類はひとつであり平等だからだ。これこそ共産主義の遺伝と文化である。個々の国の憲法や国境を守ることは「差別」であり、新しい理想郷の障害物となるだけだ。そしてこの妨害は無論西側諸侯を筆頭に自然と破壊される。そしてそれに成り代わり国際法や人権条例といった、良心的とされるエリートが取り決めした、彼らが我々の生活を統括する世界へと移り変わる、という思想だ。

まるでジョン・レノンのイマジンそのものの世界だなあ。

イマジン

想像してごらん 天国なんてないんだと・・・
その気になれば簡単なことさ
僕らの足下に地獄はなく
頭上にはただ空があるだけ
想像してごらん すべての人々が
今日のために生きていると・・・
想像してごらん 国境なんてないんだと・・・
そんなに難しいことじゃない
殺したり死んだりする理由もなく
宗教さえもない
想像してごらん すべての人々が
平和な暮らしを送っていると・・・
想像してごらん 所有するものなんか何もないと・・・
果たしてきみにできるかな
欲張りや飢えの必要もなく
人は皆兄弟なのさ
想像してごらん すべての人々が
世界を分かち合っていると・・・
僕を空想家だと思うかも知れない
だけど 僕ひとりじゃないはずさ
いつの日か きみも僕らに加われば
この世界はひとつに結ばれるんだ

おっとろし~!1960年代のカウンターカルチャー(反文化)といわれたリベラルの動きの真っ只中にいたジョン・レノンがこういう歌を書いたのは当たり前と言えば当たり前だ。小野ヨー子の影響もあるしね。ま、そういう時代だったのだ。しかしこの反文化的思想が今日の社会に与えた悪影響は計り知れない。たった一世代がこれだけ欧米社会を変えてしまうと誰が予想したであろうか?
しかし多様文化主義者がどれだけすべての文化が同じだと唱えようとも、個々の文化には大きな差があることは事実であり、人々の好き嫌いまで多様文化主義の理想ではコントロールできない。にもかかわらず多様文化主義者達は異質文化を受け入れられない個人を処罰してまでこの思想を強制的に受け入れさせようとしている。
Fjordmanは多様文化主義が個人の自由意志を迫害する全体主義であることの証明として、イギリスの少女コーディ・スコットちゃんが英語の話せない東南アジアの学生と同席することを拒んだため、公共人種差別禁止法第5条に触れるとして逮捕された例や、ブライアン・コークさんという49歳のイギリス人男性が「イギリス人であることを誇りに思う」などとイスラム教徒に対して「故郷(くに)へ帰れ」と聖廟の前で怒鳴ったことから、人種差別的発言をしたとして6ヶ月の禁固刑となった例をあげている。しかもその一方でイギリス内のある地方都市ではイスラム法を主張するイスラム男性が数人の妻を娶る権利を与えられたというのだから驚く。
欧米の左翼思想はソ連や東圏の共産主義の崩壊と共に滅びなかった。欧米の左翼達は共産主義が実現できなかった全体主義を今度は多様文化主義という名のもとでイスラム系移民を使って実現させようというのである。共産革命は充分に暴力を駆使することが出来ず失敗したので、今度は暴力の有り余るイスラム教移民のジハードを利用して自由社会の崩壊を企んでいるのだ。
そしてまた、もともと暴力的な性質のイスラム過激派は欧米諸国左翼をさげすみながらもその多様文化主義を多いに利用して欧米社会を乗っ取ろうとしている。残念なことに両者の思惑は今のところ非常な成果を挙げていると認めざる終えない。
欧米諸国は自らの少子化による労働者不足を第三世界からの移民で補おうとした。しかも宗教も文化も極端に違うこれらの移民を多様文化主義の名の下に寛容に受け入れ、その違いを指摘する人々を「人種差別者」「排他主義者」と罵倒して無視してきた。左翼連中は多様文化主義を隠れ蓑として言論の自由、宗教の自由、そして交友の自由まで奪うことに成功しつつあるのだ。多様文化主義の国境のないヨーロッパ連盟とはまさに第二のソビエト連邦への第一歩といえる。

思想は重要だ。個性は重要だ。文化は重要だ。真実は重要であり真実は存在する。我々はかつてそのことを知っていた。我々が再びその事実を知るべき時がきたのだ。文化が無意味だという間違った考えは拒絶すべきだ。我々の伝統を未来の世代に伝えたいと思うことは人種差別ではない。また社会実験のモルモットのように扱われることに抵抗することは悪ではない。我々は国境を越えた多様文化主義そして採取的な大量移民の悪の芽を21世紀の共産主義として暴露し摘み取るべきである。

私は多様文化主義が共産主義かどうかという議論にはあまり興味がない。だが、多様文化主義の「寛容」という言葉は実は不寛容の裏返しである。異文化を寛容に受け入れなければならないという主張が異文化の悪い面を指摘する自由を奪っている。異文化を持つ人々を受け入れなければならないという主張が自由社会では基本となる交友の自由を迫害している。これらの問題は共産主義と呼ぼうと多様文化主義と呼ぼうと同じことだ。我々の自由はどのような名目の上にも奪われてはならないのである。


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犯罪者の国籍、人種、宗教は公開すべきか?

この間のバージニア工科大学乱射事件の犯人が韓国系移民だったことから、AAJA(Asian American Journalists Assoication)というアメリカの東洋人ジャーナリストでなりたつ団体が犯人を「東洋人」と報道するのはやめるべきだと声明文をだした。要するに大量殺人鬼が東洋人だとなると東洋人のイメージダウンになるというわけである。
東洋人が何か社会的貢献をした場合にはやたらに「東洋系アメリカ人」と強調するくせにまったくのダブルスタンダードというものだ。だいたいチョーなんとかなんていうヨーロッパ系移民がいるか?名前だけで韓国人なのは一目瞭然ではないか、ばかばかしい。
主流メディアが犯人の国籍、人種、宗教を報道する場合に、その姿勢は全く一貫していない。例えば数カ月前にアメリカでおきたショッピングセンターでの乱射事件では犯人がイスラム教徒であったことがずいぶん長いこと明らかにならなかった。フランスでバス放火をして若い女性を大けがさせた犯人たちもイスラム系移民のギャングたちだったのに、「ヨーロッパ系でない移民の若者」とかいう遠回しな言い方をして地元イスラム教徒の神経を逆撫でしまいという気遣いがされていた。
しかしオーストラリアで白人が暴動を起こせば、「ケルテック系オーストラリア人」(注:celticとは英国のアイルランド、スコットランド、ウェールス系の人種をさす)と明記。ユダヤ教徒がモスクでも落書きした日には「ユダヤ人ユダヤ人」と大騒ぎになる。
私は、だいたいからして、ある犯罪をおかした人物の国籍だの人種だのでその人間の属する社会全体を白い目でみるような人種差別的な考えに問題があるのであり、報道すること自体に問題があるとは思わない。ある日本人がイギリス人女性を殺したら、日本人は皆猟奇的な殺人鬼だなどと思う人がいたらその人の神経がおかしいのだ。
ただ宗教の面においては、イスラム過激派によるテロリスト問題があるので、犯人の行為がテロなのか単なる個人の犯罪なのかを識別する意味でそれなりの判断はされなければならないが。また外国人暴力団による犯罪などがあった場合には犯人がどのような犯罪グループに所属しているのか突き止める必要もある。
私が長々と前置きを書いている理由は、「博士の独り言」さんが批判を受けている長崎市長殺害事件の話をある左翼ブログで読んだことにある。博士はある情報源から犯人が在日韓国人だったという情報を得てそれを発表した。左翼ブログによると博士は、犯人が在日韓国人だったとして、バージニアの件といいこの件といい韓国人は暴力的だというような書き方をしたとある。もし博士がそのような書き方をしたのなら問題はあるが、しかしこの反響はそういうものではないというのが私の印象だ。
博士を攻撃している人々は、犯人が「朝鮮系移民の子孫」だったという報道が気に食わないのである。これは非常に人種差別的な考え方だ。犯人の祖先がどこの国の人間であろうとどうでもいいことではないか。たとえ彼が在日でもほかの在日韓国人に関係はないはずだ。祖先が同じ民族だということと個人の犯罪と何の関係があるのだ?
この間のイギリス女性が殺された船橋は私の故郷であり、あのあたりの英語学校には私も父も通ったことがあるし、知り合いのアメリカ人が何人か英語講師をしていたこともあるので他人事という気がしない。正直こういう事件で故郷の名前が出てくるのは個人的に非常に気分が悪い。しかしだからといって殺人犯が船橋市民だからといって船橋出身のカカシになにかしら否定的な影響があるなどということは全くない。当たり前のことだが他の船橋市民全体についてもこの事件の責任は全くない、当たり前だ!
だから私は左翼系ブログは博士への批判を取り違えていると考える。犯人が実際に在日であったかどうかということなど、ハッキリ言ってどうでもいいことのはずだ。その情報源がなんであろうとそんなこともどうでもいいはずだ。もし彼等が博士のいったことに抗議したいのであれば、「たとえ犯人が在日だったとしても、そのことで在日全体を侮辱するのは人種差別だ」といえば済むことなのだから。
私は犯人の国籍・人種・宗教がある特定の人々の場合には報道してはならないという考えには全く賛成できない。ましてやそれが地元人権団体などの圧力に負けてのことならこれは言論や報道の自由の妨げになる。
大事なことは我々が個人の行いの責任は個人にあると認識することである。偶然我々と血液や出身地を共有した人間が個々になにをしようとグループ全体には何の責任もないし、他の個々とも全く無関係だ。そのことさえ理解できれば、犯罪者がどこ出身の何人であろうと我々が常に警戒心を持つ必要はないのである。


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中国人移民がイタリアのミラノで暴動

最近ヨーロッパで暴動があったというニュースを聞くとイスラム系移民による暴動がすぐ頭に浮かぶのだが、今回イタリアのミラノで起きた暴動事件はなんと中華街での中国人移民によるものである。(Hat tip Occidentalism)
ことの起こりは商品を違法に自家用車で運搬していた中国人女性が摘発され罰金を課されたことがきっかけだという。
100人以上の中国人商店街の商人たちが中華人民共和国の旗を翻して人種差別を批判して暴れはじめた。その結果10人の警察官が負傷しほぼ同数の中国人もけがをした。
日が暮れるまで続いた暴動では車は倒されるは警察がバトンを振り回すは罰金を課された女性は逮捕されるはで大変だったようだ。
イタリアでは現在11万4千人の中国人がすんでいるといわれるが、違法移民の数もかなりあるため実際にはその倍以上だとされている。ミラノだけでも中国人の人口は過去10年で1万2千にふくれあがっているという。ローマ、プラト、タスカニーといった大都市でも中国人労働者の数はかなり増えているようだ。
特にローマとミラノでは中国人経営のビジネスが町の一画を完全に仕切っており、中国産繊維類の運搬で付近の道がかなり混雑していたことから普段から地元警察と中国人商人との間でかなりの摩擦が起きていたようだ。
オクシデンタリズムのサイトで数枚暴動の写真が張られているので見る価値あり。
はっきり言って移民として受け入れてくれた国で祖国の旗を翻して暴動するなんてのはどう考えてもいいことだとは思えない。そんなにイタリアのやり方が気に入らないならイタリアで商売なんかするなといわれても文句いえないだろう。
それにしてもたかが1万2千くらいの移民に手こずるとは、ミラノも情けないね。


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カナダの教育界を乗っ取るイスラム過激派

以前にもカナダのコンコーディア大学の生徒会がイスラム教生徒に乗っ取られてユダヤ教生徒サークルが迫害を受けた話を、北米キャンパスを乗っ取る聖戦主義のユダヤ弾圧したが、イスラム教生徒が乗っ取ったのはコンコーディア大学だけではない。ここ数年の間にイスラム教生徒たちはカナダ各地で大学生徒会を乗っ取ってきている。今のところ迫害されているのがユダヤ教生徒だけだからと涼しい顔をしているとそのうちカナダの教育界はイスラム教徒にのっとられ、大学生のみならずカナダの社会全体に悪影響を及ぼすことになる。
実は先日、アメリカのミネソタ州にあるミネソタ工科短大において、イスラム教聖徒のお祈りに必要な足洗い場を設置するという決断が下された。アメリカでは公立の学校で合唱部がハレルヤコーラスを歌ったり、キリスト教徒が教室で静かに聖書を読んでいるだけでも、政教分離の政策に反するものだと非難が絶えないというのに、ことイスラム教に関してはどの学校も神経質なほど気を使うという二重基準が存在している。
それに対してイスラム教徒への妥協はもっと理不尽な要求へとつながるだけだという格好の例がお隣の国カナダですでに起きていると、ミネソタスタートリビューンのキャサリン・カースティンがリポートしている。

カナダ生徒会連盟は先月「イスラム教生徒のために必要な企画チーム最終報告書」(Final Report of the Task Force on Needs of Muslim Students)と題してカナダの高度教育施設の全面的変革を提案した。この連盟はカナダ全土の学生の半分にあたる50万人を代表する。報告書はオンタリオに焦点をしぼってはいるものの、その結果が国中および世界中に適用が可能だと連盟のジェス・グリーナー会長は語る。

ではこの報告書がカナダの大学に要求しているものは何かというと:

  • カナダのローンを基礎にした資金援助を完全な奨学金制度にかえる。「教育に関する政府からのローンは利子を課すべきではない。」なぜなら「イスラムの教えは利子つきのローンを禁止しているからだ」
  • 「女子専門」運動施設の設置を奨励、女性が水泳プールを使っている間は「窓にカーテンもしくは幕を張る」ことを勧めている。
  • イスラム教徒専門の祈祷施設を設置するだけでなく、複数に渡る祈りのためにキャンパスのどこからでも簡単に祈りの場所へ行けるように道を作る。新築されるビルには必ず祈祷施設と必要とあれば足荒い場所を建設する。
  • 給仕担当の職員はイスラム料理の調理方法を勉強し、シャリア法の儀式にあった方法で調理する。イスラム料理以外の料理を作る場合には衛生手袋を着用の上、使った刃物や料理器具は汚染がないようにきれいに洗う。

報告書はもしも学校側がこれらの規則に従わない場合は「イスラ恐怖症」の罪を負うことになるという。イスラム恐怖症の汚名を着ないためにはイスラム教徒への暴力はもちろんのこと、イスラム教徒を理不尽に疑ってはならない、際立った侮辱でなくてもイスラム教をステレオタイプで扱ったり、シャリア法は男尊女卑だなどという間違ったイメージでイスラム教徒が学ぶ環境を悪化させてもいけないとしている。
また連盟の提案には「(学校)施設がイスラム恐怖症を通告する文化を促進する。反人種差別委員がそのような言論がされた時は即座に通告するべきである。」という。
つまりイスラム教徒が支配する生徒会連盟はカナダの大学にシャリア法をまもるための思想警察を設立せよというのだ。サウジで行われているような、バーカを着ていない女性や男性を同伴せずに外出する女性を情け容赦なく罰する宗教監視員をカナダでも設けろと要求しているのである。
これでは言論の自由も何もない。もしもカナダの学生が「テロリストのほとんどはイスラム教徒だ」とか「イスラム教の教えに問題がある」などといった日にはすぐさまイスラム恐怖症の罪を着せられ退学の危機にさらされかねない。これでは自由社会としてのカナダの存在そのものが危ぶまれる。
しかもイスラム独裁生徒連盟の要求はこのような生易しいものではおさまらない。連盟は学校の授業もコーランとイスラムの教えに乗っ取ったカリキュラムに変更して「イスラム恐怖症」を根絶やしにしなければならないというのである。そしてイスラムに関する教育は西側の思想に乗っ取ったものではなく、イスラム側からの見解でなければならないと強調する。
要するにカナダの大学でシャリア法を教えろというのである!
実を言うと私はこれらの理不尽な要求はカナダにとって良いことだと思う。イスラム教徒は共産主義者と違ってその本意を隠さない。彼等の最終目的がカナダをシャリア法のもとに牛耳ることにあるのはこの要求を読めば一目瞭然である。これまで政治的に正しいやり方で異教徒への寛容をうたい文句にしてきたカナダ教育界はイスラム教徒への好意や妥協や配慮がどういう形でイスラム教徒によって「恩返し」されたかこれでよく分かったはずだ。イスラム過激派は一歩譲れば百歩要求してくる。彼等は我々の行為や配慮を我々の弱さと取るからだ。今回のこの理不尽な要求によって鈍いカナダ社会もやっとイスラム過激派の恐ろしさに目覚め、カナダの文化と社会を守るためにイスラム過激派とは妥協はあり得ない。彼等とは断固戦わねばならないと気が付いてくれれば儲け物である。
そしてアメリカの教育界もカナダでの出来事を他人事のような顔をしてみていてはいけない。アメリカのイスラム教徒学生協会はカナダの生徒会連盟と密接な関係がある以上、カナダの教育界が今後どのような処置をとるにしてもアメリカの教育界に与える影響は大きい。ミネソタの短大で足洗い場を設置するなどイスラム教生徒らによるアメリカ教育界乗っ取りの小手試しだとキャサリーン・カースティンは言う。
だとしたら、アメリカのあちこちで今考慮されているイスラム教生徒への特別計らいは断固取り止めるべきだ。アメリカの教育界はカナダの教育界で起きている事実に目を向けて今後の方針をしっかり考えてほしい。
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『法と秩序』か社会福祉か、揺れるフランス大統領選挙

フランスも長年に渡るジャック・シャラク大統領の時代がついに終わり、新しい大統領選挙がいよいよ大詰めである

サルコジ氏首位で最終盤へ=第1回投票まで1週間−仏大統領選

 【パリ14日時事】22日のフランス大統領選第1回投票まであと1週間。ニコラ・サルコジ国民運動連合(UMP)総裁が支持率トップを維持しているが、同総裁の問題発言が報じられるなど、選挙戦の行方にはなお不透明な要素もある。
 主要6機関による世論調査の支持率は、サルコジ氏が27−29.5%、社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル元環境相22−25%、仏民主連合(UDF)のフランソワ・バイル議長18−20%、国民戦線(FN)のジャンマリ・ルペン党首13−15%。1−4位の座は最終盤にきて固まりつつある。
 こうした中、サルコジ氏が哲学誌に掲載された対談で、小児性愛や若者の自殺志向について「先天的なもの」と発言。これは「人の運命が最初から決まっていると言っているようなもの。非常に重大な発言だ」(バイル氏)などと対立候補から批判されたほか、有識者や聖職者からも相次いで厳しい指摘を受けた。

 
選挙を目前にして保守派とリベラルの間ではフランスの遊園地で起きた警察官殺人事件を巡ってフランスをまっぷたつに割っている深刻な問題が浮き彫りになった。
4月12日、Foire du Trôneという遊園地で、『若者』数人が乗車券を買わずに観覧車に乗ろうとしたところを係員に注意されけんかになった。警備に当たっていた二人の警察官が仲裁にはいったが、そのうちの一人の警察官、レイナルド・カローン巡査(31歳)が観覧車の通路に落ち観覧車に打たれて即死した。カローン巡査は強い衝撃で体がふきとばされ、そのあまりの惨さに思わずパートナーの警察官は失神しそうになったほどだという。
当初この事件はカローン巡査が誤って落ちた事故死であると報道されたが、その場にいた二人の目撃者が名乗り出て、巡査は『若者ら』に突き落とされたのだと証言したことから、殺人事件とみなされた。事件に関わった少年3人が即座に事情聴取で連行され、犯罪の常習犯でパリでも特に柄の悪いことで知られるla Cité des Pyramidesという貧民窟にすむ大柄な『黒人』の少年(15歳)が故意に巡査を突き落としたことを認めた。
フランスのメディアが「移民」「黒人」「若者」といういい方をする時は、犯人がイスラム系の移民であると判断してまず間違いはないのだが、メディアは未だに少年がイスラム教徒であったかどうかは公開していない。
ここで問題なのはフランスのメディアもそして警察も二人の目撃者が殺人を目撃しているにも関わらず、三日以上もこの事件を殺人として扱わず事故として扱おうとしたことである。
まず最初に遊園地の係員が少年らに注意したことを「的屋と若者のけんか」と表現して係員にも罪があるかのようないいかたをしたり、カローン巡査は逃げようとした少年に突き飛ばされて落ちたのであって故意に落とされたのではないとか、少年らの罪をなんとか軽くさせようという努力がされた。
フランスメディアと警察のこの消極的な態度には原因がある。実は先月の終わりにも別の遊園地で無賃乗車を取り締まろうとした警察と若者たちの間で Gare du Nord紛争と呼ばれる暴動あったばかりだったからである。
この暴動では遊園地の乗り物に無賃乗車をしよとした若者数人を逮捕した警察官のやり方を巡って若者たちが暴れ出したのがきっかけだった。小競り合いはすぐに激化し機動隊が出動して催涙ガスがつかわれるなどの大騒動となり13人が逮捕された。その時サルコジ候補は警察のやり方は正しかったとし、「切符の代金を支払わない人間を逮捕することが問題になるのはわが国くらいである」と発言。「警察が最低限の秩序を守ることが許されないなら警察はなんのためにあるのだ?」と問いかけた。
以前から再三書いてきたように、フランスではイスラム系移民の暴挙はここ数年、目に余るものがある。一日に平均10人以上の警察官が移民によって暴行を受けることや、乗用車が一晩で百代以上も焼かれていることはもうここ2〜3年日常茶飯事になっている。しかしそれに対するフランスメディアやフランス政治家の対応は取り締まりではなく迎合一点張りである。以前にパりは燃えているで私はこのように書いた。

私はこの間…フランスで起きているインティーファーダ(過激派イスラム教徒による反政権運動)について、やたらにメディアが遠慮がちであることを書いた。 アメリカのメディアは重体者を出した数台のバス放火事件の犯人を単に「若者」とか「移民を祖先に持つ若者」もしくは「低所得者住宅地の若者」といった言葉で表現し、明らかにイスラム系移民であることを必死に隠そうとしていた。しかしこの傾向は当のおふらんすメディアでも同じことらしい。 …去年のイスラム教徒による暴動のきっかけとなった二人のちんぴらが感電死した記念日に、なんと市長さんが慰霊碑にお見舞いをするという珍動。 いくらイスラム系移民の多い地区とはいえ、ここまで迎合する必要があるのか、といいたくなる。しかし過激派に対して迎合すること以外にフランス政府には政策がないというのも事実なのだろう。 そしてその迎合の姿勢を必死で守っているのがフランスメディアである。

フランスの左翼議員が下層階級の票欲しさに犯罪者に甘い顔を見せる傾向はひどくなる一方だ。パジャマスメディアに掲載されたこの記事によると、仏民主連合(UDF)のフランソワ・バイル議長などを中心に左翼の候補者たちはこぞって貧民窟で貧乏人たちと一緒に写真をとってみたり、危険な地区の地下鉄に乗ってみたりして、いかに自分達が庶民の味方であるかという態度をアピールするのに余念がないらしい。メディアが心配しているのはそんななかでこの事件が凶悪な殺人事件として扱われれば大事な選挙中にフランスの治安の乱れに市民の注目が行き、貧乏人の味方をとなえる左翼候補らより、法と秩序をうたい文句にしているサルコジ候補が有利になってしまうということなのである。
フランスの治安の乱れに関する記事は下記参照:
フランスを蝕むイスラム系移民二世たち
フランス国内のイスラム問題解決はイラク戦争にある?!
犯罪者に甘い顔をして下層の票を集めようとしているのはバイル候補だけではない。

  • José Bové:反グローバリゼーション運動家、フランスの違法移民と仲良し。
  • Olivier Besancenot:共産党、労働者と反シオニスト活動家たちに迎合している。
  • ジャンマリ・ルペン:(Jean-Marie Le Pen:国民戦線(FN)の党首)レバノン新聞でサルコジ候補はイスラエルと仲良しだからフランスには危険な人物だと主張。
  • セゴレーヌ・ロワイヤル:(Ségolène Royal – 社会党)ルペンに負けじとこちらも別のレバノンの新聞にて自分が選ばれたらブッシュ大統領とは握手しないと宣言した。

ほかにも色々いるが皆福祉のやり過ぎで経済が破たんしているフランス社会で、低家賃の住宅を保証するとか、失業者すべてに失った仕事を返すとか非現実的な社会福祉ばかりを約束している。こうした候補者にとって警察官殺人事件への注目は非常に不都合な事態を及ぼす。

フランス左翼の候補は皆ロイヤルを筆頭にバイルも含め過激派中の過激派Schivardiにいたるまで収入を分割し社会を平穏化することを約束している。左翼はGare du Nord暴動の後、選挙運動に無関係な法と秩序問題を持ち出したとして右翼を攻撃。左翼にいわせると市民は賃金の値上げや家賃援助の住宅や就職の安定そして年金について聞きたいとのことだ。残酷な若い警察官の死は優しい政府を目指す候補者には都合が悪い。市民がどう判断するかは投票によって近日中にあきらかになる。第一回目の投票は4月22日の日曜日。どちらに輪が回るのか、賭けてください。Les jeux sont faits。


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